管理の自主化と自己管理
井 島 宏 幸
目 次 ω 問題の所在
〔2)労務管理における自主的管理
(3)自己管理のフレーム・ワーク
〔4)管理の自主化と自己管理
㈲ 自己管理と組織化
㈲ 結 び
(1)問題の所在
注1
組織とは「2人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力の体系」である と定義されるが,その体系の構成員である個人の行動が組織の維持,発展の基 礎となっている。しかし,同時に組織の中にいる個人は,その組織体系から意 識的に調整されながらも,組織に拘束されないある種の自由な行動範囲を保持 していることは否定できない。すなわち,個人の意思決定と行動は組織の調整 下にありながらも,厳密な意味でそれとは同一とはいいがたい組織構造の実態
を形成していることになる。
近年,管理過程の一部を自主化していく傾向が現われ始めたのは,以上の組 織の実態をふまえ個人の意思決定を尊重することによって,個人の行動に左右 される組織を,より有効な構造にするためであると考えられる。それは管理の 自主化は,個人行動に管理的行動を付与することによって,自主的管理行動と 自己管理とを重複させて,個人の中に組織に対する忠誠心を育成することを期 待したものであり,またそこに個人に自発性や積極性を増大させる機能がある
と考えられてきたからである。
本論の目的は,管理の自主化が自発性や積極性の増大につながるためのプロ セスを分析するとともに,そこに重要な役割をはたすと考えられる自己管理の
組織管理上の位置づけを試みることにある。
(2)労務管理における自主的管理
労務管理は,労働者が組織の仕事を遂行する過程で,労働の意義を見い出 し,そして各自の能力の最大限の発揮と組織全体の統一的観点からより良い遂 行をするように,制度的及び人的側面から指導,管理するものである。今日,
この目的を効果的に実行する手段として動機づけ管理が大きなウェートを持っ て導入されてきている。そもそも労務管理は,経営者の意思決定と労働者の実 行現場における意思決定とに有機的連結をもたらすことを基本的命題の1つに しているが,動機づけ管理は労働者の仕事の遂行にさいし,実現させたい管理 内容が充分浸透し,それを実践において体現できるように展開させることを課 題としているところからもその導入の有意性が高いことがわかる。
ここで上位者の意思決定を下位者のそれとの伝達ルートに大きな課題が存在 していることを1つの例として,とりあげて考察してみよう。組織内の部門間 にあってはそれぞれの具体的目標が不可欠のものであるが,それが部門間相互 の利害対立の発生する原因となっている。たとえば,生産部門にあってはより 安いコストとより多くの生産が目標になる。販売部門ではそれが,客の希望の 実現とより多くの販売となる。両部門にあってはこれが対立の原因を含んでい る。多くの客の希望を取り入れていては生産コストの増大につながり,生産量 も減少しかねない。一方,客の希望が導入されない製品は販売にあたって不利 な立場におかれる。両部門における対立は,上位の組織部門である営業部門に 昇ることで融合され解決される。このように,営業部門では利益の極大化が,
人事部門は組織的目標が中心になり,財務・会計部門では,資金コストの低減 を目標とするなど,それぞれが異なる目標の下で活動がおこなわれていて,よ り上位の組織的統合が必要となっている。
このような組織的性格はコミュニケーション・ルートの阻害要因となってく る。上意下達はそれぞれの部門の目標にてらしあわせて調整されて受けいれ られ,下意上達は各目標を実現するための手段として伝達されるから情報がス
トレートに伝わらないのである。この問題を解決するため,上位の立場から判 断するような統合的立場の経営行動が必要になってくる。われわれは管理監督 機能の一部を下位者に委譲することによってこうした問題に対処する1つの手 段として(この問題のためだけではないが)「自主的管理」ないしは「管理の
自主化」といわれているものが採用されていると考えている。
しかし,管理の自主化が導入される要因は上記の理由だけでなく,労働者個 人の行動に責任と権限を拡大して与えることで,より良い経営行動が期待でき
るという動機づけ管理の一環として,システム自体の促進要因があることも事 実である。
自主管理と自主的管理
ところでわれわれは自主管理と自主的管理を区別しないできたが,両者は基 本的に異なる性質をもっていると考えている。
selfmanagementはソ連やユーゴスラビア等の社会主義国における企業レペル の「自主管理」を内容とする言葉である。「自主管理」としての「管理の自主 化」は究極には国家体制そのものの自主化を指向するのであるが,社会主義国 は基本的建前として国の運営は全人民の自主的な管理機構とされているため,
国のレベルの管理の自主化は問題とならないことになる。ユーゴ等社会主義国 における自主管理運動は官僚化された企業組織の漕性化を目ざすための具体的 方法と考えられている。その意味で,企業レペルにおける経営者の選択をも含 めた労働者の自主管理がその内容となるわけである。企業を1経済単位として みた場合,その行動目的を含め,組織全体の行動に対して責任のある意思決定 が自主管理の名の下に許されるわけである。くりかえすが,企業の経営者とそ の経営方針は労働者によって選ばれ,かつ決定されるので本当の意味で「自主 管理」といえるのである。
一方,資本主義社会においては,企業の国家に対する独立性はより高いもの であるし,株式会社にあっては株主の支持があるから,「管理の自主化」とし て経営管理者自体の労働者による自主的な選択は決しておこりえない。その意 味において「自主管理」は企業内の下位集団レペルに限定される。そして最高 管理者の意思の下に範囲が限定された対象に「自主的な管理」は行動が許され
るといった特質をもった管理手段になるのである。
故に,資本主義社会においてはselfmanagementは社会主義社会のそれと同 一内容と理解できないので管理をmanagementとadministrationの差異から,
資本主義社会における「自主的管理」を autonomous administration とここ ではよぶことにする。
そこで本論では,「自主管理」とは異質のものとして「自主的管理」はとら えられ,さまざまな「自主的管理」方策の全体を総称し,その管理的傾向をも
含めて「管理の自主化」と表現することにする。
管理の自主化とその性質
今日,自主的管理として導入されているものに目標による管理,フレック ス・タイム,ジョブ・ローテーション,職務拡大,職務充実などがあり,さら に,全員参加の経営とか,QC・ZD運動などの小集団管理へと,「自主管理運 動」の名のもとにさまざまな形をとって展開されてきている。こうした各自が
中心になって意思決定をしていくシステムが増大し,多面化してくる傾向が管 理の自主化といわれるものである。
管理の自主化とは,管理の傾向として,従業員が自主的に自発的に管理活動 の一部を担う意思決定をするように指導されていくことをいう。すなわち,組 織の従業員が限定された範囲における管理行動を実行するにあたり,自主的に 意思決定し活動することを許されるような組織的管理傾向をいうわけである。
管理の自主化には労使双方にそれぞれの目的があるように思われるが,一般 的には経営の民主化を進展させ,労働疎外からの開放をねらい,人間としての 自立,自信及び自尊などを与えること,そして,労働者の自発性や自主性を育 成することなどがその効果ないし目的として考えられている。そこで管理を人 問ではなく組織の維持・発展を中心にして考えるとき,これらの目的は自ずと 序列がついてくることになる。組織がその協働体系の活性化・効率化を指向す るとき,その目的は個人の自発性や積極性の増大を中心にすえることになるの はさけられない。またそればかりか,他の目的の多くは中心目的を補佐するた めの手段として利用されるまでになるのである。このような組織目的を背景に して現実の組織においては,管理の自主化が「たんなる職場への帰属意識を求 めるのではなくして,それぞれが目標を明示することによって自らが職場集団 の中で,ひいては企業の中での役割意識と結びつくことによってより大きな一 体感を持つと同時に,企業は馴れ合い的集団を目的的集団とすることができる
注2
という機能」を発揮する可能性が高いことも事実として考えられるのである。
ところで管理の自主化はマイナスの効果がでてくる可能性もある。管理的に 成功すればするほど管理の自主化を一層進展させることの要求が強まってく る。また自主性の発展を期待して長期的にそれを促進するためには,自主的管 理方策のさらなる導入が必要となってくる。しかし,こうした行動には限界が
あり,自主化への波が発生すれば当然それをおさえることになる。これは対立 を発生させ労使関係を悪化させる可能性をもっていることになる。また同時に
自主的管理はどんなにエスカレートしても経営管理者のところまではいかない ことから,経営管理の手段としての性格が従業員のなかに明確に理解されるよ うになってくる。そして,手段として利用されることから反発をまねくことも ありうるわけである。こうした管理の自主化に内在する矛盾は,組織に反抗的 行動を導入することもあることが理解できるのである。
われわれは,組織における協力的立場と反抗(反対)的立場とは基本的に同 じ効果の両側面であると考えている。すなわち,協力も反抗も組織に対して,
積極的で自発的な行為である点に共通の効果を見るわけである。これに対立す る概念は,組織に対して,参加していても無関心,非協力的・非反抗的な立場 をとるような非積極的行為の場合がそれである。
先にもふれたように,管理の自主化は組織目的の関係で自発性や自主性など の発展を期待したものになるが,積極性に対する個人の反応の中には組織に協 力的立場と反抗的立場の両方があることになる。すなわち,管理の自主化を通 じて組織が期待する自発性の実態は,組織にとって不透明な結果指向となって いるといわざるをえない。
こうした意味において,管理の自主化は積極性を発展させることを通して協 力も反抗も拡大させる可能1生を持っているところの方策であると考えられるの である。
(3)自己管理のフレーム・ワーク
自己管理(onese膿management)の概念を明確にする作業として,類似の語 彙との比較を試みることにする。
自己統制(selkontro1)と自主管理(selfmanagement)
自己統制はある一定の目的のもとに,肉体的精神的に目的実現のために自分 のあらゆる欲求不満や生活を制御することを意味している。自主管理は,ある 一定の体制(組織)内で中央(上司)との関係が分権的であり,一定分野にお いてある範囲の行動が委任されている状況が背景にある管理方策である。そこ では,基本的目的は中央によって決められているが,具体的目的は現場にまか されており状況に応じて,中央の意向に反しない範囲で,自由に変えることが できる。そして,主体的で積極的な意思決定が行なわれ,活動が管理される が,その活動に応じて目的も変更ができるような管理方策である。
この2つは目的の流動性に関してあきらかな違いをみせている。自己統制の
場合は,与えられた目的は絶対的な位置を占め,確定しているといった性格で あるのに,自主管理の場合は,上司からの枠はあるが,自分で目的を決めるこ とができ,実行と目的のあいだには多少の融通性がある。行動上の違いはそれ ほど明らかにはでていない。
自己管理との比較
自己統制と自主管理の相違点を比較するポイントとなった目的と行動上の視 点を自己管理にあてはめてみよう。自己管理は個人がその生活の全般にわたっ て,自己の目的の実現のために自己の精神と肉体を統制することである。その 場合の目的とは自己の欲求や希望によって構成されたもので,多面的であり,自
由な意思の下で状況に応じて変化していく性格をもっている。そこでは目的の 設定に関してなんの規制もないことから,目的の流動性は,自己統制が1番低 く,自主管理は外枠が決められているが,その範囲では自由がきく,自己管理は 自由に変化できるという点できわだった性格が理解できよう。ただ行動の面で は基本的に同じ面が強く,自分で自分を統制する面は共通のものと考えられる。
組織と自己管理
ところでわれわれは,自己管理の特徴がその目的のflexibilityにあると理解 したわけであるが,組織の一員としての個人が意思決定をする過程で,自己管 理はどのような性格を帯びているのかを理解しなくてはならない。
自己管理の1つの側面は組織上の権威の受容の問題によくあらわれている。
権威は,組織上の権限によって成立するのではなく,その伝達内容がそれを 受ける人にとって受け入れられるかどうかによって成立するものであるとバー ナードは主張する。彼によると,権威が個人に対して受容でき,また受容する
ようになるための条件が4つあるという。
(1)「伝達を理解でき,また実際に理解すること」
②「意思決定に当たり,伝達が組織目的と矛盾しないと信ずること」
(3)「意思決定に当たり,伝達が自己の個人的利害全体と両立しうると信ずる こと」
(4)「その人は精神的にも肉体的にも伝達に従いうること」注3
である。
われわれはこの権威が受容者側によって決定されるという説を納得する。そ して自己管理はこの理論によって1側面が構成されていることを理解するので ある。すなわち,組織に対する個人にとって,上位者からの命令を理解できる
か,またはそれを理解するかどうかは,個人の側において能力と意思を持って いるかどうかにかかっていること。そして,個人が考えている組織目的とその 命令とが両立するかどうかの個人の判断によって愛容されるかどうか決まるこ と。さらに,組織との関係の個人的利害が侵されるかどうかによって,個人 は服従するかどうかの決定をすること。そして命令を実行する能力があるかど
うかによっては,個人は無視する可能性もあることなどである。これらは,全 て個人の側に意思決定をする権利が与えられているものばかりで,対組織関係 において,自己管理の対象の重要な側面を構成しているのである。ここでは組 織に自己管理の対象領域が強く拘束されていることになる。
自己管理のもう1つの側面は個人の欲求の問題である。 注4
マズローによれば,人間は5段階の欲求群があるという。(1)生理的欲求群,
く2)安全欲求群,(3)社会欲求群,ω自我欲求群,㈲自己完成欲求群,がそれで ある。この仮説には人間の経済的動機の面である金銭的欲求が表面にでていな い。しかし,たとえば生きるために食べることに対する欲求があるが,金銭は そのための手段と考えられていることで,5段階説の中に内在している。だ が,われわれはより多くの金銭を欲しがる行動など社会生活上の欲求から,経 済的欲求もここでは具体的欲求としてあげておきたい。
人間は生命を維持したり,種族保存をするためにさまざまな欲求を持ってい る。食べる,眠る,歩く,遊ぶなどなど人間に共通した一般的な欲求である。
これらは経済的裏打ちが必要な部分(食品購入,住宅,衣料等)もあるが大部 分は組織とは無関係な存在として意思決定できる自己管理の対象である。しか
し,経済的欲求は組織との関係を無視できない側面ではあるが,基本的なこれ らの欲求を満たすだけの経済性なら,それほど組織の拘束を受けなくても達成 できるため,自己管理は主として非組織的な面の活動に関係するのである。
これがより高次の欲求群になるにしたがって,社会的な欲求が増加し,群 居,地位,名誉,権力などの欲求が出てくる。これらは個人差があり,民族や 宗教,また歴史的にも変化する性質をもっているが,組織的な関係はより強く 要求され,自己管理は非組織的な方面から組織的方面に重心が移ることになっ てくる。たとえば,社会的に役に立っていると認められたい,仕事が立派なご となのでそれに従事していることが楽しいとか誇れるとか,出世や社会的地位 を得て高い評価を受けたいなど,組織に関係した方が達成しやすい面も大きく
なっているのである。しかし,それでも個人的満足は組織に入らなくても達成 できる可能性も残されており,自己管理の満足追求は組織と無関係の面もかな
りあるといえる。
このように自己管理のもうユつの側面として,組織の拘束力がそれ程強くな い個人的欲求と満足追求の面をあげることができるのである。
われわれは自己管理のフレーム・ワークとして組織との関係の有無の立場か ら考察してきた。
自己管理は,組織の管理とは一定の距離のある個人の自由の意識下におかれ たもので,組織に協力的にしようが,反抗的にしようが,また,組織から離脱
しようが,組織の拘束が及ばない自由な意思決定と行動の選択が可能な対象領 域のものであると考えてきた。
その意味で自己管理は,対内的にも対外的にも自由な側面があるが,個人の 意思決定の中にはそのおかれた状況に自分でしばるという場合もある。しかし 外からの束縛による自由の侵害は基本的には自己管理にありえない。もしそれ に類したことがあるとすれば,それは個人の欲求と外部のそれとの対立からく る軋礫であって,自己管理の結果としての行動が摯肘されたことにすぎず,自 己管理自体が自由を失ったからではない。そしてもし,そこに自由がないと感 ずる場合は,個人の心の確執からくるもので,自分で自分をしばっているから
と考えられるのである。
以上のことから,われわれは自己管理は自由な意思決定と自由な行動の選択 を可能にする主体的な個人の行動であると考えるのである。
(4)管理の自主化と自己管理
われわれはここでバーナードの理論をかりて「管理の自主化」と「自己管理」
の焦点をより鮮明にしていきたい。
個人と協働体系
バーナー一ドは The Functions of the Executive で組織と個人の統合の問題 をあつかっている。そこでは協働体系の能率と有効性の問題を柱に,個人の組 織への参加の問題と,協働体系により一層の努力の貢献を得るための問題をあ つかっている。彼は個人が組織を維持する基礎であるという明確な位置づけの 下に次のような主張を展開している。
「個人とは,過去および現在の物的,生物的,社会的要因である無数の力や 物を具体化する,単一の,独特な,独立の,孤立した全体を意味」しているが,
「組織との関連においてそれらが直接問題となる場合以外」は「個人の経歴や その理由を……(中略)……とりあげない」。また個人は「労働者,市民……
@ 注5
(中略)……政治家,実業家,管理者,ある組織の一員をあらわすにすぎない。」
(傍線は筆者)そして個人は活動によって特徴づけられるがそれは「心理的要 因の結果である」とする。個人は選択力,決定能力,自由意思があるとされる がその場合の個人には「選択力には限界がある」し「自由意思は限られ」てお り,意思決定の「選択には可能性の限定が必要である」としている。 (この間 題については後に論及する)そこで,この自由意思の観念は「自律的人格とい
う感覚を保持する」ことになり「その感覚がない」人は「社会生活に対する適 応力がないことを意味」し,「協働に適しない人」であるとされる。こうした注6
とらえかたの下で個人は「協働体系の参加者として」,「純粋に機能的側面に
注7
おいて,協働の局面とみな」されるわけである。
以上のような背景の下での個人が「快くそれぞれの努力を協働体系へ貢献し ようとする意欲」は組織の本質的要素になる。そして協働の力は「結局のとこ ろ,個人の協働しようとする意欲と協働体系に努力を貢献しようとする意欲と 注8
ノ依存している」のである。バーナードは,組織のエネルギーは個人的努力の 貢献によって形成されるのであるから,組織の存続のためには,利己的動機を
もった個人を満足させるような誘因が不可欠のものと考えるのである。
誘因と個人
組織を存続させるために個人は満足させられなくてはならないが「組織に対 注9
する努力の貢献は純満足という誘因によって生ずる」。個人にとっての積極的 利益と不利益との差が純満足であるが,その差が大きければ「雇用を魅力的に する」ため,協働体系の維持が楽になるという。
ところで誘因には2つの側面がある。客観的な面と,主観的な面である。前 者は客観的誘因も提供する方法として「誘因の方法」といい,後者は主観的態 度を改変させる方法として「説得の方法」という。この両面により,組織は
「存続に必要な努力を獲得しうる」ことになる。
誘因の方法は.(a)貨幣や物などの報酬として個人に提供されるような物質 的誘因,(b)他人に対して優越感を与えたり,威信や個人勢力,支配的地位を 付与するような個人的で非物質的な性格の誘因,(c)好ましい物的な作業条件
などの誘因,(d)個人的に感じる働く者の誇り,利他主義的奉仕,忠誠心など の理想を満足させるような「理想の恩恵」,(e)社会的に調和したいという気 持を満たす社会結合上の魅力,(f)慣習的作業条件ややり方,態度などへの適 合という誘因,(g)事態の成行きに広く参加しているという感情を満たすよう な誘因,(h)社会的な連帯性,統合感,安定感などの人格的なやすらぎをもた
注10
らせるような誘因等があげられている。
この方法の中で協働の水準を変えるような問題に関する誘因として,説明が なされているのは(a)の「いっそう熱心に働くこともなく」「組織的努力に少 しでも多く貢献するように誘因されうる」物質的誘因と(d)の「組織におけ る努力の強度を支配するような要因」である理想の恩恵としての誘因だけであ る。残りは全て,組織の「存続に必要な努力を獲得」すること,すなわち,組注11
織の維持に関する誘因として説明がなされていることに注意する必要がある。
また「説得の方法」も組織の維持のための説明がなされているにすぎない。さ らに言えば,(a)の誘因は「物質的報酬は生存水準を越えると効果的ではない」
そして「いっそう熱心に働くこともなく……(中略)……組織的努力に少しで も多くの貢献をするように誘引されうることもない」という明確な限定がつけ注臨
られている。また(d)の誘因は,「努力の強度を支配するような要因となって いる,嫌悪と復讐の動機を満足させるための機会が含まれている。すなわち個 人が組織に対立的・反抗的行動をとる可能性といった協働体系の存続にマイナ ス効果の及ぶような側面の説明がなされている。これは協働の発展というより も協働の存続に関連した説明であると考えられる。
組織への個人の協働的貢献を得るための誘因は,「組織へ貢献しようとする 個人の意欲」に作用させるものである。われわれは,組織(協働体系)へ参加注13
したい気持(=参加意欲)と個人の努力の強度の増大をはかる気持(=協働意 欲)とは区別すべき意欲であると考える。すると「組織へ貢献しようとする個 人の意欲」は参加意欲と協働意欲を混合させたものと考えざるを得ない。しか るにバーナードは能率という観点から,「協働は個入的動機を満たすためにの み結成されるもの」であるから,「協働体系の能率の唯一の尺度が体系の存続 能力である」という主張より「個人の協働的貢献」の意味は,明らかになって注14
くる。つまり「個人の協働的貢献」とは協働体系の存続にかかわる貢献であ り,組織の維持を目的とするものであるとしているのである。
組織に個人の参加を得ていることは,協働体系の維持ではあるが,組織に参
加することと組織に協力的立場をとることは必ずしも一致するものではない。
すなわち参加意欲があっても協働意欲があるとは限らないわけである。以上の ことから,バーナードの視点は能率の立場から協働体系における個人とその誘 因について主張する時,協働体系の維持をはかることに基本的ポイントがあ
り,さらに言えば,組織への個人の参加意欲にテーマがあると考えられるので
ある。
ところで「管理の自主化」について,バーナード理論に即して考察を加えて みると,次のように考えられる。
「管理の自主化」は管理者が何を目的として実行しているのかを,誘因の方 法と対応させてみると理解できる。たとえば,方法の(b)の誘因である「優 越,威信,個人的勢力および支配的地位獲得の機会」が「管理の自主化」に与注15
えられているかどうか。自主化された管理には限られた範囲において,個入的 勢力や支配的地位が与えられ自分の意思で決定できるものが多くなるという意 味において,この誘因は多少なりとも影響力を保持していると言えるかもしれ ない。しかし,社会的に優越感や威信が認められるかといえば,それは無いと いわざるをえない。部長,課長といった社会的な地位を与えられるわけではな いからである。また(c)の誘因である「好ましい物的作業条件」として自主 化された管理ができることは,各自の物的作業条件を自分に好ましいものに変 えることが可能である点にある。
これらは,自主化が意味する。限られた範囲の管理活動での自由な意思決定 という立場における誘因が多少なりともあるといえるが,はたしてそれらが自 主化の目的に直接効果をあらわすかと考えれば,否定的にならざるをえない。
管理の自主化は個人に対して責任感や意欲的姿勢が増進するよう期待されてい るということから観ると,(g)の参加している感情をみたす機会は(b)や(c)
より直接的な影響がある。管理の自主化は従業員がある管理行動について自主 的に意思決定することを許され,そしてその事態の成行きに本人が参加をしつ つその効果と責任の伴う価値ある行動を意識することが原因になって,個人の 行動のより良い変化を期待するものといえる。故に管理の自主化は,誘因とし ては間接的ではあっても(9)の「事態の成行きに広く参加しているという感情 注16
みたす機会」と一体化した側面を有しているのである。バーナードはその誘 因の中で「多くの人々は自分らが……(中略)……大きくて,有用で,有効的
とみなす組織との結合のほうを好む」という。言葉をかえて言えば個人は自分 がその組織にとって有効な存在であるという認識をもつことを欲している,と いうことになる。すなわちこの(g)誘因のなかには組織の目的との関連で「有 効性」が問題とされる局面を有しながら管理の自主化と一体化していること がわかる。
ところで「有効性」の問題は,バーナードにいわせれば「個人的観点はここ では関係がない」。この問題は「協働目的の達成」に関して「協働の観点から注17
判断する」ので「個入的動機を満た」すかどうかの「個人的観点は直接関係を もたない」という。有効性は組織ないし個人の行動の結果が目的との関係で判 断される概念で,「行為が特定の客観的目的をなしとげる場合には,その行為
を有効的という」ことになり,能率は組織ないし,個人の行動が最少のコスト で最大の結果をあげるような,コストと結果の関係で把握される概念である。
たとえば「たとえ有効的であろうとなかろうと,行為がその目的の動機を満足 し,その過程でこれを打ち消すような不満足を作り出さない場合はに能率的で あるという」。すなわち,個人にとってのある行為において満足があれば,満注18
足が個人にとっての収入(結果)であり行為がコストであると考えることにな
る。
ここで先に述べた管理の自主化と有効性の関連が問題となってくる。
組織の有効性と個人の満足は区別されているにもかかわらず,能率であると ころの誘因の中で,組織が個人を有効な存在としてみなしてくれる組織との結 合を個人が欲するという事実が問題を内在させている。組織の有効性には個人 的観点は関係しないし,また個人が満足するかどうかの誘因は組織に個人が参 加意欲を保持するかどうかの問題であるという。ところで組織が個人を有効な 存在とみなすということは組織の目的にとっての観点から判断されることであ るから有効性の問題である。それで,自分を有効とみなす組織との結合を好む ということは組織の有効性と関連しながら,個入に満足を与えるところの個人 的観点をそこに加えていることになる。ここに組織の有効性と能率は区別され
ると同時に直接関連している局面をわれわれはみいだすことになる。
すなわち管理の自主化とは個人に満足を与え,組織への参加意欲を保持しな がら同時に組織の有効性を求める活動である。組織の有効性は協働目的の達成 に関係しているから,組織に参加している状態でさらに協働のレベルを高める 行為(=ある一定の協働的体制が維持されているところから,さらなる協働意
欲の増大をはかる行為)は組織の有効性の問題である。故に管理の自主化は能 率と有効性を同時に追求する管理方策ということになる。
ところでバーナードが区別する有効性と能率がこのように一体化するのは,
個人的動機を満す「個人的観点」の中に協働目的を達成する「協働の観点」が 混在していることを無視したことからくるものと考える。協働の観点の入った 個人的観点は何をあらわすかというと,個人的満足を求める自由な多面的欲求 の中に,組織目的の1人の具現者としての自分から,その行為を拒否する自分
までの協働の観点に関係した個人の欲求が存在していることを指す。個人は経 済的理由や社会的安定を求めて組織に所属したい欲求を持つと同時に,拘束さ れない自由やなにかを実現したり,他人から認められたい欲求など,相互に矛 盾する局面もある複雑な欲求の中で各自の行動を選択(意思決定)しているわ けである。この意思決定は自己の中にある欲求を制御しつつ心理的(感情的)
局面に影響を受けながら個人の行動の価値体系に変化を与える管理的行為とな る。すなわち協働の観点が混在した個人的観点の意思決定とは自己管理と考え るべきものとなろう。
ところで自己管理の問題をバーナードが結果として等閑視することになった のは個人の自由意思や選択力に限定を加えたことから来たものといえる。
バーナードは「人間には選択力,決定能力,ならびに自由意思があるものと 認める」。そして自由意思の観念は自律的人格の感覚を保持するもので,その 感覚がない人は,社会的な適応力がないことを意味している。「自我意識をも たず,自尊心に欠け,自分のなすこと考えることが重要でないと信じ,なにご とも創意をもたない人間は,問題であり,病的で,精神異常で,社会的でな く,協働に適しない人である」という。しかし「この選択力には限界がある」。注19
それは物的,生理的,社会的要因の結合した一つの活動領域における当然な限 界である。また「均等な機会が多い場合には,入間の選択力が麻痺するという 理由からも自由意思は限られる」。たとえば大洋の霧の中でボートの中で目を さました場合,どちらへ行こうと勝手だとしても,ただちに方向を決めかねる であろうというのがその例である。そして「選択には可能性の限定が必要であ る」とするのである。
自由意思の問題としてバーナードは,個人の選択力について過大視すること は誤解の原因となり,むだな努力の原因ともなる。たとえば個人にはできない のに,しないという意識の反抗をしていると誤解したりするのがその例として
あげている。すなわち自由意思は本来人間として持っているもので協働を遂行 する上で必要なものではあるが,現実の社会では物的,生物的,社会的に制約 を受けることから選択力に限界ができ,自由意思は限られた展開しかできない という立場を彼はとるのである。
バーナードが主張する,さまざまな制約は個人における自由意思や選択力を 限界あるものにするという指摘は一応納得がいくが,そこには一つの前提があ る。それは協働の立場からみた個人が考えられており協働に適する人が選択力 を行使し,自由意思を実行するにあたっての問題であるということである。す なわち,前提として,「正しい意思決定をするには」という立場が不可欠であ る点が,自由意思の限界を作るのである。組織の中においては目的が明確であ るため,正しい方向は自ずと決まってくる。たとえば,ボートの中での方向の 意思決定の例がそれであり,「むだな努力の原因」は正しい方向に対して最短 距離ではないということからくる例となる。この前提を考えるときに彼の主張 は納得がいくわけである。
しかし,我々は個人を人間としてとらえる場合には,たとえとんな組織に参 加していようとも,限定のない自由意思と選択力の下での意思決定が行動の基 礎となると考える。なぜなら,その行動が正しかろうと,間違っていようと,
感情を含めた本人の価値体系の下での意思であることには変りがないからであ る。すなわち,組織ないし協働の価値体系と,独立した個人の価値体系とは常 に存在しており,組織からいつでも離脱できるという点で個人の価値体系が優 先した状態におかれているからである。そして個人にとって「正しい」という 内容は何に対して正しいのかという問題があり,組織の目的,個人の目的,さ らには本能,理性,感情等のそれぞれの立場からの「正しい」行為が存在して いると考えられるからである。個人が協働体系の価値を重視するかどうかまた は拒否するかどうかは本人の自由意思にゆだねられ決定されるのが自然の状態
というべきであろう。
協働体系の個人を考える場合,われわれはこのような自由意思の個人が前提 となるべきと考える。それは自己管理の問題は「協働の観点」を含めた「個人 的観点」による意思決定であり,協働体系の立場から個入を統轄するのは個人 の価値体系における「協働の観点」の重視という本人の自由意思によりかかっ ているからである。
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(5) 自己管理と組織化
組織の中で個人に自由を与え疎外をなくすということは,個人の自由な自己 管理を組織に導入することを意味する。なぜなら,組織の意思決定及び行動は 組織目的の実現という枠の下でおこなわなければならないのと,組織内で個人 の意思決定及び行動に自由の意識の増大をはかるためには一定の枠の内の自由 を実現することが必要になるからである。すなわち,枠を設定しながらなおか つ,自由を意識させるためには,枠があっても自由である機能をもった自己管 理がなければ実現しないからである。ここに複雑な問題が出てくる。自由な自 己管理は組織目的の枠に行動が規定されるために,自己管理の反応が,組織に 協力的な立場を取るとはかぎらないわけである。すなわち,組織が個人に自由 を与えることが同時に対立的な立場,非協力的立場を含め多様な自己管理の対
注20
応を生む結果を導入したことになるのである。
組織の内に導入する自由は,個人がなにをしてもよい,もしくはなにをしな くてもよい自由ではなく,なにかを実現しなくてはならないことからくる限界 が反映されているものである。すると管理の自主化の目的が自発性・積極性の 増大にある場合,この内部矛盾を解決するためには,自己管理が個人の行動目 的を組織に協力的に維持することが,必要になってくる。このように個人行動 に方向性をもたせるためには自己管理を組織化しなくてはならないことを意味
している。自己管理が持っている自由の範囲は,なにを意思決定してもよいと いう(ただし肉体的行動は社会的規範等の現実に存在するいろいろなルールに よって規制される)内容のものであるから,それを直接組織化することは不可 能に近い。なぜなら当然のごとく精神的な行動は他人に理解できないことと,
なにを考えようが心の中で思っていることは他人の関与が及ばない性質のもの だからである。
しかし精神的行動は外部からの刺激に応じて反応に一定のパターンないし傾 向があるといわれている。そこには人間としての共通のパターンがあることは いうまでもない。たとえば経済的に困っている人に組織が経済的誘因を与えた 場合,その人は組織に対して反抗や対立的感情よりも,協力や好意的感情の方
注21
が芽ばえやすい。とか,仕事に張りをなくしている人にやりがいがあると感じ る仕事を与えた場合,その人の反応は組織に対しマイナスよりもプラスの精神 的効果が発生しやすいと考えるべきであろう。これらは単純な事例で現実は
もっと複雑であるが,基本的には外部の刺激に対す反応パターンはあると考え てもさしつかえなかろう。
この意味において,自由な意思決定ができる自己管理が具体的な行為として 行動が表われるまでに,自己管理の中の多くの価値がその重心を変動させるわ けであるから,その価値体系が刺激に応じて変わる方向性を組織が把握するこ とができれば,それが自己管理の組織化につながると考えられる。すなわち,
刺激に対する反応が組織に協力的立場を強化する方向にあれば自己管理が組織 化されるとみるのである。
累積過程の1例
人間は判断の基準を時により変動させるものであるが,他人の行為に対する 注22
ク神的受容量(以下受容量と記す)も同じように変化をする。そしてその変化 する受容量によっては他人の同一の行為であっても許せる時と許せない時があ
るのは当然のことといえる。もしも個人の受容量が大きければそれだけ他人の 行為が許せて,その人との関係がより良く発展していくことになる。その意味 で受容量は両者の関係を改善していくための基礎的な土台を形成するものとい
える。
組織に対する個人の受容量が大きい場合も同じことが発生するといえる。そ こに組織が個人の環境に影響を与えることで,個人の受容量を大きくできれば 組織への統合のための基礎過程となりうるわけである。その場合,受容量の大
きさを決定するのは組織の持つ誘引の力,すなわち納得させる力と関係してい る。それは協働体系への参加を同意させるような誘因の問題であり,さらにい えば脳体系の有雛は「個人的努力を・・かに整然と結合する漕であるが,
その整序が各自の満足を追求する個人に対して納得させられるかの問題であ
る。
われわれはこの受容量の増大をはかる手段として自主的管理の方策をあげる ことができる。先にも説明したように自主的管理方策は個人が中心になって意 思決定をしていくシステムである。そこでは個人が自主的に意思決定をするよ う指導され,その意思決定の範囲は拡大され自由が増大していく。この方策は 個人の意識に主体性の増加をもたらし,増加した管理的意思決定の意義(価値)
を認識させて自尊心や誇りの感覚を持たせるような効果を生んでいる。この組 織的活動は個人の満足感を刺激しその活動を納得させることで,組織に対する 個人の受容量を拡大させる作用をはたしているわけである。
組織に対する個人の受容量が増大すると,自己統制(sel←contro1)の目的設 定にさいし,自分だけで決定した場合と上司の指導を受けながら自分で決定し
た場合とでは,自己統制にあたえる影響は差がなくなってくる。元来,上司の 指導による目的は一種の命令が含まれることになるが,個人の受容量の増大の 結果,個人だけの目的決定と同じような効果をもってくるのである。自己の目 的に対する自己統制は,上司の規制がある場合より個人を疎外する因子が少な いといわれているが,受容量の増大が同様の効果を生んだことになる。
こうした状況が生まれてくると,管理の自主化における自己管理は変容して くる。たとえば,さまざまな自主的管理方策や管理的行動に対して,抵抗姿勢 がたとえあってもなくなったりするばかりか,かえって積極的に反応していく ようになったりする。その基礎的行動パターンを形成する自己管理は,追求す る個人の満足が満たされるとともに,統合への過程を認めるだけでなく,協力 的立場を形成するようになる。たとえば,個人の自由な時間を組織のために自 分から犠牲にするような行為が発生したりする。
自己管理におけるこうした変化は,個人の価値体系のなかで組織の価値体系 の目的にあわせるような変容がおこっていることをしめしている。すなわち個 人の多くの欲求や希望を組織の中にみいだし実現をはかろうとするようになっ
たのである。これは自己管理が組織のために協力するように指向していく過程 注24
を作り出しており,組織からこの状態をみれば自己管理の組織化の様相を程し ていることになる。
以上のような変化は1つの累積的過程として,ある良い効果が次の良い結果 をもたらす連続性を作りあげた結果であるといえるが,もちろん常にこのよう になるとは限らず,反対に悪化する累積過程もあることは忘れてはならない。
たとえば管理の自主化をすれば必ず受容量が増加するとは限らないわけで,管 理の手段と方法と過程がこれらの方向を決定する大きな要因となるのである。
組織の管理者のやり方によって良い累積過程が出来あがると,そこにでてき た自己管理の組織化は組織の権威を受容する状態になっていることは理解でき る。その背景下にある自己管理の意思決定は,個人にとって自由な意思決定で あると同時に,組織の価値体系に方向づけられた意思決定という両面をもつこ とになる。すなわち自由な意思決定が尊重されている自己管理の一部が,組織 の影響下で一定の方向づけがなされた意思決定として促進されてくる。それは
性格的には自己管理というよりも自己統制の面が強くなっていることになる,
と同時にこの両面の意思決定をする自己管理は組織の統合の過程にのっている ことにもなるのである。
以上のように,自己管理の組織化は両面の意思決定を作り出し,自由な意思 決定の面は管理の民主化や労働疎外の開放などと,方向づけられた意思決定の 面は権威の受容と矛盾しない範囲で協働体系の有効性を高める組織化の面と関 連を持ちながら展開しているといえるのである。結局,管理の自主化は管理監 督機能の一部を手ぱなしたのであるが,結果的に自己管理の組織化によって管 理を強化することにつながっているわけである。 魎
(6)結 び
組織の立場からみると,自己管理の組織化をはかることは,管理の自主化の 基本的目的とならざるをえないことがわかる。逆に言えば管理の自主化は管理 の形態でしかなく,自己管理の組織化がその実態を構成しているともいえるわ けである。組織にとって個人の統合は重要な課題となっているが,自己管理の 組織化を通じて明確な期待効果を指向することによって,経営管理としての統 合の過程が具体化されてくる。すなわち,管理の自主化は,そのこと自体は統 合の過程ではないけれども,自己管理の組織化をはかることによって統合の過 程となるわけである。
合目的的活動が当然である組織にあっては,積極的心情の中の協力的姿勢の みを要求して「管理の自主化」が進められるのは自然の成行きである。そこで は「自己管理の組織化」が管理手段として強力に押し進められることになる。
本来は自由な行動であるべき自己管理が,管理的に方向性を強要され自由を 圧迫されることになってきており,労働の強化とはこの流れの中に位置づけら れることになる。
管理の自主化が1つの組織的現象となっている現状においては,自己管理の 組織化は,自己の発露としての活動を助けて労働疎外の開放や経営民主化の発 展を促進する側面も持っているが,労働強化の管理手段としての性格も裏表の 関係で合せ持っているわけで,労働者にとって両刃の剣の危険な性格は払拭で
きない事実として残ることになる。
〔注記〕
1.Chester I. Barnard, The Functions of the Executive, Harvard Univers1ty Press,1938. P・73.(『新訳経営者の役割』山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳,
ダイヤモンド社,昭和31年76頁)
2.麻生幸稿「目標管理の今日的意義」(日本経営学会編『産業技術の新展開と経営 管理の課題』千倉書房・昭58)213頁。
3.GI・Barnard, oP・cit・, P・165(新訳173頁)
4.A. H.マズロー,小口忠彦監訳『人間性の心理学』産業能率短大出版部,1971年
(Motivation and Personality, A. H. Maslow,1954)
5.C.エBarnard, oP・cit・, P.12(新訳 13頁)
も.CI・Barnard, oP. cit・, P.13(新訳 14頁)
7.GI・Barnard, oP・cit・, P・16(新訳17頁)
8.C・1. Bamard, oP・cit・, P・139(新訳145頁)
9.CI. Barnard, oP. cit., P.140(新訳146頁)
10.CI. Barnard, oP. cit・, PP、142〜148(新訳148〜154頁)
11.CLBarnard, oP. cit・, P.141(新訳147頁)
12.CI. Barnard, oP・cit., P。144(新訳150頁)
1a C I・Barnard, oP. cit・, P・161(新訳168頁)
14.GI. Barnard, oP・cit,, P・44(新訳45頁)
15.CI. Barnard, oP. cit., P,145(新訳151頁)
16.GI. Barnard, oP. cit・, P.147(新訳154頁)
17.C.1, Bamard, oP・cit., P・43(新訳45頁)
18.C.1. Barnard, oP. cit・, P・20(新訳21頁)
ユ9.C.1. Barnard, oP. cit., P.13(新訳 14頁)
20.管理の自主化をすることが,即,従業員の協力に結びつかない原因はここにある。
自主化しても従業員の態度は多様な反応を示すことになる。
21.人によっては反感をもつケースもありうる。それは誘因の与え方による反応でも
ある。
22.精神的受容量とは,個人の精神的姿勢として,他人の行為を許せる,もしくは賛 意をもって受け入れられるなどの心の状態をいう。たとえば,仕事をミスした場合 を考えてみよう。そのミスが重大であるか,それとも些細なことと思っているかに よって,ミスに対する叱責の強さが納得できたり,不満を生じさせたりすることが ある。その場合,個人の精神的受容量の大小が関係しているとみるのであり,受容 量は個人の納得の程度と比例する。
23.C.1. Barnard, oP. cit., P.26(新訳 28頁)
24.この場合,組織化を促進させる要因は,組織の意図的な環境作成が基礎となる。
しかし,その規定要因としてのメカニズムについては今後の研究課題として残され
る。