新
出
仰
光
寺
蔵
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信
証
﹄
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||﹃六要紗﹄所釈本の行方||
本願寺派佐
々
木
瑞
壁 一 日 は じ め と い う 占 ⋮ に つ い て は 、 ている。その一つに、存覚が﹁六要紗﹂を撰述するにあたって註釈に依用した﹃教行信証﹄︵以下﹁所釈本﹂と記 親鷺の主著﹃教行信証﹂が後世いかに流伝したか、 いまだ討究すべき多くの問題が残され す︶の行方があげられる。 周知のごとく、存覚は延文五年ご三六0
・七一歳︶、﹁教行信証﹄初の本格的な註釈書として﹁六要紗﹄を撰述 した。その撰述には、当然テキストとして依用された﹁所釈本﹂が存在する。ところが存覚は、 いかなる来歴を持 つ本を用いたのか具体的な記載をしておらず、 またそうした伝承も残っていない。そのため﹁所釈本﹂に該当する 本を探査するためには、﹁六要妙﹄に引用される﹃教行信証﹄の本文およびその解釈から章一口誌情報を抽出し、現存 諸本と比較対照する以外に方法はない。 ﹁ 教 行 信 証 ﹄ の古写本については、すでに全問的な調査が進められており、真蹟の﹁坂東本﹂をはじめ、存覚の自筆写本︵常楽寺本︶など数十点の現存が確認されている。またそれら写本の系統別分類についても、重見一行氏 を中心に綿密な検証作業が行われ、多大な成果があげられている。さらに問題の﹁所釈本﹂についても、古くは江 戸時代よりいくつかの指摘がなされ、近年では日野環氏による研究成果が非常に注目されている。しかし結果とし て﹁所釈本﹂と同定される古写本の存在はいまだ報告されておらず、存覚が用いた﹁所釈本﹂そのものは散逸した というのが通説である。 まず先行研究の問題点を踏まえ、﹃六要紗﹄から﹁所釈本﹂の査一日誌情報を可能な限り抽出するという 作業を行った上で、﹁教行信証﹂の新出本、真宗傍光寺派本山悌光寺に伝わる室町時代中期の書写本︵以下﹁悌光 本 稿 で は 、 寺本﹂と記す︶が、﹁所釈本﹂の特徴に合致するきわめて重要な本であることを立証する。続いて存覚と了源との 関係から、﹁所釈本﹂と同系統の本が悌光寺に伝承される必然性について論じる。さらに﹃六要紗﹄撰述にあたり 存覚はなぜこの系統の本を依用したのか、 またその本はどこから来たのか、 という問題について、﹃六要紗﹄の撰 述意図とテキストの流布との関係を視野に入れて考察を試みる。
新
出
﹁
悌
光
寺
本
﹂
について ︵ 4 ︶ ﹁悌光寺本﹂はいまだ既刊の目録・論文等に紹介されていない史料である。ただし悌光寺派内では古くからその 存在は知られており、すでに天保十四年︵一八四三︶に開版された﹁教行信証﹄︵渋谷蔵版︶に付された校訂本、 ﹁教行信証校正﹄には、この本を校合に使用し﹁古本者本利従来所珍秘之精本也﹂と述べ、当時すでに﹁古本﹂と 称され、珍重されていたと記している。 ではここで﹁悌光寺本﹂の書誌を紹介する。なお、太字強調は、この本の特徴となる点である。 新出例光寺蔵﹃教行信証﹄の意義 四﹁ 教 行 信 証 ﹂ 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹂の意義 八冊︹信巻・化巻が本末に分冊︺ ①︵書写年代︶室町時代中期 ② ︵ 装 丁 等 ︶ ③ ︵ 寸 法 ︶ ④ ︵ 行 格 ︶ ⑤ ︵ 外 題 ︶ ⑥ ︵ 訓 点 等 ︶ ⑦ ︵ 奥 書 ︶ ⑧ ︵ 備 考 ︶ 四 四 粘 葉 装 、 紺 色 紙 表 紙 、 斐交椿紙 縦 二 五 ・
o
m
、横十六・四叩 六行、十七字詰 各 巻 左 上 に 題 簸 ﹁ 真 実 教 第 一 ﹂ ﹁ 真 実 行 第 二 ﹂ ﹁ 真 実 信 第 三 一 本 ﹂ ﹁ 真 実 信 第 三 末 ﹂ ﹁ 真 実 証 第 四 ﹂ ﹁ 真 仏 土 第 五 ﹂ ﹁ 方 便 土 第 六 本 ﹂ ﹁ 方 便 土 第 六 末 ﹂ と あ り 。 返点、送り仮名あり。補記︵本文と同筆︶あり。 な し 押罫あり。送り仮名に﹁キ﹂の古体字﹁ l ﹂ が 多 く 使 用 さ れ 、 そ の 他 ﹁ ユ ﹂ ﹁ マ ﹂ ﹁ へ ﹂ 等 も 古 体字が使用されている。﹁坂東本﹂等の上欄に記されていた字註が本文内に割書されている。 右のごとく、この本には奥書がないため書写の体裁、字体、料紙から成立年代を推測せねばならないのであるが、 おそらく﹁所釈本﹂の原本より一世代は書写年代が下がるのではないかと考える。しかし振り仮名に鎌倉・南北朝 時代に使われていた﹁キ﹂の古体字が多数見られる点など、この本は原本から比較的忠実に書写されたものではな い か と 推 測 す る 。先行研究の問題点
﹁所釈本﹂の研究については、古くは江戸時代よりいくつかの視点が主張されてきた。しかしそれらは﹁教行信一証﹂の全国的な調査に基づき諸本を書写系統別に分類するという作業に至る以前のものであったため、史料的根拠 のない憶測も少なからずあった。その中、それまでの説を批判し、新たな主張をなしたのが日野環氏である。 氏は﹁六要紗﹄から﹁所釈本﹂の構成︵首題・撰号・標挙等︶に関する書誌情報を抽出し、 それを﹁六要紗﹄成 立以前に書写された﹁教行信証﹄の諸本と比較している。その結果が﹁所釈本の原本は散逸した﹂という点である が、それを基とした上で、次のような主張をなしている。 ﹁所釈本﹂の構成の特徴︵教巻の標挙と標列の位置関係、撰号の表記統一など︶と一致する貞和二年︵一三四 六︶に書写された延書本の存在に注目し、この延書本は、同じ構成の特徴を持つ漢文本を原本とすると考え、少な くとも﹁貞和二年延書本﹂の成立以前に漢文本の﹁所釈本﹂が成立した。 I II その構成の特徴から非常に整備された本であったとし、﹁所釈本﹂は親鷺自身による草稿本的形態から脱した 後世の編集本であると判断する。そしてその編集をなしたのは存覚、覚如、乗専の三者の共同作業によるものと推 測 す る 。 の諸本を比較対照した結果に基づいているため、非常に 説得力があり﹁所釈本散逸説﹂は学界の周知となったのだが、その研究方法を詳細に窺うといくつかの課題が残さ 氏の主張は、﹁六要紗﹂が成立する以前の﹃教行信証﹂ れ て い る こ と に 気 づ く 。 まず氏は﹁所釈本﹂の原本の探査を目的としていたことから、﹃六要紗﹄ の成立より書写年代が下がる本の中に、 ﹁所釈本﹂と系統を同じくするものの有無を問うていない。そのため後世の﹁所釈本﹂系統の流布状況を全く考慮 し て い な い 。 また氏は﹁所釈本﹂の構成の特徴のみに注目して諸本と比較している。よってその他﹁六要紗﹄から抽出できる ︵ 8 ︶ 書誌情報については触れておらず、氏以前から主張されていた行格の問題も考慮していない。 新出悌光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 四 五
新出例光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 一 四 六 ところが学界においては﹁所釈本散逸説﹂の主張によって、﹁所釈本﹂の系統が士ハ要紗﹄成立以降の古本にも 伝承されていないかのような誤解が生じ、以降の探査が停止しているのが現状である。 このような課題から考えて、本稿ではまず﹃六要紗﹄から可能な限り﹁所釈本﹂の書誌情報を抽出し、﹃教行信 証﹄の諸本を系統別に分類した上で、その代表的写本との比較対照を試み、書写系統を明確化する作業を行うこと に す る 。 四
﹁
所
釈
本
﹂
の復元と諸本比較
まず﹁所釈本﹂の書誌情報の抽出方法を例示する。﹁六要紗﹄総序釈に、 先づ題目を釈し、次に撰号を解す。先づ題を釈する中に、十一字の内:::初に顕と言は:::浄土と言は:::真 実 と 言 は : : : 教 行 証 と は : : : 文 類 と 言 は : : : 序 と は : ; : 。 次 に 撰 号 を 釈 す 。 愚 禿 と 言 は : : : 釈 は : : : 親 鷺 と 言 は : : : 述 と は ︵ 真 聖 全 日 1 二O
五頁。原漢文、傍点筆者註、以下同︶ とある。この文から、教巻総序冒頭は、﹁題目︵総序序題︶﹂﹁撰号﹂の順に記されていたことがわかり、さらにそ の文言は﹁顕浄土真実教行証文類序﹂と十一字からなり、続いて﹁愚禿釈親鷺述﹂と撰号があったことがわかる。 ま た 教 巻 釈 に 、 当巻大文第一に教を明す。中に於て五と為す。 二は題目。三は標挙、題の後の一行 なり。四は正釈、文の初より下興の釈を引に至る。五は惣結、爾者以下是れ其の文也。︵真聖全日|一一一一頁︶ 一 は 標 列 次 第 、 文 の 如 し 。 とある。この文から、総序以降の教巻の構成は①標列、②題目︵首題・撰号︶、③標挙、④本文︵正釈・惣結︶ と いう順序であったことがわかる。﹂のような抽出方法を用い ︵ A ︶ 書 写 体 裁 、 B ︶行格・装
γ
、
︵C
︶ 構 成 、 D ︶本文の各特徴を指摘する。 ︵ A ︶ 書 写 体 裁 ①筆者 H 存覚以外の人物 ﹁所釈本﹂とは存覚によって書写された本ではない。それは﹃六要紗﹄に﹁所釈本﹂に存する誤写が数カ所指摘 ︵山川︶ され﹁書生の誤りか﹂と記されていることからわかる。 ⑧文体 H 漢文 ﹁ 六 要 紗 ﹄ の引用形態より漢文本であることが明らかである。ただし注意せねばならないのは日野氏の指摘にも あったように、﹁貞和二年延書本﹂との構成の特徴が一致する点である。当然、この延書本に先立ち同じ特徴を持 つ漢文本が成立していると考えられることから、少なくとも﹃六要紗﹂撰述の十四年前に当たる貞和二年二三四 六︶以前には﹁所釈本﹂ の原本は成立していたということになる。 ⑧調巻 H 八 冊 ﹁ 六 要 紗 ﹄ 奥 書 に 、 本書すなわち六巻、第三と第六とは元より本末あるによって、分ちて八巻となす。 とある。﹁教行信証﹄には大きく分けて二種の分冊系統がある。すなわち六冊本系と八冊本系である。ここではこ 真聖全 H |四四一頁 の 本 が ﹁ 元 よ り ﹂ 、 つまり存覚が入手した時点で信巻と化巻が分冊された八冊本であったという点が注目される。 いわゆる八冊本系の分冊の起源は存覚に始まるかのような見解が主流となっていたようであるが、この奥書 従 来 、 によれば存覚ではないことは明らかであろう。 新出悌光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 四 七新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義 四 }\ ︵ B ︶ 行 格 ・ 装 丁 ①一行字数H十七字詰 一般に写本では一行字数に数字程度の出入りが見られることが多い。ところが存覚は﹁教行信証﹂を引用する際、 ﹁ A ﹂から﹁
B
﹂まで﹁O
行O
字﹂、または﹁O
行余﹂と﹁所釈本﹂の一行字数が固定されていることを前提とし て引用したと考えられる箇所が多数見られる。例えば化巻外教釈に、 当 帖 の 中 に 於 て : : : 惣 標 と 一 一 一 口 は 、 初 に 夫 拠 と 云 ふ 以 下 一 行 二 字 是 也 。 ︵ 吉 一 一 聖 全 H 四 一 七 頁 ︶ とある。この文は﹁化巻末﹂巻頭外教釈の親驚の私釈﹁夫拠﹂以下計十九字が、﹁所釈本﹂では二汀二字にて記さ れていたことを示している。 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨一⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑮⑫ ①夫拠諸修多羅勘決真偽教誠外教邪偽異 ②執者 ま た 同 釈 に 、 後 示 現 の 下 七 行 二 子 は 、 正 く 是 五 言 二 十 四 句 其 の 伺 煩 也 。 ︵ 真 聖 全 日 四 二 一 頁 ︶ とある。この文は同じく﹁化巻末﹂外教釈引文の﹁示現﹂以下五言二十四句の偏頒、すなわち計百二十字が﹁所釈 本﹂では七行二子にて記されていたことを示している。 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑮⑫ ①示現世間故導師同党王於此四天下誰護 ②持養育知是天師党諸天王為首兜率他化③天化楽須夜摩能護持養育如此四天下回 ④玉及香属亦復能護持二十八宿等及以十 ⑤二辰十二天童女護持四天下随其所生処 ⑥竜鬼羅剃等不受他教者還於彼作護天神 ⑦等差別願仏令分布憐懸衆生故餓然正法 ⑧ 灯 以上より、﹁所釈本﹂の一行字数は十七字詰を厳守していたことがわかる。 ⑧半葉︵片面︶行数 H 六 行 装 丁 H 粘葉装 続いて半葉︵片面︶行数について例示する。化巻三経隠顕釈に 然今以下之願也に至まで四丁半余百十二行は私の御釈也 ︵ 真 聖 全 日 1 三九九頁 とある。この文は﹁化巻本﹂三経隠顕釈から真門釈までの親鷺の私釈が﹁所釈本﹂では﹁百十二行﹂にわたって記 されており、それが紙数に換算すると﹁四丁半余﹂に収まっていたことを示している。 このことから﹁所釈本﹂は一丁が二十四行で記されていたことがわかり、当然、その半分の半丁は十二行と考え られる訳であるが、とすれば﹁所釈本﹂とは非常に細密に記された本ということになる。 しかし管見の限り、中世から近世初頭にかけての古本、特に浄土教版や真宗聖教の写本において﹁十二行章一日き﹂ という本は見られない。また﹁一行十七字詰﹂という書式を持つ本は、いわゆる写経の形式を踏襲したものであり、 中世浄土教版の影響を多分に受けていると考えられるが、これらの現存本の大多数が﹁六行書き﹂であり、またそ の装丁は﹁粘葉装﹂である。 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義 四 九
新出悌光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 五 0 説明不要かと思われるが、粘葉装とは、料紙を半折りにし折り目を糊付けする装丁であり、一般に料紙の表裏と もに記載がある。そのため半葉が﹁六行書き﹂の場合、﹁一丁﹂すなわち本来の料紙表裏一紙分が四倍の﹁二十四 行 ﹂ と な る 。 つまり存覚が記した﹁丁﹂とは厳密に料紙一紙を指しているのではないかということである。 では実際に存覚が残した文献中にそのことを立証する史料があるのだろうか。ここで存覚における﹁丁﹂の使用 例について確認する。 存 杉 覚 原 は 打 『 紙 袖 、日 記
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、
本
ノ、、 三一句
、
i
半 紙 伯 な丁
、
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一 、 胃 十、だ 四、エ42
、
蓄
や と し て 真宗史料集成第一巻|九O
六 頁 ︶ と記している。この文から﹁太子伝妙﹄とは六行書きの本であり、 一丁がその四倍の二十四行になることから、装 丁は粘葉装であったと考えられる。 ま た ﹃ 同 書 ﹂ の﹁往生要集料紙事﹂には、存覚が﹁往生要集﹄を書写するにあたって料紙数︵丁数︶を計算した 覚 書 、 が 残 っ て い る 。 上本一二十五丁、第五快楽無退楽ヨリ上末三十三丁、中本三十一丁半、十八観偽法身ヨリ中末三十一丁半:::己 上真名摺本文字見在分、除白紙、定百九十二丁半、仮令加白紙、可用意分二百四丁詐欺︵同巻八八五頁︶ この本は分冊箇所から﹁建長五年刊本﹂が該当するが、実見したところ、その装丁は﹁粘葉装﹂であり、この本 も﹁六行十七字詰﹂にて翻刻されている。さらに存覚が覚書した﹁丁数﹂は、全く本来の料紙表裏一紙分に相当し て い る 。 以上、﹁所釈本﹂の行格は六行十七字詰を厳守していたと考えられ、 その装丁は必然的に粘葉装であったという つまり﹁坂東本﹂等のような行格に出入りがあり、また装丁も、親驚が多く用いた﹁袋綴﹂ではなく、 中世浄土教版に代表される行格が統一され、非常に整備された本であると判断できる。 こ と に な る 。︵ C ︶ 構 成 続いて構成について確認する。各巻中、最も構成に特徴が見られるのは﹁教巻﹂および﹁信巻本﹂である。以下 ︵ な お 、 こ の 論末に付した︻資料一︼﹁諸本構成比較対照表﹂︵以下︻資料一︸と記す︶に基づき本論を進めていく 対照表の見方については、表の冒頭に記した註を参照していただきたい︶。 まず﹁六要紗﹄より﹁所釈本﹂の構成を復元したものを掲げておく。 ﹁ 教 巻 ﹂ の 構 成 一、総序序題﹁顕浄土真実教行証文類序﹂ 二、総序撰号﹁愚禿釈親鷺述﹂ 二 一 、 総 序 本 文 四、標列 五、首題 六、撰号 七、標挙 八、本文 九、尾題 ー略| ﹁ 顕 真 実 教 一 顕真実行二 顕真実信三 顕真実証四 顕 化 身 土 六 ﹂ ﹁顕浄土真実教文類二 顕真仏土五 ﹁ 愚 禿 釈 親 鷺 集 ﹂ ﹁大無量寿経真実之教 浄 土 真 宗 ﹂ 復 元 1 不(略 能坦| 新出悌光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 ﹁ 信 巻 本 ﹂ の 構 成 一、別序序題 二、別序撰号 三 一 、 別 序 本 文 四、首題 五、撰号 六、標挙 七、本文 八、尾題 ﹁ 顕 浄 土 真 実 信 文 類 序 ﹂ ﹁ 愚 禿 釈 親 鷺 述 ﹂ ー略| ﹁ 顕 浄 土 真 実 信 文 類 三 本 ﹂ ﹁ 愚 禿 釈 親 鷺 集 ﹂ ﹁至心信楽之願正定衆之機﹂ 復 元 | 不(略 能ぎ| 五
新出悌光寺蔵﹃教行信証﹂の意義 五 右記復元を、︻資料一︼より諸本と比較対照すると、次のような特徴を指摘できる。 総序・別序とも﹁愚禿釈親鷺述﹂と撰号がある。 II 各巻とも首題・撰号・標挙・本文:::の順に記述されている。 I I I 特 に 標 挙 の 位 置 、 すなわち撰号の後、本文の前にあるのが特徴であり、 そのため﹁教巻﹂の標挙が標列と分離 し て い る 。 特 に H −
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について二百しておく。﹁坂東本﹂をはじめ、現存本の大多数は、標挙が各巻の首題の前に位置して いる。また教巻は標挙・標列・首題と次第する。つまり﹁所釈本﹂の構成は明らかに諸本と異なり、意図的な改変 がなされた形跡が見られる訳である。 このような特徴をすべて省する本は、新出の﹁悌光寺本﹂と、 その他﹁高田系八冊本﹂︵以下﹁高田系﹂と記す︶ と称される系統が該当することがわかる。すなわち現存諸本中﹁所釈本﹂の系統を承けていると考えられる本は ﹁備光寺本﹂以外にも存在していたということである。ではこの﹁高田系﹂とはいかなる本なのか説明しておきたい。 この系統は親鷺没後、正応四年︵一二九二に、時の権力者であった平頼綱の庇護のもと、性海なる人物によっ て﹁教行信証﹂が開版されたという肢を持つ本であり、昭和三十二年に平松令三氏によって紹介され、 ︵ げ ︶ な反響を得、多くの歴史学者によってさまざま伝視点が提示されてきた。 その後大き 特に重見氏は行格︵六行十七字詰︶・本文︵諸本との比較︶などの特徴から綿密な検証を行い、この本が践にい う﹁正応四年版本﹂を承けていることを立証し、中世浄土教版の特徴に合致すると高く評価している。 ただし現在報告されている限り﹁高田系﹂の現装は何れも袋綴であり、今問題とする﹁所釈本﹂の特徴であった 粘葉装とは相違する。しかしその他の特徴︵書写体裁・行格・構成︶がすべて一致することから﹁傍光寺本﹂と ﹁高田系﹂とは書写系統がきわめて近い関係にあると言える。つまり﹃六要紗﹄撰述年時︵一三六
O
︶以前に成立した本を書 写したものということであり、先の日野氏の指摘にあった﹁貞和二年延書本﹂︵一三四六︶より成立が遡る漢文本 すなわち﹁高田系﹂とは 正 応 四 年 ご 二 九 二 であることが注目されよう。 ︵ D ︶本文 の註釈書であるため当然﹁所釈本﹂の本文はそのわずか一部分しか復元することがで きない。また﹁教行信証﹄には書写系統を大きく分ける異文が非常に少ない。そのため﹃六要紗﹂の引文から﹁所 ﹁ 六 要 妙 ﹄ は ﹁ 教 行 信 証 ﹄ 釈 本 ﹂ の系統を明確にすることは不可能である。ただ存覚は 例えばその特徴として指摘できるのは﹁行巻﹂ ヱハ要紗﹄にいくつかの貴重な情報を残している。 の一乗海釈中の私釈である二教対の﹁数﹂である。 次に私の御釈、然就等とは、其の機教に就て各相対有り:::教に四十八対の文有り。 ︵ 真 聖 全 日 | 二 六 五 頁 。 「 ニ 教 対 」 諸 本 分 類 表 大 修専寺 坂 中 法滅 ! 楽寺 本東寺山 本 本 、 本 利 l 、 西 ( 不 l 寺 楽常 本 高 利 l 寺 願 系回 対 J 本 本 ) :四 ;十 ーーー守寸 存如 浄 文 ;七 示滅 : 対 本 輿 寺 本明 本 対 l 」 l 右 本 をl
)同寺願 補 l 記l
系 権大 願怒 卑本 働光寺 光 滅法 : : 本 寺 寺 不, 本 本 j威;四 右同 右同 願本ギ
j十 利 | 八 ) ) 寺系Z
対: 対 この箇所は真蹟の﹁坂東本﹂をはじめ、多くの写本が四十七対であり、先に﹁所釈本﹂との書写系統の近似を指 新 出 悌 光 寺 蔵 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ の 意 義 五新出悌光寺蔵﹃教行信証﹂の意義 I工 四 摘した﹁高田系﹂も報告されている限りすべて四十七対である。実はこの二教対の数が四十八対である本が存在し て い る 。 その問題の文言とは﹁法減利不利対﹂であり、四十八対の本とは﹁不滅対﹂という文が加わり﹁法減不滅対、利 不利対﹂と分かれている。また﹁法滅利不利対﹂の本文傍らに﹁不滅対﹂と補記する本も存在する。 この本文が四十八対のものは図示したように﹁伸光寺本﹂と﹁本願寺系八冊本﹂︵以下﹁本願寺系﹂と記す︶ の 一部に限られている。すでに﹁本願寺系﹂は論末に付した︻資料一︼によって﹁所釈本﹂の系統には該当しないこ と が 明 ら か な た め 、 ﹁ 併 光 寺 本 ﹂ の み が 、 その特徴を承けていると判断できる。 以上、﹁所釈本﹂の書誌的特徴を最も承けている本が﹁悌光寺本﹂であることを立証した。ここで﹁所釈本﹂と ﹁悌光寺本﹂の書誌的特徴が合致することを確認しておきたい。論末に付した︻資料二︼﹁所釈本の復元と例光寺 本対照﹂により、﹁悌光寺本﹂が、実際に六行十七字詰を厳守しており、 置︶が合致する非常に整備された本であることが明らかであろう。 また構成の特徴︵撰号の有無・標挙の位
五
﹁
所
釈
本
﹂
の行方 ① 存覚と併光寺 ﹁併光寺本﹂が﹁所釈本﹂と同系統であったという事実は何を意味するのであろうか。 周知の如く、例光寺の開創は了源︵一二八四 1 一三三五︶に始まる。この了源を教学的、 また教団運営的側面か ら指導したのが存覚である。存覚は、了源の所望によって聖教数十帖を与えたと言われ、 また﹃諸神本懐集﹄﹁女 人往生聞書﹄等を著している。さらに諸種の法会の導師を勤めるなど、﹁悌光寺教団﹂の形成にも大きく関わりを持った。逆に了源は、覚如から義絶された存覚を経済的に支援し、 を拠点としていた荒木門徒との架け橋的役割を果たした。 その家族を併光寺内に招鴨し、 さらに当時関東 すなわち存覚にとって最も身近で、 しかも強い繋がりを持っていたのが了源を中心とする﹁悌光寺教団﹂であっ たと言えよう。ただし了源自身は ﹃六要妙﹄撰述時には没しているが、没後も存覚と﹁悌光寺教同﹂とは密接な関 係を保ち、双方にとってその発展に大きな役割を果たした。 こうした関係から、﹃六要紗﹄撰述にあたりそのテキストとなった﹁所釈本﹂ は必然的であると言えよう。 「所釈本」関連略年表 項 建 武2(1335) 貞和2(1346) の系統を、悌光寺が伝承すること 述 J 撰 一 本
1
一 寺 紗 一 光 要 一 例 ﹃ 没 一 に 覚 覚 一 降 写 存 存 一 以 書 事 親驚没。 性海『教行信証』を 開版するという。 (高田系奥書より) 了源、山科に一寺建 立の勧進帳を作成。 了源、大谷に初参。 存覚、覚如の命によ り了源を指導、聖教 数十帖を与える。 存覚、了源の所望に より『諸神本懐集』、 『女人往生聞書J等 を著す。 了源没。 源覚『教行信証1延 書を書写。 延文5(1360) 応安6(1373) へという相伝経路で興味深いのは、﹁貞和二年延書本﹂の筆者とされる源覚な る人物である。この本は現在大谷派本願寺に所蔵されているが、それ以前は奈良教行寺に蔵されていたようである。 弘長2(1262) 正応4(1291) 元応2(1320) 元応元(1319) 元亨4(1324) 年号(西暦) ﹂の﹁所釈本﹂から﹁伸光寺本﹂ 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義 一 五 五新出併光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 一 五 六 筆者源覚については、生没年等詳細が不明であるが、書写の年代及びその系統から考えて ﹁ 親 鷺 門 侶 交 名 牒 ﹄ ﹁ 光 薗院本﹂に﹁了源禅源源覚﹂と次第する人物が注目される。この源覚の師である禅源︵高林庵開基︶ は暦応四 年︵一三四二 に 没 し て お り 、 五年後に成立した﹁貞和二年延書本﹂ の筆者に、この源覚が該当する可能性がきわ めて高いと考えられる。すなわち﹁所釈本﹂ の系統が ﹁六要紗﹂成立以前に既に﹁併光寺教団﹂内で用いられてい たことを示唆するものと思われる。 ⑧ ﹁六要紗﹂の撰述意図とテキストの流布 少なくとも存覚は生涯に数本の﹃教行信証﹂を実見しており、﹃六要紗﹄撰述以前の元亨四年︵一三二四︶ 自 ら書写︵常楽寺本︶も行っている。 ではなぜ存覚は﹁所釈本﹂ の選定にあたり、親鷺真蹟等に代表されるいわゆる﹁権威﹂ある本や自らの書写本を ﹁所釈本﹂として選ばず、あえて奥書も来歴も伝承されていない﹁悌光寺本﹂の系統をテキストにしたのであろう か。ここで ﹁ 六 要 紗 ﹄ の撰述意図とテキストの流布との関係から、存覚の﹁所釈本﹂選定理由を探ることにする。 言うまでもなく、註釈書とそのテキストは一具でなければ意味をなさない。なぜならテキストなくして註釈書を 読解することはできないからである。当然テキストは註釈書に先行し成立流布していなければならず、 またその内 容 が 統 一 さ れ 、 より整備されたものが註釈書の汎用性・利便性を高めることになる。 ストとして最も相応しいのは汎用性・利便性に長けた﹁流布本﹂であるということになる。 つまり一般的に註釈書のテキ では存覚の場合はいかがであろうか。 存覚は﹃教行信証﹂ の註釈をなすにあたり、﹁一流伝来の者老、 なお未だその義を講ずる仁を聞かず。諸国耽学 の群侶、多くこの書の旨を了せざることを示す:::仏法弘通のため試みに少量の註釈を加え﹂︵真聖全日四四一 頁 た、と撰述の意図を記している。この﹁一流伝来の者老﹂﹁諸国耽学の群侶﹂とは、関東に点在した親鷺門弟
の系脈を指していると判断でき、﹃六要紗﹄ という﹃教行信証﹄初の本格的な註釈書を世に広めるためには、彼ら にとって入手が困難な﹁権威﹂ある本より、 むしろその当時最も流布していた本をテキストとして採用することが 相応しいと考えられる。 つまり存覚は当時の﹁流布本﹂を﹁所釈本﹂に選定したのではないかということである。 ⑨ ﹁ 所 釈 本 ﹂ の 来 歴 では、実際に存覚が用いた﹁所釈本﹂の原本はどこから来たのだろうか。またその本が流布していた可能性はあ るのだろうか。ここで先述した書誌的特徴を確認することで、 その来歴を探ることにする。 行格が六行十七字詰を厳守し、装丁が粘葉装と判断できることから、中世浄土教版的な書式が統一整備された 本 で あ る 。 II 親鷺没後、正応四年に﹃教行信証﹄が開版されたという内容の肢を持つ﹁吉岡田系﹂と書写系統上きわめて近い 関係にあると考えられる。 すなわち﹁所釈本﹂とは、書写系統的に分類すれば、﹁正応四年版本﹂を承けている﹁高田系﹂ の異本と判断で き、存覚が入手した原本は、元は﹁版本﹂として流布していた可能性が高いと考えられる。 このことから﹃六要紗﹄を世に広めることを意図した存覚にとって、 そのテキストとして最も相応しい形で、 す でに流布していた系統の本を﹁所釈本﹂に選定することは当然であると思われ、 また具体的に﹁所釈本﹂ の体裁 ︵ 調 巻 ・ 行 格 ・ 構 成 等 ︶ を整備した﹁編集者﹂とは、存覚ではなく、性海であると推定できるであろう。 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義 五 七
新出悌光寺蔵﹃教行信証﹂の意義 一 五 八 一 一L・ー /\ む す び 今回新たに出現した﹁悌光寺本﹂によって、大きく三つの問題が明らかになった。 ︵ 1 ︶﹁所釈本﹂の書写系統 ﹁所釈本﹂とは、﹁正応四年版本﹂を始祖とする﹁高田系﹂ るのが﹁伸光寺本﹂である。 の異本であると判断でき、 その特徴を最も承けてい ︵ 2 ︶﹁正応四年版本﹂実在の可能性 従 来 ﹁ 高 田 系 ﹂ の肢に記されていた﹁正応四年版本﹂ の実在については、歴史的整合性は概ね了承されつつも、 その断簡一紙すら発見されていないため、史料的立証ができなかった。さらに現存する﹁高田系﹂は伺れも室町期 の書写本であり、年代的な隔たりからその実在を疑問視する声もあった。しかし正応四年から約七十年後に用いら れた﹁所釈本﹂が、﹁高田系﹂ときわめて近い関係にあるという﹁事実﹂は単なる偶然とは考え難い。 むしろ﹁正 応四年版本﹂が実在した可能性をより高める根拠になる。 ︵ 3 ︶﹁所釈本﹂の選定理由 これらの点に基づくと、存覚がこの系統を﹁所釈本﹂に選定した理由は、註釈書のテキストとして最も相応しい 形 つ ま り ﹁ 流 布 本 ﹂ であったためということになる。 残念ながら悌光寺には、この本に関する来歴等の伝承が残されていない。そのことはかえってこの本が真蹟等に 代表されるいわゆる﹁権威﹂ある本を書写したものではなく、当時の﹁流布本﹂であったことを傍証することにな る と 考 え る 。
以上、﹁悌光寺本﹂は、親鷺没後の﹃教行信証﹄ の流伝状況を探る上できわめて重要な史料だと思考する。 註 ︵ 1 ︶重見二行﹁教行信証の研究﹄︵昭和五六年、法蔵館︶参照。 ︵ 2 ︶例えば、興隆︵一七五九
i
一八四三︶の﹃顕浄土真実教行証文類徴決﹄巻一 は、﹁所釈本﹂の行格の特徴が指摘されている。 ︵ 3 ︶日野環﹁﹁教行信証六要紗﹄の﹁所依本﹂の性格についての検討﹂︵﹃大谷学報﹄四三|一号、昭和三八年︶、同 ﹁﹃教行信証六要紗﹄の﹁所依﹂本についての検討﹂︵﹃印度学仏教学研究﹄一二 l 二 号 、 昭 和 三 九 年 ︶ 参 照 。 ︵4 ︶本稿では、﹁悌光寺本﹂がいまだ学界に紹介されていないという意味で、﹁新出﹂と記させていただいた。なお、 この本を調査した経緯は、併光寺史資料調査委員会における第一回調査に参加し、この本を担当したことによる。 ︵ 5 ︶妻木直良﹁本典の製作年代を論じて古版四種の底本に及ぶ︵下︶﹂︵﹃六条学報﹄一八五︶には、江戸期に刊行さ れた四種の版本︵寛永版・正保版・明暦版・寛文版︶と、﹁六要紗﹄から推測される﹁所釈本﹂の特徴とを比較し、 ﹁寛文型の原本を以て、六要所釈と同型なりと推定せんとす。即ち存覚師より宗義を相承せる渋谷山は、六要所釈 の古本を有せりと推定せらる﹀なり﹂と、悌光寺に﹁所釈本﹂系統の古本が存在する可能性を示唆している。 ︵ 6 ︶前掲﹁﹃教行信証六要紗﹄の﹁所依本﹂の性格についての検討﹂において、従来の﹁所釈本﹂に関する憶測につ いて以下のように記している。﹁︵所釈本は︶最も整備されたる﹃教行信証﹄の最後の段階を示すものであって、親 鷺 の 7 自筆真蹟本﹂であるか、少なくともその面影を伝うる尤も権威ある﹁古写本﹂であろうと印象づけられるに 至った。それは現在は亡失しているが存覚の時代までは実存したであろうと思はれてきたのである﹂。 ︵ 7 ︶﹁貞和二年延書本﹂の書誌については、﹃古写古本真宗聖教現存目録﹄︵宗学院編︶一一二頁に掲載されている。 また﹃親鷺著作全集﹄︵金子大栄編、法蔵館︶は、この本を底本として翻刻している。 ︵ 8 ︶前掲註︵ 2 ︶および﹃教行信証﹄︵中井玄道編、併教児童博物館︶ニO
頁 参 照 。 ︵ 9 ︶本稿にて比較対照した史料は以下の通りである。 − 六 冊 本 系 ﹁ 坂 東 本 ﹂ H 大谷派本願寺蔵親鷺真蹟本︵﹁親驚聖人真蹟集成﹄巻一 ﹁西本願寺本﹂日本願寺派本願寺蔵鎌倉時代書写本 ﹁真宗全書﹄巻二二・二二頁︶に − 二 参 照 ︶ 新出併光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 五 九新 出 悌 光 寺 蔵 ﹁ 教 行 信 証 ﹂ の 意 義 ノ 、
。
﹁ 専 修 寺 本 ﹂ ム 品 目 派 専 修 寺 蔵 真 仏 書 写 本 ︵ ﹃ 専 修 寺 本 顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 ﹄ 参 照 ︶ .六冊本系八冊本 ﹁ 常 楽 寺 本 ﹂1
尽都市常楽寺蔵元亨四年存覚書写本 ﹁ 大 楽 寺 本 ﹂ H 滋賀県大楽寺蔵南北朝時代書写本 ﹁文明本﹂日山口県明厳寺蔵︵現龍谷大学寄託︶文明二年書写本 . 八 冊 本 系 ﹁高田系﹂日三重県中山寺蔵室町時代末期書写本︵中山寺本︶、高田専修寺蔵慶長五年書写本︵未見。書誌につい て は 註 ︵ 口 ︶ に あ げ た 各 論 文 を 参 照 ︶ な ど 。 ﹁ 本 願 寺 系 ﹂ H 本願寺派本願寺蔵存如授与本︵存如本︶、新潟県浄興寺蔵室町時代初期書写本︵浄興寺本︶、金沢市 専光寺蔵室町時代中期書写本︵専光寺本︶、大阪府慈願寺蔵室町時代末期書写本︵慈願寺本︶、龍谷大学蔵室町時代 末期書写本︵龍大本︶など。 ﹁ 併 光 寺 本 ﹂ H 悌光寺派悌光寺蔵室町時代中期書写本 ︵ 刊 ︶ こ の 文 言 は 、 ﹃ 真 聖 全 ﹄HI
二七七頁、同コ二七頁、同四一O
頁、同四三三頁等に記されている。 ︵日︶﹁教行信証﹄の分冊系統については、前掲﹃教行信証の研究﹄二O
九頁等に詳しく説明されている。註︵ 9 ︶ 参 照 。 ︵口︶この見解は、本願寺系八冊本に共通して記されている﹁今此教行証者祖師親驚法師之選述也:::﹂という肢を作 成したのは存覚ではないかという説から派生したものと思われる。宮崎円遵﹃真宗書誌学の研究﹄五三頁参照。 ︵ 日 ︶ ﹃ 士 口 写 古 本 真 宗 聖 教 現 存 目 録 ﹄ ︵ 宗 学 院 編 ︶ 、 藤 堂 祐 範 ﹃ 浄 土 教 版 の 研 究 ﹄ ︵ 山 喜 房 偽 書 林 ︶ 等 既 刊 目 録 参 照 。 ︵ H ︶﹁一行十七字詰﹂という書写形式について、重見一行は以下のように解説︵前掲書九二頁︶している。﹁一行十七 字の習慣は唐代頃よりの写経の形式であり、わが国の奈良時代の写経もこれに倣ったものであった。ついで摺版一 切経が北宋欽定版において一行十四字の形を創り出したが、やがて准官版とされる東禅寺版になると十七字形式に かえり、折帖仕立となって一面六行に固定し、南宋諸版もこれにならい、これが多く日本に伝わって、日本の写経 摺経の形式を決定することになったようである。後、明北版のような北方系で一面五行となった場合、二行十四字 となった場合もあったが、鎌倉時代は南宋系によって冊子本の場合片面六行、一行十七字が慣行の観がある︵勿論 そ れ 以 外 の も の も 多 く あ る が ︶ 0 すでに鎌倉初期より盛行をみた浄土教系出版物の定形もまたこれであった﹂。 ︵日︶﹁建長五年刊本﹂については、龍谷大学蔵本を閲覧した。なお、この本は存覚の手沢本ではないかと言われていヲ h v ︵同︶各巻の尾題については﹃六要紗﹂には全く触れられていない。ただし奥書に﹁元より本末あ﹂りと記されている ことを考慮すると、おそらく八冊本系の諸本と同じく各巻の首題と同文があったと推測することができる。しかし ﹃六要紗﹂に明確な記載がないため、本稿では﹁復元不能﹂とした。 ︵灯︶﹁正応四年版本﹂に関する主な論文および書誌解説︵発表年順︶について。 −平松令一一一﹁高田宝庫より発見せられた新資料のてこについて﹂︵﹃高田学報﹄四
O
、昭和三二年、後﹃真宗史論 孜 ﹄ 所 収 ︶ ・赤松俊秀﹁本願段滅のともがらについて﹂︵﹁日本仏教﹄二、昭和三一二年、後﹃続鎌倉仏教の研究﹄所収︶ ・ 宮 崎 円 遵 ﹁ 帰 洛 後 の 親 驚 聖 人 ﹂ ︵ ﹃ 大 乗 ﹂ 一 一 一 r 、J 六 、 昭 和 三 一 五 年 、 後 ﹃ 続 親 驚 と そ の 門 弟 ﹂ 所 収 ︶ ・日野環﹁教行信証の文明古写本について﹂︵﹃印度学仏教学研究﹄一四|一、昭和四一年︶ −藤島達朗﹁﹁教行信証﹄の書誌﹂︵﹁親驚聖人真蹟国宝顕浄土真実教行証文類印本解説﹄真宗大谷派宗務所編、昭 和四六年、後﹁親驚大系﹄歴史篇第四巻所収︶ − 佐 々 木 求 巳 ﹃ 真 宗 典 籍 刊 行 史 稿 ﹄ 一 一 頁 ︵ 昭 和 四 八 年 ︶ −重見一行﹁正応四年出版に関する文献学的考証﹂︵﹃国語国文﹄四三四、昭和四九年、後﹃教行信証の研究﹄所 収 ︶ −小川貫弐﹁教行信証の書写と印刷﹂︵﹁真宗研究﹄一八、昭和四九年︶ ・ 網 野 善 彦 ﹃ 日 本 の 歴 史 ﹄ 一O
︵ 昭 和 四 九 年 、 小 学 館 ︶ −峰岸純夫﹁鎌倉時代東国の真宗門徒|真宗報恩板碑を中心に﹂︵﹁中世仏教と真宗﹄所収、昭和六O
年 ︶ −今井雅晴﹁平頼綱とその周辺の信仰﹂︵﹁仏教史学研究﹄二一四|二、平成二年、後﹁親鷺と東国門徒﹄︵吉川弘文 館︶に﹁平頼綱と﹁教行信証﹄の出版﹂と改稿・改題し掲載︶ ︵日︶前掲﹃教行信証の研究﹄等参照。 ︵ 叩 ︶ ﹁ 法 滅 不 滅 対 ﹂ と い う 文 一 言 に つ い て は 、 ﹁ 愚 禿 紗 ﹄ 上 巻 に 使 用 さ れ て い る 。 ︵却︶例えば、存覚は﹃六要紗﹄教巻釈に撰号について問答を設け、﹁次に撰号の中に:::異本あり、序の前にこれな し﹂と、異本との校異を記しており、﹁所釈本﹂とは別に、総序の撰号がない本を参照していたことがわかる。 新出悌光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 」 − F、
新 出 併 光 寺 蔵 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ の 意 義 一 六 ︻ 資 料 ニ 龍 本 構 成 比 較 対 照 表 註一本表は﹁所釈本﹂教巻・信巻本の構成順序とその文言を各系統を代表する諸本と比較したものである。各本の上 段に記した﹁漢数字﹂が構成順序を示しており、下段に﹁所釈本﹂と文言が一致するものは
O
、それ以外にはその 旨 を 記 し た ︵ ※ 印 は 別 掲 ︶ 。 註ニ諸本の系統別分類については﹃教行信証の研究﹄︵重見一行著︶を参照した。 ︻教巻︼ 順 序 二総序序題 一 一 一 総 序 撰 号 ゴ 二 総 序 本 文 四 一 標 列1
1
端
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坂東本 愚禿釈親鷺述 窃 以 : : 所 措 置 発 顕 真 実 教 一 顕真実行ニ 顕真実信三 顧真実証四 顕真仏土五 顕化身土六 顕浄土真実教文類一 愚禿釈親鷺集 大 無 量 寿 経 真 実 之 教 浄土真宗 聾 鍍 ・ : : 也 応 知 ︷ 復 元 不 能 ︶ 嫌 ① な し 一 ニ O 一 部 破 損 破 損 五:
1
監
十 冊 本 専修寺本 Olf。
四 01010 三|六|五 減 ③ 常楽寺本 六 冊 本 系 八 冊 本。
Olf。
四 01010 三|六|五 大楽寺本。
Olf。
五 01010 四|七|六。
010。
01010 四 七|六|五 文明本。
。
IO。
01010※①教巻首題と同じく尾題も﹁顕浄土真実教文類ごとあったか。註︵日︶参照。 ※②﹁大弥陀経友謙三蔵訳平等覚経由市延三蔵訳﹂の文あり。 ※③尾題に続き再度標挙﹁大無量寿経真実之教浄土真宗﹂、 及び標列﹁顕真実教一顕真実行二顕真実信三顕真実証四 顕真仏土五 顕 化 身 土 六 ﹂ あ り 。 ︻ 信 巻 本 ︼ 二別序序題一顕浄土真実信文類序 二一別序撰時一愚禿釈観情述 ゴニ別序本文一夫以 i i 誇 突 四一倍巻本首題一顕浄土真実信文額三本 六 冊 本 系 八 冊 本 冊 本 順 序
所
釈
本
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元
..,_ / 、 坂 東 本 西 本 願 寺 本 専 修 寺 本 常 霊 守 本 大 楽 寺 本 文 明 本 二 O 二 O 一 二 O 二 O 二 O 二 O 一 一 一 ﹁ : : : 集 ﹂ T ニ ﹁ : ・ : 集 ﹂ 一 一 な し 二 一 ﹁ : : : 集 ﹂ 一 一 な し 一 な L 灘 ⑤ 三 一 O 一 三 O 一 二 一 O 三 一 O 一 二 一 O 二 一 O 五 一 O 一 五 一 O 一 回 一 O 五 一 O 一 三 O 三 一 O 一﹁本﹂なし一一﹁本﹂なし一一﹁本﹂なし一一﹁本﹂なし一一﹁本﹂なし−一 五 一 信 巻 本 撰 号 一 愚 禿 釈 親 鷺 集 六 一 O 一 六 一 O 一 五 一 O 一 六 一 O 一 五 一 O 一 五 一 O 六一標挙一至心情楽之願正定繁之一四一 O 一 四 一 O 一 三 O 一 四 一 O 一 四 一 O 一 四 一 O 一 一 機 一 一 一 一 一 一 様 ⑥ 一 一 一 一 望 @ 一 一 七 一 信 巻 本 本 文 一 謹 按 i i 一理也以上一七一 O 一 七 一 O 一 六 一 O 一 七 一 O 一 六 一 O 一 六 一 O 四 七 一 O 八 一 信 巻 本 尾 題 一 ︷ 復 元 不 能 ︶ 一 一 な し 一 一 な し 一 − な し 一 一 な し 一 一 な し 一 七 一 信 巻 本 首 題 一 八 ↑ 俄 巻 本 省 豆 八 一 信 巻 本 首 題 u m ④ 一 一 驚 ⑥ 一 一 様 ⑧ 一 一 媛 ⑧ 一 一 搬 ⑧ 一 一 議 ⑥ 一 一 に 同 じ 同 に 同 じ 分 冊 す る 一 一 分 冊 せ ず 一 一 分 冊 せ ず 一 一 分 冊 せ ず 一 一 O 一 一 O 一 一 O向
。
信巻本首題と同じく尾題も﹁顕浄土真実信文類三本﹂とあったか。註︵珂︶参照 ﹁ 慰 禿 釈 親 鴛 述 ﹂ と 本 文 と 別 筆 に て 貼 紙 あ り 。 ﹁ : : : 正 定 療 機 ﹂ と ﹁ 之 ﹂ な し 。 標 挙 の 下 に 異 本 と の 校 合 文 あ り 。 ﹁ 信 巻 末 ﹂ 末 尾 に ﹁ 顕 浄 土 真 実 信 文 類 三 ﹂ と あ り 。 分冊形態 ※④※ @
※⑥ 車 問 ⑦※ @
新 出 悌 光 寺 蔵 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ の 意 義 一 六新 出 悌 光 寺 蔵 ﹃ 教 行 信 証 ﹂ の 意 義 ︻資料−ニ所釈本の復元と偽光寺本対照 ①教巻総序 ⋮ 嘱 糾 明 聞 か 判 長 , 叩
恥
一
一
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顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 序 m 緒 川盤
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①②③④⑤⑥⑦⑨⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑮⑫口
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一 六 四 備光寺本骸当箇所ι
d M事標列・教巻首題・撲号・標挙
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口 口 ① 顕 顕 顕 顕 顕 顕 顕 口 口 ② 化 真 真 真 真 真 口 口 ③ 浄 身 仏 実 実 実 実 口 口 ④ 土 土 土 証 信 行 教 口 口 ⑤ 真 六 五 四 三 二 一 口 口 ⑥ 実 口 ⑦I
I
教 口 口 @ 文 口 口 ⑨ 類 口 口 ⑩ 口 口 ⑪ 愚 口 口 ⑫ 禿 口 口 ⑬ 釈 口 口 ⑭ 親 口 口 ⑮ 驚 口 口 ⑮ 集 口 口 ⑫ 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義ι
五新出偽光寺蔵﹃教行信証﹂の意義 ③信巻本別序 顕 浄 土 真 実 信 文 類 序
口
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一 六 六④別序末 j 信巻本本文冒頭
信巻標挙の位置
口 口 口 ① 口 口 口 浄 口 口 口 ② 口 口 口 土 口 口 口 ③ 口 口 口 真 口 口 口 ④ 口 口 口 実 口 口 口 ⑤ 口 口 口F
百 口 口 口 ⑥ 口 口 口 文 口 口 口 ⑦ 口 口 口 類 口 口 口 ⑧ 口 口 口一
口 口 口 ⑨ 口 口 口一
口 口 口 ⑩ 口 口 口 本 口 口 ⑪ 口 口 口 愚 口 口 ⑫ 口 口 口 禿 口 口 ⑬ 口 口 口 釈 口 口 ⑭ 口 口 口 親 口 口 ⑮ 口 口 口 鷺 口 口 ⑩ 口 口 口 集 口 口 ⑪ 新出悌光寺蔵﹃教行信証﹄の意義ι
両
陣
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4 A A え 来 ’ $ 総 代 ノ、 七新出仰光寺蔵﹁教行信証﹄の意義 一 六 八 ︵付記︶本稿の執筆にあたり、関連資料の閲覧、また写真掲載をご許可くださった真宗併光寺派本山併光寺門主渋谷暁真 様、同宗務総長大谷義博様、さらに﹁例光寺本﹂の書写年代に関してご助言くださった龍谷大学助教授岡村喜 史様、写真掲載などさまざまな面でお世話になった真宗悌光寺派宗務所職員吉田譲様、その他、多くの貴重なご 助言をいただいた方々に対して記して謝意を表したい。