ミュケナイ時代の家と社会(その1) : 線文字B文書の語彙からのアプローチ
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部 B) 第43巻 第1号 Sec l 43 l &iucat ion( i tyof] t lof Hokkaido Universi Jouma on IB) Vo . . ,No. ミ ュ ケナイ 時代の家と社会. 平成4年7月 l ju y ,1992. (その1). -一 線文字B文書の語梁からのアプローチ -- 山. 川. 鷹. 司. 北海道教育大学教育学部釧路分校西洋史研究室. Fa幻ni ly and Society in the D江yCenaean Age. は じめ に. いつの時代においても, 社会の基本単位をなす要素は家族であった. 古代ギリシアの哲学者アリ ス トテ レ ス は, 『政 治 学. )に お い て 国 家 (ポ リ ス) に つ い て 説明 し 国 家 は 村 々 か ら 村 Pol i i t ca』1 , ,. (ゴーメー) は家々から構成され, その最小部分として日々の用のために自然に即して構成された 25 2 b -1253 b) 1 共同体が家(オイ コス)であり, 家は男性と女性, 主人と奴隷との関係に基づく( と 述 べ て い る. そ し て 家 の 成 員 た ち に つ い て は, 「食 卓 を 共 に す る も の」 と 呼 ん だ カ ロ ー ン ダ ス idを ), 「飯 檀 を 同 じう す る も の」 と 呼 ん だ ク レ テ の エ ビメ ニ デー ス (Epimen (Char6ndas. を引用. して, 古代ギリシア人の家族についての考え方を提示して いる‐ )によっ て 古代ギリシア史でも家 ところで, 昨今のアナール学派を中心にした社会史研究の進展2 , 族史についての知見が求 められるようになってきた‐ 日本でも桜井万里子氏が古典期の女性史を中 心に精力的に研究され, また, 伊藤貞夫氏は, 国制史, 法制史の立場から積極的に発言され, 高く ) しかしミュ ケナイ 時代の社会の基盤をなす家・家族の在り方については, 従来ほ 評価されている3 . とんど研究がなされてこ なかっ た. その理由はいるいる考えられるが, 残存史料が主に王宮関係の 財政文書が大半を占めるといっ た史料の性格や王宮の火災によっ て粘土板史料が偶々残存したとい う偶然性などが挙げられる. 従っ て, 研究者の問題関心も, 行政組織や土地所有関係, 家畜の登記・ 徴集, 軍事組織や兵員の徴募, 労働集団の組織, 種々の貢納品のリスト, 青銅の貢納と分配などに } 向 けら れ, 家族 形 態 に つ い て は ほ と ん ど注 目 さ れ な か っ た と 言 っ て よ い4 .. そういっ た中で, 太田秀通氏は, 社会経済史の立場から, 主としてホメーロ スの二大 叙事詩およ び土地所有関係の文書の分析を通して, ミュ ケナイ 的共同体の性格を, 家父長制的大家族から ダー da‐mo ) 共同体成員としての家族への分裂の萌芽的可能性が内蔵されたものとし, かつそれは モ( ) アジア的共同体から古典古代的共同体への移行形態である とされている5 . これに対して中井義明氏は, 幾つかの線文字B文書の分析を通して太田秀通氏の論を批判し, B } しかしながら 中井氏の論証 文書からは小家族以外の家族形態の存在を証明されないとしている6 , . も家族をどのように規定しているのかよくわからないうえ, 論証に使用されている文書は主として 下 層 労 働 集 団 や 両 親 ある い は 片 親 が 奴 隷(do-e-ro , do-e‐ra)で あ る と い っ た 人 々 の 記 録 で あ り, は. たしてそれを以てミュ ケナイ 時代の家族形態を示していると一般化できるか, 検討の余地があるよ うに思われる‐ 線文字B文字が解読されて四十年が経ち, この間, 史料的に内容が限定され, 数的にも決して多 I.
(3) . 山 川 鷹 司. くないB文書の分析を通して, ミュ ケナイ 時代の王権構造についての解明はかなり進んできたが, その社会の基本単位である家・家族の実態については依然不明の 点が多い. そこで本稿では, 古典 ギリシア語で家族関係を意味していると思われる語桑に相当するミュ ケナイ文字を手がかりに, ミ ュ ケナイ社会の基盤をなしていた家・家族を検討し, 果たしてB文書の語梁のうえからそれの抽出 が可能か, またどのような実態を描くことができるかを問うてみたい. 〈注〉. 5 969年による. 1) 山本光雄訳, 『アリストテレス全集』 1 , 岩波書店, 1 2)1 9世紀から20世紀中葉のフランス農村社会の家族の実体を描いたマルチーヌ・セガレーヌ, 片 l Ze ide Sega 云 おe粥粥8 血 筋 如 Sod酌す 岡 幸 彦 監 訳 『妻 と 夫 の 社 会 史』 (原 題 は Mar t en , 肌αγ 「 「 sα”“8) 新 評 論 1983 年 は, 日 本 語 版 へ の 序 文」 に お い て, 家 族 と い う テ ー マ は 長 い 間 な お Pqy. ざりにされてきたが, 今やフランスでは人□統計学者, 歴史学者, 人類学者 の恰好の研究テーマ となっ ている. 近年, この種の学問的業績があいついで世に問われ, その多く が大衆の間にもひ 『「新しい歴 ろく浸透し, 関心を高めている」 と評している. また, 福井憲彦, 「家族の多様性」 ( 史 学」 と は 何 か』 日 本 エ ディ タ ー ス クー ル出 版 部, 1987 年 所 収)118一119 頁 は 主 に フ ラ ン ス に お. ける家族史研究について述べ, 第二次大戦後の経済復興に続く60年代の高度成長をへて, 家族の 0年代に入るま 問題が社会問題として, あるいはさらに政治問題としてクロー ズア ッ プされる7 で, きわめて部分的にしかわかっ ていなかっ た, といっ ても過言ではないと指摘し, こう した現 0年代後 代社会における 「家族の危機」 認識, 家族が変わりつつ あるという変貌意識によって, 6 半から, 特に7 0年代に入って, 研究がひろくかつ深く 展開されることになっ たと総括している. 86年 33一45頁の研究動向 5 52 9 3)桜井万里子, 「古代ギリシア女性史研究」 『歴史学研究』No . ,1 『 81年, 同, 『古典期アテネの 9 は有益である. また伊藤貞夫, 古典期のポリス社会』 岩波書店 1 98 2年, 同, 「1 9 80年代の古代ギリシア家族研究」 『史学雑誌』 第 政治と社会』 東京大学出版会 1 「 991年 55一84頁, 同, アテネ人庶子の法的地位をめ ぐっ て--古代ギリシア史研 1 00編4号,1 8頁などの一連の研究も注目されよ 01編1号, 1 9 92年 70一9 究の -動向--」 『史学雑誌』 第1 . 4) 中井義明, 「線文字B文書に見られる家族関係」 『駿台フォーラム』 7 号, 1989 年 137 頁. da‐mo 5)太田秀通, 「ミケーネ的王国から ポリス国家への 移行における村落共同体の形態変化÷÷‐ 『 56一1 58頁. か ら k6 988年 1 -meへ--」 奴隷と隷属農民 増補版』 岩波書店, 1 37-1 57頁. 6) 中井義明, 前掲論文, 1 1. ) と 母 (ma-te ) 父 (pa‐te , mater , pater. 家・家族あるいは親族を表わす用語が, ミュ ケナイ 時代にはどのような意味内容をもって使用さ れていたのだろうか. 『広辞苑』 によれば, 「家族」 とは 「夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁 1 }とある 我々 関係によっ て結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団. 社会構成の基本単位」 . が家族といっ てまず第一に考えられるのが夫 (父)・妻 (母)・子供といったトリアーデ (三者関係) } フランスにおいてそのよう な定義がはっ きり現われるのは1 9世 であるが, 福井憲彦氏によれば2 , 指したり 系族や姻戚あるいは 紀以降のことであり, それ以前は, 家族という語は親族関係全体を , i ) といっ た, 垂直的にも水平的にも広 l i鱒1 ) とか血筋 ( ) とか家 (ma より暖昧に家系 ( son age race 8世紀の用語法では, 同一家長のもと 範な広がりをもちうる親族関係を意味し, さらにそれは17 ,1 2.
(4) . ミュケナイ時代の家と社会 (その1). に同居している者全てを (親族のみでなく, 奉公人や使用人なども) 含む概念をもっ ていた. 一方, 古代ギリシア史での家族形態はオイコス(o i ko ) を基本単位として考えられ, ホメーロス s に描かれる大家族制から, 古典期の家族形態の萌芽とも言うべき小家族あるいは核家族を描くヘ シ オ ドスの 時代を 経て, 古典期アテナイ では 一夫一婦制の原理を基盤にした核家族的構成をもつ個別 ) の オイ コ ス が 一 般 的 と な っ て い っ た3 .. ではミュ ケナイ・ギリシアでの家・家族についてはどうであっ たか. ここでは差し当り語葉の面 に限定して課題へのア プローチを試みたい. 家族関係の基本を示す語としてまず最初に取り上げら れ る の は 「父」 と 「母」 で あ り, そ れ に 相 当 す る 線 文 字 B 類 は”pa‐tざ,”ma‐ tざ で, 古 典 ギ リ シ ア. 語では %αて砂, “αてなの で あ る. );Docs28 で あ る そしてこれらの語桑を記録している文書が An6074 ‐ .. 1 . に” 一鼠 曜 一 如,. ー ]a. ‐肥り 蜘一。 せ 。. , 一. .2 .3. do-qe‐ k - ‐ … i ja,do-e-ro,pa-te, ma-te-de , u te re u-p. ‐4 ‐5. te-re-te‐we MUL g6耳 、1. ‐6 ‐7. MUL3 do‐qe‐ja, do‐e‐ra, ma‐te, pa-te‐de, ka‐ke‐u,. MUL 6 do‐qe‐ja, do‐e‐ra,e‐qe-ta‐i,e-e-to, di do‐qe- ja,do-e-ra, ja,do-e‐ro, pa-te, ma-te-de , ‐wi‐. MUL 1 do-qe-ja,do‐e-ra. ma-te ,pa‐te-de , ka-ke-u,. MUL 3 .8 9 1 0 ‐ . ka. .11 ‐12-14. 5 } (ad Me‐ta-pa (地名) に お い て, ke-r i ‐mi … ) お よ び ki i ‐r ‐te-wトja (宗 教 関 係 の 女 性 集 ja j ‐. I. 団?) の麦刈りの女達 2 3 4. 父親が奴隷で, 母親がキュ テーラ人の集団に属する. 6名 /奴隷(f)身分の麦刈り女達 ヘクェタ達の許に送られた.. 女性. 6 ) (地名 ?) にいた (彼 女 ら は) Te-re‐te-u .. 女性. 5. 麦刈りの女達. 6. 女性. 3名/麦刈り女達. 母親が女奴隷で. 父親が鍛冶師. 7. 女性. 1名/麦刈り女達. 母親が女奴隷で. 父親が鍛冶師. 8. 女性. 3名. 〔6名〕. 3名 1. 父親が奴隷で 母親が Diwi a (女神) の女奴隷. 以下2行空白 11. ka. 以下3行空白 この文書は, ピュ ロス王国の近州主要9地区の一つである Me tapa での麦刈り労働に従事する女 性労働集団を記録したものである. その書式は変則的で, 2, 5, 6, 7行目に係わる人数が次行 の冒頭に記されており, またここでのキーワー ドである do-qe‐ja に つ い て も, 職 業 名 そ の 他 監 視 ) さらに文書の途中の3 4行目で文書全体の麦 者, 神の名前などさま ざまな解釈がなされており7 , , 刈り女達の総数を最初6名と記し, 後で1 3名に訂正しているといっ た表記の不十分さもあっ て, 厄 3.
(5) . 山 川 腐 司 介 な 文 書 で あ る. ま ず do-qe- ja に つ い て は, ヴ ェ ン ト リ ス・チ ャ ドウィ ッ ク に 従 い 「麦 刈 り の 労 働. 者」 と解釈したい. 3名の麦刈り女達は,王国内で上層身分に属するヘクェ タたち 4つのグルー プに分けられた総計1 u る プ heq ( ta s e , 王の仲間) の許に所属して働いていた. 4つの グルー を表にすると以下にな ‐ 表1 父. 親. 奴. 隷. キュ テー ラ 人. 6名. 1 1. 奴. 隷. Diwi aの女奴隷. 3名. 皿. 鍛治師 鍛治師. 女奴隷 女奴隷. 1名. T▲. グノレーフo. W 総. 計. 母. 親. 人. 数. 3名 13名. この麦刈り女達の出生は明らかなように, 父親が奴隷の者, 母親が奴隷の者, 両親とも奴隷の者 ) さらに pa - t t などで, 彼女らもまた奴隷の身分であっ た8 e も単数主格形であるから, 彼女 eも ma- ‐ らはそれぞれ一夫一婦制の男女から生まれた娘達であり, 例えばグルー プ1は実に女子だけで6人 } 平均子供数はわ の娘を儲 けていたということになるが, 当然その他にも男の子がいたはずであり9 , からないが, この夫婦は子宝に 恵まれていたといえる. 1からIVまでの夫婦はそれぞれ6, 3, 1, 3人の娘をもっ ていたが, ある時徴集され, ヘクェ タの許で集団にまとめられ, 女性の仕事である 事していたということになる. 麦刈り労働に従- グループmとWは父母の職種・身分は全く同じだが, わざわ ざ別の グループに分けられている. これは皿とNの夫婦は別人だからであろう. またこれらの グルー プでは, 職人身分の者と奴隷身分 の者とが夫婦であっ たが, これについてもミュ ケナイ時代には奴隷と自由人との間に厳格に線を引 0 } 下層労働者と奴隷が夫婦になり, 子供を作ることはありえた. 要 くことは必ずしも賢明では なく1 , は恒常的に家族を構成して生活しえたかということである. しかしこの点についてはわからない. また グループ1の母親はキュテーラ人の集団に所属していると出身地が記されている. キュ テー i )にはエーゲ海から西に進む船の立ち寄る港があり, そこに th ラ島(ラコーニア湾沖の島, 現 Ki ra はミュ ケナイ・ギリシア人が彼らの手工業製品をその他の産品と交換 する交易所を設けており, そ こでの産品の 一つが奴隷であっ たとも考えられる. キュ テーラ島はアナトリアから戦争あるいは奴 隷狩りなどによっ てもたらされた奴隷の市場として, 後にデロスによっ て呈される役割を果たして おり, そこからもたらされた者たちを一緒にまとめて 「キュ テーラからの者たち」 と総称したので 2 } グループ1 1 ) 恐らく 彼女も奴隷身分かそれに近い下層身分に属する者とみてよい1 1も含め あろう1 . . いたことは かつ王宮文書に父母として識別されて て両親が奴隷であっ ても子供を作ることができ, , ミュ ケナイ 時代の奴隷制を考えるうえで重要である‐ 以上の分析から, この文書には, 一組の父母から生まれた娘達が, 恐らく父や母のもとから切り 離されて, 麦刈りの仕事をするために集められ, 集団として第三者たる ヘクェ タに所有されていた ことが記録されて いた. 父母の身分は, 両親とも奴隷あるいは片親が奴隷といっ たように, 下層身 do 分に分類される者たちであっ たが, 夫婦として子供を儲 ける こと ができた結果, 麦の刈り手達 ( が 夫婦の -qe‐ ja)と 親 子 関 係 に あ っ た. し か し pa‐te , ma-te の 記 載 か ら 父 母 の 用 語 は 確 認 で き る ,. 用語は見当らず, 果たして彼らが永続的 な夫婦関係を営んでいたかも確認できず, 従っ て恒常的な トリアーデ的な家族関係をなして いたかは, 文書上からはわからない. またこの文書は奴隷を含む ▲ ” ’.
(6) . ミュケナイ時代の家と社会 (その1). 下層民の例であり,これを以てミュ ケナイ社会の家族関係を示すものと一般化することはできない. ラ主〉 〈. 991年, 488頁‐ 1) 新村出編, 『広辞苑』 第四版, 岩波書店 1 24頁‐ 21-1 2) 福井憲彦, 前掲書, 1 「 ポリス社会における家族と女性 3) 桜井万里子, 」 (弓削達, 伊藤貞夫編, 『ギリシアとローマ』 3頁. 河出書房新社 1 988年所収)247一27 ivi tJr‐ & J er 4) 本 稿 で 使 用 さ れ る ピ ュ ロ ス 出 土 の 文 書 史 料 は, E‐L‐Bennet .-P.0l , T脳 P努os zα弱8お Tm7 2g“彰d Roma , 1973 に よ る. 2d DZ 5) L. Baumnbach, SZ αをd l965一1978, Roma β“鑑α“ 虜sc“P方の s α7 ”該e s 効 朋yc ‐ ,p ,1986 f 8 す o d た 7 1 9 6 3 2 は 織 物 に 関 係 G 1 1 Z脳 加彰 ぉ R P l 加“ L r 325 x o 2 % 8 鋤 だ 8 ゆ〆 a me r け p ,‐ , , ‐; . ‐ ,. る職業名 と解釈している. 2 p 168 idge UP,1973 2 Gr g“解α7 e豹, Cambr 6) M‐ Ventri ck, Do伽伽e”鳶 綱 財yc s&J ,. . .Chadwi lmer るZd 128 (以 下 Do岱.と 略 記) ; Pa ‐ ‐ . ,p ,ぼ 1 2 P l m 必須 8 の 女 神 名 に 対 し て, Docs 1 6 7 7)Do岱. p ; a er ‐ .419 は 実 証 で き な い と 批 判 し て い . ‐ ‐ , ,p ,p , . ZL P‐303 る.;Baumbach ‐ , リーc 8) J ck, Z跨B M父例解α “ 賜“‘〆 Cambridge UP,1976,p‐83‐ .Chadwi. 44頁は, 4つの家族集団全てに男兄弟が存在しなかっ たということは生物的 9)中井, 前掲論文, 1 に不自然であり, 従って, タ ブレ ッ ト作成上の人為的な理由によっ て記載されなかっ たと考えた 方が自然であると述べている. ’ “ bg z ; まゆを粥e鰯osα Mm/OS )j e sq”d sαZ s 10 .Chadwick,The Womenofpylos:in 71鎚応, 71姉Z NU コ ヒ n .190 . .10 ,p ,1988 lmer 128 は 7 2 11 1 4 0 ) Do岱‐ 6 ck, Wo伽 鋤 qf p籾os P め . αLP‐ .91‐92 . 他 方 Pa . ,op ,pp , , .;Chadwi. ) の記述から, キュ テーラ島ではなく, オリュ ンピアから約40スタディ オ ストラボン (8, 356 ン の ピサ テ ィ ス に あ る 都 市 ヘ ラ ク レ イ ア と して い る‐ Zd pp T 海8 My”“α錆“ 賜oγ 12) Chadwi ck,7 . .78-79 1 1. 息 子 (ko-wo ‐ jo) と 娘 (ko-wa ,tu-ka-te) ,i. a) Ad文書にみえる息子 次に家族関係を示す語桑として 「息子」 と 「娘」 について検討したい. ピュ ロス王国での女性の 労働集団と子供を列挙している A-シリーズの文書のなかで, 特に Ad文書は Aa , Ab文書に述べ られている女性の労働者グルー プと 一致 できる女性らの息子である成人男子と少年をリストしたも の で あ る‐ Ad シリー ズの一般的書式は, 先ず地名 が記され, 次いで属格形で職種あるいは出身地名 が挙 げられ, ko-wo の後に表意文字 で 「男」 , 人数, ko‐woの 人数の順で書かれている. ko‐wo ) 文書でも文脈上 前者は属格形で示された (xo勿o )には少年の意味のほかに息子の意味もあり1 , , 「 「 女性労働者の 成年の息子」 を, 後者は 少年の息子」 と区別して, 女性 グループと男の子との親 子関係を記載している‐ Adシリーズを表にすると以下のようになる..
(7) . 山 川 腐 司 表2. 文書番号. 地名. 職種・出身地名 i As i (Lyd )出身の女性達 a a. 351. 毛織物女工達. 318十420. 成年の息子 少年の息子 nn. 8. 7. 3. 380. ミレトス出身の紡績女工達. 390. キュ テーラからの女性達. 664. ゼピュロスからの亜麻布作り達. 4. 3. 666. 布地仕上げ女工達. 20. 7[. 667. 裁縫女工達. 2. 671 675. Pu-ro. 676. ュ ロ. 677. ピ. ス. ヘ ッ ドノぐン ドf乍り や 容器”乍り, 孫豆乍リラ並 キ オ ス か ら のo‐nu‐ke作 り 達. 22. 不足 5. 3. 4. 3. 5. 風呂付きの女性達. 22. 11. 紡績女工達. 30. 9. 6 オラ足 8. 679. キュ テーラからの服作り女達. 680. ko‐ro‐ki ‐ jaか ら の 女 性 達. 5. 683. クニ ドスからの女性達. 5. 4. 6 84. -nwa‐t - Ti i jaか ら の細Eリ エj茎 (A-pu‐ne-weで の 漕 ぎ 手 の 息 子ぅ室). 5. 2. 686. 捕虜の女達. 15. 689. ミレトスからの女性達. 2. n. 不足す. 4. 690. 侍女達. 691. 々 、 嘉日 寺層1いや小麦金洋三 活字旨 臨 , 球‐事 一舟受を す る 女 中ラ室. 290. 布地仕上げ女工達. 2. 穀物を張く女性達. n. アシアからの亜麻布作りの女達. 3. Ki ‐ma‐raか ら の 女 性 達. 4. ある種の織物女工達. 5. 30 8 362 668. Re-u-ko‐to‐ro. (Leuktron). 遠州の中心地. 669. 9 n. 9. 295. Ke-e. 亜麻布作りの女達. 8. 670. E‐u-de‐we‐ro. 亜麻布作りの女達. 4[. 672. E‐pi ‐ko‐e. 亜麻布作りの女達. 4. 3. 67 8. Po‐to‐ro-wa‐pi. 亜麻布作りの女達. n. 1[. 6 85. ○‐wi ‐to- lo 1. to-sa‐me‐ ja (商 売 ?) の 女 達. 3. n. 687. i ‐ ‐ ]e‐pi ja-ta‐n ja. 亜麻布作りの女達. n. Da‐ml -m‐ ia. 亜麻布作りの女達. {船の漕ぎ手になる). 697- 921. K0‐r i -to. t e-pa(重量のある織物)作りの女達. 0 羽 に 3. 5. I. にU.
(8) . ミュ ケナイ時代の家と社会 (その1). 357. 織物女工達. 663. i -ra2の 女 達 o‐t. n. 688. Ne-wo「peか ら 女 達. 4. 2[. 羊毛杭き女工達. 4. 3. I. 7. 7. [. 700. 4. n. 1450. I. 6. 69 4. 地名欠如. 不足g. 674 681. 欠如. ピュ ロスおよ び遠州の行政中心地, レウクトロンなどにあっ て, 上記の種々の職種に就いていた 女性労働集団が, 彼女らの息子達と共にリストされている. 女性達はピュ ロス王国の手工業生産の )が 常に属格複数形で表記されており 出身 労働力として使用され, 王国の富形成に貢献していた2 , , 地別, 仕事別に集団にまとめられていた. 彼女らが従事していた仕事内容からして, 恐らく下層民 )が 母親は個人的に記載されたのではなく 仕事の内容別にまとめられて一括 であっ たと思われる3 , , して記録されている‐ 女性集団と成年, 少年達が親子であっ たことは文書の上から明らかであろう‐ しかし誰と誰が親子関係にあるのか, またこの女性集団が何人であっ たのか, 子供達の中に兄弟が いるのか, などはわからない. 紡績女工 グループのように成年, 少年合わせて39名, 風呂付きの女 性達で33名もの子供がおり, 彼らは母親達同様, 集団としてまとめられていた. 文 書 357 , 671 , 679 , 690 で 成 年 の 息 子 の 不 足 が 記 さ れ て い る が, 697 がこ れ を 理 解 す る ヒ ン ト に. なる. そこでは亜麻布作りの女達の息子n人が 「舟の漕 ぎ手になる」 と特記されている. 少年はと もかく成年は当然何らかの労働に従事させられていたはずであり,An607での麦刈り女達の場合と 同様, 男子だけの集団にまとめられ, 労働を課せられていた. そして成年男子の不足理由について も, 当時の緊急事態下で親元を離れて舟の漕ど手として徴発された結果, 人口調査の際, 不在だっ たので, 形式上不足と記録されたのであろう. 684 は 唯 一, 母 親 の ほ か にA-pu-ne-weで の 舟 の 漕 ぎ手 で あ る 父 親 に 言 及 し て い る‐ こ の 父 親 達 も. 臨時に徴発され, 家族から離されたとも考えられる が, あるいは平時から 父親は妻子から切り離さ れ, 例えば漕ぎ手グルー プのような労働集団に入れられて働いていたとも考えられる. ここでの息 子達は母親に比べて父親との繋がりは弱いよう である. ま た 母 親 達 は 職 種 の ほ か 出 身 地 に よ っ て も 表 記 さ れ て い る. ア シ ア(リ ュ ディ ア), ミ レ ト ス, キ. ュ テーラ, ゼピュ ロス, クニ ドスといった小アジア西岸やエーゲ海の島の地名 がそれである. これ らの地にはミュ ケナイ・ギリシア人の居住地があり, そこでは彼らの手工業製品をその地の産品と 交換する交易所もあっ た. 恐らく文書6 86の捕虜の女達は, 戦争の結果あるいはミュ ケナイ船での 急襲による奴隷狩り で捕えられ, 産品としてそれらの地の奴隷市場で売買され, 本土に連れてこら れたのであろう. そして職種に割り当てられるまでの短期間 「捕虜」 と呼ばれ, その後, 職種や連 )と思われる ここでも親子関係は読み取れ れ出された土地に因んで地名や職業名 で呼ばれていた4 . るが, トリアーデ的な家族をなしていたかはわからない. また息子達は成人後も母親の属する グル ープのなかに入れられて, 管理されていた. 母親も息子達も集団で生活していたようである. b) Aa- , Ab文書にみ られる少女, 少年 7′.
(9) . . 山 川 腐 司 「 女 と 「娘」 の 両 方 を 意 味 す る Aa- Ab‐シ リ ー ズ は 女 性 労 働 集 ko-wa (korwa , . , ぬp“) も 少 」. 団と少女, 少年への食糧 (小麦と無花果) 配給のための人員 調査と配給量の記録である. 人数が重 なるので実際の数はこれよ り少ないが, 文書での記載人数を総計すれば, Aa‐文書では女性労働者 90人, 少年 631人, 少女376人, 少年261人, 計1 ,268人, Ab‐文書では女性労働者370人, 少女1 5 } プは職種や地名 グルー で呼ばれ A 女性の労働 d 文書と同様 いる 09人がリストされて 1 49人, 計7 , . ている. また個人名 ではなく職種内容や地名による集団名 で記録されていることから, 彼女たちは 王宮に所属 した作業場で働く 女性達で, 社会的にも下層階級を構成していたと思われる. その グル ー プに含まれる少女達や少年達とこれらの女性集団との関係はどうであろうか. 彼女らはAd文書の ように属格形では なく, また息子と限定するよう な語もなく, 従ってここでは親子関係を示してい るとは いえない. あるいは全く親子関係を考慮することなく, 職種毎に成人女性, 少女, 少年の グ ルー プに機械的に区分された可能性もある. これらの文書からは親子関係・家族関係を読み取るこ とはできない. 25文書にみえる息子 c) Au文書, Jn7 )Aul02=Docs46 は ミ ュ ケ ナ イ 出 土 の 文 書6 ‐ ,. を 最後の 14 行 目 のa-to-po‐qo (artopokWoi , pてo-. 2. Na‐su-to. MAN. 3. i -se-u Ta-ra-woとKa-r. MEN. 4. E-ke-neとE-u-Po-ro. MEN. 5. *85- ja-toと KO-no-[‐]-du-ro. MEN. 6. Ke-re‐no. MEN. 7. - VVa-a jo 2-taとDe-u-ki. MEN. 8. M【o- i -da. MAN. 9. 0‐r i ‐ko. MEN. ー J 十 ふ りム ヘ ム へ ′ ム リム ー← リ ‘ ( n ′ ム ー. o(凄 鴛) )から パン焼き人達のリス トを記録したものであるが, その中に息子を意味 するi-j ‘ #るガo の語薬が見られる. ‐s -roと 息 子 MEN i I VVa‐ra-pi. 4行空白 14. a‐to‐P0‐qo. [. ]. 7 } 4行目の後半は欠損 書式は「人名十人名 十qe , 成年男性を示す表意文字と人数 」の順番である. 1 しているが, 合計17名 で, 個人の家からの出 土文書としては数が大きい. しかも彼らは パン焼き職 人とはっ きり職業が記されている が, 一人一人名前で呼ばれている 点もAd文書とは異なる. 1行 i i - - 目でWa- roと息子の2名は父子関係にあり, 息子の名前は不明だが, 表意文字が成年男子 s ra-p を示しているので, 成人に達 していたことがわかる. 息子以外は名前 が明記されていることから, 彼らは自らも額に汗して働いていたかもしれないが, 他人に雇用され, 酷使された下層の男性労働 者よりも地位は上であっ たと思われる. あるいはむしろ職人や奴隷を抱える雇用主あるいは親方の ような存在で, 職人として社会の中でそれなりの地位を築いて いた人達であっ たかもしれない. 恐 らく息子は親の仕事の跡継ぎとして父親と 共にこのリストに数えられたのであろう. 文書から男女 間に仕事の分業があったことは知られている が, パンを焼くのは男性の仕事で, 父親と息子 が一緒 に働いていたのであろう. この文書から男 系の親子関係を確認すること ができる..
(10) . ミュ ケナイ時代の家と社会 (その1) ま た ピ ュ ロ ス 文 書Jn725 にも息子(i‐*65 ‐pa-te‐we地 , 凄 も ) の 記 述 が あ る‐ こ の 文 書 はE‐ni. 区での鍛冶師 に青銅を配分しているが, 2行目以下に受給鍛冶師が合計27名列挙さ れている 8行 ‐ 目 で Wa-tトqo‐ro. l. i‐*65-qe. 1 と あ り, Wa-t i -qo‐roと そ の 息 子 が受 給 鍛 冶 師 と し て 総 計. 7 8kgの青銅のうちの割り当て分の配分 に与っ ている. 彼らも王宮から親 子で青銅の配給を受ける職 人であった‐ パン焼き職人同様文書に名前が記 録されていることは 社会的にもそれなりの地位が , 認められていたから であり, 自由民の親子関係と 見倣すことができる 彼らは当然妻や女子も含め ‐ て家族を構成していたはずである が, それについては何の情報も得られない しかしこれらは 我々 ‐ , が一番知りたい所謂一般自由民の家族関係の存在を暗示するものとして注目される . d) V-文書にみられる娘, 幼女 娘 ( tu‐ka‐te -ra) の 用 語 が使 用 さ れ て い る の が, ミュ ケナイ出土の文書 2 り後て卯) と 幼 女 (ki ,β 303 で あ る‐ V 659=Docs . 1. i‐メ wo‐d e‐遊 ばe‐粥←“/-〆α. 2. 7 7 功α-7 20 ”-だ-たα-sα-〆α-質ローqe. 3. ガーs”-打 z z. qo-幻-q8. 1 2 2. 4. ば-郷-PZ-“α 8‐γ. 5. 0‐か‐wo‐WZ‐ル. 6. α一7 2 z-の 棚-をα-彰一QB E. 2. 7. 2α pZ- “ 一切○‐7. 2. 8 9 10 11. 12 13. [.]たα-の. 彰一o-do一 難-q8 ヱ”-加‐彰‐qβ. 廟-冗z-48. 庇-か 庇-48. 2 2. 2. Z-粥o‐qe ]-γ. 2. ] 粥α一如‐qe. 2. ]*82. ]qe. 2. 2 ]. RIGHT EDGE ゴーγ←[.] 1 た『 %rso 霧‐他‐48 2 こ こ で は 1 行 目 で ベ ッ ド作 り の 仕 事 ( ) を す る 人 と し て 25十 n 人 の 女 性 の名 前 cf . n. ,瀞W, 644f. が列挙されている. だいたいは2名づつがセ ッ トになっ て記されている 寝具類やペ ッ トを整える ‐ 仕事を2人1組で行っ ていたのであろう. また彼女 らは職種や地名 で呼 ばれる女性労働集 団と違 い, 個 人名 で呼 ば れ, そ の 名 前 も ウ ォ ル デイ ア ア レ ク サ ン ドラ ー テ オ ドー ラ ー な ど我 々 に は 馴 , , 染みのあるものもみ られる‐ 5, 6 行 目 で○-to-wo‐wi - jeと 娘, A‐ne‐a 2と 娘 が, ま た 7行目右端 で Pi -ro-wo-naと 幼 女, Ke-ra-soと 幼 女 が 1 組と し て 記 録 さ れ て い る こ の 4 組 は 母 と 娘 で 何 才 ま . ,. でを幼女というかはわからない が, 彼女達は幼い時から母親と一緒に働いていた それ以外の者た . ちの親子関係は不明 であるが, 個々に名前が記されていることは 親子関係にはない別人とみた方 , がよいであろう‐ ただ彼女等は名前 が明記されている点でA-シリー ズの女性労働者とは 異なり , また男性の親子関係を示すV659の書式の類似から 下層階級をなす女性 労働集団や王 宮に所属す , }と見るより 階層的にはもう少 し上で 仕事の分業上主として女性の仕事 に携わ る女奴隷の集 団8 , , っ た女性達 であり, 身分的にも自由 民であっ たと考えたい しかしこの文書からは母と娘の親子関係 . は抽出できるものの, 夫や息子といっ た男系への言及はなく トリアーデ的な家族や親族関係を構 , 成していたかどうかもわからない. 9.
(11) . . 山 川 腐 司. e) Aq-文書, Jn431文書にみえる 息子. i - jo) に つ い て の 記 述 が み ら れ る. こ の 文 書 は, ク ァ シ レ ウ の 職 を 務 43 で も 息 子 ( Aq64=Docs ‐. 9 ) める者達が表意文字ZE(何であるかはわからない が, 「一対」で明記されているもの) の取得をリ ス トしたものである. ‐ ]‐re-wi jo‐te. 1. ZE I *171 3 ]‐ ja, mo‐ro-qa,to-to, we-to, o‐a-ke‐re-se Z翌 1 - ‐ ka冊do-wo, mo-ro‐qa, o-u‐qe , a‐ke re se ZE 1 ‐ k ‐ - - - o u qe ru-ro, mo-ro-qa , a e re se , *171 6 - -k - - -t - ku…ru-me-no, mo-ro‐qa,i-te-re‐wa, ko-re-te ,to to, We o o a e re Se ZE I *171 3 ‐ i‐mi‐ti ja, ko‐re‐te,to‐to-we‐to o‐a‐ke-re-se pe‐ri‐mo,t . 2 3 4 5 6. 7{~ 醐 『. - -を。-- 鱒 。o-o剖 o 。 o鴬. 酬, ,. po‐ki-ro‐qo,e-qe‐o, a-to‐mo. 8 8. 酬一博 叫 o「o‐職-,o,. *17112. ZE. 1. ZE. I. ZE. 1[. Z眉. 1[. ZE. 1[. 9-11 ‐k ‐t k ‐ ‐ o‐da‐a2 , o to na e o e k- M e‐ta…Wo-ne-u,to-to-we‐to , o‐a‐ e re se a-qi-zo-we,to”to, we‐to,o-a-ke冊re-se ‐ ‐k ‐ ‐ jo,to-to, we-to ne-qe-u,e‐te-wo-ke-re-we-i‐ , o a e re se -k - - - kre-wo,to-to we-to ‐ ‐ - , me-ta-pa me‐wi , o-a e re se , ,e nl ta ra. 12 13 14 15 16. ‐ *171 6. 17-23. ]- r e‐u (クァ シレウ) の職を務める者たちである. jaは今年は以下を取得した. mo‐ro-qa (モロクァ) である [ ]- 以下は [. 対I. mo‐ro‐qaで あ るKa-do-woは 取 得 せ ず.. . mo‐ro‐qaで あ るRu-roは 取 得 せ ず.. 対1. X3. mo-ro‐qaで か つ 1‐te‐re-wa地 区 のko-re-teで あ るKu-tu-me-noは. X6. だ 。 ヮ十. 今年は以下を取得した. i ‐ teで あ るPe‐rトmoは 今 年 は 以 下 を 取 得 した. Ti ‐mi ‐t jaのko‐re-. 対I. X3. -me‐deの 息 子 は 取 得 し た. i ‐ i ‐ra‐ni ja (官 職 名) で あ るPe‐r i i ‐ Po‐s -r jo-no (地名) で のt X 12 今年は以下を取得した. ‐. 8. 対1. ‐ro‐qoは. e‐qe (職 業名)の 組 合(法 人)のPo↑ki. 9 -11. 空白. ko- ) 保有者達である. t 2 以下は 土地 ( 1 o‐na 13 E-ta-wo-ne‐uは 今 年 は 以 下 を 取 得 し た‐ i ‐zo‐weは 今 年 は 以 下 を 取 得 し た. 14 A‐q. 対1 対I. X6. n ] [X 対1 [ xnn. Xn ] 対 1 [xnn 15 E‐te-wo-ke‐re‐weの 息 子 のNe‐qe‐uは 今 年 は 以 下 を 取 得 し た. 得 し た. 16 Kiモーu (人名)の Me-ta‐paで Me-wi (若 い 方 ?) E‐ru‐ta‐raは 今 年 は 以 下 を 取. 対1 [Xnn] 5行目に息子の記述がみ 2~1 6行) に大別される が, 5, 1 1 この文書は上段 (1~8 テ) と下段 ( 10.
(12) . ミュケナイ時代の家と社会 (その1) ら れ る. 1 行 目 は 12 行 目 の 書 式 か ら 欠 損 部 分 をo‐da-a i ]-re‐wi ‐ jo‐ teと 復 元 で き る‐ 上 段 は 2qa‐s. 0 )の職を務める 者として 2 地方の首長の如き存在 であると同時に王の役 人でもあ っ た クァ シレウ1 ~ 8 行 目 に 持 分 地 所 有 者 (mo‐ro‐qa) や 中 央か ら 派 遣 さ れ た 王 の 役 人 コ レ テ ー ル (ko-re-te) ら を. 列挙している.彼らはこれらの官職からして社会の上層に属する者たちである ことは間違いないが , i ‐me‐de の息子が記録されている. 官職名を伴わず個 人名 で名 前を挙げられた 父親 その中にPe‐r は, 海岸地域の警備を記す○-ka文書An656,12 行 目 で, 近 州 主 要 9 地 区 の 1 つA-ke-re‐waで, 指 i 揮官Dwo sの警備隊の下級指揮官の中 に名前が見られる.従っ て,息子の名前は記されていないが, o この親子はビュ ロス王国の中で上層階級に属する者たちであっ たと結論づけることができる . 下段は, 上段のよう な官職を伴わない土地保有 者達 がZEの取得者 として個人名を挙げられてい る.15行目の Ne‐qe‐u の父親 Etewoklewes は,0‐ka文 書An654 で 指 揮 官 K1unnenos の警備隊 に随伴したヘクェタ (王 の 仲 間・従 者) A1ektruon (A‐re-ku‐tu-ru-wo) の 父 親 で も あ っ た こ の . こ と は Ne‐qe-u は王の側近身分であるヘクェ タ A1 ruon と兄弟関係にあり, しかもそれ ぞれ ekt 個人名 が挙 げられていることから, ピュ ロス王国 でかなり上層の身分階層に属する 名門の一族 で , あったと考えられる. ここでも母・娘などの女性の記述は一切ないが, トリアーデ的な家族関係の ほか, 兄弟の家族も含む親族関係までも構想できる. Aq218=Docs 44 に も 「息 子 ( i - ‐*65)」 の 語 葉 がみ ら れ る. jo . ,i 1. ‐ k 0‐da-a2 , a na‐ e‐e,o…pe-ro-te [. 2. r l‐so‐wa,1‐ }e-re‐u [. ]. VIR. I I. 3. ‐to - i - ne-wo‐ki je[‐re-]u ja‐ke-re-u ,i ,da‐. VIR. 4. ro‐]u‐ko, ku-sa‐me-m- io, me-ta-pa. VIR. I. 5. i -qo‐ta[ a‐e‐r. VIR. I. 6 6. i ‐ a3冊ko-ta jo ra‐t , a-da-. VIR. I. ] ‐to‐no jo o‐wi. 7-8. 9 10. k o-da‐a2 , e-ke‐jo-to , a- o‐to‐no pa冊ku-r02 jo , de‐wl‐. ]ka-r u,. 11 12. . ko-me-na-ta-o *34‐te ,. ] ,ke-kトjo. 13. ]me‐ i - ta jo , po-ru‐da-s. 14. ]me-nu‐a2. 15. ]ma‐ra‐te‐u a‐pu‐ka , - - i‐*65 t o e wo q ,. 16. . ZE. I. . . ZE. I. 犯. 1. ZE. I. ZE. I. 17 218り .. d i-w s Z o-の ‐”…粥Z-z◇‐q. [. この文書も二部に分けられ, 上段では表意文字 「成人男子」 の, 下段ではZEの 貢納を記録してい る‐ 1行目で 「以下の者たち は貢納の義務を課せられた」 として, 2 行 目 以 下 に 男 祭 司Ri‐so‐wa , Ne-wo‐ki -toと 並 ん で Me-ta‐paで Kusamenos の 息 子 で あ る[Ro]-u-ko Adras tosの 息 子 で あ る ,. Ai ‐ko‐ t aらがそれぞれ男性1名 を貢納している. 下段では 「土地を持たない以下の者たちが課せら れた」 としてZEを貢納している人名 がリス トされている ここでは16行目 にQo‐ t e-uの息子 (i .. -*65 ) の 記 述 がみ ら れ る.. 11.
(13) . 山 川 庸 司. ta-paにい この 文書に登場 する名前は○-ka文書と関係 がある. 例えば主要地区の1つであるMe‐ 海岸 警備 隊に 随伴 した ヘ クェ タ で たKusamenos の 息 子Ro‐u-ko はAn519 , 15‐16 でRo‐o‐wa へ の ‐to‐noで の 海 岸 警 備 隊 に 随 伴 し た ヘ ク ェ タ で あ り, -qo-taもAn657 で○‐wi あ っ た.ま た 6 行 目 のAi しかもAn656 で 父 親 のAdrastosの 息 子 と して A‐ke-re-wa 地 区 の 海 岸 警 備 隊 に 随 伴 し た ヘ ク ェ タ tos を父にもつ 兄 ‐ko‐na‐ro はAdras ‐qo‐ta とDi Di -ko冊na‐ro の名 前 が 記 さ れ て お り, こ こ で もAi. 弟で, かつヘクェ タという 重要な役職に就いていたこと を示している. 兄弟でヘクェタ職に就いて ‐wi - j oも いたこの家 系は, ピュ ロス王国 でも有 力な名 門の家柄 であ っ たと いえよう. 下段 のDi. E An519,11 で 指 揮 官Ke-wo-no の 警 備 隊 の 下 級 指 揮 官 の 一 人 で あ っ た.11 行 目 のA‐ka-re‐u の 父 ‐to a-ke一 (遠 州 主 要 7 地 区 の 1 つ) で の 海岸 警 備 隊 の 指 揮 官 ‐mi -ko‐me‐na-taは &)661,9 でTi ‐ jo はAn657,11 で ヘ ク ェ タ で あ っ た し, 15 行 目 の Ma-ra‐te‐u もj鮫1657, で あ り, 12 行 目 のKe-ki. 7で下級指揮官として記録さ れている‐この文 書の人物達は,ヘクェタなど総じて社会の上層 身分を 構成する人々で, 女系は不明であるが, 男系の親子関係から, その背後に王国の有力家の家族・親 族関係を読み取るこ とができる‐. 0人の受給鍛 冶師が総計54kgの青銅のう ちから,6人が さらに青銅の配分文書jn431 , 1 ~ 7で1. 6kgの 受 給 を 受 け て お り, 6 行 目 で そ の 責 任 者 と して ク 5kg , 各々 1 人 づ つ が4kgと , 2 人 が 7kg ) が記録されて いる. -qo-ta l[ ]iヰ65‐qe l i ‐re-u,a‐pi ‐qo-taと 息 子 1名 (qa-s ァ シ レ ウ のA-pi -qo-ta の息子ということになり, 在地の地方有力者の男 こ の 息 子 は 字 義 通 り に は ク ァ シ レ ウA-pi. 系の親子関係 を示している. これもピュロス王国の 上層身分に属 する有力者の親子関係とみること ができよう. f) その他の文書 Ae344 は ピ ュ ロ ス の 人名 リ ス ト で あ る が, わ ず か 1 行 と 短 い. ‐ro‐wo-na i dwo(h ) ‐*65 VIR 1 「 Wi i ‐ os の 息 子Pi ‐do-wo‐ jo ‐ro冊wo-na P1 ,i , wi. 男 1名」. i ‐sa‐to ( Jn706,4) ら と 一 緒 に 記 さ れ - i - ‐do-wi jo の 名 前 はAn5, 2 で も 受 給 鍛 冶 師Ku‐r 父 親 Wi l l )を 地名 (Carpentar ia) と す る か 奉 仕 の た め に 派 遣 さ れ た 職 人 て いる. つ ぎの 語 桑te‐ko‐to‐a-pe. とするかで解釈も異なっ てくるが, 恐らく鍛冶師らと並んでリス トされているこ とから, 職人身分 であっ たと推測できるであろう. とすればこの 文書は名 前が記録されるよう な職人の親子関係を示 しているといえよう. ほかに兄弟がいたかとか家族関係はどのようになっ ていたか などはわからな し)・. 〈注〉 L Z l l & Scot t dde ; Li 1) Docs, p‐159 , Gだ8た αれd Eれ多禽た e% ”〃, . ; Baumnbach .330 ‐αL P . , op dged,oxford Abr i . .390 ,p ,1966 2) Doc s ‐ .156 . ,p. 56は, 彼女らがしていた卑しい仕事は奴隷であることを示唆していると述べている‐ 3)Do岱りp ‐1 てきた Z o s ま たChadwi ck, 脳 Wo粥銑 qfP y .90は, 彼女らは避難民としてピュロスに移住し ,p i sch 自由 身 分 の 婦 人達 で あ る と い うF.J .154一162 の 提 出 し た 理 論 ,pp , 肌ぎれos 5 .Tr , PY A684. を発端に起きた自由民か奴隷かの論争を紹 介している. P ,p s Zd pp ; Doc ‐ .156 . ;do ‐92 ‐ 4) Chadwi ,P ck, Z肋 財yc例 解α“ 隣oγ . . .80‐81 ,Z物 Wo伽 貌 qf 籾os 5) Doα‐ ‐ ‐155 ,p 12.
(14) . ミュケナイ時代の家と社会 (その1). 6) ミュ ケナイ出土の文書史料はDoα‐に依っ た. 7) Doc p .553は6行目で名前と人数とが一致しない理由を人数を誤っ て2名としたか2番目の 人名 を 省 略 し た か の ど ち ら か と 考 え て い る. ま たDoαり p i ‐koを 複 数 主 格 形 ‐566 は 9 行 目 の0‐r で, 人名 で は な い と し て い る.. 8) 中井, 前掲論文, 1 49頁. 9) Chadwi iperezの よ う ) を, Ru ck, 脳 財y zeugos c例解α 7 2 Woγ溺,p.75 ; Do岱‐ . .422 はZE ( ,p に土地の大きさを示すとの説もある が, 牛, 馬といっ た動物だけでなく車輪のようなものの「軸」 や 「対」 を示すものと解釈している‐ 10) 拙 稿, 「ミ ケ ー ネ 時 代 の ク ァ シ レ ウ」 『歴 史 学 研 究』 462 号 1978 年, 24-32 頁‐ 11 ) J‐Chadwick, Mycenaean te‐ko-to‐na‐pe, SMEA 4,1967 .32 . , p. お わり に. ミュ ケナイ 時代の社会構成の基本をなす家・家族の在り方を究明すべく, 本稿では差し当たり線 文字B文書の中から家族関係を示していると思われる語葉を抽出し, 逐次検討してきた. その結果, 語桑の上からだけでは自ずと限界があり, 必ずしも十分な検討ができたわけではないが, 一応以下 の よ う に ま と め る こ と が で き る.. まず第1に, 古典期以後, 一般的に奴隷は, 彼が人間的でありえた共同体的結合から分離されて, 自己自身の共同体なき隷属者になっ た者であり, また主人に隷属し, 物として所有され, 自己の労 )と定義されている ミュ ケナイ 時代の奴 働の客観的諸条件に対しては どんな関係ももたない存在1 . do-e- ‐ra )は, 外国から連れて こられた場合もあっ たが, 自由下層民と結婚し, 子供を 隷( ro ,do‐e 儲け, 再生産を行っ ていた. しかしAn607の父・母への言及からも親子関係 は確認できるが, 彼ら が夫婦として一緒に生活しえたのか, またトリアーデ的小家族をなしえたかは文書の上か らはわか らない. これらの労働集団は職種に応じて グループに分けられたが, 子供は母親方の集団に含まれ た. そしてある年令までは一緒にまとめて育てられたが, 一定の年令 に達すると男女それぞれの職 種 グループに分けられ, 使役された. それ故, 下層身分の労働者達の記録からは彼らが夫婦・家族 をなして生活していたとは必ずしも言えないように思われる. 第2に, 職人と思われる人達が個人名 で記録されている文書の中に, 父親と息子, 母親と娘・幼 女の組合せがみえる. 職人階層が王国内でどのような地位にあっ たのかは不明 だが, 彼らは名前で 認識される自由身分の人達であっ た. 文書からは母子, 父子関係のどちらかしか探れないが, 恐ら く彼らこそミュ ケナイ 社会で一番多数を占めていた平民身分の一般自由民であっ たはずである‐ 2 枚の文書しか残存していないため発言は慎重でなければならないが, 敢えて大胆に推測すれば, 当 然彼らは夫婦・親子関係をなし, 家・家族を構成していた. それは大家族というよりは, むしろト リアーデ的な ・家族を構想させる‐ 第3にモロクァ, コレテール, ヘクェタなど王国の上層階級を形成していた者たちの中にも息 子 の名前がみられる. クァ シレウは王の役人であると同時に地在の首長の如き有力者 であるが, その 役を務めた者として上記の人たちが列挙されている‐しかもここでの名前は○-ka文書にも現われ, 父子関係から兄弟の名前も知ることができる. そして彼らは王の側近であるヘクェ タが多かっ た. 残念ながら女系はわからないが, 男系は兄弟でヘクェ タに就くという ピュ ロス王国でも有力な名門 の家柄であったはずで, ホメーロスに描かれた大家族制を連想することもできる. 13.
(15) . 山. 川. 庚. 司. このように文書からは, 具体的に家・家族の構成や在り方を豊かに示すものはなかっ たが, 父, 母, 息子, 娘, 少年, 少女などの語集はその存在を示唆している. ただ女性の親子関係は主として 中・下層の労働集団に記録されており, これから家族関係を推し量ることはできなかったのに対し, 男性の親子関係は下層 階級から上層階級にまで及び, 少なくとも中・上層部では小家族のみならず 大家族の可能性さらに親族の存在も十分にありえたと考えることができる. 今後上記の 課題を追求するためには, つ ぎにピュ ロス文書を中心にいわゆる土地文書の分析によ り, ミュ ケナイ 時代の土地所有形態にみられる家族関係の, さらにホメーロスの 二大叙事詩に展開 される家族関係の検討に進まなければならない. しかし, それらについては, 稿を改めて考察した し). 〈注〉 4頁. 0一3 1) 太田秀通, 前掲書, 1 91年度文部省科学研究費補助金 (総合研究A) による研究成果の一部である. なお本稿は19. 14.
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