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学校体育における遊戯の変遷国 枝 タカ子*

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(1)

茨城大学教育学部紀要(教育科学)30号(1981)9−24      9

学校体育における遊戯の変遷

国 枝 タカ子*

(1980年10月20日受理)

AHistory of Play−Game・Dance in Physical Education in Schools Takako KuNIEDA菅

(Received October 20,1980)

Abstract

There have been many studies of historical developments of physical education in schools during the modern era in Japan. This paper aims to study yugi in this modern history. Yugi means play game , and dance for children and women. The first Japanese yugi was devised by Miss Fuyu Toyoda, a teacher of a kindergarten. It was a dance with music created by the Japanese Royal Orchestra. After 1890 many kinds of sports were brought from foreign countries, such as ball games, folk dances,

ballroom dances, and outside−activities.

Though the Japanese government wanted to put gymnastics and mili一 tary trainings in the main programs, the status of yugi as one of the popu一 lar sports programs has improved year after year.

序    説

日本における体育科教育の歴史的研究において,遊戯を取り上げたものは多くはない。体育史は多 くは制度史として行政側から研究されてきたので,その主流となる教材は「体操」あるいは「教練」

が中心であった。特に明治期・大正期の学校体育を支配してきた思想は,文部省側と軍側の2つに代 表されるものであり,それは体操重視および教練重視として現場の学校にも貫徹することとなった。

一方,幼児の体育や児童の体育,あるいは女子の体育にたずさわっている現場教師の中では,この

●   ●   ●

上から降りてきた体操や教練だけでは満たされない部分を,遊戯で解消しようという動きがみられた のである。遊戯という言葉は,きわめて適用範囲の広い概念であるが,学校体育ではその中の運動に

●   ●   ■  ●   ●  o   ●   ●  ■   ●  ●   o  ●   ●  ●   ●

関する各種の遊び,あるいは体操教練以外の他の教材のいっさいを遊戯と称するようになっていった のである。そしてこの「遊戯」は体操・教練の下に置かれて,文部行政の干渉を受けなければならな かった。

(2)

アメリカには,日本の学校体育における「遊戯」の概念とぴったり一致する言葉は見当らない。強 いて考えれば「ゲームとダンスとプレイ」の一部であろう。ヨーロッパにおけるスポーツの範囲では 日本の「遊戯」は小さすぎる。従って,「遊戯」(学校体育の専門用語)は日本固有の概念でとらえ なければならないだろう。その特異性は戦後の学校体育におけるプログラムにも影響を与えることに

なる。

さて本研究は日本の学校体育における「遊戯」の変遷を概括的にとらえる試みである。紙面の都合 上,今回は明治から大正を主にして,資料を紹介しながら,その流れを追ってみた。史料は過去10 年間における日本体育学会・女性体育史研究会での取扱い資料を使用した。史料個々の出典について は注で述べることにするので参照していただきたい。

第  1  章

学制発布(明治5年)以後,日本の近代学校体育は始まったが,就学率は低かった。義務教育が制 度上は発足しても,現実に普及するにはまだまだ時間がかかった。表1には「小学校の就学率と上等 小学校の在籍率をあげたが,明治6年で全国で28%,7年で32%,8年で35%という状況だっ た。学校における体育は,下等小学では「体術」として教科にあり,上等小学では教科にはおかれて いなかった。明治6年7月に文部省で示した小学教科書の中には,体操に関して「樹中体操法図

      2)

i東京開成学校蔵版)」「体操図(東京師範学校蔵版)」の2冊が掲載されている。この樹中体操法 図は図1にあげたが,もともとはシ。レーバー博士のArztliche Zi㎜er−G抑皿st握内医療体操 の附図を翻譲)したものである。また体操図は原典が明らかではなく現在も研究者間で不明のままとさ れているが,徒手体操が内容となっている。

就学率と上等小学在籍率の 表l r小学」

@ 変化(明治初期) 雪・ 、1・ 脅1 1 る;.ポ

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レ㊥鞠

年度 平均 上等小学

ン籍率

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明治6 39.9% 15.1% 281%

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12 58.2 22.6 41.2 ・22%

13 図1 体操法図(明治5年)

14一 ■ ○  ● 曾  慶 ・・S7%

教育令,改正教育令についての具体的な体育プロ グラムよりも,日本で最初に日本人の手によって 作成された子ども用学校教材としての体育科の「遊戯」を先に紹介しておこうσ

それは東京女子高等師範学校の附属幼稚園が明治9年11月に開校されて,保母の豊田芙雄(とよ        3)

セふゆ)が行った遊戯「風車」 「冬燕居(ふゆのまどい)」「民草(たみくさ)」等である。 これら は,附属幼稚園が宮内庁式部寮へ保育唱歌の作曲を依頼したもので,雅楽の墨譜によって作成されて いる。この作成に関する経緯は「東京女子師範学校第三年報」の中で「緊急の校務に関スル意見」と

(3)

国枝:学校体育における遊戯の変遷       11

して報告されている。

「唱歌ハ緊急ノー教科ニシテ女子ノ教育ト幼稚園幼稚ノ保育二至テハ殊二諸教科中ノ貴重ナル モノナリ然ルニ本邦諸学校二於テ未タ此教科ノ設ケアルヲ聞カス実三一大欠点ト云フヘシ本 校風二此教科ヲ設クルニ見アリ因テ式部寮ノ伶官二嘱托シテ歌曲ヲ撰成セシメ先ヅコレヲ幼 稚園幼稚ノ遊嬉二用ヒ次テ本校生徒ノ正課二充テントス固ヨリ凡百ノ事業皆始メヨリ完全ナ ルヲ期スヘカラサルカ故二果シテ此貴重ナル教科二適スルヤ否ヤハ予メ保シ難シト難モ其撰 成ノ功ヲ完了スルハ期シテ侯ッヘシ……」

子どもたちは,宮内庁の雅楽による唱歌を,保母たちが伴奏する和琴(わごん)と笏拍子(しゃく びょうし)に合せて歌い,動作をつけて踊った。明治10年11月の開業式には「風車」と「冬燕居」

が行われた。この模様は読売新聞に掲載されている。皇后宮,皇大后宮の行啓があったという。この

       4)2曲のほかに「民草」 「家鳩」 「窮鼠(こねずみ)」等が行われた。

この後,附属幼稚園ではかなり長い間にわたって,これらの遊戯が行われていたが,同時に明治   11年以降,伊沢修二の活動によって「小学唱歌集」が作成されて西洋歌曲に教材が変化していくと

子どもの動作としての遊戯もまた,同じように西洋志向となる。

さて,小学校におけるこれらの遊戯の扱いは,図2からに示すように,各県で異なり,「嬉戯」あ るいは「遊戯」などの名称で呼ばれるものであった。詳細は資料を参照していただきたい。実施回数,

実施時間も各県により多様化している。

表2 保育時間表

土金木水火月 至金木水火月 土  金木   水火月

同同同同同室=

@   喫下

@   琵分

第テ 同同同同同室

@   炎    簗分三十

第  磐二      保ノ      育 同  同1司    同同室_

@      鄭       琵分  保

謌辷黹m時

同鎌同同鮭     十     分

謖̀計三小球 体数形話ノ

@積(物  遊四

@ミー(  _十

@方ヨ球  第五

@(リ   一分

@第十円  箱

同鎌同同蹉     十     分

木計形博形 j箸数体物体 纈u(積修置四 フキーミ身キ ト b方ヨ方等方五

@( リ(ノ  分

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組      ノ

@   余ャ      間児      二 栫@     体四      操年      ヲ

ネ      為上       サ

栫@     シ ワ       ム

N以下

木日 木唱及以木計博 ミ用箸  ヒ 下箸数物 g器細歌数分網(修三物 「  字数.r二一身

組間

ャ表

三二柱  ) 本十三及 ヒ   字一

箱至  j ル六

梶j面ル及形)      )

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jルリ書¥)第 {及四j ヒ箱

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環  形形   勇形形 u  体体   紙体体 L  積羅   及積置四 禔@ ミキ   ヒ ミキ

@ 方方   同方方十

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及第 口昌 木針鎖畳貝図

「画ノ紙ノ画 u  連(遊(四 L  接至第ヒ三十

形畳織縫針図 フ紙紙画画画

マ  ((  (四   第三  三 卜

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コ笛  話室ル豪       ル

歌事鐙

方   ルー 倍五 方  十倍  角五 )  ル       )

宍 溺御本   単リ 直 (  二線  形分

諱@ 号等  等 l   二)   二

縫  織畳   歴針図 諱@ 紙紙   史画爵四

二   易第 角 箱  至   至 ヒ  及 十

至   ノ四 等ル   形号 )

j   二

)  ル      ノレ

@ )      )

ノ  ヒ 五

b  紙分  片

     .一 ッ同同同同遊時

@   戯半      一ッ同同同同遊時@   戯半

       方        一A

ッ  同同    同同遊時

@      戯半

(4)

堺  県    下等2年6ヶ月

第3号  4級 3/1日 [亟コ(蜘・5分但3時間の内舘之ヲ為スベシ)

3〜1級 5/1日   体操書 各級 6ケ月

上讐級 国(毎日2・分5時間・樋宜之レヲナスベシ)

体操書二擦ル 各級6ケ月

長崎県①  上,下各7級 第3号    8ヶ年間

②  上,下各6級

@   7ケ年間

匪]日々3・分宛時酬二之レ・行フ

③  上,下各8級 4ケ年間

女児小学規則

8級         唱歌 当分之ヲ欠ク 各6ケ月       体操 特に記述なし

4ケ年間

和歌山県    上等3年       下等小学校科ハ男女同一ナリト錐上等小学校二至リ 第2号   下等3年       テハ自ラ小異ナキ能ハス故二女子上等小学教科ハ別

各      二課程ヲ設ク6級 6ケ月/1級

(体操,唱歌ともに取りあげられていない)

村落小学教則

3級    初級    中級    上級 1ヶ年/1級     (いずれも,体操,唱歌なし)

静岡県

第3号  ①小学校則 上,下等    ②上,下等   ③ 各7級       各6級      8級

6ケ月/各級     6ケ月/各級    6ケ月/各級 7ヶ年       6ケ年      4ヶ年 國ハ日々30分宛時間外二之レヲ行フ

図2 明治時代の「遊戯」(明治ll年の小学校)

(5)

国枝:学校体育における遊戯の変遷       13

兵庫県  下等    [嬉戯](蜘2・分)五官・擁,彩色・異同及淡濃,音 第5号    8級 (8,7級響ノ強弱及ヒ異同,物香臭,味ノ美徳,諸物ノ軽 6ケ月/各級 のみ)重体面ノ粗密ヨリ大小長短多寡方円曲直等二至ル 4ケ年間

國侮日15分)体囎ニヨリテ授・

唱歌 当分之ヲ欠ク

上等8級  [圃(蜘・5分)体贈二・リテ授ク6ケ月/各級{ 4ケ年間     唱歌 当分之ヲ欠ク

第10号

淡路国    上,下各6級    上記の傾向なし

海上ノー孤島ニシテ沿海漁猟ヲ以生計ヲ営……

其情況自ラ他ト隔異的習慣モ存之………

岩手県

第9号   下等8級 8〜1級 体操あり 6ケ月/各級 下等小学通則第10歎

4ケ年間    雨天若クハ風雪ノ節体操1時間二替フルニ修身学ノ大意要所 5時間/1日  ヲ摘 シ男子ニハ義士仁人ノ事蹟ヲ演説シ女子ニハ貞婦烈女 ノ志操ヲ称揚シ務メテ佳話美談ヲ以テ生徒ヲシテ倦マサラシ ムルヲ要ス

下等小学通則第12歎

下等小学教科ハ男女同一ナリト難モ女生徒へ時間操合 裁縫紡績等便宜教授スルハ妨ナシトス

上等8級 8〜1級 体操あり

6ケ月/各級 体操   時間定リナシト錐モ 五六分宛 一日両三度スへ 4ケ年間        シ尤教師ノ意二任ス

5時間/1日

熊本県

第9号   下等6級 6〜1級 体操あり 6ケ月/各級

5時間/1日 3年間

上等4級 4〜1級 体操あり 6ケ月/各級

5時間/1日 3年間

(6)

島根県    3級 第10号   1級/1ケ年

        体操なし5時間/1日

3ケ年間

高知県    目下就学難 第9号

第11号   下等6級

:繍潜[國好灘・以テ之二換フルモ亦妨ナシトス

3ケ年間

上等6級

:晶溜[亟]〃

3ケ年間

村落小学教則  村落小学ハ尋常小学科ヲ節略シ寒郷僻邑子女永ク就学スル能ハサルノ地二 用フル者トス

上,下等 各4級

6ケ月/鰍 [体操]好一羅ヲ以テ之二換フ・レモ亦妨ケナシトス 5時間/1日

4ケ年間

広島県    上,下等

第12号 下等8級  [遊戯]8−1級

上等4級

6ケ月/1級 [璽]4−1級

6ケ年間

石川県 男姻一・教則二有之艘齪ラ轡漿穫稜ノ教育上鰍実践・

第15号   経験ニヨリ男女成立ヲ異ニスルノ理二基キ各区二於テ女児小学科程修正ヲ 要シ度気運二立到

下等8級  [亟1

6ケ月/1級 5時間/1日

上等8級  匝國

8ケ年間 図4

(7)

国枝:学校体育における遊戯の変遷      15

新潟県    下等6級

竄Uケ月/1級

 }國鷺灘野欝肇騰;      ナシ以下之二倣へ

1時 10分 50分 10分 50分 10分 50分 10分 50分

1〜6級 復読 嬉戯 読物 嬉戯 書取2級以上作文 嬉戯 珠算 嬉戯 習字

一 一 一

(1級半年) 問  答 筆算

5時間で 小学 書取2級以上作文 珠算

1日 問  答 筆算

書取2級以上作文 珠算 同井浄書

口  授

復読 体操 読物 体操 作文2級以上記簿 体操 筆算 体操 画学

等小 火水 4級以上 ヨ  講

@同

同同 同同 同同 問答3級以上 獅ニ同じ

同同 同同 同同 3級以上習字

@習 字 @同

火と同じ

作文 珠  算4級以上筆算 同井浄書

復  読3級以1澗答 口授

女児ハ上等小学第四級ヨリ算術ヲ廃シ手芸ヲ教フ但一週一次此時間二女子ノ教訓 ヲロ授スルモトノス

女生ハ上等第四級以上算術ノ科ヲ廃シ別二手芸口授ノニ科ヲ設クルノ外渾テ男生 ト異ナルトナシト難常二貞実温順ノ上申徳ヲ養成スルニ注意スベシ

千葉県    小学規則

第16号    第6条 公立私立小学の課程ハ六級ヨリ少カルヘカラス十六級ヨリ多カルベ カラズ

第9条 小学ノ科目ハ読書習字作文算術及ビ地学大意史学大意物理学大意修 身養生大意等ナリ土地の情況ニヨリ罫画体操及ビ化学生理学博物学

経済学等ノ大意ヲ加ヘヌ女子ノ為メニハ裁縫ノ科ヲ設ルフアルヘシ

青森県   長年生教則 1学期ハ四級二分テー級ハ四ケ月ト定メ全科十六ケ月即チ 四百八 第19号        十日ニシテ卒業シ得ヘキニ付家業煩多ノ時ヲ省キニケ年間二割合教

フヘキモノナリトセリ故ニー学期ハ何月二始メ何月二終ルカ地方ノ 状況ニヨリ不同アルモノトス

図5

(8)

茨城県   下等4ケ年  下等小学科ハ……男女尊卑ヲ問ハズ必全級ノ課程ヲ修ムヘキ者トス 第10号   8級

上等2ケ年半         (上,下等ともに体操,唱歌の説明がなされていない)

5級

6ケ月間/1級

5時間/1日 女子上等科ハ手芸ノー科ヲ加フルヲ以テー日六時間 山梨県   普通小学  5ケ年間  [圃

第11号   10級         毎級之ヲ掲ケスト錐モ体操書ニヨリテ毎日三十分間宛 6ケ月/1級 之ヲ為サシム但シ時間ヲ伸縮スルト教師ノ意二任ス 5時間/1日

8:00 9:00 10:00 11:00 1:00 2:00

高等小学   3ケ年間 〜9:00  〜

P0:00  〜

P1:00

〜1:00  〜

Q:00

〜3:00

6級     男

6ケ月/1級  女 復習 読物 口授 体操・吹飯 算術 習字 5時間/1日  別 問答 書取作文 ノノ 画学 ノノ ノ! 月に同じ !ノ 記簿

ノノ 火に同じ ノノ 習字

ノノ 月に同じ ノノ !ノ 画学

〆! 火に同じ 記簿

変則小学    男 女子ハ普通小学ニアリテハ其教則男児ト異ナルナシト雛モ 6級     女   高等小学二至リテハ別二教則ヲ設ク但普通小学第三級以上 6ケ月/1級  別   ハ其正科時間中二於テー日一時間宛裁縫術ヲ習ハシム尤其 3時間/1日     齢十年ヲ過キ猶第五級ヲ卒業セサルモノハ女子変則小学ヲ

学ハシム

三重県

第11号  上下二等    [團 小学体操書ニヨリ之ヲ授ク 女子ハ遊戯ヲ以テ之二代ス

各8級 以下之二準ス

6ケ月/各級

9:00 11:10 12:00 12:30 1:10 2:10

5時間/1日

10:00 11:00 12:00 12:30 1:00 2:00 3:00

復読 授読 算術 体操 書取 習字

ノ! ノノ ノ1 問答

!ノ 書取

!ノ ノ! 問答

書取 ノノ

ノノ 問答 1ノ

(上等は, 体操についてふれられていない。算数以外の他の科目につい

ても詳しい説明がない)

一・口授ハ毎科ノ余暇及ヒ毎週清書終ルノ後二行ヒ雨天ノ節ハ体操ノ 時間モ亦之二充フ

一・ 乱カ徒ハ問答ノ時間ヲ以テ習字二換へ習字ノ時間ヲ以テ裁縫ノ時 図6      間トス

(9)

国枝:学校体育における遊戯の変遷       17

驚,陣し

下等小学教則条例 ぺ 体操課ハ身体教養ノーナレハ其旨趣ヲ以テ適宜二施行スベ

@      シ

@      但女子ハ体操ノ外裁縫ヲ兼ネ教フ

第6号上等小学課程[体操]体囎二擦・レ(第8級のみ)

8〜1級

第7号 下等小学乙種[亟]

教則結尾学科

第8号  下等小学教則   「 全科ヲ卒業シ尚学習セソト欲スル者ハ直二結尾教則ヲ修メ 丙種        シムルモ甲乙種教則適当ノ級二入ルノモ適宜タルベシ

体操なし

第17号  斜酌乙種教則 第8〜第1級

甲乙丙種斜酌 下等小学上科教則 第8〜第1級

東京都 8級  [遊戯]一暖籍間一左・如く定むと凱も五時間中に於て課業

第4号  各六ケ月    を前後して之を教授する。

4ケ年     其校の適宜に任すべし,但一課業異る毎に20分時つΣ遊戯の時間 5時間/1日  を与ふへし

簡易科一学期ヲ4ケ年トス    尋常科一学期ヲ六ケ年トス

第5号  男子尋常科

6級  各級前後2期  毎期6ケ月  6ケ年 1女子尋常科

6級  各級前後2期  毎期6ケ月  6ケ年

女子ハ温和ニシテ貞順ナルコトヲ尚ヒ自男子ト異モノナレハ之ヲ教フル 常二女徳ヲ害ハサル様注意スヘシ,故二修身談二於テハ節婦賢女ノ事蹟

ニシテ,激烈二渉ラサルモノヲ撰ヒ適切二之ヲロ授スヘシ 図7

(10)

東京府

9:00 9:40 10:00 10:40 11:00 12:00 12:30 2:00 2:20

AM 9:40 10:00 10:40 11:00 12:00 12:30 PM 2:00 2:20 3:00 復読 遊戯 読物 遊戯 論述,問答 遊戯 習字,画学 遊戯 珠  算

一 同 一 同 書取作文 一同 習  字 一 同 筆  算

月に同じ 月に同じ 月に同じ

火に同じ 火に同じ 火に同じ

月に同じ 月に同じ 月に同じ

火に同じ 火に同じ 火に同じ

9:00 9:40 10:20 10:40 11:20 12100 12:30 1:30

AM 9:40 10:20 10:40 11:20 12:00 12:30 1:30 3:00 復読 読物 遊戯 珠算 習  字 遊戯 論述,問答 裁縫

画学,習字 書取,作文

月に同じ 月に同じ

火に同じ 火に同じ

月に同じ 月に同じ

火に同じ 火に同じ 図8

騰難轟・一凝 霊惣・・

      曽

1

麟鰻鎗癖一男猛愈卑豆6ゴこ

蜴怐A1ぐ馨肇欝

      ¶

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慾翼♂      憩惣     舜萄 一.こ

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図10 錦絵

4 1 ρ3

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ぢ幽 イテ   、

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噛      、 ,        、. r

麟雛而o牌牌

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三  ,一一・  ジーこr.蜘論4     貫・.、.,

図9

(11)

国枝:学校体育における遊戯の変遷       19

表3 歩兵操典の推移と散兵間隔

出典9)

歩兵操典 散兵間隔 一個中隊の

崧ャ正面幅 梯隊 間 の距 離 その他射撃開始距離など 1871年歩兵 時宜によって閉

操典(陸軍兵 閨排開する(散 学寮刊) 兵之部第21章)

1878年新式 6歩(生兵之部 離散し遮蔽物に拠る散兵に対す

歩兵操典(陸 第324) る放火は敵前200m(生歩之部

軍省刊 第406)

1887年陸達 3歩(第二編第 150m(第三 予備隊と散兵線(援隊増加)と 戦闘隊形は敵前1500mでつく 第66号歩兵操 337,343) 編第253) の距離は150mの突入の期は る(第四編第136)

1mの深さに 100m(第三編第267) 射撃開始(散開地)は敵前700

4人(攻撃) 〜600m(第三編第262)

と5人(防禦) 中隊の梯隊行進の開始は敵前

(第五編第76) 450m(第三編第266)

援隊の散兵線への増加は敵前 400m(第三編第266)

突入準備(着剣)は敵前250〜

200m(第三編第266)

突入は敵前150m(第三編第266)

1891年陸達 1〜2歩(第一 100m(第二 援隊と散兵線との距離(最初 突撃前の最後の準備の時の急射 第107号歩兵 部第119) 部第25) の散開)は120m(第一部第 撃の照尺は200〜300m(第二

操典 183) 部第32)

1898年陸達 1〜2歩(第一 100m(第二 援隊と散兵線との距離(最初 突撃前の最後の準備の時の急射 第2号歩兵操 部第124) 部第244) の散開)は120m(第一一部 撃の照尺は300m(第一部第

185) 251)

1909年軍令 2歩(第一部第 150m(第一 後方部隊と散兵線との距離は 日露戦争各師団の戦闘正面は平 陸第7号歩兵

?T

126) 部第176) 約300m(第二部第31) 均3.7Km       (殉lm深さの平均銃数は2.7挺

1924年陸普 4歩(第一部第 200m(第一 小隊の分散は分隊(4〜6人)

第94号歩兵 125) 部第267) を前後約100mの二線に配置

操典草案 (第一部第179)

1928年軍令 4歩(第一編第 200m(五編 小隊の疎開は分隊を前後約100 陸第1号歩兵 171) 第723) mの二線に配置(第二編第248)

操典 中隊を疎開する際の各小隊問の

距離は約100m(第二編第295)

1940年軍令 3(6)歩(第二編 小隊を疎開する際の分隊間の 陸第7号歩兵 第116,117) 距離は約50m(第二編第145)

操典 中隊を疎開する際の各小隊問の

距離は約100m(第二編第175)

      ・   画‡!》藁

 耳

吹pli鷺髪

鱗、 蓑1:{濃1:;霧 華繊・駄、麟  獣     爵榊こ

@ 藝懸謂!翻     緒 懇牲 言∵・   ,ず輿御  嬉融

一    ●● ・ ^o噛巳ゐ 一  一一     一 粥,・幽榊噸

図11組立,・。テイ。   図12甑・蝶 ,・

(12)

第  2  章

明治政府による中央集権化が進み,小学校の就学率が安定してくると,「体操科」の目的や学習内 容も中央に集まる傾向が顕著となった。師範学校は各県の学校に教員を供給する役割を果たし,官立の 高等師範学校は各県の師範学校へ教員を供給した。また教員検定制度によって,教育内容にも実質的 なプレッシャーを,行政府からかけるようになった。

師範学校制度に基いて,明治11年からリーランドによってもたらされたアメリカ式軽体操は全国 に普及した。図9の「たいそう」という錦絵は明治20年発行のものである。子どもたちは全員が

「亜鈴」をもっている。リーラソドはアメリカ合衆国から文部省に招かれた体操術の教師であって,

当時のUSA繭岸で行われて、・た「キ。リセニク刈゜加本に伝えたのである.このキ。リセニク スは体操伝習所を中心に教授され,また東京女子師範学校を通して女子教員にも教授された。これは

「整容法」 「美容術」 「女子体操術」などと当時は訳されている。

明治初期の軍隊式訓練の体操とは異なり,リーランドのアメリカ式軽体操はリズミカルな運動であ って,手具などを用いたために生徒の興味づけにも有効であったが,まだまだ子どもの体育教材とし ては十分なものではなかった。

したがって「体操」の普及にもかかわらず,子どもの遊び(運動遊び・戸外遊戯)に対する要求は 現場の小学校から多く出ており,坪井玄道等を通して文部行政のルートにのり,実施された。坪井は

「戸外遊戯法」を著わして,USAのゲームを数多く紹介している。坪井の紹介したゲー一ムは,東京 師範学校・東京女子師範学校一→各県の師範学校・女子師範学校一→各地の小学校・中学校・高等女 学校というルートで,末端にまで及んでいく。

また教員検定制度によって,徐々に体育の教材や学習内容の規制も強化されていく。たとえば明治

22年から25年にかけての長野県における小学鰍員齪試験問蝿みると,「普通燃一

〔1)矯正術(2)第一徒手 (3)第一亜鈴(4)球竿(5)第三棍棒 (6)木環 (7)豆嚢」および

「兵式体操一兵式歩兵操典の解説及ヒ演技,生兵第一部第一章第一教不動ノ姿勢及ヒ休息柔軟体操 同第二教右左転回及ヒ右回転…・一・(中略) 器械体操,鉄棒,柵,木馬,各一科………」(明治

22年度試験問題) 「○教科試験問題  教育 (3)遊戯及ヒ労働ヲ心意の状態上ヨリ定義シ,且 両者教育上ノ効用ヲ述フヘシ (7)体操ノ根本ノ観念ハ如何」 「兵式歩兵操典ノ解説及作用一兵式 歩兵操典ノ解説及作用 (1)歩兵操典第二編第一部第一章 ② 同 第二章 ③ 第二部第一章」

「右生兵ノ部 (1)歩兵操典第三編第一部第一章小隊及半隊の教練 (2)同 第二章中隊の教練 算 木以テ運用セシム」「普通体操一(1)矯正術 (2)徒手 (3)亜鈴 (4)球竿 (5>棍棒 (6)木       12)

ツ (7)豆嚢 右悉皆実行セシム」とある。試験問題の内容はリーラソドのアメリカ式軽体操が徹底

●  ●   ●   ●   ●

されている。また歩兵操典による教練が重視されている。教練による軍隊式体育の問題は,遠藤の

「日露戦争を1909年歩兵操典改正」東京大学教育学部紀要第15巻p.147〜163等で論じられ,ま た木下,渡辺,成田の「軍隊体育について」日本体育学会第30回大会体育史シソポジウム等の研究で       13)

さて上記の教員検定の試験問題をみても明らかなように,子どもの遊び(運動遊び・戸外遊戯)は フオーマルには,全く無視された状態であり,体育の学習内容,教材としても軽視されていた。しか し現場の小学校・幼稚園および高等女学校の指導においては,その必要が説かれ,実際の授業の中で

●   ●   ●      ■   ●

行われていた。またこれらの遊戯は「運動会」でも演技として行われた。運動会は明治20年代の後 半から急速に盛んになり,30年代に入ると新聞雑誌によって報道されるほど大型化した。図10〜11

(13)

国枝:学校体育における遊戯の変遷      21

は錦絵および組立パッテイラのボートレースである。運動会の記事を「風俗画報」から拾いあげてみ ぢ健次のようになる。雑誌「風俗画報」は明治22年2月号を創刊として,大正5年4月に廃刊され た図版の多い雑誌であり,当時の風俗がしのばれる。

運動会      巻号 明治年月日 飛鳥山(運動会)      157.20   31.1.25 飛鳥山公園 運動会       155.29   30.12.25 上田年中行事(二)二月(運動会)       飯島 嬉笑   2273    342.25 上田町年中行事(三)(運動会)        飯島嬉笑生   230.4−7  34。415 運動会とお花見       乙   羽   40.5−7 25.410 花下の春興(各学校の運動会)         観 風 子   2329−14  34.510 華族女学校第十四回春季運動会         小林 洗美   25210−12  35.6.10 慶応義塾炬火行列大運動会      福岡 袖浦   82.17−19 27.12.20 慶応義塾大運動会       福岡 華洲   74。22−25  27.7.10 慶応義塾第二回炬火行列大運動会        福岡 袖浦   8&24−26 2&a25 皇太子殿下御慶事各地奉祝の景況堺市(運動会) 坪川 辰雄   211.77   33.615 春季慶応義塾大運動会(挿図参照)      福岡 袖浦   97.11−12 2&810 小学校女生徒の運動会      444. 8  大245 市立本郷尋常高等小学校(運動会)      358.48一49  4α2.25 川柳 公園(運動会)       九尺舎吝人(選)38&38−39 41.95 大日本総国分寺(南都東大寺)(運動会)    岡田 竹雲   379.31−33  41.210 東京歳事記 三月 飛鳥山花見の様      3.5−7  22.4.10 東京市赤城尋常高等小学校(運動会)       28224−26 371.25 遠江小学の秋季運動会(付・プログラム)       45227   大2,12。5 名古屋小学校聯合運動会      黒田 扇翁  352.5   3a 11.10 花見の今昔(下)(運動会)      松月庵主人   11422−23 2a 5.10 日比谷公園(運動会)       山下 重民   276,17−20  36.1α10 豊後別府町年中行事(承前)(秋季運動会)   川野 星邨   371.13−15  4αa25 満洲婦人の情態(華族女学校の運動会)     画 報 生   33&12   3a 410 労働者大懇親会      花 涙 生   230.11−15 34.415 このように「遊戯」は「体操」や「教練」には到底匹敵しえない教材であると,文部行政側に取り扱わ

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ■

れながらも,なお子どもや女生徒を中心として普及していった。それに伴ない,遊戯教材の新しい発

●掘をめざして,外国文献やアメリカ留学生の紹介などが行われた。たとえば白井規矩郎は「婦人界」

に.・スケ。ト・ボ_ルを紹膚る等,数多くの外国の砂ム.スポーツを翻してレ・る。高瀦次郎 は東京体操音楽学校で,女性教員養成と取り組み,自分で翻訳したゲーム・スポーツおよびダンスを 実際に指導している。松浦政泰は雑誌「女子世界」第5巻12号で「女子遊戯バスケットボール」を  16)説している。球技であるバスケットボールー種目に関してみても,成瀬仁蔵はアメリカ合衆国東海 岸に明治24年から27年まで留学し,スミス女子大学,ウエルスレー女子大学,マウソトホリ。一

ク女子大学等を見学し,スプリングフィールドのYMCA体育師範学校でギューリック博 士に会い,バスケットボールを持ち帰って,梅花女学校および日本女子大学校(後の日本        17)

落q大学)で教えている。また東京女子高等師範学校の教官である井口あくりは,文部省留学生と

(14)

       18)

アの女高師附属高等女学校で,女子ルールによるバスケットボールを指導している。このほか大森兵 蔵,耕道明,川瀬元九良認パスヶ。トボ→レを招介し渓際に指導している.特に川瀬は「鯨都 教育会」において井口と共に指導を行っている。(福島四郎「婦女新聞」235号(二)1904年)。

日本においては,梅花女学校(明治27年〜) 華族女学校(明治34)日本女子大学校(明治34年)

東京女子高等師範学校(明治36年〜) 同 附属高等女学校(明治36年〜)日本体育会体操学校

(現在の日本体育大学)(明治36年〜) 宇都宮高等女学校(明治36年) 千葉県立高等女学校

(明治36年) 府立第二中学校(明治39年〜) 丸亀高等女学校(明治39年) 鹿児島高等女        20)

w校(明治39年) 函館高等女学校(明治42年) 女子学院(明治44年)等で実施された記録 がある。尼子止他の「最新遊戯集成」の中では「各地の高等女学校はもちろん,少し大都会の小学校に        21)

翌トは,此用具を備えて相当に行われているようである」と述べられている。

上記は一種目であるバスケットボールに関する事例であるが,このほかにも数多くの球技・陸上競 技・水泳が普及し,また舞踊に関してはフォークダンス・宮廷舞踊・バレエを基本にした表現的なダ

ンス(たとえばデルサルト式)等が数多く教材として移入された。

      22)   。・…

アの結果は,明治38年の体操遊戯取調報告に至る多くの論争や会議をひきおこし,体操・教練と 遊戯との,各支持層の力関係まで顕にする事態となった。

鮮   ノー・・

d磁欝 嬉 表4 スキーの服装と用具

驚嚢霧蟹灘 高田尋常高等小学校

諭響瓢      iド螺

(男児)和服 i繋?り帯で剛

紳   落湘 モモ引類を穿くも可

海昂鶴 (女児)和服(筒袖,丈はなるべく短く)

  ダ      尻ザ

ン騨      躍  丁く         、灘       ∫

袴(すそを折返して短く,又はすそをくくる)

響      十       、T 上っぱり,袴の改良

詞メ(必らず穿かせる)

胤    ㈱1      弼      ^       

ワム靴(上部に布をつける)

X子(灘あ聾蟻摩のため古)

      糊  楠

ハ      伊 手袋 (普通のもの,長き手甲も可)

C下 (古足袋利用も可)

耀、_ キャハン(古布の利用)

諸国式普通形

@ 各自より,2・3歳年長なるものに

@ 相応する長さ P.本杖 図13チュニ・クのすそを

2本杖(阜鷹で製作するよう指導し)

しばっての肋木運動

出典24)       出典26)

      23)

i井道明を主要スタッフとした「学校体操教授要目」は,これらの混乱期を一時的に乗り切るため の調整策として実現した。ここにおいて「遊戯」は,第1 競争を主とするもの,第2 発表的動作 を主とするもの,第3 行進を主とするもの として3つに分類され,16教材が例示されている。

しかし大正期を通じて,遊戯に対する現場の学校での要求はますます高まり,種目は増加していき,

●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●

大正15年の要目改正をせまるのである。社会における競技スポーツの興隆,舞踊公演の隆盛また外 国への選手派遣,児童舞踊の活発化などに伴ない,遊戯熱はいっそう加熱していった。

これらの種目の多様化と体操の技術の高度化にともない,小学校・高等女学校のユニホーム(運動 服)にも大きな変化がみられた。また寒い地方では遊戯としてスケートやスキ が実施された。図表 にこれらの一部をあげておく。(図12〜15,表4)

(15)

国枝:学校体育における遊戯の変遷       23

高田尋常高等小学校のスキー

①教材の選択

イ 小学校としての目的がある。即ち心身の鍛練を行ふを本旨とし,将来体育を重んずる美風を養う。

ロ 児童心身の関係より,十分に考慮し児童の発達に応じ,それを助長せしむる適当なる範囲のものを選択す るo

ハ 雪及び斜面等の自然の関係より教材の選択に差異を生ずべし

二 運動は用具に制限せらるるため,用具により運動形式の異なる,それ相応の運動を選択する。

ホ 教師の力量によりて適当なる教材を採るべきである。

へ 如何なる社会的影響を受け居る児童なるかを考へて選択する。

②教材の配列

イ 児童の心身発達に適応せしめること ロ 易より難に入るべきこと

ハ 循環的に進むべきこと 二 変化あるバきこと

ホ 他教科との連絡をはかるべきこと

③スキー術配当表

児童心身の発達より正科としては尋常4年より始むるを適当とすべし,但し発育良好なる児童等が適宜戸 外遊戯又は交通具として使用するを禁ずるの意に非ざること勿論なり。

種類 第4学年 第5学年 第6学年 高等1年 高等2年

出発準備 主 目 的 帰宅処置

Xキー手入保存 塗ロウ,心得

直立・普通行進 ケアゲクワイテン 跳 クワイテン 90度クワイテン 180度クワイテン

平地運動 急歩,着脱Pッソク,除雪

J脚クワイテン

横歩,退歩 ケアゲクワイテン

。歩,退歩 斜,直,横 開脚,斜,横

登  行 電光,半開脚 J脚クワイテン

タタキ付登リ Pアゲクワイテン

起立法

滑  降 直,斜

。降り

横スベリ テレマーク

Jッコー

山脚力。コー ㊧ク。シンカ。コー

の運

制  動 半シャスネージ

Sシャスネージ 用枚制動

滑降中

竅@ 止

テントウテイシ シャスネージ停止 上方テレマーク

下方テレマーク 上方クリスチャ jアコルク p枚制動キ・シ

クワイテン 体重のおき方に シャスネージニ 半シャスネージ テレマーク回転 滑降中ノ より弱き方向変 ヨリテやや強く ト全シャスネージ

方向変換 ニヨル方向変換

応用動作 小ミゾ通過法囂樺ハ過法 ヨコスベリ停止 小起伏地通過カ地行軍 コケイ 生地行軍

角付 森林,水ノ三態 光反射 力,慣性,マサ 天気,湿度

スキーノ歴史 寒暖計,風と雪 地理的知識 ツ,運動変化 温度 備   考 雪の良否,運動

フ原理平易に

地理的知識 痰ニ気象

スキー運動の基 b的理由の説明 一般に女子には男子より傾斜を緩にとらしめ急激なる動作を避け静に行はしむべし

(16)

このように,軍や文部省の意向とは違った方向で遊戯は発展し,学校体育界は困惑するがこれは我 国の「遊戯」に対する認識が,ヨーロッパやアメリカ合衆国にくらべて非科学的・非合理的な傾向が 強く,現場教育を基盤としてというより,むしろ中央政府の政策中心という,あまりに政治的であっ たための当然の帰結であるといわねばならない。

1)仲新『現代学校論』1945,pp.32−40.

2) 井上一男『学校体育制度史 増補版』(大修館書店・1970)PP・5 6・

3) 外山友子『豊田芙雄」(女性体育史研究会の発表配布資料,1979),p.15・

4)同書 P・19・

5) 岸井守一「双六・玩具絵に見る明治初期体育史の研究」日本体育学会30回大会配布資料 1979,pp.4−5.

6)同書 P.4・

7)同書 P.5・

8) 萩原美代子 「女子運動服の変遷」 『女子体育」第19巻第7号,PP.28−33.

9) 遠藤芳信「日露戦争と1909年歩兵操典改正」 『東京大学教育学部紀要』第15巻 1975,p.159

第27号,P.131・

11) 小口正行「明治期の長野県小学校教員検定試験問題」 日本体育学会28回大会配布資料,1977,p.1・

12)同書 P.1・

13)遠藤,前掲書,p.157.

14)伊東明「雑誌『風俗画報』体育・スポーツ関係記事」,日本体育学会30回大会配布資料,1979,pp.1−2・

15) 白井規矩郎「バスケットボール」 婦人界」第2巻4号,1903.

16)松浦政泰「女子遊戯バスケ.トボール」 『女学世界』第5巻12号,1906.

17) 輿水はる海「女子バスケットボールの史的考察(1)」 『東京体育学研究」日本体育学会東京支部,1976,p.7.

18)同書 P,7・

19) 福島四郎「婦女新聞」 235号(二),1904・

20) 輿水はる海,前掲書,p.8.

21) 尼子止他「競技的バスケットボール」 『最新遊戯集成」1918,p.1229.

22)体操遊戯取調報告は,明治38年11月30日に,体操遊戯調査委員であった沢柳政太郎,高島平三郎,川瀬元 九郎,可児徳,井口あくり,波多野貞之助,坪井玄道,三島通良によって,文部大臣宛に提出された。この報 告書は「体操科 目的」のほか「体操科視学設置二関スル件」まで19項目の問題にっいて,その見解を明確 にしたものである。詳細を知りたい方には,井上一男『学校体育制度史」大修館書店を参照されたい。

23) 学校体操教授要目は大正2年1月28日に,文部省訓令第1号として制定された。

24) 毎日新聞社編「日本の百年」毎日新聞社1959.

25) 日本女子大学所蔵「運動会」記録写真1904.

26) 大橋正春「スキー黎明期における学校スキー指導について」日本体育学会28回大会配布資料,pp・2−5・

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