• 検索結果がありません。

「教える」から「学ばせる」国語 : 『山月記』に学ぶ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「教える」から「学ばせる」国語 : 『山月記』に学ぶ"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 「教える」から「学ばせる」国語 : 『山月記』に学ぶ. Author(s). 高橋, 一嘉. Citation. 国語論集, 18: 193-204. Issue Date. 2021-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11640. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 「 教 え る 」から「 学 ば せる 」国 語 ~『 山 月 記 』に学 ぶ~ は じめ に 「言葉で表現する」とは本来、不完全なことである。不完全で あるが故に、その状況に相応しい的確な表現を求めて、人は思考 を 繰 り 返 す 。「 考 え る 」 と は 、 本 来 そ う い う こ と で あ る 。 そ れ は コミュニケーションを通して深められていくものでもある。学習 指導要領にある「主体的、協働的に学ぶ」とは、こうしたコミュ ニケーションをベースにした「考える」ということが基本になけ ればなりません。言語を使って「考える」という活動は、本来楽 しいものでもある。国語教師は、その楽しさの奥にある深い学び に気づかせ、生徒を知的にインスパイアさせることが役割だと思 う。とすれば言葉を学ばせる国語の授業は、当然その目的に沿っ て授業を組み立て、展開されなければならない。内容主義に偏ら ず、言語技術とのバランスの中で 授業は 組み立て られ、知的面白 さを演出しなければならない。 今回は小説『山月記』を教材にし、クリティカルリーディング を通して生徒の人格形成にインスパイアする深い学びを目的にし た「主体的、協働的に考える」授業の日常を紹介したいと思う。. 高 橋 一 嘉. ). 理 解 分 野 (深 いアプロー チ) 展 開 2 テク スト分 析 ( 1 )「 人 物 像 分 析 」 李 徴 、 袁 傪 の 人 物 設 定 像 の 分 析 (第1、2段落) ( 2 )「 心 情 分 析 」 李 徴 と 袁 傪 の 心 理 的 距 離 感 の 違 い の 分 析 (第2段落) ( 3 )「 人 物 像 分 析 」 袁 傪 の 役 割 に つ い て 仮 説 を 立 て る (第2段落) ( 4 )「 呼 称 の 分 析 」 李 徴 の 呼 称 「 お れ 」 と 「 自 分 」 の 使 い 分 け の意味の分析(第2、3、4段落) (5 「レトリックの効果」 李 徴 が 虎 に な っ た 理 由 の 分 析 と「 後 悔 か ら 深 い 悲 し み 、孤 独 」 という感情がどこで移行し、レトリックによって強調されて いるか、表現の分析とその論理的説明(第4段落) 6 「心情分析」李徴が虎になった理由と心情分析 7 「 風 景 描 写 の 効 果 」「 月 」 の 象 徴 性 と 場 面 効 果 に つ い て の 分 析(第4、5段落) テクストの解釈をダイアローグによって複眼的に分析し、論 理的に根拠を示して 読んで いくこと がで きる。 ①10グループ(4人)に分かれて、冒頭の人物設定の分析、 呼称の使い分けの意味を具体的にする。登場人物の役割や風 景描写が登場人物の心理をどのように象徴的に描かれている かを分析し、グループとしての解釈をまとめる。 ②各グループごとに分担された場面の分析内容を発表し、全体で ダイアローグを行い、様々な観点から意見を出し合い、複眼的 に思考するスキルをを養う。 ((. 表 現 分 野 (最 も 深 いアプロー チ) 展 開 3 デ ィベー ト 命題例「虎になって 消えていった李徴は人間に戻れる」. )). 1、単 元 の学 習 内 容 今回は深い理解につなげるクリティカルリーディングのテクス ト分析の方法とコミュニケーションによる内化(インテイク)と 外化(アウトプット)を繰り返す授業プランを立て、そのための アプローチを4段階に分けてみた。 理 解 分 野 (浅 いアプロー チ) 展 開 1 あ ら す じの理 解 (1)授業外学習の把握 小説のあらすじの理解度を測るコンプリヘンションテスト 三択問題. −193−.

(3) ディベートや全体討論によって クリティカルに議論し、個々の 問題意識を深 め、まとめとして論証文の作成につなげる。 相手の意見を批判し、自分の意見を論理的に説明するスキルを 意識させて、ディベートを行う。 ①8グループ(4~5人)に分かれ、命題について賛成反対両 方の立場で、思考ツールシートを使って、主張文(主張、根 拠、結論)をグループ内でまとめる。 ②フローシートを使って、相手の主張内容や質問事項を正確に 聴き取る。. 展開4 エッセイ(論証文を書く) ディベートで深めた主張を構成し直し、論証文にまとめるスキル ①提出課題 命題についての小論文を800字以上1200字 以内で提出する。 (文章構成は意見、 ②論文作成上の注意点をプリントで説明する 。 根拠、結論など) ③作成した論文データは、期日までに指定されたフォルダに保 存する。 2、展 開 2 「 テク スト分 析 」実 践 例 の紹 介. -. の. 人. 物. 像 学問の知識が広く才能豊か. テ ク ス ト 分 析 に つ い て は 、( 1 ) ~ ( 8 ) ま で の 観 点 で 複 眼 的 に分析作業を行った。客観的分析を通して根拠を指摘し、その蓋 然性を批判し合い、コ ミュニケー ションによって深 めていくとい う授業展開した。今回は その中から(1)~(5)に ついて 生徒 から出された意見を紹介する。. (1)展 開 2 (1)(2) 1時間目の展開 徴. 「生徒による分析・意見の例」 李. (ア)博学才頴. 才能豊かなエリート. 性格が厳 しい. 非常識、非社会的. 協調性がない. プライドが高い. (イ)性狷介 ね. (ウ)若くして名を虎傍に連 (エ)賤吏に甘んずるを潔し としなかった (オ)妻子のために貧窮に堪 えず~己の才能に絶望し たためでもある 「生徒のまとめ」. 自己中心的、他者性の欠如. 間 が 集 ま る 場 所 で あ っ た が 、若 く し て 科 挙 に 合 格 し な が ら 、江 南 尉( 地. ・当時の都は長安、そこは文化、経済、政治の中心であり、一流の人. う点から非常にプライドの高いエリート人間. 方の役人)に任命されたことによってプライドを傷つけられた とい. 自分の才能を信じていた詩の世界で生きていくことを決意するが、. ・そのため、官吏として生きる道を捨てて 、人との交わりを絶って 、. ってと言いながら、結局、人の評価を気にしている人間. 詩が評価されないことに焦りを感じている点から、人との交わりを絶. 能 に 半 ば 絶 望 し た た め で も あ る 」 と あ る よ う に 、「 も 」 に よ っ て 強 調. ・「 貧 窮 に 堪 え ず 妻 子 の た め に 」 と い う の は 、 建 前 の 理 由 で 、「 己 の 才. の. 物. 像. ・人望が厚い. 人. ・役人を取り締まる役人という地位. ・寛容、心が広い. 分の才能のなさと向き合おうとしない臆病な人間. されて いることから、本当の理由は、妻子のことを言い訳にして、自. 傪. 「生徒による分析・意見の例」 袁. (イ)部下が多勢. から高い地位に出世したということ. (ア)温和 (ウ)監察御史. 他者性を持っている人物. 物像がうかがえる。. かわりの中で社会的地位を築いた人. 友」という言葉からも、他人とのか. 寛 容 さ と 常 識 の 両 方 を 備 え 、「 わ が. る姿からも、才能がありながらも、. がわかる。また、多くの部下を率い. ( エ )「 わ が 友 、 李 徴 子 で は な いか」. 「生徒のまとめ」. −194−. =.

(4) 李徴と同じく若くして科挙に合格したこ とは、高い才能の持ち主出会 ったが、社会的常識と協調性を兼ね備えて いた点が李徴と違う。. (第2段落). 最初から二人は全く対照的な人物像として設定されて いる。. 2時間目の展開 「本時の目標」 グループワーク. 李徴と袁傪の心理的距離感の違いの分析 「授業展開」 「生徒へのコマンド」 (1)朗読CDを聴き ながら、両者が互いを思う気持ちの距離感を感 覚的に捉えさせる。. 返事がなかった。 (イ)かつての友、故人(と も) (ウ)畏怖嫌厭の情を起こさ せる. う 表 現 は 、時 間 を 表 現 す る と 同 時 に 、. 袁傪への心理的距離を表すものでは. 李徴が返事を躊躇しているというの. ないか。. えて いる。. るように袁傪を過去の友人として 捉. ・( イ )「 故 人 」「 か つ て の 友 」 と あ. ・( ウ )( エ ) の 遠 慮 が ち な 表 現 か ら. (エ)醜悪な外形を厭わず、 この自分と話を交わして. ・( オ ) か ら 今 の 自 分 と は か け 離 れ. も心理的距離感が読み取れる。. くれないだろうか。 (オ)李徴の祝辞. た袁傪に対する羨望が心の距離とし. て 読み取れ ないか。. ファシリテーター(教師)からのコマンド. 次回の授業展開の予告「袁傪の役割について」仮説を立てる。. (オ)に対する反論を考えさせ、全体で議論する展開に持って 行く。. どう違うのかを全体で確認し合う。. (2) 心理的距離感が同じなのか、違うのか 、あるいは場 面によって 「作業内容」. 的. 距. グループワーク、思考ツールシート使用. 李徴と袁傪の心理的距離感の違いの分析. (2)展 開 2 (2)(3) 3時 間 目 の展 開. -. 距. 離. け、グループ内で両者の気持ちを論理的にまとめさせる。. (1)両者の心理的距離感を読み取れる根拠となる語句、表現を見つ. 的. 「生徒による分析・意見の例」 理. 「授業展開」. 心. 「本時の目標」. の. 「作業内容」. 傪. 袁. と い う 行 為 や ( ウ )「 こ の 怪 異 を 怪. さに思い当たって、叫んだ. ( ア ) か れ は 恐 懼 の 中 に も と っ (ア) 「とっさに思 い当た って 叫ぶ 」. 理. の. 内. 容. 議. (1)前時の終わ りに出された李徴の祝辞の解釈への反論. 「あの隔てのない語調で」という表現から、この場面の二人は、そ. 生徒反論1. 較した屈折した心の距離を読み取るべきではないか。. と、決して 本心からで はなく、袁傪に対する羨望と今の自分とを比. この「祝辞」は、第1段落での李徴のプライドの高い性格を考える. 生徒意見1. 論. (エ)李徴との間にある「叢」に. ・( ア )「 し ば ら く 返 事 が な い 」 と い. して馬から下りたのではないか。. 感を感じ、その距離を縮めようと. よって隔てられている距離に違和. えようとしている。. 変 化はあるのか。. ( 2 )「 見 え ざ る 声 」 と 対 談 す る 場 面 に お い て 二 人 の 心 理 的 距 離 感 に. で互いに根拠を示しながら議論する。. (1)前時の終わりに出された李徴の祝辞の解釈への反論を、全体. のこ とが言え るので はないか。. しもうとしない」点からも、同様. 表現されているように、今でも昔. ( イ )「 我 が 友 」 と い う 「 呼 称 」 に. か. (イ)我が友、李徴子ではない (ウ)この超自然の怪異を素直. 心. と変わらない友人として李徴を捉. に受け入れて怪しもうとし なかった いた. の. 離. (エ)馬から下りて、叢に近づ. 徴. 「生徒による分析・意見の例」 李. (ア)叢の中からはしばらく. −195−.

(5) グループワーク. いて 仮説を 立て る。 「作業内容」. 「授業展開」. れまでの離れた距離感が縮まって、昔と変わらない対話をするという 展開になっている。そう考えると「この李徴の祝辞」は、心からの祝. 議. 論. の. 内. 容. の議論を行う。. (1)李徴の心理の変化から、袁傪の役割について考えさせ、全体で. 辞と考えるのが妥当ではないか。 生徒反論2 生徒意見1. があったと考えられるのはどのあたりか。. だとしたら、李徴の心理に変化をもたらしたのは何か。また変化が. ファシリテーター(教師)からのコマンド. なく会話ができていると考えるべきだと思う。. きだけは、二人が共有できる内容だから、二人は心理的に近くで隔て. が二人の埋められない心理的距離を生んでいたが、過去の話をすると. 「叢」はこの作品の中で 、虎になった李徴がいる動物空間と袁傪が. こ の場 面で の「 祝 辞」の解釈に、第 1段 落 の 李 徴 の 性 格 を 根 拠 と し て当て はめて読むのは無理があるので はないか。. いる人間空間を区別する境界線の役割を担っている。その空間的距離. この場面で二人の心理的距離が縮まったと考えるならば、その根拠. ファシリテーター(教師)からのコマンド を整理して欲しい。 生徒意見1 袁傪は馬から下りて叢に近づく点や「少しも怪しもうとしない」と いう点から心理的距離感に違和感を感じ距離を縮めようとしている点 が根拠となると思う。. やはり変化をもたらしたのは、袁傪が馬から下りて、叢に近づいた. 生徒意見2. し て 、 畏 怖 嫌 厭 の 情 を 起 こ さ せ る と 言 っ て お き な が ら 、「 し か し 」 と. 時ではないか。その後の李徴の言葉に変化がうかがえる。その根拠と. 李徴も「かつて君の友李徴であった自分と話を交わしてくれないだ. 生徒意見2. の根拠として「隔てのない語調」でと、昔の二人の会話に変 化して い. ろうか」という点から、距離を縮めようとして いるので はないか。 そ. 対 比 さ せ て 、「 ど う か 話 を 交 わ し て く れ な い だ ろ う か 」 と 自 ら 歩 み 寄. そう考えると袁傪の役割とは何か。根拠を持って グループで 分析し. ファシリテーター(教師)からのコマンド. る点に、李徴の心理変化が読み取れるのではないか。. る点がその根拠になっていると考えられる。 生徒反論1 李徴も心理的距離縮めようとして いるが、結局、二人は「見えざ る. なさい。. 声」と対談して いるだけで、根本的にその距離感は縮まって いないの ではないか。. 結局、袁傪は李徴に内面の独白を促す役割を担っているのではない. 生徒意見3. とき、李徴は「しばらく返事をしなかった」とあるように、この段階. か。根拠として 、最初に袁傪が「我が友李徴子で はないか」と尋ねた. この問題について 、あえて結論を出すことはしないが、今の議論で. ファシリテーター(教師)のコメント どちらがより客観的な意見だったかを踏まえて各自が考えをまとめて. で はまだ心を閉ざ して いた。 しか し、2回目に「何故、叢から出てこ. おくようにという指示を出す。. お き な が ら 、「 し か し 」 と 「 外 形 を 厭 わ ず に 話 を 交 わ し て く れ な い だ. ないのか」と尋ねたときは、畏怖嫌厭の情を起こさせるからと言って. ろ う か 。」 と 逆 に 袁 傪 に 頼 ん で い る 。 こ れ は 前 回 議 論 し た よ う に 李 徴. 4時 間 目 の展 開 李徴と袁傪の心理的距離感の違いの分析の続きから袁傪の役割につ. 「本時の目標」. −196−.

(6) いたこ とが引き 金になって いる。そして 、袁傪の3回目の質問「何故. の心理的変 化で あり、その変化を促したのは袁傪が馬から下りて近づ るのではないか。. 「自分」は、冷静さとか理性的に自分の内面を語るときに使われてい. 生徒意見2. 「おれ」は虎が主体で 人間の心を感情的、自嘲的に語るとき. 生徒意見3. 間を見て いるというこ とを強調して いるので はないか。. 「自分の中の人間」に傍点がついて いるのは、客観的に自分の中の人. 「根拠」. 虎になったのか」を聞いたとき、初めて内面の独白を始めるという展 開になっている点も根拠になる。 ファシリテーター(教師)からのコメント 独白を促す存在であるなら、その根本的、本質的な役割とは何か。も. この問題は作品の最後で もう一度取り上げたい。 袁傪が仮に李徴の っと深く考えてみたい。特に最後の場面で、李徴が「慟哭の声」をあ. 自 嘲 的 に 戻 っ て 、自 ら 嘲 る が ご と く 言 っ た と い う 表 現 が あ る と こ ろ で 、. 「根拠」. -. の. 内. 容. 「レトリックの効果」. 李徴が虎になった理由の分析と「後悔から深い悲しみ、孤独」という. 「本時の目標」. 6時 間 目 の展 開. こ の 対 比表現がち ょ うど境界にな って いるので は ないか。. お れ は ど う し て 以 前 人 間 だ っ た の か 。誰 に も わ か ら ぬ 。 (主観 的 ). 人間に還る時間が短くなっていく. (しかし). 人間の心で 己の運命を振り返る(客観的). 「対比表現」. 生徒意見5. で は、こ の二つの 変化の境界になっているところ はどこ か。. ファシリテーター(教師)からのコメント. し、やがて 虎の心に支配され始めていることを表して いると思う。. れは人間と虎が同じ視点になっており、李徴の中の虎と人間が一体化. 「おれの中の人間は、獣として の習慣の中に埋もれる」とあるが、こ. 「根拠」. 4、5段落で は虎と人間の主体が 一体 化して いる。. 生徒意見4. 「おれ 」は使われている。. げ て 泣 く 場 面 が あ る が 、李 徴 の 理 性 を 忘 れ た 感 情 む き 出 し の 泣 く 声 が 、 に、その後の袁傪の呼称は「袁」となっている。これは二人の心理的. 二人の距離感を縮 めていくこ とになって いるので はないか。 その証拠 距離感が縮まって いるこ とを表して いると思 う。. 「一人称(呼称)の分析」. (3)展 開 2 (4)(5). 「本時の目標」. 5時 間 目 の展 開 李徴の一人称「おれ」と「自分」の使い分けの意味の分析 グループワーク、思考ツールシート使用. (第2、3、4段落) 「授業展開」 「作業内容」. 論. 違いについて グループ内で 分析し、意見をまとめる。. ( 1 ) ベ ン 図 を 使 っ て 、「 お れ 」 と 「 自 分 」 の 場 面 ご と の 使 い 分 け の. 議 生徒意見1. 「自 分」は主に人間が主体で 虎と して の 心を 客観的に語るとき 3段落の「理由もわからずに生きてゆくのが我々生き物の定めだ」と. 「根拠」 いう李徴の言葉は虎になった原因を、世の中の理不尽さに求めて 客観 的に自分の運命を振り返るという場面で あり、そこでは「自分」が使 われているから。. −197−.

(7) 分析とその論理的説明(第4段落). 現実によって 、孤独が絶望感へと変化して いるので はないか。. りながら、深い悲しみと孤独が交錯する中で、人間に戻れないという. 「 山 も 樹 も 月 も 誰 一 人 お れ の 気 持 ち を 理 解 し て く れ な い 」( 漸 層 法 ). 「根拠」. (対比). 「どういう手段で発表できよう」. 「ましておれの頭は虎に近づいて ゆく」. グループワーク. 感情がどこで移行し、レトリックによって強調されて いるか、表現の. 議 論 の内 容. 「授業展開」 生徒意見1. 「 ど う す れ ば い い の だ 」「 お れ の 空 費 さ れ た 過 去 は ? 」( 倒 置 法 ). 「後悔」の場面 「おれは今も胸を灼かれるような悔いを感じる」 李徴の後悔が強調されている。. 悔いとあるのでこの部分は、李徴の後悔の部分。しかも直喩によって. よって 、李徴の孤独が絶望感へと変化していくことが強調されて いる. これらの表現は、漸層法による感情のクライマックスと倒置と対比に. 部分ではないか。この内面の絶叫が李徴の人間性に大きな変化をもた. 生徒意見2 「深い悲しみ」の場面. らして いると考えて 良いので はないか。. 具 体 的 に 言 う と 、「 後 悔 」 と は 、 人 間 の 根 源 的 精 神 活 動 の 一 つ で あ. 「こ の胸を灼く悲しみを 誰かに訴えたい」. ることができる。しかし、李徴は人間に戻れないから、絶望するしか. り、後悔が過去を形成し、未来を創造する。だから人は前向きに生き. 「根拠」 生徒意見3. しているのが、 「おれの毛皮が濡れたのは夜露のためばかりで はない」. なかった。そこに深い孤独か読み取れると思う。それを象徴的に表現. 李徴の悲しみが暗喩によって強調されて いる。 「深い悲しみから孤独への転換」の場面. テクスト分析が終わったあと、そこでの学習を踏まえてディ ベートを行った。授業の最初に示した命題「虎になった李徴は 人間に戻ることができる」に対して、各生徒が自分の意見を持 っ て グ ル ー プ 内 で 考 え を 深 め て 、デ ィ ベ ー ト を 行 っ た の で あ る 。 そもそもこの命題を設定した理由は、最後の場面で袁傪一行に 虎の姿を見せて、もとの叢に躍り入って物語から消えていく李 徴 の 表 現 に 、わ ず か な 解 放 感 を 感 じ る の は 何 故 か と い う 疑 問 と 、 袁傪の役割とは結局、何だったのかという疑問から始まってい る。袁傪に対する李徴の独白が彼自身の内面に変化を与えるも のなら、袁傪の存在は必然性を持って描かれていると考えるべ きだと思う。そして、李徴の中に変化が起きたとするならば、 それは李徴を虎にした原因の一つである「尊大な羞恥心」が虎. 3 展 開 4 ク リティカルシンキ ング. という「含意法」によるレトリックで ある。. 「おれは夕べもあそこで月に向かって吠えた。誰かにこの悲しみをわ か っ て も ら え な い か と 。」 の 部 分 で は な い か 。 「根拠」 倒置法によって、深い悲しみが強調されている。この対象化された い周囲にいた人々をたとえている。そのことで李徴の孤独感が強く表. 「月」は、擬人化されて いて 、人間だった頃、李徴の孤独を理解しな 現されているのではないか。 生徒意見4 「根拠」. この「月」は李徴の内面の「孤独」を例えているのではないか。 「月」も「李徴」も一人。ひ とりぼっちであるもの同士が、対面して 向き合 って いるという設定が孤 独を表して いる。だから、こ の「月」 一層深まると思う。. は李徴自身を擬人化したものであり、そう考える方が李徴の孤独感は. ファシリテーター(教師)からのコメント これまでの意見をまとめると、結局、この場面で李徴は「後悔」を語. −198−.

(8) の姿を袁傪に見せることで、李徴の内面に変化が起きていると しかし、冒頭で 「妻子の衣食のためについに節を屈 して 、再び 考えられるからである。さらにこの場面で、月が光を失ってい 東 へ 赴 き 、 一 地 方 官 史 の 職 を 奉 ず る と い う こ と に な っ た 。」 と い う表現から、李徴は虎になる以前にも妻子のことを気にかけてお く よ う に 、次 第 に 人 間 の 心 を 失 っ て い く 李 徴 の 一 人 称 が 、 「おれ」 り、他人を思う人間らしさは、もと もとあったと 考えることがで から人間の視点で語るときに使われる「自分」に変化している きるのではないかという反論があるかもしれない。しかし、私は ことも、この命題を設定した理由である。いずれにしても、こ 本当に妻子のために再び仕事に戻ったのなら、自尊心を傷つけら の命題を通して虎として生きてゆく覚悟を決めて、運命の持つ れて も、家族のためにや り通すはずで あり、発狂したのは自分の 矛盾と人生の孤独を背負って物語から消えてゆく李徴のその後 才能のなさと自尊心が破壊された結果であって、それを認めるこ を想像させることは、作品自体を深く読み込むだけではなく、 とを世間的に隠すために、妻子のためと取り繕っているのではな 生徒自身が自分事としてこの問題をとらえることにつながると いと思う。それは李徴の属性である自尊心の高さを考えると、彼 思ったからである。 がそういう行為に及ぶことは十分に考えられると思う。そう考え では、次に生徒に書かせた論証文の一例を紹介しながら問題 る と 、結 局 、こ こ で は「 妻 子 の た め に 」と い う の は 建 前 で 会 っ て 、 点を指摘してみたい。 本心ではないのである。冒頭で李徴が再び仕事についたのは 妻 子 の た め と い う の は 、人 間 ら し さ を 持 っ て い た た め で は な い 。 生徒論証文例 それ故に「人間らしさ」は袁傪との会話を通して回復したもので あると考えられる。 私は「虎になった李徴は人間に戻る可能性がある」と考える。 この二つの理由から李徴は袁傪との会話を通して「人間性」を 李徴が虎になった原因の一つに「人間性」が欠けていたという点 回復したと考えられる。言い換えれば袁傪は、李徴に人間性を取 を私たちは発表で 指摘したが、李徴は袁傪との対話を通して「人 り戻させる役割を担って登場しているとも考えられるのである。 間性」が戻って入ると考えられるからだ。 そう考えると、虎になった李徴は袁傪によって、人間に戻る可能 理 由 は 二 つ あ る 。一 つ 目 は 、李 徴 の「 泣 く 」と い う 行 為 か ら「 人 性を得て、物語から消えていったのではないかと考えられる。 間 性 」 の 回 復 が 見 ら れ る と い う こ と だ 。「 叢 中 か ら 慟 哭 の 声 が 聞 字 こ え た 。」 と い う 表 現 と 、「 悲 泣 の 声 が 漏 れ た 。」 と い う 二 つ の 表 1078 現 が 根 拠 と し て あ げ ら れ る 。「 泣 く 」 と い う 行 為 自 体 は 虎 に で も 「 論 証 文 に対 す る 批 評 とま とめ」 あるが、ここではその理由が、李徴が妻のことを思ったり、袁傪 こ の 論 証 文 の 問 題 点 は 、 三 つ あ る 。 一 つ は 、「 人 間 性 」 の 定 義 との別れに対する「泣く」という行為なので、そこには「獣性」 を明確にしないままに論が展開されて いる点で ある。二つ目はそ ではなく「人間性」が感じ取れるので ある。つまり他人との交わ れが虎となった原因と考える根拠が示されて おらず、論理のジャ りを絶ってきた李徴の中に眠って いた「人間性」が表出している ン プ と い う 問 題 が あ る 点 で あ る 。 三 つ 目 は 、「 人 間 性 の 回 帰 」 が と考えられる。二つ目は、李徴が妻子のことを気にかけるべきだ 見られるのに、何 故、物語は李徴に虎として 生きて ゆくことを求 ったことに気付いたということだ。それまでは自分の詩業のこと し か 考 え て お ら ず 、妻 子 の こ と を ま っ た く 相 手 に し て い な か っ た 。 め て 終 わ る の か と い う 点 に 対 す る 説 明 が な い 点 で あ る 。 まず一点目の問題に ついて は、そもそも「人間性」とは何か。 しかし、袁傪と出会って 話をして いくうちに、妻子のことを思う ここでは李徴の「泣く」という行為と、虎になった原因である妻 ことが大切だということに気づくことができた。これは袁傪との 子のことを気にかけるべきだったと気づいている点に「人間性」 会 話の中で独白と反省を繰り返す中で李徴の中の「人間性」が の 回 帰 を 読 み 取 ろ う と し て い る 。二 つ の 場 面 で は 、李 徴 の「 泣 く 」 浮き彫りになったためだと考える。 という行為をどの ように表現しているか。こ の点について 生徒か. −199−.

(9) ら次のような指摘があった。 李 徴 は 、妻 子 の こ と を 袁 傪 に 頼 む 場 面 に お い て 、 「慟哭の声」 で周囲に構わず大声で泣いている。これは、李徴が冷静さを忘 れて感情的に泣いている点から本心で泣いると考えられる。一 方 、「 悲 泣 の 声 が 漏 れ る 」 と い う 表 現 に は 、 李 徴 の 理 性 を 読 み 取ることができる。つまり、悲しみの感情を理性で 抑えている が、抑えきれなくて 声が漏れるという泣き方で ある 。 という点で ある。 この感情の赴くままに泣いているという点に、李徴が虎になっ た原因で ある「尊大な羞恥心」が捨て られて おり、そこに李徴の 内 面 の 変 化 が あ る こ と を 指 摘 す る べ き だ っ た と 私 は 思 う 。さ ら に 、 すべての感情をさらけ出したあとに、再び、理性を取り戻すかの ように「泣く」という行為には、李徴の人間性回帰を読み取るこ とができるというような論理を展開すればよかったのではないか と思う。夜明けを迎え、次第に李徴の内面から人間性が失われて いくことを自覚しながら、理性が戻っていることを「悲泣の声が 漏 れ る 」 と い う 表 現 か ら 説 明 し 、「 お れ 」 か ら 「 自 分 」 と い う 一 人称の変化からも、そのことがうかがえることを丁寧に説明する 必要があったと思う。 二つ目に、結論部で 「李徴の他者に対する思いやりの欠如が人 間 性 を 喪 失 さ せ た 。」 と 述 べ て い る が 、 そ れ を 後 悔 す る こ と で 人 間性を取り戻していくきっかけになっているという点を指摘して いる。しかし、ここではその袁傪との対話が何故、人間性の回帰 につながるのかという理由の説明が抜けている。この点は説明が 難しいところではあるが、例えば、袁傪との対話の中で、李徴は 自身の「後悔」を語っている場面が複数ある。この「後悔」につ いては、生徒の分析のところでも指摘があったが、これは人間の 根源的な精神活動の一つで あり、人間は後悔することによって 過 去を形成して いく。その目的は、未来の操作と創造にある。つま り、過去を悔いることで人間はそれを捨て、未来への自由を獲得 するということなのだが、虎にはそれはできない。虎はただ本能 のままに生きているだけで ある。虎で あった李徴がウサギを食ら って 後悔したのは 、人間の心が残って いたからで あり、虎の心が. 支配していたなら後悔することはないので ある。しかし、幸か不 幸か人間にとって 、過去はすべて思い通りに形成されるものでは ない。したがって 、我々は過去に生じた禍の原因を突き止め、同 じ過ちを避けるためにその原因を取り除くかたちで未来を創造す るのである。虎になった李徴は、袁傪との対話の中でその後悔を 明確にしていき、やがて 、自身の内面に変化をもたらすことにな っていくといった説明が必要だと考える。 しかし、残念ながら李徴が人間でいられる時間はしだいに失わ れて いく。そこに、李徴の悲劇性がある。物語は李徴に虎として 生きていく覚悟を促して 、物語から消えて ゆくことを求める。こ の矛盾をどう説明するかという点が、この論証文の三つ目の問題 であると考える。 私はここに、物語の重層構造を読み取る必要があると思ってい る 。物 語 の 表 層 は 李 徴 に 虎 と し て 消 え て ゆ く こ と を 強 要 し な が ら 、 一方で 、袁傪との 対話の中で 「 後悔」と「自責」という精 神活動 を通して 、次第に李徴が彼の中で 眠って いた「人間性」を表出す るきっかけをつかんで いくという一面も描き、人間に戻る可能性 をにおわ せながら「もとの叢」と いう虎の世界へと戻って ゆく。 私はこ の 物語の二 重構造の中に、我々 人間が現実生活の中で 直面 しなければならない矛盾と不条理を、生徒自身が自分事として 読 み取ることに、現代の高校生がこの作品を読む目的の一つがある のではないかと考える。. 4 生 徒 との対 話 から 授 業 のま とめへ (ア)第 1段 落 のま とめ. 冒頭の人物設定の重要性に関して、授業では以下のような指摘 が生徒からあった。. 「李徴は 、詩人として名を残そうと思って 、役人としての人 生を捨てて、社会と隔絶したところで詩業を磨いたが、生活苦 と己の詩業に挫折したため、結局、妻子のためという理由で、 下級役人として 復職した。それが彼のプライドを傷つけ、結果 として発狂し、虎となった。これは妻子のためといいながら、 結局は自分の才能を信じ切れなかった李徴のいいわけでしかな. −200−.

(10) い。なぜなら、妻子のためというのが本気なら、そこで自身を 変化させることはできたからで ある。しかし、結局、彼は下級 役人として節を屈して 生きることができずに発狂してしまう。 自 身 の プ ラ イ ド が 彼 を 虎 に 変 え て し ま っ た の だ 。」 というのが、生徒の意見で あった。 こ の こ と か ら 、我 々 は 一 体 、何 を 読 み 取 っ た ら よ い の か 。ま た 、 高校生はこの事実から作品に何を読み取るべきなのかということ について問題を一般化して、私なりに考察してみたい。 我々が社会の中で一人の大人として 最も鍛えられるのは、自分 の信念と社会のルールとがずれて いるときで ある。そのとき、人 は心底悩み、解決が見いだせない状況に陥る。しかし、だからこ そ、こうした試練が我々を「大人」へと成長させてくれるのも事 実 で あ る 。李 徴 は 運 命 の 力 に よ っ て 、理 不 尽 に も 虎 に さ せ ら れ た 。 最初、彼は何故、自分が虎になってしまったのかと、その原因を 「さだめ」と運命のせいにしていた。運命の理不尽さを原因とす ることで 、自身の中にある原因と向き合おうとはしなかったので ある。 やがて 、李徴の「何故、こ の自分が」と いう問いは 、月に向か って 吠える虎の雄叫びとして 虚空にこ だまする。しかし、その答 え が 返 っ て く る こ と は な か っ た 。「 月 も 樹 も 山 も 、 誰 も 一 匹 の 虎 が怒り狂って叫んでいるとしか考えない」李徴の深い孤独と、絶 望感が心を支配している場面である。 この「なぜ」を消すことなく、答えの無い問いと向き合って生 きることが、大人の人間として 生きていくことなのではないかと 私 は 思 っ て い る 。子 ど も は 自 分 が 他 人 を 理 解 す る 努 力 を し な い で 、 他人が自分を理解してくれないことに対して、駄々をこねる。李 徴も同じだ。世間が自分の詩業を評価して くれずに、不満を募ら せ、やがては発狂 して 虎になって しまう。 我々が大人の人間とし て 生きて いくということは、他人を理解することを惜しまずに、 他人から理解されないことに耐えることでもある。評価されなけ れば、その原因を追求するあらゆる手段を使って、自分を評価し てもらえるように努力するもので ある。これはこの世間で生きて いくための基礎体力なので ある。こ うした基礎体力に基づいてこ そ、本当の優しさや思いやりというものが湧き出すのである。し. かし、李徴にはそれがなかった。ただ、理不尽を避け、理不尽か ら逃げて、自分をだまし続け、他人を責め続けるだけだったので ある。冒頭の設定はこのような形で 、李徴の人として の未熟さを 語っているのである。しかし、袁傪との対話によって、李徴に変 化が芽生える。だまし続けてきた自分の内面との対話が、彼に変 化をもたらすので ある。 (イ)第 4段 落 のま とめ. 李徴が虎になった理由を自己の性情にあることに気づき始める 場 面 で あ る 。 袁 傪 と の 対 話 は 、「 さ だ め 」 に 原 因 を 見 出 す 自 己 懐 疑から自己認識へと李徴に変化を 促して いく。授業における生徒 の分析は、以下のような指摘であった。. 自己の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が、虎にした原 因 だ と 李 徴 に 後 悔 さ せ る 場 面 で あ る 。「 お れ は よ う や く そ れ に 気が付いた。それを思うとおれは今も胸を灼かれるような悔い を 感 じ る 。」 と い う 李 徴 の 言 葉 は 、「 よ う や く 」 と あ る よ う に 、 袁傪との対話によって 、その事実に「ようやく」辿り着いたこ と を 表 し て い る 。 さ ら に 、「 胸 を 灼 か れ る よ う な 悔 い 」 と い う 直喩によって 、李徴は激しい後悔に苛まれるようになる。この 後 悔 は や が て 深 い 焦 燥 と 絶 望 感 、 孤 独 感 へ と 変 化 す る 。「 ま し て 、 お れ の 頭 は 日 ご と に 虎 に 近 づ い て い く 。」 と い う 言 葉 は 、 「まして」によってその前の「どういう手段で発表できよう」 と、詩を発表する手段が奪われたことに対する深い後悔と対比 され、人間でいられる時間が日ごとに短 くなって いくことへの 焦燥感が強調されている。. この生徒の指摘をさらに深い分析へと導くために、私は生徒に 「この場面で李徴の孤独と絶望感がピークに達して いるところを 指 摘 し 、 そ の 理 由 を レ ト リ ッ ク の 観 点 か ら 説 明 し な さ い 。」 と い うコマンドを出した。 このコマンドに対して、様々な意見が交わされたが、最も多か っ た 意 見 は 、「 お れ は た ま ら な く な る 。」 と い う よ う に 、 様 々 な 感 情 が 複 雑 に 入 り 交 じ っ た 状 態 が 、 や が て 、「 こ の 胸 を 灼 く 悲 し. −201−.

(11) み を 誰 か に 訴 え た い の だ 。」 と い う 隠 喩 に よ っ て 絶 望 的 な 悲 し み がストレートに強調される箇所が、李徴の孤独と絶望感のピーク ではないかという意見で あった。直喩と隠喩の対比効果によるも ので あるという指摘である。 そこで私は一つの意見を提示してみた。それは以下のような内 容で ある。 李 徴 の 絶 望 感 は 、 こ の 後 「 空 谷 」「 月 」 に 向 け ら れ る が 、 当 然、その擬人化された対象は、誰も答えて くれない。そこで李 徴の絶望感はやがて深 い孤独感へと変化し、それはクライマッ クスを迎える。それは「山も樹も月も露も~天に躍り地に伏し て 嘆 い て も 誰 一 人 お れ の 気 持 ち を わ か っ て く れ る 者 は な い 。」 という箇所である。何故なら、ここには漸層法(クライマック ス)と倒置法が駆使され、このレトリックによって李徴の絶望 感と孤独感がピークを迎えている感情を見事に表現して いると 考えられるからだ。この絶叫は、心の底から湧き出る李徴の孤 独な叫びなのではないか。レトリックはその叫びを効果的に表 現して いる。 その後その感情は「おれの毛皮が濡れた は夜露のためばか り で は な い 。」 と い う 含 意 法 に よ っ て 李 徴 自 身 の 内 面 奥 底 へ と 沈静化し、場面は最終段落へと展開するのではないか。 という指摘である。 生徒はこの漸層法(クライマックス)と含意法というレトリッ クに関する知識がなく、改めてこの場面が多くのレトリックによ って李徴の孤独と絶望感が描かれていることに納得し、最終段落 への深 い読みへと繋げることがで きたので ある。 (ウ )デ ィベー トによ る 展 開 から 最 終 段 落 のま とめ 最 終段落で 李徴は、虎として生きて ゆく不条理を覚悟として受 け入れ物語から退場する。ここで最初に生徒に提示した「虎にな った李徴は人間に戻れる」という命題について、ディベートを実 施した。最終場面を深 く読み込み、生徒それぞれが自分事として とらえるための手段として活用してみたのである。. その中で 生徒達の中から出されたキーワードが「理不尽とか不 条 理 」と い う 言 葉 で あ っ た 。こ れ は 、一 年 次 に 学 習 し た『 羅 生 門 』 を 扱 っ た 際 に 学 習 し た 言 葉 で あ る 。そ こ で こ の 不 条 理 と 向 き 合 い 、 理不尽に振り回されて生きてゆくという人間実存の問題と絡め て 、この命題をどのように解釈するかという方向に授業のまとめ を持って 行くことにしたので ある。 ディベートによる命題の解釈は、最終的には「李徴の人間性が 回 帰 し て い る の か ど う か 。」 と い う 論 点 に 終 始 し た 。 そ の 肯 定 側 主張の概要は以下の通りであった。. 最 終 段 落 の 場 面 で 、「 本 当 は こ の こ と の 方 を 最 初 に お 願 い す るべきだった。おれが人間で あったならば・・・己の詩を優先 す る よ う な 男 だ か ら こ ん な 獣 に 身 を 落 と す の だ 。」 と 李 徴 の 後 悔と反省の台詞がある。この台詞は、それまでの自己認識と反 省を含めた告白を経て、彼がようやくたどり着いた「他者への 思いやり」=他者性ということであった。この場面で李徴に家 族や袁傪への思いやりと優しさが表出したのは、李徴の中に眠 っていた他者性が、虎となって生きていくという人生の不条理 と向き合っていくという彼の覚悟によって表出したものであ る。無論、それを導き出したのは他でもない袁傪という存在な のである。袁傪という他者性を有した人物との対話の中で、李 徴は 自己中心的な生き方を 後悔するこ とに なる。こ れ までの李 徴は、自分自身の不幸を嘆き、他人を批判するばかりで、自分 自身や他者と向き合うことをしてこ なかった。4段落の場面で 虎となって絶望と孤独のどん底に立ったとき、初めて彼は自己 認識と反省にいたったので ある。. しかし、その自己認識がやがて 他者性へと変化し、彼の中で 眠 っていた人間性が表出するにもかかわらず、物語は李徴を虎とし て 生きて いく運 命を覚悟をさせて 、物語から退場させる。そこに 彼の悲劇性を印象深く描いて終わるのである。最後の場面の彼の 呼 称 が 「 一 匹 の 虎 」 に 戻 り 、「 白 く 光 を 失 っ た 月 の 光 を 仰 ぎ な が ら 咆 哮 し た か と 思 う と ま た も と の 叢 に 戻 っ て い っ た 。」 と い う 描 写は、李徴の人間性を象徴する「月の光」が、読み手に李徴が虎 としての運 命を受け入れて消えて いくことを 強く印象づけるので. −202−.

(12) ある。 命題に否定側の生徒は、このように最後の「一匹の虎」という 呼称の解釈を、李徴が人間に戻れない根拠の一つとしていた。李 徴 に は 人 間 に 戻 る 意 志 が な い と い う こ と が 、「 一 匹 の 虎 」 と い う 呼称と合わせて人間には戻れない根拠として議論していたのであ る。一方で肯定側は、李徴の他者性の回帰を根拠として人間に戻 る こ と が で き る と い う 主 張 を 繰 り 返 し て い た 。共 通 し て い た の は 、 李徴は虎になる覚悟を持って 物語から消えて いったという事実で あった。しかし、そこから両者とも進展が見られずにディベート は終始した。 新 井 通 郎 氏 に よ れ ば 、「 物 語 の 持 つ 意 味 に 目 を 向 け た 時 に 、 単 なる悲劇としては閉じられない第二の物語が浮かび上がってくる の で は な い だ ろ う か 」「 残 月 の 白 い 光 の 下 に 展 開 さ れ た 対 話 の 中 には、悲劇を転じて、一種の救いと化すような仕掛けが施されて いるので ある」とご指摘があるように、この救いとは、李徴が人 間に戻る可能性を予感させるものなのではないかと私は考える。 そこで私の方で「李徴が虎になるという不条理や理不尽さを受 け入れて 物語から消えていくという事実が、彼の人間性回帰とど の よ う に 結 び つ く の か と い う 観 点 で 考 察 し な さ い 。」 と い う 新 た なコ マンドを提示し、最終的なまとめへと授業を展開したので あ る。そのまとめを最後にしてみたい。 5 虎 への変 身 と人 間 実 存 から の解 放 虎になる覚悟を決めた李徴は、人生の不条理や人間実存の苦悩 から解放される。自己の内面の告白は、呪縛からの解放でもあっ た。虎になった原因を自己認識し、その現実と向き合うことは、 プライドの高い李徴にとっては、屈辱的なことで あったが、一方 で そ れ は 彼 の 中 に 存 在 す る 「 尊 大 な 羞 恥 心 」「 臆 病 な 自 尊 心 」 か ら自由に なるということで もある。それは彼が自己の内面に隠し 続けてきたものであり、その結果、彼は他者性を失って虎になっ た。だから、彼が袁傪一行に虎の姿を見せることは、その問題か ら の 解 放 で あ り 、内 面 の 自 由 を 獲 得 し た 瞬 間 で あ っ た 。本 来 な ら 、 そこから人間実存の苦悩が始まるのだが、しかし、物語は彼を人 間に戻すことはな い。彼の悲劇性を描いて 終わるので ある。つま. り、自己の内面の苦悩から解放された瞬間、人間実存の苦悩から も 解 放 さ れ 、「 一 匹 の 虎 」 と し て 生 き て い く 悲 劇 性 を を 受 け 入 れ て物語から消えて いくのである。それによって、人生の不条理を 描ききることに作品は成功しているのである。 そう考えれば、李徴が人間に戻る可能性はない。しかし、彼が 完全に人間に戻る可能性はないのかと問われれば、実は可能性を 読み手に感じさせている部分もあると私は思っている。 人は他者を通してしか自分を知ることはできない。自分という 存在は他者との関係性の中で 存在して いる。しかし、時に真実は 残酷である。李徴は、虎となった自分を客観的に見ることで、本 当の自分を知ることができたので ある。それを促したのが袁傪で あり、そこに袁傪の役割がある。それまでの李徴は、他者との関 係 性 と 断 ち 切 っ て き た 。そ れ は 、己 の 才 能 を 信 ず る が ゆ え で あ り 、 一方で、己の才能のなさを暴かれることを恐れるが故で ある。そ れは本人の言葉からもうかがえるところで ある。人が他者を通し てしか自分を確認できないとしたら、李徴が自分らしく生きるた めには他者を無視できないはずで ある。とこ ろが彼は 人との交わ りを絶ってきた。家族をも犠牲に してきた。そんな彼が自分を確 認するすべなどなかったはずである。 ところが「虎」になって しまった李徴は、虎になって初めてそ の こ と に 気 づ く の で あ る 。真 実 と は 本 当 に 残 酷 な も の で あ る 。 「お れの気持ちを誰も理解してくれない。どんなに嘆いても一匹の虎 が吠えて いるとしか思わない」という台詞があるが、これがまさ にこうした李徴の思いを表しているのではないか。だから他者か ら「虎」と思われては生きて ゆけないという葛藤の中で人間李徴 と虎になった李徴の葛藤と孤独が生じるのである。 この答えのない問いと向き合って生きて いくことによって、人 は人生の基礎体力を養うことができる。社会で 生きて ゆく大人に は、本来そうした体力が必要なのである。そうしてこの体力を備 えたものだけが、本当の意味で他者への思いやりや優しさを持つ ことができるので ある。本当の優しさや思いやりというのは、人 の気づかないところにあるというが、李徴の場合、人に気づかれ ないという不条理を受け入れることで、うわべだけではない他者 に対する本当の優しさを有することができたので あった。そこに こそ、李徴が人間に戻る可能性を見いだすことができるのではな. −203−.

(13) 感性が、私の目の前の壁を扉に変える力になったので ある。 現在の国語教育の問題点が、教師のための 国語教育になってい るという点に問題があるとするならば、この経験は、この問題に 指針を与えて くれるものではないかと思う。今回の取り組みは、 私にとって学習指導要領にある「心情を豊かにする」という目的 が、本当に生徒個々の人間形成につながっているのかという根本 的な国語教育の問題を考えるきっかけになったのである。 引 用 ・参 考 文 献. いかと思うので ある。そして 、その事実から目を背けてはいけな いということに気づかせてくれたのが袁傪であった。袁傪がいた から目を背けずに自分という他者を、虎になった李徴が客観視す ることができたので ある。袁傪との対話を通して、彼は自分とい う存在の解釈を確認で きたので ある。そこに、李徴の人間性回帰 の可能性を読み取ることができるのではないかという指摘をして 今回の授業のまとめとしたのである。 6 終わりに. ○ 山 本 欣 司 氏 ( 一 九 九 八 )「 後 悔 の 深 淵 ー 『 山 月 記 』 試 論 ー 」 「日本文学」四七巻十二号 日本文学協会 ○ 菅 原 利 晃 氏 ( 二 ○ 一 一 )(『 山 月 記 』 も 授 業 ー そ の と き の 李 徴 の 心 は 人 か 虎 か ー 」)『 国 語 教 室 』 九 十 三 号 大 修 館 書 店 ○ 新 井 通 郎 氏 ( 二 ○ ○ 八 )「 中 島 敦 『 山 月 記 』 の 世 界 」 二 松 学 舎大学大学院紀要二二 ○ 片 山 一 良 氏 ・ 吉 原 英 夫 氏 ( 二 ○ ○ 四 )「 教 材 『 山 月 記 』 論 ー 詩 の 伝 録 を 依 頼 す る 李 徴 の 指 導 を 通 し て ー 」( 北 海 道 教 育 大 学紀要 教育科学編) ○ 山 本 悟 史 氏 ( 二 ○ 二 ○ )「『 山 月 記 』 を 救 済 譚 と し て 読 み 解 く単元学習の創造ー李徴の執着心と認識の変容、そこに関わ る 袁 傪 の 存 在 に 着 目 し て ー 」『 国 語 論 集 』 十 五 北 海 道 教 育 大学学術レポジトリ) ○ 松 村 明 敏 氏 ( 一 九 五 八 )「 中 島 敦 の 『 山 月 記 』」(『 国 文 学 解 釈と教材の研究』 ○ 香 西 秀 信 氏( 一 九 九 八 ) 「 自 己 欺 瞞 の 文 法 的 特 徴 中 島 敦『 山 月 記 』」 ○『修辞的思考』明治図書 一九九八所収) ○ 柳 沢 浩 哉 氏 ・ 森 田 真 吾 氏 ( 二 ○ ○ ○ )『 山 月 記 』 の 修 辞 的 分 析ー「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の修辞とその狙いー 「人文科教育研究 二七」. (たかはしかずよし/北海道札幌国際情報高等学校). 前回、私は小説『羅生門』のテクスト分析からクリティカルリ ーディングへとつなげる実践を紹介した。その13回分の授業の 様子はDVDに収録し保管してある。やはり生きた生徒の声を文 字で伝えることには限界があり、撮影と編集を知り合いのカメラ マンに依頼した。それが一年かかって完成したのである。今回は 『山月記』で再度、クリティカルリーディングを実践し、その生 徒とのやりとりを再現することで、そのエッセンスを皆さんに紹 介しようと思って 拙稿にまと めてみた。 正 直 、「 虎 に な っ た 李 徴 は 人 間 に 戻 る こ と が で き る 」 と い う 命 題を設定して 授業を展開し、論文にまとめることには抵抗があっ た 。 な ぜ な ら 、『 山 月 記 』 は 多 く の 諸 先 輩 方 に よ る 先 行 研 究 が あ り、このようなふざけた命題設定をすること自体「けしからん」 というご批判を受けることを感じていたからである。 私がこの命題を設定してみようと思ったきっかけは、生徒が何 気 な く 私 に 言 っ た つ ぶ や き に あ る 。 そ れ は 「『 山 月 記 』は 、 李 徴 が虎として悲劇を抱えたまま終わるのでしょうか?」という感想 であった。この生徒の直感的な正直なつぶやきに、我々大人が文 学研究として 作り上げてきた歴史の壁を壊すヒントがあるのでは ないか。そう感じた私は、この命題を設定して授業を5年間展開 することになったので ある。 その積み重ねの中で私が学んだたことは、批判という壁を越え られるのは、その壁を扉として開く勇気を持った者だけであると いうことで あった。生徒達は 間違いなくこ の命題を通して『山月 記』をそれぞれが深く読むことができたと思っている。私自身も 彼らによって深く学ばせてもらったと思っている。生徒の純粋な. −204−.

(14)

参照

関連したドキュメント

Bでは両者はだいたい似ているが、Aではだいぶ違っているのが分かるだろう。写真の度数分布と考え

わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから

しかし何かを不思議だと思うことは勉強をする最も良い動機だと思うので,興味を 持たれた方は以下の文献リストなどを参考に各自理解を深められたい.少しだけ案

幕末維新期に北区を訪れ、さまざまな記録を残した欧米人は、管見でも 20 人以上を数える。いっ

帰ってから “Crossing the Mississippi” を読み返してみると,「ミ

 ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど

今回、新たな制度ができることをきっかけに、ステークホルダー別に寄せられている声を分析

者は買受人の所有権取得を争えるのではなかろうか︒執行停止の手続をとらなければ︑競売手続が進行して完結し︑