学校を「学校的」でなくするには
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(2) 学校を「学校的」でなくするには. 事の項目がリストのようにして与えられる。それらは、. のだと思い込んでいるのです。つまり、問題を作ると. 基礎から応用・展開と順序つけられてそれぞれの項目. 言うのは先生だというわけで、私たちは答えるだけと. の習得だけを目指す。そこでは教授されたことについ. いうことになれてしまう。ですから、子供たちは答え. て生徒はそれが現実の文脈での意味とか関連性につい. 方だけを一生懸命覚えるように育ってきている。問題. ては目隠しされ、順次習得することだけが期待される。. の意味と言うことは、それは作る人が、先生が、考え. つまり知識がどのような文脈でどのような意味をもつ. ることであって、答える人は上手く答えるにはどうし. かについては、常に与える側が全て吟味されてつくし. たらいいかということだけを考える。そうやってずっ. ているはずだと信頼してしまう。従って勉強と言うこ. と自らを、ある意味では問題の意味を考えることはし. とをずっと続けていくとそこに何らかの副作用が働く. なくて良いのだという風にきめてしまう。与える側が. と言う訳なんですね。つまり勉強を教えることの従属. きちっと「いい問題」を作ってくれているはずだと。. 変数とみなす。つまり与えてもらえないと学べないん. それに長くずっと浸っていますと、小学校 3 年生だっ. だと思ってしまう。或いはよく教えてもらえればよく. たらそれほど長くはないのですが、要するに問題は先. 学べるのだと信じ込む。それが一種の教育依存症です. 生が作るもので、それを私たちが上手く問題の中の数. ね。つまり教育に依存させると言うことがそこで発生. 字を組み合わせて答えを出すのだと言うようになって. する。確かに教師というのは教育依存症を作り上げる. いるわけで、突然、問題を作ってごらんと言われると. ことによって教師という職業を成り立たせているのだ. 面を食らうのですね。そこで結局どうするかと言うと. ということ。勉強は個人が自分の頭を働かせていくこ. 何か算数の問題ってこういう言い方だったな、とうろ. とであり、自分の頭が良くなっていくこと、そして他. 覚えで以前やったことのある問題のことばの断片を思. 人とは競争相手になる。他人と競争させればされるほ. い出して、それで文章を作ってしまう。「スズメが 4. ど教育依存症は高まっていく。勉強は基本的に正しい. 羽電線に 8 羽とまりました。電線には何羽止まって. 知識を獲得し正しいやり方を見つける。その場合の正. いますか?」「4 本のリボンがあります。8 人の子供. しさは学習者自身が決めるのではなく、教師であり専. に分けたいと思います。リボンは何本あればいいで. 門家が決めている。そこでは、教えられることが正し. しょうか?」「4 人が 8 人いました。掛けると何人で. いのかどうかと言う吟味は学習者側にあるのではなく. しょうか?」「りんごが 4 つあって、8 つのなしをか. て、与える側にあるということになり、正しい知識を. けるといくつになるでしょう?」「ある人はみかんを. 持った人が崇められてしまうという事になる。. 4 個持っています。もう一人はみかんを 8 個持ってい. 勉強は答えさえ分かればいいんだということにな. ます。このみかんの積を求めなさい」「栗が 4 個あり. る。訳を知ることは問われない限り不要であるという. ました。そのうち 8 人いました。どうしたらいいで. ことです。で、意味とか訳とかは不必要になるという. しょうか?」「飴が 4 個あります。8 人の子供に飴を. ことと、こうなると学習者は意味や訳について自分で. あげたいのですが、4 個しかないのでどうすればよい. 考えるということについては、無力感を覚える。そん. でしょうか?」「鯵が 4 枚ありました。8 を掛けると. なことは考えても無駄だということになってしまう。. いくつになりますか?」「子供が 4 個飴を持っていま す。8 人に配ります。何人に配れるでしょう?」これ は難しい。「水が 4dl 入っています。8dl を姉さんが. ナンセンスな問題をつくる子どもたち. 持っています。掛け算をして式を書きなさい。」「4×. これは、我々が昔横浜でやった実験ですけれども、. 8 = 32 弘樹くんが飴を 8 個買いたいのだけれど、4. 「4 × 8 = 32 という計算で答えを出す問題で作って. 個しかありません。一体飴の値段はいくらでしょう。」. 下さい」と言いましたところ、全くナンセンスな問題. 「1 個 8 円のガムがあります。4 人に分けると何個で. を半数くらいの子供たちが作ったのです。で、これは. すか?」「○○さんが 4 個の飴を買いました。○○さ. 3 年~ 6 年生までほぼ同じ比率でした。3 年生でも 6. んは 8 個のガムを買いました。二人の値段はいくら. 年生でも半数の子がおかしな問題を作ったわけです。. になりますか?」. これはどうしてかと言うと、「問題」は先生が作るも. こういうようなことをすぐにやってしまうのは問題. 2.
(3) を作ってといわれたときに、問題ってどんな文だった. した。それは通常の質問というのは知らないことをた. かな…といううろ覚えのことばをつなぎ合わせて、問. ずねて、答えてもらったら大喜びするわけですが、教. 題らしき文を作っちゃう。 意味を全然考えないのですね。. 室では知っている人が知らない人に尋ねて答えをもら. このように学校教育は全然成功していないのです。. い、お礼をいうのではなく「評価」を与える。普通の. 大学生でも分数の計算や少数の計算が出来ないと大騒. 会話では、What time is it? 今何時ですか? と尋ね. ぎしているようですが、1982 年にアンディ・ディセッ. たとき、 Half past two. 2 時半です。 という答えがかえっ. サと言う人が物理学専攻の大学生もニュートン力学の. てくると、Thank you. ありがとうという。教室では、. 初歩的な慣性の法則を理解していないということを明. What time is it? 何時ですか?と言って Half past two.. らかにしました。わが国では例えば、東大生でも「豆. 2 時半ですという答えがかえってきたら、その通りで. 電球と乾電池の並列・直列」問題が分かっていなかっ. す。Right. と言う。これが教室内の応答なんです。そ. た。. の IRE の変形版としてよくあるのは質問を出しておき ながら生徒の答えをただ黙って聞いているだけの先 生。或いは黒板に生徒の言葉をそのままテープレコー. なぜ学校教育は成功しないのか. ダのように繰り返してただ書いている。或いは自然と. なぜ学校教育は成功しないのか?ということを少し. 回答者から視線をはずし、他の子供に向けて答えを出. 考えて行きたいと思います。先ほど言いましたが、ま. させる。そういう風にされると、子供というのは自分. ず学校では教えると言うことから始まってしまうとい. の答えに対して先生が本当に真っ当に考えていてくれ. うこと。教えるべき指導計画から教えると言う項目を. ないと思う。何か知らないけど、そらされている。そ. 取り上げる。その項目の下位項目を系統だったリスト. う考えてしまう。これはある意味非常に怖いのです。. にし、教える順を一種のフローチャートにしていく。. 通常の人間と人間との会話だったらなにかを聞いたら. 教師は各項目を生徒が自分で発見したというようにな. 「なるほど…とかそうだったのか」というように会話. るような発問にする。この発問というのはなかなか曲. が進むのですが、教室ではそういう会話にならないで. 者でして、教育学を学び始めた頃、発問と言うのは「問. すね。会話でない応答というのが教室内で発生する。. を発する」ことだと思い、問いを持つことは全ての始. ではそういう応答が頻繁に発生するというのはどう. まりだなんて思っていたのです。ところが教育の世界. いうことなのだ?ということなのです。佐藤学さんが. では、「発問」の当事者は先生なのですね。発問と言. ある授業を観察したとき 1 時間に 50 回以上の IRE が. うのは子供がどのような問いをするのかじゃなくて、. あった。あとでその教師と話してみたとき、教師は教. いかに子供たちに問いかける(答えさせる)か、とい. 室で権威主義に陥っているのかな…と思ったらまった. うことなのです。で、答えて欲しいことを先生は、想. く逆。そうじゃなくて、IRE を頻繁に発生する教師は. 定してそれが答えになるのが発問となるのです。生徒. 実は無力感を感じている。つまり、自分が教えようと. は教師がどういうようなことを答えさせようとしてい. していても子どもたちはちゃんと学べていないのでは. るのかな…ということを推察して答える。生徒は教師. ないか、と。だからこそ、教えたことが伝わった証拠. からまともに問われているとは思わない。すでに答え. を求めて、子供たちに質問し答えを言わせる。そして. は出来ていて、その先生が考えている答えを上手く当. それで「よし。」とある意味では、自己確認なのです。. てるというのが生徒に与えられた課題になる。. そういうような事で、IRE というのは教室の中で非常 に蔓延しているのです。. 教室会話の特徴:IRE そこでいわゆる IRE という会話が生まれて、教室. 「アンラーン」のすすめ. は教師と腹の探りあいの場になるのです。この IRE. そこで、私としてはアンラーン(unlearn)という. (Initiation-Reply-Evaluation)というのはヒュー・ミー. ことを考えたのです。これはヘレン・ケラーの言葉で. ハンという人が学校における会話の特性として示しま. すが、鶴見俊輔さんが米国留学中に彼女に会ったそう. 教育デザイン研究 第2号 3.
(4) 学校を「学校的」でなくするには. です。その彼が大学生だと知るとヘレン・ケラーは. を大切にする。IRE の ”I”(Initiation)も、教師の発問. 「私は大学でたくさんの事を学んだのですがそのあと、. のイニシエーションではなく、生徒自身の発問、イニ. たくさんまなびほぐしをしなければならなかった」と. シエーション、を大事にする。生徒の方に疑問を出さ. いうのです。英語では unlearn と言う言葉ですね。で. せる。生徒同士の学び合い教え合いを大事にする。こ. 鶴見さんはこのことばを聞いたことがなかったけれ. れまでの学校では教師が答えを知っていることを問う. ど、意味は分かったと。つまり型通りにセーターを編. ていた。これが典型的 IRE。教師も分かっていなくて. んだものをまた戻す・・あの情景を思い浮かべたと. も調べればすぐ分かる答え、調べ学習ですぐ分かると. いうのです。鶴見さんはそこで unlearn の訳語として. 言うのは、IRE ではないけれども、ある意味では生徒. 「まなびほぐし」という言葉をあてる。大江健三郎は. にやらせている問い、そういう問いではなくて日常生. unlearn という言葉を以前から知っていたのですが、. 活の問いは答えが分からないから問いであって探求す. それを「学び返し」と訳していましたが、いかにもこ. れば分かるだろう、分かるかもしれないという問い。. なれていない訳だと思っていたところ、たまたま鶴見. IRE ではないだろうけど面白くない問いもある。人. さんの思い出話を読んで、「まなびほぐし」という言. が分かりたくもない、「だから何なの」と言いたくな. 葉を知り、これはいい訳だな…と思ったそうです。私. るような問いです。何故それが問われるべきか分から. も「まなびほぐし」という言葉が訳語としていいので. ないのに、とりあえず質問してみる。だから何なの?っ. はないかと思います。学校教育のなかでいつのまにか. て言いたくなるような問い、そういうような問いをし. できてしまった「コリ」をほぐすわけです。. ていると面白くないのです。また一方、IRE でも面白. まなびほぐしの第一歩は IRE からの離脱。IRE は. い問いがあるのです。どういう事かというと、問うこ. 避けられるか。しかし、学校教育で暗記は避けられ. との必然性がある問いです。何故今これを問うべきか。. ない。教えた事が正しく伝わったか生徒がどの程度. その人にとって分かる必要がある問い。その問いが出. 知ったのかを確認する作業も避けられない。そういう. てくる意味が分かる。そういう問いは非常に意味があ. ときは IRE を使うことにならざるを得ない。しかし、. る。答えがいろいろあるだろうけど、その中によい答. また避けられる面もある。例えば、宮崎清孝さんは. えがあるだろうと思われる場合はよい問い。問い自身、. unknown question と言っているのですが、先生も知. 真剣な問い、答えを求めて探求していくという。生き. らないような問いを教室で問うと言うことです。ある. る道を示している場合、これも面白い問いでしょう。. いは多様な答えがありうる場合の問いです。多様な考 え方がある場合、そういう場合は教師が一緒になって 考えて、「あっ、そういう考えもあるね。」というよう. 「デザイン」とは. になれば IRE ではない。或いは、IRE の “E” を “A” に. ところで私は今回「教育デザインフォーラム」と言. 変えることです。IRE の E はエバリューション(評価). うことばを聞いたとき、 「デザイン」と言う言葉が入っ. ですが、そうではなく、Appreciation、アプリーシエ. ていることに興味をもちました。「デザイン」という. イション(賞味すること)に変える。「それは面白い!」. 言葉にはある意味アート性が入っているのです。アー. と。なるほど間違っていたとしても、その間違えると. ト性とはどういう事かというと、美的シンボルを活用. いうことの自身を面白がる。そういう考え方も出来る. するということなのです。それは文字的思考ではなく、. よね、でもとりあえずそれは面白い。と受け止める。. 絵的思考が重要だとされることです。文字はものごと. もちろん機械的に何を言われても面白いと言えばいい. を分析的にとらえる時に使われます。ものごとをカテ. かといえば、そんなものではないです。つまり、その. ゴリー的にとらえることにもなります。絵の場合は統. 奥にある子供独特の発想を見つけてまずそこを味わっ. 合的な分析です。「統合から分析へ」という順に思考. てあげる。とにかくプロセスを中心に、どうやって考. を展開させるのです。論理や原理より、態度・関心・. えたらそういう風になるのかな?とか、間違えても絶. 調和が重要とされます。. 対にそれには訳があるはずだから、どう考えてそう. 先ほどの「4 × 8 = 32 と言う計算で解ける問題を. なったのかに興味をもってみる。プロセスということ. 作りなさい。」といわれて子どもがつくったナンセン. 4.
(5) スな「問題文」を見ると、そこには決定的に「絵」が. そういう「統合による分析」を支えているのが、実. ない(絵が描けない)のです。つまり、どういう情景. は絵的シンボルなのです。人類発祥からずっとシンボ. なのかが描けない。そういう「絵的」イマジネーショ. ルはずっと絵だったのです。人類は何万年もの間ずっ. ンが欠落しているのです。それはこれまで学校教育の. と絵だけで考えてきた。それがだんだん略図化されて、. 中では、問題を解くときさまざまな情景のイマジネー. 文字が生まれてということになる。文字が生まれ、数. ションを持って絵を思い浮かべるという作業が行われ. 字が生まれるようになると、文字や数字の組み合わせ. てこなかったのです。図柄を思い浮かべると言うこと. で意味を構成するという思考、つまり分析的思考が生. が出来ない。文が与えられると、そこにはなんらかの. まれ、規則に従って考えるという論理的な考え方が出. 「公式」を当てはめるのだとされ、その公式に従うと. 来てくる。一方、絵的シンボルによる思考はイメージ、. 答えがでるということになれてしまう。問題がどうい. 或いは身体感覚で世界を把握しようとする。部分はつ. う状況で「問題になっている」かを思い描くというこ. ねに全体の中に位置づけられ、文脈に埋め込まれてい. とが出来ない。. るものとする考え方が中心になります。「デザイン」. 先日、学力の低いお子さんの面倒を見る補習塾の様. というのは、このような、絵的シンボルと文字的シン. 子が TV でありましたが、その先生は算数の文章題に. ボルの両方の間を相互交流させ、そこから物事の意味. 対して子どもに必ず絵を描かせる。「どういうことな. をあらたに創出させようという考え方になります。. の?」って、その算数の文章題の中で起こっている出. 学校での教育はどうしても、文字的思考を強調する. 来事を必ず漫画のような絵に描かせる。そういうよう. 傾向が強いですが、これからは「絵的シンボル」をど. なことをさせてから問題を解く作業に入るとみなすら. んどん活用した思考を育てるべきでしょう。. すら解けるようになる。そして学力がどんどんつくと いう話でした。それは、教え方のコツとかということ ではなく、私たちの物を考えるという考え方について、. 根源的能動性. 文字から考えるのではなく、問題が「問題になる」情. さらに「デザイン」というのを考えたとき、そこに. 景を、「絵」で考えることから始めるということです。. は能動性が入ってきます。「デザインする」というの はなにかをはじめる、つくりだす、ということが含ま れ、根源的能動性が活動するものです。私は 1978 年. 統合による分析(Analysis-by-Synthesis). に『イメージ化による知識と学習』という本を出しま. それが統合的思考ということになるのです。全体を. したが、その本の冒頭で、人間には「根源的能動性」. まず捉えることによって部分が分かってくるというこ. があるとしています。生後 10 週目あたりの赤ちゃん. とですね。これは、認知心理学を最初に提案したユー. は例外なく、自分の手を、ゆっくり「結んで開いて」. リック・ナイサーという人が、認知心理学というのは. をしながらじっと見ている。78 年の頃は私は子ども. どういう心理学かと言えば、それは人間の心を「統合. が 3 人でしたが(4 人目はまだ生まれていなかった)、. による分析(Analysis-by-Synthesis)」という面から. みな、生後 10 週目から 12 週目までのあいだ、自分. 捉える心理学だというのです。それを言語を理解する. の手をじーっと見ながら「結んで開いて」するのです。. 過程を調べていくと統合による分析過程であることが. それがいかにも集中してみているのです。何気なく. わかる。それは分析して部分部分を定義して、それら. じゃなく本当に一生懸命集中してみている。実はこれ. を統合して全体の意味を確定するという「分析から統. は因果性の発見でもあるのです。「ものごとの変化に. 合へ」というものではなく、逆に、「全体のまとまり」. は、その変化を生じさせる原因がある」ということを、. をとらえて、「そもそもどういうことなのか」の見通. 自らの「動かそうとする意思」と「動く」ことの関連. しのもとに、部分部分を確定していくという「統合か. を自己体験することから理解しはじめるわけです。最. ら分析へ」というプロセスで、ものごとに理解が得ら. 近は脳科学というのが発達してきていますが、本当に. れるとするわけです。私たちはつねに、ものごとを「予. 自分の身体を動かそうとする運動意図と身体自身が動. 見的」に見るのです。. いていくということの知覚の結びつきについて脳のど. 教育デザイン研究 第2号 5.
(6) 学校を「学校的」でなくするには. こでそれが生じているかがわかってきています。そこ. 述べています。また、「想像力の中核は、特に文学に. が本当にきちんと働くと、因果関係をもとに、物事の. おいて偉大な仕事を成し遂げる特質、シェークスピア. 原因を追究するとか、外界に自分から能動的に働きか. があれ程膨大に所有していた特質、それがなんである. けて「変化を生み出す」ことか始まるのです。ところ. かというと-ぼくは negative capability のことを言っ. がそれが上手くいかない場合がある。自分が動いてい. ているのだ。」「つまり、人が不確かさとか、不可解さ. るのか、動かされているのか分からないという状態で. とか、疑惑とかの中にあっても、事実や理由を求めて. す。そうすると自分自身が外界から動かされているよ. イライラする事が全くなくていられることが出来るこ. うな感覚になってしまう。つまり、根源的な人間の能. との力だ」と。ここが普通の人が物を考えるというこ. 動性の発見を怠ってしまうと大変なことになってしま. とについてある意味で決着を付けるということ、決着. います。科学者もある意味自分の能動性で世界に分け. をつけるまで探求するということを考えるということ. 入り、探求し、モノを作り出して世界を変革していく. になってしまうと思うのですが、そうでなく、様々な. わけです。ところがここで大切なことは、根源的能動. 可能性の中に身をさらすというか、いろいろなことが. 性は実は、根源的「受動性」と表裏一体になっている、. あるということに静かにわが身を飛び込ませるわけで. ということです。. す。キーツは、「詩人というのはこの世に存在するも のの中で一番非詩的な者だ」とも言っています。なぜ. 「ネガティブ・ケーパビリティ」 能動性と同時に受動性でもあるということを述べた いと思います。. なら詩人はアイデンティティがないからだと。アイデ ンティティがないということはどういうことなのか。 「詩人は部屋の中に人々と一緒にいるとき、自分の頭. 世界を能動的に理解すると言うことは、あらゆるも. の中が作り出すモノについては考えることをしていな. のに「なってみる」ということでもありますが、何に. い。 ・・・部屋にいるすべての人の identity がぼくに迫っ. なってみることかということについては、あらかじめ. てくる。その結果、ぼくは、たちまちのうちに、無に. 限定しないことが大切です。つまり、様々なことに心. 帰する(annihilated)」という。さらに、「自分を無に. を開くというか、あらゆるものの中にいかに自分自身. して対象と同一化する。対象の内部ではたらく力をそ. を投入できるかということは、非常に能動的であるけ. のまま感じ取る。-それが想像力による真実の把握な. れども非常に受動的でもあるのですね。そのことを指. のだ。」と言っています。「真実の把握」って、これね. 摘したのは、ジョン・キーツという、19 世紀の英国. 私が昔から「納得」という言葉で表してきたことでも. の詩人です。その人のことばに、「ネガティブ・ケー. あります。「それが真実なんだ」と言われて証明され. パビリティ」というのあるのですね。インターネット. てしまうと「受け入れざるを得ない」。そうではなく、. で調べてみますと、キーツの「ネガティブ・ケーパビ. 「本当に本当だな」というものを、さまざまなイマジ. リティ」の訳語を巡って、いろいろな人が議論してい. ネーションで実感できる。単に論理をたどるとそこに. ます。それが、鈴木忠さんという、私の東大の教え. 行き着くというのではなく、「ホントにホントにそう. 子で白百合女子大教授がいますが、彼がネガティブ・. だ」いう感じがもてたときこそ、「真実」なのだとい. ケーパビリティの訳語として「何ものでもなくいられ. うわけです。キーツが言っているのはそういう想像力. る力」と訳しています。ネガティブというとどうして. は、自分を無にして、周囲の世界へ同一化するという. もマイナスのイメージになってしまうのです。しかし、. ことなのだと。それが本当の納得だと思うのです。私. ネガティブ・ケーパビリティのネガティブという言葉. は「納得研究会」というのを何十年やっていますけれ. は、ブラックホールみたいにすべてを吸収する力なの. ど…。私としては、学校のなかで、子どもたちが自分. です。つまり徹底的にいろいろなものに「なる」こと. で「納得」するまでは「わかったふり」をしないで探. ができる。いろいろな世界にのめり込める。どんどん. 求をつづけ、心底「納得すること」を求めること、こ. 入り込める。そういうことでもあるのです。キーツは. れがこれからの学びを変える重要なことではないかと. 「想像力が美として把握したものこそ真実である」と. 6. 思います。.
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