「英米法における刑事責任能力規準」(1)
The Criteria of Criminal Responsibility in Anglo−American Law(1)
野 阪滋男
1 はじめに る。公刊をためらった理由の一っは,先駆的 英米刑法における刑事責任能力の原則は, 役割を失ったことにあった。ところが,最近 1843年のマクノートン事件(M Naugton になって,興味深い論著(3)に接して,長い Case)を契機として成立したいわゆるマク こと中断していたこの分野での研究再開を決 ノートン・ルールが支配的であった。このルー 意するにいたった。そこでスタート・ライン ルによれば,精神障害(insanity)を理由と に戻るという意味で未刊の修士論文の一部を,
する防禦が成立するためには,被告人が, 紀要の誌上を借りて,示すことからはじめた 犯行当時,精神の疾患のために,①彼の行為 いとおもう。以下の部分は,歴史的概観が中 の性質を認識しなかったか,②当該行為にっ 心であることから,また論旨の展開からいっ いての正邪の認識がなかったか,でなければ ても,加筆・補筆あるいは削除は最小限にと ならない。ただこのルールは,当時の主知主 どめることとし,不適切な訳語や,推敲不足 義的心理学の影響をうけていたせいか,ルー の箇所もそのままにしておくことにした。と ル成立当時より,数多のルール批判が展開さ にもかくにも執筆時は,今から30年前であり,
れ,とりわけ近年の心理学や精神医学の著し 参考文献もそのままになっている。かように い進歩もあってか,その修正・廃止が主張さ して本稿を示すことによって,本テーマ研究 れた。とはいえ,アメリカにおいては,1950 の再スタートたらしあようとおもう。
年代の半ばまでは,ほとんどの法域でこのルー
ルが維持されてきたところであり、今日でも m墨谷葵『責任能力基準の研究一英米刑法を 依然として維持している州もある。責任能力 中心として一』(1980)
の規準としては,勿論必ずしも十全なもの ②野阪滋男「マクノートン・ルールにおける ではないが,英米法域では依然として命脈を r行為の性質』及びr邪悪』の認識」慶慮義塾 保ち続けている。 大学大学院法学研究科論文集〈昭和44年度〉
ところで,わが刑法学界で,マクノートン・ (3)Robinson, Daniel N., W Z4 Bθα8孟 ルールをはじめとして,英米刑法の責任能力 απ414ZθH猟0μrs肋θ ηSα航ッdげθηSθ 規準に光があてられるようになったのは, ∫roπLご舵απ吻疏ッめεんθprεSθ砿 1960年代になってからであろう。そしていく (1996)
っかの貴重な先学の論考に先導されつつ,同
テーマの論考を集大成した論著q)が公刊さ 皿 マクノートン・ルール成立以前
れたのが1980年のことである。筆者も,時を いわゆる正邪テストとよばれるマクノート ほぼ同じくして,このテーマを研究し,修士 ン・ルールは,歴史的発展の所産ともいうべ 学位論文としてまとめ,その一部を公刊し きもので,われわれは,まず,その歴史的素 た(2)が,その大半は未刊のままになってい 描からはじめなければならない。
1 初期イギリスの註釈者にみる法的思想 non facit reum, nisi mens sit rea)」に思 初期の註釈者は,精神障害を,民事上の責 いを致しっっ,狂人は重罪の意図を有しえな 任との関連においてのみ論じている。 いから,重罪を犯しえない,とする。すなわ 13世紀の法学者Bractonは,精神の異常な ち,前述の 無能力申立否認 に関するリト 者を定義して,「自分が為していることを認識 ルトンの定説は民事上に限るとし,「重罪の せず,知力および理性に欠け,獣類を相去る 如き刑事事件においては,狂人の行為…は彼 こと遠くない者」とし,したがって,人間は, にその責を帰しえない。というのは…狂人が 理性によって,他の動物と区別しうることを 狂気によってのみ処罰されることになってし 示したにすぎなかったq)。 まうからであるω。」換言すれば,狂人は自
15世紀になると,Littletonは,不動産相 分が何をしているのか認識せず,知力および 続に関連するなかで次のようにいう。「正気 理性に欠けているから,重罪の如き犯罪の意 でない( non compos mentis )者は…そ 図を有しえないのであり,先の法原則の要請 の事実を自分自身では抗弁として申立てられ にしたがい,狂人に責任はない,とする。勿 ない。…というのは,何人も,自分自身を無 論,Cokeは,重罪の如き犯罪を免責する精 能力とするいかなる答弁も認められていない。 神異常の種類や程度にっいてのテストを示し もっとも,その相続人は抗弁として申立てる てはいない(5)。しかし,Cokeが,精神異常 ことはできる」とする。要するに,彼によれ 者の刑事上の責任を,犯罪の要素との関係に ば,精神障害の抗弁は当事者本人からは主張 おいて把えたことは注目すべきであり,かよ しえない,ということで,これを称して 無 うな問題意識こそ,来るべきより高度の理論 能力申立否認(non−stultification) に関す 的発展の原動力となったといえる。
るLittletonの定説という(2)。 そして,っいに,17世紀後半, Haleは,精 16世紀においても,依然,註釈者は,精神 神異常を犯罪と刑罰とに関連して論じ,犯罪 障害の抗弁を,刑事上の責任と関連させるに の責任を免ずる精神障害に関するテストを提 いたらないが,漸次,その方向を示しっっあっ 示するにいたった。ここに,刑事上の責任を た。 20ペンス計算テスト( counting 免ずる精神障害と,そうでない精神異常との twenty pence test ) と称する白痴(idio一 間に一っの区別がなされた。当時のイギリス cy)に関するテストを提示したFitzherbert 法によれば,何人も,白痴その他の精神異常 は,相続財産(fee)の公示譲渡(feoffment) を理由として,自らの民事上の行為の無効を に関連して,正気でない (of unsound 主張しえないが,死刑犯罪に関しては無能力 memory)者の譲渡等の行為は,抗弁又は令 の利益を有していたことが, Haleの言にも 状(不具審査令状〈De ldeota inquirendo>) うかがえる。かくして,刑事上の責任を免ず により無効の主張をなしうると解す。さらに, る精神障害の種類・程度を判断する尺度が必 精神異常者の刑事上の責任に関し,彼等は思 要である。そして,それには,Fitzherbert 慮分別(discretion)をもたないから,重罪 やCokeによって示された問題意識をもっこ
も謀殺をも犯しえない,とする。かようにし とが,Haleの出発点となったようである(6)。
て,彼の適用したる刑事責任の唯一のテスト Haleは, Fitzherbertの 白痴に関するテス は,思慮分別を有するや否や,であった(3)。 ト −20ペンスを計算する能力の欠如,両親
16世紀後半から17世紀にかけてのコモン・ および手紙の認識能力の欠如一を示し,「こ ローに関する最高権威者であったCokeは,法 れらは,証拠となりうるであろうが,狭きに 諺「故意なき行為は罪になることなし(Actus すぎて,必ずしも決定的なものではない。け
野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(1) 149
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セし白痴なりや否やは,陪審や時には検査に る。「善悪(good and evil)を識別すること
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謔關R判されうる事実問題である。」(傍点筆i が生れっき出来ない常態にある者は,白痴お 者)として排斥する。かくして,Haleは,精 よび精神異状者(1unatic),分別年齢未満の 神障害を,重罪および叛逆罪の責任を免ぜし 幼児と同様に,いかなる刑事訴追によっても
ある全面的精神障害(total insanity)と,い 処罰されない(8)。」(傍点筆者)。マクノート かなる犯罪の責任をも免ぜしめない部分的精 ン・ルールは,後述の如く, 正邪テスト 神障害(partial insanity)に分け,14歳児 ともいわれるが,その 正邪(right−wrong)
(achild of fourteen years)の理解力の有 は,このHawkinsの 善悪(good・evi1) に 無によりこの両者を分類する。前者は,Coke その源を発するといわれている。
にいわゆる「真正な狂気(absolute mad一 以上瞥見してきたように,18世紀初期まで,
ness)」および「記憶力の全面喪失(total イギリスにおいては, Haleの提言による deprivation of memory)」と同視しうる。 14歳児テスト が,刑事責任能力のテスト 後者は,事柄の種類又は程度に関して部分的 として用いられてきたのである(9)。
ではあるが,理性の活用に全く欠けているわ
けではないような精神障害をいう。しかし, (1)Quoted by Henry weihofen, in Mθη施♂
この両者を分っ不可分な一線を画することは D sor4θrαsαCr 而ηαムD4θηsθ(1954),
至難であり,裁判官と陪審の両者により評価・ P.53,Note 4., by Jerome Ha11, in 斜酌される状況に依拠しなければならない。 GeηθrαZ Pr π⑳Zθs(ゾCr 而παZ Lαω
とはいえ,「わたくしの考えうる最良の尺度 (1960),P.475.
がこれなのだ」という。したがって,「憂う (2)Edward Coke, TんθFlrsεPακ(ゾ孟肋 っ症に罹患する者でも,なお14歳児が有して 1πsε 観θsqμんθLαωs(ゾ.翫gZαη4(1832)
いると同じほどに理解力を有する者は,叛逆 VOL一246aff. quoted by Weihofen, op.
罪又は重罪につき有罪となりうる者である。」 c .,P.53, Note.5.
● ●
要するに,彼によれば,理性の活用を全く奪 (3)Matthew Hale, TんεH 8 orγ(ゾ孟んθ われたる者は理解力を有せず,理性的動物と PZeαs(ゾ伽Crα〃η(1800),P.29.,Coke,
して行為するのでなく,したがって,その行 op. o 君,,247b., quoted by Weihofen, op.
為は実際には野蛮な状態にあり,かくして, c紘,P.53.Note 6.Fitzherbertによれば,
彼等は死刑犯罪にっいて有罪ではない,とし 白痴は「20ペンスの勘定も,誰が父母である ている。そして,理性的行為のテストとして, かも,自分の年齢をも告げえない者」であり,
14歳児のそれを一っの尺度と考える。Hale もし「手紙を認め又は他人の指図により読み のこのテストは,その後のイギリスの裁判所 うるならば,白痴ではない」という。
の採用するところとなり,「14歳児テスト (4)Coke, op. c砿247b.
child of fourteen years test 」として (5)Quoted by weihofen・oP・c ・・P・54・
知られるに至った(7)。 もっとも,Cokeは,重罪および大逆罪が免責 18世紀前半になると,いわゆる刑事責任無 されるには,真正なる狂気(absolute mad一 能力のテストが,漸次,裁判所の判決等によっ ness)および記憶力の全面的喪失(total dep一 て宣明されるようになった。それらより時間 rivation of memory)でなければならない,
的には後であるが,18世紀末に表明されたテ とはしている(Hale, op. c砿P.37)。なお ストで,マクノートン・ルールの一っの源と Cokeは,正気でない者を四種に分類している もいわれるHawkinsのテストは次の通りであ (Coke, op. c肱,247a)。
(6>Weihofenによれば,「彼は,精神障害者の 認識の有無および善悪の識別能力の有無がテ 刑事責任無能力を論ずるにあたり,犯罪の意 ストとして示されたものとも考えられる。勿 図の概念を,その出発点とした」という(Wei一 論,その有無の判断に際し,野獣の能力を尺 hofen, op. cあ., P.54)。 度とすることになるから,かような意味にお
(7)Hale, op. c 乙, P。29〜31, quoted by いて,標記のように,野獣テストと称するの Weihofen, op. c ., P.55. も一理あるようにおもわれる(3)(4)◎
(8}Hawkins, P♂εα8 qμ舵Croωη(1824), (血)フェラー事件(1760年)(5)甲 Vo1. i P.1,quoted by Weihofen, op. 法務次長の弁論の要旨は以下の通りである。
・ ● ● ● ■ ● ● ●
ロ{P.55 もし理性の全体的永久的欠如があれば被
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i9)なお「野獣テスト」から「14歳児テスト」 告人を無罪としよう。もし当該犯罪が犯さ
・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
ワでの歴史的素描を行ったものとしてRobin一 れた時に,理性の全体的一時的欠如があれ sonの前掲書も最近の文献として参考となる。 ば,被告人を無罪としよう。しかし,もし
・ ● ● ● ● o ● o ● ・
ree Robinson,・p。 c オ., P.113ff. 部分的程度の理性と複合した部分的程度の 精神障害一理性の十分かつ全き活用にあら 2 初期イギリスの裁判において適用ないし ずして,…犯罪を惹起した激情を抑止する
表明された法律上のテスト に足る理性の相当程度の活用一のみが存す
(i) アーノルド事件(1724年)(1) る場合,又,もし思考および計画,合為あ
・ ● ● ■ ● ■ ●一野獣テスト(Wild beast test)一 性質(nature of actions)の識別能力,
● ・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● o ●
sracy裁判官の採用したテストは,以下の 道徳的善悪の区別の分別能力がある場合に 通りである。 は立証された犯罪に基づき,法律にっいて
…問題は,当人が理性および感覚を働か の判断が行われなければならない(6)。」
● ●
せているや否や,である。もし彼が…善悪 (傍点筆者)
● ● ■ ■ ■ ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ● ● ● ・
識別しえず,自分のしていることも認識 以上の所説は,Haleの言説をより分析的
● ■ ● ●
しえないならば,…彼は少しも法に違反す に解釈したものであるが,要するに,行為の る犯罪に対し有罪とはならない。…他方刑 性質を理解しかっ道徳的善悪を識別するに足 罰を免ぜられるような精神病者であること る理性を有したる場合,被告人は有罪とされ を示すものは,狂った気質や人の行為に含 ることになる。したがって,刑事上の責任を まれる何か奇妙なものとは限らない。かく 免じうるのは,常時全部的精神障害である場 して,決して刑罰を課す目的とはならない 合にかぎられ,全部的精神障害とは,すなわ
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幼児や野獣以下に理解力と記憶力を全く奪 ち理性の全き喪失を意味する。
われ,自分の為している行為を認識しえな (皿)ハドフィールド事件(1800年)(7)
い者でなければならない。したがって,彼 一妄想の存在一
● ●
が,…何をしているのか認識し,善いこと 法務長官は,Coke, Haleの所説およびアー
● ●
又は悪いことをしているかどうかを識別す ノルド事件,フェラー事件で司法的に表明さ ることができ,自分が為したことを理解し れた見解を支持し,精神障害を理由として刑 ていたかどうかの問題を,諸氏の判断に委 罰を免ずるには,記憶力および理解力を全く ねなければならない(2)。」(傍点筆者) 奪われていなければならないとした。要する
以上のTracy裁判官の説示は,通常 野獣 に,そのテストは,行為の結果(the
テスト の源として引用されるが,疑問がな consequences of the act)の判断能力の有 いわけではない。文言上は,むしろ,行為の 無および善悪識別能力の有無であった(8)。野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(1》 151
一方,被告人の弁護の任にあたったのは, られるか。これにっいては明らかではないが,
後に大法官(Lord Chancellor)となったT. ハドフィールドの無罪は,テストの変更とい Erskineであった。彼の弁護は,当時のもっ うよりは,法律上のドグマに立ち向った
ともすばらしい弁論の一っとされ,詳細を極 Erskineの雄弁ないし常識の勝利とされてい めていた。「もし記憶力の完全なる喪失とい る(12)。それはさて措き,ハドフィールド事
う語句が,法律家によって,字義に拘泥して 件は,被告人の精神障害の争点が抗弁として 解されるならば…,かような狂気はこの世に 提言され,叛逆罪や重罪裁判に関し最も重要 決して存在しないであろう(9)」と激しく力 な前進であったといってよい(13)。
説し,さらに次のように結論する。 (iv)ベリンガム事件(1812年)
● ● ●
ゥようにして,妄想は,狂乱又は乱心が 一一般的正邪の認識一
● ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ■ ●
ネいときは,精神障害の真の特徴である。 ハドフィールド事件後12年,パーカー事件,
したがって,犯罪のために生又は死を受く バウラー事件,ベリンガム事件の三っの事件 者に妄想があるとはいえない場合には,私 が相次いだ(14)。このうちベリンガム事件に の見解によれば,彼は無罪とされるべきで おけるMansfield首席裁判官の見解は注目さ はないし,またもし裁判所が他の原理によっ れるべきである。
て支配されるべきなら、正常にして理性的 もし最も邪悪な行為を犯すことが正なり な行動から離脱のすべては,刑事上の正義 や邪なりやを識別できない程に,あらゆる から解き放されるであろう。わたくしは, 理性力を奪われているならば,彼は法律に かような危険な根拠にもとつく評決を要求 反して行為を為しえないであろう。かよう
・ ● ● ● o ● ● ● ● ● ■ ● ● .
はしない。わたくしは,この不幸な被告人 な者は,あらゆる判断力に欠けるから,故
● ● ● ● ● o ●
が,精神異状に関するわたくし自身の定義 意(intention)をもちえないであろう。…
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ノいわゆる精神異状であったことばかりで 唯一の問題は,彼が問責されている犯罪を
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ネく,当該行為がその疾患の直接の,純然 犯した時に,善悪,正邪および謀殺は神の
● ● ■ ■
スる結果(immediate, unqualified off一 法ばかりでなく彼の国法にも反する犯罪で spring of the disease)であったことも, あることを識別するに足る判断力を有して 確証しなければならない(1①。(傍点筆者) いたかどうか,である(15)。(傍点筆者)
これに対し,Kenyon首席裁判官は,「法律 如上のようなMansfield首席裁判官の言説 に関する疑いは全くない。たしかに,当時精 から判断すると,一般的・抽象的正邪テスト 神が異常な状態にあれば,彼はその行為にっ であるといえよう。ところで,このテストと き刑事上の責任を問われない。しかし,この 従前のそれとの関係をみると,その修正変更 場合に重要なことは,行為が犯された当該時 は実に緩慢であり,明らかに区別しうるかど において,この者の精神が正常であったかど うか疑問なしとしない。④野獣テスト→妄想 うかなのであるω」という立場を表明した。 の存在テスト→正邪テスト,◎野獣テスト→
評決の結果,被告人は,犯行時において精 正邪テスト,のいずれかである。この両者の 神障害の影響下にあったとして,無罪と認定 差異は,ハドフィールド事件におけるErskine
された。これは,Erskineの弁論に負うとこ の「妄想の存在」テストが,裁判所で採用さ ろ大であったが,しからば,Erskineの宣明 れたかどうかに依る。それはさて措き,1812 した新しい責任能力のテストー要約すると, 年には,正邪テストが唯一の刑事責任能力の
①妄想の存在,②行為がその妄想の結果であ テストであり,妄想の存在は,正邪の識別無 ること一が,裁判所において採用されたとみ 能力をもたらすかぎりにおいて免責事由とな
りうることが,裁判所の見解として表明され (1》Rex v. Arnold(1724),16 How. St.
た(16)ことだけは確認できよう。 Tr 695, quoted by G. W. Keeもon, in
(V)オックスフォード事件(1840年) Gμ ♂ β碗Zπsαπθ(1961),P.15.16, by ベリンガム事件におけるMansfieldの見解 Hall, oρ. c 孟., P.476, by Weihofen, op.
は,1831年のオフォード事件において承認さ c肱,P55.
れた(17)が・当該行為と関係のない正邪の識 (2)Quoted by Hall, oρ. c舐, P,476, by 別テストは,裁判官が自分自身の見解に適合 Weihofen, op. c ., P.55.56.
させるよう,あるいは明らかに精神障害で責 (3}Weihofenは,この点に関し, Tracy裁判官 任のない者を有罪としないようにと設けた制 の説示全体からは, 野獣 は例として示さ 限によって,時々修正された。したがって, れたまでで,決定的・排除的テストとは考え 確固たる原理も,実務における現実的画一性 られない,という(ibid., P 56 note15)。
も,結果の安定性もなかったといわれてい ω この判決により,民事事件,刑事事件との間 る㈹。 に区別が支持されたといわれる。すなわち,
かような状況にあって,1840年,オックス 部分的精神障害は,民事上の行為を無効とな フォード事件(19)におけるDenman首席裁判官 しうるが,刑事上の行為に対しては責を負う の見解は,マクノートン・ルール確立の歴史 ことになる〔Henry Maudsley, Rθspoπs 一 的基礎をっくったともいえる。彼は,「もし わ 砒γ πMθ漉αZD sθαse(1875), P.90〕。
ある支配的疾患(controlling disease)が, (5)Ferrers Case(1760),19 How, St. Tr.
● ● ● ● ●
真に,彼において行動力であり,それを抗拒 886.
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しえないなら」,被告人は責任がないとして, (6》Quoting from 4 st. Tr.(N.S。)854,
以下のように結論づける。 856
■ ●
問題は,被告人が自分の為している行為 (7》Hadfield s Case(1800),27 How. St.
● ● ● ● ● ● ● ●
の性質および結果(nature, character, and Tr.1282, quoted by Keeton, op. c 孟.,pp.
consequeces of the act)を全く意識して 17−58.
いないと信ぜられるような精神障害の下で (8}め 4.,P.28,29 行動していたかどうか,換言すれば,被告 (9) 6 4.,P.38
人は,疾患のある精神の影響を受けて,犯 (1⑪め 4.,P.40.,4St. Tr.(N.S.)879,889 行時において,その行為が犯罪であること (1D Keeton, op. c 孟., P.56
を全く無意識であったかどうかなのであ (拗Maudsley, op. s 孟., P.92., Weihofen,
る⑳。(傍点筆者) op. c琵., P.58.後者には,「ハドフィールド 以上のDenmanの所言のうち,抗拒し難い の無罪はテストとして,正邪の認識に代えて 衝動を暗示する「抗拒しえない支配的疾患」 妄想のテストを司法上適用したものではなかっ および「行為の性質および結果」の文言がや た。すなわち,おそらくErskineの巧妙な雄弁 がて来るべきルールの内容を予測させる。 に困惑された結果の事例だった」というDue
かようにして,イギリスにおける初期の判 裁判官の言が引用されている。
例を通じて,いわゆる「正邪テスト」は形成 (13》Keeton, op. c ご,, P.58 されていった。そして,オックスフォード事 (10めご4.,pp.62−69
件より3年後,っいに,イギリス刑法史上もっ (15}4St. Tr.(N.S.)856., Weihofen, op.
とも重要な原理の一っの誕生をみるにいたっ c紘,P.58
た。 ㈹ Maudsley, op. c ε., P.94., Weihofen,
野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(1) 153
op. c紘, P.58 ずる場合。諸氏が,彼は自分が犯罪を犯し
(mRex v. Offord(1831),5C&P.168. ていることを妨げる何らかの精神疾患の影 Lyndhurst曰く,「陪審は,精神障害を理由と 響および支配下にあったと信ずる場合。諸 して被告人を無罪としうる以前に次のことに 氏が,彼は自分が神および人の法を侵して 満足しなければならない。すなわち,被告人 いることを認識しなかったと信ずる場合。
は,犯行時において致命的ならば謀殺犯罪に 以上の場合には,疑いもなく,被告人は諸 関して如何なる結果(effect)になるかを認識 氏の無罪評決をうける。…彼を免責するに しなかった,ということである。問題は,彼 は,彼がいくっかの事柄にっいて部分的精 が神および自然の法に反する犯罪を犯してい 神障害の下で行動した,ということでは足 ることを認識していたか,である。」(4St. りない。…すなわち,もし彼が正邪を認識 Tr.(N.S),857) し識別しうる程度の知力を有するなら,又
⑱Maudsley,・p. c6孟., P.94. もし彼が彼の犯罪の結果(effect)が何で
㈲The Queen against Oxford(1840),4 あるか認識しているなら,およびもし彼が St. Tr.(N.S),497. この意識を有して犯罪を故意に(wilfully)
⑳ 6 d.,551,554. 犯すなら,彼を免ずるに十分ではない(4)。
法務次長の主張するテストは,如上の言説 皿 マクノートン・ルール成立 でみる限り,従来の先例の立場を踏襲するも
1 マクノートン事件(1) のであった。彼は,精神疾患の顕在の無限の 1843年1月,Daniel M Naughtonは, 態様に注目し,犯罪の免責事由となる精神異 Robert Pee1卿秘書Drummond氏を狙撃し負 常の種類を明示することは困難だが,それに 傷させた。Drummond氏が死去したので, 適用できる法原則を定めることは可能である マクノートンは謀殺罪で起訴されたが,評決 という。事件自体の性格もあるが,彼の明ら の結果,彼は精神障害の理由により無罪となっ かにしようとしたことは,いわゆる部分的精 た。この評決の結果として,貴族院は,かよ 神障害者の責任であり,その解決には,「妄 うな事案を支配する法律に関し,裁判官の意 想」の存在の取扱いが決定されなければなら 見を聴することとなった。この貴族院の質問 なかった。
に対する裁判官の解答が,マクノートン・ルー 彼は,Erskineの見解を否認し,被告人が ルである。 一っの妄想の下で行動していても,その行為 したがって,マクノートン・ルールは,マ がその妄想の下で犯されたかもしれない場合 クノートン事件において宣言ないし適用され にも,法律によって,被告人は処罰される責 たテストではないことに注意すべきである。 を負うと考えた。彼の主張の依拠するものの われわれは,第一に,事件の審理過程におい うち,重要なものは,ベリンガム事件におけ て表明された精神障害者の刑事責任能力のテ るMansfieldの原則である。彼は,この見解 ストに関する当事者の主張を瞥見する(2)。 を引用しっっ,こう結んでいる。曰く,「当
(i)法務次長の主張するテスト(3) 事者が,権利を侵されたという妄想に罹患し すべての問題は要するにこういうことに て行動することもありえよう。しかし,もし なる。諸氏(陪審一筆者注)が,被告人は 彼が犯罪の性質(nature of the crime)を 当該行為の犯行時に責任ある行為者ではな 意識しているならば,その犯罪についての処 いと信ずる場合。諸氏が,彼はピストルで 罰をその妄想の故をもって免ずるものではな 狙撃した時正邪の識別ができなかったと信 い(5)。」と。
かようにして,彼の支持するテストは,一 も,精神疾患の結果により周囲に実在する事 般的正邪テストー正邪の識別無能力,行為の 柄の関係を全く識別しえないこともありうる 結果(consequences of the act)の無意識一 し,また二艘歯1とは道徳感情や制禦力を有す ● ● ●
ナあった。 る場合でも,個別的事例では自制力の可能性
(且)Cockburn弁護人の弁論(6) をなくしてしまうほど抗拒し難く激しい衝動 疑いもなく,イギリス法では,精神障害 の動物,被害者になりうると解する。したがっ は責任を免除し,あるいは法律の侵犯に随 て,「もし,かかる衝動の下で,法が非難し 伴するであろう法律上の効果を免ずる。… 制裁をもって望んでいる行為を犯すならば,
神意は,精神に障害ある者を人の法ばかり その者は,その制裁に従わせられない。けだ でなく,神の法に対する責任からも免ずる。 し,彼は,人間の責任を創り出しうる唯一の かくして,法は,人間の知能をくもらせ, ものたるそれらの動機の抑制の下にいないか 思考および感情の根源をも毒する疾患一理 らである(8)」といっている。
性を奪い,人間を下級動物の類に変えてし Cockburnの所説において,とくに注目す まう疾患一通常は行動を阻止し,神および べきは,ある事項にっいての一個別的ないし 人の法の許す範囲におくあらゆる動機 部分的一妄想の被告人の犯行時の精神状態に
(motive)を圧する疾患一狂乱の空想が惹 及ぼす影響の小ならざるを,科学的に立証し 起し,また制禦し難い激情によって,比較 ようとしたことである。そして,彼の結論一 的よい理性がまだくもっていない時に,嫌 妄想に罹患している者も,他の点では,正常 悪するであろうような行為を犯せしむる激 でありうる一は,マクノートン・ルールに直 しい衝動の恣に,不幸な罹患者をおく疾患一 接的影響を与えたといえる(9)。また,彼に を承認している。したがって,法は,かよ おいて,正邪の意識が問題とされる場合には,
うな状態にある人間は,法律上の責任およ 妄想が存在する事項についてのそれであり,
び法律上の制裁から免かれる,との立場を もし犯罪行為が妄想の所産であれば,結局,
とる。さもなければ,正義の原則および人 正邪の認識は当該行為についてのものであり,
間性を侵すことになるだろうσ)。 一種の制限的解釈を示したものともみられる。
Cockburnは,以上のイギリス法の原則を, (血)Tinda1首席裁判官の説示(1°)
一般的命題としては疑いを許さないとしっっ もし被告人が,当該行為の犯行時におい その適用においては困難があると考える。そ て,その行為が神又は人の法に反するとい れ故に,彼は,被告人の抗弁を,犯行時の被 うことを意識しないなら,疑いなく,その 告人の精神状態について展開しようとする。 行為にっき責任はない,又はその行為から 彼によれば,被告人は,①ある事柄にっいて 派生するいかなる制裁にも責任はない(1D。
(被害)妄想に罹患しているが,他の点では Tinda1裁判官の説示は簡単なものであった。
正常であり,②その妄想が彼をして当該犯罪 要するに,彼によれば,正邪の識別ができる の実行に仕向けた,というのであろうか。換 ならば,責任がある,ことになる。彼の主張 言すれば,彼は,本件を,全部的精神障害の する正邪テストは,従前のと同様一般的・抽 事案としてではなく,妄想の事案として提言 象的な正邪テストと解する学者もいるが,私 したのである。したがって,彼の主張は,先 見によれば,マクノートン・ルールに表明さ のErskineのそれと軌を一にするといってよ れた彼の見解から推すと,当該行為について かろう。そして,実際的結論は次のように考 の正邪テストと解するほうが妥当と考えられ えられる。精神が他の点で正常である場合で るのではないだろうか。
野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(D 155
(1}The Queen against Daniel M Naughton disease of the mind, as not to know the
(1843),4St. Tr.(N.S.)847,934. nature and quality of the act he was
(2)See Keeton, op. cあ., pp.75−99. doing, or, if he did know it, that he did
(3} 4St. Tr.(N.S.)850−860 not know he was doing what was wrong.一
(4》減d,,853,854 The mode of putting the latter part of
(5} わ認.,857 the question to the jury…is not, as we
(6}必 (∫.,872−906 conceive, so accurate when put generallγ,
(7}必 (Z.,874 and in the abstract, as when put with
(8》必 4.,892 reference to the party s knowledge of
(9》Keeton, op. c髭., P.98. right and wrong in respect to the very
(1① 4St. Tr.(N.S.)923−925 act with which he is charged…
}
(1D 6 (♂.,925. …If the accused was conscious that
働 H.Barnes, A Century of the Mc the act was one which he ought not toNaughton Rules 8σα肌わ. L.訊300,301 do, and if that act was at the same
(1944). time contrary to the law of the land,
he is punishable;
2 マクノートン・ルール 精神障害を理由とする抗弁を確立するに
● ●
マクノートンの無罪評決の波紋は大きかっ は,被告人が犯行当時,彼がしている行為
■ ● ● ● ● ●
た。当時,刑事事件における精神障害に関す の性質を認識しえないほど,精神の疾患に ■
髢@は安定性を欠いていた。本稿でも概観し より,理性の欠陥の状態にあったこと,又 てきたように,19世紀の裁判においては,諸々 ゐ,もし彼が行為の性質を認識していると
● ●
のテストー正邪識別無能力,異常な妄想の存 しても彼は悪いことをしているということ
■ ●
在等々一が適用されたが,それらの適用の結 を認識しなかったこと,が明らかに証明さ 果には大なる相違が生じていた。国民は,安 れなければならない。陪審に対し後者の質 定性の欠如に困惑したが,最も頭を悩ました 問を提示する方法が,…一般的・抽象的に
● ● o ● ● ● ● ● ● ● ・
のが法職者であった(1)。 為される場合は,問責されている当の行為
● ● ● ● ● ● ● ● ●
かような状況は,マクノートンの無罪評決 に関連して為される場合ほど正確でない。…
の結果,異常な妄想の罹患者によって犯され …もし被告人がその行為が為すべきではな る犯罪に関する法の確立を迫った。っいに, いものであることおよびその行為が同時に 1843年6月19日,貴族院により提出された質 国法に反するものであることを意識してい 問に対する解答の形式で,裁判により,いわ るならば,彼は罰せらるべきである(3)。
ゆるマクノートン・ルールが宣せられた(2) (原文の下線和文の傍点は筆者)
のである。そのうち,最も重要なルールは以 マクノートン・ルールが,単に異常な妄想 下の通りである(本稿での中心をなすもので の罹患者の刑事責任能力のルールにとどまる あるから,原文も示し検討する)。 か,あるいはすべての精神障害者のそれなの to establish a defence on the ground of かの議論は,しばらく措くとして,上に引用 insanity, it must be clearly proved, した範囲では,刑事責任能力のテストは,① that, at the time of the committing of 行為の性質の認識②正邪の認識であり,後 the act, the party accused was labouring 者は一般的・抽象的正邪の認識というよりは
under such a defect of reason, from むしろ当該行為に関する正邪の認識のほうが
妥当との見解を採っている。この点に,マク 質問の一般的文言には含まれるが,貴族院が ノートン・ルールと従前の正邪テストとの相 質問作成に際し考慮しなかった事情により,
違が認められる。 それらと区別されうる事実状態には,解答が これに反し,Maule裁判官は,少数意見で 与えられていない(7)。したがって,裁判官 次の如く主張する。曰く,「精神の異常を理 は,事案の特殊性を顧慮して,マクノートン・
由として,犯罪にっいての責任を無くするに ルールに従うや否やを決すればよいとする。
は,従前において理解され支持されてきた法 かようにして、マクノートン・ルールは,
律に従い,異常性は,正邪の認識ができない 当初,かなりの制限的な拘束力しか有せずと ほどのものであるべきq)」と。すなわち, 考えられていたことがうかがえる。しかし,
彼は抽象的・一般的正邪の認識の一般テスト マクノートン・ルールは,僅かな修正的適用 が適用されるべきものと解するのである。 はあったにせよ,1843年から今日にいたるま ところで,以上の如き裁判官の解答は,ど で,刑事責任に関連する精神障害についての のような前提で述べられたものか。すなわち 法のもっとも重要な部分を構成しっづけてき 裁判官の意見の拘束力如何の問題といえる。 た。
多数意見によれば,裁判官の義務は,法廷に
あらわれ立証された事実にもとづき,個別的 (1)Keeton,・p. c ε., P.99.
事実を支配する法を宣言することであり,し ② 2,3の文献で,解答した裁判官の数に差 たがって,本解答は貴族院により提出された がある。Stephenによれば15名中14名が多数意 抽象的質問に関する抽象的な法と考える。か 見④,Zilboorgによれば返答を提出したのは
くして,本ルールの適用には十分の注意が必 13◎名であり,前掲判例集では「11名の裁判官 要であることを勧告し,その点で制限的な拘 により支持された゜」意見とある。
東力であることがわかる(5)。一方,少数意 ④J.F.Stephen,.4 H諭orッ(ゾεんe Cr流レ 見のMaule裁判官は,多数意見以上に,注目 παごLαωq/Eηg♂αη4(1883),P.154.
すべき躊躇を示した。その理由は,①質問・ ◎G.E.Zilboorg,丁加Psッco♂ogッoゾ伽 解答ともに一般的・抽象的なものであり,裁 Cr伽 ηαZ孟α侃dP磁sん肌e配(1954),
判所が,かように一般的法として意見するこ P.58
とは妥当でない。②この種の問題につき論議 ◎4St. Tr.(N.S.)847.
が交わされていない。③これは刑法上の重要 (3》4St. Tr(N.S.)847,931,これは部分的 な問題であり,これらの解答が刑事事件で引 妄想の罹患者の事実において陪審に対してな 用されると,正義の施行を困難にする可能性 される説示如何という質問に関して述べられ
もあるとして,むしろ解答することを避けた たもの。
いとさえいっている(6)。 (4} 6 d.,928 かような意味において,Stephenは,次の (5)ε6 4.,931 二点が注意されなければならぬという。第一 (6)ご6 4.,927
に,裁判官の解答は証拠により立証された確 (7)Stephen, op. c ., P.154.
定事実に関する判断ではない。しかも,それ
は,裁判官は答える義務もなく,かっ貴族院 3 マクノートン・ルールの二要件(1)
は答を要求する権限もないような質問に対す (i)「行為の性質」の認識
る解答にすぎない。第二に,質問の表現は一 一Knowledge of the nとture and quality 般的であり、解答も質問の表現に近いたあ、 of the act 一
野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(1) 157
ルールにいわゆる「行為の性質」の認識と 意味する一に違反して行為していることを認 は,どういうことか,議論は主として二方向 識」していれば処罰しうる,としている(4)。
から展開されてきた。①NatureとQualityは ところが,他方,正邪の認識の問題が,「もっ 同意語なりや,②「行為の性質の認識」と第 ばら国法にっいての被告人の認識に関して提 二要件「正邪の認識」との関係如何,である。 出されるべきならば,それは,有罪宣告をす 前示のルール成立前の初期イギリスの判例 るには,国法にっいての現実の認識(actua1 においては,NatureのほかにConsequecesや knowledge)が不可欠であると陪審に信じ Effectなどが用いられ,主として行為の物理 こませ,混乱へと導き入れる虞がある(5)」
的側面を指し,結果をも含ませているように ともいっていて,いささかわかりにくいとも おもわれるが決定的ではない。またStephen いえる。
は,ルールの評釈において(2),Natureは行 歴史的には,善悪テスト(good and evi1 為の物理的側面を,またQualityは行為の法 test)にその源を発する正邪テストは,前述 的側面の解釈の可能性を示している。すなわ のように,初期の判例のなかでは,もっぱら ち,ハドフィールド事件に言及するなかで, 道徳的正邪認識に力が注がれた(6)。その流 ハドフィールドは「行為の性質(the nature れをくんでか, Tindal首席裁判官も,マクノー of his act)すなわち彼がジョージ3世に トン事件の説示において,当該行為が「神又 むけ弾丸をこあたピストルを発射しているこ は人の法を侵犯(7)」しているという認識が
と」を明らかに認識していたし,また「行為 要請されるとして,道徳的正邪と法的正邪を の性質(the quality of the act)すなわち 択一的なものとしている。
その行為は法律が大逆罪と称しているところ ルールにいわゆる「邪悪」なる語は「道徳 のもの」であることも認識していたし,さら 的邪悪」と解すべきか。ルールが,当該行為 に,彼は「それが悪い(法によって禁止され にっいての正邪認識を要求していることから ているという意味において)ということ」を 考えると,「邪悪」が「道徳的邪悪」のみを も認識していた,というのである。 意味するものとも考えにくい。それでは,
しかし,いずれにしても,Cockburn首席 「法的邪悪」又は「違法・不法」と解すべき 裁判官が告白するように「『行為の性質』と か。ハドフィールドのように,人類の救済の いう語か何を示しているのか,わたしにはまっ ために自分を犠牲にすべきだが方法として自 たくわからない(3)」というほうが率直なと 殺はとらず,絞首されることによって目的を ころである。 達成しようと,謀殺を企てた精神異常者は,
(i) 「邪悪」の認識 行為の「法的邪悪」なることを認識している 一Knowledge of wrong 一 のであり,厳格に解されたマクノートン・ルー ルールにいわゆる「邪悪」の認識の要件に ルの下では責任がある。
ついては,「道徳的邪悪(morally wrong)」 いずれにしても,ルールにいう「邪悪」の なりや,「法的邪悪(1egally wrong)」又は 語義をめぐっての議論は,一世紀を越えてく
「違法な(illegal)」いずれかを意味するかに りひろげられたのである。
っいて議論が展開されている。 (1)この部分は発展させて前掲論文にして公刊 この問題について,ルールは,部分的妄想 したので大部分を削除した。あらためて論文 に罹患している者の責任につき次のように定 集を示す。「マクノートン・ルールにおける める。異常の妄想の故であっても彼が犯行当 r行為の性質』及びr邪悪』の認識」慶慮義塾 時,「法律一国法(the law of the land)を 大学大学院法学研究科論文集(昭和44年度)
109頁。 指摘する権限を有し義務を負うこととして,
(2}Stephen,。p. c∫ ., P.15 次の事項を示唆している。すなわち,犯罪の
{3}法務長官への手紙。Quoted by Barry, 性質は二つの要素一①犯罪が法律に反すると Insanity in the Criminal Law in Aus一 いう認識②犯罪を犯そうとする意思又は犯 tralia .21 Cαπ. B Reひ.431(1943) 罪を犯すことを抑止しようとする意思一を含
(4》4St. Tr.(N.S.)930 んでいる。そして,前者を有しながら,疾患
(5)め 4.,931 により,後者を欠く精神異常者がいくらかい
(6)「神および自然の法(the laws of God る。かような者は,行為が不法であることを and nature)に反する犯罪」といった語句を 認識しているかもしれないが,抗拒せんとす 用いている(ベリンガム・オーフォード事件)。 る意思又は能力を有しない信念ないし衝動の
もっとも,ベリンガム事件では,他方で,「神 ため,止むなく犯罪を犯すかもしれない。か
・ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ● ● ● ● o
の法ばかりでなく,彼の国の法に反する犯罪」 しくて,法の要請を充足しようとはせぬ精神
● ● ● ●
ともいっている。 異常者と充足しえない精神異常者との相違を
(7)4St. Tr.(N.S.)925. 認め,無能力を惹起する疾患の条件を指摘し,
また法の支配として厳粛に宣言される虚偽の 4 マクノートン・ルール評釈 事実を見出すときは,それに抗弁すべく,観
つぎに,われわれは,マクノートン・ルー 察により得た顕著なる事例を提出することが ルについての学者の評釈を示さねばならない。 医者の務である(3),という。
ここでは,とくに,ルールが宣明された19世 Maudsleyの言説のうち,犯罪の性質に,
紀の代表的学者のうちから,H.Maudsleyと 知的要素と意的要素を区別している点が注意 J.F.Stephenの二人の見解を紹介したい。 できよう。そしてこの区別に従い,法の要請
(i) Maudsleyの評釈 を充足しようとはしない者と法の要請を充足 マクノートン・ルールで注意すべきは,正 しえない者とを区別し,能力の欠如によって,
邪の問題が,犯行当時の当該行為に関して提 責任能力が否定される可能性を示している。
出されることである。 一般に知的側面のみを強調していると評され 行為の性質の認識という要件から,もしルー るルールに,かなり疑問を呈示しているとい ルが厳格に適用されるならば,多くの異常な えよう。
暴行事件などは免責されてしまうのではない (ll) Stephenの評釈
か。すなわち,かような異常な暴行者で,犯 Stephenの考察は詳細であり,ここではそ 行当時に,行為の性質を十分に認識している の結論的部分を示すことにする。
者はほとんどいないといえるからである(1)。 マクノートン事件における裁判官によって また正邪の認識は,行為が国法に反すると 与えられた解答が,イギリス法の拘束力ある いう認識とは異なる。精神異常者が,法律に 宣言であると考えられるとしても,現行の法 反していると認識して行為をすることはあり では,精神疾患の故に自分自身の行動を制禦
うる。何故なら,彼は,精神障害により,そ しえない者は,その行為にっき責任はないと れを正しいと信じているからであり,異常な 解される。そして,異常な妄想,衝動又は狂 妄想下で,彼が彼自身に対する法であり,そ 気により通常惹起される他の事態の存在は,
うすることが義務だと考えているからであ 行為者が自分の行動を制禦しうるや否やの問 る(2)。 題と関連性のある事実であり,かようなもの
最後に,Maudsleyは,医者が宣言ないし として陪審の判断に任せられるべきである。
野阪:「英米法における刑事責任能力規準」(1》 159
Stephenによれば,マクノートン・ルール 行為者の精神に,行為に関連する上の を厳格に解釈すると,狂気は単なる事実問題 如き効果のいずれかを及ぼすものでな および通常の認識事項に関連する罪のない錯 いならば,その行為は犯罪となりうる。
誤の一つの可能な原因と考えられなければな 以上の如きイギリス法の解釈は,マクノー らず,比較的広義に解さなければならないと トン・ルールにより確立された刑事責任能力 いう。すなわち, 認識する という語を広 テストを包摂し,しかもそれ以上の効果を期 義に解し, 邪悪 という語を 違法又は道 待しようとしたものであることを認めなけれ 徳的邪悪 と解するのである(4)。 ばならない。したがって,極論すれば,行為
要するに,認識(knowledge)および能力 者が,行為当時,知力の欠陥又は精神疾患の
(power)は意志にもとつく行為(voluntary ために,自己の行為を制禦しえないならば,
action)の構成要素であり,いずれか一方 その行為は犯罪とはならない,と考える。し が極度に損なわれるならば他方は無力にされ かも,自制力の欠如の原因が,行為者の慨怠 る。まこと,行為の性質(nature of his であってはならないとする点も注目される。
act)を認識しない者は自制しえないのであ そして,この 自制力 の問題は,いわゆる り,かつ自分自身を制禦しえない者も行為の 「抗拒し難い衝動」との関係で重要な問題を 性質を認識していない(5)。そもそも,マク 提示していることになる。
ノートン・ルールの拘束力を制限的なものと
するStephenは,刑事責任能力のテストとし (1)Maudsley, op. c オ., P.96
て,「自制無能力(incapacity of self controD」 (2) わ 4., P.98
を採用するのである。そして,この自制力の (3) 6 4,,pp.110−111
欠如(absence of the power of self control) (4)Stephen, op. c 乙, pp.167−168
は,正邪認識無能力,行為の性質の不認識を (5) 6 4.,P171包含するものと解し,ここにおいて,マクノー (6)しからば,彼にいわゆる自制力とは,「自分 トン・ルールを解消しうると考えている(6)。 自身を制禦する者は,行動に関する遠い動機 かような観点から,犯罪性に及ぼす狂気 と行動に関する一般原理を考え,それに従っ
(madness)の効果に関する当時のイギリス て自らの行動を誘導する。自分自身を制禦し 法について次のように述べている。 ない者は,彼の注意に直接的に影響を与えて
以下の場合においては,その行為は犯罪 いる動機により,誘導されている。もしそう
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ・ ・ ● .
とはならない。行為者が,行為当時,〔知 であれば,自制力とは,行動の遠因と一般原
● o ● ■ ● ● ● ● ● ● o ● ● ● ● ・ ● . o
力(mental power)の欠陥又は〕精神に 理を注意し,それらと当該行為とを理性的に
● ■ ● ● ● ● ● ● ● ●
影響を及ぼす疾患のために, 考えて結びっける能力をいわねばならない」
a.自己の行為の性質(nature and のである( 6 4., P.170)。
quality)を認識せず,又は (7) わ d., P.149.原註によれば,〔〕の部分 b.その行為が邪悪であることを認識せ は疑わしい,「邪悪」は道徳的邪悪および違法 ず(7),〔又は を意味し∴「認識する」の意は表面の如く単純 c.自己の行動を制禦しえない一その制 でない,とする。
禦力の欠如は自らの解怠により惹起さ れたものでない〕場合。
しかし,行為者の精神が疾患に冒さ れている場合でも,その疾患が,事実,