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要 旨 『源氏物語』「とみに」考

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Academic year: 2021

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『源氏物語』「とみに」考

松井 佳子

『源氏物語』の宇治十帖にいたるまでの「とみに」について論じた。「とみに」は、

打消しの語を伴うことで、すぐには何も行わずに物語の中に「間」を生み出す。その

「間」が意図的に生み出され、扱われていたのではないか、という視点から「とみに」

について考えた。

『源氏物語』における「とみに」の用例は五十七例である。そのうち、宇治十帖ま での光源氏・夕霧に関連して、恋愛の場面で用いられている用例から検討を進めた。

光源氏が「間」に感情を込めることを巧みに行い、さら周囲の女性たちは、巧みに

「間」を用い、自身を演出していることが分かった。女性たちとは、葵の上、末摘花、

明石の君、紫の上である。特に、光源氏・紫の上・女三の宮の三角関係においては、

紫の上が「間」を支配しているともいえる。

対する夕霧は、「間」を演出することに長けているとは言い難かった。しかし、落 葉の宮と共にある場合に限っては、夕霧も「間」を上手く演出することが出来てい た。また、北の方である雲居雁は、夕霧に対して「間」を演出するものの、自身のた めの効果は得られず、夕霧の落葉の宮への思いをさらに掻き立てるような結末となっ てしまった。それ故、雲居雁もまた、「間」を巧みに演出し、用いているとは言い難 かった。

次に論じたのは、前章までの恋愛に関わる用例ではなく、悲しみに関する用例であ る、それらの用例を、悲しみを演出する「間」として考えた。演者たちは、桐壺の更 衣の母と靫負の命婦、光源氏と藤壺、柏木と落葉の御息所、夕霧と御息所である。そ れぞれの用例で、「間」を用いて悲しみを演出していたが、特筆すべきは、どちらか 一方が「間」を生み出すのではなく、双方によって悲しみを共有し、演出している点 である。そのことからも、悲しみに起因する「間」は一人で持つものではなく、他者 と共有し、寄り添い合うものとして『源氏物語』において描かれているように思われ 63

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た。

また、垣間見に関する「間」についても論じた。用例は野分巻と若菜上巻の二例で ある。野分巻では、夕霧が紫の上を垣間見たことが光源氏に露見するが、夕霧の特性 上、ここでの「間」による垣間見の露見は、物語上の演出であろうと考えられた。次 に若菜上巻における「間」は、柏木と夕霧に女三宮を垣間見する機会を与えたが、影 響を受けたのは柏木だけであった。そのことから、若菜下巻における柏木と光源氏と の間に生まれた「間」について考えた結果、柏木に垣間見する機会を与えた「間」か ら光源氏の前で思いのままに生み出した「間」は、一連の必然的な「間」であるとし た。

最後に触れたのは「とみに」に関連して「とみの」に関する用例である。『源氏物 語』において「とみの」の用例は僅かに三例であった。夕顔巻では「とみのこと」と いう形で登場するが、「とみのこと」の散文における初出は『伊勢物語』八十四段で ある。そのことから、『源氏物語』における「とみのこと」並びに「とみの御文」も、

『伊勢物語』を想起させる手法を用いているのではないかと考えたが、検討の結果、

明らかな共通点は見つからなかった。しかし、少なからず結びつく点もあり、何より も、『源氏物語』以前に「とみのこと」が用いられている用例が「伊勢物語」のみで あることから、『伊勢物語』とも関連は全くないとは言い難いのではないか、という 結論に至った。

以上、幾つかの観点から「とみに」「とみの」を論じ、特に「とみに」に関して多 くを考えてきた。結果として、「とみに」が打消しの語を伴うことで作り出す「間」

は意図的に用いられ、物語を動かす役目を果たしているという結論に至った。方法と しての「間」という役割は確かに存在したのだ。

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