本報告では、大緯帝国期(-八九七\一九一0)の慶尚南道沿海部における漁税徴収にかかわる事例から朝鮮における漁場「所有」の実態とそこから垣間見られる朝鮮社会の特徴の一端を明らかにしようとした研究である。大韓帝国期以前から漁場は売買の対象となったが、公的にその所有権を認めることはなかった。そして
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尚南道巨 大韓帝国期( メトロポリタン史学十二号
慶尚南道沿海部を中心に1 八九七ー一九一0)における海税徴収の実態と所有権の整理 ―10一六年「一月
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「若手研究者の集い」研究報告要旨(平成二八年) 以上のような過程を経て、統監府の指揮下で「民私条」は所有権として認められるようになった。このように、日本による私的所有権の法認という作業は、朝鮮における従来の曖味な所有関係を明確化するという側面はあっただろう。しかし、十九世紀末までの漁場経営方法を見ると当時において排他的な私的所有権が必要であったのか、と考えさせられる。また、所有権法認作業が日本人や朝鮮の漁民にとってどのような意義があったのかも改めて考える必要があるだろ らはむしろ歓迎すべきものとなった。
一五五 済郡では民の間でも執器(抽簸)のような方法を使って納税などを行う代表者を決め、形式的にはその人物が所有者のように記録されていたが、実質的には共同所有の形態がとられていた。ただし、注意すべきは慶尚南道沿海部における海税の実質的な管轄機関であった統営が廃止されるまで
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有権をめぐる争いはほとんど起こらなかったということである。これは、国家の主要な関心が上納額を満たすことにあり、その枠内では所有権を議論する必要がなかったからである。しかし、統営が廃止されると、皇室機関への財源集中の影響も受けて次第に変化し始める。特に、「漁民」が慣習的に漁業を行ってきた「民私条」といわれる漁場は皇室財政を掌る経理院が派遣した派員・金鳳沫によってその権利を否定された。その際、派員は己含似条」を証明する「文券」を偽造したものであると批判し、「民私条」をすべて「官有条」に組み込もうとした。当時の慶尚南道沿海部においては、いまだに排他的な所有権が成立していたとは考え難く、その点でこの経理院派員の主張は、慣習的に認められてきた漁民の使用権を批判したものではあったが、そうした慣習が国家的に明確に認められていなかったなかで全く根拠のないものではなかった。このような対立は、香椎源太郎が義親王宮から慶尚南道沿海部の漁業権を借用してから再び変化した。経理院やその派員・金鳳沫は、香椎が借用したのは「進上条」のみに限られているとした。ところが、香椎は宮内府に問い合わせ、最終的には「進上条」に加えて「官有条」を貸借することも宮内府から認められた。このことは、経理院の派員との対立こそ生むものの、「民私条」を認めたことで二目有条」と「民私条」の区分をめぐって派員金鳳沫と対立的だった「漁民」か