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浄土宗総合研究所報 Vol.01

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浄土宗総合研究所報

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⑨総合研究所案内

(2)

具体的にして

有機的な総合研究を

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﹁平成﹂という元号に改まった年の四月に、浄土宗総合研 究所が発足いたし、既に 一 年を経過しました 。 その所報第 一 号が発刊されますことは感慨 一 入なものがあります 。 申すまでもなく本 宗 は他 宗 に円んられぬ教 学 ・ 布教・法式 の 三 研究所を早くから設置し、その 実 そあげてまいりまし れ ん 。 今回この 三 部門を相互有機的関連のもとに統合し、斯界 の権威である竹中信常先 生 を所 長 に迎え、各研究部 長 ・事務 長 を も っ て構成する連 常 企画 会 議 に よ っ て基本的方向が打 ちたてられております 。 本宗教化のあり方を 二 十 一 世紀に 向って、地球的視野のもとに確立し、現代の高度情報化社 会におけるダイナミックな社会機構の変革に対応する浄土 宗 総合研究所の果たさねばならない 責 務は極めて 重 大であ るといわねばなりません 。 特に高齢 化 ・ 情 報 化 ・ 国際 化 社会に対し、宗祖法然上人 の教えを基調とする伝統教 学 の今日的問顕を計り、 具 体的 にして有機的な研究成果が本 宗 の総合教化施策の樹立に 大 きく寄与されん・ ﹄ と を切望してやまないものであります 。 昨年四月 一 日をも っ て発足した本研究所も本 年 四月より 組織 ・ 人事を 一 応完備し、実動の段階に入 っ た 。 この新発 足に 当 り、総合研究所所報第 一 号を発刊する 。 顧みれば、本 宗 における教化研究 の 機関は、遠く昭和十 八年浄土 宗 教 学 院研究所の開 設 を 哨 矢 とし、在来浄土 宗 布 教師会所属の研究活動を機開化して昭和五十 三 年四月 一 日 その規定を制定し、昭和五十五年九月十六日、明照会館内 に布教研究所 の設立 をみた 。 さらに昨年間月の本研 究 所 の 開制に伴い 法 式 会 において法式研究部が新設された 。 こ れ らの機関はすべて総合研究所組織に組み込まれ、それぞれ 教 学 研究部、布教研究部、 法 式研究部として統合 ・ 和合す ることにな っ た 。 いうまでもなく、 こ れ ら 各研究部はそれぞれ独円 の実 質 と

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を 持 っ ているが 、 しかしそれ ら が個々 、 ば ら ば ら の 在り方 。 ては本 宗 教化の 実 を 挙 げることは出来ない 。三 者が 各自 の 特 質 を持ち つ つ も 一 つ の有機体として活動すべきで あ る 。 素雑な表引で恐 縮 だが、い っ てみれば、教 学 は本 宗 信 仰の本義を理論的に研究・解明し、布教はこれをひろく

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一 般大衆の理解 ・ 実践に適うように宣説し、法式はこれを 法 儀 ・ 儀式 ・ 日常生活の上に具体的に体現する役割を拾う もので、かかる身(法式) ・ 口(布教) ・ 立 ( 教 学 ) の 三 業の 一 致こそ本宗教 化 の望むべき姿であり、本研究所の理想態に はかならな い 。 そ して、その 実動を有機 的に推進するため に事務局が併設されたのである。 以上のような趣旨のもとにある本研究所の組織 ・ 人 事及 び各研究部の事業計画等の実態をひろく江湖に周知して項 き、諸賢の理解と支援とを願うべく、所報第 一 号を編した次 第である。

新しい樹液を

十 二 世紀における法然登場の意義は、ひとり宗教改革者の 立場だけでなく広汎な、﹄の国社会の精神構造に重要な問題 を投げかけま した 。 無知な庶民大衆は法然の念仏によって 理想と個性に目ざめ、 乱世を 生き抜く道を発見 した のであり ます 。 こ の輝か しい伝統を 継承してきたわが浄土宗教団は 、 つ ねにその時代をリ ー ドする教 学 、 実 践を義務づけられてきま した 。 二 十 一 世紀を迎えようとする現在、その使命感はい っそう重 いものと 言 わねばなりません 。 総合研究所の発足はまさに こ の要請に こたえるた めのも のにはかなりません。法然念仏は、揺れ動く 価 値 観 の現代 において、どのようじ位置付けされるべきであるか 。 教 学 はその軸芯を掘り下げ固定し、布教、法式はそこから生い 立つ樹幹にふさふさとした枝葉を繁らせねばなりませ ん 。 幸 いにも初代研究所長に竹中信市博士を迎えることがで きました 。 学徳兼 備、加えて博 士のシャ ー プな近代感党は この新樹をみずみずしい樹液で潤わせてくれる 、 で し ょ う 。

すぐそこ,

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世紀・・…・

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各研究部・部長のプ日ギ│ル

藤 堂 恭 俊{聞きょう L

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A) 数学研究部長

板垣隆寛(

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t_n'きり剛うかん) 布教研究部長

津田徳翁

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t_'<0,'う) 法式研究部長 大正7年和歌山県田辺市に生まれ る。昭和16年大正大学卒業。側散 大学文学部長、同大学園書館長、 同大学付属幼稚園長、日本仏教学 会理事等を歴任。 現在、併教大学文学部仏教学キヰ教 授、大正大学講師、日本印度学仏 教学哩事、総本山知恩院浄土宗学 研究所主任、文学博士、京都市東 山区・信重院住職。

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汝今知不阿弥陀仏去此不透 ( 観無量寿経 h り ) 大正4年山形県村山市に生まれる。 昭和8年 時宗 宗 学林卒業。 山形教区教化団長、同教区宗議会

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義員、山形県仏教会会長等を歴任。 現在、宗教教融市常務理事、浄土 宗東北教融市会会長、 一向上人腕 限念仏間iFI会会長、山形県村山市 ・待性寺住

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大正3年東京都港区に生まれる。 昭和10年大正大学卒業。 東京教区教区会議員、各法式講習 会前師等を歴任。 現在、浄土宗法儀司、大本山増上 寺教佼師、同式師会顧問、同雅楽 会 顧問、同御忌会奉行、東京教区 城商品且組長、東京都港区高輪・正 党寺 前住月九

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総合研究所の組織

研究所の事務を一一一で表す 研究活動を ...・.H・-で表す 研 究 所 事 務 全 般 一 一 指示及び処理 ~ .. -者 者 一 一 繍 説 醐 ⋮ 一 務 部 臓 一 { 示 各 学 一 -事務長 -研究所長 -教学研究部部長 -布教研究郎部長 -法式研究部部長 4 ・ H ・ H ・-…・....・H ・日 H ・ H ・-…...・H・-…...・ H ・...~

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数学研究節 研究活動 指示 ?報告 守 i 法式研究鶴 1人 -部長 ・主任 布教研究郁 1人 -部長 ・主任 ・研究員 -部長 1人 ・主任 2人 ・研究員 若手人 ・研究部員 若干人 2人 2人 若干人 -研究員 若干人 若干人 -研究部員 若干人 -研究部員 研究に関わる事務全般の処理 札まの f<'?~,化研究 P/i/i 総介研究所f<' ,研究 m; となり 般lも侍,_-いて,;tf<〆..jが亨持するこtにむ 2た 総合研究所がある明照会館

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総合研究所各部の事業報告

{ 東 部 ︼ 平成元年4月より平成 2 年 3 月までの活動ぞ 以下報告する 。 一 、 公開 講 座 。 6 月 お 日 ( 金 ) 午 後 3 時半 1 5 時 半 / 明照会館 会議室 ﹁ 州 仰 と キ リ ス ト 教 ﹂ 講師

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上智大学東洋宗教研究所長 ・ 門脇佳吉 先 生 @ ロ 月 H 日 ( 木 ) 午 後 3 時半 1 5 時 半 / 明照会館 会議室 ﹁ 極楽浄土とはどういうところか ーー その 心 教学研究部 理 学 的 安 丞 小 ﹂ 講 師

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東洋大学整奴 ・ 恩田彰先生 二 、 研究部員研究発表会 3 月 四 日 ( 木 ) 午 後 2 時 15 時 / 明照会笠エ議 室 阿 川 正武

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宋代浄土教における択瑛と用欽 渡辺真宏

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﹃ 阿弥陀経釈 ﹄ について 武田道生

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都市寺院における供養儀礼の 実 態 ︻ 西 部 ︼ 平成元年 4 月以降、平成 2 年 3 月までの活動 経過は以下の通りである 。 て定例研究会 @ 6 月 出 日 ( 水 ) 午 後 2 時半より / 仰教大学脱陵 館第 一 会議室 井 上 知 旦 之

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チベット撰述のア ピ ダルマ文献の 研究 会 一 ) 村 上 兵端

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﹃ 釈浄土群疑採要記 ﹄ ﹃ 群疑論見 間 ﹄ との問述について 福原隆善 H ﹃ 往生要集 ﹄ の総相観に つ い て @ 9 月 訂 日 ( 水 ) 午 後 2 時半より / 仰 教大学牒陵 館 第 一 会議室 東谷信昭

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﹃ 安養集 ﹄ の基礎的 研 究 梶山雄 丁 目 ﹃ 大智度論 ﹄ にあらわれる阿弥陀仏 信 仰 @ 叩 月 白 日 ( 水 ) 午 後 2 時 半 よ り / 仰教大学騰陵 館第 一 会議室 古田彦太郎

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凶ヨ血児白における J

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白 lD 印 ロ 色 町 血 肉 同 門 ﹃ M M F に つ い て 間山令史

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哲 学 的議論の型 平 岡 聡

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ミシガン大学留 学 一 雑感 。 日 月 目 日 ( 水 ) 午 後 2 時半より / 仰教大 学 騰 陵 館第 一 会議室 竹内兵道

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﹁ 動 き ﹂ と ﹁ 同 定 化 ﹂ 可 弁中辺論 ﹄ とデカルトの思想をもとに 横田益薮

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菱叩の教学について 吹田隆道

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賢劫の仏陀について 二 、 共同研究 ﹁ 浄 土 三 部 経 の 末 書 お よ 、 ひ 原 本 の 総 合 的 調 査 な ら び に 研 究 一 ﹂ を 坪 井 俊 映 勧 学 φ 中心に共同 研究中である 。 三 、 特 別 講 演会 5 月 幻 日 ( 水 ) 午 後 1 時より / 例教大 学 際陵館 第 一 会話室 ﹁新総側近説枠補思想の密教的源流 ﹂ 講 師

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韓国東国大 学 校教授 ・ 徐問吉先生 教学研究部の研究会

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︻ 浄 土 宗 教 掌 布 教 大 会 ︼ 平成元年度の浄土宗教学布教大会は、平成元 年度浄土宗布教師中央研一隻

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第お回浄土 宗 教 学大会との合同大会 として、平成元年 9H6 日 ( 水 ) 1 8 日 ( 金 ) ま で の 3 日間にわたり、東京の 大正大 学 e伊会場として開催された 。 一 般研究発 表のう ち総合研究所布教研究部関係の 発表は左 記の通りである 。 石割顕畠

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布教への試み │ │ 和歌の効用に つ い て 土 屋 正 道

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現代と布教 │ │ 浄土宗亙爪教区青 年全国際救援前動につ い て 山口隆誠

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生 き る と い う 、 ﹂ と 小町芳降

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青少年と宗教教育について 漆間 宣 隆

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自坊に於ける教化の試み 阿部信之

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在家仏青が 今 かかえる問題点 │ │ 布教者

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しての立場から 佐藤雅彦

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仏教と 生 命 倫 理 ( H ) 意見発表は大会 三 日目に行なわれ、テ!?は 昨年に引き続き﹁現代人に繋をどう説くか ( H ) ﹂ で行われた 。 内容は ﹃ 教化研究 ﹄ 一 号に収録した 。 ︻ 集 中 研 究 会 } 総合 研究所布教研究部 の 集 中 研究会 は 、 研 究 所の関係者全員を招集して、年2回開催した 。 平成元年度は左記の通りである 。 ⑨ 第 1 回 / 平成元年 6 月 2 日 ( 金 ) / 明照会館 。 講義﹁現代と布教﹂布教研究部長 ・ 板垣隆 寛 師 布 教 研 究 部 主 任 ・ 宮林昭彦両 両先生の講義のあと﹁現代と布教﹂のテ ! ? のもと、参 加 者によるディスカッショ ン を 行 っ た 。 @ その他 板垣部長より総 A n 研究所発足にともなう 布教研究部としての本年度の研究指針、研 究推進に関する指導があり、さらに本ノまほ の 事 業 計 画 の 説 明 、 教 学 布 教 大 会 へ の 参 〆 加 発 表 に つ いての説明、打 合わせ等を行った 0

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2 回 / 平成元年 日 月 初 日 ( 火 ) j m 日 ( 水 ) / 大 本 山 善 計 玄 ザ 。 研究発表 / 研究部員として 二 年目をむかえ た石割顕 昌 ・ 長尾隆道 ・ 土屋正道 ・ 佐野純雄 ・ 阿 部信之の各部員かそれぞれの 研究テ!? に 沿 っ て発表した 。 @ 講 義 ﹁ 五 重相伝仁ついて ﹂大本山 並 既 存 寺 法 主 ・ 藤堂俊章台下﹁現代教化の問題点﹂布教研 究 部 主 任 ・ 宮林昭彦師 第 二 回集中研究会は布教師会九州支部に も 表 許 加 を 呼 び か け 実 施した 。 開催にあた っ ては布教師会九州支部長 ・ 熊谷靖彦上人に 多大の御配慮と御協力をいただいた 。 ︻ 月 例 研 究 会 } 月例研究会は ρ 教典に 学 ぶ 。 というテ ! ? の も と に 左 記の日程・内容で束京 ・ 京都を会場に 実 施した 。 ⑨明照 会館会場 6 月 四 日 ( 月 ) / 党網経 ( I ) 大正大学整問 ・ 布教研究部 主 任 宮 林昭彦師 7 月 初 日 ( 木 ) / 党網経 ( H ) 宮林昭彦師 叩 月 7 日 ( 土 ) / 往生論 ( I ) 襲 大 学 整問 藤堂恭俊師 藤堂恭俊師 日月日日( 土 ) / 往生論 ( H

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可で可思覇軍喝さ

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-⑨仰教大 学四条 センター 会場 般 市 対 三 味 経 偽 教 大 学 教 授 梶 山 雄 一 師 ( 以 上 ﹃ 布教資料 ﹄第 四 集 ﹁ 教 典 に 学 ぶ ﹂ に 掲 載 ) ︻ 浄 土 宗 布 教 師 大 会 } 平 成 元 ノ ま 尻 浄 土 宗 布 教 師大 会 は 、 平成元年 7 月 4 日 ( 火 ) ・ 5 日 ( 水 ) 、滋賀県大津市 ﹁ ホ テ ル 紅葉﹂他を会場に開催された 。 布教研究部から は板垣部長、岡崎 ・ 西岡・長谷川 ・ 佐藤 ・ 市川 の 各 研 究 員が参 加した 。 ︻ 各 宗 教 化 関 係 研 究 機 関 連 絡 協 議 会 ︼ 各宗の教化関係の研究所が、毎年 一 度、情報 や意見を交換し争フ連絡協議会が平成 2 年 2 月 6 日 ( 火 ) 、 池 上 本 門 寺 朗 峰 会 館 、 て 日 蓮 宗 の 担 当 、 て 実 施された 。 本年のテ ! ?は﹁過疎地寺院問 題を考える﹂であった 。 ︻教化研究布教資料の発行︼ 布教研究所が ﹃ 布教研究所報 ﹄ として奪行し てきたものを ﹃ 教化研究 ﹄ とタイトルを改め第 一 号として発行した。また、月例研究会の部議 録 を 編 集 し 、 ﹃ 教典に学ぶ ﹄ と題して ﹃ 布教資料 ﹄ 第 四 集 と し て 発 行 し た 。 布教研究部の研究会 ここ十数年間-法式研究所は当局の要請によ る ﹃ 浄土宗法要集 ﹄ の改訂出版と浄土 三 部経の宗 定説諦法の 制 定に 取組んできた 。 そのうち ﹃ 法要集 ﹄ は ﹁ 威 儀 部 ﹂ の 刊 行 と 、 その理解を助けるためのビデオテープの制作を 終わった 。 現在﹁音声部﹂は洋楽議併記による 草 訂 版 の 出 版 、 ﹁ 差 定 部 ﹂ ﹁ 偽 文 集 ﹂ ﹁ 表白首読集 ﹂ の編集に当たっている 。 三 部経の読諦については H 経本は消耗品であ る 。 と の 言 の如く、底本となるべき古本は皆無 に 等 し い 。 このため疑点の指摘はできているが、 最終決定の段階、て停滞しているのが現状である 。 しかし眼を周囲に転ずれば、法式として再考 しなければならぬ問題が山積している 。 先徳が苦心して作成された諸種の講式、比丘 の 必 須 科 目 ‘ で あ っ た 半 月 布 薩 や 広 布 薩、放生会 等 、先 の ﹃ 浄土宗聖 血 ( ﹄ に収録されている特殊 法要は、ほとんど中断されたま まである 。実 修 された古老の記憶をた

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り、早急に復元を国ら なければならない 。 多くの芸能の源流となった ふ し 各 地 の節念仏も、伝承された古老の死とともに 絶滅するであろう 。 一 日も早く、収録保存の方 法 を 講 じ な け れ ば な ら な い 。 さらに引在われわれが行っている法要につ い て 、 ・ 恒信徒はどんな感じをもって参列してい る で あ ろ う か 。 俗文も経

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もほとんど理解でき ねてあ予三ただ呪術的なム

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ド に 浸 っ て い る だけではなかろうか 。 それを弛行している僧侶 の威儀作法や音声など、どれも信仰心を開発す るには程遠い感じがする 。 しかもそれが少しの 反省も疑間もなく繰り返されている 。 。 教理と儀 式は宗教の 二 大要素。とか 。 説 法 と法要は伝道 の両輪。と口には 言 う が 、 わ れ わ れ も 宗 門 も 、 法式に関 しては努力が足りないように思う 。 経文や伺文の現代語訳、表白宣疏類の新作も 是非進めなければならない 。 そ れ よ り も 先 に 、 せめて別回向の文だけでも 砂 聞 い て 分 か る 言 葉 。 にしてもらいたい 。 ﹁ お 勤 め の 中で分か っ たのは 故人の戒名だけ、であった﹂との信者の声を、も っ と 真 剣 に 聞かなくてはなるまい 。 右のような考えから、法式研究部は

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広布薩の研究と復元

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日常勤行式の再検

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古典法軍事臨終行儀の研究

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声明と音楽 の四項を取り上げる ことにした 。 しかしどれも大きな課題であり、諸についた ば か り . で あ る 。 諸師の御協力を得て成果を挙げたいと念願して い る 。 法式研究部の研究会

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⑨ 座談会 │ │ 浄土宗総合研究所の役割をめぐって ︻ 出 席 者 ︼ 整 最 寄 附 長

竹中信常

撃納究普長

藤堂恭俊

布 教 研 究 理 長

板垣隆寛

新しい時代には新しい宗教の表現

⑨ 総合研究所の展望 成 田 本日はお忙しいところ 、 あ り が と うご、ざいます 。 これから幻世紀への教化ということで は、わが浄土宗として、きちんとした基 本を打ち立てておかないといけない 。 教 学 ・ 布 教 ・ 法式それぞれの部門、て、その 基本をどう構築をするか 。 こ のへんのと ころか らお話 し願いたいと 岡 山 い ま す 。 竹 中 御宗門からの御要望、われわれサ イドからの希望といったものが実りまし て、従来の教 学 院研究所、布教研究所、 法式研究所を有機的に結びつけたのが総 合研究所ですが、私自身、 一 つのイデ ー をもっております。仏教では、よく身口 意 三 業 と い い ま す 。 身 と は 身 体 で の 行 動面、て、これが法式にあたります 。 口は 大 衆 に た い す る 教 化 ・ 布 教 。 意 は心とい う こ と で 、 こ れ が 教 学 。 この 三 つの側面 が 一 体になって、しかも 実 際 に働かなく てはならない 。 御 宗 門 か ら の 御 要 望 に 具 体的に応えていかなくてはならない 。 そ こに﹁医療と宗教﹂などの研究プロジェ クトがあるという現状であります。 成 田 藤 堂 先 生 、 特 に 教 学 ということで、 いか 、 がお考えですか。 藤 堂 時代はなるほ

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変わって いくわけ で す が 、 人 聞 は さ は

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変わらない 。 た だ 、 現代は人聞が作り出したものによって人 間自身が大いに汚染されておる 。 この汚 染 を

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う 克 服 し 、

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う清浄化していくか 。 ︻ 司 会 ︼ 法 式 研 究 部 長

津田徳翁

成空

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それが私たちの課題ではなかろうか 。 汚 染の根源を私自身とするのが信機ですね 成 田 ヨ ー ロ ッパやソ連で大きな変 化が 起 こ っ て い ま す 。 社 会 経 済 的 な 背 景 はさ ておき、神の存在、仏の存在を否定して きたマルキシズムに対して悠ロえが出たの ではないか 。 しかし、宗教の側も時代に 応 じ て い く 必 要 が ご ざ い ま し ょ う 。 幻世 紀の人間にアピールできる新しい布教の 方 法 、 板 垣 先 生 、 そ れ に つ い て の 御 意 見 を お 願 い し ま す 。 板垣 生きている私たちが救われなけれ ば 宗 教 の 存 在 価 値 は あ り ま せ ん 。 極 言 す れば、生身の私、現在の私が救われなけ ればならない 。 これが根本的理念 。 そし て私らは、お念仏が中心であります 。 お 念 仏 を 申 せ ば 、 祈 ら な く て も 救 わ れ る と いうことを強く前面に出すべきではない カ

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-座 談 会 1 総合研究所の役割をめぐって その場合に、現代にアピール、できる浄 土教、でなければならな い 。 私 ど も の ほ う に最上川という 川 が あ る 。 そ の 流 れ は 不 変 で あ り ま す が 、 し か し 、 水 は た え ず 去 っ て い る 。 サンズイ(偏)に﹁ 去る ﹂ と 書 いて﹁法﹂と読むんですね 。 本 質 や 真 理 は変わらなくても、表現は時代と共に変 え て い か な く て は な ら な い 。 そ の 点 で 今 後、教学や法式の方々から、いろんなこと を 教 え て い た だ き つ つ 、 私 た ち に も 第 一 線 の 活 躍 の 場 を 与 え て も ら え れ ば 、 た い へんありがたいと感じてい・手品す 。 成田 津 田 先 生 、教えを現代にアピール す る に は 表 現 を 変 え て い く 必 要 が あ る と いうお話でしたが、その点、いかがでし ト i f フ 。 津田 法 式 で の 将 来 へ の 展 望 を 考 え る な ら ば 、 表 現 方 法 を 変 え る と いうよりは、 む し ろ 工 夫 を し て ゆ く 必 要 性 が あ る だ ろ う。たとえば教える立場の教師について 言 えば、従来の口伝のみによる指導では 不 足 で は な い か 。 わ か り に く さ を 解 消 す る意味、て写真やビデオを用うるのも 一 つ の方法であろう し 、 教 化 さ れ る 側 の 檀 信 徒 へ の 対 応 と し て は 今 一 層わかりやすい 勤 行 式 の 解 説 書 や 手 引 を 対 機 的 な 指 導 と あ わ せ て 用 う る こ と で 、 現 代 に 相 応 し て ゆけると考えている。もちろん、これら は法式の基本的なあり方を根本的に変え てしまうという意味、ではありません 。

⑨医療と宗教のあいだで 成田 今 、 一 言 ず つ 御 発 言 を い た だ き ま して、総合研究所 の理念とか目 的 に つ い ては 一 応 、 語 ら れ た か と 思 い ま す 。 そこ で、当面の課題であります﹁医療と宗教﹂ と い う テ ! ? に 話 題 を 移 し た い と 思 い ま す 。 実は昨日の こと 、 で す が 、 ガ ン で 四 十 歳 、て亡くなった人のお兄さ ん と 話 を し ま し た 。 お兄さんはお医者さんなんですが、 本人にガンを告知しなくて良かったとお っしゃる。も し本人に 告知 し た ら 、 ﹁ お ふ くろには 言 わ な い で く れ ﹂ と 言 う に き ま っ て い る 。 そ れ に ま あ 、 最 期 ま で 治 る と いう希 望 を も っ て い た か ら 、 私 の 感 じ と しては、や っぱり本人に知らせなくて良 かったという。 ガ ン を 告 知 す る 場 合 、 日 本 で は 家 族 に 告 げ て も 本 人 に は 知 らせな い のが 、 ﹂ れ ま で の 常 識 で す よ ね 。 しかし、アメリカは 逆 。 本 人 に は 告 知 し て も 、 家 族 に は 教 え ない 。 これは、ど っちかなんですね。本 人 に 告 知 す れ ば 身 内 の 者 に 教 え な い で く れと 言 うにきまってますから。 わ れ わ れ 宗 教 者 と し て は 、 こ う い う 問 題にどこまで踏み込んでいけるものか。 医療と宗教と いう のは、そう いう問題で しょうね 。 竹 中 医 療 と 宗 教 と い え ば 臓 器 移 殖 の 問 題もある。私は臓器移植も結構だ仁思う 。 しかし、あれは人聞に対する 生 物 学 的 な

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処置、であっていささかも心の中に入ってき て い な い 。 ガン告知の問題、ては、われわれの大先 輩の岸本英夫先生が五年間に四十何回も 手術を受けて、最初から自分がガンだと 認識 して、それか らのほうが 価値ある仕 事をなさった。そう い う ケ l スもある 。 ですから、この問題は、場合に応じると い う よ う な 、 ﹄ と で す ね 。 板垣 家族と当人のどちらにも教えない という方法もある、でしょうね 。言 わなく ても態度で感ずる場合も往々にしてある か ・ 3 。 竹中 そのあたりは臨機応変ということ 、 で し ょ う ね え 。 いわゆる 生物学的生 命 、 これはもう 、お医者さん、でなければどう にもならない 。 しかし、もう 一 つ の 命 、 人聞として の 本 人の生命 意識は、われわ れが力強くケアしていかなくてはならな ぃ 。 死期をきと っ た人、であればそのよう に、また、生きる望みをもって療養に努 めている人には、やはり望みを 。 臨機応 変に、宗教者として心の中へ分け入って いかなくてはならない 。 基本的な生命の 尊厳というもの、どう死ぬべきか、どう 生きるべきかという問題になると 、 お 医 者きんでなく、われわれでないと対処で きない 、 でしょう 。 藤堂 ガン告知の問題、て岸本先生のお話 がありましたけれど、それだけの平常心 ができているかできていないか 。 こ こ の 問題ですよね 。 こ の あ いだも、ある女性 が、お念仏のおかげで動揺なく手術を受 けることができたと 言 っ ておられました 。 こ の 人 の 場 合 は 、 平生、お念 仏をしてお られたと いう関係もある 、 で しょう 。 臨終については 三 種の愛心があると、 よく 言 われます 。 病 気 による身体的な痛 み、家族や遺産のこととか、自分の生命 に対する執着、死後どこへ住くかという 精神的な苦悩が入れ代わり立ち代わり心 をさいなむ。それに対して、いわゆる阿 弥陀如来の来迎がある 。 阿弥陀様の姿を 見、感じることによ っ て、散り乱れてい る心がそ こ に集中されるから 、苦悩は 消 え る 。 これは心の問題、ですから、どう し ても心を養うということが大切になりま す ね 。 竹中 だから、心を語れるお医者きんで ないとね 。 われわれも病 気 についてもう すこし研究をし、同時にお医者さんに説 教すべきだと思うね 。 板 垣 お医者さんは肉体だけ見て、心と いうものを見ていないような気がする 。 現在の医療は死ねまでやっている 。 と こ ろが、もう止めてくれという場合がたく さんある 。 それでいいのかどうか 。 私のところの檀 家 て 、 ﹁ う ち の オ ヤ ジ が そろそろだめにな っ た 。 そして今和尚さ んが来てくれるからとお医者さんを断 っ たから、和尚さん、来てくれ﹂と 言 っ て きた人がいます 。 私は仏壇にお参りして、 こ う 言 っ たんです 。 ﹁ 一 緒にお念仏しましょう 。 そ う す る と 、 阿弥陀様は必ず極楽に連れていってくれ るから、なんにも心配する必要はない 。 た だ、おまかせするんだという 気 持 ち で 、 ゆ っ くりと十遍お念仏をとなえまし ょ う ﹂ と もう弱って、目も聞かないし 声 も出な

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⑨ 座 説 副 会 │ │ 総合研拘需の役割をめぐって ぃ 。 口真似だけで十遍お念仏をとなえま した 。最 後に日課数珠をあげて、﹁これを すると阿弥陀様は必ずあんたを丈夫にし てくださるから、あんた、丈夫になりな さ い ﹂ 。 こう 言っ て帰 ってきました。 それから 一 か月た っ ても 二 か月たって も、死んだという通知が来ない 。 お彼 岸 でその家に 言っ たら、﹁ゃあ、和尚さん、 ごくろうさんでした﹂なんて、そのオヤ ジが外から帰 っ てきました 。 なんと、畑 に行ってきたと 言 うんですよ 。 と こ ろ が 、 一 年ほどたって、息子が﹁オ ヤ ジが いよいよだめになりました ﹂ と 言 っ てきた 。 聞くと、数珠がボロッと切れ たらしい。それでだめになったと 言 う 。 当 人 も 、 今度は極楽詣りができるから、 和尚さんからいただいた数珠を自分と 一 緒に茶昆に付してくれと遺 言 していると い う 。 その数珠を渡してから 一 年ちょっ と、その聞は丈夫でいたんです 。 成田 その 一 年聞が、すばらしい 。 板垣 宗教の尊さ という のは、そういう ところにあるんではないか

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思 う 。 その 一 年間、当人は非常に充実した期聞を過 ごしましたから。 成田 お っ しゃる通りですね 。 これをい かに大衆教化の中に組み入れていくか 。 これが研究所の 一 番基本的な問題になり ますね 。 板垣 百万遍知恩寺に﹃阿弥陀経 ﹄ を彫 っ た大きな石碑がありますね 。 こ の石碑 の ﹃ 阿弥陀経 ﹄ の中に今私達が唱えている 阿弥陀経のほかに 二 十 二 子多く ﹁ 諸々の厄 難を除かれて、諸々の福徳を得る﹂とい う意味のことが書いてあります。これを 私は前面に出している 。 念仏申すことに よ っ て願わなくても厄難を除かれ、福徳 を得る 。 だから、し っ かりやりなさい、と 。 成田 津田先生、法式という こ と で は 、 今のようなことを、いかがお考えですか 。 津田 ヨ ー ロ ッパの学者で 、ガンの細胞 は酸素中では存在、できないが炭酸ガス中 では長期間生きられ、 一 日に少なくとも 三 十回ぐらい深呼吸すれば増殖を抑える ことが可能だと 言 っ てたのがいたけれど も、これを応用して、檀 信 徒に対して朝 夕仏壇の前で十五回、 二 十回ゆ っ くりお 念仏を称えれば健康維持、増進になると 勧めるとか、法式家には、稽古の時、喉 を聞いて本当の呼肢で発声するようにと 指導しているわけです 。 成田 お釈迦さんは﹁生老病死﹂という ことをお っ しゃ っ ています。これは病と 死は別のことだということですね 。 病の 結果が死ではない 。 過去の聖人の足跡を たどると、立派な死というものがある 。 それは病の結果 、 ではない 。 板垣 極楽往生を法然上人はお説きにな っ ているが、生の延長が死、でなければな らない 。 だから悔のない人生、生きている 聞の念仏が大切 。 死後のことを考えるな ら、生きている聞にし っ かり念仏をする ことが、法然上人の 真 意 ではなか っ たか 。 藤 堂 そういうふうに素直に念仏をとな える人が 、現世をいかに思い 煩わずに生き るかという所にまでも っ ていくには、どう するか、それが、今後の課題の 一 つ で す ね 。

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変化する社会の中で

板垣 今、日本には十数万もの宗教があ るそうですが、なんてそんなにあるのか と考えると、われわれがこれまで強力に 教化を進めてきたのかどうかと反省させ られます。私の試案の 一 ってすが、今、 田舎のはうからどんどんと都会に人が来 る 。 そういう人に私は両親の住牌をもた せて、待土宗の寺がここにあるから、そ こにお 参 り しなさいと 言っ ているんです 。 そうすれば、いろんな宗教に迷わず、そ こに行けるのではないか 。 これを 全 浄土 宗寺院がやれば、大きな教線拡大になる で し ょ う 。 竹 中 今は人口流 動化が激しいから、東 京でも檀家が拡散して、遠くまで法事に 出かけ 、 ざ る を え な い 。 お っ しゃ っ たよう に全国的なネットワークがあって、どこ の地域でも浄土宗のお寺に行けるという のが 一 番いい 。 今、ブ ロ ッ ク 制 を と っ て いるけ

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、それはお 寺のブ ロ ッ ク 制であ って、檀家のブ ロ ッ クにはなっていない んですね 。 成田 おととい千葉、でお手つまの大会が ありましでね、千数百人の檀信徒が集ま っていました。藤堂先生 、われわれ東の 人聞はお子つぎとい っ てもピンとこない ところがあるんですが、これは巨大なカ ですね 。 竹 中 先 生がおっしゃる信者組識 といえば、今のところ、これしかない 。 竹 中 そうですね 。 成 田 お寺に人を集めようと思っても、 なかなか集まるものではない。﹁お手つぎ﹂ というかどうかはともかく、なんらかの 組織は必要ですよ 。 組織があって、それ が口良品的に活動しているから人が来るん で す 。 私 の 感 じ て 言 えば、西のほうはか なり強力な組織をもっていますね 。 藤 堂 それと、関西では五重相伝をよく や り ま す 。 板垣 あれは大切です 。 東北でも、よく やります 。 成田 非常に意義のあることだけれども 関東、特に東京ではたいへん少ないです ね 。 非常に古くから行われてきて、よく 知られているものだけれど、それを研究 所あたりが取り上げてもいいんじゃない で す か 。 竹 中 現代的なものとしてね 。 成田 五 重 に は 教 学 ・ 布 教 ・ 法式のすべ ての面がありますしね 。 板垣 以前、私のところでも五重相伝を やりまして、組内の 二 千 人 を 超 す 人 が 集 まりました。収容しきれないので、 一 日 三 回に分けて、檀家を連れてきた人を唱 導 師 に し て や っ た 。 これは非常によか たと思う 。 そのお寺の和尚さんが唱導師 を勤めると、檀家の人も 喜 んでくれます から 。 一 か 寺だけではなかなかできな い 面もあるし、そういうのも 一 つの方法だ と思います 。 成回 目世紀への教化とい っ て も 、

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⑨座談会 総合研雪所の役割をめぐって たく新しいものを作り出すのではなく、 伝 統 的 な も の を レ か に 生 か し て い く か と いう視点が 重要ですね。 板 垣 そ う で す 。 成 田 た と え ば 百 人 一 首 、 全 部 か な で 書 いてありますね 。 あ れ は 平 が な を 日 本 人 に 党 え さ せ る 手 段 だ っ た ん で す ね 。 あ れ を 作 っ た の は 宇 都 宮 頼 綱 、 ご 承 知 の よ う に法然上人のお弟子で、 実 信 一 肪蓮 生 とい った 。 これは大きな大衆教化 の方法だっ た と 思 い ま す 。 この百人 一 首 を小 学 生 の 孫 が 一 生 懸 命 勉 強 し て い る ん で す よ 。 友 達 と や っ た け ど 、 う ま く 取 れ な か ったと 言っ て ﹃ マンガ百人 一 首 ﹄ というのを買 ってきてね。そ こに 宇 都 宮 頼綱もい っ ぱ い出てくる 。 これは立派な絵解きですよ 。 考 え て み れ ば 、 わ れ わ れ の 先 輩 は 、 そ う いう大衆教化をすごくや っ てきたんです ね 。 板垣 ﹃ 般 若 心 経 ﹄ を 絵 で 表 し た も の も あ り ま す 。 {子が読めない人に絵で教えてい る 。 は じ め は 意 味 が わ か ら な く て も 、 触 れ て い る あ い だ に わ か っ て く る 。 そ こ で 、 これか ら の わ れ わ れ の 仕 事 と し て は 、 ど んな方法があるだろうか 。 紙 芝 居 の よ う なものも、これから研究していきたい 。 幼 児 だ け で な く 、 年 寄 り も 非 常 に 存 ぶ 。 浄 土 宗 で も 研 究 し て 進 め て も ら い た い こ との 一 つですね 。 竹 中 節 談 説 教 の よ う な 方 法 も あ っ た わ けで、祝党・聴党、あらゆるものに訴え て教化した歴史がある 。 特 に 若 い 方 に 訴 えるとなると、法要にしてもム

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ド を 盛 り 上 げ る 仕 組 み が 必 要 で す 。 それには法 式の而でも研究しなければならない 。 津田 今 年 の 秋 、 増 上 寺 を 会 場 と し て 縁 山 声 明 と オ ー ケ ス ト ラ の 共 演 で 公 演 会 の 予 定 が あ り 、 研 究 所 所 員 各 位 の 協 力 を 願 う次第です。 藤 堂 それはたのしみですね 。 大 阪 教 区 、 てはすでに、ひかりを加えてや っ てます 。 そのように間口を広げることは好い 。 板垣 そ れ が 時 代 即 応 と い う こ と で す よ 。 藤堂 間口はいくら広げても結構ですが、 お念仏が聴衆の心に入ってもらわねばいけ な い の で 、 焦 点 は し ぼ っ て お か な く て は ね 。 竹 中 そ の し ぼ り 方 は 教 学 がやらないと いけない 。 その上。て、いかに間口を広げ るかということは布教と法式がやる 。 成田 わかりました 。 短 い時間 の座談会 で し た が 、 非 常 に 方 向 性 が は っ き り 出 て きたと思 います 。 本 日 は ど う も あ り が と う ご ざ い ま し た 。

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戸斤報第1号の表紙を ソラマメの写真で飾ってみました。 数十億年の生命の歴史をはらみ、 さらなる生命へと受け継いで、いく 円環の接点に実をむすんだ種子の 県平やかなク

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ーン・・…。 それは、教えを受付継ぐことの確かさと 新鮮さを私たちに告げているかのようて、す。 (撮影/尾之内勇武) -・・都営地下鉄三回線 r御成門』駅 日比谷通り -東京プリンスホテル ・圃・ R15・第一京浜 慈雲閣

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JRr澗 J駅

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参照

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