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金沢大学考古学紀要 , 飛馬文帯再考 飛馬文帯再考 大谷 育恵 ( 金沢大学大学院人間社会環境研究科 ) Ⅰ. はじめに 飛馬文帯とは有翼の馬すなわちペガサスの文様を 表現した 2 枚 1 組の帯飾板を中心に構成された帯の ことである この帯について筆者はかつて研究会の席

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飛馬文帯再考

大谷 育恵

(金沢大学大学院人間社会環境研究科)

Ⅰ . はじめに 飛馬文帯とは有翼の馬すなわちペガサスの文様を 表現した 2 枚 1 組の帯飾板を中心に構成された帯の ことである。この帯について筆者はかつて研究会の席 上で発表したことがある [ 大谷 2010]。その後、モン ゴルあるいはロシアにおける調査の際に情報収集を継 続した結果、さらに多くの資料を得ることとなったた め、本稿では図版を加えて資料を集成すると共にその 分布と年代について再考したい。 Ⅱ . 飛馬文帯の帯金具 はじめに飛馬文帯飾板、そしてこの帯飾板と共に 帯を構成する帯金具が出土した遺跡について概述す る。飛馬文帯飾板の出土が最初に報告されたのは中 国の遺跡においてである。まず 1959 年に調査された 扎ジ ャ ラ イ ノ ー ル賚諾爾遺跡で出土し、その後 1980 年から 81 年に かけて調査された老河深遺跡でも出土した。両遺跡の 概要と帯金具の出土状況は以下の通りである。 1. 中国での出土例 札賚諾爾遺跡 札シ ゙ ャ ラ イ ノ ー ル賚諾爾遺跡は内蒙古自治区呼ホ ロ ン ボ イ ル倫貝爾盟に位置す る。1959 年に治理木図那雅河 ( 圏河 ) の工事中に東 岸斜面上で墓地が発見された。報告に基づくと、調 査時の初歩的な統計で約 300 余基の墓葬が確認され たが、発掘調査が行なわれたのは 2 基の残墓のみで、 遺跡からは 126 点の遺物が収集された [ 内蒙古文物 工作隊 1961]。この時の遺物として飛馬文帯飾板 1 組 2 点が報告されているが、出土状況等詳細は不明 である ( 図 3-4)。 老河深遺跡中層 遺跡は吉林省楡樹市大坡鎮老河深村の南にある丘 上にあり、1980 年から 2 年間で 5790㎡が発掘調査 された。老河深遺跡には上中下 3 層の文化層があり、 中層で 129 基の墓が見つかった。このうち 56 号墓 と 105 号墓の 2 基の墓葬で飛馬文帯飾板をはじめと する帯金具が出土した。 この両墓の保存状態は良好であり、出土状況から 帯一式が復元できる。帯金具は、56 号墓では被葬者 右側の肩付近で矛などに圧された状態で出土し、105 号墓では被葬者左側の腰付近で剣に圧された状態で出 土した。56 号墓の帯は出土時に皮と織物の腐朽した 痕跡がみられたという。いずれも帯は装着した状態で はなく、被葬者の傍らに長軸方向に伸ばした状態で置 かれていたと思われる。56 号墓から出土した帯金具 は飛馬文帯飾板 1 組 2 点、巻曲文帯銙 2 枚、後視鹿 紋牌飾 5 点 ( 図 3-3, 図 5-1, 図 6-1)、そして 105 号墓 から出土した帯金具は飛馬文帯金具 2 点、飛馬文銙 2 点、後視鹿紋牌飾 3 点 ( 図 3-1,2) である。 ここで飛馬文帯飾板と組み合わさる 2 種類の帯金 具について説明すると、銙とは帯皮の下端に付ける帯 金具の一種であり、物を括り付けることができるよう にその下部に穴を持つ。後視鹿紋牌飾は縦長長方形の 牌飾で、これは帯皮の上につけて飾りとしたと思われ る。牌飾の上下にそれぞれ 1 ~ 2 個の装着のための 孔がある。 2. 中国国外の出土例およびコレクション資料 研究については後述するが、飛馬文帯飾板は上記 の 2 遺跡で出土した資料を対象として、中国におけ る帯の変遷を論じた研究の中で取り上げ論じられてい た。しかし 2002 年に志賀がロシア連邦トゥバ共和国 のアイムィルリク墓地 XXXI 墓群においても飛馬文帯 飾板が出土していることを指摘した [ 志賀 2002]。こ の指摘は資料の出土範囲のさらなる広がりを示唆する ものであり、本稿ではこの指摘を重視して現中国国外

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の出土資料とコレクション資料を集成した。 ウムヌゴビ採集 エルデネチョローン氏の収蔵資料で、ウムヌゴビ で発見されたという [ エルデネチョローン・エルデネ バータル 2011]。現在モンゴル国ナライハ近郊にある チンギスハーン像下の博物館で展示されている。飛馬 文帯飾板 1 組 2 点、楕円形の巻曲文帯銙 2 点、後視 鹿紋牌飾 5 点からなり、帯一式の帯金具が復元でき る好資料である(1)( 図 3-9)。 アイムィリク墓地 XXXI 墓群 アイムィルリク墓地 (Аймырлыг) はロシア連邦の トゥバ共和国ウルグ - ヘム地区に属し、エニセイ川の 支流であるチャー - ホリ川 (р.Чаа-Холь) の左岸に位置 している。アイムィルリク墓地には異なる時代の墓 群が複数存在している。帯金具が出土した XXXI 墓 群は 1977、1979 ~ 1983 年の各年に調査されてい る [Murphy2003]。同墓群の詳細な報告は出されてい ないので詳細は不明であるが、飛馬文帯飾板が 1 点、 後視鹿紋牌飾 3 点が出土している ( 図 3-5、図 6-4)[ モ シコヴァ編 1992]。そして XXXI 墓群に関しては、ど のようなタイプの墓があるのかと、飛馬文帯飾板が 1981 年の調査時に出土したということを断片的に知 ることができる [ スタンブリニク 1983а,б]。 シベリア出土 デヴレトの帯金具の論文に帯穴を持つ左側の飛馬 文帯飾板 1 点が掲載されている [ デヴ レト 1980]。帯飾板の末端側に装着 のための 3 個の孔がある。この帯金 具はエルミタージュ美術館に展出さ れていたことがあり、その際の展示 キャプションによると、ミヌシンス ク盆地のテシンスカヤ文化 (Тесинская культура) の遺物ということになって いた ( 図 3-6)。 ハーバード大学ダンバートンオークス 研究資料館所蔵資料 1946 年刊の館蔵コレクションカタ ログに左側帯飾板 1 点の写真が掲載 されている。解説によると、2 点 1 組 の資料が所蔵されており、陝西省北部 の楡林府で発見されたとある ( 図 3-8) [The.Dumbarton.Oaks.1946]。 メトロポリタン美術館館蔵資料 1924 年にフレッチャー財団から購入した資料 で、飛馬文の帯飾板 1 組 2 点である ( 図 3-7)[Bunker. 2002]。 サルビク 7 号墓 サルビク墓地 (Салбык) はサルビク大クルガン近く に位置する。キセリョフ (С.В. Киселев) とエフテュ ホヴァ (Л.А. Евтюхова) によって、1956 年に重機の 助けを借りて発掘された。巻葉文帯銙 1 点が 7 号墓 で出土している ( 図 5-2)。7 号墓は全長 230cm、幅 160 ~ 170cm、 深 さ 160cm、 西 南 西 ‐ 東 北 東 方 位の木槨墓である。木槨壁は 3 本の丸太を積み重 ね、ほぞ接ぎをしている。天井は横方向に渡した直径 12cm から 18cm の丸太 10 本と白樺樹皮、底は白樺 で作られている。南壁と北壁に沿って 2 体の未成年 者の人骨があった。このうちの北側人骨の脚では、樹 皮製容器の底と大きな針目で縫合した白樺製の胴皮か あるいは箱が出土し、これは弓筒と思われる。その 3 面には角、弧、曲線からなる図が描かれていた。環の ある鉄の轡破片とタフタ織系の絹織物断片も伴う。頭 部付近でフェルトの塊とレリーフのある青銅製の留金 が出土した [ ヴァデツカヤ 1999]。このレリーフのあ る留金というのが巻曲文帯銙である。 図 1 帯金具分布図  ●飛馬文帯飾板  馬文帯飾板 ■.銙 .▲後視鹿紋牌飾 1. サルビク 7 号墓 2. アイムィルリク墓地 XXXI 墓群 3. ヨンホル  4. キヤ -13 5. 扎賚諾爾 6. 老河深 7. ウムヌ・ゴビ 8. 楡林府 1 2 3 4 5 6 7 8 大    興    安    嶺 ハ ン ガ 山 脈 ア   ル   タ   イ   山   脈 サ ヤ ン 山 脈 天 山 山  脈  崑  崙    山  脈 タリム盆地 トルファン 盆地 チ ベ ッ ト高 原 ヤプ ロ ノ イ 山 脈 スタ ノ ボイ 山 脈 包頭 ウランバートル クラスノヤルスク 北京 平壌 長春 ウランウデ オムスク ウルムチ ハミ ノヴォシビルスク 瀋陽 ヴラジヴォストク ハバロフスク 哈爾濱 斉斉哈爾 海拉爾 40° 50° 蘭州 西安 楡林

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キヤ -13 キヤ -13(Кия-13) はシルカ川の支流であるキヤ川の 東に位置する。後視鹿文牌飾 2 点が出土している ( 図 6-3)。コヴィチェフ [2006] によると匈奴期の遺跡と いうことである。 以上、博物館収蔵コレクション資料も含めて 8 点 の飛馬文帯飾板の存在が明らかになった。8 点の飛馬 文帯飾板は文様が細部までよく似ている。飛翔する有 翼馬は四脚を前方へ投げ出しており、鼻先が上へ巻き あがる点、手前側前後脚の蹄上部分に後方に向かって 巻きあがる突起状の線がのびる点、尾が叉状に 3 つ に分かれるという特徴がある。そして空白部分にも何 らかの凹凸表現がある。目立つのは、翼後方、そし て首と前脚の間にある雲気のような線状の突出であ る。帯飾板の外形は馬蹄形と長方形の 2 種類があるが、 どちらの場合も有翼馬の文様は細部まで酷似している こと、老河深では同一墓地で馬蹄形と長方形の両方が 出土していることから、外形は飛馬文帯飾板としての 1 つのバリエーションであり大きな違いではないと考 える。 飛馬文帯飾板と関連する帯金具の分布をみると、 西はサヤン山脈、東は松花江流域に達し、およそ北緯 50°より北の高緯度地域に広がっていることが明らか になった(図 1)。飛馬文の帯については、出土状況 が良好であった老河深中層の一括資料に基づいて、飛 馬文帯飾板と組み合わさる帯金具に銙と後視鹿紋牌飾 の 2 つがあることが知られていたが、中国国外の遺 跡アイムィルリク墓地 XXXI 墓群、ウムヌゴビでもこ の 2 つの帯金具が帯飾板と同一遺跡で出土しており、 帯一式を構成する帯金具は定まっていたと考えられ る。 3. 飛馬文帯に関する先行研究と考察 それでは次に飛馬文帯について先行研究をふまえ つつ考察を行いたい。資料の出土が知られていた中 国の 2 遺跡で出土した飛馬文帯飾板を扱った論考は、 その論点から大きく 2 つに分けることができる。 まず 1 つは中国出土の金属製帯金具の一例として、 帯金具研究の中で論じるものである。帯の構造と変遷 を時代ごとにとらえた代表的な論考としては、町田 [1985,2006]、孫機 [1986]、志賀 [2002] がある。町 田が述べているように、中国の帯金具の変遷を考え ると、漢から西晋にかけての時期の帯は長方形無鉤 式鉸具 ( 西漢式 )、馬蹄形打出鉸具 ( 東漢式 )、U 字形 透彫鉸具 ( 晋式 ) に大別することができ、孫機や志賀 も名称を異にするものの分類自体は変わらない [ 町田 2006]。しかし、飛馬文帯の位置づけと理解には町田 と孫機で違いがある。まず、孫機が提出した帯飾板の 構造に着目した飛馬文帯の復元案と帯に対する理解に ついて考え、次に町田の意見を検討したい。 飛馬文帯飾板は、2 枚のうち左側帯飾板の先に帯 通しのための穴があけられている。この帯通しの穴と 帯飾板前端との間には、帯を固定するための鈎牙があ る。孫機はこのように帯飾板先端に外向きの鈎牙のあ る帯金具を文献資料に記された「鐍」に比定した。そ して、帯紐を帯通しの穴に通した後に折り返し、鈎牙 にひっかけて固定した後正面で結ぶ装着復元案を提示 した ( 図 2)。孫機は中国北方地域で春秋晩期~戦国初 期の頃に現れる鐍という特徴ある結束方法をとる鉸具 の延長線上に飛馬文帯飾板を捉えていることになり、 上記の 3 分類とは別に続く一群の中に位置づけてい る。また、孫機の考えでは北方民族の帯から帰納でき る共通の特徴として、①鐍を用いて締める、②大多数 の帯で帯皮上を装飾牌で飾る、③少数の帯で帯皮下を 銙で飾るという 3 点をあげている。飛馬文帯はこの 3 点の特徴を合わせ持っているといえる。 次に町田 [2006] の飛馬文帯に対する見方を検討す ると、飛馬文帯飾板は北方民族である鮮卑が金銀の漢 製品を模倣して制作したものとする。金銀の漢製品 とは粒金細工や象嵌が施された馬蹄形打出鉸具 ( 東漢 式 ) の事で、帯の変遷や漢が強く意識されている。町 田も鐍について言及しており、銙を持つ飛馬文帯を北 方系の帯とする点では孫機と相違ない。ただ、漢王朝 や馬蹄形への帯の変遷を意識しているために、馬蹄形 図 2 飛馬文帯の装着方法復元図

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打出鉸具とは製作技法や構造の面で違いのある飛馬文 帯飾板について、北方民族が自らの伝統に拘泥しつつ 漢製品をアレンジして制作したものだという複雑な理 解をしなければならなくなっているのである。筆者は 飛馬文帯飾板に対するこの見方を支持しない。 それではもう 1 つの飛馬文帯を扱った論考の論点 は何かというと、鮮卑あるいは族属に関連する議論 である。札賚諾爾、老河深という疆外の 2 遺跡で共 通の帯飾板が発見されたことから、2 遺跡にこの年代 の北方の遺跡を加えた遺跡間で出土遺物の比較や類型 化が試みられた [ 吉林省文物考古研究所 1987p.112]。 しかし、札賚諾爾と老河深遺跡中層では土器組成が異 なっており、その他遺物でも共通点を見出す方が難し い。報告書では札賚諾爾と同じく鮮卑に比定された老 河深遺跡中層も、現在では遺跡の地理的な位置を考慮 して扶余の遺跡と考えられるようになっている。 帯金具上に表現された文様のモチーフについても 鮮卑に関連する指摘があるので一応検討してみたい。 飛馬文帯飾板のモチーフについては、『魏書』序記中 の拓跋部が匈奴故地へと南遷する際遭遇した困難な状 況の下で現れ彼らを先導したという神獣、「その形馬 に似て、その声は牛に類する」動物にあてる考えがあ る [ 吉林省文物考古研究所 1987p.118]。しかし拓跋 部神話と帯のモチーフを結びつける積極的な理由はな い。他方で、有翼の馬は漢墓の壁画、あるいは馬車の 傘を支える柄を装飾した青銅製筒金具の金銀象嵌の中 などに認めることができるが、こちらについても両者 の関係性を認める必要性はないと思う。 後視鹿文牌飾については、同じとはいえないもの の、後ろを振り向く鹿というモチーフは北方で例が 表 1 遺跡と出土帯金具相関表 馬文銙 馬文帯飾板 遺跡名 飛馬文帯飾板 飛馬文銙 巻曲文銙 後視鹿文牌飾 老河深中層 56 号墓 左右 2 □ 2 5 老河深中層 105 号墓 左右 2 楕 2 3 右 1 楕 札賚諾爾遺跡 左右 2 楕 ウムヌゴビ採集 左右 2 楕 楕 2 5 左 1 □ アイムィルリク墓地 XXXI 墓群 左 1 □ 1 3 ダンバートンオークス研究資料館蔵 左右 2 楕 メトロポリタン博物館蔵 左右 2 楕 シベリア 右 1 楕 1 左右 2 楕 ヨンホル遺跡 楕 2 4 サルビク 7 号墓 1 キヤ -13 2 ある。報告では山羊となっているが、ツァラム 7 号 匈奴墓 (Царам) のフラスコ状金製品の上に表された鹿 [Miniaev,.Sakharovskaia.2007.p.54]、透かし彫りで あるが三鹿文牌飾の鹿 [ 大谷 2011.p.16] である。角 のある牡鹿、山羊やヤクなど異なる動物をモチーフと し、振り向いた顔の顔面まで表現されているものまで 可とすれば、ノヨン・オール匈奴墓 (Ноён уул) など で出土している杏葉上の動物とも共通点がないわけで はない。   Ⅲ . 馬文帯の帯金具 飛馬文帯金具と同じく鋳造による高く浮き出た動 物文を持つ帯飾板がある。この帯飾板は疾駆する馬を 表現しており、馬文帯飾板と呼ぶことにする。馬文 帯飾板は飛馬文帯飾板と同じく扎賚諾爾墓地 1959 年 の調査で右側 1 点の帯飾板が出土している(図 4-3)。 しかし、馬文帯飾板は類例の出土が中国境内でなかっ たためか、飛馬文帯飾板とは対照的に注目されてこな かった。 この帯飾板についても南シベリアに目を向けると、 さらに 2 遺跡での出土が知られた。その 1 つはアイ ムィルリク墓地 XXXI 墓群で、外形が長方形の左側帯 飾板 1 点が出土している。背面には横方向の橋梁鈕 2 つがある ( 図 4-2)。そして、もう 1 ヶ所の遺跡がブ リヤート共和国のヨンホル (Ёнхор)(2)である。 ヨンホル 遺跡はセレンガ川の支流ドゥジダ川の右岸、ヨン ホル村の南東に位置している。墓地は岩石の多い高台 にあり、匈奴墓と中世墓が混在している。匈奴墓は 9 基が発掘調査されている [ コノヴァロフ 2011]。帯金

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具はイメノホエフの調査時に出土とのことなので [ ブ リヤート科学センター博物館 2002]、1984 ~ 1986 年に実施された発掘調査で出土した遺物であるらし い。 ヨンホルで出土した帯金具は、馬文帯飾板 1 組 2 点、 馬文銙 1 点、巻曲文銙 2 点、後視鹿紋牌飾 4 点であ る ( 図 4-1, 図 5-3, 図 6-2)。このヨンホルの出土例に よって、馬文帯飾板も飛馬文帯と同じく巻曲文帯銙と 後視鹿文牌飾という同じ種類の帯金具を伴って帯を構 成したことが明らかになった。また巻曲文帯銙につい ても、ヨンホルで外形が楕円形の銙が出土し、ウムヌ ゴビの例と合わせて長方形と楕円形の 2 種類がある ことが判明した。 馬文帯飾板と飛馬文帯飾板、そしてこれら帯飾板 と組み合わさり帯を構成する帯金具の出土点数を遺跡 ごとにまとめたのが表 1 である。表からは、飛馬文 帯と馬文帯の間に強い関係性があることが見てとれ る。両帯の帯金具一式の構成を考えると、1 組 2 点の 帯飾板、2 ~ 3 点の銙、最大 5 個の後視鹿文牌飾か ら構成されていたのではないかと推定できる。また、 多くの遺跡で帯を構成する複数種類の帯金具が出土し ていることから、帯一式の状態での伝播、そして飛馬 文帯あるいは馬文帯とはどのような帯かという構成に ついての認識もこの範囲で共有されていたと考える。 Ⅳ . おわりに-年代と分布について 飛馬文帯と馬文帯が出土した各遺跡の年代につい て考えてみたい。各遺跡では年代を推定できる資料と して漢鏡がある。札賚諾爾 1959 年の発掘では外区に 二重の鋸歯文帯を持つ方格規矩鏡、老河深遺跡中層で は飛馬文帯が出土した 56 号墓で七乳獣帯鏡、その他 の墓から S 状文を四乳の間に配した円圏分離式の匕縁 渦状虺文鏡、四乳八禽鏡、唐草文帯の外区を持つ方格 規矩鏡という 4 点の鏡が出土している。ヨンホルで は方格規矩四神鏡、四乳八禽鏡という 2 点の鏡、ア イムィルリク墓地 XXXI 墓群では二重鋸歯縁を外区に 持つ規矩鏡片が出土している。 加えて一連の帯金具が出土した遺跡の年代につい てもみてゆくと、扎賚諾爾 1959 年の発掘は後漢~魏 晋期、老河深中層遺跡が前漢末~後漢中晩期、アイムィ ルリク墓地 XXXI 墓群はフン - サルマタイ期 (B.C.2 世 紀~ 4 世紀 ) で、匈奴あるいは匈奴と親縁関係のある 民族と関連が指摘されている。サルビク 7 号墓はタ シュティク文化の木槨墓で A.D.1 ~ 4 世紀である。シ ベリア出土の飛馬文帯飾板は、エルミタージュのキャ プションに記載されていたテシンスカヤ文化の年代を 与えると B.C.3 世紀末~ A.D.3 世紀初である。ヨンホ ルは匈奴期、キヤ -13 はザバイカル地方の匈奴の遺跡 に分類されている。以上を総合的に考えると、前漢末 ~後漢に並行する時期とするのが妥当と考える。 本稿は飛馬文帯ならびに馬文帯の帯金具の集成を 行った。集成の結果、関連する帯金具はおおよそ北緯 50°以北の遺跡で出土しており、東西に広がる帯状の 分布を持つことが明らかになった。東西広範囲に遺跡 が点在するため、帯金具が出土した各遺跡の土器組成 や型式は異なっており、考古学的な観点では異なる文 化に属している。重要なのは、前漢末~後漢並行期の 北方の文化的には異なる遺跡間で共通する帯が出土し ている点である。飛馬文ならびに馬文帯はその製作地 は不明であるが北方において製作された帯である。非 漢式の北方系の文物によって、前漢末~後漢並行期の この地域の間に何らかの紐帯を示唆している点で飛馬 文帯ならびに馬文帯の帯金具は重要な意味を持ってい る。 謝辞  本稿のの作成にあたっては、日露青年交流センターの 2011 年度日露青年交流事業若手研究者等フェローシップを 受け資料調査や文献収集を行うことができました。モンゴル 国の資料については 2010 年度金沢大学文化資源学フィール ドマネジャー養成プログラムにおいて収集した資料を使用し ています。資料収集ならびに調査にあたっては、以下の方に お世話になりました。記して感謝いたします。 N..V..イメノホエフ (Н. В. Именохоев)、B..B..ダシバロフ (Б.Б. Дашибалов.)( ロシア科学アカデミーシベリア支部モンゴ ル・仏教・チベット学研究所 )、D.. エルデネバータル (Д. Эрдэнэбаатар)( ウランバートル大学 )、高濱秀 ( 金沢大学 )[ 敬 称略 ] 註 1) ウムヌゴビ出土の帯は、図 4-9 のように上記 9 点の牌飾 以外に 7 点の円形釦も加えて一式の帯とされている。背

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面を確認できていないが、このような狭いつばを持つ円 形ボタンが帯金具となった出土例はなく、通常帯関係の 金具とはされない。ウムヌゴビ出土の資料は正式な発掘 を経た資料ではないため、円形釦については除いて考え るべきと考えている。 2) 大谷 [2010] では遺跡名をエンホルと記載しているが筆者 の読み間違えであり、ヨンホルに訂正する。 参考文献 <日本語> 町田章 1985「匈奴式帯金具の変転」『末永雅雄先生米寿記 念献呈論文集』坤 ( 再収 : 町田章 1987『古代東アジア の装飾墓』同朋舎出版 ). 志賀和子 2002「漢代北方地域における帯金具の変遷-その 意味と中国との相互関係-」『中国考古学』第 2 号.日本 中国考古学会 . 東京国立博物館 2005『東京国立博物館蔵.中国北方系青銅器』 竹林舎 . 町田章 2006「鮮卑の帯金具」『東アジア考古学論叢-日中 共同研究論文集-』日本奈良文化財研究所・中国遼寧 省文物考古研究所編 . 大谷育恵 2010「飛馬文考」『第 11 回北アジア調査研究報告 会』北アジア調査研究報告会 . 大谷育恵 2011「三燕金属製装身具の研究」『金沢大学考古 学紀要』32.金沢大学人文学類考古学研究室 . <中国語> 内蒙古文物工作隊「内蒙古札賚諾爾古墓群発掘簡報」『考古』 1961-12. 吉林省文物考古研究所編 1987『楡樹老河深』文物出版社 . 孫機 1986「中国古代的帯具」『文物與考古論集』( 再収 : 孫 機 2001『中国古輿服論叢.増訂本』文物出版社 ). 陳万雄主編 1996『中国地域文化大系 草原文化-遊牧民族 的広闊舞台』商務印書館 . <英文>

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1 札賚諾爾 1959 年 内蒙古呼倫貝爾盟満州里市札賚諾爾鉱区 『草原文化』130、『文物』1961-9.p.17 6.5×10.4×0.2

2 老河深 M56(M56:3) 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.65 図 58-1,『中国青銅器全集 15北方民族』124 7.1×11.4×0.15

老河深 M56(M56:37) 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.65 図 58-2,『中国青銅器全集 15北方民族』124 7.2×11.5×0.15

3 老河深 M105(M105:16-1) 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.65 図 59-1 前×11.2×0.27.3 後 4.8

老河深 M105(M105:16-2) 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.65 図 59-2 前6.3後4.8×10×0.15

4 ハーバード大学ダンバートンオークス研究資料館蔵 Yü-lin -fu, in northern Shansi province Handbook of the collection 1946,PL55 7.5×11.5

5 P..エルデネチョロー所蔵 ウムヌゴビ( 南ゴビ ) Тэнгэрийн илд,PL381

-6 アイムィルリク XXXI 墓群 ロシア連邦トゥバ共和国 Степная полоса Азиатской части СССР в cкифо-cарматское время カラー図版 -7 シベリア出土 シベリア Сибирские поясные ажурные пластины:II в.до н.э.-I в.н.э.,с.13,рис5-3 -8 メトロポリタン美術館蔵 - N o m a d i c a r t o f t h e E a s t e r n E u r a s i a n steppes,PL85、“Animal style” art from East to

West, p.139,No.131 7×11.1 飛馬文帯銙 No. 遺跡 所在地 図版掲載文献 サイズ ( 縦×横 ) 1 老河深 M105:21-1 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.67 図 60-1, 図版 35-9 5.4× 上幅 4.1, 最大幅6.9×0.25 老河深 M105:21-2 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』図版 35-10 -巻曲文帯銙 No. 遺跡 所在地 図版掲載文献 サイズ ( 縦×横×厚 ) 1 老河深 M56:13 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.67, 図 60-4, 図版 35-2 4.5×6.6×0.2 2 老河深 M56:20 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.67, 図版 35-3 4.5×6.6×0.2 3 アイムィルリク XXXI 墓群 ロシア連邦トゥバ共和国 Степная полоса Азиатской части СССР в cкифо-cарматское время,таб81-58 -4 サルビク 7 号墓 ロシア連邦ハカス共和国 Степная полоса Азиатской части СССР в cкифо-cарматское время,таб97-36 -5 P..エルデネチョロー所蔵 ウムヌゴビ( 南ゴビ ) Тэнгэрийн илд,PL.381 -後視鹿文牌飾 No. 資料 所在地 図版掲載文献 サイズ ( 縦×横×厚 ) 1 老河深 M56:12 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.64, 図版 35-7 2.9×2×0.15 老河深 M56:21 吉林省楡樹市大坡鎮老河深村 『楡樹老河深』p.64, 図版 35-8 -2 P..エルデネチョロー所蔵 ウムヌゴビ( 南ゴビ ) Тэнгэрийн илд,PL381 -3 ヨンホル ロシア連邦ブリヤート共和国ドジディンスク地区 展示のみ -4 アイムィルリク XXXI 墓群 ロシア連邦トゥバ共和国 Степная полоса Азиатской части СССР в cкифо-cарматское время,таб78-4,таб81-61,62 -5 キヤ -13 ロシア連邦ザバイカル地方 Известия лаборатории древних технологий 4, с248, рис3-18,19 -6 Arther.M..Sackler.Ccollections.(V-7198) - Ancient bronzes of the Eastern Eurasian steppes p.281、Monumenta Serica vol.24 4.1×1.9 7 Arther.M..Sackler.Ccollections.(V-7110) - Ancient bronzes of the Eastern Eurasian steppes p.282 4.7×2.6

8 東京国立博物館 TJ-5614 - 『中国北方草原古代青銅器』PL167 2.6×5.2

9 C..T..Loo.collection - S i n o - S i b e r i a n a r t i n t h e c o l l e c t i o n o f C.T.Loo,PL9-7 高4.2 馬文帯飾板

No. 資料 所在地 図版掲載文献 サイズ ( 縦×横×厚 )

1 札賚諾爾 1959 年 内蒙古呼倫貝爾盟満州里市札賚諾爾鉱区 『文物』1961-9.p.17、『内蒙古資料選集』 5×8.5×0.1

2 ヨンホル ロシア連邦ブリヤート共和国ドジディンスク地区 Кочевые культуры Центральной Азии、Ulan-Ude history and modern day 6.2×8 / 6×8

3 アイムィルリク XXXI 墓群 ロシア連邦トゥバ共和国 Древние культуры Евразийских степей по материалам археологических работ на новостройках,с38,рис2、Степная полоса Азиатской части СССР в cкифо-cарматское время, таб78-11, カラー図版 -馬文帯銙 No. 遺跡 所在地 図版掲載文献 サイズ ( 縦×横 ) 1 ヨンホル ロシア連邦ブリヤート共和国ドジКочевые культуры Центральной Азии、Ulan- 4.1×5.5

(8)

図 3 飛馬文帯飾板と銙 1. 老河深 M105:16-1( 右 ),16-2( 左 ) 3. 老河深 M56:3( 右 ),37( 左 ) 2. 老河深 M105:21-1 4. 扎賚諾爾 1959 年 5. アイムィルリク墓地 XXXI 墓群 6. シベリア出土 7. メトロポリタン美術館蔵 8. ダンバートン・オークス蔵 9. ウムヌ・ゴビ採集 図 3 飛馬文帯飾板と

(9)

1. ヨンホル 2. アイムィルリク墓地 XXXI 墓群 3. 扎賚諾爾 1959 年 1. 老河深 M56-13 2. サルビク 7 号墓 3. ヨンホル 図 4 馬文帯飾板と銙 図 5 巻曲文銙 1. 老河深 M56:21,12 2. ヨンホル 3. キヤ -13 4. アイムィルリク墓地 XXXI 墓群

5. C.T.Loo collection 6. 東京国立博物館 TJ-5614 7. Sackler collection(v-7110) 8. Sackler collection(v-7198)

図 6 後視鹿紋牌飾図 6 後視鹿紋牌飾 図 5 巻曲文

図 4 馬文帯飾板と

7..A..M..Sackler.collections

図 3 飛馬文帯飾板と銙1. 老河深 M105:16-1( 右 ),16-2( 左 )3. 老河深 M56:3( 右 ),37( 左 ) 2. 老河深 M105:21-14
図 6 後視鹿紋牌飾 図 6 後視鹿紋牌飾図 5 巻曲文銙

参照

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