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ハノイの路地のエスノエツセイ

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フィールドワークから人間関係を捉える

伊藤 哲司

路地の風景

「バイ・ミー・ノン・ナーオ!アイ・バイ・ミー・ディー!(暖かいパンだよ一!,誰かパンを買

いなよ一!)」

まだ夜が明け切らぬ頃から,独特の調子を伴った物売りの声が響く。6つの声調があるベトナム 語の音楽的な響きが心地よい。焼きたてのフランスパンの入ったかごを頭に載せた女性達の声だ。

中年の女性もいれば,まだあどけなさが残る少女もいる。彼女らはみな,背筋をピンと伸ばし,片 手を頭上のカゴに添え,ビニール製の草履をちょっと引きずるようにして路地を歩く。

2階建てから5階建ての家々が隙間なく立ち並ぶ。どれも細長い縦長の家だ。白塗りの壁が多 いが,中身はすべて赤煉瓦。大きな地震があったらひとたまりもないと思うのだが,ハノイには 地震がないといわれる。建築基準は日本よりずっと緩やかなのだろう。1ブロック20軒ぐらいの家 がひしめくようにそびえ,その間をやや荒い舗装がなされた路地が走る。

朝の運動のために小走りに路地をゆく年輩の人がいる。ちょっと立ち止まって軽い体操をする 人もいる。市場から早々と買い物をして帰ってきた女性は,急ぎ足で路地を通りすぎていく。家 の前で七輪に火を入れ,煮炊きの準備をし始める人の姿。東の空にようやく日が昇る頃である。ハ ノイの朝はとても早い。

朝食を家で作る習慣のあまりないハノイの人々は,路地に面した簡素な店で,フォー(ベトナム うどん)やソイ(蒸した餅米)などを朝食に食べることが多い。人気のあるフォー屋では,席が すっかり埋まっていて,回転も速い。プラスチック製の小さなテーブルに小さな椅子。路地に面 した店先で,おばさんが忙しくフォー・ガー(鶏肉入りうどん)やフォー・ボー(牛肉入りうど ん)を作り,おじさんや娘さん達が,忙しくそれを各々のテーブルに運んでいる。ハノイの学校 は二部制が基本で,午前の部は午前7時から始まるから,早くから学生達や子どもたちの姿も見 かける。清楚な白シャツの制服が感じよく,子どもたちが首に付けている赤リボンも爽やかだ。大 人の姿ももちろん多い。食べ終わると急いで日本製のバイクに乗り,職場に向かう人もいる。

夜明けとともに,物売りの人達の数もだんだんと増えてくる。かなり遠方からやってきたのだ ろう,もぎたてのバナナやパパイヤを自転車で運んできて売っている少女がいる。古ぼけた自転 車の後輪脇に大きなカゴが2っっいていて,それに果物が山のように積まれている。日本の絹ご

し豆腐よりもさらにきめの細かい独特の豆腐を売り歩く若者もいる。斜に構え天秤棒を担いだ独 特のスタイル。頭には緑色の地味な硬い帽子をかぶり,その豆腐の名前を長く引きのばして

「フオーオ!」と,よく通る声を上げながら路地を歩く。自転車の前カゴにその日の新聞を入れて売

『人文学科論集』32,pp.1−23.       @1999茨城大学人文学部(人文学部紀要)

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り歩く人もいる。たいてい自転車の後部にバッテリーが積んであって,宣伝文句を大きな音でス ビーカーから流している。ちょっとうるさいのだが,これもまた路地の風景の一部である。

路地に面したカフェでコーヒーを飲む人たちの間を,靴磨きの少年達が巡っている。カフェと いっても,普通の家の間口をちょっと開放し,家の前の路地のスペースを少し拝借して,小さな テーブルと椅子を並べただけ。でも,そこで注文するエスプレッソ風のベトナムコーヒーがまた 美味しい。出勤前の人々が一息つく場所だ。靴磨きの少年達は,なかなか客が取れずあきらめ顔 だが,たまに仕事ができると,一一心不乱に靴を磨いている。

暑い昼間は,路地を行き交う人の姿もまばらになる。日陰になった場所で,プラスチック製の 椅子や水くみなどを自転車に山と積んだ少女達が涼を取っている。シクロ(3輪自転車タクシー)

のドライバーも,日陰でシクロの座席に座り,ゴロンと昼寝をしている。小さな商店は開いては いるのだが,店番のおばさんは店の床にゴザを広げて一休み。とくに日差しの強い日は,無理し て出歩く人は少ない。

夕方になると,また路地は息を吹き返したように活気を取り戻す。一日の労働を終えた男性達 が,ビアホイ(ベトナムの生ビール)でのどを潤している。楽しく酔っぱらってだらしなくなっ た男性達の間を,店の若い女性がキビキビと注文を聞き,ビールやつまみを運んでいる。商店の 前では,馴染みの人たちがひょいと立ち寄り,小さな椅子に座って井戸端会議が始まる。こちら は,夕涼みをかねて,たわいのないおしゃべりが続いているようだ。昼間は暑くて発散できなかっ た子どもたちは,細い路地を勝手に占領してネットを張りバトミントンをしたり,決して上等と はいえないプラスチック製のボールを蹴ってサッカーに興じたりしている。開け放った家の床で は,車座になって家族が揃って夕食を食べている。今日の物は今日中に売ってしまおうというこ

とだろう,物売りの声は,ちょっと焦り気味に路地に響きわたる。

ハノイは,朝早いわりには夜が遅い。子どもたちや物売りの声がなかなかやまないまま,路地 の夜は更けていくのである。

路地の再発見

1998年9月下旬の現在,このハノイの路地に身を委ねて生活するようになって5ヶ月近くがた とうとしている。今年度(1998年度)在外研究で10ヶ月間ベトナムに滞在できる機会に恵まれて,

ハノイのある路地に面した家を借り,そこで妻と2歳の娘とともに生活をしている。もとより路 地の研究をしに来たというわけではないのだが,ベトナムに滞在しベトナム人の生活世界をフィー ルドワークするというのが目的であったから,見られるものは何でも見てやろうという気持ちが ある。私は心理学研究者として,現在はハノイにある社会人文科学国家センターの心理学研究所 に籍を置いている身である。研究所で行われる研究会などにも参加はするのだが,関心はむしろ 日常の生活の中にある。いわゆる異文化の中で暮らすその日常の中に何を見いだせるのか,心理 学には様々な方法があるが,科学的と呼ばれることの多い実験的な方法とはある意味で対極的な

フィールドワークという方法で何ができるのか,それを私なりに模索してみたいと考えた。

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ハノイに10ヶ月間滞在するにあたって,家探しはひとつの大きな課題であった。ハノイに渡っ てきたのが1998年5月1日。それからしばらくは,ハノイの中心にある旧市街と呼ばれる地域の あるミニホテルに滞在した。その間に,ベトナム関係の様々なサービスを提供している日本のあ る企業の方に手伝ってもらいながら,いくつかの家を見て回った。比較的安い間借りの部屋もあ るらしいのだが,家族で住む予定だったので一軒家を希望した。外国人の借り手が減ってきてい るので家賃も下がってきているらしいが,それでも1ヶ月1000ドル以上という物件が少なくない。

(ベトナムでは現地通貨のドンよりも米ドルの方が通用しやすい場面がいくらもある。)出張費は もちろん出ているものの,あまり贅沢ができるほどではないので,できれぼ安いに越したことは ない。3階建てで1ヶ月600ドルという物件があって,いったんはそれにしようと決心したのだが,

その後大家さんとの交渉過程で,相手方が「日本製のテレビを買って残していってほしい」など といった条件を後から出してきたりしたので,そこはやめることにした。

ベトナムの生活世界を見たいのだからと思い直し,市場に歩いて不自由なく行ける場所という ことを条件に,あらためて家探しをした。2つ候補が挙がった。ひとつは屋上からの見晴らしがよ く,大家さんの感じも良かったのだが,市場には大通りを越えないと行けないということでやめ ることにした。その結果選んだのが,いま住んでいる家である。

家は5階建て。細長いちょっとしたオフィスビルのような外観で,1階にバイク・自転車置き 場を兼ねた玄関とキッチン,2〜4階は,南に面した10畳ぐらいの明るい部屋と北側の6畳ぐら

いのちょっと暗い部屋がある。5階はテラスとバスタブのあるお風呂と,ベトナムの家ならほとん どあるらしい神様を祭った祭壇の小部屋。トイレ・シャワーは各階にある。屋上からは,ハノイ の中心地まで見晴らしがきく。前に住んでいた人が日本の商社勤めの方だったということもあっ て,テレビ・ビデオ・オーディオ・机・椅子・ソファー・洗濯機など,ハノイで生活を始めるに あたっては十分すぎるほどのものが揃っていた。サーカス関連の仕事をしているという30歳代の 男性の大家さんも,スポーツマンらしく感じが良くて好感が持てた。1ヶ月850ドル。円安の現状 からすれば,決して安くはないと感じるが,設備などの割には安いと言っていいようだ。市場に も近いということで納得した。

ハノイの行政区は大きい順に「クアン」「フオン」「ト」と呼ばれるが,それぞれはおおむね「区」

「通り」「丁目」に相当する。この家があるのは,日本風に言えば,ハノイ市ドンダー区ランハー

通りll5丁目。(ただし住所がこの通りというわけでない。)ホワンキエム湖などがあるハノイの中

心地からは直線距離にして約4キロ,車やバイクで15〜20分ほどのところである。外国人も比較

的多く住んでいる住宅のある地域であるが,もちろん圧倒的に多いのはベトナム人。すぐ近くに

はかなり古い集合住宅が建ち並び,その中に食い込むように露天の市場が広がっている。少し離

れたところには,外資系の大きなホテルなどもあり,日本料理店や韓国料理店もある。近所で使

える公共のバスは本数が少なく不便だが,タクシーは電話一本ですぐに駆けつけてくれるし,バ

イクタクシーもすぐに捕まえられる。ハノイは比較的治安はいいと言われているが,この地域は

その中でも治安がいいと聞いている。

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入居したのは5月17日。しぼらく時間をかけて家の中を整え,6月10日に日本から遅れてやっ て来た妻と娘を迎えた。ベトナム人の生活世界をフィールドワークするにあたって,家族が同居

しているということは重要な要因である。とくに2歳の娘の存在が,私の行動範囲を狭めたり制 約したりすることにもしばしばなるのだが,娘がいるがゆえにベトナム人と関係ができるという

ことが少なくない。まず娘に声を掛け,可愛がろうとするのが,出逢うベトナム人の多くに共通 しているからである。また妻は,現在はとくに仕事のない身であるが,私よりしばしば積極的に 近所の人たちと話をしたりして,それに乗じて私も話しに加わるということが少なくない。

家族がいるということがプラスに働き,我が家が面した路地に住む人々とは,ずいぶんと関係 が広がり深まりつつある。そんな中で私は,この路地の面白さをよりいっそう感じるようになっ た。生活に密着し様々な機能を果たしている路地そのものを再発見したと言ってもいい。この拙 論は,この路地の再発見が出発点になっている。ここに住み始めて2ヶ月ほどたったころ私は,

フィールドノーツにこう記している。

「家の前の小さな路地も,今ではバイクや車も通るのだが,基本的に住人の共有の場という感じ がする。ベトナムの家はどこでも厳重なシャッターがあって,寝るときにはがっちりと施錠をす るのだが,それ以外のときは,しょっちゅう出入りをしたり,開けはなっていたり。七輪のよう な道具がたいていの家先にあって,そこでちょっとした料理を作ったりお湯を沸かしたりもする。

近所に住んでいる外国人は,そういう路地にはほとんど留まらず,バイクですぐにどこかにでか けてしまったりするけど,ベトナム人たちは家先で赤ん坊を抱いてのんびりしたり,おしゃべり をしたり。この路地が,なかなか魅力的な場所に思えてくる。」(7月23日)

この路地での生活が,今の私にとっては日常である。しかし,日常ほど的確に捉えにくいもの はないかもしれない。あまりに当たり前すぎて,かえって気づいていないことが多いからである。

当たり前であることを対象化してみることは難しい。この「当たり前」で構成された物事を私た ちは文化と呼んでいるわけである。ただ,現在私にとって有利なのは,この路地の文化が私にとっ ては異文化だということである。日本にいるときとはまるで違うことが多いゆえに,ここに住む ベトナム人が気づきもしないことを,私なら気づける可能性がある。もちろん異邦人ゆえの制約 もあるが,異邦人ゆえのメリットを生かすことを考えたい。

ただし異邦人だから,異文化だから気づくことが多いというだけでは,そこから生み出される ものは,異文化の中で生活した体験記や異文化の中を旅行した紀行文と何ら変わるところがない かもしれない。(そのような体験記や紀行文を総じて低く評価するものではけっしてないが。)学 問としての格付けをするということでは必ずしもないが,そこにはやはり心理学研究者にこそ可 能な方法論的視点が必要であろう。

それにひとつの指針を与えてくれるのがエスノメソドロジーである。エスノメソドロジーとは,

社会学者ガーフィンケルの用語であるが,社会・文化の中で暗黙のうちに機能しているエスノメ

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ソッド(文化の方法)の生態を明らかにしようとするアプローチを指す。エスノメソッドとは,「社 会成員にとって自明な現実を編婆出す暗黙の手続きであり,生の自然を人間生活の対象物へと変 換する文化の構成原理」(南1993)であり,それは普段はほとんど気づかれることはないが,通常 の感覚からズラしていく(異化する)ことによってしばしば明らかになる。要するに文化を構成し ている明文化されていないルールであり,同じ文化を共有している人が暗黙のうちに従っている ものである。

私にとって魅力が感じられるハノイの路地には,どんなエスノメソッドが隠されているのか,私 なりの観察によって,その一端を解きほぐしていきたいと思う。その手続きを経ることで,ハノ イの人々の生活世界,中でも人間関係の有様の一側面だけでも明らかにしてみたい。ただし,私 は単なる路傍の観察者ではない。そこに参加し,様々なことを感じ考える主体でもある。「感じる こと」などというのは, 客観 的でないとされて心理学研究では排除されがちだが,観察主体が

「感じる」ことでしかわからないこともある。この 主観 にできるだけ実直に向かい合い,相互 主観性という名の客観性がある記述を試みてみたい。

いま「参加」と書いたが,私はこの路地にすぐに「参加」できたわけではない。今でも十分に

「参加」していると言えない部分もある。ひとつの大きな要因はベトナム語の語学力である。

「良き隣人でありたいと思い,ときに商店の前に座らせてもらって,まだろくにできないベトナ ム語で,そこのご主人などとにこやかに会話しています。」(5月24日)

友人にあてた電子メールの一部である。「商店」というのは,家の向かいにある小さなもので,

そこにすでに「参加」しているとやや見栄を張って言いたかったのであるが,実際にはこの頃は まだベトナム語がほとんどわからなかった。「にこやかに」していたことは確かだが,5月下旬の 段階では,「会話」と呼べるものにはほど遠かった。

それでも私なりに努力していたことは確かである。

「来週,6月4日から7日までランソン(中国国境に近い街)に行ってくるというのを,何とか ベトナム語で彼女(向かいの商店の奥さん)に伝えることができた。「ディー・チョイ?(遊びに行

くの?)」と聞かれて,これはちゃんと理解できた。「ヴァン・ヴァン!(そうそう!)」(5月30日)

ベトナム語は,ハノイにやってくる前に,茨城大学人文学部で開講されているベトナム関連の 授業に少し参加させて頂いて勉強したり,あるいは独学で勉強したりしたことはあったものの,本 格的に勉強したのは今回ハノイに来てからである。5月下旬から,日本語のできるベトナム人学生

に家庭教師をお願いし,7月からはそれに加えて,ベトナム文化交流研究センターでベトナム語の 勉強をしている。(なお,妻も同様にベトナム語の勉強をしている。)現在はまだカタコトのべト

ナム語で日常会話がなんとかできるというレベルであるが,ベトナム語の語学力の進歩に伴って,

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当然私の路地への「参加」の程度や質も変わってくる。

路地でベトナム人と話すときに,通訳を伴っているときはほとんどない。たまに,ベトナム語 の家庭教師をお願いしている学生が,少しその場に居合わせて通訳してくれることはあるが,そ れは例外的である。この拙論では,ベトナム語がほとんどわからなかった私が,どのような段階 を経てこの異文化に入っていきつつあるのかという点にも触れてみたい。

メンさん

この家に入居して以来ずっと,一番関わりの深いベトナム人がメンさんである。「向かいの商店 の奥さん」と先述したのは彼女のことで,今年38歳。(ベトナムは数え年で数えるのが普通なので,

メンさん自身は39歳と言っている。ちなみに私は満年齢で今年34歳,妻は33歳)我が家のお手伝 いさんでもある。娘もすっかり懐いていて,私も妻も全幅の信頼を寄せている。

ハノイ在住の日本人など外国人の多くがお手伝いさんを雇っていることは薄々知っていたが,

「そんなお手伝いさんなんて_」というのが当初の偽らざる思いであった。ベトナム人をお手伝い に雇うということは,そこに自分たちとベトナム人の間に必然的に上下関係を作ってしまうこと になるのではないかと考えていた。

それでも結果的にメンさんにお手伝いをお願いしたのは,我が家の前住人であった日本人のと きから彼女はこの家のお手伝いの仕事をしていて,私と入れ替わりに退去するときに彼が「5月分 の謝金はもう払ってありますから」と言ったのがきっかけであった。大家さんも彼女はとてもい い人だと言うし,ならば5月中はお手伝いの仕事をこれまでと同じようにやってもらって,それ で様子を見た上で6月からどうするかを考えようと思った。

「(朝御飯を食べて)家に戻ろうとしたときに向かいの商店を見ると,しっかりとシャッターが閉 まっていたので,「あれ,今日の午前中は(メンさんは)お出かけかな」と思った。(ところがそう ではなく)家の中に入ってみると,メンさんがすでに掃除洗濯を始めてくれていた。彼女にしたら,

○○さん(前住人)の時からの継続だから勝手知ったるものだろう。何となく自分の家に他人がい るということの違和感をまだ感じるし,掃除洗濯をお金でやってもらっているということが,ど ことなくしっくりこない。」(5月18日)

引っ越してきた翌日の感想である。メンさんは合い鍵を持っていて,いつでも必要なときには,

呼び鈴を鳴らしたりすることもなく家に入ってくる。始めはこういったことにずいぶんと違和感

を覚えた。ベトナム人にはあまりノックをするという習慣がないらしく,私が机に向かっていて

も,部屋にスーッと入ってきたりする。今の日本人が一応共通して持っていると思われるプライ

バシーが,ここでは破られてしまう。今ではずいぶんと慣れたが,違和感がすっかりなくなった

わけではない。冷蔵庫の中の果物が腐りかけているとか,ゴミ箱の中にあったレシートから外食

にいくらぐらいかかったとか,彼女はそういうことまでしばしば知っている。

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そういう違和感の一方で,5階もある家の掃除は自分でやればかなり大変だし,洗濯もやってく れるのは有り難いものだと感じた。6月からお手伝いは要らないと言えば,彼女は職のひとつを失 うことになる。ちなみに1ヶ月の謝金は60ドル。週6日で日曜日はお休み。日本の物価水準から すれぼずいぶん安い額なのだが,彼女が我が家で仕事をするのは朝の1〜2時間ほどで,ハノイ ではフルタイムでお手伝いをお願いしても80ドルぐらいが相場だということだから,必ずしも悪 い収入ではないはずである。彼女もこの仕事を続けることを希望しているようだった,5月の彼女 の働きぶりがとても有り難かったので,すぐに6月以降も継続してお願いすることにした。

メンさんは4人家族で,ご主人で公務員をしている43歳(満年齢)のフンさん,それに娘さん が2人いる。高校生で16歳のザンちゃんと小学生で8歳のバーちゃんである。私の家族は,この 一家といわば家族ぐるみの付き合いをしていくことになる。

私は,メンさん一家と良き隣人でありたいと願った。実際それは,とくに6月10日に妻と娘が 日本からやってきてからは,かなり実現できていると言える。後に詳しく述べるように,娘はメ ンさんのところの商店にしばしば行きたがり(「おばちゃんとこ,いく一」というのが娘の口癖に なった),メンさん一家が夕食を食べているときだと,ちゃっかりそのご飯を少し頂いて食べさせ てもらったりする。私たちも,たとえばお好み焼きなどの日本料理を作ればメンさんところに持っ ていったりするし,商店の内外でときどきおしゃべりに加わっている。

ただ,当初抱いた下記のような違和感は,いまでも完全には拭いきれないままである。その日 はとても暑い日であった。

「2階の部屋にクーラーを入れてカーテンを開けた。そうしたら,メンさんと娘のバーちゃんが,

店の中の床のところでゴザを敷いて昼寝をしているところだった。何となくその様子を見ていた ら,自分が居るところの位置が何だろうという気がしてきた。メンさんのところには,当然クー ラーはないだろう。それで4人が暮らしている。ここにはクーラーが3つもあって_。」(5月22

日)

メンさんの2階建ての家に比べたら,私の住んでいる5階建ての家はいかにも立派である。彼 女らを物理的に見下げるような構図が,.どうやっても出現する。

6月下旬頃,妻が「もう少し謝金を増やしてもいいのではないか」と言い出したことがあった。

掃除も洗濯もやってもらっているのに,1日あたり約2ドルというのは,あまりに少ないのでは というのが彼女の率直な気持ちだった。その時私は,積極的に反対はしなかったが,相場から言 えばむしろ妥当な額だと思うと話し,結局謝金の額を上げるということはしなかった。

ただ私も,謝金のことで割り切って考えてられているわけでもない。私たちは,メンさんの1ヶ 月分の謝金に相当するぐらいのお金を,たまにではあるが1回の外食で使ってしまうこともある。

国際電話の高いベトナムでは,1ヶ月の電話代が200万ドン(約2万円以上)を越えることもある。

そういうこともメンさんは知っている。「お金があっていいでしょう」なんて彼女に対して自慢げ

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に思う気持ちは毛頭ない。自分がメンさんの立場だったら,私たちをどう思うのだろうか。

ただ,より割り切っているのはメンさんの方のようである。ハノイ在住が長いある日本人は,

「外国人はこういうところに住むものだと,ベトナム人も思っていますよ」と話す。こういうこと をどう思いますかなどとは,仮にベトナム語が上手く通じたとしても,私の立場からは聞きにく いが,何よりメンさんは娘をはじめ私たちとの交流を楽しんでくれているように見える。保育園 から帰ってきた娘をひとしきり抱っこしたりして,爪が伸びていれば切ってもくれるし,風邪を ひいたとか汗疹がひどくなったとかとなれば心配もしてくれる。

ハノイに住んでいる外国人は,とくに仕事関係で来た人たちおよびその家族は,ハノイに住み ながらベトナム人と交流を持たないことが案外多いようである。家賃が2000ドル以上するヴィラ

と呼ばれる高級住宅に住み,フルタイムのお手伝いはもちろんお抱え運転手もいて,子どもがい ても「ベトナムの子どもとは一度も遊ばせたことがないんです」というケースもある。(それぞれ の事情があるだろうかから,そういうケースを批判するつもりはないが。)私の娘は,6月下旬か らすぐ近所の国立の保育園に通っているが,そこは外国人は2人だけ。娘の他は韓国人の子ども が1人いるだけである。娘はどっぷりとベトナム人の子どもたちの中につかっている。インター ナショナルの保育園が隣接されていて,こちらでは英語での教育が行われているが,そこには日 本人の子どもなど外国人ばかり十数人が通っていると聞いている。

すぐ近所にはアメリカ人や韓国人などの外国人も住んでいるが,彼らを見かけるのはどこかに バイクで出かけたり帰ってきたりするときがほとんどで,私たちのように路地の商店の前で座り 込んで話に加わったりすることはきわめて少ない。経済的な格差はあろうともこの路地とできる だけ接点を持って生活をしようとしている私たちの仕方を,メンさんもメンさんの家族も歓迎し てくれているのだと思う。

「(近所の市場の)馴染みになった野菜売り場のおばさんのところへ行くと,「なんだい,オシン はいないのかい?」と聞く。「オシン」というのは,かの日本のドラマの「おしん」のこと。それ が転用されて「お手伝いさん」のことをベトナムでは「オシン」と呼ぶ。けっして卑下した言い 方ではなくて,普通の呼び方である。ベトナムでは市場で男が夕食の買い物をするなんていうこ

とはほとんどないし,ましてや私は外国人で子どもを自転車に乗せているし,普通なら「オシン」

が買い物に来て当然と思ったのだろう。「ウチにもオシンはいるけど,料理は作ってもらっていな いんだ」と答えたら,納得していた。」(8月14日)

外国人がお手伝いさんを雇うことは特別ではないというのが,ベトナム人の普通の見方のよう

である。ベトナム人がベトナム人のお手伝いを雇うケースもある。そういうベトナム人の見方に

多少の安堵を覚えつつ,でもそれに甘んじることなくメンさんらとの関係を大事にしていきたい

というのが,私の今のところの考えである。商店の前にいつもいて,私たちがいつ出かけていつ

帰ってきたかということまで知られるので,それがときにやや煩わしく感じるときもある。だが,

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それは同時に,何かあった場合にでも手をさしのべてくれることも意味する。たとえば,留守中 に小包が届けぼ,受け取っておいてもくれる。プライバシーを多少犠牲にしてでも彼女と関係が 良好である方が,外国人である私たちがこの路地で生活するにはプラスであると考えている。

商店の内外

メンさんの家は,小さな商店である。メンさんは朝6時半頃シャッターを開け,まず市場に買 い物に行く。帰ってくると,シャッターを半分だけ開けた状態にして,野菜の下ごしらえをした

りしている。7時半頃,私たちがようやくシャッターを開け,朝食を食べに近所に出かけると,間 もなく彼女は合い鍵で私たちの家に入り,洗濯と掃除を始める。

ご主人のフンさんはメンさんより早く外に出て体操をしていたりするが,その後早く出かける ことが多く,朝はあまり姿を見かけない。上の娘さんのザンちゃんも,午前7時から学校なので,

やはり朝会うことは少ない。下のバーちゃんは,午後に学校に行くので(ベトナムの学校で,こ ういうケースは珍しくない),メンさんが我が家で仕事をしている間,シャッターを半分開けた状 態のまま店番をしている。8歳のバーちゃんは,誰かに何かを売るぐらいの簡単な仕事はできるの だが,お母さんの助けが必要になると,「メ・オーイ!(おかあさ一ん!)」(「メ」はお母さん,「オー イ」は呼びかけの言葉)と大声を出して,私たちの家の中にいるメンさんを呼ぶ。

1〜2時間ほどで私たちの家の仕事を終えたメンさんは,商店に戻り,シャッターを全開にし て,あとは夜まで基本的にずっと商店の内外で過ごす。1階が商店のスペース。10畳ぐらいの広さ であるが,3つの商品棚に文房具やトイレットペーパーなどの日用品,ジュースやお菓子や酒・た ばこなどの嗜好品,調味料や缶詰などの食品類など,案外多くの種類が並べられている。中古だ

という冷蔵庫は,家族用にも使っているようだが,商品のビールやジュース,それに春巻きなど の冷凍食品も入れられている。生卵や電球や女性の生理用品まで置いてあって,いわば何でも屋

という感じである。

商店を入って正面にある大きな商品棚(つい2ヶ月ほど前に買った丈夫なもの。100ドルぐらい したと言っていた)の裏のスペースは,家族用の食器などが置いてあったり流し台があったりし て,いちおう台所の役割をしているが,煮炊きは主に表の七輪でやっている。商品棚の前は,向 かって左側の壁にくっつけるように丸いテーブルが置いてある。それは,メンさん一家が食事を するテーブルでもあり,ザンちゃんとバーちゃんが勉強する机でもある。反対側の右側の壁には,

棚の中に小さめのテレビが据えてあって,ときどき家族の誰かが,あるいは家族で揃ってテレビ を見ている。テレビの前には低いテーブルがあって,その上に自家製のお酒やたばこ,それにイ ンスタントコーヒーが入っていた瓶にお菓子の類が入れられて置いてある。

商店の中の何も置いてないスペースは,昼寝のための場所でもある。お昼ご飯を食べて片づけ

が終わると,メンさんはそこにゴザをひいて横になる。バーちゃんが一緒の時もある。もちろん

そうしている間もお客が来るときがあるから,メンさんは熟睡することはないようだ。誰かが来

るとさっと身を起こし対応している。

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またそのスペースには,プラスチック製の小さな椅子がいくつも用意してある。背もたれもな い,ただ腰かけるだけのための椅子である。いつもはそれらを重ねてしまってあるのだが,誰か 来るとそれを出して,商店の中の適当な場所に座ってもらうことになる。

「メンさんのところで,おじさん(フンさん)と娘のザンちゃんと,少しだけ談笑した。さっき のが(さっき帰っていった人が)私のベトナム語の先生だと言ったら,わかってくれた。そのあと,

家族はいつ来るのだとか,6月にはサッカーのワールドカップがあるとか,そんな話になったり,

あるいは「お前のベトナム語は大丈夫だ」なんて言ってもらったり。」(5月26日)

こういう場合には,私も商店の中で椅子に座っている。フンさんらも同様に座っている。ただ し,フンさんやメンさんの方が商店の奥の方に座り,私は入り口に近い方に座る。この関係が崩 されることは基本的にない。何かを買いにいって,メンさんがお釣りを取りだそうとするときな ど,何かの拍子に自分の方が商店の奥に位置してしまうと,妙に居心地が悪い思いをする。

こういう感じで商店の中に居たり座ったりするのは,メンさん一家と比較的親しくしている人 たちだけにほぼ限られる。時間があるときにおしゃべりに来る近所のおばさんたちや,ときどき お酒をチビチビとやりにくる靴修理の60歳ぐらいのおじさん,それに私の隣の隣の家でお手伝い さんをしている40歳ぐらいのおばさんなどで,彼らもメンさんなどに自然に椅子を勧められては 座り,何も買わなくても,しばらくそこで談笑をしたりテレビを見たりする。ただし,彼らもよ り入り口に近いところに座るという暗黙のルールは守っている。数少ない例外は,親戚などが来 て談笑しているときで,そのときだけは相対的にフンさんらの方が入り口に近いところに位置す

ることがある。

何度も来ていても親しくない人たちや一見の客は,商店の中に入ることはあまりなく,商店の 外から「○○を下さい」と言うことになる。彼らは,商店の中にまで入ることは暗黙のうちに許 されていない。まるで入り口に,見えない壁があるかのようである。ただし,強い日差しを避け て昼休みをとっている物売りの少女達などが,商店の外の陰になったところに座り,そこから商 店の中のテレビを垣間見ていることがある。メンさんらも,そういうことは黙認している。

私は外国人であり,かつメンさんにお手伝いをお願いしているということから,最初から親し くしている人たちと同様の扱いだった。つまり,商店の中に入って座ることが,最初からできた のである。行けぼいつでも「ゴイ・ディー(座りなさい)」とメンさんなどが言ってくれて椅子を 勧めてくれる。バーちゃんが気を利かせて,さっと椅子を差し出してくれることもある。

ただ,そこに座らせてもらう以上は,黙っているわけにはいかない。必然的に何かを話さねば ならない。あるいはフンさんやメンさんが話しかけてくるのに耳を傾け,それを理解しようとし なければいけない。ベトナム語が十分にできないうちはとくに,それがときに楽ではないことに なり,なかなかそこに長くは居られない感じがしてくる。フンさんもメンさんも常に好意的だし,

私もできるだけそこに居たいと考えるのだが,そこから解放されて席を立ちたいという思いに囚

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われるときもある。

一方そういうことをほとんど感じないらしいのが,2歳の娘・茜である。

「(茜は保育園から)家に戻ってきてからは,メンさんところでまたひとしきり遊んだ。メンさん だけじゃなくて,バーちゃんやザンちゃんも相手をしてくれるので,茜も楽しいのだろう。必ず

しも僕らが行かなくても,一人で(商店の)中に入り込んで遊んでもらっている。一番適応力があ るのは茜なのかもしれない。」(7月6日)

娘はじっとしていないので,ときに商店の奥の方まで入り込んで,他の人が守っている位置に 関する暗黙のルールを破ることがある。もちろんそれは,2歳の子どものすることであるから,メ

ンさんらも何とも思っていないようで許容している。メンさん一家が食事をするときには,商店 の中には誰も入らないのが普通であるが,そんなときでさえ娘は入り込んでいって,食事をお裾 分けしてもらい,ちゃっかりテーブルに座ってメンさん一家と一緒に食べているときさえある。

「おまけに茜はよく食べ物などをもらう。散歩から帰ってきたら,メンさんところはちょうど食 事中だったのだが,メンさんがすぐに焼きそばを少しわけてくれた。茜はそれを美味しそうに食 べた。なかなかふてぶてしい。」(9月14日)

8歳のバーちゃんは,ときにすねてプイと横を向いているようなときがあるが,たいていは茜の 良き遊び相手になってくれる。

「バーちゃんは,自分の妹ができたような感覚なのかもしれない。最初のうちはちょっとため らっていたのだけど,本当は茜の相手をしたくて仕方がない様子。ここ2〜3日は,茜を抱っこ したり手を引いたりして,お姉ちゃんらしく振る舞っている。そんな姿を,メンさんも目を細め て見ている。」(7月6日)

娘が機嫌良く商店の中で振る舞い,バーちゃんやメンさんなど力湘手をしてくれている間は,私 の居づらいという感じは薄れていく。妻もいればなおさらのこと。妻と娘が,私とメンさん一家 の間のいわば緩衝材になってくれるし,フンさんやメンさんとマンツーマンで向き合う必要もな くなる。不慣れなベトナム語での会話は,やはり楽ではない。もちろん私も,フンさんやメンさ んとたくさん話をしてみたいと常々思っている。ビールを飲むことが,その気持ちの後押しにな ることもある。

「朝晩の風が少し涼しくなって有り難い。夕べは,夕食後にメンさんのところでしばし夕涼みを

し,ビールを1本飲んだ。

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フンさんが,何かと話しかけてきてくれる。ベトナムは大学が少ないとか,大学の門はとても 狭いとか,そんな話も以前よりはずっとわかるようになってきた。もちろんわかりやすく話して

くれているのだけど,6〜7割はわかる。こちらからも話をして会話が成立して行くにはまだ十 分ではないけど,進歩はあるのだろう。」(8月1日)

実際にこの時フンさんの話が6〜7割わかったかどうか,確信はない。ただ,「わかったぞ」と いう思いが,次の機会の会話に気持ちを向けさせる力にはなる。

「タベ,ピアノ(という名前の)のレストランから戻ってきて,茜はバイクで眠ってしまったの だけど,メンさんのところでしばし談笑をした。僕は(修理を終えて)使えるようになったばかり のギターを持ってきて,それでしばし歌った。ベトナムの風を感じながらギターで歌うのはなか なか気持ちがいい。フンさんとメンさんは,興味深そうに聞いてくれた。隣の家の前では,有子

(妻)が津軽海峡冬景色を歌ったりしてウケていた。」(8月8日)

歌を歌うのは,居づらさを解消するためのひとつの有効な手段である。このときは商店の外の スペースに椅子を出して座っていたのであるが,歌を歌っている間はベトナム語を話す必要がな いし,何より間が持つ。

ベトナム語が多少話せるようになってくると,話してみたいととくに思う話題があるときには とくに,「間が持つ」などといったことを考えなくてすむようになる。ベトナム報道に長く関わっ てきた報道カメラマンの石川文洋さんとハノイの街中でビアホイ(ベトナムの生ビール)を飲み,

そのあと帰った時には,こんなことがあった。

「夜8時頃までビアホイを5杯飲んで,それで帰ってきた。メンさんところでしばし談笑。フン さんには,石川文洋さんの写真集を見せて,「この有名なジャーナリストとビールを飲んできた」

と話した。フンさんは,しばし写真集に見入り「ザッ・トット(とても素晴らしい)」と言った。

そのあとビールが入って少し酔っていることもあって,彼としばらく話をした。「戦争のことを私 たちは知らねばならないと思う」とか「日本人はまだベトナムのことをあまり知らないから,私 は日本人にベトナムのことを知らせたい。本も書いてみたい」という話をしたら,「伊藤はいろい うなところへ行けるし,ベトナム語もわかるようになってきているから,いろいろやれるだろう」

という意味のことを話してくれた。「まだベトナム語を聞いていて,しばしばわからないことがあ ります」と言うと,「いや大丈夫」ということを言ってもくれた。

フンさんの話すゆっくりめのベトナム語が,昨夜はこれまでで一番理解できたように思う。も

ちうん思うようには話せないし,一方的に聞いて「ヴァン・ヴァン(はいはい)」と言っているだ

けのことが多いのではあるが。」(9月13日)

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この路地に住むようになって5ヶ月近くになる現在でも,単独でメンさんの商店に行って,座 り,おしゃべりをするということは少ない。たいてい,娘や妻の少なくともどちらかと一緒であ る。それでも,居づらさがだんだん薄れてきているのを感じる。さてこの気持ちがこれからさら にどう変化していくだろうか。

フンさんは,戦争にも行って,大学には行きたかったけど行けなかったと聞いている。現在そ れを取り戻すべく彼は,大学の講座に通い,英語などを熱心に勉強している。そんなフンさんの 話などを,通訳を介したりするインタビューではなく,日常の中で自分自身のベトナム語で気楽 に聞けるようになりたいものである。

朝食の店

ハノイで生活していると,ベトナム人は馴染みになった人との関係をとても大切にするという ことを窺わせるエピソードに何度も遭遇する。たとえぼ,ハノイ外国語大学の学生食堂の前には,

学生らが「カフェテリア」と呼ぶスペースがあり,あまり立派とはいえない屋根の下に10ぐらい のブースがあって,それぞれに売り子の中年女性が座っている。学生達は好きなところに行って 座り,お茶を飲んだりお菓子を食べたりできるようになっている。ただし,それぞれの学生は,ど の おばちゃん のところに行くかを決めていることが多いのだという。馴染みになった おば ちゃん との関係を大切にするということであり,毎度気まぐれに場所を変えたりはしないらし い。違うブースに入ったりすれば,馴染みの おばちゃん から,「どうしてそっちへ行ってしま

うの」という目で見られるという。

馴染みになった人との関係をとても大切にするというのは,ハノイの人々の人間関係のあり方 の一面である。私たちも,毎朝朝食を食べに外に出るのだが,必然的に馴染みの店や人たちがで きてくる。

「朝御飯を食べにいつもように外へ出た。いつものフォーの店で「チャオ・アイン(おはようご ざいます)」とおじさんに挨拶して,フォー・ガー(鶏肉入りうどん)を注文。おぼさんは「ホン・

ミーチン(化学調味料はなしね)」と自ら言って,もうすっかりこっちが言いたいことがわかって いる。今日はなぜか,鶏肉と牛肉の両方が入っていた。ちょっと(トウガラシを入れて)辛くして 食べたら,それはまたそれで美味しかった。食べ終わると,それに気づいたおじさんがお茶を持っ てきてくれた。有り難い。床屋もやるというおじさん,なかなか気が利いてよく働く。おばさん が調理,2人の娘さんが手伝い,なかなかまとまりのいい家族のようだ。

蒸した餅米のソイも美味しい。そこの(ソイ屋の)おばさんも,私のことを覚えてくれつつある。

こうして馴染みができていくことが大事なのだろうと思う。」(5月30日)

始め無愛想だった店の人も,だんだんと行く回数を重ねて行くにつれてにこやかな表情を向け

てくれるようになることが多い。短くてもベトナム語での会話ができれば,それもプラス材料に

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なる。おぼつかない手つきで食べている娘を気遣って,「ちゃんと食べなよ一」などと声を掛けて くれたりもすることもある。

私たちが朝食を食べるためにしぼしば利用している店は4つある。ひとつは路地を右手に30メー トルほど行ったところの小さな店。ここは,まだ比較的若いお婆ちゃんが切り盛りしていて,

フォーの他にプン(フォーと同様米で作った麺だが,フォーが平べったいのに対して,プンは丸 くて少し透明感がある)もあって,トマトの入ったスープでプン・クワ(カニのすり身入りプン)

やプン・オップ(むき身のタニシ入りプン)が食べられるし,チュン・ビッ・ロと呼ばれる艀化し かかったアヒルのゆで卵もある。(多くの外国人には少々抵抗を感じさせるものだが,娘はこれが 大好物になった。)路地を反対側に50メートルほど行って,突き当たりを右手に曲がりさらに50 メートルほど行くと,別のフォーの店がある。(上記のフィールドノーツにある「いつものフォー の店」とはこのこと。)ここはフォーしかないのだが,家族4人でやっているこの店はやや大き

く,味もなかなかいい。

あと2つはソイ(蒸した餅米)の店である。ひとつは店と言っても,路地の角のスペースを陣 取って露天に出店を開いているもので,朝早く天秤棒を担いでやってくるおばさんがやっている

もの。路地を左手に50メートルほど行った三叉路の角である。緑豆の皮をむいて潰したものと小 さなタマネギのみじん切りの唐揚げをソイに載せてくれる。その場で食べる人もいれば,葉っぱと 新聞紙につつんでもらって持ち帰る人もいる。もうひとつは,その角をフォー屋の方向に曲がっ たすぐのところにある店で,こちらではゆで卵や脂身のある豚肉,それにハムの類などを甘辛く 煮たものを,蒸したての熱いソイに添えてくれる。フランスパンにハムなどを挟んでサンドイッ チにもしてくれるし,自家製のヨーグルトも置いてある。

これら4つの店は,それぞれに特徴があって味も異なるが,どれも美味しい。朝,私たちはこ のうちのどこかで朝御飯を食べるか,あるいはいずれかで買って持ち帰り家で食べることが多い。

朝7時半頃,妻と「今日はどうしようか」と相談し,娘にも「今日は何食べたい?」などと聞いて,

その上でどこへ行くかをその日の気分で決める。

家を出ると,右手にプンも置いてある店が見える。私たちは,子連れの外国人であるから,ど うやっても目立っ。たぶん店のお婆ちゃんは毎朝,外へ出てきたときに私たちに気づいているだ ろう。チラリとこちらを一瞥したりするようだが,その時点で挨拶はしてこない。だから,私た ちが路地を反対側に歩いていけば,そのお婆ちゃんとは朝の挨拶をしないままということになる。

お婆ちゃんの店のある右手の方向に歩いていくと,私たちとしては他の3つの選択肢を選ばない ということを意味するのだが,近づいてくる私たちに声を掛けたりはしない。私たちが気まぐれ で自分の店に来るかどうかわからないためだろうか。店の正面まで来て,明らかに店に入るとい

うところまできてようやく,お婆ちゃんは,そこで始めて気づいたかのような顔をして,満面の 笑みを向けてくれる。私たちもそれでようやく,朝の挨拶をすることになる。

今日はソイを食べようとか,もうひとつのフォー屋で食べようというときには,家を出て左手

に歩いていくことになる。確信はないが,プンの店のお婆ちゃんが「今日は向こうへ行ったな」と

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思ってチラリと視線を送っているように感じる。

左手に歩いていっても,挨拶は微妙なものになる。ベトナム人なら,馴染みのあるこの店とい うように決めてしまったりしているのだろうが,私たちはソイを食べるとしても,角の露天か,そ こから10メートルぐらいしか離れていない店か,どちらか一方に決めてしまってはいない。角の 露店に行けば,ソイ屋のおばさんは気づいても挨拶しないし,角を曲がってソイ屋に行けば,そ

このおばさんの笑顔に迎えられながら,露天のおばさんがあえて視線を避けているような感じを 受ける。ソイを選ばず,さらに先のフォー屋に行くときには,両方のおばさんの前を通過せねば ならない。気詰まりとまではいかなくとも,私もちょっと視線を避けるように,「今日は向こうで 食べますね」と心のなかで弁解しながら通りすぎることになる。

それでも最近は,角の露天のおばさんは,そこでソイを買わない朝も目が合えばにこやかに挨 拶をしてくれるようになった。私たちが外国人でしかも子連れだから,特別扱いをしてくれてい るのかもしれない。ベトナム人に対してであれば,こんなふうにはあまりしないのだろう。

これらの店の人たちが,自分のところに来ない限り挨拶をしないことにしている,というわけ でもないのかもしれない。ただ,確実に言えることは,知っている相手に気づいても必ずしも挨 拶するわけではないということである。後述するように,ハノイの人々は,自分と関わりのない 人に対してほとんど注意を払わないというところがある。店の人とお客の関係は利害関係がから む関係でもあり,それに私たちは 浮気者 でもある。自分に利益をもたらさないときのやや冷 淡とも思える態度・行動は,彼らにすればごく自然なエスノメソッドのひとつなのかもしれない。

家の構造

ハノイの家の多くは,狭い敷地に縦長の作りになっていて,我が家のように5階建てというの も珍しくはない。白塗りの壁が多いが基本的に煉瓦づくりで,風通しはあまり良くない。夏の暑 い気候にはあまり適しているとは思えないのだが,ほとんど木造の家は見かけない。古い集合住 宅も多いが,いずれも庭などを確保するスペースはなく,家々は互いに密着している。(この文章 を書いている現在,隣の2階建ての家を4階に増築する工事が行われていて,自分の家の壁が崩 れてきそうなくらいにうるさい。)庭がないだけに,路地が共有のスペースとして機能していると も言える。

どの家にも玄関には重いシャッターが付いている。夜間や外出時にはそれを締め切り,大きな 南京錠を2つぐらいかけるのが普通である。ベランダや屋上も,隣の家を伝うなどして進入でき そうな構造になっている場合は,頑丈な鉄格子がつけられていたりする。集合住宅でも同様であ る。階段などの共有スペースは誰でも入れるようになっているが,各戸の玄関の手前には鉄格子 のドアがあって,やはり南京錠で鍵がかけられるようになっている。

家々がひしめくように密着して建っているのだが,どの家もそれだけで完全に閉じられる構造に

なっている。路地を共有スペースとして利用し,商店の内外も馴染みのある人たちにはオープン

にされながら,それぞれに家は,商店も含めて完全に閉じられるようになっているのである。

(16)

ハノイの人々にその訳を聞くと,「泥棒が多いから」という答えが返ってくる。ハノイの治安は けっして悪くないし,泥棒に入られて被害が出たという話も,今までのところ直接聞いたことは ないのだが,それでも「泥棒が多い」と彼らは話す。「他人を見れば泥棒と思え」というほどでは ないだろうが,ハノイの人々は他人をあまり信用していないように見える。

西洋の家々の多くは,「公」である道と「私」である家が壁ひとつで完全に分けられると言われ る。家の中も各個人のプライバシーが守れるように,壁で仕切られ,ドアを通して行き来をする ことになる。一方,日本の伝統的な家々なら,「公」と「私」の境界は,たとえば縁側というもの を用意することであえて曖昧にしているし,家の中も取り外しが可能な襖や障子で仕切られてい て,音などはとくに筒抜けである。(今では日本でも,西洋的な家が増え,プライバシーをより明 確にすることが行われているのは周知の通りであるが。)そもそも日本でも,路地はたとえば町内 の共有の場であった。

ハノイで現在のような煉瓦づくりの家が主になったのがいつ頃かは調べ切れていないが,「公」

と「私」ということに関して,西洋のそれとも日本の伝統的なそれとも違う構造を有していると 言える。路地は一応「公」ではあるが,たぶんにそこに住む人たちの共有の場としても使われて いて,「私」的な要素もある。商店やカフェの内外は,「公」と「私」が入り交じる場であり,井 戸端会議が行われる場でもある。日本家屋の縁側に似ていなくもない。それでいて,商店なども 含めて各家は,重いシャッターで完全に閉じられる構造になっている。閉じてしまえば家の中は 完全に「私」の場となる。ただ,家族一人一人に部屋が割り当てられるほど部屋数は多くないこ

とが普通のようで,家族一人一人のプライバシーが確立されているわけではない。メンさん一家 の2階も,ひとつの部屋に家族4人が寝起きをしている。

もっとも私の家のように,鍵を閉めていてもお手伝いの人が自由に出入りするというケースは ある。重いシャッターは,夜間は内側に南京錠を2つかけるのだが,メンさんはその合い鍵も持っ ていて,すき間から手を入れて内側にかけられた南京錠を開けることもできる。大家さんも必要 に応じて,メンさんに鍵を開けてもらって,私たちの承諾を得ることなく入ってくることもある。

このようにハノイの家は,「公」と「私」が微妙に入り交じった構造を創り出すことになる。こ の中で私が一番注目したのは,やはり各家が完全に閉じられるようになっているという点である。

馴染みのない人たちにはほとんど注意を払わないところがハノイの人々にはあるようで,街中な どでちょっと人にぶつかっても,何も言わずにスーッと行ってしまうし,郵便局で順番待ちをし ていても,いくらでも横入りをされてしまう。日本製のバイクがたくさん走る大通りでは,まわ

りにあまり注意を払わず,自分の行く手だけを見て走る人が多いし,他人の行く先を遮っても平 然としている人が多い。(それゆえ必然的に交通事故も多いようで,ちょっとした衝突事故はしば

しば見かける。)赤の他人に対してはどうでもいいと思っているというのは言い過ぎだろうが,ハ

ノイの人たちは,他人を信用しなくても安全に住まえる家を,煉瓦と重いシャッターで確保して

いるように見える。

(17)

ベトナム語の人称代名詞

路地のことから少し話題が逸れるが,ベトナム人の人間関係を考える上で,ベトナム語の人称 代名詞の用法についても触れておきたい。

ベトナム語の一人称および二人称は,いかなる場合でも「1」と「You」ですませられるような 英語とは異なり,大変複雑である。相手との年齢差,社会的地位の関係,親しさの度合いなどに よって,たくさんある人称代名詞を使い分けなけれぼならない。外国人のベトナム語学習者を悩 ませるひとつのポイントともなるこの使い分けを,ベトナムの子どもたちも学校などで厳しく教 え込まれるようである。

ベトナム語を学び始めたすぐの頃には,一人称は「トイ」だと教えられる。外国人の場合はこ れでずっと通しても構わないのが実状だが,相手との親しさが増してきたりすれば,やはりベト ナム人と同じように使い分けた方がよい。

30歳代半ばの私の場合を例に挙げてみると,まず明らかに年輩のお爺さんお婆さんを呼ぶ二人 称はそれぞれ「祖父」「祖母」を意味する「オン」「バー」であり,それに対する一人称は「孫」を 意味する「チャウ」となる。(さらに長老の人に対しては男女の区別なく「ク」という二人称(「曾 祖父」「曾祖母」の意)も用いられる。)もう少し年齢が下がって,自分の親よりも少し年上ぐら いの人になると,男女の区別なく「バック」と呼び,それに対する一人称は「チャウ」のままで ある。(ちなみにホーチミン氏のことを「ホーおじさん」と日本語で言うのは「バック・ホー」の 訳である。「ク」や「オン」などを使わないのは,あえて親しみを込めて呼ぶためだという。)自 分の親よりも少し年下で50歳を越えるぐらいの人に対しては,男性は「チュー」,女性は「コー」

となり,一人称はなお「チャウ」である。もう少し年齢が下がって,比較的年齢の近い年上の人 に対しては,「お兄さん」「お姉さん」を意味する「アイン」「チ」をそれぞれ用い,一人称は「弟・

妹」を意味する「エム」を用いる。自分より年下で,20歳を越えたぐらいの若者は,二人称とし て「エム」を用い,一人称に自分が男性なら「アイン」,女性なら「チ」を用いることになる。(ち なみに夫婦同士は,夫の一人称・二人称が「アイン」,妻のそれらは「エム」である。姉さん女房 であっても,それは変わらない。)10代以下の子どもに対する二人称は,年輩の人たちに対する一一 人称であった「チャウ」を用い,一人称は「チュー」「コー」などとなる。(さらに親しい同年代 の関係で使う一人称「トー」「ミン」「タオ」,二人称「カウ」「マイ」などの人称代名詞もある。)

たとえばフンさんやメンさんは,私からすれば少し年上の人たちなので「アイン・フン」「チ・

メン」と呼んでいる。娘からすれぼ,自分の親(つまり私)より少し年上の人たちなので「バック・

フン」「バック・メン」と呼ぶことになる。8歳のパーちゃんは,私からすれば「チャウ・バー」だ が,娘からすれば年上のお姉さんだから「チ・バー」となる。(実際に娘は「バック・メン」「チ・

バー」などと口にしている。)

ただし例外はいくらでもある。たとえばメンさんからすれば私は「エム・イトウ」になるはず

なのだが,「アイン・イトウ」と呼ばれることの方が多い。もしくは人称代名詞を付けずに「イト

ウ」と呼ぶ。「エム・イトウ」でいいはずだし,その方が親しみを込めた言い方になるのだが,一

(18)

定の敬意を表するために「アイン・イトウ」と呼んでいるのだと思う。フンさんも同様に「エム・

イトウ」ではなく「アイン・イトウ」と私のことを呼ぶ。(娘のザンちゃんなどの前では,ザンちゃ んが私を呼ぶときに使う「チュー・イトウ」が使われるときもある。)年齢差で一応決まってくる 二人称を,ひとつ格上げして(たとえば「エム」にあたる人を「アイン」として)呼べば,より丁 寧で相手に敬意を表することになるし,年齢差どおりに(たとえば「エム」に戻して)呼べばより 親しさを表すことになる。

社会的地位の関係ということに関しても少し触れると,男性の先生のことは「タイ」,女性の先 生のことは「コー」(少し年上の女性に対する二人称と同じ)と通常は呼ぶ。娘が通う保育園の女 性の先生達を,娘は「コー・○○(○○先生)」と呼ぶし,私自身も自分の方が年上であっても同 様に呼ぶ。「タイ」「コー」に対する一人称は,年下を意味する「チャウ」や「エム」なのだが自 分の方が明らかに年上の場合は「アイン」や「チ」などを使ってもいいと聞いている。

これらの人称代名詞の複雑な使い分けから窺われるように,ベトナム人達は常に相手との年齢 差などを,たとえば英語圏の人達よりはもちろん,縦関係を重視すると言われる日本人よりもさ

らに,暗黙のうちに想定していると考えられる。また丁寧な言い回しや,年上の人には不作法に なるので使ってはいけないとされる言葉などもある。

ただ,そこから窺われるほどにベトナム人達は,年上の人に丁重な態度をとったりすることが あまりないように見える。市場での売り手と買い手のやりとりなどを見ていると,買い手の方が 明らかに若くても,結構ぞんざいに見える態度で値段の交渉などをしている。そこでも「コー」と か「エム」とかといった年齢によって決まる人称代名詞が使われるのだが,口調の丁寧さの度合 いは,年齢差にはあまり制約を受けていないようである。

ここからひとつ考えられることは,人間関係において年齢差などへの考慮を,実際の態度・行 動で示すのではなく,人称代名詞の使い分けで儀式化し,それで良しとしているのではないかと いうことである。人称代名詞で,相手が年上,自分が年下ということを明示しておけば,それで 一定の敬意を相手に表したことになる。それ以上の丁重さは必ずしも必要ではなく,対等な関係 として振る舞っても,多くの場合問題ないという共通の了解があるようである。ベトナム語にも 敬語表現はあるが,日本語のように複雑に発達はしておらず,また日本人のように「上司」「部下」

とか,あるいは「先輩」「後輩」とかといった関係に気を使いすぎることもない。こういったこと がベトナム人の人間関係のありかたを,特徴づけているひとつの要因であると思われる。

ベトナム人と「世間」

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なく,まったく知らない赤の他人でもなく,その中間に位置する人達,すなわち知り合いではあ

るけれどさほど親しくしているわけでもない人達を指す。「世間体が悪い」というのは,そのよう

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