文字認知における形のずれへの「渡り」について
小林一仁*
(1996年10月14日受理)
The Cognition about the Differential Shapes of the Letter
Kobayasi KAzuHITo
(Received October 14,1996)
概要
文字の形は,同じ人間が同じ文字を書いても微細なところで形にずれが生じる。
活字にしても,幾つかの書体があり,デザイン上でそれぞれ特色があり,同じ文字でも 微細なところで形の表現にずれが生じている。また,同じ明朝体活字でもそれを造るメー カーによりデザイン上で微細なところで形にずれがある。これらいずれの場合も,人間は
「渡り」の考え方があれば,同じ文字として認知できる。また,手書きの場合でも,楷書,
行書,草書のそれぞれの書体で同じ文字の形は異なる。これも「渡り」の考え方で捉えれ ば同じ文字として認識できる。また,そうした行・草化による略体化から,康煕字典体と 通用字体とでは別の形となる文字もあるが,これも「渡り」の考え方により同じ文字とし て認知できる。そして,どの形の文字を用いるかは,使用する人の側の問題である。
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1同じ文字の形についてのずれにかかわる「渡り」の成立
(1)文字の形における「渡り」という考え方について
例えば手書きの文字において,同一の書き手であっても文章中に書かれている或る同一の文字に ついて全く重なり合うほどに同一の形で実現して書き表すということはありはしないと,経験的に 思い返して判断することが出来るであろう。確かに,その書き手の書き表す文字の形には,いわゆ る字癖があって,この人の文字であるという個性のようなものを認めることは出来るけれども,だ からと言って,同じ或る文字の形がぴたりとどれもこれも重なり合うということは,まずないと思 い返される。それにも拘らず,その人の手書きの文字の形につき,一字一字読むことができるのは,
*茨城大学教育学部国語教育研究室(〒310水戸市文京2丁目1番1号Laboratory of Japanese
Education,Faculty of Education,Ibaraki University,Mito Ibaraki 310 Japan)
その文字として認めることができるという判断のための基準を持ち合わせており,それに従って形
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における何らかのずれを問題にしない認め方をしているからである。この認めることができるとい
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う意識を生み出している,形のずれの範囲について,形の「渡り」という考え方を取る。
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蜷lにおいては殆ど次に示すような文字の形のずれは書き表すことはない形を,幼少の頃には書 き表す。その典型的な一例は鏡文字という形であり,また類似形のそれぞれの文字の形を単独には 何の字であるか判断のつかない形で書き表すものである。鏡文字にしても,大人の目から見るから 鏡文字と判断するのであって,それを書く子供自身は少しもそうは思っていない。本人の意識の底 ではその文字として認知しているのであって,一種の「渡り」が無意識に働いているのかもしれな い。正確な文字の形を認知できるようになる形成的な過程での意識の働き方が左右を特に判断しな い表し出し方をしているのかもしれない。また,類似の文字の形についても,比較して細部にまで 及んで文字を構成している部分に注意が及んでいかないため,その細部の違いを表し出すことがで きない結果を招いているのかもしれない。具体例としては平仮名「い・り」「し・つ」「か・や」「ち・
さ」「う・ら・ろ」など,片仮名「シ・ツ」「ソ・ン」「ア・マ」「ス・ヌ」などを拾い出すことがで きよう。漢字の字種についても勿論,次々と拾い出すことができる。
大人にとっては「か」と「や」の識別は十分に成立しているから手書きする時に,それぞれの文 字の形における細部と全体の構成との在り方につき,識別不能な書き表し方はしない。しかし,そ れが成立して㌃いない子供の場合には,構成要素となっている三本の点画の位置関係や曲直の在り方,
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方向の取り方などにずれが生じると,単独で見た場合には形がいずれの文字も相似た形として書き ■ o
¥されてしまうこととなる。換言すれば,「か」なら「か」での形のずれが「か」と認知できる許容 ● ■
フ範囲を逸脱してしまい,「か」と認知できる「渡り」の範囲からずれてしまったということになる。
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そして,それが「や」に近似の形にまで,大人の目から見るとずれを生じるのである。
例えば平仮名という文字体系において,それぞれ一字一字の文字にはその文字として認知するこ ● ● ニができる許容の範囲がある。つまり,他の文字とは重なり合わない,他の文字の形にずれ込まな いという識別性,換言すれば独立性を保持することである。許容の範囲なら,その文字としての「渡
り」を可能にする。
同一の書き手における「渡り」の範囲は,次に書き手を別にした場合にも同じように認めること ができる。例えば平仮名の「か」について,Aという人とBという人とは書き表し実現する場合に 全く同じ形を書くことはないと,経験的に思い返す。近しい人であれば,これはAの字,これはBの 字であると判断することもできる。つまり,同じ文字を書くのであっても,AとBとが細部において 違いを生じるような形の書き表し方をしていても,その文字として判断することができるのは,そ
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れそれの形において許容の範囲内であり,その形のずれは「渡り」の範囲内であるからと考えられ
る。
このような「渡り」の考え方を取ることができるのは,文字の形についての「基本形観念」と「実 現形」という考え方(林大「漢字の問題」124ページ「2字体」中。r岩波講座日本語3,国語国字問 題』1977.1刊)に基づく。ここに「実現形というのは,一回一回の書記行動または印字・彫刻など において視覚化された図形であって,細かく見れば,手書きに関しては同一人の筆でもまったく同 一のものは二度と現われないわけである。しかし当人にとっては,それらは常に同一の基本形によ って字形を実現したものである。観念されている基本形と紙の上の実現形との間には,説明をして
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みれば大きなずれのある場合が少なくない。」云々とある。私は,この考え方に従う。また林は「「字 体」という語は,近日の国語審議会では,文字の骨格ということで了解されている。上来の叙述で
は基本形観念と呼んでおいたものにあたり,ここに社会的通念としてのということが加えられよう か。すなわち字体は実現形に対する基本形の標準観念であって,具体的に視覚化することは不可能 である。具体化すればそれは一つの実現形に過ぎない。」(同,126ページ。傍点は筆者による。)と 書き進めている。
この叙述中にも「ずれ」という言葉が使われていることに注目しておきたのだが,標準観念とし ての基本形が書き手にわきまえられているゆえに,手書きで実現形を書くことができるというふう
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に考えると,同じ一つの文字が様々に書き表されたとしてもそれはすべて基本形観念におけるずれ として捉えられ,「渡り」の範囲内のものとして別字とはならない。つまり許容の範囲内の形という
ことになる。
(2)各社の活字の形に対して「渡り」の考え方を導入する
仮に明朝体活字に限定する。パソコンやワープロにおいて,その明朝体活字はその機種の製作会 社が選んだ明朝体活字の文字の形になる。これは経験的に,他の人が印字した文書を見た時に,機 種により文字の形に違いがあるということを知っている。これは林大の言う,実現形での「ずれ」な のであるが,そのずれがあっても同一の文字として認知できるのは,「渡り」の捉え方によりそのず れを気にしないで済むからと考えられる。つまり,いずれの文字も,基本形観念を同一に志向し基 ついているという仮説に立つのであり,それに基づいてその文字の実現形が作られていると考える
のである。
このことについては「常用漢字表(昭和56年10月,内閣告示・訓令)」の「前書き」の後に添え られた「(付)字体についての解説」が参考になる。「第1明朝体活字のデザインについて」の冒頭 で「常用漢字表では,個々の漢字の字体(文字の骨組み)を,明朝体活字のうちの一種を例に用い て示した。現在,一般に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む。)には,同じ字であり ながら,微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし,これらの相違は,いずれも活字 設計上の表現の差,すなわち,デザインの違いに属する事柄であって,字体の違いではないと考え られるものである。つまり,それらの相違は,字体の上からは全く問題にする必要のないものであ る。」とある。そして「以下,分類して例を示す。」として3分類14項目に分けて56例を掲げてある。
続いて「第2明朝体活字と筆写との関係について」においても,「(前略)印刷上と手書き上のそれ それの習慣の相違に基づく表現の差と見るべきもの」につき,2分類rl明朝体活字に特徴的な表現 の仕方があるもの」「2筆写の楷書では,いろいろな書き方があるもの」を示し,前者5項目,後者 6項目に分けて全部で50例を掲げている。この「第2」の「2」は先の本論考「(1)文字の形におけ る「渡り」という考え方について」に即応するものである。
ここでは「第2」の「1」に即応する。この最初の例「(1)折り方に関する例」で典型的な事例の 一つとして心得ることになるが,例として挙げた文字の形「衣」の筆順で言えば4画目「レ」の筆返
しをあたかも別画のように明朝体活字ではデザインして形を表し出している。この活字デザイン上 の特色をわきまえることが必要なのであって,これを知識として持つことができれば手書きで文字 を書き表す時に真似して別画ふうにする必要はなく,「レ」の形で書くのでよいというふうに心得る ことができよう。これは,「明朝体活字」の文字の形についてのデザイン上の特色を知識として持ち,
手書きの場合にはそれはどのように書き表しているものなのであるかという形の表し方の別が分か っている,つまり「渡り」の考え方が心得られているということである。
これ以前に押さえておくべきことは,「第1明朝体活字のデザインについて」であった。各社のワー プロやパソコンの様々な機種に登載されている文字の形について比べて見た場合に,同じ文字が異 なるデザインであっても,それは基本形観念において同一・であるという仮説に立ち,その明朝体活 字をデザインした人の文字実現の感覚において作成されたと考えるべきであり,使用する側におい
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ては形の上にずれがあっても,それは許容の範囲の内であって,識別性(独立性)を認めることが
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ナきるのは,そのずれを意識的,無意識的に越えることができる「渡り」の捉え方,考え方を持つ ことができているからであると考える。加えれば,同一の文字の形について,各種の文字を並べて 比べて見た時に見いだせる微細な部分的な形の違いはデザイン上の形の違いなのであって,これを もって別字にはならないし,別字としないのであるから,全体的な形において基本形観念に基づい てその文字の形が造られていることに目を向けるべきである,ということになる。人間が文字を認 知するのは,その人の持つ基本形観念に基づいてその文字として判断することにおいてである。即
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ち,基本形観念に基づいて許容の範囲内での部分的な形のずれに対して「渡り」として反応し,そ の文字として読み取ることができるとうことになる。
明朝体活字を例として取り,仮に文字読み取り機械があり,それが或る社のデザインした明朝体 の或る文字について読み取ることができなかったとしたら,それはその文字読み取り機械に欠陥が あるとすべきなのであり,どの社のどのデザインでの明朝体活字でも読み取る,つまり「渡り」を 持つことができるように機械自体を改めなければならない。要するに,機械も「渡り」を身に付け
なければならない。
文字も人間の築いた文化の一つなのであるから,人間の側から発想する必要があり,機械は人間 に従うべきものである。
(3)それぞれの活字書体も「渡り」の考え方で認知を及ぼすことができる
活字には,様々な形があり,それぞれ形の特色を持つ。それを活字書体と称する。一般に多く用 いられる明朝体という活字書体のほかにゴシック体が新聞の見出しに使われたりすることで知られ ている。その他にもナール体,スーボ体など数多い。小学校教育では,教科書体活字を用いている こともよく知られている。しかも,それぞれの書体においても,また細分化した造字が行われてお り,一つの系統を成している。このように見てくると,いかに一字一字の異なる文字について基本 形観念を持ち,かつそれを基にして,どのような書体の活字であろうと,その文字であるとして判
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断することができるという,許容の範囲を想定できること,つまりずれについて「渡り」の考え方 をとり,その文字として判断できることが必要となる。
文字は,人間の造り上げた文化の一・つであり,活字書体が様々に工夫されるのも,造形上の美的 な感性の表れの一つであり,文字にかかわる文化的な現象の一つであると考えられる。したがって,
そのような文化に対して知識・理解を持ち,感覚・感性を働かすという拡がりのある対応ができる 必要がある。経験的に言って,活字書体の別があることにつき理解できれば,それぞれの書体の系 統において一字一字の異なる文字を難なく読むことができる。いわば,活字書体についての情報を 処理・操作できるようになる。
(4) 学校教育における「字体」の学習の意義について
このような拡がりを持つことができるようにするには,学校教育における文字の認知についての 学習が出発点になっている,と考える。林大の言う基本形観念を形造るために,平仮名と片仮名と の形については小学校の低学年段階に国語科の書写の学習を行う。漢字についても,小学校の6年間 で覚える字種が基を成す。現行では,小学校学習指導要領(平成元年)の国語科において6年間に学 習する1006字種につき,大蔵省印刷局で造字した教科書体活字が基になる。これが各社の小学校で 用いる教科書での教科書体活字の造字上でのよりどころとなる。
小学校学習指導要領,国語科での「第3指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い」中の「2 言語に関する事項については,次のとおり取り扱うものとする。」において「(3)漢字の指導につい ては,次のとおり取り扱うこと。」とあり,そのうちに「ウ 漢字の指導については,学年別漢字配 当表に示す漢字の字体を標準とすること。」と示されている。学年別漢字配当表の漢字は,先にも述 べたように大蔵省印刷局での造字になる教科書体活字であるが,これは既に視覚で認知できる具体 的なものであるから,基本形観念に基づいて造られた実現形ということになる。小学校学習指導要 領に言う「字体の標準」とは,言わば基本形観念に基づいて造られた実現形における,活字書体の うちの教科書体活字をもってした「字体の標準」形として理解される。小学生は,小学校段階6年間 を通して,ここに掲げられているそれぞれの漢字の具体的な形を通して「基本形観念」を頭脳内に 形造ることとなる。
学校での学習には限りがある。学校での学習が基礎的基本的なものとされ,自ら意欲を持ち関心 を持ち学習する方法や態度が備わることの大切さが言われるのは,自らの力で応用・展開する必要 があるからである。
現代の日本語の文章は漢字仮名交じり文で書き表すが,ここで用いられる漢字の字種は小学校で 学習する漢字の字種1006字を基にし,これを含んで常用漢字表(昭和56年公布)に掲げる字種1945 字を越える。日常の新聞や雑誌などではおよそ2800字種から3500字種ぐらいと言われる。そうい
うことになると,学校教育はなるほど基礎的基本的な部分を成すに過ぎないと理解される。
平仮名,片仮名それぞれの字種は46字と限定されるから,その文字の形は基本形観念を学校教育 で形造ることが容易である。漢字の字種は全部で約5万字と言われるが,そのうち約2800〜3500字 種についての基本形概念を形造ることになる。幸いにして漢字は,扁労冠脚構尭などの構成要素を 整理すると,限定的になる。例えば康煕字典の部首の数は214であるように。私は,漢字の構成要 素という名称の下に整理することとするが,漢字一字一字の字種はその構成要素を組み合わせるこ
とで成り立っている。そう考えると,基本形観念は文字自体のものであるが,その字種は幾ら多く あろうと,構成要素で捉えれば限定的となる。その組み合わせの在り方で,それぞれの文字の基本 形観念は作り上げられる,ということである。
学校教育で,大蔵省印刷局での造字になる教科書体活字「学年別漢字配当表」の漢字の文字の形 で小学校時代に学習し,これを実現形における「字体の標準」とし,これを通して基本形観念を形 成することとなると理解される。この基本形観念に基づいて,教科書体活字から明朝体活字などの 他の活字書体に及び,それぞれの書体のデザイン上の特色について心得た上で,許容の範囲でのず れを知り,「渡り」を可能とすることになる。また,手書きの文字にしても,平仮名,片仮名,漢字 のいずれの文字体系であろうと,教科書での活字書体をモデルにして,つまり実現形における「字
体の標準」の形を元にして真似をして覚え,自分の手書きの文字を表し出す。そして,モデルとの うそ じ
クれについては,別字になっていない,または嘘字,誤字になっていないならば,許容の範囲なの であって,これは「渡り」を可能とすることになる。
このように,日本語で文章を書き表す場合の,平仮名,片仮名や漢字の文字の形についての基本 形観念は,学校教育を通して養われていると考えることができる。特に漢字については「学年別漢 字配当表」の漢字の字種1006字,教科書体活字をもって培われる。日常,自分の手書きの文字,友
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Bのそれなどを通して,形のずれを知り,許容の範囲でのずれの在り方をもって文字に対する「渡 り」の意識が生まれ,「渡り」の考え方を持つこととなる。この「渡り」の考え方が持てるのは,一 字一字の異なる文字についての基本形観念が確立しているからであり,実現形が許容の範囲でテれ
ることについては一向に気にならないという「渡り」による文字意識が働き,その文字として認知 することとなると思われる。
このような学校教育での文字の形についての,意識的な,また無意識的な学習による「渡り」の 考え方の習得が,学校では学習しない文字に対しても,同様に「渡り」を可能にしていくと考えら
れる。
2 同じ文字の,異なる形の系統の間における「渡り」の成立
(1)手書きの文字における「楷書,行書,草書」の間における「渡り」について
同一の文字における形の表し出し方における許容の範囲でのナ孔に対する「渡り」は,別字の形 とはならない範囲での形についてのものである。これは楷書を基本としている。現在,日本語の漢 字仮名交じりの文章での文字は,新聞や雑誌などの紙面においてもテレビの字幕においてもパソコ ンやワープロで打ち出すものにしても,楷書を基本としている。一般にやり取りする手書きの文字 にしても楷書を基本としている。楷書による文字の形は,分かりやすく読みやすい。また,小学校 以来,国語科で学習する文字の形の主流は,この楷書である。(詳しくは,楷書は漢字における文字 の形の一つのことであり,平仮名と片仮名との文字の形についは漢字の楷書に調和する形,つまり それに相当する形,見合う形ということになる。)
中学校段階では,国語科の書写において行書を学習する。これは,漢字と平仮名とについてであ り,特に漢字については書写の教科書(第2,3学年用)に各社とも,常用漢字表に掲げる字種1945 字全部の行書体を掲げてある。
因みに,現行の中学校学習指導要領(平成元年),国語科の各学年の内容中,〔言語事項〕のうち
「(3)書写に関する次の事項について指導する。」には,次のように述べられている。
第1学年「イ 漢字の楷書とそれに調和した仮名に注意して書き,漢字の行書の基礎的な書き方を
理解して書くこと。」
第2学年「イ 漢字の楷書や行書とそれらに調和した仮名の書き方を理解して書くこと。」
第3学年「イ 漢字の楷書や行書とそれらに調和した仮名に書き慣れて,読みやすく速く書くこ
と。」
これによれば,中学校国語科の書写の学習を通して,常用漢字表に掲げる漢字の字種1945字につ
いて,楷書と行書とを学ぶこととなり,平仮名,片仮名についても漢字の楷書に調和する文字の形,
漢字の行書に調和する文字の形を理解し,書き表すことができるようになることが求められている
ことが分かる。
このことは,中学校段階において,漢字の文字の形における楷書と行書との「渡り」を可能とす る知識,技能が求められているということである。仮名(平仮名,片仮名)についても,それと同 様であるということである。
歴史的に振り返れば,漢文にしても仮名文にしても漢字仮名交じり文にしても,毛筆を筆記具と していた時代には,楷書,行書,草書のそれぞれの書体に通暁していることが必要であり,それが 知識教養でもあった。一般に楷書,行書,草書として三つの書体として分類・整理するけれども,
本来これらは切断的(今日風に言えばデジタル)に並べられるものではなく,連続的(アナログ)に 形が変化していくものについて言うものである。いわば漢字なら,その構成要素を更に分解した一 点一画を切り離して,筆順に従い,止め跳ね払い曲がり折れなどに気を配って表し出す「楷書」に 始まり,それを基にして点画について連続したり省略したりして効率的に文字の形を書き表す「行 書」へと進み,その連続や省略が更に一段と加速されて文字の形を簡略化して書き表す「草書」へ と進む。点画の連続や省略の方法は,簡略化の程度とともにあるゆえに,その程度の在り方は結果 として連続的な相を成しているということになる。一般に行書,草書を「くずし書き⊥その字を「く ずし字」とも言うが,このくずすということ,つまりくずれる(くずる)に内在するのは「くずれ
→ずれ」である。イメージとして或る漢字の楷書体の文字の形の上に少しずつくずして(「ずれ」を 生じさせて)行書体の文字の形をかぶせて行き,大いにくずして(「ずれ」を生じさせて)草書体を かぶせると,元の楷書での形からの変化を連続的に認知することができる。これは,よく平仮名そ れそれの文字の形を漢字の楷書から行書,草書へとくずして,その文字の形の成立を理解させる時 に使う方法である。要するに,ここで言いたいのは,漢字一字一字の字種につき,楷書,行書,草 書と渡ることができるという「渡り」の知識を持つことが,その文字を認知できるかどうかの鍵に なるということである。昔,毛筆時代には,その認知は文字生活上で必須であった。楷書,行書,草 書と自在に渡ることのできる「渡り」の知識は,必要であり必須であった。
現在は,楷書の時代であるけれども,中学校段階で「行書」の知識,技能も求めているのは,文 字は楷書(の書体。文字の形)に加えて,行書(の書体。文字の形)にも渡ることができること,つ あり「渡り」の知識・理解があることは,文字生活を効率的に営むことができるのに加えて,過去 からの文字文化をも継承することであることを意味しよう。
(2)三体の書体,五体の書体への「渡り」について
漢字の形については遡れば,甲骨文字,金文などにも及ぶこととなるが,現在の日常の実用的な 文字生活を配慮すれば,楷書と行書との「渡り」が可能となる知識技能があれば十分である。文 化の継承に思い及んだり,書道での文字実現に及んだりすれば,楷書,行書,草書と拡がるし,更 に築書(てんしょ),隷書にまで及ぶ。楷・行・草を三体,笈・隷・楷・行・草を五体と称して書体 を総称する。三体ないし五体の書体として,同一の文字の書体を渡ることができる「渡り」の知識,
技能が要求されるのは限定的な仲間うちであり,それを必要とする研究者や書家などに限られよう。
ただ一般の,楷書での文字生活を営む人々にとっては,そういった書体があるということ,それら を通した「渡り」の考え方や知識も,場合によっては必要となるという程度のことである。文化の
継承の在り方というのは,文化の種類により継承のされ方は異なる。書体においても,同時代の文 化の在り方とのかかわりにおいて,全面的に受け継がれる楷書と,「渡り」の可能な範囲で拡がりを 作る行書とを主として,草書そして笈書,隷書は限られた受け継がれ方となるゆえに,これらへの
「渡り」はそれらとのかかわりを持つ人に限られるということである。
(3)常用漢字表における通用字体(略字体)と康煕字典体との「渡り」について
常用漢字表(昭和56年公布)に掲げられている漢字は,その「表の見方及び使い方」中「4字体 は文字の骨組みであるが,便宜上,明朝体活字のうちの一種を例に用いて現代の通用字体を示した。」
とあるように,「現代の通用字体」として判断した文字の形が選び出されている。同時に「5括弧に 入れて添えたものは,いわゆる康煕字典体の活字である。これは明治以来行われてきた活字の字体
とのつながりを示すために添えたものであるが,著しい差異のないものは省いた。」とある。ここで 言われていることを具体的に理解するために例を挙げると,「通用字体」とは例えば「亜」「悪」の 文字の形のものを言い,「康煕字典体」とは「亜」「悪」の文字の形のものを言う。常用漢字表では,
これらを見出しにおいて「亜(亜)」「悪(悪)」のようにして掲げてある。また「著しい差異のない ものは省いた」とあるのは,例えば草冠は「十」の形を二つ横に並べるのが康煕字典体であるが,「草」
の字の草冠に見えるように4画ではなく,横一型に連続した行書の形を採って3画の形としているも のとか,例えば進続(しんにょう)は「進」の字の進饒に見る形で通用字体の形は造られており,康 煕字典体「進」の形の字を括弧内に示していないとか,例えば通用字体「青」の構成要素「月」は 康煕字典体「青」に見るように「円」の形であったものであるが,これも括弧内に掲げることはし
ていないとか,いうものである。
ここに「例えば」として取り上げた「亜,悪,進,青」などは,第二次世界大戦後の「当用漢字 表」(昭和21年公布)において採られ,一般に広く用いられた略字体とか新字体とか言われたもの である。この略字体(新字体)は,そのまま常用漢字表に継承されたのであるが,新しく表を作成 する際に,旧字体とか本字とか言われる康煕字典体も併せて掲げることとし,「これは明治以来行わ れてきた活字の字体とのつながりを示すために添えたものである」という断り書きをもって,文化 の継承への姿勢を示したと考えられる。
先に筆記用具が毛筆であった時代に書き表していた文字の形は,楷書,行書,草書の三体の書体 の文字の形につき「渡り」の知識が誰にも十分にあったと考えることができるとするなら,日常の 文字生活で,威儀を正して楷書で書き表す場合,楽な構えで崩して行書や草書で書き表す場合があ ったとする。例えば,公式文書や写経などは前者,手紙や私的記録などは後者とする。これは仮の 話だが,一字一字「亜」のように書き綴り続けるよりも,「亜」のように連続して書いた方が楽であ る。「爲」「榮」「圓」と書き綴るよりも,「為」「栄」「円」のように連続したり省略したりして書い た方が楽である。誰もが,容易に「渡り」得た,と考えられる。
つまり,現在,略字体(新字体)と言われる「通用字体」は,本来,文字生活上で効率的に書き 表すことのできる行書,草書の文字の形と考えることができる。その行書,草書の,簡略化して書 き表された文字の形を,再び一点一画をめりはりのある楷書の文字の形に造字し直したものが「通 用字体」であると考えることができる。文字の形について,イメージとして「渡り」を可能とする 楷書と行書,草書との関係と見なすことができる。
もっとも「通用字体」のうちには「萬」のように別字「万」を採ったものも例外的に存するが,こ
れは文字の形の間における「渡り」は及ぼすことができない。これは,音・意味を共通にして,同 じ事柄を表す同概念の文字として相互に「渡り」をもって認知しなければならないもの,というこ とになる。このようなものは,それほど多くはない。「藝」と「芸」,「禮」と「体」などが著名なも のとして挙げられる。もっとも,このようなあげつらいは字源に遡って文字論として云々するから 持ち上がることなのであって,現に通用している簡略な文字の形が,繁体の文字の代替として,或 いは置換として人々に承認されて使われているのなら,それでよいとすべきものであると考える。
常用漢字表に掲げる字種1945字中,通用字体に添えて括弧内に康煕字典体が掲げられている字種 は355字を数えるが,著しい差異のないものを加えればおよそ400字種を超えるであろう。それら については,過去の文書類に親しむ必要が生じた場合には,「渡り」の知識が必要となる。今日の学 校教育においては,高等学校の漢文の教科書中に本文を康煕字典体をもって組むものもあったが,近 ごろは通用字体とするものが多い。そのため,学校教育では通用字体と康煕字典体との「渡り」の 知識を得る機会も殆ど失われているというのが実状である。したがって,過去の文献を必要とする 学習者において「渡り」が意識され,学ばれるということになる。(常用漢字表における通用字体と 康煕字典体との「渡り」に関しては,拙論「現代の国語における漢字r字形』変形の諸問題」(筑波 大学文芸・言語学系紀要「文芸・言語研究,言語篇3」1978にまとめた。これを改題「新旧の字体 を踏まえた漢字r字形』の指導」として,r漢字教育の基礎研究』(1981・明治図書)に収載してあ
る。)
(4)常用漢字表外における通用字体(略字体)と康煕字典体との「渡り」について
常用漢字表に掲げる字種1945字のうちで,通用字体と康煕字典体とにつき「渡り」の考え方を持 ち知識を持つことができるというのは,背景として漢字の文字の形が楷書と行書,草書というふう に連続や省略をして崩して書くことができ,形が繁から簡に渡ることができる,そしてその「渡り」
を文字認知上の共通の了解としていたこと(コンセンサスを持っていたこと)であった。この文字 認知上の在り方は,表内の文字に限られるものではない。文字自体の在り方なのであるから,表外 にもそのまま及びうる。文字の形が楷書から行書,草書へと及び,その行書の形,草書の形につい て楷書化するという手続きを踏んで,繁から簡への「渡り」を現すことになる。
かつて毛筆で文字生活が成り立っていた時代は,漢字の同一の構成要素については同じに簡略化 することは当たり前であった。例えば,「澤→沢,澤→択,繹→訳,繹→釈騨→駅」なら「繹,鐸」
なども労を「尺」とすること,「董→茎,径→径,輕→軽」なら「頸,脛,蓬,勤」なども共通する 構成要素を同じように略体化することは,別に何でもないことであった。まして使用頻度,親近度 が高く,意味が理解されているのなら,簡略化して用いられるのは必然である。これらは康煕字典 体と略体(行・草化した文字の形)との「渡り」が熟知されているのでもある。
現今,問題となっているのは,第20期国語審議会「新しい時代に応じた国語施策について(審議 経過報告)」(平成7年11月,文化庁)において,rH 情報化への対応に関すること」中の「3ワー プロ等における漢字の字体の問題」「(2)字体の問題についての考え方」において,「(前略)まず,
現在,ワープロ等で発生している字体の混乱,具体的には「鴎」が出ないというような状況の改善 を図るという問題を考える必要がある。(後略)」と指摘していることである。早い話が常用漢字表 内では「康煕字典体」と「通用字体」とがある場合,JIS規格の文字表(情報交換用漢字符合, JIS XO208−1990)に両方の文字の形が収納されている。「匪→区,欧→欧駆→駆,橿→枢」のよ
うに。これにつき,先に述べたように表の内外という観点ではなしに,文字自体の構成要素におけ る「渡り」の考え方を援用すれば,構成要素「厘」が「区」として行書化を経て略体が楷書化され るという手続きを踏まえれば,表外の「鴎」が「鴎」となることは必然的な成り行きである。それ ゆえに,JIS規格の文字表(情報交換用漢字符合)に「康煕字典体」と「通用字体」との両者を共に 収納することがあってよいということになる。いずれか一方を収納したとなると,ユーザーがいず れかを選びたい意思を持つ場合の妨げになってしまう。もう一度,言う。両者を収納することで解 決できるものである。これは,手書きの場合での文字使用の在り方,つまり繁体の文字を楷書でき ちんと書くことから,点画の連続や省略をほどこし行書化,草書化する,或いはその簡略の文字の 形(略字体)を再びそのまま楷書化して書き表すという文字の書き表し方につき,対応することと なる。文字の形につき「渡り」の考え方を導入した上で,素直に使用の実状に応じて両方の形(「鴎」
と「鴎」と)を収納する。これは,このような構成要素「厘→区」の変形につき,それを含む文字 はドミノ現象を可能とする文字群について,いずれも行いうるものである。ただし,使用頻度,親 近度,また社会的,歴史的に使われているかどうかなどの問題も配慮する必要はあるが。
(5)常用漢字表内における康煕字典体が略体化するという「渡り」について
手書きの文字は効率的に簡略化して書く,或いは行書化,草書化して書くという傾向があるとい う実態に立てば,表内字であっても日常で更に略体化して使われるものも出てくることは当然であ ろう。具体的に目に付くのは,例えば「職」を「耳」偏に労「云」または「ム」とする字,「簿」の 構成要素「専」を「云」とする字,「機」の労(構成要素)「幾」を「キ」とする字など,いろいろ である。これらは,俗体と呼ばれることもあるが,手書きで頻度高く使われる場合,また個人的な 文字生活の場合には,しばしば起こることである。広く行きわたれば,表内字のうちにも,簡略化 して使われ,「渡り」の考え方の及ぽすことのある文字も出てくるということである。要するに,康 煕字典体と通用字体とという関係での「渡り」の現象の起こる文字は,使用上での効率化という心 理傾向にのっとって,表の内外に認められるということである。
3人間が文字使用の選択権を握っているべきであるということ
文字の認知については,手書きにおける同一の文字について「基本形観念」に基づく微細な差異
(ずれ)を越えてその字として反応し判断できる許容の範囲での「渡り」の考え方が内在する。
活字において,同一の文字であるが別の形もある異体字についても,どれもその字として反応し 判断できるためには「渡り」の考え方,異体字間を渡ることのできる知識が必要である。
かつて毛筆で文字を書き表していた時には,楷書,行書,草書に通暁していれば必要に応じて文 字を自在に書き表すという「渡り」は当たり前のことであった。
今日,ワープロやパソコンに収納されているJIS規格の文字表は,文字を使用するユーザーに主体 があるべきであるあら,ユーザーの要望に応じて文字を収納,登載する必要がある。機械に人間が 従うのではなく,人間主体なのであって,機械は人間の要求に応じなければならない。例えば「鴎」
か「鴎」かではなく,「鴎」も「鴎」もであって,ユーザーとしてのそれぞれの人間の必要に応じた 選択ができるように,機械は応じなければならない,と考える。人間に異体字間に渡ることの知識
があれば,即ち「渡り」の考え方が成立していれば,必要に応じて選択できるように,機械は準備 してあればよいということである。