はじめに
情報化社会論は,近年,最先端の情報通信技 術(
ICT
)主導による未来社会から,社会環境 と情報とのインタラクションの中から形成され る社会へと,その学問的視座が遷移しつつあ り,新しいパラダイムが訪れようとしている。本論の対象地域となるブータンは,工業化を経 ておらず,かつ,極めて特異な自然環境を保持 しており,それ故に,特異な情報化過程を歩ん できた。これは,ポスト工業化社会ではない情 報化社会の一つの表象である。本論では,グ ローバル社会の中でブータンの情報化は,今後 どのような意味を持ち得るのか,実態調査を通 して検証・考察する。具体的には,情報化にか かわる諸様相として,「政策・法律」,「通信・
メディア」,「市場・インフラ」,「文化・社会」
という四つの分野について概説していく。本論 の狙いは,ブータンの情報化にかかわる諸様相 について,そのダイナミズムと構造的特性を明 らかにすることであり,ひいては,特異な社会 環境下における新しい情報化社会論を確立して いくことである。
1.新しい情報化社会論のパラダイム 1-1.情報化社会論の系譜
情報化社会論の系譜を辿っていくと,その源 流の一つは,1963年に梅棹忠夫が発表した「情 報産業論」に行き当たる。以来半世紀,情報化 社会論は,ほぼ一貫して,工業化を経た後に訪 れる社会として,情報化社会を扱ってきた。
梅棹同様,増田[1985],ベル[1975],トフ ラー[1982]ら,未来学に端を発する初期情報 化社会論の主流派は,社会進化論的,技術決 定論的な内容であった。つまり,先の産業革 命に匹敵する大変革として情報革命を位置付 け,その社会的影響を予察する,という類のも のが趨勢を占めていた。1990年代に入ると,佐 藤[1996]らが,未来学としての情報化社会論 批判を展開する一方,公文[1994],カステル
[1999]らは,それぞれの立場から,情報化社 会を独自に捉え直す試みを行った。
1-2.新しい情報化社会論
21世紀に入り,日本では,「情報社会学」と
「社会情報学」という相似関係にある2つの情 報化社会論の分派が生まれた。両者の差異を一
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程1年(指導教員 土方正夫)
論 文
ブータンの情報化にかかわる諸様相
― そのダイナミズムと構造的特性 ―
藤 原 整
*言で説明するならば,前者は,「情報」をキー とする「社会学」であり,後者は「社会」をキー とする「情報学」という出自の違いと言うこと が出来る。「情報社会学」の問題意識の端緒は,
「情報化」は果たして「近代化」の内にあるも のか,それとも,後から現れるものか,という ものであった[公文
2011
:
3]。一方の「社会情 報学」は,「『情報経済学』『情報法学』『情報社 会学』等々を包括した学際研究」であると同時 に,「既存の学問分野に準拠した情報研究の総 体としてではなく,既存の分野から区別された『固有科学』として成立」しなければならない もの,と定義された[伊藤
et, al.
2003:
31-
33]。そこからさらに派生して,奥野[2009]は「情 報人類学」を提唱し,「社会学的方法ではなく,
文化人類学的視点と方法でアプローチ」を試み ている。近年のメディアの個人化に伴い,家庭
(「第一の社会」)でも,会社(「第二の社会」)
でもない場所で,「同じ関心や興味を持つ人々 が,業種や地域や年代を超えて集まり,その場 で新たな人間関係をもちはじめている」ことに 着目し,そのような社会を「第三の社会」と総 称した。原田[2009
a:
154]は,ある一つの情 報社会へ収斂されるのではなく,その国に適合 した技術合理性や歴史的社会的環境,国際環境 からの影響を受けて「多様な情報社会」へ行き 着く,と指摘した。その上で,情報化の多様性 を生んだ要因の一つとして,それぞれの社会が 持つ多様な「壁」の存在を挙げ,ハードな壁と しては,政治的な要素である「国民国家の壁」と技術的な要素である「情報セキュリティ」の 壁を,ソフトな壁としては,文化的な要素であ る「言語の壁」と「宗教の壁」を,それぞれ例 示した[原田
2009
b:
18-
29]。西垣[2010]は,「ファスト
IT
」と「スローIT
」という言葉を用 いて,これまでの情報化社会とこれからの情報 化社会を区別しようと試みた。近代化の文脈に おいては,時空間を圧縮し,速度を向上させる ことこそが「進歩」であり,そのような「ファ ストIT
」を用いて,「物理的な位置によらず瞬 時に情報交換できる」ようになったことで,「地 域に根ざしたこれまでのリアルな都市がいわば 崩壊」した。そうした「地域の多様な人間の営 みと文化の厚み」が消えてしまったこれまでの 情報化社会の時空間のなかに無数の隙間や余裕 をつくりあげることこそが「スローIT
」の大 切な機能であると述べている。奥野,原田,西垣らに共通しているのは,情 報化社会という概念を,もはや未来社会として ではなく,いま目の前にある社会として捉えて いる点であり,また,その社会とは,決して技 術決定論的なものではなく,人間関係,環境,
地域によって変容し得る社会である。この視点 は,開発論において,テクノロジー主導による 高度成長社会から,自然環境と調和した持続可 能社会を目指す動きと,近似する発想によるも のと捉えることが出来る。
2.ブータンの情報化が示す特異性 2-1.独自の開発理念と地政学的背景 ブータン王国は,ヒマラヤ山脈の南麓に位 置し,急峻な山々に囲まれた小国である。国 内の標高差は最大7
,
000mに達し,主たる都市 は,およそ標高2,
000~3,
000mの間に立地して いる。また,そうした地理的環境もさることな がら,北は中国,南はインド,という世界の二 大大国に挟まれ,政治的・経済的にも極めて難 しい立場に置かれている。近代以前(1907年世襲制王朝成立以前),18 世紀末から19世紀にかけてのブータンは,そ の「地理的条件」および「当時の主要貿易交通 経路から外れていた」ために,「世界の他の地 域で起こっていた変革から遊離し影響を免れ」,
鎖国に近い状態に置かれていた[ブータン王国 教育相教育部
2008
:
206]。インドとの関係は,19世紀半ば頃,イギリス 領インドとの間で勃発したドゥアール戦争まで 遡る。ブータンはこの戦争に敗北し,不平等 条約(シンチュラ条約)の締結を強いられた。
1910年,同条約に代わる,プナカ条約が締結さ れ,両国の関係は大幅に改善されたが,「対外 交関係の面ではブータン政府はイギリス政府の 干渉を認める」との文言が入っており,ブー タンの外交上の主権は制限されたままであった
[ブータン王国教育相教育部
2008
:
254]。1948 年,イギリスから独立を果たしたインドとの間 に締結した,インド・ブータン条約は,プナカ 条約を引き継ぐ形であったために,外交上の主 権の制限についても継続となり,以後,インド の助言を受けることが求められることとなっ た。北のチベットとの関係は古く,また,多くの ブータン国民はチベット仏教を信奉しており,
文化的に強い繋がりを有していた。第2代国王 の治世(在位1926年~1952年)の間には,チ ベットとの文化交流が活性化され,仏教学,あ るいは,ヒマラヤ医学を学ぶために,多くの学 者がチベットへ赴いた。しかしながら,1959年 の中国侵攻により,チベットがその主権を失う と,ブータンは,北の国境を封鎖し,その影響 を最小限に留めようとした。
第4代国王ジグミ・センゲ・ワンチュック
(在位1972年~2006年)は,近代ブータンの父 と呼ぶにふさわしい数々の業績を残したが,そ の最たるものが,“
GNH
”という概念の提唱と 実践であろう(1)。1970年代に入り,先進諸国が 急速な都市化による公害の発生や精神疾患の急 増等の問題に苦しむ中,いち早く,経済成長だ けでは真の幸福に到達できない,という疑問符 を投げかけたことは特筆すべきである。一方 で,“GNH
”は,ブータンが経済的な発展を目 指さない,ということを意味しているわけでは ない。必要十分な社会経済発展が果たされなけ れば,国家の安全や国民の自由を保障すること ができない,という考えに立ち,ブータンはま ず,その最低レベルの生活を手に入れるため に,インドによる支援・指導の下,1961年以来,五カ年計画に沿って開発を進めていった。しか し,1975年,隣国のシッキム王国がインドに併 合されるという事件が起こり,ブータンは徐々 にインドへの警戒感を強めていく。五カ年計画 はインドからの支援無しには成り立たない国家 開発事業であったものの,経済的にも早くイン ドから独立すべき,という気運が高まってき た。第5次五カ年計画において,インドの電力 供給をまかなう目的で実施された水力発電所の 建設プロジェクトは,結果的にはブータンに電 力輸出による外貨をもたらし,経済的自立へ向 けた第一歩を踏み出すことを後押しした。
両国の政治的な関係が変化したのは,21世紀 に入ってからである。インドとの国境付近に潜 伏していた反インド勢力の掃討をブータン政府 が実行したことによって,インドとの友好関係 が強化され,ついに,2007年,インド・ブータ ン友好条約が締結された。これにより,100年 以上の長きに渡ってブータンの外交上の主権
を脅かしてきた文言が削除され,名実ともに,
ブータンはインドと並ぶ主権国家としての地位 を確立した。
ここまで見てきた通り,ブータンは,北に中 国,南にインドという,二大国の間で,政治 的・経済的軋轢に苦しみながら,しかし,した たかに両者の緩衝地帯としての役割を果たして きた。こうした地政学的な背景が,他に類を見 ない,“
GNH
”という独自の開発理念を育んだ 土壌となっていることは,想像に難くない。2-2.情報化への転換
前節のような背景から,ブータンは近代化,
特に先進諸国のテクノロジーを導入することに 対して,極めて慎重であった。先端技術の導入 によって経済的なメリットを得られたとして も,自然環境への負荷,伝統文化への浸食を最 小限に抑えることが出来なければ,結局は国 民の幸福には繋がらない,と考えたからであ る。かつて第4代国王は,「欲望は人間が受け 取る情報量と比例して増大する」と語ってお り,情報化による影響力,例えば,欲望を刺激 され,過度の消費主義に走ってしまうことなど に,強い警戒感を抱いていたことが伺える[平 山
2005
:
53]。しかし,ブータンが国際社会の 中で存在感を増すにつれて,国家間の情報格差 を埋める努力が求められるようになり,また,国民の「知る権利」をこれ以上抑制しておくこ とは難しくなってきた。さらに,ブータンが民 主主義国家へと歩みを進める中で,国民が自ら の良識に基づいた正しい判断を下すことが必要 条件となり,情報化を進め,あまねく知識を得 ることが出来るよう配慮する必要に迫られた。
1990年代までのブータンのメディアは,新
聞,ラジオを中心とし,そこに口コミを加え た,マスに満たない伝播型の構造を長らく保持 してきた。この「メディア勃興期」においては,
新 聞(
Kuensel
), ラ ジ オ(Bhutan Broadcasting
Service: BBS
)は,いずれも国営であり,政府による公益情報の公開の域を出なかった。1992 年,第4代国王の勅令により,
Kuensel
,BBS
は,ともに民営化されたが,その後も,この2社に は,政府による補助金が投下されており,公営 企業としての趣が残っている。ブータンにおけ る近代的な情報通信網整備は,1989年に国際電 気通信連合(
ITU
)が提示したマスタープラン をベースに,日本政府の無償資金協力により実 施された。主要都市を網羅する全国統一デジタ ル通信網の完成により,固定電話の普及が急速 に広まった。1999年,テレビとインターネットが一般に解 禁されるに至り,ブータンは「情報化解禁期」
へと突入した。第4代国王は,在位25年記念式 典の演説の中で,「テレビとインターネットと いう新しい情報の道具を活用し,そのマイナス 面に流されることのない,国民の知恵と良識を 信じている」と述べ,その解禁を宣言した[平 山
2005
:
75]。テレビの解禁後は,それまでラ ジオ放送を手がけてきたBBS
による地上波放 送が,毎日1時間行われ,順調に視聴者の数を 増やしていった。また,地上波放送を受信でき ない地域では,早い段階からケーブルテレビの 普及が進んだ。このケーブルテレビを通じて,主にインド等の外国放送を視聴できるようにな り,世界中のコンテンツが一気にブータンに流 入するようになった。また,テレビと同時に解 禁されたインターネットについては,当初は割 高な利用料金も影響して民間への普及はほとん
ど進まず,主に官公庁での利用に留まった。
2003年,携帯電話のサービスが始まると,そ の後,爆発的に普及が進み,重要なコミュニ ケーションツールとして定着した。これ以降の 時期を,「
ICT
普及期」と呼称する。急速な普 及を後押ししたのは,主にブータンの地理的な 条件にある。固定電話のサービスは一定数普及 したものの,2004年時点の人口普及率5.
9%で頭 打ちとなり,以後減少に転じている。これは,国土の大半が山岳地帯のブータンにおいて,固 定電話を設置,維持するためのコストが大きい ため,より安価で設置でき,利用者負担も少な い携帯電話に取って代わられたことに起因す る。携帯電話の普及率は,2004年時点で3
.
7%であったものが,2011年には68
.
4%まで達して いる。インターネットは,携帯電話によるアク セスが可能になった2010年ごろから,民間への 普及が進み,2011年時点で19.
8%である。その 他,テレビの放送時間拡大,Kuensel
の日刊化 など,国内メディアは着実に成長を遂げてい る。また,この時期は,主要な情報通信関連事 業の民営化が推進され,多くの民間企業が参入 を果たしている。2011年時点で,携帯電話事 業2社,インターネットサービスプロバイダ(
ISP
)事業4社,新聞12社,ラジオ局7社が,それぞれサービスを提供している[
Ministry of Information and Communication
2012]。2-3.現代ブータンの社会構造
ブータン社会は,近年,“
GNH
”によるコン トロールの下で,近代化を進めている。特に優 先的に取り組んできた課題は,医療と教育分 野である。2012年時点で,ブータンの人口は 720,
679人であり,2030年までに886,
523人まで増加すると見込まれている[
National Statistics Bureau
2012:
3]。これは,医療の進歩による乳 児死亡率低下,平均寿命の引き上げの影響が大 きい。一方で,70万人余りという人口規模は,日本では,岡山市や東京都大田区と同規模であ り,市場としてのポテンシャルは低いと言わざ るを得ない。ブータンの国内総生産に占める産 業構成比率は,農林牧畜業16%,エネルギー産 業14%,建設業16%などとなっており,突出し た産業は存在しておらず,特に,製造業はほ とんど育っていない[
National Statistics Bureau
2012:
197]。ここで,ブータンの社会構造の基底を成すも のとして,「文化的閉鎖系」と「物理的閉鎖系」
という2つの概念を導入したい。なお,「閉鎖 系」とは,元来,「物理学で,外界とエネルギー や物質のやりとりのない系(2)」という意味を持 つ言葉であるが,ここでは,質的,あるいは,
量的な変化に対して負の相関を与える系,と して定義することとする。「文化的閉鎖系」と は,伝統文化を保護し,自然環境を保全しよう とする,ブータン政府の政策的な営みを指して いる。ブータン独自の開発理念である“
GNH
” は,「文化的閉鎖系」を維持しつつ,近代化を 推進する,という,難しい舵取りを迫られてお り,社会経済的メリットと文化的デメリットと の間に生じる相克をいかに解消するか,が最大 の焦点となっている。一方,「物理的閉鎖系」とは,ブータンの地理的特徴を示すものであ る。ブータンの国土は,北はヒマラヤ山脈の尾 根から,南は亜熱帯雨林に至る山系に沿って位 置しており,非常に急峻な地形を成している。
1961年の五カ年計画スタート当初から,交通イ ンフラの開発を進めてきたものの,現在に至っ
てもなお,東西貫通道路を車で横断するために 2泊3日を要するなど,ほぼ同じ距離を新幹線 に乗ってわずか1時間半で行き来できる日本の 環境とは,根本的に時間感覚の概念が異なる。
また,いまだ多くの村が自動車では辿り着けな い山奥にある。
これらを踏まえて,ブータンの社会構造をモ デル化すると,下図のように表すことが出来 る。
「文化的閉鎖系」を維持しつつ,“
GNH
”に 基づいた近代化を目指す,という文脈の中で,西洋的な医療や教育といった,社会福祉分野の 充実が優先され,一方で,「物理的閉鎖系」が 働くことによって工業化の推進が阻害された。
人口の増大によって,都市部への流入が起きた ものの,産業が十分に発達していないために,
彼らを吸収する受け皿が無い,という事態も生 じている。また,「物理的閉鎖系」は,主に周 辺国からの物流にも負の相関を与え,都市に物 流拠点が作られる流れを抑制する働きも担っ た。情報化の導入によって,流通する情報の量 は大きく増加したものの,物質的な流通量を増 やす効果は小さく,通信と物流のアンバランス を生じさせている。ブータンでは,十分な産業
が育っていないため,情報が効率化や競争力強 化のために活用出来る場面が限りなく少ない。
それに対して,「消費材」としての情報,例 えば携帯電話を通じたコミュニケーションは,
ブータン人の口コミを好む気質と非常に馴染み やすく,また,テレビを通じて入ってくる諸外 国の娯楽コンテンツは,ブータン人の家庭にお ける余暇時間の過ごし方を一変させた。
2-4.ブータンの情報化社会像
従前,ポスト工業化社会論として情報化社会 論を語る際には,既に自然は克服・征服された ものとして,議論の外に置かれてしまってい た。しかしながら,工業化を経ておらず,かつ,
「文化的閉鎖系」と「物理的閉鎖系」に支配さ れた極めて特異な社会構造を持つブータンとい う国家においては,情報化社会の一つの表象と して,コミュニケーションと娯楽コンテンツを 絶え間無く消費していく「情報消費社会」,こ れまでの情報化社会論では考慮され得なかった 社会像が現れていることが示された。
一方で,工業化が果たされた国においても,
いま,本当に自然は征服出来たのか,という問 いが大きな議論を呼んでいる。特に日本におい ては,2011年3月11日の東日本大震災を契機に,
現代社会の自然観そのものを見直そうという動 きが広がっている。原子力発電から風力・太陽 光といった自然エネルギーへのシフトが叫ばれ る等,自然のもたらす恵みを循環的・持続的に 活用することで,私たちの社会もまた,循環 性・持続性を取り戻すことが出来る,というの がその大きな論旨である。
各々の空間が持つ固有性,言い換えれば「環 境の唯一性」が,これからの情報化社会を考え 図1:ブータン社会構造図
る上では,大きなキーワードであることは,奥 野,原田,西垣らの指摘とも共通する。ブータ ンのような,極めて特異な自然環境は勿論のこ と,世界中のあらゆる国々が,それぞれ固有の 環境の上に成立しており,それを無視して情報 化社会を語ることは,重要な前提条件を見過ご してしまっていることになる。
3.情報化にかかわる諸様相 3-1.諸様相の分類
本章では,ブータンの情報化社会像をより深 く考察するために,情報化にかかわる諸様相に ついて概観していく。その元データとなるもの は,「ブータン政府,および,各国際機関が公 開している政策・統計資料」,「ブータン国内,
および,国外メディアによる報道資料」,そし て,「2010年8月,2011年3月,8月の三度に 渡ってブータンを訪れ,現地でフィールドワー クを行った際に収集した一次資料」である。
まず,ブータンの情報化にかかわる諸様相 を,そのアクターごとに,次の4つに分類す る。第一に,政府が主要なアクターとなる「政 策・法律」分野,第二に,通信事業者・放送 局・出版社・新聞社・コンテンツ配信者といっ た情報通信産業に直接関わる事業者を中心とし た「通信・メディア」分野,第三に,製造業者・
流通業者・小売業者・コンテンツ制作者といっ た,情報通信をとりまく産業に関わる間接的ア クターを取り扱う「市場・インフラ」分野,第 四に,それらのサービス提供を受ける市民にス ポットを当てた「文化・社会」分野である。
3-2.政策・法律
まず,情報化政策の経緯を概説する。
1996年,ブータン政府は,初めての包括的 な情報化計画である,「情報化マスタープラン
(
Computerization Master Plan
1997-
2000)」を発 表した。その主たる目的は,政府機関の情報化 であり,特に重要視されたのは,今後の情報化 を見据えた人材育成であった。1999年 に 発 表 さ れ た「ブ ー タ ン
IT
戦 略(
Bhutan Information Technology Strategy: BITS
)」は,インターネットの普及や利用も視野に入 れ,セクター別の現状と課題,政策提言を提示 したものとなっている。先の「情報化マスター プラン」との大きな違いは,主に民間部門での
ICT
の活用,特に,国民が直接的に情報化のメ リットを享受することが出来るように,という 方向性が示されたことである。なお,この提 言に基づいて,2000年,電気通信局が公社化さ れ,現在のBhutan Telecom Ltd.
(BTL
)が誕生 した(3)。2001年 に 策 定 さ れ た,「
ICT
マ ス タ ー プ ラ ン(Information and Communication Technology Master Plan for Bhutan
)」の目的としては,「山 岳地のため困難となっているコミュニケーショ ン問題の克服」,「政府の意思決定改善とスピー ド・アップ」,「国民への国内外の最新情報提 供」,「民間部門に収益性があり環境への負荷が 少ないビジネスチャンスを創出」,「IT
ビジネ スシフトによる大規模資源開発の回避」の5つ が定められた。2003年に発表された,「情報社会の展望(
Vision for Information Society
)」の中では,情報社会を,IT
,メディア,そして文化までを包含する広義 の社会と捉え,それらに通貫する政策および計 画を立案することを目的としている。メディア 戦略としては,インフラ,教育,コンテンツの3方面からアプローチしており,「税金面での 優遇および助成金の配分を実施」,「基本的な学 校教育,民間機関による訓練,奨学金による幅 広い支援」,「無益な資金注入や聴衆のミスリー ドの回避」を掲げている。また,同じく2003年 には,情報通信省(
Ministry of Information and Communication: MoIC
)が設立され,情報通信 関連企業の管理・監督を担うこととなった。2004年に発表された,“
BIPS
(Bhutan Information
& Communications Technology Policy and Strategies
)”は,「
ICT
を良き統治に活用すること」,「ブータ ン独自の情報文化を創造すること」および「高 度技術圏を形成すること」を主たる目的とした 戦略を制定し,ICT
により,地理的な障壁を克 服すると同時に,国際競争力の底上げと文化遺 産保全を促進し,知識ベースの社会形成を目指 していくことが謳われた。現状の課題認識を行 い,より具体的なブータンの情報化の未来に向 けた重要な提言が行われた点で,“BIPS
”は意義 深い内容であったと言える。2009年には,“BIPS
” を踏襲した,“BIPS update
”が発表された。このように,ブータンの情報化は,極めて政 策的に遂行された,政府主導の情報化であった ことが伺える。また,ブータン政府は,情報化 と同時期に,民主化についても大きな一歩を踏 み出している。第4代国王は,1998年に勅令を 発し,新しい政治形態を提示し,国王不信任 案を提出する権限を国会に与えた[平山
2005
:
183]。2000年代に入ると,憲法制定と国民投票 による議会制民主主義導入の準備が進められ,2008年に初めての総選挙が実施された。
世界を見渡してみると,情報化政策において 政治的な色合いが濃いのは,スウェーデン・エ ストニアといった北欧諸国である。スウェーデ
ンでは,1994年に
IT
委員会が設立され,IT
政 策の立案がスタートした。当初から,特に公共 部門におけるIT
の拡充,国民への情報提供に 力を注いでおり,それによって民主主義の強化 をもたらすことが狙いとして明記されている。エストニアは,1991年の独立当初から,
IT
に特 化した国家開発を推進してきた。2005年に地 方選挙で,2007年には総選挙においてインター ネット投票を実施する等,世界にさきがけて,情報化を活用した民主化の試みを行っている。
一方,中東・北アフリカ諸国では,全く逆の 意味で,政治的な情報化政策が取られてきた。
それは,検閲や言論統制を含む,独裁体制の維 持のための情報化抑制政策であった。「アラブ の春」と呼ばれた,2011年初頭から連鎖的に発 生した中東・北アフリカ諸国の政変は,チュニ ジアの「ジャスミン革命」に端を発する。か の国の若者達は,
Reporters Without Borders
)の2010年の調査によれば,「世 界報道自由度ランキング(World Press Freedom
Index
)」におけるチュニジアのランクは,178ヵ国中,164位。名指しで「インターネットの敵
(4)」と評されたこともあり,世界的にも言論の 自由が最も制限されていた国の一つであった。
山本[2004]によれば,チュニジアと同様に,
シリアでは,2000年までインターネットと携帯 電話の利用は政治的に禁じられていたし,エジ プトでも,情報通信のコントロールと収益源の 維持という観点から,国営企業である
Telecom
Egypt
(TE
)の民営化,自由化の可能性は限りなく薄いと考えられてきた。
このように,世界的には情報通信のオープン
化を民主国家としての必要条件とみなす潮流が あり,ブータンの情報化政策は,この流れに 沿った動きであったと解釈することが出来る。
3-3.通信・メディア
2011年現在,ブータンで携帯電話サービス を提供しているのは,公社である
BTL
傘下の
B-Mobile
,及び,2006年から新規参入した,民 間 の
Tashi-InfoComm Ltd.
(TICL
) 傘 下 のTashi-Cell
の2社である。携帯電話利用者の大半は,プリペイド方式で利用料金を支払ってお り,それぞれの契約者数は,
B-Mobile
383,
089 人,Tashi-Cell
101,
100人 で あ る[Ministry of Information and Communication
2012:
12]。イ ン タ ー ネ ッ ト 回 線 を 提 供 し て い る
ISP
は,
BTL
傘下のDrukNet
に加えて,民間では,TICL
,Samden Tech
,Druk Com
の3社が参入 している。DrukNet
が最もサービスの種類が 充実しており,専用回線・ダイヤルアップ回 線・ブロードバンド回線・モバイルブロードバ ンド回線を提供し,人口カバー率も最も高い。TICL
は,専用回線・モバイルブロードバンド 回線を提供しており,全20県のうち14県をカ バーしている。Samden Tech
,Druk Com
の2 社は,首都ティンプー市内に限り,企業向けの 専用回線サービスを提供している。テレビ放送は,2012年現在,
BBS
1局のみ であるが,2012年1月に2チャンネル化した。従前のチャンネルは,ニュース報道がその主 要コンテンツであったのに対し,新しいチャ ンネルは,子供向けの教育番組や文化に関す る番組が中心である。テレビ放送への民間参 入が無いのは,放送権の問題以上に,産業と しての収益性の低さに原因があると考えられ
る。
BBS
の2011年の損益計算書によると,収 入274百万ニュルタム(5)のうち,広告収入が20 百万ニュルタムに対し,補助金として,ブー タン政府から159百万ニュルタム,インド政府 から32百万ニュルタム,日本の国際協力機構(
JICA
)から44百万ニュルタムが,それぞれ投 入されている。一方で,支出額は260百万ニュ ルタムとなっており,補助金を受けなければ全 く経営が成り立たないことがわかる。[Bhutan Broadcasting Service
2012:
19-
23]。 テ レ ビ の 一 般家庭への普及台数は,2003年の35,
000台から,2008年には47
,
125台とおよそ30%増,そのうち ケーブルテレビの加入件数は,2003年の15,
000 件から,2008年は30,
000件と倍増した[Ministry of Information and Communication
2008]。 ケ ー ブルテレビのオペレーターは,首都ティンプー でサービスを提供するNorling Cable TV
,Etho Metho Cable Service
の2社を筆頭に,2011年現 在,60社近くが参入している。ケーブルテレビ のチャンネル数は,常時およそ50チャンネルを 配信しており,その配給元は,大きく分けて,インド系,アメリカ系,その他に分類される。
インド系は,その下にさらに,
Star TV India
系 列とZee Television
系列とに分かれ,両系列で インドのバラエティ番組や映画・スポーツと いった娯楽コンテンツを主に放送している。ア メリカ系,その他は,グローバルに放送され ているチャンネルが用意されており,Animal Planet
,Discovery
,National Geographic
と い っ たドキュメンタリーチャンネルが人気である。新聞,ラジオといった旧来のメディアは,民 間企業にとっては,比較的新規参入が容易な業 態であり,2004年以降,2012年6月までに,ラ ジオ放送局6社,新聞社11社が新規にサービス
を開始した。ただし,その経営は容易ではなく,
前述のうち,ラジオ1社,新聞5社が休眠状態 である(2012年12月時点)。なお,日本のよう に,新聞各紙と放送局とが系列関係にあるとい うことはない。ラジオの普及台数は,1997年時 点で37
,
000台だったものが,2008年は88,
000台 と,テレビの解禁後も急激に数を伸ばしている ことがわかる。これは,携帯電話でラジオを受 信する機能を持ったものが登場したことも影響 している。新聞については,2008年の調査によ れば,回答者のうち,基幹紙であるKuensel
を 購読している人の割合が34.
6%,Bhutan Times
が21.
7%,Bhutan Observer
が20.
9%となってい る。その他の新聞各紙は調査時に未発行であっ た[Ministry of Information and Communication
2008]。3-4.市場・インフラ
先にも述べた通り,ブータンの市場規模は小 さく,また,国内流通網が慢性的に十分ではな いため,情報と物質のアンバランスな状態が生 じている。こうした,未成熟な市場の問題が噴 出したのが,2012年4月のインドルピー危機で あった。
新聞報道によると,食料品や自動車のインド からの輸入が急増したため,インドルピーの外 貨準備高が不足し,国家財政危機を招いた。ま た,外国人労働者への依存も深刻で,51
,
616人 もの出稼ぎ労働者がブータン国内で働いてい る。ジグミ・ティンレイ首相は,「我々の支出 は,政府の収入が追いつくことができないほど 急激に増加している」と述べ,ブータン国民が 経済的自立を達成するために,その経済的慣習 や消費行動を変える必要がある,と強く要請した(6)。
ブータンの諸外国,特にインドへのヒト・モ ノ・カネの依存は根深い問題である。ヒトにつ いては,上述の外国人労働者数に対して,国内 労働者は323
,
700人と,約1/
6を外国人が占めて いる。その一方で,ブータン人の若者の失業率 が上昇しており,雇用のミスマッチが起きはじ めている。ブータンの貿易収支は,輸出30,
160 百万ニュルタムに対し,輸入53,
705百万ニュル タムとなっており,23,
545百万ニュルタムの赤 字である。なお,輸入額のうち,対インドが 35,
191百万ニュルタムと,約7割を占める。さ らに,ブータン政府の国家歳入が,17,
459百万 ニュルタムであるのに対し,諸外国からの政府 開発援助は,10,
498百万ニュルタム,うちイン ドが7,
883百万ニュルタムと,やはり7割強で ある[National Statistics Bureau
2012]。こうした市場の歪みは,交通インフラ面でも 問題を引き起こしている。その一つが,自動車 の急増による,渋滞・環境問題である。その対 策として,ブータン政府は,2012年6月から,
毎週火曜日を「歩行者の日」とし,首都ティン プー市街への車の乗り入れを禁止した。内閣府 のプレスリリースによれば,「火曜日は,ブー タン国民が,私たちの貴重なヒマラヤの生態系 の脆弱性を熟考する機会となるだろう」と述べ られている。しかし,こうした小手先の対策は 抜本的な解決には結びつかないため,引き続 き,問題解決のための手法を模索していく必要 がある(7)。
さらに,2011年12月に就航した国内線航空に ついても,大きな問題が起きている。まず,民 間航空会社のブータン航空は,インドルピー問 題,および,国内線サービスの赤字により,銀
行からの借り入れが凍結されたために,資金繰 りが悪化し,サービス開始からわずか半年余り で,2013年10月まで運航を停止することを発表 した(8)。国営航空会社である
Druk Air
もまた,空港の滑走路の状態悪化を理由に,国内線の運 航を中止した。滑走路の整備については,2011 年12月の国内線就航に合わせて実施されたが,
資金不足により,十分な舗装工事がなされな かった,という指摘もある(9)。
ブータンの産業開発は遅々として進んでいな いのが現状だが,その牽引役として有望視され ているのが,
IT
産業である。ただし,現時点 ではブータン人IT
専門家の能力が不足してお り,簡単なデバッグ作業ですら外国人専門家に 頼っている。また,ほとんどの民間IT
企業が,小売サービス業に留まっている(10)。
また,
IT
産業開発の礎となるべく,建設さ れたThimphu Tech Park
(11)は,建設途中から受 難の連続であった。当初,2011年9月を予定し ていた竣工は,資金面,および,労働環境の問 題により,大幅に遅れ,2012年5月にようやく オープンにこぎつけた。この施設は,新規事業 創出,共同開発支援,および,データセンター 業務を目的としており,その建設理念は崇高な ものであることは疑う余地が無いが,現実問題 として,十分に活用され,国の基幹産業育成に 寄与することが出来るかは未知数である。3-5.文化・社会
1999年にテレビとインターネットが解禁され てから10年余り。その間,ブータン社会は大き く変貌を遂げた。
まず,情報通信機器の保有,という点では,
一家に1台,テレビが置かれるようになり,携
帯電話は,多くの家庭で,一人1台持つのが当 たり前になってきた。この2つは,ブータンに おける生活必需品となりつつある。日本にお いては,かつて,「三種の神器(12)」,あるいは,
「新・三種の神器(13)」ともてはやされ,後に必 需品となった生活家電群が存在した。近年で は,薄型液晶テレビ・デジタルカメラ・
DVD
レコーダーが,同様に「デジタル三種の神器」と呼ばれ,加速度的に普及が進んでいる。ブー タンでは,液晶テレビ,自動車,パソコン,ス マートフォンといった商品の人気が高まってき ている。
BBS
のゼネラルマネージャー,タシ・ドルジ 氏は,「この10年の変化は非常に激しい」と前 置きをした上で,「伝統的には,食卓を囲んで 老人の話を聞くような団らんがあったが,現在 では,テレビの前に座ってチャンネルの奪い合 いをしている」と,家族関係の変化を指摘した。また,「生活習慣病には,テレビの影響もある。
外に出て遊ばなくなったために,太る子供が増 えている。暴力事件やアルコール依存症,薬物 依存なども問題になっている」と,その間接的 な影響を認めた(14)。
「テレビを見ることは,集中力を高めること,
社会的スキルを身につけること,創造的な遊び を生み出すこと,そのいずれにも寄与しない。
同様に,ゲームをプレイすることもまた,健康,
及び,社会的・知的・情緒的発育を妨げる」。
「暴力的なテレビを観ること,ゲームをプレイ することで,子供達が,暴力によって問題を解 決することをよしとする誤った思考に陥ってし まう可能性もある」。これらはいずれも,ブー タンの学生向け雑誌“
Student
’s Digest
”に掲載 された,若者達への警告である[Sonam
2011]。海外の番組に触れるようになったことで,目 に見えるところでは,まずファッションが変化 してきた。普段,会社や学校へ通う際には,民 族衣装の着用が義務づけられているが,帰宅 後や休日には,洋装で街に出歩く人の姿を多 く見かける。ただし,「下着が見えたり,胸を 強調したりするファッションはみっともない」
という声も聞かれるように,伝統を重んじる 人々との間に溝が生まれつつある[
Ministry of Information and Communication
2008]。一方,近年,インターネットを介したソー シャルネットワークサービス(
SNS
)が,ブー タンにおいても,コミュニケーションツールと して流行,あるいは,定着しつつある。2012 年12月現在,80,
220人のユーザーが「若者にとって,新しい人に出会うことがで き,新たな友人をつくることができる
SNS
は,魔法の国のように映っているのかもしれない」
と言われているように,特に外界に触れること が少ないブータンの若者達とって,海外に住む 人と手軽にコミュニケーションが取れる手軽な 手段であることが人気の源にもなっている。し かし,「若者は適切に
SNS
を利用しているのか,SNS
上でのエチケットを心得ているか,あるい は,SNS
の長所と短所を知っているか,といっ た疑問がつきまとっている」といった懸念もある。
という若者もいる。「インターネットの危険性 に気付いておらず,失敗を犯す可能性が高い。
素朴な人であれば,ネット上での犯罪やいじめ
の被害に遭う可能性もある」と指摘されている ように,まるで素手で大海に漕ぎ出してしまっ たような,大きなリスクを孕んでいる[
Sonam
2011]。また,そうしたリスクの問題だけではなく,
利用者のモラルの問題も指摘されはじめてい
る。
Kuensel
のIT
マネージャーであるウゲン・ワンディ氏は,「
朝晩は通信が混雑する。業務効率が下がるの で,業務中はアクセスを遮断している。始業前 1時間,昼休み,終業後1時間だけアクセスで きる」との措置が取られていることを明らかに した。一方で,社員からは,「自由の侵害だ」
という苦情も出ていると言い,既存の価値観,
新しい社会常識,そして,個人のコミュニケー ション嗜好性等が入り乱れて,労使の主張は平 行線を辿っている(16)。
こうした動きに対して,政府は規制を強化す る方向へと舵を切った。公務員の勤務時間中の
SNS
の利用が,著しく勤務効率を落としており,重要な情報通信機器の不正 利用に相当するとの理由から,それらへのアク セスを制限する旨が,2011年4月1日付けで,
内閣府より全省庁に通達された。これまで,情 報化を推進し続けてきたブータン政府が,それ を抑制する動きを見せはじめたことは,ブータ ンの情報化が新たな局面を迎えつつあることを 示している。
さらに,ブータンにおいても,いわゆる「デ ジタルネイティブ」と呼ばれる世代が登場しつ つあることが話題に上りはじめた。先進諸国と 比べて,ブータンで問題がより一層深刻なの は,親世代の教育水準が高くないことである。
学校へ通うことが出来なかった親達は,子供が
者へ積極的な資本投下,および,民営化を推進 し,政策的な情報化を図ることで,知識ベース の社会を実現しようとしている。また,情報化 政策による内政面における民主化促進,外交面 における安全保障への貢献が期待されている。
一方で,監督官庁として,情報通信を規制する 機能については,現時点では大きな障害は起き ていないものの,今後,さまざまな問題が噴出 してくるであろう,萌芽が随所に見られる。
続いて,「通信・メディア」分野,特にメディ アについては,その役割が,これまでメディア 研究の中で位置付けられてきたそれとは著しく 異なっている。一般に,マスメディアは,報道・
教育・娯楽の提供といった基本的要件の他に,
自由市場のメカニズムの中で,広告・宣伝の発 信源として大いに活用されるのが常である。し かし,ブータンにおいては,その市場規模の小 ささ故に,広告モデルのメディアは産業として 成り立たない。むしろ,新しい産業として
IT
産業を位置づけ,市場そのものを形成・拡大し ていくことが求められているが,現時点では,その産業としての成長も非常に緩やかなもので ある。
「市場・インフラ」分野についても,先進国 との違いが顕著に現れている。ブータンは,未 工業化社会であり,さらに,その厳しい自然環 境ゆえに,市場や交通インフラの基盤が極端に 弱い。また,ブータン政府も,持続的開発とい う理念を提唱し,身の丈に合った発展を模索し ている。こうした状況下において,経済的自立 を果たすための最低限の国内産業開発は必須で あり,慢性的な流通力不足を補う必要がある。
なお,先進国においては,情報化は,市場にお ける技術開発・革新から生まれることが多く,
一日何時間テレビやインターネットを利用する のが適切なのか,皆目見当がつかない。一部の 親達は,自ら
SNS
に参加して,子供達がどの ようなことを考えているのか理解しようとさえ しているという(17)。ブータンでは,この十余年で急速に情報化が 進んだために,「デジタルネイティブ」世代と の価値観の違いが浮き彫りになってきている。
1960年代以降,教育の近代化によって,徐々に 英語教育に移行していったため,地域差や個人 差はあるが,概ね,60代以上は近代教育を受け ていない層,40代以下は英語教育を受けている 層,40~60歳はその中間層,と大別することが できる。習得した言語の差異は,そのまま接す ることの出来るコンテンツに差異に繋がってい る。また,ブータンにおける情報リテラシー教 育は,たしかに盛んになってきているが,先進 諸国で指摘されていることの焼き直しでしかな く,ブータン独自の価値観や,年齢構成,近代 教育の実情を織り込んだ対策というものはなさ れていない。
4.結論と今後の展望 4-1.諸様相間のダイナミズム
ここまで見てきた通り,ブータンにおける情 報化の諸様相は,日本をはじめとする先進国に おけるそれとは,大きく異なる部分が散見され る。また,先進国の制度や仕組みを踏襲しよう とするあまり,歪みが生じてしまっている点も ある。そうした諸課題を抽出し,その相関図を 描き出すことで,諸様相間のダイナミズムを明 らかにし,それを以て本論文の結論とする。
まず,「政策・法律」分野は,ブータンの情 報化にとって核となる要素である。情報通信業
4-2.包括的アプローチの実践へ向けて ブータンのような,途上国の情報化に関する 議論は,これまで,開発論の中で,「いかにそ の国の情報化を進めるか,情報産業を通して経 済開発に結びつけるか」という志向性の論調が 主流であり,その内実を丹念に調査した事例研 究は数少ない。その意味で,ブータンの情報化 にかかわる諸様相に対して,包括的アプローチ を試みた本論文は,単なる「後発的情報化社会」
論ではない,新しい情報化社会論の可能性を展 望するものである。
前節のダイナミズム構造図から明らかになっ たのは,先進諸国における情報化が,それまで の工業化社会において主導的な地位を築いてき た市場をその牽引役として,大きく社会構造を 変えることなく,バランスを取りながら進んで きたこと,そして,対するブータンの情報化が,
政府による積極推進を受け,ややアンバランス な構造的な歪みを内包していること,である。
今後の課題としては,こうしたダイナミズムを 念頭に置きながら,包括的な議論から,より諸 様相の細部に踏み込んだ各論を展開していく必 要がある。
また,よりグローバルな視点から,ブータ 開発された商品がメディアによって広告・宣伝
され,市民がそれを消費する,そして,その支 払われた対価を活用して新たな技術開発を行 う,といった循環構造が確立している。
最後に,「文化・社会」分野については,市 民レベルでの情報接触性向に,その違いが如実 に現れている。先進国における市民とは,消費 者とほぼ同義であるのに対し,ブータン市民 は,政府から民主化のための情報を与えられ,
通信・メディアからは,消費情報としての娯楽 コンテンツやコミュニケーションをあてがわれ る。まだ,実消費への結びつきはまだそれほど 大きくないが,情報化によって文化が変容して いく中で,守るべき伝統文化とはなにか,が改 めて問い直されている。また,望ましい異文化 受容や情報リテラシー教育の在り方について も,今後,ブータン国内で大いに議論を呼び起 こすべきポイントであろう。
ここまで述べてきた諸様相毎の課題を集め,
それらのダイナミズムを,先進諸国のそれと,
ブータンのそれと,それぞれ図示すると,以下 のようになる。
図2:諸様相間のダイナミズム(先進諸国)
統治
図3:諸様相間のダイナミズム(ブータン)
⑶ BTLは,2007年11月 以 降,Ministry of Financeが 保有するDruk Holding Investments (DHI)の100%
子会社となっている。
⑷ 国境なき記者団が毎年発表する,厳しいネット 検閲等を行う国家リスト。チュニジアは,2010年 度まで毎年のようにリスト入りしていたが,2011 年1月の革命を受けて,2011年度リスト(2011年 3月発表)からは除外された。
⑸ ブータンの通貨単位。1ニュルタム(Nu.)は,
日本円で約1.5円(2012年12月現在)。
⑹ 出典:“PM calls for change in the way people spend”, Kuensel, 13 Apr 2012.
⑺ 出典:“Tuesday – Time to reduce your carbon footprint”, Kuensel, 1 Jun 2012.
⑻ 出典:“Bhutan Airlines allowed to clip domestic wings”, Kuensel, 2 Jun 2012.
⑼ 出典:“No more Drukair flights to Yonphula ... for now”, Kuensel, 24 Jun 2012.
⑽ 出典:“Private IT firm still weak: MoWHS Minister”, Bhutan Observer, 26 Oct 2012.
⑾ Thimphu Tech Parkの 母 体 は,DHI, お よ び,
Assetz(インド・シンガポール資本の投資会社)が,
74 : 26で出資したジョイントベンチャー。
⑿ 皇室に伝わる三種の神器になぞらえて,生活必 需品とされた電化製品群(白黒テレビ,電気洗濯 機,電気冷蔵庫)を指す言葉。1950年代後半から 普及が加速した。
⒀ 1964年,東京オリンピックの前後に,新しい生 活必需品として注目を集めた電化製品群(カラー テレビ,車,クーラー)を指す言葉。それぞれの 頭文字から,「3C」と呼ばれることもある。
⒁ 2011年3月1日にティンプー市内のBBSオフィ スにてインタビューを実施。
⒂ 出典:“Facebook Statistics by country”, Socialbakers,
<http://www.socialbakers.com/facebook-statistics/>
[accessed on 1 Dec 2012]
⒃ 2011年3月2日にティンプー市内のKuenselオ フィスにてインタビューを実施。
⒄ 出典:“How do you raise children in a digital age?”, Kuensel, 25 Aug 2011.
⒅ アフガニスタン,ウガンダ,エチオピア,ザン ビア,チャド,中央アフリカ,ニジェール,ネパー ル,ブータン,ブルキナファソ,ブルンジ,マラ ウイ,マリ,ラオス,ルワンダ,レソトの16ヵ国 ンの情報化を理解することも新たな課題であ
る。 例 え ば, 国 連 が 定 め た, 内 陸 開 発 途 上 国(
Landlocked Developing Countries: LLDCs
),後発開発途上国(
Least Developed Countries:
LDCs
)の両方に名を連ねる国は,ブータンを 含めて16ヵ国ある(18)。これらの国々では,情 報化に際して,ブータン同様,内陸国という社 会環境ゆえの何らかの影響が表れているものと 推察される。また,山岳地域における情報化の みならず,島嶼地域や砂漠地域における情報化 についても,その特殊な自然環境に由来する特 異性が発現することは想像に難くない。こうし た国々との比較研究を行い,その共通点・相違 点を探り出すことで,より汎用性の高い情報化 社会論へと昇華させていくことが肝要である。ブータンは,持続的な開発・発展を国是とし てきた国である。また,「閉鎖系」の影響が色 濃く反映されている社会でもある。そのような 社会環境の中で,情報化が,大きな社会変革を もたらすものではなく,持続的に,文化や生活 レベルを維持・強化していく役割を担っていく ためには,どのようなバランスの取り方が考え 得るか,今後,フィールド調査を通してその実 態を捉えていきたい。
〔投稿受理日2012. 12. 22 /掲載決定日2013. 1. 24〕
注
⑴ “Gross National Happiness”の略。国民総幸福度
(量),あるいは,国民総福祉とも訳される。ブー タン王国第4代国王が提唱した,伝統文化保護 及び自然環境保全を礎とした国家開発概念。経 済発展のみを目指す指標としての“GNP (Gross
National Product: 国民総生産)”に対する対立概念
としてしばしば用いられる。
⑵ 出典:「デジタル大辞泉」『kotobank』,<http://
kotobank.jp/dictionary/daijisen/>[2011年12月20日 閲覧]
3rd Edition-June 2012”(Royal Government of Bhutan) National Statistics Bureau (2012), “Statistical Yearbook of
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(五十音順)。出典:“List of Landlocked Developing Countries”, UN-OHRLLS, <http://www.un.org/
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