一−・56− 56
調 査
ヽ
香川県の地方財政の歳出と歳入について(2)
−一明沿21年度〜昭和40年度叫
西 山 −・郎
Ⅰ は し め に
ⅠⅠ 香川県の地力自治制皮の変避
ⅠIf 歳出の構造とその変遷(その1)
ⅠⅤ 歳出の構造とその変遷(その2)……以上,本誌籍43巻第1・2・3弓
(昭和45年8月)に掲載
Ⅴ 歳入の構造とその変遷(その1)
歳入の分析も歳出の分析と同様な時代区分忙したがっておこなう。すなわち,昭和20年 針境虹して∴大きく戦前と戦後に分ち,戦前を歳出と同様に策1期(明治21年′・・大正2年),
貨2期(大正3年(ノ昭和5年),弟3期(昭和6年〜昭和20年)紅区分しそれらを本飾と次 節に.おいて考察すること紅する。
第1期(明治21年ハー大正2年)
明治地方自治制を支えた朗政収入の特色を端的にいえば,府県が租税主義,郡が分戚主 義であるのに.たいして,市町村は基本財産主義を建前としていたということであるが,そ
のさい樽紅問題となるのは市町村の基本財産主義である。市叫村ほ,明治21年の市制町村 制により財産収入を基礎財源とじ付加税を補助財源とする=應立の財政収入体系を有する こととなり,独立税は特別税として例外財源とされた。こゐような財産収入を土台とする 薄明村財政は.封建制的な財政制度の残棒をもつものといえるが,市町村の基本財産主義 は当初から破産していたのである。すなわち,たとえば,明治25年度の町村歳入にしめる
(1)
財産収入の割合はわずか2.9%であったし;基本財産収入その他の税外収入でもって経常
(1)官本意T 「明治・大正期の町村合併政策」,畠編『叫村合併と農村の変貌』84ぺ−ジ
− 57  ̄
香川県の地方財政の歳出と歳入につい■こ 57
(2)
経費を支弁して「財政上の理想紅達したるものと謂ひ得る」と内務官僚に・より賞揚された 無税田了村ほ.,大正3年度において全国でわずか4町村にすぎず,その反対に基本財産を全
(3)
く葡しない町村が674町村に適していたのである。そのた軌 財産収入に・かわり補助財源 の国税県税付加税が市,町村とくに明村の財政収入の中心をしめることに・なったが,付加
税については「附加税ほ独立税とちがっ て国税と地方税を総合する税体系の統一 を維持しやすく,中央集権的な財源配分 表Ⅴ−1地方財政の歳入
(単位100万円)
明治39年度 百分比
36.0 ができやすい。だが反面国税と附加税と 32−8 〔.ほ〕おなじ税源に共存しているので,両
68.8 (4)
都道府県歳入
者の対立をまねき」地方自治の独立性を 国庫支出金・交付金
地 方 債 そ の 他
総 計
8.2 侵害するという問題点をもつ。基本財産 16・・4 主義は破産し,補助財源の付加税がその 100・0 ような問題点をもっているにもかかわら
ず,市叫村は独立税をなるべく起さない ように.訓示され,公債の発行もー・定の場 合に.限って「許可されるというありさまで,
「帥1了村は自治制創設の当初から「財源の
(5)
ひどい欠乏」になやまされたのである。
このような歳入上の特色をもつ明治地 方自治制下の香川県の地方財政の歳入構 造はどのようなものであったであろう か。表Ⅴ−1の全国水準と比較しながら みてみよう。はじめに県の歳入構造紅つ いて(寛B−1−a表)。貨1に.費目の構 成比をみるため明治39年度をとれば,税 収入が歳入の78.1%をしめ,その他の費
附加税 独立税
小 針 租税収入
国庫支出金・交付金 地 方 偵
そ の 他 総 計
附加税 独立税
小 計
46
1
47 4
5
19 75
租税収入 町
村 歳 入
国庫支出金・交付金 地 方 債
そ の 他 総 計
資料 柴田・宮本『地方財政』251ぺ一−ジ。
(2)大塚辰治『市町村の予瓢』良書普及会,昭和2年,36ぺ−ジひ
(3)田子−・民『牒田丁村財政の実際と其理論』白水社,大正7年,199〜200ぺ」−ジ0
(4)柴田・宮本『地力財政.』37ぺ−ジ。
し5)藤田武夫『現代地方財政入門』15ぺ−ジ。
塊44巻 寛1号
− ∂β − 58
目ほすべて10%以下紅なっていることが分る。全国水準と比較すると香川県の場合税収入 の割合が全国永準より10%くらい大きいこと,県債が全くないことが特色である。時系 列的に.量れば税収入は明治29年度と大正2年度を除きその他の年度紅おいては60〜90%の 閲を変動し,はは70%台の割合をしめている。国庫支出金は3〜5%であるが,明治22年度,
29年度,大正1年度,2年魔の4年度に.おいて:ほ急膨脹して二10%以上に達しているのが目 立つ。との膨脹は,県下をおそった災害にたいする国庫補助金の増大に主として.もとづく。
明治29年度と大正2年度の県の土木工費の歳入内訳を示せば,表Vw2のようであり,明 治29年度の国庫補助金12万3千円ほすべて県土木費の国庫補助金であることがわかる。
表Ⅴ−2 県土木費歳入内訳 県歳入の圧倒的部分をしめる県税収入の
l明治29年度l大正2年皮構造をみるため(第C−1−a表を如),
円 230,886 123,000 22,123
円 715,353 215,190
明治39年度をとれば税収入総額53万2千円 のうち国税付加税が28万3千円,独立税が 24万9千円であり両者の割合は.53:47であ
る。国税付加税と独立税の比率の推移をみ ると,明治20年代にはほぼ70:30であった がそれ以降漸次独立税の割合がますと同時 県 費
国 庫 補 助 市町村土木補助金
合 計 竃 376,叫 927,543
資料 香川県『香川県統封書』明治30年,
大正4年。
紅国税付加税の地位が低下して,第1期の終り紅ほ両者が半々となって言いる。すなわち,
大正3年度をとれは,両者の割合は51:49である。国税付加税のうちの大部分は地相付加 掛であり,それは仝税目の中でも断然他をひきほなしている。明治39年度において・地租付
加税は県税収入の50小8%をしめている。地租付加税は,明治20年代には県税収入の60%台 にあったが,30年代にほ50%台に低下し.大正年代に入ると40%台に.なるというようにそ の割合は急速に減少してこいる。国税付加税の地位の低下も地租付加税の地位の低下による。
国税付加税紅おいては営業税付加税が明治30年度より新設されているが,これはつぎの ような事情による。政府は,日清戦争後の戦後経営を積極的におこなうため弾力性のある 財源の確保に.せまられると同時に,以下のような意図もあって国税営業税の創設にふみ切
った。すなわち,(1)地方税である営業税は地方により斌課に.不均衡があるためこれを国税
とし,地方に.おいてはその付加税として一・定の率により徴収することとし負担の公平をは
かる,(2)国税も徴収費が多額に・のばりこれを府県税とするのが便利である船税,卑税,菓
子税等を貯県に.移し国税の整理をほかる,(3)国凝営業税の威諜により農民と商工業者の国
費負担の均衡をはかる,(4)土地所有者に・くらぺこれまで参政権享有者のすくなかった商工
香川魔の地方財政の歳出と歳入について−(2)
−−一 言ジー59
業者濫衆議院議員選拳法や貴族院多額納税読点互選規則等による参政権の資格をあたえる ということであった。これらの点について藤田教授は「蓋し商工業発展の目覚しき当時に おいて営業税の地方的差別課税は,商品の自由な流動を妨げること甚しく,営業税の国 税移管軋 国民経済の発展上からも不可欠の要件であった。また営業税の納税を通じて,
商工業者が国庫紅応分の毘献をなすとともに.,衆議院及び貢族院へ政治的進出を図るこ.と
(6)
は,日清戦争以後に.於ける商工業の飛曜的発展の当然の姑果でもあったのである。」と論評 している。そして,明治29年3月,これらの目的をもつ国税営業税法が公布された。
国税営菜税に.対して肘県は10分の2を限度として付加税を課すことが許可された。免税 点以下の小営業に対しては府県が別に課税できるこ.とに.なった。市町村においては,国税 営業税にたいして100分の50を限度として二村加税を課しうることができた。国税営業税の 創設により府県は国税営業税を朕課される大宮英名に対しては一定の限度内でしか付加税 を徴収しうる紅すぎなくなり,府県朗政の自主性と弾力性が著しく削減された。府県は,
財政の膨脹に.したがい零細な営業濫対し七過重な営業税を課し,府県営業税紅絹間村がさ らに付加税を課した。そのため,「/卜営業者の公課過重に射す−る怨嗟は,専ら地方団体の上
r7)
に.集中したのである。」
県の独立税は,第1期払おいては,営業税,戸数割,雑種税の3つであり,明治39年度 をとれば戸数割が県税収入金体の19.4%,雑種税が19・0%,県営業税が8.4%である。時 系列的に載れば,明治20年代に.は.営業税と戸数割はそれぞれ11〜12%ではぼ桔抗し,雑種
税はそれら二者にくらべその割合がやや低く10%以下であった。しかし,明治30年代の初 めを転機として営業税が10%以下紅なったの紅たいし戸数割と雑種儲がその割合をたかめ 戸数割は20%前後に,雑種税は10%台に.のびてきた。このような県独立税の構造変化の原 因のひとつは,さきに.のぺた明治30年の国税営業税の設置である。
県営業税と雑種税の明治37年度の内訳を示せば表Ⅴ−3のようである。営業税は商菜税 と工共税とからなり,前者のカが後者より約5剖多い。雑種税では,車税が最も大きく雑 種税収入の36%をしめ,つぎに所得割が17%,芸妓税が11%をしめる。そしてこの三税で 雑種税の64%に・達する。営業税,雑種税は零細な職人業者に・も賦課され細民蛮課の代表的 な税目であった。たとえば,明治40年度の県営業税の工業寛1覆4類の課税対象と税率ほ
(6)藤田武夫『日本地方財政発展史』19ぺ一汐。
(7)上同,20ぺ一−ジ。
第44巻 第1骨
−60− 60
(8)
つぎのようになっている。
時計患,燐付,素焼,皮革,彫刻
(印判共),硝子細工,人形其他 事遊細エ,ラムネ及密柑水,鍛治 及金物細工,表具,上絵,建具,
葬具、下駄,畳,……洗張,団扇,
合羽,線香,蝋燭,製本,
大工,ぺソキ塗,木挽
1戸二付 年税 金壱円拾銭
職人1人二何 年税 金参拾参銭
表Ⅴ−3 営業税と雑種税の内訳
(明治37年度)
また,雑種税は,料理屋,
飲食店,湯屋からはじまり
科 目l金 科 目l金 額 芸妓,船,水乳 牛に小
130 円 たるまで課税対象になって
営 業 税 商 業 税 工 業 税 雑 種 税
料 理 屋 税 飲 食 店 税 湯 屋 税 理 髪 人 税 遊芸師匠税 遊芸稼人税 相撲並行司税 俳 優 税 芸 妓 税 市 場 税 痍劇其他興行税 遊 蒐 所 税 遊 技 場 税
入 寮 席 税 船 税
車 税
眉 畜 税 漁 業 税 採 藻 税 自 転 車 税 西洋形煮汽船税 西洋形風帆船税 日 本形船税
(五十石以上)
貨物運搬夫税 狩 猟 税 私法人用建物税 乳 牛 税 所 得 割 水 車 税
7,616 いる。明治37年度におい 34,389 て雑種税のうち最大の割合
3,823
7,526 をしめる頚税の課税対象と 1 税率を示せばっぎのようで
(9j 948 ぁる。
27
291馬車二疋且以上 2,704 一合二付 年税〉金拾円
同 一・疋立
−・台二何 年税 金七円 荷車馬車
一・輌二付 年税 金参円 二人乗人力車
一職工付 年税 金四円
−・人乗人力車
−L輌二付 年税 金参円
7 7 3 5 9 4
0 1 3 6 7 7
1 1 5 1 4 9
注1金額は.円未満を四捨五入したため科目の合計と 営業税,雑種税の金額とは一・致しない。
資料 香川県『香川県統計書』明治38年,132′}133ぺ、−ジ。
(81香川県『香川県史』第3宗旨,上巻,201〜202ぺ−・ジ。
(91同上,209′−210ぺ−ジ。
香川県の地方財政の歳出と歳入に.ついて(2) −−6J−
61
牛車 仙・輌二付 年税 金参円 荷横大七,大八津 一朝二付 年税 金参円五拾銭 猫単 一・個工付 年税 金弐拾銭
つぎ紅,苗,町村の歳入構造をみよう。踊の明治39年皮をみると(第B一一3−a表をみ よ),第1位ほ雑収入の31・6%,第2位ほ満税の28一6%,算3位は満倍の28・5%であり,以 上の3費目で歳入総額の88.7%紅蓮する。全国水準と比較して費目問の順位ほことなる
が,費目自体は同株である。しかし,明治39年度の香川県の市の税収入のパー・セントは,
第1期において最低であることに注意する必要がある。そ・こで簡1期における市税収入の 割合の平均的な年度と考え.られる明治35年度をとると常1位は市税の42.2%,寛2位は市 債の26.7%,第3位ほ雑収入の20ハ0%となる。そこで,頂の歳入の中心は,租税と公債で あると考え.られる。ただし,市債収入は明治20年代から30年代のはじめにかげてほ全く存
在しない年度が多い。明治20年代の市歳入の中心が頂税と雑収入であるの紅たいして,明 治30年代の中頃以降は摘税と市債檻なっていることに留夢しなければならない。ところ で,市制町村制が歳入の基本と考えた財産収入は,明治35年度匿おいて0・8%であり,第
1期においてほどの年度払おいて:も3%以下である。
町村の歳入構造をみるため,明治39年度をとれば,歳入の欝1位は町村税の71・9%,第 2位は町村俵の12.4%であり,両者で町村歳入の84…3%紅達する。第1期の町村税の歳入 にしめる割合ほ大部分の年度において二70%台であり,39年度の町村税のパーセントは平均
的な数字である。したがって町村の歳入の2大支柱ほ,市と同様租税と公債である。ただ し町村債収入が歳入の10%以上把.なるのは市と同様明治30年代紅入ってからである。香川 県の町村の歳入構造を全国水準と比較すると明治39年度の場合,全国水準よりも町村税と 町村偶の割合の高いことが特色である。財産収入は.明治39年度紅おいて1.5%であり,第1 期の全年度において2%紅達したことがなく,満と同様基本財産主義は破綻していた。
ところで,市田1村歳入の二本柱のひとつである市田1村債紅ついて若干ふれておく。基本 財産主義を太旨とする市町村財政は,起債についてもきびしい制限が課せられていた。市 制第132条,叫村制第112条に.よれば,市町村はその負債を償還するためか市町村の永久の 利益となるぺき支出のためか,天災事変のためか紅起債を限定された。このような制限が 課せられていたにもかかわらず,現実には表Ⅴ−4のように地方債はめざましく膨脹して
いった。地方債の内訳をみると特紅市町村倍の膨脹が最も顕著であり,地方債全体に.しめ
る割合も圧倒的に大きい。田子氏は,「斯くの如き〔地方債の増加の〕趨勢を見て何人も驚
− 62− 第44巻 第1写 62
(10)
く。」とのべ,「地方債の 増加は之を否認する訳 表Ⅴ−4 地方債の増加の趨勢
(撃使1,000円)
4年度 には行かないと同時 54,471 に,両町村偶の増加ほ
1,844 殊に著しい事ほ承認せ
(11)
260,065 ざるを得ない0.」といっ 11,540 ている。
ll」 三ミ
附了 村 小 引 水利 組合 土 木組 合 委任許可倍
3
7 4
5 6
2 3
7
00
16 236
2,977r 8,968
4,321
69,794f 271,605 このような地方債の 急激な膨脹は,根本的 には恥町村財政の財源 の貧困なことに.由来す るが,明治30年代後半 以降地方債収入がl市町 村歳入紅しめる割合を 急速に高めているのは 2473,845 8,967
2,614 8,689j
■ゝ Eコ
LL」空L空聖上竺讐
▼¶¶__−【___._…
往1.地方債ほ各年度末の現在高を示す。
a)各地方団体の合討は,9,715万7千円となり,合討と 一・致しない。
質料 田子−■・民『市町村財政の実際と其理論』367ぺ−・汐。
のちに.みる地方税制限法の影響檻よるものと思われる。地方債の目的別内訳をみれば,
表Ⅴ−・5 地方債目的別内訳(大正3年度)
(単位1,000円)
表Ⅴ−5のように,雑費を除くと土木 費が第1位,第2位は衛生費であり,両 者で地方偵の半分はどをしめている。
つぎに苗,l町村歳入のうちで寛1位 をしめる†机 町村税の構造をみて\おこ う。摘税収入の構造をみるため(第C
−2一−a表をみよ一),歳入構造分析のさ いの問題点を考慮して明治35年度をと れば,摘税収入総額8万3手円のうち 国税付加税カ
%,県税付加税が1万9千円で23.1%,
独立税が4万5千円で53.9%をしめ
金 額【百分比
費貴賓通害費
再生業並㌍倹 費 木 教衛勧 土 雑
11,171 55,109 16,478 68,237 36,125 139,483
3.4 16.9 5.0 20.9 11.1 42.7 合 計 1326,602 100.0 注1.金萄は1,000円未満を四捨五入したので,
各項目の合計と合計の金額とは−・致しな い。
資料 田子一・民『市町村財政の実際と其理論』
421ぺ」一汐。
(1用 田子−・民,前掲苔,36ぺ−ジ。
(11)同上,368ページ。
香川県の地方財政の歳出と歳入把ついて(2) ー 63 一 63
る。独立税ほ明治20年代にほ全く存在しなかったが,30年代の中頃以降急速にその割合を 高め税収入総額の半分以上に.達している。そして頂常適いては独立税中心の頂税構造にな
。ているのが特に注目される。税目別に.みると明治20年代においては戸数割付加税の地位 が非常にたかく摘税収入の6割前後をしめてこいたが,30年代に入ると独立税の各種税が6 剖ちかくをしめ,さらに明治末期から大正初めにかけては建家税が全体の5割に達するよ
う紅なった。町村税の構造をみるため明治39年度をとれは(第C−3…亮表をみよ),税収 入合計7万2千円のうち71・4%が県税付加税,27小8%が直接国税伺加観であり,関村税収 入紅おいてほ独立税の地位はきわめて低い。独立税は第1期紅おいで常に1%未満である が,このような町村税構造ほ全く地方自治の名に臆しないといえるであろう。税目別にみ ると明治39年皮に∴おいては戸数割付加税が65.4%をしめ第1位,第2位は地租付加税の 25.1%で両者で町村税収入の90n5%紅達する。香川県の町村は,税収入の大部分を国税と 県税の付加税に.あおいでいたのであるが,こ.れは全国水準とほぼ同様である。
さいごに,地方税制限制度について言及しておきたい。明治37年2月日露戦争がはじ変 り政府は戦費をまかなうため国税の大増税を断行したが,地方財政に関しては,「地方経費 を極力緊縮せしむると同時に,府県その他の公共団体の附加税の制限を加え,これによっ
(12)
て縫う限り国民の負瀕を軽減せんとした。」そして,明治37年3月議会紅おいて可決された 非常特別税法により地方団体は臨時増徴額に対する付加税賦辣の禁止,各種伺加税の課税 制限,そして制限外課税の限定等をうけることになった。このような地方側政緊縮政策は 所期の目的を達し,地方税総額(水利組合賦課金な含む)は明治36年度の1億1,116万円 より38年魔の9,360万円へと16%の減少を示した。こ.の影響は香川県の市,間村財政に.も
明白にみられた。町村財政をとってみると明治36年皮の歳入107万1千円ほ38年度祇・75フラ 円へと大幅紅減少し,町村税収入が同期間に81万4千円より60万円へと26%も減少した。
ところが戦後,地方歳出は,戦時中中止していた各種の.事業の復活・拡充,義務教育年 限の延長など紅より急膨脹したが,地方団体は非常特別税法による厳重な付加税制限のた め急増する歳出をまかなうため戸数割その他の特別税を乱敬し公債の増発をおこなった。
そのため各種の弊害が生じ,政府ほ戦時中の地方税付加税の制限を緩和する必要を認め,
明治41年3月「地方税制限三関スル法律」を公布した。地方税制限法は明治41年度より実 施されたが,改正制限額を旧制限額と比較すればつぎのようになる。旧制限額は,道府県
(12)藤田武夫,前掲書,129ぺ一ジ。
貨44巻 第1号
ーーー(;イ ー 64
で1,948万円,市町村で1,565万円であったが.改正制限額はJ道府県が2,385万円,市町村 が1,999万円となり,道府県が22%,薄明村が28%の勝頼である。これを税目別にみれば,
地租付加税が2,807万円より3,507万円に.,営業税付加税が387万円より464一万円に.,そして
(13)
所得税付加税が319万円より414万円にそれぞれ増額された。このような地方税制限法はそ の後昭和15年まで地方団体の課税力に制限をくわえ,地方財政に.とってその意味するとこ ろが非常に大きかった。藤田教授ほ,「地方税制限法ほ,その後昭和15年まで30年間に.亙っ
て,地力の中心税源たる国税附加税の戚課について厳頑な制限を加.え/た。従って,爾後地 方の事業施設が増加するに伴い,地方団体はその狭小な独立税領域において零細な税源を 漁らざるを得ザ,細民亀課,負担不均衡等は,その必然の結界とレこ現れた。また他面同
じ原因が,地方債の累積をもたらし,そ・の元利償還の必要ほ,益々独立瀾の乱徽を余儀な
(14)
くしたのである。」と指摘している。
第2期(大正3年〜昭和5年)
歳出の分析においてみたよう紅第1次悌・罪大戦によってわが国の地力財政は,国家財政 をうわまわる勢いで増加していったが,地方経費の著しい膨脹により地方財政朋極度に困 窮し財源の補強が繋急の課題となった。政肝ほ,地方財政の主要財源たる国税付加税の制 限率を緩和して地方財政の困窮に対処しようとし,大正8年3月と9年8月の2回にわた って地方税制限率拡張の法稜を公布し実施に.移した。大正8年3月公布の「時局の影響 に因る地方税制限拡張に閲す右法律」は同年4月より実施され,道府県と市町村ほ,地租,
営業税,所得税の付加税ならびに段別割を,道府県は既定制限の100分の80まで,市町村ほ 100分の60まで制限を超過して課税しうることに.なった。その結果,地方間体の地阻,営 業税および所得税の付加税は,大正7年度の8,939万円より8年度には一挙に1億3,642万 円へと53%増徴された。その結果,香川県の県税において革(第C−1−a表をみよ),地 租,営業税,所得税の三国税付加税収入が7年度の69万5千円より8年度の105万4千円へ
と52%も増税された。そして県と同じく市町村の場合も(第C−4−a表をみよ)三国税 付加税収入ほ7年度の37万6千円より8年度の57万7千円へと大幅に増徴された。そして 県における国税付加税収入ほ8年度以降100万円台の大台にのせそれ以前の40γ50万円台 の水準ときわだった対照を示しているし,薄明村の国税付加税収入においても明治41年度
(13)同上,146ぺ一汐。
(14)同上,151ぺ一−ジ。
香川県の地方財政の歳出と歳入に.ついてr2) −6ざ−−
65
以降大正7年度まで続いた30万円台の水準より大正8年度に.ほ−・挙に50万円台に急上寿し ている。
このような国税付加税の増徴紅よってこも地方団体は膨脹する経費をまかないきれなかっ た。そこで政府ほ,大正9年8月,地方税制限紅関する法捷(明治41年公布)の改正法を 施行し,付加税の制限を一挙濫戦前の3倍まで拡張した。これほ,府県では地租付加税制 限率を・宅地の場合100分の13を34に.,その他の土地の場合100分の32を83に,営業税の場合 制限率を100分の11を29紅改め,市田1村麿おいては,宅地の地租付加税制限率を100分の9 から28に.,その他の土地を100分の21から66に,営業税付加税の制限率を100分の15から47 に.,それぞれ改めた。このような大幅な制限率の緩和紅より三国税付加税額が大正10年皮
(15)
紅は2億808万へと増加し,大正2年度の6,644万円に比較すると3.5倍になった。香川県 に.おいても,県,薄明村の国税付加税額は頸著な増収を示した。とく紅市町村におい、てほ 大正11年度に107万8千円に達したが,この税収額は昭和15年皮になるまでこえられなか
った。しかし,このような増収ほ,主として大戦後の物価騰濱に伴う既定経費の名目的膨 脹のために.支弁され,地方団体の財政に余裕が生じたわけでほ.なかった。
そこ.で,地方団体ほ,財政運営の困難恕打開するため国税付加税の制限外課税と零細な 独立税の乱徽に.その道を求めざるをえなかった。前者紅ついては,表Ⅴ一6をみよ。大正
表Ⅴ−6 府県における制限外課税の実況(大正11年) 11年の内務省の調査に よると制限外課税をし ない府県はなく,しか もその課税ほ法定制限 率の1.4倍以上紅達し
(】β)
ていた。後者について いえば,地方税総額は,
大正2年度の1億8,990 万円から10年度の6億 附加率 、
云議\\
宅 ゝ 地 租 その他の地租
営 業 税 所 得 税
資料 宮本憲十・「現代税制形成過程の研究」,『金沢大学法文学 部論集』(法経窟),8,1960年,182ぺ〜ジより再引用。
原資料ほ,大蔵省主税局『税制調査委員会寄類』(大正 12年),36ぺ−ジである。
3,740万円へと激増し2.4倍になったが,この増収額4倍4,750万円のうち国税付加税の増
税紅よるものが1億4,750万円であるのにたいして残りの3億円ほ道府県独立税および同
(15)同上,220八ノ222ぺ−ジ。
(16)宮本憲〟「現代税制形成過程の研究」,『金沢大学法文学部論集』(法経篇),8,1960年,
182ぺ−汐。
第44巻 第1号
− 66 −− 66
付加税と薄明村独立税の増税に.よったことからうかがわれよう。すなわち,独立税ほ世界
大戦を墳にして1億2,790万円より4億2,790万円へと3.4倍の曜増を示したのである。そ して二,4億2,790万円のうち府県独立税たる戸数割および同付加税が全体の半分以上の2
(17)
億2,906万円に達し「地方独立税の王座」をしめたのである。この点を香川県紅ついてみ ると,市においては(寛C−2・−a表をみよ)戸数割付加税が存しない年度が多いので 除くと,大正10年度の県税をとれは(籍C−1−a表をみよ)県独立税収入の申で戸数割 収入が46%をしめ,町村紅お1、ては(第C−3−−a表をみよ)戸数割付加税が田了村税収入 の67.0%(県税付加税と町村独立税を合辞した地方独立税収入の中では88%)に達する。
そして,地方独立税の急増は,そ・の課税の不合王乳 負担の不均衡,そして細屈雇荷等の弊 害をほっきりと露呈させたが.この点ほ.独立税中首位に.ある戸数割および同付加税に.お
(18)
いて最も明瞭に現われ,大正10年11月の府県税戸数割規則の公布をもたらした。藤田教授 ほ,府県税戸数割規則把ンついてニ「地方独立税の王座をしめる戸数割紅刻し,始めて統一的 な近代的規制がくわえられたことほ世界大戦直後の地方財政制度発展上特筆さるべきとこ
(上9)
ろである。」と高く評価する。
ところで上述のような国税付加税,地方独立税の急激な増徴に.ともない香川県の地方財 政の歳入はどのように.変化したであろう一か。表Ⅴ−7の全国水準と比較しながら検討して みよう。県の歳入総額の推移をみると(第B−1−a表をみよ),第1次世界大戦の開始時 の大正3年皮〜6年度までは130万円前後であったが,7年度にほ294万9千円,8年度に ほ.478万9千円と飛躍的に.上昇し11年度には532万7千円となり籍2期の最高水準に達し,
大正3年度〜12年度のわずか10年間に4.2倍になった。このような歳入の膨版は,市,鞘 村に.おいても同様であった。而の場合(寛B−3−a表をみよ)歳入規模は明治29年度以 降はば20万円台を推移しそれは大正5年度まで続いたが,それ以降急膨脹匿転じた。すな わら,6年度紅ほ31万8千円,9年度には53万2千円,12年度にはユ06万9千円に達した。
町村では(第B一一4−a表をみよ)歳入規模は明治41年以降180万円〜200万円の間を上下 していたが,大正6年度紅は201万6千円,9年度紅ほ.485万1千円に激増し、11年度には
612万7千円に達し大正年代の最高水準となる。
仰 藤田武丸 前掲書,231ぺ一汐。
(1母 戸数割のもつ問題点と府県税戸数割規則の内容に/ついては,田子一∵民,前掲雷,
294〜313ぺ一汐;藤田武夫,前掲乱 225〜230ぺ−ジをみよ。
(19)藤田武夫,同上,231ぺ一ジ。
香川県の地方財政の歳出と歳入についてニ(2) −67−
67
大正10年度をとって歳入構造を鼓よう。県の歳入構造をみると県税収入が歳入総額の 63・0%をしめ第1位,つぎほ.20..0%をしめる前年度繰越金であり両者で歳入の83.0%に達 する。全国水準と比較してみれば,香川
県の場合県税収入のパーセントがやや高 く,国庫支出金,県供のパーセントの低 いことが目立つ程度であり全国水準とあ まりかわらない。県税収入のパーセント をみると,大正7,8,9年度に.おいて 50%以下庭.なっていることが目立つが,
これはその他の費目の急激な増大,たと えば7年度の場合は県債が歳入の41.、9%
をしめるという ことによる。県税収入 ほ,金額でみるとさきにのペた地方税制 限率の緩和などにより大正8年度以降急 激に増収となっており,大正14年度は大 正3年度紅比較して3…8倍になっている。
しかし,歳入全体にしめる割合ほ第1期 にくらべ漸減傾向に.ある。
県税収入の構造をみるため大正12年度 をとれば(第C−1−a表をみよ),国税 付加税と県独立税の割合は49:51で卒る。
国税付加税の大部分は地租付加税であ り,それほ県税収入金体の41小3%をしめ る。しかし地租付加税は,寛1期に.引続 きその地位を漸次低下させ昭和年代に.入 ると30%台になる。金額紅おいては,大 正12年皮の138万円をピーク紅,それ以降
蓑Ⅴ・−7 地方財政の歳入
(撃位100万円)
大正10年度
: ∴、!∴.
附 加 税 独 立 税 小 言十
7 4 1 0 5 4
6 7 4 9 9 7
2 2 2 5
租税収入
都道府県歳入
地 方 債
国庫支出金・交付金 そ の 他
総 計
附 加 税 独 立 税 小 針
 ̄ 一
−
租税収入
国庫支出金・交付金 地 方 債
そ の 他 総 計
附 加 醗 独 立 税
/ト 計
62ル1 1、1 63.3
7.1 3.4 26.2 273
5 278
31
15 115 439 租税収入
町 村 歳 入
国庫支出金・交付金 地 方 債
そ の 他 総 計
注 a)もとの金額は2億4,500万円である が,宮本憲一・氏紅問合せたところ2億 4,000万円のミス・プリとのことで訂正
した。
資料 柴田・宮本『地方財政』251ぺ・−・ジ。
漸減し昭和5年度に.ほ120万円になる。所得税付加税はのち紅のべる大正15年の税制改正
により昭和2年度より金額,パ−セントともに.飛躍的紅増加する。県独立税をみると,2大
税目は大正12年皮の場合戸数割と雅称掛であり,両者で県碗収入金体の47.3%をしめる。
− 6β − 寛44巻 第1号 68
独立税の構造は,大正15年の税制改正により大きくかわり,2大税目は雑種税と新設され た家屋税となる。昭和5年度をとれば,両者で県税収入の38.7%をしめる。
市の歳入構造をみるため大正10年度をとれば(第B−3−−a表をみよ),歳入の第1位は 市税の67.5%であるが,あとの費目はすべて10%以下である。全国水準と比較すると市税 収入の割合は香川県の場合全国よりはるかに高く3倍である。しかも市税収入のパーーセン トは,昭和2年度の39.4%を例外としてその他の年度はすべて50%以上であり,第1期よ りも市歳入に.しめる摘税収入の地位が叫・段と上昇していることは注目すべき現象である。
第1期において重要な収入源であった市債は,第2期紅おいてその割合がかなり小さくな っている。全国水準と比較しても市債のパーセン/卜は低い。
市の租税構造をみるため大正10年度をとれば(筍C−2−a表をみよ),市税収入46万1 千円のうち国税付加税が29.6%,県税付加税が42.0%,独立税が28・4%である。第1期と 比較してまず籍1紅独立税の地位の激落が注目される。独立税ほ大正9年度を転機にして それまでの50%台から20%台に.低下し,その後やや持直したものの昭和初頭にほついに.10
%台紅縮少した。このような独立税の地位の下落ほ.,国税,県税の付加税の増加と独立税
収入の停滞とに.よって巷じたものである。とくに県税付加税は,大正8年皮までの20%前 後から増加紅転じ,9年度紅は51.5%に.膨脹し,金額でも8年度の6万円より9年度にほ 18万3千円へと3備になっている。そして県税付加税は,昭和5年度には彪万3千円とな
り市税収入の68.1%に達した。県税付加税の中心は,大正10年度は雑種税付加税であった が,大正15年度の税制改正以降はそれ濫家屋税付加税がくわわり,昭和5年度をとれば両 者で市税収入金体の60.8%をしめる。独立税の中心は,大正15年度以前は建家税であった が,それ以降は市紅移譲された戸数割となった。
田1村の歳入構造をみるため県,持と同様大正10年度をとれば(第B−4一−a表をみよ),
歳入の第1位は町村税収入でそれほ歳入全体の69.7%紅達する。この比率は全国水準とは ば同じである。第2位は雑収入の12.4%。その他ほすべて3%以下である。寛1期と比較
して市と同様紅町村債の地位の低下が目立つ。全国とくらべれば,香川県の町村ほ国庫支
出金,町村倍のパ叫セントが低い。町村の歳入紅おいで注目すべきは国庫下渡金の動向で
ある。これの実体ほ,義務教育費国庫負担金であるが,それが大正9年度より登場し急速
にその地位をたかめている。大正9年度の2.7%から昭和5年度には15.9%に.なり金額で
はこの10年間に13万3千円より99万7千円へと7.5倍に膨脹している(義務教育豊国庫負
担金についてはのち紅やや詳しくみる)。
香川県の地方財政の歳出と歳入紅ついて.12) ーー 69 − 69
町村税の構造をみるため大正10年度をとれば(第C−3−a表をみよ),税収入総額350 万円のうち国税付加税が24・2%,県税付加税が75・8%であり,両者で町村税収入の全部を
まかなってしまう。独立税の地位の極端に.低いことは第1期より続いている現象である。
国税付加税の中心は地租付加税であり.それは町村税収入全体の17・9%をしめる。県税付 加税の中心は.,戸数割付加税であり,町村税収入の67・0%である。つまり,町村は,地租
付加税と戸数割付加税とで町村税収入の錮¶9%をあげているのである。しかし,このよう な町村税収入の構造も大正15年の税制改正を契機に根本的に変更された。すなわち,それ までの国税,県税付加税中心の税構造より独立税中心の税構造に大幅庭・変化したのであ る。昭和5年度をとれは,町村税収入292万1千円のうち独立税が52・5%をしめる。そし て,独立税の大部分は県税より移譲された戸数割であり,それは町村税収入の52・4%に達 する。
ここで,香川県の地方税の負担状況の推移をみておこう。表VT8をみよ。1人当り地 方税負担額の推移をみれば,明治亜年度以降大正6年度まで3円台であったが,7年斐よ り急速に負担額が増加してゆき,3年後の9年度には3倍らかい9円台紅達している。1
表Ⅴ−8 香川県における地方税負担の推移 市 町 村 税 i盲㌻㌻庁議
合 封 県 税
1戸当り11人当り 1人当り
1戸当り
】 】 再「 再 円【 円
10.818 11..497 11 567 12,.613 15.260 21 023 28 184 25.419 23 773
16リ876 3131 18=630 3‖251 18217 3い1a2 20い246 3い536 24‖952 4り606 臥152− 6け4鍋
3 4 5 6 7 8 9 4 5
昭 和
資料 香川県『香川県統計書』明治44年〜昭和6年0
戸当りでみても事情はほぼ同様であり,6年度ゐ20円台より9年度には2倍の40円台に激 増している。そして,負担の増加率は..県税,市町村税はば同様である。
第2期紅おける市,町村歳入,とくに町村歳入において注目すべき動向をみせる国庫下
渡金に.ついてほさきに.指摘したが,これに・ついでやや詳しく検討しよう,。歳出の分析にお
第44巻 籍1宅 70
−7()−
いてみたように多額の小学校費は市町村財政窮乏の最大の原因をなし,民間から小学校教 育費国庫補助の請願がくりかえされ,「大正年代に入るとともに.,小学校費に対する国庫補
(20)
助は,剋会の動かすべからざる輿倫となった。」そして.,大正7年3月,「地方励政史上また
(21)
は小学校教育史上画期的な法律」である苗明朝義務教育男周庫負担法が公布され,同年4 月より施行された。政府は,年々1,000万円を支出しで市町村丑眉.帯小学校教員俸給の一 部を負担することになった。この負担金の10分の1が資力薄弱な町村にとくに金額を増加
して交付され,残りの半額は正教員および准教員の数に,他の半額は就学児童数に.比例し で市町村に交付された。1,000万円の国庫負担金が大正7年皮の領町村教育費の中でどの ような割合をしめていたかをみると,小学校蟄の1剖1分,小学校教員俸給総故の2剖で あり,国庫負担金は多額とはいえなかったが,「国庫と市町村が義務教育費を分担する立前
(22)
が,制度上に確立されたことは,地方財政史上特筆すべきことである。_j
その後義務教育費国庫負担金は,大戦後の日本資本主義の深刻な慢性的不況にもとづく 薄明村財政の窮乏に.より矢つぎ早に増額された。すなわち,大正12年度にほ3,000万円,
15年度に.ほさらに3,000万円,そして昭和2年皮に.は500万円がそれぞれ増額され,義務教育
費国庫負担金は7,500万円紅蓮した。しかし,昭和5年皮に1,000万円がさらに増額され,
国庫負担金は創設10数年にして二当初の1,000万円より8,500万円に激増した。その結果,昭 和5年度紅おける市町村教育費にしめる負担金の割合ほ.,小学校費の3割4分,小学校教 員俸給総額の5割3分に.達した。そ・して,国庫負担金を増額するさいには,教員の優遇に
よる小学校教育の改善とならんで常酷薄明村とくに.町村財政の困窮が議要な理由とし′こあ げられてせたが,のちには後者が負担金増額のはとんど唯一・の理由になった。このような 状況の変化により国庫負担.金の配分方法も変化),「義務教育費国庫負担金は,国民教育補
(23) 給金たる性格から,漸次財政補給金−としての性格を強める紅至った。」
香川県の市,叫村においてこは(貨B−3−a表,第B−4−a表をみよ)義務教育費国 庫負担金は,「国庫下渡金」なる名称において掲示されているものである。それは,沌歳入
において大正7年度に3.2%をしめていたが,昭和5年皮に.は8.2%軋膨脹し,金塊ではそ
(2q)同上,241ぺ一汐。
授1)同⊥,245ぺ一・汐。
閏 同上,247ぺ−ジ。
位3)同上,261ページ。また,柴田・官本両氏も「義務教育費国庫負担金制度は成立後数
年に.して,教育の整備よりほ朗政救済に.つかわれることとなった」(柴田・宮本 b一地方
財政』47〜48ぺ′−ジ)といって−いる。
香川県の地方財政の歳出と歳入紅ついてt2)
71 − 7ノー
の間に8倍ちかくに.増加している。叫村歳入においては,大正9年度より登場して∴いるが
(実際把は市と同様大正7年度より交付されている),市の場合よりも急速に増加し昭和5 年皮にほ歳入の15.9%に.達している。全県の公学費収入紅しめる国庫補助金の割合を示せ
ば表Vw9のようである。国庫補助金ほ,大正6年安までの4〜5%より7年度には義務 教育貿国庫負担金の交付により−僅40%台に.増加した。その後やや減少したものの大正12 年度,15年度の国庫負担金の増額により50%台に.達している。表Ⅴ−9の国庫補助金にほ 県立ないしは郡立学校に.たいする国庫補助金も含まれこいるが大部分ほ義務教育幾回庫負
表Ⅴ−9 香川県公学費収入にしめる
国庫補助金の割合 担金である。たとえ.ば,昭和5年度の国庫 補助金123万4千円のうち,市叫村に.交付
された義務教育費国庫負担金ほ表Ⅴ−10の
年 度ほ芸苧怒 国庫補 助金(B)
% よう紅98万8千円に達する。そして,それ 4.3
5.5 は,摘公学費の34・7%,叫村公学費の80巾0%
42・5 をしめているのである。
187,252 円 196,878 362,109
1 6 7 8 9 4 5
1
すでにみたように,香川県の地方税構造 53.7 は大正15年度の地方税制改正により大きく 51・8 かわったが,ここでそれについでやや詳し 資料香川県『香川県統計割大正3年〜 くみておこう◇第一次世界・大戦を画期とし
昭和5年。 て著しく膨脹した歳出をまかなうため地力 団体が地方税の急激な増税を率こなったことはすでに・みた。その結果国税付加税は法定制 限率をほるかに突破し,道府県および市町制の独立税はいずれも非常な負担過重になると ともに地域間の不均衡もほなはだしくなった。内務省地方局は大正11年当時の地方財政を 調査し,なんらかの方法によって地方税制を整理改善して地方財政の窮迫を救済す・ること
を強調した。すなわち,「地方ノ\歳出ノ激増二伴ヒ,之レガ財源ノ渦渇二苦シミ,勢ヒ現行 戸数割ノ如キ比較的良税クラゲルモノ手偏蛋シ,又ハ或種ノ営業税雑種税ノ如キ零細ブル 税種ヲ渉猟ジ,雑然トンテ何等脈統系統ナキニ至レリ。依テ地方三通当ノ税激ヲ与へ,税
しコ・l\
制ヲ整理改善ソテ負担ノ公平ヲ期スルハ最モ緊要ナリト思考ス。」そして,大正15年に地方 税制の改革がおこなわれたが,それは結局現状第一主義となり姑息な弼縫的税制整理に.終 った。すなわち,「地方税の新体系は,従来の附加税主義の踏襲であり,整理の重点は,従
伽 藤田武夫,前掲乱 353ぺ−ジ。
第44巻 雄1号 72 凍の地方税源を逓放として,
地方団体間の税源の配分関係 を合理化し,また独立税に規 制を加え.てその乱数を防ぐこ
とに置かれ,地力の独立税源
・− 72−
表Ⅴ−・用 市町村公学費収入
(昭和5年度)
町村 ■ 妄靂「表議 金 額
66,815 円 2,752 18,760
2,317 496
16,688 17,153
円
 ̄
−∴三三二_
授 業 料 保 育 料 寄 付 金 学校基本財産収入
雑 収 入 県 補 助 金 国庫補助金 義務教育費 国庫支出金
3−5
0.7 としてはただ家屋税が一般的 0・9 に濃けられ,特別地税が創設
2l.7 (25)
されるに.過ぎない。」
1.5
4.1 大正15年の地方税制改正の 6・6 概要ほつぎのようである。遺 922,069L 釦・0 府県税についてほ,まず策1 66,361】34・7
紅道府県税収入の約5分の1 をしめ遺府県税として長い歴 史をもつ戸数割が廃止されて
、