新資料﹁永久年中書写出家作法﹂は、曼殊院古文書中に所蔵されていたものである。 ︵マ、︶ 縦岳・胃日﹀横副胃日の巻子本で、一度、裏打ちして補装したあとがみえるが、外題には﹁同出家作法﹂とあり、 その下に、補装以前に記された文字﹁略私﹂が、透かしてみられる。内題﹁出家作法﹂の右には、﹁永久年中依二条 阿闇梨誹所令抄出給也﹂と記されている。 永久年中︵二一三’一二八︶の抄出書写﹁出家作法﹂というのは、日本天台の現存﹁出家作法﹂写本中、最古の部 類に属するものではないかと推定される。天台書籍綜合目録︵渋谷亮泰︶や、その他の目録にもこの資料の名はみえ 注① ないし、叡山文庫所蔵のいくつかの﹁出家作法﹂よりも時代的に古く、門葉記所載の同作法よりも前のものである。 又、この負永久年中書写出家作法﹂︵以下曼殊院本出家作法とよぶ︶は、女人の出家作法である点も、あわせて留 意すべきことであろう。以下、その全文をかかげて紹介することとする。 ︵マ、︶ 略私 同出家作法
永久年中書写出家作法について
白土わ
か
9夫出家者是出離生死之基也故 三国伝燈伝戒師資大師等ノ聖 護法善神殊︿奉始南岳天台ヲ 優婆離等ノ諸賢聖衆一代教中ノ ︵山力︶ □口別一英我口東西拐厳満山 三寶乃至壼空等一蟇 十方三世応正等覚者舎那所證 佛西方極楽化主祢陥種覚雄雲可 如来千花千百億国諸稗迦牟尼 ︵二力︶ 心地戒品八万十口顕蜜聖教文殊 祢勒等ノ諸大脊摩訶薩睡妙海 次表白 謹敬蓮花台上摩訶砒盧遮那 王子等ノ若干ノ萩薩睡羅云 出家作法
先瀝水次三礼次如来唄
永久年中依二条阿閣梨誹 所令抄出給也 10次出家者礼氏神国王父母ヲ後
︵大力︶ソラ
而二女口施主桃顔暗二老テ元常ノ ︵観力︶ 口自発御之間禅定大夫人臨一プ タマフ ︵マ、︶ 諸仏存落周。羅而入佛ノ道二袈娑 ナイヲン 者亦元上福田之衣也故志泥。恒ヲ キテ 者著之口破魔軍ヲ何呪一切冗生 雛備タリト佛性ヲ非レハ大乗ノ禁戒二 ︵暫力︶ 顕コト之ヲ難ク真如ノ冥薫ロクモ コン 錐元シト・溌スルコト依掲。磨〃儀式二 発心修行スル虚ナリ ソム 莞御之剋二堅固ノ大秩心祢染 キモ 肝口給ヘリ依之撰吉日良辰ヲ 顕佛像ヲ奉テ写経巻ヲ三智五 カムサシ 眼ノ證明之前一一落テ花ノ管ヲ 成如来ノ御弟子ト給是則宿善ノ 所催ス浄戒ノ開発今在此時 イサキヨ ロ心至テ潔シ諸仏ノ摩頂在り不疑作願口云を
不疑作
次神分 11次可説出家ノ功徳ヲ 次脱俗服令著出家衣ヲ然後二和上ノ 常楽我浄之果ヲ 此ノ苦空元常口身ヲ可得タマフ彼ノ イト ス 守テ志ヲ厭上生死之郷ヲ捨テ、 ホッ
サウシヒヨリカウヘ
衆生ノ髪・毛︲。爪l歯骨。l皮Cl血・︲肉・自首至テ ァナゥラ’一︵浄力︶卜云コトセスト 畉併以不□ロヲ元不合成皆是 ヲOシテトマヌカルコト以貫愛為本無免生老病死之苦
故為留メムヵ分段之輪廻ヲ出恩愛之 家ヲ給フ虚ロナリ是以破り形ヲ 者ト自行化他所情給也 ノリ 前二可令胡脆即説テ法ヲ云 セ︿セト 偶意云流転生死ノ身欲報生死之 シッムケム 恩ヲ自他倶況テ無出離之期故システ
出テ家ヲ修道ヲ弄テ恩ヲ入佛恵一一 給フ虚ナリロヲ名ケテ真実ノ報恩 礼師長ヲ次令唱一ノ偶ヲ流韓三界中恩愛不能断
流韓三界中 真実報恩者 佛恵イ本 弄思入元為 12ヲ 次以香湯灌頂 へ 次 次
穀羊了剃X帰出
形、‐'頭:依家 守 亨 大 者 志 世 自 節 此 尊 □ 間 偶 □ 3 可 能 云 口 唱 度 元 殼 三 所 形 有 親 唄 法 ヲ シテ讃日善哉大丈夫鎚
佛智本栽捨俗趣泥疸希去
ナイヲン 次可令敬礼十方ノ仏ヲ 其詞云出家之功徳経教ノ説錐多シト 先出シテ一両ノロヲ信心ヲ可奉令懐ク 満ラム四天下二羅漢ヲ百年供養准遥ョ 出家受戒ノ功徳︿勝卜彼一一云上 或︿出家受戒ノ功徳勝タリ造一一モ 今女大施主ノ成如来ノ御弟子ト レテ 是則其時ノ至レル也永離悪趣ノ 生ヲ至萩ノ彼岸一一給コト不可疑 ヲ同Ⅱ︺ ︵功力︶ 出家修道ノロ徳ヲ以テノ故二二百 卜 万劫不堕悪道二説給ヘリ 八万四千ノ塔ヲ或一日一夜ノ ︵説力︶ 能了世元常 希有難思議三反 幸︲ 棄家払聖道 亦願諸冗生 ︵マ、︶ 薩波若又蚤、 普入元為楽 可 、 1.次出家者説偶云 着莫、ⅡU着コト之云・々 次授法号ヲ︲︲ 大哉解脱服 又説自度偏云 チヤク 適哉値仏者 和上二如此三反然テ後チ為二令メョ 次受者頂戴シテ受ョ受了テ返セ カレー 願度一切人 次授与袈裟ヲ
[ⅡⅡ]フ
殊可生□ロヲ給 扶二也尺迦大師三世ノ諸仏以 タマプ サツクル之ヲ度衆生ヲ故所授之也
ナス 皆生怖畏ヲ故離生死ヲ所至 ︵マ、︶ 其詞袈娑ハ是恒沙之仏ノ解脱 瞳相之衣也若人得ツレハ之ヲ諸佛 随喜下マロ天口恭敬シ夜叉羅刹 事等委了可示之云,夜 鉢 若︿優婆羅花比丘尼ノ因縁堅誓師子 受者胡脆云々何人誰不喜福願与時會我今獲法利
元上福田衣被奉如戒行廣度諸元生
a 14次授戒
先開導或︿戒︿是元上扶之
本也或︿不し蕊︿持戒ヲ非仏ノ御弟子ニ レバ 名クト魔ノ春属卜説キ或︿不持 .︵マ、︶ 戒ヲ野干ノ身ヲタレモ得コト難シ タテ寺ツ側 奉 オコタリ ︷ロ心払 次三帰今、︶︵脊力︶
任ノルニ妙楽大師等ノ授扶戒儀二以 十ニノ門トヲ難分別下マフト今存唇 ハプイテハンカウカイ省繁ヲ梗概可奉授之
ツクス︲ 有レトモ犯不失尽未来際ヲ ヨ”〆 苦ヲ龍神八部ノ翼従衛護シ テウグ ココ 教一一超過口四魔ヲ可超三界ノ ツラネテ 生死之長夜ヲ列諸仏存ノテ︽ソコユ
シテ 故以此ノ千仏ノ大戒ヲ為燈口出ロィヒ 或︿芽ノ戒︿有テ受法元捨法 司引 何呪功徳ノ身乎伊説タマヘリ シ 帰依佛二帰依法二帰依僧二也 ナ 給コト可元カル 給ハムコト不限今[川ⅡⅢU二 15帰依佛寛帰依法寛
弟子某甲等従今身壼未来際帰依法離欲尊帰依僧衆中尊□
今身壼未来際帰依佛両足尊
価應教言仏子某甲願従
決定三萩ト云う等ヵ如也 此ノ帰三寶ノ功徳聖教之説 アケカソフヘ不可勝テ計或︿若人帰依佛
シイ 不堕三悪道卜云上或、ⅡⅡU 仔羅云優婆離身子目口等ノ 僧者普賢文殊、ⅡⅡU等ノ諸ノ 経巻ヲ 言住持ノ此寳ヲ者︿又指ス周王ノnUヨリ始テ黄紙朱軸ノ 法者一切ノ諸仏ノ所證、ⅡUノ法輪也 ︵等力︶ 諸賢聖冗ロナリ 住持ノ佛寶也 ○ ︵一切力︶ 佛者内一一︿指シ十方三世□口諸仏ノ ハシメテ 五眼三身ノ功徳ヲ外一ス始自 ウノク テイソ 優田匿王之造立泥木素像ノ 16v−IU、1TI小 等侶我⋮⋮⋮・︽・ネ・乖●︲、月ざ 1111爪I一、 ・I邪ヨー、垰冬一J7血下即酬 次餓侮欠小拙刑即F#山虹除
次可請師雫州雌J1
弟子某甲等奉請尺迦如来應正等不 覚為和上我依和上故得受脊 和戒慈感故礼 , 1 1 ] ︲ ︲ ︲ 。 y師我・・・⋮⋮⋮・わ・・”Tjゞ、− 面I9 JGjl1 雛須運マ逆順十心ヲロロ習給耐一 故一一先唱テーノ偶頌ヲ可餓悔元始ざ 以来/三業六情根ソ罪障量“乗ト“言砦 筌臓県戎・甦・や..⋮・・掴・礼・が型︲、︲・川,ざhl 弟子某甲等奉請一切脊為同学 溺磨阿闇梨我⋮⋮礼月薙噂靴1 弟子某甲等奉請文殊師利谷為 帰依僧寛三説弥 小用、 弟子某甲等奉請祢勒菩為教授.匡
阿.J我,⋮。、礼:,kl︲︲誹一星馴玲 弟子某甲等奉請一切如来為□□︾ イヌ壁人 ︾干諒1月﹄ 4オ己や.1 17次随テ奉二問遮難ヲ如実可碇 カツテ イナヤ 汝不曽出佛身血不応答云元 チ、ヲ
不故父不不敬母不不一
不牧阿闇梨不不敬掲磨
次発萩心.先可令唱四弘ヲ ロ二シタニタマヘリ オコ 既元遮難堪受戒品ヲ称起テ衆生元辺誓願度煩悩元辺誓願断
法門元壼誓願智元上萩誓願證
レ︿カイスルコト
不発萩心ノ大乗ノ浄戒元開発 カウフ 故発シテ此ノ四払誓願ヲ蒙リ諸仏ノ 護念ヲ戒品ノ功徳ヲ可令現前給 随テ奉二問遮難ヲ如実可答□ 自性清浄之心二時悪業重障 不教聖人不 燈ツレハ黒暗併去ヌルヵ如シ 悉消滅シナムトス百年ノ暗室二得至心儀悔元始来自他三業元量罪
如佛存所骸悔我今陳餓且如是
是以罪障︿是非本有之法二四句ニ スイケム 推検スルニ其躰不可得也及往スル鐸不不致和上不
不敬掲磨僧不 凸 18次︿正奉授戒ヲ
次性得戒自性清浄ノ真如ノ
コト、 性戒凡聖悉クニ備タルナリ然則 於此ノ本有常住ノ性戒二汝清浄 比丘尼能ク信不.答云信三説 答云信三説次性得戒向
オイテ 汝清浄ノ仏子於此二起信給不ャ 宝戒ヲ心境二発得下一う是也 次発得戒今白四翔磨シテ金剛ノ 未来際ヲ能持給ツヤ不ヤー 於此相傳戒名句文身二表 也今随某受之給フ相上当り第廿代二 至干某次第相傳タルコト十九代 初相伝ノ戒者奉始自盧舎那如来 浄戒十重禁ヲ給也 先弁ヘテ三種ノ戒ノ相ヲ起シ信心ヲ コン︵委力︶ 次白四掲磨シテロ可受持三聚 専注口重之心ヲ可受之ヲ 答云持三説 1 q ユ ヅ次可奉授三聚浄戒ヲ 苔ノ数ェ持此ヌ三聚浄戒 心可顕如来ノ三身ヲ之虚也 子カハク
汝清浄比丘尼博願ぐ皇
則十重舟八軽等竺切ノ律儀也 摂律儀戒卜者︿是断一切ノ悪ヲ也 ツヒニ 是断徳ノ回也依持此戒ヲ終成ス法身ヲ 次摂善法戒卜者ハ修諸善ヲ也即 聞思修等ノ三恵八万四千ゾ諸ノ 法蔵也是智徳ノ回也依持州 先弁へ三種ノ戒ノ相ヲ起コト信ヲ了 回也依持此戒ヲ終成ス應身ヲ ︵覺力︶ 此ノ三聚浄戒ハ三世ノー切ノ存ロケ ︵マ、︶ 持チ之夛所成佛二也比丘尼女大、 ツラ 成ヶ佛〃出家ノ御弟子ト列りゞ アイ 心卜布施愛語利益同事ヲ為 行ロシテ利益一切衆生ヲ也一 ツヒニス 此戒ヲ終成報身ヲ 次饒益有情戒トィフーハ慈悲喜捨ヲ為 切衆生ヲ也是思徳□ マ|プ ハ表未来際ヲ 20次可奉授十重禁戒ヲ 故励シテ信力ヲ可受ヶ持之ヲ皿,︲、 オシム ー者不教生戒一切衆生ノ所惜ハ ワスレ 圧身命也而忘テ慈悲ヲ行承效害ヲ脚 カルカ 現当ノ悪報不軽若持不教生戒ヲ者 ゴロ 得十種之功徳ヲ故自ラ教ン不可 シテモ セツ 令人ブ故乃至方便故峠闇“讃歎敢
見作随喜︲識︲呪故数回致縁故法
ホシイマ、・ 患敦業可留之ヲ若心ヲ窓二シテー 教生スルハ非真玖脊二是仮名之 脊ナリ無漸元クシテ槐犯波羅夷罪ヲ汝従今身壼未来際
不致生戒能持不イ答云能持耐が 二者不倫盗戒存行く以布施ヲ 即開テ正入諸仏之位二虚ナリ 法門也依受持之ヲ甘露之門・ 此十重禁戒︿舎那所證ノ心地ノ 戒能持テムャ不ャ答云持出三説と 摂律儀戒ィ摂善法戒︾饒益有情 21能持不答□口持:
イム アイホンナウル三者不婬戒欲愛突く是流来
生死之基トシテ現当ノ悪報不軽 若持不婬戒ヲ者得十種功徳ヲ 汝従今身壼未来際ヲ不婬ノ戒イナヤ
四者不妄語戒異口是悩マシ一切
︽衆生ヲ受元量劫ノ苦ヲ若持之者 有十種ノ功徳故□口種ノ非聖言ヲ 常可住正語正見二汝等云々 オコ五者不沽酒戒□口令人起罪業ヲ
ウテ 目縁也而沽之ヲ与人︸一背存ノ 六者不説四衆過戒既出家ノ仏ノ ゞ御弟子ト成コトロロ何ソ還テ顕サム 為先卜而ヲ他人ノ不与物ノ返テ カスメ 掠取之現当罪報不軽若持不愉盗 汝従今身謹未来際﹃ ︵云能力︶能持不答□口持
戒者得十種功徳ヲ能持不答云能持
サイ兼済巨汝等□
不倫盗戒 22患不軽 次冊八軽戒
十者不誹誘三寶戒過阿僧祇劫
不聞三寳名ト云テ三寶ノ名ヲタ’一モ コ?r サイハヒテ奉聞難シ今口生大乗機熟之
﹄ゞアクテチ 國二飽マテ奉値遇三寶二還テ 誹誇三寶ヲ之罪業無量劫之苦 患不軽汝等云女 シンイ 九者不唄志戒符︿以忍辱ヲ為懐メ一一クユル妙シヤ
以悪口罵辱ヲ不聴善言ノ峨謝ヲ トカ 四部ノ御弟子ノ過ヲロロ汝等云々 七者不自讃穀他戒#︿以慈悲ヲ 為宗ト而自讃段他二部相兼ダル其八者不樫貫戒薩口摂生ヲ為宗
ニナカラト・呂 而乍富財宝一一□ロヲ還以悪心ヲ メリ 致罵言誹誇ヲ悪報不軽 メウ ーを︸一不能分別スルコト其相貌ヲ 汝等云を過不軽汝等云を
其報不軽汝等云を 23次廻向川iゞ・勤
,i︺¥↓r,掴一・、聖脂砿 ② この曼殊院本出家作法は、恵心作とされる﹁出家授戒作法﹂に近いものがあるように思われる。但し恵心作の方は、 満戒惣シ秀能持ャ不答云能持 法界平等利益 ノ 思ブニ其功徳ノ廣大ナルコトヲ須祢大海 プト’ 非職ヒニ現世一ス吉廿年之間功徳 トコシナヘやキヤウコウハナレ 善根鎮二修シ向後一ニーハ雛テ三悪 趣ノ生ヲ見仏聞法之縁無絶コト 可御之者也論スル|﹂得脱之時節ヲ ルシ 既阜不可過模至仏ゾ出世ヲ壼縢毒 、 篭 未来際ノ潟磨荘厳シ常住之、灘 法身ヲ給ハムコト非ス言ノ及上意ノ所皇及善根不限一家ノ諸大施主
良 息爽延命ノ願念成就シ乃至悪J 袈裟ヲ受金剛ノ寶戒ヲ了 汝従今身蓋マテ未来際房州八軽ノ ソテカウヘナリ 既呈剃首ヲ為佛ノ御弟子ト着テ 南元 24雫全体野して、一恵心作のものよりは内容も形式も拡充していて、かつ具体的であるという特徴をもつ閥︶漁乳↑ 典曼殊院本出家作法中の授戒作法についてはハ本文中に﹁妙薬大師等の授菩薩戒の儀に十二の門とを以て分別し絵ふ
③、J
と雄も、今存略繁を省いて梗概を授け給ふくし﹂一部とあるが、|最澄の﹁授菩薩戒儀﹂にも出している十二門の中、一開 く j j j 道眺.三辰恥ヨ請師︶.四餓悔・五発心・六聞遮・七授戒までをあげているのみである。それも最澄の﹁授菩薩戒儀﹂ く く く く く、l
の叙述よりは簡単で弗又、より具体的に作法が記されている。:三聚浄戒や梵網十重禁戒の一々についても、具体的に説明がなされAその戒を保つぺき理由にふれているのが注目される。|1,6#︲→い、腰ⅢJl1Jノ州ゞ1
二日刺詞台の大乗戒は、最澄・円仁・安然の頃までに思想的な展開をとげ久それを確立したが、︾それ以後は郡さした る進展なぐ、戒の伝受に重きがおかれ、平安中期以後は次第に形式化し、しかも複雑な戒脈となってゆく方向を辿る 、、℃ 乳、 が、、一、般の人々の間にも出家の慣習がゆきわたっていった平安中期以後の出家作法が、冷この曼殊院本であるとみるこ とができよう。そこには、作法形式の整備とともに、形式化していったあともみられる。たとえば、授戒のさいに、 ゞ﹁未来際を尽して能く持ち給ふや不や﹂と問うのに対して、︲,﹁答えて持つと云ふ、三説﹂とあるが、こうした例は、︽ この作法中、他に何箇所もあって、その時の応答形式が呵寧にきめられていることであ説。これは四分律の戒法等に も、rこうした応答のさい、答に﹁能﹂・と記されていることはあい圭又、ノ恵心作の場合にもみえるが、︲﹀形式として、〃よ り一そう整備されたものということはできるであろう。一典凧ゞ・#で●︽:﹃﹄、|で‘︲副︸|’ん、↑ /しかし出家というい俗世を棄てて佛門に帰依した平安時代の人々の↓﹃心の軌跡を辿る資料として尊重す寺へきもので あることはいうまでもない。またこの曼殊院本出家作法は、〆女人のためのものであわた・、その表白中に”﹁而るに女大,tl
僧戒である。rすなわち曼殊院本は﹁出家作法﹂ではあるが、出家の作法と大僧戒の授戒との二つの部分よりなるもの 菩薩沙弥戒を授けるものであり、曼殊院本出家作法の方は、三聚浄戒と梵網十重禁四十八軽戒を授ける、いわゆる大 ︲11︲丁I,n. 四凸fjrlゲロ で坐める。 ワ貝 空 耳施主桃顔暗らに老いて、元常の観自ら発御の間、禅定大夫人蕊御の剋に臨んで、堅固の大菩提心いよいよ肝に染口給 へり。之に依て、吉日良辰を撰んで佛像を顕はし、経巻を写し奉りて三智五眼の証明の前に、花の管を落して如来の 御弟子と成り給ふ﹂とあり、又、出家の作法のあとの授戒の場合には﹁汝清浄比丘尼﹂と記されてあるのによっても 知られる。無常観を自ら発していた女性が、禅定大夫人の莞御によって、いよいよ大菩提心を強くし、落飾剃髪して 佛弟子となり給うと理解す寺へきものと思われるが、身分のある女性が、禅定大夫人とよばれた人の死によって出家の 心を起したのであろう。禅定大夫人とは出家の女性をさすが、その女性が莞御云々とあるところから、それは女院ま たは摂関家等の女性であることがしられる。 内題の右にある、﹁永久年中に二条阿闇梨の訓によって抄出せしめた﹂という記載は、この出家作法が、永久より 前のものか、もしくは永久年中のもので、しかも、この曼殊院本より長くくわしいものがあったことを示している。 二条阿閣梨という僧については、目下は知るよしがないのであるが、禅定大夫人といわれた人については手がかりは ないであろうか。永久年中の抄出という点から、︲これをかりに永久に近い頃か、もしくは永久年中のこととして推定
④⑤
するなら、小野宮皇太后歓子︵康和四年八月十九日残、承歴元年出家︶藤原師実室麗子︵永久二年四月三日残、康和⑥⑦
四年五月廿六日出家︶・中宮篤子︵永久二年十月一日残、嘉承二年九月廿一日出家︶らがあり、その他、藤原俊家室 ⑧ ゞ︵康和五年三月十三日残、尼︶がある。小野宮皇太后歓子は元亨釈害にも出ている篤信の女性である。何れも推測の 域は出ないが、永久年中のことと考えるなら、中宮篤子あたりのこととすべきであろうか。併しまだ何れとも→きめ 手はない。ただ、この曼殊院本の出家作法は、女院のものではないと思われるのである。それは﹁殿暦﹂に、嘉承二 年九月廿一日、中宮篤子の出家のことを記して 今日中宮尼二成給榊催耐郵舞執辨菫窄賢暹法印戒師⋮⋮・f・
n J 、 至り御佛不懸、不置梵王経、是当時大皇大后宮御出家例也:⋮女房御厘殿同成尼錨嫁 とあって、御佛をかけず、経︵梵網経か︶おかぬ風習を示しているが、曼殊院本出家作法には、﹁仏像を顕はし経巻 ⑨ を写し奉りて﹂とあるからである。 禅定大夫人とよばれたのは何れの女性であったか分明ではないが、↑その人に近い関係にある女性の出家のさいに用 いられたのが、曼殊院本出家作法とみる、へきであろうや︲ 又、この出家作法には、授戒の相伝を、盧舎那佛より始めて十九代の某より授戒し八︲第廿代の相伝者になると記さ れてあるが、これは、大事なきめ手になるものである。しかし、円頓戒相承血豚譜は、区区としていて、⑪目下はこの ⑩ 点についても明確なものが見出せないのは残念である・これも後日にその考究をまちたい。吉蓮院蔵血肺譜によれば、 十九代は良忍の頃となる。併し、他の血脈譜もあわせて調査せねばならぬところである。 又、さきに、曼殊院本出家作法は、恵心作︲﹁出家授戒作法﹂に似たものがあると記したが、恵心作作法の表白の中 に、一日一夜の出家の功徳を、百縁経・僧祗律・出家功徳経等をあげて強調しているのに対して、曼殊院本出家作法 には、出家の功徳を説いてもその中に、﹁或いは一日一夜の出家修道の功徳を以ての故に、二百万劫悪道に堕ちずと 説きたまへ︲り﹂とあるが、それは恵心作のものの影響を受けて、それがより文学的にくだけて表現されたもののょぅ 一日一夜の出家の功徳云々というのは、かの源氏物語宇治十帖の中で、浮舟の出家に関して、後世八、還俗非還俗の 議論のまととなったところであるが、曼殊院本出家作法はへこの点についても、一つの考究資料を提供するものでは ないかと思われる。尤も、浮舟の場合は、菩薩沙弥戒の授戒であったかもしれない。曼殊院本出家作法にはまた、授 与袈裟の次に、﹁若くは優婆羅花比丘尼の因縁、堅誓師子の事等委しく之を示すべし﹂とあるが、優婆羅花比丘尼の ⑪ 因縁については大智度論巻十三・四分律・有部砒奈耶その他に出ており︿又、慧沼の﹁受菩薩戒法﹂にも引用され、 である。 [J ワー
この説話はかなり流布していたものであったと思われる。智度論巻十三に、優婆羅華比丘尼本生経中に説淵説話とし
⑫い
て出されているものによると、優婆羅華比丘尼が、諸をの貴婦女に語っていうには﹁姉妹よ出家せよ。出家してかり に戒を破ることがあっても、受戒の因縁によって、一時は地獄におちても、後に道果を得ることになろう。昨自分もか つて前世では比丘尼衣をまといながら戯笑したこともあった﹂︷一︵以上取意︶という話である・いわゆる還俗せよとい うのではない、かりに戒を破り地獄に堕すことがあっても、出家受戒の功徳により、道果に至るというのである。㈹ ⑬ ︽又、↑堅誓師子というのは、賢愚経巻十三の堅誓師子品の説話によったものであろう。この説話によると、剃頭し袈 裟を着た出家の身でありながら、猟師となって、師子を射ようとしたものがあった。師子は、それに抵抗して害を与 えようと思ったが、猟師が出家の姿であることをみて思いとどまり$その矢を受けたというのである。それは、出家 染衣の人は、やがて必ず解脱を得るものであり、︲又、三世の聖人の標相でもある。今、自分が、この猟師に害を与え るのは、三世の聖人に害を与えることになるからであるというのである。その猟師とは提婆達多の前生であり、師子 とは釈尊の前生であったという本生諄である。“昼,︶ず岬!Lも珠斗名士く駒・|・↑尽γ乱さ 優婆羅花比丘尼の説話にしても、堅誓師子の話にしても、何れも、出家の功徳を尊重する話である。たとえ戒を犯 D し破ることがあっても、出家とは道果に至る前提であることを強調する話である。大乗佛教の出家や戒への意識の一 端を示すものともいえるし、平安中期の人女の出家に対する考え方を示唆するものともいえるであろう。4﹄↑当ゞ 以上、非常に大まかな、推測めいた解註をつけ加えたが、平安中期以後、出家を希望した一般の人々の、佛教への 姿勢を知るよすがともなるし、又、日本天台の戒律の系譜の一資料としても注目すべきものと思われる。なお仔細な 考究については後日にゆずることにしたい。ざや︲↑,閥細・︲︲”卜#|︲↑|↑“§:庁︲秀乢﹂一︲↑え↑|比圭︾↑可︲寺︺
注①大正蔵図像部一二、門葉記巻百、六七頁以下、︲・瞳..▲I
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