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歴史教育における「倒叙法」に関する研究

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(1)研. 究. 題. 目. 歴史教育に おける「倒叙法」に関する研究. 兵庫教育大学大学院. 学校教育研究科. 教科・領域教育専攻. 社会系コース. M92504H. 岩 瀬 康 幸. 1993年12,月20日.

(2) 【目. 次 】. 序. !. 第1章 歴史学における「倒叙法」. 6. 第1節. 「倒叙法」の成立. 6. 1. 「倒叙法」の定義. 6. (1)吉田東伍の『倒叙日本史』と樋口清之氏の. 6. 『逆・日本史』. (2)新しい歴史学と倒叙法 第2節. 「倒叙法」の特質. 6. 11. 17. 1. 「倒叙法」の特質. 17. (1)叙述の方向性. 17. (2)研究者の課題意識. 22. (3)叙述の対象. 27. (4)主題の限定性. 30. 第2章 歴史学習における「倒叙的方法」. 第1節柳田国男の歴史学習における「倒叙的方法」. 35 35. 1,柳田国男の歴史学習の一般的特質. 35. (1)新しい歴史教育のあり方. 35. (2)柳田歴史教育の中核をなす「史心」. 37. (3)柳田社会科の単元構成. 41. 2.柳田国男の歴史学習における「倒叙的方法」の意義. 45. (1)柳田社会科の教科書記述の特色. 45. (2) 「倒叙的な方法」の根源とその意味するところ. 52.

(3) 第2節 プランスの歴史学習における「倒叙的方法」. 62. 1。フラン.スの小学校:C.E. (2,3年生)の 62. 歴史的学習 2.フランスの小学校:C。M。 (4, 5 ec生)の. 73. 歴史学習 第3節 「倒叙的方法」にもとつく歴史学習の分析. 1.小学校中学年の歴史的学習. 95. (1)小学校第三学年の事:例. 95. (2)小学校第四学年の事例. 104. 2。小学校第六学年の歴史学習. 110. 第3章. 「倒叙的:方法」にもとつく歴史の授業構成. 第1節 第2節. 127. 「倒叙的方法」にもとつく歴史の授業構成の原理127. 1.授業構成の原理. 127. 「倒叙的方法Jにもとつく歴史的分野の指導計画128. 1。単元設定の趣旨. 128. (1)日本と朝鮮の歴史的関係と教科書記述. 128. (2) 「倒叙法」による日本と朝鮮との歴史的関係. 133. (3)単元. 137. 「日本と韓国・朝鮮」. 2。知識の構造. 138. 3。問いの構造. 144. 第3節 「倒叙的方法」にもとつく授業モデル. 結. 95. 148. 1. 「日本と韓国・朝鮮」の単元計画. 148. 2. 「日本と韓国・朝鮮」の授業過程. 149. 3.教授用資料. 163 189.

(4) 序. !.研究の目的. 本研究は,歴史教育における「倒叙法」に関する研究である。「倒叙 法」の定義と特質を明らかにし,歴史学習における「倒叙的方法」の有 効性を探求する。加えて, 「倒叙的方法」にもとつく歴史の授業モデル を設計することにある。. 私が, 「倒叙法」に関心を抱いたのは,一つには次のような経験から である。. 私は,教職に就いてから, ‘子どもの側に立つ授業’を実践,研究し てきた。子どもたちが自ら得た生活経験の中から,あらゆる限りの知識,. ときには知恵をふりしぼり授業で活躍する姿は,授業者として感動を覚 えることがある。. だが,授業者として気になることがある,それは子どもたちの“現代 ばなれ”である。あれほど歴史の授業で活躍していた子どもが,いざ, 現代の関連した問題になると,関心がうすくなる。 「どうしてかね。」. と子どもたちに聞くと,「歴史の授業は,歴史の授業。だって,現代と は関係ないし,結びつきもよくわからない。」と答える。私は,子ども たちの「歴史の授業は,現代とは関係ないし,結びつきもよくわからな い。」との回答に,妙にこだわり,そして問題意識を持った。 ‘なぜ,子どもたちは,歴史の授業は現代とは関係ないし,結びつきも よくわからない。’と言うのか。 ‘なぜ,子どもたちは,現代の問題に 関心がうすい。’のか。. このような問題を解決する方途は,ないものだろうか。私はそのよう な思いにかられ,目にとまったのが,柳田国男の次の一節であった。 [1].

(5) 「歴史には順序があり,原因があるということが,非常に大きな要点 だから,古代とか,上代とか,そうした事ばかりポツンとはなして書う 事をやめて,どうしても,今ある事の原因を近いところがら求めて,遡 ってまず近世を説かねばなりません。 (中略)従って歴史を教える時は,. 上から順に古いところがら説かずに,尻から新しいところがら古い方へ 遡って教えて行く方がよい。」1}. 「今聞けば,アメリカでも,ワイズ・ティチャーは,現在から過去に 遡って歴史を学ばせて行くということです。偶然の一一致だが,面白いこ. とです。倒叙式がよい。どうしてこう変わってきたかの因果律で説く, 今までのように古代から始めるのではなくて,近世からにする。」2}. 私は:こで初めて,「倒叙」の発想に出会った。 「倒叙的方法」を用いれば,子どもたちは, 「歴史の授業は,現代と. は関係ないし,結びつきもよくわからないq」と言わないだろうし, 「現代の問題」にも関心をよせるのではなかろうか。. 私が, 「倒叙法」に関心を抱いた二つ目の理由は,「われわれは一般. に歴史というと,通史を思い浮べ,しかも,古い時代(事象)から新し い時代(事象)へと,決まった方向にむけて展開されるものであると, 信じ込んでしまっているようなところがある。」3) との指摘である。. なるほど小・中・高を問わず,そこで展開されている歴史学習の大部分 も,このような考え方に支えられている。. ある新聞記者は,中学校・高校の歴史教科書を見て,「文字が浮んで いるだけで,歴史の面白さが見つからない。これでは歴史は必然的に, 暗記科目にならざるを得ない。」4) と感想を述べた。授業者が,かな り工夫して歴史学習を展開しないと,歴史は「暗記」科目に陥る。. 歴史が「暗記」科目に陥らないように,子どもたちに“歴史の見方・ 考え方”を身につけさせる方途の一一一つとして,歴史学習の方向を180度転. 換した「倒叙的方法」が必要ではなかろうか。 [2].

(6) 三つ目の理由は, 「“歴史の授業”は,かぞえきれぬほど教室で行わ れているが,“社会科としての歴史の授業”が展開されている教室は, まれにしかない。」5》 と指摘されていることである。. 「ある時代,ある社会に生きた人(々)の考えや行動を,子どもが他人 事としてではなく,現に生きている自分自身とのかかわりで追究する。. したがって同時にまた,その追究を通して自分自身の考えや生き方を見 直していく。こういう学習が展開できないものであろうか。」6》 私は, 「倒叙的方法」による歴史学習であれば,このような学習が展 開できると言いたい。. 最後に,私が「倒叙法」にひかれるのは,樋口清之氏をはじめ,網野 善彦氏,阿部謹也氏の「倒叙法」を用いた著作の,発想のすばらしさに ある。樋口氏は,現代の課題である‘土地’と‘教育’について,稲作 農耕が土地執着の原因とか,寺小屋ではイジメは日常茶飯事であるとか, ‘ユニークな視点’で叙述している。7). 網野氏は, 「‘無縁’の原理が入隅史と,この日本の自然の中に生き. てきたわれわれの祖先たちの生活に及ぼしつづけてきた,はかり知れな い影響の大きさ,その‘再生’への展望をできるだけ強調したい。」8) とする。. 阿部氏は, 「ひとつの社会や国家内で適応した人びとの歴史叙述より. も,これらに適応しえず,常に生命と生活の危険に晒されつづけている 人びとにとって,歴史がいかなるものとしてあったのかの解明をすべき である。」9} とする。. このように思ってもみないような三氏の著作の発想のすばらしさ,叙 述構成は, 「倒叙法」と関わりがあるのではなかろうか。. 歴史教育における「倒叙法」の研究は,未開拓である。歴史学におい ても, 「倒叙法」の定義,特質を扱った論文は少ない。1ω. [3].

(7) 2.研究の手順と方法. 本研究は,前述した目的を達成するために,次のような手順で研究を 進める。. (!)歴史学における「倒叙法」の成立を跡づけながら,その定義と特質. を明らかにする。. (第1章). (2)①eg 1章をふまえて,柳田国男が,なぜ,歴史学習において,「倒叙. 的」な発想をもったのか,分析し解明していく。 (第2章1節). ②外国の歴史学習から,「倒叙的方法」が取り入れられているフラン スの歴史学習に着目する。なぜ,フランスの歴史学習では,この方. 法を取り入れているのか。 C.E=小学校2,3年生C.M=小学校 4,5年生の教科書を翻訳し分析することにより,その意義を探求する。. (第2章2節). ③「倒叙的方法」を取り入れた,小学校中学年の歴史的学習,小学校 六年生の歴史学習の中から,事例を各学年1事例抽出し分析する。 (第2章3節). (3) 第1章,第2章をふまえて,歴史学習における「倒叙的方法」の 授業原理を明らかにし, 「倒叙的方法」にもとつく歴史的分野の. 単元指導計画を作成し,授業モデルを設計する。 (第3章). [4].

(8) 註. 序. 1) 1947年 民俗学研究所において行なわれた座談会 ・民俗学研究所編. 『社会科叢書1 社会科の諸問題』. ( 三省堂 1949年 pp.26−27 ) ・長浜 功編. 『柳田国男教育論集』 (新泉社 1983年 p,156). ・『初等教育資料一社会科教育に何を期待するか一』 ( 二月33号 1953年 p,30 ). ・引用は,谷川彰英 『柳田国男と社会科教育』 ( 三省堂選書150 1988年 pp.105−107 ) 2) 前掲書. 『社会科の諸問題』 p.50. ・引用は,谷川彰英 『文明と伝統の授業』 ( 明治図書 1977年 pp.!25−126 ). 3) 金子邦秀. 『教育科学 社会科教育』 (1990年5月号/NO.336. 明治図書 p.35 ) 4) 朝日新聞より, 朝日新聞社 1992年。 5)宮本雅之 『考える子ども』(1981年9月号/NO.!39 p.13) 6) 宮本雅之 同上書:p.13 7 ) 樋口清之. 『逆 ・日本史1』 (祥伝社平成4年4月発行 pp.87−91 pp.122−125}. 8) 網野善彦. 『無縁・公界・楽』. (平凡社 1978年 p,5 ). 9) 阿部謹也. 『歴史と叙述一社会史への道一S(人文書院 1985年p.86). 10) 歴史学において, 「倒叙法」を扱った論文は,吉田東伍の『倒. 叙日本史』 (早大出版部大正2年4月15日発行)の一例がある。 [備考]毎年10月22日に催される京都の三…大祭りのひとつ,時代祭り の行列は, 「倒叙法iになっている。明治維新からはじまって,最後は. 平安時代となるこの行列は,時代を遡って観る仕組みになっており,な かなか見やすい。本研究にあたって,この祭りは示唆を与えてくれた。. [5].

(9) 第1章 歴史学における「倒叙法」. 本章では,歴史学における「倒叙法」のあり方を模索し検討する。 そこから,「倒叙法」の「定義」と「特質」を明らかにする。. 第1節 「倒叙法」の成立 1. 「倒叙法」の定義 (1) 吉田東伍の『倒叙日本史』と樋口清之氏の『逆・日本史rjP. 一般的な歴史叙述では,時間の経過と順序が重視され,歴史事象は,. 年代順に叙述される。しかし,発想を転換すれば,別の叙述も可能とな るのではなかろうか。すなわち, 「倒叙」という方法である。. では「倒叙」とは何か。その語源はどこに由来するのであろうか。 「倒叙」の語を最:初に用いたのは吉田東伍である。彼は『倒叙日本史』. において,次のように述べている。. 「其帝国の通史を独習する毎に,先・開巻第一の上古が,荘漠明滅と して幻夢の如きに合ひ,頭脳徒に苦み,得る所少きを憾みたり。又,史 家の筆力は,編宋に至れば多く衰殺し,吾人の現在・ 未来に対して, 接近の関係ある重要年代は,却りて簡略に流る〉を憾めり。此に於いて,. 予は“近きより遠きに至り,低きより高きに登る”の法則一啓発法一を 移して,読史の一一一則と為し,今代・近世を先とし,中世・古代を後にせ. ば,前の憾或は除く可からむと思惟したり。既に,之を以て自己の家法 と為すに止まらず,此啓発法に合へる史書を編まむと欲す,則,時代, 自然の区別に観相して,;其一時期・一時代を以て各一一SSと為し,最:近時. [6コ.

(10) より倒叙して古代に遡上し以て史書の一変体に供へむと欲したり。予の 此腹案は実に二十年前に在り,而も其草稿を終へずして他の著作に従事 し,志を果さマるや久し。然りといえども其間に学校生徒に臨むの機会 を得,近代を二丁とし古代を後門とし,いわゆる“易きより難きに入り, 既知の現在に発り未知の過去に移る”の益ある実験したり。」 1) ちなみに, 『倒叙日本史』の世代編冊の大要は次のとおりである。2). 表1 世 紀. 冊. 今 代. 1. 編. 年 数. 数. 国勢発展繍征第一 露畷. 今 代. 2. 憲法制定. 囎23年より45靴至る 凡22年. 第二. 囎8年より22年姪る 凡15年. 今 代. 3. 大政維新. 第三. 今上践乍よ棚治7年姪る 凡8年. 近 世. 4. 江戸幕府衰亡 第四 轍勘. 近 世. 5. 江戸季世. 凡20年. 第五 寛政天醐. 近 世. 5. 江戸中世. 1. 幽. ,. ,. 曹. 胴. ■. 「. 圏. 圏. 光格仁孝瀦. 凡67年. 第六 正鞍置. 糊天皇. 中御門天皇より後鯛天皇. 凡70年. …………」_.….………_….__….…. ・. ,.___ .____._L...一『. [7].

(11) 「 曹 畳 . 暫 曹 一 , 一 巳 騨 幽 o ■. 膠 門 需 匿 胴 匿 .. 世. 紀. 冊. 編. 近. 世. 6. 江戸初匿. 数. 年 数 第七. 6. 世. 織田豊臣氏. 第八 鞭時代欄. 中. 7. 世. 室町幕府乱世. 後梶憩より軸憩 凡98年. 元和元關. 近. “ , ・ , , ● ・ 一 . . 一 一 帽 , 飼. 第九. 戦麟代欄. 磯町鶴成瀦 凡54年. 後掴憩より鯨鱒 凡129年. 1. 中. 7. 世. 南北朝及室町府治世. 1. 灘より胱湛. 第十. 凡110年. 第十一. 鶴羽憩より槻. i 8 中. 鎌倉幕府. 世. 凡134年. 中. 世. 8. 院政及源平盛衰 第十二. 箆腱よ鞍灘 凡115年. 古. 代. 9. 平安朝盛世及. 第十三. 凡187年. 藤氏専権. 古. 代. 9. 律令修選及. 第十四. 寧楽朝. 古. 代. 10. 猷憩より後腺雇. 嶽皇より瀧漣 凡137年. 神世並びに. 第十五. 神骸び賦憩よ瞠齪蓋に 至る凡24世35帝. 上古編. [8].

(12) 十五編十冊からなる『倒叙日本兜』は,明治二十三年の国会開設から 叙述が始まり,神代並びに上古まで続いている。. 吉田東伍は,史家の筆力は編末に至れば多くが衰え,わたしたちの現 在・未来に対して接近の関係ある重要年代は,かえって簡略に流れてお り誠に遺憾である。だからこそ“近きより遠きに至り,低きより高きに 登る”の法則一啓発法一を考え,読史の一則と為したわけぞある。. また易いところがら難しいところに入り,既知の現在から出発し未知 の過去の時代に遡ることは,大学で実践してみたが,それなりに有益で あったとしている。ここに,彼の歴史教育を垣間見ることができる。. しかしながら彼の『倒叙日本史』は,「此倒叙史は,其一・二・三と いふ野冊の次序を翻倒すれば,全く順列の通史と異なる無し。」3} と. あるように,編冊の順序を変えると,その内容構成は,従来の通史とほ とんど同じである。ここに吉田東伍の限界があると思われる。. これに対して樋口清之氏は,「私は,“なぜ”ということを基準にし て歴史を遡っていく方法,あるいは“なぜ”という疑問をタテ糸にして 歴史を遡っていく方法瓢『倒叙法』こそ,本来の歴史の姿だと考えてい る。なぜなら,歴史とは,ただ古い時代のことを調べるだけの学問では なく,現在ただ今を知り,明日を洞察するためのなによりの“道具”だ からだ。」4) と述べている。. このような発想をもとに,樋口清之氏は『逆・日本史』を叙述してい る。その概略を一部紹介すると,次のようになる。. 『逆・日本史1』は‘庶民の時代’と銘うって,昭和から大正,明治 と遡り,同じく2では‘武士の時代’と銘うって,江戸から戦国,鎌倉 まで遡るのである。さらに3では‘貴族の時代’と捉え,平安から奈良 古代へと遡るのである。最後の4では‘神話の時代’と捉え,古墳から 弥生,縄文へと遡り,過去に生きた人物に再び息を吹きこみ,蘇生させ その時代,時代をなまなましく叙述している。5}. [9コ.

(13) それでは,次に樋口清之氏の著作r逆・日本史1』の章だてを,紹介 することにする。6). 第一一章. 逆に読むから,歴史は面白い. (1). 私の中に組みこまれた日本の歴史. (2). 食物が日本史を動かしてきた. (3). 太平洋戦争も食糧戦争だった. (4). 無視できない気候・風土の影響. (5). 現代人が洋服を着る理由. 第二章. そもそも日本入とは何だろう. (1). 今のマネーブームも,歴史的産物. (2). 「土地こそすべて」は日本古来の伝統. (3). すでに江戸時代にあった登校拒否症. (4). オカルト・ブームは,奈良・平安への先祖返り. (5). 江戸期に準備されていた今日のビジネス社会. 第一章,第二章と:もに,これから始まってゆく逆・日本史の「オリエン. テーション」的位置づけをなす内容構成になっている。. 第:三章. 逆・現代日本史から見える風:景. (1). 日英同盟と入甲田山雪申行軍が現代の始まり. (2). 日露戦争における日本軍の機能主義. (3). 太平洋戦争の敗因は,日露戦争の勝利にあり. (4). 江戸時代の永い平和が生んだ明治. 第三章では,近代,現代を何で捉えるかに視点をおき,太平洋戦争の敗因. の兆候は,歴史を遡れば鮮明に見えてくると叙述し,それを日露戦争の勝 利としている。. [10].

(14) (2) 新しい歴史学と倒叙法. ところで,本論を進めていくうえで,ここで戦後歴史学の辿った足跡 が何であったか明らかにすることが必要になる。. 近藤和彦氏によれば,戦後歴史学は,1945年からほぼ1960年代半ば, (昭和40年頃)までに,次の四つの特徴を自信をもって推しだし,日本 の現実的課題は社会構成体の真の近代化にあり,と提唱した。7} すなわち,. ①研究者じしんの生活する現実,すなわち日本社会の問題状況(天皇 制ファシズム,農地改革・・ 直面する課題としての社会主義革命, 等々として捉えられた)から出発し,これを世界史的遠近法で批判的 に分析し,位置づけ,指針をえようとする姿勢を保持した。. ②西洋近代のイメヂ(フランス共和制,イギリス・ドイツの社会民主 主義,ソ連社会主義,ないしは「西洋文明」なるもの,等々)に基 準をおく価値観,世界観を有した。. ③マルクス,エンゲルス,レーニンからウェーバーに至る社会科学の 古典を熱心に学習した。. ④1930年代までに成熟した欧米の歴史学,社会科学の実証的成果を熱 心に吸収した。. この現実的課題にこたえるため,歴史研究老は封建社会,絶対主義, さらには‘初期ブルジョワ国家’の下で直接生産者のになう生産様式の. 展開,人民闘争の成熟度を明らかにし,市民革命の構造を日本人民の前 に提示したのである。こういつた四つの特徴をもった大きな学問の潮流 と知的な熱気が,1960年代半ば(昭和40年頃)までの日本の学問と知識 人の世界を席捲したと考えてよいと思われる。. [ユ1].

(15) だが,戦後歴史学の学的体系がようやく刊行された頃には,日本社会 および人文・社会科学の問題情況は次のように変貌していたのである。 先の四つの特徴にそくして言えば,次のようになる。S). ① にたいして,日本の現実的問題は,対象として明晰な封建制や絶対 主義でなく,もはや資本主義,帝国主義であったが,これを世界史的 遠近法で把握することが可能であるかどうか。. ②にたいして,いまや西洋近代は理想郷的目標たりえず,フランスは ドゴール主義,イギリスは産業と社会民主主義,ソ連は大ロシア主義 と宮僚制… のごとく内在的問題が認識されている。. ③にたいして,社会科学の古典の図式的適用は意味を失い,その哲学 的,社会的な修正,展開,洗練が必要である。. ④にたいして,欧米の歴史学,入文・社会科学は1950年代,60年代ま でに大躍進をとげ様相を一新しつつあった。. 戦後歴史学は,1960年代半ばまでに一一・…大パラダイムとしての生命を失. ったのである。やがてこうした昏冥の中から一種の燈明のごとき意味を もって浮かびあがってきたのは,戦後歴史学の解体の中から新しい形を ととのえ始めていた戦後学問の第二世代(現在ほぼ50歳代の入々)によ. る知的模索であった。9). ・. 中でも,日本における新しい事象としての社会史の先鞭をつけたのが,. 阿部謹也氏の著作『ハーメルンの笛吹き男』1ω であり,網野善彦氏の 著作r無縁・公界・楽』11) であった。次に,この二冊について見てい くことにする。. [12].

(16) 近藤和彦氏は,阿部・網野両氏の著作について, 「網野氏の叙述は『. ハーメルンの笛吹き男』と同じく,現代から中世へと遡及する倒叙法に よる。ふつうの歴史叙述と違うのは叙述の手順だけではない。その視座 も違うのである。たいていの通史的歴史叙述は,過去を近代的要素(正, 善,真)の発生・拡大史の契機として描くが,阿部,網野両氏ともに, むしろかつて存つたものにはそ;れそれの時代の文脈の中で固有の生存権. を与える。そして,時の展開に応じた変容,衰退を事実として確定した 上で,さらには両氏ともに,今はなきもの=衰微しつくしたものの,人類 学における弁証法的再建を見通し,主張しているかのようだ。」12} と 述べている。. さて,網野氏の「無縁・公界・楽」が提示するのは,次のような「原始 の自由1の衰退史である。定住農耕民に囚われることのないまなざしから 日本史を見直すならば,そこに非定住,非農耕の民がになった野性的に して,原始的な自由が認められる。これはしかし,鎌倉・南北朝時代あ たりから歴史の正面に登場する文明的なものと格闘を繰りかえし,性格 を変えはじめる。. この「原始の自由」=未開的・野性的なものが消耗する画期は,戦国・ 織豊時代とされる。江戸時代の半ば以降になれば,「原始の自由」のあ り方は縁切寺,悪所,博徒の集団といった特定の制度,場,集団に限定 されて,同時に差別的な含意が定着してくる。そして,現代にあっては,. エンガチョ,陣取りのごとき子どもの遊びにのみ残宰をとどめる,とい うのである。13). ここで, 「倒叙法」によって叙述されている二つの著書,「逆・日本 史」と「無縁・公界・楽」を整理し,図に表わすと次のようになる。. [13].

(17) マ・一. 図1. 食べ物. 自. 土 地神 話 分. 登校lEli. 気候・風土. の. 歴. 」. 史. 日本人の. 蜀. 競争社会・ビジネス社会. したたか. *上の構造図は, 『 逆・日本史1』 第1章から,. 図2. A. 巨. wwn. エンガチョ,陣取 }・・… 現 代 社 会. I. ・. ffwh一一」. 縁塒,悪所 v●● 露. 雷. =. 無 縁 所. ・・. … 江 戸 時 代 s. … 戦国 時 代 ・. /. 由. 原始の自由. ・・. … 未 開社 会. *上の三角形は,「原飴の自由」の鉱大・縮小を表わしている。. *上の構造図は, 『無縁・公界・楽£から,. [14].

(18) 前述した吉田東伍の場合は,今 代=第一編から第三編,近 世=・第 四編から第入編,中 世==第九編から第十二編,古 代二第十三編から. 第十五編十冊の叙述になっている。今代から始まり近世へと遡る。近世 からさらに中世へと,さらに中世から古代へと遡る。このような叙述の 方法が,吉田東伍の考えた『倒叙日本史』であった。14) 「倒叙法」による歴史の叙述というと,一一般的には告田東伍のような 発想になりやすいが,私は次のように考える。. 現代から近世,近世から中世,さらに,中世から古代へと遡る歴史の 叙述を「倒叙法」の原型と考えると,現代から叙述して,近世まで遡る こともあるし,現代から叙述して,中世まで遡る場合もある。. あるいは近代から始めて,近世までの叙述で終わることもある。近世 から叙述を始めて,中世をへて古代まで叙述する場合もある。近世のさ さやかな出来事の叙述から始めて,中世のささやかな出来事へと遡る場 合もある。また,中世のささやかな出来事の叙述から始めて,古代のさ さやかな出来事へと遡る場合もある。. このように考えてくると,「倒叙法」の定義を,次のように述べるこ とができる。. [15].

(19) 倒叙法とは,“なぜ”という疑問をタテ糸にして,歴史のある時点 を起点に,過去へと探究していく叙述方法である。. [16].

(20) 第2節 「倒叙法」の特質 1. 「倒叙法」の特質 (1) 叙述の方向性. 「倒叙法」で叙述された歴史書の特質は,どのようなものであろうか。 松本清張は, 「歴史事実の結果を集めて説明する“一般の歴史”に対し. て,もし今から年代を遡って,歴史事実の起った必然性を追究する,い わば本当の“倒叙・日本史”が出現したら,と期待を持つのは,私ひと りではないであろう。」と述べ,「本当の歴史とは,歴史事実の原因と 必然性を,時間の流れを逆に追究すべきものだとも言えそうである。. しかし,教科書が中心になって,今日に至る歴史の動きを常識化して しまっている現代で,ひとりこんなことをやっても,異端者として批判 されるだけだろう。」15) としている。. なるほど小学校 16}中学校,高等学校の歴史に関する教科書を開い てわかることは,まず第1に教科書では歴史上の出来事が,古いものか ら新しいものへ時間的順序に従って記述されていることである。時代の 順序が,記述の順序に投影されているのである。. 第2に,教科書は社会の諸側面について,およそ次のような記述方法 をとっている。古代から現代までの歴史が,いくつかの時代によって区 分される。日本史の場合,平安時代,鎌倉時代,のように政権所在地の. 地名によって時代が呼称され,区分されることが多い。次に特定の時代 の社会:事象についての記述は,おおむね,政治・経済・社会・文化の順. 序でなされる。一つの時代についてこの順序による記述が終わると,次 の時代に入り,またこ(p順序での記述が一巡する。このようにして,次 次と時代を下ってゆくのである。. したがって,教科書の編集方法に沿ってか,多くの歴史に関する出版 物が,教科書の編集方法に似たような様式で編集されている。. [17].

(21) 小学校,中学校,高等学校で歴史を学習する子どもたち,歴史を愛好 する読者にとっては,歴吏を学習することは,あるいは歴吏を知ること は,古い時代から始まって,現代まで辿りつくことであるような認識を 抱かせやすいのである。. ところが,古い時代から始まって現代(今代)に至る歴史の叙述に疑 問を抱き,現代(今代)から歴史を叙述しようとした学者がいた。先述 した吉田東伍である。ここでは彼の著作『倒叙日本史』を分析していく ことにする。. 前掲の表1から見ると, 『倒叙日本史』の世代編冊の大要は,今代17,. (明治の時代)から始まり近世へと,続いて中世,古代へと丁丁され ている。今代について詳しく見てみると,まず今代は,三つに区分され ている。一つは,明治23年より明治45年に至る凡そ22年間について‘国. 勢発展’と捉え叙述している。二つは,明治8年より明治22年に至る凡 そ15年間について, ‘憲法制定’と捉え叙述している。三つは,明治元. 年より明治7年に至る凡そ8年間について, ‘大政維新’と捉え叙述し ている。. では次に,明治23年より明治45年に至る凡そ22年聞について叙述した ‘国勢発展’の内容構成を手がかりとして検討してみることにする。 ‘国勢発展’の目録の章,節をあげると以下のとおりである。. 表2 一倒叙日本史第一冊目録. 「一 総序 今代紀総説 第一編今代之一 第一章. 国会創開. 国勢発展編 総説 i第七章. 日・英同盟露人を裾野す. .国会初商囎、第櫨三議会,官民対峙i欄盟繍鷹、日.繍. ce=k援韓,禰 ・朝鮮の危機. ・独力,韓を扶く. i鄭章罐の大役. ・陸海に清兵を撃破すi. ・日・露の決絶. [18]. ・沖島・鰍島の海戦,露艦全滅す.

(22) 第三章. 遼東還付,台湾領収i. ・三国連盟繍洋を圧伏す欄i. 第四章. 日・清役後の東鮫局. i. 第五章政府激党の遷転i 斯 i ・憲麟禰燃のwwm政治i 政府,政党の遷転 i. 露国と講和成り,東洋. の事定まる・ホe 一“」マス講和. 第十章. 瀧列国に要搬らる難糊逐i. 第六章. 第九章. 朝鮮の位置亦定まる. ・統監府を韓国に置く. ・半島の治平未し. 第十一章 韓国併合 ・西園寺内閣の戦後経緯. ・韓国李氏の退譲. 第十二章 明治季年の国勢 ・支那革命. ・軍備拡大. ・社会問題. ・経済事情. 其二. この表2第一編今代之一 国勢発展編の内容構成は,eg一一章 国会創 開の明治23年から叙述が始まり,第十二章 明治三年の国勢,つまり,. 支那革命,軍備拡大,社会問題,経済事情等を叙述し,明治天皇崩御 (明治45年)をもって終えている。国勢発展編の叙述期間は,凡そ22年 間である。. ここで,吉田東伍の著作『倒叙日本史』の叙述の方法をまとめて見る と次のようになる。. 今代から始まって近世へ,さらに近世から中世へと遡り,中世から古 代へとさらに遡る方法をとっている。 しかし,今代の内容構成を見ると,. ii運欝ii灘lllllll欝㌧難灘 ければならない。 このことは,近世の内容構成,中世の内容構成,古代の内容構成も同様 である。. [19].

(23) 樋口清之氏の著作『逆・日本史1』から『逆・日本史4』までの内容 構成は次のとおりである。最初の『逆・日本史1』は, ‘庶民の時代’. と銘うって昭和から大正,明治へと遡る。では,その内容構成は,どの. ようになっているのであろうか。. rr第一章. 表3. 逆に読むから,歴史は面白い. 一. 一人間の真実を掴む最高の方法,倒叙法とは,一 (1). 私の中に組みこまれた日本の歴史. (2). (3). 太平洋戦争も食糧戦争だった. (4). (5). 食物が日本史を動かしてきた. 無視できない気候・風土の影響. 現代人が洋服を着る理由. 第二章 そもそも日本入とは何だろう 一現代日本人の行動様式のルーツと秘密一 (1). 今のマネー・ブームも,歴史的産物. (2). (3). すでに江戸時代にあった登校拒否症. (4). (5). 「土地こそすべて」は日本古来の伝統 オカルト・フ“一ムは,奈良・平安への先祖返り. 江戸期に準備されていた今日のビジネス社会. 第三章. 逆・現代日:本史から見える風景. 一敗戦の兆候は,歴史を遡れば鮮明に見えてくる一 (1). i. (3). 日英露髄と八甲田山雪中行軍が現代の始まり. (2). 日露戦争における日本軍の機能主義. 太平洋戦争の敗因は,日露戦争の勝租にあり. (4). 江戸時代の永い平和が生んだ明治. 二番目の『逆・日本史2』は, ‘武士の時代’と銘うって,江戸から 戦国,鎌倉まで遡るのである。では,その内容構成はどのようになって. いるのであろうか。. 表4. 「ll菜聯繋鰯蔓紫購1一 [20].

(24) 凹て3)「’一’‘一’”謹界的水準を超えていだ江戸庶民の英知一…””噛’…て4)”一’−’一’冒ロ添や「ヅド将軍と杓職武士”…”“’”一’一一’一一. 第二章. 武士階級の没落を意図した徳川家康. 一譜代・親藩・外様の区別に仕組まれたワナ (1). 歴代将軍の,誰が賢で誰が愚か. (3). 大坂をにらんだ家康の貨幣対策. 第三章. (2). (4). 粉飾はなはだしい『忠臣蔵』. 「生かさず,殺さずSは大名の政策. なぜ,江戸時代が260年も続いたか. 一鎖国と日本独自の土地経済政策が政権を支えた秘密一 (1). 鎖国政策によって文化が栄えた不思議. (2). 意外,密貿易に寛大だった江戸幕府. (3). 今日の交通渋滞は,家康が用意した. (4). 江戸の街が史上最高の安全性を誇った理由. (5). 農民こそは情報交換の担い手だった. 第四章. 信長が戦国期を統一できた真相. 一日本の近代化を遡ると,なぜ安土・桃山期に行き着くのか一 (1). 秀吉における「金銭感覚」の秘密. (3). 応仁の乱こそ,大衆文化の生みの親. 第五章. (2). 破壊の英雌・信長の残したもの. 室町・鎌倉幕府は「平家政権」だった. 一平家の血と公家気取りは連綿と生きつづけた一一 (1). 足利尊氏が寝返った本当のわけ. このように考察すると,. (2). なんと,平家が源頼朝のスホ。ンサー. 「倒叙法」の特質として,一つには次のよう. にまとめるこ:とができる。. 倒叙法的歴史叙述は,歴史的諸事象を,時間の流れとは反対に追究 し,叙述する。. [21].

(25) (2) 研究者の課題意識. では,「倒叙法」による歴史叙述には,研究者のどのような課題意識 が反映されているのだろうか。まず,樋t1氏の著作を手がかりに考察し. ていく。前掲の表3から明らかなように,樋口町は現代日本人の行動様 式を代表するものとして, 「マネーブーム」 「土地こそすべて」「登校. 拒否」「オカルト・ブーム」「ビジネス社会」等をあげ,そのルーツを さぐっている。例えば土地に関しては,次のような叙述の構成をとって. いる。 第二章. 表5 そもそも日本ノ、とは何だろう. 一現代日本入の行動様式のルーツと秘密一 (2) 「土地こそすべて」は日本古来の伝統. ①酢翻下地儲の綱 ②農鵬,江戸獣の櫨銘殉. ④細農業がlmeを勤にした. ③大門脚実に現れ膿川町想. ⑤大llの改紳ら1200年劾ら効つた欄. ・・…・一…・……一一…一……………・…. 第五章. ⑥旧駐に騒魏き’)fXtる肥人の不騰. i逆・日本史1)一・………・…・・……一……. 一1. 室町・鎌倉幕府は「平家政権」だった. 一平家の血と公家気取りは連綿と生きつづけた一 (1) 足利:尊氏が寝返った本当のわけ ①なぜ,転脆険な都に幕府を開門触 ③醐に聴靴して与える:廿麟{齢つた. ②鎗時代からあっ騎射の触 ・…・……………一一…………一一一. 第一章. ④なぜ漣鵡横は失敗醸わった⑳ i逆・日本史2)・………・………・………一…. 藤原一族が平安京に君臨した秘密. 一公地公民制の律令国家を動かしつづけた“陰の力” (1) 日本人は,何に執着してきたか ①なぜ謙賦士は「一夕命jになった鋤、②「一一■所舶」日本を灘す ”1. [22].

(26) …③一撹蘭継兀剋干六夜磁……”…’一v幽v一一‘……’……’…’”………『……’”…’p一”. (4) 意外,公地公民制で藤原氏は繁栄した ①識とは逆に,姻墾令こそ藤醸落の願 ④なぜ陣轍治は魍に冷灘つたのか. ②なぜ丁丁顯丁丁本となったのか. ⑤武士の登場丁丁丁丁させた. ③逆賊・将門に,今も人気がある不騰. ⑥藤駈漱綱駐になったカラ列. 一(逆・日本史3). また, ‘教育’についての叙述は以下のようになる。. 表6 第二章. そもそも日本人とは何だろう. 一現代日本人の行動様式のルーツと秘密一 (3) すでに江戸時代にあった登校拒否症 ①寺子屋では,イジメは日轡型. ③鞭鵡たち早筆ぞろい. ②奈良・平矯齢惣よ超エリートだった 一一...一一.J一一.一+一.一H ( ma 一 H zlsc !glis 1 ) 一.一一一.一.“一.一一一,”一一一一一一一一.一一一..一“一..一一一..一.一一f.一一一一一.一一. 第一一一i章 ’ 「明治維新」と「フランス革命」の相違点. 一日本人は,なぜ大変動期をすんなり乗り切るのか一 (3) 世界的水準を超えていた江戸庶民の英知 ①なぜ,江脈民の群的樺が高加勧か. ③断勧日鰍鄭鋤したのは躰人. ②闘期に丁丁い礫しんだ丁丁民筋. ④獄風丁丁姓んだの購方瀧だった. 第三章. なぜ,江戸時代が26G年も続いたか. 一鎖国と日本独自の土地経済政策が政権を支えた秘密一 (4) 江戸の街が史上最:高の安全性を誇った理由. ①馬子やT稚にも丁丁た鞭. ②スキンシップを丁丁た寺子励縮. (逆・日本史2)一. [23コ.

(27) このように樋口氏の「逆・日本史」の特質は,現代の課題を踏まえた ‘視点のユニークさ’である。 ‘寺子屋では,イジメは日’常茶飯::事’で. あるとか, ‘農閑期に,数学を解いて楽しんだ江戸の農民たち’とか,. ‘馬子や丁稚にも掌が読めた秘密’とか知らず知らずのうちに,私たち を歴史の世界へ導いてくれる。. では,網野氏や阿部氏の場合はどうだろうか。 前述した網野善彦氏の著作『無縁・公界・楽』も現代のエンガチョ, 陣取りから‘問い’を発し,時代を遡ることによって,見事なまでに,. 非定住,非農耕の民がになった未開的・野性的な“原始の自由”を論証 している。. 減少しこの著作に触れるとすると,無縁・公界・楽の場,及びそこに 住む人々の特徴は,主従関係,親族関係等々の世俗の縁は切れているが,. 世俗の権力が介入することができなかった。彼らは諸役は免除,自由な 通行が保証されていた。また彼らは私的隷属や貸借関係からの自由,世 俗の争い・戦争に関わりなく,平和で,相互に平等な場で生活していた。. だが,戦国,織豊期の権力者は,無縁・公界・楽の場や集団を極力狭 く限定し,枠をはめ,包みこもうとした。さらにこうした世界の一一部は. 体制から排除し,差別の中に閉じこめられようとしていたのである。 彼らは自由な境涯ではあったが,餓死と野たれ死の背中合わせの中で, 生活していたのである。. 戦国,織豊期以降の権力老も,さまざまな形で無縁・公界・楽の場や 集団に圧力をかけてきたが,脈々として, ‘自由と平和の泉’は枯れる. ことはなかった。網野氏は,近代以降の自由と平和の理念は,原始以来 の‘自由’と‘平和’を基盤として生まれたとする。18) しかし, ‘自由’と ‘平和’は,あくまでも原始以来のそれであり,. その実体は時代とともに衰退し,真の意味で自覚された自由と平和と平 等の思想を,自らの胎内から生み落すとともに滅びていく。19). [24コ.

(28) 網野氏は, 「本質的に世俗の権力や武力とは異質な‘自由’と‘平和 つまり ‘無縁’の原理が,人類史と,この日本の自然の中に生きてきた. われわれの祖先たちの生活に及ぼしつづけてきた,はかり知れない影響 の大きさ,その‘再生’への展望をできるだけ強調したい。jとする。2。. 翻って考えれば,現代社会における自由と平和も,時の権力者によっ て為された権力と武力による枠の中の自由と平和であるかも知れない。. 私たちは,ひょっとすると錯誤の中で,自由と平和を享受しているかも 知れない。. 管理社会と言われて久しい現代社会と,無縁の原理が関わる時代とで は,人類にとって,どちらが自由で平和であるだろうか。現代社会の自 由と平和を新しい視座から知るうえでも,無縁の原理と入墨との関わり 合いを検証することは大切なことになる。 また, 『ハーメルンの笛吹き男』の著者 阿部謹也氏は,ハーメルン. の笛吹き男伝説の研究は,私にとても大きな視野を開いてくれた,と言 う。21}それでは何が大きな視野かと言うと,それまで歴史研究といえ ば文書研究に限定され,伝説やメルヘンなどは,まともな歴史家が扱う ものではないと考えられていた。阿部氏は,「私は,学界のこのような ルールを知らないわけではなかったが,自分がほんとうに,おもしろい と思ったことは,なんでもやってみようと思っていたから,この伝説に 歴史研究の手続きを応用し,どこまで明らかにできるか試みることにし た。」22} と述べる。. ここで言うところの歴史研究の手続きと:は,可能なかぎり史料を渉猟. して,事を確定しながら着実に進める手法であり,実証主義史学と知の 考古学とのひとつの融合であるといえる。23). 今少し内容に触れるとすると,この伝説を調べている間中,笛吹き男 とはいったい何者か,という疑問が,阿部氏の頭からはなれなかった, と書う。. [25コ.

(29) そこで古代ローマ以来の芸人の系譜を洗いながら,中世において笛吹 き男を含めた芸人とは,どのような人々であったのかを知ろうとした。. 調査を進めていくうちに,はじめてヨーロッパ中世社会における差別の 問題に触れるごとになった。. 中世社会は身分制社会であるから,貴族,聖職者,市民,農民などの 身分の区別があった,. 身分の区別は,一応,皇帝や教皇を頂点とする上下の階層秩序をなし ていたが,市民は自分たちは全員平等で,何ものにも従属する必要のな い独立した自由人だと考えていた。農民は共同体をつくり,領主には一 応従っているけれども,領主の勝手気ままに支配されるわけではなく,. 農民は自ら生活の規則をつくることができた。 要するに,いくつもの身分があっても,その身分の内部では,みな自 分たちは自由だと考えていた。市民,農民,貴族の間で身分の上下はあ ったが,それぞれの身分の内部では自分たちで規則をつくり,それに従 わない者を罰する権利をもち,他の身分の者の介入を許さない組織をつ くっていたのである。. ところが,このような身分を構成しえない人々がいた。奴隷は不自由 身分として古代からいたが,中世になるとそれとは別種の不自由民が生 まれてきた。正確には中世の初めからいたわけではなく,12,13世紀以 降生まれてきたのであった。こうした不自由民の持つ職業は賎視され,. その数も驚くほどたくさんあった。阿部氏はハーメルンの笛吹き男と出 会ったために,新しい問題を抱えごみ,同時に新しい社会史を考えるき っかけとなったのである。24). 加えて阿部氏の歴史の視座は,私たちを思いもかけないところに目を 向かせ,歴史への見方・考え方にさらに深まりを伝えてくれる。 阿部氏は, 「たとえば,ひとつの社会や国家内で適応してゆける層や. さらに上昇を目指す人びとを主体とした社会認識の試みや歴史叙述とし. [26].

(30) ては,私たちは不十分ながら,すでにかなりの学問的業績をもっている といえる。ところがひとつの社会や国家内部で適応しえず,常に生命と 生活の危険に晒されつづけている人びとにとって国家や社会,そして,. 歴史がいかなるものとしてあったのか,という点になるといまだほとん ど手がつけられていないのである。」25} と述べる。. ところで,こうした発想,つまりひとつの社会や国家内部で適応しえ ず,常に生命と生活の危険に晒されつづけている人びとに目を向け,彼 らにとって国家とは,社会とは,歴史とは何であるのか,という歴史の 視座を見つけることは,ひとつには現代との関わりが大切になる。現代 を見つめる目がないと,このような発想は生まれてこないと思われる。 現代にも, ‘常に生命と生活の危険に晒されつづけている人びと’は. いないだろうか。時代が変わっても人間の営みは,本質的に変わらない とすれば,現代において形を変えて,そのような人びとが存在するかも しれない。とすれば私たちは,たえず現代の歴史事象と過去の歴史事象 を相互検証しなければならないのである。. このように考察すると,二つには次のようにまとめることができる。. 倒叙法的歴史叙述は,現代的関心,現代的課題意識を重視する。. (3) 叙述の対象. 樋口氏の著作『逆・日本史 1』の99一一一章の内容構成は,はじめに,. 自分の生い立ちから入り,次に食べ物,その次には気候・風土となり,. それらとの関連で衣服・住宅について述べている。このような日常生活 の視点から歴史にアプローチするところが,樋口氏の研究の特色である。. [27].

(31) かっては日常茶飯のことがらは,政治的な大事件や戦争などに比較し て重要度が低いものとして軽視され,“歴史の問い”からは排除されて いた。それに対して,庶民が何を食べ,どんなところに住んでいたか, という発想から日常生活のことがらをとりあげることもできる。. もちろん,事件から日常生活へと対象をずらしただけでは,単なる好 事家的な研究と言われるにすぎない。26》. だが,同じく食をとりあげ,住をとりあげたとしても,そこに大きな 社会的視野の広がりをもたせることは可能である。 たとえば,社会階層によって食糧事情はどのように違っていたのか,そ うした違いが維持されていた経済的・政治的メカニズムはいかなるもの だったのか。あるいは,食物摂取のタブーがあったとすれば,なぜ,あ るものは食べられるとみなさ:れ,あるものは食べる対象にもならなかっ. たのか。あるいは,食の作法は,人々にどのような社会的連帯感や,逆 に社会的差異の感覚を与えていたのか。居住や衣服のあり方や,その他 のことがらについても,同様の指摘ができるであろう。こうした形で, ‘問い’を立てることによって,対象としての食そのものに,ひたすら こだわる好事家的な立場をこえて,食を切り口として社会階層秩序や,. 人と人との結びつきとか分裂のあり方を問題にしたり,食糧の流通から 経済システムや交易にまで‘問い’を開いていく方向が,可能にもなる のである。重要なことは,対象そのものの新しさなのではなく,対象へ の‘問い’の質であり,その‘問い’を解いていく,技法を含めたプロ セスだということである。27). こうした視点を踏まえて,樋口清之氏の‘食’の叙述に関する章,節 は,どのようなものがあるか見ていくことにする。 ‘食’の叙述に関する章,節は次のとおりである。. [28].

(32) 表7 第一章. 逆に読むから,歴史は面白い. 一人間の真実を掴む最高の方法,倒叙法とは一 (2)食物が日本史を動かしてきた ①稼研物源離獣肉,差がっくのiま当たり前 ②貧乏藩・騨に,tsぜ舗醐す力紬つた. (3)太平洋戦争も食糧戦争だった. ①餓櫨が悶悶を起こす. ②酬較は短瀞であった. ③確かに一問には躰儲脆鶴去った ……一……一…・………・…・……・一. 第一章. i逆・日本史1)一闇. 「明治維新」と「フランス革命」の相違点. 一日本人は,なぜ大変動期をすんなり乗り切るのか一 (2) 一枚の地図が日本を救った ①ア脳力は汐ジラがほしくて躰蘇た. (4) ロボット将軍と内職武士 ①鯖骸骨鯛じおかずだった騨磯伝. ③朋八万円が物賦士の収入. ②騨磯常な橘は融のなせる純. ④まる納励躰市のような武士の生活. ……・一………・・(逆・日本史2)一……………・・一・一. 丁一一章. 藤原一族が平安京に君臨した秘密. 一公地公民制の律令国家を動かしつづけた‘陰の力’ (3) 優雅とはほど遠い平安貴族の生活 ①なぜ,平獺騰短縦つた触. 第三章. 権謀術数,大陰謀渦巻く奈良の都. 一鎌足・野比等父子は,蘇我入馬から何を学んだか (1)聖徳太子の知恵の源は牛乳だった ①天平美人は牛乳によって挙れた!? …………’…”…………・……一…・・. ②チーズをつまみ,ワインを飲ん胱鵬后. i逆・日本史3)………………・一・………・……一・一一・. [29].

(33) したがって,三つには次のようにまとめることができる。. 倒叙法的歴史叙述は,従来の歴史学が等閑視してきた日常生活を 重視する。. (4) 主題の限定性. 最後に,樋口氏の研究の申で,注目すべき章,節を取り上げ分析して いくことにする。. 表8 第一章 藤原一族が平安京に君臨した秘密 一公地公民制の律令国家を動かしつづけた‘陰の力’ (1) 日本人は,何に執着してきたか. 1 (2) 平等院は,なぜ中世のシンボルか. s (3) 優雅とはほど遠い平安貴族の生活 E (4) 意外,公地公民制で藤原氏は繁栄した 1 (5) 日本人が平安時代に憧れる理由. [30].

(34) この章は,下記のような主題である。. 主題「なぜ,藤原一族は,四世紀もの長い間,平安京に君臨したので L−ny一一一一一ntm−itb−1−tll一.lll)一2−L.h.一一60im. この主題(=問い)に対し,前掲した(1)から(5)までの副次的主題 (==問い)を探究するこ:とにより,回答(=:説明)を引き出そうとして. いる。すなわち,通史的歴史叙述では,意識する意識しないにかかわら ず,どうしても時代の枠にとらわれ,その時代の枠からはみ出すことが 不可能となる。. ところが,副次的主題(1)「日本人は,何に執着してきたか。」に. も見られるように主題を論証するために,鎌倉時代の武士の行動を取り 上げている。鎌倉時代の武士の行動を取り上げることによって,平安貴 族のリアルな姿を浮き彫りにすることが可能になるのである。 また,倒叙法的歴史叙述は,一定の主題を追究していくことによって,. 大胆な仮説,思ってもみないようなすばらしい仮説を設定できることで ある。2e}. だが, 「なぜ,藤原一族は,四世紀もの長い間,平安京に君臨したの. であろうか。」の主題を探究するためには,平安時代そのものを見てい たのでは論証に限界がある。 藤原氏が平安京に君臨したのは,平安時 代だけと捉えてよいのだろうか。平安時代に繋がる奈良時代に何らかの 繁栄の芽生えがあったのだろうか。飛鳥時代での藤原一一族の行動はどう. であったのだろうか。’など主題に対して遡及的な方法でアプローチす ることにより,論証をより確実なものにすることができる。. このように考察すると,四つには次のようにまとめることができる。. [3ユ].

(35) 倒叙法的歴史叙述は。一定の主題の分析的追究に適合する。. これまで,倒叙法の「特質」を四点論じてきたが,これらをまとめる と次のようになる。. (1)倒叙法的歴史叙述は,歴史的諸事象を,時間の流れとは反対に 追究し,叙述する。. (2) 倒叙法的歴史叙述は,現代的関心,現代的課題意識を重視する。. (3) 倒叙法的歴史叙述は,従来の歴史学が等閑視してきた日常生活を. 重視する。. (4) 倒叙法的歴史叙述は,一定の主題の分析的追究に適合する。. [32].

(36) 註 1). 第1章第1節 古田東伍. 『倒叙日本史,国勢発展編』(早大出繍 大正2年4月15日鋪). (pp. 1−2). 2). 古田東伍. 同上書 pp.6−7. 3). 吉田東伍. 同上書 p.4. 4). 樋口清之. 5). 樋口清之氏の『逆・日本史』シリーズは,第1巻から第4巻まで. 『逆:・日本史1』(群尉 械4年4騎行 擁,巻頭訥ことば,p.8). ある。昭和61年11月初版以来,平成4年4月現在:,第1巻66刷,第. 2巻56刷,第3巻39刷,第4巻19刷と,その人気のほどが窺える。 6). 樋口清之. 『逆・日本史1』 pp。9−14. 7). 近藤和彦. 『社会運動史,10』 1985 p.63. 8). 近藤和彦. 同上書 p.64. 9). 近藤和彦. 同上書 pp.64−65を参考にまとめた。. 10). 阿部謹也. 『自分の中に歴史を読む』(筑摩翻 1988)1ピハーメルン. の笛吹き男’が,簡潔に紹介されている。 11). 網野善彦. 『無縁・公界・楽』 平凡社 1978. 12). 近藤和彦. 前掲書 P.61. 13). 網野善彦. 『無縁・公界・楽』 pp。116−130,及び近藤和彦氏の. 書評を参考にまとめた。 14). 吉田東伍 前掲書 p.4 ここに吉田東伍の発想の限界があっ た。. 第2節 15). 樋口清之. 『逆:・日本史1』 松本清張の巻頭言. 16). 小学校中学年(3,4年)の歴史的学習を扱う単元には, 的方法」による学習の展開がある。. [33]. 「倒叙.

(37) 17). 大正2年4月15日,r倒叙日本史』は発行されたので,今代とは 明治の時代を示している。. 18). 網野善彦 『無縁・公界・楽』 (平凡社 1978年 p.4). 19). 網野善彦. 同上書 p.5. 20). 網野善彦. 同上書 p.5. 21). 阿部謹也. 『自分のなかに歴史を読む』. (ちくまプリマーブックス15 1988年 p.93) 22). 阿部謹也. 同上書 p.93. 23). 近藤和彦. 前掲書 p.61. 24). 阿部謹也. 前掲書 pp.94−96. 25). 阿部謹也 『歴史と叙述一一社会史への道一』 (人文書院 1985 p.86). 26). 安田禿掌編『歴史教育と歴史学』 (山川出版社199!年 p.220). 第5章,歴史学からの提言として福井憲彦氏の論文があり,これ を参考にした。 27) 28). 福井憲彦. 同上書 p.220. 『逆・日本史3』は,主題「なぜ,藤原一一twは,四世紀もの長い. 間,平安京に君臨したのであろうか。」との仮説をたて,これを 論証するために,大化改新まで遡っている。. [34].

(38) 第2章歴史学習における「倒叙的方法」. 本章では,歴史学習における「倒叙的方法」の有効性を探求する。 「倒叙的方法」を展開していた柳田国男の歴史学習を分析し,解明する。. 次にこのような学習を展開しているフランスの歴史学習に着目し,小 学校の教科書を翻訳し分析することにより,その意義を探求する。 合わせて先行授業実践の分析を手がかりに, 「倒叙的方法」の特質を, さらに明らかにする。. 第1節 柳田国男の歴史学習における「倒叙的方法」. 1.柳田国男の歴史学習の一一一ee的特質. (1)新しい歴史教育のあり方 柳田国男は, 「史学は古い事を穿帯する技術ではない。入が自己を見. 出す為の学問であったのだ。がさういう風には自他共に考へる人が少な かった。」1) と述べ,戦前の統治者中心的,事件主義的,記録文書主 義的な史学にたいする批判意識は強い。 田嶋 一門は, 「柳田の考えは,史学は本来“人が自己を見出す為の. 学問”なのであり,現在のさまざまな問題や疑問にこたえるために,“ 現在を知り,説明する鍵”となる学問としてつくりかえられなければな らない。」2) とみている。. 柳田の考えるこの“人が自己を見出す為の学問”は,一部の学者や知 識入の専有物ではなく,すべての日本人に対して開かれていなければな らない性質のものでもあった。それが,柳田の考える‘新しい史学’の あり方であり,この‘新しい史学’は,なによりもまず平民の過去を知 ることから始めなければならぬと主張したのであった。3} [35コ.

(39) 戦後になって柳田は彼の社会科構想を練っていく中で,戦前の歴史教 育批判を明らかにしてゆくことになる。柳田は,この歴史教育八の批判 の中から,次の二つのことを歴史教育の重大な欠陥として見つけたので あった。4). ひとつは, ‘要項主義’ ‘形式主義’5} の結果として,戦前の歴史. 教育が,国民の心に,ものごとに対する洞察力と判断力を育てることに 失敗したこと。. 二つは,上からいわれたことはすべて正しいと鵜のみにして,なんで もかんでも暗記するように教えこむ教育になっていたことであった。 1946年,文部省は新しい歴史教科書『くにのあゆみ』6》 を刊行した。 歴史教育再開の兆しが見えはじめると,それをうけて柳田は, 「歴史教 育の使命一くにのあゆみに寄す一」7) という一文を毎日新聞(1946年. 10月28臼)に寄稿した。その中で次のような諸点にわたって新しい歴史 教育のあり方への提案をしていた。. ①教科書なしで歴史を教えてはどうか。 ②現在から過去へと遡る歴史記述をとりたい。 ③年代と固有名詞の暗記学ではなくする。 ④子どもたちに,教科書にのっていること,学校で教えることは, 歴史のほんの一部であることに気づかせたい。. ⑤生活の根本問題である衣食住の歴寅を重視する。. ⑥近世以降の重視。 ⑦ 子どもたちの率直な疑問を教科書作製の基礎材料とする。. 続いて1947年,柳田は, 「歴史を教える新提案」8} において彼の. 歴史教育構想を提案するという立場から,さきの「歴史教育の使命」で 明らかにした諸点(上述の①から⑦まで)をひきついだ上で,さらに次 のような新しい提案を加えている。 [36].

(40) ①子どもの発達段階を考えると,歴史の教育は小学校の第三学年か らはじめるのがよいと考える。. ② 歴史科は戦前の反省をふまえた上で,なお地理や国語の学習と結 びつかなくてはならない。. (2) 柳田歴史教育の中核をなす「史心」. 柳田自らが学問の目標とした社会改造9}への志向が,ある開かれた 道すじに向うことを願って,柳田は昭和20年の春から夏にかけて,疎開. 児童のための読み物r村と学童Sとr先祖の話』の二つの書を執筆して いる。この本を通して,柳田が子どもたちに伝えようとしていたのは, 「日本人の生活は考へて見ると毎日の改良であった」1。} という生活 の中にある事実の歴史である。. 「常民のために世相を解説する史学を今日に於て必要と信じる」11) 柳田は, 「現在の生活諸相にはよいにつけ悪いにつけ,必ずこの邦限り. の原因があって,それは原因だから必ず過去の中にある。世の中が今や 著るしく変化しているという点を知った以上は,何故にそう変ったかと いう疑問が必然に起る。これが歴史という広大な知識に対して,人の一 生の関心を引付ける唯一の途である。」12) とし,社会科を日本人の 立場として確立していくためには,歴史を離れて全うし得るものではな いと考えるのである。. 社会生活を“毎日の改良”の過程にあるものとしてとらえ,“現在の 問題を解決する方向”を,つねに歴史的な流れの中で見出してゆこうと する心のはたらきを,柳田は「史心」13) とよぷ。この「惜物」とな づけた歴史意識こそ人びとの“正しい判断”を生みだす心のはたらきで あると柳田は考えていた。柳田は,「国民全部に史心をもたせること」. が歴史教育の主たる目的なのだとのべているが,14)すべての国民に 「史心」をもたせたいという彼の願いは,戦後になって新しくはじまった. [37コ.

(41) 社会科という教科を通して,学校教育の中にもちこまれることになった。. 学校教育の中で,子どもたちの「史心」を育成するためには,どんな 方法をとればよいか。柳田の考えを段階を踏まえて述べると,次のよう になる。15). ①まず授業の中で,子どもたちの‘問い’や‘疑問’を大切にして, 「自ら心づく」ようにしてやる。 「変わるものには変るべき理由があっ. て変ったのだ。それを子どもに聴かれては答えて行く」16)のである。 ここで大切なことは,子どもに‘よい質問を出させる’ことだという。 17). ②子どもたちが「自ら心づく」ようにしてやるには,事実をきちん と教えてやる:とが何よりも大切だと考える。. 歴史教育は事実を知らせる教育であって,かくあるべしという心がま えを教えるようなことは,厳につつしまなければならないと考えるので ある。柳田はいう。 「授業を参観してつくづく考えることは,事実を教. えておもしろくなってきたときに,そのあとかく心得べし,かく解すべ しというようなことを弔う。それがすぐ子どもを飽きさせることになる のではないか。できるだけ私は事柄それ自身のおもしろみに力をいれた いと思う。」1ヨ). ③事実の認識が子どもたちの「開心」を養い,言い換えれば国民の 「史心」を養い,判断力を形成するように事実を教えるには,事実が教 材として配列されなければならない。この点について1948年(昭和23年) 段階では柳田は, 「事実を教えるには順序をたてなければならないが,. 学年によってどの様に排列するかが難しい問題で,これには未だ結論を もっていない。」19) とのべざるを得なかった。 1949年5月から2年6か月間にわたって毎週一一一一回ずつ継続的にもたれる. ようになった柳田と,成城学園初等学校の教師たちとの研究会の中で,. この学年ごとの事実の配列(カリキュラム編成)の仕事は進められてゆ. [38].

(42) くことになるのである。. ところで,柳田の教科書不要論であるが,柳田はこの時期,1947年 (昭和22年)の段階では,よい教科書をつくることができるとは思えな かったからである。20) また,柳田の「歴史の教育は,小学校の第三. 学年からはじめるのがよい。」とする考えは,成城の教師たちとのカリ キュラム編成の中でしだいに変わってきた。後に完成した第一次社会科 単元には,第二学年の一学期に, 「古さ 新しさ」の単元がある。21, さらに,小学校二年 『日本のしゃかい』22) には, 「ふるいもの. あたらしいもの」の小単元に, ‘としくらべ’があり,トピック23}と して, ‘たんじょうかい’. ‘としより’. ‘ねんりん’などがある。. さて,柳田社会科においては,何が事実の配列を指導する原理として おさえられていたのであろうか。 柳田・禾口歌森は, 「歴史学老がいろいろな研究を通じて,一一‘ SSの時代. 的な体系をもっていることは当然であるけれども,そういうものを圧縮 して,さらにその中から学者が見る目での重点的な史実を取上げて,tt れとこれを子供たちの間に理解させなければならないというふうに考え てはいけない。もっと子供たちの立場に立って,自由に彼らが求める 過去の事柄,彼らが尋ねる今あることについての過去の原因等,それら に答えてやるこ:とがむしろ歴史教育であって,一方にいわば歴史の通史. を掲げておいて,社会科の内容にできるだけ摂取してくるという,固定 された歴史知識体系を定めてくることがあってはならない。」24) と 述べる。. つまり歴史教育の内容の系統性は,学問の体系とはちがう原理のもと につくられなければならないというのである。. ここでは,カリキュラム構成の原理として「子供たちの立場」という ことがいわれているが,同じことが‘学習者の要求’とも,また子ども の成長,発達の‘心的段階’ ‘心的状況’ともとらえられることになる。. [39].

(43) 教育は子どもたちの‘問い’を大切にし,発達のそれぞれの段階にいる ‘学習者の要求’にこたえ,これをひきあげてゆかなければならないも. のだという立場からカリキュラムを編成することになると,カリキュラ ムを編成する側(主に,教師の側)に,子どもの生活の広がりと深まり についての深い知見が必要となってくる。25,. こうして柳田社会科には,カリキュラム編成上,発達論的な原理が強 くもちこまれることになったのである。. 注意しなければならないのは,ここでの子どもの‘発達の特性’のと らえ方が,単なる子どもの発達の心理学的な特性の把握にとどまるもの ではなく,そこにとらえられてくるのは,社会的現実の中で生きている 生活者としての子どもの実像であるということである。26). 柳田社会科においては,教科の系統性は子どもの‘発達の特性,,生 活のひろがりと深まりの中にある系統性に従い,さらにはこれを系統化 し,みちびこうとするものだということになる。子どもの生活は,また 社会をとりいれてゆくことによってつくりだされてくるものであるから,. カリキュラムの系統性は,子どもの生活経験自体のもつ系統性を反映し たものであると同時に,それはまた社会の構造を反映したものでもある ということになってくる。27}. それゆえカリキュラム編成は,柳田・和歌森によれば, 「理解すべき. 対象の体系は,決して既成の学問の中にのみあるのではなく,実は世間 そのものの構造が,すでに体系的な秩序をもっていることに目を移して,. 子供との関係から順序立てて取上げていくことにおいて,また,十分に 体系的であるということが言える。」28》 のである。. ④「自然に対する人間の力の研究ということが,われわれの歴史の 学問の一一asの眼目」29} とする柳田は,・・一A方では「未だ耕されざる自. 然の野には,未だ人間に由緒の無い何者も生成せぬという道理をたちど まって考え」30)てみる必要を強調した。. [40].

(44) 人間の自然に対する適応と対立の態度,また自然の人間への制約とい った,人間と自然との相互の働きかけを,生活の場における経験的:事実. に基づいて理解させようと願った柳田は,このような思考方法を「風土 感1の育成として提唱したのである。31>. この「史冊」と,「風土感」の育成こそ,柳田の社会科教育に対する 基本的な理念を支える二つの大きな柱であった。32} 社会科教育において, 「史冊」と「風土感」を縦横の枠組みとして育. 成された知識が,社会改造の識別原理33) となって,世が治まり国が 益々栄えて行く際に及んで,国民総体の幸福へ向って,社会改造が理想 的に方向づけられると確信した柳田は,社会科教育の目標を「よい選挙 民の育成」S4} と総括したのである。. (3) 柳田社会科の単元構成. 1951年(昭和26年)10月,日:本昆俗学研究所の賛助を得て,成城学園. 初等学校から『社会科単元と内容』が刊行された。同書は,柳田が二年 越か月に及んで説き続けた,社会科教育に対するコース・オブ・スタデ ィというべきものであった。3S). 柳田が意図した社会科教育の構想は,柳田自身が,人間の基本的問題 としてとらえた「遊び」 「衣」 「食」 「住」 「労働」を根底と して,「つとめて有りふれた毎日の生活の中から,気がつけば考えて見 ずには房られぬような話題を拾ひ出して行こう」36) という発想によ. って構成されたものであった。3η 『社会科単元と内容』は,柳田自らが意図する社会科の構想に成城小 学校の社会科研究部員が学習展開例を,これに柳田が参考資料を付加し て完成したものであって,成城小学校におけるeg 一一次の社会科単元であ. った。第一次社会科単元38) を表1(tc !)にすると,次のとおりで ある。. [41].

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