﹁卒論提出﹂以後 れねばならなかったのだ︒そしてたくさんの人は別れ
た︒
渡邊二味子
私が中国を旅したのは今から二年前︑昭和五十七年の夏で
あった︒二十泊二十一日間の行程の訪中団は︑当時まだめず
らしい︑十七人中十二人が女性︵それも大半が淑徳生あるい
は卒業生︶という構成であった︒
大阪から日本航空793便で出発し︑上海に着いたとき︑
出迎えの人々は滑走路の向こうから自転車に乗ってやって来
た︒この歓迎を皮切りに︑洛陽・西安を通り︑敦煙では莫高
窟を見学したり鳴沙山の砂に埋もれながら︑なおウルムチ・
トルファンまでまさに東方への旅であった︒
それまで︑地図帳でしかながめることのできなかった黄河
の水の色を確かめた私は︑ようやく﹁中国﹂を実感したので
ある︒