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英国公文書館所蔵アーネスト・サトウの日本滞在自筆日記(1861-1884)の解読と活字化

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(1)

解 読 と活 字 化

(11610511)

平 成11年 度

平 成13年

度 科学 研 究費 補助 金

(基盤研 究(C)(2))研

究 成 果報 告書

平 成15年3月

研究代表者

(埼玉女子短期大学)

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日本 滞 在 自 筆 日記(1861-1884)の

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英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 日本 滞 在 自筆 日記(1861-1884)の 解 読 と活 字 化 第1報 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自 筆 日記 の 解 読 と 活 字 化 ・ ・ ・ …1 第2報 サ トウ 日 記 の 記 入 日 リ ス ト(1861/1V4-1926/12/31)…41 第3報 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 自 筆 日 記 の 一 部 転 写 テ キ ス ト ・ …107 (鹿 児 島x$67January: 長 崎1867September: 北 海 道1868September: 英 国1926December) 熱 海1867March,::February: 大 阪1867December: 東 京1900April-May: 参 考 文 献 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ … 朽7

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は じめ に ア ー ネ ス ト ・サ トウ(ErnestMasonSatow:1.843=1929)は 、 駐 日英 国 公 使 館 付 きの 通 訳 見 習 生(studentinterpreter)と して1861年11月 に上 海 へ 到 着 して か ら、 最 初 の う ち こそ 断 続 的 で あ り な が ら も、 次 第 に毎 日欠 か す こ と な く 日記 を 書 きつ づ け た 。 日記 執 筆 の 期 間 は66年 間 にお よ び 、 最 後 の 記 入 が192b年12月31日 で あ るの だ か ら、1929年8月26日 、86歳 で 他 界 す る2年 半 余 り前 の 、 高 齢 に 達 す る まで 継 続 で きた わ けで あ る。 本 研 究 に お い て 対 象 に 取 り上 げ た 「英 国 公 文 書 館 所 蔵 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 」 は これ に 該 当 す る 。 た え ず 座 右 に 書 物 を お いて 読 書 を し、 外 国 語 を 学 び 、 教 会 や 地 域 社 会 に 関 心 を 持 ち 、 英 国 と諸 外 国 の歴 史 文 化 を 学 ぼ う と した サ トウ は 、 勤 勉 な 努 力 家 で あ る。 そ れ だ け に 、45年 間 の 英 国 外 務 省 勤 務 に 関 連 して 書 き送 る外 交 文 書 、 こ ま め に交 わ した 私 的 書 簡 、 多 くの 新 聞 雑 誌 記 事 ・序 文 ・講 演 原 稿 と著 作 、 そ れ に この 日記 を加 え て み る と き、 指 先 の 間 に ペ ン を 握 って 書 い た 勤 勉 家 サ トウの 文 書 類 は、 想 像 を 絶 す る ほ ど の膨 大 な分 量 と な るで あ ろ う。 健 筆 家 の 生 涯 は立 派 な 労 作 を残 した と言 え る。 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記(以 下 、 特 に 断 らな い か ぎ り、 「サ トウ 日記 」 と 略 称 す る こ とが あ る)を 私 が 読 み始 め た の は 、 鹿 児 島経 済 大 学 の 助 教 授 時 代 に端 を 発 す る。 津 曲 学 園 の 留 学 制 度 に よ って1985年8月 か ら1986年9月 迄 ロ ン ドンに 留 学 して い た と き の こ と で あ る。 正 確 に は、1985年11月 か ら ロ ン ドン市 内 チ ャ ンサ リー ・レー ン(ChanceryLane) の 英 国 公 文 書 館 旧館(PublicRee。rdOffice)に 日参 して は、 鉛 筆 に よ る ノ ー トへ の 筆 写 を約 三 ヵ月 ほ どっ づ け た 。 当 時 、 館 内 に ワ ー プ ロ ・ノ ー トパ ソ コ ンの 機 械 類 を 持 ち込 む こ と は 禁 止 さ れ て お り、 昔 な が らに ノー トを 持 参 して そ こに 鉛 筆 で 書 き込 み 、 下 宿 に戻 って か ら ノ ー トを 便 りに して タ イ プ や ワー プ ロ に 打 ち込 む 。 翌 日 に は 、 打 ち 出 した も の を 公 文

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薩 摩 藩 の 起 こ した 生 麦 事 件 に端 を 発 す る薩 摩 と英 国 の 交 流 史 に興 味 を持 っ て い た 時 期 だ け に 、 生 麦 事 件 の 英 人 犠 牲 者 リチ ャ ー ドソ ンの よ うに 、 上 海 や 横 浜 に群 が っ た 若 い 冒 険 商 人 た ち の 生 態 を 知 る うえ で 、 サ トウ 日記 の 第1冊 目 は ま た とな い 資 料 と 思 え た 。 上 海 ・北' 京 と 初 期 横 浜 の 部 分 に つ いて 転 写 テ キ ス トを作 成 で きた が 、 そ の ほか は 、 西 郷 隆 盛 や ウ ィ リス 、 苗 代 川 等 、 薩 摩 藩 に関 連 す る箇 所 を 数 冊 か ら拾 い読 み して 、 ノ ー トに鉛 筆 で メ モ を す る程 度 に 終 始 した 。 な に しろ 長 期 間 、 公 務 の 時 間 的 縛 り もな い 、 文 字 通 り研 究 に 没 頭 で き、 しか も外 国 に 滞 在 して い る 日 々で あ る。 せ っか く人 生 で 最 初 に 恵 ま れ た チ ャ ンス を 有 効 に使 い た い と思 い 、 午 前 中 は大 英 博 物 館 の 自筆 原 稿 部 門 に 入 って ア ー サ ー ・シ モ ンズ の 書 簡 を ノ ー トに筆 写 す る、 午 後 に は近 くの 英 国 公 文 書 館 に か け っ け 、 サ トウ 自筆 日記 を 繙 く、 夜 は昼 間 の ノー トを ワ ー プ ロ に打 ち 込 む、 そ の 合 間 に知 り合 った 若 い 外 国 人 学 生 と学 生 寮 の パ ブ で ビタ ー の 杯 を 傾 け る、 と い う忙 しい けれ ど充 実 した 数 カ 月 で あ っ た。 そ の 成 果 は 「薩 摩 と イ ギ リス の 出 会 い 」(高 城 書 房 出 版 ・昭 和62年)の 書 中 に 、 「ア ー ネ ス ト ・サ トウ の上 海 生 活 」 と題 した一 章 と して 実 っ た ば か りで な く、 サ トウ 日記 第 一 冊 (PRO/30/33/15/1)の46頁 分 の 英 文 判 読 テ キ ス トを 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 上 海 滞 在 に 関 す る資 料 的 考 察 」 と題 して 大 学 紀 要 に 掲 載 で きた 。 そ の後 、 平 成6年5月 に は、 作 家 の 吉 村 日召氏 の 推 薦 に よ って 、 英 国 側 資 料 か ら見 た 生 麦 事 件 を 新 た に 執 筆 す る運 び に 発 展 して 、 サ トウ 日記 の 調 査 研 究 を 更 に徹 底 す る必 要 が 出 て きた 。 毎 年 夏 休 み に 入 る と渡 英 して は、 ロ ン ドン郊 外 キ ュ ウ ガ ー デ ンズ(KewGardens)の 英 国 公 文 書 館 新 館 に足 しげ く通 った 。 サ トウの 自筆 日記 帳 を 目 の 前 に して 判 読 す る機 会 は、 以 前 よ り も頻 繁 に な った 。 そ う した 流 れ の な か で 成 果 と して は、 「幕 末 維 新 を 演 出 した 外 国 人 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 」 を 市 販 雑 誌 「歴 史 と旅 」 に発 表 して み た り、 吉 村 昭 氏 の 推 薦 に よ る拙 著 「幕 末 に殺 さ れ た 男 一 一一生 麦 事 件 の リチ ャ ー ドソ ン」(新 潮 選 書 ・平 成9月 刊)の 出版 で は 、 「若 き 日の ア ー ネ ス ト ・サ トウ」 と い う一 章 に纏 め る こ とが で きた 。 更 に 、 前 述 第 一 冊 目 の 日記 に後 続 す る 英 文 判 読 テ キ ス トも、 同 時 に 完 成 して い た か ら 、" ErnestSaしow冒sEarlyJapanDiary:1862-1863"と 題 して 大 学 紀 要 に発 表 した 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 を 目 の 前 に置 き多 くの 時 間 を 費 や しな が ら、 平 成10年 迄 は 、 上 記 し た よ う に時 々 の 必 要 性 か ら生 まれ た拾 い読 み を 現 地 で 繰 り返 して い た に過 ぎ な い。 細 々 と断 続 して き た10年 余 りの サ トウ 日記 調 査 を 一 段 と徹 底 し前 進 させ て 、 少 な く と 一2一

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平 成11年 度 か ら平 成13年 度 の 三 年 継 続 の 研 究 計 画 が 、 幸 い な こ とに 認 可 され た と き に 、 上 記 の 日本 関 係 分 日記 の 一 部(1862-1884)に 集 中 す る こ と が 、 私 自身 の 当面 す る研 究 の 必 要 性 と、 そ れ に な り よ り も力 量 の 及 ぶ 範 囲 と考 え て い た 。 と こ ろ が 、 歳 月 の 進 行 と と も に 実 際 に 研 究 計 画 が 進 展 す る に と もな い、 研 究 意 欲 は膨 らむ 一 方 と な った 。 当 初 計 画 の 範 囲 を飛 び 越 え て 進 む 勢 いで 、 解 読 活 字 化 の作 業 が 進 ん だ 。 今 回 も留 学 の 際 と 同 じ現 象 が 起 き た。 チ ャ ン ス を与 え られ た こ とで 弾 み が っ き、 この 機 会 に チ ャ ンス を 最 大 限 に生 か そ う と す る傾 向 に あ る。 そ れ は そ れ で 結 構 な の で あ る が 、 そ の 分 、 相 当す るエ ネ ル ギ ー を っ ぎ込 ま な け れ ば 可 能 とな らず 、 集 中 力 と忍 耐 力 が 欠 か せ な い よ うに 思 わ れ る。 この 際 に 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ が 書 き残 した 自筆 日 記 の 一 字 一 句 を 全 て 解 読 活 字 化 して み た い 。 サ トウ 日記 の 全 体 像 に迫 りた い 、 と い うチ ャ レ ン ジ精 神 に い っ しか 襲 わ れ て い た わ け で あ る 。 実 際 に 、 年 度 末 ご と に 提 出す る実 績 報 告 で は、 日本 関 係 の 期 間 を 次 第 に越 え て い き、 最 後 的 に は66年 間 の 生 涯 に まで 、 研 究 対 象 を 延 長 で きた と報 告 す る こ と に な った 次 第 で あ る。 こ こで は 先 ず 最 終 的 に解 読 活 字 化 で き た 自筆 日記 の 数 量 を示 して お き た い 。 当初 計 画 の 判 読 作 業 に 該 当す る 自筆 日記(1862-1884)の 頁 数 は約2537頁 で あ る 。 最 後 的 に判 読 で きた 全 自筆 書 簡 の 総 頁 数 は約9373頁 と な り、 当 初 計 画 の 約3,7倍 の 分 量 に 達 した 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウの 自筆 日記 は 、 本 人 が 一 字 一 句 を 生 涯 に わ た って ペ ンで 書 い た もの で あ り、 そ れ を 後 年 の 私 ど も は 便 利 な ワ ー プ ロ を 使 い 、 解 読 して 活 字 化 し転 写 テ キ ス ト (transcriptions)を 作 成 す る。 作 業 形 態 は違 っ て い て も、 サ トウ本 人 の 手 書 き文 字 を 丹 念 に辿 る こ とで 、 私 は こ の3年 の 間 に 彼 の66年 間 を生 き た よ うに 思 わ れ た 。 タ イ プ を 打 っ 自分 の 指 先 か ら、 サ トウ の 呼 吸 や 心 の 動 き が 伝 わ って き た と感 じた 瞬 問 もあ る。 当初 計 画 を 進 展 させ て 膨 大 な 資 料 の 山 の 山頂 を きわ め よ う とす る、 無 謀 な 挑 戦 を 自分 に 課 した こ と で 、 今 回 、 よ うや くサ トウ 自筆 日記 の 全 体 像 の 把 握 が 、 国 内 外 で 初 め て 達 成 で き た こ と を 無 事 報 告 す る と もに 、 この 稀 な 機 会 を 与 え て い た だ い た 科 研 費 補 助 金 の 制 度 に、 あ らた め て 深 く感 謝 した い と 思 う。

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英 国 公 文 書 館(PublicRecordOffice,KewGardens)が 所 蔵 す る ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 は 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 文 書 コ レ ク シ ョ ン の 一 部 で あ り 、 そ の 分 類 番 号 お よ び 日 記 冊 数 は 、 以 下 の 通 り で あ る こ と を 調 査 過 程 で 確 認 し た 。 分 類 番 号PRO/30/33/15/1-17:冊 数 ・17 PRO/30/33/16/1-12:12 PRO/30/33/17/1-10:10 サ トウ 日記 全 冊 数39 本 研 究 の な か で ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記(略 称 サ トウ 日記)と 呼 ん で い る もの の 他 に、 日記 類 と して 、 旅 先 で 記 した メ モ 帳 と、 旅 に携 行 した 別 冊 の 旅 先 日記 帳(J。umal。f Journies)を 同 じ英 国 公 文 書 館 は 所 蔵 して い る。 こ れ らを 総 称 して こ こ で は 「旅 日記 」 と 呼 ん で み た い ・ 通 常 の 意 味 で の 曜(dia「y)ζ は言 え な い もの の ・ 本 研 究 との 関 連 で1煙 要 な 資 料 で あ る こ と に違 い な い。 そ こ で 、 以 下 に そ の 分 類 番 号 ・頁 数 ・タ イ トル ・執 筆 時 期 に つ い て 確 認 した 概 要 を 述 べ る。 PRO/30/33/17/11/185pp・:TravellingNotes(日 本 国 内 ・旅 の メ モ):1879,.., PRO/30/33/17/12/263pp.:JournalofJournies(日 本 国 内 旅 日 記): 1881/7,1881/8,1882/2,1882/5,.1882/8-9,1882/11, PRO/30/33/17/13/1嶋PP・:TravelsinSiamVol.1(シ ヤ イ ア ム 日 言己):../4-1885/12. PRO/30/33/17/14/103PP.:TravelsinSiamVol.2(シ ヤ イ ア ム 日 記):../::./2. PRO/30/33/17/15/21PP.:TravelsInSiamVol.3(シ ヤ イ ア ム 日 記):1886/2-1886/4. pRO/30/33/17/16/129pp.:Chiuzenji1895-1900(中 禅 寺 旅 日 記):1885/8-1900/4. サ トウ 「旅 日記 」 全 冊 数6 「旅 日記 」6冊 の な か で 、 今 回 の 計 画 進 行 中 に解 読 と活 字 化 を 終 え て い る もの は、 「日 :登三

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滞 在 に 該 当 す る 部 分 で あ る 。 「旅 日 記 」 の う ち で 本 研 究 の 対 象 か ら 除 外 し た も の に つ い て 、 以 下 に そ れ ぞ れ の 内 容 と 除 外 し た 理 由 を 指 摘 して お き た い 。 第 一 の 資 料PRO/30/33/17/11/185(日 本 国 内 ・旅 の メ モ)は 、 鉛 筆 書 き の 断 片 的 メ モ で あ っ て 、 日記 体 の も っ 連 続 性 の 叙 述 に 欠 け て い る 。 そ れ で サ トウ 日 記 の 範 躊 に 入 ら な い と 判 断 し た 。 「シ ャ イ ヤ ム 日 記 」(PRO/30/33/17/13-15)の3冊 分 は 、 す で にNige!Bradleyに よ る 解 読 活 字 化 が 終 わ り 、ADiplomatinSiamと 題 す る 翻 刻 版 が1994年 に 出 版 さ れ て い る 。 そ こ で 、 こ れ も本 研 究 か ら は 除 外 し た 。 本 研 究 の 進 行 過 程 に 平 行 し て 、IanRuxtonが 解 読 活 字 化 を 進 め て い た 「中 禅 寺 旅 日 記 」

(PRO/30/33/17/16)は 、 後 述 す るTheDiaries。fSirErnestSatow-一 一BritishMinister

inTokyo(1895-1900)の 巻 末 に 収 録 さ れ る こ と に な っ た。 そ れ で 、 こ こ で は 研 究 対 象 か ら 除 外 し た が 、 今 後 、 私 の 転 写 テ キ ス トと ラ ッ ク ス ト ン ・テ キ ス トと を 丹 念 に 比 較 検 討 し て み た い と 考 え て い る 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ の 自筆 日記 の 総 体 は 、 上 記 の 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日 記 」6冊 を 加 え た45冊 で 構 成 され て い る 。 そ の うち三 年 間継 続 の 本 研 究 計 画 の 進 行 過 程 で 、 実 際 に 解 読 と活 字 化 を 達 成 で き た もの は 、 「サ トウ 日記 」39冊 と 「旅 日記 」2冊 を 合 わ せ た41冊 と な る 。 サ トウ 日記39冊 の 解 読 活 字 化 は、 内 外 で 初 め て の こ とで あ ろ う。 全 体 像 を把 握 で きず に い た の で 、 最 初 に 表1を 作 成 して み た 。 「表1:サ トウ 日記 の 自筆 原 稿(manuscripts)と 転 写 原 稿(transcriptions)の 概 算 」 に は、39冊 の 自 筆 日記 の 頁 数 、 お よ び私 の 解 読 活 字 化 した 転 写 テ キ ス ト(A4版 ・一 行40文 字 ・半 角 英 字 入 力 ・一 頁30行)の 枚 数 を リス ト して あ る。 上 記 表 の 頁 数 や 枚 数 は 、 あ くま で も概 算 で あ る。 と い うの も、 サ トウ の 自筆 日記 帳 は 、 糊 付 け した 新 聞 記 事 の 切 り抜 き等 を 多 く含 ん で お り、 そ れ ら も 自筆 原 稿 の 頁 数 に 入 って い

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で な い か らで あ る 。 頁 に よ っ て は数 行 の こ と もあ る。 それ に 日付 が 変 わ る た び に 、 一 行 の 空 白 行 を 入 れ て タ イ プ して あ る。 更 に、 前 述 した 新 聞 切 り抜 き等 の 添 付 資 料 に っ い て も、 タ イ プで き る 資 料 は、 可 能 な か ぎ り全 て 打 ち 込 む よ うに した 。 以 上 の よ うな 理 由 か ら、 転 写 原 稿 の 枚 数 は 多 少 と も膨 れ 上 が って し ま っ た。 い ず れ に せ よ そ れ ほ ど多 数 の 枚 数 に は な らな い。 全 体 で200枚 前 後 の 膨 張 と推 定 して い る。 39冊 分 の ア ー ネ ス ト ・サ トウ 自筆 日記 帳 は、 表1計 算 に よ れ ば 、 総 頁 数 で9,373頁 とい う計 算 に な った 。 ま た 、 私 の 転 写 テ キ ス トの 枚 数 は、6457枚 に な っ た 。 本 研 究 の報 告 と い う こ とで 、 実 際 に タ イ プ作 業 を 終 え た 自筆 資 料 の総 量 は 、 上 記 した よ う に 「旅 日記 」2冊 分 を 加 え た ら、9765頁 と な り、 ほ ぼ1万 頁 を タ イ プ に 打 ち 込 ん だ と 言 って よ い の で あ ろ う。 転 写 テ キ ス トの 方 は 、6645枚 の 概 算 とな る。 ほ ぼ6500枚 の コ ピ ー 用 紙 分 の 文 字 を打 ち込 ん だ と言 って よ い で あ ろ う か。A4版 の コ ピー用 紙6500枚 を 積 み 重 ね て み た ら、 腰 の 高 さ に 達 した 、 と言 え ば数 量 的 に 分 か りや す い か も知 れ ず 、 記 念 に撮 影 した 写 真 の コ ピー を 本 報 告 書 に 添 付 して み た くな る ほ ど の分 量 な の で あ る。 解 読 活 字 化 の作 業 を 終 え た39冊 の 日記 帳 に つ い て 、 概 要 だ けで も纏 め 報 告 して お き た い と考 え た 。 後 述 す る よ う に 、 約1万 頁 近 い サ トウ 日記 分 の 転 写 テ キ ス ト約6500枚 を 本 報 告 書 に発 表 で きな い事 情 が あ る。 単 純 計 算 した だ け で6500頁 の 報 告 書 に な って しま うか らで あ る 。 ま た 、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 把 握 す る手 だ て と して は、 各 日記 帳 につ い て の 概 要 説 明 は 、 有 効 な 一 っ の 手 掛 か り資 料 に な る と も思 わ れ た。 そ こで 、 第1報 巻 末 に は、 サ トウ 日記 帳 全39冊 を 対 象 と して 、 項 目 に そ った 各 日記 帳 の 解 説 を 行 い 、 表 の よ うな か た ち で 掲 載 す る こ と に した。 概 要 の 項 目 は 以 下 の 通 りで あ る。 各 日記 帳 の 資 料 登 録 番 号 ・頁 数 PAGENATION(日 記 帳 で の 頁 の 付 け 方) PERIOD(執 筆 期 間) PENMANSHIP(判 読 の 難 易 度 ま た は筆 跡) EDエTエNG(紙 面 の 使 い 方) FEATURES(主 に内 容 的 な 特 色) ENCLOSURES(糊 付 け され た 新 聞 切 り抜 き や サ トウ の 自筆 イ ラ ス ト等) 一6一

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を記 入 す れ ば よ い 。 第1報 巻 末 に 掲 載 す る 「サ トウ 自 筆 日記 の 各 冊 概 要 」 で は、 英 国 公 文 書 館 の 資 料 登 録 番 号 に っ つ く、pp・ の 表 記 の 場 合 が そ れ に あ た る。 この 一 般 的 な 方 法 に よ って 原 資 料 に 頁 番 号 が入 って い る こ とを 示 す 。 ま た 、ff.と か ユeavesと い う表 示 に な る もの が 多 出 す る。 こ の種 の 頁 番 号 付 け の 方 法 は 、 手 書 き の 書 簡 や 自筆 原 稿 の 場 合 に 採 用 され て い る。 紙 面 の 表 紙 に番 号 を 入 れ 、 紙 面 裏 面 に は 番 号 を入 れ な い 。 そ れ で 、 枚 数 計 算 に よ る番 号 付 け とな る。 サ トウ 日記 第2冊 を 例 に と っ て み る と、ff・1-189aと い う表 示 は、 1枚 目の 紙 で は 裏 表 に、189枚 目 の 紙 も裏 表 に、 日記 が 書 か れ て い る こ と を意 味 して い る。 従 って 、 第2冊 目 は通 常 の頁 数 に換 算 す る と な れ ば 、189枚 の2倍378頁 が 総 頁 数 と い う 計 算 を 示 して い る。f・189は 紙 面 の 表 頁 に あ た り、f:189aは 同 じ紙 の 裏 頁 に あ た る か らで あ る。 3)第2報 に つ い て 一 一書 誌 的 整 理 と の 関 連 を 中 心 に 本 研 究 の 目的 の 一 っ は、 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 を 解 読 して 活 字 化 す る こ との ほ か に 、 そ の 作 業 に基 づ い て 、 当 該 自筆 原 稿 の 書 誌 的 な 整 理 を す る こ と に あ っ た 。 書 誌 リス トに 記 載 した い 事 項 に は 、記 入 の あ る 日毎 に そ って 、 日記 の 年 月 日、 資 料 登 録 番 号 、 記 入 頁 、 執 筆 場 所 、 キ ー ワ ー ド等 が あ が られ よ う。 本 報 告 書 で は 、 この 詳 しい 書 誌 リス トの発 表 を 断 念 せ ざ る を え ず 、 後 日の 機 会 に譲 る こ とに した。39冊66年 度 分 の 全 サ トウ 日記 を対 象 に扱 う に は 、 書 誌 リス トだ け で200頁 が 必 要 に な る た め で あ る。 そ こで 、 印 刷 頁 数 の 節 約 を も っ ぱ ら念 頭 に入 れ た概 略 リス トを作 成 した 。 表2「1867年 度 日記 執筆 の 日付 ・場 所 ・言 及 内 容 」 はそ の 一 例 で あ る。1867年 度 分 だ け を こ こで 例 に選 ん だ 理 由 は 後 述 す るが 、 幕 末 最 後 の 多 忙 な 活 動 の 時 期 に あ た り、 サ トウ の 日記 記 入 も比 較 的 多 い方 の 年 に あ た っ て い る。 簡 略 化 した この 種 の リス トだ け で も、 全 サ トウ 日記 分 を 網 羅 した ら、 本 報 告 書 の100頁 が 必 要 に な る こ とが 判 明 した。 そ こで 今 回 の 報 告 書 に お い て は 、 最 終 的 に 書 誌 的 整 理 を 更 に 簡 略 した 第2報 の 形 式 を 採 用 す る こ と に

(13)

トウ の 自筆 日記 帳 全39冊 を 対 象 に 扱 い 、 日記 を 書 い て い る年 月 日 の リス トと した 。 年 度 と と もに 更 に 月 別 に 分 け て い る の で 、 い つ 日記 執 筆 が盛 ん と な り集 中 して い る か 、 全 体 像 を 一 目 で 概 観 で き る。 ま た 、 ど の 時 期 、 どの 特 定 日に 、 日記 の 記 入 が あ るか ど うか 、 に っ い て も分 か りや す い。 今 後 、 新 た に若 手 研 究 者 が 原 資 料 に あ た る さ い に 、 一 種 の チ ェ ッ ク リ ス トと して 現 場 で 使 って い た だ け た らよ い 。 ま た 、 右 端 の 備 考 欄 に は 、 年 度 毎 に 資 料 番 号 を 細 か く示 して あ る の で 、 必 要 な 年 月 日の 原 資 料 を 英 国 公 文 書 館 で 請 求 す る際 に 、 活 用 し や す い便 宜 さ も考 慮 に入 れ て 作 成 した 。 「旅 日記 」 と の 関 連 性 も この リス トを 使 っ て 検 討 可 能 に な るで あ ろ う。 「サ トウ 日記 の 記 入 日 リス ト」 に 空 白 とな っ て い る 日に 、 「旅 日記 」 を 執 筆 して い る こ とが 、::1年 年 代 を 中 心 に して 発 生 す るか らで あ る。 日記 を 書 き つ づ け る こ と に つ い て 、 ア ー ネ ス ト ・サ トウ本 人 は ど う意 識 し、 ま た 、 ど ん な 考 え方 を 持 って い た の か 。 サ トウ 日記 の 中 に は 、 こ の点 に関 連 す る言 及 が 数 回 あ る 。 そ の ほ か 、 サ トウの 自叙 伝 に も興 味 深 い発 言 が 見 られ る。1921年 に ロ ン ドンで 出 版 され た サ トウ の 自叙 伝 「一 外 交 官 が 見 た幕 末 維 新 」(ADIPLOMATエNJAPAN)の 初 版 序 文 に お い て 、 次 の よ うに 述 べ て い る 。

A diary kept almost uninterrupted from the day I quitted home in November

1861 constituted the foundation [of A DIPLOMAT IN JAPAN], while my memory

enabled me to supply additional details. It had never been my purpose to

relate my diplomatic experiences in different parts of the world, which

came finally to be spread over a period of altogether forty-five years,

and I therefore confined myself to one of the most interesting episodes in

which I have been concerned. This comprised the series of events that

culminated in the restoration of the direct rule of the ancient line of

sovereigns of Japan which remained in abeyance for over six hundred years.

(1).7)

一8一

(14)

に 終 始 して い る。1$70年 は わ つ か1日 分 しか 日記 を 書 い て い な い 。 とて もrほ とん ど途 切 れ る こ とな く」 と形 容 で き る状 態 で な い の で あ る 。 こ れ も1880年 代 か ら は次 第 に こ ま め に な って い き、1910年 代 か ら1920年 代 にか け て は 、 ほぼ 連 日 の執 筆 に発 展 した 。 前 述 した 「シ ャイ ア ム旅 日記 」 翻 刻 版 を 纏 め たGeorgeAユexanderLensenは 、 サ トウ 日 記 の 自 筆 原 稿 と転 写 テ キ ス.トの膨 大 さに つ い て 、 次 の よ うな 感 想 を 述 べ た こ とが あ る 。 後 述 す る 第3報 と の 関 連 もあ る の で 、 す こ し長 くな るが こ こ で 引 用 して お きた い。

Satow kept a series of diaries throughout most of his long life. They

became more detailed with time, as Satow's responsibilities increased and

as his conversations gained in importance. Thus Satow's personal record

of his stay in Japan and China in 1895-1906 is about twice as long as his

account of the two decades that he had spent in Japan earlier. It

consists of over 3,000 manuscript pages. Although handwritten, the

entries, particularly during the stay in Japan, are greatly appreviated

by a form of "speedwriting," so that they would total, if published in

full, about the same number of printed pages. To have published the Satow

diaries, even those dealing only with the period from 1895 to 1906, in

their entirety would havbeen prohibitive. Nor would it have been

worthwhile. Satow diaries, like any diaries, are clutteredwith

personal reminders of passing interests and with the hundrum of office

routines. Instead, it seemed best to delet trivial and to_paraphrase the

less significant entries. Even then the material remained too bulky, and

disconnected for publication.

(KOREA AND MANCHURIA, pp.16-7)

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以 前 、 幕 末 の 日本 沿 岸 や 中 国 海 域 に配 置 され た 英 国 軍 艦 、 例 え ば第3報 で 取 り上 げ る ラ トラ ー 号(Rattler)等 の 、 推 進 か ら沈 没 か 廃 船 す る ま で の 動 き にっ い て 、 英 国 公 文 書 館 所 蔵 の 航 海 日誌 を 数 冊 調 べ た こ とが あ る 。 そ の と き に 軍 艦 に も 人 の 生 涯 に似 た 「生 きて い く」 こ と の 浮 き沈 み や運 命 が あ り そ うに 想 像 で き た 。 今 回 の サ トウ 日記 の 研 究 過 程 に お い て も、 同様 の イ メ ー ジを 味 わ った 瞬 間 が あ る 。 こ れ だ け膨 大 な サ トウ 日記 に は 、 人 生 と 似 た 日記 自体 の 「生 きて い く」物 語 が あ り そ うに 感 じ られ た 。 日記 の 文 面 の 内 部 だ け に 閉 じ こ も り、 日記 執 筆 の 過 程 を 物 語 の 形 に纏 め 、 「ア ー ネ ス ト ・サ トウの 日記 物 語 」 と題 した 新 書 版 を 早 め に 出 版 で き る よ う に、 目下 準 備 を 進 め て い る 。 本 研 究 の 成 果 の 一 部 で あ る と 明 記 して 出 版 で き る 日 まで 、 転 写 テ キ ス トを 繰 り返 し読 み 直 す こ とが 、 今 後 の 課 題 の 一 っ と思 う。 4)第3報 に つ い て 一 一解 読 活 字 化 の 作 業 と伝 記 研 究 に 関 連 して 上 掲 引 用 文 に お い て サ トウが 述 べ て い る よ うに 、 自叙 伝 の 執 筆 に は第 一 次 資 料 の 利 用 が 欠 か せ な い 。 未 刊 の ま ま の 自 筆 日記 や 書 簡 等 を 含 め て 、 そ れ らを 私 的 文 書(autograph persOnalpapers)と 英 国伝 記 作 家 達 は呼 ん で い るが 、 自叙 伝 に 限 らず 、 後 年 の 伝 記 研 究 や 伝 記 執 筆 に お い て も不 可 欠 の 資 料 で あ る こ と に相 違 な い 。 サ トウ略 伝 を 書 き上 げ て み た い た め に 、 第 一 次 資 料 の 一 っ と して サ トウ 日記 の 一 角 、 日本 滞 在 期 間 に 限 定 した 解 読 活 字 化 の 作 業 に取 り組 ん だ はず で あ る の が 、 す で に述 べ た よ う に全 生 涯 を対 象 とす る伝 記 研 究 に まで 作 業 の 幅 が 広 が っ て しま った 。 サ トウ 自身 が 上 掲 引 用 文 の 一 っ で 述 べ て い る よ うに 、 長 い外 交 官 生 活 の な か で も、 若 い 日 々 を 送 った 幕 末 日本 の エ ピ ソ ー ドは、 確 か に サ トウ 日 記 の な か で 光 彩 を 放 っ て い る。 表2に 掲 載 した1867年 度 日記 執 筆 の リス トか ら明 らか な よ う に 、 幕 末 維 新 の な か で 特 に活 躍 の 際 立 って い るの は1867年 に あ た る。 本 報 告 書 で は 、 こ の 年 度 を 中 心 に して 数 本 の 転 写 テ キ ス トを 選 び 、 掲 載 す る こ と と した 所 以 で あ る 。 掲 載 した 転 写 テ キ ス トに地 名 を 日本 語 で 入 れ て 区別 して あ るの で 、 以 下 の 解 説 で は 地 名 に よ って 資 料 の 区 別 を す る。 最 初 の 「鹿 児 島 」 で は、1867年1月12日 兵 庫 ・神 戸 で 実 現 した 西 郷 隆 盛 との 会 見 模 様 が 一10二

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ちで 、 「遠 い崖 」 の 叙 述 ス タ イ ル は 進 行 す る。 「西 郷 と サ トウの 会 話 に もど ろ う 」 と い う 言 葉 が 差 し込 ま れ て い る例 の よ うに 、 一 頁 の 三 分 の 一 程 度 か 、 半 頁 ほ ど に わ た る長 い 解 説 も と き に 発 生 す る。 そ の た め に会 話 や 物 語 の 流 れ を 中 断 して しま う こ と も起 き え る。 また 、 「老 中 の 板 倉 周 防 守 」 とい うよ う に、 サ トウ 自 筆 日記 に な い 「老 中 の 」 とい う類 の 枕 詞 を 頻 繁 に注 入 して い るが 、 日本 の読 者 を考 え た親 切 で あ ろ う。 読 み 方 に よ って は 、 サ トウ 自 身 の 口 か ら 「老 中 の 」 と断 っ て い る か の よ うに 、 読 者 に受 け 取 られ か ね な い 。 原 文 に 忠 実 に 翻 訳 を して 、 訳 者 編 者 の 注 は[括 弧]の な か に入 れ る方 が 、 明 確 に な りそ うで あ る 。 ま た 、 「水 戸 家 の 出 で あ る 自分 の 弟 の 民 部 大 輔 」 に も、 原 文 で は"hisrelati◎n"と あ って 、 「弟 」 と は 明 記 して い な い 。 こ の点 も 日本 の 読 者 の た め の 親 切 の 現 れ な の か も知 れ な い が 、 行 き過 ぎで あ る よ う に も思 わ れ る。 サ トウ ・西 郷 会 談 の くだ りで は 、 自筆 日記 の 二 箇 所 に 削 除 訂 正 が あ る。 例 え ば 、"ltis yOurlastpoint"を 削 除 して 、"ltISagreatpity.."と サ トウ は 訂 正 して 書 き直 して る もの を 、 「兵 庫 問 題 は あ な た の 最 後 の 拠 点 な ん で す ね 」 とい うよ う に 、 削 除 箇 所 を 追 加 して 訳 出 して い る の は 、 な ぜ な の か 理 解 で きな い。 「茶 碗 む し(か?)」 、 と疑 問 符 を っ けて 訳 して い る箇 所 の 原 文 に は 、"ochamushi"と あ る。 この よ うな 場 合 に 他 の 箇 所 で は 、 疑 問 符 の 形 を と らな い ケ ー ス も散 見 して 、 一 貫 性 が な い の で あ る 。 例 え ば 、 人 物 確 定 が で き な か っ た ら しい 、 と 推 測 さ れ る 西 郷 の 変 装 名 ShimadzuSachiuに して も、 「島 津 サ チ ュ ウ」 と力 タ カ ナ入 り の 書 き方 を採 用 して い る。 疑 問 符r島 津 サ チ ュ ウ(か?)」 と して 統 一 性 を 持 た せ るの もよ し、 前 述 した 訳 者 編 者 用 の [括 弧]書 きの 方 法 を 終 始 使 い 、 一 貫 性 を持 た せ る こ と も可 能 で あ った 。 最 後 に 、 西 郷 と の 会 見 の 始 ま り に お い て 、 寡 黙 が ち な 西 郷 に 当 惑 した サ トウ は、"the manlookedsostolidandwouldnotspeak"と す る 印 象 を 書 き残 して い る。 効 果 的 な 表 現 と思 わ れ るsしOlidは 、 西 郷 ら しい風 貌 を読 者 の 眼 前 に彷 彿 と させ る。 そ れ が 訳 出 で は、 「か れ は じっ に 鈍 感 そ う に見 え た 」 と な って い る。 そ の あ と に続 く解 説 に サ トウ 自叙 伝 か ら同 じ場 面 を 引 用 して 、 「鈍 感 そ う」 で は あ りえ な い と分 か っ て い る はず な の に で あ る。 西 郷 隆盛 は 「黒 ダ イ ヤ の よ うに 光 る大 き な 眼 を して い て 」 と解 説 して い るの で あ る か ら、

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い もの と感 じた 。 以 上 の よ うに 細 か い 点 に気 づ き は して も、 全 体 的 に み る と き、 故 萩 原 延 壽 著 「遠 い崖 」 は 分 か りや す く流 れ を っ か ん だ 優 れ た叙 述 で あ り、 大 きな 欠 陥 もな く慎 重 に 自筆 資 料 を 判 読 した 過 程 が 推 定 で き る 。 本 研 究 の 当 初 計 画 で 予 定 して い た サ トウ 日記 の 時 期 は、 「遠 い崖 」 の 扱 う時 期 を 考 慮 し て 設 定 した もの で あ っ た 。 サ トウ 日記 の 自筆 原 稿 全 体 の な か に 、 この 日本 滞 在 の 時 期 を お い て み る と き、 全 体 の27%に あ た る。 ま た 、 故 萩 原 延 壽 氏 が 、 英 国 公 文 書 館 で サ トウ 自筆 の 日記 帳 を繙 き な が ら、 ノ ー トに 鉛 筆 で 読 ん だ 結 果 を 書 き込 ん で い る こ と、 そ れ に39冊 全 て に 目 を通 して い る こ と、 そ の 二 点 は叙 述 の な か か ら判 明 す る。 問 題 は 、 全 体 の27%部 分 の 英 文 転 写 テ キ ス トを手 書 きで あ れ 、 タ イ プ され た テ キ ス トで あ れ 、 す べ て 作 成 して い るか ど うか で あ る。 この 点 に つ い て は上 に 述 べ た 鉛 筆 書 きの ノー トな り、 あ る い は他 の か た ち で あ れ 、 い ず れ にせ よ 手 書 き の 判 読 テ キ ス トを 作 成 して い る と推 定 で き る。 他 の か た ち、 と述 べ た の は 、 「遠 い 崖 」 に 頻 繁 に使 用 して い る ウ ィ リス 自 筆 書 簡 に 関 連 して 、 鹿 児 島 県 立 黎 明館 に は故 萩 原 延 壽 の もの で な い 友 人 の 手 に な る ウ ィ リ ス文 書 の 手 書 き判 読 テ キ ス トが 届 け られ て い る た め で あ る 。 あ りえ な い想 像 で あ る け れ ど、 自筆 原 稿 を 読 み な が ら、 英 文 の メモ を 作 る の に あ わ せ 、 同 時 に 直 接 自筆 原 稿 か ら 日本 語 に翻 訳 して しま う、 と い う作 業 も可 能 な の で あ る。 大 きな 仕 事 を 残 され た だ け に 、 厂遠 い崖 」 の 執 筆 に あ た って 基 礎 資 料 とな った はず の 、 転 写 テ キ ス トの 実 在 と公 表 を 期 待 して い る。 後 に述 べ る よ う に、 仮 に本 研 究 に よ る転 写 テ キ ス トが CD出 版 され る こ とに な れ ば 、 「遠 い崖 」 と原 文 とCDテ キ ス トとの 相 互 比 較 が 容 易 に な るで あ ろ う。 この 比 較 問 題 は い つ か 論 考 して み た い と思 って い る 。 「熱 海 」 の 転 写 テ キ ス トの 方 は 、 す で に 上 記 した よ うに 、1867年3月 と..年2月 の 二 度 の 熱 海 滞 在 を 記 した 内 容 で あ る。 多 忙 な 公 使 館 勤 務 の 間 に骨 休 み に訪 れ る の に 、 横 浜 ・ 東 京 か ら適 当 な 距 離 に あ った か ら、 中 禅 寺 と な らび 、 熱 海 の 湯 煙 や 風 物 を サ トウ は愛 した 。 活 気 に み ち た1867年 の 日記 に も、 この よ う に長 閑 な 生 活 の 一 面 が あ った こ とや 、 そ れ に 旅 仲 間 の 顔 ぶ れ を 明 らか に した い 、 と い う主 に伝 記 的 な 関心 が あ って 、 こ こ に 掲 載 す るよ う に選 ん で み た 。 しか し、 そ れ だ け で は な い。 1867年3月 の 熱 海 滞 在 につ い て は、 自叙 伝 に お いて(ADIPLOMAT,p・194)、 「特 記 す る 一12一

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間 接 的 に 巻 き込 ま れ た英 国 人 関 係 者 な の で あ る。 拙 著 「幕 末 に 殺 さ れ た 男 」 で は 、 マ ー シ ャ ル 夫 人 と ア ス ピナ ル に っ いて 詳 し く描 い て み た こ とが 思 い 出 され た。 幕 末 の 英 国 人 の生 活 や伝 記 に 関心 を抱 く研 究 者 に と って は、 見 逃 す こ との で きな い 「横 浜 一 行 」 の面 々 と考 え られ る。 上 掲 引 用 文 の 一 つ に お いて 、 膨 大 な 資 料 を 前 に した レ ンセ ン は ・ °ltseelnedbesしtodeletetrivialandしoparaphrasethelesssignificant entries"と い う判 断 を 示 して い る。 ど う な ので あ ろ うか 。様 々 な関心 を持っ 読者 や 、研 究 者 の 複 数 の 眼 を 転 写 テ キ ス ト作 成 者 が 意 識 して お くべ きで は な い の だ ろ うか 。 ト リ ビ ァ ル で 重 要 性 に欠 け る と思 い削 除 した い 箇 所 が 、 実 は 、 読 む 人 に よ っ て は興 味 深 い一 節 で あ りえ る。 そ の 意 味 で 、 翻 訳 に あ た っ て も、 ま た 翻 刻 版 を発 表 す る に際 して も、 可 能 な か ぎ り サ ト ウ の 意 向 を 組 み 、 原 文 を 丹 念 に 読 ん で 忠 実 に 再 現 す る の が 、 最 善 の 策 な の で あ る。 そ う し た 考 え 方 の 根 拠 とな る一 例 と い う観 点 か ら も 「熱 海 」1867年 テ キ ス トを 選 ん で み た。 「熱 海 」1882年 テ キ ス トは 、 ハ ング ル を2月23日 と2月25日 の 二 箇 所 に入 れ て い る 「二 人 の 子 供(NIAHI)」 と 「オ カ ネ(OKANU)」 の よ うに 読 め る け れ ど、 恐 ら く、 武 田 兼 と二 人 の 男 の 子(栄 太 郎 と久 吉)、 そ れ に女 中 を伴 な った 親 子 水 入 らず の 湯 治 の つ も りで 、 熱 海 行 き を 選 ん だ の か も知 れ な い 。 そ う推 測 す る段 階 に あ り、 ま だ 確 証 はで き な い。 こ の 頃 、 ハ ン グル を 学 ん で い た にせ よ 、 こ こ に来 て 急 に英 文 の 合 間 に 登 場 す る に は 、 それ な り に 隠 して お た い心 理 が 働 い て い る 内 容 と思 わ れ る。 サ トウ 日記 に は こ う した 側 面 が あ る。 そ れ で も、後 年 に な って 読 み 返 して い るに 、 訂 正 した り削 除 を せ ず に、 後 世 の 私 ど もに 手 渡 して い るわ け で あ る。 そ れ に もそ れ な りの 理 由 が あ るの だ ろ う。 ハ ング ル 語 の 出 現 は 、 サ トウ の 隠 され た 日本 で の 私 生 活 に っ いて 、 全 体 的 に論 考 す る際 に 、 見 落 と して は な らな い 箇 所 と考 え られ た の で 、1867年 「熱 海 」 テ キ ス トに追 加 した 。 厂長 崎 」(/867年9月)と 厂大 阪 」(1867年12月) 、 これ ら二 つ の 転 写 テ キ ス トは、 上 記 「鹿 児 島 」 で 述 べ た こ と と関 連 す るが 、 サ トウの 情 報 源 と懇 親 の 場 面 を彷 彿 さ せ る好 資 料 で あ り 、幕 末 維 新 に 関 す る サ トウ 日記 の 史 料 性 の 面 白 さ を 明 らか に した い 目的 か ら、 特 に 選 ん で 掲 載 した。

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宗 谷 沖 座 礁 事 故 に巻 き込 ま れ て い る。 珍 しい遭 難 体 験 を して い る と思 うの で 、 本 報 告 書 に 掲 載 した わ け で あ る。 そ れ と、 サ トウ の 自叙 伝 で は(ADIPLOMAT,p.385)、 巻 末 近 くで 短 い 言 及 を して い るだ け で あ り、 サ トウ 日記 と 自叙 伝 の 関 連 性 を 考 え る上 で も、 一 っ の 材 料 を 提 供 して い る と考 え た 。 自筆 日記 を 資 料 に 使 い 、 自叙 伝 を 書 く にせ よ 、 或 い は伝 記 を 書 くに して も、 この よ うな 取 捨 選 択 が 行 わ れ る もの な の だ 。 事 実 の 連 鎖 と、 物 語 や 歴 史 は 、 べ っ もの な の で あ る。 以 下 に 転 写 テ キ ス トと比 較 す る た め に 自叙 伝 の 素 っ気 な い 当該 箇 所 を 引用 して お く。 ラ トラ ー号 座 礁 時 の 体 験 が 、 サ トウ の生 涯 に お いて 伝 記 的 に意 味 あ る もの で あ る こ と は 、 こ の と き苦 労 を と もに した 船 長 ス テ フ ァ ン ソ ンの 死 亡 記 事 切 り抜 きを 後 年 の 日記 帳 に糊 付 け して い る一 事 を 見 た だ け で も分 か る。

From September 8 to October 17 Adams and I were absent on a wild-goose

chase after the Russians who are reported to be occupying the northern

coast of Yezo, in the course of which H.M.S. "Rattler," in which we had

embarked, was wrecked in Soya Bay. But as this was not concerned with the

progress of political events in Japan, it seems unnecessary to occupy

space in narrating our experiences. We were rescued by the French

corvette "Dupleix," Captain du Petit Thours.

「東 京 」(1900年4-5月)の 転 写 テ キ ス トを 掲 載 す る 理 由 は 、 エanRuxtonに よ る転 写 テ キ ス トとの 比 較 が 可 能 に な っ た た あ で あ る。 解 読 活 字 化 の 研 究 者 が 共 有 す る問 題 点 を項 目 別 に指 摘 して 、 本 研 究 計 画 の 総 括 に した い た め で もあ る 。 ラ ッ ク ス トンに 固 有 して 発 生 し た 問 題 と い う よ り も、 私 自身 も侵 しや す い 誤 読 な ど の 問 題 点 で あ る こ と は 、 予 め お断 り し な け れ ば な らな い 。 他 人 の ア ラ や ミス は 見 つ け や す く、 自分 の 侵 す 間 違 い に気 づ か な い の が 、 この 種 の 作 業 の 特 徴 で あ る。 よ ほ ど慎 重 を 期 さ な い か ぎ り、 ミス の 回 避 は 神 業 と言 え る 、 と私 も 日 頃 か ら実 感 して い る。 ○ 省 略 記 号 の 扱 い 方 。 上 掲 引 用 文 の 一 つ で レ ンセ ンは 、 サ トウの 得 意 と す る省 略 法 に 言 及 し、"speedwriting"の 方 法 を話 題 に した 。 な に も これ は サ トウ に 限 られ た技 術 で な 一14一

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文 で レ ンセ ンが 言 及 して い る よ う に、 印 刷 さ れ た 文 字 数 は 、 当 然 、 膨 張 す る 。 省 略 を 正 す こ とで の メ リ ッ トと デ メ リ ッ トが 生 じ る か ら、 ど ち らの 芳 法 を 採 用 し た らよ い か 、 簡 単 に決 め られ な いで あ ろ う。 私 は原 文 に忠 実 な再 現 を 原 則 に して 、 活 字 化 の 作 業 に あ た って き た の で 、 本 報 告 書 で は省 略 を原 文 の ま ま 保 存 した 。 ラ ッ ク ス ト ンの テ キ ス ト と の 比 較 で 誰 もが 最 初 に気 づ く相 違 点 は、rand/&」 の 扱 い 方 で あ ろ う。 巻 末 の 略 語 リ ス トに ラ ッ クス トンは 、 これ(&)を 加 え て い な い。 他 に も頻 出 す る 略 語 厂thro'」 や 「 rlwy.」rComr.」rcOrrespce.」 な ど、 多 くの もの を リス トに 加 え て い な い サ トウ 流 の 省 略 は、 そ れ な りに 一 貫 性 を も って い るの で 、 読 み 慣 れ て くれ ば 、 研 究 者 は 即 断 で き る もの が 多 い。 そ れ に 、 省 略 した場 合 に、 ピ リオ ッ ドf・ 」 を い っ も入 れ て い る。 そ う い う意 味 で もサ トウ は 、 几 帳 面 な 性 格 な の で あ る。 そ れ にraOrrespondence」 を 「 correspce・ 」 と 省 略 す る 場 合 の よ うに 、 語 頭 と語 尾 の 文 字 を 組 み 合 わ せ て い るか ら、英語 力 の あ る人 に と って 、 容 易 に判 読 で き る もの ば か り と も言 え よ う。 ま た 、 ラ ック ス トンは 略 号 を 正 して み た り、 略 号 の ま ま 残 して み た り、 作 成 した テ キ ス トに 一 貫 性 が な い こ と残 念 に思 う。 一 例 は、 同 一 頁(p・439)で 「c.」とrwitn」 に起 き て い る♂!Teac.Mrs.KirkwOod"と い う よ うに 、 略 語rc.」 を 原 文 の ま ま に保 存 した 。 そ れ が 数 行 下 に移 る と、"contentthemselvesWlthapieceofground"と な り、rc.」 を rwith」 に 直 して い る。 結 論 的 に言 え ば 、 原 文 の 略 語 は、 保 存 す る か た ち が 適 切 で あ る と考 え る。 ○ 日付 の 記 入 法 。 この 点 に つ いて は第1報 巻 末 に 掲 載 す る 各 日記 帳 の 解 説 に詳 細 を 述 べ て あ る の で 、 こ こで は 問 題 点 だ け を 簡 単 に ふ れ て お き た い 。 日本 語 文 書 で も 「以 下 同 じ」 と い う意 味 を 表 す の に 、 略 号 「"」 を 用 い る こ と が あ る。 サ トウ 日記 の 場 合 、 同 月 の 記 載 が 同 じ頁 の 紙 面 上 で 続 くと きな ど に 、 「21April」 「22"」 の よ うに 月 名 を 省 略 す る 傾 向 に あ る。 ラ ッ ク ス トンの 転 写 テ キ ス トで は 、 変 更 を 断 らず に 、 略 した 月 名 を フ ル 名 に 直 して い るが 、 これ もサ トウ ら し い筆 致 の 感 触 や 、 ま さ に ス ピー ド ・ラ イ テ ィ ン グ の 日記 ら し さを 多 少 と も削 ぐ原 因 に な りか ね な い。 編 集 者 用 の 追 加 記 号 を 使 え ば 、22[April.]と 表 記 で き た はず で あ り、 この 点 も残 念 な 編 集 方 法 の 採 用 と 思 わ れ た 。

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は 失 格 、 と い う 評 価 に 発 展 す る た め で あ る 。 こ れ が 怖 く て 、 丹 念 に 何 度 も 、 自 筆 原 稿 (manuscripts)と 自 分 の 転 写 原 稿(transcriptiOns)を 読 み 比 べ 、 読 み 直 す わ け で あ る 。 と り わ け 、 私 の よ う に 英 語 を 母 国 語 と し な い 日 本 人 研 究 者 に は 、 こ の 点 、 ど こ ま で も 慎 重 で あ り た い も の で あ る 。 1900年4月11日 分(p・440)で は 、 「Hideしada」 を 「Hideyoshi」 と 誤 読 し 、 編 集 者 の 注[T。y。tOmエ]ま で 追 加 して し ま っ た 。 1900年4月17日 分(p.441)で は 、 「 しobemadeif」 を 「t。bemadeupif」 と 誤 読 し て い る 。 こ れ は 英 文 の 読 み に 日 頃 か ら 慣 れ て い る 英 米 人 研 究 者 が 、 「if」 はrup」 と 似 て 見 え る の で 誤 読 し た 上 に 、 自 分 の 意 識 の 上 で 「madeup」 と い う 作 文 を し た 二 重 の 誤 り の 結 果 で あ ろ う か 。 日 本 人 研 究 者 に は こ の 種 の 誤 読 は 、 あ ま り 起 こ り え な い 。 1900年4月18日 分(p・441)で は 、 「missions」 を 「missi。n」 と 誤 読 し て い る よ う で あ る 。 複 数 形 の 「s」 の 読 み は 、 サ トウ 日記 の 場 合 、 筆 跡 が 明 確 で な く 判 断 し か ね る こ と が 多 々 起 き る 。 1900年5月 旧 分(p.444)で は 、rC.H.Hay」 を 「C.H.Hayes」 と 誤 読 して い る が 、 rC.H.Hay,asonofoneoftheHayes」 と い う 文 章 の 流 れ の な か で 、 英 語 に 強 い は ず の 英 米 人 研 究 者 で も こ の よ う な 単 純 な ミ ス を 起 こ す の で あ る か ら 、 日 本 人 研 究 者 は よ ほ ど 謙 虚 に な っ て 日 頃 か ら英 書 を 読 み 漁 り、 英 語 力 を 高 め て お き た い も の と 思 っ た 。 1900年5月2日 分(p・445)で は 、 「attacks。nprivatevillages」 と ラ ッ ク ス ト ン は 判 読 し て い る が 、 「attacksonpiratevillages」 と 読 み た い 、 と 私 は 考 え て い る 。 ま だ 決 め か ね て お り 、 な お 慎 重 に 文 脈 の 中 で 検 討 して み た い 箇 所 で あ る 。 ○ 欠 落 。 最 後 に も っ と も避 げ た い 見 落 と しを 扱 わ な け れ ば な ら な い 。 こ の 失 敗 の 繰 り 返 し も 、 転 写 テ ス トを 作 成 す る 研 究 者 に は 、 こ れ ま た 致 命 傷 に な り か ね な い 。 時 間 を 惜 し む こ と な く、 丹 念 に 自筆 原 稿 と 、 自 分 の 作 成 した 転 写 原 稿 と 、 読 み 合 わ せ さ え す れ ば 避 け ら れ る も の で あ る 。 こ こ で 比 較 対 象 に し た ラ ッ ク ス トン の 翻 刻 テ キ ス トの 、 わ ず か10頁 余 り の な か に も 、 誤 読 と と も に 欠 落 が 発 生 し て し ま い 、 そ れ も 数 カ 所 で 起 き て い る 点 か ら判 断 す れ ば 、 印 刷 す る ま え に 十 分 な 時 間 を 注 入 した 「見 直 し作 業 」 を 怠 っ た 結 果 と 評 価 せ ざ る を 得 な く な る 。 そ れ だ け 解 読 活 字 化 の 作 業 は 、 慣 れ と と も に 、 た え ず 謙 虚 な 姿 勢 で 原 文 を 読 み 取 る 気 持 一16二

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1900年 明12日 分(p・440)で は 丶 「subterfuges(he…Redensarten)」 と い う よ う に 、 丸 括 弧 が 欠 け て い る 。 1900年4月19日(p.X41)で はrShaws」 の 前 に あ るrthe」 を 読 み 落 と して い る 。 1900年 明20日 分(p.442)で は 、rCheeしham」 の 後 に 続 け て 、 原 文 で はfCheetham, Lay&」 と な っ て い る の に 、 人 名 の 「Lay」 を 見 落 と し て し ま っ て い る 。 1900年5月2日 分(p.4眞5)で は 、 起 き て は な ら な い 飛 ば し読 み の 大 き な ミ ズ が 発 生 し て い る 。 一 行 分 の 欠 落 で あ る 。 ラ ッ ク ス ト ン の テ キ ス ト に 、 「gOupYangtze,andsee ChangChi-Tung」 と あ る箇 所 が 、 原 文 で はrgOupYangtzeasfaras工Chang,giving af。rtnighttoYangtze,&seeChangChi-tung」 と 記 さ れ て い る 。 発 生 原 因 は 二 つ 考 え ら れ る 。 一 つ に は 、 原 文 に 同 じ 文 字 「Yangtze」 が 近 く で 二 度 出 て く る と こ ろ か ら 、 下 の 行 の 「Yangtze」 の 方 に 目 移 り して 、 中 間 の 一 行 を 飛 ば して 読 ん だ た あ で あ る 。 こ れ は 流 れ 作 業 の よ う に 転 写 し て い れ ば 、 誰 に も起 こ り得 る ミ ス で は あ る 。 問 題 は 、 印 刷 の 前 に 原 文 と の 読 み 比 べ を 慎 重 に し な か っ た 点 に あ る 。 「英 国 」(1926年12月)の 転 写 テ キ ス トは 、 サ ト ウ 日記 の 最 後 の 一 ヵ 月 分 を 判 読 し た も の で あ る 。 書 体 は 乱 れ て き て 、 読 ん で い て も 痛 々 し さ を 感 じ る け れ ど 、 最 後 ま で 勤 勉 に 努 力 し、 端 正 に 生 き た 姿 は 、 た と え 乱 れ た 筆 跡 で あ ろ う と も、 行 間 か ら 読 み 取 れ る 。 お わ りに 学 生 時 代 に読 ん だ 書 物 の 中 で 、 量 か ら質 へ の転 換 、 と い う発 想 を 学 ん だ 。 な に か 新 しさ を 開 発 で き る とす れ ば 、 凡 人 に と って は この 方 法 で あ ろ うか 。 途 轍 もな く多 量 の 時 間 と精 力 を 注 入 した 解 読 活 字 化 の 作 業 が 終 わ っ た。 転 写 テ キ ス トは 未 だ 粗 削 りな状 態 に あ る け れ ど も、 サ トウ 自筆 日記39冊 分 を こ な し終 え た 。 本 報 告 書 の 段 階 ま で に、 サ トウ 日記 の 全 体 像 を 眺望 す る地 点 に到 達 した の で あ るか ら、 今 後 の サ トウ研 究 と執 筆 の た め に し っか り と し た基 盤 を 形 成 で き た と 自負 して い る。

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年 号 自 筆 原 稿 転 写 原 稿(A4版 年 号 自筆 原 稿 転 写 原 稿(A4版 (頁 数 概 算) 30行 の 枚 数) (頁 数 概 算) 30行 の 枚 数) 1861 1 1 1895 235 149 1862 158 99 S・. 192 132 1863 33 15 1897 179 99 1864 57 37 1898 180 120 1865 50 35 ;・ ・ 198 130 2・ ・ 12 15 1900 245 148 1867 234 118 /901 145 155 .. 189 99 1902 325 165 S.・ 25 15 1903 238 142 1870 2 5 1904 374 216 1871 82 41 1905 272 173 1872 105 59 1906 188 121 1873 63 30 1907 201 141 1874 11 5 ・1: 82 71 1875 76 42 1909 127 105 1876 93 83 1910 137 111 1877 131 91 1911 140 115 SS 105 63 1912 169 141 1879 112 83 1913 160 128 SSA 71 43 1914 163 131 :: 42 25 1915 167 137 it 23 17 1916 143 128 S: 90 69 1917 136 131 :: 142 92 1918 130 120 :: 197 117 1919 135 124 i2. 142 82 1920 166 142 Si 150 81 1921 139 13⊥ ↓ ::i 85 61 1922 148 137 SS・ 56 48 1923 171 140 1890 90 62 1924 221 114 1891 176 102 1925 208 179 1892 197 125 1926 210 132 1893 164 110 1894 285 176 合 計 9373 6457 一18一

(24)

r

(y/m/d) orWriting [encld:] (y/m/d) orWriting

[encld.]

1867/1/1 atsea Argus 1867/5/25 Akazaka inkago

2 Kagosima 集 成 館 26 Hamamatsu onfOO七

3 Kagosima Niiro 27 Kakegawa A.Gower

4 Kagosima Sutcliff 28 Kakegawa 3girls

5 atsea Uwajima 29 Shinada Sしag

6 Uwajima Prince 30 Fushima sake

7 Uwajima Noguchi 6/1 Mishi皿a eels

8 Uwajima banquet 2 ontheroad hayaoi

9 Mitarai Kura 3 Yedo nosleep

10 Shodozima 七eahouse 7/23 for}{akodat}e bySnap

11 Hiogo Glover's 2b anchored inNambu

12 Hiogo Saigo 27 Hakodate Howell

2/7 Yokohama toOsaka 28 HakOdaしe rambled

9 Hiogo Kerr 29 Hakodate SirH.P.

30 Hakodate BuしZOW

[ff.1-2,3photos] 31 Hakodate theatre

8/1 aしsea Matsumae 10 Hiogo Otoyosan 2 Niigata 80junks

11 Osaka Cardew 3 Niigata Governor

12 Osaka KOmaしSU 4 Niigaしa Salamis 13 Osaka Mitsui 5 atsea Sado

14 Osaka ・

Pユpes 6 Nakawamine しoNoしO

15 Osaka Yoshii 7 Kanazawa 酒 造 家

8 Kanazawa Abe

[ff.7-7a,2printerof 9 Kanazawa Nanao

Japaneseしe皿plesl 10 onthe-.road Shiwo 11 onthe-road Tsubata

16 Osaka Matsuki 12 Kanazawa my策 論

77 Osaka toSakai 14 ontheroad Komatsu

15 Kanadzu scissors

[f.11a,photoincluding 16 Fuchiu Torinoko

Satow,Noguchi,Mitford] 17 Nakanokawachi goodinn 18 ontheroad sekisho

18 Osaka purchase 19 ontheroad Hkone

19 Osaka Aidsu's 20 Kusa七SU Mitford

20 Hiogo guards 21 onahouseboat nosleep

21 aしsea Yokohama 22 Osaka SirH.P. 25 Yedo Ichikawa 24 Osaka Aston

3/21 Yokohama Fosters 25 Osaka Roches

23 on.board Argus 26 Osaka Saigo

24 Atami Toby 30 Osaka 舌 官

25 Hakone しhelake 31 Osaka Awaji

26 Odawara honjin 9/1 Osaka ,

review

27 Oiso onfoOし 2 atsea Wadasaki

28 Fujisawa bette 3 Susaki GOしQ

29 Yedo inkagos 4 Susaki seeGoto

31 Yedo Krisしan 5 Susaki Goしo

4/1 Yedo JO「oyao 6 Susaki Hirayama

5/18 Osaka inboaし 7 atsea Nankai

19 Kusatsu honjin 8 Kochibay Goto

20 Nakasendo Wirgman 9 Susaki Nankai

21 Shono Shima 11 Shimonoseki Inouye

22 Kuwana dealer 12 Nagasaki Kaしsura

23 Miya namoshi? 13 Nagasaki Flowers

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Date PlaceofVisit Remarks Daしe PlaceofVisit Remarks

(y/m/d) orWriting [encld.] (y/m/d) orWriting [encld.]

1867/9/15 Nagasaki Hirayama 1867/12/23 Osaka oysしer

16 Nagasaki Yokobuye 24 Osaka Chief

18 Nagasaki Hirayama 25 Osaka Kasuya

19 Nagasaki Katsura 28 Osaka Hayashi

20 Nagasaki Salamis 29 Osaka Igano

21 Nagasaki Niiro 30 Osaka Gemba

22 Nagasaki Glover's 林 宇 一 31 Osaka £700 23 Nagasaki 24 Nagasaki myphoし ○ 25 Nagasaki 迎 陽 亭 26 Nagasaki しyphoOn 27 Nagasaki bowls 28 Nagasaki Hirayama 9 29 Nagasaki bankday 30 Nagasaki Saigo 10/1 Nagasaki mypupil 2 Nagasaki Hirayama 3 Nagasaki Cachon 4 Nagasaki whisし 5 Nagasaki Flowers 6 Nagasaki Suwa 7 Nagasaki Hirayama 8 Nagasaki ・ ・ yorial 10 Nagasaki Glover璽s 11 Nagasaki Rionoske 12 Nagasaki Macao 13 atsea Straits 14 Hiogo midnight 15 atsea Oshima 16 Yokohama midnight 11/6 Yedo geisha 16 Yedo TycOOOn 18 Yedo Mikado 25 Yedo Kaneko 26 Yedo 吉 井 幸 輔 27 Yokohama Tetsu 28 Yokohama wander 29 onboard Rattler 30 weighed daylight 12/1 atsea Oshima 2 Osaka Tempozan 3 Osaka onshore 4 Osaka repairs・ 5 Osaka Mitford 6 Osaka Saigo 7 Osaka Sansei 8 Osaka curios■ 12 Osaka toHiogo 13 Osaka festival 1耳 Osaka Yoshii 15 Osaka 中 江 恭 平 16 Osaka Saigo 17 Osaka Legation 18 Osaka Taikun's 19 Osaka nonews 20 Osaka Saigo 一20一

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(27)

PAGENATION:厚 め の 紙 にleafOaと し て 片 面 で 書 き は じ め た も の の 、 巻 末 に き て 裏 面 白 紙 を 逆 向 き に 使 っ て 書 き つ づ け た か ら、 総 頁 数344pagesに な る 。 PERIOD:!Nov.4,1861か らJan.15,1866の 長 い 期 間 に 渡 る 。 PENMANSHIP:大 き な 字 で 丁 寧 に 書 か れ て い る の で 判 読 は 容 易 で あ る 。 EDITING:小 見 出 し の た め に 開 け た 枠 が 全 体 的 に 狭 く 、 日 付 の 確 認 が 紛 ら わ し い の に 、 巻 末 で1863年4月 の 記 述 を 再 開 し た と き に は 、 対 照 的 に 三 セ ン チ ほ ど の 広 い 幅 を 作 っ て お り 、 こ の 変 化 は 通 訳 見 習 い の 傍 ら 、 外 交 文 書 の 清 書 を さ せ られ た お り の 正 式 文 書 の 様 式 に 学 ん だ も の と 思 わ れ る 。pp.149-52は 上 か ら 白 紙 で 糊 付 け し て 隠 し て お り 、 な ん ら か の 後 日編 集 の 意 図 を 感 じ さ せ る 。 FEATURES:異 国 で の 珍 し い 日 々 の 体 験 を 楽 し そ う に 綴 っ て い る 。 ENCLOSURES:巻 頭 に はSatOwCasしle,Middlesexと 記 し た 一 枚 の 写 真 が 添 付 さ れ て お り 、 そ こ に は 母 親 と 姉 を 思 わ せ る 二 人 の 女 性 が 玄 関 先 に 立 っ て い る 。 ア ー ネ ス ト ・サ ト ウ 日 記 第2冊PRO/30/33/15/2ff.1-189a PAGENATION:leaves1-189aと 枚 数 記 入 な の で 総 頁 数 は378pagesに な る 。 PERIOD:幕 末 の 年1867年2月7日 か らi.:年10A17日 ま で の 動 乱 期 に あ た る 。 PENMANSHIP:公 使 館 で の 清 書 の 仕 事 に 精 進 す る 間 に 、 書 き 慣 れ た 小 さ な 文 字 に 変 わ っ て き た が 、 判 読 しや す く 読 ん で 気 持 ち の 良 い 自 分 の ス タ イ ル を 形 成 し た 。 EDITING:日 付 を 入 れ る 小 見 出 し の 広 い 枠 を 取 り 、 年 月 日 の 他 、April2,Tuesday の 様 に 曜 日 も 入 っ て い る の で 、 日 付 の 確 定 が 容 易 で あ る 。 但 し 、 糊 の 染 み が 多 々 あ っ た り 、 こ の 日 記 帳 は 薄 め の 紙 質 で あ る の で 、 裏 面 の 文 字 が 染 み て 読 み に く い 。 FEATURES:ア ー ネ ス ・サ トウ の 名 前 を 幕 末 維 新 史 に 残 し た 記 念 す べ き 活 躍 が 日 々 に 描 か れ て い る 日 記 で あ る の で 、 本 報 告 書 に は 主 に 第1冊 の 巻 末 部 分 と こ の2冊 目 ! の1867年 度 分 の 判 読 テ キ ス ト を 選 択 し て 掲 載 す る 。 ENCLOSURES:MembersOfthefirstExpeditiontoOsakaと 記 入 の あ る 集 合 写 真(f.11a)に は 、 サ ト ウ 、MitfOrd、 野 口 富 作 な ど 七 名 が 写 っ て い る 。 -21一

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PERIOD:1868年11A6日 か ら"1871年8月13日 ま で を 扱 っ て い る 。 PENMANSHIP:イ ン ク の 文 字 が 霞 ん で き て お り 、 判 読 に 支 障 が 出 る 。 EDITING:年 に よ っ て 量 的 に バ ラ バ ラ の 記 入 で あ り 、1870年 に は ほ と ん ど 日 記 を 書 い て い な い 。 FEATURES:西 郷 、 大 久 保 、 小 松 な ど 薩 摩 藩 の 重 臣 と 会 見 ・交 遊 し て い る 描 写 が 眼 前 に 浮 か ぶ よ う な 叙 述 を 含 ん で い た り 、 「五 家 之 荘 」 「米 良 」 等 の 人 名 を 日 本 語 で 書 き 加 え て い る 。:・ ・年 ま で は 伸 び や か な 書 体 で 書'い て い た の が 、1870年 に は わ つ か な 記 述 で も 筆 致 が 一 変 し、 生 活 の せ わ し な さ を 感 じ さ せ る 。 ENCLOSUREgS:写 真 や 新 聞 切 り 抜 き な ど 一 切 の 添 付 物 、 そ れ に 自 筆 イ ラ ス ト な ど も 一 切 入 っ て い な い 。 ア ー ネ ス ト ・ サ ト ウ 日 記 第4冊PRO/30/33/15/4pp .2-330 PAGENATION:各 頁 に 番 号 を 打 っ て お り 、 総 頁 数 は334pagesで あ る 。 PERIOD:1871年8月18日 か ら1875年12月30EIま で の 期 間 に 該 当 す る 。 但 し、1875年 12月30日 と 翌 年1876年1月1日 の 二 日 分 に つ い て は 、 別 紙(PP .323A-323B)の 四 頁 分 を 挿 入 して あ る の で 、 時 系 列 の 配 置 に な ら な か っ た 。 PENMANSHIP:濃 い イ ン ク で 流 れ る よ う な 書 体 で 綴 っ て い て 判 読 し や す い 。 EDITING:日 付 や 小 見 出 し の た め に 設 け て い る 左 端 の ペ ー ス が2セ ン チ ほ ど の 幅 で 取 っ て あ る 特 別 な 日 記 帳 を 使 い な が ら 、 な ぜ か 本 文 の 行 頭 に 合 わ せ て 日 付 を 引 っ 込 め 、 確 認 を 困 難 に し て い るAug.21[1871]の 様 な 例 が 多 々 見 ら れ る 。 FEATURES:途 切 れ が ち な 日 記 が 或 る 期 間 に 継 続 し て い る の は 、 主 に 小 旅 行 の 思 い 出 を 記 す 目 的 の た め で あ ろ う 。 ENCLOSURES:pp.237-240に は 小 旅 行 の 間 に 渓 谷 で 遭 難 の 危 険 に さ ら さ れ た ア ト キ ン に よ っ て 書 か れ た も の と 思 わ れ 、 筆 跡 が サ トウ の も の と 違 っ て い る 。

(29)

PAGENATION:枚 数 計 算 に よ っ てleaves1-203aで あ り 、 総 頁 数 はXO6pagesに な る 。 PERIOD:1876年1月2日 か ら1879年10月25日 ま で の 期 間 に 相 当 す る 。 PENMANSHIP:小 さ な 文 字 で 書 か れ て あ り 、 多 少 読 み に く い 箇 所 が 散 見 す る EDITING:日 付 の 見 出 しを し っ か り と 記 し て い な い 箇 所 も 多 々 あ っ た り 、 単 に 日 だ け を 記 し て い る 場 合 も あ る の で(1877年 明18日 等)日 付 の 確 認 が 紛 ら わ し い 1878年7月 の 記 述 に 見 る よ う に 、 こ の 頃 か ら訂 正 や 加 筆 が 目 立 つ よ う に な る 。 FEATURES:鹿 児 島 大 学 医 学 部 の 前 身 と な っ た 赤 倉 病 院 を 創 設 し た 友 人 の ウ ィ リ ス や 苗 代 川 の 薩 摩 焼 「壼 屋 」 を1877年2月 に 訪 問 し た 思 い 出 が 綴 ら れ て い る 。 ENCLOSURES:1877年4月17日 か ら24日 ま で 甲 府 経 由 で 東 海 道 に 出 る 徒 歩 旅 行 の 途 中 、 携 帯 し た バ ロ メ ー タ で 一 日 に 何 度 も 測 定 を し て 作 成 し た 各 地 の 標 高 を 記 し た 詳 し い リ ス トが 添 付 さ れ て い る 。 ア ー ネ ス ト ・ サ ト ウ 日 記 第6冊PRO/30/33/15/6ff .1-73a PAGENATION:leaves1-73aに 記 入 さ れ 、 総 頁 数 で は146pagesに な る PERIOD:1879年11月15日 か ら1881年12A27日 ま で の 記 入 で あ る 。 PENMANSHIP:大 き あ の 字 で 、 単 語 と 単 語 の 間 に ゆ と り を 置 き 、 全 体 的 に 伸 び 伸 び と 書 い て い る の で 判 読 し や す い 。 公 使 館 で 課 せ ら れ た 外 交 文 書 の 清 書 作 業 の 間 に サ ト ウ ら し い 綺 麗 な 書 き 方 が 体 得 で き た も の と 思 わ れ る 。 EDITING:左 端 に 日付 記 入 の た め の 空 白 ス ペ ー ス を 十 分 に 取 っ て あ り 、 ま た 年 月 日 の 表 記 も 分 か り や す く 、 丁 寧 な 書 体 と あ い ま っ て 、 全 日 記 の う ち で も 最 も 気 持 ち 良 く 読 め る も の に な っ て い る 。 FEATURES;夕 食 会 に 行 く 途 中 で 馬 車 の 左 車 輪 の 事 故 が 起 き て 、 身 体 を 支 え よ う と し た サ ト ウ は 、 右 手 首 を 捻 挫 し て し ま う 。 そ れ で 、1880年11A8日 の 日 記 は 慣 れ な い 左 手 で 書 い た た め に 、 丁 寧 な サ ト ウ の 書 体 か ら 一 変 す る 。 ENCLOSURES:な し。 -23一 聖

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PENMANSHIP:ff.56a-57に は 記 入 日 の 時 系 列 に 混 乱 が 見 ら れ る も の の 、 そ れ 以 外 は 読 み や す い 細 字 で 綺 麗 に 書 か れ て い る 。 EDITING:小 見 出 し の 空 白 ス ペ ー ス を 設 け て 、 日 付 の 記 入 に 活 用 し て い た り 、 こ の 頃 は 細 字 の ペ ン を 使 い 、 流 れ る よ う に 気 持 ち の 良 い 書 き 方 に 戻 っ て い る 。 但 し 、 SS年3月4日 と5日 は 、 先 行 す る3月3日 の 月 名 を 見 出 し に 用 い た 珍 し い 省 略 形 に な っ て い る 。 FEATURES:こ れ ま で に も 時 折 、 人 名 等 の ハ ン グ ル 文 字 が 日 記 に 登 場 し て い た の で あ る が 、 こ の 頃 に は ハ ン グ ル 語 の レ ッ ス ン を 受 け て お り 、 長 い 文 章 も 散 見 す る 。 ENCLOSURES:な し 。 ア ー ネ ス ト ・サ トウ 日 記 第8冊PRO/30/33/15/8ff.1-74a PAGENATION:leaves1-74aの 構 成 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに な る PERIOD:S:年3月24日 か ら..年4月3日 の 期 間 に あ た り 、 こ の 頃 か ら次 第 に 一 年 に 一 冊 の 日 記 帳 と い う サ トウ の 意 図 が 推 察 で き る よ う で あ る 。 PENMANSHIP:こ の 頃 の 特 色 と な っ た 細 字 の 流 れ る よ う な ス タ イ ル で あ る 。 EDITING:薄 手 の 紙 質 は 判 読 に 困 難 を 伴 う が 、 な ん の た め に 、 と 思 い た い ほ ど の 広 さ で 空 白 ペ ー ス を 各 頁 左 端 に 取 っ て い る た め 、 日 付 の 確 認 は 容 易 で あ る 。 FEATURES:Siamを 中 心 に 東 南 ア ジ ア に 関 す る 記 述 が 多 く な り 、 日 々 に 提 起 さ れ る 問 題 点 を 項 目 別 の 見 出 し と 下 線 に よ っ て 分 け て い る 。 こ の 点 も 、 こ れ ま で に 見 ら れ な い ス タ イ ル で あ る 。 そ れ だ け 日 記 執 筆 の 目 的 が あ く ま で も 私 的 な 異 国 生 活 や 旅 行 記 録 で あ っ た の が 、 公 的 な 仕 事 の 私 的 覚 書 と い う 性 格 を 帯 び た 変 化 と 言 え る 。 ENCLOSURES:添 付 した 写 真 や 新 聞 記 事 な ど は 皆 無 に 近 い 。 唯 一 の 例 外 は 、:: 年7月1耳 日 バ ン コ ク 発 、THEFRENCHANDS工AMと 題 す る 四 行 の 切 り 抜 き で あ る 。

(31)

PAGENATION:leaves1-73の 記 入 で あ り 、 総 頁 計 算 で は145pagesに な る 。

PERIOD:先 行 す る 第8冊 の 継 続 分ii年4月3日 か ら::年11A13日 ま で の 一 年 に

満 た な い 記 録 で あ り 、 一 日 分 に 多 数 の 頁 を 費 や す ケ ー ス が 続 出 す る 。 PENMANSHIP:読 み や す い 小 さ な 文 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る 。 EDITING:左 端 に 十 分 な 空 白 ス ペ ー ス を 開 け て 、 日 付 の 小 見 出 し に 活 用 で き て い た り 、 サ ト ウ 日 記 ら し い 全 体 の 落 ち つ き が 感 じ ら れ る 。 FEATURES:前 冊 と 同 様 に 項 目 立 て を し て 、 見 出 し の 項 目 に 下 線 を 引 い て い る 。 外 交 官 と し て の 日 常 的 業 務 に つ い て 私 的 記 録 に 残 して お き 、 自 分 の 発 言 や 指 示 を 後 日 に 日 記 帳 で 確 認 す る 必 要 が 出 て き た た め の 日 頃 の 慎 重 な 準 備 と も 受 け 取 れ る 。 ENCLOSURES:leaves2-3の 四 頁 分 は 、 当 時 の 通 常 の 書 簡 用 紙 を 挿 入 し た も の で あ る 。 先 行 す る 日 記 帳 に 散 見 し た こ と で は あ る が 、 こ こ で も わ ず か な イ ラ ス ト (壺 、f.41>が 描 か れ て い る 。 ア ー ネ ス ト ・ サ ト ウ 日 記 第10冊 PRO/30/33/15/10ff.1-74a PAGENATION:leaves1-74aの 記 入 で あ り 、 総 頁 数 で は148pagesに な る 。 PERIOD:1885年11月.:か ら::・ 年12月::ま で の 一 年 余 り の 期 間 に あ た る 。 PENMANSHIP:細 め の ペ ン を 使 い 、 大 き め な 文 字 で 書 い て い る の で 判 読 し や す い 。 ii.年6月25日 分(f.28)の 日 付 と し て 、25Kobeと い う サ ト ウ 日 記 で は 珍 し い 表 記 が あ る 。 EDITING:項 目 別 に 見 出 し を 付 け て い る の も 先 行 す る 日 記 帳 と 同 じ で あ る 。 左 端 の 小 見 出 し ス ペ ー ス は 、 通 常 一 頁 の 五 分 の 一 前 後 で 十 分 で あ っ た も の が 、 四 分 の 一 を 占 め る な ど 、 不 必 要 に 広 く な っ た ケ ー ス(f.12)も 出 て い る 。 FEATURES: ENCLOSURES:f.19と 番 号 の 入 っ て い る 通 常 の 書 簡 用 紙 一 枚 三 頁 分 の サ ト ウ 自 筆 メ モ(MemorandumforMr.French)が 挿 入 さ れ て い る 。 一25一

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PERIOD:前 冊10の 最 終 記 載1886年12月::分 を 継 続 す る こ と か ら 始 め 、 巻 末 の 記 載 は1887年11月18日 ま で の ほ ぼ 一 年 間 の 日 記 で あ る 。 PENMANSHIP:比 較 的 小 さ な 細 め の 文 字 で 丁 寧 に 書 い て い る 。 判 読 し や す い 。 EDITING:外 交 文 書 の 記 述 法 を 踏 襲 し 、 左 端 の 小 見 出 し ス ペ ー ス を 十 分 に 取 り 、 こ こ で は 更 に 一 歩 進 ん で 項 目 間 を 一 行 空 き に し て い る 。 FEATURES:湿 気 の た め か 紙 に シ ミが 目 立 っ て き て い る 。 ENCLOSURES:写 真 等 の 添 付 物 が な く て 記 述 本 位 で あ る も の の 、 左 端 空 白 ス ペ ー ス を 使 っ て こ れ ま で に も短 い 文 章 の 追 加 が 見 ら れ た 。 そ れ が 細 か い 文 字 で 書 け ば 二 、 三 の 英 単 語 が 十 分 に 入 る ス ペ ー ス で あ る と こ ろ か ら 、 こ の 日 記 帳 で は 例 外 的 に 長 い 文 章 の 挿 入 が 見 ら れ る(f.16)。 ア ー ネ ス ト ・ サ ト ウ 日 記 第12冊 PRO/30/33/15/12ff.1-99 PAGENATION:leaves1-99の 枚 数 記 入 が あ り 、 総 頁 で は197pagesに な る 。 PERIOD:ii年11月21日 か ら1890年9月15日 ま で の 長 期 間 に 及 ぶ 。 PENMANSHIP:適 切 な 紙 質 の 帳 面 に 小 さ な 文 字 で 流 れ る よ う に 書 い て い る 。 部 分 的 な 例 外 は 、 英 国 へ 帰 国 して い た1888年 の 夏 の ロ ン ド ン で 、8月11日 に は 医 師 の 診 断 を 受 け た り 体 調 不 良 を 起 こ し て お り 、 同 年9月 の 日 記 に は 多 少 と も 荒 い 筆 致 が 見 え る 。 他 の 箇 所 に も あ る 。 EDITING:頁 左 端 に 小 見 出 し用 の 罫 線 が 縦 に 印 刷 さ れ て い る の で 、 日 付 は ほ ぼ 自 動 的 に そ の 欄 に 記 入 し て い る 。 FEATURES:日 記 執 筆 の 模 範 と 言 え そ う な 書 き 方 で あ る 。 小 見 出 し 、 日 付 、 行 間 、 文 字 間 隔 、 筆 致 、 訂 正 や 汚 れ の 有 無 、 等 の 角 度 か ら判 断 し て の 評 価 で あ る 。 ENCLOSURES:礼 拝 資 料(S.Paul'sCathedral,1888/10/29),ff.42-47a。

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