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足達太郎・小塩海平・藤原辰史著『農学と戦争――知られざる満洲報国農場――』(紹介)

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Academic year: 2021

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(1)

足達太郎・小塩海平・藤原辰史著『農学と戦争――

知られざる満洲報国農場――』(紹介)

著者

野本 京子

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジア経済

61

2

ページ

96-96

発行年

2020-06

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00051787

(2)

足達太郎・小塩海平・藤原辰史著

『農学と戦争

―知られざる満洲

報国農場―

岩波書店 2019 年 ⅸ+ 256 ページ 野 本 京 子 満洲報国農場とは 1942 年に始まり,翌年の「在満 洲報国農場設置要綱」以降,つぎつぎと設立された 農林省管轄の農場である。東京農業大学(以下,東 京農大)が,ソ連(現ロシア連邦)との国境に近い 満洲国東安湖北に満洲報国農場を開設したのは 1943 年のことであり,大学が主体となって設置した 唯一の農場であった。1944 年 8 月,東京農大専門部 農業拓殖科 7 期生による第 1 回拓殖訓練実習が開始 され,彼らは 11 月に帰国する。翌 1945 年入学の 8 期生は入学直後の 4 月から 6 月にかけて,満洲報国 農場へと出発する。その直後の歴史を知っている読 者は,この 8 期生たちがどのような苦難の道をたど ることになるか思いを馳せることになる。 現実に,このとき満洲に渡航した 8 期生 87 名中, ソ連軍侵攻とその後の混乱のなかで 53 名が死亡ま たは行方不明となり,実習の運営にかかわった上級 生 3 名と教職員 2 名が犠牲となったという(67 ペー ジ)。では,なぜこの時期に学生たちは満洲に送られ, 過酷な運命をたどることになったのか。本書の主題 はここにある。著者 3 人のうち 2 人は現役の東京農 大教員であり,在職する大学の負の歴史を直視し, 多くの学生が犠牲になった事件がなぜ起こったのか を検証するとともに,その後,現在に至るまで大学 がどのようにこの事件に向き合ったのか(向き合わ なかったのか)を鋭く問うている。 もうひとりの著者である藤原辰史(農業史)は, 満洲農業移民政策を推進した橋本傳左衛門(京都帝 国大学農学部教授)の農学者としての責任に迫る。 橋本は「満洲報国農場の立役者である杉野忠夫の師」 にあたり,また自らも満洲農業移民政策に深くかか わっていた人物である。章タイトルとサブタイトル からは,告発の書ともいえる本書において,著者た ちがどのような問題意識をもち,何を明らかにしよ うとしたかが伝わってくる。なお,巻末に満洲報国 農場関連書類と,生還者の黒川泰三氏の手記「東京 農大満洲湖北農場の追憶」を収録している。 本書は,農業拓殖科 8 期生の過酷な実体験をまと めた『凍土の果てに―東京農業大学満州農場殉難 者の記録―』[黒川 1984]や,拓殖科の卒業生やそ の遺族へのインタビューに基づいて,当時の実相に 肉迫する。応用昆虫学(足達),植物生理学(小塩) という「専門外」の分野を専攻する 2 人の著者は, その鮮明な問題意識に基づいて鋭く主題に迫り,当 時直接かかわった大学関係者だけではなく,その後 の大学当局の説明責任や戦後補償の問題まで射程に 入れて論じている。 さらに補章において,その実態が明らかにされて こなかった満洲報国農場について,「空白」をたどろ うと試みたことも特筆に値する。満洲報国農場は戦 争が激化した時期に食糧増産のため設立され,終戦 時,東京農大湖北農場を含め 70 近くの農場があっ た(『満洲開拓史』[満洲開拓史復刊委員会 1980,903] によれば 74 農場)。各府県から青年男女の勤労奉仕 隊が数カ月交替で派遣され,営農したのである。本 書によれば,終戦時には約 4600 人の隊員が派遣さ れており,ほとんどが年若い少年少女たちであった という(149 ページ)。補章では,自費出版された記 録やインタビューに基づいて,多くの報国農場につ いて紹介している。各農場に派遣された男女別人数 や終戦時の在場者数,そして生還者数をみると,東 京農大だけにとどまらない満洲報国農場の直面した 過酷な状況が浮かびあがってくる。女性の比率がか なり高いことにも注目したい。 以上,多くの問題を剔出し追求する本書の刊行に あたっては,著者らが現に接している学生たちの存 在が大きかったのではないか。著者たちの問題提起 はけっして過去にのみ向けられているのではない。 文献リスト 黒川泰三編著 1984.『凍土の果てに―東京農業大学満 州農場殉難者の記録―』記録刊行委員会. 満洲開拓史復刊委員会編 1980.『満洲開拓史』全国拓友 協議会. (東京外国語大学名誉教授) 『アジア経済』LⅪ-2(2020.6) ⓒ IDE-JETRO 2020 https://doi.org/10.24765/ajiakeizai.61.2_96 紹 介

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