『新 生 』 か ら 『夜 明 け 前 』 へ
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De "Shinsei" a "Yoakemahe"
―sur les oeuvres de SHIMAZAKI Touson―
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山室静が 『新生 』を語 った文章 に次 の よ うな部 分 が あ る。 「平野 (謙 )が藤村 の この作を書 いた動機 を追 求 して、 作者 は結局 は態 よ くこま子 (作 中では 節子 )を遠 ざけ るため と、併せ てその父親か ら 金銭 をせ び り取 られ るのを断 ち切 るためだ と し、 そ うい う底意が いか に作者 の筆 を卑 劣 にお し曲 げ、愚鈍 化 して作品全体 を鼻 もちな らぬほ ど嫌 味な もの に しているか を逐一実証的 に指摘 した のは鋭 く、 そのか ぎ り一 言半句 も異論 を さ しは さむのが 困難 なほ どで、 その論 旨には秋 霜烈 日 の感が あ った。 しか しなお私 と しては、彼の指摘 のすべ てを 一 応は首肯 しなが ら、なお全的 には同調す るこ とが で きず、藤村 の立場 を弁護 した い思 いに馬区 られ る。 作者 を告発す るにせ よ、弁 護す るにせ よ、問 題 点は、 い った し、く新生 >ほあ ったのであろ う か、その<新生 > とは どの よ うな ものか、 とい う点 にかか るで あろ うC そ してそれ は、主 人公 と姪節子 との結 ばれ方、ひ いては彼女 との別れ 方 にかかわ り、 それが また作 品執輩 の動機 にか かわ る。 『新 生 』を論 じるとなれ は、 ただ作品だけを 論 じるだけでは足 りず、 ど うして もこれ らの問 題 に取組 まなけ九 はな らな い。
」 (註1 ) 平野が 『新生 』の世界を作者の実生活 に照 ら し あわせ て 「逐一実証的 に」検証す ることや 、 山室 が 言 うよ うに 「ど うして もこれ らの問題 に取組」 む 必要が あ る とす るの も、作品 に作者 の体験や生佐 々 木 涇
SASAKI Thoru
涯 ので きごと、 そ して種 々の思 いが反映 され るが ためで ある。
「事 実は小説 よ り奇 な り」 と して藤 村 は 自 らの体験、近親 相姦 とい うスキ ャンダ ラス な ことを世 の人 々の前 に披露 した のではな い こと はす で に述べ た とお りである。 『破戒 』を除 いて発表 された順 でな く、 次 の よ うに、つ ま り『樺 の賓の熟する時』
(1914年 5月∼ 1918年6月、文章世界 )、 『春』(1908年4月∼ 8月、 東京朝 日新 聞 )、 『家 』 (1910年1月 ∼ 5 月、諒 費新 聞 )、 そ して 『新 生 』(1918年5月∼ 1919年10月、朝 日新 聞 )と通読 してみれ ば、若 い 時か らの藤村 の私的 な体験、 それ に近親 者や 友人、 知 人た ちの様 子が拓かれ ているこ とが容 易 に理解 で き よ う。 もちろん藤村 の 自伝的作品 で あ る とい う予 備知 識が あ っての上 であ る。 平野 に よれ は、 藤村 は 日記 を残 していな いが、 これ らの作 品 には 詳細 に藤村 の 日々の生活が描かれ て し、る とい う。 (註2)従 って、藤村理解 のため には極 め て有効 な読 み方 で ある。 だが、 これ らの作品を通 じて、 読者が作品の背後 に居 る作者藤村 の歩 んだ道 を通 俗的 に知 るだけ では、藤村 の本意 ではあ る まい。 私小説 の中で作者 の体験が通 りい っぺ ん の形 で描 き出 され、読者 の卑俗 な関心 をそそ らせ る ものだ けで あ った のな ら、私小説 は否定 され なけ れ ばな らな い。 私小説 の中で、作者が 自 らの体験 を通 じて小説 を書 く意味 をつかみ、 しか もその作品が 国境 を越 え、時代 を越 え て読 まれ、人間 に関す る普 遍的 テ ーマが描 き出 された ときに、私小説 は積 極 的 な意 味 あし、を帯 て くる。藤村 の 『新生 』には た ぷんに その様 子が うかが え るD確か に この作品 は藤村 の 体験 に裏 打 ち された ものであるC.だか ら と言 って 平野 謙の断罪す るかの よ うな読み方で良 いだ ろ う ー21-か。 党 に 『新生 』の作者が前半 のみを 『寝 覚 』と題 して独立 させ よ うと した こ とに触れた。その時点 で引用 した文中では、 『嵐 』に至 るまでの道筋 で 『新生 』が必要な作品であ ると してし、るo その必 要性 につ いて触れ るのはひ とまず先 に送 りた し、。 ともか くも藤村が 『新生 』に関 して積極的に語 ることは少ない。む しろ沈黙 していた とす る方が 妥当であろ う。弁解や言訳 じみた文章 にな ること を畏れ てし、たか もしれぬ し、 ま してモデルの当事 者が存命 していれば、誤解 を生み出 しかねない。 だが筆 者が最 も強調 した いのは、 『新生 』につ い て作者が多 くを語 ることは 『新生 』その ものの世 界 を破壊 して しま うことになる とし、う点である。 精神 の営みによ り描 き出 された抽象の世界、藤村 流 に言 うな らは 「学聾 の世界」を現実の世界の中 で解体 して しま うことにな るか ら。 だが一度だけ 語 る。芥川龍之介の死後、昭和二年 (1927)『文 書 春秋 』の十一月号に掲載 された 『芥川龍之介君 の こと 』と題す る一文であ る。 ここで 『新生 』に 触れている。芥川が 『或阿呆 の一生 』の中で 「老 狩 な偽善者」 と記述 した ことに対す る感想である。 「知 己は逢ひがた し、。 『ある阿呆の一生 』を詩 んで私の胸に残 ることは、私が あの 『新生 』で 書か うとした ことも、その 自分の意 岡 も、おそ ら く芥川君には言責んで貰-なかった らうといふ ことである。私の 『新生 』は最早十年 も前の作 ではあるが、芥川君は どの同時代 の作者の眼 に も無用の著作 としか映 らなかったであら うか と 思ふ。 ・・-・(喝 )-
-『果 して 「新生」はあっ たであ ら うか。 』 漸 う芥川君は 『侠偏の言葉 』の中で 『新生 』 の主 人公に、つ ゞいては作者 としての私 に問ひ かけてゐるD芥川君は懐悔 とか告 白 とか に重 き を於 いてあの 『新生 』を言責んだや うであるが、 私 と しては陳悔 といふ ことにそれほ ど重 きを置 いてあの作を書 いたのではない0人問生活の昇 賓 がい くらも私達の言葉 で志せ る もので もな く 又書 きあらはせ る もので もないこ とに心 を潜 め た上 での人で、猶且つ私の書 いた ものが嘘だ と 言ほれ るな らば、私は進 んで どんな非難 に懲 り もしよ うが、 もともと私は 自分 を偽 るは どの飴 裕が あってあの 『新生 』を書 し、た もので もな し、。 常 時私は心 に激す ることが あっ てあ ゝし、ふ作 を 書いた ものの、私達の時代 に濃 いデ カダンスを めがけて鶴塀を打 ち込 んで見 るつ も りであった。 荒れす さんだ 自分等の心 を掘 り起 して見た ら、 生 きなが らの地獄か ら、その ま ゝ、 あんな世界 に活 き返 る日も来 た と言っ て見たいつ も りで あ ったo あれ を芥川君 に諌 み返 して責- る日の二 度 と来 ないことを思ふ とさみ しいo それ は兎 もあれ、芥川君の摘 んだ懐疑 は私達 と同 じ時代の人の懐疑だ。 その苦悶 も私達 と同 じ時代 の人の苦悶だo あれほ どの悩 みを憎んで 行った人に封 して、私達 は哀惜 の こ ゝろを寄せ ず にはゐ られな し、。
」 (註3 ) 藤村が 「域悔」に 「それほ ど重 きを置 いて」書 し、たのではな く、 「私達 の時代 に濃 いデ カダンス をめがけて鶴塀 を打 ち込 んで見 るつ も りで」 あ っ た とす るのほ何 を意味す るのかC これは聞 き入れ がた し、言訳であるのか、 あるいは強弁 なのかo そ もそ も地球上 の生物界 にあ って、 オスとメス が生存す る限 り、動物的 な側面か ら見て、姪 との 関係はおか しくない。動物社会 にあ っては ざらに あるこ とである。だが、 人間の社会 にあ っては、 つ ま り、倫理 の側面か ら判断 されれ ば、 まさしく 許 されな い。藤村 ともあろ う人が この点を理解 し 得 ないはずはない。言わゆ る 「魔が さす」 とい う ものであろ うか。むろん、 この よ うな ことを理 由 とした ところで納得で きる ものではなし、o また、 蛍 に藤村 自身 の性的欲求が強烈であ った ことを全 て とす るの も納得で きな い。 『新生 』で岸本に言 わ しめてし、るよ うに 「女性 に対す る不信感」の裏 返 しなのか。 とすれば姪 に とってはいい迷惑 とな る。た とえ姪が無知であるか と言 って、叔 父の言 いな りにな った とは言 い難 い。つ ま り性的な衝動 のみで二 人の関係が始 まった とは断言で きない。 相互 に良 しとす る気拝が あ ったのではあるまいか。 藤村 は対女性 との関係で、 自ら満足 し得 るよ う なかた ちで、それ まで 自己の存在 を確認 していな か った。例えは、妻 との関係で あ るが、 これはす でに述べた。卑俗 な言 い方 をすれば女性達 に恵 ま れなか った とな るであろ う。 それ故 に自己の行動に卒直に応 える人間を求めて いた と言え まいか。 一 方、知 の部分、つ ま り自らの精神世界 での作業、 小説を書 くとい う点につ いては、後 に述べ るよ う に、行 き詰 りの状態 にあ った。 この こともおそ ら くは言 い よ うのな い不安 を持た らした であろ う。 『新生 』の序の章 におけ る 「原因のない憂欝」な 状態、 「死 んだ沈黙」に襲われた状態である。作 家 としての存在感 もおそ らく喪失 していたであろ うし、むろん社会 的な役割 と位置 も見失 っていた に達 し、な し、。 この よ うな時 に性的行動に従 って、 物質的に、つ ま り肉の部分で 自己の存在 を確かめ るのは不 自然であろ うか。 そ もそ も性行動は相手があ って こそ、 それ も互 いに相手を良 しとして受け 入れた上 で、 自己の満 足感が得 られ る。相手 にその意志がなければ満た されない。藤村 には この ことが明確 に意 識 されて いた とは思えない。子供が生 まれ る と告げ られ て、 現実の世界 に引 き戻 されたのである。そ して終始 狼 狽 して日本を逃げ 出すのであるが、それ も自己 の位置が どこにあ ったかを知 ったか らである。妻 に も死なれ、小説 を書 くに も手づ ま りの状態 にあ った作家が、近親相姦 に溺れている とい うとんで もな し、状態 にあ ると認識 したか らである。 こ うして考えてみ ると、 「新生事件」 とは藤村 自身が人間社会 の どこに位置 しているか を認識 し て いなか った ことに由来す ると指摘す ることは飛 躍 であろ うか。先 に笠者 は 「原因の無 し、憂欝」な 状態 を岸本の、ひいては藤村 自身 の存在場所、存 在価値を見 失 っている状態 とした。 この 「憂欝」 な状態 を藤村は 「時代のデ カダンス」の反映 とし たのである。
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3-(2) 明治の末期は どんな時代であったかを見 る必要 が あろ う。 歴史的事実を ご く簡単 に記す。 明治38年 (1905)日露戦争の勝利 に よ り、 日本 は中国大陸 に深 く踏み込み始 めた状態 にあ り、韓 国を併合 (明治43年 )した。 清朝が辛亥革命 に よ り倒れ、孫文 らが中華民 国を成立 (明治45年 )さ せた。 国内では足尾銅山での暴動 (明治40年 )を 初 め として、各鉱山での暴動は軍隊に よって鋲圧 された。 - レ一撃星が夜空 に姿を現 したのは明治 43年 で、その翌年 には大逆事件の首謀者幸徳秋水 らに死刊 の判決が下 された。 文学関係では、雑誌 「白樺」の創刊 (明治43年) や永井荷風、谷崎潤一郎 らを含む森唐沢 と呼 ばれ る作家達 が出現 した。つ ま り藤村や花袋 らが率先 して小説作法 と した 自然主義文学 の行 き詰 りが、 種 々の傾 向を生み出 したのである。 そ して石川啄 木は 『時代閉塞 の現状 』として当時の状況 を指摘 す る。 「見 よ、花袋氏、藤村 氏、天壌 氏、抱 月氏、海 鴨氏、 白鳥氏、今は忘れ られてゐるが風菓氏、 ひと 青果氏、其他- すべ て此等の人は皆 斉 しく自 然主義者なのであ る。 さ うして共各 々の問には、 今 日既 に其肩書以外 には殆 ど全 く共通 した鮎が 見出 し難 し、のである。無論 同主義者だか らと言 っ て一、必ず しも同 じ事 を書 き、 同 じ事 を論 じな ければな らぬ といふ理 由はなし、。 それ な らは我 我 は、 白鳥氏封藤村氏、泡鳴氏封抱月氏 の如 く、 人生 に封す る態度 までが全 く相違 してゐ る事蜜 を如何 に説明すれば よし、のであるか。尤 も此等 の人の名は既 に半は歴史的に固定 してゐ るので あるか ら仕方が無 い と して も、我 々は更 に、現 実暴露、無解決、平面描籍 、劃一線の態 度等の 言葉 に よって表 は された科学的、運命論 的、静 止的、 自己否定的の内容が、共後漸 く、第一義 慾 とか、 人生批評 とか、主観の権 威 とか、 自然 主義 中の浪漫的分子 とか いふ言葉 に よっ て表 さ る ゝ活動的、 自己主張的の内容 に壁っ て来た事 や、荷風氏が 自然主義者に よっ て推 語の節 を噌 られた事や、今度 また 「自己主張の思想 として の 自然主義」 といふ論文を諒 まされた事 な どを、 ど うし、ふ手積 を以 て承認すれ ば可いので あ るか。 共等の矛盾は、膏 に一 見 して矛盾 に見え る許 り でな く,見れ ば見 るほ ど何度迄 も矛盾 してゐる のである。か くて今や 「自然主義」 とし、ふ言葉 は、刻一刻 に身鮭 も頓 も撃 って来 て、全 く一個 の スフィ ンクスに成っ てゐる。
「自然主 義 とは 何ぞや ? 其中心 は何庭 に在 りや?
」斯 く我 々 が問を敬 する時、彼等の中一人で も起っ てそれ に答-得 る者が あ るか。否、彼等 は一様 に起っ て答へ るに違ひな い、全 く別 々な答 を。 - -・略 - -- 23-斯 くて今や我 々には、 自己主張の強烈な欲求 が残 ってゐるのみであ る。 自然主義 章生常 時 と 同 じく、今猶理想を失ひ、方 向を失ひ、出 口を 失った状態 に於て、長 い間欝質 して来た其 自身 の力を濁 りで持験 してゐるのである.既 に断絶 してゐ る純 粋 自然主義 との結合を今猶意識 しか ね てゐる事や、其他すべ て今 日の我 々青年が有 っ てゐる内証的、 自滅的傾 向は、 この理 想喪失 の悲 しむべ き状態 を極めて明確 に語ってゐる。 - さ うしてこれは害 に 「時代閉塞」の結果な のである
。」
(註4 ) 明治43年、啄木が24歳の時 に記述 した ものであ る。詩人であ り、大逆事件 を契機 として社会主義 に関心を持 ちなが らも、 どち らか と言 えは、不遇 の生涯を辿 った ことはつ とに知 られている。詩集 の出版や雑誌 「小天地」を発刊 した りした文学青 年である ことは もちろん、地方 にあって も中央で 活躍す る作家や文学傾向に極度の関心 を持 ってい たであろ うし、敏感 に反応 していた ことな どを こ こで指摘す る必要はあるまい。 この よ うな啄木が 生存 中に発表 しなか った この論文で指摘す る点が、 藤村が 『新生 』の序章で記す二 人の作家の スラン プ状態 と酷似 している とす るのは乱暴であろ うか。 啄木の言 う 「時代閉塞」の状況 に置かれているの である。つ ま り、 自然主義文学の行 き詰 りである。 この よ うな状態 を後の文学研究者 は次の よ うに記 述す る。 「日露戦争後の社会情勢の推移 に よ り、わが 国 に も自然主義文学の時代が到来 した。かつ ての 浪漫的詩 人であ った藤村が 『破戒 』を書 き、か っての浪漫的作家であった花袋が 「蒲団」を書 いた。秋声 ・泡鳴 ・白鳥な どがそれ に続 いた。 それは西欧 とは異なるわが 国独特の 自然主義文 学 であ った。 この派の文学 に理論的基礎を与え たのは抱月であ った。 『小説神髄 』で まいた道 遥の写実主義の種子は ここにし、た って実を結ん だわけ であるが、現実暴露、伝統破壊の さきに 何 の致 し、も持たないこの派の文学はすでにその 胎 内に崩壊の因をは らんでいた。
」 (註5 ) 『新生 』はこの よ うな状態、つ ま り 「時代のデ カダンス」の中にあ って書かれたのである。 刀- 3-(3) 藤村が 『寝 覚』とした 『新生 』の前篇では、す で に見て きた よ うに社会 に眼 を向け、 自らの位置 を 確認す るために経 て来た道程が描かれ ている。 そ れ までの藤村 の長編作品は作者 自身の身の廻 りの で きごとを描写 したのみであ って、厳 しい言 い方 をすれば、題材 に窮 した とい うことにな る。私小 説の源流 と言える作家である藤村 に こ うした状態 が襲 って当然 とな るか もしれない。例 えは、未完 成のため、 そのテーマは明確ではないが、 『樺 の 実 』である。 その冒頭 を読む限 りでは若 い頃の 自 己を描 き出そ うとは している。姪 との関係 と渡 仏 の準備のために中断 した とす るのみで良いだろ う か。後に も触れ るが、改題 されて書かれた 『樺 の 実の熱す る時 』の冒頭部分だけを比較 してみて も 創作のテーマは後者の方が明確である。 ここにお いて も、藤村の混迷 と彼の言 う 「時代 のデ カダン ス」が うかがえは しないか。描 き出すべ きテーマ が 『樺 の実 』では うま く把握 され ていない とい う 点で。 先 に本論 でパ リでの体験 は、 自らを見つめ る作 業 とモー ラスに触発 されたがため に、社会 との関 わ りの中で 自己を位置づけ る視点を藤村 に与えた とした。 これを容易 に したのほ異邦人の地に居た か らである。 目の前 に姪や息子達が居 ない とし、う 事実は、彼 にの しかか って くるはずの現実の重み を多少な りとも軽減す る。 そ もそ も旅 とは、旅 人を 日常生活か ら切 り離 し て しま う。つ ま り日常 な らぬ異常 の世界 である。 そ こにあ っては、 目にす るものは通常 の生活 では 認識 し得な い ものであ り、それ らを既知 の知識や 体験 に基づ いて判断す る。だが藤村 の よ うに傷心 の思 し、を抱えなが らの旅 人は ど うか。 日常生活か ら切 り離 した時点 までの、つ ま り過去ので きごと が常 に胸の 内に去来す るであろ う。その時点が遠 のけは遠 の く程、 なん らかの整理 が行われ るであ ろ うし、時間の進行が傷心 の思いを薄め る。 ま し てや判断材料はその時点 までの ものに過 ぎず、旅 人の胸の内で現実 とは異な ったかた ちで事態 の進 行が ある。つ ま り妄想である。む ろん現実に即 していないか ら妄想 とす るのだが。 日常的現実か ら 切 り離 され て、身 も心 も異常の世界、言 し、換 え る な ら抽象の世界 に入 り込んで いるのである。旅 は 抽 象の世界 に旅 人を招 き入れ る。 日常生活の埼外 に まで、つ ま り新たな現実 にまで も視線が及ぶ こ とを可能 にす る。藤村 の場合、 フランスに三年 間 滞在 していたが故 に、 日本 にあ っては到底知 り得 なか った フランスの現状 を知 り、 さらには第一次 一大戦 とい う異常な事態 に遭遇する。 そ して従軍 し、 あ るいは戦争を鼓舞す る文笠者達の動 きも知 る。 これ らの状況の中で過去 の行動 も含 めて様 々な こ とを反為 しなが ら、藤村 は新たな る視点を獲得 したのである。例 えば、 『接 の実 』を 『接 の実の 熟 す る時 』と改題 して書 き始 めた ことである。 冒 頭 か ら女性が登場 し、その女性に対す る思 し、が展 開 され る。若 き日の女性 に対す る考 えを整理 した と して良し、だろ う。 さらには 『新生 』で獲得 に到 る経過 を描 き出 した。 これが彼に とって、 自然主 義 文学の陥 った現状 を打破す るための 「鶴喋」 と な った と言え よ う。 それ まで、 自然主義文学 の旗 手 と しての役割を果た していた。 とは言えその行 く先 を見定 めていなか った。そ して政治的 に も、 社会全体 に関 して も没交渉の状態 に等 しか った。 そんな 自らの位置す る場所を認識 した。社会 との 関 わ りを求め るこ と、そのためには人間不信、 と りわけ藤村 に とっては女性不信に陥 ってはな らな い。む しろ 『新生 』の中で表現 され ている よ うに、 何 ら偏見や予見を持 たなし、「幼 き心」 に立 ち戻 っ て、様 々な ものに接 し、 見つめてし、く姿勢を保つ 必要がある。 「幼 き心 」に立 ち戻 ること、 この姿勢はあ るが ままの世界 を素直 に見つめ よ うとす ることに他な らな い。現 実の世界 を歪 めて受け留め ることはな い として も、 自らの思し、と現実 との対立は生 じ、 現 実の重みは蛭桔 とな る し、藤村 の場合、姪 との 関 係が まさ しくそれ となる。藤村 自らが招 いた、 そ して破滅 を導 く現実の重みである。 い くら社会 との関わ りを求め、新 たなる視点を獲得 した とこ ろで、現実的な解決 にはな らない。 時 として現実の重みは空想の世界を圧倒す る。 別 な言 い方 をすれ ば、精神の営みを阻害す る。藤 村 を最 も悩 ました性的欲望、そ して これ に導かれ た行動、 さ らには この行動が世 に知 られ るこ とに よって社会的地位が危 うくな ること、 これ らは ま さ しく形 而下 の世界ので きごとであ り、予測 され る事態 で もある。 ここに至 って、精神 の営み を保 障す る作家活動た るべ き執筆の場 は、到底、保 た れな し、O精神の営み に浸 っているどころではな く、 目前の現実を解決 しなけ九はな らない。 この 日常 的な現実か らの逃避行、つ ま り旅 とい う非 日常的 な世界 に入 り込むのである。 この世界 も実 は姿 を 変えた空想の世界 であ る。 フランスとし、う現実社 会 にあ って も、知 り得た ことは精神の営み に よる 所産 である。だが藤村 を捉えて離 さな い日本 での 現実 と未だつ きあわせ てない。北村透谷の言 う、 「想世界」の中での ことが らに過 ぎな い
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「人間 不信」や 「女性不信」 に陥 ってほな らない とす る こと、 「幼 き心」に立 ち戻 ること、社会 との関わ りあいを さらに求めること、 これ らは旅 にあ って 導 き出 された決意 で しかな い。 か くして現 実 との対応は 「髭 を剃 る」 ことか ら 始 まるのである。煽国後の姪 との関係につ いては 『新生 』を仔細 に見る中で、その経緯 はす でに触 れた。 兄に義絶 を言 い渡 されなが らも、 また姪が 異 国の地 に行 くに して も愛は成就 した。 肉体的な 結びつ きが失せ て も精神の営み としての愛 は確立 した のである。先 に記 した よ うに妻 との生活 で不 十分 であ った精神的な充実感をこの時点で得た。 精神の営みの中で、最 も満足感を与え る愛 の獲得 で、 人間 としての存在 条件が満た されたのである。 『新生 』は これ らの経過 を表現 し、作品化 した ものである。 自らの体験 を著わ した私小説 である にせ よ、そこには対人問 との、 と りわけ対女性へ の不信感を取 り除 き、社会 との関わ りを探 るべ き 視線 の獲得 までが叙述 されている。それ故 に藤村 が、 この作品を必要 と したのであ り、芥川 に再読 を望 んだ のである。 平野謙が姪 を犠牲 に した と断罪す るのは、藤村 の実生活 に 日を奪われ過 ぎていることにあ ると確 かにそれ らを基 に して作品が成立 しているのは、 種 々指摘 され てし、るとお りである。 だが、 この作 品を書 き上 げ、 スキ ャンダルになること、 はては 自らの作家活動が抹殺 され ることも覚悟 の上 で発 表す るのは、藤村の したたか さとも言え よ う。藤 村の本音 「こんな 自分で もど うにか して生 きたい」
とす る姿勢には生-の執着心が故である と も言 え - 25-よ う。 これ までの創作傾向か らの脱却 を 『新生 』 を著わす ことで試みたのであるO
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3-(4) 平野謙の 『新生論 』に触れてお く。 (註6)平 野は この 『新生論 』を 「冗長 と項末 とをあ- て虞 れず、 いほは 『新生 』の読みなほ し、その再編韓 といふ方針 の もとに、反措定提出の笠 を梶々 とし てすすめ」 (註7)たのである。結論は先に記 し た山室静か らの引用文の中で明 らかである。 この評論の中で、作品 と現実 との関わ りあいを 次の よ うに定義 している。 「作品世界 と現実世界 とはす くな くとも一対一 の関係にある。 それは現実世界に対立 し、抵抗 し、 ときには陵駕 さ-す る。作者が事件 の渦 中 で筆 をつけた場合 も、事件 その ものを整理づけ、 再編成す ることに よって よ り深 い文学的事実を 把み、そ こに動揺す る心境 を定著 させた いのが 作者本来 の念願 であろ うoそれが作者の内部街 迫であ り、芸術的作因 といふ ものだ。それゆ ゑ 作者 は主 人公の思惟、行動 にひ きず られ、落筆 のは じめには予想 もしなか った方 向につれ られ てゆ く場合 さ-起 り得 る。現実の事件 とは次元 を異 に した作品世界がそ こに展かれ る。それが 作品世界の持つ現実の昇華 といふ ものだ ら う。」 (註8 ) そ して問 い、判断を下す。「
『新生 』には芸術家固有の作因 とし、うものが あるだ ろ うか。現実の昇華 とし、ふ ものが あるだ ら うか。木質的 にそれが欠如 してゐるのではな いかOそ こにあ る ものはただ現実の壬疑装だけで はなし、か。 『新生 』上巻 の起軸 は作者の フラン スゆ きといふ点にある。 『新生 』下巻の重心 は 作者の事件執筆 とし、ふ点にある。現実の事件の 暴露 を防 ぐため、作者は身を以て フランス- の がれた。現実の事件の蛭棺を脱す るため、作者 は身を以てその事件をあは いた。 それは現状打 開のため に、作者が決死の覚悟 で とらざるを得 なかったふたつの大 きな実際的行動であった。 フランスゆ きと事件執筆 とは同 じ平面上 に並ぶ 脛 い現実の行動にはかな らなかっ た。だか らこ そ、 その上巻 に フランス逃避行 を書 いた作者 は、 その下巻 において事件 を書 くとし、ふ行動 を行動 として描かねはな らなかったのだ。事件執筆 と いふ行動の道 ゆ き、それの及ぼす波紋、結著を 書 きこまざるを得なかったので ある。 ここに『新 生 』といふ長編のし、はは方法上 の特異性 を解 く 鍵が ある。 『新生 』をなぜ書 いたか とし、ふ設問 の解答 として、恋愛か らの 自由 と金銭か らの 自 由 とし、ふ現実的作因 (さ ういふ言葉が許 され る とすれば )を抽 きだ さざるを得なかった理 由も、 かか る作品 自体 の特異性がおのず と私にあか し て くれた ものだ。」
(註 9 ) 先ず定義の部分である。
「それゆ え」以下か ら 「起 り得 る」 とす る部分 は可能性 の問題であ る。 逆 に予想 した方 向に行 った場合 は ど うな るか。そ こには現実の昇華がない とは言 えな い。つ ま り作 者が 自己の体験 を反為 しなが ら 「文学的事実を把 み」、 よ り有効な方法で 「定著」 させ ることを狙 う。作者が もくろんだ世界が繰 り広げ られ る。そ こに現 実の昇華が あ って も不思議 ではない。藤村 は 「主 人公の思惟、行動 にひ きず られ」 ることな く書 いたのである。む しろ、作者 の内部で充分な 整理が行われたのである。 ところで、平野 は この 『新生論 』の中で藤村 の姪 こま子のその後の こと に も触れている。ただ し、何故、 『新生 』に登場 した 「節子」 とい う名を使用 しているか不 明であ るが。 「節子は二回に亙 ってその手記 を婦人雑 誌 に掲 載 したo無論、私は一種 の美文調 で書かれたそ の達者 な文章 も読 んだが、 し、まはすべ て忘れ て しまった。ただ 『新生 』に言ひ及 んで、 あの作 品に書かれてゐることはみな真実だが、 あす こ には書かれていな し、事実が非常 に多 い、 とし、ふ 意味 の文句だけは覚えてゐる。」
(註lo) 「書かれていな し、事実が非常 に多 い」 とい うこ とに注 目すれば、藤村の 内部で、作品化す るにあ た って書 くべ き事実を取捨選択 して いることが理 解 で きる。 この こま子の報告を聞 くとき、平野の 言 う 「芸術的作因」を藤村 な りに作品化 してし、ると言えまいか。 だが平野 はそれを 「現実の壬疑装」 と し、その 目 的が 「恋愛か らの 自由 と金銭か らの 自由 とし、ふ現 実的作因を抽 きだ」すためだ とす る
。
「恋愛か ら の 自由」につ いては異論 がある。それ はすでに岸 本 と節子の関 係をた ど りなが ら、本論 で述べた。 つ ま り、 「恋愛か らの 自由」ではな く、若 き日に 知 った佐藤輔 子、そ して妻 7-か ら受けた女性不 信 の思 し、を、 こま子 を通 じて とい うよ り、F新生 』 とい う作品創造の中で岸本 と節子の関係を描写す る ことで払拭 したのである。 『金銭か らの 自由 』につ いては異論 はないが、 よ り深 く考 えてみた い。平野がす る よ うに、煩わ しい ものを切 る とす るだけで良 しとした くな い。 先頃、発刊 された森本貞子著 『冬の家 』で島崎家 と妻 7-の実家 との違 いが述べ られて いる。なお、 この書では 「7-」 は 「お冬」 として扱われ てい る。 「函館の人 々は木 州、四国、九州を<内地> と い う。 当時 の北海道 は まだ未開地が多か った。 それゆえ<外地>
(植民地 )と認識 され ていた のである。函館では内地の大家族 の 「家」 を離 れ て移住 した人が多 く、<個> としての認識の もと、 自らの力で生 きるのが当然なのである。 すでに述べたが秦家 も初代利四郎が越後か ら独 り海を渡 って松前 に移住 し、 さらに函館で<家> を興 した。助ける親戚なぞあ りようはずがなし、。 その生 きざまを受 け継 く・二代 目慶治 もまた 「独 立独歩 で生 きる」 ことを処世訓 としている。 (略 ) -信州の旧家、島崎家では長 兄秀雄 を中心 に次 兄広助、三 見友弥、末子春樹 も、その妻子 も、 すべ て家の子郎党、 「大家族制度」の 「家」 と の認識である。
「家」 とはなにか、の両家 の認 識 の違 いなのであ った。 「壁」が書かれた明治四十一年 にな る と、お 冬は夫藤村 に従 い、友弥-の援助金 を反発せず に出 しているが、新婚当初の藤村家では、すで に述べた よ うに 「家」が面 白 くない、 と藤村 の お冬 との違和感が繰返 しで描かれ ている (小説 『家 』 )。藤村はその理 由を明 らか に していな い。おそ らく藤村 としてほお冬 との 「新 しし、家」
を持 った、 との意識 の もとにあ りなが ら、なお 旧家、島崎家 を巡 る慣習のなかにいたのだろ う。
」
(註11) この思いは 『新生 』を書 くまで続 いたのである。 藤村の生家の所在地が中仙道、木 曽馬寵にあ った ことは、そ こに住む人々が、た とえ山国であ って も江戸時代 の政 治文化を敏感 に察知 で きる位置に いた ことを意味す る。 ところが明治時代 にな って か らは、最早取 り残 された地 とな って しま う。そ れ にひ きかえ函館は明治に入 ってか らは活況 を呈 した地である。先の 『冬の家 』では、当時 の先端 技術に よる大量捕獲用の漁網を商 う家 に生 まれた フユの育 った環童が次の よ うに描 き出 され ている。 もとい 「弥生小学校 は弥生坂 の東にあ った。お冬は基 坂 を、 ときに弥生坂を登 る。坂 を登 るにつれて 拡が る港 の光景が見渡せ る。港 を距 てて対岸の とう′やつ 当別 の山 々が朝陽を うけて緋色 に播 いて いる. 港 を うずめ る船 は二十五、六隻、米、英、露、 仏、色 と りど りのEg旗をはためかせ、 まるで函 館の繁華街 に出店 し始めた勧工場 (デパ ー ト) の よ うに浮んで いる。 初夏は ことに避暑をかねて異 国船が函館港 に 錨 を降ろ し、 マ ドロスた ちは長 い航海の疲れを し、や しに街- と繰 出すのである。」
(註12) 函館は木 曽よ り近代的な地位を獲得 して いたの である。 この ことが、秦家の考え方 と島崎 家 とが 違 うことを よ り鮮 明に しているだ ろ う。む ろん、 藤村が これ らの こ とを認識 していた とは言 うつ も りはな し、。平野謙 の言 うよ うに 「金銭か らの 自由」 とす る よ りも、 『新生 』を著わす 中で、木 曽の名 残 りである 「家」制度に決別 とした方が良 いだろ う。ましてや、 フランス人の自己を主張す る こ とを 最善 とす る考 え方 を見て、知 っているであ ろ うか ら。だがそれ を直哉 に言 うことをせず に、 自らが 悪 い とす ることで兄 と縁 を切 る。 フランス人 とは 違 って 自己を主張せず、む しろ 自分 を卑下 す ると い う極めて日本的な方法 で、 「家」制度か ら解放 されたのである。 古い因習か ら脱却 し、現 実 の し が らみに捉われず に済む よ うにな った こと、姪 と の精神的結びつ きを よ り強固に した ことは、北村 透 谷の言 う 「賛 世界」を切 り離す ことであ り、精 神の営みが行われる 「想世界」に入 り込んだのであるO ー27-藤 村 が 降 りお ろす 「鶴 塀 」 の 先 に 自我 の 目覚 め を よ り多 く発 掘 して欲 しか った とす るの は、 お そ ら く筆 者 だけ で は あ る まい。 も っ と書 き込 ん で欲 しい と思 う部 分 が あ る。 先 に本 論 で 、節 子 が 父親 宛 て に書 いた手 紙 の一 部 を 引 用 した 。 岸本 との 関 係 の 中 で成 長 した節 子 の姿 が そ こに 見 る こ とが で きた 。 自我 に 目覚 め た 近 代 女 性 の 姿 で あ る。 何 故 作 者 は この手 紙 を披 露 した のか 。 実 際 に こ ま子 が 書 いた か ど うか は問 題 で は な い。 父親 に逆 ら うに して も、 誤 ち と して指 摘 した上 で の それ で あ る。 こ うした 節 子 の成 長 過 程 が 岸 本 との 関 係 の 中 で描 き出 され て いれ ば、 よ り一 層 味 わ い深 い もの にな った と言 え るのだ が 。 函 館 で育 ち、 東京 に 出 て学 ん だ妻 フユの嬰 を節 子 に投 影 させ る こ とで 、深 み の あ る 『新 生 』とな った の で は あ る まいか。 や は りテ ー マが充 分 に掘 り下 げ られ て いな い とい う不 満 が 残 る。 自己 の体 験 を忠 実 に辿 りなが ら描 き出 す 方 法 に は限界 が あ る とい うこ とにな ろ うか 。 (以下次 号 ) 註 1) 『山室静著作集 第六巻 藤村論考 』 冬樹社t 昭和48年ー P. 293 2)平野謙の 『新生論 』に次の ような記述があ る。 「由来、小説苦 きとしての藤村は意外なほ ど空想力 の乏 しい作家だ。とし、ふ よ りー 自然主義の文学信条 を踏 まへてー藤村 もまた事実の忠実な再現を志向 し 実践 して来たt と言- よう。 『家