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戦争とアニメーション : 文化の制度化をめぐる一考察

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Academic year: 2021

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(1)博 士 論 文 (社 会 学 )関 西学院大学大学院社会 学研究 科. 戦 争 とア ニ メー シ ョン ―文化 の 制度 化 をめ ぐる一 考察 ―. 雪村. 指 導教 官. :. ま ゆみ 荻野 昌弘.

(2) 目次 第一章. 本 研 究 の 背 景 と 目的 。 ……… ……… … … … … … … …… … … ……… … … 1. 1本 研 究の背景 と目的 .… ……………………………………………………………………………. 1. 2戦 争 と文化一 国家、大衆そして他者 。………………・……・………………………………・…… 4 3空 間の再編成 。……………………………………………………………………………………・6 1 未来派 の 台頭 .… … … … … … … … … … …… … … … … …… … … … … … … … ……6 2 視覚化 の論 理 .… … … … … … … … …… … …… … … … … … ¨… … … "… … … ……7 3‐. 3‐. 4本 論文 の構成 .… ………………・……・……… …………………・…………………・……・……… 8 第 二章. ア ニ メ ー ター の誕 生 。 ・11 ……… .… ………… ……………………………………・…・. 1戦 前 のアニメー ション .… ………………………………………………………………………… 11 21943年『 桃太郎 の海鷲』上映 .… ……Ⅲ ………… 13 ………………Ⅲ ………………・………・……Ⅲ. 3軍 部 とアニメーション .… …………………………………………………………………………。16 4ア ニメーション制作 の分業体制 。………………………………………………………………… 19 5ア ニメー ターの誕 生 .… …………………………………………………………………………・。21. 6軍 事教育映画と制作体制 .… …………………………………………………………………… 25 7戦 中戦後 の連続性 第二章. .…. 28 ……・…………。 …・…………………Ⅲ … ………・……・…………………Ⅲ. 国 家 と文 化 政 策. 1国 家 と映画. .…. .…. … …… … …… … … … … … … …… … … …… … … …34. ………………Ⅲ ………………………………………………………………・……・34. 37 2ア ニメーションの文化的価値 。……………………………Ⅲ ……………………………………・。. 2-1 2-2. 「大衆性」 .… … … … ¨… … … … …… … … ¨… … …… …… … … … … …… … ¨…37 「言葉 の障壁 を克 服す る」 。 … … … … … … …… …… … … … … … … … … … … 38. 3文 化 による識別一一 国民の誕 生 .… …………………………………………………………… 41 4ア ジア・太平洋 の諸民族 に対する他者像 の構成. 。 …….… ……………………………………………43. 5影 絵 に見出された文 化 の 同一性 .… …………………………………………………………… 45 6ア メリカ製 アニメーションと日本文化 .… ………………………………………………………… 49. 7他 者 の類型 。………… …… …… … …………………Ⅲ…………… …… ……………………・・55.

(3) 第四章 他者 の類型―『 桃太郎 海 の神兵』 における他者 .… … … …… … … 57 1『 桃太郎 海の神兵』 (1945).… ………………………………… ・……………………………・57. 2同 一性 としての「動物」.… ………………………………………………………………………・58. 3立 ち現れる第 二の境界 .… ……Ⅲ…………… …………………………………………………・62 4他 者 の 2類 型 ..… ………………Ⅲ…………………………・……………………………………・65 5空 間の生 産とアニメーション.… …………………………………………………………………。66 第五章. ヴ ィ シ ー 政 権 期 の ア ニ メ産 業 .… … … … … … … … … ……… … ………・69. 1フ ランスにおけるアニメーション.… ……………………………………………………………… 69. 2ア ニメー ション制作 へ の国家支援 .… …………………………………………………………・ ・69 3ア ニメー ション制作従事者 の養成 .… …………………………………………………………・・71 4フ ランスと植 民地 .… ……………………………………………………………………………… 73 5『 魔法 の夜 (La. Nu■ enchantoe)』 (1943)。 ………………………………………………………・75. 6『 晴れ間 (Nimbus hboro)』 (1944).… .… ……………………………………・…Ⅲ ・77 ………………・. 7ア メリカ製 アニメー ションとフランス芸 術 .… ……………………………………………………・・80 第 六章. 1. 空 間 の 再 編 成 とア ニ メ ー シ ョン .… … … … … … … … ……… … ………. 83. 日仏 の共通点 .… ………………………………………………………………………………… 83. 1生 産体制 の確 立 .… …… … ¨…………… … …… …… …………………… ……………… … …¨83. 1‐. lⅢ. 1‐. 2 3. ア ニ メー シ ョンの起源 。 ………………・…………83 ………………………Ⅲ ……・………………Ⅲ ア ニ メー シ ョンに描 かれた空 間 の再編成 .… ….… ………………。 ……・…………………84. 2他 者像 の構成 、空 間の再編成 .… ……………………………………………………………… 85 1 空 間 の再編成 .… …… … … ……………………… ……… …… ……………………… …… … …85 2‐ 2…. 2『 魔法 のペ ン』 (1946)に お ける他者 .… … … …… … …… …… …… … … … … … … …86. 3結 論 ..… ……………………………¨………………………………………………… ……。………88. 1. 軍事教育映画 .… … … … ……… …… …… …… … …… … … … … … ¨… … … … …… ……90. 資料 2. 「フ ラ ンスの ア ニ メ産 業 の創 立 」 .… … …… …… …… …………… … … … …… ………93. 資料. 文献 .… … … … …… … …… … …… … … … … …… …… … … … …… … … … …… … … …… … ……96.

(4) 第一章. 本 研 究 の 背 景 と 目的. 1本 研 究 の背景 と目的 ア ニ メー シ ョンは 、近年、 主要な輸 出産業 として制作 が奨励 され、文化産業 として注 目 され て い る。 た とえば、経 済産業省 において 、 アニ メー シ ョン制作 プ ロダク シ ョンがブ ロ ー ドバ ン ドや海 外市場等 を舞 台 に 自立 した ビジネ ス を展 開す る方策 の支援や 、 ア ニ メー シ ョン等 の コ ンテ ンツ見本市 を開催 し、 ア ニ メー シ ョン産業 の 国際展 開 に対す る支援 が行 わ れ て い る。今 日、「米 国、欧州 、東南 アジア等世界各地 で 日本 の作品 が 日常的 に放映 され」 (『. 経済産業 公 報』 2002年 8月 6日. :3)、. 世界 で放映 され るア ニ メー シ ョンの 6割 が 日本. で制作 されたア ニ メー シ ョンな の である(経 済産業省. 2003)。. この よ うにア ニ メー シ ョンの 大量生産 が可能 にな つた の は、 ア ニ メー シ ョンの制作 のた め の分業体制 が確 立 され たか らである。現在 では、 ほ とん どの 商業 アニ メー シ ョン にお い. 1に 、今 日の商業 ア ニ メーシ ョンの制作 工程 を示 し. て 、制作 の分業 が徹底 され て い る。図. た よ うに、 まず 、 ス トー リー展 開 の 主要 な部分 であ る脚本 、 キ ャラ クター 、背景 の設定等 が行 われ 、 そ の後 、それ らの設定 を も とに絵 コ ンテが描 かれ 、各場面 の画面設計 が行 われ る。 そ して 、絵 コ ンテ をもとに レイ ア ウ トが描 かれ 、 それ が 出来 上が る と、 キ ャラ クター や背景 の動 きを描 く 「作画」 工程 へ と進 め られ る。 この工程 は更に原画 と動画 に分割 され て い る。 まず 、原画担 当が レイ ア ウ トを も とに、 キ ャラ クターの動 きの特徴 を端的 に表す 原画 を鉛 筆 で紙 に描 くとい う方法で作画す る。次 に、動画担 当が 、原画 で指示 され た動 き を もとに して 、 スムー ズ な動 きにな るよ うに原画 と原画 の 間 を埋 める動画 と呼ばれ る一 連 の動 きを作画す る。 そ の後、仕 上げ 、色付 け、撮影 といつた工程 に進 め られ る。仕上 げ、 色付 け、撮影 の工程 は コン ピュー ターの導入 に よるデ ジ タル 化 が進 行 し、以前行 われ て い た よ うに、大量 の絵 が 、仕 上 げ担 当に よってセル に写 し取 られ るので はな く、画像デ ー タ として ス キ ャナ で 取 り込 まれ 、 コン ピュー ター の画面 上で彩 色 され 、背景映像 と合 成 、編 集 され て い る (鷲 谷 2004)。 この一連 の工程 の なかで 、大 きな役割 を果 た し、 ア ニ メー シ ョンの大量生産 に欠かせ な い存在 がア ニ メー ター である。 アニ メー ター とは、 ア ニ メー シ ョン制作 の工程 の なかで 、 原画 も しくは動画 を担 当す る者 を指す. l。. 他 の行程 は、機械化 が進んでい るが、 日本 の商業. ア ニ メー シ ョンにお い ては動画 を構 成す る個 々 の絵 は、ほ とん どの場合、ア ニ メー ターが 、. 1. 戦 時期 には 、漫画 映画製 作 工程 の 中で も、「動画」を描 く工 程 を担 う職 業 は動 画家 と呼 ば. れ ていた が 、分 業体制 が 完 全 で はなか った の で 、「原 画」 は監 督 が 描 い てい る場合 が 多 か っ た。.

(5) 丹念 に一 枚 一 枚描 い て い る。 ウォ ル ト・デ ィズ ニー・ カ ンパニーの子会社 である ピクサー が 制 作 して い る コ ン ピュー タグ ラ フ ィ ックス を用 い たア ニ メー シ ョン とはま さに一線 を画 して い る の で あ る2。. 脚 本 ・ キ ャラ クター 設 定 、背 景設 定. 絵 コ ンテ ・ 画 面設 計. 図. 1. 今 日のアニメーションの制作 工程. アニ メーシ ョン史家であるベ ンダッシィは、「日本におけるアニ メーションの産業化 の発 展は、一九五八年 の藪下の 『 白蛇伝』の公 開 とともに始まった」(Bendazzi 1988=1994:411) と指摘 してい る。確 かに、東映動画で制作 された『 白蛇伝』 は、昭和 31年 4月 か ら 33年 9月 にかけて 、作業延人員. 13590人 で 、制作 された 日本初 のカラー長編 アニメーシ ョン映. 画 として、アニメーション史 に残 る作品 となった. 3。. そ して、世界各国で上映 され 、ヴェニ. ス国際児童映画祭特別賞、ベル リン市民文化賞、メキシヨ政府名誉大賞 な ど、世界 の賞賛 を受けたのであった (東 映十年史編纂委員会編 1962:246‐ 247)。 しか し、 『 白蛇伝』 の制作 に関わったスタッフのなかには、実は、戦時下、アニ メーショ ン制作の 中心的な役害Jを 担 つた者 が少なくない。 た とえば、 『 白蛇伝』 の演出 を担当したの. 2言 うまで もなく、ア ニ メー シ ョンの制作 は 、必ず しも図 1で 取 り上げた方法 を用 い るわけ ではない。 ク レイ アニ メー シ ョン、人形 ア ニ メー シ ョンな ど、紙以外 の物質 を用 い る場合 は もちろん、 さま ざまな方法 があ る。 3『 白蛇伝』 は、色彩 ス タ ン ダー ド 2147.9メ ー トル (10巻 )の 長 さ、214154枚 の静 止 画 で構成 されお り、制作費 は 40471000円 であ つた (東 映十年史編纂委員会編 1962:247)。.

(6) は、戦時 中、文部省 で 、 ア ニ メー シ ョンの制作 にかかわ つて い た藪 下泰治 であ り、作画 の 統括 を担 当 したのは 、戦時 中 に海軍省教育局 の教材映画研究所4で 線画要員 として従事 した 大 工原章 であ つた。また 、アニ メー ターの養成 には 、戦時中 に制作 され た海軍省後援 の『 桃 太郎. 海 の神兵』 (1945)の 動画 を担 当 した熊川 正雄 が携 わ って い た (三 好 2006:25)。. さ. らにい えば、東映動画 の礎 を築 い た新 日本動画社 は 、戦時期 にア ニ メー シ ョン制作 に従事 していた者 が戦後再結集 した組織 であつた. 5。. ァ ニ メー シ ョン制作 の分業体制 は戦時 中 に確. 立 してお り、戦争 とア ニ メー シ ョン誕 生 の あいだ には密 接 な 関係 があるとい える. 6。. しか し、. この よ うな戦争 とア ニ メー シ ョンの 関わ りについ て 、 どの よ うな経緯 で 軍部 がア ニ メー シ ョン を利用 したのか 、 ア ニ メー シ ョンのいか な る表現様式 が戦 時期 に重要視 された のか 、 といつた ことに関す る研究は皆 無 に等 しい。 そ こで 、本研究 では、い かに して戦時期 にア ニ メー シ ョンをめ ぐる環境 が変化 したのか 、 と りわけ国家 の 文化政策 、 お よび制作体制 の分業化 と、 そ の制作体制 に不可欠 な職 業 とし て のア ニ メー ターの誕 生 等、 生産組織編成 が転換 した一連 のプ ロセス 、 さらには、 ア ニ メ ー シ ョンの配給 システ ム の 変化 につい て分析す る こ とによつて 、 いか なる契機 にお い て文 化 が制度化 され るのか を明 らかにす る こ とを 目的 とす る. 7。. レイ モ ン ド・ ウイ リア ムスが指. 摘 してい るよ うに、文化社会学 にお い て 問 わなけれ ばな らな い 問題 の一 つ は 、文化 の制度 化 の 問題 である (Williams 1981)。. 文 化 の制度化 の 問題 にお い ては 、 いか なる主体が文化. 生産 を実践 、 あるい は保 護す るのか とい う点 を考察す る必要 がある。 とい うの も、文化 生 産 が 可能 になるのは、文化 生産 を実践す る文 化 生産 従事者 として の芸術家 の みな らず 、国 家や 公共 団体、資本家 か ら大衆 にい た るまで、文化生産 を直接的 あるい は間接的 に保護す 4組 織名 につ い て は、大 工 原 へ の イ ン タ ビュー か ら引用 (叶 2004:195… 196)。. 5こ の 点 に 関 して は 、第 四章 で 詳述す る。 6世 界初 の ア ニ メー シ ョン は 、 1899年 にア ー サ ー メル ボル ン クー パ ー (Arthur Melbourne Cooper)が 製作 した『 マ ッチ・ ア ピール (Match:An appeal)』 とい われ てい. る (Bendazzi 1988=1994:7)。 『 マ ッチ 0ア ピール 』 は、英国市民にボー ア戦争 の軍隊 にマ ッチ を送 りま しょ うとい う宣伝 ア ニ メである。 この時代 のほ とん どのア ニ メは、静 止 画 を 単 に ス ク リー ンに映写す るだけの もので あ ったが 、 ここで興味深 い ことは、 この映画が戦 争 と関連 した もの である とい う点 である (Bendazzi 1988=1994:40)。 7こ れ は、ア ニ メー シ ョン とい うメデ ィアを歴 史社会学的 に分析す る ことを意味す る。 レイ モ ン ド・ ウイ リア ムス は、「あ らゆる適切 な文化社会学 は、歴史社会学 である」 とい う (Williams 198 1:33)。 文化社会学 にお い ては、い かに して、新 たな文化 が生 成 し、それ が 社会編成 にいか なる影 響 を及 ぼす のか とい う観 点か ら、歴史社会学的に分析 しなけれ ばな らないの である。戦争 とア ニ メー シ ョンの 関連 につい ては、軍部 がアニ メー シ ョン製作 に 介入 した こ とが 、 アニ メー シ ョンの歴史にお い て 、 わずかに触れ られてい るにす ぎない。 た とえば、世界 のア ニ メー シ ョンに関 しては、 67わ sr ab″ ″ゴ ご α″θ ′ “ "′ ニ ごレnim′ ziOnθ (Bendazzi 1988=1994:411)、 日本 にお い ては 、ア メー シ ョン“ 史にお い て、 軍部 がア ニ メー シ ョン製作 に関 わつた こ とが指摘 され てい るにす ぎない (山 口・渡辺 1977、 津 堅 2004)。.

(7) る存在 が不可欠 である とい えるか らである。 と りわ け、 ア ニ メー シ ョンに関 して言 えば 、 ア ニ メー シ ョン を構成す る大量 の絵 を描 くため の莫大 な人件費 が必 要 となるため、 ア ニ メ ー シ ョン制作 と資 金 の 問題 は切 つて も切 り離せ な い。 そ のた め、 文 化 生産 の保護、資金 援 助 が 、生産 システ ム に及 ぼす影響 につい て考察す る必要 がある。 さらには、文化生産 を管 理 、統制す る、 あるい はそ の進展 に資す るため の政策 の施行、文化生産従事者 の育成 を 目 的 とした学校や養成 所 の設 立 、展覧会 の 開催 な ど、 いか に して文 化 生産 が制度化 され るの か 、そ のプ ロセス を考察す る。 また 、戦前 のア ニ メー シ ョン作家 がそ うであ つた よ うに、作家 が 、単発 的 に個 々 に活動 す るだけでは 、アニ メー シ ョンが文化 として制度化 され る ことはない。新 たな表 現様 式が 、 文化 として制度化 され るた めには 、それ が 、集 団 の 固有 の価値 を具現化 して い るもの とし て 、人 々 に認識 され なけれ ばな らな いの で ある。本論 文では、 ア ニ メー シ ョンのいか なる 表現様式 が 戦時期 に重要視 され たのか とい う点 を分析す る こ とによ つて 、 ア ニ メー シ ョン の生 産 か ら流通 のみな らず 、消費 に至 る文 化 の制度化 のプ ロセ ス につい て明 らかにす る。 後述す るが、新 たな表現様 式 を生み出 され るの は、社会 空間 の認識 の変化 を契機 として い る。戦時期 にお い ては 、支配 の領域 を拡大す るた めに 、国境 をめ ぐって 闘争 が繰 り広 げ ら れ 、 そ の結果 として 、支配可能 な空間 とそ の外部 の空間 との境界 が 更新 され るので ある。 この よ うな空間 の再編成 が認識 され ることによつて 、 それ を表象 しよ うとす る文化的実践 が制度化 され るとい えよ う。 戦時期 にお ける国家 の 文化政策、 ア ニ メー シ ョン生産組織編成 の転換 な ど、 ア ニ メー シ ョン をめ ぐる生産環境 の変化 、 また 、 ア ニ メー シ ョンの表現様式 の特徴 に関す る具体的な 分析 に 関 しては第 二 章以降 に譲 る と して 、第 一 章 では 、戦争 と文化 の 関係 、お よび空間 の 再編成 と文化 の表現様式 につい て論 じた い。 では 、 まず 、戦争 と文化 の 関係 につい て 、 ヴァル ター ・ベ ンヤ ミンの議論 か らみて い き た い。. 2戦 争 と文化一 国家、大衆そして他者 ヴァル ター・ ベ ンヤ ミンは 、戦争 と文 化 の 関係 につい て 、国家 と大衆 とい う観 点 か ら、 考察 して い る。 ベ ンヤ ミンは 、国家 が、文化 の主導権 を大衆 か ら奪回す るため のプ ロセ ス にお い て 、不可避 的 に 「戦争」 が 引き起 こ され る と捉 えてい るの である。 大衆 と文化 の 関 係 が 大 き く変化 したのは、複製技術 の発 明 による とこ ろが大 きい。 従来 は 、特定 の階級 が 芸 術 の所有 を独 占 していたが 、芸術 作品 の レプ リカ の誕生 によ り、大衆 と芸 術 の 関係 が一 変 した の である。 芸術作品 の複製技術 の発 明は、芸術 の所有 が特権階級 に限定 され るの で はな く、大衆 へ の拡大 をもた らした のである (Benjamin 1936=1970:34)。. 芸術 に対す る. 大衆 の 関係 が大 き く変化 し、大衆 が芸術作品を所有す る ことは、国家 の 階級構 造 を再生産.

(8) す る こ とを阻む こ とにな る。 それ は、国家秩序 の崩壊 に結び つ く危険性 がある。 したが つ て 、国家 に とっ て 、そ の再生産 を可能 にす るためには、大衆 が 文化 生産 に 自立 的 に関与す る ことを回避す る ことが理想 であった. 8。. ベ ンヤ ミンは 、次 の よ うに述 べ 、そ の理想 を実現す る手段 が唯 一 「戦争」 である として い る。「戦争、 ただ戦争 のみ が、現在 の所有関係 に触れ る こ とな く、大規模 な大衆運動 に 目 標 をあたえ うるの である」 (Bettamin 1986=1970:45)。. つ ま り、戦争 を契機 として、文. 化 の領域 にお ける 「大 規模 な大衆運動 」 を国家 が統制す る こ とがで きる。 したが って 、戦 時期 にお い ては、 文 化 を巧 み に利用す る こ とに よつ て 、集団 を動 員す る ことが 可能 とな る とい える。 ここで 文化 が利用 され たのには大 きな意味 がある。 ジー クム ン ト・ フ ロイ トに よれ ば、文化 は 「人間を緊密 に結 びつい た集 団 に統合 しよ うとす る」 (Freud 1930=2007: 266)。. つ ま り、文化は 、集 団 を形成 し、そ の凝集力 を高める とい う機能 を もつの である。. 国家 は 、 大衆 の 国家意識 を醸 成 し、 そ の凝集力 を強 化す るために、 文化 の制度化 を推 し進 めた とい える。複製技術 の発 明は、国家 が 文化生産 を独 占 し、 大衆 の 文 化受容 を統制す る こ とを可能 に した の である。 以 上の よ うに、複製技術 の発明によつて、文化 をめ ぐる国家 と大衆 の 関係 にお い て 、2つ の異 なる状況 が現 れ ることがわか る。 つ ま り、芸術作 品 の複製技術 は、特権階級 のみ な ら ず 大衆 が 、文化 を享 受す る状況 を生み出 した とい う一 方で、戦時期 には 、国家 が文化生産 を統制 し、 大衆 が均 質 な文 化 を受容す る とい う状況 へ と一変 して しま うので ある。 したが って 、複製技術 の発明が大 衆 に及 ぼす影響 は、 文化 の 開放 とい う側 面 と、 文化 の統制 とい う側 面 の 2つ の側 面 があるこ とがわか る。 そ して 、2つ の側 面 の どち らが表 出す るのか は、 「戦争」 の 勃発 による ところが大 きい とい える。 国家 は 、大衆 を統制 し、国家 の凝集力 を 高 めるために、戦争 を契機 として文化 を巧 妙 に利用す るの である。 ただ 、国家 と しての凝集力 の強化 は 、国家 の 内部 にお ける秩序維持 にか かわ るだ けの 問 題 ではない。 ここで 、注意 しなけれ ばな らな い こ とは、「戦争」 を契機 として、敵対国は も とよ り植 民地等 に存在す る他者 との接触 が 不可避的 に生 じる とい うこ とである。戦時期 に は 、支配 の領域 をめ ぐって 、他者 との あい だで 闘争 が繰 り広 げ られ るため、他者 の存在 を 認識す る こ とが 、国家意識 の醸成 に結 び つ くとい えよ う。 それ は、国家 内部 の秩序維持 に とどま らず、 占領 地域 の よ うに、国境外部 に存在す る他者 を新 たに国家 に取 り込むプ ロセ ス にお い て 、不可欠 とな る。 つ ま り、国家 として の凝集力 の 強化 は、大衆運動 を国 家 が統 制す る こ とに よつ て 実現 され るが 、 それ が 要請 され るの は、国家 の外側 に存在す る他者 と. 8た とえば、マ ックス・ ホル クハイ マー とテオ ドール・W・ ア ドル ノによれ ば、文化産業 の もつ とも基本的な要素は娯楽 である (Horkheimer・ Adorn0 1947=1990:207)。 そ こで 、 消費 され る文化 は教養 を必要 とせず 、娯楽や気晴 らしの商 品 として大量に生産 されてい る ことを批判的 に と らえてい る。 文化 と娯楽 の融合 は 、特 定 の階層 だ けでな く、娯楽 の消費 を通 じて 、大衆 が 文化に接す る機会が生まれ る。.

(9) の 闘争 を契機 として い る とい える。 したが つて 、国家 として の凝集 力 の強化 は 、国家 の外 側 に存在す る他者 に対す る認識 が 、 そ の原動力 とな つ て い る とい える。本研 究 にお い て 重 要 とな るの は、 この よ うな他者概念 であ る。 つ ま り、集団 の外部 に存在す る他者 との 関 わ りの なかで、集 団内部 の秩序 をい か に維持す るのか 、 あるい は 、他者 をいか に して集 団内 部 に包摂す るのか 、そ のプ ロセス にお いて 、国家 が文化 を利用 した とい う点 を念頭 に置 く 必要 がある と考 える。 ここで強調 した い こ とは 、国家 と、そ の大部分 を構成す る大衆 の統 制 のみ な らず、国境 を越 えて存在す る他者 を認識 し、彼 らを国家 の 内部 に取 り込む プ ロセ ス に焦点 をあてる こ とで 、文化 と戦争 の 関係 を明 らかにで きる とい うこ とである。さらに、 重要 な こ とは、戦争 は 、国家 が支配 の領域 の境界 を示す国境 を更新す る実践 であ り、戦争 の結果、国境 を基準 とした支配空間 が再編成 され るが 、 この よ うな空間 の再編成 は 、人 々 の空間認識 の変化 をもた らす とい う点 である。次 に、 空間認識 の変化 と連動 して、新 たな 表現様式 がい かに して生 み出 され るのか につい て考察す る。. 3空 間の再編成 3-1未 来派 の台頭 戦時期 における空 間認識 の変化 は 、 いか に して表象 され るのか。 20世 紀初頭、 イ タ リア にお ける前衛芸術運動一一 「未来派」は、戦争 を契機 として新 たな空 間 が創 造 され る こと に美的価値 を見出 した。 ベ ンヤ ミンは、戦争 を肯定す る 「戦争美学」 を掲 げた 「未来派」 の 台頭 に注 目し、戦 争 を契機 として新 たな表現様 式が生成す る こ とを指摘 して い る。 イ タ リア未来派 のフ ィ リッポ・ トンマ ー ゾ・ マ リネ ッテ ィのエ チオ ピア植 民地戦争 に対す る宣 言 文では、戦争 を 「美」 と称す る観 点が、次 の よ うに明確 に述 べ られて い る。. 戦争 は美 しい。 なぜ な ら大型戦車や 編 隊飛行機 のえが く幾何学的な図形 、炎 上 す る 村落 か ら立 ちの ぼ る煙 の らせ ん模様 な ど、新 しい構成 の美 が創 造 され るか らだ。(中 略 ) 未来派 の詩 人や芸術 家 が こ う した戦争美学 の根本原 理 に留意す るな らば、新 しいポエ ジー や新 しい造形 を求 めるわれ われ の苦闘 は、 それ によ つてかがや か しい光 を浴 び る であろ う。 (Bettamin 1936=高 木 ・ 高原 =1970:45) この 宣言文では、未来派 が 「新 しい構成 の美」や 「新 しい造形」 とい つた空 間的 な創 造 を追及す る芸術運動 であることがわか る。未来派 は 、近代文明 の産物や科学技術 の進展 を 賛美す る とい う視 点か ら、戦争 を肯定す るだけに とどま らず 、戦争 に よつて 、既存 の空間 をぶ ち壊 し、新 た な空間が生成す る とい う点 を積極的 に評 価 して い るの である。 ここで重 要 な こ とは 、破壊 によって生成す る新 たな空 間 に美的価値 を付与 した こ とが新 たな芸 術 の 様 式 を生み出す こ とに結 び つい て い る とい う点 であ る。 つ ま り、未 来派 は、既存 の 空間編.

(10) 成 を刷 新す る こ とに価値 を見 出 し、 それ を表 象す る営み を通 じて台頭 した とい えるのであ る。 もちろん 、ベ ンヤ ミン 自身 は 、戦争 を契機 として新 たな芸術 が誕 生 した とい うこ とを肯 定的 に評価 したわ けではな い。前 述 した よ うに、む しろ、国家 が 文化 を統制す る手段 と、 戦争 が密接 に 関 わ る こ とに対 して批判的 に捉 えて い る。言 うまで もな く、本研 究 にお い て も、文化 が制度化 され る契機 として戦争 を肯 定的に捉 えてい るわけではない。本研究 では、 戦時期 にお ける空間 の創 造 あるい は再編成 がなぜ 、文化 の制度化 を もた らす のか 、 そ の メ カ ニ ズム につい て考察す る。. 3-2視 覚化 の論理 未来派 に限 らず 、新 たな空 間 の生成や空間 の再編成 といつ た空 間 をめ ぐる認識 の変化 は、 新 たな表現様式 を生み 出す こ とが指摘 され て い る。 た とえば、 ア ン リ・ル フェーブル は 、 空間認識 の変化 と、文化 にお ける新 たな表 現様 式 につ い て考察 した。 とりわ け、絵画 にお ける 「遠近法」の誕 生に注 目してい る。「遠近法」とは、視覚的 に認識 され る事象、つ ま り、 同 じ物体 で も遠 くにあれ ば小 さく認識 され 、 よ り近 くにあれ ば大 き く認識 され る とい つた こ とを忠実に表 象す る表現様式である。 ル フェーブル によれ ば、「遠近法」 は、視覚 的 に認 識 され る事象 をよ り忠実に具 現化す る手法であ り、 この手法 が生 み出 された の は 、人 々が 視覚的 に認識 で きるもの に優 位性 をあた える 「視覚化 の論 理 」 に よる として批判的 に捉 え て い る。 つ ま り、視覚的 に認識 され るものが 「正 しい 」 と捉 え られ る こ とに よ つて 、視覚 的認識 を再現す る手法 が どん どん と開発 されて い くの である。 なかで も、「視覚化 の論 理 」 を端的に実践 してい るのが 、映画 である。 ル フェーブル は、「映画や絵画な どの映像芸術 に ほぼ全 面的 に優位性 が あた え られ る」 こ とを指摘 し、映画 とい う映像芸術 は 、空間 をよ り 視 覚 的 に表 象 す る欲 望 ゆ えに生 み 出 され た 表 現様 式 に す ぎな い と して い る (Lefebvre. 1974=2000:414)。 また 、「遠近法」 の誕 生 は 、「視覚化 の論理 」 に とどま らず、共同体 とそ の外部 に広 が る 空 間 にお い て 、 自分 の存在す る空間 をいか に捉 えるのか 、 そ の認識 の転換 として も捉 え ら れ る。 た とえば 、荻野 昌弘 は、葛飾北斎 の代表的な浮世絵『 富嶽 二十 六景』 (1823… 1833)に お い て 、遠景 と近景 の あい だに中景 を描 く 「遠近法」 が誕 生 した ことに注 目 し、 この三つ の部分 か ら構成 され る画面が 、社会 空 間 を提 える新 たな認識枠組 の表出 であることを明 ら かに した。 それ まで の 日本絵画 の手法 にお い ては、中景 が描 かれ る こ とはな く、近景 の背 後 に遠景 をばんや り描 き、社会空 間 の果 てには、何 が存在す るのか につい ては 、 明確 には 示 されてお らず 、共 同体 の外側 の存在 は認識 され な いか 、 あるい は恐怖 の対象 であ ったの である. (荻 野 1998:89‐ 96)。 『 富嶽 三十 六 景』 では 、移動 を通. じて 、共同体 の外部 に存在す. る他者 を認識す る こ とが積極的 に評 価 され は じめた こ とを意 味す るのであ る。 この分析 で.

(11) 興 味深 い の は 、共 同体 が 、他者 の移 動 を通 じて 、共 同体外 の 存在 を認識す る過 程 にお い て 、 新 た な表 現様 式 が生 み 出 され る とい う点 で あ る。 つ ま り、「遠 近法」 の誕 生 は 、 共 同体外 に 存在 す る他 者 を通 じて 、共 同体 の 外 部 に広 が る空 間 を認 識 す る とい う、人 々 の 空 間認 識 の 転 換 を端 的 に示 してい る とい え よ う。 以 上 の よ うに 、文化 、芸術 の領 域 にお い て 、表現 され て い る内容 の 意 味 に つ い て 解 読 し、 記 号論 的 に コー ド化 9し 分析 す るだ けでな く、そ の表 現様 式 それ 自体 が 、 い か に して生 み 出 され た の か とい うこ とを考 察 す る こ とに よ つ て 、社 会 に対 す る認 識 方法 の 転 換 を提 え る こ とが で き る の で あ る。 した が っ て 、 ル フ ェー ブル が 指 摘 して い る よ うに、書物 、絵 画 、彫 刻 とい つ た さま ざまな芸 術 作 品 におい て 、そ の表現様 式 が 、い か に して生 み 出 され た の か 、 そ の 過 程 そ の もの を明 らか にす る こ とが重 要 で あ る とい え る (Lefebvre 1974=2000:55)。 本 研 究 にお い て も、 ア ニ メ ー シ ョンが 、 いか な る表 現様 式 か 、描 か れ て い る社 会 空 間 の 捉 え方 に つ い て 、具体 的 に 分析 す る こ とに よ つ て 、 文化 が 制 度 化 され る契機 を明 らか に し た い と考 える。. 4本 論 文 の構 成 第 一 章 の さい ごに 、本 論 文 の 構 成 お よび 本 研 究 の 方 法 と、 そ こで 用 い た 資料 に つ い て示 したい。 ま ず 、第 二 章 で は 、戦 時期 お け る ア ニ メー シ ョンの 勃 興 に つ い て 明 らか にす るた め に 、 ア ニ メー シ ョン制 作 に 関す る制度 化 や 、 生産 シ ス テ ム お よび生産 組 織 の 編成 に 関す る問題 を考 察す る。 日本 にお け る戦前 の ア ニ メ ー シ ョン制 作 をめ ぐる環境 が 、戦 時期 に 、 軍部 が ア ニ メー シ ョン制 作 を支援 した こ とに よ つ て 、 いか に変 化 した の か 、戦 時期 にお け るア ニ メ ー シ ョン生 産組 織編成 の 転 換 、お よび そ の 流 通 の 変化 に つ いて 、明 らか にす る。 ア ニ メ ー シ ョン映像 は 、単 に劇 場 映画 に とどま らず 、軍事教 育映画 に も活 用 され てお り、2つ の 生 産組 織 体 系 が誕 生 した。 さい ごに 、2つ の生 産組織 が 戦 後 いか に展 開す る のか 、 とい うこ と に つい て も言及 す る。 そ のた めに 、 1928年 か ら. 1945年 の 映画雑誌 に掲載 され たア ニ メー シ ョン 関連記 事 お よ. び ア ニ メ ー ター の 手記 、イ ン タ ビュー 録 の 分析 を行 う。 なお 、 ア ニ メー シ ョン 関連 記 事 に 関 しては 、「1928年 -45年 にお け る ア ニ メー シ ョンの 言説調 査 お よび 分析 (映 画雑 誌 リス ト〉」 (佐 野 2006:13‐. 100)が 、 デ ー タベ ー ス と して利 用 可能 で あ る。 この リス トに、掲載. され てい る雑 誌 は 、規模 の 大小 にかか わ らず. 53誌 にわ た り、発行 され て い るす べ て の 映画. 9ア ニ メー シ ョン を対象 と した 社 会 学的 な研 究 にお い て は 、 ア ニ メー シ ョンの 登場 人物 の イ. メー ジが 、時代 、社 会 にお け る性役割 、 あ る い は社 会 的役割 が 明確 に反 映 して い る とい う こ とが 前提 とされ てい る。 と りわ け、 ジェン ダー あ る い は 家族 に対 す るイ メ ー ジが 、 ア ニ メにお い て い か に描 かれ て い るの か 、 とい う点 に終始 してい る (中 野 1998、 マ ル チ ェ ラ 1999、 若 桑 2003な ど)。.

(12) 雑誌 を網羅 して い る といっ て よい。戦 時期 には 、映画雑誌 に 関 して も、政府 の統廃合措置 が敷 かれ たため、 『 キネ マ旬報 』 (1941年 以降『 映画旬報』)、 『 映画評論』、 『 新映画』、 『 映画 技術』、 『 映画教育』、 『 文化映画』 な ど数誌 に激 減 したが 、軍部や 文部省 の役人 の論文や、 彼 らの座 談会 での発言録 を掲 載 した りして い るので 、国家 とア ニ メー シ ョンの 関連 を分析 す るには必要不可欠 な資料 となる。 戦時期 の映画政策 に 関す る公文書 にお い ては 、 ア ニ メ ー シ ョンに言及 してい るもの は皆無 であるため、 なお さらである。 また、軍事教育映画関 連 の資料 は、制作 自体 が極秘 の ため、多 くの制作 を請 け負 った東宝 の社史、映画史 に も記 録 されて い ない ばか りか 、ネ ガ・ ポジは昭和 20年 8月 下旬、す べ て焼却 され 、記録 文書 も 残 つて い ない (佐 藤 1995:65、 小松沢 1977)。. したが って、映画雑誌や、 ア ニ メー シ ョン. 制作従事者 の手記 な どを手がか りに考察す る こ とが分析 の唯一の手段 であ る。 続 く、第 二 章 では、 ア ニ メー シ ョンの生産 シス テ ムお よび生産組織 の編成 が 変化 した要 因 につい て、他者 の文化 と自国家 の文化 の序列化 とい う観 点 か ら明 らかにす る。とりわけ、 い か な る主体 が 文化生産 を実践 、 あるい は保護す るのか 、 また、ア ニ メー シ ョンのいかな る特 徴 に価値 を見出 したのか 、につい て考察す る こ とによつて 、支配空 間 の地理的拡大 に 伴 って認識 され る他者 の存在 が 、文化政策 にいか な る影 響 を及 ぼす のか を明 らかにす る。 分析対象 は 、第 二 章同様 、映画雑誌 にお けるア ニ メー シ ョン関連記事 お よびア ニ メー シ ョ ン制作従事者 の手記やイ ン タ ビュー録 である。 第 四章では、終戦間近 の 1945年 4月 に公 開 された『 桃太郎海 の神兵』を四つのシー クエ ンス に分 け、各 シー クエ ンス にお い て 、他者 との 関係性. (と. りわけ、 ア ジア ・ 太平洋 の諸. 民族お よび連合軍 )と 、戦時期 における空 間 の再編成 が 、い かに して表象 され て い るのか 、 につい て分析 を行 う。 そ して 、 ア ニ メー シ ョン とい う表現様 式が 、他者 との 空間 をめ ぐる 闘争 をいか に 「視覚化」 してい くのか 、他者 との境界線 の 「消失」 と 「出現」 とい う観 点 か ら分析 を行 う。 第五 章では、1940年 7月 樹 立 された ヴィ シー 政権期 にお ける国家 とア ニ メー シ ョンの 関 連 につい て 考察す る。 フ ラ ンス は、 ヨー ロ ッパ で初 めてア ニ メー シ ョンが制作 され た国 で あ り、初 めてア ニ メー シ ョン・ ス タジオが設 立 され た 国 であ りなが ら、戦前 は、日本 同様、 ア ニ メー シ ョンは、個人作家 に よる作品 として制 作 されて い るにす ぎな か った。 しか し、 戦時期 にお い ては、 日本同様 、国家 がア ニ メー シ ョン制作 の保護 を行 い 、新 たなア ニ メー シ ョン制作組織 が生 まれた。 なお 、 フ ラ ンス にお けるア ニ メー シ ョン と国家 の 関係 に 関 しては 、 フ ラ ンス 、パ リにあ る国立映画図書館. (Bibliothё. quo de ilm)の アーカイブセ ンターにお い て 、 ヴィシー政権. 期 のア ニ メー シ ョン制作 に関す る資料 が保存 されてお り、 それ らを資料 として用 い る。 ア ー カイブセ ン ター には、第 二 次世界大戦期 にお い て 、 ア ニ メー シ ョン制作従事者 と政府機 関 の あい だで取 り交わ され た文 書、国家 か ら融資を受 けた際 の領収書 の原本等、多数所蔵.

(13) され て い る10。 第 六 章 は 、本論 文 の結論部分 にあた る。 ここでは 、第 二 次世界大戦期 の 日本 とフ ラ ンス にお けるア ニ メー シ ョン をめ ぐる環境 の変化 につい て の共通点 の分析 を通 じて 、 なぜ 、戦 時期 にア ニ メー シ ョンの勃興 が起 こったのか 、 につい て考察す る。 戦時期 にお ける、他者 との 間 で 勃発す る支配 の領域 を区分す る境界 をめ ぐる闘争 と、それ によ つてな され る空間 の再編成 が 、 ア ニ メー シ ョン とい う表現様式 に いか に して 関連す るのか 、につい て分析す る。 そ うす る こ とで 、 いか な る契機 にお い て文化 が制度化 され るのか を明 らかす る ことが で きる と考 える。. 10個 々 の資料 は、 ラベ リング され てい るわけではないが 、発行 され た時期や制作会社 ご と に分類 し、保管 されて い る。 予約 をすれば誰 で も閲覧可能 である。. 10.

(14) 第 二章. ア ニ メー ター の誕 生. 本章 では 、 日本 にお ける戦前 のア ニ メー シ ョン制作 をめ ぐる環境 が 、第 二 次世界大戦 を 契機 と して 、軍部 がア ニ メー シ ョン制作 を支援 した こ とに よつて 、 いか に変化 した のか 、 明 らかにす る こ とを 目的 とす る。 と りわ け、 ア ニ メー シ ョン生産 の分業体制 とは、 どの よ うな シ ステ ムであ った のか 、 また 、分業体制 に不可欠 な、 ア ニ メー シ ョンの動 きを構成す る大量 の絵 を描 く 「ア ニ メー ター 」 とい う職業 が いか に して誕 生 した のか 、戦 時期 にお け るア ニ メーシ ョン生産組織 編成 の転換 につい て 、 そ のプ ロセ ス に焦点をあて る。 では 、まず、戦前 のア ニ メー シ ョン映画 上映 の 実態 か ら、戦時期 の 日本初 の長編 ア ニ メ ー シ ョンの上 映 とい う出来事 まで のア ニ メー シ ョン を め ぐる環境 の転換 につい てみ てみ よ う。. 1戦 前 のアニメーション 戦前 にお けるア ニ メー シ ョン上 映 の場 は大別 してふたつ あ った。 ひ とつ は映画館 、 い ま ひ とつ は学校 である。映画館 では 、 ア ニ メー シ ョン は、本編 である長編劇 映画 の併映作 品 として上映 されて い た。併映 であるため、五 分程度 の短編作品がほ とん どであ つた。. 1930年 代 に入 り、映画館 は、 たびたび 、 ア ニ メー シ ョンを特集 した番組 を組む が 、図 2 の広 告 の よ うに 、 上 映 され ていたのは 、 主 にベ テ ィ・ ブー プや ポパ イ シ リー ズの よ うな ア メ リカ製 アニ メー シ ョンで あ った。図. 2に 示 した広 告 に挿入 され て い る 「パ ラマ ウン ト漫. 画 ス タデ ィオ の傑作、 日米 親 善 の漫画使節 ベ テ ィ・ ブープが 日本 を訪問 して 日本語 で 唄 う 素晴 ら しい傑作」とい う宣伝文句 にあるよ うに、音声 の入 つた トー キー 映画 の普及 によ り、 ア ニ メー シ ョンに も 日本語 の吹 き替 えが入 る ことで 、人気 を博す よ うにな った の である。 『 キネ マ旬報 』 では、各映画館 の興行状況 を報告 して い るが 、東京倶楽部 に 関 しては 、 次 の よ うに報告 されて い る。 (プ ログラム に)漫 画大会 をは さんでお ります が 、漫画 11だ けを覗 い て来 る観客 も、. この ところす くな くあ りませ ん 、 ここの と ころ客 の好 尚が漫画 に傾 い て 、漫画 全盛 の 観 があ ります。 (東 京倶楽部支配人. 山田剛談 )(『 キネ マ旬報』 1932午 12月 11日 号. :. 35). そ のほか に も、新宿松竹座 では、「ミッキーのお化 け屋敷」「ミッキーの空 の英雄」「ミッ. 11か つ て 、 ア ニ メー シ ョン は 、そ の 用途 に応 じて 、「漫画 映画 」、「漫画 」、「線 画」、「動 画 」、 「描 画」 な どとよばれ て い た。 なお 、本論 文 にお い て は 、 ア ニ メー シ ョンに 関 して 、引 用 に 限 り、 当時 の 呼称 で 記述 す る。.

(15) キーの脱線芝居」「ミッキーの愛犬」「ミッキーの騎 士道」「ミッキーの小鳥 の冒険」等、「一 ヶ月 の赤字を帳消 しにす る月例 のお家族週 間」 として、 ミッキー・マ ウスのアニ メーシ ョ ンシ リーズを上映 してい る. (『. キネマ旬報』1933年 8月 11日 号:21)。 さらに、昭和館では、. 「漫画大会は外国映画専門館 の最 も安全なる方策」 とまで評 してい るほどである. (『. キネマ. 旬報』1933年 10月 21日 号:33)。 当時、アニ メーシ ョンといえばアメリカ製 の作品が念頭 に置 かれ、「漫画は、現在 では、アメ リカの 占有物 のよ うに一般 か らは思われてい る」 とも いわれ るほどであった (柳 1936:76)。 映画館 の経営者 にとつて、アメ リカ製 アニ メーシ ョ ンは、興行価値 の ある番組編成 として捉 えられていた。. VJ陣. 麒. 鳥 旭 駆 ハ バ日 訪. 一中 ¨. 一一一. ︶ ア     ー︼. タイ晴. ン農 率 卜筆 錯. ¨ 一 い. 難日. 解が. ::曾. が パ慶ヤ “極蟻 下 薇 ヽ ﹁ ヽ 0・ 一. ボ バ イ 漫 書. ””. ヘテイ プープ漫書. 人 喜 ● ■ 工. 月 ヽハ 4 ムー ン. 麟 文 t O ﹁一 鸞   0    腱   鎌 一. 「. 篇 観 ッ… ポ スャ ¬. 一. 2. 一 一. ・ ¨. 図. 『 キネマ旬報』(1935年 11月 1日 号)に 掲載 されたアニメーション上映の広告. これ に対 して 、 日本 製 の ア ニ メー シ ョンは 「の らくろ」 の よ うな例外 を除 い ては 、映画 館 で上 映 され る こ とはあま りなか っ た。 日本 製 のア ニ メー シ ョンが上映 され ていたのは 、 小学校 であった。 当時、「講堂映写会」 と呼ばれ る 「不定多数学年 の児童 を同一講 堂 に収容 して活動写真 を観 覧 させ る催 し」 がノ 学校 で とりお こなわれ て い た。「講堂映写会」 は 、東 Jヽ. 京市赤羽尋 常小 学校 の校長 に よれ ば、児 童 を 「映画館 の害毒 か ら救 済 しよ う」 とい う目的. ワ“.

(16) に加 えて、「娯楽を第一 に考 える一種 の総合教育」を目的 としてい る。 そ こでは、必ずアニ メーシ ョンが要求 された とい う。講堂映写会 では、巡回活映プ ログラムを利用 していたが、 た とえば、東京 日日、大阪毎 日両新聞社提供 の巡回活映 プ ログラムは、 (1)劇 映画、 (2) 漫画映画、 (3)風 景その他実写物で構成 されていた. (『. 映画教育』 1986。 11:16)。. 21943年『 桃太郎の海鷲』上映 日本製長編 アニ メー シ ョンが映画館で初 めて上映 され るのは、 日本 がすでに戦争 に突入 していた 1943年 のこ とである。 この年、日本 では じめての長編 アニメーシ ョン映画『 桃太 郎 の海鷲』が一般映画館で上映 されたのである。図 3は 、 『映画旬報』3月 11日 号の見開き. 2ペ ージに掲載 された『 桃太郎の海鷲』の宣伝である。宣伝文句は次 の よ うに記述 され てい る。 漫画の世界 では 日本一の桃太郎君 !迷 利大製 のベ テ ィ・ ブー プやポパイなんか とは 月 とス ッポンの違 いだ !大 東亜戦争下、一 たび出撃命令下るや、波濤 萬里鬼ケ島艦隊 大爆撃を敢行 !真 珠 湾米鬼艦隊を震 えあが らせ る !漫 画な らでは描 けぬ奇想天外 !正 に痛1夫 無類 の大作戦 !こ んな素晴 らしい漫画映画をルー ズ ヴェル トに も見せてや りた い. !. 宣 伝 文 句 に あ る よ うに 、 日本 初 の 長 編 ア ニ メ ー シ ョン が 、 ア メ リカ 製 ア ニ メ ー シ ョン を 越 え る長 編 作 品 と して 華 々 し く紹 介 され て い る の で あ る。. 『 桃太郎 の海鷲』は、1943年 3月 第 4週 の 白系 12映 画館 にお いて 、「一 〇〇万近 くの観 客 を封切 にお い て動員」 し、興行収入は、65万 円を超 えた13(図. 4)。. これ は、児 童 の春休み. とい う時期的 な要因 もあ り、「第 一級 の興行成績」 を収 めた と評 価 されて い る. (『. 映画旬報』. 1943年 4月 21日 号 :48‐ 49)。 日本製 のアニ メー シ ョンが呼 び物作品 とな って このよ うな興 行成績 を収 めた こ とはかつ てなかった。「漫画映画 の制作 も興行 も共 に確実 な企業た り得 る とい う新 しい実証 を映画 の新体制 は漸 く示 しえた の である」 (『 映画旬報』 1943年 4月 21 日号 :101)。. この事実 をもつて、当時、「漫画映画初陣 の功名 」 といわれ、一 般的 に もア ニ. メー シ ョンの興行可能性 に期待 が 寄せ られ た。. 121942年 4月 1日. よ り社 団 法 人 映 画 配 給 社 に よ る 一 元 的 配 給 が 開 始 され た 。全 国 の 約 2400 の 二 館 映 画 館 が 紅 白 系 統 に 分 割 され 、 1週 間 ご とに新 しい 番 組 編 成 が 設 定 され た (加 藤. 2003:116‐. 117)。. 13『 映画旬報』では、毎号 「興行展望」と題 し、全国の映画館 の興行収入を掲載 している。. 13.

(17) 図. 3. 『 桃太郎の海鷲』の宣伝. :『 映画旬報』(1943年. 3月 11日 号). 奎園地菫 ワ」 封 切成 績表並 び にそ の比率 二 月 第 (れ )普 業 大連軍 口. 開 東 33142,43 開 2= 243544.50. 二. 通. (白 )再 映議 間. 崚. 1・ llll分 45. 口. 餞. 233467.44 1剖 4分 31. 181411.04 31日 3f)33 3多 )32 1椰 620■ 4.92 31537.35 `卜 ノL チH 76371.68 1箇 暉0兵)24 49557.28 40.54 3多 )66 1ヒ デ 与iェ ■27_● ‐ 25063.27 臨 .12 T蕩 藪蘇面 番 「. 二. (紅 )妻 三四郎 m 嬌. 月. 図 4 3月 第 4週. 第. 7ダト 07. 】に 369780.21. 41可. 1. 露. i:liZ::1. i:葬 ‐ 4メ丼 37 北海道 ―3351D.50 一―一 蔦 輌百蒻 下 「 ―. 91)51 4ジ }81. 週. (自 )欝 1弩. 開. ::::. 四. 3書 J4ジ )32 6`〉 06. 墨 爵 野 弱 墨. 田. 301832197. 2ま 1::::. 繰. 4餞 暉6ジ チ40. 23252,82. 3劇 ::こ : 略郷 9. (白 )『 桃太郎 の海鷲』 『 闘ふ護送船団』14興 行成績. (『. 映画旬報』1943年. 4月 21日 号:49). 14『 桃太郎 の海 鷲』 と同時 上映 され た『 闘ふ護 送船団』 (全 7巻 )は 、企画海務院、後援海 軍省 ・ 陸軍省報道部 の長編記録映画 である。. 14.

(18) その後 も、アニメー シ ョンは制作 され続 けた。敗戦間近 の 1945年 4月 には長編 アニメー 海 の神兵』 が公 開 された。 これは、真珠湾攻撃 の成功を主題 に した 日本 初 の長編 アニ メーシ ョン『 桃太郎 の海鷲』 (1943)に 続 く、瀬尾光世監督 「桃太郎」二作 目 シ ョン『 桃太郎. として軍部資本 で制作 された。 当時、大阪の松竹座 で、このアニメーシ ョンを見ていた手塚治 虫は、 『 桃太郎 海 の神兵』 の全編に溢れた叙情性 と童心に感激 し、「おれは漫画映画をつ くるぞ」 と誓 った と述べ てい る。確 かに、第 四章で詳 しく分析す るが、 この作品 は、一 見す ると、桃太郎 と、かわいい 動物 キャラクター が登場す る情緒的 ともい える内容 である。また、 『 桃太郎 海 の神兵』は、. 1年 間 とい う日数をかけて制作 された 74分 間の超大作 であつた。 しか し、手塚治 虫の よう な例 を除けば、大多数 の人 々は、映画を見る余裕な どなか つたよ うな状況 であつた。 少な くとも、観客である児童は各地に疎開 していたため、ほ とん ど観客がお らず、「話題 に もな らずに葬 りさられた」 とい う (手 塚 1979=2000:29)。 『 桃太郎 海 の神兵』の制作 が開始 された 1944年 、す でに戦局は著 しく日本軍 に不利な 状況 に陥 っていた。 しか も、公開 された 1945年 4月 は、大空襲による大きな被害 によつて 東京や大阪は、す でに焼 け野原 と化 していた。 その よ うななかで、 あたかも戦争 も何 も起 こっていないかの よ うに、 『 桃太郎 海 の神兵』 は、「楽 しいお家族 向きの傑作 マ ンガ」 と して公 開され てい る. 家族 のなかには戦地に赴 いてい る者や、すでに戦死 した者、 あるいは空襲 の被害者 になった者 が多 く存在 した。 とても、「楽 しいお家族」 として、「マ (図 5)。. ンガ」を見てい るような状態 ではなか ったはず だが、それにも関わ らず長編 アニ メーシ ョ. 5 1945年 4月. ・ 果し いヽ家 族 向き の傑 作 ヤンガノ 縄讃島累 上映 中. 曖”発憤彗繊 マン′ ︵生九ぶ︺ 演 島 ・溝 宅 光 魔. 図. 螺絆擬中. ンが堂 々 と公開 されてい るのである15。. 15日 朝 日新聞 (東 京版 )に 掲載 された『 桃太郎. 海 の神兵』 の宣伝. 楽 しいお家族向きの傑作マ ンガ !絶 賛 白系上映 中 『 桃太郎海 の神兵』 松竹長編戦記マ ンガ (全 9巻 )/演 出 瀬尾光世. 15ァ メ リカの歴史学者 であるジ ョン・ ダ ワーは、 『桃太郎. 海 の神兵』について、次 の よ う 「 に評 している 映画その ものは大変 ロマ ンチ ックであった。 そ して製作時の実際の状況 を 気にもとめていないことは、本当に寓話や ファンタジーの世界 に住 んでいた男 たちの感覚 を伝 えてい る」 (Dower 1986=2001:424)。. 15.

(19) 一 方 で 、映画 そ の もの は、敗 戦 時 まで細 々 と上映 が 続 け られ て いた が 、1941年 か ら 1945 年 まで に 制作 され た劇 映画 の 本 数 の 推移 をみ て み る と、ほぼ 十 分 の一 に減 少 して い る (表. 1)。. 戦 時期 にお い て は 、 そ の 表 現 が 制約 され るだ け で な く、紙 や フ ィル ム も配 給 とな っ た こ と に よ って 、物 的諸 条件 も乏 し くな つ た のが 、そ の 大 きな要 因 で あ る16。. 表 年. 1. 映画制作本数. 本数. 1941. 232. 1942. 87. 1943. 61. 1944. 46. 1945. 26 (南 博 ,1987,『 昭和文化 1925‐ 1945』. をも とに作成 ). 他方、 ア ニ メー シ ョンに関す るか ぎ り、制作 か ら上映 に至 るあ らゆる条件 が 、戦時期 に は戦前 に比 べ 、 はるかに恵 まれ た もの にな り、敗戦 を迎 えるのである。. 3軍 部 とアニメーション 戦前 は 、個人作家 によつて 、短編 ア ニ メー シ ョンが細 々 と制作 され て い たにす ぎなか っ たが 、戦 中 には長編 ア ニ メー シ ョンが制作 され るまでにな っ た。 この よ うな ア ニ メー シ ョ ン制作 をめ ぐる環境 の変化 は、いか な る理 由によるもの な のか。それ は、軍部 が積極的 に、 ア ニ メー シ ョン制作 を支援 したか らである。 海軍省報道部 の米 山忠男 は 、 ア ニ メー シ ョンが 「現在 の殆 ん ど個人的な とい つて いい製 作所 の 中で恵 まれ ない環境 にお 」 かれ てお る こ とを指摘 し、 そ の状況 を改善 され るべ き と した。そ して 、「海軍 として も この重要性 は早 くか ら認 め試 作時代 も相 当に永 いの であるが 、 大東亜戦争 を契機 として 、製作指導 に乗 り出す 」こととなった と述 べ てい る (米 山 1942:84)。 つ ま り、軍部 が 資金援助 を行 うこ とに よつて 、 ア ニ メー シ ョン制作 を推 し進 め よ うと した ので ある。 そ の結果、軍部資本で 1942年 か ら 1944年 にかけて 10本 (海 軍省 省. 2本 )の ア ニ メー シ ョンが制作 され た. (表. 8本 、陸軍. 2)。. 16戦 時期 には 、思想 統制 が 徹底 され 、表 現 の 自由 が制 約 され る。有 山輝 雄 が 指摘 して い る よ. うに、戦 時期 にお け る 「社 会 、文化 、 メデ ィアな どの 問題 が取 り上 げ られ る場合 は、政治 権 力 に よ つ て 自由 が 奪 われ 、新 しい 統制 が 課 せ られ て い た とい う側 面 が もつ ぱ ら強調 され て きた 」 (有 山 1998:前 )。. 16.

(20) 表. 2. 軍 が ス ポ ンサ ー な ったア ニ メー シ ョンー 覧 巻. スタッフ. タイトル. 年. 数. 制作 後援. 内容. 企画 ;海 軍省報道 海軍省. 1942. 桃太郎 の海鷲. 部 、演出、撮影 ;瀬. 真珠湾攻撃 の 成功を PR。. 5. 尾光世 陸軍省報 道. 1942. 部 海軍省. 1943. 海軍省. 1943. 海軍省. 1943. 海軍省. 陸軍省航空. 芋 と兵隊. マレー 沖海戦. ニッポンバンザイ お猿 三吉 ヨ 闘う潜 水艦. 1943. マー坊 の 落下傘部 隊. 作画 、撮影 ;片 岡. かし 食料も欠乏するが 芋をら、. 芳太 郎. て野営。. 1. 作画 、演出 ;大 藤 信郎 原 案 ;米 山忠雄. 作画 i片 岡芳太郎 指導 :米 山忠雄、 作画 、撮影 ;佐 藤 吟二郎. マレー沖海戦 の成功を PR。. 3. 大東亜共栄圏建設 にいたつた 背景 。 三吉 、特攻隊 となり敵陣 へ 。. 爆弾落 下傘など新兵器 で敵を. 2. 撃退。. 演 出 ;前 田 一 、浅 1944. 本部. 上 の 空博 士. 野 恵 、動 画 ;浅 野. 珍発 明 、珍兵器 。. 恵. 海軍 省. 1944. 海軍省. 1944. フクちゃんの 潜水 艦 僕 らは海軍 志願 兵. 動 画 :前 田 一 瀬 尾光世. フクちゃんが敵輸送船団を沈. 5. 没させる。 海軍志願 兵の募集。. 2. 指導 :大 本 営海軍 報 道部 、脚 本 、撮 海軍 省. 1944. 桃太郎 口 海 の神兵. 影 、演 出 :瀬 尾 光 世 、影絵 ;政 岡憲. (『. パ レンバ ンに空 挺 部 隊 が 落 下 傘降 下 。. 日本アニメーション映画史』(1977)第 二部資料編作品目録をもとに作成。 ). 初 の長編 アニメーション となった『 桃太郎 の海鷲』は、「大東亜戦争勃発 と共にハ ワイ海 戦に取材することとし、戦争直後 に着手 した」 と述べてい る (米 山 1942:84)。 監督 である. 17. 9.

(21) 瀬尾光世 は 、制作 の き っか けを次 の よ うに振 り返 る。「海軍省報道部 か ら出頭命令 があ り、 映画課 の浜 田 とい う中佐 か らハ ワイ空襲 の映画化 の要請 を うけた17」 と。 っ ま り、 1942年 12月 の真珠湾攻撃 を契機 として 、 アニ メー シ ョンの制作 が実現 した とい える。 当時、「事業 として安定 が保証 され てい なか った」 (米 山. 1942:85)ア ニ メー シ ョン制作. 者 に対 して、「製作費 はい くらで も海軍省 が 出す」 とい う条件 が 、長編 ア ニ メー シ ョン制作 を可能 に した。 『 桃太郎 の海鷲』 の制作 には 10ヶ 月 を要 したが 、37分 の長編 ア ニ メー シ ョ ン とな った。 日本 ではア ニ メー シ ョンは、 1941年 まで の 25年 間 に 377作 品制作 されて い. 5分 )が 4分 の 3の 325本 を占めてお り、 アニ メー シ. るが、一 作品 あた リー 巻 の短編. (約. ョンの長編制作 は例 が なか っ た. (図 6)。. 1タ イトル あたりの巻数別本数. 1. 司. │■ │□. 2巻 3巻. [_. 図 (『. 6 1タ イ トル あた りの巻数別本数 日本 アニ メーション映画史』 (1977)第 二部資料編作品 目録 をもとに作成。). それだけでな く、 『 桃太郎 の海鷲』は 「文部省推薦長編漫画」 として指定 された。従来、 アニ メーシ ョンは文部省 の文化映画認定基準か らは文化映画 の認定圏外 に置 かれ 、配給 は すべ て短編 として取 り扱 われていた。 しか し、文部省 では、優秀 な作品は、アニメーシ ョ ン映画 といえども認定制を適用 し、広 く全映画館に公 開 させることとした (『 映画旬報』1943 年 9月 1日 号:4)。 国家が、アニメーシ ョンの価値 を認めるとい うことは、アニ メーシ ョン. 17 瀬 尾 の語 りか ら引用 (小 松沢 1980)。. 18.

(22) の社会的位置 づ けが転換す る契機 とな った とい える。 「映画臨戦体制」の一 環 で 、llll映 画配給社 が配給 を一 元化 した こ とによ り、 また 、1942年 、 制作 だけでは な く、配給 に 関 して も、軍部 の影響力 が 強ま った。 『 桃太郎 の海鷲』は、当初 、 農村漁村 で の巡回映画 へ 回す と予定 されて い たが 、「海 軍 が圧力 をか けて劇場 公 開」 とな つ た 18。 一般 の映画館 にお い て本編 として上映す る とい う好条件 で 、ア ニ メー シ ョンの配給 ル ー トが初 めて保障 された の である。 ただ 、 この よ うな アニ メー シ ョンヘ の注 目は、単 にア ニ メー シ ョンが戦意 高揚 のプ ロパ ガ ン ダ として制作 が奨励 され た とい うわ けではな い。確 かに 、戦時期 にお ける新 しい メデ ィアの誕 生は、 宣伝技術 の革新 として 、 しば しばプ ロパ ガ ン ダ研 究 の枠組 にお いて論 じら れ る。 た とえば、第 一 次大戦 にお い て 、「空 中散布 ビラ、無線 通信、戦意高揚映画な ど大衆 向け の ニ ュー 0メ デ ィアが続 々 と動員 され た」 ことに 関 しては 、現代戦 にお い ては、陸海 空 の二 次元 のみな らず 、「′ い理や思想 を標的 とした四次元空間に も前線 が拡大 した」 ことを 指摘 してい る。 これ らの 「ニ ュー・ メデ ィア」 は、「国民一 人 一 人 の主体性 を動員 して、 自 ら進 んで戦争 に参加 させ る」(佐 藤 2006:64)こ とを 目的 として開発 され た もの とされてお り、ま さに、現代戦 が 「思想戦 」 とよばれ る所以 とな って い る。 しか し、 ア ニ メー シ ョン と戦争 の 関係 を考察す る うえで重要 な こ とは、単 に新 たなメデ ィアが戦争 に よつて誕 生 し た とい うことを示す点ではな い。真 に問わなけれ ばな らな いの は、 なぜ 戦時期 にお い て 、 ア ニ メー シ ョンの よ うな表現様式 が 文化 として制度化 され た の か 、 につい て 考察す る こ と である。. 4ア ニメー ション制作 の分業体制 海 軍省報道部 の米 山が指摘 した よ うに、戦前 は 、 ア ニ メー シ ョン制作 は取 るに足 らな い もの とされ てお り、国 内で制 作 され たア ニ メー シ ョンは、個人作家 による作品 として年間 数本 にす ぎず、五 分程度 の短編 ア ニ メー シ ョンが主流 であつた。 戦前 の アニ メー シ ョン制作従事者 の特徴 は. 3つ 挙げ られ る。 ひ とつ めは、 ア ニ メー シ ョ. ン制作 が職 業 として認知 され て い な かった とい う点 である。 日本 でア ニ メー シ ョンが初 め て制作 された の は 1917年 であ るが、創始者 の 下川 凹天 、幸 内純 一 、北山清太郎 は、ア ニ メ ー シ ョン制作 を本 業 として い るわけではな く、副業 としてア ニ メー シ ョンを制作 してい た。 下川 と幸内は漫画家 であ った し、北 山は映画 に挿入す る字 幕 の制作 を行 つていた。 二つ め は、「自作 自監 自演そ の うえ 自販 まで」 (北 山. 1933:17)行 うとい うもので 、今 日とは異な. り、 ス トー リー 作 りか ら監督 、演 出、 さらには販売 まで、全 て の工程 を一 人 の作家 が担 っ て い た とい う点 にある。 三つ めの特徴 は 、 ア ニ メー シ ョン制作方法 の徒弟制度 である。 当. 18 瀬 尾 の イ ン タ ビュー を 引用. (尾 崎 1986:220)。. 19.

(23) 時 は 、作家 の もとで ア ニ メー シ ョンの原 理や 制作方法 を学んだ の ちに作 家 と して独 立 す る といのが一 般的 であ った。 ア ニ メー シ ョン制作 を学 ぶ ことので きる教育機 関 は存在 しなか つ た。 この よ うな制作体制 が維持 され る要 因 には、制作方法 の秘密 主義 がある。 当時、「原 理 は簡単で明 白にな って い る こ とで も、仕事 の部分、 工程 とか い うもの に苦 心があ り発 明 が あ り」、従 つ て 「皆秘密 に して」い たのである (北 山 1930:326‐ 327)。 戦前 か らア ニ メー シ ョン制作に携わ り、 日本初 の長編 ア ニ メー シ ョン を制作 した瀬 尾 は、 1930年 頃、 ア ニ メ ー シ ョン制作 の秘密 主義 につい て 、次 の よ うに述 べ て い る。. 学校 の校庭 で上 映す るア ニ メー シ ョン を製作 してい る大藤信郎 さん 、村 田安 司 さん、 山本早苗 さん といった. 3人 の方 々 の所 へ弟子入 りを頼み 込んだ んです が 、み な さん同. じよ うに 「これ は 自分 が 開発 した技術 だか ら一 子相伝 で 、弟子 入 りは困る」 とい うん です よ。 それ ぞれ 自分 の一 家 だけでや って い るか ら食 い 込む余地 がな い。絶 望 しちゃ っ たんです ね 19。. ア ニ メー シ ョンの黎明期 にお い ては 、作家 が個 々 に制作方法 を模 索 して い た とい える。 しか し、秘密 主 義 に抗 して 、積極的 にア ニ メー シ ョン制作方法 を公 開す る者 も登場 した。 た とえば 、 当時、大阪毎 日キネ マニ ュー ス技師 であ り、 ア ニ メー シ ョン制作 のパ イオ ニ ア として知 られ る北 山は、 『 映画教育 の基礎知識 』 (1930)に お い て 「線映画 の作 り方」 とし てア ニ メー シ ョンの原 理や制 作方法 を公 開 して い る。 そ の意 図 としては 、 ア ニ メー シ ョン の 大量生産 のための集 団的制作体制 を確 立す る こ とにあ つた。. 漫画製作 は他 の映画製作 の如 く特 に利 口に立 ち回 つて経 費 を節 して作 る とい うこ と が 困難 で 、 ど うして も費やす だけ の手数 をか けなけれ ば 出来 上が らな い こ とす なわち 機械 的 に、大量的 に生産で きな い机 の 上の時 間 と手 間仕事 である点 にお いて外国 も 日 本 も少 しも相違 しない か らである (北 山 1933116)。 つ ま り、 ア ニ メー シ ョン制作 は手間、時間をか ける必要 があ るため、他 の映画制作 と同 様 に経費 を節約す ることが困難 である。 そ して 、 ア メ リカ のア ニ メー シ ョン制作体制 と比 較 して 、 日本 のア ニ メー シ ョン制作 が小 規模制作 に とどま って い る要因 を、経済的問題 と して捉 えて い るので ある (北 山 1933:17)。 アニ メー シ ョン制作 の場合、多量 の絵 を描 く必 要 が あるため、制作費 の 多 くは 、絵描 きの人件費 である。 したが つ て、制作費 の確保 は、 制作体制 の分業化 を可能 にす る条件 とな るので ある。 北 山は 「筋書 きを作 るす ぐれ た作者 の支配 下 に技術者 が忠実に仕事 をす ること」 (北 山 1933:17)が 必要 である と強調す る。そ. 19 瀬 尾 のイ ンタ ビュー を引用 (尾 崎 1986:218).. 20.

図 3  『桃太郎の海鷲』の宣伝 :『 映画旬報』(1943年 3月 11日 号 ) 奎園地菫 ワ」 封 切成 績表並 び にそ の比率 二   月   第   二   通 (れ )普 業 大連軍     (白 )再 映議 間 口   崚               口   餞 開   東  33142,43 1・ llll分 45  233467.44 1剖 4分 31 開  2=  243544.50   31日 3f)33     181411.04   3書 J4ジ )32 ̀卜   1椰    6
表 2  軍がスポ ンサーなったアニメー シ ョンー覧 初の長編アニメーションとなった『 桃太郎の海鷲』は、「大東亜戦争勃発 と共にハ ワイ海 戦に取材することとし、戦争直後に着手 した」と述べている (米 山 1942:84)。 監督である後 援制 作年タイトルスタッフ内 容 巻数海軍省1942桃太郎の海鷲企画;海軍省報道部 、演出、撮影;瀬尾光世真珠湾攻撃の成功をPR。5陸軍省報道部1942芋と兵隊作画 、撮影;片岡芳太 郎食料も欠乏するが芋をら、かして野営。1海軍省1943マレー沖海戦作画 、演出;大
図 10  朝 日新聞に掲載 され た漫画映画研 究生募集 の広告 (1945年 12月 5日 ) 漫画映画研 究生募集絵 に経験有 三十五迄男女   板橋 区練馬 30南 町一 ノ三二人五武 蔵野線江古 田下車北三丁   新 日本動画社 映画配給会社 であった東映 は、 1953年 、民間テ レビ放送が開局 され ると、 コマー シャル フィル ム としてのアニメー シ ョンの需要が高まつた。 実際、初期 のテ レビコマー シャル の 半数 がアニメー シ ョンを用いた ものである 31。 「漫画映画は広
図 12  ワヤ ン・ ク リ (松 本 1994:144) 影 絵 の共通性 に関 して は、実 際 に制 作 に従 事す るア ニ メー シ ョン制 作者 らも積 極 的 に主 張 してい た。 た とえば、海軍省委託アニメーシ ョン『 ニ ッポンバ ンザイ』 (1943)の 影絵部分を担当 し た影絵映画制作者の荒井和五郎は、影絵映画の芸術性 を高 く評価 し、次のよ うに述べてい る。 影 絵 映 画 の芸術 性 にはつ いて は 、色 々 の論 もあ る よ うで あ るけれ ども、原 始 的 、
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