歴蝉坊以前にこの歌があったことについては︑今の所 のを唖蝉坊が参考にして歌作したといわれる︒ をやれば︑年にも似合はず︑まっくろけのけ﹂とあった ん︑おまえのおとしはいくつだね︑問われてあそこに手4700 (33)︺の中に入っているので︑原物をそのまま記し
もともとこの歌は明治二十年頃にすでに と広まっていった︒今でも時々唄われることがあるが︑ と伝えられている︒そしてこの歌は花柳界に︑世の中に蝉坊以前にあったことは確かであると思う︒ の時に︑この歌を口ずさんで喝采を博したことがあったしににあはぬ︑まっくろけのけ﹂とのっているので︑唖
ものといわれている︒当時歌舞伎座の﹁助六﹂の上演中
つうじんに︑通人に扮装した役者︵註記中村翫太郎?︶が引込み
﹁べっびんさ しは十さんさいで︑きいて
OOO
へてをあてりや︑ ﹁まっくろけ節﹂は明治の後期から二︑三年流行した
まっくろけ節について
明治四十三年五月十二日発行の
田桂
華著
︑
一書堂発行︶に﹁べっびんさん︑
﹁新流行まっくろけ節﹂は︑早稲田大学図書館の特別
書庫に収書されている﹁明治大正流行歌類集﹂︹
c r l l .
て見
よう
︒
田 口
おまへのおと ﹁新曲ハーモニカ﹂︵野
親
おと
‑ 42 ‑
まっくろけ節について
坊 識
はしがき
地球は明暗の聾夜から︑一日々々を織成して行く︒蛾燭の
灯にも光明と暗黒の部分がある︒人の目玉も白と黒から組
織されて居る︒薩摩潟に火を噴く
︑人間は燒土に埋没す
る︑米食ふ人の子は︑員黒な松葉餅を作る空翔ける飛行機
が文明の誇であると共に暗黒な土中に土鼠の如く掘る鎖業
も誇
だ︒
夜
を事
栞の
舞踏
場裡
︑
女菩薩が綺羅を飾つて狂ふ 時 ︑
多数の餓鬼は活地獄で麿芥を飾る︒人は天使の美と成
つて行く︑人は熊の員黒と成つて行く︑員黒?属黒?
員黒は到底地の員相で人間の員相だ︒慎黒節は此の慎黒世
界から生れた属黒な目玉の到象である
大 掃 除 の 日 に 員 黒 な 手 で 歴 蝉
゜ ゜
節 け ろ く
作 坊 蝉 匝 田 添 行 流 新
ェ6~T~ •I<: 竺 I• 1 I
旦 虹 竺 6 」 2 ! 12~!i21
竺む'! 2 a 吐 I 竺咀戸
̲6! . I
3_'J2~,5 5~,7~2 斗王 5 6 I
まっくろけ
節
櫻島︒薩摩の國の櫻島 越す煙りでトンネルは
つ i
嘘の
ようだが来て 煙り吐いて火を噴いて破裂し 今じゃ束の間に汽車で
マックロケノケ
十里四
方 が マ ッ ク
ロ
ケノケ
む つ
米で鳴る︒陸奥に生
れて
食へぬとは
〇 箱 根
山︒昔は背で越す籠で越す
( r r )
蝉
唖 坊 作
歌
゜ ゜ ゜
心は 残るは煙りか
〇 窓 と 窓
︒ 見 合 す 顔 と 顔 浪 な ん か
覗く 職工の涙よ
金ほしや︒お金ほしやの空想の
カネを掘る掘る
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
明日また工場で
朝見りやおでこで
邪魔な板塀
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
琴の一音を︒目で聞く黒塀の節穴や
出倣の目のふち
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
月淡き︒熱海の濱の砂を踏み
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
居る爪弾の︒消へて聞へて又消へて
公る 人が通りや止めて又
0
ふられ客︒ねぽけ眼で出て見ればアホウ/\と鳴いて゜ ゜ ゜
をはなし
犬に蹟づいて吠られて 山越へて 食雁が飛ぶ︒あとになり先になり雁が飛ぶ
誰か来たとて手
〇 お さ ん ど ん
︒ そ こ で お 前 は 何 す る の お 芋 煮 な が ら 摘 み
が出る 屋根の烏が
〇 煙 が
出る︒煙が出る出る煙が出るお娘さんの袂から煙 語るやら れて
〇 朧 月
︒ 咲 い た 櫻 の 其 の
下のベンチに並ぶ影二つ何を
゜
ちょいと見れば︒歌舞の菩薩か辮天か さんマ ッ ク ロ ケ ノ ケ
しかけすがた福柄姿にだまさ
゜
吹0
不景氣を︒こぼしながらも身を飾り 果てを足尾の銅山に質屋の奉公する娘
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
消へて聞へて又消へる
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
汽車摺れ違ふ山科や
迷ふ宮子と貫一の 庭に降る雪き消す懇風
マ ッ シ ロ ケ ノ ケ
お顔に鍋炭
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
世を忍ぶ︒障子に映る影法師
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
お芋の燒過ぎ
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
何慮へ行やら もらひ泣きする明烏
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
あの森越へて
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
闇の夜に︒マントにコートの二人連れ
よく見りや郵便箱
あんまさん︒杖を便りの流し笛
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
川岸の人立ち
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
す ゐ と
もしび梓を利かして燈火を
〇 柳 葉 の
︒ 下 に あ る
/
\ 何 が あ る 意 氣 な 小 意 氣 な 女
下駄
゜
後妻が腹こそ 貼が0
先妻の︒子供を見ると目が光る笈すば/\立て膝の゜
雨が漏る︒雨が源る濶る美術館 見や れ い り 疑 松 葉 餅
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
し み
汚貼が需になる其の汚
〇 浦 里 が
︒ 忍 び 泣 す り や み ど り ま で
‑ 44‑
まっくろけ節について 松の小枝が
〇桃の井の︒心を汲んで本蔵が 〇
改 め る
︒ 兜 も 星 の 鶴 が 岡
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
もろのう花の姿に師直が まなこ迷ふ眼は
〇 討 入 や
︒ 山 よ
川
よの四十七士師直いづこと尋ぬれば
長持
〇丸腰の︒町人ながらも魂は
よりて
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
あまかは武士に劣らぬ天川
や 下 に
い し 女 房 燒 い て
/
\
〇 勘 平 が
︒ ね ら い さ だ め た ニ ッ 玉 た し か に 手 ご た へ か け
゜
て
お︱
︱︱
は蛋
所
〇 蓋 原 を
︒ あ と に 多 助 が 飼 ひ 馴 れ し 馬 に 別 れ て 江 戸 へ 出
〇ぬらくらの︒主人が酒飲んで赤くなりや
君が在所は
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
リー
で幸
円く
なる
鼻の下︒長の居縦けしたとても
マ ッ ク ロ ケ ノ マ ケ ッ ク ロ ケ ノ ケ
゜
月が昇れば松の影
〇憩しさに︒松原越へて川越へて
菜の花一里黄昏る4
奥さんヒステ
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
モテる亭主じやあるま
まツこの通りと切り落す
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
三日月の︒頃より待ちし今日の月
障子に映って
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
炭屋を始めりや
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
よく見りや旅人
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
花嫁の乳首が 狗は産婆を呼べのお目出たさ
゜
牛若が︒天狗相手に鞍馬山マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
ひと獨り學んだ雲がくれ烏天
を つ け る ス リ の 目 の 玉
う た ひ
0
祝言の︒謡曲俄に浪荒れて九 郎 提 灯 バ ッ サ リ
゜
0
とぽ/\と︒山崎街道を興市兵衛あとから出て来る定 で欄干が
゜
父君を︒尋ね尋ねて石童がか む る じ ゅ
<
學文路宿 麓の
゜
年の瀬や︒明日待たる のお娘さん4賓舟
マ ッ シ ロ ケ ノ ケ
其 角 と 源 吾 は 橋 の 上 霜
とに解ける襦子の帯
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
登るお山の夕まぐれ
自働車の︒後を見送る田吾作のふくれたふところに目
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
磨いても/\
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
゜
しつぼりと︒積る話しを奥ざしきさ`
4さしつさ4れつ酒ご
゜
鰐口で︒アパタでスガ目でしやくし面それでおしやれ むき出す目の玉や み け ん の 血 汐 が
マ ッ シ ロ ケ ノ ケ
〇判官が︒勘忍袋の緒が切れて
師直待ったと切りつけり
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
坊の考えであろうか︒というのは桜島の噴火を北海道の
な方向に流れていったのである︒言論の自由もなくな で﹂というのは﹁まっくろ﹂なことに気をつかった唖蝉民権をうたっていた日本の政治もどんどんと帝国主義的
底の生活者の立場から世の中を見ていたのである︒自由 る︒彼の社会思想家的な目は︑庶民的・下層社会のどん
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ シ ロ ケ ノ ケ
唇れ高輪泉岳寺
大正
一
1一
年︱
︱一
月廿
五日
印刷
大正
三年
一︱
一月
廿八
日顎
著 行
者 唖 蝉 坊 東 京 市 下 谷 謳 仲 待 町 一 丁 目 六 番 地 痰 行 者 闊 由 蔵
東京市浅草置南元町二十四番地
印 刷 兼 印 刷 所
いるので︑これが唖蝉坊の歌作の﹁まっくろけ節﹂の最
︑ ︑
初の頃のものと考えられる︒ところで表紙の唖祠坊︑巻
︑ ︑
頭の蝉歴坊とあるのは一寸御愛嬌である︒さて﹁はしが
き﹂であるが︑桜島の噴火と東北の凶作と地震のことが
書かれているむきがあるので﹁大掃除の
日に真黒な手 凶作︑東北地方の凶作と地震は大正三年の出来事である
からである︒大正三年は私の生れた年になるから約七十
年前のことである︒大正二年から大正三年にかけて︑北
十ニオの働き盛りであったのである︒昭和十九年(‑九
治・大正時の色々な事件を演歌師の目で見てきたのであ 四四︶二月八日に七十ニオで没している︒したがって明 奥付には御覧の通り大正三年三月廿八日発行となってになっていたのだから明治時代を通り︑大正三年には四 れている︒明治二十四年︑十九オの時にはすでに演歌師
小
宮
定
吉明治五年(‑八七二︶十一月二十五日神奈川県大磯で生 黒なものと見て︑この歌を作ったのであろう︒唖蝉坊は である︒添田唖蝉坊は大正に入ってからの世相を暗い真 月十二日には桜島の大噴火があり︑死者多数を出したの 日には秋田県に大地震が起り被害甚大であった︒三年 海道と東北地方は凶作であった︒そして三年の三月十五 曙 〇勇ましや︒本羞遂げて引あぐる 隠れた炭部屋
雪の
‑ 46 ‑
まっくろけ節について
0
進みゆく電氣が消へたかり、学問の自由もなくなっていった。日清•日露の戦に 勝利したというものの︑
続く事件であった︒そして匝蝉坊の予言した様に大正一︱︱
い だ ば か り の 山 本 内 閣 が 総 辞 職
︑ 六 月 二 十 八 日 に は 襖 皇 が は じ ま り
︑
日 本 は 八 月 二 十 三 日 ド イ ツ に 対 し 宣 戦 布 告 きつらねておくことにする︒
カンカンと
も金持てず朝から晩まで
日露講和条約は日本国民にとっ
一月
二十三日 マ
ッ ク ロ ケ ノ ケ 文明の光の瓦斯電燈夜を査にする工夫さん 四牲半
゜
お金を延ばす鍛冶屋さんいくら延ばしてマ ッ ク ロ ケ ノ ケ
下司よ下郎と馬鹿にする
•昭和四年六月一――十日改装五版発行・誠文堂刊・頁一110111)
﹁ 世 界 音 楽 全 集
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
第十九巻」(明治・大正•昭和流行歌
れのそのときにや
オヤまつくろけのけ
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ 発行•第一出版刊・頁二六――-)
つまびき
︱ ︱ 一 味 の
爪弾昔もやんで マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
゜
ひそひそ話も今の間や 五月十五日発行・矢野博信書房刊・頁一九八︶
「流行歌百年史」(藤澤衛彦著•昭和二十六年十月十五日
﹁大正芸者現代流行新歌集﹂︵添田唖蝉坊著・大正八年
なみだでおかをがまつくろけのけ
次 に
﹁ 新 流 行 ま っ く ろ け 節
﹂ に の っ て い な い 歌 詞 を 書
0
しをばらのすみやのたすけがいえでしてうまとわか している︒こんな時代にこの歌が唄われたのである︒
秋社刊・頁百十六︶ 曲集)(堀内敬一――•町田嘉章編・昭和六年四月十五日発行・春 太子の暗殺︵サラニボ事件︶︑
七 月 二 十 八 日 に は 世 界 大 戦
提灯ばつさり
0
山崎の 街 道 と ぽ
/
\ 興 市兵 衛 跡 か ら 出て来る定九郎 にはジー
メンス事件
︑
三月二十四日には桂内閣をうけつ 年だけ見ても色々な事件がおこっている︒
「俗曲全集」(日本音曲全集の中)(中阻蝶二
•田村西男編
梅 窓 は 何 虞 や ら
が お こ る
︒ ま た 田 中 正 造 の 鉱 毒 問 題 事 件 は 大 正 年 間 ま で
゜
て は 不 満 の も の で あ っ た こ と か ら
︑ 日 比 谷 の 焼 打 ち 事 件
勢働者が無けりや世は
つぶて
裏木戸や合回の礫がちょそれて
ばっと香に立つ閻の
〇 傍 働 者
お前はいつでも
それが開化か文明か
0
夕立ちに おじようさんそのし︵ひ?︶ようしとびこむ軒の雨やどり
来 る 様 な 気 が
する
︒
け
つ 味 合 っ て 見 る と
︑ そ の 時 代 の 世 相 が 目 の 前 に 浮 か ん で
教 育 的 な も の
・事件を取上げたものがあるので︑
一 っ
゜
奥で査寝はよいけれど
演 歌 が 政 治 的 な 歌 か ら 始 ま っ た こ と か ら
︑社会風刺.
ざとのあいだから 初憩の二人とぽ/\ランデーヴー嫌怠氣︵期?︶
舌をペロリソ
おじようさん 太くて長くて大きく
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
こうした歌には良く替え歌︵バレうたとか春歌とかいわ
だまつて並んで影法
マ ッ カ ッ カ の カ
新婚のさしつさされつ水入らず
マ ッ カ ッ カ の カ
知らぬ顔して浮氣して
マ ッ カ ッ カ の カ
おひざくずして
ちらりと見えますまつくろけのけ
寝返りうつた
ちらりと見えますまつくろけの
とりもつ雷あれこわ
る ︒
゜
か る た と り ひ ざ と ひ
胸の中
上 っ て 行 く の で あ ろ う
︒ ま た 楽 譜 の 方 も 色 々 な の が あ
゜
家じゃ互いにい思いに作詞するのであるから︑さ ま ざ ま な 歌 詞 が 出 来
心射るよな
で あ ろ う
︒ 演 歌 師 等 が
︑ そ の 時 々 い ろ い ろ な 場 所 で
︑ 思
゜
妻はちら/\長襦袢こ れ ら の 歌 詞 も 私 の 見 る こ と が 出 来 た ほ ん の 一 部 な の
師 頬 ぺ た ば つ か り
落っこちて
ハケ
ツの
中で
゜
゜
ペンキ屋が看板ぬっているその時には
しごはずれて れるもの︶が出来てくる︒ことのついでに紹介すると︑みつけりとびだすあんこは
O
さくら餅床におっこち韓げれば
あわてて拾おうと踏
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
が︑未だ未だあるのかも知れない︒
<
ミニスカートマ ッ ク ロ ケ ノ ケ マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
階段のぽるその下を
ちらりと見えます 足元ちどりで
マ ッ ク ロ ケ ノ ケ
一 応 普 通 の 歌 は
︑ こ の 位 の 所 が 私 の 蒐 集 は 限 度 で あ る
゜
て 吹 き 出 す 煙 は
律まわらぬお顔が
〇 札 幌 の ビ ー ル 會 祉 の エ ン ト ツ は
0
小夜ふけてどこで飲んだか婆座者 演歌師・櫻井俊雄氏から直接教えられた歌詞︑
し
、
あとはなんだか
今ぢや男が皆のぞ 呂
‑ 48 ‑
まっくろけ節について
まつ <
ろ け ぷ ≫ し
戸 経 蛙 渇 嘘 I 廷産些!出佳 l 詮 基 I i i i o I 翌 韮 芦 墓 I
べ つ び ん さ ん か ま ヘ ー の か と し は 十 さ ん で さ い て 000へ
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新 曲 ハ ー モ ニ カ ( 音 曲 全 書 桂華著嬰贔一書堂発行
明治43年5月12日発行 頁678)
ま つ く ろ け 節
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ヴ イ オ リ ソ ア ル バ ム 和 洋 音 楽 普 及 会 編 東京・三友会
出版部
発行 大 正 九 年 四 月 二 十 一 日 再 版 頁 十 五
同じ所で
﹁大 正 琴独案内﹂を出版
︑同
じ譜がのっている︒
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堀内敬三•町田嘉章編 世界音楽全集 十 九 巻 曲 集 昭 和6年4月15日 頁116
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田 知 道 著 演 歌 の 明 治 大
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史 岩 波 害 店 刊 昭 和 三 十 八 年
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一刷 発 行 頁 百 六 十一
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戸 一 喜 三 戸 芦 戸 直
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ま っ く ろ 節
~ 丘心〜 、 よ ー ロ J 1 n 亨 三
1. はこねやま . む か い せ で こ す 一 う ま で こ す 2.さくらじま さつまの一くにの一さくらじま 3. あんまさん つ え を た よhにーながしぶえ .. ゃtざきの かいどうとぼとぼーよいちべえ
§叫戸四』嚢nnm元~
きしャでこす けむhでトンネルは ふ•こりだし じ り う り し ほ う が
t'1え ら れ て む き だ す め だ ま がまメろけのけ さ だ く ろ う ちょうちんばっさ b
怯田匝蝉坊作詞・作曲
ド 且 J n D 1
いまじゃゆめのま 和り丸てひをぶ^て いぬにつまづいて あ か ら で て く る
5 戸ーバ
オヤまっくろけのけ
長 田 暁 二 著 流行歌 謡曲集 ー く明治百年記念・流行歌の変遷〉 一 全 音 楽 譜 出 版 社 刊 昭和47年7月10日刊 頁89
ま っ <
ろ け 節
互
逗壮ばば作
I可・曲̀
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W. I~ 「ご
0 IO 1 1 I 11 3 1 7 I む か
0
せ て こ す臣 け ま
IJ~、|、l. ~ に w
I 3・ o I t 3 3 3 I 4 3 t 7 す い ー ま む ゆ め の ま
~u~ 斤丁 n
13旦 旦 l旦 益 旦 四 旦 I す ― ― ― ― けむりて・ ト ン ネ ル
亨
7 . ' 7 6 6 は こ ね や炉
L L旦 か ご て こ野
ば ら
社編・同刊
思い出の
愛唱歌
昭和四十九年
七 月 十 日 刊 頁
百五十
• _
~
Lォ ャ む , < ろ け のユ .
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立_豆 ヒ+げけヒ
1 7
け
紅
き と て こ1 3 3 3釦
立 旦 _ 豆む く ろ け の
彗
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まっくろけ節について はしがき 櫻島大爆装の悲報をき4て直に本詩をものすさらでもった
なき箪の餘りの驚きにいやったなきはしり書き詔者それ其
心をよめ
一月
十
五日
瞭月誌
もむきも感じも異なるものである︒ (6)︺
の 中 に あ る
︒ こ の 歌 は 唖 蝉 坊 の も の と は 大 分 に お
の特別書庫に収書されて
いる﹁新流行歌類纂﹂︹
' . f
‑11・4660
る の で 参 考 ま で の せ る こ と に し よ う
︒ こ れ は 早 稲 田 大 学
(バイオリン演歌の創始者)著の「悲歌—嗚呼桜島」があ 丁 度 同 じ 時 に
︑ 唖 蝉 坊 と は ラ イ バ ル で あ る 神 長 瞭 月▽遂に大噴火!今午前十時州分鹿兒島潤内の櫻島遂に大爆
痰をなし火焔黒煙天に沖し光景頗る惨憎を極め避難者の狼
狽する朕恰も戦場の如し
▽櫻島島民は全滅か?爆痰は島の前面及び背面の二箇所に
して瀬々たる黒煙の中より大紅蓮の火光閃々として
天に
沖
し其光景頗る凄惨を極め島民の死傷算なき模様なるも差賞
り救演の途なく鹿兒島全市は降灰の為に白艦する計りなれ
ば市民執れも生色なし︵大正三年
一月
十︱
︱︱
日新
紙所
載
︶
歌 作 月 煎 長 神
櫻 呼 嗚
島
ヘ麒J芦 悲 哀 の 或 を 以 て
! ー ? I : ~7 13̲4 13̲0 I 4̲3 I 6̲, I 3̲0 I
L 3 , 6̲7 I 3̲1 I 7‑0 , , . ' ! 3 1 1̲71 6 ‑ : ‑ 0 I
7̲7, 7_7 卜i_716—o I 7 ̲6 I 4̲6 I s̲o I
3̲4 I
5̲514̲3 I 1̲7 I ? 7 1 1 s̲1 I ? — L
旦~II
悲歌
0
天柱砕け地軸さけ の こ4かしこ
婦は狂ひ子は 〇胸はあまりのおの4きにペ
海の邊近くはせよりて なきがら肩
0
手足戦き胸おどりたゆとふひまもせんすべも溶けて落つなる其様よ
地獄の様をまのあたりにまろびつ4 涙もつきて父母の 見よ盤石け百丈の
0 ‑
︱一
度と
ゞろ
く物
︱音
に
火柱どつと天に立つ
如き西が峯は今や紅蓮の火と化しぬ
見ればこはまた物すごや高嶺は砕 罪の報ひにぞ
〇密のそれか否ざるか
あ な よ と 見 れ ば こ は 如 何 に 眠 れ る
どなきがらの にはかに起る百雷の
O
事きれたるか父母の君返させ給へ戻せよとたゞに冷しおん
か 配
心やさしや髪形
0
軒の雀も千代となき如何なる し新妻の0
父上いづこ母じゃ人如何にますらん如何にぞとくちびる無念の口唇かみつ4も 〇父母は日毎のいつくしみ 哀れ悲しや櫻島
0
高嶺の櫻谷の百合紳 長 瞭 月 作 歌
鎮守の森よ沖の島
妹美しく兄もよし昨日めとり
八千代ことほく朝ぽらけ 〇又も覇<百雷の
大地を砕く岩の雨
て敢なくも
哀れや事止みぬ
呼べと叫ベ きては小川のせ4らぎや 梢の小鳥野邊の草
0
見るだにせまぎ里ながらとたのみし如叡ぞなどあくがれのなからめや幾 千 代 か け て お く つ き の そ れ
隈なくも包み園める様を看よ
くわひゞきに和して物凄く あたり と呼べど答へなく
いもと〇妻よ妹よいづくぞと泣けど叫べど影もなく
悪魔の光夜叉の
磐
0
他やいかにと打見れば親は子をよび子は親に
あななきがらの叉︱っ
0
大 和 心 を 如 何 に ぞ と 問 は ゞ 答 へ ん 山 櫻 開 か ん 春 も ま の
母よとよべど人はなし 〇斯くては果てじと起ち出で4
嗚呼櫻島
悲歌〇兎やせん角やせんものと
た起ちさへ敢へぬ悲しさよきて今は早や 叫ぶあな恐ろしの有様よ
こ4ろばか心斗りははやれども
見れば 離れ/\
ほ の ふ
悪魔の火焔 まろびつふしつ西東父よ 身は傷つ
‑ 54‑
まっくろけ節について 嗚呼櫻島
︹ 終 ︺
悲歌 りとこしへに昔の春を語るらむ 〇昨日の榮え夢と消え今日は訪ぬる人もなく 冬
昔響に驚愕して戸外に出でたる時先づ眼中に映じたるは目を眩
衷然泣く事を忘れし避難民の直話 は小島の雪げしき
0
春はふもとの櫻花夏は汀の月衣 た委細は報告にて御承知ありたし重廿重 〇梢にさへづる鳥の啓
を な み め な み
男波女波の十朕視察に開しては本日警保局から河原田書記官を地方局から矢
O
さらばよさらば故郷よさ だ め あ め
同じ運命の天の下我も又
て居りますが海軍省と交渉して軍艦派造の都合に致しました現
なれ年月なれし汝はしも今亡ぶかよ
はり恐憚に堪えません今日は内閣會議で大臣はその方へ出席し
郷一面の猛火に閉ぢぬ隠さらば
0
泣けどなげけど詮もなや海路はるかに眺むれば應我故 る新妻も 〇いづれはからき我命父にはさられ母は逝きはつこっ今日はうたてし白骨の ひまもつかのまに向ふ鹿兒島かごの鳥 〇誰が乗りすてし小舟かも
は昨日榮えあ 今の我身に知るよしも
高ねを落つる瀧の一音
架のしらべの櫻島
秋は高嶺の夕紅葉
たゞ黒けむ 水野内務次官談
誠に意外な大事嬰で御同様心痛に堪へません営省では鹿兒島縣 知事から報告の来る度毎に一々閥司侍従長の手を経て畏き邊り ヘ奏上致して居りますが陛下にも深く御診念あらせられると承 田内務廊を選んで午後一︳一時半鹿兒島に急行させる事になりまし
+ ‑ 1
一日午前五時予は吉松に在り櫻島住民たりし河村多吉の避難 し来るに會し詳さに爆痰嘗時の惨状を聴取するを得たり其談に 日<爆痰営時の咸と云ふも予は殆ど明瞭に記憶せず俄然たる大 せん計りなる白熱の火焔と呼吸を杜絶さる
4硫黄の臭氣なりき 梶取る視察急派
黒色の降灰に蔽はれ檬々たる白煙を起し居れり予は本願寺に
桜 島 の 噴 火 に つ い て は
﹁ 大 三 年 桜 島 噴 火 記 事
﹂
( h 9
せざる者は殆ど稀なり鹿兒島市に入れば市内家屋の軒庇等は暗
といったものである︒
りある船は盛き逃げ遅れたる者は道に街れて死傷算を胤し して全島影を没したり住民は大部分船にて避難せんとせしも限
。
,...,,...,,...,0(所著)
( 椛 )
(有作)
゜ ゜
吉 起り折柄の軟風に靡ける黄煙黒煙は全島の空を蔽ひ容易に散せ り る横山村 て海中に落ち其都度海水は沸然たる白煙を上げたり噴火口下な 出する状到底現世の光景に非ず赤く灼熱したる石片は紛々とし ︱
︱一
の漕
ぎ出
さん
とし
つ
4ありたる舟に飛移り辛うじて鹿兒島に
底より覇き来る氣味悪き劇震は噴火口に至りて高き敷十丈の大
三 二 間 に も 餘 る 可 き 大 岩 石 の 空 中 に 噴 櫻
島 村 の 全 部 に 亘 り て 延 長 敷 丁 の 火 災
ず午前十時ならんか二度目大爆痰起ると同時に黒煙は火光に和
線 に 身 を 以 て 逃 れ た る 者 も 多 少 の 負 傷
然として泣けり猶通信機開杜絶し汽車故障を生じたる事故鹿兒
艦 艇 よ り 見 た る 櫻 島 の 光 景
鹿兒島に向へる利根以下各艦艇は何れも十︱︱︱日午後到着せるが
櫻島を去る十浬の距離より見たる惨朕を報じて日く全島檬檬た
る黒煙に包まれ焔々たる火光一萬敷千尺の高さに噴出しつ4あ
大正三年一月二十三日印刷
大正三年一月二十六日翌行
著 作 者 紳 長 瞭 月
東京市下谷幅仲徒町一丁目六番地
痰 行 者 開 由 蔵
東京市棧草謳南元町二十四番地
印 刷 者 兼 印 刷 所 小 宮 定
火焔と化し方島は目下孤立の状態に在り 着せるが海上より見たる櫻島の新噴火口は赤水の上部にして地たるを見たり予は妻と二人のみなるも妻の行衛を知らずとて眩
市 外 に 逃 れ 全 市 は 啜 趾 の 如 く 轄 た 寂 霙
なりしなり予は狼狽の極直に走りて海岸に出て恰も近憐の人を棄て4
地 上 一 面 は 熱 灰 溶 岩 の 狼 藉 た る 有 様
走りて停車場より貨車に乗り嘗地に来れり鹿兒島市民は紹々家 次で足部の熱さを感じたるが宜に時身を寄せたるも燒石等の落下するもの多く危瞼なるより更に
‑ 56 ‑
まっくろけ節について るであろう︒︻
註
記︼
9 9ソ 9 Cウ
中村翫太郎︵本名は中村久太郎︶は屋号が成駒屋︑俳名翫竹 である︒嘉永六年(‑八五三年︶四月の生れで大正六年(‑九
一七年︶︱︱一月十四日六十五歳でこの世を去った︒翫太郎は﹁助
六﹂の里暁の役を上手に演じる役者であった︒翫太郎の資料が
あるので次にあげておくことにしよう︒
( 5 8
頁凸
版︶
日本
俳 優 鑑 演 藝 掘 報 社 発 行 明 治 四 十 三 年 刊
く 事 件 を 知 ら さ れ た の で あ る
︒ い わ ば 歌 の 瓦 版 と も い え
に よ る と 歴 史 的 に は
︑ 大 正 三 年 の 噴 火 は 三 十 回 目 で
︑ 最
て︑二人で﹁夕霧伊左術門﹂など4といふ振ッたものをやツた
カ/\働いてゐたものだ︒自分等の役どころのものは別とし く︒それだけでも歌舞伎劇の衰微といふことが感じられると同
︑︑
︑︑
時に︑此ういふ役者がなっかしいやうな氣がする歌舞伎劇で 翫太郎を見ると︑何時も喜知六を思出す︒喜知六が死ンでか
ら︑
もう餘程になるが︑その時分には尚だ喜知六も翫太郎もナ
ことがあッたやうに登えてゐる︒喜知六が由良之助の駈付け れてゐたか知れないのだ︒ は︑此ういふ質の役者の活動に依ッて︑何程芝居が面白く見ら
此の人や蟹十郎のやうな役者は︑追々と見られなくなッて行 派に舞窒の人になッてゐるからである︒
四
︑ 三 二 五 名 と な っ て い る
︒ 庶 民 は 演 歌 に よ っ て や さ し
である︒顔が古いといふばかりでない︑顔が翫太郎づらといふ ばかりで無い︑何をやッても騰がチャンとコッにはまツて
︑立
と に な っ て い る
︒ 二 月 四 日 県 菩 察 調 で 罹 災 民 は 総 計
間などで︑やくざもくざと一緒になッて出ても︑目につく役者 日 午 前 十 時 五 分 に 始 ま り
︑ 三 月 廿 八 日 に 一 応 終 了 し た こ
初 は 天 平 宝 宇 八 年 十 二 月 で あ る
︒ そ し て 噴 火 は 一 月 十
あ る
︒ こ の 本 に は 詳 し く 噴 火 の 様 子 が 書 れ て い る
︒ そ れ
著 1583)
中村翫太郎
何ンとなし好な役者である︑何もせずに獣ッて舞 蛋に出てゐても面白味のある役者である︒花四天や大勢出る仲
九州鉄道管理局編錨
•大正三年七月三十日発行
が演藝露報大正二年十一月号
頁十二
l
十三
﹁大正役者芸風記﹂椋右衛門
俊・
, ;; ... 俳 伎 浚 庫 .. ""'"''"—.... ..
歌心 京
.東
︵小説其他︶諸談しの
︵ 維 誌
︶
II ' ・
ー ・
聞
︶ 中 央 魚 頷
︷ 新
︵ 食 物
︶
︷
F l 委匹升位ベ
味
︵ 飲
4.
物 ︶
nl J
•一い(煙草)白梅cか
︑︵愛用
‑ A
白粉︑百農人
化鷹笞屹鱗
. . [
趣
云 娯 築
︶ 飲 洒
︵ 衣 類
︶ 結 城 紬
︵愛玩︶小鑓エら
霜 家 邦
︶ 天 地 紳
︑ 命 光
︵ 氣 質
︶ 一 克 こ 身 丈
︶ 岳 竺 寸
.
▲化粧水︑︐.II^悩柄.~ぐイヤモンド
△ 洗 粉 れ つ た
郎 太 翫 村 中
( 等 五 級 等 札 紺 ) 目 代 二
喩
i r ‑
し ︸ 歌筑 伎麗
,’•東京座・出勤
. .
茉腐I這 雛;
竹 東 京 市 京 橋 低
* 挽 町 三 丁 目
︱
︱ 一 番 地
ぷ
中 村 久 太 郎 成 駒 屁 俳 名 翫
名
峠 船 耳 罫 ん で 屋 や ら は か 六 ? イ が 私 ? は と 愛 な へ 頻 ; ・ に 芝 に で 蛇 ; ; と ら 改 ぞ 野0) し 赤
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さ 所i
心 か 舶 て 駒i
て で 父 ぞ こ「日本俳優鑑」(明治43年刊) 43頁
‑ 58 ‑
まっくろけ節について なものであるが︑それでも偶時には翫太郎の役らしい役も見た で面白味のある人だから︑別に働ける役をしなくとも可いやう 小兵衛や﹁大蔵卿﹂の勘解由なぞを見ると︑好い悪いはさて置
翫太郎は敬重すべき役者の一人であらうと思はれる︒況や役者 翫太郎は追化以外に︑端敵にも一種の老役にも腕に覺のある人である︒其の顔なり︑其の舞輩ぶり︑只舞蛋に出てゐるだけ
としては︑珍無類の顔の持主である︒好が同情となり︑同情が
敬愛となる︒ 翫太郎は只一人生残ってゐる道化役者である︒これだけでも
れる
︒
︑oし か︑おつりきだとか︑決して/\其様なふざけた理由ではな に大に悦しくなって了ふ︒顔が剰軽に出来てゐるとか︑珍だと 豪に突つ立つてゐるのを見ても︑おれは何んといふことはなし 人で踊ッた役者位のものである︒
小芝居にも近頃餘り顔を見せぬやうである︒だが因果物師の
き︑翫太郎には翫太郎獨特の味があるだけでも面白く見て居ら 爺さん︑花四天か何かに出て︑大勢の大部屋連と一緒に只舞 で眼に残ツてゐるのは︑﹁出雲のお國﹂の時に蟹十郎圃八とに此の爺さんの顔が好である︒ 概些々顔を出すといふだけだと謂ッても可いだらう︒そのうち茶氣渦も大概にしろといふ人があるだらう︒だがおれは員んと
は︑
﹁切
られ
輿一
︱︱
﹂
の時の番頭藤八などであらう︒その他は大△中村翫太郎おれは那の爺さんの顔が好だ
l
と謂ったら︑ なッたのだ︒自分の見たうちでは︑近年些ッと振ッて見せたの 時世の故である︒時世が翫太郎を働かせるやうな芝居をしなく頁九八I
九九 やうな役者になされてゐる︒翫太郎の役者が悪いのではない︑演藝謳報大正
一︳
一年
一月
号
﹁役者の顔﹂牛魔王著 近頃ではもう翫太郎は︑歌舞伎座でも居ても居なくとも可い とが勢懐古的にならざるを得ない︒
者で
ある
︒
思ふ︒翫太郎のことを何う此ういふ段になると︑何うも謂ふこ老優を珍重する︒翫太郎は役者其物にひねッた面白味のある役 で︑水ッ悌を手の甲で拭いて見せたのも確か其の時であッたといと思ふ︒此の種の役者として最後に残った一人として︑此の
翫太郎の顔は︑これを平ったくいふと︑凸凹面である︒おで 可笑味の躍動してゐるところが︑翫太郎の顔の債値であり有難
に見受けられる︒そして其慮に翫太郎といふ役者に無限の面白 其の藝の味に就ては︑瓶風記の方にお誼り申すとして︑顔の翫太郎の顔は自ら道化役者に出来てゐるのである︒と謂つて︑翫太郎の顔は︑謂ふところの滑稽づらに出来てゐるといふのではない︒翫太郎自身の心もちは知らないが︑見たところ翫太郎の顔は至極員面目に出来てゐる︒出来てゐると謂つて怒いなら︑然ういふ氣分の顔だとでも謂はうか︒
左に右翫太郎の顔は四面目らしい︒其の員面目らしいうちに
いところである︒翫太郎の顔に員面目らしいところが無かった
昔の道化役者は︑どんなであってたか︑それは知らないが自
分等が芝居を見るやうになってから︑死んだ喜知六や︑翫太郎
のやうに︑道化役者らしい道化役者の顔を見たことが無い︒
こで︑頬骨が突出して︑恥が殆ど等邊三角形にあぐらをかい
て︑眼が小さくて︑頬から聴にかけて急勾配にずりこけて︑し
︑︑
︑
かも其が年と共に尖り立ったといふのだから︑そのでこぽこさ
加減は正に細工物以上である︒もし翫太郎の顔が︑もう少し長 いか︑さもなければ輪廓が大きいかしたならば︑立振にロダン
翫太郎の顔の微は深く深く刻みこまれてゐる︒刻みこまれて
︑
ゐるといふよりも︑浪のやうに︑よれたり︑うねったりしてゐると謂った方が至嘗であらう︒然うして尖つてゐる︒然うして
︑︑
︑︑
でこほこになってゐる︒普通の眼で見たら︑よくもあんな不細
成程翫太郎の顔は不細工である︒頭抜けて不細工な顔であ
の手に依つて︑細工を加へたといふやうなとこが微塵もない︒
舞豪顔とても然うである︒
郎といふ素の人間其物を見せてゐるやうに思はれる︒其の可笑
ヽ味にしても|—員面目な可笑味にしても、少しもたくむだやう
なとこもなければ︑細工をしたやうなところも無い︒翫太郎は
毎素顔で︑そして毎裸の自分を握出して舞憂に立つてゐるやう その員相は解らないけれども︑舞豪で見る翫太郎の顔は翫太 ら︑あんなに可笑味は無かったかも知れぬ°難しく謂へだ︑翫太郎の顔は︑極めて自然に出来てゐる人間 る ︒ る︒そして其の不細工なことが翫太郎の顔の生命となってゐ 工な顔があったものだと思ふだらう︒ 味に就ては些か愚見を陳じて見たい︒のモデルになり得た人かも知れない︒
‑ 60 ‑
まっくろけ節について
い賓
であ
る︒
る︒翫太郎に取っては︑翫太郎の顔が大切な資本で︑そして辱
居るのだと見間違へられた話は︑是を前琥の榮屋風呂に紹介し かし味が好評であった所︑是を田舎のお客様から瑕面を冠つて
@
愛船があるとか
︑
おどけてゐるとかいふのではな
いが︑翫太
にほひ
翫太郎の顔には︑江戸時代の古い歌舞伎の芥が滲み込むでゐ 押して行かれる役者である︒ を舞蛋にさへ出してゐたら︑それで立振に一人前の役者として
翫太郎は︑クシャ/\した︑でこぽこな︑ひち難しさうな顔 出来ないだらう︒ 顔其物か一種の藝術で︑
此の後此ういふ役者の顔を見ることは 郎の顔は︑見れば見る程珍で︑そして可笑味のある顔である︒
んで居なければ三階の部屋までは蹄られぬ始末を︑師匠の歌右
へる
︒
の箕面目な固い難しさうなうちに︑溢れるやうな可笑味のある
顔である︒それがまた一層可笑味の度を加へてゐるのだとも謂 やうな顔である︒員面目な固い難しさうな顔である︒そして其
言葉を換えて︑繰
返していふ︒翫太郎の顔は
︑荒削の木像の
味が
ある
︒
絞つて工夫を附け︑是を︱つの仕事にして居る次第ながら︑何 分にも病後の舞蛋だけに息切れが烈しく︑揚幕へ入ると暫時休
術
門が目を掛けて︑弟子の小役成蒲に言付けて︑下駄と扇子を 持運ぶ附人にしてやったので︑翫太郎は今更に師匠の慈悲を有 難く心得︑其翌日からは附人を連れて出入をする事になった 所︑或日成爾が通人持の扇子を玩弄にして居るのを見て︑そん な事されては扇がバチ/\言はなくなって役の心持が悪いと て︑﹃オイ扇だけは矢張私が持つ事にしやう︑﹄
翫太郎が﹃助六﹄の通人に出て︑性来の一︱︱枚目面と軽妙なお
たのを本人が詔んで︑不思議な事がありますね︑若い時にも同 で大凝りの車輪に勤めて︑毎日助六を笑はせる事の形に智恵を
﹃助六﹄の中へ出る翫太郎の通人里暁は︑営人一世一代の心
頁百九十 演藝置報大正四年六月号﹁柴
屋風呂﹂川尻清渾
だったといひます︒そして︑去年歌舞伎に﹃助六﹄の出た時︑ ませんでした︒翫太郎は本名を中村久太郎といひ
︑年
は六
十五 皮肉家でした︒彼は︑名題ではあったが︑死ぬまで其披露をし が故箕に精通家と
して
有名でした︒翫太郎は大酒家でまた大の 翫太郎は先代芝翫の弟子で︑端敵道化役を得意としてゐました
中村翫太郎死す︒中村翫太郎は︑三月十四日に死にました︑
ていただこう︒ 演藝闘報大正六年四月号頁百五十六
一番仕舞ひに行付けの格子先へ立つと
︑然も買馴染の女
一寸御翌ッてば︑アノ素見は馬鹿
演藝需報
氣た仮面を冠つて居るよ︒
たことになる︒
大 正 四 年 五 月 号 頁 九 九 か ら
﹁ 助 六 由 緑 江 戸 桜 型
﹂ 三 浦 屋 格 子 先 の 条 が の せ て あ り
︑ 役 割 か ら 扮 装
•台本・型
まで書いてある。翫太郎の名の有る役割を見
郎が是を見て︑アラいやだ
であり
︑
唖 蝉 坊 が 何 処 か で こ の 歌 を 聞 き 演 歌 に 取 り 入 れ
から
︑
が 端 役 で あ っ た が 面 白 味 の あ る 役 者 で あ っ た こ と は 確 か
じゃうな事がありました︑それは私が二
十五
歳の時︑芝居を打
手拭の頬冠りを横で結んで︑のめりの下駄に足の先だけを突掛
けて
︑
営人の氣ぢやア五分も隙の無い心持︑芝居ですりやア
﹃河
内
山
﹄の直侍にも見えるつもりで臆面も無く一と廻りして
舞 台 で こ の 歌 を う た っ た か は つ い に 不 明 で あ る
︒ 翫 太 郎
四 年 四 月 ま で 十 年 間 は 行 わ れ て い な い
︒ 翫 太 郎 が い つ の
たつぶりと菊化粧に口紅を差して︑まだ罪の深い事には消玉の 其晩の持へが藍微塵の着附に八反の一︱一尺に唐棧の袢天
︑氣障氣
出してから︑氣の合った朋翡と吉原へ遊びに出掛けたのです︑
﹁助六﹂の歌舞伎座興行は明治三
十 九 年 五 月 か ら 大 正
残りになってしまひました︒ 通人になつて渦都の好劇家を唸らせたのが惜みても餘りある名
‑ 62 ‑