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地域経済の再生と地域生活 : 兵庫県朝来郡生野町の事例より

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(1)【学位論文題目】. 地域経済の再生と地域生活 一 兵庫県朝来郡生野町の事例より 一. 兵庫教育大学 大学院 学校教育研究科. 教科・領域教育専 攻. 社会系コース. 学籍番号. Mg1527A. 水 田 佳 正.

(2) 一一. @目次 一 ( )はページ数を表. 序章. (1−16). 第1節. 地方中小都市をとりまく今日的状況. (1−4. 第2節. 地域経済をめぐる社会学的研究とその視点. (5−7. 第3節. 本研究の目的と視点. 第4節. 本研究の方法. (8 (9N16. 第1章 兵庫県朝来郡生野町の概略. (17−34). 第1節 位置・自然・人口. (17N21. 第2節 歴史. (22N27. 第3節 産業・就業構造. (28−34. 第II章 鉱山閉山までの地域経済と社会政策. (35−46). 第1節鉱山と生野町経済. (35−42. 第2節 鉱山と生野町の社会政策. (43−44. 小 括. (45−46. 第II章 鉱山閉山とその地域的影響. (47−58). 第1節 戦後日本の経済構造の変化と鉱山閉山. (47−49. 第2節経済や行財政への影響. (50−54. 第3節 地域生活上の諸問題. (55N56. 小 括. (57N58. ・一. @(1) 一.

(3) 第IV章 鉱山閉山後の地域経済の再生. (59−86). 第1節 生野工業団地の造成と企業進出. (59−701. 第2節 観光開発とその推移. (7i−801. 第3節 既存産業の再生と現状. (81−84]. 小 括. (85−86]. 第V章 地域経済再生に伴う地:域生活の現状と政策動向. (87−108). 第1節 準過疎状況と高齢者福祉. (87−90). 第2節 地域住民組織の現状と地域活動. (91−96). 第3節 住民生活と生活関連社会資本. (97NIOO). 第4節 生野町の行財政の動向. (101NIO6). 小 括. (107NIO8). 終章. (109−110). 資料編. (1−41). 項 目. ( )内はページ数を表す。. 。.. 町内企業へのアンケート調査と集計結果. (1−4). @・. 進出企業へのアンケート調査と集計結果. (5−8). @・. 観光・宿泊施設へのアンケート調査と集計結果. @・. 自治会長へのアンケート調査と集計結果. (13−16). @・. 婦人会役員へのアンケート調査と集計結果. (17−20). @・. 老人会会長へのアンケート調査と集計結果. (21−24). @・. 参考文献(地域開発関連). (25−41). 一一. @(ll) 一. (9−12).

(4) 「図=一覧. ()内は、ページ数を表す. 「図」1−1「兵庫県行政地図」. (18). 1−2「生野町の人口変化」. (20). 1−3「生野町の65歳以上、15歳以下の人口割合変化」. (21). 1−4「生野町の土地利用図」. (22). H−1「町税に占める鉱産税の割合(1)t. (37). ll 一2「町税に占める鉱産税の割合(2)」. (37). 11−3「町税に占める鉱産税の割合(3)一I. (38). H−4「町税に占める鉱産税の割合(4)」. (38). II−5「播但三山物取り扱い発送状況」. (39). II−6「播但線貨物取り扱い到着状況」. (40). 皿一1「生野町の歳入歳出と地方交付税(1)」. (52). 皿一2「生野町の歳入歳出と地方交付税(2)i. (53). IV−1「生野町観光客入込数」. (75). IV−2「観光客動向調査(1)一 但馬地域、. (76). rv 一3「観光客動向調査(2) 一 但馬地域」. (77). rv 一4「観光客動向調査(3) 一 西播磨地域」. (78). rv 一5「観光客動向調査(4) 一 西播磨地域」. (79). 一(皿)一.

(5) 「表」一覧 (. )内は、ページ数を表す. 「表」序一1「全国総合開山計画の比較」. ( 4). 1−1「生野町の地理的位置」. (18). 1−2「生野町人口世帯数変化」. (19). 1−3「生野町の65歳以上、15歳以下の人口割合変化」. (20). 1−4「生野町人口・世帯数・人口密度状況」. (21). 1−5「生野町と周辺の町との産業構造比較(1)」. (28). 1−6「生野町と周辺の町との産業構造比較(2)」. (30). 1−1「生野町の鉱山従業者数の変化」. (36). ll−2「鉱区一覧(兵庫県・朝来郡)」. (41). H二3「鉱産物生産高(兵庫県全体)」. (42). 皿1−1「過疎地域指定要件と生野町の関係」. (51). IV−1「生野工業団地造成経過」. (60). rv 一2「生野工業団地造成費用」. (61). IV−3「生野工業団地概要j. (61). IV−4「生野工業団地進出企業一覧」. (61). IV−5「生野工業団地への進出理由または 生野町での営業理由」 : rv 一6「工業団地進出又は生野町での営業の利点」. (64). (65). : IV−7「工業団地に進出又は 生野町で営業して困っていること」. (66). IV−8「工業団地に進出又は 生野町での営業上での生野町の対応j 一 (rv) 一. (66).

(6) rv・一9「生野町の経済への貢献度j. (67). IV−10「生野工業団地進出後の営業成績の変化」. (68). IV−11「施設利用の観光客又は宿泊者の反応、感想」. (71). IV−12「施設でのリピーターの状況」. (71). IV 一13「生野町の観光地としての利点(メリット)二. (72). IV−14「生野町の観光地としての欠点(デメリット)=. (73). rv 一15「生野町が観光地として. さらに発展するための必要事項:. (73). IV−16「町内の主要既存企業」. (80). V−1「生野町の町政推進上の重要事項」. (87). V−2「生野町の高齢化社会対策上の必要事項」. (88). V−3「生野町の保健・医療の充実上の必要事項」. (89). V−4「地区の自治会・婦人会・老人会の活動状況.. (90). V−5「現在自治会で積極的に取り組んでいる課題」. (91). V−6「現在の自治会での問題点一. (91). V−7「自治会会員から相談されること:. (92). V−8「現在婦人会で積極的に取り組んいる課題. (93). V−9「現在の婦人会での問題点一. (93). V−10「婦人会会員から相談されること一. (93). V−11「現在老人会で積極的に取り組んでいる課題」. (94). V−12「現在の老人会での問題点一. (94). V−13「老人会会員から相談されること」. (94). V−14「困った問題がおきた場合の相談相手」. (95). V−15「生野町の生活環境の整備上の重要事項」. (97). .一 (V) ’.

(7) V−16「生野町の教育・文化の向上の上での重要事項」. (99). V−17「生野町の商工業の振興上の必要事項」. (101). V−18「生野町の魅力について」. (102). V−19「生野町の魅力を高めるための今後の必要事項」. (102). V−20「鉱山閉山後の20年間を振り返っての感想」. (103). 一 (vr) 一.

(8) 序章 第1節 地方中小都市をとりまく今日的状況 一「三全総」後に重点を置いて一. 我が国で第2次世界大戦後に「地域政策」が展開されるのは19 50年置昭和25年)の「国土総合開発法」からである。 まだこの頃は戦後復興期で、「資源開発による地方の工業化」に その重点が置かれていた。地域政策が高度経済成長期の矛盾として 現れた「地域問題」に対応する形で展開されるのは、経済企画庁の. r経済白書』で「もはや戦後ではない」とされた1956年(昭和 31年)からである。 ’行言上、地方中小都市の’今日的状況を見るために、まず1967年(昭和 42年)に策:定された「全国総合開発計画」(縫総・一二)以後、1987年(昭和6. 2年)に策定された「第4次全国総合開発計画」(四全総)に至るまでの四. 度の「全国総合開発計画」を個別に検討して行き、それぞれその意 義や問題点などを見て行きたい。 まず最初に、!967年(昭和42年)に策定された「全国総合開発計画」(旧. 全総)は、大規模な拠点開発方式による環境破壊や公害問題等の新し. い地域問題を発生させ、地域住民に不安をもたらした。 さらに、1969年目昭和44年)に「旧全総.での欠陥を改善すべく策定さ. れた「新全国総合開発計画」(新全総)では、地域問題を地域格差の面 からとらえ、その解消のために「新ネットワ・一.ク」による「点と点.. を結び付ける方式が考えられた。しかし、この地域経済の底上げを 図る方式がかえって地域社会の破壊と混乱を招き、地方自治体や地 方政治も巻き込んで地域問題をより複雑なものとした。. 一1一.

(9) 次に、日本経済がF高度成長」から「安定成長」へと構造転換し た1977年(昭和52年)、「第3次全国総合開発計画」(三全総)が決定された。. そ1こでは、日本の現状を「極めて高密度の経済社会活動を展開し、. 国民生活は、国際的にも極めて高水準の経済的豊かさを実現してい. る」q)と分析し、一方では「このような経済的豊かさを実現する 過程で、地域社会や国民の生活環境は、急激な二化にさらされ、様 々な問題と困難に直面しつつある」(2)ことを率直に認めている。. そして、「大都市への人口と産業の集中を抑制しつつ地方を振興 し、過密過疎問題に対処しながら、全国土の利用の均衡を図りつつ、. 人間居住の総合的環境を形成する方式を選択する必要がある」とし、 その理念r方式として「定住構想」が打ち出された。. さらに、その定着を図るためには、「地方都市の生活環境整備と その周辺農山漁村の環境整備」が重要で、「各地方公共団体の自主 的な総合開発計画とあ相互調和を図ることにより、地域の参加の途 を開くこと」が重要な課題であるとした(3)。. 具体的には、地方都市及び農山漁村に関する計画課題として、地 方都市の特色ある地場産業の育成強化を図りつつ、「低開発地域工 業開発促進法」(昭和36年)、「農村地域工業導入促進法」(昭和46年)(以下、 「農工法」と略記)、「工業再配置促進法」(昭和47年)(以下、「工高」と略言己)等の運用に. より、産業を積極的かつ計画的に導入して、若年層の雇用の場を確 保し、工業団地の整備を推進することを謳っている。. さらに、地方行財政整備の必要性が指摘され、国と地方との行政 事務の配分、許認可権限、財源配分の在り方の再検討と共に市町村 の主体性の確立の重要性が指摘され、「地方の時代」への移行が謳 われている(4)。. 一2一.

(10) また、工業再配置の基本方向として、雇用機会に恵まれず若年層 の人口流出や生活水準の立ち遅れている地域に経済の基盤強化の為 に工業の再配置を促進する必要があると述べている。. 具体的には、計画的な工業団地の造成による工業用地の確保と工 業立地を積極的に推進していくべきであるとしている。さらに、こ の計画の実施に当たっての地方公共団体の果たすべき役割の大きさ を踏まえ、地方公共団体との相互連携を図る必要性が指摘されてい る(i)。このように、 「三全総」では、地方自治体の果たす役割と. その意義の重要性がかなり重視されたのである。. その後、「三全総」の理念が実現されない状況を受け1987年(昭 和62年)に「第4次全国総合開発計画」 (四全総)が決定された。. そこでは、地方では自らの創意工夫を生かした地域づくりを進め る気運が高まり、地方の居住環境も向上する等、定住構想は進展を. みた㈲とされている。しかし、新たな地域課題として、産業構造 の転換により雇用問題が深刻化している地域や過疎地域での引き続 く人口減少等、地域振興上の課題が認識されると共に、これに対処 する為には、東京一極集中を是正し、国土の均衡ある発展に向けて、 その為の強力な施策を講ずることが求められている(7)。そこでも. 強調されるのは、「三全総」の成果を踏まえた上での「地方の重視」 の姿勢や地方の「自助努力」に対する要求である(8)。. さらに、交流ネットワーク構想(9)の推進により、工業の分散・ 再配置政策を促進し、東京一極集中是正を図るとしたのである(10)。. しかし現実にはますます「東京一極集中」が進み、その是正が各方 面から求められ、「地方の時代」(11)今の転換が図れるかどうかが 焦眉の課題となっているのである。. 一3一.

(11) 上に見た我が国の地域開発政策歴史の中で、現在ほど「地方の時 代」や「地方の復権」の重要性が叫ばれる時はない。そして、その 場合の「地方」の中身をなすのは、人口規模の小さな地方中小都市 に他ならない。こうして地方中小都市は、今日の「三全総」以降の 地域開発政策の主な舞台となっているのである。そこでは地域経済 の再生が強く求められており、また自治体政策の果たす意義と役割 が益々増大している。それは、末端自治体がとる「農工法ゴや「工 配法」の導入やその様々な税財政上の特別優遇措置をめぐる政策の 中に顕著にも見られるものである(12)。. 表序一1「全国総合開発計画の比較」. 全国総合醗計画. 綻嘲 ・. 曹. .. 一. 冒. 冒. 一. F. 一. 期 間 曹. 一. 一. 9. 曹. 9. 曹. 帽. 曹. 目標轍. 昭和37年(1962) .. 曹. 一. ■. r ・ ■. 冒 一 , ,. ● 冒 曹 , 門 一 匿 ■. . 曹. 昭和35・45年 . , P 巳 , 一 曹 匿 9 冒 噂. 新全国二物発計画. 第三次全国総二二計画. 第四次全国総獄丁計画. 昭和44年(1965). 昭ll 52年(1977). 昭和62年(1987). おおむね10ヶ年. おおむね昭和65年. 匿 冒 一 昌 9 ■ “ 冒 , ρ . 曹 曹 F 雫. , 曹 一 一 曹 ■ 一 、 ■ 一. ρ. .. 基相標. 曹. 層. ρ. ■. ■. ,. 噸. }. 曹. ・. 9. 一. 騨. ・. 1977年からユ0ヶ年 ,. .. ,. 一. 曹. 9. 一. 一. ρ. ρ. 2,人口、産業の大都市. 2.焔の地回着、産業. 匿 9 7 噛 r. r . 一 一 9 層 一 一 ■ ,. O P 7 . 一 . .. 地域間の均衡ある発展. ■ ・ 一 一 ■ 傅 鱒 咽. 拠点醗試. 冒 , 9 匿 冒 ■. 集中. 幽. 一. .. 辱. 冒. . 幽 9 一 ” , ,. 人間居住の繕的麟の. 可ll性の鋼土への拡大). 整備 ■. 冒. 一. 冒. 一. 一. 一. ■. 圏. ■. 瞬. P. P. 一. 巳. ,. 冒. .. ρ. 一. 9. 墨. .. .. 一. 曹. 7. 阜. 膠. 7. ρ. .. 聖. 2,醸鮭の轍と地方 経済の瀦、顧問題 3.高齢ll、国際化の進展. 卿 , 一 一 ■ 一 一 卿 , ・ 8 . 一. 豊かな囎の創造(開発. .. 亜集中. 4.国臆識の変化. ● 一 一 一 . , ・ 鱒 卿 一 9 一 . 冒. 鴨 一 一 一 . , 昌 噂 p g ■ . , .. 曹. 3。資源の感性の顕在化. 技術鞠の進展. 大規模力ジェクト方式. 9. 1.人口、諸蹴錬京. の地方分散の兆し. 3.情靴、乱国、. . 一 . ■. おおむね2000年. 印. 2.猷都話題. q 孕 紳 ■ 一 顧 .. 醗方式,. 一. 1,安定厳繍. (太平洋ベルト地帯構想) 一. 7. 1.高度厳経済. 3.所得倍増計画の策定. P. ●. 1.瀬蔽への移行. 所得格差の拡大. 冒. 匿 曹 ρ P 嘱 ■ 一 冒 ” 顧. 昭和60年(1985). 胃 曹 馬 , ρ . P . 一 噛 ■ , ・ ρ. 背景. ■. 昭和40・60年 曹 ● 曹 曹 檜 曽 ● ■. 昭和45年(1970). ■ 一 ・ ・. ρ. ・. 曹. 一. 一. 層. 曹. ■. .. 多駈散型国土の形成. o. ,. ,. 卿. 一. 曹. 曹. 一. ・. ・. 雫. 一. .. .. 交流ネットワーク方式. 定住構想. 出典宮本憲一・横田茂・中村剛治郎編『地域経済学』1990年. 一4一.

(12) 第2節 地域経済をめぐる社会学的研究とその視点. 社会学が地域経済をめぐる諸現象を取り上げる場合、第1に 地域開発研究、第2に過疎研究(22)として展開されてきた。. まず第1に、後に宮本憲一によってとの分野の「金字塔」で あると評価を受けた福武直ら(13)の研究を見ることにする。’. これは、1960年代前半の「拠点開発構想」の「新産業都 市」の理念と現実を追及し、現状分析を行ったものである。そ. こでは、戦後の地域開発の「3つの方式」q4)がことごとく失 敗に終わり、結果としてその目標を達成できなかったことが明 らかにされている。. その視点は、階層分析・構造分析視点である。つまり、それ は地域開発が小自営業者層、農漁業民、労働者などの各階層の 地域住民生活に様々な矛盾の現れをとること、さらに、地域開 発がもたらした成果は、どの階層にとっても特に強調すべきも のはなかったという実態を明らかにしょうとするものだった。. 第2に、福武直らの研究を1970年代に引き継いだ宮本憲 一らの研究を見ることにする。. 宮本は、その著書(15)の第1巻で、「旧全総」の開発方式で ある.「拠点開発方式」の先取りとしての堺泉北コンビナートの. 例を取り上げ、大都市とコンビナートとの関係についての分析 を行った。その序章「地域開発の現実と課題」で、地域開発の 問題点を明らかにし、「地域開発論」の理論的検討を行ってい る。宮本は、その(『縫騒醗と自治体全3巻』)研究目的は、 「コンビ. ナートの実態を素材的にも体制的にもできるだけ正確に把握し、. 一5一.

(13) 従来の産業規則や環境管理政策の内、どれが有効か無効か、新 しい課題は何かを明らかにする戦後決算書を作ることである」. ’と述べている。そして宮本らは、「地域開発研究ゴの方法と「理 論的課題」について以下の3つを取り上げている。 (1)「地域経済」の理諭問題については、地域経済の構造分析が重要であることを指摘している。. (2)「地域問題.ゴの課題については、「一資本」による地域の共同生活条件の萌壊から起きる社会問題であり、「現代的貧困」. と呼んで、その課題の研究の重要性を指摘した。. (3)「地域政策(行財政と政治)」については、「地域問題」を解決する手段が「地域政策」であり、中でも「地域経済を. 改造する地域開発が最も重要な役割を果たすjとした。そして、「地域開発_/は自治体を主体として地方行財政を手竣と. して行われるため、「公害反対と福祉」を求める住民と激しい政治的対立が起こると指摘し、「地域開発論」の新たな課. 題が、「いかに住民参加の制度を確立し、それにより地方自治を発展させられるか」であり、「地域開発論」の分析対象. がr地方財政・地方行政・地域計画・地域政治・地域の社会運動、杜会教育、住民参加」であるとを指摘している。. この宮本の研究を貫く重要な視点は、自治体の「財政分析」 を通した「地域開発」「地域政策」批判である。つまり、道路・ 港湾・鉄道・工業用地等の産業基盤に公共投資が「最優先」さ れ、環境・衛生・住宅・福祉・学校等の「生活基盤」がおろそ かにされている状況を痛烈に批判したのである。その背景には、 まさにこうした「政策・施策」の欠如から引き起こされたさま ざまな矛盾が「地域問題二・「都市問題」として噴出していた 当時の現実があった。. 第3に、1970年代の大規模プロジェクト方式による地域 開発の典型例として苫小牧東部の工業開発を取り上げた元島邦 夫・庄司興吉らc16)の研究を見ることにする。本書も地域開発 に対して批判的で、その視点は、先の宮本の行った財政分析の. 手法を前面に押し出すだけでなく、もう少し広く運動論・政治. 一6一.

(14) 論的視点を取り入れた点に社会学的研究としての特色がある。. そのため、国や北海道等の開発主体の側だけでなく、開発への 反対運動や地元住民や政党等に広く分析対象が向けられている。. 以上、見てきたように、福武、宮本、元島・庄司の3つの研 究は、いずれも大規模地域開発をその研究対象とし、それぞれ 階層分析・構造分析の視点、財政分析の視点、運動論・政治論 的視点から、その現実を厳しく批判したものであった。、. 第4に、「生産・労働一生活過程分析」の視点からの地域産 業論として、布施鎌治(17)らによる研究がある。これは、炭鉱. 都市の夕張を舞台として、そこでの労働者の生産状況や労働者 の「生活史・誌」を克明に記録しその分析を行ったものである。. そのねらいは、地域社会をたくましく生き抜く住民の階層的分 析を通して、地域経済・地域社会の変動と地域住民諸個人との 関係を整合的に明らかにするという点にあった。. 第5に、テクノポリス開発分析はまだ緒についたばかりであ るが、熊本(18)や浜松(19)を事例とした研究がある。それは、. 主に80年代以降に具体化する「工業の地方への導入・企業誘 致政策」を対象としたものである。その中で、テクノポリス開 発が今まで以上に末端自治体に過大な負担を強いる危惧のある 「地域振興政策」であることを明らかにしている(20)。. 以上、5つの主な研究を取り上げ、地域経済をめぐる社会学 的研究とその視点について素描した。(21)(22). 一7一.

(15) 第3節 本研究の目的と視点. 本研究は、地方中小都市の地域経済の再生過程とそれがもた らす地域住民生活への影響と課題の事実解明を目的とするもの である。それは、末端地方自治体の果たす役割が大きくなって いる状況(第1節)を鑑みるとき、地域社会学がその分析検討を強. く迫られている今日的課題といえる(23)。大規模地域開発を対 象とした研究(第2節)が一段落した状況を踏まえれば、それは、. 地域開発研究の薪領域開拓に繋がり得る課題でもある。. この課題を明らかにする視点として本研究が着目するのは、 末端自治体がとる地域政策や施策の有り様である。小規模な地. 方中小都市である分、自治体が選択する政策・施策が当該の地 域の経済や生活に与える影響が大きいと見なし得るからである。 末端自治体の政策能力向上が指摘されるが(24)、本研究の視点 は、それが地域社会の現実にどう現れるかの検証にも繋がる。 具体的には、地方中小都市の今日的状況(第1節)の典型でもあ. る兵庫県朝来郡生野町を対象とし、まず第1に高度経済成長期 以降の我国の産業構造転換の中で、生野町の政策・施策がどの. ように展開されてきたか、第2にその変遷が生野町にどんな影 響を与えてきたか、第3にそれが地域住民にどう受け止められ、 どのような新たな政策課題が出現しているかを検討して行きた い。その際、「三全総」後の社会開発政策の流れを考慮すれば (第1節)、政策・施策の範囲を単に経済政策に限定すべきではな. く、生野町がとる生活環境整備・医療・福祉・教育文化等の広 い地域政策を視野に入れる必要があるのはいうまでもない。. 一8一.

(16) 第4節 本研究の方法. 本研究は、事例研究法を採る。. まず第1に、r生野誌』r明治以降の生野鉱山史』「町勢要 覧」「100周年記念史」「国勢調査報告書」「工業統計結果 報告」「商業統計結果表」 「生野町広域商業診断報告書」「生 野町の商工業調査報告書」 「生野町町勢振興計画」などの他数. 多くの資料・参考文献を収集した。. 第2に、元町長や町会議員、生野町役場職員や商工会幹部等 の関係者、閉山までの鉱山関係者の方々や元町役場職員や郷土 史家、企業関係者、有識者の方々から聴き取り調査を行った。. 第3に、アンケート調査を行った(1992年8月実施)。 調査対象は、生野工業団地進出企業9社(予定の1社含む)、. 従業員30人規模以上の13社の町内の在来企業、町内の観光・. 宿泊施設の全ての11ヶ所、自治会長22名・婦人会役員22 名・老人会長19名である。 《注》. (1)国土庁編r第三次全国総合開発計画』昭和52年置.1 (2) 同上 p,1. (3) 同上 P.7 (4) 同上 pp,78・79. (5) 同上 pp,89・90 p.102. (6)国土庁編r第四次全国総合開発計画』昭和62年pp.1∼2 (7) 同上 p.2 (8) 同上 pp.2・3. 一9一.

(17) (9)交流ネットワーク構想では、地域主導による地域づくり推進の ため交通・情報・通信整備と交流の機会づくりを目指すとしている。. (10) 同上 pp.9・12 (11)「地方の時代」とは、昭和53年頃神奈川県の長洲一二知事が 提唱した言葉で、中央集権的システムを地方分権的システムに転換す る必要性から象徴的に提唱されたものである。長洲知事がこれを提唱 した時期は、高度経済成長が終わりを告げた時期で、地方自治体が中. 央に劣らない力をつけてきた状況があった。しかし、現在も、財政的 には地方の中央への依存体質は続いている。しかしまた地方が先行し. て、中央がそれに追随する行政パターンは既に定着し、ますます増大 する傾向があるように思われる(五十嵐富英r自立する「地方」一地 方記者の見た戦後自治史一」ぎょうせい 1987年pp.187・197を参考)。. (12)「農工法」と「工配法」そしてその様々な特別優遇措置につ いては、章末の(補)を参こ口. (13)福武直読r地域開発の構想と現実 1 百万都市建設の幻想 と実態 一 富山高岡の例より 一』 東大出版会 1965年. (14)その「3つの方式」とは、第1に「国土総合開発法」下の資 源開発による地方工業化方式、第2に「旧全総:」下の拠点開発方式、. 第3に「新全総」下の大規模プロジェクト(巨大開発)方式で、目標 は地域格差是正・住民福祉向上・環:境保全・地方自治発展等であった。. (15)宮本憲一編r講座地域開発と自治体1 大都市とコンビナー ト・大阪』筑摩書房 1977年 (16)元島邦夫・庄司興吉編『地域開発と社会構造 一苫小牧東部. 大規模工業開発をめぐって一』東大出版会1980年 (17)布施鉄治編著『地域産業変動と階級・階層一品都・夕張/三. 一le一.

(18) 働者の生産・労働者一生活史・誌一』御茶の水書房1982年 (18)熊本の事例としては、日本科学者会議編『テクノポリスと地 域開発』大月書店1985年が、一貫して批判的立場を堅持し、批判のた めの批判でなく建設的批判を地の利を生かし試みた。. (19)浜松の事例としては、上原信博著『先端技術産業と地域開発』 お茶の水書房1988年が、四全総の地域開発路線の下での地域経済にど. のような影響や変化を及ぼし、80年代後半の日本経済の進展の中で 今後の地域産業や経済にどのような展望を導き出そうとしているかを 課題としその解明を総合的・学術的に行った。. (20)注(18)(19)の研究に対し、従来の地域開発政策に比 較して、その地元負担が一層増大した点を明らかにしたことが評価で きる一方で、経済分析が未だ不十分であるという指摘がある。. 1. (21)地域経済の持つ重要性とそれをとりまく今日的状況の困難さ を鑑みる時、 「地域経済学」がこの状況を現実的・理論的に十分に分. 析しえているとは言いがたく、その意味で「地域経済学」自身の体系. 化も急務であると思われる。ちなみに、地域経済学が学会で一定の地 位を占めるようになったのは、政府や自治体が地域開発等の地域政策. を行うようになった1930年代以降のことで、しかも、日本の大学 で「地域経済学一の講義が行われるのは、1960年代のことであり、 数百年の歴史を持つ財政学に比べると地域経済学はまだ発展途上との 指摘もある(躰憲一・細茂・中綱治繍『繊経済学』有難1990年置p11∼12)。経済学の. 立場ですらこのような状況にあり、まして社会学の立場で地域経済研 究を体系化する試みは困難なものと思われる。その他の地域経済学の. 著書は数理的分析手法のものである。今川正r地域経済論』東洋経済. 新報社1973年、福地崇生編r地域経済学』有斐閣1974年、真継隆r地. 一11一.

(19) 域経済論一地方の時代の可能性一i実業出版社1986年等がある。 (22)過疎についての社会学的研究には、意義あるものが既に幾つも 見られる。しかし、過疎の経済的側面を社会学的視点から取り上げる ことは少なく、地域社会の社会関係や人間関係に及ぼす影響や生活破 壊の側面等に主に着目して行われたものが多かった。. 第1に、永田恵十郎・岩谷三四郎編r過疎山村の再生』御茶の水書 房1989年は、島根県の過疎山村地域を研究対象地域とし、企業誘致に も観光開発にも将来展望が期待できない地域での農林業の再構築のあ るべき姿を八二し過疎地域のリーダーの指針となることを目指した著 作である。そして、「過疎山村の再生」に向けユニークな活動事例が 生まれつつあり、その担い手として行政や農協・森林組合の活動の枠 と範囲をこえた第三セクター的な組織が必要なことを指摘した。さら に1960年代∼70年代前半の人口の社会減を要因とする過疎と70年代後半・80年代前半の. 自然減による人口減少の状況を分けて分析し労働力不足の中で企業誘 致が地域活性化の決め手とは言いがたいことを指摘した。. 第2に、杉本一郎・三上勝也・山本剛郎・橋本和幸・泉二二著r地 域政策と山村コミュニティ』多賀出版1984年では、和歌山県竜神村を. 対象地域とし、過疎化の深化を60年代以降の国や県の政策という外 圧の下で画一的な国や県の地域政策と地域住民の緊張関係の問題とし て理解すべきこと、この調整のため行政や住民が自らどんな行動や計 画を提起したかという「内発的地域主義」(臨急芳郎)の問題として整理. すべきことを指摘した。. 第3に、国民生活センター編r現代日本の山村生活一東北・中国 山村の15年』時潮社1985年では、昭l140年代前半の調査を受け、15年経過し た昭和50年代後半に同じ山村地域の地域社会と地域住民の生活の変貌とを追. 一12一.

(20) 跡して明らかにし、今後の展望を開く基礎材料を提供した。. (23)この末端地方自治体の果たす役割が大きくなっている状況を踏 まえた研究には、以下のものがある。大牟田市総合研究班編r地方産 業都市の構造分析一大牟田中間報告一』1991年、田野崎昭夫編r企業 合理化と地方都市』東京大学出版会1985年、奥田憲昭r現代地方都市 論』恒星社厚生閣1989年. (24)宮本憲一・横田茂・中村剛治郎編r地域経済学』有斐閣1990年 pp. 25−26. (補)注(12)の「農工法.・「工配法一について詳述する。 1. 「農村地域工業導入促進法.は、農家兼業の安定化と他産業への. 転職による離農の援助、促進を目的として、農業者が通勤可能な農村 地域への工業導入の促進を図るためにつくられた。 「農工法」では、農村地域を以下のように規定している。. 県内で「農工法」の「農村地域工業等導入地域」の指定を受けてい. る市町は30団体で、生野町周辺の町では、朝来町・和田山町・神崎 町・市川町・大屋町・養父町・出石町・豊岡市がある。. 一13一.

(21) ¢. 農業振興地域の整備に関する法律により指定された農業振興地域又はその予定地→「生野町.」はこれに指定されているD. @. 山村振興法の規定により指定された振興由村の区域. @. 過疎地域振興特別措置法に規定する過疎地域を包含している市町村の区域. 税財政金融上. の特別優遇措置は、以下のものがある。. (1)土地譲渡の場合500万円の所得税軽減. (4)特別土地保有税の非課税. (2)事業税、固定資産税、不動産取得税いずれも免除. (5)事業用資産買換特例. (不均一)(地方税減免補填). (6)資金貸し付け. (3)円価償却の特例. 次に、「農工法」の税財政金融上の特別優遇措置を具体的に詳述する。 ①.「立地企業の工業用地として農用地等を譲渡した場合の課税の特例」として「500万円の特別控除」が認められている。. ②.新増設設備に対する地方税の減免と地方税による減収補填として、工業生産設備で取得価額1500万円を越える新増設した者に対し. て課する事業税、工場用の建物、敷地に対して課する不動産取得説及び固定資産税、新増設の機械、装置に対して課する固定資産税につい. て都道府県又は市町村が課税免除又は不均一課税を行った場合、普通交付税の碁準財政収入額から控除することで、減収額の補填がある。. ③,新増設設備に対する特別償却として、減価償却資産の取得価額1500万円を越えるものを取得、製作、建設した場合、その取得価額. の16/100(建物と付属設備は、8/100)の特別償却が認められる。. ④,特別土地保有税の非課税措置として、工場用の建物の土地を取得した場合」行われるものがある。. ⑤.特別の国庫補助制度として、就業センター、下請け共同作業施設、関連緑地等利用休養施設などの整備事業を4年間で行う場合、平均. 事業費1億5000万円∼3億円、補助率1/2以内で補助が行われる。. ⑥,金融上の特別措置として、地方公共団体による工場用地の取得、造成を促進するため、地方公共団体又は、地方公共団体が1/2以上. 出資している非営利法人に農協や農林中央金庫などが資金を貸し付けるもので、償還期限は7年、貸付利率は6.3%以内である0. 2.「工業再配置促進法」は、過度に工業が集積している移転促進指. 一14一.

(22) 定地域から集積の程度の低い誘導指定地域への工場の移転誘導を促進 し、工業の地方分散の積極化を図るためにつくられた。. 現在、県内で「二二法」の指定を受けている市町団体は56団体で、 生野町周辺の町では朝来町・和田山町・神崎町・市川町・大河内町・. 福崎町・山東町・大屋町hE指定を受けている。昭和52年7月に通産 大臣により、「工業再配置計画」が策定さ「 黷ス。この「工配計画」で、. 「誘導地域」には、道県単位で指定されるものと市町村単位で指定さ. れるものとがあり、市町村単位で指定されるものはrにじみ出し誘導. 地域!と称される。現在、16府県の712市町村がそれに指定され ている。さらに、「にじみ出し誘導地域.でも、「工業集積度」の低 い遠隔地の道県や「構造的衰退産業依存地域(雛産地、鋤地域、産炭綴)」及び 「電源(原子力及び石炭火力競所)立地市町村」を補助金交付規則により、 「特別. 誘導地域」として指定し「工業再配置補助金」の引き上げの措置を講. じ、 「構造的衰退産業依存地域」として、21府県の110市町村が 指定され、生野町は構造的衰退産業依存地域の「特別誘導地域に指定 されている。工業再配置促進のための税財政上の優遇措置としては、 次のようなものがある。. (1)新増設設備に対する地方税の減免と地方交付税による減収補填措置. (5)工業団地造成利子補給金. (2)移転前工場の加速償却. (6)地域振興整備公団の工場移転融資. (3)特別土地保有税の葬課税. (7)日本開発銀行及び北海道東北. (4)工業再配置促進補助金. 開発公庫による特別融資. 以上の税財政金融上の特別優遇措置がある。以下で具体的に見る。 ①.「新増設設備に対する地方税の減免と地方税による減収補填」として、「地方公共団体が新増設の機械、装置、工場用の建物 及びそ. 一15一.

(23) の敷地に係る固定資産税について都道府県又は市町村が課税免除又は不均一課税を行った場合、普通交付税の基準財政 収入額から控除す. ることにより、減収額を蒲填」するものがある。. ②.「一移転前工場の加速償却」として、「移転計画の認可を受けたものが、移転前工場の減価償却資産を廃棄又は、譲渡する場合、これら. の資産を移転時までに償却してしまうこと」が認められるという措置がある。. ③.「特別土地保有税の非課税措置」として、「移転計画に伴う事業用設幡の減価償毎資産の取得価額ユ800万[を越えるものを新増設. した者に対して行われる措置」がある。. ④.「wwamlva」として、「製造業者」や「市町村」の行う事業で、工場の移転又は新増設と密接な関係を有するものとし. て、例えば、「緑地、池等環箋保全施設」、「地域住民と共同使用する排水跨等の環壕保全施設」、「地域住民と共同使用する運動場、体. 育館、プール、公薗、医療施設等の福祉施設」、「地域住民と共同使用する消防施設、街路灯等の防災保安施設」、「通勤用バス、駐車場、. 食堂等の従業員用施設」等の設置に対して補助金が交付されるものである。. 生野工業団地進出企業には、この「工業再配置促進費補助金」が交 付されている。具体的には、以下のように交付される。、. 区 分. 交付対象. 誘導 地域 特別誘導地域. 移二進地域. 航二村. 5000円/m2(1億円). からの移転. 企 業. 5000円/m2(1億円). 新口設. 地茄町村. 5000円/m2(1億円). 企 業. な. し. 7500円/m2 (1.5億円) 7500円/rn 2 (1.5憶円). 7500円/m2 (1.5億円). 5000円/m2 (1.5憶P≡). ⑤.工業団地造成利子補給金として、地方公共団体、地方開発公社が工業団地(市町村等10ha以上、都道府県20ha以上、地方距発. 公社100ha以上)の造成資金の為の地方債又は、惜入金について、国がその利子支払額の1.7%相当額以内を補給するものがある。. 以上は、r自治行政講座13地域政策』第一法規pp.267・∼287、 r現. 代地方自治全集21地域政策』ぎょうせいpp.448・459、『現代地方. 自治全集14通商産業(1)』ぎょうせいpp.219∼234、『地方の時 代と工業再配置』東洋経済新報社pp,56・63より引用した。. 一16一.

(24) 第1章 兵庫県朝来郡生野町の概略. 第1節 位置・自然・人口. 本研究の対象地域である「兵庫県朝来郡生野町」は、ほぼ兵 庫県の中央部にあり行政的には朝来郡(1)の南端に位置してい. る(図1−1参照)。また、海抜約300mの町で「但馬の玄 関口」である(表1−1参照)。そ・の地勢は全般的に厳しく、. 四方を高い山々で囲まれている。町の北東部の黒川地区に源の ある市川(2)が、町の中央部を南西に流れて瀬戸内海に注ぎ、. 町の中西部の円山地区に源を発する円山川(3)が北流して日本 海に注ぐ分水嶺の町で、西部一帯には生野高原(4)が広がる。. 山間部で平坦地が少なく、町の面積約112k㎡(表1−1参 照)の内の98%が山地で、宅地・農地・工業用地は残りの2%、僅. か2.3k㎡にすぎず、住宅地域は100haあまりしかない。 気候は、日本海式気候と瀬戸内式気候の両方が見られる。近 年は少ないが、冬は雪が降り、寒さの厳しく、春と秋は変わり やすい天気が続くが、夏は綜しく過ごしやすい。. 町の南北を姫路から伸びる国道312号線が縦断している。. 1992年3月に神崎町から生野町北部まで完成した「播但自 動車道路一が中国自動車道の福崎インターから接続し、町の南. 北を貫いている。姫路市から車で約1時間である。JR播但線 が姫路市と和田山町を結び、急行で姫路から約1時間である。. 一17一.

(25) 滅徽騨…1篶≠囎塒灘 ’ 融繍詳婚嚇。t。布三。齋. 宝鮪. 構1昨蓼慕.….難 Ns ”p /7ixn−t/・・.. T. .諭一,_ 淡路繊L−i)・’・,x ・色・. l人口灘徽。,. i面檀、.翻:湘呪言『. 』轟;謎・1L盤l 図1 一1「兵庫県行政地図」. o. 992.3」 兵庫県総:務部地方時編. 出典 「市町要覧 1. 表1 −1「生野町の地理的位置. 一,1. 置. 位. 広. さ. i西 { 1. 面. 積. 東. 経. 北. 緯. 東‘. 蒲. 北. 8.9. ㎞. 高. さ. i㎞i i. 112.1.3. 湿. 134。. 48’. 35・0白’. 16.3. .302. m. 出典「生野町町勢要覧」. 一18一.

(26) 続いて人口の変化を見ると、町制施行時の明治22年の人口. は、6991人であった。大正5年が、戦前の人口のピークで、. 10587人を記録した。太平洋戦争直後は減少したが、昭和 32年に戦後の人口のピークを記録、.11029人の人口があっ た。しかし、その年を境に年々人口は減少し、昭和48年の閉. 山時には7151人となった(図1−2表1−2参照)。現在の 人口は5566人、世帯数は1795である(平成4年4月)。 様々な施策にもかかわらず、人口減少は続いている。特に1. 5才未満人口が昭和30年には総人口の36%を占めたが、平 成2年には総人口の16,7%と半分以下に落ち込み、その減 少が全国的な出生率の低下傾向からみても顕著である。. さらに、「高齢化率」が昭和30年は人口の5%であったが、.. 平成2年には、我国の平均12%をはるかに超えて20%であ る(図1−3と表1−3を参照)。人口減少のわりには世帯数の 減少は少なく独居老人世帯が多い(表1−4を参照)。. 表1−2 「生野町の人口・世帯数の変化」. T.5}S20iS.30i 事項 年. 人口 「帯数 一 7 F r. 匿 嘔 巳 ■. }S・32iS・35. M・22} 6,991i 1・,587i8,498i10・116i @. i. P,034i. 11,02gi10,564. 12・457…2・462. ’一……’1……冒”S.. H.. 60. 2. 9,466… 2,327−i一一一一……. ル…圭:一91Li一一2㌃3エ4 iS・48iS・5・…S・55i :. ?F”暫≧5丁’. 枕?年 7,652i2,052i. :. 7,15116,658i5,988i. }1,900 i. 1,897 i. 1,836 i. [. :. }. i. 人 口. 5,86615,699 @. i1,835 11,906. i. 「帯数. 出典「国勢調査報告書」各年度版(M.22,T. 5, S.32,48は、畷料より徹). 一19一.

(27) (単位二 人) 11, 029. 一人口. o M. 22 S. 20 32 40 48 55 H.2. T.5 30 35 45 50 60 図1−2 「生野町の人口変化」 出典. 「国勢調査報告書」及び「生野町町勢要覧」. 表1−3「生野町の65歳以上、15歳以下の人口割合変化」. 事項年. 総人0 15才以 (%). 65才以 (%). s. 30 li s. 35. i S. 40 i S. 45. 1 s. so 1 s. ss 1 s. 60 1 H. 2. 1o, 116 li lo, s64 1 g, 46//il 7, 6s2 1 6, 6s8 il[ s, 988 1 5, 967 il,, 5, 648. 3, 645 1 3, 584 i 2, 77t! 1, 839 1 1, 436 1 1, 193 1 1, 109 1 946. (3 堰E.9) li (3i・.9) i(29L3一.li (2i・一9)1 (21L6i)1 (」i?L9一)1 (.iiL6一)li fii・..1). 510 il 645 i 73 E, 768 i 853 11 1, 022 i 1, 077 11 1, 134 (5, O) 1・ (6, 1) i, (7. 8)i (IO, O)i (12. 8)1 (17. 1)1, (18, O)1 (20. 1). 出典. 「国勢調査報告」各年度版より. 一20一.

(28) (単位:人). 10, 654. o P. 7 一 畠. o. 図1−3「生野町65歳以上15歳以下人口割合変化」 出典. 「国勢調査報告」各年度版より. 表1−4「生野町の人口・世帯数と構成員・人口密度の変化状況」. 年代. 事環 人. 口 i世帯数. 年代. i世帯人数i人口密度. 口. 世帯数i世帯入数i人口密度. s. so II, 66ss ll lg7/tl 3,4 1’ sg.4. 9’ ft! ii/ IRIi.i i/ ft111 1/ i’1. 11ii8. 2. S. 35 1 10564 1 2462 1 4. 3. 事賃 入. ii・gi1[iilliggl’iii,lgi ii:・11iii:・i4g. i 94. 3 1 84. 5. S, 40 1 9466 i 2327 1・ 4. 1. i碑i37. 11i 6s. 2. 出典. 「国勢調査報告」各年度版より. 一21一.

(29) 煉町. 1 .乏・ . . .・・. F.難譲ii歎青垣町. 米 愚一ノ/妻霧叢我 アド リ. ユ. コ. リ. ロ. 翫塗〉\∵来町.ジ嘘『遷1璽.湿ゾ し. 建爆濠慌ダ騰寵/ニゾ ★、二.. .’.G,’一・. 腎. ・.一覧 ㍉ ㌦. ギ. は. キヘヘへゆが. 、…. 1凸ジ:で 一一r〕 :. . ‘. ・〆・ご 一▼、t齢B・. ・一. 翼ζ1トぐを桑 『・一. 辱1琴流響ごSri’・.∫’. ・・∼〆.ノ. 大河内町. vそ‘ノ. A B Q. 一:fi.L㌧C㌧. aC. \\忍!1”一.乏・弓 、・ノ喉・〆. t. , 一r、、髄 、 e’. D.: A’L.. ’ ’ D.’. @t’. @’. @Msv. D .. ・. “『・∫’. ご;.]』一∵.了. 堰f. 』・. D.. ヒ、. .:ト 一・’・『ノ…. ノ ? ヘ−・ .一..ノ A.‘ @一.ノ「1マ「 .一一. i’. ド ゼ ソ. 》・=もソ. ’V一 神鵬. レ. \ . うノロ 『. 、 〆 \.ノ. レマ. 図1−4「生野町の土地利用図」. 出 典平成3年版 生野町町勢振興計画. 一22 一一. 地. .D. 羅鯵山霧鰻光開発地区E. 森林保全地区F G H.

(30) 第2節 歴 史. 本節では、生野町の歴史(5)に6いて概観してみたい。 まず、・「生野」という地名については、『播磨風土記』の「二二 の里」の条文中、応神天皇が行幸の際、「山野」と呼ばれた。 この地を忌み名であるので「生野」と名付けたと記されている。 「生野鉱山一の開坑開始の年代は、大同2年(807年)と伝えられて. いる(6)。これから後の730年間は、あまり詳細な記録はなく空 白時代である。わずかに、銀を産出し朝廷に献上した史実(7)が記 されているくらいである。. 生野銀山が史実的に解明されるのは、天文11年(1542年)である。. その年に銀鉱を発見、採掘し、その後「石見銀山」からオランダ伝 来の「南蛮絞りの秘法一など当時の「ハイテク技術」をとり入れた。. さらに乾式製錬の「灰吹法」が導入され、「金銀土砂の如く」採れ た。室町後期の但馬の守護、山名裕豊により銀山統治の為、平城の 「生野城一が築かれ城下町として大変に繁栄したと記される(8)。. そして、天正5年には織田信長、天正8年には豊臣秀吉、そして、 慶長5年の関ヶ原の戦い以後は徳川幕府の支配の時代となり、 「銀 山奉行」がおかれた。鉱山経営には「奉行所」が当り、織田・豊臣・ 徳川と続いた。(9). 元和7年頃より、生野銀山はその最盛期を迎え、1日に5∼6千 荷の鉱石が出荷され「町内あたかも洛中の如し」であった。享保元 年に奉行所は、生野代官所と改称されて幕末に至る。文久元年頃に. は、1年間Q「銀生産高」は約350貫、(1,7t)であった。 このように生野銀山は天領として佐渡の金山、石見の銀山と共に. 一23一.

(31) 幕府財政を潤し続けが、幕末頃は三山同様の状態であった。. 江戸時代の末期、文久3年(1863年)には倒幕運動の先駆け となる「生野の変」が「大和天謙組の変」に呼応して起こった。こ の事件は、 「七乱落」で長州にいた沢宜嘉を総帥に福岡藩浪士の平. 野国臣らが近隣の農民を動員して「生野代官所」を襲撃したもので ある。しかし、これは「大和天謙組」の壊滅によりその挙兵目的を. 失い、また生野代官所の手配により幕府側の出石・豊岡・姫路の各 藩の出兵により、鎮圧された。. 明治以降の生野銀山は、まず明治元年に我が国最初の「官営鉱山」. となった。佐渡金山が「官営」になったのは、明治2年である。同 年、久美浜県を分割して「生野県」が誕生したが、その歴史は短く. 明治5年に豊岡県下の第5区第6小区となった。 続いて、明治政府は休山同様の疲弊した生野鉱山を再興して近代 化するため、鉱山関係の「お雇い外人」の第一号として、フランス 人鉱山技師のコワニー(10)を生野に派遣した。さらに、通訳を兼ね. て浅倉(田中)盛明を「生野鉱山局長」として派遣した。彼らの功. 績は、太盛山の開発に関して多量の「金」を含有していることを発 見し「金銀鉱」開発に変更したことと、その工法が伝統的な手盛り から火薬使用に変わり鉱山の工法に一大革命がもたらされたことで. ある。その後も、延べ38人に及ぶフランス人技師が訪れて坑道の 改良や鉄路の付設を行い、火薬使用による大量の鉱石採取を行った。. しかし、明治4年には新技術導入で職を奪われた人々による「鉱. 山機械所焼き打ち事件」が起き、16人が斬首、2000人が投獄 されるという、新時代への移行期の苦しみを味わった。. 明治22年には、佐渡金山と共に「皇室財産」に編入されて宮内. 一24一.

(32) 省御料局の所管となり、生野支庁と改称され初代支庁長には浅倉盛 明が任命された。そのため閉山まで、生野鉱山の正門には菊のご紋 章が掲げられていた。ご紋章は現在、場所を移して別の観光施設に 記念として掲げられている。. 同時にこの年、前年の「市町村制」の公布を受けて、新制の「生. 野町」が発足した。この後、昭和32年に神崎郡大河内町に属して. いた栃原と川尻の2地区を合併するが、ほぼ、明治22年の成立当 時のまま平成元年に町政施行100周年を迎えた。.. また、明治28年には鉱石運搬用に使用されていた「生野一飾磨 間」の「馬車道」(11)に代り、播但鉄道の飾磨港一生野間が開通し. て輸送力の近代化、増強が図られた。この播但鉄道が後に山陽鉄道. に吸収され、さらに明治39年に鉄道公有法により国鉄(現在のJ R西日本)の播但線となった。これは、私鉄としては、日本国内で もかなり早い時期の開通である。. さらに明治29年(1896年)11月1日に落札の結果、「三 菱合資会社」に払い下げられた。その落札金額は・佐渡金山と同額 の7万円であった。なおその「払い下げ金」は、「払い下げ」その ものに対して最後まで大変に強い「反対運動」があっ.た生野町に対. して「御下賜金」として下げ渡された。生野町はそれを基本財産と して積み立て、その利息で年々植林を行い町有林が造成された。そ の町有林が生野ダみ建設により水没し、その補償金により後の工業 団地の用地買収の資金となった。また、一部は学校関係の基金とさ れ、残金は直接に町民に配分されてその恩恵をこうむった。 生野鉱山で採れた鉱物の精錬は、当初は生野で行われたが、大正. 11年からは、かなりの鉱物が香川県の直島製錬所に送られた。. 一25一.

(33) 生野では銅や亜鉛の精錬が中心で、明治29年から昭和46年まで. の粗鉱処理総量は1170万t、明治41年忌り昭和46年までの 銅精鉱総量は約100万tにも及んだ。. 生野鉱山は、1100年余りの間、1700万トンに及ぶ金・銀・ 銅・鉛・亜鉛・錫など約70種類の鉱物を産出し、日本経済に多大 の貢献を果たしてきた。そして生野町は生野鉱山と共に発展をし続. けたのである。しかし、長期間の採鉱の為、坑内の最深部では10. 00m(海面下513m)を超え、危険性が増すと共に次第に採算: もとれなくなってきた。. そして昭和42年、三菱金属鉱業(株)は資源の枯渇や鉱物価格 の問題等、操業上の理由により鉱山の生産規模と人員を半減する縮 小合理化案を提示し、同時に、鉱物の精錬などを行う生野鉱業所の 減員方針が決定し、翌年には不振の生野鉱業所の再建計画が決定し た。しかし、昭和45年に心内で「山はね」現象(12)が発生し、操 業上の問題となり、労働者にも大きな不安材料となって閉山を早め. る一因となり、昭和46年に2年後の閉山が発表された。 さらに、昭和45年に、鉱山のカドミウム汚染による、公害問題 が発生して当時の社会問題となった(第皿章第3節)。これも閉山 を早める一因となった。このように、国際情勢の中での鉱物価格の. 低下による業績の悪化やカドミウム汚染による公害の補償問題など が続発したのである。. そして、昭和48年(1973年)の3月に、ついに生野鉱山 は、400年以上の長く数々の輝かしい歴史に幕を閉じた。. 生野町は閉山を挟んで、昭和45年から50年の5年間に人口が7. 652人から6658人へ13%も減少し、激しい過疎化現象を二. 一26一.

(34) した(図1−1を参照)。. その対策として昭和49年から工業団地造成による企業誘致によ る地域経済の再生を図った。昭和54年に生野工業団地の造成が完 成し、平成3年に完売した。平成4年現在、8社が操業している。 また、鉱山の一部は三菱金属生野工場として再出発することにな り、鉱山の坑道跡地は、 「シルバー生野(13)」という全国でも珍し. い観光施設として再出発することが決定した。. 昭和40年には、鉱山依存体質の改善のため、観光開発を行うこ とになり、生野高原開発に取り組んだ。これには、町も出資し、当 時はまだ珍しかったゴルフを開発の目玉に取り入れ、生野高原ゴル フ場を完成させた。また、開発の一環として冷涼な気候を利用して. 別荘開発にも取り組み、今ではゴルフ場k周辺には、別荘と共に国 民宿舎やペンションが立ち並んでいる。.. さらに、昭和47年に完成した、播磨工業地帯の水瓶「県営生野 ダム.q4)のダム湖を「銀山湖」q5)と命名して、魚釣りやキャン プ場として観光客を集めることとした。また、その上流にある黒川. 地区には「関西電力奥多々良木発電所」の上部ダムである「黒川ダ ム」q6)が完成して農林水産省の「自然休養村」に指定され「黒川 渓谷」(17)の観光開発が行われた。. そして、生野町は、平成元年に明治22年の町制施行以来、10 0周忌を迎えた。同様の町は、全国で15町である。 生野町は、前述したように、典型的な鉱山町として発展してきた 内陸の都市的性格を持った町で、周辺の町とは、その歴史のみなら ず就業構造や産業構造などをかなり異にしている。 以上、本節においては生野町の歴史について記述した(18)。. 一27一.

(35) 第3節 産業構造・就業構造. 本節では、産業構造や就業構造、製品出荷額などを見る。. 生野町の産業構造は、昭和48年の生野鉱山の閉山までは、 三菱金属(株)[現在の三菱マ刑アル(株)コに大きく依存していた。. 現在、工業団地に誘致企業8社が操業し(表IV−4を参照)、 既存企業は、アルミ缶製造や全国で唯一の錫の電気分解装置を. 持つ三品目テリアル(株)、NHKのTV番組「電子立国=で 紹介されたシリコン単結晶引上能力日本一の工場の三菱マテリ. アルシリコン(株)、米菓を全国に通信販売する播磨屋など様 々な企業が活動している(表W−5参照)。経営状況は概ね良. 好で、その経営規模は、従業者が30人以上の事業所が15、. その従業者数は、1369人、同じく4人以上29人以下が1 3、166人、3人以下が11、26人である(19)。 また、表1−1の生野町の産業構造では、総従業者数156 1人で、特徴は、その経営規模の大きな企業が多いことである。. さらに、1事業所当たりの従業者が54.8人と県下で第4位 の高い水準である。. 製造品出荷額は、約460億円、1人当たりのでは、16. 4億円と周辺の他の町に比較して圧倒的に多い状況である。. 表1−5 「生野町と周辺の町との産業構造比較(1)」. 報事業 i所数 町名 i. 従業. 製造品. 1事業所. i1人当たり. 者数 出荷額見た1のi,製造品 (人). (億P≡) 従業者数. i. 出荷額’. 一28一.

(36) ww//tnvti/ua,ewrti////7ew///t,Zi’7wwptt////4th,7nvA.. 朝来町} 43 i 569. 1 sg. 1 13.2 ] 1.4. 噺23i811. il i89. il 3s,2 1 s.2. 1・ 331. il 23.3 i’[ 3.7’. 11 :g,. ll:::旨:l. 和田山町; 90. }2093. 認i留l. 出典. ll;ii撫. 曙 lilli澤. 「工業統計調査報告」. 平成2年より. 商業活動では、商店数121店舗、従業者数は327人、年 間販売額は46億5千万円である。1店舗当たりの平均販売額 は約3800万円と県平均の44、 8%と低いことが指摘されている(2。)。. 従業員1人当たりの平均販売額は約140G万円である。年間売上 高1千万円以下が40%を占め、3千万円未満で70%を超えるが、5千万円以上. の売上数は10%以下である。小規模店が多く小売業中心で人口. 規模からは商店数は多すぎる(2D。商圏は姫路依存型で、町民 の買い物の傾向は40%近くを姫路市を中心に町外に傾き、町内. での商業活動は低調である(22)。経営者の高齢化が進み、50. 歳以上が78%である。後継者は、「あり・なし・未定」が3分 の1ずつである。営業年数は10年未満は4%に過ぎず、50年以 上続く老舗が半分を超え、店主も高齢化している。 経営状況は低迷し、将来は悲観的との結果が出ている(23)。. 就業構造は、第一次産業人口が少なく、第二次・第三次産業 人口が多い。そのため給与所得者の数が多く財政力指数が高い。 一29一.

(37) 但馬地域1市18町では豊岡市(G.58S.63・H,2)に次ぎ2番. 目18町中トップである。生野町の財政力指数は、0.457 (S.63・H.2)である。町人口5866人中15才以上の就業者 数は2586人で、就業率は44,1%である。内訳は、第一次産 業従事者が120人で就業者数に占める割合は4,6%、同じく第. 二次産業は1146人で44.3%、第三次は1320人で51.0%で ある(昭和60年「略調査難」)。. 表1−6で生野町と周辺の他町と就業構造の状況を比較する と、第一次産業従事者数の比率が少なく、第二次第三次産業従. 事者の比率が多い。労働者1人当たりの給与総額は325万円 で、但馬地域では第1位、県下でも第20位と大変に高い水準 になっている(平成2年「工業統計調蘇告⊃。. 表1−6 一生野町と周辺の町との産業構造比較(2).. 町名. 産業. 第1次(%) 第2次(%) 第3次(%) 1町名 産業 第1次(%) 第2次(%) 第3次(%). 髪鱗聯耀i神職046・ 0 li 46・ 0 1(120人) i(1146人) i(1320人) i大河内町18,0. 朝来町i 14,0 } 42.O 山東町1 20.G l 40,0. 和田山町; 15.0. i 44.O 1 40,0. 1 35.0. i 市川町i10.0. 1 福崎町i8,0. { 50.O. 43.O i 49.0. 47.Oi 43,0. 40. O i 52,0. l 香寺町i7.0. 42,0 1 51.0. 出典 「昭和60年 国勢調査報告書一より 以上、本節では、第2次3次産業の多い産業構造とその産業 従事者の多い就業構造、人口規模に比べ商店数が過多で、経営 状況が低迷している商業の特徴や現状などについて論述した。. 一30一.

(38) (注). (1)但馬の東南部に位置し、現在は生野町・朝来町・山東町,和田山町の 4町からなる。面積40L 93㎞。和田山町を除き、各町共人口減少が続く’. 北部は養父郡・出石郡、東部は丹波の氷上郡・多可郡と京都府夜久野 町、西部は宍粟郡、南部は神崎郡に囲まれる(図一1参照)。 (2)「2級河川。播但山地中央部青倉山(811m)付近にその源を発し、’ 西播磨東部の水を集めて瀬戸内海へ排水する川。長さは75.8km、流域 面積596hi。市川の谷は、山陰道、山陽道を結ぶ最短コースの但馬街道. として利用され、二二地峡以南の低地を中心に姫路市の中心部の集落 が発達してきた」 (r兵庫県大百科事典』神戸新聞言上1983年)。. (3)「円山川は、但馬最大の河川で但馬唯一の一級河川で、長さ67, 3km。流域面積は1327㎞で、生野町円山にその源を発して豊岡市津三山で. 日本海に注ぐまで1市12町に亘る。流域は古くから文化が栄え、出 石や竹田には城が築かれ、日高町には、奈良時代に国府が置かれた。. 豊岡市は、近世以来、但馬の中心地で、円山川は、傾斜が緩やかで水 量が:豊富で水上交通が栄え山陰線開通までは重要だった」(注(2)と囎). (4) 「生野高原は生野町栃原地区にあり、大河内町、朝来町、一宮 町と接する。海抜400m・600mの緩やかな斜面と段ヶ峰(1103m)、達磨ヶ山. 高の高原部からなる。大河内町に広がる砥ノ峰・峰山高原と同じ隆起 準平原。市川の支流の栃原川や犬見川が流れる。ゴルフ場や別荘、ペ ンションく国民宿舎があり関西の軽井沢と呼ばれてハイキングや登山、. 保養地としても知られている。」(注(2)と同書) (5) 生野町の町史としては、以下の文献があげられる。 ① 太田虎一原著 柏村儀作校了 r生野誌』 「鉱業編」昭和37年、「政治編」昭和39年、「代官山_1昭和40年、1一神社仏閣. 編」昭和49年、土記の4編は、いつれも山名時代から徳川時代までが描かれている。. 一31一. B.

(39) ⑧ 石ノll準吉著『fi本鉱物資源に関する覚書、生野銀山建設記』 山名時代から徳31時代を経て明治の官営時代までの記述である。. ③ 藤原虎勝著r明治以降の生野鉱山史』昭和63年生野町教育委員会. 著者は、技術者として生野鉱山に勤務した方で、今までな. かった明治以降、昭和48年の閉山までの歴史を記述したものである。. ④『生野銀tLi町物語 菊は栄え 葵は枯れる』 昭和62年. 但馬開発推進協議会 生野同友会・生野町中央公民館 発行. 幕末から明治初期、生野銀山の鉱石運鍛用した「馬車道」の当時と現在の様子を実際にその道を歩6て記述した労作である。. ⑤ r生野銀山』(写真集) 生野の歴史をつなぐ会。生野町中央公民館発行 1992年 町内に残る貴重な写真を収集。. (6) 「生野銀山」の開坑年代は、大同2年(807年)と伝えられて いるが口碑にすぎず、それを裏付けるような文献資料はない。このよ. うに伝えられている理由は、寺田r銀山旧記』以下、太田r生野誌』 までいずれの資料にもこれを否定する記述は見当たらないからである。. (7)桜井勉『富山但馬考』大正11年刊 これは出石藩の儒学者 桜井良翰著r但馬考』(宝暦元年)を校補したもの。 (8)寺田十郎左衛門著『銀山旧記』元禄三年頃のもの。. (9)小三田淳著r日本鉱山史の研究』岩波書店1968年のV章「生野銀 山.(pp.160・285)によると、銀山の経営が織田・豊臣・徳川と続く間 の歴史を『前期』として天文1エ年(1542年)より万治3年(1660年)まで、『中期』 として寛文元年(1661)よ1正徳5年(1715)まで、そしてr後期』を享保元年(1716)より. 幕末までの3期に分けて述べている。それによると『前期』は、「生野. 銀山一の開発・隆盛期、『中期』は過渡期であるが二二の枯渇と浸水 でやや鉱業不振となった時期、r後期』は生野銀山の支配・経営等が 整備された時期であるとしている。 (10)フランソワ・コワニー(1835−1902) フランス人鉱山技術者 「1855年、サンテチエンヌ鉱山学校を卒業後、フランス本国やアルジェ リア、スペイン等で鉱山技師として働き、慶応3年(1867)薩摩藩の招 きで来日した。明治元年(1868)明治政府にお雇い外国人として雇用さ. 一32一.

(40) れ、生野銀山に赴任し、ここに輸入した新しい鉱山機械を設置し、ま たフランス人技師を招いて「生野鉱山学校」を開設する等、鉱山の近 代化に尽した。また彼は、全国の鉱山を調査して『日本鉱物資源に関 する覚書』(1876)をまとめた。明治10年にフランスに帰国した。二. (『日本大百科全書』小学館1986年 第9巻 p.678)。 (11) 「馬車道」については、 r生野銀山町物語』の中で《高速道路 誕生、「鉱山弓馬車道」》(pp,127・!49)及び《その後の馬車道をたず. ねて》(pp。208・240)等に現地調査も踏まえた詳細な記述がある。明治. 9年に生野一三路一飾磨間に完成し、鉱石運搬経費が8分の1に節減 された。この完成を祝い当時の工部卿伊藤博文が生野を訪れた。. (12) 「山はね」現象とは、深所(海面下400m以下)に於ける地 圧により、なんの前触れも無いままに突然に大音響と共に側壁が崩れ 落ちる大破壊事故が突発することである。幸にして人的被害は無かっ たが従業員に対する心理的衝撃や影響は大きく、閉山の一因となった。. (13)「シルバー生野:は、閉山後の昭和49年にオープンした施設 で旧金三瀬坑に残る江戸時代の坑道を利用している。坑内をまわると 昔の採掘法から現代の作業法までわかるように人形を使って展示して. ある。併設の「生野鉱物二一には、和田維四郎博士が生前30年の歳. 月をかけて収集した158種類、約3000点の鉱物標本の「和田コ レクションーが展示してある。年間の入場者数は、約20万人である。 (14)「県営生野ダム」は町の東北部にあり、 「市川総合開発事業=. として昭和47年に完成した。市川の流水機能の維持、上水道と工業 用水の供給、洪水調節も兼ね備えた多目的ダムである。高さ56.5m、堤 長220m、総貯水量1800万トンで播磨地域の工業用水、農業用水、飲料水に. 利用されている。その貯水池は銀山湖と命名されている。. 一33一.

(41) (15)銀山湖は、県営生野ダムにより出来たダム湖で、湖底に移転し た上生野地区が沈んでいる。魚釣、行楽キャンプのレジャーで賑わう。 (16)黒川ダムは、関西電力奥多々良木発電所[田鼠121万kW・循獄鵬水式競 所としては、我が国で第2位の発騒を誇る(1992年6臓在)]の上部ダムとして、昭和44年に. 計画、昭和49年に完成した。岩石を積み上げたロックフィル式ダム である。高さ98m、酵1,0舗、鋤貯糧2136万m3。下部の多々良木ダムとの落差. 383mを利用して昼 間は上部ダムから下部ダムへ、夜間は下部から上 部へと3800mの水路で水を移動させ地下発電所で発電し資源の有効利 用を果たしている。. (17)黒川渓谷は、町の最北部にあり標高800m。農水省の自然休養村 に指定。豊かな自然環境を活用して魚ヶ滝地区には町営の宿舎「魚ヶ 二二」があり、その周辺にはオートキャンプ場があり観光客で賑わっ ている。地区には関西電力のダムがある。最近、観光の目玉に「黒川. 温泉一開発が行なわれ、平成4年10月にオープンして賑わう。 (18)第2節は、藤原二二著『明治以降の生野鉱山史』昭和63年生野町 教育委員会、小葉田淳著『日本鉱山史の研究』 岩波書店1968年V章 「生野銀山一(pp.160・285)、神戸新聞社r兵庫二大百科事,典』上神戸. 新聞社1983年、生野町役場・生野町文化財委員会r生野町100年の あゆみ』職2年、生野町役場『町勢要覧』!992年、以上を参照した。. (19)平成2年「工業統計調査報告」より。 (20)購財中小企業齢指漸「生野町広域商業診断報告書二昭和63年による。. (21)平成3年「商業統計調査結果表」より。 (22)「生野町の商工業調査報告書」生野町商工会発行 昭和59年。. (23)兵庫県立中小企業総合指導所r前掲書』昭和63年. 一34一.

(42) 第II章 鉱山閉山までの生野町の経済と自治体政策. 第1節鉱山と生野町経済. 本節では、生野町と生野鉱山との経済的なかかわり、生野鉱 山の生野町での経済上の位置について見て行きたい。. 生野町は、昭和48年の閉山まで430年余りの間、生野鉱 山と共に歩んで来た鉱山町であった。そして、鉱山に経済の大 部分を依存していた。それは鉱山の営業税の鉱産税(1)が町税. 収入の中で昭和27年から昭和48年の閉山までの20年間で、 常に10%・20%を占めたことからもわかる(図H−1・2参照)。. 昭和27年∼昭和50年までの比率を見ると、最も多かった. のは、昭和30年の22,1%である。続いては、昭和31年 が21,4%で、その他の年も、15%前後の割合を占めてい た。このように大きな町税収入の得られる唯一の基幹産業であっ た鉱山は、生野町と町民の生活に大きな影響を及ぼしていたの である。. また、表ll 一1の「生野町の鉱山従業者数の変化.を見ると. 昭和48年の閉山になるまでに最もその数が多かったのが、昭. 和30年の39.0%で、生野町の全就業者のほぼ5人に2人 は鉱山従業者であった。その他の年も20∼30%を占めてい た。こうした数字を見ても生野鉱山が、生野町の産業の中心を 占めてきたことがわかる。. また、直接に鉱山での労働に従事していなくても、彼らとそ の家族を相手にしている商業及びサービス業の関係者を含める. 一35一.

(43) と生野町の住民の70%以上が何らかの形で鉱山に依存してい たことがわかる。. 鉱山町の持つ宿命であるとはいえ、これらの数字1つをとつ てみても、他にこれといった地場産業もなく、企業城下町とし. て、住民も含めて町ぐるみで鉱山への依存体質が染み付いてい た。生野町にとって鉱山の存在が如何に大きかったかがわかる。. しかし、鉱物資源は、いずれ枯渇する資源である。当時は鉱 山の無い生野町は考えられなかったため、閉山後の生野町に対 する長期的展望に立った取り組みが鉱山の存在故に遅れた。 表1工一1「生野町の鉱山従業者数の変化」 i %i. 鉱縦業者数. /. 全諜翻. 30年(国). 1,402. /. 3,592. 35. 1,339. 昭和. 4,031. :. 鉱山篠翻. 39.oi 33.2i 39.4i. 38(事). 1,265. /. 3,211. 40(国). 1,001. /. 3,858. 41(事). 1,111. /. 3,577. /. 3,721. 44. 940. 全蝶者数. 45. (国). 408. /. 3,670. 11.1. 47. (事). 334. /. 3,128. 10.7. 50. (国). 31. /. 3,074. 1.0. …. 55. 7. /. 2,698. 0.3. ヌ. 60. 11. /. 2,586. 0.4. 25.31 @. %. 1. 25.9{. 31.11. /. i. i. 出 典 (国)は「国勢調査」、(事)は一事業所統計調査」、の各年度版を表す. 一36一.

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