井上哲次郎の欧州留学と『哲学字彙』第三版の多言
語表記
著者
真田 治子
雑誌名
埼玉学園大学紀要. 人間学部篇
巻
7
ページ
1-13
発行年
2007-12-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1354/00000837/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja― ― 時に日本語学の分野では、多くの学術用語や 抽象的な漢語を近代日本語に定着させた人物 として注目されている。井上の『哲学字彙』 は、西周の造語として有名な「概念」「哲学」 をはじめとして「相対」「客観」など現代日 本語には欠かせない漢語を多数取りこんでお り、近代日本語における抽象語彙の重要な継 承点のひとつと考えられる。 本稿では、『哲学字彙』初版・再版とは書式 の異なる三版に着目し、井上の欧州留学後に 三版の編集がなされていることから、「辞書 編纂者としての井上哲次郎」という観点から、 日記などの資料を通して井上の留学中の経験 ₁.はじめに 明治初期は西欧からの文物の輸入に伴い語 彙が急速に膨張した時代である。筆者は、「物 理」「法律」など新しい概念を表わす語が明 治初期に導入されてから現在に至るまでの語 彙の消長について調査・研究をすすめてきた。 特に、井上哲次郎らが編纂した学術用語集 『哲学字彙』初版・再版・三版(井上他88、 88、9)所収の漢語を主たるデータとし て、言語変化の観点から計量的手法を用いて 分析を行っている。 井上哲次郎は明治期の哲学者であるが、同
Inoue Tetsujiro’s Studies in Europe and
the Multilingual Writing in Tetsugaku Jii, 3rd edition
真 田 治 子
SANADA, Haruko
I have undertaken extensive research with the aim of achieving an overview of historical changes in the vocabulary of Japanese with the introduction of new European concepts from the Meiji era (1868 - 1912) up to the present. Works of the philosopher Tetsujiro Inoue in the Meiji era are recently seen as important in the process of introducing and stabilizing such new words in modern Japanese. The present research focuses on how Inoue’s studies in Europe influenced the style and format of the third edition of Tetsugaku Jii, a list of scholarly terms and one of Inoue’s best-known works. He wrote of discussions with English, German and French professors in his diary, and we can trace his foreign language studies through his notebooks. He insisted in his speeches and in his autobiography that it is very important to study several foreign languages if you study in Europe. We conjecture that the multilingual style with English, German, French, Greek and Latin which Inoue employed in the third edition derived from his studies in Europe.
キーワード:明治時代、近代日本語、井上哲次郎、哲学字彙、多言語表記
― ― 対応する訳語(主に漢語や漢字を用いて音訳 した字音語)が複数あること、意味記述がな いことである。このほか細かな点としては、 大見出しとその下に複合語の小見出しがある こと、見出し語の綴りの最初の文字が大文字 で表記されていること、また、訳語は一部他 の見出し語の訳語にも重複があること、訳語 に読みがつけられていないこと、などがある。 訳語の選定根拠を漢文注記で示した語や、論 理学・心理学など種の学術分野の注記が付 けられている語も一部にある。 三版は、「英独仏和」という語を書名の上に つけて9(明治5)年に丸善から出版され た。欧文見出し語と対応する漢語が並べられ、 意味記述がない点は初版・再版と同様である が、見出し語は英語・独語・仏語の三か国語 がすべて必ず表記され、語によってはラテン 語・ギリシャ語が付加されているものもある。 初版の見出し語やその訳語を含みながらも数 倍の分量の辞書になっていて(2)、「三版とい うより新版に近い」(佐藤977)という印象 をうける。この三版は同じ体裁・内容でさら に9(大正0)年に再版が出版されている。 しかし三版は初版ほどの影響力はなかったと みられ、陳(00)は「大正十一年に出版さ れた『岩波哲学辞典』が二年後にすぐ増補・ 再版されたことも決定的にかれの時代の終り を印象づけた」としている。 2-2. 『哲学字彙』三版の書式に関する問題点 初版・再版が出版された当時の学術用語に ついては、多くの新しい分野の学問が西欧か ら日本に入ってきたものの、まだ日本語に適 当な語がなく勉学や研究に苦労したといわれ ている(飛田980)。たとえば当時の学術用 語について、法律学者の穂積(980)は「教 や外国語学習が三版に与えた影響を考察する。 なお年代は西暦で示したが、明治・大正時代 については和暦も併記した。 ₂.『哲学字彙』の書式に関する問題点と 明治初期の学術用語の状況 2-1. 『哲学字彙』について 『哲学字彙』には初版・再版・三版(井上 他88、88、9)があり、いずれの版も井 上が編纂に関わっている。再版と三版の書名 は『改正増補哲学字彙』、『英独仏和哲学字彙』 (以下各々再版、三版とよぶ)という。 初版は88(明治)年に東京大学三学 部から出版された。初版の緒言からWilliam Flemingの哲学用語集(1)を底本としたとされ る。このためFlemingの原題に従って「哲学」 と題されているが、内容は人文・社会・自然 科学と広い範囲にわたる学術用語集となって いる。また井上が実際にFlemingのどの版を 参照したかは正確には特定できていない(飛 田980)。これは、『哲学字彙』がFlemingの単 なる翻訳ではなく、井上が法律、経済、物理 などの用語を独自に半数以上補っていると推 定されているためである(飛田980)。従来 の研究でも、「幕末から明治初期にかけて現れ た抽象語を集大成したもの」「本書から当時 の一般辞書に採用されたものも少なくない」 (佐藤997)と評価されている。 『哲学字彙』初版が約2年で売り切れたあ と井上と後輩の有賀長雄が初版の訂正と若干 の増補を行ったが、井上がドイツに留学する ことになったため、有賀が88(明治7)年 に東洋館から「改正増補」という語を書名の 上につけて再版を出版した(飛田980)。 初版と再版の書式上の大きな特徴は、西欧 語(主に英語)の用語がABC順に配置され、
― ― た日本語表記の見出し語が立てられているこ とから、原書を読むときの手引きとするもの ではなく、日本語の専門書や日本語の講義の 中にでてきた用語を調べることを目的として 編纂されていると思われる。②欧語の原語は ①日本語見出しの次に配置され、日本語の用 語で辞典をひくと確認できるが、片仮名表記 の外来語以外は欧語からひくことはできない。 つまり和英辞典型の構成といえる。 明治末から大正初めにかけては、日本語で 作られた漢語形式の用語もある程度定着し、 代わって英語教育などの影響から外来語形 式の用語が増えたとされている(田中978)。 このような時代背景にあって、和英辞典型の 哲学辞典が版を重ねるのは当然のことであろ う。 それでは、井上はなぜ英和辞典型の『哲学 字彙』三版をあえて出版したのだろうか。筆 者は、その理由は、井上の留学経験にあるの ではないかと考えている。日本国内に留まっ て研究・教育を続けていた場合は、漢語形式 の用語の定着や外来語形式の用語の受容とい う現象を時代の変化に従ってそのまま受け入 れていたであろう。何らかの理由から英和辞 典型の用語集の必要性を井上は感じていたの ではないかと思われる。 そこで次項以下では、井上の留学中および 留学後の外国語学習に関連した動向を広く各 種の資料から収集し考察した。 ₃.井上の欧州留学と各種資料の概要 3-1. 井上の欧州留学(1884(明治17)年₃月 28日~ 1890(明治23)年₉月₁日)の概要 井上哲次郎(856~9)は太宰府の出 身で、東京開成学校を経て東京大学に学ん だ。哲学科の1期生で、卒業後は文部省御用 科は大概外国語を用いておって、或は学生に 外国書の教科書を授けてこれに拠って教授し たり、或は英語で講義するという有様であっ た。」と述べており、日本語の訳語に乏しく 学習に苦労した様子がうかがえる。同じく穂 積(980)はその後法律用語の選定会を催し たと記述しており、『哲学字彙』が総合学術用 語集として多くの学生・学者に受け入れられ た当時の状況を知ることができる。 『哲学字彙』初版・再版は、「①(主に)英 語見出し-②漢語の訳語」という体裁をとっ ており、英語の原書を読む際に、専門用語だ けをまとめた小型の英和辞典代わりに使われ たと思われる。これは上述の穂積の「外国語 の教科書」を授業で用いたことや「英語で講 義」がなされたことからも推測できる。いわ ば英和辞典型の構成である。 三版の体裁も「①欧語見出し(英独仏とそ の他)-②漢語の訳語」という形式で、基本 的には初版・再版の形式を踏襲している。三 版の出版は再版から8年後のことで、その改 訂・出版に井上自身はそれなりの意義をもっ ていたと思われる。しかし同時期の哲学辞典 と比較すると、三版は当時の辞典としては他 とやや異なる体裁をとっていることがわかる。 三版と前後して出版され、版を重ねた2種 の哲学辞典(朝永905、宮本95)では、い ずれも①日本語表記の術語(漢語または片仮 名表記の外来語)を見出し語とし、②原語を 英語・独語・仏語で記述(いずれかが欠けて いる場合もある)した上に、③術語の意味・ 解説を長文で付している。「①日本語見出し -②原語(欧語)-③意味・解説」という構 成である。解説が書かれている点から、単な る用語集ではなく事典として用語の意味内容 を確認するためのものであると考えられ、ま
― ― たこの間に欧州各地を旅行し、各国の学者を 精力的に訪問している(4節参照)。表1に 井上の留学中の主な行程と外国語学習に関す る事項を示した。 井上の留学時代の動向に関連した資料には ①井上の留学中の日記「懐中雑記」 ②井上の留学中の自筆ノート2冊 ③森鷗外など、井上と同時期に欧州に留学し、 井上と交流のあった人々の日記 ④井上が帰国後に留学時代を回想した自伝的 資料など がある。 掛、編輯局兼官立学務局に勤務し、卒業の翌 年(88(明治)年)に『哲学字彙』初版 を発行している。88年東京大学文学部助教 授となり、88(明治7)年哲学修行のため 欧州に派遣留学をしている(3)。また同年に 再版である『改正増補哲学字彙』を発行した。 当初はドイツ各地(ベルリン・ハイデルベル グ・ライプツィヒ)及びパリの大学で学んだ が、その後官費による留学延長が認められな かったため私費滞在に切り替え、ベルリン 大学付属東洋語学校の講師として887(明治 0)年から890(明治)年まで勤めた。ま 表1 井上哲次郎の欧州留学の主な行程と外国語学習に関する動向 年月日 事項 88.0.6. 横浜からフランス船で出航。途中香港で乗り換え。サイゴン、シンガポール、コロン ボ、アデン、スエズ、ポートサイド、ナポリを経由。 88.0.8. マルセイユ着。翌日パリに移動。 88.0.0. ベルリンに移動。下宿開始。個人教授で哲学・語学を学ぶ。 88.08.0. ハイデルベルグに移動。ミュラー教授宅に下宿。0月大学入学。並行して独語・仏語 を、後にオランダ語を個人教授で学ぶ。 885.09.05. ライプツィヒに移動。0月大学入学。並行して仏語・伊語・ラテン語を個人教授で学 ぶ。 886.0.0. ベルリンに移動。4月大学入学。ラテン語・仏語・ギリシャ語も学ぶ。 886.09.7.~0.0. ウィーンの万国東洋学会に出席。 887.0.6. パリに移動。ソルボンヌ大学で受講。 887.09.6. ベルリンに移動。ベルリン大学付属東洋語学校講師となる。 887.0.7. 東洋語学校開校式。 888.08.0.~09.. ブリュッセル経由でロンドンに滞在。パリ・ジュネーブ・ベルン・ルツェルン・ミュ ンヘン・ウィーン・ドレスデンを旅行。 889.08.5.~09.. ハンブルグ・コペンハーゲンを経由してストックホルムとクリスチャニア(現オス ロ。95年に改称)の万国東洋学会に出席。旅行前にデンマーク語を学ぶ。 890.08.08. ベルリン出発。ミラノ・ヴェニスなどを経由。 890.09.0. ゼノア港を出港。 890.0.. 帰国。
― 5 ― 977)では「井上哲次郎史料Ⅱ- 1・Ⅱ- 2」 と番号が付されている。 ノート(Ⅱ- 1)(.0⊗6.㎝)は、厚手 の赤茶色の表紙に「Notes on Miscellanous(マ マ)Subjects」(筆者注・雑記帳の意)「Paris, 15 Avril, 1887」とある(6)。酒井977では「ド イツ製ノート」と書かれている。厚みもあり (本文頁、見返し1枚)、体裁はノートと いうより本に近い。テープ製本のように、背 表紙から表紙・裏表紙にかかるようにして黒 い布が巻かれて綴じられていたようである が、背表紙の部分の布は擦り切れており、そ の部分に製本の時に背表紙の裏打ちに使われ たドイツ語の新聞か雑誌の紙片が残っていた。 887(明治0)年4月は井上がパリに移動し た時期であり、特定の日付が入っているとこ ろから、新しい勉学の地に向けてドイツで新 しいノートを用意したのではないかと思われ る。ほとんどすべて欧文筆記体(仏語・独語・ 英語・イタリア語・ギリシャ語・中国語の発 音・サンスクリットなど)で書かれており、 独文ではFrakturの筆記体、英文・仏文では 通常の筆記体とかなり厳密に書き分けがあ る。日付の手がかりになる記述はほとんどな い。ページによって赤インク・黒インク・鉛筆・ 青鉛筆・青インクを使用しているが、前半に 赤インクが多く、後から修正した箇所も多い。 ノート(Ⅱ- 2)(0.⊗5.7㎝)は、表 紙・ 裏 表 紙 と も 欠 落 し、 最 初 の ペ ー ジ に 「Geschichte der Philosophie mit Kant」 と 書 かれている。本文は白紙ページも含め8頁 あり、白紙の紙片1枚が挿入されていた。黒 インク・赤インク・鉛筆を使用している。内 容はドイツ語が多く「講義録の写しと推定」 (中野988)されている。 3-2. 井上の日記群の概要 井上の自筆資料として日記群と留学中 の「ノート」2冊がある(酒井977、中野 988・989・997、福井99・99)。日記は、 「懐中雑記」とよばれる主に留学中のもの(都 立中央図書館所蔵)と、「巽軒日記」とよばれ る留学後のもの(東京大学所蔵8冊・文京区 立小石川図書館所蔵3冊)(4)があり、この他 に留学中に井上が使用していた「ノート」2 冊(東京大学所蔵)がある。 「懐中雑記」2冊(88(明治7)年2月 5日~89(明治5)年8月日)は留学 開始から帰国後までの日記で、福井(99・ 99)による翻刻・解題がある。戦災による 消失を防ぐための東京都の民間重要図書買上 疎開事業の一環で95年に寄贈された(中野 988)。内容は全般的に「実に丹念にドイツ を中心とした哲学者との懇談、談話の内容を 記している」(中野989)という。 3-3. 井上の留学中の自筆ノートの概要 留学中の「ノート」2冊は、留学後の日記「巽 軒日記」の一部(8冊)とともに976年井 上家から東京大学に寄贈された(酒井977)。 この留学中の「ノート」について、先行研究 では「講義筆記様の部分、原文抜書の部分、 文献目録、用語研究等の記事が見られ、更に 詳細な検討が必要」(酒井977)、「留学時代の 日記(筆者注・「懐中雑記」をさす)及びノー トは井上の学問形成研究にとって最重要な史 料であることは論をまたない。」(中野988) とされているが、詳細な分析はまだされてい ない。筆者は00年にこの「ノート」を閲覧 し、その内容の一部を分析・発表した(5)が 詳細については分析中である。 この「ノート」2冊は、資料目録(酒井
― 6 ―
Reymond, Albr.( 筆 者 注・Albrecht), Weber, Hartmann, Zeller, Helmholtz, Bastian, Carreire」 の6名には鉛筆で下線が施されている。井上 がこの6名と面会または講義を聴講している ことは日記から確認できた。 4-2. 日記「懐中雑記」からみた井上の留学中 の動向 日記「懐中雑記」は留学中の記録として書 かれたものらしく、見聞きしたことの描写や 井上自身の感想などはほとんど書かれていな い。 「懐中雑記」に「哲学字彙」の語が出てく るのはただ1カ所だけで、887(明治0)年 6月6日条の「ソルボンヌ大学のPaul Junet を訪ねる記事」と「ルナン氏を仏国大学に訪 ねる記事」の間に「哲学字彙 再版三版増訂 スルコト」という記述がある。井上が留学中 にも『哲学字彙』の改訂を意識していたこと をうかがわせる。 日常面では、居住地の移動の記録、旅行で 立ち寄った地名、見物の記録、社会的な出来 事(主に政治的なもの)、面会した友人の名 前、立ち寄った場所、手紙の発信の記録(受 信の記録はない)などが目立つ。日本人・西 欧人を問わず1日で複数の人と面会したり立 ち寄ったりする記述も多い。「招燕」(=招宴) という語がしばしば現れるが、日本人だけで なく複数のドイツ婦人(既婚)にも繰り返し 招かれている。ドイツ人との会食で相手に会 話を楽しませるだけの語学力・表現力があっ たのだろう。語学に堪能で外向的な性格が伺 える。また留学中の後半は、ウィーンやオス ロで開催された万国東洋学会に出席したり、 ヨーロッパ各地を旅行したりしている。 学業面では表1に示したように、大学の授 ₄.井上の留学中の動向 4-1. 自筆ノートからみた井上の留学中の動向 自筆ノート(Ⅱ- 1)は、初めの方は何か の書き写し様の部分、中程は欧文の本のリス トや教授名のリスト、学期ごとの授業のリス ト、後半は加えてメモや語学の練習、欧文の 手紙の下書きなどが目立つ。最後の箇所には 中国語のメモが集中しており、東洋語学校就 職の時期のものではないかと思われる。 外国語に関するものでは、仏語と独語の基 本単語対照表、仏語の形容詞・前置詞の表現 のメモ、見開き2ページを使ったサンスク リット・ギリシャ語・ラテン語・仏語・伊語 の基本単語(右、空、太陽、月など)の対照表、 独語の名詞の格変化の練習、用語らしきもの を図示しているページなどがみられた。全般 に、几帳面によく記録する様子と、繰り返し 復習している様子がうかがえる。 学者と地名のリストが書かれたページは2 カ所あった。最初のものは7名で、うち4名 は鉛筆で下線を記してあった。この4名のう ち3名については日記「懐中雑記」から井上 が実際に訪問していることが確認できる。地 名は学者の居住地と推測でき、このリストは 井上が訪問したい学者のリストだったのでは ないかと思われる。 Carrier(München) Spencer(London) (888(明治)年8月日 訪問) Vacherot(Paris) (887(明治0)年6月日 訪問) Renan(Paris) (887(明治0)年6月6日 訪問) このほかにも学者9名の名前と都市名のリ ストが書かれたページがある。うち「Du boi
― 7 ― く個人教授でも積極的に勉強した形跡がみえ る。社交的な性格から、部屋に籠もって本を 読むだけでなく、著者に直接会いに行って質 問をすることで研究を進め、また人脈を広げ ていった様子がうかがえる。直接会って討論 をするスタイルは西欧の大学では好まれてい る形式なので、語学力・表現力に支えられた 井上の積極的な学究態度は、現地の学者に非 常によく受け入れられて、勉学の効果をあげ たのではないかと考えられる。 日記「懐中雑記」には延べ約900件に及ぶ 西欧人の氏名と欧文書名の言及がある。書名 は主に「読了」とメモの付いた読んだ本の記 録と、読むべき本のリストと思われるもので、 西欧人の人名は「訪問」「面会」「招燕」「墓参」 あるいは他の研究者との議論の中での言及な どの事項でみられる。この日記中の西欧人の 氏名と欧文書名の分析については紙幅の関係 から他の稿にゆずりたい。 4-3. 留学中に交流のあった人々の日記・伝記 この他、井上の留学中の動向を知る手がか りとして、当時井上と交流のあった人物の日 記も重要な資料となる。井上が留学中に日記 の中で言及している日本人・中国人の氏名は、 福井99によって一覧表が示されている(7)。 またそのうち4名については、井上の日記 と各人の日記との対照がされている(福井 99)。井上について言及している箇所は以 下の通りである。 ・森鷗外(996b)5カ所(「懐中雑記」では 1カ所) ・原敬(原奎一郎編000)1カ所(「懐中雑記」 では4カ所) ・大森鍾一(東京大学法学部近代立法過程研 究会97a、97b、97c)3カ所(「懐中雑 業だけでなく語学の個人教授もつけて積極的 に勉強している。ベルリン到着からの最初の 半年は、まず個人教授で哲学・語学を学び、 夏にハイデルベルグに移動してからも大学と 平行して独語・仏語を個人教授で学んでいる。 翌年ライプツィヒに移動してからも大学と並 行して、仏語・伊語・ラテン語を個人教授で 学び、さらにその翌年ベルリンでも大学と平 行して、ラテン語・仏語・ギリシャ語を学ん でいる。東京大学の学生時代には原語の教科 書や授業が行われていたので、留学前からか なりの語学力はあったと思われるが、ベルリ ンでの最初の半年の日記の中には「苦学」と 書かれた日もある。 このほか記述の中で目立つのは次の5項目 である。 ・受講した講義の題目と教授の名前(内容に ついてはほとんど記述がない)。 ・面会した学者の名前と勧められた本の名前 (面会の経緯。面会したときの討論の内容)。 ・読み終えた本の名前。 ・どの学者がどの学者と知己であるか。知己 である学者はどんな様子の人物か。 ・著書についての質問や、その学者が知己で ある他の学者の正確な住所(番地)を聞く。 これらの項目は繰り返し出てくる。つまり 本を読み、つてを頼って(ない時も多い)著 者を直接訪問し(手紙などで面会予約をした 形跡はない)、著書について質問し、次に何 を読めばよいかを勧めてもらっている。転居 して会えない学者があっても、どうしても会 いたい場合はあきらめず複数の情報源を求め ている。また、面会した学者は(井上の日記 上では)どの人物も比較的好意的に指導して いる。 日記の記述からは、大学での受講だけでな
― 8 ― ていた可能性がある。その場合は個人的な交 流があっても、衛生学を修めるために軍から 派遣された鷗外を、自分の学究生活の中に記 録しなくても不自然ではないだろう。「懐中 雑記」の個人的な交流の記録と、上述の周囲 の人々の日記とで、記録されている日が互い に異なる場合があるのも、互いの相手への関 心や交流の目的の差異によるためではないか と考えられる。 郷(9)はハイデルベルグでの井上の 日々の勉強ぶりについて、井上は下宿の食堂 で、同宿の郷や斯波淳六郎を相手に「毎晩の ように其日に読んだらしい本の講義」をして 「読んだ本の記憶を明確にしようと努めてい る風であった」と述べている。語学の学習に 加え、毎日原語の専門書を読んでは口述でま とめる作業を繰り返していたらしく、この知 識の蓄積が各国の学者との議論の基盤になっ ていたものと考えられる。郷はまた、実際に 講義を聞く語学力をつけるのは大変で、留学 生は「大ていは本だけ読んで帰ってくる」と も述べており、井上が「苦学」(「懐中雑記」) をして身につけた語学力は当時の留学生とし ても高いレベルにあったと思われる。 ₅.井上の自伝的資料と留学後の井上の 「外国語」観 井上の自伝的資料のうち留学や『哲学字彙』 に関わる主なものは、井上9・9・97、 麻生9(井上による序文)などがある。ま た陳(00)は、『哲学字彙』二版と三版の井 上の自筆と推定される書き入れ本の存在を指 摘しており、時期は明らかではないものの井 上が三版とその後の改版に向けて準備を進め ていたと推測される(8)。 井上は帰国の翌年、国民英学会第4回卒業 記」では2カ所) ・石黒忠ただのり悳(975a、975b、975c)(井上とあ るが不明) (「懐中雑記」では1カ所) 特に森鷗外は「井上と相あい識しるやうになり たるをば、嬉き事におもひぬ。」(88(明治 7)年月日条)と述べ、ハイデルベルグ からライプツィヒに移動した井上らに下宿も 紹介している。また初対面の井上の様子を「雄 弁快談傍ら人なきが若し。」(885(明治8) 年0月1日条)と書いており、社交的な井上 の性格を描写したものを考えられる。しかし 福井(99)は、森鷗外からみた井上との関 係について「大変熱のこもった記述」が「次 第に冷静に」なり、「頻繁な交流とは対照的に かなり両者の距離を感じさせる」とその変化 を述べている。一方、井上は鷗外について日 記の中で「森林太郎ト共ニ演劇ヲミル」とだ け書いており、両者の記述の不均衡が目立つ。 福井99では触れられていないが、井上と 欧州まで同船で、ベルリン・ハイデルベルグ でも井上と同じ下宿に滞在し、後に実業家と なった郷誠之助の、口述筆記をもとにした伝 記(郷男爵記念会9)にも井上に関する記 述がみられる。 郷によれば、「決して人を褒めない井上哲次 郎」が鷗外のことを「東洋風の学問のある男 だ」と「非常に褒めて」いたという。井上の「懐 中雑記」には鷗外に関する記述は1カ所しか ないが、井上が漢詩や文学を語り合う相手と して鷗外に無関心であったとは言い切れない ようである。「懐中雑記」には主に受講する 授業や読むべき書名のリスト、学者との議論 の内容などが書かれており、また手紙につい ても発信記録のみで受信記録はないことから (受信した手紙は手元に残るからか)、井上は 「懐中雑記」を学究生活の備忘録として記し
― 9 ― 年を顧みて」(井上9所収)の中でも「ど うしても日々必要であるのは英独二国の語で、 そしてこれに次ぐものは仏蘭西語である。」 と書いている。 この、まず英独仏語、次にギリシャ語・ラ テン語が重要という考え方は、『哲学字彙』三 版の見出し語の書式にそのまま反映されてい る可能性が高いと考えられる。また三版の題 名に付された「①英-②独-③仏」の順も井上 の考えを反映したものであったと思われる。 ₆.考察と今後の課題 明治期の哲学者井上哲次郎の「辞書編纂者」 としての視点を、各種の欧州留学の資料から 分析した。井上の留学中の日記には『哲学字 彙』再版の出版直後にも関わらず、三版の出 版を意識した記述があった。また実際に井上 が改訂作業に使用したと思われる書き入れ本 もあり、再版から8年後の三版の出版は井上 の長年の懸案であったと思われる。 三版の見出し語の書式に新たに採用された、 英独仏語とギリシャ語・ラテン語、という形 式は井上の留学中の経験から発想されたもの であろう。井上の留学中の日記からは、各国 の学者と議論をした様子や旅行で欧州各地を 訪れた様子が書かれており、複数の言語を 使って生活していた様子が読みとれる。また 留学中のノートに記述された複数言語の単語 の対照表や、留学後の演説や回顧録の言葉に その着想の足跡をみることができる。 『哲学字彙』初版・再版は、原語で専門書 を読んだり原語を使った授業を聞いたりする 時に使うよう編まれたと考えられるが、三版 の書式は井上の留学経験に基づいている可能 性が高く、多言語環境を想定して編集された と考えられる。井上自身が三版の使用方法を 証書授与式における演説(井上89c)(9)に おいて、欧州の多言語環境と語学学習の重要 性について語っている。それによると、欧州 での勉学・生活・商業活動にあたって言語 は「日々必要」であり、列車で移動できるよ うな狭い範囲に多くの言語を用いる国がある、 一カ国語の習得だけでは不足で、特に「英独 仏といふ三つの言葉が一番エウロツパの言葉 の中で肝要」という点を繰り返し強調してい る。また政治的・地理的観点からは中国語・ ロシア語が重要であるが、ギリシャ語・ラテ ン語が「学者となる以上は必要」で、ラテン 語からイタリア語・スペイン語の語源もわか ると述べている。ブリュッセルの万国博覧会 を訪れた時の他国の商人の売り込みぶりや英 独仏伊語を操る「宿屋の番頭」「料理屋の小使」 の挿話も紹介され、「学者になる以上は宿屋の 番頭料理屋の小使に及ばないやうな事では往 かない」と学生に発破をかけている。 この演説では、井上の体験的挿話から英独 仏語の重要性が説かれており、その考え方は 留学中に形成されたものと考えられる。欧州 の多言語環境は、日本で原書を使って勉学し ていたころに多少とも想像はしていたであろ うが、実際に現地で生活を始めてみると、列 車で川を一つ越えただけで言語・文化が異 なったり、スイスなど複数公用語の国で学者 ではない一般の人々が多言語を自在に操った りするのが強烈な印象となったに違いない。 この多言語環境は欧州の中でもイギリスとは また異なった大陸側の状況であり、ドイツ・ フランスの大学に学び、イギリスを含む欧州 各地を旅行した井上は、複数言語を習得する ことの重要性を認識したことであろう。 井上のこの「外国語学習」観は晩年まで貫 かれていたようで、最晩年の回顧録「八十八
― 0 ― ‚9語、補遺大見出し ‚65語、補遺小見出 し 8語) (3) 東京大学大学史史料室には当時の「海外留学 生関係」綴が所蔵されており、その中には井上に 関する以下のような書類も含まれているという (中野997)。 ・明治7年 前件(7年度派遣留学生)二付井上 哲次郎斯波淳六郎選択ノ件 ・明治8年 在独留学生井上哲次郎ヨリ留学延期 願出ノ件及聴許指令 ・明治9年 独逸国留学生井上哲次郎審美学修行 二付旅費支給願不認可ノ件 同人仏国巴里大学 二入校ノ件 ・明治年 独逸国留学生井上哲次郎ヨリ教育上 ノ報告書回覧ノ件 (4) 留学後の日記「巽軒日記」のうち東京大学所 蔵の8冊は89(明治6)年7月7日~9年 月5日で、896(明治9)年月日~899(明 治)年月日分は欠落。小石川図書館所蔵 の3冊は9(大正)年1月1日~9(大正 )年6月0日で、この3冊の所蔵経緯は不明(中 野988)。この他明治末と大正末の日記4冊が焼 失、1冊が現存しない(酒井977)。内容は「そ の日の読書内容、書籍の刊行、雑誌への論文掲載 等」や「その日井上と接触のあった人名、家族の 動向が克明に」(酒井977)書かれており、「井上 自身の感想、肉声はなく」「浄書本のような印象」 (中野988)という。 (5) 近代語研究会第7回研究発表会「井上哲次郎 の自筆ノートについての報告」(00年9月、於 学習院大学)・ワークショップ日本の言語・文字 生活研究「井上哲次郎の欧州留学と『哲学字彙』 第三版の多言語表記」(007年3月、於ドイツ-日 本研究所)。 (6) ノート(Ⅱ- 1)には挿入物が6種8点ある。 ・ベルリン東洋語学校同僚の潘飛声の漢詩を書き 入れた(福井99)和紙2枚。 ・ベルリン・カイザーパノラマのチラシ(福井 99によると井上はカイザーパノラマには887 (明治0)年月6日にでかけている。演目不 明)。 どのように考えていたかは定かではないが、 三版は原書を読むための「英和辞典型」の構 成をなした多言語の用語対照表であり、日本 語の用語が定着した明治後期には逆に使いに くい面もあったであろう。三カ国語が必ず 揃っているので、むしろ欧州に留学した時な どに他の言語の対訳を確認するのに適した書 式ではないかと思われる。国内で使用される ことを前提として出版されたのであろうが、 この「英和辞典型」の形式は井上が留学中に 必要と感じたものであったとすれば、国内で の使用よりもむしろ欧州への留学生が携行す るのに向いた形式であったかもしれない。専 門的な内容も日本語で教授する時代へと変化 する中で、三版は英和辞典型の書式にこだ わったという点が当時の需要と一致しなかっ た要因の一つではないかと考えられる。 『哲学字彙』三版の訳語のうち、初版・再 版から引き継いだ見出し語の調査は行ったが (真田00a、00)、残りの部分の訳語につい ては今後整理と分析をしたいと考えている。 また井上の留学中のノートについても、日記 にないメモが散見されるので日記と対照させ ながら解読と分析を行いたいと考えている。 注
(1) William Fleming『The Vocabulary of Philosophy, Mental, Moral, and Metaphysical, with Quotations and References; For the Use of Students』 (2) 各版の見出し語数は以下の通り(飛田980に よる)。 ・初版 ‚95語(大見出し ‚56語、小見出し 90語) ・二版 ‚7語(大見出し ‚97語、小見出し 56語) ・三版 0‚9語(大見出し 6‚58語、小見出し
― ― 参考文献 朝永三十郎(905)『哲学辞典』宝文館 (国会図書 館蔵) 麻生義輝編(9)『西周哲学著作集』岩波書店 石黒忠悳(975a)「石黒忠悳日記抄(一)」(森鷗外 『鷗外全集』月報6 岩波書店、pp. 5- ) 石黒忠悳(975b)「石黒忠悳日記抄(二)」(森鷗外『鷗 外全集』月報7 岩波書店、pp. 5- 0) 石黒忠悳(975c)「石黒忠悳日記抄(三)」(森鷗外 『鷗外全集』月報8 岩波書店、pp. 5- ) 井上哲次郎(89a)「語学の必要」(『教育時論』号、 pp.- ) 井上哲次郎(89b)「語学ノ必要」(『日本大家論集』 3巻7号、pp. - ) 井上哲次郎(89c)「語学の必要」(磯部弥一郎編『外 国語研究要論』三省堂、pp. - 6) 井上哲次郎(9)『明治哲学界の回顧』岩波書店 井上哲次郎(9)『懐旧録』春秋社松柏館 井上哲次郎(97)『井上哲次郎自伝』冨山房 井上哲次郎・有賀長雄(88)『改正増補 哲学字彙』 東洋館(980年 名著普及会刊の復刻による) 井上哲次郎・元良勇次郎・中島力造(9)『英独 仏和 哲学字彙』東京大学三学部(980年 名 著普及会刊の復刻による) 井上哲次郎・和田垣謙三・国府寺新作・有賀長雄 (88)『哲学字彙』東京大学三学部(980年 名著普及会刊の復刻による) 岡倉天心(887)「欧州視察日誌」(『岡倉天心全集』 5巻(979)平凡社所収) 郷男爵記念会編(9)『男爵郷誠之助君伝:伝記・ 郷誠之助』郷男爵記念会(988年大空社刊の復 刻による) 酒井豊(977)「井上哲次郎の部」(東京大学百年史 編集室『東京大学史史料目録3 加藤弘文史料 目録・井上哲次郎史料目録』pp. - 0) 佐藤喜代治編(977)『国語学研究事典』明治書院 真田治子(00a)「『哲学字彙』改版にあたっての 訳語の変動」(『都留文科大学国文学論考』7号、 pp.8- 6) 真田治子(00b)「外国語辞書にみられる明治初期 「学術漢語」の計量的分析」(『学芸国語国文学』 ・井上円了の哲学館の広告の切り抜き「哲学館将 来の目的」(明治年7月付)。 ・鉛筆で仏語を書き入れた封筒1枚。 ・白紙便箋2枚(EXTRA DÜRENの文字と王冠の マークのすかし入り)。 ・鉛筆で欧語(仏語か)の書き入れのある紙片1枚。 (7) 井上と同時期に欧州に滞在し、井上の日記の 中で言及されている岡倉天心・都築馨六・鳥尾小 弥太・宮崎道三郎の資料については、日記や伝記 などに留学中の井上との接点が書かれているもの はみつけられなかった。 (8) 陳(00)では、三版への書き込みは三版の 再版(9)が出版されたあとと推定されている。 (9) 『懐中雑記』によると該当演説は89(明治 )年6月6日に行われた。この演説を公刊した ものには3種の版があり、今回は演説の速記録を 最も詳細に復元していると思われる三省堂版(井 上89c)を用いた。3種の版の主な異同は以下 の通りである。①教育時論版(89年6月5日刊) (井上89a)は「荒波市平速記」「演説の概略」 と注記があり、後述の③三省堂版と比較して演説 全体の最初の約3分の1までが収録されていると 考えられる。漢字平仮名交じり文で、多くはデア ル体・デアリマス体であるが一部デス体も見られ る。②日本大家論集版(89年7月0日刊)(井 上89b)は「演説大意」の注記があるが、③三 省堂版と比較すると原文を切り貼りして短くした と推測される。漢字片仮名交じり文で、文体は① 教育時論版と同じく多くはデアル体・デアリマス 体であるが一部デス体も見られる。また言いよど みなどが若干修正されている。③三省堂版(89 年9月1日)(井上89c)は磯辺弥一郎の緒言に、 速記録を元に井上に多少の訂正を求めたと記述が ある。3種の版のうち最も長く詳細に記述されて おり、ほぼ演説全文と推測される。漢字平仮名交 じり文で、概ねデアル体・デアリマス体で記述さ れている。上記2種でデス体だった箇所はデアリ マス体に修正されているが、「サッパリ」「マー」 などの口語も一部残されている。
― ― 中野実(989)「井上哲次郎の日記について(二)」(『み すずリプリント月報7 井上博士と基督教徒 収結編』みすず書房、pp. - 9) 中野実(997)「大学史と大学史資料」(『東京大学 創立百二十周年記念東京大学展第一部 学問 のアルケオロジー』東京大学出版会、pp. 50-5) 原奎一郎編(000)『原敬日記』第1卷 福村出版 飛田良文編(979)『哲学字彙訳語総索引』笠間書 院 飛田良文(980)「『哲学字彙』の成立と改訂につい て」(『英独仏和哲学字彙 覆刻版』名著普及会、 pp.()-(6)) 福井純子(99)「井上哲次郎日記88-90『懐 中雑記』第一冊」(『東京大学史紀要』号、 pp.5- 6) 福井純子(99)「井上哲次郎日記890-9『懐 中雑記』第二冊」(『東京大学史紀要』号、 pp.- 5) 穂積陳重(980)『法窓夜話』岩波書店 宮崎誠(999)「宮崎道三郎のドイツ留学について(補 遺)」(日本大学百年史編纂委員会編『日本大学 史紀要』6号、pp. - 6) 宮崎誠・柏村哲博(998)「宮崎道三郎のドイツ留 学について」(日本大学百年史編纂委員会編『日 本大学史紀要』5号、pp. 5- 7 宮本和吉編(95)『岩波哲学辞典』増訂版 岩波 書店 (学習院大学蔵) 森鷗外(996a)「自紀材料」(『森鷗外全集独逸日 記・小倉日記』筑摩書店、pp. - 98) 森鷗外(996b)「独逸日記」(『森鷗外全集独逸日 記・小倉日記』筑摩書店、pp. 7- ) 渡辺実(977)『近代日本海外留学生史(上)』講談 社 渡辺実(978)『近代日本海外留学生史(下)』講談 社
Sanada, H. (1999) Analysis of Japanese vocabulary by the theory of Synergetic Linguistics, Journal of
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Sanada, H. (2001) New Kango of the early Meiji era: their survival and disappearance from Meiji to 号、pp. 65- 76) 真田治子(00a)『近代日本語における学術漢語の 成立と定着』絢文社 真田治子(00b)「明治期学術漢語の一般化の過程 -『哲学字彙』と各種メディアの語彙表との対 照-」(国立国語研究所編『日本語科学』号 国書刊行会、pp. 00- ) 真田治子(005)「現代の教科書に残る明治期学術 漢語」(『日本近代語研究』4巻 ひつじ書房、 横pp. 85- 97)
真田治子(006)「The selection of scholarly terms in basic vocabulary lists」(『 語 彙 研 究 』 4 号、 pp.- ) 昭和女子大学近代文学研究室(98)「井上哲次郎」 (『近代文学研究叢書』5巻 昭和女子大学近 代文化研究所、pp. 7- 0) 竹盛天雄(975)「不円文庫蔵石黒忠悳日記につい て」(森鷗外『鷗外全集』月報5 岩波書店、 pp.- ) 田中章夫(978)『国語語彙論』(再版)明治書院 陳力衛(00)『和製漢語の形成とその展開』汲古 書店 都筑馨六(96)『都筑馨六伝』馨光会(00年ゆ まに書房刊の復刻による) 東京大学法学部近代立法過程研究会(97a)「収集 資料紹介(0) 大森鍾一関係文書(7)」(『国 家学会雑誌』85巻5・6号、pp. 5(5)-60(50)) 東京大学法学部近代立法過程研究会(97b)「収集 資料紹介() 大森鍾一関係文書(8)」(『国 家学会雑誌』85巻7・8号、pp. 8(568)-(59)) 東京大学法学部近代立法過程研究会(97c)「収 集資料紹介() 大森鍾一関係文書(9)」 (『国家学会雑誌』85巻9・0号、pp. 96(690) -7(7)) 鳥尾小弥太(888)『洋行日記』吉川半七(国会図 書館蔵) 中野実(988)「井上哲次郎の日記について(一)」(『み すずリプリント月報6 井上博士と基督教徒 正・続』みすず書房、pp. - 7)
― ―
the present, Glottometrics, Vol.1, pp.63-86 Sanada, H.(2004) Investigations in Japanese Historical
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Sanada, H. (2007) Synergetic linguistics and Japanese lexicology, In Köhler, Kaliushchenko, Levickij (eds.), Typological and quantitative problems of
lexicology, pp.61-82, Chernivcy (Ukraine): Ruta 謝辞 「井上哲次郎史料Ⅱ-1・Ⅱ-2」の閲覧及び撮 影を許可して下さった東京大学史史料室に感謝 申し上げる。 付記 この論文は、以下の発表の一部を元に加筆した ものである。①近代語研究会第7回研究発表会 (題目「井上哲次郎の自筆ノートについての報 告」00年9月、於学習院大学)・②ワークショッ プ日本の言語・文字生活研究(題目「井上哲次 郎の欧州留学と『哲学字彙』第三版の多言語表 記」007年3月、於ドイツ-日本研究所)・③関 西大学アジア文化交流研究センター第7回研究 集会・漢字文化圏近代新語研究会第6回国際シ ンポジウム「漢字文化圏諸言語の近代語彙の形 成 創出と共有」(題目「井上哲次郎の欧州留学 ―『哲学字彙』第三版との関わりから―」007 年7月、於関西大学)・④中日理論言語学研究 会・北京大学外国語学院日本語日本文化学科主 催「007中日理論言語学研究国際フォーラム」 (題目「井上哲次郎の欧州留学と日記中の人物・ 書名について」007年9月、於北京大学)。また 本研究の一部は日本学術振興会科学研究費補助 金(基盤研究(C)・課題番号9500・研究課 題名:『哲学字彙』にみられる近代学術用語の現 代日本語への定着過程の検証)の助成を得ている。