産業循環の変容と過剰資本
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産業循環の変容と過剰資本
−「大不況」と関連して−
有田辰男
I 序
Ⅱ 産業循環の変容と諸資本の対応の変化
Ⅲ 産業循環変容に関する諸要因 1−世界市場構造の変化
2 イギリスにおける信用恐慌の不発 3 株式会社の普及
4 固定資本増大による投資のずれ
Ⅳ 主導産業の変化と固定資本の大型化
Ⅴ 費用現象の変化と過剰資本の転態
I 序
一般に,独占資本主義段階に対遺してそれ以前を産業資本主義段階とし,
これを原子的競争の段階として特徴づけるのが常である。産業資本主義段階 の典型的な競争形態を原子的競争とすること自体に問題があるわけでない が,それはいわば一種の静態的なモデルとしてのことであって,そのモデル 分析からは,原子的競争の結果としてその自己否定たる独占が発生する必然 性が生じてこない。つまり,論理と歴史の照応による発展の理論が欠落する
ことになるのである。
そのため,独占理論は独占の成立をすでに前提としたもうひとつのモデル を設定し,その上で,産業資本主義段階に成立した市場価値・平均利潤・資 本移動等の資本の一般法則がどのように歪曲され,修正され,または否定さ れるかという議論のすすめ方に終始することになる。そこには独占形成の理 論がない。独占理論がもうひとつ説得性に欠けるのはそのためではないだろ
7 8
経 営 と 経 済 うか。独占の本質はその形成過程の中にもっとも本来的な姿でかくされてい るはずだからである。その独占形成の理論の中心となるべき課題は,諸資本間の原子的競争か ら,格差の発生とその固定化という量的変化を経て,それを独占成立という 質的変化に至らしめるものは何かということであろう
O
そして歴史的には,それは産業資本主義段階から独占資本主義段階への過渡期をなす「大不況」
期における産業循環変容の原因は何かということになるであろう。
この独占形成に関する歴史分析は,近年,イギリス・ドイツ・アメリカ各 国についての実証的研究として活設に進められ,各凶における独占形成の一 般性と特殊性および各国の関述などがかなり切らかにされ,少なからぬ成果 がみられた。本稿では,日本におけるこれらの実証的歴史分析の成果に依拠
( 1 )
しながら,それをふまえた上で,各国の独占形成における理論的整合性を求 めつつ,独占形成過程としての「大不況
J ; 0 1
における産業循環変容の原因を 過剰資本との関連で考察したい口なお,産業循環と過剰資本の理論的関辿については,すでに拙杭「過剰資 本の転態と産業循環
J
(~経営と経済~No.125)
で論じであり,本稿はいわばその続論としての;意味をもつものであるO
(注)
( 1 )
各論者がそれぞれの主張の論拠とした文献を示している場合は,以下,そ の 原 典 を 注 の 内 に 示 す 。
E
産 業 循 環 の 変 容 と 諸 資 本 の 対 応 の 変 化産業循環の変容はすでに
1 8 6 6
年恐慌後からその兆候があらわれていた。物 価の下落,生産の縮小,失業の増大,利子率の低落等の諸現象をともなった( 1 )
不況過程が異常に長期化し,
1 8 6 9
年末でさえ,不景気をか乙つ声が全般的に( 2 )
きかれたといわれる。乙れについてエンゲルスは『資本論』への注で
I
最 近の一般的大恐慌以来,一つの転換が生じた。従来の十年どとの循環をとも なう週期的過程という急性的形態は,相対的に長くてはっきりしない不況を ともなう,相対的に短く弱々しい事業立直りの,ーそう慢性的な,ーそう長5 1
いた,種々の工業国で時を具にして生ずる,交替に変ったように見えるo
産業循環の変容と過剰資本
7 9
…・吾々は,未曽有の激しさをもっ新たな世界的破局の準備期にあるのだろ
( 3 )
うか』と述べている。彼の予想したように,産業循環は
1 8 7 3
年恐慌以後本格 的な変容をとげることになったのであるi
大不況」がそれであるD1873
年恐慌にはじまる「大不況」は,その後1882年と1 8 9 0
年の恐慌をふく みながら,1896
年まで続いた。i
この不況は80
年代の初めのほとんど目立た ないほどの中断と,1889
年ごろの異常に激しい,しかし短命なブームをとも( 4 )
なっただけで,
22
年にわたるヨーロッパの経済史をみたしJ
たのである。そ してこの大不況を通じて,次第に独占が形成されていき,2 0
世紀初頭におけ る独占資本主義の成立をみるにいたるのであるO だからこの「大不況」は産 業循環の変容期であると同時に,産業資本主義段階から独占資本主義段階へ( 5 )
の移行過程でもあり,1 8 7 3
年恐慌はその起点であった。1873
年から1896
年までを「大不況」という継続的な不況の時期としてとら (耐えることに議論がないわけではないが,この「大不況」がひとつのまとまっ た時期として考えられることを示すもっとも特徴的なことは,価格の継続的 な下落であるO そしてこの価格下落は各国でそれぞれの波動を拙きながら も,イギリス, ドイツ,アメリカに共通してみられた傾向であり,世界性を もつものであった。 価格水準を1
8 7 3
年の総合卸売価格を1 0 0とした指数でと
るとi
大不況」末の18 9 6
年には,イギリスでは55
,アメリカでは5 1
, ドイ ツで59へと,それぞれ低落を示し,1897
年以後になってやっと価格は上昇傾 向をたどりはじめ,1 9 0 0
年にいたってようやくイギリス6 8
,アメリカ6 2
, ド イツ7 3
の水準まで回復を示したのである(第1
表)。と乙ろが,これに対して生産の動きは全く対照的であった。生産水準はイ ギリスでは
1 8 9 6
年に1 8 7 3
年の1.4
倍を示し,アメリカ, ドイツにいたっては2.6
倍,2.4
倍となり,i
大不況」後にはさらに急激に生産が拡大されて,1 9 0 4
年にはイギリス1.5
倍,アメリカ4
倍, ドイツ3.5
倍になっている。乙こ にみられるように,イギリスの発展のテンポがスローダウンしているのにく らべて,アメリカ, ドイツの拡大は急激であり,発展の不均等性が示されて いるが,生産が一貫して拡大傾向を示していることは共通している口「大不況
J
~切におけるこの二つの q"S:jl立,すなわち,一方における価格の継80
第l表価格と生産の推移(1
8 7 3
年一10 0 )
の 合 売 格
イ
l l 1 1
総卸ギス価1 │ │ │ 1 1 │
アメ ドイイギリア工メ業リ!ドイツ のリ(
錦2
格総カ)総臨ツ合の ス鉱工カ 工3.U~年 業 総 合 総 合 合
Iff~;1 叫凶悶 6
1 8 7 0 8 6 1 0 1 7 7 8 8 7 8 7 8 7 1 9 0 9 8 83 9 4 8 3 9 3
729 8 1 0 2 93 97 1 0 0 1 0 2 7 3 1 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 0 1 0 0 7 4 9 2 95 95 1 0 2 1 0 0 9 6 7 5 8 6 8 9 87 1 0 0 9 4 9 6 7 6 8 6 83 85 1 0 2 9 4 1 0 4 7 7 8 5 8 0 8 6 1 0 4 1 0 5 9 9 7 8 7 9 6 8 7 8 99 1 1 1 1 0 9 7 9 7 5 6 8 7 0 9 4 1 2 2 1 1 4 8 0 7 9 7 5 7 9 1 1 0 1 5 0 1 0 9 8 1 1 7 7 7 7 7 6 1 1 1 1 5 0 1 1 9 82 7 6 8 1 7 2 1 1 9 1 7 2 1 2 6 8 3 1 7 4 7 6 1 7 1 1 2 2 1 7 2 1 3 5 8 4 1 6 8 7 0 1 6 5 1 1 8 1 7 2 1 3 9 8 5 1 6 5 6 4 62 1 1 4 1 6 6 1 4 3 8 6 1 6 2 6 2 5 8 1 1 2 1 9 4 1 4 5 8 7 1 6 1 6 4 5 9 1 1 7 2 0 6 1 5 5 8 8 1 6 3 6 5 1 6 4 1 2 6 2 0 6 1 6 0 8 9 1 6 5 6 1 1 7 0 1 3 4 2 3 3 1 7 1 9 0 1 6 5 6 2 1 7 5 1 3 2 2 4 4 1 7 9 9 1 1 6 5 6 2 1 8 0 1 3 4 2 6 8 1 8 4 9 2 1 6 1 5 7 1 7 0 1 2 8 2 7 2 1 7 8 9 3 1 6 1 5 8 1 6 5 1 2 5 2 3 8 1 8 8 9 4 1 5 7 5 3 1 6 1 1 3 3 2 3 3 2 0 0 9 5 1 5 6 5 3 1 5 9 1 3 7 2 8 3 2 1 2 9 6 1 5 5 5 1 1 5 9 1 4 4 2 6 1 2 3 5 9 7 1 5 6 5 1 1 6 5 1 4 5 2 9 4 2 4 8 9 8 1 5 8 5 3 1 6 9 1 5 0 3 1 6 2 6 8 9 9 1 6 1 5 8 1 6 9 1 5 7 3 3 3 2 8 3 1 9 0 0 6 8 1 6 2 7 3 1 5 7 3 3 9 2 8 8 0 1 1 6 3 6 1 1 6 9 1 5 4 3 7 4 2 8 8 0 2 1 6 2 6 5 1 6 8 1 5 7 4 1 1 3 0 6 0 3 1 6 2 6 5 1 6 7 1 5 7 4 2 0 3 2 4 0 4 1 63 6 5 1 7 0 1 5 6 4 1 1 3 4 5
(注)伊藤誠「大不況」鈴木鴻一郎編
『帝国主義研究~
1 2 3 ' ‑ " ' " 4
頁より( ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) はヴァ J レガ 8
世界経済 恐慌史〉永住道雄訳第1
巻第2
部 第9‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 2 8
表。( 4 }
はW. G.
Hof f mann
,B r i t i s h I n d u s t r y
,1700‑1950. 1 9 5 5 . Table 5 4
0経 営 と 経 済
( 5 ) ( 6 )
はメンデリソン『恐慌の理 論と庇史』飯田貫一他訳,405‑6
頁。同3. 390‑1
頁,1 9 0 1
,‑....,4
年についてはヴァルガ 前掲苦:第27
,2 8
表から補足)。続 的 な 低 落 と , 他 方 に お け る 生 産 の継続的拡大は,景気変動,とく に 不 況 に 対 す る 諸 資 本 の 対 応 が 大 きく変化したことを示しているの であるO 本 来 な ら ば , 恐 慌 切 り ぬ け後の不況期には,まだ大量の商 品が現存するが売れず,諸商品の 価格は最低限に達し,円泊‑な再生 産過程への信頼が破壊されたまま で あ る か ら , 生 産 は 制 限 さ れ , 与 えられた固定資本の基礎上で流動 資 本 の 標 準 的 投 下 の 縮 小 が 生 じ な
( 7 )
ければならないはずであるO とこ ろが「大不況」期においては,生 産 は 縮 小 せ ず に 逆 に 継 続 的 拡 大 を みたのである。これは不況期における諸資本
ω
対 応 が
r
価格下落→生産縮小」というパターンから
r
価 格 下 落→ 生 産 拡 大 」 と い う パ タ ー ン に 変 化した乙とを示している。いま,
資 本 主 義 が も っ と も 早 く か ら 発 達 をみたイギリスに例をとると(第
1図) , 1873
年 ま で の 価 格 の 推 移産業循環の変容と過剰資本
8 1
第1
図 イギリスにおける価格と生産の推移a Rousseaux価格指数 b 1 Hoffmann
(鉱〉工業生産指数(建設を含む)
1913=100
b
2
鉱工業生産価額指数1 0 0
5 0
" 1 5 0 1 0 0
1 8 3 0 1 8 4 0 1 8 5 0 1 8 6 0 1 8 7 0 1 8 8 0 1 8 9 0 1 9 0 0 1 9 1 0
(注) 藤田暁男「イギリスにおける『大不況』と諸資本の対応(1)J lF経営と経済』
N o . 1 2 3 . 1 7 3
頁より(a … B . R . M it c he l l
,P h y l l i s Deane
,Abstract of B r i t i s h H i s t o r i c a l S t a t i s t i c s
,(Cambridge
,1 9 6 2 )
,pp .471~473.
b 1 . . . W. G, Hoffmann
,B r i t i s h Industry
,1700~1950 , Translated by W. O. Henderson
,W. H. Chaloner
,(New york
,1 9 5 5 ) . Table 5 4 . Part B . 2 . b 2..
・出所はa
、bd
乙同じ。但し、Rousseaux
価格指数の 主要工業生産物系列とHoffmann
工生業産指数(建設をのぞく)系列とにより算出)。
はかなりの起伏を示しながらも,ほぼ一定水準をめぐって変動をくり返して いる。乙れは価格が経済諸活動の指標としての役割を正確に果し
r
価 格 下 落〉生産縮小」という諸資本の対応にもとづいた波動であると考えてよいで あろう。だが
1873
年以降の価格水準はこれと異なり,継続的な低落傾向を示してい るo
これは諸資本が「価格下落ー与生産縮小」という対応を示さなくなったこ とを意味しており,価格の継続的な低下による不況の長期化は,不況への諸 資本の対応が「価格下落→生産縮小」から「価格下落→生産拡大」へ変化し たことに基因すると考えるのが自然であろうO だからr
大不況」の原因は そうした対応の変化が何故生じたかということに答えうるものでなければな らないはずであるo
乙の「大不況」が独占資本主義への移行過程であるとす るならば,その移行を解くカギをその対応の変化の中に見出す乙とができる かもしれないO82
経 営 と 経 済( 1 ) 宇高基輔『恐慌史~ 5 3
頁。( 2 )
メンデリソン『恐慌の理論と歴史』飯田貫一他訳,3
,9
頁。( 3 ) K. Marx
,Das C a p i t a l
,D i e t z
,m . S . 5 3 4 .
長谷部文雄訳青木書居版693
頁。( 4 )
レーニン『帝問主義』宇高基柿訳,岩波文庫版,3 5
頁(フォーゲノレシュタインの言葉の引用)。
( 5 )
宇高基輔,前掲害,55
頁。(6) 藤田腕男「イギリスにおける『大不況~
( 1 8 7 3
年" ' ‑ ' 1 8 9 6
年〕と諸資本の対応( 1 )
Jw 経営と経済~ N o . 1 2 3 . 1 7 1 " ' ‑ ' 7
頁。( 7 ) K. Marx. a . a . 0.
,n
,S.256
,m
,S.527. 5 2 9
前掲訳n
,333
頁,m
,6 8 4 . 687
頁。E 産業循環変容に関する諸要因
1 8 7 3
年恐慌後の長期化した不況過程にみられる産業循環の変容は何故おこ ったのだろうか。これに関してはさまざまな要因が考えられてきたが,大体 のところ1
世界市場構造の変化2
イ ギ リ ス に お け る 信 用 恐 慌 の 不 発 3 株式会社の普及 4 固定資本の増大による投資のずれ,の四つに(1) 分けてみることができょうG
この四つのうち,
r
大不況」の原因を世界市場構造の変化に求める場合 と,イギリスにおける信用恐慌の不発に求める場合とはr
大不況」期の世 界資本主義におけるイギリス資本主義の地位に関して対立する見方に立って おり,前者がイギリス資本主義の停滞とアメリカ, ドイツのJ
台頭に着目する のに対し,後者は世界資本主義におけるイギリスの地位の不変を前提として いる。また,これと同じようにr
大不況」の原因を株式会社の普及に求め る場合と固定資本の増大に求める場合も,資本蓄積様式の変化について対立 する立場にあり,前者は株式会社による資本蓄積様式の変化こそが「大不 況」の原因であるとするのに対して,後者は固定資本の増大による蓄積期間 の長期化による設備投資の不況期へのずれ込みを「大不況」の原因とするも のであるから,蓄積様式の不変を前提としているのであるO 以下,これらの ひとつひとについてみていきたい口産業循環の変容と過剰資本
83
l 世界市場構造の変化まず第一は,イギリス資本主義の「早期出発
J ( e a r l y s t a r t )
の不利によ る企業家活動の停滞と技術革新の停滞,後発資本主義国の有利によるドイ ツ,アメリカの拾頭,これら両者の結果としてのイギリスの輸出の減少に(2)
「大不況」の原因を求める場合である。
イギリスの生産は,前節の第 l図でみたように
r
大 不 況 」 期 に お い て も,価格の継続的な低下にもかかわらずたえず上昇しているが,その発展の テンポはアメリカおよびドイツとは比較にならぬほどおそく,乙こには明ら かに発展の不均等がみられるO
また,イギリス,アメリカ, ドイツ三国の輸 出額を比較してみると(第 2表),三国輸出額合計に占めるイギリスの割合は 1871""""73年の年平均53.5労から 1898""""1900年の 35.4%~乙縮小しており,これ に対し,アメリカが21.8 %
から36.4%
へ, ドイツが24.7%から28.2%
へとそ第2表 年平均輸出価額の比較 (百万ポンド, ( )内は必) 期 間 │ イギリス
!
アメリヵ!
ドイ:;I
合 計1 8 7 1 ー 7 3 I 2 4 4 . 9 ( 5 3 . 5 )
1880‑ 82 I 2 3 6 . 5 ( 4 2 . 5 ) 1889‑ 9 1 I 2 5 3 . 2 ( 4 2 . 7 ) 1898‑1900 I 2 6 3 . O ( 3 5 . 4 )
9 9 . 7 ( 2
1.8 ) 1 6 7 . 0 ( 3 0 . 0 ) 1 7 9 . 0 ( 3
1.9 ) 2 7 0 . 0 ( 3 6 . 4 )
︑ ︼ ノ ︑ } ノ ︑ 1
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4 2 o g
‑ ‑ R d
円G n u
‑ ム
1
ょ1
ム 門
︐L
(注) 伊藤誠「大不況」鈴木鴻一郎編『帝国主義研究~
1 1 9
頁 (メンデリソン『恐慌の理論と歴史』飯田貫一他訳, 1,
3
の附表lとより,1
ポンド=4.86
ドJ レ =20.4
マルクとして計算した。ただし各困とも再輸出を除く。 キは72‑3年)。
第
3
表 世界貿易における主要闘の地位1)
百万ポンド) 年 次│全世界! イギリスl
ド イ ツ1
アメリカ% I % I
労1861/70 I , 1 7 5 3 I 4 8 3 ( 2 7 . 6 ) I 1 6 3 ( 9 . 3 ) I 8 5 ( 4 . 9 )
7 0 I 2
,1 9 1 I 5 4 7 ( 2 5 . 0 ) I 2 1 2 ( 9 . 7 ) I 1 6 5
(13 . 5 ) 8 0 I 3
,0 3 3 I 6 9 8 ( 2 3 . 0 ) I 2 ヨ 4 (9 . 7 ) I 3 0 8
(10 . 1 ) I 8 9 I 3
,3 7 7 I 7 4 0 ( 2 2 . 0 ) I 3 6 7
(10.9)320( 9 . 5 ) I
(注) 戸原四郎『ドイツ金融資本の成立過程~1 5 7
頁。1 )
再輸出を合む総貿易の輪山入合計額。84 経 営 と 経 済 れぞれ増大しているO そして,
1 8 7 1 , . . . . . , 7 3
年には,アメリカとドイツの輸出額 の合計よりイギリス1
国の輸出額の方が大きかったが,1 8 8 0 " " " ' 8 2
年にはアメリカとドイツの輸出額の合計がイギリスを法駕するにいたっているO また,
世界貿易額に占めるシェアについてみると(第
3
表), ドイツ,アメリカのシ ェアは増大しているが,イギリスは1 8 6 1 , . . . . . , 7 0
年の27.6%
から8 9
年の22%
に縮 小しており,アメリカ, ドイツにおける国内生産の発展をうかがわせているo
こうした諸点からみると
r
大不況」期において,世界市場の椛造変化が 生じたことはたしかである。だがこれを「大不況」の原因とするには問題が あるO 第ーには,この世界市場椛造の変化にもとづくイギリスの輸出の縮小 によって,イギリスにおける不況の長期化は説明することができても,世界 的な規模における「大不況」を説明するには無理がある。もしそれをあえて しようとするなら,一方では,世界資本主義におけるイギリスの地位の変化 を「大不況」の原因としながら,他方ではr
大不況」の世界性を説明する ために,イギリスの世界資本主義における地位の不変に頼らなければならな いという論理矛盾におちいることになりかねない。第こには,かりにこの矛盾がある種の説明(たとえば,商品市場における イギリスの地位の後退と資本市坊における不変というような)によって解き 得たとしても,世界市場の構造変化は「大不況」期の継続的に価格低下の論 拠にはなりうるが,その価格低下という条件の下で生産の継続的な上昇が生 じたことを説明しえないであろうO つまり,諸資本の不、況への対応が「価格 低下→生産制限」というパターンから「価格低下→生産拡大」というパター
ンへ何故変化したかを説明することはできないであろう口 2 イギリスにおける信用恐慌の不発
「大不況」の原因をイギリスにおける信用恐慌
ω
不発に求めようとする坊 合は,世界資本主義の中心としてのイギリスの地位の不変を前提とする議論 となり,その点,世界市坊の椛造変化に「大不況J
の原因を求める見方とは 対立するものである。これは,ウィーン,ニューヨーク,ベノレリンなどの株 式恐慌の前後に,イギリスに保有されていた外凶証券が金融の逼迫や先行き 不安から諸国に売りもどされ,イギリスの海外投資が国内に旋回し,このた産業循環の変容と過支
J I
資本8 5
め,イギリス生産力の過度の拡大が生じ,あるいは,金融通迫を相殺してイ ギリス信用恐慌の発生が阻止されたことにより,過剰な固定資本が温存さ( 3 )
れ,不況の長期化をまねいたとするものであるDだが,実際にどの程度の海外投資のUターンがあったろうか。たしかに海 外投資のための新資本の発行高は73年度恐慌をきっかけに77年まで減少の一 途をたどるが,海外投資資産残高は73年以降も一貫して増大傾向を保ってい
る(第
4
表)0こうした事実関係を別にしても,この見方にはなお問題がある
o
1r~ーに,資 入 一
0 0 0 0 3 7 8 0 7 8 2 4 8 5 2 1 0 5 5
一
凡
XW
凶 一
i J
H 4
3 一
2 5 8 2 5 5 2 4 3 3 6 7 9 3 5 9 3 7 2
‑ 外子 日一
4 4 4 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 6 6 6 7 7 8
‑
﹂ 母
1 4‑ 一 釦 一 比 一
ι ι j 5 2 3 β β 3 ι 1 1 ι; ι ι 1 ι 5 3 2 1 ι 7
一
日 一 芝 居 持 一
9 2 5 1 8 2 3 1 2 3 5 8 1 8 3 9 5 3 2 4 7 6 3 5
↑
A A M N
一 判 t f t h H H 町 一
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﹁主 わい 一 4 5 5 6 6 6 7 8 9 G O O I
‑
‑ 1 2 3 3 4 4 5 6
一
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ハ山 川 川 川 い パ 円 い 一
の 一 一 目 一 ρ 6 5 3
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2 5 ρ 1 7 2 1 9 0 5 3 9
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ス 一 一
リ 一 一 丁 一 閣 一 回 幻 お 幻 口 特 打 部 百 万 川
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i l l
‑
‑ l i l i
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一
一一
2
一2 3 8 9 4 2 3 7 0 0 7 0 8 5 0 9 2 7 2
一
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(注)入江節次郎「重工 業資本主義と資本輸 出j河野健二,飯沼 二郎編『↑苛界資本主
義の歴史椛造~ 1 4 5
頁( ( l ) C . K. Hobson , The Export of C a p i t a l
,1 9 1 4
,p . 2 2 3 .
陽井克巳訳『資 本輸出論~ (19 6 8
年)1 6 0
頁。( 2 )C. K.
Hobson
,i b i d .
(3) M.Simon
,The Pattern o f New B r i t i s h P o r t ‑f 0‑
1
i o Foreign I n ‑ vestment , 1 8 6 5
‑ 1 9 1 4
,i n the Export o f C a p i ‑ t a l from B r i t a i n 1 8 7 0 ‑ 1 9 1 4
,A.
R. Hall e d .
,1 9 6 8
,p . 3 8 . ( 4 ) A. H.
lmlah
,Economic
Elements i n the
8 6
経 営 と 経 済Pax B r i t a n n i c a : Studies i n B r i t i s h Foreign Trade i n t h e Nine‑
t e e n t h Century
,1 9 5 8
,PP.72‑75. ( 5 ) A. K. Cairncross
,Home and Foreign Investment 1870‑1913: Studies i n C a p i t a l Accumulation
,1 9 5 3
,P.180.) 。
イギリスの海外投資が本国に還流してイギリス国内の貸付可能資本が増大し でも,それがただちにイギリス生産力の過度の拡大に結び、つくであろうか。
恐慌後の不況期においては,生産縮小による生産資本の過剰が貨幣形態にあ る貸付可能資本の過剰と同時に存在する典型的な場合である
o
したがって,貸付可能資本の増大が生産拡大に結びつくためには,何か別の要因が介在し なければならないであろう
o
第二に,信用恐慌の不発が,生産を拡大した乙とによってでなく,過剰固 定資本を残存させたことによって不況を長期化させたとするならば
i
大不 況j過程における価格の継続的低下傾向については一応説明する乙とができょう
D
だがi
大不況」の過程では,生産が単に縮小しなかっただけでな く,むしろ,技術草新を内包する生産の一貫した拡大があったのであるO
価 格が継続的に低落したということだけでなく,不況への諸諸本の対応が「価 格下落→生産制限」でなくi
価格下落→生産拡大」に73
年恐慌以後変化し たことを,信用恐慌の不発による過剰同定資本の残存という理由だけで説明 するととは困難であろう。3
株式会社の普及株式会社の普及が不況の長期化の理由として考えられるのは,株式会社の 不況に対しでもつ抵抗力という点からである。乙の抵抗力は,第ーに,株式 配当の利子化により,株式会社は価格を費用価格プラス利子の水準まで引下 げうるから,純益なしに営業しえないという強制は株式会社にとっては一般 に存在せず,また,損失を出した場合でも株主にそれを転稼することができ るから,株式会社は損失を出しながらなお営業することができるからであ る
o
これはすでにフィノレファーデイングによって指摘されているところであ( 4 )
る。産業循環の変容と過剰資本
8 7
第二は,株式会社の普及は利子率の高低による生産の規制度合を消根化す るから,銀行信用に依存せず株式発行により経営規模の巨大化が可能とな り,それが不況の対する抵抗力を強め,過剰な同定資木の温存による不況の( 5 )
長期化の原因となるとするものであるD だが経営規模の大きさと不況への抵 抗力とを短絡することはできない口不況に対する抵抗力は直接には円滑な資 本循環の保持,すなわち,資本の転態という流動性にかかわる問題なのであ って,逆l乙,経営規模の巨大化が資本の流動性を損って不況への抵抗力を失 う場合すらありうる。しかし,経営規模の巨大化が生産費の低下に寄与する 限りでは,その競争力によって損失を他の個別資本に転稼することができる から,その点では,抵抗力をもってすることができょう
o
だが乙の場合,株 式会社の資本の温存は非株式企業の資本の喪失によって置きかえられること になるであろうから,必ずしも社会的な過剰資木の渦存につながるとは限ら ないDこのように,株式会社の不況への抵抗力については,その論拠lこ若干の問 題を合んでいるが,相対的な抵抗力の強さそのものについてはほぼ認めてよ いように思われる
o
だが,それだからといって,株式会社の普及を「大不 況」の原因であるとする乙とはできないO株式会社の普及は,イギリスにおいては,法制的には
1 8 4 4
年の株式会社登 記規制法を端緒として,1 8 5 5
年同法附則として準則主義による有限責任の 承認,1 8 5 6
年の株式会社法の制定を経て,1 8 6 2
年に株式会社の憲法といわれ る会社法の成立をみるにいたるのであるo 1 8 4 4
年法は,それまで議会の個別 法か国王の勅許によらなければ合法的に認められなかった株式会社を準則主 義によって認めるようにしたものであるが,株式会社の設立の「規制」( r e g u l a t i o n )
を目的としたもので,有限責任までは承認されていなかっ た。この有限責任制を承認したのが5 5
年の附H
iJであり,5 6
年法は旧法のもつ 規制的な性格から全く脱したもので,自由放任主義的な性格のものとなっ (6) た。1 8 6 2
年法はこれを骨子としたものであり,株式会社法の完成であった。この
1 8 6 2
年の株式会社法により,イギリスにおいて株式会社の普及が開始 されたわけであるが,その普及過程は漸進的であった(第5
表)01 8 7 0
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↑ 国
(注)森恒夫「大不況以後のイ ギリス資本主義」遠藤嗣i 占,前掲者,
1 8 9
頁( R . H.
I.Palgrave
,Bank Rate and t h e Maney Market
,1 9 0 3 . pp. 3 6 9 . 8 5 2 ) 。
経 営 と 経 済 初頭の好況期には株式会社設立数は若・しく
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加するが,73
年 恐i
比による投資家の産業 証券に対する不信により,一方では慢性的 な過剰資金が存在するにもかかわらず,他 方では株式発行が困難となり,株式会社の 設立数は73
年以後減少傾向をたどり,これ が再び増加傾向に転ずるのは8 0
年代からで ある口だが,企業形態全般からみると,80
年代半ばには,なお組合企業形態が普通の 企業形態とみられており,株式会社の本格 的普及は大不況の終走後であるとされてい( 7 )
る。
ドイツでは,株式会社の設立はイギリス におけるよりも早く,
1830
年代中頃から鉄 道業を中心として普及しはじめ,産業資本 成立期である1850
年中頃の好況期に第一次 会社設立期を,1 8 7 0
年代初期の好況期には( 8 )
第
2
次会社設立期をむかえた。第6
表にみ られるように,1871""73
年間の会社設立数 は「大不況」中のいずれの時期の設立数よりも高く,さらに資本額では,「大不況」期の
20
年間における会社設立資本額よりも,7 1 . ‑ . . ‑ 7 3
年の3
年間の 設立資本額の方が高くなっている口こうした点からみると, ドイツではイギ リスの場合と臭って,大不況以前に株式会社が充分に普及したかにみえるo
だが,ベノレリン市場における産業株の割合をみると(第
7
表) ,1880
年に おいても,産業株のシェアは5 . 6 9 6
にすぎず,本格的な展開は1890
年以降で あるO
株式会社普及の意義が資本市場の形成にあるものとするならば,株式 会社の本格的な普及は, ドイツの場合でも,イギリスと同じように80
年代以 降であったとみるべきであろうOアメリカでは,株式会社は1
8 5 0
年代までは州議会の制定する特別法にもと産業循環の変容と過剰資本
89
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(注)戸原四郎『ドイツ金融資本の成立過程.11
1 6 3
頁。1 )各 3
ヶ年の合計。2 )
額面価額でなく,発行相場価額。第
7
表 ペノレリン資本市場上場株数(1870‑19
つ0 )
f
内国 国債州債{外国 鉄 道 株 { 内 国 1外国 鉄 道 債 { 相 銀 行 株 f株式 売 業 {1社 債 保 険 株 þ,~,* f株式 市街鉄道i
社 債生 産 業 { 株 式 1社 債
(注〉塚本位「ドイツ金融資木と資本市場