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戦争体験者の語りからの一考察 : 戦争の悲惨さを次世代に繋げる方法

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Academic year: 2021

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[研究ノート]

戦争体験者の語りからの一考察

─戦争の悲惨さを次世代に繋げる方法─

安 藤 幸 子

※ Key words:戦争体験者の語り、平和・家族の絆の大切さ、絵本作りの試み

Ⅰ 研究の目的

筆者が戦争について、より強く関心を持ち始めたのは、大学院のある講義で『戦争体験者ヒス トリー』というレポート課題が出されてからである。 戦後70年以上が過ぎ、戦争体験をした人たちが少なくなっている現在、団塊世代の筆者として、 今何ができるのか、若い世代に何を繋いでいくことが大切で重要なのか、インタビューを通して 深く考えるようになった。しかし、戦争というものに対して筆者自身が生きている環境の中で緊 迫した状況にない。 筆者は戦争体験者(以下、体験者と記す)へのインタビューをきっかけに、それを継続し記録 をまとめてきた。本研究の目的は下記の通りである。 第一に、さまざまな体験者の聴き取りを継続し、戦争の事実を記録することである。 第二に、団塊世代の私たちが体験者の話を聴き、改めて戦争とは何かを考えることである。 第三に、戦争体験を若い世代に伝えることである。特に幼児に伝える方法として、聴き取り記 録を素材とした絵本制作を試みることである。

Ⅱ 研究の方法

1.インタビューの対象 筆者は体験者に直接会い、戦争体験に関するインタビューを実施した。対象者は筆者の学生時 代の同窓生や筆者が住んでいる町内会で直接知り合った方たち、あるいは知人から紹介された方 たちである。事前に、インタビューの趣旨、質問項目などを記した依頼の手紙を郵送した。体調 不良やその他の事情により実現できなかった方もいたが、14人の方(内1人は体験者の義理の ※ 淑徳大学兼任講師

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娘)と出会うことができた。 2.インタビュー方法 インタビューの方法は、個別インタビューである。場所については、対象者側の指定場所に筆 者が出向き行なった。また、筆者の筆記記録とICレコーダーによる録音の使用許可を得て実施 した。インタビュー実施期間は、2011年12月∼ 2016年3月である。 倫理的配慮として、研究の目的についてインタビューを依頼する際、事前に手紙で説明し、直 接会った際にも再度説明をした。そして、インタビューをした結果をまとめ、論文として公表す る旨を伝えインタビューをした方から書面で了解を得た。また、結果の公表にあたっては、本人 が特定できないような表記の工夫をしている。 現段階では、個別の戦争体験、戦争についての思いを聴き取り記録することに留まっている。 今後も戦争体験者へのインタビューを続け、対象者を増やしながら戦争体験や、思いの違いが何 に由来するか(性別・当時の年齢・暮らしていた地域・家族の状況など)について検討し、違い を前提にしながらも共通性を見いだすという視点で分析を進めたいと考えている。 3.質 問 インタビューの聴き取りについては、共通項目を設け実施した。項目内容は、生まれ育った環 境・戦争体験・戦後間もない生活・その後の生活・そして現在などとし、それ以外にさらに自由 にお話いただくようにインタビュアとして心がけた。 4.インタビュー概要 インタビューの概要は下表の通りである。 表1 No 対象者 性別 ビュー時インタ の年齢 内  容 備考 1 Aさん 男性 88歳 召集され穴掘り部隊に配属 2 Bさん 女性 84歳 学徒動員で工場に行き戦争に必要な部品作り 3 Cさん 男性 80歳 北関東にある寺に学童疎開 4 Dさん 女性 85歳 父親の仕事で他国に渡り、敗戦後日本に帰国 5 姉Eさん 弟Fさん 女性 男性 85歳 82歳 関東地方の大空襲を体験した家族との生活 きょうだい 二人を同時 に イ ン タ ビュー 6 Gさん 女性 92歳 空襲体験もせず過ごしていた中部地方での生活体験 7 Hさん 女性 91歳 タイピストとして南方へ3か月間従軍

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Ⅲ 戦争体験者インタビューから明らかになったこと

インタビューを実施した中から、Cさん(表1No.3)とNさん(表1No.13)の証言をやや 詳しく紹介しておきたい。二ケースを取り上げる理由として、Cさんは、小学4年生で学童集団 疎開(以下、学童疎開と記す)体験をする。その中で、友だちや先生との関係、疎開での生活・ しつけなど集団生活を通して学んでいく。また、食糧事情が悪く栄養失調や、病気による友だち の死にも直面するというありさまが分かる。 Nさんは、女性で親や国のために志願して南方へ一年半も行く。南方へ行くときは豪華船に乗っ て現地でも比較的優雅な生活をしたが、戦局が厳しくなるにつれて現地での生活も汲々としてき たことを語っている。女性が戦争で国のために比較的長く外地に滞在していた貴重な話である。 1.表1 No. 3 Cさんの体験 インタビュー日 2014年1月14日 インタビュー場所 喫茶店 Cさんは、筆者の高校の先輩である。同窓会の集まりで、筆者がCさんに戦争体験者へのイン タビューをしていること、そしてインタビューに協力していただける人を探していることを話し た際、Cさんが「自分の体験でよければ話していいよ!」と言ってくださった。Cさんが学童疎 開体験者であるということでインタビューが実現した。 学童疎開期間は、1944年8月下旬∼ 1945年9月下旬までで1年1か月と1週間くらいだった。 疎開先は、北関東にある寺であった。 家族構成は、祖父母、父母、3人きょうだいでCさんは二男。学童疎開をするに至った経緯 は、当時、小学校の『父兄会』で保護者向けに説明会が開かれたという。その内容は、「日本が 戦争に勝つため」と、「次代を担う子どもたちを保護するため」ということだった。 Cさんは、当時、国民学校の4年生。疎開先に持参したものは、どんぶり・お椀・箸で、どん No 対象者 性別 ビュー時インタ の年齢 内  容 備考 8 Iさん 男性 85歳 志願して陸軍の部隊へ入隊、敗戦後復員 9 Jさん 女性 89歳 戦時の中を家族と乗り越え、戦後、母親と私立保育園を開設 10 Kさん 女性 81歳 学童疎開を体験した後、家族で縁故疎開 11 Lさん 女性 85歳 学徒動員で北関東方面へ行き、生糸をつくる作業を体験 12 Mさん 男性 79歳 孫に遺した抑留生活手記 手記を拝借 13 Nさん 女性 90歳 タイピストとして志願し南方へ1年半従軍

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ぶりとお椀は寮母が管理し、箸は自分で管理した。理由は、各自が持参したどんぶりとお椀は、 それぞれ大きさが違う。食事は学年により分量を変えていたので、学年の大きい子どもには大き いどんぶりとお椀を使用するためだった。Cさんは、学年としては一番小さかったので、小さい どんぶりとお椀で食事をしたと話す。 疎開先の生活は、朝は6時に起床、就寝は夜の8時頃。要するに朝日が昇る頃に起きて、陽が 沈んだら食事を済ませて寝るという日課。朝、食事を済ませると地元の小学校に行き授業を受 け、昼食時間になると学童疎開の子どもたちは、寺に戻り昼食を摂る。昼食後、再び小学校に行 き授業を受ける。地元の子どもたちは、家からお弁当を持参し小学校で昼食を摂っていた。学校 から午後3時頃、寺に帰ってくるとおやつが準備されていた。おやつを食べた後は、班ごとに学 校で習った勉強の復習や予習をし、それが終わると夕食まで将棋・けん玉・ベーゴマなどで遊ん だ。班ごとに清掃もあり、部屋の掃除、庭の掃除、便所の掃除などだったという。 食事の献立は、ご飯(麦や大豆、白米?)あるいは、すいとん・みそ汁・たくあん程度のもの で、みそ汁の具は、なす、じゃがいもなどで水分の多いみそ汁だった。ご飯も戦局の悪化により 米が少なくなり水を足した雑炊になり、蛋白源は殆んどなかったという。 1年以上両親と離れて暮らしていたが、「日中は結構、楽しかったですよ!友だちもいたか ら!昔の子どもはそれだけ我慢強かったんだね」。大変だったことは、「女子は、お風呂に毎日入 れるわけではないのでシラミがわいてね、男子も毛糸の洋服にシラミがすみついてシラミをつぶ すのに大変だったよ!発疹チフスに罹った子どももいたんだよ」とCさんは話した。また、その 他に疎開先であったいくつかのエピソードを話してくれた。 一つは、子どもたちが悪いことをすると、先生は自分の指導が悪いと子どもを叩くのではなく、 自分自身を責め叩いていた。子どもたちはその先生の姿を見て、悪いことをしなくなり自分を律 していったという。子どもがした悪いこととは、友だちの物を盗むとか、けんかなどであった。 もう一つは、栄養失調になり亡くなった子どもがいた。成長期の子どもたちに必要な蛋白源が 少なかったのは大きな要因だったのではないかという。戦局が厳しくなり、食べ物が少なくなっ ていった時代、おやつに学用品の絵の具や、歯磨き粉を舐めたそうだ。「絵の具や歯磨き粉は、 舐めると甘かったのを覚えている。今、考えると切ないことではあるがねー」と話していた。 最後にCさんは、「戦前の教育を賛美するつもりはないが、体験した学童疎開が日本の歴史上 ゆるがせ得ない事実であり、今後二度と体得できない試練であったことを知ってほしい。語るこ とで次代を担う若者たちに戦争とはどういうものなのか、戦争の恐ろしさ、惨さ、悲惨さを少し でも伝え、悲しみはあっても喜びはないことを後世に伝え残したい」と語ってくれた。 2.表1 No.13 Nさんの体験 インタビュー日 2016年3月22日 インタビュー場所 Nさんの自宅

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Nさんと出会ったきっかけは、筆者が住んでいるご近所の方の紹介である。Nさんは大正15年 の東北生まれ。家族は、両親ときょうだい6人。父親は謎かけが好きで、いろいろなことを教わ り、礼儀も厳しく教わったという。 昭和16年、Nさんは姉を頼って上京した。しかし、間もなく戦争が始まった。Nさんは比較的 有名な会社に入り、最初はお茶出し、こより作り(書類を留めるために使うもの)の仕事をした が、先輩から和文タイプを習い、徐々にタイピストとして働くようになったという。 タイプライターが壊れたとき、修理班の人が来て直してくれた。そのとき修理班の人から、タ イピストで女性が軍属で南方に行っていることを教わり、南方派遣のための試験を受け、大勢の 受験者の中から合格したと嬉しそうに話した。 昭和18年4月に渡航が決まった。昭和18年4月下旬頃、船に乗り日本を出発し、昭和18年6月 上旬、南方の地に到着した。そこで1年半近く会社のため、国のために働いたという。戦局が厳 しくなり、昭和19年5月か6月頃だった、南方のあちこちで生き残った兵隊たちが自分のいる地 に逃げてきた。 会社の社長から「9月下旬に船が入るから日本に帰りなさい」と言われ、急遽、日本に帰るこ とになった。これが最後の引き揚げとなったそうだ。 昭和19年9月下旬、船は出航し、昭和19年10月上旬、日本の北九州に到着した。その後、南方 の占領地は全滅し、生き残ったのは、早目に帰国した人だけだった。現地に残った会社の人たち は全員亡くなった。北九州から東京に戻り、軍票をお金に換えて郷里に帰ったという。 郷里では空襲にこそ遭わなかったけど、上空をたくさんの飛行機が飛んでいるのを見た。疎開 してくる子どもや家族もいた。家でお米を作ってはいたが、決められたものを国に拠出しなけれ ばならなかったから、国に納めるものと自分の家で食べるものを計算して、日々を何とか凌いだ のよ、と話した。 戦後、親の勧めでお見合い結婚をした。その後、夫の仕事の関係で再び上京した。戦争が終わっ ても配給制度は続き食糧事情は厳しかった。妊娠中に10センチくらいの大根の配給をもらうのに 一時間くらい並んで具合が悪くなり、知らない人に助けてもらった。「昔の人は、皆、他人でも親 切だったわー」と言うNさん。ご主人は平成18年に亡くなり、現在は、足が不自由ながらも一人で 暮らしている。そして、「地球儀を見ながら、ときどき戦争のことを思い出すのよー」と話す。 最後に「私は、2週間、日本への帰国が遅かったら、外地で亡くなっていたかもしれない。今 は、一緒に住んではいないが子どもも孫もいる。これからも、ずーっと元気で戦争のない国で生 活したいわ。戦争はもう嫌ですね」と、Nさんは語った。 13人の証言と孫に遺した1人の手記を前述したが、その内容から次のようなことを汲み取るこ とができた。一つは、戦争とは家族をバラバラにし、不幸にするもの、もう一つは、戦争は人々 から笑顔を奪ってしまうものということである。そして、インタビューの内容を紹介した二人の 方からは、「戦争はもう嫌だ、二度としてはいけない」という訴えもあった。

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Ⅳ 次世代に繋げるために ──絵本制作の試み──

1.絵本制作の目的 現在でも世界のあちこちで紛争や戦争が起きている。だからこそ、体験者たちの声を無駄にし てはいけない。一日一日を大切に生きるということを、声を大にして次世代にメッセージとして 遺していきたい。 体験者から聴いた内容を幼児の子どもたちに伝えたい、保育に携わる若い世代に伝えたい。幼 児の子どもたちに伝える一つの方法として絵本がある。戦争を風化させないためには、大人たち が子どもたちに語り継いでいくことが大切で且つ重要である。そこで筆者は、今回体験者から聴 いたことを絵本にできないだろうかと考えた。 筆者は保育現場に37年近く勤務してきた。その中で、子どもたちに多くの絵本を読み聞かせて きた。絵本は、幼児にさまざまなことを伝える手段としてとても良いものと考える。例えば、生 活の中で知りたいこと、親子との関係、友だちとの関係、動植物と共存する意味など、絵本を通 して知り得ることはたくさんある。筆者も保育現場にいるときに疑問に感じたことを、子どもた ちと一緒に考えるときに絵本や図鑑などを利用してきた。子どもは字が読めないことも多々ある が、絵を観てイメージを広げ理解することもある。絵本や図鑑を通して、保育者と子どもと情報 を共有することで共感関係も生まれる。さらに子どもと保育者との信頼関係もでき、次への保育 活動のステップにも繋がる。 筆者は戦争に関する絵本も取り上げ、今は理解できなくても子どもたちが戦争ということに興 味・関心を持ち、成長していく中で戦争について深く考えられるような大人に育ってほしいと願 いつつ読み聞かせてきた。筆者が子どもたちや親向けに話すとき、以下(表2・表3)のものを 使い、また参考にしてきた。 表2 戦争に関する児童向け図書 No 作 者 題 名・発行年・出版社 概 要 1 大城 立裕 対馬丸 さようなら沖縄1987 理論社 沖縄の子どもたちを戦争に巻き込まないために学童 疎開船『対馬丸』が本土に向けて出港するが、不幸 にもアメリカ軍の潜水艦に魚雷攻撃を受けるという 悲劇が綴られている 2 瀬谷 道子 わたしの終戦記念日2010 新水社 戦争体験をした俳優、詩人、作家など12人のインタビューを記している 3 田原 総一郎 おじいちゃんが孫に語る戦争2015 講談社 おじいさんが孫に戦争の話を具体的に語っている 4 高木 敏子 ガラスのうさぎ2005 金の星社 東京大空襲で母親と二人の妹を失い、父親も失うという絶望のどん底に落とされた中でも、けなげに生 きていくさまが書かれている 5 比嘉 富子 白旗の少女2000 講談社 沖縄戦を体験し一人ぼっちになってしまった少女の壮絶な記録 6 やなせ たかし ぼくは戦争は大きらい2013 小学館クリエイティブ 作者自身が5年間、陸軍の兵隊だった軍隊や、中国での体験を綴っている

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このように、戦争に関する子ども向けの図書や絵本は筆者の知る限りでも少なくない。そして、 これらの本は、子どもたちに戦争について伝える有効な手段であった。ただ、戦争に関する絵本は 原爆に関するものが比較的多く、原爆以外の絵本が少ないと感じていた。戦争がもたらす問題は、 多くの人が経験した戦争中の日常的な生活の中にもあり、それらも子どもたちに伝えたいと考えた。 2.戦争体験者のインタビューから得た絵本制作の試み 筆者は現在、体験者からの聴き取りを素材とした絵本(仮題)「みんなが えがおで くらせ るひ」の制作に取り組んでいる。絵本制作に取り組むにあたり、制作は筆者一人ではできない。 幸い別の仕事で出会った編集者が協力してくださるということになった。現在、文章は筆者(あ んどうさちこ)が担当し、イラストは柳深雪氏に依頼し進めている。 いざ、制作に取りかかり始めると文作りにかなりの時間がかかった。なぜなら、筆者は絵本作 りの経験がない上に、体験者インタビューの内容が個々みんな違うからである。また、女性と男 性でも体験は違う。召集されて戦地へ行った人、自ら志願して戦争に行った人、戦地が国内だっ た人や外国だった人、捕虜になった人など。このようなさまざまな体験を絵本にどうまとめ文章 にしていくか困難を極めた。行き詰まると、編集者に相談しながら体験者から聴いた内容を整理 し文章化していった。 今回の絵本制作は、幼児が観てもできるだけ分かるように文と絵をリアルに表現することに努 めている。例えば、体験者から聴いたあちこちであった大空襲、飛行機や船で敵に突っ込む話、 表3 戦争に関する絵本 No 作 者 題 名・発行年・出版社 概 要 1 安里 有生 へいわってすてきだね2014 ブロンズ新社 沖縄平和祈念資料館が募った平和へのメッセージに寄せた小学一年生が書いた詩 2 あまん きみこ ちいちゃんのかげおくり1982 あかね書房 お父さんから教わった“かげおくり”、空襲で家族 と離ればなれになり一人ぼっち、食べ物もなくなり 空を見上げると4つの影、女の子の体が空に吸い込 まれるように命が消えた話 3 天野 夏美 いわたくんちのおばあちゃん2006 主婦の友 広島の原爆が落ちたときの状況とその後の生き方などを表現している 4 指田 和 ヒロシマのいのちの水2009 文研出版 被爆した人たちが最後に求めたのは一杯の水だったが、それに応えてあげられなかった無念の話とその 後の生き方を書いている 5 土家 由岐雄 かわいそうな ぞう1970 金の星社 戦局が厳しくなり動物園に爆弾が落とされ動物たち が街に逃げだしたら大変な騒ぎになるということで 殺処分することになる。しかし、飼育員たちは動物 たちを毒の薬で殺すことができず、餓死させていく ことを選択する悲劇の話 6 松谷 みよこ まちんと1978 偕成社 広島に原爆が落とされたときの話で、3歳になる女 の子がトマトを食べたくて母親に頼んだ。母親がト マトを探して子どものもとに戻ったときは亡くなっ ていた話

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女性は家を守り火消訓練や竹やり訓練をしたこと、戦局が厳しくなり子どもたちは学童疎開をし たことなど、体験者から聴いたことをできるだけ取り入れるようにした。現段階で未完成ではあ るが、絵本のストーリーは以下のように考えている。 ○戦争がどうして起きるのか ○空襲警報が鳴ったときの防空壕の様子 ○親と離れ学童疎開先での生活体験 ○空腹時に子どもが起こした行動 ○現代になり、夢を語る子どもたちの様子 ○笑顔で暮らす様子などを表現 ○最後に、国と国が仲良くしていくことの大切さを伝えるなど

おわりに

今後も戦争体験者を探しながらインタビューを続け、経過報告をできるようにしたい。また、 絵本が完成したあかつきには、保育現場に子どもたちに読み聞かせてもらうように配布したい。 筆者は、親子の子育て支援ひろばや学生たちに読み聞かせるなどの活動をしたい。そして、これ らの活動から絵本の効果を検証し経過報告ができるようにと考えている。 最後に、筆者のインタビューにご協力いただいた多くの皆様に心より感謝申し上げます。あり がとうございました。 【参考文献】 安里有生:文 長谷川義史:絵 2014 へいわってすてきだね ブロンズ新社 あまんきみこ:文 上野紀子:絵 1982 ちいちゃんのかげおくり あかね書房 天野夏美:文 はまのゆか:絵 2006 いわたくんちのおばあちゃん 主婦の友 比嘉富子 2000 白旗の少女 講談社 青い鳥文庫 鯨岡 峻 2005 エピソード記述入門 東京大学出版会 松谷みよ子:文 司 修:絵 まちんと 1978 偕成社 無藤 隆・やまだようこ・南 博文・麻生 武・サトウタツヤ編著 2004 質的心理学 新曜社 能智正博 2011 質的研究法 東京大学出版会 大城立裕 1987 対馬丸─さようなら沖縄 理論社 桜井 厚 2002 インタビューの社会学 せりか書房 指田 和:文 野村たかあき:絵 2009 ヒロシマのいのちの水 文研出版 瀬谷道子 2010 わたしの終戦記念日 新水社 田原総一郎 2015 おじいちゃんが孫に語る戦争 講談社 高木敏子 2005 ガラスのうさぎ 金の星社 土家由岐雄:文 武部本一郎:絵 1970 かわいそうな ぞう 金の星社 やなせたかし 2013 ぼくは戦争は大きらい 小学館クリエイティブ

参照

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