政策決定における「知覚」
―第一次世界大戦の勃発過程―
黒 川 修 司
本論文は国家レベルでの政策決定が、心理的な要素によってどのように影響 されるかを、第一次世界大戦の勃発過程を使って検証しようとするものである。
この戦争の直接のきっかけは、1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー 二重帝国の皇位継承者1フランツ・フェルディナント大公(Archduke Franz Ferdinand)夫妻が、ボスニア=ヘルツェゴヴィナのサラエヴォ(Sarajevo)市街 でセルヴィアの秘密組織「黒手組」(Black Hand)の影響を受けた過激な民 族主義者グループによって暗殺された事件であった。国家元首の暗殺は当時 珍しいことではなかったが、暗殺犯グループがセルビアの情報機関の支援を 受けていた疑いがあったために、オーストリアの対セルビア嫌悪感を極度に 高めることとなった。オーストリアとセルビア間の地域紛争は思いがけずに 欧州大戦に拡大してしまい、更に4年半以上続く世界大戦2になってしまっ た。この戦争に関する1920–30年代の研究は、誰がこの戦争に関して責任 があるかの犯人探しが研究の動機であったように思われる。典型的な研究と しては1960年代の出版であるが、フィッシャーの『世界強国への道』3が有
1皇帝フランツ・ヨーゼフ(Kaiser Franz Joseph) 1世は当時83歳の高齢であり、
皇太子ルードルフを1889年1月に情死事件で失い、皇妃エリザベートを1898年 9月に暗殺されていた。亡き弟の子、即ち甥を皇位継承者に任命した。そのフェ ルディナントは皇帝の意思に反して、商人出身の男爵の娘(ゾフィー・コテック)
と貴賎結婚をしたために、子供には帝位継承権がなかった。彼自身も帝位継承者 ではあったが、皇太子の称号を拒否されていた。
2ドイツではWeltkrieg、英国ではThe Great War、フランスではla Grande Guerre という言葉で表される。
3 Fritz Fisher, Griff nach der Weltnacht, Die Kriegespolitik des kaiserlichen Deutsch- land 1914/18, Düsserdolf, 1961, 村瀬興雄監訳『世界強国への道―ドイツの挑戦,
名である。
戦勝国はパリ講和会議でドイツに一方的に戦争の責任を押し付けて、全て の海外領土と国土の約13%を奪い、GNPの20年分に相当する1380億金マ ルクという天文学的な賠償金を課した。しかし戦争責任を問われた当のドイ ツの帝国宰相ベートマン・ホルウェーグ(Dr. von Bethmann-Hollweg)が、
開戦後にどうして戦争が始まったかを聞かれたときに、疲れきった声で「そ れが分かっていたならばねえ」(Ja, wer das wüssste!)と接続法で答えていた のである。ドイツでさえ、オーストリアとの同盟関係から戦争に巻き込まれ たと感じており、自らが欧州大戦を起こしたとは認識していなかった。外交 文書からはウィルヘルム2世は、開戦前には酷いストレスを感じていたこ とがわかる。ドイツだけに責任があったというよりは、欧州政治のメカニズ ムそのものに原因があったと言うべきであろう。特定の国王や議会に戦争の 責任を押し付けても、戦争開始とエスカレーションのメカニズムの解明には 役立たないのである。
このテーマは筆者の学部時代の卒業論文「内容分析法による政策決定とコ ミュニケーションの研究―1914年危機をケース・スタディとして」の主題 でもあった。英国ランカスター大学のGordon Hiltonの研究とOle R. Hols- ti, Crisis Escalation War, McGill-Queenʼs University Press, 1972、を最後にし て、スタンフォード大学グループ自身の研究もこのデータを利用した研究も その後報告されていないので、シミュレーション研究の部分を除く内容分析 の部分を紹介論文として纏める気になった。2014年は第一次世界大戦勃発 から100年になるので、研究書も沢山出版されたが4、依然として何故Great
1914–1918年』全2巻,岩波書店,(I)1972年,(II)1983年
4 Clark, Christopher, The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914, and Allen Lane, 2013,: Macmilan, Margaret, The War that Ended Peace: The Road to 1914, Random House, 2013,: Mombauer, Annika, Die Julikrise: Europas Weg in den Er- sten Weltkrieg, Beck, 2014,: Otte, T. G. July Crisis: The Worldʼs Descent into War, Summer 1914, Cambridge University Press, 2014,: Levy, Jack S. and John A.
Vasquez, The Outbreak of the First World War: Structure, Politics, and Decision- Making、Cambridge University Press, 2014、などがあり、日本では山室信一・
Warが発生したかは謎のままであると言えよう。
第1節 外交文書の内容分析
開戦直後の1914年8月4日、ドイツ政府は帝国議会に外交資料集(白 書)を提出した。これはロシアの開戦責任を強調し、ドイツは防衛のために 止む無く武器を取ったとして自己の正当化を目的とした。それを開戦直前の ロシアとドイツの公文書によって説明しようとしたものであった。当然なが ら選択された文書もドイツにとって有利なものだけであり、公表された部分 にも削除や隠蔽があり、プロパガンダの性格の濃厚なものであった。各国政 府は「全体戦争」(Total War)遂行に協力してもらうために、国民、特に労 働者に対してある程度の説明を必要とした。ドイツに対抗して他の参戦国 も、自国の平和維持の努力を強調し、相手側の好戦的な姿勢を詰る外交資料 を編纂し公表していった。そのために編集され出版されたのが、いわゆる
「カラー・ブックス」(Colored Books)5であった。その効果は測定されてい ないが、情報公開の先駆けの試みとも言えよう。
パリ講和会議でウィルソン(Woodrow Wilson)米国大統領が批判したよ うに、大戦前の欧州外交は秘密外交が基本であった。典型的な帝国主義戦争 であった第一次世界大戦は、ロシア革命によりその実態が初めて暴露された と言えよう。レーニンが率いるボルシェヴィキ政権は、自己の革命の正当化 のために、諸列強の秘密外交を暴露して世界を驚かせた。加えて、無賠償・
無併合の原則を唱え、戦争終結の常識であった条件を否定された欧州諸国を 困惑させた。
大戦後の疲弊した欧州とは対照的に米国は経済的に優位に立ったので、多 くの知識人が米国に移住していった。また、スタンフォード大学のフーバー 岡田暁生・小関隆・藤原辰史編『第一次世界大戦』全4巻,岩波書店,2014年、
が目立つ。京都大学がお得意のグループ研究の成果である。
5各国が出版した公文書の表紙が以下のように異なっていたので、この名称がつい た。まず8月中旬に英国が青表紙、オーストリアが赤、ドイツが白、フランスが 黄、ロシアがオレンジ、ベルギーが灰色、セルビアが青。
研究所(the Hoover Institution)は欧州諸国の外交文書だけでなく、地下組 織のパンフレット類まで収集した。ロバート・ノース(Robert North)教授 を中心とするスタンフォード大学のグループ6が、このフーバー研究所が収 集した外交文書を移住してきた欧州諸国からの研究者や大学院生などを使っ て英語に翻訳し、オーストリアとセルビアの間の小さな地域紛争が欧州諸国 を巻き込む欧州戦争に発展し、さらに植民地をも含む世界大戦にまでエスカ レートしたメカニズムを解明しようとした。具体的には内容分析(Content
Analysis)という手法を用いて、書かれた文書からその内容を厳密に分析す
る手法である。専用の辞書を作成して、単純な頻度分析から始まり、パラグ ラフ毎の強度を計測するなど各種のバリエーションがある7。
この研究チームは、知覚の主体(perceiver)、知覚された主体(the per- ceived)、行為あるいは態度、その行為の対象者(target)を区別し、敵意
(hostility)、友情(friendship)、不満(frustration)、満足(satisfaction)を 4883件抽出した。そのうちの896が「敵意の知覚」と判定された。内訳は 三国協商が出した敵意が82、敵側から受けた敵意が211、独墺同盟が出し た敵意が210、受けた敵意が393であった。この敵意はQソート法によっ て1–9の強度(スケール)に分類された。現在ではコンピューターを利用 する内容分析は、この1960年代では不可能であった。人間(コーダー)を 使って分類し測定したために、その信頼度が問われた。ある文書が敵意を示 しているかについての信頼度は高かったものの、ある単語が使用されていれ ば敵意を表したものと判定するかについてはコーダーの間で差が出ていた。
コーダーは1週間の訓練を受けてから、1914年の外交文書から 「敵意」 を
6 所長(Director)がノース教授、副所長(Associate Director)がJan F. Triska、 副所長代理(Assistant Director)がRichard A. Brody,リサーチ・コディネー ターがホルスティ教授であった。スタンフォード大学で1963年に“Expression and Perception of Hostility in Inter-State Relations”により博士号を取得した
Dina A. Zinnesがその後に加わったようである。
7 例えば、人文系のためには、Ole R. Holsti, Content Analysis for the Social Sciences and Humanities, Addison-Wesley, 1969,がある。
抽出したので、信頼度係数(inter-judge reliability coefficient)は0.74で満 足する水準であった。
この第1表は第1図が示すように実際の欧州危機の緊張度を見事に数値 で表現していた。独墺同盟は、三国協商が敵だと認知しており、更に、三国 協商への敵意の表明は、ほぼ単調増加を示していた。この二者の相関係数は 0.85と極めて高い。三国協商側はそれほど明瞭ではなく、独墺同盟が敵で あるとの認知は単調増加を示していたが、自国側が独墺に対して敵対的であ るとの認知は開戦時に変動していたので、相関係数も0.33と低かった。
単純な刺激–行動モデル(S–Rモデル)を少し改良し、政策決定者レベル での認知過程を組み入れたモデルがこのデータと一致していた。次節ではこ の敵意の数値を経済データなどと相関させて、危機を測定する道具として有 効であることを証明していく。
当初、スタンフォード・グループは異なる政策決定者の間で差があるかも しれないと考えて、特定の文書を書いた人間を区別していたが、往々にして 外務省が一括して外国へ発送しており、また文書を書いた人間と発送した人
第1表 敵意の認知(平均の強度)
独墺
(主体) 独墺
(対象) 三国協商
(主体) 三国協商
(対象)
6月27日–7月2日 3.62 4.23 ― 3.67
7月 3日–16日 4.03 3.88 ― 4.22
7月17日–20日 3.42 4.04 4.00 ―
7月21日–25日 3.87 4.20 4.20 4.25
7月26日 4.15 4.98 5.67 4.82
7月27日 4.25 4.15 4.75 5.31
7月28日 4.21 5.12 4.82 5.08
7月29日 5.02 4.88 4.08 6.18
7月30日 5.03 6.03 4.93 5.85
7月31日 6.38 5.46 4.96 5.98
8月 1日–2日 7.20 7.08 4.18 6.27
8月 3日–4日 5.67 6.59 5.61 6.28
(出典:North, Robert C., Richard A. Brody, and Ole R. Holsti, “Some Empirical Data on the Conflict Spiral” Peace Research Society (International) Papers, I, 1963, p. 6)
図―1 知覚された敵意
(出典:オール・R・ホルスティ,ロバート・C・ノース「紛争の歴史学」
マックニール『紛争の科学』創元新社, 1970年, 152頁)
間が異なる場合もあり、さらには複数の人間が署名してから発送した文書も あり、このような区別は無意味だと判った。そのためこの研究では、一国の 中心政策決定者の声明はその国の一致した意見とみなすことにした。中心的 政策決定者とは政府内での地位により国民を拘束するような決定を行い、実 施する人物を言う。例えば、英国では国王ジョージ5世(King George V)、
アスキス(Herbert Henry Asquith)首相、キッチナー(Earl Kichener)陸 軍大臣(Secretary of State for War)、ハルデーネ(Viscount Richard Burdon Haldane)大法官(Lord High Chancellor)、グレイ(Sir Edward Grey)外 務大臣、ニコルソン(Sir Arthur Nicolson)国務次官、ドイツではウィルヘ ルム皇帝(Kaiser WilhelmII)、ベートマン・ホルウェーグ(Dr. von Beth- mann-Hollweg)帝国宰相(Imperial Chancellor)、ヤーゴウ(Herr Gottlieb von Jagow)外務大臣、ツィンマーマン(Herr Arthur Zimmermann)外務 次官、ロシアではニコライ(Tsar Nicholas II)皇帝、サザーノフ(Sergei Dmitrievich Sazonov)外務大臣、スコムリノフ(Vladimir Sukomlinov)陸 軍大臣などである。
強度については、ジネスは以下のような12段階の尺度を作った。1.義 務からの逃避、2.新聞の検閲、3.敵に対して否定、あるいは誤ったニュー スを流す、4.敵の信用を落とす、5.警告、介入の可能性、6.敵に対する アジテーション、7.陰謀、挑発、8.要求、外交関係断絶、9,最後通牒、
脅迫、10.動員令、軍隊の集結、11.開戦宣言、攻撃、12.破壊
ジネスの論文では、195の声明をこの12段階を使って、1週間置いて2 度強度測定した。その2回の相関係数は0.95で、1%レベルで有意であった ので、強度を利用意した分析が可能になったと判断した。彼女は頻度と強度 スコアーの二通りのデータを使って、1)国家の敵意の認知(xP)と敵意の 表明(xE)との間にどのような関係があるがどうかを調べた。
ここでジネスはユニークな仮定を置いて、ある政策決定者の行動は前日に 起きたことに影響されないとした。(モデルI)しかし、もっと有りそうな仮 定は、前日の事件が翌日の行動に影響を与えると想定することであり、(n–
m)日に起きたことがn日に影響すると想定する記憶モデルが可能である。
更に、タイム・ラグを付けたモデルも考察しているが、煩雑になるので紹介 は省略したい。
モデルIは記憶なしモデルである。毎日は独立であり、前日に起こったこ とはn日には影響を与えない。モデルIIは不完全記憶モデルであり、4日 間だけ記憶が持続すると仮定している。即ち、n日の政策決定者はn−3日 以前のことは覚えていない。更に、過去のことほど影響力が少ないと仮定し てウエイトを付ける。モデルⅢは完全記憶モデルであり、政策決定者は過去 を完全に記憶しており、しかも同じウエイトを持って記憶していると仮定し ている。現実的な仮定ではないかもしれないが、理論的には可能なモデルで ある。彼女のモデルを形式論理で表すと、以下のようになる。
仮説1:xP→xE、x国は敵意を認知すると、敵意を表明する この仮説1は他の仮説と異なり、方向性を持っていない。
仮説2:xPy→xEy x国はy国からの敵意を認知すると、y国へ敵意を 表明する
第2表 仮説1と2の結果(Zinnes, 1968, p. 106)
条件
モデルII(不完全記憶)
仮説1 仮説2
相関係数 個数 有意水準 相関係数 個数 有意水準 全ての声明文(頻度) 0.59 93 1% 0.61 159 1%
脅威の声明文(頻度) 0.6 77 1% 0.63 129 1%
行動の声明文(頻度) 0.26 74 5% 0.28 115 1%
全ての声明文(強度) 0.41 93 1% 0.36 159 1%
脅威の声明文(強度) 0.31 77 1% 0.15 129 ― 行動の声明文(強度) 0.51 74 1% 0.54 115 1%
モデルⅠ(記憶なし)
全ての声明文(頻度) 0.55 66 1% 0.56 96 1%
脅威の声明文(頻度) 0.25 54 ― 0.32 86 1%
行動の声明文(頻度) 0.29 49 5% 0.3 64 5%
全ての声明文(強度) −0.02 66 ― −0.14 96 ― 脅威の声明文(強度) −0.2 54 ― −0.35 80 1%
行動の声明文(強度) 0.11 49 ― 0.07 64 ―
第2表は、一番相関係数の高かった2つのモデルを6つの条件で見たも のである。両方の仮説とも有意であると判断されたが、条件によってかなり の変動があった。両方の仮説とも一番高い相関係数は条件2で得られた。
すなわち、頻度かつ脅威を使った場合には0.63、0.60と高い数値であった。
これはある国家が他国から敵意の対象になっていると認知した場合には、敵 意を表明する[仮説1]、かつ敵意がどの国家から来ているのかを正しく認 知して、その国家に対して敵意を表明する[仮説2]のである。完全記憶モ デルやタイム・ラグを付けたモデルは相関係数が低いし、ベストのモデルは 過去4日間のウエイトを付けた記憶に基づいて行動すると判断できる。
但し、相関係数(correlation)は因果関係(causality)を意味しない。モ デルで考慮していない第3の変数が存在していて、その影響により相関関係 が高くなっているとも考えられるので、注意が必要である。ジネスが考えた 第3の変数はメッセージの量であった。即ち、敵意の認知と敵意の表明の 間には本来は何の関係もなく、ただ外交のメッセージが増えるに従って、敵 意の認知と表明が増えているだけなのだと考えるのである。メッセージ量は メッセージ数、フレーズ数、単語数など各種の操作化がなされたが、ここで は紹介は省略するが、得られた結果は第2表の仮説1の相関係数を多少低 めただけで、仮説2の相関係数には全く影響しなかった8。この結果から敵意 の認知と表明の関係は、メッセージの量に影響されずに、相当程度に高いと 言える。
仮説3:xEy→yPx 仮説4:xEy→yEx
仮説1と2は敵意の認知に関するものであったが、仮説3と4は敵意の 表明に関わるものである。モデルI(記憶なし)では、x国がn日にy国に 対して敵意を表明すると、同じn日にy国はx国にからの敵意を認知する とする。同じように、仮説4のモデルIは、x国がn日に敵意をy国に発す
8 Zinnes, op. cit., p. 111
ると、y国は同じn日にx国に敵意を表すと仮定している。
仮説3と4の検証では低い相関係数しか得られなかった。しかもベスト のモデルはIa(記憶なし、ラグ)であった。更に、頻度ではなくて強度スコ アーを利用した時に高い相関が得られた。一番の驚きは予想もしなかった高 い逆(マイナス)相関が得られたことであった。予想外の結果が出てくるの は、「科学的」手法を使った研究の面白さでもある。
そこで逆相関になる理由を考える必要が出てきた。ジネスが敵意データの 散布図を作成すると、x国がy国に敵意を表しても、y国は当日あるいは翌 日にこれを認知できず、x国が敵意を出していない日にy国がx国の敵意の 対象になっていると認知する場合があることが判った。この場合相関係数は 当然ながらマイナスになる。この発見をジネスはそれ以上追求していない が、紛争研究の視点からは、これは重要な発見なのである。「囚人のジレン マ」でよく見られる「裏切りあい」が激化するのは、このズレが原因の一つ
第3表 仮説3と4の結果(Zinnes, 1968, p. 114)
条件
モデルⅠa(記憶なし、ラグ)
仮説3 仮説4
相関係数 個数 有意水準 相関係数 個数 有意水準 全ての声明文(頻度) 0.04 112 ― −0.16 56 ― 脅威の声明文(頻度) −0.06 86 ― −0.27 47 ― 行動の声明文(頻度) −0.01 79 ― −0.21 30 ― 全ての声明文(強度) −0.19 108 5% −0.50 56 1%
脅威の声明文(強度) −0.49 86 1% −0.72 47 1%
行動の声明文(強度) −0.19 79 ― −0.33 30 1%
モデルⅠ(記憶なし)
全ての声明文(頻度) 0.02 108 ― 0.02 55 ― 脅威の声明文(頻度) −0.19 90 ― −0.25 49 ― 行動の声明文(頻度) 0.08 77 ― 0.17 30 ― 全ての声明文(強度) −0.2 112 5% −0.21 55 ― 脅威の声明文(強度) −0.41 90 1% −0.5 49 1%
行動の声明文(強度) −0.14 77 ― −0.07 30 ―
である9。即ち、自分が相手を裏切り損害を与えても、直ぐに相手が反応して 仕返しをしなければ、相手を軽く見て搾取し続ける。ところが、自分が協調 的な行動を取っている時に、突然相手が過去の攻撃を思い出して、怒りから 攻撃してくると、戸惑い混乱する。相手の行動が予想できない状況では紛争 は激化するものである。
ゴードンはジネスの以上の4つ仮説の連鎖を以下のように整理している が、大した差はない。
xPy―仮説2→xEy―仮説3→yPx―仮説2→yEx 仮説4
紛争のエスカレーション
このように内容分析によって得られた各国の政策決定者の認知データは、
図―1に示すように歴史的推移と比較すると実態を表しているように見え る。
第2節 認知データの有効性チェック
前節で示した敵意のデータの有効性を経済データと相関させて、その妥当 性を示そう。考えられる経済データとしては、株と債券、金(ゴールド)の 取引、物価、金利のデータが当時の新聞から得られる。
まず、ロンドンにおけるゴールドの取引のデータをみると、7月31日ま ではロンドンにおける金の取引は全く自由であった。
このデータから言えることは、危機が進展するとロンドン市場へのゴール ドの流入量が激減し、大陸で動員が始まると流出していったことが判る。
9 Anatol Rapoport and Albert M. Chammah, Prisonerʼs Dilemma: A Study in Con- flict and Cooperation, The University of Michigan Press, 1965, Robert Axelrod,
“Effective Choice in the Prisonerʼs Dilemma” Journal of Conflict Resolution, Vol.
24, No. 1, 1980, pp. 3–25.ウィリアム・パウンドストーン『囚人のジレンマ』青 土社,1995年、ロバート・アクセルロッド『「付き合い方」の科学』HBJ出版 局,1987年、などを参照。
ゴールドの流失量と敵意の認知との相関は0.85で1%水準で有意であった。
7月29日に英国の銀行金利は3%であったが、8月1日には10%に達し た。この前例のない英国の金利上昇は欧州各国に恐慌をもたらし、各国政府 は紙幣をゴールドに換え、パリとベルリンの大手銀行は緊急事態に備えて、
ゴールドを退蔵し始めた。同時期にフランスの金利は3.5%から6%へ、
オーストリアの金利も4%から8%へと上がった。この高金利はゴールドが 自国から流出していくことを防ぐ意味があったと言われる。ゴールドはある 意味で武器そのものであった。
当然のことだが、戦時財政の規模はどの国家でも巨額に上り、その手当て に苦労することになった。ドイツを例に取ると、大戦前の最後の平時であっ た1913年のドイツ政府の税収は23億マルクであり、これに対して敗戦時 の戦費負債は総額で1550億マルクに達していた10。ドイツは戦費の租税充当
10木村靖二『第一次世界大戦』ちくま新書,2014年,85頁
第4表 ロンドン市場における金(ゴールド)の流入と流出量(単位は1000ポ ンド)
国家 6/27–
7/2 7/3–
7/16 7/17–
7/20 7/21–
7/25 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 総量
フランス −6 −22 −380 −971 −143 −16 −1538
大陸 −7 −275 −572 −854
ベルギー −50 −41 −548 −639
大英帝国内 −280 −150 −80 −100 −610
エジプト 185 45 −465 −100 −335
スイス −60 −60
ドイツ 20 20
米国 70 70
南アフリカ 77 165 186 201 174 803 金延棒購入量 128 815 124 118 250 73 139 56 1703 ネット量 460 993 39 30 0 269−22 −911−1034−1204 −60 −1440 一日平均 92 71 9.8 6 0 269−22 −911−1034−1204 −60 認知された
敵意強度 3.46 3.66 3.79 4.17 4.52 4.46 5.1 5.18 5.48 5.7 6.42
(出典:Holsti, Ole R., Robert C. North, and Richard A. Brody., “Perception and Ac- tion in the 1914 Crisis” in J. David Singer, ed., Quantitative International Politics: In- sights and Evidence, The Free Press, 1968, p. 140)
分はわずか3%に過ぎず、ほぼ全額を9回にわたる戦時公債の発行でしのい だ。これが戦後のインフレーションの一因になったことは疑いもない。他 方、英国は早くから増税による対応が実施された。労働者など低所得者に配 慮して、中・高所得者の所得税率を引き上げた。弾薬不足を解消するために 新設された軍需省が支出した20億ポンドは戦争成金を大量に生み出し、労 働者の不満は一段と高まった。この不満を宥めるために英国政府は、1915 年9月に50%の超過利潤税(1917年には80%に引き上げた)を新設し、贅 沢品には33.3%という高率の税を課した。このような施策によって英国は 戦費の26%を税収で賄うことができた。それでも不足分は国債発行により 賄われざるを得なかった。国債は1914年の6億5000万ポンドから、1919 年には74億3500万ポンドに膨れ上がった。この戦時国債をスムーズに売 るために、ユダヤ人銀行家のロスチャイルド家を頼り、そのいわば代償とし て「バルフォア宣言」が発せられたのである。
この金の取引と内容分析から得られた敵意の認知データとを比べると、ス ピアマン相関係数は0.85と極めて高い。スピアマンの相関係数以外の統計 手法で見ても第4表の金の取引量と敵意の知覚とは、ガンマ係数0.82となり 0.1%以下の水準で有意であり、欧州国に限定してもガンマ係数が0.69であ り0.2%水準で有意であった。7月27日の月曜日に敵意の認知が4.52から 4.46へと少し低くなると、金は26万9000ポンドと急激に流入している。7 月25から26日の週末にかけて、ドイツのウィルヘルム皇帝も英国のウィ ンストン・チャーチル(Winston Spencer Churchill)第一海軍卿(First Lord of the Admiralty)11もセルビアの最後通牒受諾の返答でこの危機は終わった と思っていた。ロンドンからのゴールドの流出は大陸にむけてであり、7月
11 英国海軍(The Royal Navy of Britannica)の歴史は古く、その組織の変容も甚だ しい。日本ではAdmiraltyを「海軍本部」と訳す傾向があるが、国王や政府の海 事政策を施行し、海軍全体を統括する組織なので「海軍省」と訳すべきであろ う。その筆頭がFirst Lordなのであるから、思い切ってこれを海軍大臣と訳すほ うが実態に近いのではないだろうか。小林幸雄『図説イングランド海軍の歴史』
原書房,2007年などを参照。
27日から8月1日までの大陸への流出は全流出の75.7%を占めていた。
次に、債券の値動きを見てみよう。ゴールドと違って、債券は欧州諸国の 首都で取引されていた。第5表は交戦国の20種類の株券と債券の動きを、
危機前の7月20日から26日の値と比較する。Indexは20種の平均値であ る。
1914年危機(英語文献では7月危機の表記が多い)に責任がある国家の 債券価格は内容分析のデータと同じような動きをしている。単純に価格が低 下するのではなく、7月27日に危機がやや緩和すると、債券価値も少しだ けだが上昇している。例えば、セルビアの債券は2.5%、ロシアの債券も
第5表 交戦国の債券の値動き
値動き 6/27–
7/2 7/3–
7/16 7/17–
7/20 7/21–
7/25 7/26 7/27 7/28
Serbia 4% Bond 99 96.2 92 89.8 87.2 89.7 87.6
Serbia-Monopoles 98.8 98 98.9 97.3 96.6 May-95 93.6
Banque Internationale 98.8 98 95.6 91.2 89 89 85.8
Baku 100.2 100.1 99 96 94.4 94.4 92
Moscow-Kazan 97.2 96 93.3 92.6 93.1 93.1 88.6
Russian-4.5%1909 99.8 99.9 98 95.8 91.5 94
Russian-4% 100.1 98.3 97.5 96.5 93.8 91.5 90.2
Austria Credit Shares 99.5 97.8 97.2 95.5 92.8 94.5 93.5
Austria 4% Gold 99.8 99.9 99.7 99 98.1
Hungary 4% Gold 99.6 98.5 98 97.5 94.3
Hungarian Bonds 101 97.2 97 94.7 91.4 90.1 89
Germany 3% Imperial 99.7 99.2 98.8 97.8 96.5 95.9 95.8
3% Prussian Consols 99.7 99.2 98.8 97.7 96.4 97 96.9
General Electric 99.9 99.8 98.1 94.7 91.2 92.1 91.2
France 3% Loan 99 89.9 97.8 96.5 93.8 93.7 82.9
3.5% French Loan 100 99.9 99.7 97 93.6 94.4 94.4
Bank of France 100 99.4 98.7 98 97.5 97.5 97.5
British Consols 2.5% 99.8 101.1 101.3 100.3 98.4 96.8 95.8 Port of London B 4% 100.3 100.8 99 98.9 98.5 97.9 97.9
Bank of Brussels 99.9 99.5 98.5 97.6 97 97
Index 99.6 98.9 97.8 97.6 94.2 94.3 93.3
(出典:Holsti, Ole R., Robert C. North, and Richard A. Brody., “Perception and Ac- tion in the 1914 Crisis” in J. David Singer, ed., Quantitative International Politics: In- sights and Evidence, The Free Press, 1968, p. 143)
2.5%、オーストリアのクレジット株券は1.7%前日に比べ上昇した。その 後、危機の進展に従って、債券価格は下落して行った。7月27日以降、い くつの債券はパニックの拡大を恐れて、市場が閉じられたために売買されて いない。直接には欧州危機に関係ないニューヨーク株式市場さえ閉鎖され た。12
この二つの表を比較すれば中立国[少なくともスウェーデンとスイス]の 債券は安定しており、交戦国のそれは危機の進展に連れて安くなっているこ とがわかる。スピアマンの順位相関係数は中立国が0.52で、有意ではなく、
交戦国のそれは1.00と1%レベルで有意であった。
7月30日までの10日間で、英国の代表的な株式387社の価格は1億 8800万ポンドも下落し、ドイツの産業株23社の価格は、7900万ポンドか ら6590万ポンドまで下落している。しかも、最悪事態はこれから起こるの
12 Holsti, Ole R. and Robert C. North, “Perceptions of Hostility and Economic Vari- ables in the 1914 Crisis” Mimeo, Stanford Studies in International Conflict and Integration, November 1963, p. 153
第6表 中立国の債券の値動き
債券 6/27–
7/2 7/3–
7/16 7/17–
7/20 7/21–
7/25 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31
Sweeden 3% 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100
Sweeden 3.5% 99.7 97.9 98.4 98.5 99.2 98.3 98 98 98 98.2 Swizerland Chemin de Fer 100.3 99.6 99.5 99.5 99.5 99.5 99.5 99.5 99.5 99.5 Index 100 99.17 99.3 99.33 99.57 99.27 99.17 99.17 99.17 99.23
(出典:Holsti, Ole R., Robert C. North, and Richard A. Brody., “Perception and Action in the 1914 Crisis” in J. David Singer, ed., Quantitative International Politics: Insights and Evidence, The Free Press, 1968, p. 144)
第7表 ロンドン市場における12月収穫の小麦の値段(単位はシリング)12 6/20–26の
平均値 6/27–
7/2 7/3–
7/16 7/17–
20 7/21–
25 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 6.9 6.74 6.81 6.87 7.08 7.15 7.21 7.3 7.56 8.02 8.29 8.15 敵意の強度 3.46 3.66 3.79 4.17 4.92 4.46 5.1 5.16 5.48 5.7 6.42
であった。
7月中にロンドン市場における小麦の価格は20%以上も上昇した。敵意 の知覚データとは相関係数0.985を得た。これは1%水準で有意である。同 じようにベルリンにおけるライ麦の価格も、7月27日から29日の間に一袋 172.5マルクから176マルクへと上昇した。同じ時期に小麦は202.25マル クから207マルクへ、オート麦も167.25マルクから169.75マルクへと高騰 した。
以下詳細なデータの紹介は省略するが、ホルスティとノースはスターリン グ・ポンドに対するドイツ・マルクとオーストリア・クローネの為替レート を当時の新聞から取り出した。敵意の認知との相関係数はドイツ・マルクが 0.933となり1%レベルで有意、オーストリア・クローネが0.983とおなじ く1%レベルで有意であった。これは両国の通貨の急激な価値下落を意味し ている。7月27日までにドイツ・マルクは1.6%、オーストリア・クローネ は9.7%、ロシア・ルーブルは24.5%も価値を喪っていた。
次に、彼らは公定銀行レートと自由市場の為替レートや船荷の保険レート などを調べて、同様な結果を得ている。
結論としては内容分析から得られた敵意の知覚データは、各種の統計デー タと極めて強い相関を示していた。政策決定者の知覚が、実際の欧州危機の 進展を表す変数として利用できることが示されたと言ってよい。
第3節 敵意の認知と紛争エスカレーション
内容分析のデータ作成は作業とその妥当性のチェックが大変だが、一度 データが確定すれば、計量分析のメリットとしては、他の研究者が独自の視 点から研究し、自分なりの仮説検定やモデルの検証に使える。例えば、ホル スティは危機の認識と決定の間の関係を調べる以下のような比較的単純な分 析を行った。
仮説1: 危機の状態でストレスが高まるにつれて13、
a) 政策決定において時間の要素が次第に重要なものとして認知されるよう になる。
b)政策決定者は遠い将来のことよりも目の前のことに関心を持つようにな る。
仮説2: 危機の状態では、政策決定者は以下のように認知する。
a) 自国の選択肢の幅が、敵国の選択肢の幅よりも狭いと認知する。
b)同盟国の選択肢の幅も、敵国側の選択肢の幅よりも狭いと認知する。
仮説3:ストレスが増加するに連れて、政策決定者は以下のように認知す るようになる
a) コミュニケーションのチャンネルに過剰な負荷がかかっていると認知す る。
b)メッセージの中身がよりステレオタイプ化してくると認知する。
c) コミュニケーションの特別な回路を使用する傾向がある。
d)同盟間のコミュニケーションのよりも同盟内のコミュニケーションが増 加する。
4883件の認知データの中で、時間を示す認知データは160件あった。
欧州の各国政府はフェルディナンド大公暗殺を非難し、オーストリア政府 内でもハンガリー首相ティサ(Graf István Tisza de Borrosjenő et Szeged)を 除いて、セルビアへの懲罰的軍事行動が広く支持された。従来から対セルビ ア強硬策を唱えていた参謀総長コンラート・ヘッツェンドルフ(F. Conrad von Hötzendorf)は即時の開戦を主張した。しかし、セルビア支援が予想さ れるロシアの介入を阻止するためには、同盟国ドイツの支持が不可欠であっ た。その意向を確認するために7月はじめに、ベルヒトールト(Graf Leopold Berchtold von und zu Ungarshitz)外相がベルリンに派遣された。ウィルヘ
13 Holsti, Ole R., “Perceptions of Time, Perceptions of Alternatives, and Patterns of Communication as Factors in Crisis Decision-Making” Peace Research Society
(International) Papers III, 1965, p. 86.
ルム皇帝はオーストリア支持を確約し、ドイツ政府首脳や軍部との協議でも この方針は了承された。この無条件の支持は「白地小切手」(Blank Cheque またはCarte Blanche)と呼ばれ、ドイツに開戦の責任があることの重要な 根拠とされることになった。
オーストリアの対セルビア最後通牒が明らかになると、7月21–29日の間 の 「時間」 認知は、その54%が戦争を回避するため、あるいは少なくとも 地域紛争にとどめるために、バルカン半島における事態の進展を遅らせる必 要があると言う内容であった14。欧州の政治家たちはバルカン半島の紛争が 全ての欧州諸国を巻き込む危険性に気づいていた。少なくとも三国協商側は 時間の必要性を認識していた。
しかし、7月30日にロシアが動員令を下すと、その意図はオーストリア を抑止するためであっても、セルビアとオーストリアとの地域紛争を、欧州 の同盟関係全体を戻ることができない段階へと進める結果になった。8月1 日には多くの政策決定者は欧州の勢力均衡が保たれるならば、全面戦争は避 けられるとの認識を示していた。この段階では 「時間」 の認知は異なる意味 を持ち始めていた。7月30日–8月2日の間の48.1%の 「時間」 認知は、起 こるかもしれない戦争に対して、自国は準備する必要があるという内容のも のであった15。
このような状況になると、ある一国の戦争準備が、他国の戦争準備の口実 になってしまう。例えば、ペトログラード駐在ドイツ大使フリードリッヒ
(Graf Pourtalès von Cronstern Friedrich)はロシア外務省に対して、戦争準 備は相手側の戦争準備をもたらすと警告している。欧州の大国が具体的な行 動として動員を開始すると、作用–反作用の連鎖反応に火が付いて各国が一 斉に動員を開始することになった。各国の政策決定者は時間の圧力と同時 に、動員の理由にも関心を持っていた。8月3–4日の危機の最終段階になる
14 Holsti, op. cit., p. 91
15 Ibid., p. 92
と、「時間」 認知の78.2%は相手側がその意図を即座に明らかにしないこと に重大な関心を示していた16。
仮説1a)は独墺同盟では確かに危機の後半ではその傾向があったが、統 計的に有意ではなかった。(マン・ウィットニー検定でp=0.19)しかし、三 国協商側では強い関係が出た。(p=0.009)
仮説1b)に関しては、160件の時間認知データの中で、遠い未来を意味 するデータは僅かに8件しかなかった。その8件も危機の前半部分で起き ていた。
6月27日–7月29日 7月29日–8月4日
目の前のこと 68 84
遠い将来 8 0
フィッシャー検定 p=0.002
仮説2 「必要性」 “necessity”とは、可能な行動が僅か1つしかないと認知し ていることである。「閉鎖」 “closed”とは、ある行動が取れないとの認知で ある。「選択」 “choice”とは、一つ以上の行動が可能であるとの全ての 「認 知」 声明である。
他国と比べて自国の選択肢は限られていると認知する傾向は、各国の政策 決定者に共通であった。例えば、7月28日にニコライ二世は、戦争になる ような極端な手段に訴えるように、私の肩に圧力がかかっていると警告して いる。更に、3日後従兄弟のカイザーとの必死のやり取りの書簡の中で
「オーストリアの動員に対抗した我が国の戦争準備を取り消すことは技術的 に不可能である」と述べている。
ドイツは東部におけるロシアの脅威に対抗するためには、戦争準備をする しか方法がないと繰り返して主張していた。ロシアと同じように、ドイツも 自国の軍部をコントロールすることはもはや不可能であり、相手の妥協的な 行動のみが危機のエスカレーションを防ぐ唯一の方法であるとカイザーは主
16 Ibid., p. 94
張していた。
フランスとオーストリアも自国の動員令を下す時に、自国には選択肢は一 つしかなく、平和へのイニシアチブは相手方が持っているのとの認識を示し ていた。
閣内不統一に悩む英国は、中立を求める産業界からの要請もあり、危機の 最後の週に、まだ戦争を回避することは出来るはずだと繰り返し発言してい た。しかし、7月29日にはニコルソン英外務次官が「外交交渉は尽くされ たと思う」と述べるにいたった。同日、ロシアのサザーノフ外相も戦争は不 可避だと日記に書いている17。
ホルスティはこの3者を二つに分けて分析した。
選択 必要性
自国 10 109
敵側 21 3 χ²=73.6 p<.001
必要性 閉鎖
自国 10 19
敵側 21 0 χ²=22.2 p<.001
ゴードンはこの二つに分ける分析方法を批判し、2×3行列で統一して検定 すべきだと指摘している18。
例えば、ドイツの 「選択」、「必要性」、「閉鎖」を見ると 選択 必要性 閉鎖
自国 10 109 19
敵側 21 3 0 χ²=69.5 有意水準p<0.001
17 Holsti, op. cit., p. 102
18 Hilton, Gordon, “The 1914 Studies: A Re-Assessment of the Evidence and Some Further Thoughts” Peace Research Society (International) Papers, XIII, 1969, p. 125,
以下は分布を省略して、その結果だけを示すと、
オーストリア=ハンガリー χ²=1.4 有意でない、
ロシア χ²=9.5 p<0.01
フランス χ²=20.8 p<0.001
英国 χ²=46.1 p<0.001
2×2行でも2×3行でも有意水準の結果が同じで、ほぼホルスティの仮説1 と2を証明しているように見える。
次に、自国の選択肢が敵国側と比較して少ないと認知する一方で、自国の 同盟も敵国側の同盟よりも選択肢が少ないと認知していただろうか? ドイ ツの外交文書にはオーストリアが唯一の政策を追求しているので、オースト リアを説得することが出来ないとの記述が目立つ。他方でカイザーは英国の ジョージ5世(King George V)に対して、同盟国の行動を抑制するように 求めていた。オーストリアの行動を抑制しようとする帝国宰相ベートマン=
ホルベークの最後の努力も、オーストリーに対して即座の総動員を求めるモ ルトケ参謀総長の電報によって、その効果を帳消しにされてしまった19。
Gordonの分析によれば、国家ではなく同盟を分析単位にしてみると、独
墺同盟は1%レベル有意であったので、一貫して自国同盟側は選択肢がな く、選ぶべき道は一つしかなく、他の途は閉ざされていると認知していた。
他方、三国協商側は5%レベルで有意なので、独墺同盟ほどではないが、同 じような認識を示していた。
選択 必要性 閉鎖
同盟 13 20 3
敵側 21 6 0
χ²=12.7 p<0.01
19 Holsti, op. cit. pp. 107–108.
三国協商では
選択 必要性 閉鎖
同盟 30 17 7
敵側 39 6 3
χ²=8.0 p<0.05
仮説3に関しては、ホルスティは、1)外交官(大使、公使、武官、領事)
から政策決定者への通信、2)政策決定者から在外外交官への通信、3)一国 の政策決定者から他国の政策決定者への通信、4)中心的政策決定者の間で 回覧された文書、の4分類をした。分析単位も文章と単語数の2つを測定 している。各文書の行当たりの平均単語数は、50頁目で全ての単語を数え て行った。2780の国家間コミュニケーションのうち1530がストレスの低い 段階で行われていた。この1530のうち僅か74件が政策決定者の間の直接 コミュニケーションであった20。
データ(省略)から明らかなことは、危機の後半で通信量が激増している ことである。危機を6月27日–7月28日と7月29日–8月4日に2分割す ると、χ²検定で0.001%レベルで有意であった。しかしながら、厳密に言う とこれは仮説3aの検証にはなっていない。確かに通信量は激増したが、通 信チャネルが過負荷になったかどうかはこれだけでは判断できないのであ る。過負荷の定義さえホルスティたちは下していないのである。
また政策決定者間の通信量は予測された方向ではあったが有意レベルに達 しなかった。その理由としては、危機が深刻になるに連れて文書ではなく、
直接顔を合わせたコミュニケーションがとられたことがあげられる。意外な ほど各国の政策決定者は危機に鈍感であったのか、それともわざと余裕のあ ることを示そうとしたのか、危機に対応していない行動を取っていた。例え ば、7月6日にはドイツ皇帝は王室のヨットで恒例としていた20日間の予
20 Gordon op. cit., p. 127
定でバルト海のクルージングに出かけた。他方、フランスのポアンカレー
(Raymond Poincaré)大統領とヴィヴァーニ(René Viviani)首相は、7月 16日にダンケルクを出発し、ドレッドノート級戦艦FranceとJean Bartに 乗ってロシアを7月23日まで海路訪問中21であった。また、ヤーゴウ独外 相は7月5日にスイスへ新婚旅行にでかけていった。各国の多くの政府高 官も自国の首都を離れていた。セルビアでさえパシッチ(Nikola Pašicˇ)首 相と多くの閣僚が8月中旬の総選挙のために、首都を離れていた。7月23 日にオーストリア大使から最後通牒を受け取ったのは、たまたまベオクラー ドに残っていたLazar Pacˇu財務大臣であった。彼はフランス語を話せない ために、通訳を呼ばねばならず貴重な時間が経過していった22。当然首都を 離れていた首相や外務大臣との緊急通信の必要があった。このような理由か ら、文書の通信量が増えていたと思われる。
仮説3bの検証で、ホルスティはステレオタイプの操作的定義として、通 信の長さの平均値を取ったが、これは正確にはステレオタイプの定義とは言 えないであろう。単なる冗長性を測定しているに過ぎない。フランツ・フェ ルディナント大公夫妻の暗殺直前(6月27日–7月2日)の通信の平均は 326語であり、英国の参戦2日前(8月3–4日)には97語であった。この マン=ウィットニー検定は0.005%で有意であった23。これは危機が深まる と、通信が簡潔になってきたと判断するべきではないのか?
21 これがオーストリアの最後通牒手交のタイミングを決める要素になった。予定よ り1時間早い23日午後6時に最後通牒をセルビア政府に渡すように、ギーゼル
(Wladimir Freiherr Gisel von Gieslingen)大使は23日早朝命じられた。フラン ス大使はペトログラードにいるポアンカレー大統領にこの内容を打電しており、
戦艦フランスは同地を午後11時、中央欧州時間9時半に出航予定であった。3 時間半でペトログラードに連絡できるかどうか不明であったが、少しでも露仏が 協力して対策を取る時間を少なくすることが目的であった。即ち、フランスの政 策決定者の不在を狙ったタイミングだと思われる。
22 この最後通牒(オーストリア側は外交文書を意味するʻdemarcheʼという用語を 使っていた)に関する興味深い記述は、Otte, T. G. July Crisis: The Worldʼs De- scent into War, Summer 1914, Cambridge University Press, 2014, 第5章による。
23 Holsti, op. cit., p. 113.
仮説3cは、2780の通信のうち1530が危機の後半でなされたが、そのう ち4.8%に当たる74通が政策決定者間の直接通信であった。他方、危機の 最後の7日間に1250通のメッセージが出され、そのうち116(9.3%)が大 使を経由することなしに政策決定者同士の直接コミュニケーションであっ た24。
6月27日–7月28日 7月29日–8月4日
間接コミュニケーション 1456 1134
直接コミュニケーション 74 116
χ²=21.3 p<0.001
χ二乗検定でも0.1%レベル有意であった。
仮説3dは同盟間よりも同盟内部のコミュニケーションが増えると想定して いる。
危機前半には54.3%が独墺同盟と三国協商との間の通信であり、危機後半 になるとこの量は46.4%に低下している。
6月27日–7月28日 7月29日–8月4日
同盟内のコミュニケーション 700 670 同盟間のコミュニケーション 830 580 χ²=17.3 p<0.001
一般的には検証されたと言えるが、ドイツがこのパターンから逸脱してい た。ドイツは三国協商との通信を57%から68%へと増加していた25。
また、ジネス・ホルスティ・コッホはなぜ敗者は攻撃されていないのに、
戦争に勝つパワーがないにもかかわらず、紛争に巻き込まれていったのか、
なぜ敵対同盟の優勢な軍事力によって抑止されなかったのか、それとも独墺 側は自己と敵側との相対的なパワーの認識を誤っていたのか、などをスタン
24 Ibid., p. 112.
25 Ibid., p. 114