日本人口論小史(II) : 社会有機体説、ダーウィニ ズムの日本イデオロギー化[3]
その他のタイトル A Note on the Japanese Population Theory (II)‑(3)
著者 市原 亮平
雑誌名 關西大學經済論集
巻 5
号 5
ページ 547‑580
発行年 1955‑08‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/15748
547
日 本 人 口 論 小 史
︵ 市 原
︶
日本人口論小史
( I )
の③次第
日本社会主義の社会ダーウィニズム的屈折 一︑日本民権論と舶来俗流マルキンズムの屈折
二︑幸徳の日本人口論批判の限界とマ.ルキッズムとダー
ウィズム
三︑形成期日本社会主装←国家社会主森理論への屈折
日本社会主義の社会ダーウィニムズ的屈折
社会主義理論形成期において最高の理論水準をしめしえた幸徳は明治三一年万朝報入社を契機に︑師事した東洋
のルソー中江兆民の自由民権左派的限界をそのイデオロギー形態たる自然科学的唯物論
ア的機械的唯物論︶とともにのりこえ社会主義にたどりついたといわれるが︑ 社会有機体説︑
市
︵フランス唯物論
I l プルジョ
しかも兆民から伝承した遺物11自然科
学的唯物論←社会ダーウィーーズムをついに終生揚棄しえなかったことは︑幸徳を制約した当年の内外加重の悪条件 原
ダ ー ウ ィ 一 ー ズ ム の 日 本 イ デ オ ロ ギ
I化
[3 ]
日 本 人 口 論 小 史
( I )
一五 亮
平
!148
ことからはじめよう︒
日 本 人 口 論 小 史
︑︑̀︑︑︑︑とともに当然止目しなければならぬ︒われわれは日本社会主義のひとつの系譜的源流である︑それゆえ社会ダーウ︑︑︑︑︑︑︑︑︑ィ︱ーズムの思想的源流のひとつでもある民権イデオロギーとしての自然科学的唯物論を中江兆民について究明する
明治十年代にまづダーウィンの進化論やスペンサーの社会進化論が東京大学を中心として移入され流行思潮とな
り︑日本型啓蒙時代に受容された実証主義の時流と合して加藤の﹁人権新説﹂に代表されたごとき社会ダーウィニ
ズム︑自然科学的唯物論がうみだされ︑民権運動に拮抗する官府の御用理論と化したこと︑他方啓蒙時代から暗転
した政府は民権運動の防過策として儒教主義を再興せしめ︑ここに移植入されたプルジョア有機体説と前期的有機
体説と吻合せしめて教育勅語発布時にいたる第一期家族国家観の形成をおしすすめていったこと︑はすでに前々稿
において述べたとおりである︒ここに第一期家族国家観のイデオロギーとしてドイツ観念論や前期的有機体説を自
然科学
11
実証主義で潤色した折衷的観念論←井上哲次郎︑儒教的観念論←井上円了︑備教的倫理学←西村茂樹等が
拾頭するのであるが︑
得ず
︑
これら官府学者の観念的攻撃に刺戟されて民権運動理論自体は唯物論への傾斜を強めざるを
ここにダーウィソやスペンサーの自然科学的唯物論が民権理論として受容されていった︒中江兆民もこのよ
うな一般的事情のもとで進化論的世界観を包懐するにいたるのであり︑明治十四年の彼の著﹁理学鉤玄﹂はこれを
しめす︒中江は﹁鉤玄﹂第三巻で完全な自然科学的唯物論を展開しており︑人間もそのイデオロギーも本来の意味
における歴史ー社会的なものとして把握されるかわりに自然主義的存在として理解され︑社会意議や道徳習俗は脳
髄の純生理現象として生理学的に認識されているのである︒このかぎり兆民は十九世紀後半のドイツで盛行した俗
( 1 )
流唯物論の埒外に一歩もでておらず︑彼の社会論︑歴史観を包括的に叙述した唯一の著作ーーー﹁三酔人経綸問答﹂
︵市
原︶
一六
.549
︵市
原︶
とみられる︒
l七 ﹁政事的進化の理の第一歩﹂は強食弱肉︑万人対万人の斗争 (明治二0)~兆民の素朴な社会進化論ー│`彼は﹁政事的進化﹂というーーの形而上学性を露出している︒この著述
は﹁民主の制﹂の論者﹁紳士君﹂と帝国主義政策の唱導者﹁豪傑君﹂と﹁立憲の制﹂の信奉者﹁南海先生﹂の討論
形式をとりつ4兆民は﹁紳士君﹂に仮託して社会進化論を︑﹁南海先生﹂に藉口して漸進立憲主義を強調している
( 2 )
﹁紳士君﹂は﹁吾佛人民や︑貴族や︑皆苦千之素より組成したる同一肉塊なり﹂という自然科学的発
﹁故に足下必ず平等の義を唱導せんと欲せば︑先づ物理の学を研究せよ﹂と提言︑次
﹁且夫れ世界の大勢は︑進むこと有りて退くこと無し︒是れ事物の常理なり︒第十八批紀の時︑仏人ヂデロー︑コンドルセー
の徒は︑特に人類社会の中に於て此進歩の理の常に行はれて間断無きことを発見せしが︑仏人ラマルク出るに及び動植の学を研
究し︑始て各種の物皆世代逐ふて変化して永く一定の種族中に居るに非ざるの説を唱へ︑⁝⁝英人ダルウインに至り︑其宏博の学
と深遵の議とに資り︑加ふるに考験の法式其精緻を極め︑・生類の母子相伝へて観転化成するの理を求め︑及び特に吾人々類の始
週の出でし所を捜扶して其秘蘊を発してより︑彼ラマルク以下学士の券瀦として窺破せし所の進化の至理︑始めて大に世に表白
するに至れり︒是に於て凡そ世界万彙の蕃I庶たる日月星辰や河海山嶽や︑動植物毘虫や︑社会や︑人事や︑制度や︑文芸や︑皆
( 3 )
尽く此進化の一理に支配せられて︑漸々徐々に前進して已む時なきこと復疑を容れず﹂と︒
兆民は次に﹁夫れ所謂進化とは︑不定の形よりして完全の形に赴き︑不粋の態よりして精粋の態に移るを謂う﹂
の状態であり︑
﹁平等の大義﹂はまだ実現しない︒ むね述べ︑さらに﹁政事的進化﹂の法則に関説する︒
いわゆる﹁君相専撞の制﹂であるが︑第二歩たる﹁立憲の制﹂になると人間の自由は実現されるが
﹁平等の大義﹂は第三歩たる﹁民主の制﹂において発揮され︑これ政事的進化
の最高段階であり︑窮局目標といわねばならない︑
日 本 人 口 論 小 史
想から人間平等論を説明し︑
のごとき進化主義を陳述する︒ー│
という︒兆民の社会進化論の陥穿はさらに︑イギリス︑フラン
sso
日 本 人 口 論 小 史
︵ 市 原 ︶
.
スの国家形態の差異の根抵を両国国民性の差異ーー・イギリス人の﹁多智﹂︑フランス人の﹁多情﹂なる心理的特性
の差ーにもとめるにいたっていよいよあらわとなる︒兆民が大同団結運動のため後藤象二郎にかわって書いたい
われるスローガンーー三大事件にかんする封事を書いたーーは﹁地租軽減﹂﹁言論集会の自由﹂とならんで﹁強硬
海陸軍備を拡張するは固より已む可ら.ざる所に封事中に﹁蓋し今日宇内の大勢を察する時は︑
( 4 )
一国の資力を挙げて之に充つるも亦不可なきなり﹂と軍備拡張に満腔の支援をあたえ対外強硬論をうちだ
さらに降つて日清戦争後にこの戦いを﹁空前の業偉﹂とたゞえ帝国主義団体に身を投じたことは︑
一の﹁権略﹂であったにしろ手段を誤り転じて自已目的にしたもので社会ダーウィニズムの陥穿におちこんだとい
うのほかない︒事実われわれは︑兆民が戦争は﹁動物の至情﹂にでるもので不可避であり︑﹁戦争は人の怒也︒争
( 5 )
う事能はざるは儒夫也︒争う事能はざる者は弱国也﹂とも﹁文明国は必ず強国也﹂ともいうとき︑幸徳が愛国心は
﹁釦釈墜祖
l]
卜に出るものでこれの変遷は﹁適者生存の法則﹂に従うといったばあいの社会ダーウィニズム的傾斜
幸徳の思想的推移によって象徴された︑明治三十年初頭から本格的軌道にのりはじめた日本社会主義は︑
ば平民社の一週年記念絵葉書の︑ たとえ
マルクス︑エンゲルス︑ベーベル︑ラサール︑クロポトキン︑トルストイという六
( 6 )
人の混滑的組みあわせがよくしめすように︑その思想的内容は難多︑未分化でありとくに民権運動の徹底化のため
社会主義陣容におもむいた秋水や大井憲太郎︑小島竜太郎︑奥宮健之︑矢野文雄等は民権派のイデオロギー・自然科
( 7 )
学的唯物論を残滓としてもちこみ社会主義の社会ダーウィニズム的屈折に一端の役割をはたしたのである︒︵たとえ
ば大
井憲
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治二
四年
﹁新
条約
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新
の祖型をみいだすことができるのである︒ し ︑ し
て︑
外交﹂をか4
げ ︑
一八
いづれも
551
︵市 原︶
一九
社会﹄における早熟的な社会有機体説を媒介とする国家社会主蓑への傾斜をみよ︶︒さらに福沢が人民の愛国心を味方として
感じそれに訴えそのことが客観的に祖国の進歩に合致した︵福沢﹃文明論の概略﹄中の第十章﹃白国の独立を論ず﹄をみよ︶
愛国心と国権的ナツョナリズムとの幸福な蜜月時代から反転して︑秋水をして﹁光彩なる明治の歴史﹂からの断絶
を 嘆 か し め
︑ 非 人 間 性 に た い す る 抵 抗 と し て の 政 治 一
鑑三や秋水に反戦論の支柱として巨大な政治の非倫理性︑
( 8 )
般︑国家一般にたいする否定的立場ーー'非政治主義を置かしめた仕ど愛国心を帝国主義目的のため牧敏しつくし最
大最強の暴力的倫理的実体としてあらわれた明治国家の・観念形態としての家族国家観︑社会有機体思想の跛尾が︑
当年の形成期社会主義理論にたいし不断の風化作用を挑んだ事実を指摘しなければならない︒すなわち社会主義理
論は自由民権派の遺物としての社会進化論とあわせて強力な家族国家観の内容物としての社会有機体説の侵透作用
ー社会主義の社会進化論を媒介とする社会有機体説←国家社会主義への転化ーーかを廿受しなければならなかった
ので
ある
︒
最後に︑当時西欧における支配的思潮であった・自然科学的唯物論や進化主義的世界観が生物学的社会学やドイ
ツ歴史学派やアメリカ制度学派経済学の著述にのつて舶来し︑これら原著者自体がおこなったマルキンズム︑唯物
史観の社会ダ︶ウィニズム的進化主義的改造がそのま4移植観念されて日本社会主義に深刻な屈折作用をあたえた
ことを指摘しなければならない︒こ4ろみにかの末期資本主義のイデオローグ︑もっとも強力な歴史学派の批判者
でありながらしかも基本的には後期歴史学派の系流に座した硯学マックス・ウエーバーについてみれば︑彼は﹁進
化主義︑いいかえますなら︑社会とその経済組織は厳密に自然法則的にいわば年齢段階を経て発展し︑それゆえプ
ルジョア社会が完全に成熟する以前に社会主義社会は決して成立しないという思想﹂を﹁今日正統とされているマ
日 本 人 口 論 小 史
!5452
ルクス主義の基本的教義﹂と呼び︑﹁漸進的進化は今日まで真正マルキッズムの教説であり︑またロツアは西欧の
( 9 )
この発展をとびこすことができるのだと信じたロツア土着の宗派のみがこれを否定した﹂と︑完全に進化主義と唯
物史観とを等置しているのである︒このような歪曲は戦闘的社会有機体論者︑社会ダーウィニストのばあいとくに
いちじるしく︑しばしば自らの甲羅に似せてマルキッズムの改造をおこなっている︒たとえばその著
S o c i E v a l o l u
, tio n
1,
89 4.
の邦訳︵﹃社会之進化﹄角田柳作訳︑明治三二年︶によって日本イデオロギーに豊富に社会進化論をもちこん
だペンジャミン・キッドのマルキ.ッズム解釈をみてみよう︒彼は社会進化を集団の斗争と淘汰によって実現される
とみ
たが
︑
この道程において個人の理智が発展するにしたがつて︑それは反面社会の有機体的結束を弛緩させるか
ら︑社会進化の成果を確保するには個人を全体社会に従属せしめる必要があると力説し︑これを可能とするものは
宗教である'とみた︒したがつて彼はスペンナー︑パジョット等なお旧自然法思想の余映を残存せしめていた・イギ~ス社会学創始者の衣鉢をついだとはいえ、もはや自然法思想の一分子すら清算しているのであって、この反自由
今日に於ても無論であるが︑
( 1 0 )
戟であった生存競争と個人間の競争とを廃止せんとするにある︒﹂と社会主義を批判しつつしかも反問自答する︒
マルクスの学説が斯くまでも勢力をもつ秘密は何であるか︒`著者のみ
るところをもつてすれば︑単に︑歴史を通じてあらわれるところの人間関係の明白な︑そして大体に於て正しい説明
の上に社会学説を建てることに彼が成功したからである︒社会学史上において従来マルクスの研究は︑人類の現象
(11) を生存斗争の形式において説明せんとした最初の未熟な試みとして認められるに至るであろう︒﹂と︒かくて彼に
よれば︑唯物史観は﹁まった<均衡を矢し︑ただ一端においてのみ真理﹂であり︑その一端の真理とは実に唯物史 ー﹁然らば誤謬に充ちているにも拘らず︑ 主義者キッドは﹁社会主義の明らかな目的は︑生物発端より凡ての進化の基礎的剌
日 本 人 口 論 小 史
︵ 市 原
︶
二0
553
日 本 人 口 論 小 史
︵ 市 原
︶
一部社会学史家によってドイツ社会学の創建者の 観が幼稚にもせよ生存斗争形式を人類史のうえに適用︑解釈したという一点にのみ存したのである︒
以上にみたように意識的無意識的な社会主義に対立する理論陣営の側よりする唯物史観の進化主義的社会ダーウ
ィニズム的解釈はさりながら︑社会主義理論内部においても第ニインターの理論的指導者の一人カウッキーが終生
( 1 2 )
おこなった唯物史観の社会ダーウィニズム的改造は周知のとおりである︒
ところでこれ等社会主義の内外両面よりする唯物史観解釈の屈折作用は具体的に日本的風土上でいかなる形態に
は如何にして社会主義者となりし乎﹂ おいて受容・再現されたであろうか。当年の社会主義理論の水準を代表した幸徳についていえば、彼が自伝ー—'「余
︵明治三七年一月十七日平民新開︶において﹁⁝⁝読書にては孟子︑欧洲の革命
史︑兆民先生の﹃三酔人経綸問答﹄及び﹃進歩と貧窮﹄是れ余の熱心なる民主主義者となり且つ社会問題に対し深き
興味を有するに至れる因縁なり︑されど﹃余は社会主義者なり﹄と明白に断言し得たるは︑今より六︑七年前初め
( 1 3 )
てジャフレの﹃社会主義神髄﹄を読みたる時なり﹂といつているように︑秋水を決定的に社会主義者に転化せしめ
る機縁をなしたのは実にマルクス︑
栄をあたえられ︑その主著﹁社会体の構造と生活﹂
および副題﹁人間生活の真の解剖学︑生理学および心理学の百科全書的企図﹂からもうかがえるように︑キッドと
︵英
訳一
八八
九年
刊︶
同類の社会進化論者たりし
( 1 4 )
であったという事実は︑われわれを愴然たらしめないであろうか︒さらに秋水の社会主義理論の到達点をしめす唯
二,
エンゲルスの古典ではなく︑
Ba u u nd Le be n d es so z i al e n K ・
ミ ︑ , P e i s .
4B de , 18 75
, ‑
18 78 .
の 羊 衣
毎8︑
A汀
r t S ch a f fl e
; Q ui nt es se nz de s S oz ia li sm us , 1 87 4 .
﹁社
会主
義神
髄﹂
554
日 本 人 日 論 小 史
エンゲルスの﹃共産党宣言﹄や﹃空想より科学'へ﹄をい
ちおう消化してふくんでいるとはいえ︑もっとも重要な底礎としたものは︑自らの制度派経済学を﹁古典派的前ダー
ウィン的経済学﹂と区別して﹁進化論的科学﹂と誇称したかのヴェブ>ンと学派的にもーー'アメリカ制度学派の創始
者としてートー実践的にもー│贔一八八五年アメリカ経済学会の創設者としてーー'共調したアメリカ歴史学派の指導者
イリーの﹃社会主義と社会改良﹄
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書は秋水個人にたいする思想的示唆にとどまらず︑明治三四年五月にわが国にはじめて結党をみた社会主義政党
( 1 5 )
ー社会民主党の綱領起草にあたつても甚大の影響をあたえているのである︒またイリーやヴェブレンとともにア
メリカ経済学会を創設︑その会長ともなった歴史学派と正統学派の調和
I l 折中主義経済学者セリグマンの︑唯物史観
を•その方法的基礎たる弁証法的唯物論から切断し進化主義的経済史観に解消し去った一著The
Eco~omic
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i﹂と題されて訳刊されたが︑こ
( 1 6 )
の訳著が唯物史観の俗流化に一の先駆的役割をはたしたことをおもえば︑さきにくだした断案はますます強められ
るの
であ
る︒
まことにわが国資本主義が古典的段階を経験しなかったように︑当年の日本経済学が古典派経済学の何たるかを
( 1 7 ) e 1 8 )
知らず︑それが日本の風土に定着し得なかった薄幸を大塚金之助博士とともに嘆かなければならなかったわれわれ
は1例外として移入されたスミスも︵明治十五年からニー年にかけて自由民権運動の余波をうけつ4
石川瞑作氏がコ四富
論﹄を訳出︶日本に定着せず﹁日本のスミス﹂田口卯吉を孤立せしめたま4一極にははやくも﹁日本のルソー﹂中江兆 一の包括的著作﹃社会主義神髄﹄︵明治三六︶はマルクス︑
︵市
原︶
しかもこのイリーの
555
︵市
原︶
民 を う み だ し な が ら 学 界 の 主 流 は 根 の 浅 い ド イ ツ 舶 来 の 歴 史 学 派
"
l 社会政策学会を結成せしめていくー│'こ4にふ
たたび如上のプルジョア諸理論と対立した日本社会主義自体の理論形成においても︑社会主義理論の古典的精神が
(19)
軽視され俗流的解釈のプリズムをとおして屈折したま
4移植入観念化されることが多かったのを嘆かねばならない
かくてわれわれは当年の形成期社会主義理論をしたがつて幸徳の唯物史観解釈を屈折せしめた内外三重の阻止条 件を摘出し得たわけであるが︑
の根本的異同を﹁補説﹂しておくことは︑
マルクス︑エンゲルスはダーウィツの﹁種の起源﹂が刊行されるとすぐにこれを読んで生物学上における彼の業績の
偉大さを評価したのであり︑
さらに古典的形態におけるマルキッズムとダーウィニズム←社会ダーウィニズムと
以下の行論に便宣であろう︒
エンゲルスは﹁私のみるところでは︑この命題︵唯物史観の定式化│ー市原︶はダーウィンの理論
論﹄や﹃自然弁証法﹄でダーウィンの劃期的業績を諮えたのである︒ ︵﹃共産党宜言﹄一八八八年英語版序文︶と述べ﹃反デューリング
一八
八
1 1一
年に
マル
クス
が歿
した
とき
︑
エンゲルスは墓畔
でおこなった有名な演説中で﹁ダーウィンが生物学の発展法則を発見したように︑マルクスは人間の歴史の発展法則を発見した﹂
( 2 0 )
と述べ︑﹃フォイエルパッハ論﹄のなかではダーウィンの発見を細胞の発見およびエネルギーの相互転化の発見とならんで十九
世紀における自然科学の一1一大発見と呼んだ︒さらにマルクスは一八八0年に﹁資本論﹂のイギリス版の第十章と第十一章の校正
刷をとくにみてくれるようダーウィンに依頼したほか著作や手紙の多くをダーウィンにおくったが︑ダーウィンはマルクスや工
( 2 1 )
ンゲルスのこの巻顧にこたえずいつも婉曲に拒絶している︒このようなダーウィンの態度が彼の宗教観の不徹底さやホイツグ党
支持にしめされた市民的世界観の制約にもとづくものであったのはあきらかであるが︑さらにつきつめていうとダーウィニズム
とマルキッズムの基本的異同をも同時にしめしているともいえよう︒ー│すなわちエソゲルスは︑人間生活が動物社会と本質的
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が生物学にあたえたとおなじものを歴史のうえにあたえた﹂ ︻
補説
︼
のである︒ーーー
556
日 本 人 口 論 小 史
に異る点として指摘する︑ー﹁動物はせいぜいあっめることだけしかしないが︑人間は生産し︑人間なしにはかつて自然がけつ
して生産しなかったもっともひろい意味での生活手段を人間はつくりだす︒しかしこの主なる差異だけでも動物社会の法則をそ
( 2 2 )
のまま人間社会に移すことを不可能ならしめる﹂と︒マルクスはさらにクーゲルマンヘの書簡において︑ランゲの社会ダーウィニ
ズムを批判している︑ーー﹁ランゲは偉大な発見をした︒歴史全体を唯一の偉大な自然法則に還元することが出来るともつの
だ︒この自然法則は﹃生存闘争﹄という文句︵ダーウィンの言葉をランゲのごとく用いると空虚になる︶に存する︒この文句の
内容はマルサスの人口法則︑もっと正確にいえば過剰人口法則から成つている︒従ってこの﹃生存闘争﹄が各種の社会形態にお
いて歴史的にどう現れたかを分析する代りに︑具体的なあらゆる闘争を﹃生存闘争﹄という言葉に転化し︑またこの言葉を人口
(23) に関するマルサスの幻想に転化すれば︑それでおしまいである﹂と︒エンゲルスはこの思想を発展させ︑自然と社会とにおける一︐
生存闘争﹂︑の類堆にもとづく有機体説に言及していう︒たとえこの範疇を人間社会に適用せんとしても︑ただ生産および分配の
覇権争奪戦についてのみ語り得るにすぎない︒たえざる階級闘争としての従来の歴史を一瞥しただけでも﹁この歴史を﹃生存闘
( 2 4 )
争﹄の発現のいうに足りぬ変異とみることが浅薄きわまるものであることを知るに充分だ﹂と︒以上にみられるようにエソゲル
スはダーウィニズムにたいするイデオロギー批判をその﹃自然弁証法.一のなかでとくに尖鋭におこなっているのであって︑ダー
ウィンがまったく無縁な二つの事象︑すなわち過剌繁殖の圧迫による淘汰と︑変化した環境にたいする大きい適応力による淘汰
とを混同している点︑また歴史的な進化と葛藤との複雑な生物発展の主内容を﹁生存競争﹂というひからびた一面的範疇で一括
しようとしている点を衡いており︑とくに有機的世界に妥当する生物学的発展法則と人間社会に固有な発展法則との基本的差別
性を考誼しないで生物法則をそのまま社会法則に飛躍せしめるという﹁僣越﹂にたいしては次のごとく犀利な批判をくわえてい
る︒ーー﹁生存闘争にかんするダーウィソの全学説は︑ホップスの﹃万人の万人にたいする闘争︵宮
l l u m
o~nium
c o n t
r a o
m n e s
)
﹄の学説や競争にかんするプルジョア経済学説︑ならびにマルサス説の人口論を︑たんに社会から生物界へうつしいれたにすぎ
ない︒このような芸当︵その無条件な正当さは︑とくにマルサスの学説にかんしてはなおきわめて疑問である︶をやりとげたの
︵市
原︶
ニ四
9,≫
︐ \
557
︵市
原︶
二五
ちには︑この学説史今博物学︶から社会史へ逆にうつしいれることはきわめて容易であり︑しかもこうすることによってこれら
(25) の学説が社会の永久的自然法則であることが証明されたと主張するのは︑あまりにもひどい素朴さである﹂と︒だが︑現に師父ダ
ーウィンをはじめとして多くのダーウィニストたちはこの﹁僣越﹂をおかし自然生的に社会ダーウィニ不ドに転化したのであり︑
たとえばダーウィンは人間社会に自然淘汰の法則を無条件に妥当せしめ︑生存闘争がけつして悪でなく自然界を進化させると同
( 2 6 )
様に自然淘汰は人間社会に苦痛よりもむしろ幸福をもたらすことを強調したのである︒さらにスペンサーはダーウィンにさきだ
つてすでに進化の概念に到達していたが︑ダーウィンが生物進化の学説を発表するや︑その自然淘汰の思想を採用し︑これをラ
マルクの同質性から異質性への進化思想と結合して社会の有機体的類推を理論的に完成したのであって︑これはほがならず﹁頭
( 2 7 )
に対する手の反逆﹂を中傷したアグリッパ式詭弁論が完成されたことを意味していた︒ヘッケルは偉大なる生存競争の意義を同
( 2 8 )
一階級の労佑者の間にみいだし︑彼等の間の競争が激しければ激しいほど労佑者自身の完成が促進されると説いた︒社会的諸階
級への人間の分裂が生物学的法則にもとづくとみる二十世紀におけるアモソの見解もけつしてアグリッパに劣るものではなかつ
たが︑ここでは智的労佑や支配に適合している長頭の﹁階級﹂と肉体的に強力で天性服従的な短頭の﹁階級﹂のうち︑前者はま
すます支配に﹁適応﹂し後者はますます服従に﹁適応﹂することによる特殊化が社会進歩の要因とみなされているのである︒'これ
らダーウィニストの社会ダーウィiご^卜ヘの自然生的転化の実例は洋の東西を問わないのであって︑日本におけるダーウィニズ
ムの移植と普及とに貢献した生物学者石川千代松︑丘浅次郎︑小泉丹等はいづれもダーウィニズムの概念を社会の領域にもちこ
んで人間社会の矛盾や帝国主義戦争を自然科学の範疇でまったく独断的に解釈しさつている︒すなわち積極的なダーウィニスト
であ
った
丘は
明治
一
1一七年には﹃進化論講話﹄をあらわしいらい昭和十五年にいたる間ヽこの著は実に十四版をかさねわが国進化
論の普及化に大きな役割をはたしたが︑彼はさらに社会問題や人生問題についても発言し不知不識に社会ダーウィ︱ーズムにおち
いるという﹁僣越﹂をおかしてしまった︵﹃進化と人生﹄明治三九年︑﹃惧悶と自由﹄大正十年︶︒いま極端な一例として中央公
論大正十五年一月号所収の丘の﹃人間生活の矛盾﹄なる一文をそのまま引用しておこう︒
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﹁本能の退化ということに心附か
日 本 人 口 論 小 史
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︐
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日 本 人 口 論 小 史
ぬ人達は︑社会生活に何らかの破綻が現われる毎に︑之を制度に不条理な点があるためと解釈してその改革を図った︒素より階
級本能の盛んな頃に造られた制度はこの本能の退化につれて︑追々と時勢に適せぬものとなったから︑之を適当に改正すること
は必要であったろうが︑制度さへ改めたらそれで社会生活が完全に行はれると考へるのは大間違ひである︒幾ら制度ばかりを改
良しても︑肝心の社会本能が退化しては銘々の了見が自己本位的になるために満足な結果は得らはぬ︒⁝⁝階級型の社会を造つ
ている動物に社会本能と階級本能とが退化すればその生活に破綻の生じるのは当然のことで︑退化の度が進むに随い破綻は益々
( 2 9 )
顕著にならざるを得ない﹂と︒また大正から昭和にかけて日本の生物進化論がメンデル主義で塗りつぶされた時代にワイズマソ
主義に批判的でダーウィーーズムの発展に力をつくした小泉丹もまた丘とひとしい﹁僣越﹂をおかしたのであって︑たとえば彼
は中央公論昭和八年十二月号所収の一文﹃進化学的戦争論﹄で社会ダーウイニズムの陥穿におちこんで次のようなみじめな﹁は
しがき﹂を書いている︒ーー﹁この一篇の目的は戦争の進化をとり扱うというのではない︒戦争の本質は進化等の見地から吟味
することである︒而してその吟味の到達点は︑戦争は人類社会における生殖質に相当するものに発源し︑社会遺伝であり︑社会
惰力と称すべきものの発動である︒その社会惰力なるものは進化説におけるオルソゼッスに類比すべきものである︒而してその
惰力には人類の現状において減衰の徴侯は認めることができず︑むしろ加速的であり︑従つて人類は戦争の範を末永く負はされ
( 3 0 )
ているとぃうことである﹂と︒以上の諸例がしめすようにダーウィニズムの師父も弟子も東のダーウィニストも西のダーウィ︱︱
︑ ︑ ︑ ︑
t︿卜もダーウィニズムのたんなる信奉者にとどまるかぎり生物学においては素朴な自然生的唯物論者であっても︑ひとたび戦争
や恐慌や失業という社会領域に視野をひろげるとたちまちダーウィニズムの自然範嗜をそのまま観念的独断的に社会範疇に移入
せし
めて
社会
ダー
ウィ
・ー
ース
tとしてふるまうのである︒したがつて帝国主義者は宗教的信仰にたいする反逆としてダーウィ︱ーズ
ムに抑圧をくわえるよりは︑彼らの社会諸法則にたいする無智を意識的に利用し彼らの自然生的な社会ダーウィニズムヘの飛躍
形態を最大限活用することに利益をみいだしているのであり︑したがつてエンゲルスの没方法意識的なダーウィニズムにたいす
︑ ︑ ︑ ︑
︑ ︑
る古典的な党派的批判はマルキシズムとダーウィニズムとのイデオロギー的差別性をなによりも明瞭にしめしているのである︒
︵市
原︶
二六
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日 本 人 口 論 小 史
︵ 市 原
︶
二七
すでにわれわれはマルサッズムとダーウィニズムとの︑さらにダーウィニズムとマルキッズムとの相互関係をそれぞれ究明し
てきたのであって︑もはやマルサッズムとマルキッズムとの立場いかんについて論及を要するとは思われない︒しかし事実にお
いてドイツで︑しかもS.p.Dの内部において社会主義者がマルサス主義者たりうるか否かについて真面目に盛大に論争がか
G31) わされているからには︑以下に若千の附論をくわえてこの問題に論及しておくことは無駄ではないであろう︒エッゲルスがダー
ウィニズムにあたえた唯物史観とダーウィーーズムとの歴史科学と生物科学の分野における論理的﹁共範関係﹂の指示︑他方ダー
ウィン自身が自著のなかで屡々おこなっている自説とマルサス説との等置とマルサッズムの賞揚︑つまりマルサッズムとダーウ
ィ︱ーズムとの歴史的交渉関係の指示ーーーマルサッズムが絶対的条件I底礎となってダーウィンの発見がなされたのではなく︑
たんに移入観念的な触媒作用にすぎなかったことは既述のとおり│ーこれらの交渉と相互関係を社会ダーウィーーズムの泥沼
︑︑︑︑︑︑
に首までつかつていたカウッキー主義者は自らの甲羅に似せ独断解釈してマルキシズムとダーウィニズムとの条件付の論理的︑︑︑︑︑︑︑共範性をイデオロギ1的共範性にまで昇華せしめ︑マルサッズム←ダーウィiーズム←マルキッズムなるイデオロギー発展の
1 1一 段
階的図式を虚構したわけで︑この図式とマルクスが資本論や剰余価値学説史の随所でおこなっている深辣をきわめたマルサッズ
ム批判との間の自己矛盾に苦吟することとなった︒かくて師父なるマルクスと敵手マルサスとの間に介在し二つの魂の分裂に苦
悩するカウッキー主義者がこのファウスト的葛藤をs.p.D内部の論争としてもちこむにいたったわけである︒ーーすでにあ
きらかなように︑マルサッズム←ダーウィニズム←社会有機体説︑社会ダーウィーーズムは社会領域と自然領域にまたがる移植入
観念をもととするイデオロギー的前後関係︵﹁第一次的世界観﹂︑﹁唯怖史観的規定性﹂をつうじての︶に立つのであるが︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
これらの共輛系列と条件付の唯物史観とダーウィーーズムとの論理的共輛関係とはまったく異別のものであって︑これらを等置し
得ないことはいうまでもなかったのである︒
右に述べたようなカウッキー主義者の社会ダーウィ︱ーズム的屈折にもとづく社会有機体説の密輸入やマルサッズムにたいする
宥和的傾向は︑しかし︑次に述べるように秋水をはじめとする日本の形成期社会主義理論にもつよく附着していったのである︒
560
る︒
ーー
'・ 日
本 人 口 論 小 史 ついに終生ダーウィニズムと社会主義とを等置し終へ︑両者の基本的異同にかんする適 確な把握はなされなかったといわねばならないのである︒たとえば彼は﹁社会主義に対する誤解﹂
月五日﹃万朝報﹄︶でいう︒ーーー
︵明
治一
︳一
五年
十一
﹁近世社会主義者は︑生物に於けるダーヰニズムを信奉すると同じく︑社会に於ける進化の理法を信奉す︑⁝⁝彼等は進化の
理法を円融に流行せしめんとする者也︑マルクス及エンゲルスの所見を読める人は︑如何に社会の歴史が︑万古一貫の進化の理
法に支配せられ︑発達し来り発達し行くの外なきを知らん﹂
また﹃社会主義神髄﹄の第五章﹁社会主義の功果﹂ではペンジャミン・キッドの社会ダーウィニズムの見地から
ザ ン プ
(32)
す る マ ル キ ッ ズ ム ヘ の
﹁ 識 臨
﹂ を 秋 水 は ダ ー ウ ィ ニ ズ ム と マ ル キ ッ ズ ム と の 完 全 な 等 置 に よ っ て 反 批 判 せ ん と す
﹁ベンジャ︑ン・キッドも亦大著﹃ソツアル・エヴォルーション﹄中に論じて謂らく﹃個人の生存競争は営に社会あって以来
のみならず︑実に生物あって以来︑常に進歩の源たる者也︑而も社会主義の目的は全く之を禁絶するに在り﹄と︒
﹁思へ所謂生存競争が社会進化の大動機たるほ︑登に彼等の言を待て後知らんや︒而も古来社会の組織が漸次其状態を異にす
るに至るや︑之を剌撃し活動せしむる所以の競争其物も亦従つて其性質方法を異にせざることを得ず︒腕力の競争が智術の競争
となれるをみよ︑個人の競争が団体の競争となれるを見よ︑武器の競争が弁説の競争となれるを見よ︑掠奪の競争が貿易の競争
となれるを見よ︑侵略の競争が外交の競争となれるを見よ︑生存競争の性質方法が︑営に社会の進化に伴うて進化せるの迩を見
(33)
る可
らず
や︒
﹁社会主義は実に這個進化の理法を信じて︑社会全体をして此理法に従はしめんと欲す︒然り現時卑語の競争を変じて高尚の
競争たらしめんと欲す︑不公平の競争を変じて正義の競争たらしめんと欲す︒換言すれば即ち衣食の競争を去て︑智徳の競争を ところで秋水のばあい︑
︵市
原︶
ニ八
~61
︵市
原︶
判をおこなっているのと対比し得るであろう
二九
︵日
本社
会主
義理
論の
形成
にた
いす
る風
霜の
きび
しさ
をお
もえ
︶︒
•この秋水の見解が終生かわらず社会ダーウィ―ーズムや社会進化論の影響下にとどまったことは、のちの『平民新
聞』における次のような「生存競争と社会主義」および「ダーヰンとマルクス」論をみればわかる。'~
﹁今や生物進化の理法は︑人間智能の及ぶ限りに於て︑疑ふ可らざるの一大真理として︑凡そ何の学︑何の説︑何の研究︑何
の弁
証た
ると
を問
はず
︑
1に之を以て基礎根底となさざる可らざるに至れり︑而して吾人社会主義者も亦実に喜んでダーウィニ
( 3 5 )
ズム
の一
信徒
たる
を明
言せ
ずん
ばな
らず
﹂
( 3 6 )
﹁若夫れ社会主義を以て進化説と矛盾すと為すが如きは︑まだ社会主義を知らざるのみならず︑亦進化説を知らざる者也﹂
﹁マルクスは即ちダーヰツが自然界に向つて為したる発見を︑人類社会に向つて為せり︑生物界に於ける進化の理法を社会組
( 3 7 )
織に応用せり︑彼︑歴史の物質的概念︵マテリアリスチック︑コンセプ>ョン︑オプ︑ヒストリー︶は是れ也﹂
要するに秋水は当時の他のすべての社会主義者とひとしく︑
歴史観はむしろ経済史観にちかいものであり︑軍・封・帝国主義批判の要石としての日本人口論ーー'社会有機体説
(38) 批判を成功裡に行い得なかったも︑彼自身がその影響下にあった以上︑是非もなかったといわなければならない︒
この点かの﹁社会
11
自由主義者﹂ホプソンが︑その﹃帝国主義論﹄において︑第二編﹁帝国主義の科学的擁護﹂なる
一章を設け︑諸種の帝国主義弁護論のうちとくに生物学的社会学ーー社会進化論︑社会ダーウィ︱ーズムに効果的批
すなわち
ホプソンは︑人類の進歩は諸種の生物的能力を異にし文明を異にする適者生存の破懐的斗争の存続を必要とするむ ね主張する生物学的社会学説をはじめ︑土地における牧穫逓減法則の支配と人口増殖テンポの過大との矛盾から他
日 本 人 口 論 小 史
G5
)
現せ
んと
欲す
る也
﹂
唯物史観の弁証法的認識に到達し得ていず︑彼の
562
日 本 人 口 論 小 史 領土への移植民や侵略を是認する経済学説︑真の社会的結合の根拠を﹁同類感﹂
や領土拡張を同類本能や性心理によって説明する心理学的社会学説︑国家間には真の弾制権が存在しないから︑国
とくに生
﹁アメリカおよびイギリスの二
1
一 1
の著
者︑
﹁倫理的同感性﹂にもとめ︑戦争 際社会の成立は現在も将来も不可能であるとする権力主義的法律学説等を逐次批判していくのであるが︑
物学的社会学説批判には力点を置いているのであってこ
4
ろみにその一班を引いてみる︒ー│'
﹁社会学者はある場合︑熱心にこの見解︵﹁下等動物の進歩を以て社会学の一切の目的にとつて充分であると説明または記述
しているところの⁝⁝支離滅裂かつ独断的な断定﹂lー︑市原註︶を承認しそしてこの見解を利用して︑人類および文明の種族間
の肉体的競争を︑徹底的な征服および絶滅の限界点まで主張することの必要と効用と正当さをすら擁護するの態度に出たのであ
( 3 9 )
る ︒
たとえばギツデングス教授およびキッド氏︵こ4でもまたキッドが姐上にのる/
ー市原︶は植民地を有する西欧諸国民は種々様々の程度において社会的に有効な国民を代表しており︑とくにアングロ・サクーソソ人種は、最高の有効性を代表していると信じている。…•••この『社会的有効性』にたいする純粋から確固たる信念は、帝国
主義の主要な道徳的支柱とみなされねばならない︒人類の進歩は人種闘争ーー'それによって最劣等人種は滅亡し﹃社会的な有効
な﹄人種は残存しかつ繁栄するー│の継続を必要としている︑われわれは﹃社会的に有効な﹄人種なのである︑かく帝国主義者
( 4 0 )
は論じるのである︒
︑ ︑ ︑
︑
﹁各国民自身の見地からすれば︑帝国主義なるものは︑ひつきよう︑博物学説に低かならない︒われわれは﹃社会的に有効な﹄
国民を代表している︑われわれは過去において版図および領土を征服し獲得した︒よってわれわれは征服を継続しなければなら
ぬ︑それはわれわれの運命ーー自身にとつても世界にとつても有用なーーであり義務である︒かくして博物学から出発してこの
説はたちまち倫理的および宗教的扮飾の大なる合成物となり︑﹃帝国的キリスト教﹄や﹃文明の使命﹄などの昇華された雰囲気
( 4 1 )
1そこで﹃善き統治術﹄や﹃労佑の尊厳﹄が説かれる筈のーーのうちに不知不識に運ばれていくのである﹂︒
︵市
原︶
゜