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古代の法

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Academic year: 2021

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(1)Title. 古代の法. Author(s). 栗原, 薫. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 36(1): 1-8. Issue Date. 1985-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4467. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 上. 栗. 目. 代. 原. の. 法. 薫. 次. 一. 目次. 二. 我国古代の法典編纂 の基盤. 我国古代の法典編纂は, 支那におけるそれとは別の社会的, 経済的基盤の上で行われたと論じた。 盟神探湯について. 三. 盟神探湯 (くかだち) で, 上代の裁判を代表させるのは間違いで, 非常に特殊の裁判だっ たとい う事を論じた. 四 のり (法制) の語義について 我国法治の淵源を説明するには, 法 についての我国独自の言い方, 言葉より始めるべきだと論 じ た.. 我国古代の法典編纂の基盤 東アジャで最初に法典, つまり体系的な, 法律の集成が編纂されたのは, 支那に於てである。 つ いで我が国で行われた. 朝鮮, 安南では遥かに遅れ, 近世になってからの事である. 法典編纂も, 他の文化と同じく, 水の低きに流れるが如く, ある所でまず編纂されると, それを まねて周辺諸国が次々と編纂して行っ たという様 なものではない, それだ けの歴史的な条件が整 っ て, 始めて編集されたのである. その条件を考 えてみると, 我 が国と支那とでは同じではない, 異っているのである. 最初 に法典 が編纂された支那に就いて, 先ず考察してみたい. 支那の歴史 は, 黄河下流の所謂中原を中心に展開された. 中原 は広大な平原でしばしば黄河の氾 濫に苦 しめられた. その治水の為に, 強大な権力が形成集中された. その原野が広いので, 治水対 策も自然大規模のものとなっ た. その結果, 専制的な, 集中された権力が発生した, それによって 中原の人民を一 つに組織化し, 治水 に効果的に動員出来たのである. その様な権力 は一度発生すると, 自然地理的にその様な専制的な権力が必要な範囲を越 えて, 支 配圏を広大なステッ プや, 日本風の小地形の集まる地帯にまで拡大して行っ た. それらの地域では 必ずしも大規模の治水工事の必要 はなく, したがっ て大形の専制制度も不必要である. それにもか かわらず, 中原 に根拠を置く権力 に支配規制されて, 中原的な統治の対象になってしま っ た. 朝鮮 などもその様な地域の一つである..

(3) . 栗 原. 薫. 朝鮮 は小地形の集成である. 中華帝国や北方アジャの征服王朝 にこも ごも 征服されずにすんで居 れば, 別の文化, つまり日本風の文化 が展開 したであろう. その様な中原 は, 周辺を支配する大帝国をしばしば発生させたが, 又北方の蛮族の侵入を受 け, 彼等の征服王朝の舞台 となっ た. 支那の歴史の半 ば は, 野蛮人に圧服された屈辱の継起に外ならな し・ .. だが, その征服王朝 は, 支那にとっ て必ず しも災いであっ たとばかり は言えない. 清 は, 満洲族 が明を亡し中原を抑えて建てた征服 王朝であっ た. しかしその治下で長い間あまり 0万人であっ た.『明 増加 しなかっ た支那の人口が非常 にふえた.『漢書』によると前漢の人口は4 ,00 史』では6,00 0万人だから, 支那の人口 は1,400年間に2,000万人, 5割 しかふえていない. 満洲人 00年で, 7倍 に増やしたのである. 支那の歴代王朝に未だなかっ た事である. はわずか3 問題があるにしても, それなりの業績 と評価しなければならない. 鮮卑族の北醜も, その様 な征服王朝の一 つである. 北魂 は仏教をかなり変容せしめて受入れた. 独特の様式を持つ仏像を創造し,その石仏を多数残した.それが以後 の東アジャの仏像の祖型となっ た. 国家権力擁護 に傾く仏典解釈においてもそうである. それだ けでなく漢人の知識人と, 鮮卑族 の支配階級 とが結びついて, 法 による統治を始めた. 鮮卑族の支配者 は, それによって法そのもの と, 法が本当 に忠実 に実施されているか どうかという事について注意 しているだ けで, 多数の異民 族である, かつ文化が己より進んでいる漢族を支配出来るようになっ た. 漢族も野蛮人の気懲で, 時には全く思いやりのない支配から脱する事 が出来たのである. これは野蛮人の文明人支配という 事態の下で, ひょっ と花 ひらいた現象なのである. 漢族の知識なくして は花 ひらかないが, 漢族が 自立独立 していても中々花 ひらかなかっ たであろう. かくて律令 が作 られた. それを継承 して晴や唐は律令政治を行っ ていたのである. 唐になっ て空 前の大帝国が成立し, 世界主義的な, つまり抽象を得意 とする文化が展開された. それは唐に始ま るというより, 北鏡 の頃, 基礎ができていたものである. 支那とことなり, 我 が国 は周囲を海 にかこまれている. 北方では蝦夷がしば しば事件を起 したが, 狩猟拾集の民 なので, 鮮卑や蒙古, 満洲人の様に我 が 国を征服する事 が出来なかっ た. 多数の兵力を長期間集中するのに必要 な兵根 がなかっ たという事 もある. 山谷に入っ て野草やかたつむり等を食べて生活出来る民 は中々絶滅 は出来ないが, 夕方 に なると貝を拾いに行く様では我国の方 が征服される心配はなかっ た. したがっ て北醜の様な条件が 成立 した事 は一度もなかっ た. 我 が国での法典編纂 は全く別の理由によるのである. 我 が国 は,自然地理的に多くの小地形 に分れている.最も広い関東平野を中心 とする地方でも3万 平方 km である. 他 は濃尾平野を中心とする地方, 筑後平野を中心 とする地方, 越後平野を中心と する地方の様 に大きいのでも1万平方 km に過ぎない. 多くはずっ と小さい. 香川県(讃岐国) は, 三豊平野, 丸亀平野, 高松平野のそれぞれを中心とする三つの地域 と, 小豆島等の島喫よりなる. k 00乃至 それぞれ1 ,000平方 km に満たぬ小地域である. 三豊地方 は300平方 m, 他の二地方も,6 k それぞれに 土器川 香東川が平野の中心を流れている それぞれ財田川 0 0平方 に過ぎない 7 m . . , , 治水が必要だっ たにしても三つに分れてやれ ばよかっ た. 大規模な権力 は不必要だっ たのである. 事実それぞれの地域に別々 に古墳の発達 がみられる. その様な小地形 が数多くあるの が我国 の自然である. 『漢書』の, 分れて百余国 は, その様 な小地 形 に一 つずつ成立していたのである. 因幡国や, 但馬国の様 に, そのまま律令制の国になっ たのも が集ま って律令制の国となっ た所もある. あれ ば, 讃岐国や, 伊予国の様 に, 若干の小地域, 小地形-.

(4) . 上代の法. それらの小地域 の小権力 は, やがて大和朝廷に統合されて, 日本国の地方組織となっ た. しかし そうなっ た後も, なお強い独立性を持ち続 けた. それは発達が遅れていた為で はなくて, その地域 かぎりの治水で間 に合っ たから, 支那の中原の様 に, 大規模の集中された権力 は不必要だっ たから である. 大和朝廷をその様 な権力に育てる必要 はなかっ たのである. それぞれの小地形を, それぞ れの小権力 がほぼ独立 して, きめ細かに管理 して居ればそれで事足りたのである. したがって大和朝廷 は, それ程には大和朝廷を必要とせず, それだ け独立性の強い, それぞれの 小地域の小権力, 小首長をつなぎとめて置く為に, かなりに手厚く遇 した. ほぼ独立している以上, おのず か ら にそ う なる の で あ る.. かつて私は, 「上代の精神」( 『北海道教育大学紀要』 第3 0巻2号) で発表 した如く, しらすは, 天皇と諸豪族とが, 相互 にそれぞれの権利, 義務を知る事であって, 天皇に即していうと, 敬語と なってしらすとなるのである. 『古事記』は, その様な君民共 に知っ て置くべき事をのべたも のに外 ならない. その序文に邦家の経緯, 王化 の鴻基というのはその様なものを言うのである。 うしはくとはうし即ち主人として, はく即ち食するつまり生活する事であっ て, それぞれの小豪 族は, その小地形をうし はく, つまり強権で支配し, その生活の資としていたのである. その様な小豪族と天皇との間はしらす, つまり相互の権利, 義務を定め, 長くかわらないものと して, 相互に知らし, 知り尊重 し合うという関係であっ た. それ は最初 は天皇と小豪族との関係であっ たが, 後段々 とより広い範囲の人間関係となっ ていっ た. 我 が 国 で, 人 を ひ と と い う の は, ひ と と即 ち 一 人 が つ づ ま っ た の で あ る. 人 を 一 人 と い う の は,. 元来馬の入るのを馬屋といい, 囚人の入るのをひとや (獄) と言うが如く共同体から離れ一人ぼっ ちでいる者をひとといっ たのが, やがてそんな不幸なひとでなくても, 結局囚人の様 に一人ぼっ ち なのだという事が自覚されて, 結局そうなっ たのである. 支那では, 人は二人でいる者, つまり社 会を形成するのが人間という思想である が, 我国では一人ぼっ ちで孤独なのが人間という思想なの である. (と=人はたびと=旅人などの例あり, 人と二は音韻が似ていて同類の字である) それは天皇と小豪族の間に出来上 っ た安定した人間関係, そこより生れた自由, それが更に広範 囲に広ま って, その間に生れた個我の自覚なのである。 自由がなければ, どうして個我の自覚など 生れよう. 天皇及び諸豪族が知 っておくべき事の中最も重要なのは, 天安河の河原及び出雲国の伊那佐の小 浜での, 所謂神々の御契約である. 諸首長は自らの神を祭る事は許されたが, 神々の御契約 によっ て封ぜられているので, そのあがめる神を戴いて, 天皇の現世的な統治を邪魔して はならないので ある. もとよりそれは表むきは神々 の御契約であっ たが, 実 は人間の契約であっ た, その様な神々 なので, 絶対神などという性格の神 は, 天之御中主神の様な神があっ ても, 影のう すい存在であっ た. 我国の神々 はおおむね人間によく似た姿, 性格をも って, 人間性豊かな神々の 話, つまり神話を持 っ ていた。 それは地上に多数の小地形があって, それぞれ に独立性の強い小首 長がいて, 絶対的な圧倒的な権力が存在しなかっ た, その事が天上に反映しているのである, 地上 に集中された権力がなければ, 天上にも絶対神 は生れないのである, それぞれ自分の神を祭るから である. ただ自分の神を祭るためには, 他の神々, 他の首長の尊信する神々 にも相応の敬礼をしな けれ ばならない. 殊 に皇室の祭られる神 については格別にである, そこで多くの神々が並び立ち, 段 々 人 間 的 に な っ て い っ た の で あ る.. 似た地形を持 つギリ シャ でも, 同様の現象がみられた..

(5) . 栗 原. 薫. さて天皇と諸首長とが, お互 にその立場, 権利をよく知り守っ ている事 が即ち統治だという思想 は, 法 による統治 に発展 して行く足場となりうる. 天皇と人民とが, その権利, 立場をよく知り, 容易には変 らないものとして守 って行くべく, 一定の文章で公示 しているのが律令だからである. 権利をよく知り守るという事は, 固定して容易には変 えられないという事である. 法律も又容易に 変 えず, 法文を, あらゆる場合 に適用するという性格を持 っている. 前者 から後者への移動 は, 比 較的容易である. 我国での法 による統治 はその様 にして始まっ たものである. 単に隣国にあっ て我国になかっ たか ら伝っ て来たという様なものではない. それどころか支那とは別の理由で, 我国 に法典が必要とな り, その為 に法典が編纂されたのである. ただその際隣国に適当なお手本 があっ たから参考 にした に過ぎない. 支那の中原の周辺 には, 日本同様 に小地形 に恵まれた地方もないわ けではない. しかしそれらの 諸地方 は, 支那の中原と地つづ きなので, 中原で発生した, 或 は中原を征服 した中原的, 専制的権 力が容易 に及んできて, もろくも自主性を失い, 中原的な原則に支配される事 が多かっ た. そこで 日本の様 には行かなかっ たのである.具体的には支那に成立 した大帝国の直轄地だっ たり,属国だっ たりして, 支那の年号を使用する等 に象徴される規制を受 ける事 が多すぎたのである. その為, 地 形的 には我国に似て居りながら, 我国と非常 に違う歴史を持つ様 になっ てしまっ たのである. 我が国が支那中原発生の大帝国の支配を免れ得たのは, 大陸より我国を征服する に足る艦隊を送 るには遠過ぎ, 一, 二隻の商船で通商するのには手頃の海 によって, 大陸より隔てられていたから で あ る.. 海 にはばまれて大陸の諸権力の支配 が及んで来なかっ たから, 小地形の集成である という自然地 理的特徴に, よく応じた統治 が興 り永続 したのである. 『魂志』の万里 は実状からいちじるしく離れ てはいたが, その人文, 政治 にあたえた影響 は一面で は万里と言うに価した. 又自分自身で, 日本的な統治 が展開されるに必要なだ けの広さがあっ たという事も忘れてはなら ない. 沖縄 は本土から黒潮 (一度東支那海に流れこんだ後, 又屋久島の南を通 って太平洋に出る. したがっ て沖縄 に達する為には黒潮をよこぎらね ばならない) でへだてられて居る上 に, 隆起珊瑚 礁の台地 (石灰岩なのでカルスト地形となる) が多く, 水田耕作の適地がきわめて少 ないので, 我 が国の古代には野蛮のまま残されていた. 我国の中世 になっ て文明の域 に達 したが, いかにも地域 が狭かっ た. 沖縄本島では, 南山, 中山, 北山の三王国 が成立 つの がやっ とであっ た. 沖縄の島々 の様 に小さい島々では, 地域別 に独立 した, 多数の小権力の並存という様 な現象はおき様もない. そこから出てくる諸現象も出て来ようもないのである. 結局, 我国 は島国であっ て, 多数の小地形の集成であると言う事と, 大陸より手頃の距離 があっ て, 中華帝国や征服王朝より征服される事がなかっ た事, 我国に相応の広さ, 面積 があっ た事から, 東アジャでは支那についで, 支那とは別の原因, 条件の下に, 法典編纂 が可能となっ たのである.. 三. 盟神探湯について. 盟神探湯 は, 『応神紀』 , 『允恭紀』 , 『継体紀』 , 『階書魂国伝』 『允恭記』 に出ている. 『応神紀』には, 「九年夏四月, 遣ニ武内宿称於筑紫-以監ニー察百姓→ 時武内宿祢弟甘美内宿祢, 欲し廃し兄. 即譲ニ一言 千天 皇- . 今聞, 在ニ筑紫-而密謀之日, 独 , 武内宿祢常有下望ニ天下一之情上. 4.

(6) . 上代の法. 裂ニ筑紫-招ニ三韓-令し朝ニ於己- . 時武 , 遂将し有ニ天下1 於し是天皇則遣し使以令し殺ニ武内宿祢- 内宿祢歎之日,吾元無ニ試心- , , 以し忠事し君.今何禍 臭,無し罪而死耶.於し是,有ニ萱伎直祖真根子者- 其為し人能似ニ武内宿祢之形- , 濁惜ニ武内宿祢無し罪而空死- , 便語ニ武内宿祢-日, 今大臣以し忠事し 君. 既無ニ黒心- , 親排し無し罪, 而後死不し晩也. 且時人毎云, , 天下共知. 願密 避之参ニー赴千朝- 僕形似ニ大臣「 故今我代ニ大臣-而死之, 以明ニ大臣之丹心- , 則伏し剣目死烏. 時武内宿祢, 独大 悲之, 璃避ニ筑紫-浮し海. 以従ニ南海-廻之, 泊ニ於紀水門- , 僅得し逮し朝, 乃排し無し罪. 天皇則推 甘美内宿祢 於 是 二人各堅執而争之 ー間武内宿祢典 ニ ニ - . 是非難し決. 天皇勅之, 令下請ニ神紙- , し , 探湯上 . 是以武内宿祢典ニ甘美内宿祢- , 共出ニ千磯城川濁-為ニ探湯「 武内宿祢勝之。 便執ニ横刀 - , 遂欲し殺炎。 天皇勅之令し釈. 傷賜ニ紀伊直等之祖-也.」 とある。 , 以酸ニーイト甘美内宿祢- 書 き下すと, 「九年の夏四月 に, 武内宿祢を筑紫に遣して, 百姓を監察しむ, 時に武内宿祢の弟甘 美内宿祢, 兄を廃てむ として, 即ち天皇に議 し言さく,『武内宿祢, 常に天下を望ふ情有り. 今聞く, 筑紫 にありて, 密かに謀りて日ふならく, 「独筑紫を裂きて, 三韓を招きて己に朝 はしめて, 遂 に天 下を有たむ」 といふなり』 とまうす. 是に天皇則ち使を遣して, 以っ て武内宿祢を殺さしむ, 時に 武内宿祢, 歎きて日 はく, 『吾, 元より試心無くして, 忠を以て君に事へつ。 今何の禍ぞも, 罪無く して死らむや』 といふ. 是に, 壷伎直の祖真根子といふ者あり. 其の為人, 能く武内宿祢の形 に似 れり, 独武内宿祢の, 罪無くして空しく死せむことを惜 ぴて, 便ち武内宿祢 に語りて日 はく,『今大 臣, 忠を以て君 に事ふ。 既に黒心無きことは天下共に知れり, 願くは密に避けて朝 に参赴でま して, 親 ら罪無きことを排めて, しかうして後に死らむこと晩からじ。 且, 時の人毎に云 はく, 「僕 が形, 大臣に似れり」 といふ. 故, 今我, 大臣に代りて死りて, 以っ て大臣の丹心を明きむ』 といひて, 則ち創 に伏りて自ら死りぬ。 時に武内宿祢, 独大きに悲 びて, 璃 に筑紫を避りて, 浮海 によりて南 海より廻りて, 紀水門に泊る. 僅に朝に逮ることを得て, 乃ち罪無きことを排む. 天皇, 則ち武内 宿祢と甘美内宿祢 とを推へ間ひたまふ. 是 に, 二人, 各堅く執へて争ふ. 是非決め難 し. 天皇, 勅 ほとり して, 神誠に請して探湯せしむ. 是を以て, 武内宿祢と甘美内宿祢と, 共に磯城川 の耀に出でて, 探湯す。 武内宿祢勝ちぬ, 便ち横刀を執りて, 甘美武内宿祢を酸ちイトして, 遂に殺さむとす. 天皇 勅 して釈さしめたまふ。 優りて紀直等の祖に賜ふ.」 『允恭紀』 には, 「四年秋九月 辛巳朔己丑, 詔日, 上古之治, 人民得 し所, 姓名勿し錯. 今朕践詐 於し薮四年集. 上下相争, 百姓不し安. 或誤失ニ己姓「 或故認ニ高氏「 其不し至ニ於治-者, 蓋申し 是也。 朕難ニ不賢- , 豊非し正ニ其錯-乎. 群臣議定奏之. 群臣皆言, 陛下挙し失正し柱而定ニ氏姓- 者, 臣等冒 し死, 奏可。 ○戊申, 詔日, 群卿百寮及諸国造等皆各言, 或帝皇之蕎, 或異之天降. 然 三才顕分以来, 多歴ニ万歳「 是以, 一氏審 息, 更為ニ方姓→ 離し知ニ其実- 。 故諸氏姓人等, 沫浴 坐 而引 探湯翁 盟神探湯 則於 味橿丘之辞禍戸碑 諸人 各為 斎戒, ニ 二 - ニ - -令し赴日, 得し実則 「 , ニ 全。 偽者必害. (盟し神探し湯, 此云二区詞陀智- , 或燐二斧火色-置 . 或墨納し釜煮沸撰し手探二湯墾- ニ千掌「) 於し是諸人各著ニ木綿手織-而赴し釜探湯。 則得し実者目全, 不し得し実者皆傷。 是以故詐 者鰐然之, 濠退無し進, 目し是之後, 氏姓自定, 更無ニ詐人- 。」 とある, ょみ下すと「四年の秋九月 の辛巳の朔己丑 に, 詔して日く, 『上古治むること, 人民所を得て, 姓 名錯ふこと勿 し. 今朕, 践確 りて, 燕 に四年, 上下相争ひて, 百姓安からず, 或 は誤りて己が姓 を 失ふ. 或 は故 に高き氏を認む。 其れ治むるに至 らざることは, 蓋し是 に由りてなり. 朕, 不賢 しと 難も, 豊其の錯てるを正さ ざらむや, 群臣, 議り定めて奏せ』とのたまふ. 群臣, 皆言 さく, 『陛下, 失を挙げ狂れろを正 して, 氏姓を定めたま はば, 臣等, 冒死へまつらむ』 と奏すに, 可されぬ。 戊 申 に, 詔して日 はく, 『群卿百寮及 び諸の国造等, 皆各言さく, 「或 は帝皇之喬, 或 は異しくして天. 5.

(7) . 栗 原. 薫. 降れり」 とまうす. 然れども三才顕れ分れしより以来, 多 に禽歳を歴 ぬ. 是を以て 一 の氏蕃息り , て, 更に方姓と為れり. 其の実を知り難 し. 故, 諸の氏姓の人等, 沫浴斎戒 して, 各盟神探湯せよ』 あまかし. とのたまふ. 即ち味橿丘の辞禍戸石働こ於いて, 探湯釜を坐ゑて, 諸人を引きて赴 かしめて日 はく , 『実を得むもの は全からむ. 偽ならば必ず害れなむ」 とのたまふ. (盟神探湯, 此をば区詞陀智と云 ふ. 或 は泥を釜 に納れて煮沸 して, 手を撰げて湯の墾を探る. 或 は斧を火の色に焼きて掌に置く.) 是に, 諸人, 各木綿手織を著て, 釜 に赴きて探湯す. 則ち実を得る者 は自ずからに全く, 実を得ざ る者 は皆傷れぬ. 是を以て, 故に詐る者 は樗然ぢて, 濠め退きて進むことなし. 是より後, 氏姓自 づ から定りて, 更 に詐る人無 し.」 『継体紀』のは, 「廿四年秋九月, 任那使奏云, 毛野臣遂於ニ久新牟羅- , 起ニー造舎宅- , 滝留二歳, 瀕し聴し政烏. 愛以日本人典ニ任那人- 毛野臣 見息 頻以 詳訟難 楽置ニ誓湯- 決 元無 能判 ニ し , ニ 「 - , 日, 実者不し欄. 虚者. 必欄. 是以, 投し湯欄死者衆. 又殺二吉備韓子那多利. 斯布利- , (大日本 人, 姿ニ審女-所し生為ニ韓子一也.) 極悩ニ人民-終無ニ和解- . 於し是, 天皇聞ニ其行状- , 遣し人徴 入, 而不し肯し来.」 書き下すと, 「秋九月 に, 任那の使奏して云さく, 『毛野臣, 遂に久斯牟羅 にして, 舎宅を起 し造 りて, 掩 留むこと二歳, 政を聴く に願す. 髪 に 以って日本人, 任那人と, 頻に兇息めるを以て,評 訟 決め難 し, 元より能 判 る こ と 無 し. 毛 野 臣 楽 み て誓湯 置きて日 はく, 「実ならむ者 は欄れず. 虚あらむ者必ず欄れむ」 といふ. 是を以て, 湯 に投 して煽れ死ぬる者衆 し. 又吉備韓子那多判, 斯 布利を殺 し, (大日本の人, 蕃の女を要りて生めるを韓子とす.) 極 に人民を悩 して, 終に和解ふこ と無 し』 とまうす. 是 に, 天皇, 其の行状を聞きて, 人を遣 し徴し入る. 而るに来肯へず.」 『晴書』 には, 「其俗殺し人, 強盗及姦皆死, 盗者計し臓酬し物, 無し財者没し身為し奴, 目余軽重 , 或流或杖, 毎訊二-究獄訟- , 不ニ承引-者, 以し木圧し膝, 或張二強弓- , 以し弦鋸ニ其頂- , 或置二小石 於沸湯中-令下ニ所し競者-探上し之, 云理曲者即手欄, 或置ニ蛇鑑中-令し取し之, 云曲者即蜜し手突 , 人頗活静, 空ニ争訟- , 少ニ盗賊- ,」 書下すと, 「其の俗, 人を殺す, 強盗及び姦皆死す. 盗者 は賊を計 っ て物を酬す. 財無き者 は身を 没して奴と為す. 目余の軽重, 或 は流 し或 は杖す, 毎 に獄訟を訊究するに, 承引せざる者 は 木を あら, そ 以っ て膝を圧 し, 或 は強弓を張り, 弦を以っ てその頂を鋸る. 或 は小石を沸湯中に置き, 続ふ所の もとめ. よこしまなる. 者をして之を探 しめて云う. 『理. 曲. 者 は即ち手欄る』と. 或 は蛇を鑑中に置きて之を取らしめて. 云う. 『曲者 は即ち手を蜜す』 と. 人頗る悟静, 争訟空 なり. 盗賊少 し.」 『古事記』には, 於し是天皇, 愁ニ天下氏氏名名人等氏姓件過-而, 於ニ味白樺之言八十禍津 日前- 居ニ玖詞鑑-而, (玖詞二字以し音) 定ニ-賜天下之八十友緒氏姓-也とある, 書き下すと,「是に天皇, 天の下の氏々名々の人等 の氏姓の件ひ過てるを愁 ひたまひて 味白樺 の , 言八十禍津 日の前 に, 玖詞籍 を居ゑて, ( ,玖詞 の二字 は音を以ゐよ.) 天の下の八十友緒の氏姓を定 め賜 ひき.」 くかだちは, 今まで我国の律令制以前の裁 判 は, この様 なものであっ たとして挙げられて来た. しかし上述した例をみると, 事実の判定が著 しく困難で, しかも疑わ しきは罰せずなどといって 放置 して置き難い内容 のもの ばかりである. 『允恭紀』のは, 氏姓の混乱を正す為 に行われたのである. 当時は氏姓時代で 氏族が国家 社会 , , の基礎であっ た. そしてそれぞれの氏族は, その素性で秩序付 けられていたから 各氏族は自らの , 素性 についてそれぞれ勝手 な申立てを仕勝ちであっ た. それを放置 して置く時は, 我国の国家 社 , 会 は次第に混乱し, 収拾できなくなるので, 朝廷はその固定化, 一定化 の必要 があっ た, その手段 としてくかだ ちが用 いられたのである. およそ時代をよほど下 げても 先祖が本当 は何んであっ た ,.

(8) . 上 代 の 法. かを明らかにする事 は困難な場合 が多い. ま して当時 は文献も少 なかっ たから猶更の事である, そ れにもかかわらず氏姓の固定化の必要 があっ たので, くかだちが強行されたのである. 『継体紀』のは, 朝鮮半島に出征した兵士等, 在鮮の日本人 とそれに性的交渉のあっ た現地女性と の間の問題で, その女性の子 が, 日本人の子か どうかという事が争われたのである, 日本人 が厄介 がって否定する場合は解決 が困難な場合 が多い。 女性 にとっ ては深刻な問題なので中々あきらめな い し, す て て おい て よ い 事 で も な い. そ こ で く かだ ち で 解 決 と い う 事 に なる の で あ る, 無 論 こ と ご. とく実の子に非ずという事になっ たのは言うまでもない事であろう. 氏姓を正す場合 は, 朝廷の或 はまち がっているかも知れ ない判定を諸氏族におしつ ける結果 になっ たであろう. 諸氏族はそれを 受け入れさえすれ ば, 手をただれさせずにすんだ訳である. 出生を正す場合 は, 手をつっ こんだの は女性の方であろうから, 日本人の子であってもくかだちまで持 って行 けば実 の子で ないという事 になっ たに違いない. その種の厄介な問題を強引 に片付 けようとした訳である, 氏姓の方 は成功 し たが, 出生を正す方 は, 責任者の近江毛野臣が日本にょびかえされる結果になっ た. およそこの様 な事件 にくかだちが利用 されただ けであろう. 『応神紀』 の場合 は, 当時の大官であっ た武内宿祢と, その弟の甘美内宿祢 とのどちらか一方が, 犯罪人として倒されるのである, 前の二例の様にのみこめ ば片付くといっ たものではない. かつ前 の二例では裁く者 に対し, 裁かれる者 は弱く低い立場であっ たが, 武内宿祢と甘美内宿祢の場合 は どちらも大官であっ た. 恐らくくかだちをやるかどうかの選択が可能であっ たろう, しかる上 は, 事実の如何 にかかわらず, 手をつっ こめば手 が必ずただれるだろうという良識 が当然出てきて恐ら く実施のはこ びにはならなかっ たであろう. どちらもそれを避けたであろう. つまり史実ではない の で あ る.. それにも係らず, 『応神紀』にその様 な話があるのは, その後くかだちをやる時には, 実施の有効 性を裏付 け, 実施を正当化する根拠 として, くりかえし物語 られた話 だっ た為であろう. 『晴書』に, 承引されなかっ た場合の拷問の一 つ としてあげられている が, くかだちの場合 は単 に 承引しなかっ たというだ けではなく, 内容に疑わしきは罰せずではすませられないものがあっ た場 合に限られてい たのではないかと思う. 今では疑わ しきは罰せずが確実 に適用される様な場合で, 国家や社会の秩序を維持 して行く為に, やむを得ず朝廷の判定 を強く押 しつける必要 がある場合, 又それに准ずる場合 に行われた非常に特殊な裁判 だっ たのではないかと思う. ただやり方 が変っているので, それのみ後 にのこり, 上代 の裁判を代表 する様になってしま っ た が, ごくまれな例だっ たのであろう, くかだちの語義 については, 『古事記伝』 には, 「玖詞 は, 書紀に, 盟神探湯此云ニ 区珂陀智 - と ある如く, 熱湯中に手を漬探りて, 神に盟ふ事をするを云, [陀智 は, 役などの, 陀智 にて, 凡て其 事に趣くを, 某に立とも某立 とも云こと昔も今も多 し,さて探湯 は珂を清, 陀を濁る言なるを, 詞を 濁り陀を清て積 は非なり,]」 としてある. 大野晋氏の 『古語辞典』 による と, 「くかだちは, クカは美 (あつもの) の意の朝鮮話kukと同源 か.」 と ある.. しかし私 は日本語で説明できると思う. くかだちが朝鮮で行われたという史料 はなく, 美が必ず しも熱湯と意味 しない以上, 日本語で説明 ができればそれによるべきであろう. 陸の古語 はく がであるが, これは大野氏の 『古語辞典』 による と国処 (くぬが) である. このが は, やま が (山家) の が, すみか (住所) のかである. そして奈良時代のくがのがの清濁を知る史 料がない。 くが (陸) の がは或 は清音だっ たという事もありうる. くかだちのくかは, 陸の意だろ うと思う. だちの方 は, たち (断) の連濁で, 判決する事と思う. つまり陸の如く断ち難く, 元来.

(9) . 栗 原. 薫. は疑わしきは罰せず位 にすべきだが, 必要止むを得ない事情があっ ても無理に裁くという意味 では ないかと思う, そう解すると先述の考 えとうまく合う . 結局非常 に特殊の場合 の裁き方だが 耳目をそばだた しめる 非 , , 非常に印象的なやり方であり, そ の結果が後 に影響を残したので, 後ではそれ のみが伝えられ 又暗む , 又晴 にまで伝り, 海外 にも書残され る 事 に な っ た の で あ る.. 上 代の裁判がすべ てこの様であっ たと解するのは著 しい誤解である. 四. のり (法則) の語義について. 法 なるもの の説明に, 欧米語の語源が利用 されて いるが 日本語では不可能で あろうか , 日本語の法 に当る言葉 は 「のり」 である. のりは, 大野晋氏 の『古語辞典』 には, 「神や天皇が その神 聖犯すべからざる意向を 人民 に対 , , して正式に表明するのが原義, 転じて 容易 に窺い知ることを許さない みだりに口にすべきでな , , い事柄 (占の結果, 自分の名 など) を 神や他人に対 して明かし言 う意. 進んで は, 相手 に対 して , 神や 意志を大声で言う意」 とある. 私 はのりの語源 は, 延 ばし言う意で, 祝詞をと 祝詞 なえるの に, 通常の言葉より時間をか け引きのば して言う様 なのをいうのではないかと思う 述ぶの方 は話す事そのも の が引のばされて行く語義で . はある が, のりの方 は話 し方が引きのばされ 短時間で言 える事 でも 長い時間を掛 けて言うので , , あ る.. 祝詞 はそうしてとなえられる言葉という意味である が 宣命も同じ様 な意味を字 に託したもので , ある. 命 は命令である. 宣命 に, 例 えば 「明神御八卦 1 {養徳根子天皇が詔 旨らまと勅りたまふ命を , 親王, 諸王, 諸臣, 百官人等, 天下の公民衆 聞食さヘと宣 る 」 ( , . 『績日本紀』 . 宝亀二年正月 二十 三日, 他戸親王を皇太子と定めたまふときの宣命) とある のは 宣命が命 を宣るものであ た事を っ , 示している. 祝詞と同じ様に引きのばし荘重に公衆の前で示されたのである のるは引のばして荘 , 重 に言う事であるが自然大声ででもあっ たろう . 法をのるのも, 同じ様 にして ゆっ くり引のば し 荘重に大声で 公衆に公示されたか らである , , , 公衆に う. 法が法である為 には, 多くの人 国民すべてが知 っ ている事が必要である 国民すべてが知 , っ て居て, 政府も国民もそれを守り それに従うのが法である J , . 法 には公示されるという性質がある. それをとらえたのが, 我国での法を意味する意味 ののりである つまり我国で は法 は公示され国民 . 衆知のものという意味でとらえられていたのである . もとより最初 は祝詞や, 宣命 の様なものをひっ くるめて のりと言っ ていたが 段々意味が分化 し , , 単 にのりという場合 は法を意味する様 になっ て行 っ たのである . その法 を意味するのりが, 法則を意味する様 になっ たの は更 に後であろう . (延ぶ方ののも法の方 ののもとも に乙類ののである --大 野晋氏の 『古語辞典』 ) . (本学 教授. 旭川 分 校).

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参照

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