北村透谷と有島武郎 : クエーカーにおける生命主 義の考察
著者 尾西 康充
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 14
ページ 75‑83
発行年 2003‑06‑22
URL http://hdl.handle.net/10076/6604
北村透谷と有島武郎1ク干カーにおける生命主義の考察‑‑
尾西康充
序
もう一〇年以上も前のことになるが、国際日本文化研究セン
ターの鈴木貞美氏が中心となって「大正生命主義」を考える研
究プロジェクトが行われた。日本文学の研究者だけではなく、比較文学や哲学、d盃警て科学異文化人類学を専攻する人た
ちも参加するといトつ学際的な取り組みであった。その成果は「文芸」「現代詩手世「早稲田文学」などの文芸誌の特集で紹介さ
れたり、「国文学解釈と鑑賞」別冊や『大正生命主義と逗『「生
命」で読む日本近代』などの単行本が刊行されたりしたことに
よって、広く一般読者の知見を拓いた。
鈴木氏は、「大正生命主義」の哲学的定義として、つぎのよ
うに述べている。
大正期は、「自我」
「自己」
の語が氾濫し、個人の解
放の思想が盛んであったが、その「日己」とは、概括すれ
ば、近代市民社会の原理の一面である「利害追求
の自由」・が、進化論の影響から「生霊撃の原理として
把握され、それを超える個のあり方が模索されるときに浮上したものといえよ一笑逆に一首えば、競争する個を超える、普遍的概念としての「生命」が浮上していたのである(1)。人種や民族、国家の優勝劣敗を正当化する社会学上の進化論は、近代国家として成立して間もない日本社会を方向付けるイデオロギーとして機能した。国内においては、生産・軍事などの総力戦に従事する愈優れた国岳の育嘩国外においては、(兼帯、のままおかれた土地を支明岱するという口実によって領奪した土地を自らの植民地として管理した。啓蒙の主体として帝国は人々の前に姿を現し、知の普及を通じてその版図を拡大する。だが、帝国が要求する理性の規格にそぐわないものは容赦なく排除・監禁する。身頃精神に障害のある者や結嘩ハンセン病の息考また当時すでに最先端の科学として注目されていた遺伝学の研究を通じて交替な種族)と認定され
たグループは、近代理性の名において〝合理的″に選別されて
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強制収容された。このような方向に進んだ日本社会に対して、
批判の声をあげたのが初期社会主義や前期自然主義であった。
鈴木氏によれば、それらの批判勢力は「従来、『人道主義』の名の下に一括されてきたが、実証主義と神秘主義、▲個人主義と民
主主義などの様ざまな思想が、『墨という概念のうちに渾融
する傾向を特徴として見せている」(2)とい‑毛「生命」をキーワードとして用いた作家に、明治二〇年代の
後半に活動した北村透谷がいる。透谷の代表作「内部生命論」
(「文学界第五号、一八九三年五旦のなかで、彼は「再造せられ
たる生命の眼を以て観る時に、造化万物何れか極致なきものあ
らんや」と叫ぶ。神の啓示によって更新された「生命の眼」を
もって観れば、命あるものすべてに尊厳が備わっていることが
分かる、という透谷の主張には、先に見た近代理性のあり方と
激しく対立するような思想が抱懐されている。鈴木氏はそれを
「キリスト教スピリチュアリズム」に由来するものとして説明
しており、また『大正生命主義と蓮の共同執聾者・紅野謙
介氏も同書所収の論文「透谷の『生命』、藤村の『生命旨のな
かで、透谷の「生命」を「言葉どおりのスピリチュアリズムの
言説」に含まれるものと考えている。紅野氏は、「クエーカーや
クリスチャン教会といったプロテスタントのなかでも小会派の
キリスト看であり、またエマーソンの汎神論的な超絶主義の共
鳴者」でもあった透谷がそのような思想を抱くことは「特に不
思議はない」(3)とい一笑 右の紅野氏の指摘は、クエーカーの存在に触れてはいるものの、それによって透谷がどのような影響を受けていたのか、具体的な内容については言及されていない。また同書には、クエーカーを扱った論文は見当たらない。英国フレンド派A苔貝で、英国聖書会社の代理人として来日していたジョージ・ブレスウ
エイト雷ぎ旨竜乱邑に接することによって、透谷は社会
運動としての平和主義運動を学んだ。透谷は当時、数多く来日していた外国人キリスト者のなかでも、とりわけブレスウエイ
トには敬意を抱いていたようで、一八八九(明治二二)年一〇月
の水戸伝道に際して、プレスウエイトの通訳を務めている。翌
二月、日本普連土教血書貝の加藤万治が中心になって設立した
「日本平和Aさには、透谷も参加しており、同会の機関誌の編
集を担当するなど、透谷は「平和の種を蒔いた人」(勝本清一郎
氏)としてその役割が記憶されている。
透谷のみならず新渡戸稲造や前田多門など、近代日本の精神
史をひもとけば、非暴力の反戦平和を唱えたクエーカーの影響
を受けた人が意外に多い。後に取り上げる有島武郎も、そのな
かの一人として数えられる。一九二六年一二月、国際連盟事務
次長の任を終えて帰国する前にジュネーブ大学で開かれた講演
会で、新渡戸が「只クエーカー主義に於いてのみ、東洋思想と基督教思想を調和せしむる事が出来た」と語った青畳爪は、クエーカーがどのように受容されたかを端的に表している(「一日本
人のクエーカ壷)。
英国本土では、聖霊との沈黙の交わりを至高のものとするクエーカーは、聖書や秘嘩さらには英国教会をも否定したために異端信仰とみなされまた信者たちが法廷における冨警拒否
や税金滞納、徴兵拒否なども行ったことによって罰金だけでな
く入牢や外国退放の処分を受けた。この後、ウイリアム・ペン
夢謬臼已が新大陸の土地を購入して信者を移住させるま
で厳しい迫害が続いた。迫害から逃れて、非暴力・無抵抗の宗
教都市を建設しようとした「ペンの森林」の地が、すなわちペ
ンシルバニアであり、そこは若き有島が滞在して自己形成を行
った場所であった。彼はハヴアフォード大学雷彗W臣已訂乳
で学業を修めた後、フレンド精神病院で「冒来最底辺』の下層
プロレタリア」の看護士と協働することを通して、それまで安定していた自己存在の「『保護膜』の破れ月に接した(4)(栗
田虞美氏)。
信仰の保護を目的に一般社会から隔離されたアジール喜、
有島はその閉域に飛び込むことで紆果的に、自己を保護すると
いうよりも、自己を不安定に陥れる経験をしたのである。近代
国家が国民の均質化を進めようとすればするほど、それに馴敦
せざるものが差異化されて有徴化される。あたかもそれらが所
与の性質であったかのような憶断をもたらしながら階級や人種、
ジェンダーが人々の前に立ち現れるT
その一端を有島は垣
‑
間見たのである。
そこで、透谷の評論を瞥見しながら、まず彼の「生命」を検 討し、つぎにそれが有島に引き継がれながらも新たな展開を見せた点を明らかにしてみよ・笑
一八九一(明治二四年二月一五日、当時、普連土女学校の英
語教師で、プレスウエイトの通訳及び翻訳を引き受けていた透
谷は、三田聖坂の普連土教会で新渡戸稲準夫妻と面会する。ク
エーカーに対する関心を深め、自分と同郷の偉人・二宮尊徳を
紹介した一文では、「翁は希代の理財家にして而して独特の大信
仰を有し天来の心内生によりて終生を犠牲的に職草し了りた
る人傑」と表現している(「二宮尊徳夢)。「心内生」の言葉に「イ
ンナアライフ」というルビを付している点が注目されるのだが、
勝本清一郎氏がすでに指摘しているように「尊徳の姿は実は仮
託であって、その実体は英国フレンド派の創立者軒○儲句冒
の像だったのである」(5)。
このとき透谷がクエーカーにいかに心酔していたか、それが
よく表れているのは、日本平和会の機関誌「平和」第二号冗
二年五旦に発表した「最後の勝利者は誰ぞ」である。冒頭、透
谷は「人生は戦争の歴史なり」とい,笑刀や槍などの武器を取
77
って争うことだけが戦争ではなく人生そのものが戦争なのだ
と考える。競争によって淘汰が進む資本主義社会に対して「冷
淡なる社界論者は言ふ、勝敗は即ち社界分業の結果なり」
‑
資本家の専制支配のもとで工場労働者の分業が編成され、植民
地産業も宗主国の利潤に応じて経済的に管理されていた。だが
透谷は「われは信ぜず天地の経論はひとり社界経済の手にあ
るを」といナス栄達の内にも苦悩があり、敗滅の内にも希望が
ある。それを考えれば、目に見える貧富貴賎をもって勝敗を判
断するのはおかしい。透谷はそのように述べたうえで、「社会経
済の外に吾人を経輸する者あり」とい一笑「世は如何に不調子な
りとも、世は如何に不公平、不平等なりとも、世は如何に戦争
の裟婆なりとも、別に一貫せるコンシステント(雲な暑
が存在するのである。透谷にとつて「調実なる者」、すなわち「基
督」である。
基督の経輪には社界分業の法則あらざるなり。社界経済
は人間の労苦より起りて、珊縫の策に過ぎず「彼と比とを
或仮説の法則の下に、定限ある時間の間撞突なからしむるのみ。経済上の問題として世を経営するは寸時の方策の発
基督の経輪は永遠な㌔未来あらず、現在あらず、過去あ
らざるな誓凡ての未来、凡ての琶凡ての過去は彼に
於て一時の聖もし天地間、調実なるものひとり彼ありとせば、心を虚うして彼の経絵策を講ずる考豊智なら
ずや。この世界の問題を最終的に解決するのは「基督」しかいない、
と透谷が説いている。透谷の信仰の特徴として、洗礼や信仰個
条などの規則礼典が形骸化していることや日本の教会に対す
る外国人宣教師の関わり方が不適切であることなどを非難し、
「我は凡ての教会の黙了せん時に大活気の炎上すべきを隻ヱ
とまで教会批判を行っている。それと同時に、人間の心奥の宇
宙を重視して、本当の信仰とは「心の奥の秘官開かれて聖霊の
猛火其中に突進したる瞬時」に得られるものとする(客人心宮内の秘官」)。洗礼や聖餐を府わず二内なる歩が心の闇を照ら
し出すまで静かに礼拝を続けるというクエーカーの聖霊主義に、
透谷の信仰は強い影響を受けているのである。クエーカーのキ
リスト者とは「聖書の智識を有するとか、教会の権威に服する
とかいふことによつてなれるものではなく、内的光明の啓示に
よつてイエスの御姿を認め、彼の品性や行為が其の啓示によつ
て変化されたものであるべき」(6)(山室武甫氏)とされる。
内村鑑三の聖書研究会の助手を務め、キリスト教学の著作も多
い金澤常雄氏によれば、いずれも英国が発祥の地であるピュー
リタンとクエーカーとを比較して、膜罪意識が強いパウロ的信
仰と、聖霊が重視されるヨハネ的信仰というように特徴付ける。
清教徒の信仰がパウロの十字架信仰に立脚するに対し
て、クエーカーはヨハネ伝に現はれたるヨハネの信仰1‑‑
聖霊の内住に立脚する。キリストの膜罪の事実よりも、寧
ろ個人の新生の経験に重きを置く。要するに内なる光の経
験が眼目である。神の御前に人類が平等であり同胞である
との信念から、其の実践や奉仕に著しきものがあつた。短
所としては膜罪信仰の稀薄。罪人の自覚が薄いし、救の確
かさを主観的なる実験を以て測るは危険である。
(「クエーカー信仰の瞥見」)
自由民権運動から脱落した体験を持ちながら、なぜか透谷の
文学作品には罪意識が薄いといーユ指摘があるが(7)、右に示し
たようなクエーカーの特徴を考えるとそれが首肯できよ‑笑ま
た金澤氏は、「聖霊の内住」を感じることによって自己の救済を
確かめるクエーカーの方法を「主観的なる実験」として危険視 している。このことは、フレンド精神病院に勤めていた有島がキリスト教を批判するようになった第一の理由、「私は宇宙の本体なる人格的の神と直接の交感をした事の絶無なのを知った」
(『リビングストン伝』第四版の序言に通じるものであろ一笑ジョ
ージ・フォックスの日記には、「神は霊なれば、拝する者も霊と
真とをもて拝すべきなり」という『ヨハネによる福音書』第四
章第二四節の言葉が見出せるのだが、霊的生活の絶対化が有島
の忌避を招いたと考えられる。
人間の心奥の宇宙を重視した透谷が、「文章は事業なるが故に
崇むべし」と説いた山路愛山を批判して、人生相渉論争を始め
たことはよく知られている。透谷は愛山に対して「唯だ彼に惜
むべきは余りにメソヂストに流れて、個人的生命を存外軽視するの傾あることなり」(ギ日の基督教文ぎ)と述べ宅『ヨハネに
よる福音書』第一章第四節には「之(=言)に生命あり、こ
の生命は人の光なりき」とある。クエーカー信徒にとって「『救
い』の手段と頼る『内なる光』は、同時にまた『内なる生命』
なのである」(9)が、透谷にとつても、「内なる光」は神が臨
在する「生命」なのであり、さらに聖霊の啓示に従ってそれを
言語化するのが文学、人生相渉論争の表現を使えば「空の空な
る文学」の役割である。
ー79‑
二
透谷が愛山との論争で使った「空の空」という表現は、旧約
聖書「伝道の書」に典拠がある(10)。「伝道者青く空の空
空
の空なる哉都て空なり」(「伝道の声第一章第二節Tl‑透谷の
場笥
この号量ハが使われた背景には、松方デフレ財政の下で階
層分化が著しく進行する社会のなかで、零落して貧窮にあえいでいた民衆を直視せざるを得ない状況があった。三多摩の地を
邁進し民権左派の活動に加わりながら絶望の底に到達した透谷が、超越論的な「生面の信仰を基点として社会経済への反措
定である文学の領野を広げたのである。ところで、この「伝道の書」の含量(は有島武郎の「かんかん
虫」でも用いられている。船の胴体の錆落としをする港湾労働
者・ヤコフ、イリイッチが娘のカチャを同僚のイフヒムに嫁が
せようか、セミオン会社の会計係グレゴリー」ペトニコフに嫁
がせようか、迷って眠れなくなった晩に「空の空なるかな凡て
空なり」という諺を思い出すと、「神符でも利いた様に胸が透い」
て眠りに落ちたというエピソードを語る部分である。よく知ら
れているように、「かんかん虫」には三つの形、すなわち米国最
後の年である一九〇六(明治三六)年一月三日にワシントンで書
き上げられたぷ昏、それをもとにしながらタイトルも含めて
改稿され翌年六月に麹町の自宅で浄写された「かんかん虫」、さらに大幅な改作がなされて一〇年一〇月「白樺」第一巻第七畳 に発表された「かんかん虫」、一という三つの形がある。このうち最初の「合産は現存していないため、今日内容を確認できるのは右の第二稿と第三稿である。そのうち「伝道の書」の音量(が登場するのは第三稿だけであ亀有島はなぜそれを加えたのであろうか。
「かんかん虫」には第二、三稿ともにキリスト教に対する不
信感が表現されている。工場長の要請に従ってスタニスラフの
尼寺から二人の尼僧が派遣されてくるが、彼女たちの説教に対
して労働者たちの反応は冷ややかである。イリイッチは神こそ
獣であるという穿った見方をし、信仰心のかけらも感じさせな
い。『リビングストン伝』第四版の序言のなかで有島はつぎのよ
うに述べている。
現在のやうな貧富の懸隔、従って幸福の偏頗が近代の経
済組織に胚胎されてゐるのが多いのを思へば、それを維持
すべく立てられた道徳は経済組織の変革と共に一旦根本
的に覆されなければならないのは当然の事であるのだ。唯
物哲学は、その要求が産み出した一つの大きな産物と云はなければならない。仮令その成立の動機に科学の誤られた
る解釈が混入してゐるにせよ、又反抗的な気分が張ってゐ
るにせよ、その後ろには切迫した人類の意志が働いてゐる
のを見逃す辛が出来なかつた。基督教の教へる倫理の中に
は、この徹底的な所がないと私は思ふやうになつた。プロ
テスタントの基督教はこの人類の意志を十分に岨囁して
ゐないと思ふやうになつた。
右の文章は、有島がキリスト教から離れて行く心理を語るも
のとして必ず引用される部分である。有島によれば、現在のよ
うな「貧富の懸隔」「幸福の偏頗」が生まれた原因が近代の経済
組織にあるとすれば、「人類の意志」に従ってそれを変革するためには、現体制の維持を目的として形成された道徳も覆されな
ければならない。財産は神の所有だと教えるキリスト教は、利
害の相反した労働者と資本家との階級が僚存する以上、いかに
財産の処分に精神的な要求を強いても、それを実行することが
できないとい,スそのように有島が確信していたとすれば、「伝
道の書」.の青畳爪も所詮は「諺を、護符のように唱えることによ
ってしか胸の鬱屈を晴らし得ない、下層労働者たちの出口のな
い状況を、象徴的に描いて」(11)(上杉省和氏)いたとしか取
れない。刑務所改良や精神痛院保護」奴隷解喝女性の参政権獲得運
動など、クエーカーほど信仰と実践を一致させよ・フと奮闘した
宗派は珍しい。にもかかわらず、右のように有島がキリスト教
を断罪するのには、よほど深い訳があったとしか考えられない。
ペンシルバニアのフレンド精神病院で看護士をしていたときの日記には、、ぎ弓巨‑亀n霞」笥勺亀を読んだときの感想を書い
ている(〇八年八月二九日)。「余ハ嘗テ日本ニアリシ時英訳文ヲ 読ミタルコトアリシガ多クノ感興ヲ牽カザリキ、然ルニ其原書ヲ読ムニ至リテハ宛ヲ全然異レル書ヲ読ムニ等シカリキ」とい一笑
ここで言及されている訳文とは、一八九四年三月に警醒社
から出版された岡田松生訳『ジョルジ・フォックス伝』(全五三
四頁)と思われる。有島はそれに感動して「幾度力巻ヲ掩ヒ、
努紫トシテ疑惑ノ谷間二苦悶セシ彼ガ面目ヲ想像シ、同情卜感
激トニ満タサレシゾヤ」と述べながら、「サレドモ余ハ云ハン、
彼ハ彼ニシテ余ハ彼タリ得ズ。彼ハ自己ノ罪悪二関シテハ極メ
テ容易ナル解脱ヲ得タレバナリ。彼ノ日記ヲ見ルニ、一度ダニ
彼ハ彼ノ罪二就イテ苦痛ヲ感セシコトナシ」とい・ス右のよう
な有島の感想には「情緒的な否定的な自己認識」(川ごがもとに
あると宮野光男氏が指摘している。またピューリタンに比べて、
クエーカーに膜罪信仰が弱いことは、すでに見た通りである。
透谷が影響を受けたクエーカーはブレスウエイトによる英国系のもので、戦争に対する労働者階薇の階級的利害を暴犀するな
どキリスト教社会主義の傾向が強かった。その点では有島の米
国系とは違いがあり、有島に不満を抱かせる一因になっていた
といえよう(ちなみに透谷は米国系のジョセフ・コーサンド
官給pF(訂呂巴には反感を抱いている)。
罪意識への強い関心が有島をクエーカーから離れさせた。実
は、それは第二稿から第三稿への改作に関係する。改作の具体
的な部分について、よく指摘されるのは、第二稿では、「里」を
会計係の蓮田に奪われた腹いせに「富」が彼女をヒ首で殺して
‑81‑
しまうのに対して、第三稿では、イフヒムが会計係に復讐する
という点である。なぜ改作が行われたのかは、労働者と資本家
の階級的な対立を作品のテーマとして明確化するためであり、
幸徳秋水の直接行動論の影響があることや(ほ)(奥田浩司氏)、「(虫)と(人畢との対立構造の中に《テロリズムの道》の行
方とその結末が胚胎」されていたという指摘が近年なされてい
る(14)(菅井かをる氏)。
だがここで注目したいのは、作品のなかで女性に対する暴力
をふるった人物が誰か、という点である。第二稿では、右に見たように恋人を奪われた「声であり、彼女を殺害している。
それに対して第三稿ではート「カザンで靡包焼の弟子になつて、
主人と喧嘩をして、其神君にひどい復讐をして、とうノ〜此所まで落ち延び」てきた「私」である二私」に識字能力があるこ
とで、労働者階級よりもむしろ知識階級に近い、さらに推し進
めて作者有島の投影を見るとい・義み方もこれまでにあった。
だが、実際「私」は性暴力を語ることでイリイッチに仲間とし
て信用されたのであり、イフヒムのテロ計画を聞かされたので
ある。ここには階級闘争の下においてなお抑圧され続けたジェンダーの問題が潜んでいる。
結
「私」を前にして自分の身の上を話し出したものの、イリイ
ッサは淋しそうに押し黙る。再び「内部からのある力の圧迫に
でも促された様に」語り始める。「内部」にある「生命」、それ
は社会経済に対して超越的な視点から異議を申し立てる基点と
なり得るものであり、体制を変革する暴力の泉源となり待るも
のでもある。それは「人間存在の新たな意義を模索する有島の
出発時における開かれた可能性」と呼べるものであろう(ほ)
(山田俊治氏)。「かんかん虫」第三稿のクライマックスに向か
う場面で、「お前も連帯であげられ無えとも限ら無えが、覇ら 無えi』で通すんだぞ、生じっか…⊥とイリイッチは「私」
に忠告する。歯を食いしばるかのように押し殺されながら発せ
られた「まきぞえ」という声は、作者によって「連帯」と所記
される。暴力か制裁か、暴動か抵抗か、叛乱か革命か、正しい
判断を下すには、人間に統制を強要する近代理性と、それを斥けようとして止まない「生食との(時に共犯関係にもなる)
あり方を問うことが必要になるだろ一笑
註
引用に際してテキストは墓室第二九巻、筑
摩董屠、『有島武郎会澄〓筑摩董屠、日本聖書協会による文語訳聖書を
用いていサ句
(1)『大正生命主義と霞(一九九五隻二旦河出葦寒四頁)
(2)同右筆五頁∪
(3)同右書、一〇〇葛
(4)『亡命・有島武郎のアメリカ』〓九九八年三月、右文書院、一七九
頁)
(5)詔灯代文学ノート』2(一九七九年〓月、みすず喜領一六九吾
(6)『平和の使徒ジョトジ・フォックス』(一九五〇年二月、愛文社、
一三五頁)
(7)
「信望愛L第七〇号(三四年二月、葦一四真)
(9)ハワード・H・プリントン『クエーカーの宗黎驚芝〓鞍馬菊枝訳、
一九八五年八月、キリスト友会日本年会、言一頁)
(8)横林溌二「もう一つの透谷‑その可能性と限界⊥(二〇〇二年六月
一日に神奈川近代文学館で開催された第二一回北村透谷研究会全国
大A『口頭発表資料)
(10)拙書華代ナショナリズムの潮流の中でよ(一九九
七年三月、明治書琶。この言葉茅考える資料として、内村鑑三『空
の空なる哉伝道之書解釈並びに解説』(一九二七年一一月、向山堂
書屠がある。
(u)「『かんく畠論」(「国語国文研芦第六六号、北海渾大学国文学
A『一九八一年七月、四六真〉
(12)
「有島武郎研究‑フレンド精神病院における看護夫生活の意義の考
察」
(「梅光垂ご創考一九六四年六且
(13)
有島武郎『かんく虫』について⊥要衝秋水(直接行動論〉との
琴
(「日本文学」第四一巻九号、一九九二年九月)
(14)君島武郎『かんく虫』‑《テロリズムの導の行ぎ(ぷ嚢し
第一八号、一九九九年三月、日本女子大学大学院のA苔
(15)
「『かんかん虫』の形成過葉論」
(「日本近代文学」第二四号一九
七七年一〇月、一四三吉
〔おにし・やすみつ本学教員】