富士山周辺地域における戦時木材資源について
著者 松本 武彦
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 第75号
ページ 115‑151
発行年 2015‑01‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00003171/
論
富
説士 山 周 辺 地 域 に お け る 戦 時 木 材 資 源 に つ い て
松 本 武 彦
目 次 はじ めに 一 代用 資源 とし ての 木材 利用 . スフ . 松根 油 . 木炭 . 木製 飛行 機
︵
︶背 景
︵
︶日 本に おけ る開 発︑ 生産
︵
︶富 士山 周辺 地域 での 生産
︵
︶木 製機 生産 の実 態
─ 115 ─
二 静岡 にお ける 木材 資源 . 統制 下の 製材 産業
︵
︶統 制前 史
︵
︶木 材統 制法 と木 材会 社の 再編 . 伐採 . 木材 利用
││ 木造 船の 生産 . 富士 山南 麓に おけ る林 業 三 富士 北麓 にお ける 木材 資源 . 統制 下の 製材 産業
︵
︶統 制前 史
︵
︶木 材統 制と 地域 間関 係 . 伐採 と植 林 . 北麓 の林 業 四 軍と 木材 . 軍用 材の 用途 と量 . 軍用 材の 生産 . 木材 統制 と軍 用材 . 軍の 木材 調達 と利 用
︵
︶陸 軍
︵
︶海 軍 おわ りに
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はじ めに アジ
ア太 平洋 戦争 末期
︑日 本本 土は 連合 国軍 の激 しい 攻撃 のた めに
︑緒 戦に おい て日 本軍 の占 領す ると ころ とな って いた 南方 の資 源産 出国
・地 域と 切り 離さ れた
︒そ のた めそ れら 資源 の自 給の ため にさ まざ まな 代用 資源 が開 発 され
︑ま たこ れを 使用 した 物資 の生 産が 計画
・実 行さ れた
︒ そう した 代用 資源 のひ とつ に森 林資 源・ 木材 があ る︒ 石油 や石 炭の 不足 に対 応し たエ ネル ギー 源と して
︑木 炭や 松根 油が 注目 され て︑ 木炭 車が 各地 を走 行し
︑松 の根 っこ に加 熱す るな どし て得 られ る油 が航 空燃 料に なる と人 々 に喧 伝さ れた
︒木 材パ ルプ と化 学繊 維を 混ぜ たス テー プル
・フ ァイ バー いわ ゆる スフ の衣 料品 が考 案さ れ︑ ジュ ラ ルミ ン不 足の ため 敗戦 まで にほ とん ど実 用化 され ず使 いも のに はな らな かっ たの だが
︑木 製飛 行機 の開 発も おこ な われ た︒ こう した 事態 が起 こる 以前 には
︑人 々と 森林 との 関係 につ いて は︑ 森林 浴な どの 休養 保健 的な 関係
︑紅 葉狩 りな どの よう な鑑 賞対 象と して の関 係︑ 研究 対象 とし ての 学術 的関 係︑ そし て林 業と 総称 され る経 済的 関係 があ った() が︑ 戦時 にお いて はこ れら に軍 事的 関係 が加 わっ たと 言っ てよ かろ う︒ 以上 の如 き情 勢を 背景 とし て考 慮し つつ
︑そ の広 大な 山体 と周 辺に 包持 する 森林 資源 を通 じて
︑富 士山 麓の 農民 をは じめ 軍︑ 政府
︑産 業等 がい かな る関 係を 有し たか を︑ とく に軍 事的 関係 に絞 って 明ら かに する のが
︑本 稿の め
─ 117 ─
ざす とこ ろで ある
︒ そも そも 戦時 下の 富士 山麓
︑そ こに 住む 住民
︑な かで も他 の居 住者 に比 べて 林業 に関 係が 深い と思 われ る農 民た ちは
︑ど のよ うな 情況 に置 かれ てい ただ ろう か︒ たと えば 富士 北麓 の忍 野地 域に おい ては
︑日 中戦 争の 開始 によ っ て︑ それ 以前 の日 本社 会全 体に 巨大 な影 響を 与え た昭 和恐 慌か らの 回復 がみ られ
︑昭 和八 年以 降農 家経 済は 安定 し︑ 加え てイ ンフ レー ショ ンや 戦時 統制 経済 の進 行に より さら に安 定す る傾 向が 増し た()
︑と いう
︒北 麓に おい ては
︑こ うし た社 会経 済情 勢は
︑生 産力 の向 上等 によ るの では なく
︑養 蚕の 相対 的不 況お よび 主要 食料 の増 産確 保政 策と に よっ て︑ 桑園 の整 理と トウ モロ コシ
︑小 麦︑ 大麦
︑ジ ャガ イモ への 転換 によ って 生ま れた もの だっ た︒ なか でも 畑 作の 大半 はト ウモ ロコ シで 占め られ てい たが
︑そ の生 産に は多 くの 労力 と肥 料が 必要 であ った にも かか わら ず︑ 自 給作 物と して 生産 され たか ら︑ 農民 たち は高 価な 作物 を自 己消 費す るこ とと なっ てい た︒ こう した 情況 は地 域の 生 産力 の低 さと 停滞 性の 象徴 とさ れる が︑ 一方
︑農 家経 済の 安定 と農 業所 得の 増大 は︑ 出稼 ぎの 漸減 をみ
︑出 稼ぎ 人 が帰 郷す るに 及ん で︑ 地域 に多 くの 潜在 失業 者を 抱え るこ とと なっ た︒ 以上 のよ うな
︑地 域の 経済 的社 会的 変動 は︑ 地主 の寄 生化 の低 下︑ 自作 農の 増加 に帰 結し た︑ とい う︒ 林業 との 関係 では
︑た とえ ば忍 野も その 一部 であ る富 士北 麓に おい て︑ 農民 たち と林 野の 関係 は︑ 自己 保有 の私 有林
︑居 住す る集 落の 林野
︑数 か村 の入 会林 野と いう かた ちで 従来 から 存在 して おり
︑さ らに 御料 地か ら地 域に 下 賜さ れた 林野 を農 民が 入会 民と して 利用 する のに
︑恩 賜林 組合 が結 成さ れこ れを 通じ た利 用が はか られ た︒ その 実 態は
︑恩 賜林 組合 の統 制の もと で使 用し それ によ って 収益 を得 る入 会と
︑恩 賜林 組合 が一 定の 土地 区画 を区 切っ て これ を入 会民 に割 り当 てて 利用 させ る︑ いわ ば組 合が 地主 で入 会民 が小 作と いう 関係 を形 成す る場 合が あっ た()
︒
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林業
・木 材と 戦時 下の 富士 山周 辺地 域の 関係 につ いて は︑ たと えば 山麓 とは 言え ない が富 士山 周辺 地域 のひ とつ 静岡 県清 水市 内に
︑航 空機 用の 単板
︵ベ ニヤ
︶を 製造 する 会社 が存 在し たこ とな どが 知ら れて いる() し︑ 富士 山麓 の 木材 と軍 用材 を直 接結 び付 けた 文章() もあ る︒ 本稿 にお いて は︑ 信頼 でき る明 確な 史料 の欠 如に より
︑そ うし た富 士 山周 辺地 域に おけ る木 材産 業︑ 軍用 材の 生産 が︑ 富士 山の 森林 資源 を中 心と して 成立 した とは 考え てい ない
︒ま た︑ 清水 市以 外の 他地 域に おけ る軍 用材 が富 士山 で伐 採さ れた 木材 から 加工 され たも ので ある とい う仮 説も
︑当 面︑ 史 料の 面か ら成 立し 得な いと 考え てい る︒ ただ し︑ 後述 する よう に︑ 戦争 末期 には
︑輸 送上 の問 題か ら木 材の 伐採 地 に近 接し て︑ 木材 の加 工工 場や 製品 化の ため の工 場が 立地 する する 傾向 にあ った
︒こ のこ とを 敷衍 すれ ば︑ たと え ば前 掲の 清水 市に おけ る軍 用材 の原 料と なっ た木 材の 伐採 地が 富士 山で あっ た可 能性 を︑ 全く 否定 し去 るこ とも で きな い︒ そこ でま ず︑ そも そも 戦時 下に おけ る代 用資 源と して の木 材は
︑ど のよ うに 生産 され 利用 され たの か︑ その 実態 につ いて 確認 して おこ う︒ 一
代用 資源 とし ての 木材 利用
.
スフ 繊維 製品 の代 用品 とし て︑ 木材 パル プを 溶解 し他 の化 学繊 維な どと 混合 した 繊維 素を 布状 にし て︑ 衣服 の全 部ま たは 一部 に使 用し たも のに スフ︵ス テー プル
・フ ァイ バー
︶が ある
︒そ の生 産量 は昭 和七 年に 五五 万七
〇〇
〇ポ ン
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ドだ った もの が︑ 昭和 十三 年に は三 億五
〇〇
〇万 ポン ドに 激増 して いる()
︒需 要増 大の 背景 には
︑綿 花や 羊毛 の輸 入 節減 が巨 額に のぼ った こと があ げら れる()
︒輸 入制 限に よる 天然 繊維 原料 の不 足が 代用 繊維 とし ての スフ の生 産増 加 に結 びつ いて いた
︒ス フは
﹁国 策繊 維﹂ と称 され
︑ス フを 使用 する こと は︑
﹁国 民大 衆の 国家 に対 する 消極 的協 力﹂
︑
﹁愛 国精 神の 永遠 の発 露﹂ とさ れた()
︒た だし
︑そ の品 質は
﹁劣 悪﹂() だっ たか ら︑ いわ ゆる スフ 統制 によ って
︑消 費 奨励 策が 構じ られ た︒ 昭和 十二 年五 月︑ スフ 織物 の消 費税 が免 除さ れる よう にな り︑ 十二 月に は学 生服
︑官 庁支 給 服等 への 混用 が始 めら れ︑
﹁毛 製品 ステ ープ ルフ ァイ バー 等混 用規 則﹂ によ り混 用率 は二 割か ら三 割と 定め られ
︑ 翌年 七月 には 五割 から 九割 とさ れた が︑ 後に
︑オ ール スフ 製品 との 差別 化の ため
︑法 的規 制に よる 混用 率は 七割 に 引き 下げ られ た()
︒同 時に 価格 統制 も始 まり
︑公 定価 格が 定め られ
︑こ れを 上回 る価 格で の売 買が 禁止 され た()
︒昭 和
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十三 年下 期に おい て︑ スフ 生産 は静 岡︑ 愛知
︑大 阪等 が多 く︑ これ らの 地域 は在 来の 機業 が多 かっ たか らだ とさ れ てい る()
︒昭 和十 四年 にな ると
︑ス フの 生産 は︑ 統制 によ って 原料 パル プが 輸入 制限 を受 け︑ 減少 傾向 を示 した() が︑
12
13
既に 流通 する スフ 製品 がそ の後 の戦 時下 の人 々の 被服 生活 を支 えた
︒品 質の 改善 もあ って
︑戦 後も 生産
︑使 用が 続 いた()
︒
14.
松 根油 石油 資源 の不 足に 対応 して︑松 の根 が含 有す る油 分を 採取 して 得ら れる 松根 油が 代用 資源 とさ れた
︒鉄 製の 釜に 松の 根を 入れ て蒸 し焼 きに し︑ 発生 した 根中 の油 類と 材質 の分 解に より 生ず る油 の蒸 気を 冷却 し︑ これ によ り採 取 され る油 分が 松根 油で ある()
︒兵 庫︑ 山口
︑京 都︑ 宮崎
︑岡 山︑ 鳥取
︑奈 良︑ 千葉 など にお いて
︑昭 和十 年頃 約一
〇
15
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〇〇 トン が生 産さ れ()
︑昭 和十 二年 度春
︑一 缶一 八リ ット ル約 三円 八〇 銭︑ 昭和 十四 年度 春︑ 同五 円五
〇銭 で取 引さ
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れた()
︒昭 和十 九年 度︑ 油分 を抽 出す る釜 の数 は全 国で 二三 三〇
︑取 引業 者は 一〇 五七 にの ぼり
︑佐 賀︑ 沖縄 をの ぞ く 17
全国 に展 開し
︑静 岡に は四 二釜
︑一 三業 者︑ 山梨 には 五三 釜︑ 三七 業者 が存 在し たが
︑そ の規 模は 全国 的に 見る とそ れぞ れ中 位に 位置 して いた()
︒油 分を 抽出 した 後の 松根 は木 炭と して 資源 化さ れ︑ 本来 の木 炭同 様に 利用 され た
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が︑ それ には とく に樹 齢四
〇年 から 五〇 年以 上の 赤松 や黒 松で 伐採 後一
〇数 年以 上経 過し たも のの 根株 を使 用し た()
︒
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軍用 の燃 料と して の松 根油 への 着目 は︑ 昭和 十九 年春 頃︑ 海軍 がド イツ の松 根油 利用 に関 する 情報 を入 手し たこ と など から 本格 化し
︑同 年十 月に は政 府に よっ て松 根油 の増 産計 画が 立て られ た()
︒さ らに 昭和 二十 年二 月︑ 農商 務省
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山林 局に 松根 油課 が置 かれ た()
︒松 根油 の生 産は
︑多 くの 国民 がこ れに 従事 し︑
﹁航 空機 と軍 艦の 燃料 不足 を補 うた
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めに 全国 到る 所で 松の 根掘 りと
︑松 根油 の生 産に 大童 であ った が︑ 計画 半ば で終 戦と なり
︑松 根と 乾留 釜の 残骸 は 到る 所に 見ら れ︑ 戦争 の悪 夢と 共に 多く の人 々の 脳裡 に不 快な 汚点 と﹂() して 残っ た︒ その 活動 は︑
﹁﹃ 夢想 的﹄ な構
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想の 下﹂ で実 行さ れ﹁ 航空 燃料 とし ての 役割 は果 たす こと なく 終戦
﹂と なっ た()
︒
23
.
木炭 ガス 化し た木 炭で 自動 車を 走ら せる いわ ゆる 木炭 ガス 車の 開発 は︑ 昭和 四年 ごろ から 陸軍 によ って 始め られ︑そ の後 民間 での 開発 も始 まり
︑昭 和六 年に は帝 国森 林会
︑大 日本 山林 会が 普及 宣伝 活動 に着 手し た()
︒昭 和九 年に は商
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工省 が奨 励金 を支 給し てガ ス発 生装 置の 取り 付け 費を 交付 する など し︑ 同年 頃か らは
︑馬 力の 関係 もあ って
︑乗 合 バス の木 炭車 化が 宣伝 され 始め
︑商 工省 燃料 局に よる デモ ンス トレ ーシ ョン が各 地で 開催 され た()
︒ま た︑ 必ず しも
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