r三号 ー ℃ ‐ 一 一 ‐ − − − − −一■
1
1
1
一︑序
商的色彩論は︑商法学の対象たる法規の帯びる色彩をもって民法
と商法とを区別しているP企業法説は商法の対象たる企業生活関係 L資本の概念2民法の対桑と商法の対象との関係二〃商的色彩論に対する疑問1商的色彩2﹁営利性﹂の分採乱民商二法の対象についての卑見の適用三︑企業法説に対する疑問
辿商的色彩論と企業法説との方法的差異
2対象の限界の問題
&﹁企業生活関係﹂は賓本主義社会の資本の本質を明かにし
得るか︒
44
●
碑旬 説とに対する若干の疑義l
pm の私見
ノ
自体をもって商法学の独自性宏主張している︒商的色彩は内容に乏
しく且つ極めて形式的である︒加之その色彩の根拠たる営利性は︑
前期的商業資本の営利性と︑マニュファクチュア以後の資本主義生
産方法の行はれている産業資本︑乃至金融資本の営利性とを区別し
ない為め現代の商法の特質券明かになし得ない︒又企業法説に於け
る企業生活関係は資本制社会の商法が保謹せんとする資本増殖の手
段たるものであって︑目的によらず手段を以て商法の本質を定める
ことは商法の真の意味弁明かにし得るものと言・えな一い︒そこで私は
商法の本質を資本の増殖I交換価値の増殖l乃至資本の機能として
理解したい︒そこで私は先づ資本とは何か︑資本の機能とは何かを
法学的に定めなければならない︒
耶盗本の概念/
商法上乃至商法学上資本を意味する言葉は多種多様である︒例え
ば表示上の資本︵商一六八の二︑一八八︑二二一︑二八四の二︑二
八八︑二八八の二︑二八九︑二九三の三︑二九七︑三八一︑四一○
三七五三八○等︺資本準備金︵商二八八︑二八八の二︑二八九︑
二九七︑四一○等︺実質資本︵商法改正法律施行法三︶︑営業財産
l
p
ー
川
9
一
登 一
一
一
ー 一 一 一 マ ー − ー − − ー 壹 一 ・ ー 一 一 − − 2 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 W 一 一 一 一 一 一 ̲ 一 て − −
2
︵商三己︑会社財産へ商八○︑八七︑二西︑二一六︑二八一︑ゞ
二九三の五︑二九五等︶︑会社の総財産へ商二九五︶︑営業用固定
財産︵商二八五︶︑出資︵商六三・五︑六四・四︑八六・一︑八九︑
鰯ニハ八・五︑一七二︑一天○の二︑二八○の八︑ニハ八I︑二
八○の九等︶︑授梅凌本等である︒之等は経済学上の費本の意義と
は同一ではないが︑之に基礎を冠いた観念である︒之等は貨幣資本
不変資本︑可変資本︑流動資本︑固定資本等の観念に含まれるものであり︑顧客信用等は労働や労働生産物を背景とする抽象的資本で
ある︒それ故商法学上の資本は経済学上の資本の意味を基礎として
砿定することは無益でないし︑法律学と経済学との方法的混同でも
ない︒
経済学上の資本はマルクス経済学上の意義に従って次の如く要約
したい︒資本とは︑賃労働I一定の社会的生産関係の下に於ける生
きた労働力Iを支配することによって交換価値の増殖を図るところ
の蓄領された労鋤I労働生産物Iである︒畦だが商法学上の資本
は之と同一たり得ない︒即ち次の如く解したい︒
L商法学上の資本は賃労働の直接支配を要件としない︒元来資本
制生産社会は蓄積せられた労働︑即ち労働生産物たる不変盗本に
よって︑生ける労働即ち賀労働を搾取し支配することによって生
存する社会である︒それは産業資本による賃労働の直接支配によ
って余剰価値を生産し︑その増殖された余剰の交換価値の一部を
金融資本︑商業資本︑土地資本等によって分け取りするという過
程を通じて間接に賃労働を支配するというのがその公式である︒
従って資本は常に貿労鋤I可変策本Iを支配する︒然し商法上
︑ は次の諸点に於て貴労働の直接支配を要件としない︒イ︑商法は賃労働を直接に支配する生産過程を対象としない︒例
えば他人の為めにする製造加工に関する行為︑運送に関する行
為︑出版印刷等に関する行為等は生産過程を持つが商法五○二
条は生産過程自体を規制するものでなく︑そのような事実過程
の完成を引き受ける行為を規制するものである︒従ってそれは
賃労働の直接支配を要件としない︒然しこのような引受け行為
は︑生産過程を通過せねば義務を完結し得ないから間接に賃労
働を支配している︒
ロ︑投機売買︵商五○Cは産業資本の原料の仕入れ︑製品の販
売を含むが賃労鋤支配を行5製造加工の生産過程を要件としな
い︒
ハ︑所謂附属的商行為は商人が営業の為めにする行為であって︑
愛労働の雇入行為を含む︑然し賃労働の雇入行為は法的には少
くとも盗本との対等の地位に於て行はれるのであって︑賀労鋤
支配と云うことを得ない︒それ故賃労働の直接支配は事実的観
念であって法的観念ではない︒︵寧ろ賃労働の雇入行為は労働
法の領域に礪封瀝歸︲︺︵︾も︑二︑其他の商業資本乃至金融資本の価値増殖機能I資本機能Iに
於ては生産過程を通過することなく︑餌労鋤の直接支配を当然
には俘はない︒︵尤も商品の包装︑運送︑印刷其他の生産過程
をも担当することが通常である︒︶然し商業資本は産業資本の
価値実現の過程︵商品を貨幣に還元する過程︶に於ける時間︑
↓9ゞ
饗用︑危険等を分担することによって︑叉金融資本は産業資本−
毎︲・︲印
̲ 一 −−− ーー‑−弓 =一 − . ー一
J ロ ー
■ r
、
一一一 一一一−−− b凸■■■ −4日I 一■1 −F■
−10
も 1
I |交換価値の増殖1資本綴能斗を目標とする循環過程ではない︒/その一般私法たる民法は一般私法上の生活関係に最も普過的な事項を 4使用価値である︒それは使用価値を目標とする循環過程であって︑あらうか︒ 服︺を以て終了する︒それ故この循環の最終目的は欲望充足でありであると云うことが出来るのではないかと思う︒駐風それは何故で
︑循環の両極は同一の価値肚を有する商品であるが︑これらの商品はその対象とせねばならない︒然るに一般私法上の行為の﹁目的たる
硬の異った使用価値︑例えば敷物と衣服とである︒然るに第二の循や各人の物質的及び箱神的目的の差異に従ひ千差万別︑無限の多様
環過程は寅幣I敷物−貨幣の過程であって︑同一の物を以て同一の性を指示するものである︒然しながら此等の具体的目的の如何は私
.・物と交換することであって全く無意味のようである︒然しそれは貨法の世界に於ては原則として顧慮に価せざる事実である︒法の閲一
幣から出発して災幣に帰るが︑終極の貨幣は前よりも増加された貨性は之を法律規範の埒外に置くのである︒﹂姓&然し顕慰に価せず
幣赴S︑︶である︒この増加された貨幣趾を礎得することが出来れして法規範の埒外に遜かれるのは個々の凹葎的目的である︒而して
ぱ︑中間の敷物は棉花でも大砲でも何でもよいわけで︑交換価値を之等の具体的な個々の目的鑑に取引法関係に於ける目的の共通な概 込
有するものであればよい︒従って此の循環の出発点からその終極ま念は欲望の充足であり︑使用価値である︒使用価値は私法上の取引
で全てが交換価値を目標としている︒此の交換価値の循環に於いて行為の目的の最大公約数である︒加之︑使用価値は必ずしも交換価
終極に於いて礎得され増加された交換価値I貨幣戯Iは余剰価値と値をもたないが︑交換価値は常に使用価値を前提とする︒それ故使
呼ばれるものであって此の価値増殖の循環運動こそ︑最初の労働生用価値は交換価値に対してより根源的であり︑前者は後者をカヴ流
産物I商品Iを資本に転化するものである︒註生前期的商業資本の−する︒叉交換価値琴目標とする循環は︑使用価値を目標とする循
機能もその形は命l言l兵であるがその目標たる利益は不等価交環の為めに存在する資本椴能である︒それ故使用価値は﹁最も晋遮換︵商品と労働の自由市場を欠ぐ︺による価格差である︒的なる人間性の発現であり:斯かる故に其の数に於て最も多く︑共
凶宕の5ち第一の循環即ち穀物I貨幣I衣服の循環換言使用価値の質に於て最も強く﹂畦孔而も最も根源的である︒従って使用価値
を目的とする循環︵単純商品交換過程の関係︶は民法の取引法の本質を目標とする循環過程を一般私法たる民法の取引法の対象となすこ
であり︑而して貨幣敷物︲貨幣の循還︑換言︑交換価値と余剰価とは根拠なきことではないと思う︒
然る陸商法は一般私法に対して特殊な法である︒従って其の対象値吟目的とする循還が商法の取引法の対象の本質である︒此の後者︑の循環︵商品の転換の媒介に限らぬ︶をめぐって発生する各種の法も亦使用価値に対して特殊なる交換価値増殖I営利的目的たるこ
的事実︵例えば倉庫︑寄託︑保険︑仲立や交互計算︑資本擬構I会社とが出来るのである︒交換価値増殖I営利的目的Iをかくの如く﹁
〆I︑商号式商業帖簿︑商業登記等々︶券対象皇yる特殊の法が商法法律規範が他の目酌より区別して取扱ふ価値あるもの﹂肢&とした
f
60■︲f
I
ノ
〆
●
グー71 ︒︲﹄︑
..︾・のは資本制社会に於ては︑それが﹁法律規範が黙殺し能はざる程匪
に社会的勢力顕著なる為めに外ならぬ﹂勝のである︒﹁千差万別
無限の多様性を指示する﹂個冷の経済目的の最大公約数たる営利目的Ⅱ交換価値増殖︑資本授能Iが﹁最も普遍的なる人間性の発現で
・﹂駐叩あるからではない︒
然し土述の二つの循環過程は相対立Lた別個の循環過程ではなく
一が他をカヴァーする関係にある︒それ故︑民法の取引法の対象が
使用価値を目的とする商品交換の法的事実であるから︑民法は︑使
用価値を前提とする交換価値拡大藍の取引関係従って資本機能に
対しても︵商法に規定なく︑又法定利息︑時敷の如く民商法に対立的﹃︲ヘ.排他的規定がない限り︺適用あることになるのは不合理ではない︒
その意味では民法も亦資本磯能を支配している法ということが出来
るのであって︑資本の拡大再生産の基礎関係をも定めるものであ
る︒筒ほ以上のことは労働生産物の面からの循環過程の考察であ
る︒然し現実の取引関係に於ては二当事者が関係するのが普通であ
る︒その場合︑一当事者に取ってはW︲Glwの過程であっても他の
︒︑/当事者にとってはG︲w︲Gの循環乃至それへの転換︵例えば商人盗
格の準備行為︶たることが考えられる︒そのような場合後者にとつ
てほ資本機能である︒そのように異った二つの循環過程が一つの法
律事実に結合されている場合︑その双方に︑民法を適用するか︑商
︲法を適用するかは︑立法政策によるべきであるが︑資本制社会では
・・資本捜能が優先するから︑商法では︑その双方に商法を適用すべき
ことを定めている︒曇問三︺5
註工同●昌胃H如旧C盲目冨拝巳.月昌岸昌.旨︸胃︒冒回②目回弓①愚
/
│I
陰﹈1国一ケ屋○律旨歸︑封科﹃壷夕
2宍斡邑ご厨房ご篇蔚号三c言どの冒旨自侭8号︒閤呉︾蓉昌厨I
目冒.印画デイールは﹁資本﹂を以て財産権の範嚥として︑
把握し得る物質でないとするが資本を資本機能と理解すれば
首肯し得るであらうか︒筒お資本につき実方正確︑商法学総
論四九頁墨八二頁以下参照︒
a周.旨胃淵韓F色目覺言耳二.悶息茸畠融己19
4閑.冨胃閑乎ご農属色宮曾一.ごg︼雪瞬冒冒﹄侭.︒茸C言⑦置譽①﹃.
﹈のいい︒亜︒﹈胃つ︒︷﹃
&尤も身分法については特別な考慮を要するとするヴィーラ
ントは﹁倫理習俗に根底をもつ家族法と︑全ぐ法秩序に支配
される取引法との如く︑民商二法は相互に反対に歩むもので
・・はない︒民法と商法とは取引法に共通な根源をもっている︒
このことは両対立物に性絡的特質を与へているが之はこの両
対立物が異った法的見解から生ずる異った秩序の同質的率実を克服する性絡的特色を両者に与へる﹂と云っている︒丙︐
言菖§臼国昌一亙錘﹃⑦言自国.鯨全国昌冒四砕呉.胃閻目︲
﹄ず巨昌・国︒号四︒樟のい﹈︒・
a田中耕︑商法研究第一巻一六七頁︒
乳&臥加田中前掲一六八頁○
︑︑
︑資本制社会の価値増殖は拡大価値増殖を特質とする︒︑二︑商的色彩論に対する疑問
商的色彩論によれば商法学が民法学に対して独立の法律学として﹁その存在の権利を鹿得する﹂為めには﹁自已の固有な方法論的根
︑︑
拠﹂畦と同時に﹁其の客体たる法規の一群が独立の法域﹂蝶を為1
ノI
「 一.ワーーーー−
1 − .
. .
再 ' 二 →
寸今
〜
|
I
、
昔
7
らう︒一九一三年二月二○日の仏国リオーム裁判所の判決によれ
ば貸借は﹁非商人の為めに貸十場合でもそれが利益を生じ得る商取
引の目的を有する場合には商事たる性質を帯びることになる﹂鷲
と判決Lている︒従って仏国の裁判では﹁利益を生じ得る商取引の
目的﹂換言︑営利目的を有する場合は賃食借も商法学の対象となる
ことがあり得るであらう︒然し我が商法によれば前述のように︑投
綴的賃貸借︑附属的商行為︑会社企業として為される場合の外︑賃
貸借は如何にそれが営利目的を有し︑且つ継鏡的反覆的に行われて
も商法の法的事実とならない︒尤も商的色彩論はこのような賃貸借
と錐も︑商法の規定の如何に拘らず実質的商法理論からは︑之を商
法の対象とすぺきであるとなして︑商的色彩論を貫徹するであら
う︒然しこのような事例が他にもある場合問題である︒例えば商法
五○二条の両替其他の銀行取引に該当しない高利貸の消喪貸借契約
︵これは既に商法の対象とせよという説が多い︶はどうであらうか
叉︑た考え政策的意味だと説明しても︑農業︑林業︑漁業︑等の営利行為を商法の対象としないことを商的色彩論に依っては説明し得
ないであらう︒︵資本機能の理論によれば之等は明かに商法上の法
的甑実であると説明すべき場合があるから筒ほ多少の困難がある︒
然し我国の所謂過少農︑小作農︑自作農幻及之に類似する林業︑漁
業等は︑概ね資本溌能I拡大商品交換︑又は費本の拡大再生産Iを
営まないから之を商法の領域から外すごとは容易である︒醗頁参照︶
2﹁営利性﹂の分析
次に商法の法領域を営利性によって定める溺合は所調︑前期的商
桑盗本︵前資本主義的商業資本︶の営利性と近代的商業資本や産業
﹄且LrPF■11卜01.LⅡI・IhlllIb巳弓︲!■ID︲i11日︲lPb0II■P■11︲lFl■0︲1111■rlPll1ll8
1
資本︑金融資本等の営利性の相違から来る商法の本質的差異を無視
ずることとなって︑商法や商法学の歴史性︑発展性を見失い︑ひいて
は商法の不動的傾向︵石井︑商法一三頁︺などの理論を導き出すこ
とになる︒元来前期的商業資本は主としで農工業生産の使用価値に
基礎を騒ぐものである︒従って当時の商業資本が礎得する商品は没
工業生産に於ける消費の偶然の余剰物資を主とするもので︑当初か
ら交換価値を目標として生産された商品と異る︒そこでは商業資本
による商品︵労働生産物︶獲得は不等価交換を通じて行われる︒そ
こで獲得せられる利潤I営利の目的1は使用価値でもなければ交換
価値でもない単なる価格差である︒手段としては農民や手工業者の
無智に乗じた詐欺︑甘言︑或は暴力的酪奪的圧制制度鮫風等による
従って当時の支配階級がよってもって立つところの基礎産業である
農業を害し良民を欺臓する商業資本に対する法は寧ろ行政的取締的
色彩をもっている︒︵尤もギルド内部に於ける自治法規は自由主義
的︑胴人主瀞的であるが他に対しては特権的であり制限的である︒
これはマ三ファクチュア段階にも移行している︶マニュプァクチュア
の段階では︑新興の産業資本に対する商業資本の融費︑それによる
高利貸費本はキリスト教教義による高利の取締︑その非合法手段と
しての手形に対する取締︑両替商の手数料保謹としての為替手形の
裏書の制限等の諸規則陸aを生じたが︑後には重商主義政策による
産業資本の保護に向った︒それが十八世紀の産業革命とプルヂヨァ
革命を通じて政権把握に成功した近代ブルジョアジーは︑公然と而
も無制限な費本保護の政策を取るに至り︑商法の飛曜的な発展を遂
げるに至ったpこの段階の生産は労鋤の社会化に基く交換価値の生
lh■■Ⅱい︲LL.︐11卜︲lbj0卜
1 I
・‐
、 理
■
−圭一一一
一
ー 刀 一 ■ ̲ − ‐ 一 一
、 、
ノ 8
産であり︑それを基礎とした商品交換であり等価交換であることを
原則とする︒現代の資本機能はこのような基礎の上に行われる交換
価値増殖機能である︒
同じく営利と云っても前期的商業資本の営利は生産過程とは無関
係であって︑交換価値に基がない略奪的欺臓的不等価交換による営
利であるに反し現代の資本の営利は交換価値の等価交換を基礎とす
る︵尤も独占段階では独占による不等価交換が行われているが︺営
利であるところに本質的差異があり︑従って之碍基く商法の歴史的
相違が見出されるわけである︒陀飛それ故此の膝史的特殊性を明か
にしない﹁営利性﹂を以て現代商法の領域を定めることは分椛不充
分なるを免れない︒それは用語の問題ではなく資本制営利性乃至価
値増殖叉は資本の槻能と解すべきである︒かK守ることによって賃労働支配の資本の法としての商法の意義が明かになる︒
乱民商二法の対象についての卑見の適用
近世の商法研究は十六世紀中葉に初っている︒肢&それは費本制生産
様式の初まった所謂マ|豆ファクチュァの時代で恥り近代金融張本の
初まやた時代でもある︒︵紀元前三世紀から紀元三世紀頃の間にも商
業資本︑高利貸資本があった︶此の時期以来又特に産業革命並びにプ
ルヂョ.ァ革命⁝アメリカ独立︑仏国大革命⁝以来の資本制生産社会
の基本的榊造は商品特に生産手段の私有と︑その私有者間の対等な
自由取引によって︑孤立せる個盈の商品所有者を社会に結びつけて
いるという関係︑並びに労働力以外は︑生産手段I商品Iから切離
され︑商品所有者に雇われることによって之に従属する賃労働者が
実徴的な自由と平等とを持つことなく社会に結びつけられている関
'
一
係とである︒前者の関係では︑所有の絶対と所有階級の個人的人絡
尊重と自由な取引が其の根本原理である︒此のよ5な根本原理に従
って市民一般の共通な基本的関係として一般市民の権利義務の関係
を規律しているのが一般私法たる民法である︒その中商品又は資本
の増殖即ち資本機能l交換価値増殖lを中心とする諸関係について
は民法と塁つた原理によって商法関係として規律されている・・然し
資本機能は商品生産社会l資本制社会Iの基本的生産機能であり︑
市民一般︵特に所有階級︶の私法的関係l市民の欲望充足lは商品
I交換仙値1を通じて行われる︒従って商法関係は民法関係と共通
な部分を包含し其の限りでに民法と同一原理によって規律されてい
る︒此の関係は恰も商品の二重性絡に応当するものである︒商品I
交換仙値l催常に使用価値を前提としてもっている︒然し使用価値
l単なる財貨lは必ずしも交換価値を前提としない︒それ故使用価
値は交換価値をカヴγ1する︒使用価値の関係l市民一般の慾望充
足関係Iの規律としての民法は︑交換価値の生産と増殖l資本機能
lを中心とする諸関係のみを摸律する商法をカヴァ1することとな
る︒そこに民商二法には共通な対象が考慮せられるわけである︒然
し民法はその共通な対象についても民法の他の部分にも妥当する共
通な法規を持たねばならぬから勢い抽象的基本的とならざるを得な
い︒それ故︑民法に慾望充足I使用価値Iの樒利蕊務の主体客体と
して自然人︑法人︑物について︑又樋利の得喪に関しては物権法︑
侭権法等について︑抽象的基本的諸関係琴規律する︒反之心商法に
交換価値増殖I資本機能Iについての梅利義務の主体客体として商
一︲
人や営業財産等について︑又取引に関しては︑特に商行為︑資本機軍
「 ー−=ー−−−■一 j
l
9
q I
〆
櫛としては各種の会社についての規定を設けている︒それ故規定の
表面に現われたところは民商法共に同一対象を規定しているようで
あっても実は次元を異にした規定であるということが出来よう︒従
ってこのような場合民商法いづれを適用すべきかについては︑使用
価値か交換価値増殖I資本機能Iなりや否やによって之を判別する
ことが出来る筈である︒例えば︲
イ︑商事留置権に於いて︑担保せらるべき侭権と留置の目的物との間
に︑牽連を必要としない理由は﹁代理商と本人との間の継綴的関
係の存在並びに目的物の個性が問題にならぬことを以て解決﹂す
ることは一応可能である︒然し個性が問題にならないのは︑寧ろ
之等の行為が盗本機能であり利潤実現を目的とするからである︒
換言︑利潤実現l貨幣価値乃至交換価値獲得lの為には留粧の目
的物が必ずしず依権と関連した特定の個性を有する物たることを
要しない︒交換価値さえあれば即ち足る︵資本の法則である︶の
である︒然るに民法上の留置権に於いては侭務者の使用︵特定物
に対する慾望充足⁝特定物の使用価値︺の制限によって依権の満
足を促進し確保することにある︒従って目的物と侭権との牽連及
び燗性を法理上要求するものと解し得る︒継統性なるものを必ず#0−Lも理由とすること溝要求じない︒継暁性︑個性喪失等の商的色
彩の形式的方法は法学的であるが使用価値交換価値は法学的方法
でないとの非難があり得るであろう︒然し法を以て経済其他社会
関係の法理的表現であるとすれば︑法特に経済と最も密接な関係
にある商法の解釈は法を歪曲しない限り経済学的知識や方法を利
用することこそ最も自然であり︑簡明であり妥当であるとせねば
一
■ グ
ならぬと思う︒
ロ︑商事の法定利息を年六歩としたことは価値増殖を対象とする商
法に於いて︑価値増殖を必ずしも第一としない民事に比Lて︑よ
り高率となすことが資本機能の法則上当然であるとの観点に立つ
ものと解して差支なく︑寧ろ継統性︑反撞性︑集団性のみからは
減郷し得ないであろう︒営利性から説明することは可能であるが
営利性と資本機能との優劣は既に述べたところである︒
ハ︑民事上の時效に対し商事時敷が短期であるということは︑取引
の集団性︑大量性心而から説明し得ないでもないが資本機能に関
する法としての商法に於いてば︑擬本の回転の迅迎︑的確︑安全
を期することが資本機能の法則であると云う観点から脱明し得
る︒
二︑附属的商行為の或諏のものは︑営業の為に為されるとしても必
ずしも継瀧的︑反樋的︑集団的に行われるものでないから︑商的
色彩論によれば民法上の行為とせられねばならない︒然しそれが
営業の為に為されるから商法第五○三条の規定券侠って商法の適
用非受けることになる︒然し之を資本機能の立場から云えば︑営
業の為に為される行為は︑その客体たる︑商品︑不動賑︑サーヴ
ィス乃至労鋤︑信用等がサーヴィス料や商品に転化されるから交
換仙値を目標とする行為l資本機能lということが出来るのであ
って︑五○三条の規定を俟つまでもなく当然に商行為たるべ労行
為であると解すべきこととなる︒
ホ︑農︑林へ漁等の原始礁業が自家の使用琴目的として生産を行い
生活必需を充寸限度で市場に売り出されるに過ぎない状態にある
l
I
I
4 一 一
−− −−− 一● 一f 一一■ −9口 −1 一日 |や・ 一r
、
10
もの﹃︵日本の自作農︑小作農︑其他の過少農の如き︺は︑単純商
品交換︵乃至専ら賃金を得る目的を以て物を製造し又は労務に服
するものの行為⁝五○二条一項⁝の程度︶を出てないから︑民法
の対象とすべきである︒けれども︑資本制生産様式によって交換
価値増殖琴目標とする大規模生産乃至所謂社会的生産を行うもの
は︑資本機能穿行うものとLて商法の対象とすべきであろう︒
民法学の対象が商法学の対象をカヴγ1すること許前提とずる限︐
り︑民法学と商法学とは同一の対象をもつわけであるから︑対象自
体について民法学と商法学との相違を求めることは出来ない︒従っ
て商的色彩論が民法学と商法学との差異を対象自体に求めず︑対象
のもつ特殊性に求めたのは︑その限りに於いて方法的には正当であ
ると云わねばならない︒然し継鏡性︑反覆性︑集団性︑没個性等︑営
利活動一般のもつ商的色彩が内容をもたず形式に過ぎ却って民商両
法学の領域測定の根拠と為すことが必ずしも容易でなく︑且つ営利
性一般では資本制社会の商法の特殊性を抹消し朧史的発鵬性を無視
することとなる︒こ上に於いて私は商的色彩に比し内容をもつ特殊
性l民法の対象の性絡を無色とせず︑使用価値とし︑商法の対象の
性格を交換価値増殖Ⅱ資本の機能Iとし︑且つ資本制社会の商法の
特殊性歴史性を明かにする特殊性1を以て民商両法の差異︵絶対的
独自性ではなどの根拠とする所以である︒
註L田中耕︑﹁方法としての商的色彩﹂竹田先生古稀記念︵商
法の賭問題所收︺五頁︒
2田中耕︑商法研究第一巻五六頁︒
&田中耕︑前掲一六七頁︒鋤.
"
I
一昊企業法脱に対する疑問
L商的色彩論と企業法税との方法的差異
商的色彩論と企業法説との方法上の差盤の一つは前者が商法学の
自主性の根拠をその対象たる商法法規I法的事実Iのもつ性絡に求
め︑後者がその対象たる企業生活関係l法的事実I自体の差異に求
めていることにある︒然し私は筒は︑私の理解にして誤りがなけれ
ば︑前者は︐対象たる法的事実を現実の事実から切断された概念た
る法規に溝き︑後者い︑企業生活関係という経済的事実との関連に
於ける法概念としての企業生活関係に瞳いている点を指摘したい・
●元来法規は戦実と同一物逓はない︒或る惹味では﹁法規は法律が
噸爽関係を考没する要件︑及び熱実関係から生ずる結果奇明かにす
る﹂fから法規催法的熱実l法規によって考赴された酬実関係I
とは別個の観念である︒然し法的事実なる概念が法規をもって考赴
された事実関係だとしても.経済的事実関係は各個の法規や法律制
度と︑法的事実なる概念の下に統一融合されていなければならない
卑見によれば法規は事実関係の表現だからである︒商的色彩論に於
ても商法学の対象たる法的班実は︑法規と事実関係との結合概念で
ある筈である︒
然るに論者によればいつの間にかその事実関係が省略されて︑商 4鑑ンヌカーズ︑﹁海商法の独自性﹂小町谷訳五五頁︒&孔河野睡二︑西洋商業史二五頁︒〃a平田央︑手形流通法式の発展︑法学論叢一二巻四号一○八頁a田中耕︑商法研究第一巻︑四頁︒
−
、
I
、
「
!
←
P
一
ー−
〆〆 屯
的色彩は︑法規又は制度の色彩ということになっている︒﹁其の客
体たる法規の一群が独立の法域を為やこと﹂蝶或は﹁私の乏しい︑︑︑︑︑研究は商法上の各個の制度及規定に現はれている商的色彩の究明に
向けられそいた﹂酷︵傍点は何れも筆者︺のである︒制度及規定
は当然にそれによって考量さるぺき事実関係を予想する筈であるか
一ら︑事実関係は法規から切断されているとは必ずしも︑断じ得ない︑︑︑︑︑然し﹁企業のもっている性絡︑そしてそれのみでなく︑企業を離れ
︑て商法上の法的関係がもっている性格を明かにLなければならない
﹂鷲︵傍点は鉦者︺とするのである︒即ち商的色彩は現実の事実
関係たる企業を離れた商法上の法的関係︑換言へ事実関係から切断
された法規上の企業の性締を明かにすることになる︒商的色彩尭帯
・︑びる法的事実は法規l法的要件並びに効果としての概念lたる投機
売買であって現実の具体的な投機売買ではない︒︵法規と現実の事
実との間のズレ乃至誤差を認めることが大切である︒︺
元来商的色彩論は法規の基礎を為す生活事実自体の研究を無視す
るものではない︒﹁法律を以て社会生活の形式亀︒ご己と解し或
は手段c国茸のロと観ずるときは︑其の実質︵冨員畠巴或は其の
目的︹牙の︒ごを為す生活そのものの如何は形式なり手段なりの特
︑︑︑
性を決定する︒前者の特性は必然的に後者のそれに反映するものである︒是に於てか商法の本質の研究は其の基礎を為す生活事実その
ものから出発しなければならぬ︒﹂儲とするからである︒だが論
者は法学的方法と経済学的方法との混同を回避する為めに︑形式と
︑実質︑法と経済︑法規と事実とを切断し︑法規l﹁企業を離れて商
法上の法的関係がもっている性格﹂1のみを対象とL課題とするの
「
ノ
ー
、
I
ー
である︒だが問題はこの点にある︒法律学に雁史性を与・え︑発展性
を与える為めに睦︑形式と実質︑法規と酬実関係を緒び合せ︑実質
を形式の中に︑事実関係左法規の中に持ち込むことが必要である︒
︵論者も亦スタムラーの如き︑法律と経済とが全然別個の存在を有
し因果の法則によって相血に関係すると云う二元論に反対Lてい
る︒そして内容的具体的法律制度法律規定琴承認している︶腰
然るに企業法説に於ける対象たる法的事実は︑商的色彩論と異り
︑郡実関係から切断された法規ではなく︑法規の内容たる事実関係
換言﹁資本主義経済秩序のもとに於ける﹂現実の企業生活関係であ
る︒︵尤も或る学新の云う企業生活関係︑現実の個奄の処体的企
業生活関係でなく︑一般的﹁抽象的概念としての企業そのもの﹂鉄岬
である︒然しそれは事実関係としての個々の企業生活関係から切断
されたものでもなければ︑事実関係から切断された法規としての企
業でもないと考えられる︒それ故その企業概念は現実の企業生活関
係と結び付いている︺﹁ここに所謂商法の対象とは成文法たる商法
典:・の規定する頚誤であると簡単に考・印へてはならない﹂舵乱﹁生活
自体の特異性と統一性の中に法律秩序の特異性と統一性の山来才発
見しなければならない﹂詫馳そして﹁生活関係の内容的限定﹂脇
を加えなければならないとする︒
企業法説のこのような態度は﹁同一生活関係に働く法規はそのす
べてを綜合して把えることが必要である︒さもないとこれらの法的
諸現象の靖機的全体的な理解・説明が不可能である﹂肱川とする主張
となり︑従って企業法脱の対象とする難実たる企業主活関係は︑従
来の商法の法的頚突の枠を越・えることとなり︑﹁従来の法の部門に
1
1
、
j
←
1『
ノ
− −− − 一 一 一 一÷〒 一 ・ 一 一 一 一 一 丁 一 一 一 マ ー クーーーー −.? ー ‑一÷ ‑‐.‐..‐‐̲ 一一一 . 一一.−−.−̲ ←‐‐‑ー.÷一.−−. 芳−−‐̲‐.‐‐一一ー ‐一一‐ ーー r
β ロ ー
一
‐
1・恥
捉らわれない﹂で例えば所謂経済法関係特に独占資本主義の特別法廻たる統制経済法関係をも其の対象に導入.する画向をもつこととな
る︒註脳
かくして商法学の対象たる法的頚実は必ずしも一般私法学たる民
法学のそれと共通でなく︵飯襖する場合あり︺又後者は前者をカヴ
ァーすることを承鮒しない︒かくして企業法説によれば商法学はそ
の対象たる法的歌実そのものの相違によってその法域浄捌定するこ
ととなる︒
然し云うまでもなぐ対象たる企業生活関係の統一的組織的独自性
を基礎として商法学の自主性を主張するにしても︑その企業生活関
係の法的特質を抽出するのでなければ企業法説の理論的緋成は不可
能であらう︒そこに企業生活関係の商法上の特質i商的色彩lが課
題として残るであらうし︑又法技術的操作も必要とせられるであら
う︒︵その点拙諭についても同様である︺商的色彩が極めて形式的
外面的なのはこの要求によるものであらう︒それ故企業法諭の立場
から商的色彩論を﹁対象の外面的特徴の把握の立場にある﹂鷺と
批判することが若し﹁法律事実の性格のみを標鱸と﹂符すること
︲にあるならば誤解なぎを得ないと思う︒寧ろ︑商的色彩論が﹁外面
一的把握﹂の批判を受けるのは︑一つには商的色彩が生活事実の内容
に触れることのない極めて形式的なものであること︑二つには︑対
■象たる法的事実が事実関係から切断された法的関係︑法規︑膳あり
法規の﹁特異性のよって生ずる根拠﹂勝たる生活関係自体を対象
のうちに取り上げないからであると思う︒換言︑﹁商法の対象たる
生活関係の内容についての菰極的碓定﹂姓︑乃至﹁生活関係の実体
/
0
2対象の限界の問題
法規はそれ自らの発展力を持たない︒従って事実関係から切断せ
られた法規の色彩︑乃至︑学とじての商的色彩論は静止的であり︑
形式的である︒企業法説は経済的頚実たる企業生活関係を内容とする法的熟笑を対象とする︒経済的事実は法を乗り超えて無限に発展 /に立ち入られない点﹂姓Ⅳに存ずるので.はないかと思う︒
註Lボンヌヵーズ前掲一二一頁︒
2田中耕︑商法研究第一巻五六頁︒|
a田中耕︑竹川記念論文前掲三頁︒
小田中耕︑前掲一六頁︒
丘田中耕︑商法研究第一巻四七頁︒
a田中耕︑前掲惣八頁註二︒孔石井照岬商法上巻1一○頁︒
a西原︑日本商法論第一巻三頁︒
Q加西原︑前掲一六頁︒
n西原︑前掲八六頁以下︒
同主旨︑西原︑企業の法理︵私注の理論所收︺二一三頁︒
吃反対論︑洞井商法上巻二頁以下︑田中誠二前掲五︑一
○︑一二︑二五頁︒
喝石井︑前掲八頁︒
皿西原︑前掲一脚頁︒
巧妬石井︑前掲八頁︒
Ⅳ西原︑前掲一四頁︒
=
今
I
、
I W
13
する︒従って企業法説は従来の法域を無視して発展する﹁同一生活
関係に働く法規はその全てを綜合して捉えることが必要﹂藍であ
るとし動もすれば﹁従来の法の部門に拘泥Lないで﹂藍法の理論
上の原則や法の部門を乗り超える獄極性を有する︒︵尤もこれは
企業法諭の必然の結果ではない︑︶資本主義は自由主義の反対物
たる独占の段階に到達している為め︑法の傾城に於ても従来の法
の部門や理論を乗り超えなければ止まない歴史性を内包している︒
それは商法学に於ても︑商法学の対象の範囲が商法典という形式に
よらず実質的に定められるよ弓になり︑従来の商法理論を超えて商
法の﹁社会本位的考察﹂酷が正当とせられるという主張の中にも
見出し得る︒その実定法上の根拠は次の如くである︒商法上︑企業
独占の創設維持に関十るものとして︑不正競業の避止︑商号の登記
と不正使用の禁止︑商標の保謹公経営の秘密の保護等の規定︑従業
員︑消費者︑一般公衆の利益保護の為めの﹁企業自体﹂の思想︑並
びに企業の個人性喪失に関するものとして︑﹁経営と所有の分離﹂
を深める諸規定︑営業財産の集団的扣保︑株式会社法に於ける公認
会計士に要る会計霧類の調査︑商法以外の法としては職法二九条二
項︑民法一条︑同九○条︑独占禁止法一条等︒米図法にも反トラス
ト法︑ハーター法︵海上運送人の免責約款の制限に関する一八九三
年法︑後英独仏に採用︑日本では船荷証券の条款に採用︺等︒この
よヶに商法を社会本位的に考察せねばならない根拠許提供する諸法
規が存在することは︑従来の個人本位的商法から逸脱して︑更に企
業に関する統制経済諸法規をも含めたものをも自己の法域とするこ
とによって︑企業Ⅱ結果的ではあるが公共性公益性をも有するIを
I
.
中核とする独自の法域春織成することは一応承認し得ないではな
い︒陸公社会本位的考察といって総それは社会主義的考察というの
でなく︑燗別資本から一応離れて︑資本制社会の資本機能の為の社
会本位的考察である︒それは取引の安全とか取引の円滑其他資本機
能を行うに必喫な諾条件を保謹育成する為に総貸本の立場からする
盗本社会本位的な考察でありそれは結局個別資本の盗本機能を直接
に叉は間接に促進することを目標とするものである・・従業員の保護
といっても企業の私的利潤を畿牲とするのでなく︑企業の継統の為
の従業員保護である︒従って論者の云う社会本位的考察は必ずしも
一般私法や商法の個人主蕊︑私有財朧保護の原則と矛盾するもので
はない︒それ故その限りに於いては︑統制経済鯖法規券も含めて︑
企業を中心と十る﹁同一生活関係に働く﹂緒法規を一団として独自
の秩鋤域を榊成することは或は可能であろう︒
然し︑之等の社会本位的考察を要する諸法規の中には︑独占資本
主義の独占の弊害を除去緩和し或は独占尭創設維持すべき諸統制法
乃至所訓率業法︑或は総盗本の立場から特に保護育成すべ貴政策的
考噸に塞ぐ郡業法等の一剛と︑独占乃至特殊の政策に基づかず︑自
由擬本主誕の段階に於て蝋必要な取引の自由安全︑円滑を図る為の
諸法規諸原則︵例︑権利濫用禁止︑信義則︑表示主義︑外観主義︑
不正競争禁止︑免責的約款の制限等aの一団とがある︒前者は総
資本の立場がら︑独占の弊害緩和︑経済政策的考慮等仁蓬く立法であ
Qり︑それらの法の維持の為に行政権毒発動せしむるものである︒後
者は必ずしもそうではない︒従って前者と後者とはその法形成の主
旨並びに法の維持に対する梅力発動の仕方に相違を持つものである
ノ
句
=
ー 一一一一ラーー責云1−ー ラーーーー 扇マテ一一一一〒 〒
斗−−ママーー 一
、
j△ロ
〃
14
︒之凌一口に云えば公法関係と私法関係との相違ともなし得るであ
ろうか︒このような相違にも拘らず︑両者を同一生活関係に働く法
規であるかめと云って合一して一つの法域穿榔成せしめんとするこ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑とは資本制社会の企業を対象とするものである限り困難ではなかろ
うか︒かくの如く区別することは商法と統制法とを機械的に切断す
べきであるとの意味ではない︒寧ろ別個の観点から両者は弁証法的
に統一把握が可能であることを否定するものではない︒
註L西膨︑日本商法論八六頁︒同﹁企業の法理﹂︵私法の馴諭
所收一二三頁︶︒
2田中誠二﹁商法の自主性についての若干の考察﹂田中先生
還暦記念商法の基本問題所收四○頁︒
a田中誠二﹁商法学に於ける社会本位的考察と商法学理論に
ついての若干の修正﹂︵私法第三号所收二頁以下︶︒
4企業生活関係に関守る法とLて従来の商法の外︑統制経済
の法をも之に含ましめる為には︑単にそれらが企業︑生活関係
という﹁同一生活関係﹂にあるというのみでは不充分であり
何竿かの共通の原理に服〜るものがあることが必要である︒
﹁社会本位的考察﹂による企業の公共性公益性寺主張するこ
とによって統一把握の根拠の一つが与えられるであろう︒私
︑︑
は商法の対象たる法的頚実としての企業に公共性を要求する︑︑
優とは別として︑それが公共性を帯有しているとは考えない︒又︑企業をもって﹁資本を運用しその増殖即ち利潤の礎
得をはかる事業体である﹂となし︑人間の需要充足の為の資
本︑経営︑労鋤の組織体であり︑人間の﹁本源的超滕史的範
ノ
!
』
、
聡﹂として﹁頚業体﹂を︑商法の企業から抽出し強調するこ
とも︑資本制社会に於いては当を得ない︒寧ろ企業臆私的利
潤追及の鬼であり︑それを離れての事業体は存在しないから
●こそ︒︑所謂社会本位的I資本社会本位的I公共的性格諸もっ
た若干の法規を以て無軌道にして不当な競争を抑制し︑その
私的利潤の追及を円滑にL永統せしめんとするものである︒
佃々の法規は成程社会本位的装をもっているが︑賢本制社会
に於ける商法狭規従って又その企業に関する諸法規全体の色
彩は個別盗本本位的である︒
西原教授は﹁企業には権力関係は存在しない︑企業は私経済
︑的立場に於て国民経済の一単位として活動十るもの﹂とせら
れているから私法の限界琴守るか.に見える︒然し企業自体の
内面に権力関係が存在しないとしても︑統制経済法の公共性
から来る外部的︑行政的強制︑指導を﹁同一生活関係に働く
﹂ものとして商法の中に入れる場合原理上矛盾を生ずるので
はないか︑
︑石井教授は﹁個々の経済主体の利益才基礎としてそれら・額体
相〃間の利益の調整を企図する面﹂か商法学の対象とするこ
とによって私法の限界左守っていられる︒
a﹁企業生活関係﹂は資本制社会の商法の本質を明かにL得る
か︒
商的色彩論に於ける商法の本質は営利活動にある︒だが︑資本制
社会に於いては醜に営利活動というのみでは不充分であり︑交換価
値の増殖︑換言︑資本の墹殖にありとせねばならない︒企業I盗本
1
「 了一・一一ー lf
q.‐
−̲ー弐一可、マーーー宏一J ‐一
〜
一 = 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 → 一 一 一 一 一 一
凸
15
磯櫛lはこの資本増殖の擬能才営む手段である︒︵資本制社会では企業の本質は人類一般の使用価値充足が第一の目的でなく︑交換価
値の増殖にある︒︺この手段を以て商法の本質を説くことは当を得
ない︒ん物々交換から発して︑貨幣の発明︑前期的商業資本︑マ言フ
ァクチェアの時代I産業資本Sl言八零一l君︑1余︑︶並びに金
融資本S1余︑︺Iから所謂産業革命とブルジョア革命を経てブル
ジョアの盗本の法として発展した現代の商法は︑正に産業資本を基
礎とする各種形態の個別資本の保護育成に関する法と云うべき︑腱
史的使命を担った法であるということが出来る︒それはあくことの
ない私的利潤追及の法であることを本硬とする︒資本の私的利潤
追及は各甑の手段︑各樋の方法を無限に発展せしめ︑それ存・法規化
し制度化した︒之が現代商法である︒企業緯此の私的利洲追及l資
本擬能lの為の手段たる機織である︒この資本増殖機樅は︑その各
鱗成饗素が資本によって鯛入せられ︑︵不変資本と可変衝本として
︒〃戸
の労働力︶委任せられ︵経営としての労働︶︑資本の為に奉仕し︑資本に従属するところの機織である︒催資本は労働生産物から成
立っているが︑それが単に労働生産物たる限りに於ては盗本でなく
価値増砿の為に機能することにより資本となるものである︒近代社
会ではこの機能が組織化され巨大機構をなすに至ったのである︒そ
のうち︑経営としての労働lは盗本に奉仕するが資本に対立する拙
ので腱ない︒然るに可変盗本としての労働力は剰余価価I利潤Iを
生産しつ比︑資本に従属し資本に対立する︒生きた労働は︑可変資一
本として︑蕃穣された労働I不変資本Iに従属し︑搾取され而も之
(
一
I
と対立しつ良資本機能を営んでいる︒
然るに企業法説によれば︑資本に対立する労働の面が考賦されて
いない︵労鋤生灌物は労伽に対立し︑之を搾取することによって盗
本とせられる︒︺例えば﹁企業に特有な設備樅成﹂藍乃至﹁目的
を到達するために必要な物的及び人的の客観的設噛﹂賭は労働に
対立する盗本とLて理解せられていない︒又﹁資本的計算方法のも
とに営利行為を実現するもの﹂藍も労髄に対立すゑ資本機櫛とし
て理解されていない︒病.弓蔚言邑に於ても亦同様である︒彼によ
れば︑q員の目の言二宮侭とは﹁利益礎得の目的の為の資本と労働力と
の璽畠謹言である︒﹂或は客観的意味に於けるご貝の目の言︺gは︑
﹁投下せられた人的並びに物的財闘自体を意味する﹂勝のであっ
て︑それは法的考察の為には一︑営業活動︑二︑営業財産即ち営莱
に向けられた諦財潅権︑弓.財産的価値︑顧客︑信用等から成る郡
実的諦関係︑の三にⅨ別せられる︒ヴィーラントに於ては︑企業の
各要素は︑一見資津として統一結合せられている︒︑国冒竪冒は﹁
君書彊曽ぐc冒属夢冒一号の婦昌侭g﹂︵資本財産の目険︶を意味し︑資本
財産は﹁資本と労働力﹂乃至﹁人的並びに物的財貨自体﹂姓aを意#
味するからである︒然し︑それらの人的物的要素が︑資本財産であ
るとしても︑その人的盗本財貨としての経営と労鋤力との区別が不
明砿であり︑又盗本に対立する労働の面が鋭明されていない︒尤も
彼は︑労働券以て︑寅労鋤乃至使用人労鋤を考えているが︑それは
可変盗本としての資本であり︑資本の面に於ける労働である︒何と
なれば︑彼によれば︑労鋤の国凰貝園は賃労働者が労働市場に於い
て雇傭を発見し得なかったり︑労鋤によって病を得る危険等泰意味
| I
ー一一ー下−−−− 手.一・' マーーーーーーーーーーダーーーー−−一−−吋一X− ー−ー'‑ ー ー一 − 一 一 = 一 一 歩 一 一 一 一一 一 一 ‑ 一 − 凸
、
するのでなく︑︵資本に対立十る労働者自身の園回鋲呉侭でなく︶商妬︑人︑工場主共他投下資本の所有者が︑製品や商品の喪失︑販路の欠一
乏等によって︑投下した労働l可変資本l藷資本と共に失うこと蔦
︵可変資本I盗本1としての冒険︶を意味するからである︒
云5までもなく︑商法典に於ける商は︑産業資本に於ける価値増
・・殖過程I物の製造︑加工︑変形lを要件としない︒︵商法五○一条
五○二条︑独商法﹁条二項一号︶従って商法典に於ける商としての
資本増殖は賀労働の直接の鈴坂と︑対立とを要件としないが︑資本
法としての商法の対象たる資本は︑何等かの面に於て︑朧業資本の
利潤に基礎を留き︑又その分け前を得て存鏡している︵独占利潤そ
の他之に観;る利潤は形の上では前期的商業資本の利潤と同じ様で
はあるが︑独門利潤弁得る現代の独占資本乃至企業は多くの労鋤者
使用人を駆使して労鋤と対立している︒︺かくして何等かの意味に
・於て労鋤に対立している︒
企業をこのように見て来ると︑現代の企業は︑寧ろ盗本機榊とし
て理解さるべきであって︑かくすることによって現代商法の本質を
最もよく把握することが出来ると思う︒
又︑企業法説によれば︑その人的並びに物的財貨を夫堂対等の要︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑素として見る関係上︑資本︑経営︑労働︑が資本に奉仕する為めの
統一機織たることが明確でない︒そこに労働搾取に基礎をもつ資本
制社会の企業から﹁いかなる時代においても人間の慾望充足価値の
生産体に外ならず︑最も本源的︑超歴史的範聴﹂酷としての﹁事
業体﹂なるものを抽出し︑或は企業の公共性或は﹁全体的立場﹂が
如何に哨資本制社会の商法の一つの本質であるかの如き錯覚?を生 〆
》
I 目的と人間労働を加えることによって職能せしめられることとして 産物の集積は生活体たり得ない︒民法上の財団法人は財団に一定の 生活体であり︑有機体であるとせられるであらうか︒単なる労鋤生 を実現する統一ある独立の生活体であるとする︒儲企業は何故に B或る企業法説によれば企業は資本的計算方法のもとに営利行為 はない︒ 5べきであって︑使用価値充足︑公共性の保謹穿第・一とするもので 関する保謹規定も盗本機能と資本樋得の円淵化の合理化であると云︑ 之は資本職能の合理化と永続化が主たる目的である︒叉社侭権考に 所調︑所有と経営の分離の賦向が漸次強く現われて来ている︒然し 前の利益よりは会社自体の存続︑従って叉会社対株主の関係に於て 穿柵びるかの如き観がないではない︒例えば自己資本︵株・平︶の目 は︑株式会社の行為券制限十る幾多の瀧規を持って恰も公共的性絡 商法は支離滅裂となるであらう︒尤も企業法の中核たる株式会社法 的胴人主錐は批徹ぜられず公法的行政法的性絡を帯びることになり つものでない︒もしそのような二葹榊造を持たせるならば商法の私 もない︒従って商法上の衝本機椛たる企業は等価的な二爾榊造弗も 類慾望充足仙価の保謹助長は商法の直接の目的でもなければ本質で の生産の保識助長をもって特質とし本質とするのである︒それ故人 なく交換価値︹商品︺の蛇雌である︒資本制社会の商法亦交換価値 前の企業から腱別︐一雪︐る一つのモメントは使用価値︵財貨︺の生産で 重性格﹂を州有するが如くである・然し資本制企業穿盗本制生産以 性をもっている︒従って商品を生産する盗本磯織たる企業も亦﹁二・ ぜしむる原因ともなるであらう︒商品は使用価値と交換価値の二重
ノ
、