作文添削の試み
─一般教育演習「ことばと医学」から─
寺 沢 浩 一,阿 部 和 厚
1),牛 木 辰 男
2) 北海道大学医学部 1)北海道大学高等教育機能開発総合センター高等教育開発研究部(兼務) 2)現在,新潟大学医学部Experience on Correcting and Adding Comments to Students' Writing
─ In a Seminar Class of Liberal Arts “Language and Medicine”─
Koichi Terazawa, Kazuhiro Abe
1)and Tatsuo Ushiki
2)Hokkaido University School of Medicine
1) Additionally, Research Division for Higher Education, Center for Research and Development in Higher Education, Hokkaido University
2) Presently, Niigata University School of Medicine
Abstract ─ We have been correcting and adding comments to compositions of first-year
stu-dents for 4 years in a liberal arts seminar entitled “Language and Medicine.” The class has a small number of students, 25 in 1996, from various faculties. In the seminar, the students who are divided into several groups consider medical themes and make presentations and carry on discussions, followed by teachers’ comments. The examples of the themes are “examing the bones of a body and guessing their locations in the body”, “discussing what is a good doctor and what is a good patient”, “defining ‘health’” and “debating whether mercy killing is right or wrong.” Additionally, they write various compositions as homework such as an essay, explanation and a small article - e.g., “How to peel an apple” and “The difference in language between speaking and writing.” We (three teachers) independently correct each student’s composition and write comments on it. We check logic in small articles, indicate how to make appropriate paragraphs and intelligible sentences, and add sympathetic and supportive com-ments. The students think this seminar improves their ability to communicate and notice the significance of language in their daily as well as professional life. Interaction among them-selves makes them feel happy and willing to communicate with each other. They have a very positive reaction to the corrections and comments - in that they feel accepted and responded to by us. This enables us to establish a one-to-one teacher-to-student relationship and makes the students think more profoundly about the teachers’ comments. We consider this correction very helpful for first-year students to become accustomed to the intellectual life in the univer-sity. It is also useful for teachers: they not only know the personalities of the students by interacting with them, but also understand themselves by means of making a teaching team and reading the members’ comments and corrections. We recommend that such seminar classes be opened in much larger numbers to improve the liberal arts education by responding to the intellectual desires of first-year students. The teachers’ load in education may be increased at first, but the educational effect brought about by the seminar is expected to be very large, especially when accompanied by “correcting and adding comments to the students’ composi-tions.”
1. はじめに
われわれは平成5年から全学教育科目の中の一 般教育演習として「ことばと医学」というクラス を開いている(阿部 1996)。そこではコミュニ ケーションをする上で必要な要素を学生自らが自 覚できるように,医学的題材を用いた授業を企画 している。 この演習では,毎回の授業の中で討論・発表な どの形で主に話しことばの練習を行うが,宿題と して作文をも課している。その種類は小論文・説 明文・自己紹介文と並んで感想文・随筆である。 そしてその作文をわれわれは毎回添削して学生に 返している(添削というよりも朱を入れるという 表現の方があっているように感じるが,これにつ いては後に述べる)。 われわれはこの作文添削が一般教育演習のクラ スにおいて,この演習の目標(吉野 1996)を達成 する上で,かなり有効であるものとの実感を持つ に至った。そのため平成 8 年度のクラスではこの 作文を多く課し,さらに学生に評価してもらい, その有効性について多少の考察を行ったので,そ の経緯を述べたい。 作文添削に関して,人文・社会科学系の講義(い わゆる論文指導講義)で行われている論文指導が 連想される。そこでは最大 30 人までのクラスで レポートが添削されているようである(吉野 1996)。この指導に関して気づいたこともわれわ れは少し述べたい。 この報告をしようと思うのは,教養教育におい ては少人数で行われる論文指導や一般教育演習の 授業形態が大いに展開されてよいとの文系の吉野 の主張 (1996) を,理系に属するわれわれも実践を とおして共時的に有しているからである。2. 作文添削の実際
一般教育演習「ことばと医学」の中での作文添 削の位置づけを説明し,その実際を紹介しよう。 2. 1 「ことばと医学」について この演習を始めた経緯についてはすでに著者の 一人の阿部(1996)が報告している。その学習の ねらいを再録すると,次のとおりである−私たち は日々「ことば」に接しながら,互いの意志の疎 通の問題に直面している。ひとによく伝わる話し ことば・書きことばとはどんなものだろうか?ま た,ことばをひとに伝えるにはどんな努力が必要 だろうか?この演習では医学的な素材を用いて, こうした「ことば」の問題を考える−。 全学部の学生を対象として入学したばかりの 1 年前期に行っている。人数は本来 15 人以内であ るが,平成 5 年 17 名,平成 6 年 15 名,平成 7 年 37 名,そして平成 8 年は 25 名である。人数が 15 名を超えているのは履修希望者数が多いわりには 一般教育演習の開講数が少ないことを配慮した結 果と,人数を実験的に変えているためである。 2. 2 平成 8 年度の授業と作文課題 受講生 25 名の学部別人数は次のとおりである。 文学部 3 名(12 %) 教育学部 1 名( 4 %) 法学部 1 名( 4 %) 理学部 4 名(16 %) 工学部 5 名(20 %) 医学部 8 名(32 %) 歯学部 2 名( 8 %) 薬学部 1 名( 4 %) 以下に毎回の授業テーマ名と宿題の作文題名を 列記する。授業の具体的内容と解説は阿部の論文 (1996) を参照されたい。 第 1 回(試し受講)オリエンテーション,作業 「絵」。 第 2 回(試し受講)オリエンテーション,作業「わ かりにくい文」,受講者決定。 作文:「自己紹介文」(次回授業のために3分間以 内で述べられる内容,次回授業終了時に提 出のこと)。 第 3 回 自己紹介(次回のためにメモを取らせ る),ID カード作成。作文:「よい自己紹介 とは」(小論文)。 第 4 回 討論「よい自己紹介とは」(グループ分 け,自己紹介,自由討論,発表,全体討 論,教官コメント),コンパ(アイスブレーキ ング)。作文:「今日の授業の感想」。 第 5 回 定義を作る「健康」(KJ法(川喜田 1996), グループ内役割分担)。作文:「大学に入っ て 1 カ月たって」(随筆)。 第 6 回 骨を読む。作文:(説明文)「リンゴの皮 のむき方」,「鉛筆の削り方」,「ズボンのは き方」,「カゼ薬の買い方」(次回授業のた めに,小学 5,6 年生にわかるように)。 第 7 回 説明文の決定版を作る。作文:「今日の 授業の感想」,「朱入れ(作文添削)をどう 思うか」(1 回目)。 第 8 回 討論「よい医者とは,よい患者とは」。作 文:「今日の授業の感想」。 第 9 回 ディベート(試行「母語は存在の基盤で あるか否か」)。随筆(高橋 1996)を題材と して。作文:「羽のある男(女)との結婚 を親として許すか否か」(ディベート的小 論文)。 第 10 回 ディベート「神は存在するか否か」,次 回のディベートのテーマ決め。作文:(な し,次回の準備のため)。 第 11 回 ディベート「安楽死は許されるか否 か」,「人肉を食べてよいか否か」。作文: 「よいディベートを行うための留意点」(小 論文)。 第 12 回 次回のシンポジウムのテーマ決め(大 テーマ「ことばと医学」の下にサブ テーマ を考え,準備)。 第 13 回 シンポジウム「ことばと医学」(サブ テーマ:ことばによる病状の伝達,コミュ ニケーションとことばづかい,ことばが患 者に与える影響),コンパ(シンポジウム 第2部)。 作文(夏休み):(1) 小論文(次から1題)「話 術は必要か」「上手な話し方」「専門的内容 を 15 分間ラジオ放送する場合の話し方」 「医者にとってのことば」「書きことばと話 しことばの違い」「わかりにくい文章の書 き方」「原稿用紙はなぜ 400 字詰めか」「真 実を語っている人の body language」「授業 中に缶ジュースを飲むことをどう思うか」 「講義中の私語はなぜ生まれるか」「グルー プ学習は是か否か」 (2) 随想「最近思うこ と」(3) 「作文の朱入れを評価する」(2回 目)(4) 「この演習を終えて思うこと」いず れも 400 字詰め原稿用紙(B5 版,横書き) に手書きで,(1)と (2) は各々 2 枚以上 5 枚 以内,(3)と(4)は各々1枚以上と指定。(3)に ついては,学生と教官の各々にとっての意 義を考えるように依頼した。 2. 3 作文をどう添削するか 上述の作文の種類には,自己紹介,感想文,随 筆,説明文,小論文があり,自由な感想からテー マの決まった文系的・理系的小論文まである。い ずれにしても添削する教官やクラスメートなどに 説明するというコミュニケーションの要素があ る。そして相手に伝えようとするメッセージに学 生一人ひとりの独自性(自分が感じたり,考えた りしたことが含まれていること)を求めている。 要するにコミュニケーションする内容をもつこと とその方法を身につけることが学生の学習目標で あり,教官が指導しようとする方向である。 この観点に添って,具体的には次のように添削 してきた。 (1) 学生一人ひとりが実際に感じたり考えたりし たと思われる箇所に着目してそこに肯定的・ 支持的なコメントを加える。下線を施すなり してただ OK と記すこともある。 (2) 作文の最後の余白に教官のコメントを書く。 学生が書いた内容に応じて答えたり,励まし たり,質問したり,感想を書いたりする。 ( 3 ) 小論文では論理の展開に無理がないかを チェックする。段落の設け方を例示する。 (4) 表記法(書字)・文法の誤りをただす。わかり やすい文章になおす。あまり大きな手直しは しない。また回を追うごとに少しずつ直す。
外国人留学生に対しては文法や言いまわしを 教える。 (5) 原稿用紙の使い方を教える。 (6) 内容に重複があったり,走り書きや字が乱暴 な場合には,推敲を勧める。(推敲されている 文章にはこれらが見られない。) (7) コピーして複数の教官がそれぞれ添削する。 教官が 2 人の時は時間の都合をつけて異なる 色の筆記具を用いることも可能である。 (8) 複数の教官が添削する際には,各々の視点が 異なったり,趣味なども含めて各教官に得意 な分野があり,これを生かす(学生も多様で あるからこれは好都合である)。 また添削に費やせる時間が十分にとれる場合と 学生一人分を数分間で見なければならないような こともある。したがって上記 (1) から (6) の全て を一人の教官が十分に行えるわけではない。そこ でただ読んでサインをするだけのこともあり,最 後に少しコメントだけを書く場合もある。このよ うな事情からわれわれの添削は (3) (4) (5) (6) を中 心とする作文の書き方の添削(狭義)だけでなく, 手紙の返事やカウンセリングに近い要素 (1),(2) を も含んでいる。それで添削というより朱入れとい う表現のほうがわれわれの作文添削にはふさわし いように感じているのである。 平成 8 年度に行った添削の具体例を図 1 , 2 に 示す(注 1 )。
3. 学生による評価
まず演習全体に対する感想を紹介する。夏休み に課した作文である。 学生の感想文「この演習を終えて思うこと」 (1)(文学部,女子)グループ作業で自分を出せる ようになり,ディベートなどでも各人各様の議 論が興味深かった。 (2)(法学部,女子)「ことば」というとどうしても 文系色の強いもののような印象を受けるが,今 回の授業を通してそれは全くの誤解であったと いうことに気付かされた。どの職,どの分野に おいても「ことば」に支えられていると思っ た。 (3)(理学部,男子)自分とは違った立場に立って ものを考えている人達の考えを聞き,また自分 の主張も論理的に説明して話し合うことによっ て,お互いが気づかなかったより合理的な考え 方を導くことができるということはとてもすば らしいことだと感じました。 (4)(工学部,女子)文章を素直に書くことができ るようになりました。この授業を一緒に受けて いるみんなと仲良くなることができました。と ても嬉しいことです。 (5)(医学部,女子)自分から参加しなければなら ない少人数制の,なおかつ学生の興味をひくよ うな内容の授業が増えてくれればよいなと感じ ました。少人数とディベートなどのおかげで他 の学部の人とも仲よくなれたのはとてもよかっ たです。 (6)(歯学部,男子)各人を容易に識別できる人数, グループ作業や全員で一つのことを考えること によって生じる仲間意識や一体感,教官の必要 最低限しか口を出さないという姿勢(がよかっ た)。 (7)(薬学部,女子)コンパの効果もあって,私た ちは積極的な意見を交換することができた。受 け身ではなく自分達が中心となり進行していく ことができたのはとても新鮮で,この授業を楽 しみにしていた理由の一つである。 因みに,学生の作った平成 8 年版「鬼仏表」な るものには次のように記されている。「仏。北大 教養の授業で一番良かった。授業はみんなで討論 したり,発表したりしておもしろい。最初と最後 に飲み会があって友達がたくさんできる。きちん と出席しなくてはいけないが,楽しいので苦にな らない。絶対おすすめ。」 この「鬼仏表」の記載内容は平成 7 年にわれわれの演習を受けた者たちからのアンケート結果に 基づいているという。この評価は学生から見た真 実を表している。そしてそれは上述の感想文の内 容ともよく一致している。 次に,朱入れに対する学生自身の評価(特に積 極的・建設的に取り組んでいた学生の意見)を紹 介したい。これも夏休みに課した作文である。 学生による「作文の朱入れを評価する」 (1)(文学部,女子)この演習のなかでさまざまな 感想文を提出し,朱入れを受けたが,個人的に は「骨を読む」の回のものが一番印象に残って いる。あのとき私は骨の形態と芸術について書 きたいと思い,オキーフという画家のことを引 用しようとした。しかし,名前をそのまま出し て書くと文のバランスが悪くなり,字数もオー バーしそうだったので,「骨をモチーフにした 絵を描くあるアメリカの画家」とだけ文中に書 いた。それが朱入れで,「オキーフ」とその名 前が入れられ,さらに自然と芸術に関する詩が 添えられて返ってきたのだ。私にとってこの朱 入れは,単に文章そのものを理解したというだ けではなく,私が文の中に書ききれなかったこ とまでも,読み手の側で了解したというサイン のように受けとることができた。 (2)(法学部,女子)自分の書いた文章にきちんと 目を通してもらっているんだということがとて もうれしかった。朱入れとは,その文章の感想 や評価などを書いたものではあるが,一番大き な役割としては,読みましたという証明なのだ と思う。文章とはどんなものであろうとも人に 読まれるものであるということを感じた,これ も朱入れのおかげである。 (3)(理学部,男子)小学校以来このように定期的 に文章を書いて評価してもらったことがなかっ たのでとても新鮮な感じがしました。文章にす ることによってより洗練された自分の考えにつ いて,それをみた人の意見や感想を知ることが できることは,そのことについてより深く考え ることを助けることにつながるのではないかと 思います。 (4)(工学部,女子)変な所を指摘されるだけでな く,ここが良かったと書いていただいたこと が,私はとても嬉しかったです。いつも,先生 のコメントをみるのを楽しみにしていました。 (5)(医学部,女子)中にはレポートを見たか見な かったのかさえ定かでないほどに何のコメント も印もなく返してくる先生もいる。その内容に ついて本気で考え悩んだ末の賜物のレポートの 場合,がっくりするのと同時に怒りや悲しみが 爆発する。自分が真剣にやったものに対して最 低限の「同感・不同意」「好き・嫌い」を示し て欲しいと思うのだ。その点この演習では,二 人の先生が何かしらコメントを下さり,毎回 「この次こそもっと気合いを入れて書くぞ」と いう気になった。朱入れは教官にとってどのよ うな意義があるのだろうか。何か学生へ返答を するのであるから,文章をいい加減に読み流す ことはまずしなくなるのだろうし,学生のメッ セージを自分の価値観と照らし合わせて考える ことをする必要もでてくる。非常に効率よく文 章を把握し思考することができるようになるの ではあるまいか。そうすることによって,一対 多数だった学生との関係が,初めて一対一の本 物の人間づきあいになるような気もする。 (6)(医学部,男子)朱入れをすると教官は学生に 対してより深い理解を示すことが可能になると 思われる。受講者数が多い講義のレポートなど はちゃんと読んでくれているのかどうか怪しい ところである。これを逆手にとって手抜きのレ ポートを作成する学生も出現しかねない。しか し朱入れをする場合は,まじめな学生は作文に 熱が入るだろうし,ふまじめな学生には試練の 時が訪れることになるだろう。積極的な学生 は,安心してレポートが書けるわけである。誰 でも傷つくのはいやであり,他者の動向が気に かかるものである。朱入れは他者が自分の書い た文章に対してどう思ったかを知る一つの機会
である。作文返却後ただちに朱入れに目を通し ている人がほとんどだった。また,朱入れは, 長ければ長いほど(悪く評されている場合で も)うれしいものである。 (7)(医学部,女子)朱入れされることはうれしい。 この表現はいいねというほめ言葉がうれしくて 心に残る。今度もがんばろうという気になる。 短いコメントでも,他の人はどう思うかとか, 自分の考えがきちんと伝わっているかなどを垣 間見ることができる。複数の人の朱入れが入っ ているのも観点などが違っておもしろいし,役 立つと思った。(教官は)完成された論文など を読む機会の方がずっと多いだろうが,たまに は全然未熟な学生の文章を見ると何かおもしろ いと思えることがあるかもしれない。大変だと は思うが,先生たちにも楽しんでやってもらえ るといいなあと思っている。これからも,でき れば続けていって下さい。 (8)(医学部,男子)わずか数行のことが多いが,そ の文章を通してとかく疎遠になりがちな大学で の学生と教官の距離を縮める一助となり得ると 思う。文章の構文の違いや誤字などの形式面の 注意がほとんどだったのは残念だ。もっと感想 のようなものを多く書いてほしい。 (9)(医学部,男子,留学生)留学生としては非常 にありがたいと思っています。文法がどこが間 違っているかすぐ分かるし,また日本人の考え 方と自分の国との考え方も比べられるという長 点があるのです。ただ,先生達が私の作文をな おすのが他の学生より大変だと思います。 (10)(歯学部,男子)生徒からもらった手紙に返事 を書くような行為に相当する重みを持ち,い わば教官と学生間の信頼関係を構築する要因 の一つとして大きな役割を果たすと考えられ る。 (11)(薬学部,女子)先生にとっても,授業中は時 間の都合で意見交換できなかったことも,作 文を通して,個人的により深い指導をつけ加 えることができると思うので,私達にとって もありがたいことだと思った。毎回作文が 戻ってくる度,私は少しドキドキしていた。 朱入れされた作文が戻ってくるなんて小学校 以来だから嬉しかったというのもあったし, 必ず線がひかれていて,先生の感想がそえら れているのは,人間的だと感じるからだ。そ れに漢字が時々訂正されたり,文法の誤りを 指摘されるのも,一つの理由だった。リスポ ンスがあれば,結果が伴うか否かは別とし て,向上心がわくのも当然の結果である。と ても良いと思った。
4. 考察
われわれが 4 年間行ってきた一般教育演習「こ とばと医学」の中での作文添削(朱入れ)を紹介 してきた。これに対する学生の評価は肯定的・受 容的・好意的である。約 2 割の学生は欠席がちに なり,作文もおざなりなものしか書けないままで あるが,大半は毎回の授業の作業をよくこなし, 作文もよく書く。 受講者とわれわれの間には絆が強くできている のを感じる。構内で会えばことばをかわす。この クラスのクラス会を作っている年度もあり,われ われにも声をかけてくれる。一般教育演習の目標 である,「教官と接触することをとおして大学と いう知的な世界にとけ込むこと」はほぼ達成され ているものと思われる。さらに学生自身が主体的 に知的活動を始めることを援助するとともに,彼 らの精神衛生に良い働きかけをしているものと考 えている。 われわれの行っている作文添削は「ことばと医 学」のクラスの中でその教育的効果を発揮してい るものであろうから,それだけを取り出してその 教育的効果を考えることはできないかもしれない が,それでも学生の朱入れに対する評価は高い。 そこで以下に作文添削の意味を少し考え,さらに この方法を実施するための条件について言及した い。4. 1 作文添削の意味 上の朱入れについての学生の評価文をまとめる と次のようになる。 (1) 多くの学生は,自分の書いた作文が他人に読 んでもらえたこと,そして批判されてもほめ られても,反応したり評価してくれる相手が いることをうれしいと感じている。 (2) 学生は1対1の人間関係を求めている。双方 向の人間関係・信頼関係を教官との間に築き たいと思っている。 (3) このような人間関係が生じ,教官からの反応 があると,やる気がでるし,ものをより深く 考えられると感じている。 (4) 複数の教官が朱入れをすると学生は多面的に 考えることができ,視野が広がる。 (5) 教官が学生一人ひとりを理解することに役立 つ。学生も教官をよりよく理解できるように なる。教官自身が自分の価値観を吟味するの にも役立つ。教官が学生に反応すれば,学生 もさらに反応する。 (6) 教官と学生の間で,授業中に十分にはできな い意見交換が可能である。留学生は授業中静 かになりがちであるが,彼らにとっては日本 語を上達させ,日本人の感じ方考え方を知る 上でも有用である。魯迅の作品「藤野先生」 (1926) にそのようすがよく描かれている。逆 に,われわれ教官側も外国の文化を知り,日 本の文化と日本語を考える機会となる。 (7) 話すのが苦手な学生や教官にとって相手とコ ミュニケーションをとるためのよい手段とな る。医学部の学生が多く教官も医学部である ためと思われるが,本クラスでは他の学部, 特に文系の学生の発言が少なくなる。しか し,かれらの作文は雄弁である。 つまり,大学において学生が教官との間に 1 対 1 の意見交換ができ反応しあえる関係ができると, それは学生にとって(また教官にとっても)知的 活動の基礎となりうるということになろう。 学生たちは卒業してから社会に出て,いずれそ の中で,規模は様々であっても,知的リーダーと して活動しなければならない。こうした将来を考 え,われわれは,リーダーの能力の一つとしての コミュニケーションをとりあげてこの演習を始め た。リーダーに必要なのは,相手の意見を聞くこ とができ,それにふさわしい態度で反応し,自分 の意見を述べられる,さらにチームのメンバーの 意見を吸い上げまとめられる能力である。自分の 意見を公的にスピーチし,一般市民にわかりやす く説明できることが求められる。「ことばと医学」 は医学を題材としてことばの練習をする形をとっ ているが,その目的は,伝えたいことを相手にで きるだけ正しく伝えるにはどうしたらよいか,自 分と相手の関係はどういうものかを体験をとおし て知ることにある。 話しことばや書きことばを用いて他人に意思を 伝えようとするときの前提として,相手に意思を 伝えてもよいのだということを知っている必要が あるだろう。そのためには自分が発したことばを 相手が受けとめ反応してくれるということを実際 に体験しなければならない。今の学生には(おそ らくわれわれ教官にも)この体験が欠乏してい る。演習の授業中は話しことばが中心になる。そ の際に十分に意見交換ができなかった場合を補っ たり,話すのが苦手な学生にこの体験をしてもら うために,教官が学生の作文を添削するのは有効 であると考えられる。 4.2 作文添削の方法 作家の清水義範(注2)が小学生に作文を書かせ て添削している経験(清水,1995)から得たコメ ントで,上に述べてきたことに関連する部分を少 し紹介したい。 (1) 内容自体には文句をつけないで,読み手に内 容が伝わるような文章の書き方を指導する。 (2) まずほめる。注意や細かいアドバイスはその あとに書き添えればよい。そうすれば書く意 欲がでてくる。 (3) 彼らと,その成長と,彼らの生きている社会
を知ることができる。 (4) 成長期に作文の指導を受けて,ひとつかふた つでもコツを掴んだような気になったこと が,その知力の成長に密接にからんでいる。 (5) 教育とは,みんなを同じ方向に引っぱりあげ ることではなく,一人ひとりの持っている未 開の能力を導き出してやることである。 以上の (1) から (5) は,程度の差こそあれ,わ れわれが朱入れの際に行い感じていることと一致 する。 (2) については意識して努力することも多い が,ほめる努力をしてゆくうちに本心からそうい う気になってゆくということも実感している。も ちろんいいかげんな態度が続く学生にはいさめる ことがある。それも相手への人間的な反応である と思うからである。 (4) についてはまさしく同感 である。本気で取り組んでいる学生の作文は,文 の流れにしろ,字ひとつにしろ,その熱意は伝 わってくるものである。いい加減に書かれた文章 は,いかにもっともらしいことやキーワードがち りばめられていようと,ウソであることはすぐわ かるのである。 (5) については,複数の教官で朱 を入れることで学生の個性の幅への対応が広がっ ているように感じている。 4. 3 添削指導体制について われわれの「ことばと医学」は 3 人で担当して きた。出張などで出席できない教官がいる場合も あるので,複数は都合がよい。また朱入れについ ても,すでに述べたように,学生一人ひとりの個 性にあった指導の幅が広がる点で複数の教官で行 うことは有意義である。教官が互いの朱入れを見 ることで教官どうしの理解も深まり自己啓発にも つながる。 受講生の数は,われわれのクラスでは 15 名ま でが好ましい。グループ作業を行うときには 5 名 で 1 グループにする。その人数がグループ内討論 に適しているからである。グループ数は 3 つであ ると,各グループの発表と全体討論に十分に時間 がかけられる。人数が多くなるとクラス内の緊張 感が散漫になり,傍観者になる学生が現れる。朱 入れの際にも学生一人ひとりを把握でき,時間も 十分にかけられるということを考慮すると多くて もせいぜい 20 名までである。 演習の中で作文添削を行う際は,われわれは通 常 400 字詰め原稿用紙で 2 枚以内に指定してい る。これは,添削にかけられる時間の都合上と, 学生に推敲をさせ,要領よくまとめさせるためで ある。このような作文であっても,毎週朱入れを することはかなりわれわれの負担になる。朱を入 れて次の週に返却してクラス全体にコメントして やるのがタイミング的に望ましいので,隔週,す なわち 15 回のうちで,夏休みの課題も含めて 6, 7回くらいが教育効果があって実行しやすいと感 じている。 4. 4 一般教育演習実施に関連して 一般教育演習は,吉野 (1996) も述べているよう に学生のニーズにかなっていると考えている。と ころが平成 7 年度に学部一貫制になってから,受 講希望者の数が非常に増えた。それに応じてやむ なく定員より多くとっている(平成 7 年度 37 名, 8 年度 25 名)が,やはりこれは多過ぎる。 そこでこの演習の開講数を増やすことを呼びか けたい。これは各学部等とその教官の教育に対す る自覚にまたれるところでもあるが,教官に教育 が負担になっていることも考えなければならな い。しかし何としても人材育成に直結すると思わ れる一般教育,特に演習は充実させなければなら ない。大学教官の質の向上にもつながるのだか ら。教育の負担の問題は,われわれの「ことばと 医学」のように複数の教官で開講することと,学 生中心型(阿部・寺沢 1997)に演習を進めること である程度解決できるのではないだろうか。慣れ れば,作文添削も含めて週に 3 時間ほどかかるだ けである。この 3 時間は教育効果・効率からみる とほとんど負担にならないとわれわれは感じてい る。
4. 5 論文指導講義に関連して 論文作成の指導については,原則 30 名の受講 生に最低 1 回のレポートを書かせるという形式 で,すでに文系の教官が行っている(吉野 1996)。 その実際は知らないが,われわれの論旨からすれ ば 30 名は多いし,「最低 1 回」では少ないように 思う。 もちろん論文(レポート)の作成の仕方を学ぶ だけなら添削は少ない回数でもよいし,卒業論文 あるいは学位論文を作成する際でもとくに遅くは ないだろう。 しかし,一般教育科目としては,それよりも作 文添削をとおして,学生のコミュニケーション能 力やことば(国語)の能力を人材育成の観点から 開発することも重要ではないだろうか。ことばに よるコミュニケーションによって知・情・意が育 つと考えられるからである。そのためには,論文・ レポートではなく,感想文,随筆,説明文,小論 文というような作文を字数を比較的少なく課し て,回数を多く添削して,学生と教官の間に双方 向性のやりとりをするのである。その効果と,そ れが実行可能であることはすでに述べたとおりで ある。 したがって,従来の論文指導講義と並列して 15 名 1 クラスの一般教育演習を多数用意して,この 作文添削を実行することを推奨したい。作文添削 を中心として,授業時間中に作文を書かせ,添削 後のコメントとディスカッションを行う演習形態 も効果的だろう。 この添削(朱入れ)を文系の教官も理系の教官 も行うのである。困難を感じる教官も複数でチー ムを組めばそのコツを体得できるであろう。文系 と理系の教官が協力するチームができるのも面白 いのではないだろうか。実際われわれも牛木が他 大学に転出して平成 8 年度は 2 人になったことも あり,平成 9 年度からは,授業中に用いた資料(高 橋 1996)の著者である言語文化部の教官に加わっ てもらう。因みにクラス名を「ことばと医学と文 化」と変える。内容にも学際性が発露するのを予 感している。 教官の専門分野に直接触れなくても,文系の学 生が理系の教官と,理系の学生が文系の教官と 1 対 1 でつきあうこと自体が互いのコミュニケー ション能力を伸ばし,視野を広げ,有意義であろ う。 教官にしてみても,文系・理系を問わず複数の 教官がいっしょになって作文添削を行うことは, 相互の理解にも連なるし,学際分野の研究・教育 の開発・発展に寄与するであろう。平成 9 年度の われわれの体験を楽しみにしている。
参考文献
阿部和厚 (1996), 「大学における教授法の研究− 医学教育を例にして−」,『 高等教育ジャーナ ル』(北大), 1, 170-189(「ことばと医学」開始 の経緯171-172, 具体的内容174-176, 小グルー プ学習・複数教官 188) 阿部和厚, 寺沢浩一 (1997), 「大学教育における 知識伝授中心から学習中心への転換−多人数 クラスにおける学生中心小グループ学習モデ ル」, 『高等教育ジャーナル』(北大), 特別号, 128-137 川喜田二郎 (1996), 『KJ法−渾沌をして語らしめ る』(川喜田二郎著作集第 5 巻),東京: 中央 公論社 魯迅 (1926), 『藤野先生』, (例えば次に収録され ている:魯迅(著)・増田渉(訳) 『阿Q正伝』, 角川文庫(クラシックス),東京: 角川書店, 152-160) 清水義範 (1995), 『清水義範の作文教室』, 東京: 早川書房,29,49,177 ,195-196,204 高橋宣勝 (1996),「母語が存在の基盤であるこ と」, 『国語教室』, 1996 May号, 2-3 吉野悦雄 (1996),「教養改革について−文系」, 『高等教育ジャーナル』(北大),1, 6-9注
図 1A 「骨を読む」作文添削例(文学部,女子)。 阿部(下) まず感動できること。骨にみえた穴は血 管の通る穴です。骨の中には血管が多く,指をナイ フで切ると血がでるように血がでます。確かに骨粗 鬆症ではこの穴が大きくなります。高野豆腐のよう に。 寺沢(右) ことばでわかるというためには五官で わかっている体験が必要のようですね。 1. 図 1,2 に示した作文を書いた学生から,氏 名・学生番号を削る条件で掲載の許可を得てい る。 2. 1947 年愛知県生まれ。愛知教育大学(国語 科)卒業,教員免許あり。
図 1B 「骨を読む」作文添削例(工学部,女子)。 阿部(上 5 行目) most reasonable shape 同(左) 知識を前提としなくてよい。いかに考える かが重要です。 同(下) 地球には引力があります。ここに立ち,動 くためには物理の原則にあてはまった構造が必要で す。建物の部品,機械の部品のように。 寺沢(下) 工学,人間工学も自然の形・機能・構造 (造化の美)に学び,それに近づこうという人間の本 性・能力のあらわれかと思いつきます。 図 1C 「骨を読む」作文添削例(歯学部,男子)。 阿部(最終行) ありがとう。 同(下) 疑問が出てくる方がよい。疑問が出ること が,解決への道。 寺沢(右) 最も疑問が残らないようなストーリー を探す作業です。病気の診断も同じです。
図 2A 「よい医者・よい患者とは」作文添削例(法 学部,女子)。 阿部(下) グループ代表は仕事の責任が重いほど 大変です。リーダーは自分を少ししか出さないとい うのも必要。賛同。 寺沢(下) いつものびのびとした読みやすい字で, 気持ちがいいですね。 図 1D 「骨を読む」作文添削例(薬学部,女子)。 阿部(左) (先入観)も,ひとつのデータにする。→ こんどのディベート文も客観視して考える。 同(下) ここでは正解を出すことが重要ではな かった。どんな風に考えたか。そう考えるとどのよ うな結論になるか。そして知ること。よい方向で参 加したようにみえます。 寺沢(右) 六感は働いていたと思います。だから間 違えたのです。本当に働かないときには,かえって 多くの可能性を考えるので,当たらなくとも,はず れないのです。
図 2B 「よい医者・よい患者とは」作文添削例(理 学部,男子)。 阿部(左) 最高の治療ができるとは限らない。いつ も最高でいることはきびしいがそうありたい。 寺沢(下) OK。ていねいに考えています(*)。理 想を頭におきながら,失敗の経験をつみ重ねる。向 上してゆきます。その意味で失敗は失敗ではありま せん。思い切っていこう。(蛇足ながら)。 図 2C「よい医者・よい患者とは」作文添削例(医 学部,男子)。 阿部(下から 6 行目) 盲信はしないが信ずること も重要。 寺沢(下) いろいろな経験があったのですね。
図 2D 「よい医者・よい患者とは」作文添削例(医 学部,女子)。 阿部(下) よい患者とは,よい医者とはの両方とも 医者の視点からではなく患者の視点からです。よい 治療をされるためのよい患者,治療をうける対象と してのよい医者という視点です。 寺沢(右) 量的,全体的にみればそうですね。[個 の力]×[個の力]×…×[個の力]=[全体の力] たし算でなくかけ算と考えると,ひとりの人の持ち 場が大きな意味を持ってきますね。