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沖縄のハンセン病問題(2)―排除の論理―: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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Title

沖縄のハンセン病問題(2)―排除の論理―

Author(s)

下村, 英視

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(16): 41-49

Issue Date

2014-03-05

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11902

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〈研究ノート〉

沖縄のハンセン病問題(2)

――排除の論理――

下村 英視

前稿目次 1.人の居場所 2.排除の論理  1)「放浪」に至る理由  2)罪を消す儀式 3.隔離の実際  1)人々の間で行われた隔離  2)隔離の成果 本稿目次 4.排除の実際  1)身を寄せ合って生きる人たち、これを排除する人たち  2)排除の理由  3)不寛容のこころ 5.価値の秩序  1)行動の合理化  2)憎しみと排除の対象  3)価値にとらわれる人間 4.排除の実際 1)身を寄せ合って生きる人たち、これを排除する人たち  ハンセン病者の中には、家を出て墓や洞窟で暮らさざるを得ない人たちがいた。そのような 人たちは、身を寄せ合い、互いを支え合う仕方で生きようとする。その動きが重なれば、集落 になることもある。場合によっては、さらに規模が大きくなることもあったであろう。  すると、それを許さない動きがまた、人々の間から出てくる。熊本県の「本妙寺事件」は、 その一例である。熊本市郊外の本妙寺周辺に形づくられた集落は、沖縄のそれと比べると規模 が大きくなるが1)、この集落を、1940 年 7 月 9 日未明、熊本県の警察が襲い、118 名の患者を 九州療養所(現菊地恵楓園)内の留置場に監禁し、後日、全国の療養所に隔離収容した。そして、 彼らが暮らしていた住居は、すべて破壊された。これによって、熊本の世論は本妙寺が「浄化」 されたとし、人々は、これを歓迎した2)  「本妙寺事件」は、「無癩県運動」3)が全国に広まる中で起きたことだが、沖縄では、この数年

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沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 前に、患者の人たちを排除する動きが既に起こっている。この動きの典型的な例として記録さ れている屋や部の「焼き討ち事件」は、1935 年の 6 月のことだ。しかも、ぶ 「本妙寺事件」は、行 政による集落の壊滅と患者の強制収容であったが、屋部の事件では住民が主役であった。行政 が主体となってなされた「本妙寺事件」に先立って、沖縄では、患者の排除が住民たちの手によっ て組織的に行われたことになる。  前稿の冒頭で紹介した古垣さんは、青木恵哉に誘いざなわれて屋部に移った4)。実際、青木は、20 人 とか 30 人とかいうようにハンセン病者を集い、集団生活の場をつくろうとした。少しでも人間 らしい生活をさせてあげたいし、自分もしたいという願いからであった。しかし、それを屋部 や安あ和の人たちは許さなかった。放置すれば、ますます多くのハンセン病患者が住み着くことわ になると考えて、彼らを追い出した。  屋部にささやかな生活の場をつくろうとした矢先、MTL(「1.人の居場所」の冒頭参照) の結成とそれに伴う事業が、屋や我地大が じうふどうばる堂原の「ライ救護所設置計画」として新聞で報道された ことをきっかけにして、住民は、直ちにハンセン病患者の人たちの排除を決断し、これを実行 した。  青木恵哉『選ばれた島』は、その場面を次のように描く(p.236)。  「この記事が新聞に出た朝、部落に鐘や太鼓が鳴り響いた。何も知らぬ私たちは何事だろうと 話し合っていた。知らぬが仏である。やがてそのただならぬ響きは真近かに近づいた。外に出 てみると潮のような群衆である。あっという間に私たちの家は包囲された。怒り狂った群衆は 金槌や棒で下屋をぶちこわし、これを積み重ねて火を放った。火は炎々と燃え上がり、黒煙が 部屋の中に渦巻きこんできた。十七、八人いた病友たちは、驚き叫びながら外へとび出した。 まさしく修羅場である。  いったいこれはどうしたことだろう。わたしは頭が混乱して何が何やらわからなかった。悪 夢でも見ているのだろうかと思ったが、現実はどこまでも現実であった。」  下屋。母屋(主屋)の屋根より一段下げた位置に取り付けられた片流れの屋根、またはその 下にある空間をいう。建物外周部に面した縁側、物入、押入、トイレなどが下屋として構成さ れることが多い。これを人々は打ちこわし、火をつけた。母屋に人がいるにもかかわらず、そ うした。  「問答無用」という言葉がある。屋部の住民たちは、人が住んでいることを知りながら、何も 言わずに家屋に火を放った。相手方と話し合うことなく、自分たちが決めたことを実行した。 それは断固たる態度であったと言えなくもないが、いったいどうしてこのようなことができる のだろう、という思いが先に立つ。眼の前で起きていることが信じられないのは、当事者たちも、 資料でこれを知る私たちも同じである。火が放たれ、家の一部が燃えだしたのだが、それでも 何が起こっているのかわからない。理解しようがなくて、当惑し、どのように行動してよいの かさえもわからずにたたずむ者の姿が浮かび上がる。青木恵哉の「いったいこれはどうしたこ とだろう」とは、それを表現した言葉だ。 2)排除の理由  人が暮らす住まいに火を放つ。それは、その人たちがそこに暮らすことを拒絶するという自 分の意志を、そしてその意志が決して揺らがないことを、態度で表したものである。それは、 その人たちが自分と一緒に暮らすことを拒絶することであり、このことは、まぎれもなく「差別」

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の明確な表現である。しかし、火を放った人々は、決してそうは思わなかった。自分が差別者 であるなどという自覚は、いささかもなかった。あるのは、ハンセン病を病む人々の療養所の 建設が自分たちの暮らす地域に計画されている、そして、その計画が実行されることになれば、 患者が集まる危険な場所に自分や自分の子孫たちが住み続けなければならなくなる、それは、 これまで平穏無事に暮らしてきた集落の暮らしが一変することであり、そうなれば、自分たち こそ被害者だ、という意識である。  したがって、自分たちに危害をもたらすことが予想される存在を、自分たちの手で排除する。 行政の理不尽さにも憤りを感じるが、ともかくも、眼の前の災厄を取り除かなければならない。 そのために、人々は、患者を追い出そうとして、住まいに火をつけた。これは、自分たちに突 きつけられた大いなる不正に対して、それを正すための正しい行いなのだと信じながらそうし た。このような意識に衝き動かされた行動なのだから、人々に差別を行っているという認識が ないのも当然だ。  では、人々のそのような意識はどのようにして生まれるのだろう。この焼き討ち事件の真相 について、青木恵哉が振り返っているところがある。青木は、事件の本当の理由がいまだによ くわからないと言いながら、次のように分析している5) ①事件の日、押し寄せた住民の代表者らしき者は、療養所の設立計画を述べた新聞をつき出して、 「療養所をつくられては部落が迷惑する」と言って、いきり立っていた。 ②したがって、屋部にハンセン病患者の療養所をつくるという新聞記事が、きっかけとなった ことは、間違いない。 ③しかし、その報道内容が原因・理由となって屋部の人たちが焼き討ちという行動をとったと いうことには、疑問が残る。 ④既に幾年もの間、住民たちは患者がそこで暮らしていることを見て見ぬふりをしてくれてい たし、最近は患者に好意的でさえあった。 ⑤新聞によって公表されたのを恥さらしと思ったのか。同じ町内の喜き瀬、宇せ う茂佐、隣村の羽も さ は ね じ地 などが、衛生上の見地から療養所設置に反対しており、この反対運動には自分たちも加担して おきながら、今、自分の部落に療養所設置計画があることを知って知らぬふりをするわけには いかないと考えたのか。 ⑥部落民の中に以前から私たちに悪感情をもった者がいて、新聞報道を利用し巧みに人を扇動 したのか。 ⑦ハンナ・リデルの回春病院6)から派遣された牧師がスパイ容疑で検挙され、10 日間の取り調 べの後、潔白と分かり釈放されたが、満州事変(柳条湖事件、1931 年)以降、非常事態にあっ た日本の情勢の中で、この事件(スパイ容疑での検挙)が村人の感情を悪化させ、新聞報道をきっ かけにして爆発したのか。  このように、青木は、これといった結論を出すことができずにいる。しかし、「いずれにして も原因の核がライにあったことだけは否定できない」としており、これには異論のないところ であろう。この病気を病む者に対して、悪感情を持つ人たちが集落の中にいた(⑥)。他の集落(喜 瀬、宇茂佐、羽地)同様に自分たちの集落(屋部)も療養所の建設に反対しているにもかかわらず、 自分たちのところに療養所をつくる計画が自分たちに知らされずに決められ、しかも、知らな いうちに新聞発表された。自分たちにかかわりのあることなのに、知らないところで決められ、 それを他の人たちと同様に新聞で初めて知る。こんな恥ずかしいことはない(⑤)、というわけだ。

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沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014  人々が嫌がる療養所の建設、それを自分たちが住む地域に招く。人々が避けたがっているも のをあえて受け入れることは、ひとつの美徳とも考えられるが、屋部や安あ和に住む人たちは、わ そうは考えなかった。そこで、次のように問いなおしてみる必要がある。そもそも、自分たち の暮らす地域に療養所ができることが恥ずかしいとは、どうしてそのように思われるのだろう か、と。  まず、避けたいという自分たちの考え方が無視されたと感じた。そして、人々が避けたいと 思うものを置いてもよい地域だとみなされたことは、避けたいという気持ちを等しくもつ者た ちの間で、その気持ちを尊重された人たちと、尊重されなかった人たちとの違いが設けられ、 自分たちはその気持ちが尊重されなかった、ということになる。尊重されなかったとは、軽ん じられたということであり、軽んじられても仕方のない者たちとみなされたということである。 それは、人々のこころに、義憤と同時に軽んじられたことによる羞恥心を惹き起こすものであっ た。  しかし、それだけが恥ずかしい理由ではない。県内の各地からハンセン病患者を集めて収容 する療養所、それほど本格的な療養所をつくるというのに、自分たちにはないひとつ知らされ ずに事が運ばれていた。それがまた、恥ずかしいのである。自分たちには知らされずに、自分 たちの意見を聴かれることなく事が運ばれていたこと、それは、事を運ぶ際に、自分たちがそ の意見を聴かなくてもよい人たち、聴く必要がない人たち、として捨て置かれていたことになり、 とどのつまりは、意見を聴くに値しない者たちとみなされていたことになるからだ。意見を聴 くに値しない人間として軽んじられたことが、恥ずかしいのである。  そうであれば、この憤りは、本来、ハンセン病患者に向けられるものではない。療養所の建 設について、自分たちに説明する義務があるはずの行政が、それを怠り、怠るどころかむしろ 秘密裏に事を運ぼうとした。自分たち住民が反対することが分かっているからそうしたのかも しれないが、それならば、その行為は住民たちを欺くことに他ならず、住民の側から見れば、 意見を尊重する必要もなければ、行政の方針に納得してもらうための働きかけも必要のない者 たち、とみなされたことになる。本来ならば、このことに対して、異議申し立てがなされるべ きである7)  しかし、住民たちはそうしなかった。行政と交渉するよりも、ハンセン病者を追い出すとい う直接的な行動をとることのほうが、話が早いと考えたからである。患者の存在さえなければ、 そもそも療養所の問題は生じないのだから。あるいは、行政を司る機関は強力だ。警察という、 場合によっては暴力を行使できる組織をも配下にもっている。そのような権力と闘うことは荷 が重い。それよりも、患者の人たちの居住を拒めば済むことだ。そこで、暴力は弱い者に向かっ て振るわれた。  抑圧の構造を絵に描いたような事件だ。療養所の建設に反対した住民は、行政府によってな いがしろにされた自分たちのことを、行政府によって抑えつけられた被害者だと感じた。とこ ろが、行政府の行動に反発すべき力は、別のところに向けられた。そのような行政府の行動の もとにある、患者の存在こそが自分たちが抑圧されることになる原因だととらえた。そこで、 住民たちは患者に対して、彼らを追い払うために「焼き討ち」という直接的な行動に出た。抑 圧された者は、さらに弱い者を求め、弱者を迫害する。被抑圧者は被抑圧者を求める。抑圧の 重層化である。 3)不寛容のこころ  他者、よそ者に対する激しい差別。ジャルマ島に行くことを決意した人たちが、安和に住む

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同じくハンセン病を病む者たちのため、焼け残った荷物をそこに運び、しばしの休息をとろう としていれば、今度は、そこに住む人々が患者を追い出す。青木恵哉は、そこのところを次の ように描いている(『選ばれた島』、p.245 ~ p.246)。  「この小屋は焼き払うからお前たちは実家に帰れ」  「お前たちがここにいると、よそからも病者が集まってどんなことになるか分からんから、ぜ ひ実家に帰れ」  有無を言わさぬ強制ぶりに、病友たちは何も言えないで慄えている。部落の人たちは、屋部 を追われた病友たちがここに集まりはしないかと心配しているのだ。 (中略、相手の身分を訪ねる青木の問いかけに対して)  「そうだ。自分は町会議員で、こっちは区長だ。」  「そうですか。すでにご存じと思いますがわたしは青木と申します。で、さっそくですが皆さ んは誤解しておられるようです。屋部の病友たちは昨夜のうちにジャルマへ行ってしまいまし た。もちろん私もジャルマへ行くのですがここに荷物を少し預けてあったのでそれを取りに来 たのです。ここへは絶対に一人も来ませんからその点はどうぞご安心ください」。  「それはならぬ。この小屋はぜひ焼き払わなくちゃいかん」と町会議員が言うと、「部落総会 の決議だ。一たん総会で決めたことは動かせない」。区長も頭ごなしに呶鳴った。  「でも、あなた方はさっきよその病者が来るといけないから……」。あとは言わせず、区長は またどなった。  「そんなことはどうでもよい。とにかくこの小屋は焼かなきゃならん」  「そうだっ」  「他所者のくせに何を文句ぬかすかっ」  「ぴーっ。ぴーっ」  「海へ放り込んでしまえっ」  それまで不気味に静まりかえっていた群衆の間からも、怒声や指笛が飛んだ。  再び、このような激しい迫害に会う。実際、安和の住まい(青木は「小屋」と記す)三棟は、 焼かれてしまう。太いロープをかけて小屋を引き倒そうとしたがうまくいかず、鋸で柱を切っ て引き倒した。倒された家は、火をつけられた。  そして、この行動を先導したのは、町会議員と区長であった。安和での出来事の原因を、青 木は次のように説明する。「(屋部の焼き討ち事件の)焼け残りの資材を貰いに来たあの病友が(中 略)、資材を運んで小屋の下の阿旦林の中に隠したのを知って、部落では屋部の患者が来る準備 をしているのだと勘違いし、部落に救護所をつくられては一大事とばかり、欠席者からは六十 銭の罰金を徴収することにして部落総会を開き、その決議によって前記の騒ぎとなった次第で あった。」(『選ばれた島』、p.247)  自分たちの生活空間から、病者を排除する。もともといる者については、大目に見よう。しかし、 他の場所から入ってくる者に対しては、無慈悲な態度がとられる。それが自分に連なる者であ れば、容認する。自分と異なる者であれば、徹底的に排除する。  ここにある意識の構造とは、どのようなものだろう。単純に、親しさの度合いの問題か。な じみのある者については、これを受け入れるが、そうでない者については、排除する。村落の 生活共同体などというものは、そのようなものだ、と説明されて、納得するわけにはいかない 激しさが、ここにはある。

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沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 5.価値の秩序 1)行動の合理化  人は、患者の存在を大目に見ていた。貧しくても、それはその人の人生。病気でも、それは その人の人生。それぞれが与えられた人生を生きることを、人は拒むことなどできはしない。 ましてや、同胞である。そこに生まれ、そこで育った人たちである。その人たちに対して、同 情を寄せることはあっても、排除はしない。ただ、困った病気にかかった人として、集落のは ずれに、海岸の洞窟や墓に、他ひ人との接触を避けて住んでもらわなければならない。気の毒なと ことは気の毒だ。でも仕方がない。人々はそう考えた。そして、病気を患った人たちが、おと なしくそうしている限り、そこから追い出したりはしなかった。  しかし、その人たちが、集まって彼らにとって過ごしやすい環境を整えようとすると、住民 の態度は異なった仕方で現れた。病気の人たちが集まって住む療養所をつくる。つくられた療 養所には、県下の病気の人たちがやってくる。それは困る、というわけだ。だが、なぜだろう。人々 は、病者に同情を寄せたではないか。自分たちの住む場所に、療養所をつくる。これがどうし ても受け入れられないと考える理由はなにか。  当然のことだが、人は自分と家族を愛する。家族は、自分にとって大切なものだ。だから、 他ひ人から悪口を言われると、憤りを感じる。大切な家族の価値が貶められるということに、我と 慢ができないからだ。家族が大切なように、自分が暮らす地域も大切だ。故郷は誰にとっても 誇りである。その価値は貶められてはならない。愛国心などというものも、恐らくはその延長 上にある。だから、異郷の人であったり、外国人であったり、そういう他者からの郷里や祖国 の価値が貶められるような発言は、許せない。  自分とその愛する者が暮らす地域は、美しくなくてはならない。価値あるものでなくてはな らない。それなのに、ハンセン病を病む人たちが集まって暮らす療養所をつくろうとする。し かも、「天刑病」とか「業病」などと呼ばれる罪悪を背負った人たちが、収容の対象である。価 値において劣った人たち。そのような人たちを集めて、彼らに生活の場を提供する。それは、 その空間を、価値において劣ったものにすることに他ならない。それは、郷土を汚すことであり、 自分とその家族が生きる場所を貶めることであり、先祖に対しては、彼らの威光を減じること であり、子孫に対しては、伝え残すべき遺産を傷つけ、損なうことである。したがって、療養 所の建設を容認することは、自分とそれに連なる人々に対する罪深い行為であり、建設に反対 しないことは、怠慢でありかつ不道徳だということになる。  このように考えて、人々は療養所の建設に反対した。はっきりとそのように考えてそうした、 というわけではないだろう。しかし、そのように感じて、そのような感覚に衝き動かされて、 そうした。そして、反対するという行動がとられ始めると、その思い、ある種の感情のような 思いは、合理化されていく。ひとたび行動することになったからには、自分の行動は正しいも のでなければならない。そう考えないことは、自分の人生をないがしろにすること、否定する ことになるからだ。  さらに、いったんその行動に与すると、自分の行動を妨げるようなものは、悪意ある行動に 思われるようになる。具体的には、療養所の設立に向かって働きかけている人たちは、ひどく 理不尽な行為をしている人に見えてくる。なぜなら、それは、自分が成し遂げようとしている「よ い」ことを妨げようとすることであり、その「よさ」にかかわろうとする自分の生き方を否定し、 それによって、自分に連なる者の価値を貶める行動をとろうとしていることに他ならないのだ から。そのようにしか理解できないから、対立しても、それは当然だということになる。そして、

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そのような不逞の輩は、自分たちの生活空間から出て行ってもらうしかない。そのように自ら の行動を合理化して、人々は、患者の住まいに火を放った。 2)憎しみと排除の対象  その一方で、排除の対象とならなかった人たちもいる。この人たちの存在は、以上の説明が 根拠を持つことを明らかにする。青木恵哉は意識していなかったようだが、注意して見ておく 必要があるものがある。  屋部で身を寄せ合って暮らすハンセン病の人たちを追い出そうとして、火を放った住民たち が、もともとそこで暮らしていた人、東あがりえ江新しんゆう友さんに対しては、全く違った態度をとっている。 青木恵哉に立ち退きの意志表示をさせた人々は、穏やかな声で東江さんに次のように伝えた。  「青木さんは立ち退くと言っている。あなたは実家の屋敷内に字のほうで家を建ててあげるか らそこへ引っ越しなさい」(『選ばれた島』、p.237)  患者の集団に出て行ってもらうために、私たちは、あなたの住まいを燃やした。それではあ なたは困るだろう。でも、それは、私たちの集落全体のためなのだ。だから、分かってほしい。 その代り、自分たちの集落の負担で、あなたの実家にあたらしく家を建ててあげる。あなたた ち家族は、そこに住んでほしい。そのように申し入れた。  一方的に住まいを焼却しておいて、代わりの家を建ててやるという言いぐさには、どこか傲 慢さを感じる。しかし、事前に了解を得なかったとはいえ、相手に配慮している様子が表れて いる。そして、何よりも重要なのは、東江さんという患者を排除しようとしていないことだ。 同じ集落で生きてきた同胞に対しては、排除しない。ハンセン病という病気を病む者として、 これを受け入れる。そのような仲間意識がある。それに対して、患者の療養施設をつくり、県 下の、つまりは放浪するよそ者のハンセン病者をそこに収容しようとすると、非常に厳しい態 度でもって反対する。その象徴が、「焼き討ち」だ。  東江さんは、村人の勧めに応じず、青木恵哉と行動を共にする。住まいを焼き払われた彼ら が取った行動は、ジャルマ島で暮らすというものだった。無人島。ここなら、自分たちを追い 出そうとする者はいない。遠慮なく過ごすことができる。人々は、自分の生きる場所を求めて、 そうした。水の出ない無人島、そこでの生活は、想像することができないほど厳しいものであっ たはずだ。だが、その生活について、青木は多くを語らないし、ここでの私たちも、この点に は触れない。  確かめられたことは、住民の人々は、患者を憎んではいないということだ。そうではなくて、 療養所がつくられること、自分たちの生きてきた地域が行政の力によって、何か別のものにさ れること、しかも、価値において劣ったものにされようとしていることに、人々は憤っていた。 もちろん、その根底には、ハンセン病についての誤解と偏見があったわけだが、人々は、その 病気に伴われる価値の秩序の中で、劣った者として生きるように仕向けられていると感じ、そ のことに強い忌避反応を示したのである。 3)価値にとらわれる人間  人は価値の世界に身を置いている。ここで「価値」とは、「己の人生に有意義なもの」として 認識されているものごとである。それは、人生の様々な場面で、具体的な価値あるものとして 現れる。価値あるものを手に入れたり、それに触れて生きることは、喜ばしい。価値に充たさ れる幸福感を感じるからだ。衣、食、住を考えてみるとよい。自分が好む色や形の衣服――そ れは私にとって価値のあるものとして映る衣服である――を身にまとって暮らすことは、幸せ

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沖縄大学人文学部紀要 第 16 号 2014 だ。好みの食事や健康に良いと言われる食事を摂ることができるのは、幸せだ。健康という価 値を充たす価値のある食事、好みを充たす価値のある食事にいそしんで生きることは、幸せだ。 好みの空間や機能を備えた価値ある住まい、便利なあるいは静かなという価値を充たす場所に 位置する価値ある住まい、安全という価値を充たす構造をもつ価値ある住まい、そのような住 まいに暮らすことができることは、幸せだ。  逆に、そのような価値を得ることができない暮らしは、辛い。価値において劣ったものと関 係しながら生きることになるからであり、価値の劣ったものに相応しい人間であるかのように みなされるからである。人間としての価値に劣る、あるいは価値がなくなってしまう、そのよ うな気持ちになるからである。それゆえ、人は、そのような状況に陥ることを忌避する。人が、 新たな環境の出現によって、自分の価値が低くなるような、あるいは、なくなるような状況が もたらされる可能性のあるものを、すべて斥けようとするとしても、それは自然なことだ。  人が生きるということは、常に、このような仕方で価値を生きるということである。価値の あるものをつくり、それを手に入れて生きる。そして、価値にかかわる判断とは、日々の生活 の中で、日常の習慣の中で培われる。ある人が工夫したことが、多くの人に受け入れられ社会 の中に流布したとする。それが多くの人をひきつけ、そのことのもとに人々をつなぎとめてお くことができるならば、社会的な慣習となる。さらにそれが、世代を超えて伝承されるならば、 伝統となる。独自の民族衣装や、民族料理は、そのようなものだ。それを私たちは文化と呼ぶ。  したがって、人は、好むと好まざるとの区別なく、文化の中を生きている。価値にかかわる 判断で、文化的でないものはない。そうであれば、ハンセン病に苦しむ人たちを救おうとして つくられる療養所もまた、人を救うという価値の実現をめざした文化的な存在である。そして 同時に、その施設が新たにつくられようとする土地に住む人にとっては、療養所の設立とは、 ハンセン病を病む人たちが集う場所ができてしまうというネガティヴな意味をもつ。療養所の 設置を受け入れるかどうかということは、価値において劣った存在を受け入れるかどうかとい うことでもあり、そのことによって、それに連なる自分たちの価値を貶めることになる存在と しての療養所を受け入れるかどうかという、問題である。そのようなネガティヴな価値とどう つき合うか、そういう文化の中を、そのような意味の世界を、人は生きている。  ハンセン病療養所とは、もちろん病む人々はその中で生きることを強いられた場所だが、一 方で、その存在のもと、健康な者たちは、患者の人たちを隔離して生きる社会を生きた。その ようにして、危険な患者を封じ込めることによって、安全な社会を生きるという価値を創出した。 そして、人々はそのような価値を生きたのだった。 註 1) そこには、44 戸、125 人のハンセン病患者が暮らしていた。寺の門の前で物乞いをする人、 店をもち商売をする人、貸家業や養豚業を営む人、日雇い労働をする人、大工や塗装工など多 様な人々が暮らしており、ハンセン病患者が自立して暮らせる共同体づくりを目指していた。 2)「ハンセン病をどう教えるか」編集委員会、『ハンセン病をどう教えるか』、解放出版社、2006 年、 p,28 ~ p.29 同じことは、1941 年、群馬県の草津温泉にあった湯の沢集落でも起こった。同、p.29 3) 前稿、註 21 参照。 4) 前稿、註 3 参照。 5) 青木恵哉『選ばれた島』、渡辺信夫編、新教出版社、1973 年、p.238 ~ p.239 6) ハンナ・リデルによって設立された、ハンセン病患者のための療養施設。リデルは聖公会の 宣教師、伝導のために熊本に在住。沖縄のハンセン病患者の伝導を目的として、牧師を派遣し

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ていた。 7) 実際、住民たちは、これまでも行政府と激しくぶつかってきた。沖縄愛楽園『開園 30 周年 記念誌』(1968 年)は、次のように記している(p.32)。「名護町喜瀬、宇茂佐の療養所敷地選 定に町民の反対によって失敗した県当局は、(中略)今度は極秘裡に嵐山を敷地と定め、薬草園 をつくるのだとふれこんで工事に着手した。これが新聞紙に実は療養所の建設だと素破抜かれ、 今度は地元の羽地が主導権を握って今な帰仁きじん、名護町、本部村を説得、相呼応して強力な阻止運 動を展開した。尋常な手段では引っ込まぬと見た県当局は、全島から 300 名の警官を動員、検 事正が総指揮をとって反対の急先鋒と目される 39 名を検挙して弾圧を加えた。これが火に油を 注いで(中略)、村長以下役所吏員、議会議員、区長に至るまで総辞職、村政は完全に麻痺した。 一方顎紐の警官が消防ポンプに分乗して各町村を廻ってサイレンを鳴らして示威運動をすれば 老若男女、竹竿、荷棒を振り上げての総抵抗、又一団は嵐山に駆上がり、建ちかけた病棟を引 き倒し、集積されたセメント、木材を破棄した。」これを、嵐山事件という。1932 年 3 月のこ とである。なお、この事件と本稿で扱っている屋部の焼き討ち事件(1935 年 6 月)とは、とも に新聞報道によって住民が知ることになること、議員や区長が反対行動を起こすことなど共通 する点が多いが、別の事件であることを念のため言い添えておく。

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