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数という平等 : 非日常の中の日常 : 1995年西宮 (9)

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(1)57. 数 とい う平 等 ― 一 非 日常 の 中 の 日常 :1995年 西宮 (9)一 一. 原. 田. 隆. 司. Equality and Number: Ordinary Lives in Extraordinary Situations in Nishinomiya,1995(9). HARADA Takashi Abstract: This is part of a study on social situations after the Great Hanshin― Awtti Earthquake in 1995。 This paper focuses on the human relations in a public shelter located in a municipal junior high school in Nishinomiya.This shelter lasted for eight months.At the beginning of January,it was just an aggregation of evacuated people.At that moment,they were treated equally because they were just regarded as a number. Fronl then on,space for the shelter in the school was gradually lirrlitedo Certain people were norrlinated on to. the list and we, volunteers, sent these refugees to the municipal headquarters so that they could receive a regular service of food and drink.The act of labeling `the public shelter' had the result of distinguishing the space and the refugees fronl the rest of the people in the affected area. This process created inequality be―. tween people evacuated by the same carthquake。. 1995年 1月 17日 の 地 震発 生 直後 か ら 8月 下旬 ま で,避 難所が存在 した。僕 自身の個人的な経験 を通 し て,こ の「避難所」 とい うもの につい て考 えてみ た. 交換 希 望枚 数 :外 の 紙 に書 い てあ る分 を数 え る と 4フ 枚。 [ボ ランティアの]SEさ ん来る。. 11時 ,物 資。プ リンスメ ロン 2人 に 1つ ,ほ たての ほ ぐ し身 ,バ ン ,カ ップ ヌー ドル。 11時 半 ,Yち ゃん. い。. [避 難所にいる高校生]。. 1.4カ. 月後. 1時 頃 ,[ボ ランテイアの]OYさ ん。∪ さん宛の宅急 便。雪印オ リゴのミル クをも らいに来る人。牛乳 5個 の. 僕 が 「ボ ラ ンテイア」 として通 つたのは西宮市内 に ある公立中学校 の避難所 である。以下の引用 は,当 時 のメモか らの抜粋 であ り,[. ]内 は,今 回の引用 の. ために説明のために付 け加 えたものである。. 人 [決 まつてもらいにくる人]。. 4時 ・ [ボ ランティアの]Aさ んか ら電話 ,教 育委員会 の人の悪 口をい う。弁当 80個 。「これ 飼 つて ください」 と小学生が子猫. 5匹 を洗面器 に入れても つて くる。うち. [避 難所]の 子どもたちが犬を連れてシャンプーとタオル. 5月 4日. が欲 しいとや つて くる。 [日 寺折 や つて くるボランテ イア. (水 ). 曇 ,夕 方 よ り雨。 自転 車 で. 9時 40分 ,H中 着 。職 員. 室 の廊 下 で用務 員 さん が迎 え て くれ る。 M先 生 が鍵 をも. の]Mさ んが [パ ソコンの]通 信 ログの 保存方法を教え てくれる。6時 に出る。雨がかな り降つている。. つてきて くれる。 1先 生 [が や つて くる]。. 10時 前 ,教 頭先生 よ り tel。 (1)グ ラ ン ドの車 を体 育 館の ほ うに寄せたい。 (下 さん の ワゴ ン ,H君 の車 )Nさ んの も 下 さんの テ ン トの北 へ 動 かせ な いか。 (2)毛 布 の. 5月 5日. (金 ). 9時 45分 ,最 高の 晴天 ,爽 や かな風 の 中 ,到 着。∪ さんにお皿 2枚 返す。SEさ んと. M先 生が神戸の長田ヘ.

(2) 甲南女子大学研究紀要第 40号 物資 を持 つてい く準備を している。Aち ゃんが来 る。明. 人 間科 学 編 (2004年 3月. ). つ。. 10時 5分 前 ,本 部を開ける。外からいつもの「奥さ. 日 ,Sさ んの ところ [Aち ゃんの家族]は 引 つ越す との. ん」が「バンか何かありますか」というので ,[2家 族用. こと。. 10時 半 ,物 資 みつばとあさ り)。. (い ちこ ,カ. ップコーンスープ ,バ ン. にとつてあつた]セ ットのうち弁当 1つ だけはず して全. ,. Aち ゃん ,Yち ゃんと冷蔵庫の野菜室. 部渡す。. を掃除する。Mさ んの こ主人が大きい段ボー ルを取 りに 来る。Kさ んが米 [を もらいに来る]。. 以 上 は地 震 か ら約 4ケ 月 が 経 過 した頃 の 様 子 で あ. 11時 30分 ,東 京 の SUさ ん [元 ボ ラ ンテ イア]か ら電話 (江 東区の マンシ ∃ン 8階 )。 12時 んが段ボール [を も らいに来る]。. 50分 ,Mさ. Kさ んが ,他 人丼 と. る。 中学校 と して は普 通 に授 業 が 行 なわ れ て い た。 た だ ,体 育館 が使 えな い とい う こ ととグラ ン ドの 隅 に車. :. あさ りとみ つばのすま し汁を作 つて持 つて来て くれる。. が あ る とい う こ とを除 い て は。 そ こに,Aさ ん と SE. [避 難所の外の]女 の子が牛乳. さん,そ して僕 の 3人 の「本部 の 人」 と呼 ばれ る「ボ. フ個. [も. らいに来る]。. 13時 20分 =県 のパ トロール。西宮の避難所以外で生 活 している人 の状況はどうな つているのかを知 りたい. ラ ンテ ィア」 が ,担 当 日を決 め て通 つて い た。朝 10 時 くらい に職員室 で鍵 を借 りて ,体 育館 の 1階 の「本. ,. 部」 の鍵 を開 け る。約 40名 が 暮 らす場 所 と して の 避. と伝える。. 14時 ,弁 当 80来 る。食料庫は少 し暖かくな りつつあ. 難所 には,毎 日物資 と弁 当が人数分 だけ配 達 されて き. つて心配。講談社の人が 「阪神大震災の本を出す計画 が. た。 それ を受 け取 り伝票 にサ イ ンす るこ とが 最重要 の. あ り,避 難されて いる人 とボランテ イアとの関係なんか. 「仕事」 で あ った。「本部」 には,日 用 品や衣料 ,ス ト. を聞きたい」というので ,「 ここは生活の場ですか ら」と. ックで きる食 べ 物 や飲 み物 が あるた め に,避 難所 の 人. い つて断わる。Kさ んの所 へ お椀 を返 しにい くと ,Hさ. だけで な く,「 外」 か らももらい に来 る人が 居 た。そ. んたちが集まつている。. の ほ とん どは決 まった人 たちで あ る。 さらに,や つ と. 表彰す べ き団体の リス トをパ ソコンで作る。ノー トを. る物資 を運 びは じめた ところであ る。. 見ると ,あ つたことが集約されて整然と並んでいる。. 4時 過 ぎ ,M先 生 ,SEさ. 西宮以外 の ところの様子 が 気 にな りは じめ ,余 ってい. ん が 帰 つて くる。長 田 で. 避難所 の「 中 の 人」 たちは ,こ こか ら学校 や仕事 に. は ,水 道水が飲み水 と しては認め られず沸騰させている. 通 つて い た。宅 急 便 も配 達 され て くる。 そ して 「本. とい う。 12階 建ての マンシ ∃ンには ,「 私たちは ,水 道. 部」は夕方 6時 に閉める。後は,警 備員さんが宿直す. もガスもない所で頑張 つています」とい う横断幕。Hさ. る。. 5時 15分 ,食 事の仕分. この 頃 に仮 設 住 宅 の 抽 選 結 果 の 発 表 が あ り,そ れが. けに「寝不足や」とい う 下さんが来ている。何か うれ し. 物 資 の 配達 と同 じ便 で 避 難所 本 部 に運 ばれ て きた ため. い。Mさ んが近所の人か らも らつたという 3合 炊きの炊. に,教 頭先生 も僕 たちのほ うか ら教 えて もらうとい う. 飯器を持 つてきて ,米 を入れる。6時 半 ,『 ライ麦畑で つ. 格好 になった。学校側 としては,仮 設住宅へ の移動 に. かまえて』を Yち ゃんに置いて帰る。. よって人数が減れば,全 員 に 1階 に移動 して もらい 2階 のフロアー を空けて もらい たい とい う意向であっ. 5月 12日. た。そのための算段 を,ボ ラ ンテ ィアである僕 と教頭. んがガムテープ [借 りにくる]。. ,. (金 ). 朝か ら大雨。9時. 20分 ,バ ス停の ところでタ クシー. を拾 つて ,メ ーターを途中か ら入れたため ,600円 で 9. 先生 とが行 なっているのである。 「本部」 にはマスコ ミの取材 も時折 あ った。そ れ以. 時 45分 に着 く。職員室の前で ,他 の先生がアメ リカか. 外 は「中の人」 の うち僕 たちと仲 がいい人だけがや っ. らの手紙を掲示 しているところに ,教 頭先生が立 つてい. て きて,お 昼 をごちそうになった り,話 をした りして. る。鍵をも らい 「駄 目で したね」とい うと 「誰 が当た つ. いた。今 ,考 えれば,こ の頃が一番 「安定」 した,つ. たか教えて」と二 人で中 へ 入 つて教頭先生 の机の上 で. まりは「ボラ ンテ ィア」 としてす ることが最小限 にな. ,. リス トに赤鉛筆 で○と =を 引 く。厳密 にい うと (今 ,籍 だけの人を除くと)40人 くらいで ,卓 球室が空けば (昨 晩の. Sさ んの話 しでは ,ど こかに出ていくかも知れない. ). Mさ ん と 0さ ん の 所 に入 つて も らえ ば ,後 は格 技 室 (「. 格技室は. Kさ んの所だけか」)で 大丈夫ではないかとい. つた時期 であ った。「中の人」 たちが,そ れぞれ親戚 を頼 った り,自 力で賃貸 アパー トを探 した り,ま た運 良 く仮設住宅が当 たって,引 っ越 しをするなどして. ,. 少 な くな って い たか らである。それで も,し ば ら く は,ま だぽつ りぽつ りと出てい く世帯 があった。Sさ.

(3) 原田 隆司 :数 とい う平等. 59. んの ところがそ うであった。出てい くことは良いこと. に下 に降 りて欲 しい とい うことになる ,と い うと ,(1). であるのに,寂 しい気 が した。それほどイ 中が 良かった. Kさ んが 23日 に出るのな ら,24-25だ けでは無理。先. のであ る。. に場所を決める線引を して くれた ら,荷 物を少 しずつ運 んでおける。 (2)│さ んは卓球室 に行 くのか。 (3)各 家 2。. 5カ 月後. 庭用の コンセン トが欲 しい (床 おきの クーラーも何 とか 手 に入 りそ う)。 (4)冷 蔵庫も部屋 に置 きたい。 (5)部. 次 にあげるのは,そ れから lヶ 月後のメモである。. 屋の中で洗濯が干せるようにしてほ しい。. 6月 13日. 6時 ,M先 生の車で ,ボ ランテ イアはそれぞれの家 に 送 つてもらう。踏切を 2回 通る。「ここはまた渋滞するん. (火 ). 朝 ,[僕 の家に]Aさ んか ら電話 ,バ ンを一緒に買 つて. やなあ」。 夕刊のパソコン通信の記事で ,SEさ んのことが取 り上. きて欲 しいと。. 9時 40分 ,H中 着。Aさ ん来ている。体育館の人々. げ られている。彼女はきちんとやる人だ。Aさ んも ,中. の意向を教えても らう。K夫 妻は皆が下に降 りる時 に出. の人の ことについては ,き ちんと している。二 人 とも. る。0さ んも自宅のプレ八ブに戻るという。. よくこれだけ続けている。. 10:00∼ 10:40,校 長 室 ,教 頭 先 生 と 3人 で 談」。 (1)今 度の土曜日に会議を して ,6月. ,. 財目. 24,25日. に. 移 つてほ しいと言 う。26日 か ら 7月 初 まで ,試 験 をは. そ して ,25日 には ,2階 の 体 育 館 か ら 1階 へ の 移動 が行 なわ れ た 。. さんで クラブの練習ができる。その後は ,市 教委 に任せ る。 (2)そ のために ,洗 濯機の移動 ,炊 事道具の撤去. ,. 丼戸の撤去 ,食 料庫の 一 部を荷物置き にする こと ,格 技. 6月 25日. (日. ). 体育館 へ 上が り,床 の敷物をはがす:僕 が貼 つた 強力 なガムテープのせいで ,床 の木が少 しだけはがれる。モ. 室の場所割 り,網 戸 ,扇 風機などの準備が必要。 戻 つて くるとバンが来たところ。PttAの 役員の人が来. ップをかける。2時 前 には 「体育館」にな つて しま う。. ている。僕はパソコン通信を見ている。Mさ ん ,MIさ ん. このあ つけないこと。「初めて来た時の ことを思い出 しま. が ,こ れか ら 0さ んの こ主人の見舞いに行 くとい う。M. すね」と校長先生 に言 う。教頭先生がボールを出 して く. さんが 1月 17日 の話を して くれる。寝ていて起きたの. れて ,[ボ ランティアの]H君 とバスケ ッ トのシュー トを. は 何 メー トル も先 ,こ 主 人 が 出て きた後 ,余 震 で潰 れ. する。体育館である。教頭先生 が鍵 をかける。明 日か ら. た。手分 け して人を引き出 したので○○町は亡 くな つた. 照明の取 り替え工事がは じまる。. 人が少ない。 校長先生よ り内線電話。岐阜か ら神戸 へ 行 つて来た と. 地 震 の 直 後 ,取 りあ え ず 飛 び 込 ん だ校 舎 の 教 室 か ら. 2階 に移 動 し,そ. して また 1階 へ の 移動 。 学. い うお坊さんか らの差 し入れの神戸 ドーナ ツ 200個 運. 体 育館 の. ぶ。木工室 に技術の教 材 来 る。 [ボ ラ ンテ イアの]0さ. 校 の なか の 避 難所 の ス ペ ー ス が 減 少 して い くこ とは. ん ,教 頭 先 生 と ,卓 球 室 と格 技 室 の 寸 法 を測 る。Kさ. 震 災 後 の 展 開 か らす れ ば ,歓 迎 す べ き こ とで あ つ た 。. ん ,手 伝 つて くれる。卓球室の前 にあ つたカーテンで囲. しか し,そ の 1階 で は 夏 に備 え て 網 戸 や 扇 風 機 の 用. つた簡 易 トイ レ 2つ 撤去。板 か ら釘を抜 く。廊下 にあ つ. 意 ,コ ンセ ン トの こ とな ど,中 学 校 の一 部 を夏 に住 む. た長机を 3,4つ 片付ける。教頭先生が │さ んに下に降 り. 避 難所 と しての設備 を施せ ば ,「 体 育館」 か らは遠 ざ. て欲 しいことを説明 している。. か って しまうQ. 3時 すぎ弁当 49。. 共同通信の記者 (女 性 ),遠 くか ら. 来ているボランテイアはいな いかと。Mさ ん ,MIさ ん. ,. 学校 の す べ てが避難所 で あ つた時 には,ど の場所 も 同 じように避難 の場 で あ つたが ,そ の 中 に「中 学 校」 の部分 が戻 り,そ れが次 第 に拡が ってい くにつ れて. 帰 つてくる。. 5時 半 くらいに ,Mさ んが来て ,上 の電灯の真ん中が. ,. ,. 限定 されて い く「避難所」部分 は ,そ れ に反比例 して. 全部消 して ,勉 強室 とステー ジの 横 と階段の上だけ点 け. 長期居住 のかた ち を強 く見 せ て い くこ とになる。 最後 まで避難所 とい うもの に, しか もひ とつ の避難. ておいてもいいかとい うので ,今 はグラン ドにも生活 し. 所 にだけ関わ り,そ れ に拘 って い た僕 には,出 て行 っ. ている人はいない し,ト イ レもない し,い いので はと言. た人 たちの暮 ら しについ ては,ほ とん ど知 る こ とはな. う。その後 ,廊 下で話す。土曜に会議 して ,次 の 24,25. か った。 また,避 難所 の周 囲 の状 況 につい て も立 ち入. 点かないので ,両 側の どれかをつ けるわけにもいかず. ,.

(4) 甲南女子大学研究紀要第 40号. 人間科学編 (2004年 3月. った こ とはほ とん ど知 らなか つた。 そ の結果 ,時 間 の 経過 と共 に多様 にな ってい った避難所外 での生 活 と. ,. ). 職員室で ,教 頭先生 に ,八 ムエ ッグ ,か んづめ ,い ち ことスープ ,こ はんを入れてもらう。. この避難所 とを比 較す る こ とはで きなか った。避難所. 市教委の. Nさ ん は ,「 一 年位続 くのでは」とい う。避. の なか で は,人 数 が 減 り,個 別 の生 活 が はっ き り見 え. 難所 とは震災か らの避難ではな く,家 屋のない状態か ら. る よ うにな るにつ れて ,最 初 の 頃 との変貌 が 強 く意識. の避 難である ?. され る ようになった。 一 軒 一 軒 の こ と,一 人 一 人 の こ. と聞かれる。. とが はっ き りと見 えるイ 犬況 になって い った。僕 たち も. 廊下で ,「 いつまで来ても らえるの か」. フ時。給水車が帰るので フ時だと思う。. 含 めて ,お 互 いが ど うい う人物 で あるのかが 分 か る よ. 2月 15日. うにな っていた。. (水 ). 11時 40分 頃着 く。パソコンに「在住」 コー ド,在 =. 3.1カ. 1,入 院 =2,転 出 =3を 入力 しなが ら人数を確認 しよ う. 月後. とする。結局 970位 が 「入 つている」ということは分か. そ もそ も体育館 に「中の人」たちが移動 したのは 1. るが ,現 在何人かは分からない. l SEさ んと灯油缶 に入. 月 29日 の ことで あ った。6月 か ら逆 算 して約 5ケ 月. つた飲料水をペ ッ トボ トル に移そ うとする。手洗いの所. 前 である。地震か ら 2週 間 も立たない真冬 であ った。. でやろ うと したが ,や つば り外でする。は じめ缶切 りで. その翌 々 日に,僕 は次 のようなメモ を残 してい る。. 両方の角を切 つてそのまま入れよ うとするが ,こ ばれて しまう。紙 コ ップに穴をあけて□一 卜を作るがなかなか. 1月 31日. 入 らない。. (火 ). 体育館の グラン ド側 に ,昨 日の毛布の入 つていたダ ン. Aさ んの娘さん ,PttAの 人などが居て 「本部」はのん. ボールを 10個 位な らべ て 「風 よけ」を作 る。正面入 り. び りと している。「昨 日も電話少なか つたなあ一」。肉団. 口にも少 しだけダンボールをお く。昨晩 ,勝 手 にダ ンボ. 子と野菜の炊き出 し. ールを取 つてい つた人は ,そ れを頭か らかぶ つて寒さを. の電話。この 「避難所」に居 るかど うかと ,居 る人 へ の. 1. 伝言の電話がほぼ半々。ブル Tシ ー トには つてある「地. しの ぐために使 つたよ うだ. 断熱材 は ,業 者 か ら提供. の申 し入れがあ り,2/2ま でに各避難所が面積 を伝える. (200か ら 1000ま で食数は自由). 図」で人数を数えてくれる。 196(こ れは昨日 ?)。. 10日 後 ? この零下の寒. 現在の 「最大の問題」は ,外 の人 へ の食事の渡 し方で. しか し,だ れがこんな大量の断. ある。ここ 2,3日 ,届 けられる 600食 がな くな つて し. 熱材 をス トック しているだろ うか。これも善意であるの. ま つている。つ ま り,400食 も外の人 に渡 つてい るの. だが ・・・・。. だ。本当な ら次の食事 に回せるものがす ぐに出てい つて. ので ,や つて くるのは来週 さの時には使えない. │. o「. 昨 日か ら話 しがあ り,自 衛隊の車両の都合も合わ せて. しまう し,「 幕の内」 (今 日はサ ーモ ンフライ ,ス チロー. 調整 して ,2/1,2/4,2/7は とにかく豚汁ができるよう. ルの容器入 り)に な つて更 にも つといい ものが出される. !. しか し,2/フ は京都か ら朝 10時 半 にぜん. よ うになると ,ま すます食数は増えて ,し かも次の食事. ざいの炊き出 しの話があ り1昼 (12時 )の 豚汁とだぶ つ. にとってお くことはできない。外 へ の食事の増加 は ,人. て しま う。これ も善 意 で あ るの だ が ・・・ 。2/7(火 ). 手がかかることにもなる。200人 弱の食数な ら現在のよ. つて中学 は授業を している. うに中の人たちで十分対応できる (し か し [ボ ラ ンテ ィ. にな つた. │. 12時 30分 ,パ ソコンを持 つてきても らう。「桐 ∨e「. アの]S∪ さんによれば ,や つている人の中には しんどい. で避難者 リス トを作 りは じめる。Fさ んに保健所か. という人もいるとい う)。 夕方 ,Aさ んと校長室で ,校 長. らの伝言 を伝えようと して ,Eブ ロ ック ,格 技室 ,卓 球. 先生 ,教 頭先生 と相談。Aさ んが昨晩考えた とい う,タ. 室を探 したけね どどこにも見つか らない。昨 日帰宅され. 食時に朝食も配るとい う案 (す ば らしい │)は 了承 され. ていたと保健所か らまた連絡が入 つて「解決」 したが. たが,そ れを先生方が手伝 うというのは無理だという。20. 4.0」. ,. )か ら 6時 間授業にな り,と てもそんな ことは不. ぼくたちはそれを把握 していない。. 日. 20時 20分 -20時 50分 ,[神 戸 の]布 引 か ら人 を 探 しにこられたお じさん。子供 2人 な くな り=母 親か ら. 可能と教頭先生。学校 とは別 に して ,市 教委が代表 を任 命 し:プ ロバ ンの 管理 も含 め独 立 した 「避 難 所」とす. 電話をも らつたが ,ど この避難所でも見つか らない。家. る。毎 日 1回 は温 かい汁物 が出来 る よ うに した い。道. の場所 を書いても らう。どうすれば見 つ けられるのだろ. 具 ,協 力が揃えば報告 して欲 しい ,と 校長先生。. うか。. (月. 外の人へ の食事の配布は ,PttAを 通 して呼び掛 け ,別.

(5) 隆司 :数 とい う平等. 原田. に役員でな くてもいいので ,5時 半∼6時 半手伝 つても らうと教頭先生。あとは ,今 日のブ ロ ック長会の議事の 相談。郵パ ック 300個 。水は使 つてもらつてもいい !!. 7時 ブロック長会 (1)MIさ んが ,体 育館のほこり対策 と して ,ダ スキン のモ ップか掃除機を手に入れて欲 しいという。 (2)「 トイレに入る時には ,ド アをノック して欲 しい. ,. 私は鍵をかけてな いので」「デパー トに行 つた ら鍵かける. っている人 のほ うが少 ない。弁 当 は,お に ぎ りか ら 「弁当」へ移行する時期 であ ったが,「 中の人」 だけの 分 ではな くて,こ ちらか ら頼んだ数 だけが配達 されて いた。上のメモ によれば,中 200,外 400と い う状況 である。食料や物資 を必 要な人 に渡す場所 として,5 月 とは比較 にならない ほど開放的であ った。食べ物 と い う点 では炊 き出 しも沢山あ った。 しか し,地 震 か ら lヶ 月 が経過 しようとす る時点. やろ」「共同生活なんやか らルールを守 つてもらわなあ」. で,本 部 の開閉の時間 を考 えるようにもなってい た。. (3)NGOの 人が土曜 日で医務室 を撤退する こと. 域の病院が再開 している)。 「言 つてることがころころ変. それまでは,何 時であって もおか しくなかった,人 を 捜 しての訪問,問 い合 わせの電話 ,食 べ物 や飲み物 の. わる人がいるのよ」。NGOの 看護婦さん 「リス トは して. 差 し入れなどが,次 第 に深夜 や早朝 の時間 をはずす よ. いる」。. (4)ク ラ リネ ッ トコンサー ト :2月 24日 午後 7時 。. うになっていつたか らである。 また,中 の人たちの生 活 の リズムがで きて きている し,僕 たちのようなボラ. (5)新 間の取材には協力 しない。「私たちのプライバシ. ンテイアも,家 か ら通 うとい う形 をとるようにな り. ーに立ち入る人達は入れさせへんよ. (地. 24時 間体制 は とらな くな っていた。 だか らとい って. !」. (6)水 が出るようにな つた。目を洗 う所で炊事 ,ト イ レは使えるが ,簡 易 トイ レも当分置いてお く。当分飲め. 時間通 りに作業 をす る ところまで は行 って い ない。 「給水車が来る」 ので 7時 を知 る とい うのは,そ うい うことである し,夜 の 9時 前 とい う時間 に人捜 しのか. ない。給水車もまだ来る。. (7)鳥 取温泉 ツアー ,希 望者 15名 ,金 曜にきちん と 聞く。「原田さんも行こうよ. ,. たが来訪す ることもある。. NGOの 医療班が撤退するとい うこと も同様 の変化. │」. を示 してい る。地元 の病院が再開されつつあるのだか. (8)旅 館の日帰 り入浴券 30枚 。金曜に希望。. ]W君 が今晩帰 つて しまう。MIさ ん. ら,大 局的 に考 えて,無 料 の緊急的 な措置 をとる体制. が明 日帰る。僕 は明 日か ら 3日 間 [大 学 の]入 試で来な. は必要な くなって きたとい うことであ る。 「避難所 か ら共同生活所 へ」 とい うメモは,今 の時. [ボ ランテ イアの. い. 。. と ,あ れ これ相談 している。「部外者」,し かも毎 日変わ. 点で考 えれば,僕 の通 つていたひとつの避難所その も のの変質 と,そ れを取 り巻 く町の状況 の変化 ,こ の両. 10分. 方 を示す ものである。それはいわば,社 会生活ない し. まで続いたブロツク長会の後 ,呼 ばれて行 くと ,3月 10. 日常生活 の文脈 が「避難所」 にひたひたと押 しよせて. 日以降も泊 り込みが可能かも しれないとい う。僕 は ,今. くることであ り,そ れで もなお「避難所」 であ り続け る とすれば,「 避難所」 の外 の文脈 と整合 した理 由づ. 夕方 か ら,H君 が ,日 教 組 の [ボ ラ ンテ イア の]人 るので僕は話をする気 にもなれなか つたが ,8時. の方向性 か らすれば ,そ していずれ 「依存」できな くな. な くてもいいいと言 う。ただ ,西 門か らバ ックネ ッ トに. けが必要であるとい うことである。公立中学 のなかの 「避難所」 であれば,な お さらである。「避難所」 に通. かけての掃除を して欲 しいとい うこと ,そ して本部で寝. いづめの僕 には,川 の佃1で 若 い男女がたたずんでい る. ても らうこと。テ レビ室 ,本 部の消灯 (開 閉室)時 間を. 光景 です ら,場 違 い なものに映 つていたのである。 しか し,「 中の人」 たちか らみれば,自 分 たちに と. るのだか ら,何 とか方法を考えるので ,延 長 しても らわ. 決めないといけないのでは。避難所から共同生活所へ 。. 10時 半 ,MIさ んが ,巡 回の歯科医さん と ,格 技室の. って避難所 を出るに値す る場所 が提供 されない以上. ,. おばあさん 2人 が慢性の病気のようで ,医 者 に見ても ら. 居続けることは,き わめてあた りまえの状況である。. つたほうがいいという話を伝える。. 総数が減少 してい くといって も,個 々の世帯 にとつて は,居 続けるか出るか とい う二者択一の問題 なのだか. 11時 ,Hさ んの差 し入れの豪華な弁当 を 2つ も らつ て帰る。川の側で ,話 をする若い男女 2人 。. ら。 そ して,「 1年 くらい は続 くのでは」 とい う見通 し. 所 とい う ものが 多 義 的 で あ る こ とが わ か る 。居 る人 の. もあるように,避 難所 の人たちを収容 で きる住宅 の提 供 がいつ になったら可能になるのかについて,ま った. 人数 が ,は っ き りわ か らな い 。 もちろ ん僕 が 名前 を知. く誰 も分か らなか った。緊急時の体制 か らは次第に抜. この メモ か らだ け で も,2月 の 前 半 の 時 点 で の 避 難.

(6) 甲南女子大学研 究紀 要 第 40号. 62. 人間科学編 (2004年 3月. ). け て い きつつ も (そ れは基本 的 には望 ま しい こ とであ. つ ける必 要 が あ る。モ ノ にな まえ を つ けな くと も モ ノは. るに して も),そ れで は避難所 の 終 わ りとい う ものが. 分 け られ る と言 うか も知 れ な い が ,で た らめ に分 け るの. どの よ うな ものか ,そ してそ こ まで には どれだけの 日. で な い限 り ,少 な くとも分 け る基 準 が い る。基 準 は 名 と. 数 がかか るのか につい ては,来 月 一 杯 でおわ りとい う. は限 らな い が ,他 人 に伝 え よ うとす る と ,そ れ は た だ ち. 噂 を毎 月 の よ うに聞 い たが ,現 実 には誰 も予測不可能. に名 になる。. な状 況 にあ つた。水 道 の水 がや っ と出 る よ うにな り ,. た とえ ば 1メ ー トル以 上 の もの と未 満 の もの とを分 け. トイ レ も使 える よ うになった。 しか し,水 を飲 む こ と. よ うとす る場 合 ,具 体 的 な 作 業 で は 1メ ー トル の もの さ. はで きない し,真 冬 の体育館 は,段 ボ ール で 少 しで も. しが あれ ば十 分 で あ る が ,他 人 に この こ と を伝 え る た め. 凌 ご う とす る程 に,寒 い。学校 の再 開 のため に体育館. には =1メ ー トル とい うコ トパの使 用 は不可欠 になる。. に移 動す る ことは,そ れ 自体 が 大 きな作業 であ った。. 池 田は (人 間が作 り出 した人工 物 とは対 照 的 な) 4。. 数 とい う平 等. 「 自然物」 で あ って も,客 観的 に分類 で きることはな い とい う。「事物 を分類するには,自 然 の秩序 に従 う. しか しそれは,全 面的に「地震 の後 の避難所」 であ. のが,最 も合理的である」 とい う「 自然分類」は,現. った場 が,学 校 の なかの避難所へ と変貌 した瞬間で も. 実 にはあ りえない。 もしもこの 自然分類が成立すると. あ った。 ここか ら名前や年齢 を把握 して,人 数 を数え. す れば,次 の 2つ の条件 が 満 た されなければな らな. るとい う作業が本格化 していったのであるか ら。避難. い。第一は,そ れが「人間の都合 とは無関係 な自然物. 所 とい う名前 の場所 が,意 味 を変 えていた。同 じ場所. の名 か価値中立的なもので なければならない」 とい う. が,次 第 に違った意味 をもってい く。. こと,第 二には,そ の分類が等価なもので な くてはな. 市村弘正は,次 の ように述べ ている。. らない とい うことで ある。Aと 非 Aと い う分類 は. ,. 明 らかに等価 ではな く,人 間が識別 で きる Aと い う 人 間は名前 によ って ,連 続体 と してある世界 に切れ 目. ものに価値 をおいた分類 である。 こ うして池田は「分. を入れ対象を区切 り,相 互に分離することを通 じて事物. 類」 とは客観的なものではな く,誰 かの思想 であると. を生成させ ,そ れぞれの名前 を組織化することによ つて. 指摘す る。. 事象を了解する。このよ うに 「名 づ ける」ことによ つて. 興味深 いの は,た だひとつ 「人間の感覚が識別 で き. 物事が生みださせるとすれば ,世 界 はいわば名前の綱 目 組織 と して現われることになるだろ う。 したが つて ,あ. る基準 で価値中立的なもの」 が 「数」 であると池田が 述べ ていることであ る。 しか し,た とえば 1メ ー トル. る事物 についての名前を獲ることは ,そ の存在 について. 以上 を大動物 ,以 下を小動物 とすれば,た いていの大. の認識の獲得それ自体を意味するのであ つた。 (市 村弘正. 人 は大動物 に,赤 ん坊 は小動物 に分類 されて しまい. 「『名 づ け』の精神史」). ,. 私 たちの感覚 には合 わない。 こうして,完 全 に等価 で ある「数を基準 にする分類」 とい う方法 の最大 の欠点. 名 前 を付 け た (付 け られ た )も の が全 体 と して 「 綱. は「我 々が 自然界 を見てナイーブに認識す る類似性. ,. 目組 織 」 を 構 成 す る こ と に な れ ば ,そ こ に は 自ず と. す なわち自然言語の名が,こ の基準 と矛盾す る こと. 「分類」 とい う作業が生 じる。中学校 ,仮 設住宅,復 興住宅,建 て替 え・・ 00「 震災後」 の新 しい状況 を. が, し│ゴ しば起 こる点 に帰せ られる」。 (池 田清彦 『分 類 とい う思想』 ). 定義す る言葉 が次 々 と生 まれて使 われる よ うになる. 僕 にとっての避難所 での経験 は,「 名づ ける」 こと. と,そ れ らと「避難所」 との裂け目が どんどん広が っ. によって初めて世界 を認識す ることがで き, しか もそ. てい く。新 しいこ とばが生 まれて くるたびに,そ して. の「名前」 は決 して等価 な付 け方 をな され ない とい. それ らの ことばが組織化 されるにつ れ,「 避難所」 は. う,こ のことを毎 日のように突 きつ けられて きた と思. 古 いこ とば として孤立 していったのか もしれない。. い返 される。「避難所 にい る人」 と「避難所 を出た人」. 生物学の池田清彦は「分類 と,な まえあるいはコ ト バ は不可分 の関係 にある」 と指摘 し,次 のように述べ. とい う言い方 は,等 価 ではあ り得 なか った。. てい る。 なんであれ ,何 かを分 けるため には ,何 か になまえを. 5。. 数 か ら名 前 ヘ. 避難所が終 わった直後の 1995年 の 9月 ,地 震直後.

(7) 原田. 隆司 :数 とい う平等. のことについて,避 難所 にいた人のひとりと話 した。. だか ら,毎 日体育館で寝 てい る人だけでな く,食 事 が. そのなかに,次 のようなや りとりがある。. 必要 だ とい う人の数 も上積み し,ま た正確 に届け られ る飲み物 の うち「飲 まない」 とい う人の分 をス トック. 一いちばん最初 つてかな り沢山居たん ?最 初の数 日でだ. して 「外 の人」 に渡 した りしていた。. いぶん減 つたん ?そ んなこともない ? まあ 3日 間くらい私もボーと してたけど私のまわ りは. 最初 はおそ ら く1000人 以上 はい た と推測 される避 難者数 は,最 後 にはひと桁 にな り,最 終 日にはゼ ロを. 毎 日変わ つてた。最初 に来たときはも うゴジ ャゴジ ャと. 迎 えた。ブ ロ ック (班 )を 作 り会議 をする,断 熱材 を. 居てて ,あ くる日にな つた ら一組だけにな つて ,夜 中だ け来はつて朝 に居て へ んよ うにな つて そのあと中国人の. 敷 く,井 戸が掘 られる,給 水車が来 る,弁 当が運ばれ る,差 し入れが来る,炊 き出 しがある,温 泉へ の招待. ひとが来 は つて ,4人 家 族 ,そ の 人 が何 日間 か居 は つ. がある,名 簿 をパ ソ コンで作 る,YMCAの お兄 さん. て。. お姉 さんが子 どもと遊ぶ,洗 濯機 を設置する,食 材 が 来 て 自炊す る,「 外 の人」 に弁当 を配 る・ 000避 難. ―このあいだ ,Kさ んと話 してたら最初なんか「 10人 力 ケル. 10人 で百人 くらいかなあ」 つて。. 人数ぜんぜん分か らへ ん。いちばん最初. M先 生が 「ち. ょ つ と人 数 数 え さ せ て も らい ます ,あ ,百 人 で す ね」 (笑 )。. 途中か らもう数え られへ ん (笑 )。 並んでないか ら. 所 のなか とその近 くで行 なわれた ことは,行 なわれる べ くして行 なわれた ことであ る し, しか し同時に,行 なわれな くてもよかったことで もある。分類 された り 名づ けられた りす るためではない,た だ行 なわれた こ. ね (笑 )。 これで百人居てるのかなと思た。. ととしてあ った,こ とで ある。避難 して い る人が い. 一それはいちばん最初 ?. る, とい うことか ら派生 させ られる ことは,予 め定義 されていたことではなかった。. いちばん最初名簿もなんにもない頃 一その日 ?. 次の日 ?. 避難所 とい うものが,突 如 として 自然 に発生 して. 三日目くらい ?. ,. 二 日か三 日目ぐらい。で ,ち ょつと減 つたか ら 80人 でず つと ,お 弁当い うか ,お にぎ りをも らつてた。で. ,. 避難 して きた人が構成 して「避難所」 として管理 され てい く過程 とは,そ うい うものであ った。そ こでは. ,. 余 つてばつか り (笑 )。 「ち ょつと人数きち つと しよ うか」. どれだけのボラ ンテイアが必要なのか さえも規定はな. 言 うて ,だ いたい数えた ら 70人 くらいやわ言 うて。 [1. く,誰 かが. 月末の移動の頃には]最 終的 に 58人 分 まで減 つてた。. りの人)す ればいいこ とであ り,ま た実際 にそれを自. あとはもう落ちついて しもた。. 由 にで きる場で もあ った。学校 の避難所 とは,一 日も. (避 難 してい る人 ,学 校 の先生 ,通. りすが. はや く学校以外 の公的な避難所 に移動す るか,自 力で 1月 か ら 8月 まで の 半 年 以 上 に わ た る 「避 難 所 」 の 存 在 とは何 だ ったの だ ろ うか 。 お に ぎ りや ペ ッ トボ トル 入 りの 飲 み 物 ,お 菓 子 な ど が ,24時 間不 定 期 に 突 如 と して 持 ち込 まれ ,数 え る. 居住場所 を探す か,遠 方 であれば空 いている仮設住宅 や賃貸 マ ンシ ョンに入る ことが求 め られた場 であ る。 「避難所」 とい う名づ けは,そ うい うものであ った。 しか し実際 には,お よその人数. (だ. け)し か把握 で. ヒマ もな くそ れ らが 出 て い き,求 め られ る もの は常 に. きない とい う,た とえそれが短期間のことであるにせ. 「在庫」 が少 な く,そ うでない ものは積み上 げ られて. け)に よる「平等」 な場か ら,学 校 の なか の「避難所」へ と変貌 し,さ らに,個 別 の名前 をもっ. い く。. よ,数. (だ. そうした中か ら,や がて「避難者数」 を報告する こ. た人たちの生活の場 ,つ まりは,継 続 と反復 によリー. とが求 め られ,上 述 の ように「外 の人」 にもわたるも. 定 のスペースが確保 され,食 事 と飲料が規則正 しく配 布 される場 となっていった。つ まり,い ろい ろな意味. の として食数が積 み上げられていた。 やがて所帯 の構成員 の名前 と年齢 な どが把握 され て,「 中の 人」=「 避難者」 とい う分類 によって,弁 当. で「終 わる」 ことが困難な場 になっていったとい うこ とである。. も紙パ ック入 りの牛乳 も,プ リンスメロンも,正 確 に 文. その数 だけが計算 されて届けられるよう僕 たち「本部 ボラ ンテ ィア」 は,「 中の人」「外 の人」「 (中 学校 の) 先生」 とは異なるカテ ゴ リー に分類 され (あ るいは 自 ら分類 し),こ の過程 のなかで,数 を コン トロール し てい た。「中の人」 の厳密 な定義 がない ままであるの. 献. 池田清彦 『分類 とい う思想』 1992,新 潮社 「名づ け」 の精神史』 1996,平 凡社 市村弘正 『 付記 僕 は,い わゆる「震災 ボ ラ ンテ イア」 の一人であ りな.

(8) 甲南女子大学研究紀要第 40号 が ら,1995年 の地震 とその後 の状況 につい て,約 9年 が 経過 した現在で も,自 分 の経験 につい て詳細 に公言す る ことを躊躇 してい る。 これ までに,「 非 日常 のなかの 日常. 人間科学編 (2004年 3月. ). 今年 (2003年 )は ,第 二次世界大戦が終わってか ら 58 年 ,そ して関東大震災か ら 80年 である。それ らの出来事 につい て当事者 たちは どの よ うに振 り返 るのかについ て. (2)経 験 と表現 ,1997. 思 いつつ,ま だ 10年 にも満たない地震 につい て公 言す る ことは時期尚早 であるとも考 えるのである。 同時 に,今 年度 の 大学 3年 生 は「震災」 の 時 には小 学. (3)空 間 と生活,1998 吾るとい うこと, 1999 (4)経 験 を言. 校 6年 生であった とい う。そ う して,僕 自身 も,あ の 地 震 の ことについ て,日 常的 には,以 前程 には意 識 しない. (5)避 難所 の終 わ りと始 まり,2∞ 0 (6)学 校 が避難所 になる 2001. ようになっていた。. 1995年 西宮」 と題 して,次 のように記 してきた。. (1)ボ ラ ンテ ィアの多重性 ,1996. (以 上は「甲南女子大学人間科学年報』第 21-26号 に掲. 載. 連 れて,ほ んの半時間 ほ どで,あ の時 の ことに戻 ってい く。そ して昔の 自分 と,そ れについ て思 い 出 して い る別. ). (7)水 の物語 ,2002 (8)家 を建てるとい うこと,2003 (以 上は『甲南女子大学研究紀要. 号 に掲載. ). しか しなが ら,こ の稿 を起 こすため に自分の書 い たメ モ を読 み返 して い き,固 有名詞が どん どん増 えて行 くに. の 自分 とが,次 第 に一緒 になって,あ の 頃 のほ うか ら現 人間科学編」第 38,39. 在 のほ うを見 つめている気分 になるのである。 (2003年 12月 20日. 未完).

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参照

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