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法の解釈における必飽と自由について

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Academic year: 2021

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(1)

淡学の世界には︑不思議に違った二つの考え方が存在している︒叫勺は省い法諺軋由来する﹁悪法も法である﹂⁝  

という考え方であり︑他ほ﹁窓汝ほ法でない﹂という考えである︒その昔昧は︑さまざ卦に解釈されているが︑賓  

するに︑前著は︑洪の目的の十つである﹁秩序﹂と法に不可欠の性質である﹁明確性﹂に重点をおいた考え方で︑  

﹁法は正義に反すると考えられる場合軋も守らなければならない﹂という意味であり︑後者は︑法の目的について  

ほ﹁正轟﹂︑法の性質については﹁妥当性﹂に富点をおいた考え方で﹁法は正義転反すると考えられる場合には守  

らなくともよい﹂という意味であると思う︒正義に反するというのは︑社会の人々の抱懐する正義感普くは規範晋  

識に反するという意味である︒   

註︵こ∴悪法も法である﹂︵D⁝訂u sed訂︶というこの法諺が何時誰によつて作られたかは明かでない︒しかし思想として  

ほ十九世紀の法実証主義者に由来すろと考えられている︒そして︑この格言が当然として薄けとられたのほ︑市民社会の安  

/  

法の解釈における必然と乱由たついて   

一法の解釈に関する必然論と自由論の要旨   二 必然論及び自由論の解釈方法   三 法の解釈における自由とその限界 〜   法の解釈における必飽と自由について  

清 水′ 谷  隆  寛  

「  

霊バ磯瑚摺  

(2)

ヽ   

二   第二十六巻 第〟賢  

定期であり︑又合法的支配の時代とも呼ばれる時代である︒﹁形式的に合法である︑だから正当であ空これが︑この時代の  

輪神である︒但し︑﹁合準首alだから正当訂gitlIゴだという信念が普遍化したのほ︑絶対王制が打倒された彼の近代の稽   

カ分立主義の法治国家に於てゞある﹂1加藤﹁権力と法﹂思想三〇九号三七貞  

法の解釈に関する必然と自由の静ほ︑大体これと考え方を同じくしている︒   

ここに必然稔というのは︑洪の解釈ほ︑立法当時のま窒の意味の理解でなければならないとする論であり︑白由  

論というのほ︑漁の解釈は︑解釈の時において繋当と考えられる意味の理解でなければならないとする諭である︒  

前著転とりてほ︑法の解釈は︑既存の意味の認敦にすぎないから必然論といい︑後者にとりては︑それは︑新しい  

窓  煉の創設であるから自由論という︒同じ理由により︑前著は叉概念法学とも名ずけられ︑後者は又眉由放論とも  

呼ばれている︒    必然徐によればヾ法ほ︑社会生治を秩序づけるために存在するものである︒故に︑いつも誰にもほつきりと判つ  

ていなければならない︒・汝が︑藤代の正義に反すると・いう理由で解釈者に意味の変更な許すということになると  

何が漁であるかが解らなくなる︒何が放であるかが判らなくなれば︑社会生清の秩序づけはできなくなる︒そもそ  

も浜なるものが存在するに重つたことが︑何が正義であるか妃つき︑人々の間鱒意見のT致が存しないことを示し  

ている︒意見の一致が存しないからこそ︑これを紀州するために︑法の必寒が生じたのである︒各人が勝手に︑解  

釈軋より決意を変更してよいという議論ほ︑何がために︑洪が存在するに至ったかを知らないものである︒これが  

必然論の論拠である︒   

自由論ほ︑これに対して︑その論拠を次のように説明している︒   

法が明確でなければならないことほ必然論のいうとおりノである︒しかし︑添にとりてほ︑迭が何人にも明確であ  

(3)

り︑各人の社会生活が︑それにより秩序づけられるだけでほ充分でない︒淡には︑秩序の外に正義ょいう目的があ  

る︒しかも︑これは︑秩序と無関係な自的でほなくして︑正しい秩序︑各人の生薦を正しく秩序づけるということ  

が︑その首朗である︒従って秩序と正鶉ほ溺和されなければならない︒若し洪が正義に反する場合におい々は︑秩  

序を犠牲にしても︑これを正義に合致せ㌦めなけれぼならない︒   

し′かし︑解釈による添意の変更を認めることほ︑漁の解釈の自由を認めることである︒自由論にとりては︑法の  

解釈は段早既存の意味の認識でなくして構成であ久恵昧の発見でなくし‡創設である︒しかし︑これにも当然の  

制限はある︒それほ淡文の字義であり︑文魂である︒字義とは︑文言の窓義をいい︑文我とほ︑渡文の文港的構成 

をいう︒紛の解釈は字義と文義に反しない限りにおいて−のみ自由である︒これが白由論の主張である︒⁝   

要するに︑法の解酪とは︑必然論にとりてほ︑一立法当時の意味のままに︑姦を理解するということであり︑自由  

論にとりては︑解釈の時において妥当と考えられる意味瞥﹂れを理解するとい㌢しとである︒淡の解釈は前者紅と  

りては︑既存の意味の認識又は発見であり︑後者にとりでほ︑あるべき意味の構成又は創設である︒ 

築二′︶ 自由論に対しては︑必然論西側からいろいろの批難が加えられている︒立法司法の権力分立をみだるというのがそ空  

っである︒これに対しては自由論は次のように答えている︒解釈による意味の変更ほ確に法の変更であり︑立法である︒し  

かし権力の分立は絶対的な制既でほない︒それほこの卸炭を生んだ当時の政治的理由に基く︒今日においては解釈による法  

の変更を認むることが自由擁替に必要になつている︒   

法解釈の準拠については︑必然諭は立法の時における社会的規範意識にこれを求め︑自由論は︑解釈の時におけ  

る社会的規整息識瞥jれを求めている︒社会的規範意識というのは社会の人々が︑意識の申に抱俵する正義感であ  

る︒普通にいうところの法が外形的な形において存在するに対し︑これは社会の人々の意識の申に存凄するから規   法の解釈における必然と自由について   三   

(4)

範意識と名ザげたのである︒決意識︑淡概念等の富来もこれと同轟である︒   

さて︑正義ほ社会的規壌がこれを決定するから︑産金的現実が変われば正義感もこれに伴いて変遷する︒正義感  

が変われば法の解釈も変わらざるを得ない︒自由論にとサては︑汝の解釈は/しの意味において無限である︑ただ︑  

法にほ︑それぞれ立法の時に応ずを性格がある︒それは︑それぞれの法を性格づける基本的性格である︒法の解釈  

がかかる性格をも乗り越えて意味碑成をなし縛るとすれば︑法の解釈は真に無限たり得る︒若しも基本的性格を越  

える解釈は許されないとすれば︑文義字義の外にも限界があることになる︒これらについてほ︑自由論中でも意見  

が分れている︒零する紅白由論にとりてほ︑法の解釈ほ自由であり︑無限である︒・しかし︑限界ほある︒その山つ  

ほ︑迭文の事務文義である︒洪の基本的性格が︑解釈の限界むなるかどうかは見る人の意見によりて定まる︒必然  

論のこれに対する考え方︑は︑必然であり有限である︒汝文の字義文我が限界をなすことは元よりである︒  

  

法な解釈する方法についてほ︑必然諭ほ︑所謂文理解釈と論理解釈のみを採用している︒自由給は解釈軋よる洪  

の変更を認めるから次の方法をも採用している︒   

糾 漁の欠紋紅仮託する方法   

通用すべき法規ほあるが︑そのまま通用するキ妥当を欠くので︑当面の事実紅ほ︑通用すべき法規がないとし  

て︑これを通用から除外する方法である︒類推すべき法規ほあるが︑これを類推すると︑妥当を欠くので︑これを  

類推から除外する場合も︑これと同硯してよい︒委任契約が︑受任者の利益をも目的とするときほ︑委任者でも取  

消せない︵属津第六五一条第一項紅より︶とした大音九年四月二日の大審院判決︵イ\不動産物権の得喪変常軋閑    第†六巻 第一号  

(5)

する対抗要件を規定した民法葱二七七粂の﹁第三者﹂〜の意味を﹁登記欠妖ヲ出張スル正当利益ヲ有スル潜﹂に限定  

した明治四一年仙二月一五日の大審院判決︵ヱト所謂譲渡担保を有効として民放第三四九条を類推しなかつた大正  

八年七月九日の大審院判汲︵ハ︶ほその例で為る︒判決の要旨ほ次の通りであを   

︵イ︶ 重任契約に関する大正九年二月乱日の判決  

これはⅩのAに対する債機の一軍立手数料を以て︑YのⅩに対する債綽に充当するという特約が︑ⅩとYとの間   

に成立し︑その穐約の履行として︑ⅩとYとの聞む締結された取立委任契約を︑民湊第六五脚条囁項により︑   

Ⅹの側より解除し︑YのⅩに対する債務は︑弁済期が到来したとして︑ⅩよりYに弁済を訴求した寄集に関す   

る︒判決ほ︑委任契約に関する民儀第六五一条の規定は︑仙股の委任すなわち︑委任は︑委任者の利益のために   

のみなされるという通常の場合を念頭に置いて規定したもので︑/事案のような場合にほ通用がないとして︑次の   

ように判示している︒  

﹁同条ハ委任者ノ利益ノ為メモノミ事務ヲ処理スル場合−鵬通用アルモノ︼;ミ其事務′処理ガ委任者ノ為   

メノミナラス受任者ノ利益ヲモ目的トスルーキハ委任者ハ同条ニヨリ委任ヲ解除スルコトヲ得サルモノト解ス   

ルヲ相当ト㌣盛シ後ノ場合孟㌻重任潜力右法条忘ヨリ何時ニチモ委任ヲ解除シ得へキモノトセンカ︑受任   

者ノ利益ハ著シク替セラルル一肌杢ルヘケレハナリ︑本件−叫於テ上食人Yカ原審二於テ抗争シタル寄実ハ︑本訴債   

権ハ明治四五年七旦ニ○日ヲ以ナ弁済期トナシタリト雉去︑被上告人Ⅹハてノ居村−剛於ケル債務者−叩対スル貸   

金一千円ノ取立ヲY︼州委任シ︑其取立高ノ二割ヲ報酬トシ該報酬金ヲ以テ本訴債権ノ弁済二充当スル旨ノ特約   

成立シ︑此契約ハ′今佃存凝スルニヨリ本訴債権ノ弁済期ハ未ク到来セスト云フーこ仕リテ︑該特約力当事者間三成   

立シタル事実ハ凰審力明カー仙認メタル所ナリトス︑果シテ琴フハ忠敬立委任ハ委任者タルⅩノ為メノミナラス  

五   法の解釈における必然と自由について  

(6)

第二十大巻 第一号  

受任者クルYノ利益ヲモ目的−スルモノナルヲ以テ︑Ⅹハ前段説示シザル理由二基キ民放讐ハ五一条第一項−叫   

ヨリテハ之ヲ解除シ稗サルモノト謂人サルヘカラス︑原審力各当事者ハ同条︒ヨワ何時昔テ蔓該要任契約ヲ解   

除シ得ヘキモノト為シ︑Ⅹカ大正入牢七月三日為シタル解除ノ意思表示ヲ有効ナウト認メ︑従テ本訴債権ノ弁   

済期ハ既−鵬到来シタルモノト判断シ︑Y−仙敗訴ノ判決ヲ言渡シタルハ決別ヲ不当三通用シクル不法アルモノー帆   

シテ本論旨ハ其理由アリ﹂  

︵こ 民法第劇七七条の第三者の意味に訂する明治蒜?年一二月山五日の判決   

この判決はⅩYともに登記なく︑Ⅹは家屋をAより買受けて所有すると主張し︑Yは自らこれを建築して所有  

すると主張して争った番実に関する︒判決は︑Ⅹの主張が其葵ならば︑Yほ正当な権限によつて︑権利を主張す  

るものでない︒従って︑係争家屋に関しては︑民法欝.山七七条に所謂第三者に該当しないとして理由を次のよう  

に説明している︒  

﹁物権ハ本尭絶対ノ権利−;テ特対ノ権利︼−非ス︑而シテ民法第一七七条ニハ不動産二閑スル物腰ノ得襲及   

ヒ変更︵登記法ノ定ムル所−仙従ヒ基登記ヲ為スーこ押サレハ之ヲ以テ第三者二対スルゴトヲ得スト規定シ︑︑第三   

者ノ意義−蜘付テ明−仙削限ヲ加へクル文詞アルヲ見ス︑是政−血之ヲ物権′性質−m考へ叉之ヲ民法ノ条文二徽シテ  

卒然之ヲ諭スル斗ヰ弘︑所謂第三者Jハ不動産三関スル物権ノ得襲及ヒ変更ノ届為−姦ケル当事者及ヒ包霧承   

継人−血非サル者ヲ挙ア指称スト云ヘル説ハ誠二間然スベキ所ナキカ如シ︑然レトモ精忠僕考スルトキハ宋ク必   

スシモ其琴アサルコトヲ知ルニ難カラス﹂抑民法二於テ管記ヲ以テ不動産︼こ関スル物権ノ緒栄次ヒ変更︼一付チ   

ノ成立要件卜為サスシテ之ヲ対抗車件卜為シクルハ既−叫其絶対ノ権利クル性質ヲ貫徹セシムルコト能ハサル東   

野ヲ為シタルモノト謂ハサルヲ待ス︑然レハ則チ共時︼∵或ハ特対ノ権利三顧スル嫌ブルコトハ必真ノ警;テ   

(7)

竃モ怪ムー一足ラサルナウ︑是ヲ以テ物権ハ其性質絶対ナ叩⁚トノ二番ハ本条第三者ノ意義ヲ定ムルール於テ衆ダ必   

スシモ之ヲ重視スルヲ痔ス︑加之本条ノ規定ハ滴一不動産三関シテ正当ノ権利岩クハ利益ヲ有スル第三薯ヲシ   

テ登記−仙依リテ物権ノ得喪及七変更ノ寄状ヲ知悉シ以テ不慮ノ損蓉ヲ免ルルコ・トヲ得シメンカ為メニ存スルモ   

ノサレハ︑其条文志ハ特急鱒三悪ノ意義ラ制限スル文詞ナシト鋒モ其自ラ多少ノ削限ブルヘキコトハ之ヲ字句   

ノ外−叫求ムルコ†箪難シナ富フケンヤ1何トナレハ対抗寸ハ彼此利審相反スル時二於テ始メテ発生スル事項ナ   

ルヲ以テ1不動産晶買ル物権ノ得棄及ヒ変軍−付テ利春ケラサル者ハ埼条第三苧義当セサルコト鵠著明ナ   

Ⅵノー﹁謂ハサルヲ得ス︑叉本条制定ノ理由−叫硯テ其規定シタル保障ヲ皐受スル烹直セサル利啓開係ヲ有スル老ハ   

亦之ヲ除外スヘキハ蕾疑ヲ容ルヘキ二血非ス︑由是乏ヲ胡レハ東条二所謂第三者トハ当軍費薯クハ其包抱承継人  

−一非スシテ不動産三関スル物権ノ得棄及ヒ変更ノ登記欠映ヲ主張スル正当ノ利益ヲ有スル潜ヲ精緻スト論定ス   

ルヲ樽へシ︑即チ同仙ノ不動産三関スル所有権抵当魔等ノ物権叉ハ償借椀ヲ正当ノ植原二因りテ取得シタル者   

ノ如キ︑叉同一ノ不動産ヲ差押へクル債権者著クハ英美押二付テ配当加入ヲ申立テクル債権者ノ如キ皆均シタ   

所謂第三者ナウ︑之︼こ扶シテ同山ノ不動産三関シ正当ノ榛原二因ラスシテ権利ヲ主張シ或ハ不法行為二因ワテ   

損蓉ヲ加へクル老ノ類ハ皆第三者卜林スルコトヲ得ス↑  

︵ハ︶ 譲渡路保を有効とした大正入牢七丹九日の判決   

この判決ほⅩがYから五十円を借り︑電話加入権を故波路保とし︑期限内忙弁済しないときほ加入権は当然確  

定的にYのものとなる旨を特約したが︑弁済の縫供が後れたのでYから受領を拓穐きれ︑己むなくその金を供託  

して電話の返送を求めたる番英に関する︒上告人Ⅹほ右特約を民法第三四九条の違反として無効を出張したが︑  

判決はこれを有効として次のように判示した︒  

法の解釈に春ける必然と自由について   

(8)

第二十六巻 第一号  

﹁按スルニ質権叉ハ抵当権ノ設定ハ債権ヲ組保スル普通ノ方法ナレトモ︑担保ノ方法ハ必スシモ之︼痕定セ   

ラルルモノ︼叫非ス﹂担保ノ目的ヲ以テ所有権ヲ移転シ叉ハ債権ノ譲渡ヲ為スカ如キハ執レ不二醍ノ信託行為卜  

竺ア債権路傍ノ効力ヲ有スルコトハ従来当院判例ノ是認スル所−;テ︑本間売渡担保ナルモノハ賓スルニ偵権  

ヲ捜保スルノ目的ヲ以テ売琶名撃遍ワチ所有権ヲ移転スルノ行為ヲ云フモノ霊シテ︑是叉措保ノ一方法ナワ  

トス︑而シテ売渡組傑ハ叙上ノ如ク偵榛ノ弁拷ヲ確保スルノ二考訟ナルカ故ニ︑債権者力其移転ヲ受ケクル所  

有権ヲ組保ノ目的以外二行使スルユトヲ許ササルハ当然−;テ︑従ケ債務者−一於テ其債務ノ弁済ヲ為シタルト  

キハ債磯者ハ其所有権ヲ遅速スヘク︑若シ見債務ノ弁済遅滞シタルカ為メ債権者−⁝於デ英日的物ヲ売却シタル  

トキハ其ノ代金ヲ元利金二充当シ倫残余アルトキハ之ヲ債務者二進逮スヘク︑従テ見縦令弁済期限ヲ経過スル   

モ未ク債権者−州於テ其目的物ノ処分ヲ為ササル間ハ債務者ハ元利金ヲ提供シテ乏力返還ヲ請求スルコトヲ待へ  

ク︑弁済期限魔過ノ﹂薔ヲ以テ底チ一義保クル性質ヲ失フモノ一義スト雉モ︑若シ当事者ノ特約ヲ以テ弁済期  

隈ヲ経埠シクルトキハ債権者ハ其物ノ所有権ヲ完全−m取得シ債務者ハ爾後其物ノ返還ヲ請求スルコト能ハサル  

旨ヲ約シタルトキハヽ弁済期限ノ経過二因ワテ債務者ハ返還論衰権ヲ棄失スヘキハ当然ナリ︑Ⅹハ助産又ハ本  

件電話使用権ノ如キ債権ヲ粗保ノ目的卜為ス思当り叙上ノ如キ特約ヲ為ス︵民法第三四九条流質契約禁止ノ漁  

規ヲ潜脱セントスル脱迭行為ナワト論述スルヲ以r︑進ンテ此点二付審投スルニ︑著シ動産叉ハ債権ヲ担保ノ  

日朝卜為サントスルー二民放二規定セル質契約ヲ以テスルノ外絶対t庖/方苧−依ルコトヲ禁止スルノ法意ナ   

リトセハ︑叙上ノ特約ハ或ハ民法第三四九条流質契約禁止ノ淡規ヲ潜脱スルノ行為卜称スルコトヲ得ヘシト蝉   

モ︑租保二供スルノ目的ヲ以テ劾塵ノ所有権ヲ移転シ叉ハ使権ノ譲渡ヲ為スノ行為ハ金融ヲ計ル′一方速トシ  

テ社会経済ノ必寮上従来広ク世上二行ハルル所−;テ一之ヲ l民準ノ規定二徽スルモ道程ノ契約ヲ無効クランメ   

(9)

サルヘカラサルノ理由アルコトナシ︑加之属法第三四九条ハ唯質権一肌関スル規定−一シ≠規芸域当橡設定ノ場合   

ニモ其通用ナキコトハ炭ヲ容レサル所ニシテ︑即チ同漁条ハ之ヲ以テ広ク組俊二野スルー肢的禁止規定ヲ設ケ   

クルモノト解スルコト儲ハサルカ故ニ︑該漁舟ヲ援用シテ直チニ本間売渡粗保ノ効力ヲ云為セントスルハ妥当   

ナル見解卜云フヲ薄ス之ヲ賓スルー 

其効力ヲ是認スル以七ハ︑当番者ノ自由意思ヲ以テ弁済期限ヲ経過シタル場合二於ケル路傍物件返還請求権ノ  

架空関スル奴上ノ特約ヲ嵐スコ斗ヲ妨ケサルヲト解′スルハ∵当然ノ帰結ナソト云ハサル可カラス﹂   

㈱ 琴不の意思琴不に仮託する方法三︶   

意思表示があれば︑∵定の淡律効果が発生する場合に︑実際に偲︑如何なる形においての意思表示も存在煎ず︑  

如何なる事実正よりてもその存在が証明されないのに︑意思東夷ありたるものとして︑一定の淡律効果を発生させ 

る方法である︒判例︵大判大正九年九月二日︶は   

︵イ︶ 夫が︑海外.へ出様中︑婁が︑生活費に窮してなした借財を︑大の許可を得ずしてなされたという理由で取   

消そうとした事案に射し﹁妾ガ借財ヲ為スニハ屈洩義四条−品丁兵ノ許可ヲ受クルコトヲ要スレトモ︑其許可   

ハ必スシノモ明示クルコトヲ襲セス黙示クル占トヲ得ヘク⁚⁚⁚⁝  而シテ大力出様ノ〝為三重子ヲ故郷二残シテ速ク海   

外−仙波航シ︑数年間奏チニ対スル送金ノ途ヲ絶チタルカ如キ場合二雀リテハ︑其留守宅二相当ナル資慮アヮテ生   

括費二充ツルコトヲ待ル如キ特別ナル事情ナキ限りハ︑嚢二於テ一家ノ生活ヲ維持シ子女ノ教養デ仝フスルカ為   

メニ其必賓ナル経度−姦テ借財ヲ為シ以テ心象ノ敏活ヲ維持スルコトハ夫−姦テ予メ之ヲ許可シ居リクルモノト   

認ムヘキハ条理上当然ニシテ︑斯ク解シテ始ナ其裁判ハ能ク惰性ヲ尽シタルモノト謂ハサル可カラス︑本件被上   

食入ノ夫ハ出稼ノ為明治四十年中ヨリ渡米シタル±トハ当事者間二争ナキ所ニシテ本件二ロノ借財ハ何レ軍渡米  

法の解釈における必然と自由について   九   

(10)

第二十大巻 第一号   山○  

後三四年ヲ経過シタル後二係り且其金額モ僅二二十円−十五円烹過キサルヵ故ミ他−肌被上告人ノ夫二於テ不在  

中家族ノ生痛ノ為メニ痕当ナル生活費ヲ送金シ来ワクルカ如キ特別ノ事情ナ年限ワハ︑生活上必要ブルモノト認  

ムルヲ相当トスル此等ソ借財ヲ為スコ・トハ予メ被上告人ノ夫−一於ナ許可シ屠りクルモノ†判断スヘキ人当然ナ  

リ﹂として取消を認めなかつた︒  

︵p︶ 文判例︵大判昭和入年五月二四日︶ ほ︑身元保証の場合について︑被用者が︑会社の金を横領したが︑会  

社の監督が︑・甚しく当を得なかった場合に曙身元引受人ほ︑会社の損審の全部を賠償する義歯なく︑その全部  

又は一.部の免除を受くべきであるとして︑次のように説示したし﹁縦令身元引受契約中特二明示ヲ以テ会社力相  

当ノ監督ヲ為スコトヲ条件トスル旨ノ約款ヲ附セサVハトテ反対ノ証拠ノ見ルヘキモノナキ限り︑︑之只当事者力  

明示ノ衷ナシトシテ明言セサルニ止り暗黙︼剛之ヲ契約ノ条件ナセルモノト解スルヲ韮当トス﹂   

いずれも黙示の意思表示に仮託して通用の濱当を期そうとした例である︒  

註︵三︶ エールクツヒは黙示の意思琴不につき次のようにいつている︒﹁黙示の意思表示はふの誤りに外ならないということを   

証明しても︑その意酪を正当に評価したことにはならない︒二汗年来︑山切の国の鋭敏な法律家さえもが陥った誤りは︑考   

え違いではなく︑必要転よるのである︒まことに黙承の意思表示は︑舌釆現行法を法の発展の必要と調和させる手段の一に  

外ならなかつた︒﹂﹁現行法に従って判決しなければならない裁判官は︑法の発展の必要に適応するために︑理論及び法体系   

のぉる不明確な箇所を利用する︒そしで︑学説判例の取扱う︑理の当然︑誠意・信義誠笑の原則︑懇意の抗弁︑不当利得︑  

良俗違反といつた曖昧な概念が︑それに最もよく適している︒黙示の意思表示も亦︑そのような新しい有用な思想が現行法  

に入り込む曖昧な概念−﹂⊥つの法における欠敏十十である︒即ち︑だから︑それは岬の法樺制度でほなく︑新しく︑生れ   

んためにたたかつている法規範の全体である︒飴竺的な問題でな′\諸問題のあつまりである︒﹂ −釆栖三郎﹁法の解釈  

適用と法の遵守﹂法学協会雑誌第六八巻第五号二七頁   

(11)

ゆ 語義の変更に依る方法  

語義を拡張し︑又は縮小することにより︑漁規の意味を変吏する方法である︒次の例がこれに該当する︒  

︵土 民汝︵第八六条第蒜︶には一﹁物トハ有体物ヲ謂フ﹂とあり︑旧刑法︵第≡六不条︶には﹁他人ノ所有物  

ヲ窃敢シタル潜ハ窃盗ノ罪トナシ⁚⁝⁝﹂とあつたので︑駕気を洛用した者は︑窃盗罪紅成るかどうかが問題と  

なつたことがある︒.罪刑決意主轟の下に立つ刑法諭のことであるから︑多数の者ほ︑これを否定する判決を期待  

したのであつたが︑大審院は﹁電気ほ有体物ではないが︑五官の作用で︑その存在を認識し得るもので︑これを  

容器に収容して︑独立の存在を有せしめ終るは勿論︑容器ぬ背藷して之を所持し︑苗場所より他の場所に移転  

する等人力を以て任馨に支配することを縛る︒即ち電気ほ可動性と管理性を併有する︒電気は訝洛罪の成立軋必  

単なる窃取の要件を発し得る﹂・という理論で︑これを常澄した︒︵大判︑刑房拾三ハ年五月三日︶その後改正  

された現行刑法第二四五条が﹁本草ノ罪工付テハ電気ハ之ヲ物卜君倣ス﹂と規定したことによつ・ても明かなよう  

に︑これ抹︑物にあらざる電気を物の観念の申軋含ましめることにより︑旧刑法盟芸二ハ六条の通用範錮を拡張  

し︑これにより汝の意味を変更したの†ある︒  

︵こ 大正四年二月二四日の大審院判決は︑抱芸姉を独立の営共著と認定し︑扇▼該芸妓が:営柴に必要な衣類  

の購入代金につき消費鹿借契約を締結した行為を営兼上の行為であるとして︑民港第四条第二頓による芸妓の革  

消を誉認した︒芸威力用字方たる衣類の売主を保護するためにとられた処置でほあるが︑未厨年の抱芸妓を独立  

の営発着と認定しねのほ︑営業なる語の意轟を相当広義紅解したものである︒  

葵四︶ ﹁芸妓ハ宴席二侍打歌舞音曲ヲ以テ興ヲ助クルヲ業トレ︑報酬ヲ得テ其収入卜為スモノナレハ其菜タル固ヨリ刷ノ営業  

タリ︑其抱主︑ニ対レ或ル期間其家︼壷テ営業ヲ為スノ義務ヲ負フ土轡モ之力為メ独立ノ営発タルヲ失ハサルモノース﹂︵大   法の解釈における必然と自由に†いて   叫一   

(12)

国 ﹁慮当の事儀一﹁公序良俗岬等の酸味な閲念を糾用する方法   

大審院巧最初︑借家法第一条の二の﹁白ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合﹂の解釈  

として﹁建物ノ賃貸人力自ラ使用スル必夢アリチ解紛ヲ為ス場合二於・デ借琴碧空条ノニニ所謂正当ノ事由アリト′  

為升−二必スシモ質貸人ノ利容ガ貸借人ノ利審ヨリ大ナルコトヲ要スルモノニ非エと判決した︒︵大判︑昭和〟八  

年二針山二日︶ところが︑これに対しては学説が強く反対したので︑大審院も後に軋これを改めて﹁建物ノ貿貸人  

力自ラ使用スル必要ア㌢ア︑・解約ノ申入ヲ為スエ付正当ノ寄由ア‖リトナス一三饗貸人及賃借人双方ノ利審得失ヲ比  

餃考察スルノ外俺達;テ公益上社会上其ノ他各般ノ春情ヲモ尉酌シテ之ヲ決スヘキモノトス﹂と判決している︒︵大  

判昭和山九年九月八日︶その何れを正しとするかほこゝでほ問題でないが﹁正当ノ寮由﹂などといヶ曖昧な概念に  

っいてほ︑その内容が不明確であるため︑藤釈者ほ︑自由に﹁正当ノ音由﹂と思われる事実を決定して︑法規を変  

更し得る︒同様のことほ法文によくある﹁公ノ秩序香良ノ風好﹂﹁巳ムコトヲ稗サザル事由アルトキ﹂などの文言払  

っいても考えられるJしかし︑これは︑通常考えられているように︑法文が︑解釈者に忠誠約に解釈の自由を認め  

たのでほなく︑これに該当する事実を悉く列挙することが︑不可能であるため軋ざの方法を選んだものと考うべき  

であるどりことは︑上記借家褒条ノ二が﹁自ラ使用スルコトヲ必賓トスル場合其ノ他正当ノ事由ブル場合﹂とい  

ぅように︑正当の事由軋該当する場合を例示していることから推給できる︒立法者は︑この文言によりて︑これに  

該当する壕合を仙応想卑しているのであかが︑これを列挙することほ不可能であるから規定の上に現わしていない  

のである︒しかし︑自由迭翰ほその不明確を利用して︑自由に解釈する︒正当の事由その他法文中の酸味な概念ほ  

自由法論老にとつては︑︑進展七て止まぬ社会的規範意識紅法を適合せしめる最良の方放である︒    第二十大巻第■骨  

判大正四年一二月二四日︶   山一一  

(13)

㈱ 置場に社会的規範意識に準拠する方法  

直接に時代の社会的規範意諭を基準として法の意儀を変更すを方法である︒例えば︑権利の濫用︑信譲誠実︑公  

共の福祉の原則によつた昭和二十二年以前の判例が︑これに該当する︒判例から二三の例を拾って見よう︒︵き   

恕︵五︶ 現行民法は︑明治二十九年から三十工年の間に制定されたもので︑権利の濫用︑信義誠稟︑公共の福祉は︑昭和二十一冊  

ころで︑事案の場合にむ︑侍これほ権利の当蛮の行使である筈である︒ところが︑大審院は︑本件の場合は︑鉄    卑の改正で始めて民法′砂原副となつたものである︒尤も公共福祉め原則は︑改正以前の民法の中に  土地の相隣関係に関やる民法第こ〇九条以下の規定︑土地の工作物から生ずる損層に対する所有者の無過失背任に関する民   法第七丁七粂の規定がそれであるっ   

︵イ︶権利渡用の原則によつたも打   

これは 

その木から僅かに小間にも満たないところに汽帝人換のための線路を作りながら煤煙を防ぐに必要な設備をしな   

かつたがためであるとして︑松の所有者から国紅対し損寧賠償の訴を起した事件で︑大審院としてほ︑本格的に︑   

権利の濫用を取扱った最初の判例である︒︵大判︑大正八年三月三日︶所有権の絶対を︑基本原理としている当時   

の属汝よりすれは︑国が汽革を′運転するため︑石衆をたき︑附近に放溜を飛散せしめるのは︑巳むを得ざるせ  

道沿線に散在する樹木よりも甚しく妹煙を被る位澄にあり︑且つその濱を予防する方法があるに拘らず︑これを   

施さずして松樹を枯死せしめたもので︑その営巣たる汽革運転の結果なりとはいえ︑社会概念上二恢に認容すべ   

きむのと認められる範臨を超越したものであるこして︑松樹所有者の国に対する階偶語求を容認した︒判例の展   

開した論理は次の通りである︒  

法の解釈における必然と自由について   

(14)

ヽ    第二十大巻 第一号   一四  

﹁権利ノ行使卜蜂を汝律二於テ認メラレクル適当ノ範囲内二於テ之ヲ為スコ・トヲ賓スルモノナレハ︑権利ヲ行使  

スル︑場今壷テ故意叉ハ過失二因り其ノ適当ナル範囲ヲ超越シ失当サル方汝ヲ行ヒクルカ為メ他人ノ権利ヲ侵審  

シタルトキハ︑侵害ノ程度三於テ不法行為成立スルコトハ当院判例ノ認ムル所ナり:⁝怨ラハ共通当ナル範囲ト  

ハ如何︑九ソ社会共同生活ヲ為ス藷ノ間二於テハ一人ノ行為力他人−血不利産ヲ及ホスコトアルハ免ルヘカラサル  

所︼−シテ︑此場合二於テ常−血権利ノ侵奪アルモノ†泡スヘカー7ス︑其他人ハ共同生萬ノ必要上之ヲ認容セサルヘカ  

ラサルナリ︑然レトモ英行為力社会観念上板密着︺蜘於テ認容スヘカラサルモノ仁山肢−一認メラレクル程度ヲ越へ  

タルトキハ権利行使ノ適当・ナル範囲エアルモノト云フコトヲ褐サルヲ以テ不法行為トナルモノト解スルヲ相当ト  

ス︑抑モ汽串ノ運転ハ音響及ビ笈動ヲ近傍−伝 

表敬セシムルハ巳ムヲ得サル所ごシテ︑注意シテ汽庫ヲ操縦シ石衆ヲ燃焼スル巧遅クヘカラサル所ナレハ鉄道  

発者トシテノ権利ノ行使二当然伴フヘキモノト謂フベク︑蒸汽鉄道力交通上妖クヘカラサルモノトシテ認メラル  

ル以上沿道ノ任l民ハ共同生清ノ必賓上之ヲ認容セサルヘカラス︑即チ此等ハ権利行使ノ適当ナル範囲二属スルヲ  

以テ任屈二審ヲ及ホスコ下アルモ不法ヰ権利ヲ侵奪シタルモアラサレ︵不漁行為成立セス︑従テ汽軍進行中附近  

ノ蜜木琴−壷通飛散スヘキ煤煙−由り審ヲ琴フ.シムルを被尊者ハ其賠償ヲ請求スルコーヲ得サルモノトス︑然レ  

手早著シ汽薗ノ運転モ際シ権利行使ノ適当ナル範囲ヲ超越シテ失当ナル.方法ヲ行ヒ蓉ヲ及シタルトキハ不漁ナル  

権利侵奪トナルヲ以テ︑賠償ン茸ヲ免ルルコトヲ柊サルナリ︑原院ノ認メタル箇実﹂蔽レハ本件松樹ハ停革場三枝  

近シ鉄道線路ヨリ佳二間未満ノ地点二窒息シ其礫条ハ線路ノ方向−義り常−轟摘草ノ多大ナル煤煙二暴露セラ  

レクル為メ柿死ノ蓉ヲ被リクルモノニシテ︑英雄煙ヲ防クヘキ設備ヲ為シ得ラレ.サり/シーニノラ伊ルコト第忘二  

説示シタルカ如クナルヲ以チ︑彼ノ鉄道沿線ノ到ル所−遍在スル樹木力普撃南條卑ヨリ吐出スル煤煙ノ審ヲ被   

(15)

ムリタルト同﹁予冷スルコ寸ヲ得サルモノトス︑如チ本件橡梯ハ鉄道治績予散轟スル樹木ヨサモ甚シク痍煙ノ車  

ヲ被ルヘキ位置︸一アリテ且ツ其専ヲ予防スヘヰ方漁ナキュアラサルモノナレハ︑上告人力煤煙防止ノ方法ヲ苑サ  

スシテ煙容ノ生スルニ佳句該松樹ヲ枯死セシメタルハ︑其営業クル汽車運転ノ結果ナ 

l一認容スヘキモノ十認メラルル醜聞ヲ超脱シタルモノト謂フヘク︑権利行使三野スル適当ナル方法ヲ行ヒクルニ  

ブラザルせ 

︵ロ︶ 信義誠実の原則だよつたも町   

如 これは買戻の代金として紛供した金額が不足していても︑その額が僅少である場合には︑信義則により︑  

買庚の効力を妨げないとした例で︵大判︑大正九牛山二月山八日︶不足額略儀に山門八銃︵売買代金五首十七円  

契約費用十二門八銭計五官二十九円八鏡と売主の提供した金胡五首二十八円との差額︶であり︒しかも︑この不  

足は︑買主が︑契約費用を明示しなかつたごとに基因しているのに︑提供した金額の少しばかりの不足を口実と  

して︑買主が買戻の効力を争ったのを斥けたものである︒   

閃 これも債権の弁済として提供した金額の僅少の不足は︑弁済の提供としての効力を妨げないとした例で︑  

債権額山万円中︑疲終着が︑既に支払い又は提供した金額が九千九育円であり︑不足額雷門も登記所へ行く途中  

にある債洩潜の任所に立寄り︑これを携帯して︑債権藷と共に︑登記所へ行くよう準備されていたと認党される  

のに︑その不足に滞日して︑債権証啓の引渡及び登記手続︵抵当権の抹消︶の履行を拒絶したのを信義則に反す  

るとしたものである︒︵大判︑隠和九年二月三ハ日︶   

何 これは︑慣習に従い︑T厄︑一定区或を引渡場所と定めておくが︑具体的な引渡場所は︑後で売主が定め  

るというような場合に︑買主において具体的な場所が判らなければ︑信義則上︑買虫の方からも売主に問合わせ   

法の解釈における必然と自由について   ∵五   

(16)

副六   第二十五巻 第五号  

をする義紡があるとした例で︑判例でほ︑引渡場所ほ深川偲となつて居るので︑売主は︑深川の丸三倉庫に品物  

を準備して代金引換に品物を受取れと請求し尭が︑買主が応じないので︑更に︑期日を定めて催告をなした後契  

約を解除し︑買主の方は︑引渡場所の通知が払かつたことを理由として︑解除の無効を主張したのに対し︑買主  

に於て﹁誠実二取引スル意思アラバ﹂引渡場所は一﹁一片ノ取合セニヨリ直二之ヲ知ルコトヲ得へカリシモノニシ  

テ斯カル場合ニハ信義ノ原則二依り﹂買主﹁ハ有閑合セヲ為スコトヲ襲シ之ヲ怠リクルニ於テハ遅滞ノ茸ヲ免ル  

ルヲ得サルモノース﹂と判示している︒︵汰判大正一四年一二丹三日︶   

いずれも︑信義則により︑法灯変麗したものということができる︒  

︵ハ︶ 公共の庵祉の原則によつたもの   

判例は民法欝七劇七条の﹁或ル専業ノ為lメー⁝他人ヲ使用スル者ハ﹂の﹁事業﹂の意味を極めて広く解し︑﹁事菜﹂  

は継続胡な仕事であると小暗的な仕事であるとを問わず︑叉営利事業たると非営利事発たるとを問わないとして  

い︑鳶 ﹁使用スル﹂についても︑その窓暁ほ事契上仕事をなさしむることで︑使用者と被用者との関係は雇備︑  

委任︑組合その他何でもよく︵大判判大空ハ年四月小六日︑鉄道院の選任した魔切番人が私鉄会社の締切番を兼  

務した場合にほ私鉄会社の使用人たる地位を有するとした寄集に関す︶1報酬の有無も関越でなく︵大判大空ハ年  

二月二日︶使用関係を生ずるに至つた契約の荷効なるナ㌻も亦必要でない卜しでホるP   

﹁事業ノ執行⊥岬付キ﹂の意味についても︑判例は︑旅館の番頭が︑宿泊中の客の依頼にょり︑近所の郵便局紅  

赴いて電報為替打取立をした行為︵大刑判︑豪雪二年七日二〇日︶会社の株券発行係か︑白分の金融を図るた  

めに︑会社む株券を偽造発行した行為︵大成刑聯判︑大正一五年﹂○月一三日︶助手として勤務する傍ら温額接  

術を修習していた潜が︑運転手正代って選街中︑他人を負傷させた行為︵大判︑昭和七年九月一二日︶を︑それ   

(17)

ぞれ︑収用薯の審発動行に付き為した行為として︑使用者の安住を骨発した︒ 

判例ほ乳︑国保常山項但卦の使用の安住を免除する理由としての﹁被風者ノ選任及ヒ事業ノ監督立付キ相当ノ   

注意ヲ為シ﹂たかどうかめ事実の認定紅つき︑容易正その存在を認めまいとしている︒即ち︑法文にほ﹁選任及   

ヒ監督﹂となつているのに︑選任か監督の一方軋過失があるときは茸任を免れないとし︑使用者が選任上の茸任   

を免れるためにほ︑被相薯が簡単︑自動率の運転手免状︑船舶の海技免状を持つているかどうかを検べただ牡で  

ほ不充分で︑蕃染の難易に応じてこれに通する捜能を持っているかどうか︑その他︑被用者の人格︑性格等をも   

審宜しなければならないとしている︒∴︵大判︑明四〇年仙○月二九日︶  

何れも︑公共福祉の原則に拠ったものである︒  

三  

浪の解釈に関する必然と自由の論議ほ︑結属︑法の解釈ほ如何にあるべきか︑叉何故にかくあらざるべからざる   ー   かの問題に帰省する︒そして︑それは法解釈学の本質及び任務に関する問題に外ならない︒  

惟うに︑浜の解釈は︑それが法規を底拠とするものである以上い何よりもまず︑与えられた洪規の意味の忠実な  

る理解を出発点としなければならない︒而して︑法規の意味の思策なる理解は︑新な汝の実践的創設でほなく︑既  

に存在する浜の理論的認識でなければならない︒この限ケにおいて︑法の解釈を以て﹁あるがままの意味の理解﹂  

であるとする概念法学の生絹は正しい︒又︑法の解釈を法規.の意味のあるがままの理解に止めることは︑靂の明確  

性︑法の安建性にも撃且つ所以である︒   

しかし︑法は︑同時に正しくなければならない︒妥当性を備えなければならない︒このことほ︑汝が生活関係の  

法の解釈における必然と自由について   山七   

(18)

・︑  

⁚∴︑・J⁚ニ1・  

正しい規制を任務とするということから容易に理解せられる︒ところが︑何を以て宜しとするかほ社会的現実がこ  

れを決定する︒社会的現実が変われば託しさもこれに伴って変わらざるを得ない︒このことは生治国係の宜しい規  

制が法の任務であることと共に洪の解釈のあり方を削約する︒迭の解釈は︑単に与えられたる法規のあるがままの  

意味の理解に止るべきでなく︑法の通用の具体的妥当性を目指して常に新な窓昧の発見創設に努めなければならな  

い︒︑而して︑これほ法解釈挙が理論科学であると同時に︑実践科学であ渇ことを藩昧する︒学者が洪解釈学を似て  

威は﹁実践的洪学﹂といい︑或は﹁実際的法禅学﹂と呼ぶのは︑その意味において篤当である︒   

しかし︑法の解釈が﹁あるべき潜昧﹂の理解でなければならない理由は︶ これだけに止らない︒法の解釈の性質  

自体が︑またこれ︑を襲話する︒   

法の解釈の性質自体が︑これを襲話する︑というのは︑法の解釈その薯知︑法を正しくするために存すると′いう  

意味である︒このことは︑前に挙げたと同じ理由を繰り返えしているかのように見える︒しかし実はそうでない︒  

その訳ほ︑あるがままの意味の理解を以て法の解釈で臥る︑とする概念淡学の場合を考えて見れば解る筈である︒  

概念法学は︑法の解釈を以て﹁あるがままの意味牒理解﹂であるというが︑ケルゼ︶がいっているように︑法ほ枠  

である︒その中には︑可能な多くの意味が食まれて居る︒それは決して仙つでほない︒著し︑然りとせは︑洪の解  

釈が﹁あるがままの意味﹂の理解であると七でも︑その二つを選び出すためにほ︑適訳を必襲とする︒既に選択を  

必要とするとせば︑それには榛準がなければならない︒それほ概念法学の場合においては︑立法当時における社・誌  

的親範意識又は法意諭である︒立添当時における社会的規範意識叉ほ港意識というのは︑立法当時にお小て︑世人  

の抱懐せる具体的正義である︒それほまた﹁宜しさ﹂といってもよい︒著しそうであるとすれば︑解釈が﹁あるが  

ままの意味﹂の理解である場合においても︑法の解釈は︑その意味内容を具体的華轟又ほ宜しさに合致せしむるた   

(19)

めに︑なきれるといわなけれほならない︒意味内容を異体駒玉藻又は正しさに合致せしむるためになされるという  

こ′とほ︑法の解釈は︑意味内容を具体的正義又は正しさに合致せしむるために存するということを意味する︒それ  

は﹂前匿いつた﹁あるべき意味﹂の理解のために博すか︑というと同義吏ある︒このことは︑法の解釈が丁あるべ  

き意味﹂の腰解である場合には︑僚裳である︒法 

けれほならない︒   

法の解釈が﹁あるべき意味﹂の逮解でなけれほならない︑ということは︑法の意味内容は︑従って︑法は社会的  

規範意識ぬ変遷あるときほ︑変更してもよい︑否︑変更しなければならない︑ということを意味する︒概念港学ほ  

この濾に率kて誤りを犯している︒なぜならば︑社会的規範意識の変遷に伴い︑﹁あるがままの意味﹂の中に︑﹁あ  

るべ豊息味﹂が存しない場合には︑勢い﹁あるがままの敵味﹂の外に︑﹁あるべき意味﹂を求めなければならないから   

である︒   

尤も︑﹁あるがままの意味﹂の中に︑﹁あるべき意味﹂が存しなくなつたとき︑これを︑﹁あるべき意味﹂に改むる  

任務を有する者ほ︑立放資である︒今日においては︑与れは︑議会であるを通常とする︒しかし︑議会による改正  

の容易でないことは︑自由港諭の主張するとおりである︒自由放論のいうよう幣迭の改正にほ︑手続が変る︒こ  

れには強い抵抗を伴うのが通常である︒このこと兼︑現行資本制法秩序に︑幾多の矛盾弊審を感じながら︑規秩序  

の維持に利益を有する人々甲必死¢抵抗転よつて容易に改正が行われない事実がこれを証明している︒衰し︑立法  

手段に上る改正が困難であるならば︑これを解釈によるより外はない︒このことは︑解釈による意味の変更が許さ  

れなかつた場合を想像するならば︑容易に理解される︒例えば︑一つの訴において︑.その語求は︑社会的規範意識  

よりすれば寧ろ妥当と考えられるにかかわらず︑法の解釈上・はかような結論を導き出すことが不可熊であるという  

法の解釈における必然と自由について   一九   

(20)

●   

二〇   第二十六巻 第一号  

盟洩軋よつ七︑これを認めなかつたとする︒それは︑いうまでもなく原告の敗辞を窓痕するやそれは︑生活関係の  

正しい規糾を以て任準とする津の使命に反する︒この理由よりしても︑解釈にょる窟味の変更ほ許されなければな  

らない︒   

それは兎も巧 ここ隼意味を変更するというのほ︑単に従来の意味に代うるに既存の他の一意昧を以てするとい  

うだけのことでほない︒それほ∴新しき社会的規範意識紅基いて一窓昧を創設し︑留っての社索的規範意識転立脚  

して構成せられた旧悪昧と交換するということである︒この意味において︑汝の解釈は︑意味の発見でなくして督  

味の創設であり︑樺成である︒商えば︑民法第二〇六条は所有権を定義して﹁所有者ハ淡令ノ制限内二於テ自由二  

其所有物ノ使用︑・収益及.ヒ処分ヲ為ス権利ヲ禰ス﹂と規韓した9所有権絶対の思想の上覧止つ個人主義白由主義民  

法のことであるから︑その意味は︑立法の時においでほ︑﹁所有者ほ所有物の利用につき︑法令の制限を除いて  

は︑他の何者によりても制限せられることほない︒所有物を利用す烏と否とほ自由である︒所有物の利用は︑権利  

の行使であるから︑不漁行為となることはない﹂という経のものであつた筈である︒   

ところが︑現在の社会的規範意識の下でほ︑所有権の絶対ほ認められない︒所有楓は︑公共の福祉濫透合しなけ  

ればならない︒所有権の行使は︑公共の福祉に適合する限りにおいて認められる︒所有者ほ常に︑公共の福地のた  

め紅利用する安住を負う︒従って︑本条は︑今日において灯︒﹁所璃潜ほ公升の福祉軋適合する範囲内において完  

全な利用権を有する︒所有者は常に公共の福祉のため紅これせ利用する番務がある︒所有物砂利用が社会通念上容  

認すべきものと考えられる限度を越えて他人紅損番を与えると首 

ばならない︒   

これ偲既存の意味と意味との交換でなくして全く凝しい意味の創設であり構成である︒︑﹁法の解釈とは︑かよう  

(21)

な発展する法の内容を解釈において理解し︑構成することである︒﹂   

而して︑かような汝の新たな意味構成は︑社会的規範意識の発展と好に︑不断に繰り返えされ尽くるところなき  

筈である︒しかし︑法は︑それぞれ︑立洛の時における社会的規範意識の成文約又は不文的記録として︑それぞれ  

の時代に応ずる基本的性格を有する︒添の廃駅が︑解釈である限り︑その法の基本的性格を乗り越えて意味種成を  

なし縛るや否やほ靡問である︒ここに一応︑法の解釈におけ√る限界性なるものが考えられる︒   

しかしながち︑﹁歴世的社会の進輿は瞬時も止ることはない℃従って︑歴史的現実を以て対象とする港ほ︑また  

絶えず発展する社会の規範意識k応じて︑これを規律しっづけなければならな︑い︒﹂法の解釈は︑すでに意味梼成の  

限界隠遵したりとして︑その宿敵を放棄すべきでほない︒︑否︑寧ろ︑かような時においてこぞ規範意味の構成は必  

要であり︑従ってまた︑それは法学者の課顧でなければなぢない︒﹂葺これほ︑とりもなおさず法の解釈の無限を  

要請するも町であるパそれにしてもノそれは︑如何托して可能であろうか︒間鶴ほ︑その方法如何にある︒われわ  

れは︑まず︑その方洪につき検討を試みなけれはならない︒   

註︵五︶ 石本雅男﹁私法解釈の論理﹂三三頁三四貢   

自由法論が︑準の意味内容を︑時代の社会的規範意識紅合致せしめるために用うる方準の主摺るものは︑前に挙  

げた︒  

その山つは︑法の欠陥に仮託する方法である︒再び前に挙げた例をここに借用するならば︑判例ほ︑双方とも紅  

登記なく︑山方は他人より買受けて所有するとし︑1他方は自ら賂結して所有するとして相争った事案につき︑芳し  

他人より買受けて所有すると主張する側の主張が真実ならば︑自ら建築して所有す藩とする側の主張は︑偽りであ  

り︑これほ︑韮当の榛原によりて権利を主張するものとほいえない︒民放第一七七条は︑登記の欠紋を主張するに  

法の解釈における必然と自由について   二一   

(22)

′  

二二   第二十五巻 第五号  

つき正当な利益を有しないかような者を保護する趣旨で設けられているのではない︒従って︑自ら建築して家を所  

有すると主礪する薯ほ︑他人より買受けて蒙を所有すると主張する者が登記をしていないということを理由とし  

て︑その権利を否認することを得ないとした︒即ち︑この判例は︑民法第一七七条を︑社会的規範意鱒に合致せし  

めるために︑規定自体は﹁第三潜﹂に制限を加えていないに拘らず︑この規定ほ︑登記の欠快を主張するにつき宜  

当な利益を有する第三者を対象としたもので︑登記の欠妖を主眼するにづき証当な利益を得しない薯に対してほ規  

ざる者に通用すべき法規は︑始めより存在せずとして︑これを属決算仙七七条の通用より除外しているのである︒   定の欠炊があり︑かような薯に対しては︑登記を宴しないと解すべきである︑とし︑て新しい淡規を創設しているの   である︒   

この判例ほ︑第三者の意味を︑登記の欠釈を出張するにつき正当の利益を有する第三者に変更した点において︑  

実質的に明掟に字義文轟に反したものである︒しかし︑形式的には登記の欠映を主眼するにつき荘当の利益を有せ   

従って法の意味には変更なく︑勿論︑字義文義に反することもないのである︒   

ただ︑かような方法による法曹の変更が︑その法条を含む法典全体との調和をみだすことなきや否やが問題であ   

る︒前紅も述べたように︑法ほ立迭の時における社会的親衛意識の成文的又は不文的な記録としてそれぞれの時代  

担応ずる基本的性格む有する︒漁の意味変更が︑この性格を乗り越えてなされる場合には︑その変更ほ法輿全体と  

の調和をみだること紅なる︒この場合にお1いては︑ある淡条の鷺姥のみを解釈時の社会的規範意識に従つて変更す  

そしとは不可能である︒この場合には︑漁典全体の意味を同時に同一の社会規儲意識に従って変更することが必賓  

である︒これは︑港の意味変更が他の方法忙よつて行われる場合においても同様である︒法¢解釈ほかような場合  

払おいてのみ英紅無限たり得る︒   

(23)

その二ほ︑黙示の意思挙がに仮託する方放である︒前掲の例で明かなように︑この方津は︑轟が一定の意思表示  

を必衷とする場合においで現実には︑どこにも意思琴不らしいものほ存在せず︒また︑如何なる番莫kよりても  

存在が証明せられないのに︑その存在を擬制して︑窓思表示があつた場合と同様の効鼎を附阜せんとするものであ  

る︒前掲の例によれば︑夫ほ︑アメリカへの出線に垂且ち︑または︑その後の如何なる時にも︑秦に借財せなすこ  

とにつき許可を与えた事実なく︑その立証もなされないのに︑ 

であろうという︑たゞ︑それだけの理由で︑黙示の許可ありとして︑妻の借財を有効としている︑結局︑これほか  

ような場合には︑夫の許可を要しないとしてているのである︒これは実質的には文鶉に違反す≠る︒しかしこの方港  

の採用せる手段は︑形式的には文鶉の変更ではなく︑意思表示の接触である︒従って汝の意味には変更がなく︑勿  

論文哉に反することほない︒かくて︑こめ方漁ほ︑津典全体との調和をみだることなきよう充分の考慮が払われる  

場合においては︑その意味梼成を完全に無限ならしめ得る︒従って認められてよい︒   

その三は︑語義の変更にょる方法である︒前瀾の判例が示すように︑法文の語窺を極度に払張五たは縮少して法  

を社会的規範意識に合致せしむる方法で︑一見拡張解釈または縮少解釈に顆似する︒ 

ほ縮少解釈の場合のように︑卓旬の表現する法意ぶ︑本来の改憲より狭きに過ぎ又は広きは失するにより︑これを  

本来の決意まで払礪乳は縮少するのではなく︑当面の事実に通用すべき法規が存在しないため︑既存の法規の語義  

を拡張又は縮少してこれに当験めるのである︒こういうと︑この方港は︑また類推と同じに見える︒しかし︑この  

方法ほ︑窮推の場合のように︑通園すべき法規なき事項に︑これを難以の性質を有する事項に関する汝規を通用す  

るのでぬなく︑既存法規に新な意味を創設して通用サベき漁規なき寄頓に通用するのである︒▲これは明か監息昧の  

変更であり構成である︒しかし︑前にもいつたよ 

二三    法の解釈に奉ける必然と自由について  

(24)

第二十五巻第五号   二四   でいる︒故に新に創設した意味が︑その∵つである場合には︑意味構成は︑字義文義に反することほない︒前掲判  

例か電気を物とし︑抱芸妓を独立営業者と認めたのは︑この意味において正当である︒語義の変更によるこの方潜  

も︑この認昧払おいて認められてよい︒そしてこの方法による淡恵め変更が法の基本的性格を乗り越えてなさるる  

場合においてほ第一の方法について述べたところと同じ考慮が払われるならば︑法の解釈は無限たり縛る︒   

その四ほ︑正当の事由︑公序良俗その他法令によくある曖昧な概念を利用する方法である︒前掲の例が示すよう  

に︑七れらの概念蟻抽象的であるふら︑これに如何様の意味を附与するも︑字嚢文義正反することはない︒従って  

認められてよ‖い︒ただし改悪の変更が︑法の基本的性格を失わしめるような場合ほ第言方法について述べたと同  

芸考慮を必葵とする︒その考厳か払われる限2←の方法も︑ノ捻を社会叩親和恵織に簸限に合致せしめ得る︒  

そむ五は︑直撃社会的規範意識に準拠する方法である︒時代む変動期においてほ︑社会的規範意識は︑添の基  

本的性絡と相反するこどせ通常とする︒権利の監用︑信鶉誠実︑公共の福祉を基本性格とする社会的規範意識に対  

し︑所有準の不可侵︑契約の自由︑過失賓任を基本性格とする民法の対立した曾つての時代㌧その例である︒而  

して蕗が規節意識転雫離するとき︑遠と異なる規範意識に準拠してなされたる添の解釈が︑文義字義に反し︑法典  

全体との調和をみだることあるは︑当然である︒ただし︑添典全件が同時に同左会的規整思識に基きて解釈きれ  

る場合にほ︑法典全体との不調和ほこれを避く︑るこどができる︒且つその解釈が︑法文む字義文義と両立し得る範  

囲においてなされるならば︑その解釈ほ︑社会的規範意識に準髄しっっ由放と両立することを得る︑︒この法ほかか   る条件の下におてのみ認めちれるペきである︒  

迭を時代の社会規範意識に合致せしむる方添は.外に滝あり絡鳶しかし・以上列挙の方汝のみを以てしても∵わ  

れわれは︑字義文義に反せず︑法典仝体との調和をみだることなく︑しかも︑法の.基本的性格を乗り攣を︑充分   

(25)

れわれは  

笹法を時穐の社会的規範意識に適合せしめ得る︒   

すなわち︑法の解釈は概念迭学のいうがごとく必然でなくして自由であり︑且つ無限である︒浜の解釈ほ社会的  

規範藩論の変遷に応じて︑無限に進展せしめ得る︒そ′こには何等の限界もない︒しかし︑個々の解釈は︑解釈の行  

われるその時代時代の社会的規範意戚を基準として行われるから︑解釈の行われた時代の社会的規範意識と︑その  

解釈の間には︑必然の関係がある︒しかし︑これほ︑概念淡学のいうように解釈は固定して動かないという意味の  

必然でほない︒個々の解釈は必然で洩るとしても︑解釈は︑時代時代の社会的規範意識のままに変動する︒すなわ  

ち︑廟釈軋自由である?但し︑解釈は︑港規を典拠とするから︑をの尭言の性質及び文法的構成によりて︑制約を  

受けるのは勿論である︒これが︑唯一の限界である︒   

要するに︑法の解釈は︑社会的規範意識に応ずる尽くるととなき藩昧内容の創造であつて︑文言の性考究港的  

構成を外に七ほ何もの警りても拘束されない︒すなわち︑自由であり︑無限である︒蓋し︑これに限界ありと  

せほ︑それは︑文言の性質及びその文法的構成である︒淡の解釈は︑逐の限りにおいて自由であ之また必然であ  

る︒  

法の解釈における必然と自由について   

肇・軍事濫  

参照

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