音楽からのメッセージ
Message from the Music
浅固まり子 (Mariko ASADA)
はじめに
不安定な時代が続く現在、育児放棄、親の愛の欠知と虐待、教員の不祥事など、数限りない 暗い事件が、毎日のように世間を騒がせている。また、人と人の関係が希薄になり、殺伐な心 となって起こる数々の難問や、年々、介護疲れなどで自殺者が増えている暗いこのような世の 中を、少しでもその心身をほぐす環境を作り、あたりまえな願いだが、明るく平和な世界を作 る方法のーっとして、音楽が重要な役割を果たせることは間違いないと確信している。なぜな ら、音楽は常に、人間の生活に溶け込んでおり、様々な形で人聞は音楽の影響を知らず知らず に受けているからだ。音楽によっていろいろな心の動きを感じ、生きる力を与えられたり、喜 怒哀楽の共有ができたり、また、生涯を通じての音楽の学びはその人自身を成長させる力を持 っていると信じている。そのような音楽を学校教育では副教科ではあるが、副教科だからこそ、
何かを児童に教え込むのではなく、心の解放の時間としてのびのびと音楽させたい。本来、音 楽は強いられて行うものではなく、自由に自分から進んで行うものと考える。出来る限り、児 童一人一人の特徴を音楽の時間に理解していき、良いところを発見し伸ばすことができれば、
他の教科にも関係してくるのではなし、かと考える。何かに興味を感じた児童は学校に来ること が楽しくなるし、友達との調和も自然に学んでいくと思う。また、教科としての音楽だけでは なく、登下校、昼食時など知らせたい時の音楽を決めその時々に曲を流したりしていくと、音 楽への愛着が深まっていく。実際にそうしている学校もすでにあったが、チャイムやタイマー などを使うより効果的であると考える。このようにすべての学校生活環境に音楽を取り入れな がら、毎日を過ごしていくと、児童に明るさや元気が増し、いじめなどを防ぐ手助けになる方 法のーっと考えている。
歌うこと、奏すること、聴、くこと、音を創ることなどはもっと年齢に関係なく力を抜いて音 楽を楽しめばよいと思う。しかし、音楽教育となると、教材をどのように使うか、指導案をど のように描くか、計画通りに行っているか、評価ができるように習得させたか等々、教師とし て考えなくてはならない課題が多く、教師自身が追われてしまう学習体制になる可能性がある し、小学校は全教科の指導だけあって、音楽科指導が得意と云える教師は多いとはいえない。
それ故、型どおりの指導が多くなってしまう傾向がある。
このような環境から考えると、音楽は専科の教師に任せればよいという傾向がみられるが、
学校全体で音楽専科の教師に協力し取り組むことが重要なポイントである。小学校にはいろい ろな事情の児童もいると思うので、教師は振り回されることが多い。歌ったり、弾いたり、聴 いたりすることで教師自身も児童と一緒に楽しめるのではないだろうか。時には教師自身も救
われるかもしれない音楽を、教師希望の学生時代には音楽を学ぶラストチャンスと考え、しっ かり学んでほしいと願っている。
学生から「音楽は楽しければそれだけで良い!Jという言葉を聞くたびに、「その楽しさJ に少し、不安を感じながらも、そこが出発点であり、また到達点でもあると思い、その中身 を考え、方向性をじっくりと観察しながら、様々な環境から芽生えた「思いこみJをほぐし、
変な伝承は避け、自然体である音楽の原点に戻り、音楽の作用や機能も実感させることを目 標にしてきた。今までの筆者の大学における教養の音楽、クラブ、指導や小学校教師希望とし ての音楽科の授業など、それぞれの指導内容や対象は異なるが、今年度までに出会った音楽 指導の実践報告とその課題や、考察をしながら《音楽からのメッセージ》を述べていく。
1 .音楽教育の方向性
音楽教育というのは人間形成としての一手段であり、人間的な音楽がなされるべきであると 思うが、大学における学生の以前の音楽経験は、中学校までの音楽の授業経験までた、ったり、
大学受験などの理由で、それ以前までの楽器のレッスンなどを中断していたりしていた。逆に プラスや、合唱コンクールなどの出場による技術的に高度なものを強いられた闘争的な音楽を 経験している学生もかなりいた。ちょうど受験期なので、思春期の難しい時期に、集中して練 習し、勝利に導くことは決して悪いことではないが、うまくいった場合には自己満足的な音楽 の思いこみが残り、それが強かったり、または失敗に終わっているとトラウマや、人間関係に 悩み、過呼吸などが起こり、心身がアンバランスになっていたり、無理な練習方法による腿鞘 炎・音声障害などの相談に来る学生が毎年必ずあった。大学ではその闘争的な音楽から、健康 的で生涯学習となり得るような音楽や、誰もが楽しめて人間形成の一部となるような音楽、要 するに人間的な音楽へ移行することができるような授業内容の必要性を感じて、それを考慮し ながら音楽指導を実践してきた。音楽でもスポーツでも共通していえることだと思うが、自分 の目標または頂点に目指す人間にとって、常に自分を見つめ、自分を磨くことを大切にしてい るo そして人に勝つことばかりが目的となるのではなく、「自分に勝つ」という方が本道であ ることがわかる。その道の達人ほど無理なく力が抜けて自然体であるのに気がつく。決して威 張ったり、力みすぎたりしない自然体の人間の方に力があることが多い。従って、いろいろな 角度をから見る考え方、すなわち、人間的な音楽を考えていけば、お互いの和をみつけ音楽を 通じて、人生の喜びも共有することが可能となり、些細な事からの争い事が軽減し、人とのコ ミュニケーションのとれる音楽教育が期待できると考えている。まず、音楽教育の方向として は精神の解放と、人との調和を考え進めてほしい。
2. よく聴くこと ( 1 )心の絵
「音楽は魔法と密接に結びついているJという言葉から、筆者の大学時代の西洋音楽史概論は 始まった。音楽による人の心の動きは科学的に捉えて説明することは非常に難しい。しかし音 楽を聴くこと、奏することによって、いろいろな心の動きを多々経験することが可能である。
その音楽の捉えどころなく、目に見えない心の動きが、魔法のように感じられることはないだ ろうか。多くの音楽経験をすることで、その曲の心情を経験することができる。音楽を聴いて
自分の心の動きも感じてみて人と話し合うことも必要であるo そこで、音楽を聴、いて絵を描い てみることを提案したい。ただ音楽を聴いて作為で描くのではなく、無作為で曲の流れに沿っ て、感じるまま頭に浮かぶまま描いていくとよい。そこには自分の心の世界を説明できるよう なことがかけるはずである。実際、授業で描いてもらったことがあるが、何回か描いているう ちに、自分の心が説明できるようになってきた。筆者自身も中学の担任の教師(数学担当)が、
音楽を聴かせ好きな絵を描かせてくれたのを覚えている。何気なく、その時期は描いていたが、
聴きながら自分の頭に浮かぶ絵を描くという行為は自分の心の表現に繋がることが分かった。
( 2 )音の聴き分け
また、現実の課題としては、音の高低が分からなく、音程が正しく取れない人(または児童) は、いろいろな音を聴くことから始めると良い。様々な種類の鳥の鳴き声や動物の声、川や、
海、雨など水の音、車のエンジンの音など、すべて耳に入ってくる音を、集中し注意深く音の 聴き分けを心がけていくと、音の聴き分けが徐々にできるようになる。それと同時に調律され たピアノの音で、毎日、 A(ラまたは一点イの音)の音を聴き、この音 Aの音を覚えて声に出 してみるとよい。この Aの音は赤ちゃんが生まれた時に泣く音と言われている。それが覚えら れたら、そこから、上の音、下の音というように、徐々に音の高低を聴き分け音を実際に声で だして覚えていくとよい。その音が実際に合っているかどうかを人に聴、いてもらって確かめて いくことも必要である。自分だけで音を覚えたつもりでも、出している音が外れている場合も あるので、必ず音感の良い人に聴いてもらう必要がある。音の認識訓練は歌うことにまず必要 なことであるし、音にある程度敏感になれば、いろいろなことを感知することにも役に立つ。
所謂、「音痴J ということは、音に認識訓練が今まで残念にもそういう環境ではなかったこと が原因で、訓練次第では可能となってくるので努力してほしい。「代々、音痴の家系だからし かたがない・・ j と音を覚えることを諦めないでほしい。
それに幼い時から、ピアノを習っていても、音が分からない人もいるので、必ずしも幼い時 から習っていたから絶対音感が身につくということではない。幼い時からの音の聴き方も重要 な鍵となっている。絶対音感のない人は相対音感といってあとから音の高低を自分で覚えてい く方法をとるように指導してきた。特に音大受験者の指導にはそのような方法をとって毎回音 を覚えていく訓練をした。絶対音感を持っているとそのような訓練の必要はなく音の聴きとり に関して苦労はしない。児童の中には絶対音感を持っている児童も少なからずいるので少しは 教師となる人も訓練しておきたいものだ。最近はメディアの関係で音を聴く機会が増えたので、
昔のような音に苦労をする「音痴jは少なくなった傾向にあると感じられる。
( 3 )自己表現
つぎにその音楽が作曲家のどのような心情で作曲をしたか、その作曲された時代背景など、
制作過程を知り、それを聴くことによって心の動きを感じ取ることができる。そしてこのメロ ディーの時はどのような感情や情景を表現しているかを感じながら聴くことにより、心の動き を読み取るトレーニングをすることもできる。そのトレーニングによって自己表現することが 可能になり、演奏することや創作の糸口になり得る。すなわち、よく音楽を聴くことは自己表 現をよく理解し、感を鋭くさせ、児童の心を読み取る能力を育てるのに役にたっ。
3.児童と音楽的発達について ( 1 )成長と音楽
小 学 校 の 音 楽 教 育 は 著 し い 成 長 の 時 期 に 欠 か せ な い も の で あ るo r子 供 の た め の モ ー ツ ア ル ト効果Jという本によると、次のようなことが書かれている。
6歳.......8歳の聞に(男児は普通、女児より少し遅れる)子供の脳に劇的な成長期がやってく る。より精巧な脊髄経路が発達して脳の視覚、言語、運動野に新たな連結ができあがる。この 成長は大変大きいため、 7歳ころの中間時点で頭蓋骨も大きくなる。この新しい連結によって 情報を視覚的刺激、聴覚刺激につなげるようになる。それによって抽象的に考える能力と、論 理 的 に 考 え る 能 力 が 大 き く 進 歩 し て 、 自 分 の 内 な る 声 と 思 考 が 発 達 す るo また算数、音声学、
音符などで使われるような符号や記号も理解できるようになる。今までに音楽にたくさん触れ てきた子供ほど、こうした神経の統合が深く、うまくいく。リズムによって思考がすでに組み 立てられていれば、理論的に考えることは自然にできている。メロディーによって耳がニュア ンスや情緒に同調していれば、知的認識力が向上する。小学校低学年でも引き続き成長を助け るには各発達段階で、子供が必要としている音楽が大事であるo
この本はドン・キャンベルが胎児から 10歳 ま で の 子 供 の 各 成 長 段 階 に 深 く か か わ っ た 経 験 からの知性発達の一面を研究された本で、音楽の作用、機能などを納得できる本であるo
( 2 )テキストの解説
A. )初等科音楽教育法によると、小学校低学年で課題となるのは次のようなことである。
「身体や言葉を使ってわらべうたで遊ぶ環境は失われ、生活の中にある言葉の抑揚やリズム、
動作のリズムといった音楽的な萌芽を育てる機会は貧しくなっている。 J2
現在ではテレビの影響もあり、そのままをまねることができるというということから、創造 性を養う点では欠けることが多い。言葉や遊びから創造し、自分で考える力、創造力を養うこ とが必要であるo言 葉 の 中 か ら 自 然 に 出 る リ ズ ム に よ っ て 生 ま れ る こ の 時 期 の 自 然 な 動 き は 音 楽的発達にはとても重要なことと云える。この低学年ではリズムが主体となるので、できるだ けこのリズムを身体で感じる教材を取り入れ、そのリズムの動きを身体にしみこませていきた いと考える。
一 つ の 例 を と る と 、 授 業 や 大 学 祭 や オ ー プ ン キ ャ ン パ ス の 模 擬 授 業 で 小 学 校2年 音 楽 教 材
r"、るかはざんぶらこJ(教育芸術社)を歌いながら、リズムに合わせて体を動かすことを実
践してみたところ、学生もとても楽しめたが、大学祭では子供も親も一緒に年齢に関係なく楽 しくリズムを植能してもらうことができた。この曲のリズムダンスはフィリピンのバンプーダ ンスと同じで、実践するのに竹が見つからず、ホームセンターで適当な長さの樋2本を購入し て行った。また、この曲は 3拍子であるが、いつも普通に合唱や、合奏を練習している時の3 拍子は、なかなかうまくリズムをとれないことが多かったが、体感することで自然に楽しめた。
このようなリズムの教材を多く使うことでリズム感が身につき、楽しさを共有することで、ク ラ ス 全 体 の 雰 囲 気 も よ く な る こ と が 予 想 さ れ る の で 体 感 で き る リ ズ ム 活 動 を ぜ ひ 多 く 取 り 入 れてほしい。
B. )中学年では「音の高低を認識できるようになり、音楽の線的な動き、すなわち旋律に関
心をもっo (中略)強弱や速度を変えて表現効果を試すなど表現を工夫することに関心が出て くる。J3
したがって、この学年ではメロディー(旋律)が主体となってくる。ここでは、しっかりと、
音の高低を身につけてほしいと思う。それからやはり、メディアの関係で、それぞれの環境で、
様々な音楽の好みがあり、様々な音楽が給食などで流れていることがあると思うのだが、筆者 の中学校ではいつも給食の時はビパルデ、イの「四季jが流れていたし、下校の時はドボ ルザー クの新世界が流れていたのを覚えている。今でもその曲を聴くと条件反射のようにお昼のお弁 当を思い出し、豊かな気分になり、下校時の夕暮れを思い出し、一日の終りを感じるという現 象があるが、学生らにもそのような経験があり、話し合うといろいろな曲名が出てきたが、そ の多くはほとんどがクラッシックであった。小学校の鑑賞教材から選曲をして登校時、昼食時、
下校時、さらに始業時などにも使うことを提案したい。この機会にかけるクラッシックは一生 心に残るクラッシックかもしれないし、何度も聴くことによってクラッシックへの興味も湧い てくる。このようななにげなく小・中・高等学校で聴いた曲が大学になり、初めて曲の題名を 知り、懐かしく感じることもある。
C. )高学年になると「楽曲の全体的な構造が把握できるようになり、曲全体の構造が醗し出 す雰囲気や、形式に関心がいくようになるJ4と書かれている。
要するにこの学年ではハーモニーが主体となり、学校教育ではクラス全体の調和が課題とな るのではないかと考えられる。ハーモニーを作りだすには、中学年時の音の高低の認識が出来 ていないと難しいが、それぞれの音をしっかりと覚え、ハーモニーの響きをよく聴きあうこと を中心にしていくとょいと思う。よく聴きあうことは友達の話に耳を傾けられることに通じて いき、お互いに優劣をカバーしていく協調性を育める機会といえる。また、以上のような、リ ズム=律動(低学年)、メロディー=旋律(中学年)、ハーモニー=和声(高学年)は音楽の三 要素と呼ばれるものであり、音楽を構成している重要な要素を学ぶことになる。
また、高学年では自分の好みの曲が出てくることによって、なかなか自然の音、日本の伝統 音楽にも目を向けることが難しいということであるが、その課題もできる限り、子供に関心を 向けさせたい。筆者も中学から高校時代に住んでいた町にはお祭りがあった。 10月の名古屋祭 りとほぼ同じ時期だったが、山車が東と西にあり、それぞれ小さなお社があった。山車はそれ ぞれの町内の人が引き回し、各町内を限なく回り、家の門前を通り間近で見ることができた。
その当時のお祭りは何となくうきうきとした気分になり楽しかった。その縁日で買ったヒヨコ が大きくなって卵を産んでくれたことも感動だった。地域社会の縁が薄れていく時代にはせめ て身近なそのような伝統文化を守っていくべきであるし、これからの人たちにもぜひ触れさせ 伝統を身近な所から受け継いでいってもらいたい。
4. ピアノ習得について
弾き歌いは学生にとって一番大変な課題といえる。特にピアノの初心者にとっては十分に弾 けないのに加えて、歌いながら弾くというのは頭痛の種となっているだろう。しかし、教師と なるには習得しなければならないことである。採用試験にピアノ弾き歌いがないところばかり
狙っていても選択肢が徐々に少なくなってしまう。必要な時にあわてても弾き歌いの技術だけ はなかなかすぐには解決されないことが多い。初心者に多くみられることは急に一生懸命練習 を始めることで、指が撃ってしまい、それに加えて、力を入れすぎ、長時間練習していること で腿鞘炎に近い状態になっている学生も見られた。音楽の一夜漬けは通用しない。それに、何 よりも力を入れすぎて指を動かし弾いていることを続けると、指や手、腕は痛くなり、いくら 練習しでも動かなくなり、すらすらと弾けることが困難となってきていることが多い。何より も脱力してゆったりとした指、手、腕のフォームをきちんと整え、守って、落ち着いて指を軽 やかに動かす訓練をした方が有効的であるし、近道である。まず左右 10本の指を良く動かす ことから始めるとよい。実際にそれをうまく習得していくと、驚くほど弾けるようになった学 生が毎年何名かいて、決して短期間習得が不可能ではないことが証明されている。要するに一 度に弾こうと思うのではなく、毎日少しの時間でも指を動かすことを心がけていれば、必ず、
指が動いてくれることが期待できる。最初は 10分くらい弾いて指が痛くなったら、弾くのを 20‑‑30分くらい休ませてから思い出した時に徐々に練習時間を長くしていくことがコツと云 えるo これは音大生にも多いことだが、ミュージシャンズハンドとか、 musician' S crampと も云われ、簡単に説明すると、ピアノを弾く時に思うように指が動かなくなってしまうことで、
楽器を弾くことをあきらめざるを得ない場合がある。心因性の場合もあるというか今まで出会 ったそういった学生は技術をやり直す指導をすることでほぼ解決している。このことは参考ま でに書くが、むやみに練習を重ねると、そのような結果になる可能性もあると考えられるので、
注意して練習してほしい。
またピアノを多少弾けると自信がある学生も、いざ、弾き歌いのテストになると、精神的に 動揺することが多く、本人は十分練習して来た筈なのに、指が思うように動かず、声も出ない という現象は毎回見られる。そして、思うようにならないことに対しての悔しさで涙さえ流す ことも少なくない。心の動きはたまたま無意識の所で作動してしまうようだ。以前、すごくピ アノに自信を持った学生と、やっと「春が来たj だけを弾けた学生が認定試験を受験した折、
後者の方が受かつてしまったことがあった。その違いは他の理由もあるにしても、度胸がある かないかがポイントになっていることに気がついた。そこで、現在は度胸をつけるためにも、
人前で演奏することをなるべく多くし、緊張を感じられる環境を自分でも作るように指導し、
その経験になれるよう多くしてみた。実際、人前で、指揮や合唱、リコーダー演奏、弾き歌い を繰り返し行うことによって、徐々に演奏意識が高まり、雰囲気にも慣れてきたように思う。
教育実習に行くことも人前に立つわけで、度胸が必要となることから、学内の授業で頭が真っ 白になることを経験してみると、そこでその防御する方法を自ら習得することができる場合も ある。また、地道に練習を重ね、十分な練習ができていることも必要で、その場合は多少緊張 していても指が自然に動いてくれる場合があるので、その場合はそれほど難なく通過すること ができることもある。
5.音楽理論の学び方
音楽理論と云うと避けて通りたい学習の分野に匹敵するようだ。教員採用試験の過去問題を 見てみると、やはり、弾き歌いの共通教材からの課題曲に関連した問題が出ていることが多い。
やはり、弾き歌いの練習をしているのとしていないので、ここでも差がつくo
また、学生からの質問は音程に関しての問題が非常に多い。まず、音程を速く理解しようと 思うなら、ピアノの鍵盤を頭の中にしっかりと記憶することが肝心であるo 授業でピアノ鍵盤
を書かせてみると、各クラス 1害IJ弱その構造が、正確に描けていなかった。
ピアノの鍵盤を覚えておくと音程や音階を理解するのには一番役に立つ。音程とは音と音と の幅と考えていき、ドからミまではドレミと数えて r3度Jとなる。その音程を f長3度j と
「短3度Jの違いは?というと、ピアノの鍵盤は平均律でいうと r12の半音Jで(または 12 種類の音がある)できているので、「長3度jは音5つ、「短3度Jは4つの音があるという考 え方をすると、音の多い方が「長jで、少ない方が「短jであると説明すると理解度が高かっ た。教員採用試験の音程の問題は音楽大学受験ほど複雑ではないが、音程は基本的に r1・4・
5・8度jが「完全Jという名称がつき、 r2・3・6・7度Jは 「 長 ・ 短j という名称がつ く。 r2・3・6・7度Jの「長・短Jの見分け方は r2・3度jは 音 の 多 い 方 、 ま た は 半 音 が一つも入っていない方が「長Jで、音が少ない方または半音が一つ入っている方が「短Jに なる。 r6・7度Jでは、音の幅からいって音の多い方または半音が一つ入っている方が「長j、 音の少ない方または半音が二つ入っている方が「短jである。全音と半音とは?というと、全 音は音が 3つ(長 2度ともいえる)半音は音が2つ(短2度 ) そ れ か ら 「 糟4度J(ファ シ の音程)、「減5度J(シ ファの音程)は r4・5度Jの音程の中で特別な音程と考え、この 音程をまず覚えておくとよい。基本音程からこの音程に#やbをつけ音の幅を調節していろい ろな音程を作ることができる。とりあえず音程についてはこのようなことを覚えておけば、あ とは応用できるようになる。
この音程は長音階、短音階、平行調(関係調)、移調問題にも関係してくるので、音楽理論 の一番重要な柱ともなり、これが音楽理論の基本となる。また音程の課題は移調とも大きく繋 がってくるo なぜ移調が必要かと云うと、小学校3........6年の聞に起こる児童の様々な声種と音 域、変声期などに対応するための移調なのである。児童の声に合わせて音のキイを上げたり、
下げたりして、違う調にすることを移調という。勿論、小学生だけではなく大人の声種に合わ せ て の カ ラ オ ケ の 機 能 や デ ジ タ ル ピ ア ノ や キ ー ボ ー ド に も キ イ を 上 げ た り 下 げ た り す る 機 能 (transposition)があることを思い出すとよい。それが移調して自分の歌いやすい音域で歌 っているのを経験したことはないだろうか。このように音楽理論は実際に演奏することに繋が っていることが多くその活用法を知ることで、さらに演奏の理解が深まる。共通教材を簡易伴 奏でも良いので、できるだけたくさんの教材を弾いてみるとよい。曲のー小節ごとに和音のコ ードにも注意して弾いていくと (C、F、Gなど)自然に伴奏パターンが身についてくる。ギ ターでもほとんどこのコードで伴奏しながら弾き歌いをしている。
6. 学校現場における課題
現場についての音楽科の課題は多い。欧米のように、教会で賛美歌を毎週歌うなどの習慣が なく、日本では音楽が常に身近にはない環境である学生も多い。そして大学生のそれぞれの音 楽経験はさまざまなであり、音楽全般が好きというのではなく、日本人の性格から自己主張を 抑える傾向があり、シャイで歌が嫌いな学生、楽器が嫌いな学生、楽譜が読めない、鑑賞すれ
ば眠るものと思っている学生などが毎年見られた。言い換えれば、大学までの学校教育の副教 科としての音楽観念もあるし、恥ずかしし、から歌おうとしない、経験がなし、から楽器を弾こう
としない、楽譜を読まなくても音楽ができると思い込み、読もうとしない、好きな音楽でなけ れば聴こうとせず眠ってしまうことで、それぞれ安易にできて、興味のあるものの場合は積極 的に参加するが、興味のないもの、少し手のかかるものに関しては非協力的であることがある。
興味のあることをたくさん用意することは必要であるが、このような現象の原因は何だろうと 考えたことがあった。ゆとり教育が原因か、または現在の世情というか、確かに今では何もか もコンビニへ行けば、深夜でも足りないものが満たせる時代になり、安易さに慣れ、じっくり と手をかけることが面倒になってしまったことかもしれない。また、知らない人とグ、ループを 組んだりして即席に音楽することの、コミュニケーションを取り方が、苦手なこともあった。
それまでに、さまざまなコンクールに出たり、個人的に幼いときから習っていたりした学生は、
むしろ音楽授業そのものを軽く見ていることがあり、今までの個人的な思い込みが強く、新し いものを受容して、弾力性のある考え方をもつことの時間がかかることがあった。また、中学 以来音楽の授業を受けていないから楽譜は読めないなど、「最低限に努力して単位をもらえば 良いJと考える学生もいた。このようなさまざまな学生を満たす教育はどこに焦点をあてたら よいのか、また、このような現状は大学だけでなく小学校、中学校、高校にも共通する課題と 云えるだろう。
大学での今までの授業では上記のような学生に、時々悩ませられることもあったが、逆に「な ぜみんなはこのようにしっかり声を出して歌うのか?Jと授業後、聞きに来る学生も毎年あっ た。そこでの授業状況を聞くと、「毎回みんな小さな声で歌ってそれで終わっていてつまらな かったj等である。それは教師自身にも責任があると思うが、クラスのカラーとか、学年のカ ラーとかその年度で、随分性質が違ってくるのはいつも感じている。うるさいクラス、おとな しすぎるクラスなど今まではそれを観察しながら、そのクラスや年度の学生に合う方法で授業 してきた。とにかく、いつも音楽は明るく楽しい 1コマを過ごしてほしいと願っている。そし て音楽のワンポイント理論も忘れずに導入してきた。
筆者の授業の流れとしてはいつも体をほぐし、発声から始めるo 毎回閉じような練習をして だんだんと身につき、姿勢もよくなってくると歌声もはっきりしてくる。音楽は毎回地道に練 習を重ねることのよって習得していくものである。現在、教育学科ですぐ歌える歌として、中 学で歌った経験のある歌は声が出しやすいようで、知っている歌を歌っている時は、発声法や 表現法をアドバイスしやすい。その反面、課題となることは新しい歌への取組みが少ないこと である。新しく音をとって一つの新しい曲を仕上げるという意欲と時間がないことが残念に思
う。新しい曲に取り組めば、音とか読譜力がもう少し、レベルアップすると考えている。これ からの課題として新しい合唱曲、合奏曲に自ら取り組めるように誘導していきたい。
7.歌唱指導について ( 1 )歌声の基礎原理
「人類という種族には歌う能力がある。人間はそういうふうに作られているo ずっと昔には、
人類はだれでも歌ったものだ。しかしそれ以来、限りなく長い時が過ぎてしまって、その聞に 人類は一般的にいろいろな程度の音声虚弱症(声の弱いこと、楽器の慢性的な虚脱)にかかっ ている。それはずっと発声の機構をずっと使わなかったためである。J
「声を形成する、すなわち声を訓練することは再生の過程である。それは歌うための器官を、
自然が意図した状態へもどすのにあたって、たくさんの部分に分かれているが、そのすべてを、
強化し再活性化することである。すべての芸術的考慮、から離れて、声の訓練はこのように治療 以外何物でもない。j
「偉大な歌手といわれるのは、彼の発声器官を自由に使うことが、できるのであって、しかも それがすべてであり、それだけのことなのだ。彼の器官はめぎめており、「解放されてJいるo
そしてわれわれが美しいと思う声を彼が作ることができるためには、これだけで十分なのだ。
したがって、声の訓練に用いられる治療は、本質的に「解放する(自由にときはなす)J過 程 なのだ。(聴覚の歌の領域にも同様に適合する治療法である。)J 5
以上のように、現代社会においてもストレスの多い世代である。そのストレスの多い世界か ら一時的でも解放されることができるのが、音楽である。音楽は演奏する人間の心が現れるよ うに、演奏する人聞が心から楽しく開放されていなければ、よい音楽は伝えられない。よく発 声を教えてほしいといわれるが、発声云々ということ以前に、まず、心身をほぐして自分を解 放し、声をだしてみることから、はじめるとよい。
( 2 )変声期の接し方
それぞれの人間には声の特徴があり、それを配慮、しながら、よく聴くことも必要である。以 前、中学校で教えていた時、生徒から「この子すごく変な声をしているから先生聴いてみて!J
といわれ、聴いてみるとアルトの良い声を持った生徒であった。「低い良い声が出せるね。な かなか、いない貴重な声よ。J説明したら、それまで、その子に変な声だといじめまではいか ないと思うが、それらしき雰囲気があったのが消えた。そのように自分の聴いたことのない声 を聴くことによっていじめにまで、発展することもあることを知り、いろいろな音や声などを 聴かせたりしてそれをよく把握していく指導も必要である。また、声の種類についてもいろい ろな声にも教師側は耳を傾ける必要があるし、よく説明する必要がある。変声期前後の年齢に なると、非常に歌の指導はさまざまな音域になり、困難となってくる。しかし変声期だから歌 わせないというより適度に歌わせた方がょいと聞いている。また変声期の大人への声の転換法 がわからず、暖声のままで話していることがあり、声の指導することでやっと声変わりを認識 することができる生徒もいるo 特に、男声は 1オクターブ(完全8度)低くなるので、出せる 声をよく聴いてみて徐々に低い声を出させてみることによって、男性の声にいきつくことがで きる。心配な時は本人が耳鼻科(音声学の医師)にいって相談することを薦めるとよい。この よ う な 変 声 期 に 適 切 な 指 導 を す る た め に は 発 声 指 導 と 歌 え る 音 域 を 探 し て あ げ る こ と が 必 要 である。
( 3 )きれいな声で歌い、声を大事に育てよう
教育実習訪問指導の中でも見られたが、元気に歌えばそれでよいと考えるあまり、こめかみ に背筋、首筋も力が入り、怒鳴って歌っている児童がいた。これは行く先、音の高低が感じら
れないことになるばかりか、音を聴きいれることもできず、やがては音痴になるばかりでなく、
のちに声も壊す現象が目に見える。希望としては小さくてもきれいな楽音となる音を指導して いくことは音楽上、重要なことはいうまでもないが、現場ではそれが難しいことも理解できる。
しかし、その子の将来を考えて、あせらずに、きれいなメロディーやハーモニーに耳を傾けさ せるように心がけてほしい。
( 4 )わかりやすい発声
発声について一番わかりやすいのは、よく「大きく口をあけて歌いましょうJというのは、
あくびをしたように口の中をあけることを意味している。むやみに口を大きく開けさせようと すると、かえって口の周りに力を入れてしまうことになるので、あくびをしたように自然に口 を開けることで自然に歌うフォームをつくるということと解釈している。次は横隔膜を使つて の呼吸の練習となる。犬を走らせた時の呼吸のように小刻みに息を吐いたり出したりすること は結構難しいようであった。これは上手になると息を吐いた瞬間、自然に空気が戻ってくるよ うになる。そうすると、歌う時に故意に息を吸わなくても瞬間に戻ってくるので、楽な呼吸法 で歌うことができるo
また、横隔膜の存在を知るためにも「立って両手を机につき、「わん!Jといって!Jとい うと恥ずかしがったり、馬鹿らしいと思ったり、初めはその通りにしない学生もいた。このよ うな状況を考えて、まじめに立たせてから「手をついてください。今から発声の練習をします。
いわれたとおりにしてくださいね。いいですか?大きな声で私の真似をしてください。わん!J というと「わん!Jと帰ってくるとともに笑いが生じ、和やかな雰囲気にもなった。横隔膜の 意識をするためにはこの方法がとてもよい。「本当だ!お腹が動いている!Jなどの反応があ
り、横隔膜が感じられたようだ。このようなことは本当にそれほど時間を要さないと一片かと 思うので、学校でも使うことによって歌うことの基本を伝えてほしい。いつも筆者の推奨する 発声法は、生涯、声の健康を考えたトラブルのない発声法である。この方法は歌だけでなく管 楽器または弦楽器、指揮法にも通用している。この発声法、呼吸法を習得することによって筆 者自身指揮がとてもしやすくなった。
( 5 )声の異常
長い間、無理な発声をしてきた学生は、話声を聞いただけで分かるロ相談される場合、医療 機関を紹介すると、ポリープが出来ていることがほとんどであった。ひどい場合は、ポリープ を切除する手術になるが、 2. 3か月、声の使い方を指導することによって、正常に戻ること が多い。今までにも毎年、そのような指導をしてきた。特に教師になるには、声は一生使うこ とになるので良い声で力を入れずに響く声を育てていってほしい。一般には声のことは意外に それほど考えられていないが、歌手、俳優なども間違った発声法や使いすぎのため、何回もポ リープ手術を受けたり、発声指導を本格的に受けにきたりしていることを聞いたことがある。
このほか、喫煙によっても声が潰れてきたり、癌になったりすることも報告されている。
( 6 )音楽監督としての指揮
音楽は年齢に関係なく自然体に戻り楽しい題材を提供しながら、身体ともに表現力を身につ いていくことが必要と思われる。どのような教材でもその活用法を考えて、楽しく指導できる
ように心がけてほしい。それには教師側が音楽の苦手意識をなくすようにしたい。
例えば、歌集を使用して歌わせる場合、何が最低必要かといえば、 (a)指揮をすること、 (b) 最初の音を示すこと(デジタルピアノやピアニカでも良い)(c) こ の 歌 は 「 ど ん な 歌 だ ろ う ? こんな歌だよ!Jなど、少し、興味の湧く説明や会話をしてから歌わせるとよい。このように 指揮をすることで意外に指揮の難しさに気がつく。何調の歌を歌うのか、何拍子の曲か、繰り 返しはどのように楽譜に書かれているのか、どのように出だしのサインを出すのか、どこを見 ているか、音をよく聴いているかなど、指簿は様々なことを一斉に気をつけなければならない。
指揮はただ、拍子を合わせていればよいということではない。指揮は音楽監督であることを忘 れではならない。指揮はこのような訓練が必要である。
小学校では皆が知っている歌集などで、朝、または帰りにー曲でも歌う習慣をつけると歌を 歌ってみようと思う自然な意欲につながる。
( 7 )読鰭力について
読譜についてであるが、以前大学の教養の授業で、「音楽をとったけど楽譜は全然読めるよ うにならなかったJといった学生がいた。教員側からいうと、特に大学になると、自分から求 めないことは自分の身にはなっていかないと思うがどうだろうか。楽譜を読むということは音 の高低やリズムを知るということだけでなく、音楽のメッセージを読み取ることもできる。音 楽の譜面からその表現法も読み取れる創造力もできれば養ってほしい。弦楽合奏クラブではビ オラを弾いている学生はアルト記号6で楽穏を読み、アルト記号は読めるようになったが、 ト 音記号では読めないという学生も何名かいた。このようにどのような音部記号でも必要になれ ば、自分から読もうと努力すれば、読めるようになるのである。
8.音楽の視点 ( 1 )音楽の好み
作曲家はだれが好きか?とよく聞かれることがある。筆者の好きな作曲家は・・というと誰 なのだろうと考えてしまうほどいい加減な自分に気が付いている白好き嫌いは棚の上に置いて、
すべて受け入れながら、学生と主に様々な音楽を演奏してきた。今から考えるとその曲はそれ ぞれの年度で、いろいろな思いが浮かんでくる音楽となって残っているo 気が多いせいかもし れないが、好きな作曲家はたくさんいて作曲家で選ぶということもあるが、演奏家で選ぶこと が多い。聴いてみたいと思う曲、出会った曲を演奏会やC Dなどを聴いて演奏のフィーリング が合うとしばらくの間その演奏を毎日のように聴いているo 音が悪かったり、イメージが外れ た演奏であったりすると、それは一度聴、いたら聴、かなb、。弦楽合奏で指揮する曲などは何種類 ものC Dを購入して聴き比べをし、その表現をいつも検討しながら自分の音楽創りを考えてい る。きっと、音楽の種類は違うかもしれないが、好きな歌手、好きな俳優が歌う歌を何回も聴 きたくなることは、誰もが経験しているのではなし、かと思う。自分がその時々の心情に合った 曲を好んで選ぶと思うので、これは良いとか、悪いとかはいえない。
( 2 ) 音 楽 す る と い う こ と は ?
音楽は瞬間的芸術であるので、そのときの失敗というものは、あまり気にしないのだが、学 生たちには、その瞬間的なミスが、大きな心の傷となってしまう場合が多い。しかし、「声の
力 Jで、河合隼雄氏と池田直樹氏、谷川俊太郎氏の*なんのために歌うのか*という対談でこ んな会話が書いてあった。
河合:小学校でも中学校でもいろいろやる合唱コンクールとかはどう恩われますか?プラス とマイナスと両方あると思いますが。僕が心配するのは、コンクールに出るためにやり過ぎ ている感じがして、ちょっと気持ちが悪いところがあるんですけど。
池田:一所懸命やっているのはいいんだけれども、音楽というのは基本的に競うものではな く、楽しむことをわすれていませんか、というところがどこかにあるんですよね。
河 合 :rどころJかじゃない、あるんですよ(笑)。それで先生がやたらに怖いんですよo 指 揮者の佐渡裕さんが言っていたけれど、コンクールというのはどうしても採点が減点法にな るんだそうです。ちょっとはずしたらマイナス l点とか。そうすると、絶対間違えないよう に、間違えないように、とやることになる。佐渡さんが、指揮している吹奏楽団がなにかの コンクールに出たらしいんです。その吹奏楽団の演奏が終わった後、観客はみんなフーッと 息を呑んで、しばらく拍手が出てこないほど感激したんです。それですごく喜んどったら、
上位の方にはし、かなかったんですって。つまり、すごく感動的だけど、やっぱりちょっとず っ失敗していたわけですね。他の吹奏楽団は失敗がないんですよ。それで減点法でいくから マイナス点があるために上位にいけない。そんな馬鹿なことはないと、彼はすごく怒ってい たけど、日本のコンクールは特にそうじゃないですか?7
このような対談を読むと音楽するとは何か?と考えさせられないだろうか。完壁な音楽も必 要ではあるかもしれないが、完壁なものばかりを追うのではなく、感動的な心の通じ合う音楽 を求めていきたいと思っているo
9.楽器の大切さ
最後に楽器を大切することを呼び掛けたいといつも強く思っているo 特にいつもどこにでも ある音楽室にあるグランドピアノは私たちにおなじみであるが、その取扱いについては、実に 組雑に扱っても平気でいる学生が多い。学校の備品となると、あまりその大切さを考えない場 合がほとんどである。なぜそのような傾向になってしまったのかが不思議であるo 自分の楽器 は大事にするが、今までの環境から、組雑に扱うことが平然と行われていることに怒りを覚え ながら楽器の素材とか、値段などを説明すると理解はしてくれるようではあるが、毎年のよう にこの思いは伝えている。
ヴァイオリンを例にとってみると、ヴァイオリンはご存じのとおり、素材は木でできていて、
値段の高いものほどその素材にこだわりがあり、繊細に作られているo 弓は木と馬の尻尾でで きていて松ヤニを丹念に塗って弦を弾く。その昔、その弦も羊の腸で作られていた。いわば、
全部自然の素材で作られ、改良を重ねて今の基本の形が出来たのだ。浜松の楽器博物館にいっ てみるとよい。自然の素材からいろいろな楽器が作られて様々な国の楽器が見られる。そのよ うな歴史から生まれた貴重な楽器の数々を大切に扱うことをぜひとも伝えていってほしい。例 えば、リコーダーでも今はプラスチックだが、それでも落とせば、ヒピが入り変な音になって しまう経験はないだろうか?そのように、ピアノでもヴァイオリンでもどこか傷がつけば微妙 に音が違ってくるのだ。勿論、湿気や乾燥にも反応する。筆者の以前の経験からだが、中学生
ではあるが楽器にいたずら書きをしたり、壊れても笑って平気で持ってきたりすることがあっ た。そのたびに自分が傷を負ったような気がしたものだ。今でもピアノの上に平気で重いもの を載せたり、故意ではないが傷をつけたり、今でも学校のものは大切にしようという気遣いが 足りない。どのような楽器でも大事に扱うことを学んで子供たちにもぜひ伝えていってほしい。
1 O.おわりに
私の音楽理念としては、楽しい音楽から始まり、努力と協力し合い感動できる音楽を推奨し 続けたいと思っている。音楽は一人でするより、皆でした方が楽しい。本学の「違いを共に生 きるJという理念がそこにはあると確信している。現在、本学の「アンサンプル・シュネッケJ という弦楽合奏のクラブを育てて、20年ほどになる。定期演奏会は今年度で 17回目となるが、
先輩後輩の中でお互いに気を遣いながら、いごこちの良い雰囲気を作り上げてきた。卒業式、
入学式には管楽器も合流してオーケストラを経験するが、普段は弦楽器の落ち着いた雰囲気に 親しむクラブであるo 部員はとても真面目で努力家が多い。弦楽器はすぐには弾けないが、毎 日授業後、地道に練習を重ね、良い音で弾けるように成長して卒業していく学生も多くなり、
今でも、合奏の時に弾きに訪れる卒業生もいる。合奏は自分の音を良く聴き、人の音もよく聴 いて合わせていくことに合奏の意義がある。
筆者自身、いつも思うことはできるだけその年度の要となる 3年の夢を叶えてあげたいと思 っている。それには学生とのコミュニケーションをよくとることで指揮やアドバイスもしやす くなる。部員とは新入生歓迎会に始まり、 1か月一度の合同練習、夏休みの集中練習、夏休み の一泊旅行、学祭演奏の練習、定期演奏会までの練習と本番・打ち上げ、卒業式、入学式の練 習と当日演奏などで一年が終わる。合奏や分奏もあるが、その大部分が毎日個人練習で、自分 との戦いである。こうして考えると、シュネッケはドイツ語で「かたつむりj であり、ゆっく り練習して上手になろうということがモットーと云いながら、曲目の量やレベルから見ると、
初心者にはかなりハードな一年となっているといえる。それでも毎年先輩たちの熱き指導もあ るが、中学や高校の部活動のような強制的な練習ではなく、すべて自分のベースで努力し協力 もすることから成り立っている。また先述以外に部内発表会の他、お花見、花火大会、紅葉狩 り、クリスマス会など催して、部員内で交流を絶えず図っているので、そればかりで追い詰め ることはない。よく学びよく遊びで、出来る範囲でそれぞれが努力をして社会へのステップを 学びながら楽しんでほしいと考えている。 3年のスタッフは毎年大変ではあるが、いつもお互 いの連絡や、相談や報告、気配りを忘れずしてくれることによって、お互いに充実した学生生 活を送れているのではと考えている。
キース・スワニックは「音楽の教え方jの中で下記のように書いている。
「本物 authenticityであるかどうかという問題は多くの教師たちに広がっている欠乏感を暗 示している。中等・高等学校の音楽教師たちは、自分自身が専門とする音楽と、不安定な「専 門的でない一般的なJ音楽との聞を、居心地悪く風見鶏のように行ったり来たりしている。
本物の音楽経験はその経験自体に、何らかの隠愉的な豊かさを内蔵している。このような質 の経験がなければ、音楽教育は衰弱してしまう。実際に、生徒の学校音楽の対する否定的な姿 勢については、特に中等・高等学校において顕著なことが、長い歴史を通して報告されてきて
いる。 (Schools Counci ,l1968:Francis, 1987:Ross, 1995)0 8
筆 者 も 音 楽 教 育 に 長 く 携 わ っ て き た が 、 一 緒 に わ か り や す く 楽 し む 他 、 出 来 る 限 り 音 楽 の 本 物 に 触 れ て ほ し い と 願 っ て 実 践 し て き た 。 実 際 の と こ ろ 、 専 門 的 な 分 野 か ら 考 え 、 音 楽 を 教 え る こ と は 自 分 の 経 験 か ら い う と 、 そ の ギ ャ ッ プ を 感 じ る こ と も 多 い 。 し か し 、 小 学 校 の 教 師 だ か ら 専 門 的 な 知 識 と か 、 本 物 を 知 る 必 要 は な い と い う 考 え は 間 違 い だ と 思 うo 時 代 は ど ん ど ん 変 化 し て い る 。 楽 し む こ と か ら 始 ま り 、 で き る だ け 本 物 を 知 る よ う 努 力 し て さ ら に 深 く 楽 し め る 音 楽 を し て 、 子 供 た ち に も 伝 え て い っ て ほ し い と 願 っ て い る 。 本 物 を 知 る と い う こ と は 決 し て 難 し い 技 術 を 強 い て い る の で は な く 、 音 楽 の 基 本 と 感 動 で き る 音 楽 を 体 験 す る と い う こ と で あ る 。 小 学 校 時 代 は 著 し い 成 長 の 時 で あ る だ け に 音 楽 教 育 を 真 剣 に 考 え る こ と は 教 育 の 未 来 に 繋がることといっても決していいすぎではない。
《引用文献・参考文献》
ドン・キャンベル著 久村典子 訳 (2007年 初 版 ) 子 供 の た め の モ ー ツ ア ル ト 効 果 株 式 会 社 ヤ マ ハ ミ ュ ー ジ ッ ク メ デ ィ ア p220・221
2 初 等 科 音 楽 教 育 研 究 会 編 (2009年第 1刷 ) 最 新 初 等 科 音 楽 教 育 法 小 学 校 教 員 養 成 課 程 用 音 楽 之 友 社 p46
3初 等 科 音 楽 教 育 研 究 会 編 (2009年第 1刷)最新 初 等 科 音 楽 教 育 法 小 学 校 教 員 養 成 課 程 用 音 楽 之 友 社 p46
4 向上
5 フ レ デ リ ッ ク ・ フ ー ス ラ ー / イ ヴ オ ン ヌ ・ ロ ッ ド = マ ー リ ン グ = 著 須永義男/大熊文子=
訳 (1996年 第 7刷)うたうこと rSingenJ 音 楽 之 友 社 p9,10,12
6 アルト記号はハ音記号、ビオラ記号ともいう。 5本線の3本目の線上が一点ハ(ド)になる。
7 河 合 隼 雄 、 阪 田 寛 夫 、 谷 川 俊 太 郎 池田直樹著 (2006年 第 5刷) 声の力 岩 波 書 庖 p142・144
8 キ ー ス ・ ス ワ ニ ッ ク 著 極 原 麻 里 ・ 高 須 ー 共 訳 (2004年第 1刷) 音 楽 の 教 え 方 音 楽 的 な 音 楽 教 育 の た め に 音 楽 の 友 社 p173