・ 社会政策か民法典か
平田 公夫
本稿 は19世紀未の ドイツ民法典編纂史において一つの重要な争点 となった,法による社 会改革の実現か,純粋 な一般的抽象的私法の創 出か という民法典編纂の 目的を巡る論争を通
・ して民法典の意義 を再考するものである。当時,ゲルマニス トのギールケは 「私法の社会性」
を強調 し,法曹社会主義のメンガーは 「社会的法学」 を提唱 し,自由法論者 ・法社会学者の エール リツヒは当代の 「倫理的政治的理念の実現」という国家による立法の使命 を説 く一方, 民法典起草者の重要な一人であったブランクは,あ くまで民法典は 「純粋私法」 としてその 一般性 ・抽象性 を堅持すべ きであると擁護 し,社会政策は民法典の外部において対処 し特別 立法 に委ねるべ きだ との立場 を貴いた。その後20世紀の立法の趨勢はブランクの指示 した 道を歩むことになるが,ある意味でその先駆 とな り,また,消極的姿勢 とはいえすでに社会 政策的条文 を若干な りとも採用 しなければな らなかった ドイツ民法典 には,19世紀未 とい
う法典編纂時の時代的状況が色濃 く反映されていたのである。
Keywords :ギールケ,ブランク,社会保守性,社会政策 ・法政策の禁欲
はじめに
「民事立法および民法学は,現代の精神生活の中 で最 も遅れた領域である」 (アン トン ・メンガー)0
「一般的に,法典編纂に際 しては保守が革新 に優 先すると言えるだろう」 (オイゲ ン ・フーバー)0
さて,民法 と社会問題 との関係如何 というテーマ については, ドイツ民法典第一草案に対するギール ケやメンガー,後には社会民主党の批判が まず思い 浮かぶであろう(1'。 これ らの批判 については当時 も それ以後 もよく知 られてお り,そのためそれ らに関 する研究 も多 く発表 されている。 しか しそれに比べ て,民法典編纂者たちの法政策的見解 は余 り知 られ てこなかった。それゆえ,編纂者たちの見解 をその 著作物や議会演説などか ら取 り出 し考察することは 有意義である。わけて も 「民法典の父」 と称 される ゴッ トリープ ・ブランクの法思想 を探 ることは重要 である。民法典編纂委員会において彼 はとくに重要 な地位 を占めていた人物だか らである。
1.民法典編纂の国民的政治的目標
ドイツ帝 国における民事法の法典編纂 に当って は,国民的統一の一要素 としての法の統一化 という 思想が とくに強調 された。 この考え方はブランクに 典型的に見出される。「ある民族の国民的共属性が 開示 され,創造的国民的力が表明される場は,言語 に次いで, とりわけ法である」 (2)。後年 になって も 彼 は同様の見解 を帝国議会 において表明 している。
「わた しの意見 によれば,共通の言語 に次いで,共 通の法が,国民精神の最 も高貴で最 も高価 な実 りで あ り,同時に,国民統一の最 も強固で最 も堅固な紐 帯で もあ ります。今や時は来た り,今や貴重な実 り は熟 し,今やあなた方が収穫する時が到来 したので す。今やあなた方が ドイツ統一の其鈴の秤 を打 って 鍛 える時なのです。細かなあ ら捜 しなどしないで,
ドイツ国民 に民法典の形 において良 き, ドイツの, 統一の法を与えて ください。そうすれば, ドイツ国 民は永遠にあなた方のこの行為 に感謝するであ りま しょう」(3)。 この ようにブランクにとっては,法統 一は同時に国民統一 ・国民統合 をも意味 したのであ
岡山大学教育学部社会科教育講座 700‑8530 岡山市津 島中3‑ 1‑1 SozialpolitTkoderKodifikationdesBOrgerlichenGesetzbuchs?
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DepartmentofSocial StudiesEducation,FacultyofEducation,Okayam aUniversity,3‑1‑1Tsushima‑naka,Okayam a 700‑8530
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る。
国民 自由党の議員 ヨハネス ・ミ‑ケルもまた,す でに1869年 に北 ドイツ連邦議会 においてこう述べ ていた。「国民生活,国民的共属性 の感情 は,私法 が不可分であることを国民が理解 していることを前 按 にしています。つ まり,全体の中で個々の断片だ けを認めることはで きないこと,根本問題か らすれ ば法生活の きわめで本質的で最 も重要な断片 をもっ ぱ ら各人に委ねてはいけないことを前提 にしている のです」(4'。 ここにおいて も,私法の統一性 と国民 の統合 とは一体の もの と見 なされていた。
2.民法典編纂の諸課題 (a)現行法の統一化
民法典の起草者たちにとって第‑の課題は, ドイ ツにおける法統一 を樹立す ることであった。それゆ え,民法典編纂委員会の作業において中心 を占めた のは,統一的解決策の発見,つ ま り,すべての地方 法,ラン ト法,慣習法等々を考慮 に入れた上で,そ れ らの一致 点 を見 出す こ とにあ った。 この点 で
1874年の準備委貞会の答 申は, これ まで考 え られ ていた以上に編纂者たちにとって拘束力 を有 してい た と言 える。「国民の法 はその内奥の生活か ら成長 して来なければならない。民法典 においてまず第一 に重要なのは,それゆえ新 しい法を作 ることではな く,国民の間で成長 した法 を発見 し,それに確固た る形式を与えてやることである。‑‑‑したがって, 現行の法 を,それが なお生命力 を有 している限 り, 法典化すること,生成 しつつある法 と実際的欲求 と
を顧慮することが重要であるとすれば,草案はこの 任務 を達成 したのである」(5'。
フラ ンツ ・フ ォン ・キューベルやバ ウル ・フォ ン ・ロー トの見解 によって も,法典編纂の 目的は, 既存の法 を編集 し調和 させ ることにあった。キュー ベ ルは言 う。「法典編纂 なるもの もまた,新 しい法 を創造するとい う任務 をもつ ものではな く,む しろ,
ドイツにおける生活諸関係や取引諸関係の影響 を受 けなが ら発展 して きた現行の法 を,現代法学の状態 にふ さわ しい仕方で採録 し,死せ る ものを除去 し, 経験上欠陥のあるものを修正 し,経済的欲求や国民 の中に生 きている国民的倫理的考え方や信念 に相応 す るように,調整す ることである」(6)。 ロー トにと って も,民法典編纂の任務は ドイツ帝国における現 行法の編集 を意味 した。「われわれの課題 は,新 し い法を発見 した り,立法政策を遂行 した りすること ではな く,まずその在庫 において樹立 され検証 さる べ き現行の法状態か ら,最良の,現代の状況に最 も
ふ さわ しい もの を選 び出す ことであ る」̀7)とされ た。
(b)例外 として一定領域 での新規則定立
法分裂の状態があま りに大 きくて,種 々様々な法 規範 を統一原理へ と集約することが不可能 と思われ る場合 にのみ,原則的な新秩序 を設定す ることに し たのである。「何世紀 もの長 さにわたる政治的分裂
とそれに応 じて ドイツの様 々な地方において法が相 異なる発展 を遂げて きた後,統一の法をようや く再 獲得す ること」が問題 となった限 り
,
「立法者 は実 際の ところある意味で,あ らゆる諸関係 を考慮 して 全 ドイツで通用することに最 もふ さわ しいと思われ る新 しい法命題 を選 び出さなければな らない」(8)0 このことはとりわけ夫婦財産法 と相続法 とに当ては まった。 これ らの法領域では,無数の相異なる地方 的法規則や慣習法が存在 していたか らである。3.民法典 と社会政策
(a)オ ッ トー ・フォン ・ギールケ(9)
1889年ゲルマニス トのオ ッ トー ・フォン ・ギー ルケは,草案 には私法の社会的課題はまった く見出 されなかったと断言 した。 もしそこに社会的傾向が 見 出されるとすれば
,
「それは きわめて純粋 なマ ン チェスター主義の個人主義的で一面的に資本主義的 な傾向であろう。それは,あの反共同体的な,弱者 に対 して強者の強化 を図る,真 に反社会的な方向で あろう。そ してそれはちなみに現代 ドイツの新 しい 立法が断固 として打 ち破 って きた傾向である」
(10)0 ギールケか らすれば,民法典草案は社会的経済的弱 者 に対 してほとんど配慮 をしていなかった。彼 によ れば,私法は個人主義的であるばか りでな く,共同 体的なもので もなければな らない。同年の講演の中 で,かの有名な文言 「義務なき権利はない」
(ll)が宣 言 された。無制限な契約 自由は自らを破壊するもの だ と言 う。「無慈悲 な形式主義で もって, 自由な法 律行為の中か ら意欲 された,あるいは意欲 された と 仮定 される帰結 を引 き出 して くる法律は,平和秩序 の外 観 の下 に万 人 の万 人 に対 す る闘争 (bellum om山um co山raomnes)を合法的な形態へ ともた ら す ものである。かつて以上 に今 日においては,私法 は,強者に対 して弱者 を,個 々人の私利私欲 に対 し て全体の福祉 を保護する使命をもつ ものである」 ( 1 2 ) 0
(b)アン トン ・メンガー(13)
ギールケとは異なる立場か ら民法典草案を批判 し
‑ 12‑
た人が,法曹社会主義者のアン トン ・メンガーであ る。社会問題 を経済的問題ではな くて,む しろ 「国 家学 と法学の問題」(14)として捉 えていたメンガーは,
とくに富者 と貧者の形式的な平等な取扱いのゆえに 草案 を否定 した。「富者 と貧者 との まった く相異 な る社会状態 は相異 なる取扱いをも必要 とす る一方, 立法はその形式主義的な立場か ら両者に対 して同一 の法規則 を定立 している」(15)か らである。 この欠陥 の理由は,草案が
,
「もっぱ ら有産者の奉仕人であり代理人 として見なされ うる」(16)傾向にある法律家 たちの作品だか らである。メンガーにとって,支配 層や有産者層が彼 らの利益 に応 じて私法 を形成 して きたのに対 し,無産の民衆は恐怖 と無知か ら自分た ちの権利 を決 して主張 して こなかったのである(17)0
「現代の私法体系 はどこにおいて も仝民衆の精神的 産物 としてあるのではな く,優遇 された人びとのそ れ としてのみ存在 し,後者 によって無産の民衆階級 に何千年 もの昔か らの闘争 を経て押 しつけ られたも のなのである」(18'。それゆえ,メンガーにとっては,
ドイツ帝国による立法によって 「社会改革」を行 う ことこそが緊急の重大事であった19)0
ギールケやメンガーの批判は人にもよく知 られ鋭 い点を含んでいたけれ ども,同時代の多 数派の態度 は草案 に対 して総 じて肯定的であった。た とえば, クレヒ,バ ロン,ゾンマ‑ラッ トは,社会的経済的 問題 に対す る草案の消極的姿勢 を歓迎 していた(20)0 社会政策的経済政策的議論は必要な限 りで国民経済 学に委ね られたのである。 この点では,われわれは 1872年の社会政策学会の創設 を思い起 こすだけで いいだろう。
(C)ゴッ トリープ ・ブランク‑現行社会秩序の安 定化
民法典編碁の政治的 目標 は,現行の市民社会の安 定性の保障にもあった。法の統一を樹立することが 重要であって,社会改革を遂行す ることが問題では ないことは,同時代の人び とによって しば しば強調 されたことであった。1895年 にブランクもまたそ う述べている。「現在の社会秩序の諸基礎,つ ま り 所有,家族,相続は,社会め欲求に相応する形で一 般 ドイツ法の確 固 とした広範 な基礎 に基づいてお り,それによって社会民主主義の攻撃に対する安全 と抵抗力 とを獲得 しているのである.草案は,統一 法を求める深い国民的欲求だけでな く,同時に,覗 在の社会秩序の強化 ・安定化 という少 なか らず切迫 せ る欲求 をも満足 させ るものである」(21)。ブランク によれば,民法典はなるほど社会的ではあるが,社 会民主主義的ではない。 まった くそれ とは正反対の
ものである。草案が社会秩序の諸基礎 (所有権,管 業権,婚姻,家族) を普通 ドイツ法の広範で確固た る土台に基礎づけることによって,草案は現行社会 秩序 を,他の手段では為 しえないような高い程度で 支え強化するのである(22)。所有,相続そ して婚姻 に 基づ く家族が現行社会秩序の基礎 を形成 しているの であ り,民法典の法 もまたこれ らの法制度に基づい ているのであると言 う。ブランクはこの点について, このようにして, しか し民法典は,現行の社会秩序 の変革を求める社会民主主義の要求には対抗 したの である, と明確 に述べている(23'。1896年の帝国議会 において も同様の見解が表明されている。中央党議 貞 シュパー ンによれば
,
「われわれが法統一 を創 り 出すのは,それによって現在の社会秩序 に対する社 会民主主義の攻撃か ら身を守る強力な防壁 を創 り出 すためで もあるのです」, と(24'。民法典の起草者や 擁護者は決 して法律 による社会改革を考えていたの ではな く,それによって既存の社会秩序 を維持 し強 化することにこそ固執 していたのである。4.
民法典の社会的傾向の薄弱性‑社会的弱者の ささやかな保護第二委貞会 による民法典草案の修正 に際 しては, ブランクもしば しば述べているように,経済的弱者 の保護 という思想が重要な役割 を演 じた。実際の と ころ,た とえば ドイツ民法第615,617,618条など には社会政策的性格 を見ることがで きる。その限 り で,民法典は 「社会政策の影響 をは じめて受けた民 事法典編纂」(25)と言 うことはで きる。「しか しなが ら,草案が社会的であるというのは,まさに,現時 の社会秩序の基礎の上で民法 という手段 を通 じて経 済的弱者の欲求 を援助することが可能であった限 り において,それを最大限に行ったという意味におい て」 ̀26'であって,それ以上で もそれ以下で もない。
こうして,ブランクは,民法典の社会的意味につい ては次 の ように規 定 で きたのであ る。す なわち,
「現行社会秩序の諸基礎 の強化,そ して経済的弱者 の保護の ように,他人の正当な利益の公正な考慮が 要求する限 りでの個人の諸権利の抑制お よびそれ ら の諸帰結の横和,それが,民法典がその条文を規定 す る際 につねに視野 に収めていた社会的観点であ る」(27)。他の所で もブランクははっきりと明言 して いる。「ドイツ民法は決 して階級法ではな く, また そのようなものにな りたいとも思っていない。すべ て の人 に とって平 等 な法 が そ の至 高 の原則 であ る。 ‑ ‑ 絶対的平等は,そのような特別の諸関係 が考慮 されなければ,不平等に,あるいは大 きな不
‑ 1 3 ‑
公正 に通 じるであろう。 ‑‑‑この ような観点か ら 民法典 は,経済的弱者のために一般的法命題か らの 逸脱 を定める一連の規則 を作 ったのである」(28)。
5.民法典の社会保守的基本 ライン
私法における新 しい社会的観点がギールケやメ ン ガーによって強調 されたけれ ども,い まだ私法一般 にとって社会的任務 は是認 されていなかった。包括 的な社会政策的革新 は,む しろ民法典以外の特別立 法 に委ね られるべ きもの とされたのである。その限 りで,法典編纂 と特別立法の 「共演」が行われるは ずであった。 ブラ ンクはこう述べ ている。「しか し
『社会的』 とい う言葉 は しば しば この一般 的な意味 において用い られるのではな く,一定の方向につい て独 占的に使用 されている。 ‑‑ ・とりわけ,労働 者階級の利益のために制定 された,あるいは要求 さ れた法律が社会的 もしくは社会政策的 と呼ばれてい る。 この意味における特定の社会的任務 を民法典 は もってはいない. ‑‑‑民法典 はまず第‑ に現行の 法 を法典化す る とい う任務 を もっているのであ り, それを変革す るとい う任務 をもつ ものではない。包 括的な社会的革新 は,それゆえ,で きる限 り,帝国 のあるいは個 々の支邦国家の特別立法 に委ね られる べ きである。 ‑ ‑・法典 は,それによって決定 さる べ き諸問題 において対抗する社会的利益が問題 とな っている限 り,現行の法 に疑いを抱 きつつ も,また, 一般的原則か ら生 じる帰結か らの逸脱 に抗 しつつ, これ と同一の観点か ら決定 しなければな らないであ ろう」(29)。 ブランクにとって,すでに上述 した よう に,民法典 は決 して階級法ではな く,万人にとって の平等法であった。「民法典は,同 じく断固 として, 現在の法状態か ら生 じる苛酷 さを除去す ることを目 指す諸要求 を正当に評価す るように努めている。 こ の点における主たる任務 は,民法の領域外 に存す る。
現代の立法 は, この任務 を一連の特別法 において一 一 わた しは事故や疾病や障害お よび老齢の保険に関 す る諸法律 を念頭 に置いているだけであるが‑ 大 成功 を収めてお り,将来 もまたこの方法で進歩 して 行かなければな らないであろう」(30)。 この点に,氏 法典の社会政策的謙抑性 を見 ることがで きるのであ る。
この関連ではオイゲ ン ・エール リッヒの第一草案 批判 もまた注 目すべ き価値がある。 とい うの も,そ の批判 はと りわけ立法政策における転換 と民法典起 草者たちに及ぼ した歴史法学派の大 きな影響力 を指 摘 しているか らである。歴史法学派の見解 によれば, 立法の本来的な任務 は,現代 にまで通用 し,民族の
意識 に根づいている法 をまとめ上げること,技術 的 に完成 された形式 にもち込むこと,そ してせいぜい ここか しこで明確性 を高めるために新 しい規範 を導 入す ることに限定す るべ きだ とされた。 この ように 立法政策 にまった く新 しい任務 を課 した歴 史法学派 の静寂主義の理論 は, もはや満足の行 くものではな い, と言 う̀31'。 こう してエール リッヒは正 当に も, 民法典 の欠陥 を19世紀 の歴 史法学派 の理論 に帰 し たのである。彼 に よれば,草案 には
,
「倫理的政治 的理想 をその時代のために実現するとい う国家 によ る立法の使命」が欠落 している, と言 う。草案のこ の欠陥は,草案 の起草者 たちが,
「立法 は現行法 に 技術 的に完成 された形式 を付与す ること以外 のいか なる任務 をももつ ものではない」, とい う歴 史法学 派の 「根本理念」 にのみ固執 していた点に起 因 して いる(32'。 この意味 において, ドイツ民法典 は,た し かに,法学 はいかなる倫理的,社会的あるいは経済 的な価値や利益 に奉仕す るべ きではない, と断固 と して信 じていた19世紀パ ンデ クテ ン法学 の産物 で ある。 この ような保守的姿勢 ない しは社会政策的 ・ 法政策的禁欲の結果,お よび,政治的に中立的な私 法 を創造す るとい う傾 向に基づいて,か ように一般 的 ・抽象的な民法典が創 られ得 たのである。 しか し 同時 に,民法典 は社会史的に見れば,新時代の始 ま りに立つ とい うよ りも,む しろ一時代 の幕 を引いた ものであることは指摘 で きる。社会問題 に対す る民 法典の否定的態度に対 して,逆説的ではあるが,ア ン トン ・メ ンガーの言葉が 当てはまる。す なわち,「真 の立法者の眼 は過去 にではな くて, じっ と未来 に向け られている」
(
33)0註
(1) これについては,vgl,auchH.Kindem ann,Die A
n twortdesBtirgerlichenGesetbuchesaufdie SozialeFrage,in:Rechtstheorie,Bd.12,1981, S.209‑225.社会民主党の民法典草案 に対す る姿勢
については,vgl.Th.Vormbaum ,Sozialdemokratie undZivilrechtskodifikation,Berlin/New York 1977.なお ,最 近 の研 究 と して は,vgl.ワilman Repgen,DiesozialeAufgabedesPrivatrechts:
eineGrundfrageinWissenschaftundKodifikation a
m Endedes19.Jahrhunder
t
s,Tiibingen2001. (2) G.Planck,in:StenographischeBerichtedesReichstags,1869,S.650.
(3) Planck,in:StenographischeBerichtedeS Reichstags,1895/97,Bd.1,S.741.
(4) J.Miquel,in:StenographischeBerichtetiberdie VerhandltngendesReichstagesdesNorddeutschen ー 14‑
Bundes,1869,S.447. (5) planck,a.a.
0
.,S.736.(6) F.V.Kiibelineinem Gutachtenvom 18
7
2,in:ZeitschriftftirwtirtembergischeLandesgeschichte
,
Bd.36,1979,S.186.
(7) p.V.Ro
仇
,UeberdenStandderBearbeitungdes deutschenCivilgesetzbuchs,in:Hirth'sAmalen,
1876,S.940.
(8) planck,Begrtindung desEntwurfs des Familienrech
t
s,Berlin1880,S.288.(9)これについては,vgl.H.Kuntschke,ZurKritik OttoYonGierkesam BtirgerlichenGesetzbuch,in:
WissenschaftlicheZeitschriftderHumblodt‑ UniversituatzuBerlin,Bd.17,1968,S.375‑381;S.
Pfeiffer‑Munz,SozialesRechtistdeutschesRecht
,
Ztirich1979.
(10) 0.Gierke,DerEntwurfeinesbtirgerlichen GesetzbuchsunddasdeutscheRecht,Leipzlg 1889,S.3f.
(ll) Gierke,DiesozialeAufgabedesPrivatrechts
,
Berlh1889,S.17. (12)Ebenda,S.28f.
(13)メ ンガー につ いては,vgl.K‑H.Kastner,An ton Menger(1841‑1906).LebenundWerk,Tiibingen 1974;D.Willrodt‑Ⅴ.Westerhagen,Rechtund sozialeFrage.DieSozial‑undRechtsphilosophie AntonMengers,Hamburg1975;H.HOrner
,
A
n tonMenger.RechtundSozialismus,Frankfu rt
amM血 1977.
(14)A.Menger,DasbtirgerlicheRechtunddiebesitz‑ losenVolksklassen(1890),5.Aufl"Tiibingen1927, S.2.
(15)Men岩er,a.a.
0
.,S.19. (16)Ebenda,S.18. (17)Ebenda,S.15. (18)Ebenda,S.9.(工9) この考 え方 に関連 して, メ ンガーは 「立法的 一 政治的法学」 あるいは 「社会的法学」 とい うこと を熱情 的 に提 唱 した。 これ につ き,vgl.Menger,
t
JberdiesozialenAufgabenderRechtswissenschaft (1895),2.Aun
.,WienundLeipzig1905.(a)) vgl.Zusammenstellungdergutachtlichen Aeu侶erungenzudem EntwurfeinesBtirgerlichen Gesetzbuchs,Bd.1(1890),Osnabrtick1967,S.6ff. (21) planckinderNationalzeitungvon1895,in:F.
Frensdorff,GottliebPlanck,Berlin1914,S.364. (22)planck,in:Stem.Ber.d.Reichstags,1895/97,
S.740.
(23)Planck,DiesozialeTendenzdesBtirgerlichen Gesetzbuchs,in:DJZ,Jg.4,1899,S.181.
(A)p.spa
l m
,in:Stem.Ber.1895/97,S.771.(25)W.Schubert,DasBtirgerlicheGesetzbuchvon 1896,in:H.Hofmeister(Hg.),Kodifikationals MittelderPolitik,Wien・Graz・K6h1986,S.28. (26) planck,in:Stem.Ber.1895/97,S.740. (27) planck,in:DJZ,1899,S.184.
(28)Planck,DasbtirgerlicheRechtunddiearbeitend‑ enElassen,in :DJZ,Jg.14,1909,Sp.23.
(29) Planck,ZurKritikdesEntwurfseinesbtirger‑ 1ichenGesetzbuchsftirdasDeutscheReich,in:
AcP,Bd.75,1889,S.406f.
(3)) planck,DiesozialeTendenzdesBtirgerlichen Gesetzbuchs,in:DJZ,Jg.4,1899,S.181.
(31) E.Ehrlich,SocialeGesetzgebungspolitikauf dem GebietedesDeutschenPrivatrechts,in:
UnsereZeit,Bd.1.1890,S.448.
(32) Ehrlich,DerEntwurfeinesbtirgerlichen GesetzbuchsunddiesocialpolitischenBestrebungen derGegenwart,in:UnsereZeit,Bd.2,1890,S.35. (33) Menger,DasbtirgerlicheRechtunddiebesitzl
losenVolksklaSSen,S.15.
ー 15 ‑