周期的恐慌と固定資本投資(I)
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(2) . 0巻 第1. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 第2号. 昭和35年2月. 周 期 的 恐 慌 と 固 定 資 本 投 資 (1) 大. 野. 勇. 一. 郎. 北海道学芸大学釧路分校経済学研究室. Yui i i ro ono : PeriodicaI Cr chi s s and Fixed Capital lnvestment. 〔A〕 恐 慌 の 「窮 局 の 根 拠」 と 「直 接 の 原 因」. マルクス恐慌理論における恐慌の 「窮局の根拠」 と 「直接の原因」 という問題について固定資本 投資にまつわる諸特徴に重要な役割をになわせながら, われわれなりの一つの解釈をこ とい う の が, こ. るみたい. でのわれわれの希いである. だが何にもまして性来の非才にわざわいされ, 辛う. じて た ど りつ い た そ の 理 解 の 線 も, 偽 り の な い と こ ろ, 未 だ自 ら を 承服 せ し め る に さ え 必 ず しも 充 分 でな いも の を 残 し て い る, と い っ た て い の も の で し か な い よ う で あ る。 そ の意 味 で は, こ の た び. の仕事も, あるいは, 所詮, サイの河原に積む石の一つに過ぎないのかもしれない。 (1) 僻遠の地に身を置くわれわれの知り得ているかぎりでは, 「恐慌理論の基本構成」 と銘打った最 『資本論』にお 近のすぐれた労作と しては, 富塚教授の 「恐慌論の基本構成」 と宇高・南両教授の 「 1 ) と 「直接の 「 窮局の根拠 」 ける恐慌理論の基本構成」 とが数えあげられるようである . いずれも 原因」 との関連 について精撤にして明快なる解明を展開されている稔りゆたかなご研究であるが, ) 」 が公表された このうち富塚教授のご構想については, 昭和27年にその旧稿 「再生産論と恐慌論2 その当初から, すでにわれわれはわれわれなりに, その所説の理解につとめ, いさ かの疑義を残 したま 今日に至っている状態でもあるので, この度の学習にさいしても, 先ずその 所論をあらた ) めて学びなおさせていただくことから始めたいと思う3 . 「資本の絶対的過剰 生産」 と 「狭隣なる 消費限界」 との矛盾なき統合をめざされるその立場に限りなき魅力を感じ, 恐慌の必然性の論証 は, なによりも資本関係としての資本の把握にもとず いてなされねばならないとされるその見地に は賛意を表しながらも, 猶僅かにのこる疑義が, 教授の教えておられるところとわれわれ自身の理 解 との 間 に若 干 の 隔 り を つ く り だ して い る よ う に 思 わ れ る. あ え て 考 え る ま でも な く, こ う した 見. 解のへだたりのよってきたろ所以の大部分は, われわれ自身の側における研究と理解の不足 であろ うと思うのであるが, ともあれ, われわれ自身の理解をいさ か な り とも 前 進 せ しめ る た め に も, で重ねて教授の所説をまなび直すことは, あながち意義のないことではあるまい. 殊にその 後, あい次いで発表されている諸力稿をとおして, 教授の所説は一層の幅と深さとを加え, 稿をか こ. さねるにしたがって愈々その説得力を高めつ. あ る こ と は ま ぎれ も な い事 実 な の で あ る か ら.. るにあたって, われわれは先ず 「恐慌の必然性」 を教授が ど のように論証しておられるのかを教授ご自身の言葉を以て 「総括」 的に語っていただくことにした と こ ろ で, つ た な い 学 習 に と り か. い。 もっとも問題は, その説き明かされるところを, われわれが果してどの程度まで誤りなく理解 - 257 -.
(3) . 大. 野 勇. 一. 郎. し得 て い る か と い う 点 に あ る の だ が.. 「再生産表式を基準として, すでに以下の諸点が明らかにされている。,--#支払能力ある需要』 すなわち 『有効需要』 総額は, 『生産的消費』 のための需要と 『個人的消費』 のための需要とから なり, 前者は後者から一定の弾力性をもって独立的に発展しうるが 『終局的 には』 後者によって制 限さえ る。 第=部門はヨリ直接的に, 第1部門は第亘部門の生産を通 じてヨリ間接に.,第1部門用 生産手段生産部門といえ ども, その自立的発展はヨリ弾力的でありうるとはいえ, 部門間の技術的 =経済的な関連性に制約されて, この 『終局的』 な制限からまぬがれうるものではない. 蓄積過程 において, 生産手段に対する 『投資需要』 と消費資料に対する 『消費需要』 とは, 生産力水準にし て変化がない場合には, その所与の社会的生産力の水準に対応する一定の構造連関・一定の相互比 率を保持しながら増加してゆかなければならない. 蓄積にともなって生産力水準が上昇する場合に は, 右の構造連関自体が変化するが, しかし新たな需要構造は新たな生産力水準に対応しなけれを ならない. かくして, 部門間の技術的=経済的な関連性を通じて, 『消費需要』 の大いさは 『投資 需要』 の大いさを究極的に制約する. ところで 『消費需要』 の構成要因のうちの資本家階級のそれ は社会的機構によって強制 と して作用する 『蓄積衝動』 によって制限され, 他方, 労働階級のそれ は 『敵対的分配関係』 により狭溢なる限界を劃されている. だが, 蓄積=投資活動の限界は, はじ めから制限され ている消費では決 してない。 資本制社会の再生産規模を決定するものは, まさに資 本そのもの, 蓄積;投資活動そのものであり, それの大いさ如何によって 『生産的消費』 と 『個人 的消費』 との大いさもまた決 定さえ るという側面をもつ. しかも, 第1部門, とりわけ第1部門用 生産手段生産部門の生産に対する 『消費需要』 の制約は間接的であるに過ぎず, そしてさらに, 多 く は巨大な固定設備投資を要するこれらの生産部門への投下資本がその産出能力を発揮しはじめる までには一般にはかなりに長期の建設期間の介在を要するのであるから, これらの生産諸部門は, 相互誘発の過程を通 じてかなりの程度までその自立的発展をおしす >めてゆくことができるのであ る. とりわけ, 蓄積が生産力の飛躍的発展をとものう場合, すなわち拡張再生産が顕著な不均等発 展 と して お しす められ てゆく場 合, その不均等発展を主導する第1部門, とりわけ第1部門用生 産手段生産部門の自立的発展への傾向とその可能性もまた大 である. しかも, この自立的発展とい え ども, それが雇用増大を通じて労働者階級の消費需要を増大せしめてゆくかぎり, また, 実現の 問題が顕在化するまでは, 投資増大につれて利潤もまた増大 しそれ故にまた資 本家階級の消費需要 も増大 してゆくかぎり, いわば後からその 『自立的発展』 の 『自立性』 自体を解消せしめ てゆく側 面をもつの である. だがしかし, それには越ええない一定の限界が劃されている. 資本家階級の消 費需要が 『強制』 と して作用する 『蓄積衝動』 によっ て絶えず制限され, その 『貯蓄率』(Mα/M) は大ならざるをえないとすれば, ……剰余生産物 Mのうち Mαの部分を実現せしめるに足る 『新投 資』 もまた大でなければならず, しかも累増する 『新投資』 のいわば経済的な有効性を究極的に制 約する 『消費需要』 の増大は, ヨリ多く雇用増大と賃銀率の上昇による労働者階級の賃銀所得の増 大に依存せざるをえない. そしてこの質銀所得の増大限界は, 『資本の絶対的過剰生産“ なる限界 点によって劃されているのである. かくして, 第1部門用生産手段生産の自立的発展も, やがては その限界につきあたり, 『事後的・暴力的な調整』 を受けなければならない. 『資本の絶対的過剰 生産』 なる限界点において, 或いはそれへの加速度的な近接過程において, 『一般的利潤率の強い 突然の低落』 が開始されその利潤率の低落がやがて一 定限を越えるや, 蓄積速度の急激な鈍化は避 けえない. その蓄積速度の急激な鈍化, 『新投資』 額の突然の減少は, 剰余生産物 Mのうち Mαの 部分の実現を困難ならしめ, 利潤率をなお一層低落せしめっ 『再投資』 の減少・再生産規模の縮 少をもたらすのであるが, とくに第工部門, とりわけ規定的な意味をもつ労働手段生産部門に著し -258-.
(4) . 周期的恐慌と固定資本投資 (1) い過剰生産を惹起せしめる. …………蓄積速度の変化はこの生産部門への需要の急激な変化をも た らさずにはいないからである. かくして, 過剰生産はこの部門, ならびにその関連産業部門 (とり わけ基軸的な鉄, および石炭) に顕著に現われ, 生産縮少と雇用減退により先ずこれらの第1部門 から庵大な失業者群が排出されて労働者階級の消費需要は減退し, この第1部門への需要減退は生 産の流れを逆に遡って更に第1部門へとはねかえってゆき, かくして全産業部門に過剰生産恐慌が ) 波及し, 『再生産過程の全面的撹舌 L』 を帰結してゆくのである4 .」 はじめに若干の予備学習をこ ろみておきたい。 われわれの推測し得るかぎりでは, 教授の理論 は, 「資本制生産の真の制限は資本そのものである」 「蓄積=投資活動の限界は始めから制限され ている消費では決 してない」 「有効需要の作出者は蓄積=投資活動である」 「消費は生産のあとに つづく」 「あらゆる現実的恐慌の窮局の根拠は消費制限 である」 「生産的消費のための需要は個人 的消費のための需要から一定の弾か性をもって独立的に発展し得るが終局的には前者 は後者によっ て制限される」 「消費の一定の状態は均衡の要素の一つである」 等の諸命題の克明にして周到なる 吟味と連繋のうえに構築されているもの よ う に 思わ れ る. 消費需要からの制約をはなれて第1部門の自立的発展がおしす>められ, いわば本来的意味のそ れを越えての不均等発展が進んでいくことによって, 「恐慌の究極の根拠」 が成熟する。 この成熟 していっている 「究極の根拠」 のうえで, 「資本の絶対的過剰生産」 につきあたり 「有効需要作出 者」 (=蓄積) の歩みが鈍る. と同時に 「消費限界」 が顕在化する。 この出現した 「消費限界」 が 「蓄積の衰退」 を援けて再投資を減退せしめ 「恐慌の必然性」 を決定づける。 ※ ( 「『実現』 の問題 側面を全く捨象して論ず るならば, 賃銀の資本制約限界を越えての上騰による 『資本の絶対的過剰 生産』 が帰結するのは, 実は, 『蓄積 〔;新投資〕 の衰退』 ないしは 『停頓』 であってそれ以上の ものではない. 『実現』 の問題側面を全く捨象するならば, 新投資の衰退は再投資の減退を惹起し ない。 従って 『資本の絶対的過剰生産= なるこの要因のみによって, 『再生産過程の全面的撹乱』が 惹起されるという論拠 はない。 したがってまた, 『賃銀が最低限およびそれ以下に圧下される』 と いう論拠もないのである.『一の反作用』o『蓄積の衰退』 が 『全面的過剰生産』 をその 『基本現象』 とする 《恐慌》 の爆発に導かざるをえないということ, 『再生産過程の全面的撹乱』 となって現わ れずにはいないということが論証されるためには, そうした 『反作用』 をよび起す条件とは一見ま さに逆の・『実現』 の条件の問題. 『狭睦なる消費限界』 によって究極的に制約される 『実現』 の 条件の問題が, まさしくこの 『反作用』 が始まるその時期に, 充分に成熟していなければならない はず で あ る。 と す べ き で は な か ろ う か.」 〔基 本 構 成 :p.138〕 な お, 『総 括』 の 箇 所 で は, 「そ の 蓄. 積速度の急激な鈍化, 『新投資』 額の突然の減少は, 剰余生産物Mのうち Mαの部分の実現を困難 ならしめ, 利潤率をなお一層低落せしめつ 『再投資』 の減少・再生産規模の縮少をもたらすので あ る が とくに第1部門, とりわけ規定的な意味をもつ労働手段生産部 門に著しい過剰生産を惹起 せ しめ る.」 〔基 本 構 成 :p ,142〕 と い う よ う に 述 べ ら れ て あ る. 「『実 現』 の 条 件 の 問 題, - - 『狭. 『狭 暁なる消費限界』 によって究極的に制約される 『実現』 の条件の問題」 は, 一見したところ, 「 曝なる消費限界』 によって制約される 『実現』 の条件の問題」 としてのみ, 即ち, 過剰生産への危 機, 実現の条件の困難性の成熟は, 消費資料生産部門にのみ存在するものとして扱われ, 蓄積の衰 退一消費限界の出現, となっているようにもうけとられるが, 蓄積の衰退は同時に, 消費限界の顕 在化をまつまでもなく, 第1部門用生産手段生産部門ならびにその関連産業部門に過剰生産を露呈 せしめているようである. 実現の条件の困難性は第亘部門のみではなく第1部門, とくに労働手段 生産部門において最も 高い成熟度を示していたもの 様に思われる。 『蓄積衰退』 の原因を 『実現』 -259-.
(5) . 大. 野 勇. 一 郎. の問題から一応切りはなされたものとしての 『資本の絶対的過剰生産貫こもとめられる教授は, 『蓄 積の衰退』 が同時にもたらす 『消費限界の出現』 の方により多く注意を向けられて, 消費需要の減 退がその後, 投資需 要を減退せしめてゆく道筋をしめされ, 「実現の条件が消費限界によって究極 的に制約されている」 ことを, そして この 『消費限界の出現』 をまって恐慌の必然性が論証される という意味で 「あらゆる現実的恐慌の究極の根拠は消費制限である」 ことを教えておられるのでは 『狭瞳なる消費限界』 によって究極的に制約される 『実現』 の条件の問題」 と ないかと思われる. 「 いう云いあらわ しから推してゆけば, 実現の破綻は 『消費限界の出現』 を起点と して解明されてゆ かねばならないようにも思われる. 事実, 教授はそのように説き明かしておられるようである. だ が, 生産は消費によって究極的には制約されねばならないということは, かならずしも, ひとたび その制約を乗り越えて拡大された生産が実現の破綻につきあたる場合, 先ず消費財の過剰という形 をとらねばならないということを意味するわけではないだろうと考える。 生産財は晩かれ早かれ消 費財に成熟, 結実するものであるとしても, 増大した生産財が増 大した消費財 となってあらわれる ことによって 『狭溢なる消費限界』 という壁につきあたる. とじ・う段取りにおいてのみ実現の条件 の困難性が成熟するというわけではあるまい. 教授ご自身次の様に述べておられる. 「蓄積速度が 急激に鈍化するや, 先ず労働手段 生産部門が, 次いでそのための原料生産部門が過剰生産となり, この第1部門における生産・雇傭減退による消費需要縮少によって過剰生産はさらに第亘部門へと 波及し, それはまた逆に第1部門へとはねかえってゆき, かく して全般的過剰生産恐慌を現出する にいたるのである. 蓄積速度の減退はとりわけ労働手段生産部門に過剰生産をもたらす.」〔拡張再 生産過程と固 定資本の回転 :p 〕 もっとも, 『蓄積の衰退』 が実現の蹟きには じまるものでは .250 ない教授の所説をまなぷにさいしては, われわれのこの様な詮索は或いは無意義なことなのかもし れないのだが.) ※すなわち, 「消費需要は投資需要を終局的に制約する」ことになる. だが「蓄積= 投資活動の限 界は始めから制限されている消費では決してない」 , 自立的発展をうながして 「究極 の根拠」 を成熟せしめたのも, 「資本の絶対的過剰生産」 につ きあたって自らの歩みを鈍らせたの も, みな 「資本の本性」 の然らしむるところである. 「資本制 生産の真の制限は資 本そのものであ る.」 かく して, 「資本の絶対的過剰生産」 を最初のっまづきの石とすることに よって 「生産と消費 の矛盾」 という関係の流れのうえでの 「恐慌の必然性」 論証は万事支障なくはこむ れてゆく かに見 える. だが, この 「資本の絶対的過剰 生産」 なる事態の到来以前に, あるいはそれ以外に, 蓄積に ・せずとも『実現』 たいする蹟きの石は現われないものであろうか. 「資本の絶対的過剰生産」 に逢着 の側からの原因 で蓄積がだじろぐということは考えがたいものであろうか. さらにはまた蓄積が衰 えをみせないうちに 「消費限界」 が出現するという事態は想定し得ないものだろうか. (この想定 はこのましくない, とわれわれは考えるが) 教授は 「生産財は結局において消費財に成熟, 結実す る」 ものであることをも指摘 しておられるし, また 「実現問題の顕在化は, 資本の過剰蓄積を, 云 いう べくんば, 資本が絶対的に過剰 生産されていない場合における資本の絶対的過剰生産を, 実現 3 ) とも云われている。 われわれは の側面から成立せ しめる であろう.」(再生産論と恐慌論 :p .8 『一の反作用』・ 消費財の過剰生産に恐慌発生のいとぐちを求めような どとは考えていない. だが 「 『蓄積の衰退』 が 『全面的過剰生産』 をその 『基本現象』 とする 《恐慌》 の爆発に導かざるをえな いということ, ……が論証されるためには, …… 『狭嘘なる消費限界』 によって究極的に制約され る 『実 現』 の条件の問題が, まさしく この 『反作用』 が始まるその時期 に, 充分に成熟していなけ れ ば な ら な い 筈 で あ る. と す べ き で は な か ろ う か.」 (基 本 構 成 :p .138) と さ れ て い る こ と は, 何. としても, われわれの心にか る の で あ る. お そ ら く, こ で云われていることの意味は, 実現の 条件の困難性を成熟させるその同じ事情が 「資本の絶対的過剰生産」 を招来するのだということで 60- -2.
(6) . 周期的恐慌と固定資本投資 (1) 『資本の絶対的過剰生産』 とは, 実は 『恐慌の究極の根拠』 と して規定された関係のいわ あろう. 「 35 ば裏返しの表現であるに過ぎない. ) だが 「産業予備軍の資本制的限界をこえ 」(基本構成 :p .1 ての吸収と賃銀水準の資本の価値増殖に適合的な限界を越えての上昇」 が「資本の絶対的過 剰 生産」 を惹き起すそのときまで, あるいは, 惹き起さないかぎり, 成熟 していってる実現の条件の困難性 はついに実現の破綻となって顕在化することのないものだろうか. 言葉通りの意味において 「資本 が絶対白鋤こ過剰生産されていない場合における資本の絶対的過剰生産を実現の側面から成立せしめ る」 とい う事 態 こ そ む しろ 常 態 な の で は あ る ま い か. 「資 本 が 資 本 と し て 過 剰 に な る こ と に よ っ て. 同時に商品として過剰になる.」 たしかに教授はその通 り説きあか しておられる 『価値増 。 だが 「 殖』 をその本質とする資本が, その 『価値増殖』 をおしす めてゆくには過剰に商品が生産された の で あ る。」 (基 本 構 成 :p .140) と い う よ う に は 必 ず しも 説 明 さ れ て い る の で は な い よ う に 思 わ れ. る。 というのは 『価値増殖』 をおしす めてゆくのには過剰な商品が生産されるためには 必らず , しも労働力の不足や賃銀の急騰が これに伴わねばならないとは考えがたいからである マルクスに 。 とっても 「人口過剰のもとでの資本の過剰」 を語ることがその本来の意図だったのではなかろう 力5).. 「消費の一定の状態は均衡の要 素の一つ である」 のに 「自立的発展」 は消費の制約を脱しておし す. められる。 即ち資本構成高度化の反映たる以上に部門構成を高度化し 「恐慌の究極の根拠」 , となるような 「不均等発展」 をつくり出 してしもう にもか わらず蓄積の猛進は 「消費限界」 の . 出現をおさえている。 然しそれは 「自立的発展」 による所得発生効果の みが存在して産出能力追加 効果があらわれない間だけのことではないのだろうか. 「恐慌は支払能力ある消費または支払能力ある消費者の欠如 から生ずるというのは純然たる同義 反復である」 と いうマルクスのいましめをわれわれは受けいれよう そのうえで更に教授の云われ . るところに耳をかたむけよう. 「 『個人的消費のための需要』( 「消費需要」 ) は 『生産白増肖費のため 「 の需要』( 投資需要」 ) の大いさを究極において規 定する。 だが『投資需要』が順当に増大 し続け , それにともなって雇用が増大 し賃銀が上騰 し かくして 『消費需要』 が増大し続けてゆくならば , , そこにはなんら必然的な限界はない, とされなければならないであろう ……恐慌は『有効需要』の . 全般 的 不足 か ら 生ず る と い う の は 『純 然 た る タ ウ トロ ギ-』 で あ る 何 に よ っ てま た 如 何 に して『有 .. 効需要』 の全般的不足が生ずるのかが, 資本制約生産の形態規 定に根ざすものとして 明らかにさ , れなければならない.」(基本構成 :p 27 ) 教授は 「恐慌の究極の根拠」 としての 「生産と消 費の ,1 矛盾の成熟・激化」 から直接に 「有効需要の全般的不足」 をひき出すことは誤りだとされる 「有 . 効需要の全般的不足」 が顕在化するのには, その前段階に (有効需要の不足にはか わ りの な い) 「恐慌の直接の原因」 があって, それが, その 「直接の原因」 の登場するそのときに既に成熟 し切 っている筈の実現の条件の困難性 (だが, この困難性の成熟が直接の原因を生み出すのではないよ うである. 困難性を成熟せしめるほ ど急速な蓄積の増加がなされるから という意 味でつながるの , かも知れないが) の顕在化・ 「有効需要の全般的不足」 の表面化を導くのでなけれを な ら な い と 云 わ れ て い るも の. よ う であ る。. いうまでもなく 「直接の原因」 の発生のさ いに 「実現」 の条件の困難性が成熟 しているというこ とは, 「直接の原因」 を生み出す基盤と 「実現」 の条件の困難性を成熟させるそれとが共通のもの だということから来ているものと思われるが, その共通の基盤とは, いわば 「本来の意味の不均等 発展」 の限界を越えての 「不均等発展」 ・ 「価値増殖」 を本質とする資本が ほかならぬその本質 , によって課される固有の 「制限」 を越えてその生産を拡張しようとする内的衝動がつくり出した事 態であろう. そうした事態にすでに立ち至っておりながら, しかも或る期間, 何らの蹟きも生じな -261-.
(7) . 大. 野 勇. 一. 郎. かったのは, 投資需要 と消費需要とをもって構成される有効需要が, 何らかの理由で, 結果的に, 一定の構造連関を保ち得ているような恰好になっていたからではないだろうか. 第1部門における 自立的発展, 固定資本の長期にわたる建設期間, 所得作出効果のみあって産出力効果の発揮され な い期間, (われわれは実はこ>で建設期間の経過による産出能力の発揮と併せて固 定資本の補填に おける C( ・ 2 )>C( j なる局面の到来を想いえがいているのだが.) それが 「投資需要が順当に増加し 続け, それにともなって雇用が増大 し賃銀が上騰し, かくして消費需要が増大し続けてゆくなら ば, そこにはなんら必然的な限界はない, とされなければならないであろう.」 ような状況をつく りだしていたものではないだろうか. だが教授は懐姫期間の経過にはそれほ ど心を煩わされること なく, それは却て一層 蓄積に拍車をかけ 「資本の絶対的過剰生産」 なる段階への接近を促すものと さ れ て い るよ う に 思 わ れ る。 「だ が, こ に注意すべきは, ……たとえそれが生産力水準に照応す べき部門間の技術的=経済的な関連性による制約を越えた 『自立的』 発展であったとしても, それ はそれでまた, 雇用増大一消費需要増大を通 じて逆に全体と しての再生産の規模と水準とをいわば 上から引きずり上げてゆくのであり, そのことは, それら第工部門に投下された固 定資本が資本と して機能し産 出能力を発揮しうるまでには長期の建設期間を経過 しなければならないという事情と 相撲って, 不均衡としての顕在化を先 へ先へとおしやってゆく有力な要因と して作用する, という ことである. いな, もし仮りに, この雇用増大一消費需要増大の速度が, 『自立的』 発展の 『自立 性』 自体を (後から後からと) 解消せしめてゆくほどに大でありえたとすれむr すなわち, 各生産 「迂回」の径 部門への投下資本が順次に建設期間を経過 してその生産能力を発揮し出し, 生産段階 ( 路を) 下降して現実に消費財生産の増大へと結実 してゆくとしても, その消費財生産の増大をすべ て吸収するに足るほどに雇用増大 (→賃銀率 上昇) →消費需要増大の速度が大であったとすれば, 『不均衡』としての顕在化は, 無際限の前方におしやられてゆくことも可能であろうと推論されるか もしれない. だがしかし, それには, 資本関係によって規定される一定の越ええない限界が劃され 1 8 )「実現」 の問題に関して教授が先ず心に かけられるのは, ているのである. 」 (基本構成 :p .1 実現の問題を究極において制約するものとしての 「消費需要」 の大いさであり, その 「所属する産 業諸部門においては, その巨大な固定設備が着工されてから機能を発 揮しうるまでに長期の 『建設 期間』 を要するものが多く」 , また, この長期の建設期間の介在によって 「自立的発展」 への傾向 をつよめられるものとしての生産手段生産部門に関してではないようである. 「一方においては 『敵対的分配関係」 によっ て規定される 『労働者階級の狭溢なる消費限界』 が 剰余価値の 『実現』 を究極において制約するものとして把握され, 他方においては, それ自体とし ては 『消費限界』 の解消を意味し得べき雇用増大=賃銀上 騰が剰余価値生産の基礎条件の喪失とし て把握された. この両極の関係はどのように理解さるべき であろうか。 一見全く逆の関係を意味す るかにみえるこの両極は, 実は, 剰余価値の取得をその動機および目的とする資本制約生産の内在 的矛盾がとる二様の対極的表現・同じ矛盾の楯の両面を示すものであるに過ぎない. す な わ ち, 『資本の絶対的過剰生産』 とは, 実は, 『恐慌の究極の根拠』 として規定された関係のいわば裏返し の表現であるにすぎない.」(基本構成 :p ) 「資本の絶対的過剰 生産」 は 「恐慌の究極の根拠」 .135 と して規定された関係の云わば裏返しの表現にすぎない, ということは, 或いは消費限界の出現= 資本の絶対的過剰生産の成立, というほ どの意味にとることも出来るかもL れ な い. (あ る い は ま た, 無制限的生産拡大の傾向が資本の絶対的過 剰生産を, 敵対的分配関係が消費限界を生み出すと いう意味であるのかも しれない) それは更にいえば, 消費限界が消費限界として機能するときに, 同時に資本の絶対的過剰生産なる事態が成立する, ということになるものであろう. もしそのよう に解釈することが許されるとすれば, 一応, 実現の問題を捨象して, いわば仮定された 「資本の絶 r262-.
(8) . 周期的恐慌と固定資本投資 (1) 対的過剰生産」 なる概念は, 実現の問題をとりいれたものとして改めて概念しなおされることにな るだろう。 だが過少消費説を否定される教授は, おそらく, そのように解釈することを許されない であろうし, またわれわれと してもそのように解釈すべきだとは考えていない。 実現の問題に深く 意をそ がれて ,「資本の絶対的過剰生産」 と 「消費限界」 との統合的把握に心をくぼられる教授 は, 「資本の絶対的過剰生産の成立」 即 「消界限界の顕在化」 とされ, その 「消費限界」 が 「剰余 価値の実現を究極において制約する」 という運びで全面的過剰生産恐慌を論証されているわけであ るが, 「資本の絶対的過剰生産の成立」 そのものは 「消費限界」 が生み出したものではない. それ は 「蓄積=投資活動の限界は始めから制限されている消費では決してない」 からであろうし, ま た恐慌の始発因を 「消費限界」 にも とめてはならないとする見地 に立たれるからでもあろう 「恐 。 慌の究極の根拠」 としての 「生産の無制限的拡大への傾向と労働者階級の狭隆なる消費限界との間 の矛盾」 のうち, 「狭溢なる消費限界」 は 「資本の絶対的過剰生産」 の成立には何ら干与するとこ ろがなく, 「無制限的拡大への傾向」 がその成 立の基盤を提供する。 「資本の絶対的過 剰生産」 が 成立する時期は, 同時にまた 「実現の条件の困難性」 が成熟している時期だということにもなるで あろうが, その成熟している 「実現の条件の困難性」 が 「資本の絶対的過剰生産」 を成立せしめて ′ い る わ け で はな い。. 「 『狭暖なる消 費限界』 によって究極的に規定される 『実現』 の問題」 は 「実現」 の問題から一 , 応はなれたものとしての 「資本の絶対的過剰生産」 の到来と同時に出現する 「消費限界」 の登場を まってはじめて具 体的に恐慌への道筋を説明することになる。 そして, 資本の本性にもとずく 盲目 的蓄積が 「狭瞳なる消 費限界」 によって究極的に規定される実現の問題を顧慮することな しにおし す. め られ る こ と が 「資 本 の 絶 対 的 過 剰 生 産」 を 導 く, と い う こ と に な る。 こ. で強いて 「狭瞳な る消費限 界」 と 「資本の絶対的過剰生産」 の到来との関連を尋ねるとすれば, それは消費制限をな し得るという地盤の上に立つが故に蓄積の猛進が可能なのだ, とすることか, 或いは, 「狭溢なる 消費限界」 による制約の限界を越えて蓄積をす おしす. めたという点でもあろうか。 だが, 限界を越えて められた蓄積はやがて実現の破綻につきあたるだろうことは容易に理解し得ると しても,. 限界を越えた蓄積であるが故に, また蓄積のその段階においてのみ, 労働力不足→賃銀急騰, とい う事態が, しかも実現の蹟きよりもさきに発生するという必然性はないように考えられるのだが. での「資本の絶対的過剰生産」の到来は 「狭溢なる消費限界」 とはあまり関係 ように思われる. もっとも, 「恐慌の究極の根拠」 としての 「生産と消費の矛盾」 と いう関係と 「狭溢なる消費限界が究極において実現の問題を規定する」 ということ は必ずしもそ いず れ にも せ よ, こ の ないも の. のま 同じな訳ではないだろうから, それぞれの見地において 「生産と消費 の矛盾」 なる関係の , なかから 「直接の原因」 をみちびきだ し, その 「直接の原因」 を起点として 「狭睦なる消費限界に よって究極的に規定される実現」 の破綻を解明 してゆけばよい, とも考えられる. ただ実現の問題. に心をくだかれ, 実現の条件の困難性の成熟, という状況のもとにおいて 「資本の絶対的過剰生 産」 の到来を論定され, その到来が同時に顕在化せ しめるものとしての 「消費限界」 に, 恐慌の必 然性論証のための不可欠な要因と しての任務をになわせておられる教授の場合, 出来うることなら ば, 「直接の原因」 としての 「資本の絶対的過剰生産」 をも, 「実現」 の問題と結びつけて (とい っても, 「消費限界」 と直接 に結びつけて, というわけではないが) 解明され, あとは教授の説か れているとおりに議論をす. め て ゆ く, と い う運 び に し て い た だ き た か っ た よ う に 思 う し, ま た そ. う す る こ とも 可能 な よ う に考 え ら れ る, と い う の が, こ でのわれわれの謂わば独りよがりの身勝 手 な ねが い であ り気 持 な の で あ る. 「可 能 で あ ろ う」 と 考 え る の は, あ る い は, 「固 定 資 本」 に 悪. かれたわれわれの構想ならぬ妄想なのかもしれないが。 - 263-.
(9) . 大. 野 勇. 一. 郎. 註1 ) 富塚良三 「恐慌論の基本構成--再生産論と恐慌論--」 (講座 『恐慌論』 皿, 恐慌の基礎理論,. 49 『資本論』 における恐慌理論の基本構成」 (土地制度史学, 第1 ) pp .65一1 , 宇高基輔・南克 巳 「 1 2 5 - 巻第4号, pp ) . . 03 ) 2) 富塚良三 「再生産論と恐慌論--恐慌論ノー ト--」 (商学論集, 第20巻第4号, PP .31一1 , で ご あ の ご と く で た富塚教授の 労作は次 かに に拝読しえ われわれがこれま 猶以上の二論文のほ , る.. 「利潤率の傾向的低下の法則と恐慌の必然性に関する一試論」(商学論集, 第22巻第5号, pp .99- 」 の関連における一考察-- --利潤率の傾向的低下法則と 「 『 余価値 に関する覚え書 149 特別剰 』 ) (商学論集, 第24巻第 1号, pp .44一87) . 6年 「固定資本と加 速度的蓄種--早川泰正氏 『不均等発展と消費限界』 によせて」(経済評論, 195 5 月 号, pp .94一106).. 「拡張再生産過程と固定資本の回転--問題提起--」(久留間鮫造教授還暦記念論文集『 経済学の ) 諸問題』 .197一251 , pp . 59年4月号, pp 「再生産表式論の意義と限界--『不均等発展』 と 『内在的矛盾』」(経済評論, 19 . 43一56).. 「再生産表式論の意義と限界 (1) --戦後の 『再生産論=恐慌論・論争』 によせて--」(世界経 済評論, 1959年7月号, pp .42一52) . 6一42) 「再生産論と有効需要論 (1)」(世界経済評論, 1959年8月号, pp .3 , 「再生産論と有効需要論 (=) 世界経済評論, 1959年9月号, pp .61一66) . 3) 拙稿 「再生産論と恐慌論」 (北海道学芸大学紀要 〔第1部〕 第5巻第1号所収) 0一142 4 ) 富塚良三 「恐慌論の基本構成」(講座 『恐慌論』 田 所収) pp . .14 5) 「資本の絶対的過剰生産」 については, 古川哲 「資本の絶対的過剰生産について」 (経済志林, 第24 〔未完〕 巻第4号, pp --1959・9・30稿-- 7) 参照. .75一10. -‐264 -.
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