中 村 先 生 を 悼 む
中
原
イ
ネ
本 学 衛 生 学 教 授 中 村 正 太 郎 先 生 は 昭 和 三 十 八 年 四 月 十 三 日心 臓 衰 弱 で お な くな りに
な りま した 。
こ こ二,三 年 来 御 健 康 が す ぐれ られ ず 御 案 じ 申 し 上 げ て い る 間 に この 計 報 に 接 し御
元 気 御 回 復 を 願 って お りま した 我 々 一 同 は 深 い 悲 しみ'こうた れ て お りま す 。 こ こに 食
物 学 会 を 代 表 して 哀 悼 の 気 持 を 捧 げ ま す と共 に 先 生 の 御 冥 福 を 心 よ りお 析 り申 し上 げ
ま す 。
か え りみ ま す と先 生 は,大 正 九 年,九 州 帝 国 大 学 医 学 部 に 入 学 され,昭 和 二 年,同
大 学 を 卒 業,ひ きっ づ き母 校 の 助 手,講 師 を 歴 任 され ま した 。 医 学 研 讃 の 第 一 線 に 御
活 躍 中 の 先 生 は そ の 後 京 都 府 の 衛 生 関 係 の 行 政,特 に 一 般 社 会 の衛 生 思 想 の 普 及 向 上
に そ の 半 生 を 捧 げ られ,昭 和 二 十 二 年 に は 衛 生 部 長 を 最 後 に,昭 和 三 十 年 本 校 教 授 と
して 迎 え られ ま した 。
時 あた か も 本 学 食 物 科 は 栄 養 士 課 程 発 足 直 後 の 事 で,そ の教 科 内 容 の 充 実 と発 展 に
砿,故 土 屋 教 授 と共 に 全 力 を つ く して 熱 心 に 当 られ ま した 。 故 土 屋 教 授 と の 名 コ ン ビ
ぶ りは未 だ に 折 に ふ れ て 我 々 に は な つ か し く思 い お こ され て 参 りま す 。
しか し 昭 和 三 十 五 年 末 突 然 土 屋 教 授 が 御 他 界 され て か ら先 生 に:ま御 健 棄 の す ぐれ な
い の に 加 えて そ の お 力 落 し が め だ って 感 ぜ られ ま した が,学 生 の 指 導 に あ た られ る御
努 力 は 最 後 ま で か わ らず,我 々 は 今 更 の よ うに 先 生 の 御 人 格 を しの ば ず に は お れ ま せ
ん 。
食 物 学 教 室 は 多 年 の 労 が よ うや く労 い られ,来 春 に は 新 しい 家 政 館 の 建 築 も完 成 し
一 層 の 発 展 を 期 待 して い る 時 に ,先 生 を失 い ま した 事 は,我 々に と って も学 生 に とっ
て も,非 常 に 残 念 で な りま せ ん が,生 前 の 御 教 訓 や 御 意 見 を 胸 に,先 生 の 今 ま で お 尽
し下 さい ま した 御 努 力 に 報 い ま す 事 が 唯 一 の 霊 を お な ぐ さ め す る事 と0層 の 精 進 を 励
み た い と 考 えて お りま す 。