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『題林愚抄』の撰集資料――漢故事題の場合――

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箪者は 、 さきに「淡故事題和歌からみた中世類題集の系講ー� 「 王昭君 j の場合—|」(『新古今集と洪文学 j 平成四.―一、 汲 古杏院)なる論考で、 類姐集に採録をみる「王昭店」なる漢故事 題の例歌の収録状況から、 類題集には三つの系譜が想定 され、 就 中、「題林愚抄 j ↓『明題 和歌全集 j ↓「類題和歌集の流れが 主流をしめ、 漢故事題を比較的多く蒐集する類囲集としては「題 林愚抄 j が注目に値する作品であることを論証した。 と ころで、 その「姐林愚抄 j の慣集資科につい て は、「「姐林愚 抄 j の成立'�夏部の視点からーー」(「光華女子大学研究紀要 j 第三十号、 平成四・ーニ)なる拙栢で、 勅横集・私家集・定数歌 などのように、 原拠資科から直接採録 されている場合と 、 そ の名 称を特定すること はできないが 類題集から採録されている場合の 二通りの撰集源が想定され ることを憶測した が、 このたぴ、 漢故 事題に付された 例歌を精査してみたところ 、 漢 故事題の例歌に

はじめに

ー漢故事題の場合I

『題林愚抄』の撰集資料

李夫人 さて 、「題林愚抄 J の雑部下には 、 有 名な 故事を有する和漢の ・ 「人 名」の項が あり、 そこではまず「猿 田 彦」「玉依姫」「涌烏 子」の三人の日本人の故事に関わる例歌 が紹介された後に、「唐 人」 「楊貨妃」「王昭君」「上陽人」「陵園妾」「四皓」「雁原」の八 人の中国人の故事に関する例歌が収録されている。 このうち、 漢 故事姐に関する「李夫人」と「陵困妾」の例歌を引用 する と、 次 のとおりである。

「李夫人」と「陵園妾」の例歌

限っていえば、『朋林愚抄 j に具体的な 撰集資料を指摘すること が可能であることを突き止め た。 このようなわけで、 以下 は、 いくつかの漢 故事閉に付された 例 歌を検討することで明らめるこ とができ た、『四林愚 抄」の撰集 資科の一っについてのささ やかな作業報告にしかすぎないが、 大 方のご叱正を賜り たいと思う。

(2)

(8) (7) (6) (5) (4) (3) (2) (1) 陵団妾 ほのかなるけぶりはたぐふ程もなしなれし巽ゐに立ちかく れども (文 治二年百首・定家孵・九九八三) なき人はかくる煙もたてぬべしいけるつらさぞおもかげも みぬ (家集寄煙恋・雅有孵・九九八四) 中中にちり なん後のためとてぞしほれし花のかをしばりけ (家集•長方卿・九九八五) とぢはつる み山のおくの松の戸をうらやましくもいづる月 かな (新勅・源光行·100一八) なれきにし空の光の恋しさにひとりしほるる菊のうは露 (定家•100一九) とぢはつる松のとぽそのひかりとて頼むもかなし菊のうは 統古•前大納言為秀·100二0) 春のうれへ秋のおもひのつもりつつ三代にもいまは成りに けるかな (家集•長方孵•100ニー) 松の戸をとぢて帰りしその日よりあくるよもなき物思ひか 三十六人歌合・登巡法師·100二ニ) まず、「李夫人 J の例歌を検討するに、

m

.③は注記のとおり、 .各々「文治二年二見涌百首 j の定家、「長方集」の長方の詠であ ることが確認できるが、 ②は集付に「家集、 寄雲恋」とあるが現 存の雅有の二種の私家集には収戟をみない詠歌である。 かりに② が現在伝存しない雅有の私家集に収録 され ていたとしても、 「題 言はぬ歎きを更にたきそへて涯のうちの面影もうし 林恐抄」の歌姐・例歌収載方法は、 依拠した撰集資科に掲げられ ている歌題と例歌をそのまま採鎌するのが原則であるか ら、 この 場合の依拠査科には「寄雰恋」とあるので、「題林恐抄 j がこの 「寄雲恋」の例歌として戟る雅有の私家集から②の詠を直接採 した、 とはとうてい考えられないであろ う。 ちなみに、「李夫人」 の題を有する詠歌は少なく ●本間洋一氏「中世私家集の世界と淡 文学」(「新古今集と淡文学 j 所収)によると、 このほかには、 つつと も歩ともなくて相見れど託らふ事のあらばこそあ らめ (林下集・三六0) 同じくはけぷりに通ふ面影に心の内をはるけましかば (公賢集・三0七) (笛玉集・七二六六) の三首を見出しうる程度であるが、 もし E 姐林愚抄」が例歌を直 接原拠資科から採録したのであれば、 ⑨などは収載されていても 不思議はない詠であろう。 しかし、 この歌も「題林愚抄 j には 録されていないので、 ここに、 おそらく「題林愚抄jは歌題と例 歌を整然と収録している、 所前、 類姐集などから、「李夫人」の 歌姐と例歌を採録したのではあるまいか、 という推測が可能とな ろう。 そこで、 この種の代表的類姐集とおぽしき「淡故平俎和歌 集をみると、「李夫人」の例歌は、 にかけるすがたばかりのかなしきはとへどこたへぬなげ (10)

(3)

(I$ (l!i) (1り (13 きなりけり (唐物語・光行) 見ても猶おもひぞまさる節 のあとなか/\つらきかたみな りげり (風雅集・冬信・一 九二三) 何かせむけぶりのうち のおもかげのきえてむなしき後のお もひは (な根集) 花に うつる露の玉のを消しよりけぶりにたぐふおもかげは うし (秋下抄) 見ても猶身をこそこがせ時のまもけぶりのうちに消るおも かげ (新絞古・行能・ニ0二ニ) のとおりで、「題林愚抄」のそれとまったく一致をみ ない。 とい うことは、 『漢故事題和歌集 J が『迎林愚抄 j の撰 集資料になる 可能性は皆無で、 そのほかの類姐集を採してみると、 E 夫木和歌 抄」がその候補にのぼるようである。すなわ ち、「夫木抄 j には 「李夫人」の例歌が「姐林愚抄」の配列と完全に符合するかたち で、 三首掲載され、 しかも、 出典・作者の確認できない②の集付 と作者表記に一家集」「前民部卿雅有」 の注記を見出しうるので、 これらの証拠から、「李夫人」の歌題と例歌の撰集源が「夫木抄 j であることは、 ほぼ間述いないのではな かろうか。 次に、「陵園妾」の例歌を検討してみるに、「阻林愚抄』の注記 のとおり、 ④は「新勅憬集』の光行、 向は「二見捕百首 j の定家、 ⑥は「新紐古今集」の為秀の詠であることを確認し うるが、のは 注記に「家集 長方卿」と あるが現存の「長方集 j には「陵圏 (1!3 妾」の歌題と例歌は掲栽されておらず、『 万代和歌梨」に戟り、 また、 ⑧の登述の詠も「三十六人歌合」と集付にあるけれども、 当該歌合にはこの詠歌は収載されず、「絞詞花和歌集」に第二句 以下を「さしてかへりし夕よりあけるめも なく物をこそおもへ」 として戟るほ か、「今憬和歌集」に初・ ニ句を「まきの戸をさし て……」と異阿して掲戟されている。 ちなみに、「陵園妾」の題 と例歌は、 本間氏によれば、 容しの⑭くにつけても悲しきはさしこもりにし栖家なり (林下集・三 六一) けり 松の戸を一度さして開けねども猪入くるは在明の月 (師光集・九八) さぴしとも幾夜見つらむ松の 戸にさし入る月の深き哀れを (実材母集・一六九) のほか、 済継に二首、 後崇光院・政弘・後土御門院・実歴に各一 首ず つ指摘される由であるが、 ⑬の 歌などは、「題林愚抄 」が直 接原拠衣料から採歌しているとしたら そらく掲戟されている 詠であろう。 そこで、 この場合も「夫木抄」を参照してみると、 固は収録していないが、 そのほかの四首は固.

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.⑧・いの顧序 で掲戟され、 mには「家集、 同題、 万代 権中納言長方卿」、 には「三十六人歌合、 陵固妾 登巡法師」の注記が付せられて、 「題林愚抄」の注記 と符 合し ているので、「題林愚抄 j H 夫木 抄」を撰集抒料にしている可能性 は大きい であろう。

(4)

四 さ らぬだに老のね党は久しきに窓うつ雨の音のみぞする

(20

(23

切) ⑳ そこで次に、『夫木抄 j が『題林愚 抄j のそ のほかの漢故事題 の憬集資科にな り得ているか否か、「上陽人」と「楊貨妃」の例 .歌について検証してみよう。 まず、「姐林愚抄』に収栽されてい . る 各当該歌題の例歌は、 次のとおりである。 上阻人 くらしかねながき思ひの春 の日にうれへともなふうぐひす のこゑ . (玉・従三位宜子·1000五) きくことをいとひ ても又なれ にけり六十の春のうぐひすの こゑ . (新干•閲邦祐·1000六) いたづらに六+の春も過ぎにけりみやのうぐひすこゑばか りして . (新粧古・為忠朝臣•1000七) しらざりきちりもはらはぬ床の上にひとりよはひのつもる ぺしとは (定家卿·1000八) 春の日も秋の夜のまも長かりきいかに過ぎこし年の六十を (顕広•1000九)

「上陽人」と「楊貴妃」の例歌

このようにみてくると、 E5林愚抄 j が「李夫人」と「陵園妾」 の歌題とその例歌を採録する際に、 依拠した択集資料は「夫木 抄」であったことが分明になろうが、 そのほかの漢故事題に付さ れた例歌の憬集源は何であった のであろうか。

(35)

(34) (3�

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閥 仮

(29

(盛忠•10010) そこばくの年つむ呑にとぢられて花みる人に成りぬべきか な ( 家集未房文歌中・大宰大弐高遠•1001 ―) 春秋の行きかへり路もしらなくになにをしるしに年をかぞ -) へん (春往秋来不記年・同·1001― 見る人もなきゃど てらす月影の心ぽそくも見えわたるかな (マご (唯句深宮望明月・同·100一三) 物おもふときは何せん餐のききいとはしきはる にもあるか な ( 宮鶯愁明間・同·1 · 00ー四) はかなしや むなしきとこに明暮れて年の六十の空に過ぎぬ る ( 家集•長方卿•100一五) 紅に たとへしかほもしもふりて うとき人には見えじとぞお もふ ' (同・ニ条太且太后宮大弐·100一六) 昔にもあ らぬすがたに成行けどなげきのみこそおもがはり せね (金業昔最少亦老衰・源雅光•100一七)

楊妃

まぽろしは玉のうてなに尋来てむかしの秋のちぎりをぞき く ( 玉・権中納言長方・九九七一) まぽろしのつ てに闘くこそかなしけれ契りし事は歩ならね ども (為忠・九九七二) たなばたは今もかは らずあふものをその契りてしことはい かにぞ (顕広・九九七三)

(5)

とどめおく玉の枕を見ても粕むかしの野ぺの忘られぬかな (為業・九 九七四) 磨きおく玉の棲も袖ぬれて露ときえに し野ぺぞかなしき (ママ) (元治二年百首・定家卿・九九七五) 道のぺにこまひき わたす袖もなく玉のをたたん契りとや見 し ( 家集長恨歌・ニ条太皇后宮大弐:九九七六) 批の 中を心づつみの草のはに消えにし露にぬれてこそゆけ (馬鬼提下泥土中九花・大宰大弐高速・九 九七七) うたたねのさめての後のはやしきは 夢にも人を見ますなり けり (帳裏夢丸鷲春•岡・九九 七八) 春風にゑみをひらくる花の色むかしの人のおもかげぞする (風桃李花開日秋露・同・九 九七九) 木のはちる時につ けてぞ中中にわが身の秋ぞ まづしられけ る ( 梧桐葉落時西南・同・九九八0) 九重の玉のみぎりもあれにけり心としげる草のうへの露 (宮内多秋草旧枕・同・九 九八一) うちわたしひとりふすまれよなよなは枕さぴしき音をのみ ぞなく (故会誰与共・同・九九八二) まず、「上 陽人」の例歌の原拠資料をみ ると、 四は『玉莱集 j の従三位宜子、⑳は「新千戟集 j の籾邦祐、四は「新続古今集」 の藤原為忠、四は「二見補百首」の定家、 凶•四は各々「為忠家 初度百首」の顕広(俊成) ・盛忠、 姻i四は「右遠集」の高遠、 (44) 囮 ((� (41) (40 係 図 励 函 国は「長方集」の長方、 gは「二条太皇太后宮大弐集』の大弐、 ⑳ は「金菜集」の雅光の 詠であるが、 このうち、「夫木抄 j が収 載しているのは七首で、 四・⑳i闘のごとく配列されている。 と ころで、 これらの七首はいずれも私家集に収鉗される詠歌であり、 各私家集からの採歌では ないかとも憶測される が、「高返集」の 閥の場合、 F四林愚抄 j の「 未玲文歌 中」なる注記は、 詞世に 「一門上陥多少春」の詩句を掲げている「布遠集」からの転荻と はけっして考えられず、 多少の託句の異阿が認められるに せよ、 「夫木抄」に「束昴文歌中」と記す注記をそのまま掲載したと推 測されようし、 さらに吟ー四の四首は、『高遠集」では「或人の、 長恨歌、 楽府のなかに、 あはれなることをえらぴいだして、 これ かれこ、ろばへを、 廿四よみておこせたりしに」の問古を有する 歌群に収載されているので(ただ し、 上欄に「以下上陽人歌歎 J の後人の注記はあるが)、 普通なら、 この四首は「楊貨妃」の例 歌とみなされ 、「上陽人」の例歌にはなるはずがなかろうから、 ここ に、 面遠の例歌 の撰集源は「夫木抄」と考えるのがもっとも 正鵠を射ていると判断されよう。 なお、 定家·長方・大弐の例歌 については 、「楊貨妃」の姐を 初めとして「 王昭君 J 「上陽人」 (大弐の詠は 欠く)の題の例歌になっていることから、 以上の七 首は「夫木抄 j からの採録と認めて間述いはなかろう。 ちなみに 、「上陽人」のそのほか の例歌の撲集源は原拠資科と 憶測され、 当該勅撲集と「為忠家初度百首」ということになろう

(6)

次に、「題林愚抄」の「楊貨妃」の例歌の原拠資料に雷及する 因は「玉葉集」 (R 長方集 j にも)の長方、 図ー国は各々「為 忠家初度百首 j の為忠・顕広(俊成) ・為業、 団は「文治二年百 首」の定家、 国は「二条太皇太后宮大弐集 j の大弐、 国1⑭は 「高遠集」の石遠の詠だ が、 このうち、「夫木抄」に収録される のは九首で、⑰・図.g.⑲i⑭の顛序で配列されている。 そこ で、 これらの九首が「夫木抄 j からの採歌か否かの検討を試みる .. に、 まず、 高遠の六首は「忘遠集 j の「戒人 の、 長恨歌、 楽府の なかに、 あはれなる ことをえらぴいだして、 これかれこ、ろばヘ を、 廿首よみてを こせたりしを」(このう ち十 首は「上陽人」の 詠歌だが)と「同長恨歌 に、 あは れなる事ぁりしをかきいで、‘ 歌十六をよみくはへてやる 」なる詞街を付した歌群に屈し、 その 配列順序は原拠資料のとおりであるが 接辿萩するのは仰ー⑬ の三首のみで、 残りの三 首は 間隔を岱いて連統している。 もし ・「題林愚抄」が直接「窃遠集 j から高遠の例歌を抄出したとして、 はたして実質二十六首のなかから、「夫木抄 j の収戟歌とまった く同じ閲i⑭の六苔を選出しえたであろうか。 おそらくその可能 性はほとんどなかろうから、 この高遠の六首は「夫木抄 j からの 録と考えてよかろう と思う。 なお、図の長方の詠は「夫木抄 j にも「同(家集 )」の集付を付して戟るが、「姐林愚抄」の「玉」 なる集付 と、「権中納言長方」の作者表記が「玉菜集 j のそ (4$ (45) 符合(「夫木 抄j は「権中納言長方卿」とする)することから、 「玉 業集j からの抄出と椎測されよう。 また、⑰の定家の詠と⑱ の大弐の詠も、「上股人」のところで日及したのと同じ理由で、 ともに「夫木 抄j を撰集資科と認めて差し支えなかろ う。 なお、 ⑳ー肉の三首は、 困の為業の詠の上句に本文異同が認められる点 (「新編OO歌大観 j 本は「ふりにけるまくらのちりを みてもなほ」 とする)に多少の問姐が残 この場合も「為忠家初度百 j を撰集資料と認めて差し隙りはなかろう。 ということは F 姐林恐抄」の「楊貨妃」の例歌の指梨資料に も、「上陪人」の場合と同様に、「夫木抄 j と、 当該勅撰集ならぴ K 為忠家初度百首」を想定しうると言えようか。

「唐人」の例歌

「姐林愚抄 j が収録する漢故事姐のうち、 残りは「阻人」「王 昭君」 「四皓]「屈原」の匹姐であるが、「王昭君」については前 掲拙稲で総合的に日及し、 また 、「四皓」と「屈原」については 四皓 数ならぬ身を商山に入れ しかど又をさまれる批にぞ出でぬ (新萩古・源業消·100二 三)

屈原 露霜に なぺて色づく秋山のふもとの松ぞひとりさめたる (同・ニ品法親王党誉•100二四)

(7)

閲 (5$ (53 翻 関 (49) 個 きても見よ心なやますから人の袖ふるあとのあはれしれと や ( 貞応元閑居百首・光明鋒寺入道摂政・九九六二) 庖人のた のめし秋は過ぎぬともまつらがおきに雲なへだて そ ( 最勝四天王院名所街隙子・如願法師・九九六三) 立つ波のつづみのこゑを打ち そ へてから人よせくおきのし まもり (堀JII院次郎百首・頻仲・九九六四) おしてるや千への白浪分けしのぎ我がしき島にいかできっ

=�ご

らん (同・仲頼・ 九九六五) 唐人はしかのをじまに舟出してなかし待つらしはたてにし なり (俊頼・九九六六) うれ しさをいかにすればかから人のことしも袖をせばくた つらん (忠房・九九六七) 海原やはかたのおきにかかりたる 庖舟にこときつぐるなり (兼昌・九九六八) から人の衣にかざるしらたまのしろきひかりのめづらしき 唐人 のとおり、 いずれも「新統古今集」の収戟歌で、 前者が業消、 後 者が党誉法親王の詠だが、 この二首は原拠資料に連続して戟るの で、「新統古今集」が この場合の撰集資料 であるこ とは疑いえな いであろうから、 最後に「庖人」の例歌の撰集資料の検討に入り たいと思う。 そこで、「窟人」の例歌 を掲げると、 次のとおりで ある。 (常陸・九九六九) から国の 人に とはばやわがごとく世にすみつかぬたるひ有 るやと (已上同・大進・九九七0) まず、 ⑰i醐の原拠資料を腑べてみると、⑬は「姐林愚抄』の 集付に「貞応元(年)年閑居百首」とあり、「光明蜂寺入道摂政 (迎家)」の 詠と する が、 確認できない。 けれども、⑱は「最勝 四天王院御際子和歌 j の如願法師(秀能)、 個ー斡は「堀川院次 郎百首」(「永久百首」)の各々神祇伯顕仲・仲実(「題林愚抄 j は 「仲頻」と誤記) ・俊頼・忠房・兼昌・常陸・大進の詠と確認で きる。 そこでこの「唐人」の例歌九首を『夫木抄」と比較してみ ると、⑬と醐以外は両者は一致をみてい る。 このうち、⑱は原拠 資料の『最勝四天王院御陳子和歌」では「松浦山 肥前」の坦下 に収められているので、「唐人」の例歌としている「夫木抄」か ら採録したであろうことは疑いえなく、 また、 間についても、 現 時点では出典・詠歌作者とも未 確認であるなか、「夫木抄」との み記専に一致を見る点で、 これまた「夫木抄 j が撰集安科と想定 されようが、 はたし て『永久百首」収載歌は「夫木抄 j からの採 歌であろうか。 そこで両者間に指摘される発同を検討してみると、 次のとおり である。 かな

(8)

は 「 百 首 は 抄 C は 「 木 抄 依し 抄 で 首 で あ こ と は 目 で ろ 抄 が み は は と 図 「 目 よ さ ろ こ と 本 が 「 首 と し 、 「 題 抄 依 た で で よ こ す 、 「 は 愚 抄 は 、 「 木 「 首

(9)

この表のうち、Aは「永久百首」、Bは「題林愚抄 j 、Cは「夫 木抄」を意味するが、この表から、「題林愚抄 」が依拠したのは 「夫木抄」ではなく、原拠資科の資科の「永久百首 j であること は一目瞭然であろう。すなわち、「題林愚抄 j が「永久百首 j 符合をみないのは、翻の本文異同はともかく、聞の作者異同のみ である。し かし、これは次の詠歌作者の「俊頼」の「頼」の文字 を「題林愚抄 j の編者が目移りによって誤写した不祥事と憶測さ れようから、さほど 問題にする必要はなかろう。 この点を除けば、 醐と醐を「夫木抄」が掲戟していない点と、⑲·的・闘の本文が 「永久百首」のそれと完全に一致している点から、「題林愚抄 j が依拠した 撰集資料は「永久百首」であったと推断できよう。 これを要するに 、「唐人」の例歌採用にあたっては、「題林愚 抄」はまず、「夫木抄 j から、「貞応元年閑居百首」と「最勝四天 総 酬 図 翻 醐 岡149}

0 有歌り 0 -碧し 0 歌有り 0 たは 仲実0 分^0 おき0 X

~

歌無し なむ初 △仲実 臣朝 けし 守島 歌無し ^洸; のぎ まし X X

りも た 仲頼 わ X

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合同

!

0 0 0 0 0 0 0 A O O O L:i. X O O B X X X X X X C 以上、 「題林愚抄」に収戟を みる漢故事題の例歌について検討 を加え、漢故事題の例歌に限っていえば、 撰集資科の中心は「夫 木抄」にあり、そのほかの出典についてはいずれも原拠資科から の採歌であって、勅揺集では 「金葉集」「玉莱集 」E初干戟集」 「新続古今集 」などが、定数歌では「永久百 首」「為忠家初度百 首」などが想定されることを論証した。この結果は、「題林愚抄」 の撰集資科の一っを明きらめることができた点で、多 少の成呆が あったと評し得ようが、同時に、この結果は「題林愚抄」の編者 の問題などにも多少の示唆を与えるように思われる。すなわち、 前掲の本間氏の論考によれ ば、 漢故事題の例歌で、「題林愚抄」 に未収載の詠歌は「題林愚抄」の成立時期に関わる歌人だけでも、 1527) 既原統秋(1450--ー1524)・三条西実隆(1455|153 7 )・足利義尚 (1465|89)•姉小路済継(1470-1518)・ト六伶阜岱為却5(14861 1549)のごとくであり、「題林愚抄Jの成立時期の下限を文安四

わりに

王院名所御障子和歌 」から各一首 を抄出し、次い で、「夫木抄」 には「永久百 首」の「唐人」歌を五首 載せてはいたが、「題林愚 抄」の編者は原資科の「永久百首」から、当該詠歌 のすべてを採 録したということが できようか。 正徹(1384 後崇光院(137211456)

1459) (1442|1500) ・肖柏(1443・大内政弘(144 6 ー宮) 後土御門院 X

(10)

研究宜受贈図書雑誌目録四 日本文学研究(梅光女学院大学日本文学会)

C耳

本文学研究年誌(金沢女子大学日本文学研究室) ィ本文学ノート(宮城学院女子大学日本文学会) 第二十八号 第二号 年 (1447) から応仁元年 (1467) の間とし、 編者を後花固院や後 土御門院歌逍で活躍した飛烏井雅親などの廷臣歌人と推定した拙 栢「「姐林愚抄」の成立」(「光蔀女子大学研究紀要」第三十号、 平成四.―二)と関述するのである。 というのは、 これらの歌人 の詠歌を「姐林愚抄」が収萩していない のは、 Fa林愚抄」を撰 狼賓料の甚幹にして成った『為季集」に、「文明十年八月二日歌 合」の参加者であった後土御門院・季経・中心富・季春・親長・権 大納百典侍・元長・勾当典侍・英陸·碁絹などの名前がはしなく も見出されて、 F四林愚抄 l の編者の可能性を示唆したのと同様 に、「題林愚抄」の編纂に関係があるからこそ、 逆に、 これらの 歌人の関係歌は対象外の処囮にあったのではなかろうか。論匠抜 きのまった<憶測の城を出ない暴論の感じがしないでもないが、 「題林愚抄」に収寂をみないこれらの歌人の詠が惹起する問姐提 起には、 かな り大きな意味が担わされているように思われる。 (光華女子大学教授) 館二八号 /日本文阜論究(国学院大学国文学会) 第五十二冊 ば本文学論集(大東文化大学大学院日本文学専攻院生会) 第 日本文化研究(韓国外国話大学校日本文化研究所) 8号 ' / 日 本文化 論 叢(愛知教育大学 日 本文化 研 究室) 創刊号

J

本文蘇研究(関西学院大学8本文学会) 第四十四巻第三号、 第四号、 第四十五巻第一号、 第二号 . 日本文芸論稿(東北大学文芸談話会) 第20号 /日本文秘論染(山梨英和短期大学日本文学会) 第26号 磋楽研究(法政大学能楽研究所) 第十七号 ・ ノートルダム消心女子大学紀要 国語・国文学紺 第17巻第一号 葎花大学文学部紀要(梅花女子大学) 27 位花8文恰叢(梅花女子大学) 創刊号 1i姫路和協大学外国語学部紀要 第6号 ー仏学大節文(弘前学院大学国詣国文学会) 18.19 I広島女学院大学国語国文学誌(広烏女学院大学日本文学会) 第7号、 第 22号 #島女学院大学日本文学(広島女学院大学日本文学科) 第3号 r/ 烏女子大国文(広島女子大学国文学会) 第9号、 第10号 羞島大学日本冊教育学科紀要 第3号 /紅岡教行大学国話科研究論集(福岡教育大学国語国文学会)34 号 第17

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