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『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象 : 「祭り」と「憑依」をキーワードとして読み解く

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象 : 「祭り」と 「憑依」をキーワードとして読み解く. Author(s). 片山, 晴夫. Citation. 日本近代文学会北海道支部会報, 11: 1-8. Issue Date. 2008-05. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1792. Rights. 日本近代文学会北海道支部. Hokkaido University of Education.

(2) いスキル﹂. つJ. ︵第一一章︶. 片山晴夫. を示していると指摘しっつ、本作品の特徴を次. が発揮された小説であり、村上春樹文学の系譜の上で﹁り. のように説いている。. アリズム文脈の達成﹂. 2. 今井清人は、この作品は語りの﹁デリケートさを保つ﹂ ための﹁高. あろう。. 旭川で日々を過ごしている人間にとっては、抵抗を覚えるところでは. るものなのかしら?﹂. 落とし穴みたいなところじゃない?︵中略︶人は旭川で恋なんてす. 行き先が旭川じゃ浮かばれないわよ。あそこなんだか作りそこねた. フエト ﹁祭り﹂・﹁憑依﹂をキーワードとして読み解く1. ﹃ノルウェイの森﹄と﹃海辺のカフカ﹄に表れた物語表象 ー. 一今井清人の言説について. ﹃ノルウェイの森﹄は、昭和六二年九月に講談社から書き下ろし作品 として発行された。本作品が、村上春樹文学の記念碑的な作品であるこ ︵昭和五四年六. 新潮社︶を刊行す. ﹁群像﹂︶から本格的に小説を発表し始めた村上春樹は、﹃ノルウェ. とに異を唱える人はいないはずである。﹃風の歌を聴け﹄. 月 イの森﹄に至って、一つの結節点を明示した。. その後、彼は﹃海辺のカフカ﹄︵平成一四年九月. るなど、日本のみならず世界に向かって村上春樹ワールドを押し広めつ つある。ただ、旭川在住の読者の中には、﹃ノルウェイの森﹄に対して. 恋愛を記憶=物語として語る語り口を得るための工夫がなされて. に壁土を塗っているみたい﹂とか指摘される﹁僕﹂. 胸中複雑な思いを抱いている人がいるかもしれない。. ﹁これから先どうするんですか、レイ子さんは?﹂. 記憶を語る地の文の語り口との禿離を回避している。さらに語りの. いる。登場人物に﹁ハンフリー・ボガードみたい﹂と か﹁きれい. ﹁旭川へ行くのよ。ねえ旭川よー・﹂と彼女は言った、﹁音大のとき. デリケートさを保つために、教訓的な存在も用意している。上巻の. の言い回しは、. 仲の良かった友だちが旭川で音楽教室やっててね、手伝わないかっ. 突撃隊と永沢、下巻での緑の父がそれである。. また﹁僕﹂との二人のヒロインとの関係もある程度図式的である。. て二、三年前から誘われてたんだけれど、寒いところ行くのが嫌だ からって断ってたの。だってそうでしょ、やっと自由の身になって、. 『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象.

(3) ﹁直子﹂は、内部の無垢につながる存在である。一方、緑は外部の. はじめとする登場人物たちが経験する青春期の非日常的かつ祝祭的な時. グが付されている。この﹁祭り﹂とは何か。結論からいえば、﹁僕﹂を. フエト. 現実につながる存在である。内部の無垢への憧憬から、現実へとい トポス. び﹁緑の父﹂たちの作中での役割がどのように﹁教訓的な存在﹂である. 今井の説くところは首肯できる。ただし、﹁突撃隊﹂と﹁永沢﹂およ. の父、ハツミさん. しかった多くの登場人物たちがこの世を去っている。キズキ、直子、緑. 周知のように、﹃ノルウェイの森﹄においては、短い間に﹁僕﹂と親. 間と場を意味するとともに、作中で死を迎える複数の人物たちのための. う意識の変換も教義小説的な物語の図式にそっている。しかし、物. 芽礼や魂送りの祭︵祀り︶である儀式を指す物語表象であると考えられ. のか、また、﹁僕﹂と﹁二人のヒロインとの関係﹂が﹁ある程度図式的. ﹁僕﹂と親しかった、あるいは交わりを結んだ人物四人が冥府に旅立ち、. 4. 語はスタティックに閉じられることはない。. である﹂といっても、どの程度なのか等の問題群は、さらに突き詰めた. そのうちの三人−キズキ、直子、ハツミさんーは、いずれも自ら若い命. る。. 検証が必要であろう。たとえば、村上春樹の小説においては、﹃風の歌. を絶っている。また、直子の姉の死を加えれば、登場人物四人の自殺を. 物語時間はおおよそ三年間であるが、その間に、. を聴け﹄には﹁鼠﹂、﹃ダンス・ダンス・ダンス﹄には﹁羊男﹂、﹃海辺の. 題材する物語である。﹃ノルウェイの森﹄は、まさに青春期という非日. 一. カフカ﹄には﹁カラスと呼ばれる少年﹂というように、主人公を守り導. 常的な祝祭的時間において生じた、﹁僕﹂と彼ら死者たち、あるいは彼. の物語が語られている作品であると解釈でき. トポスフエト. く人物が登場する。彼らは﹁教訓的な存在﹂. らの死霊たちとの交流と交信の場−﹁祭り﹂−を題材として、第二章. であるのか否か。また、﹁図. 式的﹂という言葉の内実は何かといった問いかけも浮上してくるであろ. フエト. から第一一章まで﹁祭り﹂. また、今井清人の﹁恋愛を記憶=物語として語る語り口を得るための. 5 る。. 一つ。 フエト. ﹃ノルウェイの森﹄のプロローグ・﹁祭り﹂考. とは、過去の表象がそのままの形で連続して意識上に再生されるもので. 二. さて、村上春樹の﹃ノルウェイの森﹄と﹃海辺のカフカ﹄に表れた物. はなく、その人の現在時において、その都度、意識上に非連続の形で産. 工夫がなされている﹂という指摘は正鵠を得ていよう。人間の﹁記憶﹂. 語表象について、それらを分析しっつ考察を加えるのが本稿のねらいで. いように、文体に﹁工夫﹂を凝らして登場人物の関係を創作したといえ. あることを十分にふまえつつ、﹁語り口﹂が専ら回想風な文体に陥らな. は鎮魂の場を意味するという物語文学等にみられる伝統的な物語表象で. トポス. イの森﹄の著者は、﹁祭り﹂が死者や死霊たちとの交流や交信、あるい. フエト. 出され、しかも徐々に変化していくものであるからである。﹃ノルウェ フエト. と﹁憑依﹂をキーワー. ある。本稿での物語表象とは、日本の物語文学の伝統を継承していると 考えられる言語表現を指す。本稿では、﹁祭り﹂ ドとして本文を考察す る 。 フエト. ﹃ノルウェイの森﹄の巻頭には、﹁多くの祭りのために﹂というプロロー.

(4) よう。換言すれば、﹃ノルウェイの森﹄は、﹃源氏物語﹄等の物語文学に たのだ。. よくわかっていたのだけれど、その一行がどうしても出てこなかっ. 本作品が﹁僕﹂と親しかった死者や死霊たちとの交流と交信の場の物語. るという幻想を抱いていたことを表している。換言すれば、その頃の﹁僕﹂. 去を﹁鮮明﹂に﹁記憶﹂しており、その﹁記憶﹂の中で彼女が生きてい. ﹁若い﹂﹁僕﹂がいる。﹁記憶が鮮明だった﹂とは、かつての﹁僕﹂は過. ここには、それまで非在の死者としての直子を対象化し切れなかった. みられる物語表象をプレ・テクストとして成立しているといえる。この ことが、今井の指摘によれば﹁リアリズム文脈の達成﹂ということにな るのであろう。. なお、﹁祭り﹂に﹁フエト﹂というフランス語のルビを付したのは、. として語られる物語であることを、あらかじめ読者に喚起しておこうと. は、他者の生を生きた直子が自裁し、非在の存在であるという厳然たる. トポス. の意図の表れであろう 。. の中で、直子を幻想しっつ自己のものとして所有し、自由に、あるいは. 事実を認識できていなかったといえる。しかも、﹁僕﹂は﹁鮮明﹂な﹁記憶﹂. 都合のいいように彼女を生かしていたともいえよう。﹁僕﹂は、自己の﹁記. であ. ること、そして﹁十八年﹂前の物語を語るという構想も、仏教で行われ. 憶﹂を過信しっつ直子の所有を確信している状態にあったといえよう。. また、ドイツのハンブルク空港に到着した﹁僕﹂が﹁三十七歳﹂. るところの﹁祭り﹂−三七回忌や一七回忌−を連想させる。このことも、. フエト. 日本における仏教儀式、あるいは死者への鎮魂の儀式−﹁祭り﹂−を著. また、﹁僕﹂は、直子の死が何であったかを解こうという欲望に取り憑. そのt. フエト. 者が意識した上での物語表象である。このように、﹃ノルウェイの森﹄は、. かれていたといえる。しかも、彼女の死に対しての﹁祭り﹂も行わずに、. 憑依考. たのは、﹁記憶﹂がその都度産出され変化するものであることを認識し. 彼女の物語を書こうと試みる。﹁僕﹂が何度も書こうとしても書けなかっ. フエト. 伝統的な物語表象を主要な題材とする物語であることは明らかである。. 三. ていなかったが放である。したがって、その頃の﹁僕﹂は、﹁記憶﹂が﹁鮮. ﹃ノルウェイの森﹄の﹁僕﹂は、全編を通じて、冥府にいる直子やキ 明﹂なものであるという過信と幻想に取り憑かれた中で、彼女の霊に取 しかし、﹁三十七歳﹂. の﹁僕﹂は、次のように思う。. ズキの霊に取り憑かれている人物であると解釈できる。それは、第一章 り憑かれ、崇られていた状態にあったと解釈できよう。 の末尾を読めば明らかである。以下に引用する。. について書いてみようと試みたことが何度かある。でもその時は一. しかないのだ。そして直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけば. 完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いで. でも今はわかる。結局のところ − と僕は思う−ト⊥又章という不. 行たりとも書くことができなかった。その最初の一行さえ出てくれ. いくほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになった. もっと昔、僕がまだ若く、その記憶が鮮明だったころ、僕は直子. ば、あとは何もかもすらすらと書いてしまえるだろうということは. 3 『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象.

(5) と思う。. ここでは、﹁想﹂ と ﹁ 思 ﹂. の文字が明確に使い分けられている。﹁不完. 四. 憑依考. その二. 続性を帯びた表象を指している﹁想﹂であり、﹁僕は思う﹂、﹁彼女を理. が幻想や断片といった、それこそ﹁不完全﹂な、あるいは曖昧さや非連. は首肯できる。しかしながら、藤井貞和の﹁茎物語﹂の死霊について述. ながる存在である﹂と述べている。おおよそにおいて今井の説くところ. 今井清人は、緑という登場人物と比較しっつ、直子は﹁内部の無垢につ. 次に、﹃ノルウェイの森﹄の直子という女性像について書き加えておく。. 解することができるようになったと思う。﹂の﹁思﹂とは、﹁僕﹂の明確. べている中の次の指摘は、直子像を考察する上で注目に値する。. 全な記憶や不完全な想いでしかない﹂という場合の﹁想﹂は、﹁記憶﹂. かつ冷静な判断であることを表していると解釈できる。そして、﹁三十七 歳﹂の﹁僕﹂は、一七歳から二〇歳にかけての祝祭的な青春期を、冷静. れは生の原型であると言ってもいい。︵中略︶天女が現世に肉体化. 物語文学の女主人公は、死霊であるよりははるかに天女です。そ. の時点で﹁僕﹂. せられたところに物語ははじまり、物語の終わりとともに天女は地. に振り返ることのできる地点に辿り着こうとしている。したがって。そ フエト の﹁想い﹂は終わり、﹁祭り﹂が始まりつつある。換言 すれば、直子を他者として、また非在の死者として認識しっつ、直子の. ざまをかきつくす場所としてあります。. 上を去る。したがって物語のなかみはきわめて現世的な、生のさま ′﹂U. 物語を書くことのできる段階に達したと解釈できる。 故に、﹁僕﹂は、﹁私を忘れないで﹂、﹁私のことをいつまでも忘れないで。 私が存在していたことを覚えていて﹂という生前の直子の訴えの真実を. 体構造の両方のありようを自ら看破した指摘と解釈できる。﹃ノルウェ. この藤井の言説は、まさしく直子の人物像と﹃ノルウェイの森﹄の全. を基にして辿り返そうとしているのである。その結果、﹁そう考えると. イの森﹄が、村上春樹文学の系譜においては、﹁リアリズム文脈の達成﹂. ﹁三十七歳﹂に達して理解し、二人のかつての関係のありようを、﹁記憶﹂. 僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかっ. となる作品であるとの今井清人の指摘とも矛盾はあるまい。. に至りつく。ここにおいて、取り憑いてい. たからだ。﹂という ﹁ 思 い ﹂. ルウェイの森﹄. す。だがその死後の世界とは、言われるような死霊のゆきつく世界. 民間伝承たる昔話は多くの後生︵死後の世界︶との交渉を語りま. ごしよう. の解釈においても有効である。. また、藤井には、次のような注目すべき指摘がある。そしてそれは﹃ノ. た直子やキズキたちの霊の呪縛から、﹁僕﹂は解き放たれようとしてい フエト る。そして、直子やキズキたちのための﹁祭り﹂である鎮魂の物語を書 くことのできる地点に辿り着き、第二章から第一一章までの物語が書か れていくこととなる。このような死者の霊の﹁憑依﹂というしかけも、﹃源 氏物語﹄等にみられる物語表象の著者による再構築であると解釈できる。. とすこしちがいます。たしかに後生は恐れられる。しかし、死が恐.

(6) との交渉や、後生の克服が語られようとします。死霊が跳梁して、. れられることそのものを主題化して、昔話は、みごとに現世と後生. ぎ詰みたいに聞こえるかもしれない﹂と書いたのか。何故に﹁おとぎ詰. という著者のメッセージが付されている。ここで、何故に著者は﹁おと. ﹃海辺のカフカ﹄が語りの文体によって構成された物語であ. みたいに読めるかもしれない。﹂と書かなかったのか。 それは. ひたすら鎮魂の対象になったり、生者を呪縛したりするようになる 7. のはやはり新段 階 で す 。. るからである。この物語には、全編を通じて登場人物たちの台詞や会話. 言葉は、﹁僕﹂に対して呼びかけたり励ましたりする語り︵台詞︶ の文. ﹁僕﹂を守り導く﹁カラスと呼ばれる少年﹂ の. 体によって構成されている。奇数章で視点人物をつとめ語り手となって. の分量が多い。主人公の. 朝にかけての御霊信仰の発生と、深く関係するのではないかと思われ、. ここでの﹁新段階﹂について、藤井は﹁端的に言えば奈良朝から平安. 時代考証をからめて言うと、﹃竹取物語﹄の生まれたころは、菅原道真. である。それは﹁僕﹂ の物語であるといえる。一方. いる人物は﹁僕﹂. と述べている。﹃源氏物語﹄は. の怨霊が暴戻をきわ め て い た こ ろ か ﹂. の偶数章では、独立した語り手が登場しては来るものの、ナカタさんが. 00. この﹁新段階﹂になって書かれた物語である、というのが藤井の説くと. キー・マンとなっている。彼やホシノさん、ジョニー・ウオーカ、カー. の関係を考察する上では、それこそ. めている。. ネル・サンダース等の登場人物の会話や台詞が圧倒的に多くの分量を占. ころである。. の意味と ﹁ 僕 ﹂ と ﹁ 直 子 ﹂. それにしても、藤井のこれらの指摘は、﹃ノルウェイの森﹄における フエト. ﹁祭り﹂. しかも、ナカタさんとネコたちとの会話する場面が登場したり、ナカ. コミュニケーションが可能なナカタさんの物語は、おそらく夏目漱石の. な要素を内在させた物語構成となっている。また、ネコとの言葉による. るなどという超常現象が出現するなど、﹁おとぎ話﹂と同様に非現実的. この上なく有効である。そして藤井の説くところをふまえると、﹃ノル. の物語であることは明瞭な事実である。. タさんの行った場所に、空からヒルや、イワシとアジが大量に降ってく. ﹁祭り﹂. 7エト. ウェイの森﹄が、日本の物語文学の系譜の中に深々と根ざしている現代 の. その三. 文体にみられるこのような﹁工夫﹂は、著者の創作上の意図と着想に. 憑依考. ﹃海辺のカフカ﹄は、平成一四年九月に新潮社から刊行された長編小. よることは明らかである。それは、この長編物語を楽しく読み進めても. 五. 説である。この物語は、プロローグ風の内容から成る﹁カラスと呼ばれ. らおうとの読者に対する配慮と﹁工夫﹂の表れといえる。したがって、﹁お. ﹃吾輩は猫である﹄をふまえていよう。. る少年﹂の章を巻頭に置き、その後、四九章から成るパラレル・ワール. 云々という著者のメッセージは、このような物語構成となって. とぎ話﹂ の章の末尾. ドが展開されていく。物語冒頭の﹁カラスと呼ばれる少年﹂. いることを意識しての言葉であろう。. ﹃海辺のカフカ﹄は、今井清人の説く﹁教義小説﹂という枠組みを持っ. には、﹁︵この物語は・引用者注︶なんだかおとぎ詰みたいに聞こえるか もしれない。でもそれはおとぎ請じゃない。どんな意味あいにおいても。﹂. 5 『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象.

(7) は、父の予言に取り憑かれている人物であるが、やがてそれを超克して. た物語である。奇数章において視点人物であり語り手となっている﹁僕﹂. 子﹂. て、静かに一人冥府に旅立っていく。佐伯さんは、﹃ノルウェイの森﹄の﹁直. どおりに実在の佐伯さんと交わる。その後、佐伯さんは自らの命を絶っ. を生きる人物であることを見てとることができる。さらに、オイディプ. ここでは、﹁僕﹂が父の﹁予言﹂ に取り憑かれ、それに呪縛された生. の生と死を彷彿させる女性である。. いくというのが一編のストーリーである。物語内容としては﹁おとぎ話﹂ というよりも現代の寓話であり、﹃ノルウェイの森﹄よりも振幅が大き いけれども、その結 末 は 穏 や か で あ る 。. とも勿論であるが、﹃源氏物語﹄. ス王の物語のヴァリエーションがプレ・テクストとして存在しているこ. して東京を離れ、四国の高松にやってくる。家出の動機に内在していた. も下敷きとなっている。まさに、東西古典の物語表象がない交ぜとなっ. 一五歳の﹁僕﹂は、﹁カラスと呼ばれる少年﹂に後押しされて家出を. のは、父から離れて自立したいとの欲望と、彼から与えられた予言とそ. て、﹁僕﹂と佐伯さんの物語が形作られているといえる。村上春樹ワー. の光源氏と藤壷の物語︵母と子の密通︶. の呪縛からの逃避の願望である。高松に着いた﹁僕﹂は甲村記念図書館. ルドの底流に何が存在するのかが明瞭に示されているところである。. の第二三幸には、大島さんの語る﹃源氏物語﹄. 論が登場する。彼は﹁六条御息所﹂について、﹁僕﹂に次のように語る。. しかも、﹃海辺のカフカ﹄. に身を置くこととなるが、やがて館長の佐伯さんに失われた母親像を見. は館長の佐伯さんに. 出していく。その恋愛感情が日々昂じていき、遂に夢の中で一五歳の少 女の佐伯さんと交わる。そして、その翌日、﹁僕﹂ 次のように訴える。. この話のもっとも興味深いのは、六条御息所は自分が生き霊にな. 夢に苛まれて目を覚ますと長い黒髪に覚えのない護摩の匂いが染み. ごま. っていることにまったく気がついていないというところにある。悪. います。でもどうしてもあなたを自分のところに連れ戻すことはで. ついているので、彼女はわけがわからず混乱する。それは葵上のた. のことを愛していたんだと思. きなかった。というか、そもそも最初から、あなたをほんとうには. めの祈頑に使われている護摩の匂いだった。彼女は自分でも知らな. ︵佐伯さん・引用者注︶. 手に入れることができなかったんだ。父にはそれがわかっていた。. いあいだに、空間を超えて、深層意識のトンネルをくぐって、葵上. 父はあなた. だからこそ死ぬことを求めたんです。それも自分の息子でもあり、. の寝所に通っていたんだ。これは﹃源氏物語﹄の中ではもっとも不. ヽヽヽヽヽヽ. あなたの息子でもある僕の手にかかって殺されることを求めた。そ. 気味でスリリングな場面のひとつだ。六条御息所はのちに自分が知 のろ. して父は僕があなたと姉を相手に交わることを求めました。それが. した。. らぬうちになした所業を知り、自らの深い業を恐れ、髪を切り出家. ︵セットされたプログラム︶. 怪奇なる世界というのは、つまりは我々自身の心の闇のことだ。. 彼の予言であり、呪いです。彼はそれを僕の身体の中にプログラム. その日、﹁僕﹂は、父の﹁予言﹂と﹁呪い﹂. のろ. としてセットした 。 ︵ 第 三 一 章 ︶. し.

(8) ﹃海辺のカフカ﹄. の著者は、﹃源氏物語﹄. の世界を明確に意識しっつ物. ている作家であることが明らかとなる。. うしなわれた古代性を広汎に所有している文学であること、そこにこの. また、藤井貞和は、﹃源氏物語﹄ の魅力について、﹁その本性は現代に こうはん. に登場する﹁生き霊﹂と、﹁我々自身の心の闇﹂. 物語の魅力の一部があるのだということを率直にみとめないわけにゆき. 語の創作に当たったことが、ここに明示されている。しかも、物語の中. たことが、この大島さんの言葉において示されている。さらに、大島さ ません。﹂. の関係への関心が深かっ. んは上田秋成の﹃雨月物語﹄の﹁菊花の約﹂に表れる霊についても﹁僕﹂. ルウェイの森﹄と﹃海辺のカフカ﹄ の魅力を指摘した言説としても有効. 広汎に所有している文学﹂として読み解くことが十分に可能であること. こうはん. このように、村上春樹の二つの物語は、﹁現代に失われた古代性を. ︵注〓︶と述べている。この言葉は、そのまま村上春樹の﹃ノ. に語って聞かせる。﹁信義や親愛や友情のために人は命を捨て、霊になる。. である。. についての言説は、﹃海辺の. 生きたまま霊になることを可能にするのは、僕の知る限りでは、やはり おも 悪しき心だ。ネガティ ブ な 想 い だ ﹂ と 。. ここに表出された大島さんの﹁生き霊﹂. を述べて、本稿を終えることとする。. なお、本稿では、﹃ノルウェイの森﹄上下巻︵平成一六年九月一五日. カフカ﹄の著者自身のものであると解釈していいであろう。すなわち、﹁生. き霊﹂なるものは、過去の物語中に封じこめられて、その世界でのみ生. 注. 三〇九頁。. 三〇八頁、﹁村上春樹﹂. 1﹃新研究資料現代日本文学 治書院︶. の項。. 第二巻 小説Ⅱ﹄︵平成一二年一月三一日 明. 所載の本文をテキストとして使用した。. 講談社︶と﹃海辺のカフカ﹄上下巻︵平成一七年三月一日 新潮社︶. に取り憑かれてしまう存在で. きている物語表象ではなく、﹁我々自身﹂が、﹁心の闇﹂に呪縛されやす く、﹁悪しき心﹂や﹁ネガティブな想い﹂. あるが故に、現代人の潜在意識の中に深々と巣喰っていることを、著者. ﹃ノルウェイの森﹄と﹃海辺のカフカ﹄とは. 0ノ. は本作品の第二三章で伝えたかったと解釈できる。. ﹂ハ. 2前掲書. 3注2に同じ。 4注2に同じ。. 村上春樹は、今井清人にしたがえば﹁アメリカ文学から方法論を得て 書き始め、主体と共同主観の関係を対象化しながら﹃ムラカミ・ワー. 若草書房︶ に、村上. 5柘植光彦﹁円環/他界/メディアー﹃スプートニクの恋人﹄からの展望﹂︵﹃村. 05﹄平成一一年六月∼一〇月. についての考察がある。. ∼一一七頁。初出は﹁理想﹂. ︵昭和五九年七月 理想社︶。. 6藤井貞和﹃日本︵小説︶原始﹄︵平成七年一二月一日 大修館書店︶一一六. 春樹文学に表れた﹁他界﹂. 上春樹スタディズ. ルド﹄とも呼ばれる独自の文学世界を作り上げた﹂作家であるといえ 0. の両作品を、. る1。本稿は、その﹁独自の文学世界﹂の一端を明らかにすることをテー マとして論述した。﹃ノルウェイの森﹄と﹃海辺のカフカ﹄ フエト. ﹁祭り﹂と﹁憑依﹂をキーワードとして読み解くと、村上春樹がアメリ カ文学のみならず、本邦の物語文学に深い造詣を持ちつつ創作に当たっ. 7 『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』に表れた物語表象. あ.

(9) 7藤井・前掲書. 二七∼一一八頁。. 8藤井・前掲書一 一 八 頁 。. 看過できない言説である。. 9藤井は上田秋成の﹃雨月物語﹄の主題について、次のように指摘している。. 霊異の世界と現世の境界は、ふつう、確乎とたもたれているように思 われています。けれども、そのような思いこみがいかにあやふやなもの であるかを秋成は示しました。確実性のうえにうちたてられている日常 性がくずれさる、霊異は﹁この世のほかのことならずかし﹂︵﹃源氏物語﹄ 蛍の巻・引用者注︶、つまりこの世の日常性のただなかに、霊異があらわ. れます。霊異にとなりあわせの人間界に向けられたはげしい作者の息ざ しと視線、おさえることのできない物語︵=語ること︶の興味こそ︵﹃雨. 学習. 思. 二一五∼. 上田秋成﹄︵昭和四七年一〇月. 月物語﹄の・引用者注︶主題の源泉でした。︵藤井・前掲書 二一六員。初出は ﹃ 別 冊 現 代 詩 手 帖 三〇八頁。. 潮社︶、原題は﹁執念物語ざま秋成そらごと﹂︶。. 10今井∴前掲書. 研究社︶、原題は﹁源氏 物 語 の 幻 景 ﹂ 。. ‖藤井・前掲善一四五頁。初出は﹃豪華本源氏物語﹄︵昭和六三年.

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