ペスタロッチーの「メトーデ主義」について : オスターヴァルダーの『探究』解釈の問題点
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(2) 甲南 女子大学研 究紀 要第 41号. 人間科 学編 (2005年 3月. ). め ぐる「ペ ス タロ ッチ ーの作用史. ル ダーの説明によれば「機械 的な作用仮定 に立つ規則. WirkungsgeschiChteは それ 自体す でに彼 の理論 の正 し. 的かつ秩序正 しい方式 に合 わせて,教 育学 の問題 を整 序す る」主張 をい う (osterwalder 1995,S.171)。 ペス. 模範性. Klassizitatを. さの しるしである」 (M.リ ー トケ)と い う見解 に異議 を唱え,ペ スタロ ッチーの理論 と作用史の間 に矛盾 し. タロ ッチーの場合 ,こ の主張はメ トーデ こそ教育 であ. それに よれ. る とい う要求 に結 びつ くが,そ の際,彼 の教授法 は. ばペ ス タロ ッチーの作用史は理論の妥当性 を保証 しな. “ グ′ θMethode"と 称 されることで,す べ ての教育 目標. い。現代教育学 に対す るペ スタロ ッチーの大 きな意義 は理論 の中 にはない と見ることによ り,解 釈 の歴史 と. や教科 にひとしく適用で きるだけでな く,絶 対的 な根. た関係 を見る (osterwalder 1996,S。. 149)。. 一つ となって現代 の理解 を規定す る作用史の憂 うべ く. 拠 をもつ,そ れ故唯一可能で唯一善なるもの として 祖国 スイスをはるかに越えて影響 が及 んだ とい う。オ. ペ ス タロ ッチ ー崇拝 を決 る。 もっ とも彼 の「作用史. ス ター ヴァルダーによればペ ス タロ ッチーのほとんど. 的」研究 は理論 と解釈 の歴史を切 り離すので,そ の よ うな理論 (テ クス ト)と 解釈 との二元論 を越えるガダ. すべ ての発言や構想 はメ トーデ開発 が出発するシュタ. ,. マーのいわゆる「作用史」概念 と必ず しも一致 しない. ンスの経験 か ら 1827年 の最後 の著作 に至 るまで,こ の ような メ トーデ主義 の主張 や要求を中心 として展開. クス. し,「 ペ ス タロ ッチ ーのメ トーデのあ らゆる試みが挫. ト)そ の ものの拘束性 を免れない とすれば,ペ ス タロ. 折 したと見なされなければならなか った後 で も,教 育. ッチーの理論その ものの妥当性 に疑義 を唱え,そ の業 績 を否定 し去 るの も「作用史」的研究 の一つのヴアリ. 学 をメ トーデによつて新 しい基礎 の上に打 ち立てた と い うペ スタロ ッチ ーの 名声 は 20世 紀 にまで続 い た」. エー シ ョンか もしれない。問題 はペ ス タロ ッチーの理. (S.165。 ,197./傍 点 は引用者)。. 論その ものを疑 うに足 る論証 に成功 しているか否 かで. 語 られて きた近代教育学 の創始者ペ スタロ ッチー とい. ある。. うテーゼである。 もっともこのような繰 り返 しの 中で. (丸 山. 149頁 )。 もっともいかなる解釈 も理論. (テ. 小論 はオ スター ヴアル ダーの立論 の起点 となった 『探究』 テクス トに照準 し,彼 の 『探究』解釈 の 問題. すなわち,繰 り返 し. は「メ トーデの試 みの挫折」 が語 られることはあまり. 点 を指摘することによ り,彼 の論証が必ず しも成功 し. ない。 しか しオスターヴァルダーの眼 目はその ような 挫折 にあつたか ら,彼 は何 よりもまずペ ス タロ ツチー. てい ないことを明 らかする。以下,オ スターヴアルダ. の成功諄 の根拠 となる理論 を否定 しようとする。. ーの二つのモノグラフ,① 「メ トーデーー秩序,知 覚. しかるにその ときオスター ヴァルダーの眼前 に現 れ るのはシュプラ ンガーの例 の 『探究』解釈 の定式 であ. ,. 道 徳 的主体. 1生. 乃θグι一 一 θだ 4“ 4g,″ 物物 滋 (DJθ ν ι′. ′κg “. r, 1995)」 ,② 「ペスタロツ rJソ ク ′ sε た S′ bJiι た ′ η グ θ″′ “ チー生誕 250年 に寄せて―一合理的議論あるいは教育 J′. 学的なるものの崇拝」 (Z′ 一一 rarJθ 4α ′ θスrg“. “. 25θo G`b夕. Jθ η θ グθr ι4′ α′ “. i(“. rrs′. θ g Pι Srα ′ α zが s. ′ rグ θs」Pα グαgθ gJsε んθ4,. る。オス ター ヴアル ダーの『探究』解釈 は基本的 には エ ルカースによる「ペ ス タロ ッチーは 『探究』 によっ て 完 成 な い し道 徳 性 を 自 己 教 育 に 取 り戻 す zu_ rucknchmen」. とい う解釈 に したが う。それ故 オス ター. 1996)を と り上 げ るが ,『 探 究』 を起 点 とす る① の論. ヴァルダー もこれを「純粋 に内面的に構想 された道徳. 考 を中心 に して ,先 ず ,オ ス ター ヴ アル ダーが そ の 中. 性 は社会的関係 としての教育の 目標領域 の外部 に属 し,せ いぜい 自己教育 の 目標 として述べ られる しかな. で 展 開す る (1)ペ ス タ ロ ツチ ー の メ トー デ主 義 の 起 トーデの理論 的矛盾 なる もの を と り上 げ る。 そ う した. い」 と敷イ ツ テし,「 社会的制約 ない し社会的関係 として の教育 か ら,道 徳性 を自己教育へ取 り戻す」 とい うエ. 上 で ,(3)ペ ス タ ロ ツチ ーの そ の よ うな矛 盾 が 実 は. ルカースの解釈 に倣 って,『 探究』 とメ トー デの非連. 点 お よび (2)そ の 歴 史的 コ ンテ ク ス トを検 討 し,メ. 『探 究』解釈 の誤 りに よるオ ス ター ヴ ァル ダ ー の フ イ クシ ョンで あ るこ とを明 らか に して い く。. 続 ない し断絶 を主題化する ように見える. (S.168f。. )。. もっとも彼 には この「取 り戻 し」論 は道徳的 自律 をめ. ペ ス タ ロ ッチ ー の メ トー デ 主 義 の 起 点. ぐるシュプランガーの定式 の異なる表現 と考 えられな くもなかったか らであろうか,エ ルカース とシュプラ. メ トー デ主 義 MethOdismusと は プ ロ テ ス タ ン トの. ンガーの対立 についてこれを人間は「純粋 の道徳性」 においては生 きていけない とい う『探究』 の命題 にス. 1。. 一 派 メ ソジ ス ト派 MethOdismusの 謂 で は な く,オ ス. ライ ドして焦点づ ける。 シュプラ ンガーはこの命題 を. ター ヴ ァル ダー の用法 で は教育学 的 メ トー デ主 義 を意. 道徳性 の社会的制約 と読 み,「 社会的関係 としての教 育」 の メ トー デ化 へ の糸 口 と捉 える。「連続性原理」. 味 す る。それ は教授 法 上 の概念 と して ,オ ス ター ヴ ア.
(3) 小野寺律夫 三ペ ス タロ ッチ ーの「メ トーデ主義」 について. 100)と 称 されるシュプランガーのその. ような読みがエルカースの「非連続ない し断絶」論 と. られた好意 の優越―一が私 の本性 に可能 となる情 調へ の感覚的,動 物的導 き cine sinnliche tierische. 対立すると見たわけである。. Elinlenkung zu der Gemiitsstilnung, in welcher dic. (Spranger,S。. オスター ヴァル ダーは「連続性原理」 の評価 におい. Sittlichkeit, das ist, das Ubergewicht meines ge―. てエ ルカース と袂 を分かったようだ。 エルカースの場. renigten und erhё hten Wohlwollens, uber meine. 合,「 道徳性 の 自己教育へ の取 り戻 し」論 に立ち,『 探. Selbstsucht,meiner Natur mё glich wird.」. 究』 とメ トーデの非連続 を主張 で きるためには,「 連. (S.H8). ③ 「宗教 はこの導 きの私の本性に可能な最高の力で ある。Die Religion ist dic hё chste meiner Natur mё ―. 続性原理」 の徹底 的否定が必要であ った。 しか るに 「純粋 の道徳性」 の命題 は F探 究』 の否定 し得 ない契. gliche IGaft dieser Einlenkung,」. (cbd。. ). かなか った。エ ルカースは 自己創造 としての道徳性. ④ 「この均衡 (好 意 と我欲の均衡)を 本質的に止揚 す る情調へ の導 き及び接近 Einlenkung und Na―. が,一 方 で他律的な教育 の成果 として論 じられる 『探. hemng zu der Gemutsstilnung, die dieses C}leichge―. 究』 のパ ラ ドックスをペ ス タロ ッチー教育学 のスキ ャ. wicht wesentlich aufhebt,」. ンダル として斥 けなけれ ばな らない。「連続性原理」. 者). 機 であ ったか ら,『 探究』思想その もの を否定す る し. とい う他律的な教育へ の道 をひら く思想契機 を馬鹿げ た奇論 として論難 して見せ るわけである (Oelkers,s. 35 ff。. /小 野寺 32頁 )。. (ebd./括 弧 内 は 引用. オスター ヴァル ダーはこの うち① に照準 して,“ Ein― lenkung"「 導 き」概念 を「 自己教育 のプ ロセスーー衝. 動的,社 会的関心か ら道徳的 な 自己教育 へ の個 人の. もっともオス ター ヴァルダーか らすればシュプラ ン ガーの方 にも,メ トーデは道徳的 自律 とい う人間の 自 発 ・ 自己活動性 の助成 で あるのか,は た又 ,「 連続性. “ 捨身の躍入"― ― をひきおこす社会的 に意のままにな る教育 の道す じ」と規定す る (Osterwalder 1995,S.169 f。. )。. Einlenkung"「 導 き」 その際,彼 が着 目す るのが “. 原理」か ら導 かれる構想 であるかの曖味 さが見て とれ. 概念 の「社会的に意 のままになる」性質であ り,こ の. たようだ。実 はこの曖昧 さは 『探究』その ものの難解. 性質に したがって規則的,法 則的,機 械的,合 自然的. さに由来するといってよいが,シ ュプラ ンガーは じめ. な経過 として組織 される “ Einlenkung"「 導 き」の教授法 上の可能性 が指摘 される。「道徳的な自己教育」へ の. 通説 は前者 にそ くして考 えて きた。エ ルカース もそれ にそ くしなが らもこれを否定す る形 で「取 り戻 し」論 を展開 し,シ ュプラ ンガーの定式 に対抗す るわけであ. “ Einlenkung"「 導 き」 の過程 の規則的,法 則的,機 械 的,合 自然的な組織化 ,オ ス ター ヴァルダーによれば. る。ではオスターヴァル ダーはどうであ ったか。彼 は. その ように して組織 される教授法上の一定の体系 がペ. 一 方 で エ ル カー スの「取 り戻 し」論 に与 し,『 探 究』 とメ トーデの非連続 の立場 に立つ。 しか し「連続性原. ス タ ロ ッチ ー の メ トー デで あ る (s.170)。 “ Einlen― ペ kung"「 導 き」概念 は ス タロ ッチ ーのメ トー デ主義. 理」 をスキャンダル として論断す るエ ルカース とは見. の理論的な起点である。. 方 を共にしない。エ ルカース に引 きつ けられなが らも. ところでオスター ヴァル ダーによれば,ペ ス タロ ッ. シユプランガー との間で動揺 し,結 果 としてシュプラ. チーのメ トーデない しメ トーデ主義 の理論的基礎 は 4. ンガーの曖昧 さに切 り込 む形 で,『 探究』 の “ Einlen―. つの「任意性」 と 2つ の「仮説」 か ら構成 される。先. kung"「 導 き」概念 に照準 を合わせ る。一体 この概念. 回 りして言えばそれ らはペスタロッチーのメ トーデな. は論理的連関 としては「連続性原理」の連関に連なっ てい る。オス ターヴァルダーはそのように してエルカ. い しメ トーデ主義 の虚構性 を暴露するオス ター ヴァル. ースか ら離 れ,『 探究』 を起点 としてメ トー デの虚構. Einlenkung" くして これ らを概 括 す るが,こ こで は “. 性 の立論 に着手す るわけである。. ダーの仕掛け,概 念装置 であ る。以下,彼 の記述 にそ 「導 き」概念 が登 場す る如 上の①②③④ の うち,な ぜ. ところで,“ Einlenkung"す なわ ち「導 き」 とい う. か②③④ を無視 して陥るオスター ヴァルダーの致命的. 概念 は名辞 として次 の ような表現 で,『 探究』テクス. Einlenkung"「 導 き」概念 誤 りを予告 してお きた い。“. トの四箇所 に登場す る。. の と りわけ②④ に見 られる「情調」概念 こそオス ター. ①「道徳性の領域への動物的導きdie. ticHsche Ein―. lenkung in das Gebiet der Sittlichkeit」. (SW 12,S.. 40). ② 「道徳性――私の我欲に対する私の純化され高め. ヴァルダーによつて暴露 される虚構性が実は彼 による フィクションである ことを明 らかにして くれ る。それ については 3.で 後述す る。.
(4) 個 人化 ,内 面化 し,あ らゆる世俗的行為 をその よ うな 2。. メ トー デ 主 義 の 理 論 的 基 礎. 救済行 為 との個 人的 ,内 面 的 な関連 か ら吟味す る力 の 訓練 を信仰 実践 の 中心 に据 える。「 隣人へ の 愛 の 行 為. (1)三 つの歴史的 コンテクス ト. が 真 の愛 か ら発 したか」 と隣人 に対す る 自 らの世 俗 の. 「任意性」 とは オ ス ター ヴ アル ダー が用 い る概 念 “ Dispositiv"の 訳語 である。ペ スタロッチ ーの メ トー. 行為 を自ら内面 的 に吟味す る力 の訓練 で あ る。 オ ス タ. デの 「任意的 な dispositiv出 発点」 な どと形容詞 の形 で も用い られる。前述 の「自己教育 のプロセスを引 き. 練 の個 人化 ,内 面化 のモデルが 非神学 的潮流 に受 け継. 起 こす社会的 に意の ままになる vermgbar教 育 の道す Vermgbarkeit"「 自由 になる」「意 の まま じ」 に言 う “. の対決 の 中で ,道 徳性 を個 人 の主 体 1生 や内面性 に取 り 戻 した り,内 的超越 に基 礎 づ け る流 れが 作 られ る. になる」性質が Disposidvな る語 で表 される。小論 で. 174f。. は これ を「任意性」 ない し,更 に敷イ して「教育学. い し道徳性 を自己教育に取 り戻す」 とい う先 のエ ルカ. 的」任意性 と訳す わけである。教育学的任意性 は 4つ の 分 節―― ①刺 激 一反 応 ―図 式 ,② 事 物 の 順 序 配. ースの解釈 は思 うにそのような流れか ら導 かれる読み であ ろ う。. 列 ,C絶 対 的要素 ,C三 位 一 体 的 人間一― に分 かれ る。す なわち① について言えば刺激 ―反応 一図式 に し. 前二者 にも増 して,ペ ス タロ ッチーのメ トーデ主義 の基礎 となるのが③ の感覚論 である。感覚論 はニ ユー. たが って意 のままになる教育学的 な操作可能性がそれ. トンの 自然科学的パ ラダイムと一致 し,デ カル トの二. 'テ. ー ヴ ァル ダー に よればその よ うな信仰実践 と して の訓. がれ る とき, と りわけ近代 の経験 科学 や現世的傾 向 と. )。. (S。. 「ペ ス タロ ッチ ー は 『探究』 によって完成 な. 元論 と対立す る。 それ は まず ロ ックの認識論 と して認. である。 ところでオスター ヴ アルダーはこれ らの個 々の説明. 識過程 を「感覚」とその加工 たる 「内省」 に還元す る。. に先 だち,ペ ス タロ ッチーのメ トーデ主義成立 の歴史 的 コンテクス トを整理 している。 ここではその コンテ. 感覚論 的 パ ラダイムが ペ ス タ ロ ッチ ーの み な らず メ ト. クス トか らまず見てい きたい。それによれば,メ トー デ主義 つ まり「機械的 な作用仮定 に立つ規則的かつ秩. 「 内省」 が内的空 間 と して神 的 な救 済 の 対 象 た る魂 と. 序正 しい方式 に合 わせて,教 育学 の問題 を整序す る」 主張 は早 くも宗教改革 に続 くバ ロ ツク教授 学 に始 ま. よ りこの塊が教育学化 された経験 の建設 的 な介入で到. ー デ主 義 一般 に魅力 的 で あ るの は,ロ ックの構想 で は 同一 視 され るのみ な らず ,感 覚的経験 の物 質的性格 に 達可能 な合成 Compositumと 記述 され た こ とで あ る。. る。 しか し近代科学 の発展でそのバロ ック的宇宙論 が 排除 される 18世 紀 になる と,① 自然神学 ,② 敬虔 主. 実 際 ,敬 虔 主義 者 は この 感 覚論 的合 成 モ デ ル を 1700. 義 ,O感 覚論 とい うメ トーデ主義 の三つの新 たな基礎. ため に利用 した とい う。 しか るにその 際 ,救 済 の対象. が発展する. たる魂 と感覚論 に言 う経験 の 成果 (合 成 )と して の魂. (S。. 171)。. 年 頃早 くも信仰 メ トー デ主 義 Glaubensmethodismusの. まず,① の 自然神学 について言 えば科学 と神学 は本. との不 一 致 は どの よ うに して架橋 され るのか 。神 の救. 質的 に調和す る。 自然 は人間 にとつて規範的な意味 を もつ神的,道 徳的な世界秩序 を表す とい う,例 えば神. 済 の行為 で 架橋 され る とい う合理 的 には受 け入 れが た. 学者 デ ラ ム (Derham 1657-1735)の 定式 化 は 同時代. の超越論 的道徳法則 の手本 とされ る. の 自然科学者 に注 目され,彼 らにより自然科学的秩序 システムにも同 じ秩序が作用すると考えられるように. 敬虔主義者 の感覚論 的 モデルの利用図式 は先 回 りし て言 えば ,「 感覚論 の 敬虔 主義 的加 工 」 図式 とい うペ. イリー 42-5頁 )。 自然 の秩序 は細 かな目盛 り. ス タロ ッチ ーの メ トー デの根本 的 ,本 質的矛盾 が 導 出. に刻 まれた道徳的順序 ,自 然の知識 の配列 は道徳的 な 配列 を示す とい うわけである。ペ ス タロ ッチーのメ ト. され る歴 史的 コ ンテ クス トであ る。 またオ ス ター ヴ ァ ル ダーが ここで カ ン トの道徳法則 を もち出す な らば. ーデ主義 はこの ような自然神学的秩序思想 の教育学的. カ ン トもろ とも『探 究』 の 自律 の 道徳性 を敬 虔 主義 的. 転回の一例 として,当 時のチュー リヒ思想界 の動向の )。 中で捉 えられるとい う (Osterwalder 1995,S.171∬ 。. 0福 音主義 的 な救 済概念 に方 向 づ け る こ とに よ り. なる. (ウ. 次 に,② の敬虔主義 は 自然神学 よリー層神学 に結 び つ くが決定的 な点で近代的である。正統改革派 キリス ト教がなお教義 に重点 をお くのに対 して,敬 虔主義 は 神 の救済行為 を強調す る。のみ ならず この救済行為 を. い解決 の仕方 は,オ ス ター ヴ アル ダー に よればカ ン ト. 169。. (S。. 177f。. )。. ,. (S.. ),い わゆるペ ス タ ロ ッチ ー の「感覚論 の敬 虔 主 義. 的加 工 」 図式 を導 き, もって これ を矛盾図式 と して否 定 しようとす る意 図 がすで に見 え隠れす る。 しか しこ の よ うな仰 々 しい論証 は 『探究』解釈 の誤 りよるフイ クシ ョンで あ る。これは後 で主題 として詳 しく述 べ る。.
(5) 小野寺律夫 :ペ スタロッチーの「メ トーデ主義」 について. 感覚論的パ ラダイム を本 質的 に進捗 させ るのは コン デ イヤ ックである。彼 の 『感覚論』 (7rα どグι s sι 4sα ―. 規範 的秩序 で あ る点 で ,自 然神学 的 な存在 論 的 ・実体. ′ Jθ ん s,1754)で は「内的な組織構成が我 々 と同 じであ. 的 な秩序 であ り,そ の よ うな秩序 ない し順 序配列 と し. るが,そ の精神 はいかなる種類 の観念 も持 たない よう. ては言語す なわ ち辞書 的 なす べ ての概 念 の順序配 列 が. な立像」 が観念 つ まり「像 とみなされる知覚」 を獲得. 持 ち出 され る。正 しい言語秩序 が教育学 的 に意 の まま. してい く過程が,「 分析」 とい う記号 (言 語)に よる. にな る形 で伝達 され る とき,「 感 覚 的」 自己構 成 のみ. 観念 の「分解」 と「再構成」 の二重 の操作 の展開プロ. な らず 「真 の」 自己構成 も想 定 され る とい うの だ. J′. セス として検討 される. (山. 口 24,45,54頁 )。. コンデ. ッチ ー の場 合 ,順 序 Reiheは 経験 世界 で見 い だ され る. (S.. 186 ff。 )。. イヤ ックの立像 モデルではロ ックの「内省」 のみ なら. ところでこのような教育学的任意性でポイントにな. ず心的現象 はすべ て「感覚」 に還元 される。立像 が獲. るのが,前 二者の対立である。 これは①の立像が主観. 得す る観念 ない し情動が外部からひとつずつ与 えられ. 性を獲得する刺激順序 と②の 自然神学的な規範的秩序. る感覚的刺激 として分解 され,ま た分解 された要素が. (順 序)の 不一致,す. 刺激順序 として再構成 されるとき,立 像が主観性 を獲. 然神学の存在論的 0実 体的真理の対立を反映する。 し. 得す る刺激 ―反応 の順序配列 こそ,教 育学的 メ トーデ. かるにこの不一致,対 立を解決するものとして登場す るのが③ の任意性である。絶対的要素 とい う概念によ. 主義 を「だか ら立像 は 自分 で獲得 したのでないか ぎり 何 もので もない。なぜ人間 について も同 じではなかろ. なわち感覚論の比量的真理 と自. うか」 (コ ンデ ィヤ ク 139頁 )と い う形 で基礎 づ け る. る①② の任意性の一致である。なるほど要素 Elemente は立像モデルの観念の「分解」 と「再構成」 とい う二. (Osterwalder 1995,S。 178■ )。. 重の操作から析出される。 しかし③ によつてそれは単. オスターヴァルダーによればペスタロッチーのメト ーデ主義は以上のように,① 自然神学,② 敬虔主義. に分解された要素的刺激ではな く,規 範的,存 在論的. ,. ③感覚論の三つの歴史的コンテクストの上に成立する とされる。. 意味が付与 されることによ り,普 遍的な秩序 の出発 点,絶 対的な始まりとして現れる. (S.189f。. )。. ③ の任. 意性 はその よ うな絶対 的要素 に したが って意 の ままに なる教育学 的操作可能性 で あ る。. (2)「 感覚論 の敬虔主義 的加 工 」 図式. 知 的認識 に関す る絶対 的要素 と しては,正 方形 と人. ペスタロッチーの教育学的任意性の4つ の分節―― ①刺激―反応―図式,② 事物 の順序配列,③ 絶対的要. 間 の 身体 が想 定 され る。両者 は実体 的 な世界秩序 の す べ ての原理 を含 むのみ な らず ,そ れ に対す る反応及 び. 素,④ 三位一体的人間―― は,メ トーデ主義の三つの 歴史的 コンテクス トの相互の重なりの上に展開する。. 反応表現 (音 Laut,数 Zahl,形 Form)に よって一 切. 最初の① の任意性 は人間のあらゆる活動ない し精神的 状態は一定の感覚的刺激や習慣によって引き起 こされ. ダー に よれば知 的基礎教育 は要素的刺激 を絶対 的要素 たる正 方形 や身体 に確 固 と結 びつ け,間 隙 の ない そ の. るとい うコンディヤックの基本仮定に立つ。刺激―反. 順序配列 に よつて知 的秩序 を音 ,数 ,形 に よって構築. 応の因呆性が道具的に操作できるとい う仮定であり 『ゲル トルー ト』の「教育の機械化」つ まり人間の主. す る機械 的 な活動 と して理解 され る。絶対 的要素 は情. ,. の知識 を導 く絶対 的 な始 ま りであ る。 オ ス ター ヴ ァル. 緒面 (母 子 の感覚的関係 )や 身体運動 に関 して も想 定. 観性の機械論的構成がそれである (sw 13,S.196)。 ちなみにペスタロッチー場合 この ような機械論的因果 性へ の合法則性 を「合 自然的 naturgemass」 と称 し. こから生ずるのは「真理」 だけ とい うメ トーデ理解が そ こか ら導かれる (S.190 ff。 )。. 環境世界の刺激に対する感覚的反応は「直観」なるタ ームが割 り当てられるとい う。具体的には「機械的一. 最後 に④ の任意性 は三位一体的人間に立つ。 これは 前三者 とは異なり,教 育学的任意性の基礎づけの議論. 自然的 な法 則 mechanisch一 phisische. で はない 。 三位 一 体 的人間 は任 意性 が可能 となる根拠. ,. Gesetze」. (S,85). され るが ,要 素 な い しその順 序 が個 人 に定着す ればそ. に合致する形で,音 節の組み合わせ,語 並列,体 育や. と してで はな く,教 育学 的任意性 の対象 と して持 ち出. 親子間の愛着等の反復訓練の集積 としてメ トーデ化 さ. されて い る。 ここで三位 一体 とはオス ター ヴ ァル ダー. れる. に よれば ,パ ウ ロ神学 の 身体. (osterwalder 1995,S.184 ff。. )。. ② の任意性 は事物の順序配列に立つ。順序配列 Rei―. Kё rper,魂. Scele,霊 Geist. とい う人 間 の三 位 一 体性 Trinitatに 符 合す る。故 に神. heordnungは 概念 としては,立 像が主観性 を獲得す る. の救 済 と復 活 の対象 として ,本 来 ,任 意性 の対象 とは. 刺激一反応の順序配列の枠内にある。 しか しペ ス タロ. な らな い が ,ペ ス タ ロ ッチ ー は教育学 的 に操作 可能 な.
(6) 甲南女 子 大学研 究紀 要第 41号. 人間科学編 (2005年 3月. ). 対象 として設定 しているとい う (S。 192。 ,197)。 その 際ペ スタロ ツチー によつて持 ち出されるのが絶対的要. kung"「 導 き」 の 「 社 会 的 に 意 に ま ま に な る」 性 質. 素 の無間隙 な配列 による三位一体的人間へ の機械的到. の三位 一体的人間は神 の業 としてすでに任意性 にあ ら ざるものであ った。一体すでにその ようなもの として. 達 とい う③ の 任 意性 に よる操 作 可 能 性 で あ り. (S.. 19o),又 それを補 うものがすなわち,感 覚論的 な二つ の「仮説」 ―一 ①諸能力 の訓練強化,② 訓練強化 され た諸能力 のメタ能カーー である。① は諸能力の訓練強 /‐ 化 により要素的刺激 な しで も三つの力・ 体 の調和的統 一が産出され るとい う仮説であ り,② は諸能力 の付加. “ Disposhiv"の 4つ の分節から成る。しかし同時に④. あるものをペ スタロッチーは果 して教授法上の任意性 の対象 として持 ち出すであろうか。ペ ス タロ ツチーで はな く,オ スターヴアルダーの『探究』解釈 の混乱 が そうさせると考 える ことがで きる。 しか し彼 のために 一言す ればそこには 『探究』解釈 にあまね く見 られる. 的能力 としてのメタ能力 により調和的統一が産出され るとい う仮説である。 ちなみにこのメタ能力の働 きは. 混乱が反映 してい るか もしれない。. 感覚論 的概念 として「内的直観」 と称 され る とい う. 加工」図式 の矛盾 として,要 素的刺激 による三位一体 性 の産出モデルが経験的知識 の無限性 ・多様性 を解消. (S.195f。. )。. パ ウ ロ的 な三 つの 力 の調和 的統 一 はひたす ら絶対 的. なお,オ ス ター ヴァルダーは「感覚論 の敬虔主義的. する点で,感 覚論 の基本仮定 と衝突す る矛盾 を加 える しか しこれはすでに述べ た絶対的要. 要素 たる感覚的刺激 に結 びつ け られ る。加 えてそれ は. (S。. 能動 的 に産 出 され る まで徹底 され る反復訓練 お よび付. 素 をめ ぐる感覚論 と自然神学 の結合 に関わる問題であ. 加 的 メ タ能力 の結果 と見 な され る。 そ して ,そ の よ う. ろ う。. 194,196f。. )。. に してペ ス タロ ッチ ーの メ トー デの構造 と して図式化 され るのが ,先 に挙 げ てお い た「感覚論 の敬虔 主義 的. 3.「 教育」概念 の混乱. 加 工 」 図式 ,敬 虔 主義 的 ・パ ウ ロ的 な調和 的統 一の感. オスター ヴァルダーはどの ようにすれば,④ の任意. 覚論 的合成 Compositumモ デルであ る。 敬虔 主義 的 な Verarbeitung"「 加 工 」 三位 一体 的 人 間の感 覚論 的 “. 性 をペ スタロッチー 自ら持 ち出す如 く語 ることがで き. 「消化」 とい う理解からする図式化であろ うが,あ る いは「敬虔主義の感覚論的加工」 と呼ぶ方が適切かも. るのか。 どの ようにすれば,「 感覚論 の敬虔 主義的加 工」 とい うフイクシヨンをフ レイム・アップで きるの. しれない。いずれにしろ,敬 虔主義 と感覚論の結合 を オ ス ター ヴ ァル ダー は認 め るわけで ,そ の よ うに図式. か。そ こに見 られ るの はオス ター ヴ ァル ダー の 『探 究』 の「教育」概念 についての混乱 である。彼 は 『探. 化 した上 で彼 はそれ を直 ちに理論 のみ な らず ,応 用 で. 究』 の「教育」概念 を区別 して,「 社会的関係 として. も失敗す るペ ス タロ ッチ ーの メ トー デの根本的 ,本 質. の教育」 と「自己教育. 的矛盾一― 任意性 にあ らざる もの を任意性 と して設定. しての教育」 をあげる。前者は普通 「社会化」 と言 わ. す る矛盾―― と して斥 ける。 これ がす なわち,ペ ス タ. れる概念 にあたる。後者 は彼 の説明 によれば「道徳的. ロ ッチ ーの メ トー デな い しメ トー デ主義 の 虚構性 の暴. 自我が衝動的な らびに社会的 自我 を支配する自己再帰. の 「任意性」 と 2つ の 「仮説」 に よる メ トー. デの理 論 的矛盾 の検証 で あ る。 しか しそ もそ もこの オ. 的な関係」 として道徳性 の形成 を目指す (S.168f。 )。 エ ルカースの「道徳性 の 自己教育へ の取 り戻 し」論 を. スターヴァルダーの言う矛盾図式 なるものは④ の任意 性を持ち出 さなければ描かれるはずもない図式,議 論. 受ける概念 であ る。 しか しその際オスターヴアルダー が続けて,ペ スタロッチーのメ トーデは「社会的関係. にな りえない もの を議論 す るは じめか ら分 か り切 った. Einlenkung"「 導 き」へ 方 向 づ け と して の教育」 を “ ることにより組織 されると述べ るなら│ゴ , ペ ス タロ ッ. 露 ,4つ. 矛盾 で はなか ったか 。. (な. い し自己再帰的な関係 )と. ォ ス ター ヴ ァル ダー は この 図式 をペ ス タロ ッチ ー 自. チーのメ トーデを自己教育つ まり道徳的自己教育へ の. 身が 持 ち出す如 く語 る。 しか し果 た してそ うで あ ろ う か。 これ を持 ち出す の はオス ター ヴ アル ダー で はなか. “ Einlenkung"「 導 き」 の組織化 と規定す る 自 らの先 の 「メ トーデ」理解 と矛盾 してい る。な るほ どこの分か. ったのか 。 も しそ うで あれ ば ,「 感覚論 の 敬 虔 主義 的. りに くさはオスター ヴアルダー 自身自覚 してい るよう. 加 工 」 図式 はオス ター ヴ アル ダー に よる フ イクシ ヨン. で,「 自己教育 としての教育」の道徳性 とい う目的. で あ る。彼 の言 う ところに よればペ ス タロ ッチ ー の メ. は,メ トーデとして組織 される「社会的関係 としての 教育」 により「媒介的」 に可能 になるとい う趣旨の説. Einlenkung"「 導 き」 トー デ は 道 徳 的 自己 教 育 へ の “ Einlen― の組織化 で ある。教育学 的任意性 はその よ うな“. 明を加えている. (S.170)。.
(7) 小野寺律夫 三ペ スタロ ッチ ーの「メ トーデ主義」について. しか し「媒介的」 とはどんなことか。「社会的関係 としての教育」が「媒介的」 に道徳性の形成を可能に. 働 く動物的好意」)の 二つ の原理 で人類 の社会状態 ヘ. するなら,「 自己教育 としての教育」 はこの媒介的形. クス トの吸収 よりもその大胆な変形 ・翻案が もち味で あ り,ホ ッブス,ロ ック,ル ソー らと一線 を画 し,社. 成 とどのように関係するのか。実はこの点の分か りに くさが もともと議論 にならない ものを議論する矛盾 ヽ ″ 亡 情 Herz,1吾 性 Verstand,身 体 Kё rperと い うペ ― ス タ ロ ッチ ー の パ ウ ロ的 な三 つ の 力 の 心 情 (道 徳性 ). の移行 を説明す る. (SW 12。. ,S.74)。. 会契約 の挫折 の物語 として展開する. しか し先行 のテ. (小 野寺 23頁 )。. 「情調」概念 はその ような国家論 の鍵概念 として,共. を中心 とす る調和 的統 一 を任意性 の対象 と して設 定す. 感 の感情 (好 意)と 自己保存 の感情 (我 欲 )と い う利 己 ・利他 の二つの感情 の調和 ・均衡状態 をい う。共感. る矛盾一一 を 自らフ ィクシ ョンの 自覚 もな くメ トー デ. とい う我欲か ら自由な感情 (S.100)一 一 自 らの利害. の根本 的 ,本 質的矛盾 と して ,否 なペ ス タ ロ ッチ ー の. を離 れて他者 を眺める態度様式 に固有 な情動一一が主. メ トー デない しメ トー デ主 義 の虚構性 と して強弁 され. 軸 となる調和 であ り,② の「道徳性が私の本性 に可能. る形 を とるわ け で あ る。. となる情調」 をは じめ として,「 友好 的 で善良な好意. ペ ス タロ ッチ ーの そ の よ うな虚構性 を暴露す るのが. 的気 分」 (S.101),「 平和 で 善 良 な好 意 的情 調」 (S.. 4つ の「任意性」 と 2つ の 「仮説」 であ る。 しか し予. 162),「 道徳的高貴化 の基礎 とな らなければな らない. め触 れてお い た よ う に 1.で 挙 げ た “ Einlenkung"「 導. 情調」 (S.H9)等 と称 される. き」概 念 の F探 究』の4つ の テ ク ス ト部 分 一 ① 「道徳性の領域への動物的導 き」,② 「道徳性――私の. (以. 下,共 感 的情調 と. 略す)。 もっとも利己・利他 の感情 の調和 ・均衡 とい う思想. 我欲 に対する私の純化され高められた好意の優越一― が私の本性 に可 能 となる情調 へ の感覚的動物的導. はモラル・センス学派 のアイデアであ る。 とりわけシ. き」,③ 「宗教 はこの導 きの私の本性 に可能な最高 の 力である。 」,④ 「この均衡 (好 意 と我欲の均衡)を 本 質的に止揚する情調へ の導 き及び接近」 一― は,オ ス. し,二 つの 自然的な予定調和 を社会の安定 の基礎 と想 定す る。 ところがルソーはそのようなオプテ イミズム. ター ヴァルダーの そ の よ うな概念装置 の虚構性 を. に注視す る。社会契約 の一般意志説 はこの対立 を解消. 明 らか に して くれ る。 と りわ け②④ の「情 調 Ge― mutsstimung」 概念 の記述 はオスター ヴァル ダー によ. す る構想 で あ り,公 教育 による人 間形成,個 別意志. る フ ィク シ ョン を 自 日の下 に曝 す 。. 会化」 の 方途 が 開 か れ る (杉 之 原 120頁 /水 田 107 頁)。 しかるにペ ス タロ ッチ ー にお いては社会契約 の. Ehlenkung"「 導 き」 と は ②④ の 記 述 に よ れ ば “ 「情調へ の導 き」 で ある。 しか も② で「道徳性 …が私 の本性 に可 能 となる情調 へ の導 き」 と規定 され るの で,① で「道徳性 …へ の導 き」 と規定 されてい るとし て も,そ れは道徳性へ の直接的 な「導 き」 ではな く ,. まず「情調へ の導 き」 が先 にあってその上で道徳性 が 可能 となるその ような「情調へ の導 き」 であることが Einlenkung" 分 か る。 で は オ ス タ ー ヴ ァル ダ ー は “. ャフツベ リーは リヴァイアサ ンの人間性 をひっ くり返. に背 を向け,現 存社会 における二つの感情 の矛盾対立. (利. 己心)の 一般意志 (法 )へ の意志変革 とい う「社. 挫折 の物語 の故 に,ル ソー的方途 を超 える変形が試み られる。「環境 が人間を作 る」 とい う社会へ の適応 ・ 同化ない し,人 間 と環境. (社 会機構 )と. のそのような. 社会学的 アプローチを超 えて掲 げる,「 高貴化 Vered_ とい う方 途 の 宣言 で あ る。「環 境 が 人 間 を作. lung」. る。そ して私 にはまさにす ぐに人間が環境 を作 るのだ と. い. う. こ. と. が. わ. か. っ. た. 。」. (SW 12.,S.57)一. 一. 一『. 探. 究. 』. 「導 き」概念 をどの ように理解 したのか。彼 は① に し か目を向けることがなかったか ら,単 純 に「道徳性ヘ. の主 体性 の 命題 はそ の よ うな変形 の 表 明 に他 な らな. の導 き」 と理解す る。なぜか しら②③④ か ら吟味す る ことがない。『探究』解釈 の致命的な誤 りで ある。で. 「情調」す なわち「共感的情調」 とはこの よ うな社. は「情調」 とは何 か。④ の「好意 と我欲 の均衡」 を意 味す るが,そ れはそ もそ も『探究』 の国家論 に次 の よ うにして連 なる概念である。 『探 究』 もそれ以前 の 自然権論 者 の テ クス トと同 様 ,人 間 の 自然 (本 性 )か ら社会形成 の原理 を発 見 し,自 己保存 の欲求. (「. 己保存 の衝動」)と 共感. 未開の動物的人間におけ る 自 (「. その一部がなお私 の胸 中で. い. 。. 会契約説的な国家構想 の文脈 にあって,「 社会化」 を 越 える「高貴化」 とい う方途 に伴 う概念 で あ る。『探 究』 は「共感的情調」 の形成 を「社会的」高貴化 と呼 び,「 道徳性」 の形成 を目指す 「道徳的 化 か ら区別す る (S.119)。. (内. 的)」 高貴. Einlenkung" したが って “. 「導 き」 とは「共感 的情調」が 「好意 と我欲 の均 衡」 として,自 ら② の「道徳性一一私 の我欲 に対す る私 の 純化 され高め られた好意の優越」へ と止揚 されるその.
(8) 甲南 女 子大学研 究紀 要 第 41号. ような「1青 調へ の導 き」 として,「 社会的」高貴化 に 重 なる。オ ス ター ヴ ァル ダー は「情調」概 念 も,又. 人間科学編 (2005年 3月. ). の組織化 と規定する点 で,「 メ トー デ」理解 における 社会化 との矛盾 ,混 同 も免れない。更 に言えばこの道. 析 出す ることはで きなか った。 とい って も全 く「1青. Einlenkung"「 導 き」 を専 ら「道 徳的 自己教 育 へ の “ 徳性へ の導 き」 と捉 える点で,「 自己教育 としての教. 調」概念 を看過す るわけではなかった。 ドイツ語圏の. 育」 の二 つ の 分 節― 「社 会 的」高 貴 化 と「道 徳 的. 敬虔主義 の代表的人物 にして青年時代 の友人であるラ. (内. フアー ター に対 し,「 キ リス ト教 を理性 の行使 の基礎. そ三重 の混乱 が,「 自己教育 としての教育」 の 目的た. としてではな く,理 性能力の確実 さが結果す る情調 の. る道徳性 は「社会的関係 としての教育」 のメ トーデ化. 心理学的手段 として見 る」 自 らの宗教理解 を照会す る 書簡 (SB 4。 ,S.28)を 取 り上げるとき,こ こに見 られ. により「媒介的」 に可能 になるとい う前述 の曖味で分. 「情調」概念 と結 びつ く “ Einlenkung"「 導 き」概 念 も. るペ ス タロ ッチーの宗教 の心理学化ない し宗教 のメ ト ー デ 主 義 化 (Osterwdder 1995,S.198f。 )は ,③ の 「宗教 は この導 きの私 の 本性 に可 能 な最高 の 力 であ る。 」 とい う命題 と一致す る。そ れはす なわち「宗教 は この. (理 性能力の確実さが結果する情調への. )導 きの私. の本性 に可能 な最高 の力 である。 」 とい う形 で読 む こ とがで きるのである。 しか し① に しか目を向けない オ スター ヴァルダーはその ようには読 む ことはで きず. 的)」 高貴化―一 の認識 にも欠ける。 こうしたお よ. か りに くい解釈 となる。「感覚論 の敬虔 主 義 的加 工」 なるものはそのような曖昧な解釈 の図式化 に他 ならな い。 しかるにそのような混乱 の元 を尋 ねれば実 に「情 調」概念 に行 き着 く。オス ター ヴアル ダーのペ スタロ ッチ ー批判 の急所 ,「 感覚論 の敬虔主義的 な加工」図 式 は「共感的情調」 の概念 を正 しく析出す ることで雲 散霧消 して しまうわけである。 お. ,. わ. に. 「情調」概念 の脇 をさっと通 り過 ぎるだけで終 った。 『探究』 の教育学的関心 は道徳性 にはな い。「社 会. 現代教育学 に対す るペ ス タロ ッチ ーの大 きな意義 は. 的」高貴化 とい う共感的情調 の形成 に関心 は向か う。. 理論 の 中に はな い 。 オ ス ター ヴ ァル ダー は そ の よ うに. 道 徳性 の 形 成 を 目指 す 「道徳 的. してペ ス タ ロ ッチ ーの作用 史 の 中にペ ス タロ ッチ ー崇. (内. 的)」 高貴 化 は. 「 自己 自身の作品」 として文字通 り,個 人の主 体的. ,. 拝 を鋭 く易J扶 す る。 しか し問題 はペ ス タロ ッチ ー の理. 自己準 拠 的 な決 断 の 事 柄 で あ り (SW 12,S.106., 157),他 律的な教育介入か ら自由で,教 育学的 メ トー. 論 の「正 しさ」 を疑 う論証 に成 功 して い るか ど うか 。. デ主義 と原理的 には結 びつかないか らである。 しかる に これに結 びつ き,“ Einlenkung"「 導 き」へ と方向づ. 生誕 250年 に寄せ て一― 合理 的議論 あ るい は教育学 的. け られるのは「社会的」高貴化 である。「社会的」高 貴化 こそ メ トーデ として,「 共感的情調 へ の導 き」 と. る人物 の教育学 的権威 を産出す るシ ンボル と して利用. して組織化 されるわけである。「道徳性 へ の導 き」 と. よ うな シ ンボル 的影響 は文学 的虚構性 の アナ ロ ジ ー と. い う教育学的任意性 にあ らざるものの組織化 の責 めか. して論 じられ る と述 べ 稿 を閉 じて い る (Osterwalder. らペ スタロッチーが解放 されるのは,こ のような訳 で. 1996,S。. あ る。責めを負 わなければならないのはオスターヴア. もっ ともオス ター ヴ アル ダー は論考 「ペ ス タ ロ ッチ ー なる ものの崇拝」 の結論 で ,ペ ス タロ ッチ ー は引用す された。そ の 際 ,理 論 の虚構性 は問題 で はな く,そ の. 158 ff。 )。. しか し以 上 見 た よ うに,「 感 覚論 の 敬 虔 主 義 的消 化」. ルダーのフレイム・ア ップである。. 図式 の フ ィクシ ョン性 が 明 らか に な った 今 ,ペ ス タ ロ. 「社会的関係 としての教育」 と「 自己教育 としての 教育」 とい うオス ター ヴアルダーの「教育」概念の区. ペ ス タ ロ ッチ ー の 脱神 話論 に は にわか に与 す るわ け に. 別 は一見,高 貴化 の社会的/道 徳的 とい う二つの分節. は い か な い。 “ Einlenkung"「 導 き」 概 念 に 照 準 す る. と符合す るかに思われる。 しか し全 く似 て非なるもの である。「社会的関係 としての教育」 につい ては この. 「メ トーデ」理解がなぜ感覚論 と敬虔主義 の結合図式 に帰着するのか。思うに『探究』テクス トの難解 さの. 「社会化」 なる教育が “ Eidenkung"「 導 き」へ 方向づ. 故の過乗J解 釈 と無縁でない。月ヽ 論では『探究』からオ スターヴァルダーの「メ トーデ」理解 に接近 した。オ. けられてメ トーデ として組織化 される と見 る点 で,オ スター ヴァル ダーの場合,社 会化 と「社会的」高貴化 との混同が 明 らかである。故 に又,「 自己教育 として の教育」 についてはペ スタロッチーのメ トーデ をこの Einlenkung"「 導 き」 道徳 的 自己教 育 な る もの へ の “. ッチ ーの 教授 法 の 虚構 性 の 暴 露 とい う形 で 進 め られ る. ス ター ヴ ァル ダー は逆 に『ゲ ル トルー ト』 (1801 年),『 メ トーデの本質 と目的』 (1802年 ),『 文化の基 礎 としての言語』 (1799年 )等 のメ トーデ論から『探 究』に迫 る。 したがって「ペ スタロッチーの教授法の.
(9) 小野寺律夫 :ペ スタロッチーの「メ トーデ主義」 について. 虚構性の暴露」 とい う虚構 を更 に明確 に示すためには メ トー デ論 か ら『探究』へ の方向 の吟味 も必要 であ る。 しか しそれは今後 の課題 と して,こ こで は 『探 究』 か らのアプローチか らオスター ヴァルダー に対す る疑間 をとりあえず二つ指摘 してお きたい。 まず第一 に,「 動物的 ・社会的 ・道徳的諸 力が結合 す る」花ヽ 身の連続性. (SW 12。. ,S.109f。 )と い う精神. を伴 う人間身体 の知覚 ・認識が遠近法的地平 としての 世界 の 中の経験 で獲得 されるとい う『探究』の世界経 験 の解釈学. (S。. 109f。. /小 野寺 26-27頁 )と ,オ ス タ. ー ヴァルダーの感覚論的 「メ トーデ」理解 との整合性 である。 これは経験論的 ・感覚論的「経験」概念 と現 象学的 ・解釈学的「経験」概念 の離齢 の問題 として還 元 されるか もしれない。あ るいは「社会的」高貴化 と 社会化 の混同が明 らかであれば,そ の際,経 験論的 ・ 感覚論的モデルはひとり社会化 だけの教授 モデルであ るか否 かの吟味 も必要である。 第二に,カ ン トの 自律概念 もろとも『探究』 の「道 徳性」概念 を敬虔主義的 ・福音主義的な救済概念 に還 元す る解釈へ の疑間である。オス ター ヴァルダーのこ のような解釈 の背景 には「カ ン ト主義的 な自立の教育 学 を不 自然 に突出させて きた通例 の教育学史」 (Oster_ walder 1995,S.176)へ の反発があ る。『探究』解釈 の い わゆる「非 カ ン ト化」 で あ る。 しか し「非 カ ン ト 化」 もそ こで実践理性 または良心 の 自己立法が神 の命 令 と契合す るとい うその一致なるものがただちに敬虔 主義 に言 う外来 の不可思議 な救済者 ,神 の恩寵 に還元 で きるとは思 えない。又,『 探究』 の道徳性 を「自己 産出的な メタ秩序」,道 徳的 自我 を「さなが ら創発 的 に emergentistischそ れ自体 で成立する自我」 と規定す るとき. (s.168f。. ),そ の ようなオスター ヴァルダーの. 規定 は敬虔主義的概念枠組 みにな じむのであろ うか。 「道徳性」概 念 の敬 虔 主義 的 ・福 音 主 義 的 な還元 は 「感覚論 の敬虔 主義的加工」図式 に必 要な方便 ではな かったか。 いずれに しろ以上の二点はオス ター ヴァル ダーヘ の疑間であるばか りか今後詳細 に解明すべ く小 論 に残 された課題で もある。. 引 用 文 献. Froese, L.u.a., Z夕 r DJsた. ssjθ れ 。. “. Weihein」 Basc1 1972.. D`r ρθ′Jsc力 ` j′. P`s′. θzzj。 α′. αれJ2グ sc力 ι rzθ g`72″ 7P`s′α′ Wliι た θぇ て,s `r Mcれ `rご `れ 'α Js`jκ 〃α ぉ″ε “ たグ Nα ε θグ Pα グα― ″ρ 匂らだε力′κg`れ. Oelkers,J。 ,. `r“. gθ gjた 。. In:Grund― Stoll,. jグ jg“ y`r′ ι. 27-40。. J。. `r72`れ. θる (Hg。 ), Pθ srα ′ がs E′. gg`g`J7S`j72` y`r`力 “. r`た. b`. ―. Bad Hcilbrunn 1987。. S。. r飢 れg,Wbttr72θ 力 れg“ れグ ` θ “ ““ jソ j″ j∫ .In:Oelkers,J。 /Osterwalder, F. ′ α′ εttθ S夕 bJi`た ′ θハ “ jθ ′。Weihe面 お asel グ′れグR`zη ′ (Hg。 ),Pestalozzi一 働 鸞 ′. Osterwalder,F。 ,DJ`Mer/7θ グ. 1995。 jθ 4α ι η′ θzが s― ― ′ 25θ o Gι b夕 r′ s′ αg P`s″ ′. Osterwalder,F。 ,Z“ Arg夕 /シ r. “`れ. jOれ ′ α′. `. “ θご. `rκ. Pα グαgθ g′ た 42.Jg。. ノ′グ. `s Paグ. αgθ gJsθ た. `4.In: Z`jな. εttr′. 1996,Nr.2.S.149-163.. SB=Pcstalozzi,J.H。 ,Sa“ ′ Jjθ た Brjψ ,hrsgo VOn Pcstalozzia― num und von der ZentralbibliOthek in Ziirich. ZiiHch 1946 ff.. Spranger,Ed。 ,P`s"′ θぇ zjs D`凛ヵ 脇. 。Heidelberg 1959。 `れ. (虎. ―― ― その分析」『ペ 竹正之訳「ペ スタロッチの『探究』 スタロ ッチ全集第 6巻 』玉川大学,1969年 /吉 本均訳 『教育の思考形式』明治図書,1962年 ). Stein,A。 ,P`s′ αJθ zzj夕 72グ. グj`KQ4′ Jsc力. `P力. θs9ρ ttj`.Darrrlstadt ′ ′. 1969。. SW=Pcstalozzi, Jo H。. jε 力 rた ′ ′ ` Wυ `, hrsg.von A.Bu― “ chnau, Edo Spranger, Ho Stettbacher.Berlin/ZiiHch 1927 ff.. , Sα. (虎 竹 正之訳 『探究』玉川大学 ,1969年 ,長 田新訳 『ペ スタロッチー全集第 8巻 。グル トルー ト』平凡社 ,1960. 年 ウイリー・B/三 田博雄 ・松本 啓 ・森松健介訳 『18世 紀 の 自然思想』 みすず書房 ,1985年 。 小野寺律夫 「ペ ス タロ ッチ ーの『探 究』 にお け る教育 の ). 二 つの次元一一『探究』 の新 たな批 判 をふ まえて一― 」 教育哲学研究 88号 ,2003年 ,18∼ 35頁 。 コンデ イヤ ク/加 藤周 一 。三宅徳嘉訳 『感覚論 (下 )』 創 元社 ,1948年 。 鳥光美緒子 「ペ ス タロ ッチ研究の再定位―一 脱神話化 を 手が か りに して一―」教育哲学研究 76号 ,1997年 ,31 ∼47頁 。 丸山高司 『ガダマー ーー地平 の融合』講談社 ,1997年 。 水 田 洋 「18世 紀思想 とアダム・ス ミス」大河 内編 『国 富論研究 Ⅱ』筑摩書房,1972年 ,81∼ 126頁 。 山口裕之 『コ ンデ ィヤ ックーー 哲 学 と科学 の は ざまで』 勁草書房 ,2002年 。 杉 之原 寿 一「ル ソーの 社 会思 想」桑 原 編 『ル ソー 研 究 (第. 2版 )』 岩波書店,1968年 ,95-126頁 。.
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