三三
源氏物語と長恨歌 其六
上 野 英 二 其六 天の夕顔
『源氏物語』の一部始終には、『長恨歌』の変奏が見られる(其三)。そして、その『長恨歌』には、羽衣説話の反映があった、と思われる(其五)。『源氏物語』夕顔の巻は、その『長恨歌』の変奏の一つとも見られるが(其一)、それ以前に夕顔の話には、羽衣説話、乃至天人女房説話の影がより直接に窺われる。八月十六夜の夜、
三四
山の端の心も知らでゆく月は上の空にて影や絶えなむ心細く」とて、もの恐ろしうすごげに思ひたれば、(夕顔)
という不安も的中、「なにがしの院」の怪異の出現によって絶命昇天する夕顔は、八月十五夜、月からの使者に迎えられて天に昇る、『竹取物語』の「かくや姫」に擬せられている。夕顔には、「八月十五夜」、
いざよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを、女は思ひやすらひ、
とあったが、『竹取物語』においても、
八月十五日ばかりの月に出でゐて、かくや姫いといたく泣き給ふ。
とあった。夕顔が『竹取物語』の「かくや姫」に重ねられていることは、明白であろう。しかし、一方、其四において述べたように、「いはゆる羽衣の説話が、この『竹取物語』の結構に参与してゐる」(柳田国男「竹取翁」『昔話と文学』)ということからすれば、夕顔の話も、羽衣説話に則っている、ということになるであろう。
三五 確かに、男の元に女が現れ、男とともに過ごすのも束の間、女は忽ちのうちに昇天してしまう、という夕顔の話の大筋は、羽衣説話のそれに重なっている。とりわけ、夕顔の話と羽衣説話との関連で注目すべきなのは、羽衣説話のなかに次のような形をした一類があるという点である。柳田国男『昔話と文学』の引く、伯耆羽衣石山の昔話の例。この話では、農夫に羽衣を奪われた天人は、一つの夢を見る。
暫らくの間人界に住め。何年かの後に白い花の咲く蔓草の下で、子供に救はれるだらうと夢の告があつて、それから全く天上の事を忘れてしまふ。さうして偶然に其農夫の家に来て夫婦になり女の子が二人出来る。二人の娘は音楽が好きで、又舞が上手であつた。親子三人で倉吉の神坂へ遊びに行つた時に、何も知らず其羽衣を持つて往つた。姉の娘が先づそれを着て舞ひ、妹も次にそれを着て舞つた。其あとで母親が試みにその羽衣を着て見ると、忽ち人間の心を失うて天上に昇る気になつた。さうして其処には夢の告の如く、井の上に夕顔の花が白く咲いて居た。
夢に告げられた如く、「白い花の咲く蔓草の下」で、天人は天へ帰ることができた。そしてその「白い花の咲く蔓草」とは、他ならぬ「夕顔の花」であったのだ。『源氏物語』の夕顔の巻、その名も「夕顔」。やはりこの天人のように男の元を去って天に昇って行った女君が、
三六
「夕顔」とともに物語に登場していたことは偶然ではなかったのではないか。源氏が、この女君を見染めることになったのは、夕暮れの垣根に咲いた、見馴れない白い花が印象的であったからであった。
「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ、咲き侍りける。」
説明をする随身に、「一房折りて参れ」と命ずるところから、源氏とこの女君との出会いは生まれた。
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
寄りてこそゝれかとも見めたそがれにほの〴〵見つる花の夕顔
以後、夕顔の花とともに二人の物語は展開して行く。夕暮れ時に一時白い花を開き、やがて萎んでしまうこの花の定めは、当然、はかなく消え去ってしまう女君の運命を暗示してもいよう。後の読者もこの女君を「夕顔」、「夕顔の女君」と呼び習わしている。この「夕顔」が、羽衣説話に特徴的に現れるのである。柳田国男は、「たとえば井の上の夕顔の花というような、一見何でもないものに類型がある」ことを指摘し、青森県の昔話、「天さ延びた豆の話」を紹介している(『昔話
三七 と文学』)。
昔天人が飛ぶ着物を脱いで、沼に下りて水を浴びて居た。一人の若者がそれを拾つて隠したので、天人は仕方無しに其女房になり子が生まれる。その子が啼いて困るときは、いつも或松の樹の下へ来ると奇妙に啼き止むといふことを、アダコ(子守女)が母に教へてくれる。それで其松の樹の下を掘つて見たところが、以前の飛ぶ着物が隠してあつた。これを着て見ると身が軽くなり、又天に帰りたくなつた。アダコには御礼に一粒の豆をくれる。此豆粒を流しの下さ栽ゑて置け。大きくおがつたらば(成長したならば)それに伝はつて天さ昇つてこいと言つて、天人は帰つてしまつた。アダコは言ひつけられた通りに豆を播き、其子供を育てゝ待つて居た。豆が大きくなつたので是に伝はつて、子供と二人で天に昇つて行つたといふ(津軽昔ご集)。
夕顔と豆とを繋ぐもの、それは、ともに天へと伸びる蔓草であるという点にあった。柳田は言う。
是は私の一つの仮想であるが、人と天上との交通を説くのに、瓜や蔓の極度の成長と、是を梯子として往来したといふことが、可なり夙くから用ゐられた一つの趣向であつた。(「犬飼七夕譚」『年中行事覚書』)
羽衣説話において、「人と天上との交通」と言えば、まず「飛ぶ着物」、すなわち天人の羽衣が真先に思い浮ぶ
三八
が、「人と天上との交通」の手段となったものは、羽衣に限ったことではなかった。羽衣説話の中には、天へ昇る天人の後を追って、男も天へ登ろうとしたことを説くものが少なくない。その男の「梯子」となったものが、「瓜や蔓」、そして「天の夕顔」なのであった (1)。 天を貫ぬく梯子用の植物は、是非とも一つのもので無くてもよかつた。忘れてもまちがへても亦わざとでも、成るだけ似つかはしい早く成長しさうなものを持つて来ればよかつたので、又その為に我々が天と交通したといふ要点にまで、模様替へをする必要は無かつたのである。天の夕顔も恐らくは同じ事情から、徐々として日本人の空想の中へ、入つて来たのであらうと私などは思つて居る。(「天の南瓜」『昔話覚書』)
『源氏物語』の「夕顔の花」も、この「夕顔」の一類と考えられるのではないか (2)。羽衣説話の話とは違って、『源氏物語』では夕顔は死ぬ。したがって、光源氏がその後を追って天に昇るということは無い。けれども、「天さ延びた豆」の蔓を伝って天に昇った「アダコ」同様 (3)、出来得ることなら、源氏も夕顔の後を追って行きたいところであった。主人の急死に「煙にたぐひて、慕ひ参りなむ」と言う、侍女の右近に対して、源氏も「かく言ふ我が身こそは、生き止まるまじき心地すれ」と応えている。その思いが現実化するのは、後に源氏が、夕顔の遺児、玉葛を捜し出す、という展開(玉葛)においてであろう。
三九 そう考えるとき、羽衣説話に同様の展開をするものがあったことが思い合わされる。
鹿が白髪の翁に化けて来て、明日は天人が川に下りて水を浴びるから、松の樹にかけてある羽衣の一つを匿して、その天人を嫁にせよ。さうして二人の児が生まれるまで、其羽衣を見せてはならぬといふのだが、此伝承には誤りがあると見えて、其戒めを守つたにも拘らず、やはり天人はその二人の児を両手にかゝへ羽衣を着てすうつと飛んで往つてしまふ。そこで猟師が泣いて居ると、同じ老人が再び現はれ、あすの朝はあの川へ天から金のタゴ(担桶)が下つて来るだらう。それは天人が水を汲むのだから、其中へ入つて居れば引上げてくれると教へる。乃ち其通りにして親子四人楽しく天上に団欒するといふ。
(柳田国男「犬飼七夕譚」所引『安芸国昔話集』)
羽衣説話、天人女房の話には、天人が男との間に出来た子供を連れて天に帰るというストーリーを持つものもある。こういう場合、男の追跡の願いは一層切実なものになる。光源氏にとっての玉葛も同様であったと考えられる。無論、玉葛は光源氏の実子ではない。しかし、亡き夕顔に忘れ形見のあったことを知った源氏は、秘かにその姫を引き取ろうとしたのであった。
「さていづこにぞ。人にはさと知らせで、我に得させよ。あとはかなく、いみじと思ふ御形見に、いとうれしかるべくなむ」と宣ふ。 (夕顔)
四〇
その遺児は、亡き夕顔の「御形見」、「御かはり」でもあったのだ。
「世に忘れがたく悲しきことになむ思して、かの御かはりに見奉らむ、子も少きがさう〴〵しきに、我が子尋ね出でたると人には知らせてと、そのかみより宣ふなり。(玉葛)
しかし、その姫は行方不明。やっとその消息が分り、実際源氏の元に引き取られるのは、はるか後、玉葛の巻に入ってからである。姫は筑紫で成人、源氏はこの姫を捜し出して自分の養女にしてしまう。この展開は、ちょうど羽衣説話において、地上に残された男が、天人とともに、ともに天に昇った子を追い求めて天に昇ろうとしたことに対応しよう。その時の源氏の詠懐。
恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ (玉葛)
「玉かづら」は「玉鬘」と「玉葛」を懸ける。「玉葛」は「蔓」の一つ、恐らくこれは、蔓草「夕顔」の縁で用いられている。この姫は「はかなく消え給ひにし夕顔の露の御ゆかり」(玉葛)と呼ばれている。夕顔ゆかりの姫は、やはり蔓を伝って、源氏の元に辿り着いたのである。これは、柳田の指摘した、「一見何でもないものに類型がある」「井の上の夕顔の花」に連なるものではなかっ
四一 たろうか。羽衣説話の中には、まさしく「夕顔」の「蔓」を「よじのぼって」天へ至った男の話が伝わっている。新潟の「天人女房の話」。話は通例の羽衣説話によって天女が昇天したことを語った後、地上に残された父子の会話を続ける。「おまえ、あの着物がはいっている箱のことをいうたな。母は天にのぼるとき、何かいわんかったか」ときくと、「夕顔の種を二粒おいていく。まけばすぐに芽を出して天にとどく。ほうしたら、父とその蔓をあがってこいというた」と、太郎はこたえた。 そこでその夕顔の種をまいてみると、すぐに芽を出し、ぐんぐんのびて、たちまちその蔓が天にとどいた。父と太郎は、その蔓一本ずつにとっついて、上へ上へとよじのぼっていった。よじのぼって、よじのぼっていくうちに、とうとう、天上についた。すると、きれいな衣をふうわりと着た母がちゃんとむかえにきてくれた。その夜は母が天のごちそうをたんと出してくれた。(網野善彦他『瓜と龍蛇』所収)
確かに、「天の夕顔」は「天を貫ぬく梯子用の植物」だったのである。『源氏物語』の「尋ね来つらむ」と、「よじのぼっていった」「天人女房」の話と、再会の仕方は逆になっているけれども、ともに親子は蔓草を伝って対面を果たしたのであった。
四二
確かに、光源氏の玉葛探索を語る玉葛の巻は、「夕顔」の追懐から筆を起こしていた。
年月隔たりぬれど、あかざりし夕顔を、つゆ忘れ給はず、心々なる人の有り様を見給ひ重ぬるにつけて、あらましかばと、あはれに口惜しくのみ思し出づ。
「玉葛」の蔓は、「夕顔」の蔓の尾を引くものではなかったか。源氏は、羽衣説話の「瓜や蔓」と同様、「夕顔」ゆかりの蔓を伝う形で、遺児玉葛に巡り会うのである。玉葛の巻は、「あかざりし夕顔」の後日談として書かれている。夕顔の巻における、夕顔の突然の死。何の前触れも無く、突如として女に消え去られる男の衝撃は余程のものであったようで、話はそれでは終わらなかった (4)。ちょうどそれは、羽衣説話にあっても、七夕型のそれがそうであったように、天人の昇天を語った後に、その後を慕って天上に昇ろうとする男の後日談を付加するものの少なくないのと、軌を一にしている。『安芸国昔話集』の「猟師」の男は、女に去られて「泣いて居」た。そして、やがて女と子供を追って天に昇って行った。夕顔に先立たれた源氏も、天を仰いでは、ただただ、
見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつまじきかな (夕顔)
四三 と、嘆息を久しうするばかりであったが、やがて、「あかざりし夕顔」の面影を追い求めることとなる。それが、玉葛の巻ということになるのだが、実は、それに先立って、同じく「あかざりし夕顔」の後を辿って、その前奏となっているとも言うべき巻があった。末摘花の巻である。
思へどもなほあかざりし夕顔の露に遅れしこゝちを、年月経れど、思し忘れず、こゝもかしこも、うちとけぬ限りの、けしきばみ心深きかたの御いどましさに、け近くうちとけたりしあはれに似るものなう、恋しく思ほえ給ふ。
末摘花の巻は、殆ど玉葛の巻と瓜二つと言ってよい程よく似た文章で書き出されていた。周知のように、末摘花の巻は夕顔の巻をなぞる形で進行し、結局滑稽譚に終わる。それは夕顔の巻の、一種のパロディーである (5)が(玉上琢彌『源氏物語評釈』)、その発端は、やはり夕顔に突然去られた源氏の、喪失感に始まるものなのであった。いずれにしても、これらの例は、愛する女を失った男の悲しみがいかに大きかったか、その面影を追い求める気持がいかに切実なものであったか、端的に示すものであろう。まさにその気持が、『長恨歌』の原型となったであろう七夕型の羽衣説話(其五)を生んだ原動力となったのであろう。七夕型の羽衣説話は、女の昇天までを語る一般の羽衣説話に、浦島説話が付加された形になっている
四四
が、異界にいる女を尋ねて逢いに行くという筋立として、浦島説話はその格好の素材となったはずである。七夕型の羽衣説話は、こうして成立したのではなかったろうか。天界へ飛び去った織女を追って天へ昇る、七夕説話の牽牛。亡き楊貴妃を恋い慕う玄宗皇帝の意を体して蓬萊へ至る、『長恨歌』の方士。はたまた、これも月世界へと旅立った「かくや姫」を偲んで悲しみに昏れる、『竹取物語』の翁や帝の心情。そして、桐壷の巻における、靫負の命婦の派遣。これらは皆、同様の心情の具体的な現れであったに違いない。このように見るならば、夕顔、末摘花、そして玉葛と連なって行く『源氏物語』の展開の背後にも、羽衣説話、天人女房の説話の骨格を透かし見ることができる。『源氏物語』が羽衣説話の大筋に重なった展開を見せるのは、『長恨歌』に則ったためばかりなのではなかった。『長恨歌』を踏まえる以前に、『源氏物語』は、羽衣説話と同じ展開を示すことがあるのである。いかに『源氏物語』が、羽衣説話を好んだか。それは実は、『長恨歌』以前の問題でもあったのである。したがって、『源氏物語』の『長恨歌』への愛着とは、その深層においては、羽衣説話への愛着であった、と見ることが出来る。ならば、羽衣説話とは、何故にそれほど人の心を捉えて放さなかったのであろう。羽衣説話のどこに、それほどの魅力があったのであろう。「何となく心を平静にし、最後は簡単に神さまになっておさまってしまう」天女に、「どうしても結婚の対象とはなり得ない」「天上に住む永遠の乙女」(河合隼雄『昔話と日本人の心』)の姿を見出すからであろうか。
四五 はたまた、「別れに際しての妻の心のうち、夫の心のうちにあるさまざまな思い、別れのさびしさを基調としたさまざまな思いを余韻として残すところ」(小澤俊夫『昔話のコスモロジー ひとと動物との婚姻譚』)に限りない哀感を感じたからであろうか。そうして『源氏物語』は、羽衣説話のどこに、はたして何を、見出していたのであろうか。注(1) あるいはそれ以前に、女が夕顔を天へ登って行く「梯子」とした例(サントリー美術館蔵『天稚彦物語絵巻』)
もある(図5)。天に向って伸びる「夕顔の花」は、やがて昇天することになる女の運命を、暗示するものであったかも知れない。
(2)
の天の夕顔を読みて」の副題を持つ。すなわちこの論文は、その発表(昭和十六年)の三年前(昭和十三年)、『日 「天を貫ぬく梯子用の植物」として「天の夕顔」を説く、柳田国男「天の南瓜」(『昔話覚書』)は、「中河与一君
本評論』新年特集号に発表された、中河与一の小説、その名も『天の夕顔』に触発されて書かれた。
小説は、夫も子もある年上の女性に恋慕した男の悲恋を描いて、永井荷風の「我が文壇も夕顔の一篇を得てギョー
テのウエルテル、ミユツセの世紀の児の告白この二篇に匹敵すべき名篇を得たる心地致候」という評(「西人にも
よませたき」、ロマンス社版『天の夕顔』付録『「天の夕顔」批評集―本書に寄せられた諸名家の評語より―』)を得、世に浪漫主義の名作とされる。
主人公「わたくし」は、学生時代、下宿屋の娘に思慕を深くするが、その人はすでに人妻であった。二人は互い
四六
に引かれ合いながら、彼女は夫以外の男性を「拒絶しつづけ」、「わ
たくし」もまた「ストイックな性格」から、二人が結ばれることは
なかった。十数年の後、息子も一人立ちし「夫と子供の責任」に目
処が立ったところで、彼女は「五年たつたら、おいでになつても、
ようございますわ」と「わたくし」に告げる。しかし、その五年目、「い
よいよあと一日であの人に逢へるといふ前日」、「あの人が末期の思
ひで書いた悲しい手紙」が「わたくし」の元へ届くのである。彼女
の死。「二十三年」思い続けた彼女の死を前に、「わたくしは泣い
て泣いて、眼がつぶれさうに思はれました」。
図5 天稚彦物語絵巻(サントリー美術館蔵)
四七 小説はここで結末を迎えることになるのだが、その最後を、「夕顔の花」が印象深く彩るのである。
それでもわたくしは今、たつた一つ、天の国にゐるあの人に、消息する方法を見つけたのです。それはすぐ消える、あの夏の夜の花火をあの人のゐる天に向つて打ちあげる事です。悲しい夜々、わたくしは空を見なが
ら、ふとそれを思ひついたのです。
好きだつたのか、嫌ひだつたのか、今は聞くすべもないけれど、若々しい手に、あの人が嘗て摘んだ夕顔の
花を、青く暗い夜空に向つて華やかな花火として、わたくしは打ちあげたいのです。
わたくしは一夜、狂気したわたくしの喜びの為めに、花火師と一緒に野原の中に立ちたいのです。やがて、
それは耳を聾する炸裂の音と一緒に、夢のやうにはかなく、一瞬の花を開いて、空の中に消えてゆくでせう。
然しそれが消えた時、わたくしは天にゐるあの人が、それを摘みとつたのだと考へて、今はそれをさへ自分
の喜びとするのです。
その「夕顔の花」とは、二人が一度だけ「突然唇を触れあつた」日の思い出の花であった。
やがてあの人は、道の端で夕顔の花を見つけると、それを摘みとるのでした。手に白い花がにじんで、それが夕ぐれの色を余計に濃くするやうに思はれました。
四八
『天の夕顔』は、「たつた一つ、天の国にゐるあの人に、消息する方法」として、その「あの人が嘗て摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向つて華やかな花火として」「打ちあげる事」を趣向とした。
これについて柳田は、次のように述べる。
天に夕顔の花を咲かしめて、思ふ人に見せたいといふ空想は、作者はどこまでも自由なものだつたと言つて居る。さうして中河君の稚ない頃に、讃岐に是と近い昔からのかたりごとが、伝はつて居たらうと思はれる形
跡は一つも無い。しかし我々が日本人である為に、特にこの筆の跡に引寄せられ、他の何れの国民よりも身に沁みて、物のあはれを感ずべき理由だけは有るのである。
蔓がよく延び遠く届き、すぐにからまつて梯子として重宝だといふだけならば、どんな蛮民にでも夢み得られる空想かも知れない。一夜に植物の驚くほども成長する熱帯の島にでも住んで居れば、是を天上への通路に
したいといふ、現実の願ひさへ抱き得たかも知れぬ。たゞ其蔓ごとに真白な清い花、あのたそがれをおぼめくといふ夕顔の花を、持つて来て咲かせたのは日本人の巧み、巧みと言はうよりも我が親々の、夢を美しくする
能力では無かつたか、といふやうなことを私は考へて居るのである。
『源氏物語』の夕顔についても、同様なことを考えることができるのではないか。(3) この「アダコ」は、夕顔の死後、「母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべ
き所々を尋ね聞えけれど、つひにえ聞き出でず。さらばいかゞはせむ、若君だにをこそは、御形見に見奉らめ、あやしき道に添へ奉りて、遥かなるほどにおはせむことの悲しきこと」(玉葛)と、その死を知らず、行方を求めつ
四九 つも、遺児玉葛を伴って筑紫へ下った夕顔の乳母にも重なるものであろう。(4) 同様の展開は、「亡せ給ひにし御息所の御容貌に似給へる人」(桐壷)として桐壷更衣の代りとして藤壷が桐壷帝
に見出されること、また恋慕する宇治の大君に先立たれた薫が、その「形見」、「形代」として、先に中君、次いで浮舟と、相い次いでその妹達に思慕の思いを向けるようになること、などにも見出されよう。
(5) 逆に、玉葛の巻は、夕顔の巻を踏まえて末摘花のさらなるパロディーになっている節がある。
源氏と玉葛の初めての対面、
「灯こそ、いと縣想びたる心地こそすれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」とて、几帳少し 押しやり給ふ。(中略)「今少し光見せむや。あまり心憎し」と宣へば、右近挑げて少し寄す。(玉葛)
は、夕顔の巻の、源氏が初めて夕顔に顔を表わす、
思して、 顔はなほ隠し給へれど、女のいとつらしと思へれば、げにかばかりに隔てあらむも、ことのさまに違ひたりと
「夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えしえにこそありけれ
露の光やいかに」と宣へば、尻目に見おこせて、(夕顔)
を彷彿とさせる。
五〇
これらは相俟って、末摘花の巻において、初めて源氏が末摘花の容貌を見て驚く場面、
まだほの暗けれど、雪の光に、(中略)見ぬやうにて、外の方を眺め給へれど、尻目はたゞならず。
(末摘花)
を、対照的に浮かび上がらせるのではないか。玉葛の上文には、「かの末摘花の言ふかひなかりしを思し出づれば」という文言もあった。
付記 本稿成るに当って、平成二十七年度成城大学特別研究助成を受けた。