中学校免許区分科目「器楽(伴奏を含む。)」における到達すべき ピアノ演奏の知識・技能
田中宏明
*
(2020 年 8 月 31 日受理)
The knowledge and skills of piano performance to be attained in the middle school licensure classification subject “Instrumental Music (including accompaniment)”
Hiroaki T
ANAKA* (Accepted August 31, 2020)
*茨城大学教育学部音楽教育教室(〒 310-8512 水戸市文京 2-1-1;Laboratory of Music Education, College of
Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan).
1.はじめに
中学校の教員になるためには,教育職員免許法の定める教職課程の科目を大学などで履修し,教 員免許状を取得しなくてはならない。その中で,中学校教諭の免許区分教科(音楽)の教科に関す る専門的事項1)には,
・ソルフェージュ
・声楽(合唱及び日本の伝統的な歌唱を含む。)
・器楽(合奏及び伴奏並びに和楽器を含む。)
・指揮法
・音楽理論,作曲法(編曲法を含む。)及び音楽史(日本の伝統音楽及び諸民族の音楽を含む。)
の
5
項目7
科目が音楽専門の免許科目として課せられている。これらの科目を履修し,音楽の教 員としての専門知識や技能を幅広く身につけなければならないのは勿論,これらの科目を中学校1
種は計20
単位以上,2
種だと計10
単位以上を取得しなくてはならない。各大学など,いわゆる音 楽専門大学,教員養成系大学,その他機関において,上記5
項目の免許科目の開設状況や履修可能 単位数に乖離がある。そこで,同じ中学校2
種免許状を取得した際,例えば「声楽」を8
単位取 得した学生と,2
単位しか取得していない学生との知識・技能の量の違いはどのようなものか。また,単位取得の到達目標や到達のレベルはどのように提示すべきか。
本稿では,文部科学省が定める教科に関する専門的事項の「器楽(合奏及び伴奏並びに和楽器を 含む。)」に焦点を当てる。いくつかのシラバスの到達目標や授業計画をもとに必要な教材や習得す べき事項をあぶり出し,器楽学習における知識・技能とはどの様なものであるかを考察していく。
2.器楽(合奏及び伴奏並びに和楽器を含む。)
器楽とは,楽器で演奏される音楽である。器楽は演奏に要する楽器の編成によって,独奏,重奏,
合奏に区別される。学校現場で最も身近な楽器はリコーダーとピアノである。リコーダーは音域が
2
オクターブと6
分の1
と人の声域よりもやや広く,発音も容易であるため,初めて楽器に取り組 む小中学生の指導に適している。またピアノは音域が7
オクターブと4
分の1
と楽器の中で最も 広い音域をもち,鍵盤を押すだけで容易に単音や和音を奏でることができるだけでなく,音量や音 色の変化が幅広い。そのためか,ほぼ日本中の学校の音楽室にはピアノが備え付けられている。ここで楽器としてのピアノの特徴について述べる。まず,リコーダーなどの管楽器や声楽とは大 きく異なる点は,一人で同時に複数の音を発音できることである。そのため各声部やフレーズごと に音量,音質のバランスを自在に取れ,
pp
からff
までのダイナミクスレンジも幅広く表現できる。次に,打鍵後,音が減衰することである。長い音が多い旋律を奏でる際,リコーダー等のように 音が持続できないため,他の声部の弾き方を工夫したり,ペダルを使用することで音が持続してい るように聞かせるのである。音を持続させる効果があるダンパーペダルは,踏むタイミングや深さ によって倍音のかかり具合が変わり,響きや音色が多彩に変化し,音に奥行きが出るなど,表現の 幅が広がっていくのである。
3.器楽(伴奏を含む。)のシラバス
この授業で到達すべきピアノ演奏の知識・技能について考察する。田中(
2020
)はシラバスで「ピアノ演奏を通して,音楽表現に必要な演奏技術を身につける。さらには楽曲の表現の可能性を 模索し,作品を通して受講者の主体的な演奏技法を引き出すことを目指す。」2)と述べている。また,
木村(
2020
)は「楽曲への理解を深め,演奏技術と演奏表現を高める。」3)と述べている。さらに 筆者もシラバスで「ピアノの奏法と楽曲分析についての基礎力を身につけ,演奏技術と表現力を高 める。」4)と述べている。したがってこれらに共通する到達すべきピアノの知識・技能は,
1
.楽曲の理解2
.演奏技術・表現 であるといえる。それではここで上記
1
,2
における具体的な内容について言及する。木村(2020
)は,「楽曲の 様式感」「基本的な和声進行」「楽曲がどのような素材を最小単位として,それが展開されていく ことについての理解」5)を挙げている。これは上記の,1
.楽曲の理解に分類される。教材はバッハ《インヴェンション》を取り上げている。この教材選択について,
筆者は免許区分科目でピアノの演奏技術を習得するために妥当であると考える。なぜなら西洋音楽 における鍵盤楽曲はバロック時代から盛んになったため,先ずこの時代のバッハの作品を学び,そ れに続く古典派,ロマン派,近現代と各時代の様式をあまねく学ぶことができるからである。
4.器楽(伴奏を含む。)のピアノ教材
バッハの
2
声《インヴェンション》はバロック鍵盤音楽を学ぶ際の早い段階で学習することが多 いが,楽曲の規模が大きいパルティータや平均律クラヴィーア曲集よりも後年に書かれたため,2
声というシンプルな構造であるにもかかわらず,和声進行などの音遣いが極めて緻密であり,ほぼ 完璧ともいえる構成で書かれている。バロック時代に限らず,西洋音楽は低音部(バス)の進行で 和声を構成するため,バス音が礎石のように極めて重要な役割を果たしている。これについてイン ヴェンション ニ短調を取り上げ,検証していく(譜例1
)。
この曲の各小節の第
1
拍の音(重音)の音程と和声進行に着目したい。高声と低声が同時発音し た際に音程が生じ和声的な響きをつくる。また,低声の動きによって和声進行が出来上がる。冒頭 から第2
小節までの高音部譜表DEFGAB
♭-C#B
♭AGFE
-F
のフレーズ,この素材を最小単位(動 機)として,織物が織られるように楽曲が展開されていく。和声進行について,第3
小節第1
拍 では低音部譜表がD
音,第4
小節第1
拍がC
♯音であり,ニ短調のⅠ→Ⅴ7
の第1
転回形の進行で あるが,第5
小節第1
拍,第6
小節第1
拍ではⅠの第1
転回形→Ⅴ7
の第2
転回形となり,和声 進行のⅠ→Ⅴ7
は共通しているが,転回和音が異なるためバスの進行は変化し,同じ形でも色違い譜例
1 バッハ《インヴェンション ニ短調》
6)の織物のように和声のニュアンスが全く変わってくる。また織物の表と裏で柄が変わるように,動 機が左右で鏡合わせになっていたり,水面に映るかのような形に変化していることにも注意を向け る必要がある。この例は,到達すべきピアノ演奏の知識・技能の一つである。
5.器楽(伴奏を含む。)のピアノ伴奏
伴奏とは楽曲の主要な声部を旋律的,和声的に支え,補足する声部の演奏のことである。和声を 奏でる目的で伴奏にギターを用いることもあるが,同時発音可能な音が極めて多く,音域や音色表 現の幅が広いピアノを使用することにより旋律的な支えも可能になる。
伴奏法で必要とされる知識・技能は,
1
)音域2
)音質3
)音量 におけるバランスをどうとるか,である。ここでピアノ伴奏の教材として,コンコーネ
50
番を取り上げる(譜例2
)。譜例
2 コンコーネ 50
番 作品9
より第5
番 ヘ長調7)1
)音域について第
1
小節の使用音域は書き込みのとおりである。譜例にある歌唱パート(ト音譜表),冒頭から 第4
小節までの音域は最低音F
から最高音C
の間である。伴奏パート(大譜表)のト音譜表部分は 歌唱パートとは対照的に細かい3
連符でオクターブの音域で続いている。この音域は歌唱パートに 隣接しているため,旋律が埋もれないよう音量を落とし響きのバランスに注意しなくてはならない。2
)音質について伴奏パートの低音部譜表は全音符と
2
分音符の流れになっている。第1
小節第1
拍の低音部譜 表の最低音F
と歌唱パートのA
音はちょうど倍音の関係になるので,音質を揃え,響きを溶け込ま せると美しくまとまる。3
)音量について歌唱パートがクリアに聞こえるように,大譜表のト音譜表部分を静かに,ヘ音譜表部分のバス進 行をそれよりも心持ち明瞭に弾くと,バランスが良くなる。譜例の書き込みのように,上声パート から順に,
mp
,pp
,p
の音量,音質で3
つの声部のバランスを意識して演奏できると良いと考える。おわりに
2020
年,東京オリンピックが開かれるはずであったこの年に,新型コロナウイルスにより世界 が同時に混乱に陥り,教育現場も例にもれず,かつてない混とんとした状況が続いている。緊急事態宣言により一時はすべての教育の場も封鎖され,リモート授業が始動するまでの間,学 生達の多くは不安な時を過ごしたことであろう。平時であればもっとたくさんの授業時間が得られ たはずが,リモート授業の併用をしてもなお,失われた学びの時間を取り戻すことは中々困難であ る。
特に音楽では歌唱,合唱や合奏など,感染予防対策を念入りに行わなければいけない項目が多い ため,現場教員の負担も相当なものであろう。我々大学教員も,これからはこの新しいウイルスと 共存することを前提に,授業の構成を考えていく必要に迫られている。
上記の考察では楽曲の理解や伴奏時の注意点などについて具体例を記したが,どの項目も演奏者 が自分の感覚を駆使し,考えることが最も重要な要素である。
歌曲伴奏のピアノを例にとると,伴奏者はあらかじめ歌詞の内容を把握し,楽曲の大まかな流れ を理解する。耳をそばだて歌唱者の音量を把握したのち,バスの音量,内声となる和音とのバラン スを量り,歌に寄り添う。時にはゆったり,時には小走りに。そうすることによって,「ソーシャルディ スタンス」を超えて心のディスタンスは縮めてゆくことができる。イタリアの凄惨なコロナ禍の中,
バルコニー越しの大合唱が自然に起こったことで音楽の持つ力に改めて感銘を受けたが,生活に最 も身近な教科として,学校教育の中での音楽の役割もぜひ再考されることを願う。
注
1)
茨城大学教育学部,2020 「履修要項 2020年 令和2
年度入学者用」232)
田中星治,2020「ピアノⅡ(伴奏を含む。)」大分大学教育学部令和2
年度シラバスhttp://www.ed.oita-u.ac.jp/syllabus/syllabus_educ/files/14.%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E2%85%A 1%EF%BC%88%E4%BC%B4%E5%A5%8F%E3%82%92%E5%90%AB%E3%82%80%E3%80%82%EF%BC
%89(2%E4%BB%A5%E9%99%8D).pdf (2020
年8
月30
日閲覧)3)
木村貴紀,2020「器楽I(ピアノ)A」北海道教育大学令和 2
年度シラバスhttps://syllabus.sap.hokkyodai.ac.jp/syl/faces/up/km/Kms00802A.jsp (2020
年8
月30
日閲覧)4)
田中宏明,2020「ピアノⅠ a」茨城大学教育学部令和2
年度シラバスhttps://idc.ibaraki.ac.jp/Portal/Public/Syllabus/DetailMain.aspx?lct_year=2020&lct_cd=P0711A1&je_cd=1
(2020年