社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第13号 2001 (pp.43-50)
市民的資質育成における社会科教育
一
合
理
的意
思決
定−
Teaching Social Studies in Citizenship Education : Rational decision making
1。シンポジュウムを拝聴して 平成12年度社会系教科教育学会シンポジュウム 「社会科授業理論のニューウェーヴ」(2000年2月 10日・兵庫教育大学)は,内容においても方法面 からも画期的で,誠にエキサイチングで有意義な 会であった。従来の理論に挑戦する新しい開拓的 研究をニューウェーヴと捉え,それを担っている 4人の新進気鋭の研究者を登壇させた企画の勝利 といえよう。 さて,ニューウェーヴといわれる4者の論は, 発表題目,匚議論による社会的問題解決の学習」 (佐長健司),「 ̄意志決定の過程を内省し,認識の 社会化をはかる社会科授業」(豊嶌啓司),匚合意 形成をめざす社会科授業」(吉村功太郎),厂開か れた価値観形成をはかる社会科授業」(溝口和宏) にみられるように,目標や内容,方法を異にして いるが,基本的な問題意識は共通している。それ は,社会認識形成を越えて,市民的資質の育成に より直接的に関わる社会科授業を開発できないか, というものである。社会科の守備範囲を拡げ,よ り大きな目標を達成できるようにすることは,魅 力的ではあるが,それだけ授業構成は複雑で,理 論化は困難になる。事実,発表を拝聴し,配布さ れた資料・論文をみるかぎり,社会科教育に関わ るテクニカル・タームの使用や理論の解釈に混乱 がみられる。今後,授業開発を進めながら理論の 深化・整備が図られることと思うので,ここでは, 一層の発展を期して,紙数の範囲内で簡潔に,ニュー ウェーブ関連の概念を整理し,市民的資質育成に おけるそれ置づけ,および,課題らの関わりと社会科教育論にを明確にしておきたい。おける位 森 分 (広孝 治島大学) 2。合理的意思決定 4者の理論は,なお,相当違っているようにみ えるけれども,計画されている授業を見れば,そ れらはいずれも意思決定過程として組織されてい る。ニューウェーヴの授業は,合理的意思決定を 原理とする社会科を志向されたものと捉えること ができる。 豊嶌授業は,単元計画の冒頭に掲げられている ように厂【意思決定問題】『環境税』の導入につ いて判断しよう」の学習であり,展開では,具体 的に匚日本は,炭素税を導入すべきである一是か 非か?」と問い,子どもに意思決定させる授業と なっている。導入にあたる「 ̄概念探求過程」では わが国が環境税,炭素税の導入を検討せざるを得 なくなった状況が京都議定書や環境白書などを用 いて綿密に学習され,展開にあたる厂価値分析過 程」では,炭素税導入のメリットとデメリットが, たとえば,後者の場合,「二酸化炭素の排出削減 効果が小さい」匚税率の設定が難しい」匚倫理的な 反発を呼ぶ」匚経済が停滞する」という予想され る結果が,事実を基に検討され,3つの選択肢が 設定される。次に,炭素税導入に関わる自己の価 値観を明確にし吟味した後に,暫定的にどの選択 肢をとるかを決定する。終末にあたる「 ̄決定操作 過程」で,各選択肢の効用を6つの視点から評価 した後に,最終的な意思決定をおこなう。どの選 択肢をとるにしても,自己の感情や利害,立場を 交えない,道理にかなった意思決定となるO合理 的意思決定を促す見事な授業となっている。 吉村授業匚脳死・臓器移植法と人権」も匚脳死 を人の死と認めるべきである」と匚それを個人の 自己選択にゆだねるべきである」のそれぞれにつ いて是非を問う学習となっている。単元の大半は ― 43 ―
前者の選択に当てられる。導入にあたる匚問題の 提示」で現在のわが国の法律における匚人権の主 体」の規定と意味を判例を用いてつかませている。 展開1にあたる匚問題の把握」では,脳死と臓器 移植の関連を掴み,脳死を人の死とすることに賛 否両論が有ることを知り,自分の暫定的な立場を 決める。展開2の匚問題の分析」で賛否それぞれ の立場の論拠を洗い出し,列挙する。それを踏ま えて,展開3匚解決策の考察」で,改めて立場を 選び直し,グループで各人の意見を論理的構成と 価値判断の正当性の視点から相互に批判している。 展開4「類似する論争問題の検証」で,アメリカ における脳死をめぐる議論を学習した後に,単元 のまとめとして,わが国の,脳死の定義を個人の 自己選択にゆだねる現状への賛否を問い,意見を 相互批判・吟味する活動をしている。極めて合理 的な意思決定を導く,優れた授業となっている。 溝口授業は,上の2つの授業とは大きく構成を 異にしているが,これも「現在の社会福祉,社会 保障制度は改革されるべきである。是か非か」に ついての意思決定学習となっている。単元の大半 は,わが国の現在の社会福祉,社会保障制度の学 習に当てられる。導入にあたる厂第工次」で,就 労の形態,婚姻の形態,子どものもちかた,子ど もの誕生後の就労の4つの視点から,たとえば, 「フリーター,パートもしくは家事手伝い一結婚 する一子どもをもたない」といった,自分の理想 とするライフスタイルを選択し,その理由を発表 する。匚第2次」では,自己の選んだライフスタ イルに関わる社会制度の分析を行い,①働き始め たときの年金制度,②結婚したときの税制度,扶 養手当,③子どもについての扶養控除,児童手当, 児童扶養手当,④子どもが生まれた後のライフス タイルと諸制度,⑤配偶者が死亡した場合の遺族 基礎年金,相続税を取り上げる。そして,それぞ れの制度について,対象者,対象除外者,その条 件,負担・支給・控除・配分等の内容を検討し, 制度に内在する価値観をあばき,それが男性の片 働き家庭を優遇し,婚姻にもとずく家族関係を保 護していることを明らかにしている。厂第3次」 でタイル,それを優遇らをまとめしているか考えた後に,制度はどのようなライフス,高裁の判決 を法律婚主義をとる最高裁が覆した判例を取り上 げ,制度の考え方と世の中の考えが食違いかけて いることを学ぶ。以上のような学習の後に,単元 の終末にあたる匚第4次」で,最初に掲げた意思 決定問題が示され,選択の理由,改革するなら, どうすればよいか,について各人の考えをまとめ, 学習を終えている。綿密に計画され,わかりやす い形式で示され,授業で使用する資料もセットで 開発されているので,誰でもが指導できる完成さ れた教授書となっている。 佐長授業はデッサン段階の計画となっており, 定かではないが,「外国人に地方参政権を付与す べきである。是か非か」の学習となっている。ディ ベートを取り入れた授業は合理的な意思決定を求 めて構成されようとしていると解される。 4つの授業は,発表題目に見られるように,そ れをを標榜して計画されたものではないが,いず れも「合理的意思決定」を構成の原理としている ことがわかる。 3。社会認識体制一意思決定・理解・説明一 匚意思決定」は,社会科教育・授業構成の原理 として,匚説明」匚理解」匚認識」匚問題解決」と並 列して用いられている。これら5つの原理は,範 疇が一定でなく,意味が重なるものとなっている。 元々,「 ̄理解」は1955年版以後の学習指導要領の, 厂認識」は歴教協,教科研など民間教育研究団体 の,「 ̄問題解決」は初志の会の,そして,厂説明」 はアメリカ教育内容現代化時代の,それぞれに固 有な社会科の教育原理として挙げられたものであ り (1),論理的に分類されたものではない。社会認 識の形式面からみると,匚認識」は史的唯物論か らする説明であり,理解,意思決定である。匚問 題解決」は問題と解決のとり方によって説明にな り,理解になり,意思決定となる。ともかくも, 社会科教育の原理は大きく説明と理解と意思決定 に分けられる。 説明と理解と意思決定は,いずれも判断であり, それらは判断の種類の違いとそれらの関連で捉え られる。いま,誤解を恐れずに,社会的事象に関 わる判断とそれらの相互関連を示すと図1のよう になる。図は,左の三角形で示される既に自己の
内面に形成している社会認識体制から個別的事象 を判断し,それを通して社会認識体制を成長させ ることを示しており,社会認識の構造図となって いる。この図については既に発表・解説(2)してい るので,ここで問題としている意思決定を中心に, シンポで提案された3つの指導計画のなかで意思 決定学習として最も一般的な豊嶌授業を事例に, 説明しておきたい。 意思決定は,個別的規範的判断である。豊嶌授 業において,一つの意思決定は匚日本は,炭素税 を導入すべきである」というものである。日本に おける炭素税導入という個別的事象について,導 入すべきであるという規範的判断をくだしている。 規範的判断は,個別的説明的判断によって根拠づ けられ正当化される。意思決定の根拠となってい る判断は,匚炭素税を導入する」と,匚二酸化炭素 の排出が低減される」,匚エネルギー消費が抑えら れる」,「 ̄市場が活性化する」匚税のクリーン化か 進む」である。これらはいずれも,炭素税導入の もた個別的説明的判断はらす結果を説明する判断となっている,複数の個別的記述的判断。
→
価値
認識
1
事実
認識
1
事実認識 を一般的説明的判断を用いて因果的に結びつけた ものとなっている。厂炭素税を導入する」と匚二 酸化炭素の排出が低減する」という二つの個別的 事象を記述する判断を,厂目的税が導入されると, 人々は納税を抑え,回避する行動をとるので,目 的が達成される」といった,明示されてはいない が論理的には存在している一般的説明的判断が, この場合,常識的な法則が,因果的に結びつけて いる。同じく,「 ̄炭素税を導入する」と[ ̄市場が 活性化する]を,匚規制を目的とする税が導入さ れると,納税を抑え回避するための新しい装置や 施設や資源などを開発・生産,販売するなどのビ ジネス・チャンスが広がり,市場が活性化する」 といった法則で因果的に結びつけて判断され,新 たな知識が創られる。個別的説明的判断は,個別 的記述的判断・知識と一般的説明的判断・法則を もとになされるが,それを通して既有の判断・知 識が吟味され,新たな知識が概念化され獲得され る。デフレ・スパイラルや市場活性化,環境保全 などなど多くの一般的説明的知識・法則を,それ ら自体として学習しなくても,習得し概念化して (知識) (知識) → 図1 社会認識の構造 45いこう。 意思決定は,個別的評価的判断によっても根拠 づけられる。豊嶌授業では,炭素税導入のもたら す効果を,「 ̄温室効果ガスの排出量」匚エネルギー 使用量」「市場経済への影響」などの6つの点か ら,それぞれ6段階で評定させ効用の合計値を出 させ,それを基に意思決定させている。評定は, たとえば,市場の機能を高く評価する一般的評価 的判断をもつ者は影響を大きく評価しようし,人々 の合理的行動を信用しない者はガス排出量の低減 の評定値を下げよう。このように,一般的評価的 判断や個別的評価的判断はその人の社会観を示し ている。個別的評価的判断を通して,一般的評価 的判断・社会観が吟味され再構成されてゆく。炭 素税の学習を通して市場機能の評価を変えるかも しれない。 以上,要するに個別的規範的判断は,個別的記 述的,一般的説明的,個別的説明的,一般的評価 的,個別的評価的,の全判断を統合し体系化した 総合的判断であるが,その判断を最も大きく左右 するのは一般に価値観と言われている一般的規範 的判断である。豊嶌授業で炭素税導入のメリット 4項目と同等の真理性をもつ4項目のデメリット が掲げられている。それらは拮抗しており,論理 的には甲乙付けがたい。炭素税導入の是非の個別 的規範的判断・意思決定は,環境保全と経済成長 のどちらを優先すべきかの一般的規範的判断に依っ ていくことになろう。個別的規範的判断を通して それを支える全判断とともに一般的規範的判断・ 価値観が吟味され再構築される。炭素税の学習を 通して経済成長派から環境保全派に転向するかも しれないし,漠然としていた環境保全優先意識が 明確で確固たるものになるかもしれない。 われわれは既有の社会認識体制をもって社会的 事象・問題に対し,それを説明し評価し,それに 対する意思を決定してゆき,その説明,評価,意 思決定を通して社会認識体制を成長させているの である。 図1に示した社会認識の構造のみから見れば, 説明を原理とする社会科は個別的記述的,一般的 説明的,個別的説明的の判断・知識に守備範匪Iを 限定するのに対して,理解を原理とする社会科は それらを越えて,それらの上に個別的評価的,一 般的評価的判断・知識まで関わろうとする。これ らに対し,意思決定を原理とする社会科は,全社 会的判断,社会的知識の総体である社会認識体制 にトータルに関わろうとするものになる。 なお,社会科における思考は,図扣こおいて, 双方向の矢印線で示される各判断であり,判断の 積み重ねである。したがって,社会科授業で思考 力の育成を目標とするなら,それは,個別的説明 的判断力=説明力,個別的評価的判断力=理解力, 個別的規範的判断力=意思決定力とに分けられ, それらは入子構造になっている。しかし,図釧こ 見られるように,匚思考力」は,「 ̄知識・理解」と は別にあるわけではない。各層の知識・判断を多 くもち,それらが体系化,体制化され,より大き な社会認識体制を形成しているとき,より多くの 事象・問題について,より広く深く思考できる。 知識・理解とは別に形式的な力として思考力があ り,それは,直接,思考活動をさせることによっ て形成される,とする形式主義・活動主義的思考 力観が学力低下を生み出している(3‰ 4。市民的資質とその育成 社会科は,「社会認識形成を通して市民的資質 を育成する」といわれるが,社会認識と市民的資 質との関係を,そもそも,市民的資質そのものを, どう捉えるかも明確にされてこなかったのではな いか。市民的資質は人格の内部構造に関わる問題 であるので,その形象化は極めて困難である。し かし,それを目標に掲げて教育するのであれば, 授業組織可能なレベルで定式化しなければならな い。事実,明言されていないけれども,それを目 標とするニューウェーヴの授業計画の基礎には一 つの市民的資質像がある。それに形を与えて示す と,図2のようになろう。 市民的資質は,市民的活動のできる力と捉えら れる。社会的問題について合理的に意思決定し, そして,あるいは,実際的には,自己の感情や利 害をまじえて意思決定して,発言し,投票し,さ らには,解決のための直接的な行動をとってゆく 能力である。市民的資質は,人格の構成要素であ る知,情,意に対応して社会認識体制と感情と意
志力で構成されていると想定できる。この図の社 会認識体制は,先の匚図工 社会認識の構造」中 の社会認識体制に個別的判断・知識を組み込み, 規範的判断・知識と評価的判断・知識を価値的判 断・知識にまとめて示している。また,厂社会認 識の構造」でなく匚市民的資質の構造」であるので, 「判断(知識)」は厂知識・判断力」に変えているO 社会科で目標とされる態度とは,市民的活動へ の準備状態のことであり,行動や意思決定にみら れる傾向性として顕れる。それは社会認識体制と 感情の生み出すもので,それらの内容によって, 態度が異なり,意思決定,行動も違ってくる。 図2に見るように,社会認識とは別に市民的資 質があるわけではない。誰もが形成してきている 社会認識体制が,社会的な知識・判断の体系が, 市民的資質の中身である。感情や意志力もあるけ れども,その,いわば大部分を占めているのが知 識・判断である。したがって,問題となるのは, どれほど成長した社会認識体制をもって,社会科 で目標とされる市民的資質とするかである。一般 的には,現代の民主主義社会において一市民とし 市民的行動 犬 実践的意夲思決定 → 合理的意
▲卜
思決定Λ
価値的知識・判断力 ︵ 社 会 認 一般的説明的知識・判断力 (法則・理論)・
体 個二
別的説明的知識・判断力 制 ︶ (解釈) 個別的肺患的知識・判断力 (事実) 図2 市民的資質の構造 ︵ 感 情 ︶ て直面するであろう問題に対し,合理的に意思決 定できる社会認識体制であり,正しく意思決定で きる社会認識体制と感情,意志力であるO子ども の社会認識体制は,いわば小さく,体系化,体制 化も弱く,社会的事象・問題を説明,評価できず, 説明,評価しても誤るか不当なものとなる。そう した状態にはたらきかけ,高校卒業までに,可能 な限り,より多くの知識を体系的に習得させ体制 化していくことが社会科教育の課題となる。目標 とされる市民的資質,社会認識体制の内実は,具 体的には,社会科カリキュラムに示される。 社会科は社会認識形成中心でいくべきか,市民 的資質育成中心かという問いは不適切である。社 会認識体制を三角形で示し,事実認識の上に価値 認識を置いているように,事実に基礎をもたない 価値的判断・知識は市民的資質としての意味をも たない。問いは,社会科は市民的資質育成のどこ まで関わるのか,に変えられるべきである。 さて,市民的資質の育成に関わっているのは社 会科だけではない。学校における学級会や児童会, 生徒会,学校行事などの特別活動は社会の一員と 公 共 施 設の 活用 奉 仕活 動・ 地 域の 行 事へ の 参加 のg 子 供会 ・ ボー イ ス カ ウト の 活 動 Cg 学 級会 ・ 児 童 会・ 生 徒 会 活 動の F 図3 市民的資質教育(図2に重ねる) 47しての資質の育成もねらいとしており,地域での 子ども会やボーイ・スカウトなどでの奉仕活動や ボランティア活動,祭りなどの行事への参加,ま た,公民館や少年の家などの社会教育施設の利用 などはより直接的な市民的資質教育となっている。 社会科だけが市民的資質を育成しているわけでは ない。市民的資質教育におけるこれらの関連を図 2に重ねて見るように示すと図3のようになる。 教科外や地域での活動は,活動の中で意志力を培 い感情を育てるともに,認識も形成している。し かし,ここで形成される認識は,活動に関わるか ぎりでのそれであり,断片的で狭く浅い。これに 対し,市民的資質の中心となる社会認識体制の形 成・成長を計画的にすすめていくのが社会科であ るO 図3に示しだのは,市民的資質のフォーマルな 教育であって,子どもは日常生活の様々な活動を 通して市民的資質を形成している。とりわけ,子 どもの社会認識形成におけるマスメディアの影響 は極めて大きく,市民的資質は,実質,インフォー マルな教育によって形成されていると言えるかも しれない。 社会科教育は,こうした市民的資質教育の大き な構造のなかで,自己のアイデンティティを確立 してゆかねばならない(4)。 5。市民的資質教育における社会科 ニューウェーヴ授業論の特質を明らかにするた めには,まず,これまでの各立場の社会科授業を, 市民的資質教育への社会科の関わり方の視点から 検討しておかねばならない。 市民的資質育成への関わりを最も狭く限定する のが匚説明」主義社会科の立場である。この立場 の社会科教育は,社会認識体制のなかの事実認識 の指導のみに関わり,それも日常生活においては 形成できない科学的認識の形成をねらいとする。 子どもは日々の生活のなかで社会を認識し内的体 制を形成している。しかし,その認識は空間的, 時間的,そして,現象論的に限定されており,体 制は大きくは成長してゆかない。そこで,社会科 は,人類が科学を手段としてそうしてきたように, 子どもが形成してきている生活的常識的な認識を 跳躍台として,子どもの認識を空間的,時間的に 大きく広げるとともに,社会的事実や問題の現象 の背後にあってそれを生み出し規定している関係 や構造,機構やそのメカニズムへ届くものへと深 めていくことを任務としている。その方法原理が 匚科学的説明」である。自分が生活する社会を対 象化し,その本質や構造,メカニズムを知れば, 社会観,価値観は根底的に揺すぶられ,社会認識 体制は飛躍的に成長するのではないか。そして, 既存の社会から精神的に自由になり,その在り方 に関わる問題にも合理的に意思決定できるように なるのではないか,というのがこの立場の主張で ある。 「 ̄理解」主義の社会科は,社会認識体制の事実 認識を越えて,評価的判断・知識,社会観の習得, 形成にまで関わるとともに,それを感情の教育と 合わせて行おうとする。子どもが日常世界で形成 している認識をより全面的でより精密にするとと もに,その社会の発展に寄与しようとする態度を 形成しようとする。社会は工夫し努力し協調する 人々の活動によって維持され発展しているので, 人々の活動を共感的に理解すれば自ずから態度が 形成されるというのがこの立場の主張である。形 成される認識は生活的常識的で,それがもつ空間 的,時間的限界はともかく,現象論的限界を越え ることはできず,内的体制は大きくは成長してゆ かない。しかし,より本質的な問題は,工夫・努 力・協調による社会の進歩は事実ではなく,一つ の社会観であるにもかかわらず,それを事実とし て教授することによって,子どもの認識を閉ざし てゆくことにある。 匚認識」主義の社会科も,匚理解」主義と同様 に評価的判断・知識,社会観の習得・形成まで, そして,ときには,感情の教育にまで関わろうと する。この立場の場合,一つの社会科学の成果で ある史的唯物論という匚科学的」社会観があるの で,それにもとずく知識体系を系統的に教授して, 子どもの社会認識体制に組み込み,社会変革の態 度を形成していこうとする。子どもが日常生活の なかで形成している認識を変革し,それを匚科学 化れを受容」しようとするので,体制化にし身に付けるかに疑問がもたれ,すなわるがち,そ,そ
れがなされれば,社会認識体制は大きく成長しよ う。しかし,認識は,それだけより強く規制され, 閉ざされ,意思決定,行動は方向づけられてゆく ことになるO 匚問題解決」主義の社会科は,終始,市民的資 質の構造の全体に関わり,社会認識体制,感情, 意志力が渾然と一体になった匚思考体制」の成長 をめざす。子どもは借吐的で,日常生活で形成し てきている冂巴考体制」は一人一人異なっている ので,それぞれの内的体制のより一層の成長が図 られる。一般に,評価的判断・知識,社会観の習 得・形成,あるいは,規範的判断・知識,意思決 定をめざして指導されるが,学習の規準は個々の 子どものとことんの納得におかれる。集団で学習 しながら,こうした個哇的な成長を促す方法原理 が問題解決学習である。知識は常に体制化され, 認識は徹底して開かれるけれども,生活的常識的 レベルに留まり,社会認識体制の大きな成長は望 めない。自主的自立的な意思決定がなされるけれ ども,その対象範囲は狭く,主観的恣意的なもの となり,合理性は期待できない。 以上4つの社会科教育論に対して,匚合理的意 思決定」論は,慎重に授業論と自己規定している けれども,新しい第五の「 ̄意思決定」主義の社会 科教育論として発展する可能性をもっている。そ の特質は,匚説明」主義社会科と同じく,市民的 資質の中の社会認識体制の成長のみに関わり,か つ,その他の原理の社会科のように,評価的判断・ 知識,さらに,規範的判断・知識へと,市民的資 質育成への関わりを大きくしていこうとしている。 そしで,社会観,価値観の,開かれた,かっ,間 主観的で合理的な形成を図ろうとする点にある。 これまで,社会科が社会観や価値観の形成に関わ ることは,子どもの認識を閉ざし市民的活動を方 向づけるか,認識・活動は価値的に開かれるが, 主観的恣意的になることを意味していた。「 ̄意思 決定」主義は,これに挑戦し,新しい理論と方法 を切り開こうとしている。
6。
「意
思決
定
」主
義の
社会
科
授
業構
成の
原理
を視
点に
,匚
意思
決定
」主義の
社会
科
と括
って
も
,4者の
授
業は
題
目にみ
られ
る
ように,相当異なっている。それは,合理的意思 決定の意義,内容,方法の考え方の違いによって, 捉えられる。(1)目的か
手段
か
合
理
的意
思決
定
自体
は
市
民的
活動
で
あ
り
,社
会
科
では
そ
う
した
決
定の
で
きる
力の
育
成
をね
らい
と
して
お
り
,それ
を指導
原
理
とす
るか
ど
うかは
別の
問題
で
ある
。指
導に
お
いて
,合理
的意
思
決
定
を
目
的
とす
るか
,
手段
とす
るかの
違
いが
あ
る
。吉村
は
明確
に厂
合意
形成能
力の
育成
」
を
目標
に
掲
げ
,合
意
を必要
とす
る問題の
解
決
過程
と
して単
元
を組織
し
,
トゥー
ル
ミン
図式
を用
いた
論理構
成
に合
意
形
成の
一
つの
方法
を見
出
して
いる
。豊
嶌も
意
思決
定
力
を
目標
と
し
,その
意
思決
定過
程
と
して
授
業
を構
成
して
いる
。
これ
らに
対
して
,溝
口は
,開かれ
た
価値
観
形
成
を
目標
と
し
,意
思決
定
をそ
のた
めの
手
段
と
して
い
る
。授
業の
冒頭の
ラ
イ
フス
タ
イルの
選
択は
社
会
制度
検
討への
関心
・意欲
を高
め
る意
味が
大
き
く
,意
思
決
定は
単
元の
ま
とめの
段
階
で
求め
て
いる
。
目的か
手
段かは
これ
か
ら検
討
され
て
い
こ
う
が
,
目的視
は
,図式の
活
用の
よ
うな思
考技
能の
習
得に
は
な
って
も
,全体
的には
形式
主
義
・活動
主
義
に
堕す
る
恐れ
か
おる
。
(2)対立か止揚か 合理性を求めるので,この立場の意思決定は選 択肢を設定し,どれかをとる形になる。それぞれ の選択肢について,その価値観や社会観,予想さ れる結果や予想の根拠などを吟味し,それらの間 に論理的一贄肬のあるものとしてゆこうとすれば, 選択肢をしぼって検討してゆかざるを得ないから である。しばしば,是か非かの2項選択となる。 授業では対立のままで終わるか,両者の立場の止 揚をめざすか。豊嶌授業は炭素税導入に賛成・反 対の対立のまま終わり,吉村授業は死の定義の現 状に肯定・否定の決定をしたのちに,両者で合意 できる点を無理なく探っている。止揚に向かって の努力をしている。溝口授業は現行制度の承認, 否認の決定の後,対策を検討してゆくので,合意 点が出ての着地点をどうしてゆくるのではないかくか。目的か手段かの問題。選択肢の設定,決定 ― 49とからめて検討される必要かおる。 (3)主体的か客体的か 授業でなされる意思決定が子どもの内面にどれ だけ深く根をもつかの問題である。初志の会の社 会科では「切実性」が問題解決の鍵とされ,子ど もの生き方に発する決定が求められる。他方,ディ ベートでは自己の内面に関わりなく選んだ立場を 擁護する論を構成してゆく。これら意思決定の主 体的と客体的の両極端の間にあって,感情を排し, 開かれた間主観性を求める合理的意思決定は,子 どもの内面的体制の発展を願いつづ,客体寄りに なってゆくが,授業構成によって位置は異なる。 豊嶌授業は問題の性質と内容理解の難度からより 客体寄りであり,溝口授業も立場の選択は知的で 客体的であり,吉村授業が最も主体寄りになってい る。立場の選択を子どもの内面的体制とどう関わら せるかは,検討されるべき大きな問題である。 7。指導された討論,教授書 匚説明」主義社会科と同様,匚意志決定」主義 社会科の主たる指導法は,「 ̄指導された討論」と なり,また,その授業計画書は教授書方式が適し ているのではないか(5)。匚説明」は事実的知識を 成長させ科学化させることを,匚意思決定」は事 実的知識を成長させ科学化するとともに,それを 基盤に価値的知識も成長させ,それらを統合して 合理的体系を構成してゆくことをねらいとしてい る。 4者の授業も,問題の背景,可能な選択肢, 各選択肢のメリットやデメリットなどに関する事 実認識の指導がほとんどを占め,その指導は厂説 明」となってゆくからである。 討論には,厂事理をたずねきわめて論ずること」 と匚互いに議論をたたかわすこと」の2義がある。 最近流行のディベートは後者の意味の,勝敗を競 う討論であるが,社会科における討論は前者の意 味のそれである。それは,自己の誤りを発見し, 知識を成長させてゆくための討論である。知識は 推論と誤り排除によって成長してゆくが,自分だ けでは推論に感情や利害がからみ,誤り排除はあ まくなる。他者の批判を得て,知識は大きく成長 してゆく。ここに討論の意義がある。誤りを素直 に認め正してゆく厂知的廉直」が求められるわけ である。しかし,ともすれば,自説にこだわり, 討論はたたかいとなる。「 ̄指導される」必要があ るわけである。 4者の授業における議論もこの意 味での討論をめざしている。 授業計画書は誰でもがそれによって教授できる, わかりやすい方式が望ましいが,合理性を求め, 科学的事実認識の指導を中心とする匚意思決定」 でも教授書方式が適しているのではないか。事実, 豊嶌,吉村,溝口の,いずれの授業計画も教授書 方式で書かれみたいと思わせるもの,わかりやすとなっているく,これ。で授業をして 8。おわりに 「意思決定」主義社会科の理論が一層深められ, 授業開発が進むことを期待したい。しかし,社会 科のアイデンティティは,あくまで,合理的意思 決定の基盤を培う「説明」主義に求めるべきでは ないか。「意思決定」主義は,「説明」主義社会科 の最終学年,高3に置く「問題課程」か,平行し て設ける「総合的な学習」のような課程の原理と するのが,適切ではないか。両者が相俟って,合 理的意思決定力が育成できるのではないか。