奈良教育大学学術リポジトリNEAR
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育 実践の射程 −「FD」論議の遥かなる地平を俯瞰し て−
著者 岡本 定男
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 58
号 1
ページ 1‑21
発行年 2009‑11‑30
その他のタイトル A Range of Cultivating Communicable Capacity of Sensible Human Skin in the Lesson of
Uuniversity ─ Bird's Eye Viewing on the Far Horizon about the Discussion with FD
URL http://hdl.handle.net/10105/1916
1.はじめに
2008年のアメリカでのサブプライム問題に端を発し、
とりわけ9月に入ってのいわゆる「リーマンブラザーズ ショック」(1)をきっかけに、我が国を含む世界の多くの 人々の暮らしは、地球規模の激変を迎えている。金融関
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程 1
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程
−「FD」論議の遥かなる地平を俯瞰して−
岡 本 定 男
奈良教育大学学校教育講座(教育学)
(平成21年5月7日受理)
A Range of Cultivating “Communicable Capacity of Sensible Human Skin” in the Lesson of Uuniversity
─ Bird’s Eye Viewing on the Far Horizon about the Discussion with “FD”
OKAMOTO Sadao
(Department of Schoo1 Education, Nara university of Education, Nara 630-8528, Japan) (Received Apri1, 2009)
奈良教育大学紀要 第58巻 第1号(人文・社会)平成21年 Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 58, No.1 (Cult. & Soc.), 2009
Key Words: Discussion with “FD”, “Talent as a member of society”, “Communicable capacity of sensible human skin”
キーワード: 「FD」論議,「社会人基礎力」,「人肌 感覚コミュニケーション力」
Abstract
The economical precedent crisis has been covering since the so called “Lehman Brothers Shock” all over the world. This influence is appearing in the many areas in our country. Not a little people are thinking various volunteer for the men and the occasion in difficulty. What is called “NEET” and “Freeter”
exist a few millions now. We are becoming aware of the fact that the origin of this disaster is the the
“Speculative Economy”.
0n the other hand, many universities and colleges are falling short of the full member. All teachers of universities are compelled the “Faculty Development” lately. This discussion with “FD” is starting in all over the universities and colleges in Japan. But this approach is remaining the situation only in the teacher’s “FD”. It is needless to say that the “FD” is an indispensable affair for the teacher and university.
We need to take care of the fact that the target of this discussion with “FD” is nothing but our students.
I have visited many universities in a west area of Japan in order to research and to discuss about this
“FD” in the last days. 0n the other hand, I have investigated the core point in the discussion with “FD” as a sample questionnaire to students.
I attempt to emphasize in this paper that the “Talent as a member of society ”and the “communicable capacity of sensible human skin” are attained in a full level in my lesson.
Its achievement will suggest a fundamental and essential goal of the discussion with “FD”.
係を中心とした未曽有の危機が、隅々にまで及び、経済・
政治をはじめとした国民生活のあらゆる領域に重く暗い 影を落とし始めている。
そうした流れを受け、我が国における2009年年頭の国 民的話題の一つが、東京都日比谷公園に設けられた「年 越し派遣村」であったことは記憶に新しい。(2)この「派 遣村」は、その後、間もなく、仙台市、さいたま市、浜 松市、岡崎市、大阪市などの都市部を中心に全国に広が り(3)、現時点での最新的状況を映す数値の一つとして、
厚生労働省は、2009年3月末までの半年間に約15万8千 人が失職したことを報じている。(4)
こうして、2008年に入って国民意識に急速に浸透した
「格差」感を超えて、2009年は、「貧困」が、さながら 今日的時代を象徴するキーワードの一つとなる様相を見 せ始めている。
格差・貧困の背景にあるのは、実体経済から株・証券 など各種の賭博的投機的ないわゆる「投機経済」(5)の普 遍的常態化である。(6)そういう意味において、「反貧困」
は、紛れもなく「反人間」の課題に通底している。
それは、言うまでもなく、憲法条項に謳われた基本的 人権や文化的生存権の問題である。労働や「仕事」は、
単なる生存・生活資金の調達手段として重要であるのみ ならず、「ヒト」が「人」であり「人間」であることの 歴史的必然性を支える必須の前提であるからである。
一方で、1990年代半ば以降、分けても1995年初頭に起 きた「阪神淡路大震災」以降わが国で蓬髪として高揚し 始めた「ボランティア」社会の到来は、2009年に入って、
ますますその真価を問われていると言える。
2009年1月に調査された内閣府の『社会意識に関する 世論調査』の中の、分けても、「社会への貢献意識」に 関するまとめを見てみると、「日頃,社会の一員として,
何か社会のために役立ちたいと思っているか,それとも,
あまりそのようなことは考えていないか聞いたところ,
『思っている』と答えた者の割合が69.3%,『あまり考え ていない』と答えた者の割合が28.5%」となっている。
さらに、「社会への貢献内容」を見てみると、「『自然・
環境保護に関する活動(環境美化,リサイクル活動,牛 乳パックの回収など)』を挙げた者の割合が41.6%と最も 高く,以下,『町内会などの地域活動(お祝い事や不幸 などの手伝い,町内会や自治会などの役員,防犯や防火 活動など)』(36.6%),『社会福祉に関する活動(老人や 障害者などに対する介護,身の回りの世話,給食,保育 など)』(35.4%),『自分の職業を通して』(27.8%)な どの順となっている。(複数回答,上位4項目) 前回の 調査結果と比較して見ると,『自分の職業を通して』
(25.6%→27.8%)を挙げた者の割合が上昇している。」 という。(7)
「前回の調査結果」とは、昨年2月を指しており、こ
の間に「リーマンブラザーズショック」が起こったこと を考え合わせると、興味深い動向を見てとることができ よう。
即ち、人々の「社会貢献」意識は、高いレベルで維持 向上しつつあるとともに、「リーマンブラザーズショッ ク」を境としてその貢献の在り方が、「職業」を軸とし た内容に顕著化している、という点である。ここから、
「社会貢献」は、特段の「ボランティア」だけでなくと も、「自分の職業を通して」行いたいという意識がほの見 えていると同時に、「仕事」を含めて、人々の他者への 関わりへの希求度が、着実に向上している大方の趨勢を 明確に看取できるであろう。
ここには、「仕事」や「労働」の剥奪が、人々の「ボ ランティア」や「社会貢献」意識に微妙な影響を及ぼし ているとともに、その危機を「社会貢献」意識の着実な 高揚へと引き続き、あるいは、ますます押し上げる転機 とし得る可能性が暗示されている。
一方で、2008年から2009年にかけて、我が国の国民意 識に大きな励ましを与える出来事も立て続けに起こった。
4人の日本人による「ノ−ベル賞」受賞(8)、世界の映 画界最高峰「アカデミー賞」のダブル受賞(9)、第2回
「WBC(ワ−ルド・べ−スボ−ル・クラシック)」優 勝(10)などは、その典型と言って良いだろう。学術、芸 術、スポ−ツ各分野における国民的誇りを鼓舞するこう したニュ−スは、暗く行き詰まりを色濃くする今日的世 相に、一条の光を投げかけている、と言っても過言では ない。未曾有の大不況下にあっての国民的意識や健闘は、
その確かな反転の機会をしたたかにうかがっている、と 捉えることも可能であろう。
こうした、わが国の国民レベルでの一大変化や動向と 相まって、注目すべきは、若者の生態であろう。
1990年代から社会問題化した「ひきこもり」や2000年 前後から俄かに注目され漸次通用語となった「ニート」
(通学・家事・労働および就労準備もしてない無業者)
をはじめ、広義の社会的不適応は、様々な対応を迫られ ている国民的課題の一つと言って良い。
一例を挙げれば、「ニート」に関しては、今や「ニー ト病」なる新用語も登場し、以下のような深刻な事例が 報告されてもいる。少し長いが、余りの深刻かつ衝撃的 な指摘なので、いくつか引用しよう。
「一般的には『月曜日から金曜日まで仕事なり学校な りに行って、土日は休む』という絶対的な1週間の生 活のリズムがある。しかし、ニートは仕事にも学校に も行っていないので、そういった1週間の生活のリズ ムが全く適用されないため、『今日がいったい何曜日 なのか。』を全く把握できていないニートが多い。」
「ニートは仕事にも学校にも行っていないため、早起 きする必要に迫られることがない。そのため自ずと睡 岡 本 定 男
2
眠時間が長くなりがち。また、その睡眠時間は脳が許 容できる時間を遥かにオーバーしてしまうので、原因 不明の頭痛に悩まされているニートは非常に多い。 」
「多くのニートは一日の中で、基本的にパソコンの前 に座っているか、ベッドで寝ているかのふたつの行動 しか取らない。それはある意味で、『寝たきりのお年 寄り』みたいなもの。 そのため、多くのニートは多く の『寝たきりのお年寄り』がそうであるように、トイ レに行くのも億劫になってくる。行き過ぎたニートの 中には、トイレに行くのがあまりに億劫で、部屋の中 でしてしまう者も少なくないという。」
「今、ニートたちの間で問題になっているのが『発声』
の問題である。長期間、誰とも会話をしないニートた ちの声帯はみるみる縮小・退化し、いざ声を出そうと しても声が出ないのである。ニートから脱出するため にはバイトの電話をしなくてはならない。しかし、声 が出ないからバイトの電話ができない。それによって、
また声を出す機会が奪われ、ますます声が出なくなる。
まさに悪の連鎖である。」(11)
具体的実証的根拠が示されていない指摘であるとして も、決してあり得ないことではない。かつて、1970年代 に、子どもたちの生活認識の激変や体力低下の危機が教 育界を軸に広く世間に知られ、「魚は、ス−パ−で売られ る切り身の姿で泳いでいる」とか「3本脚の鶏の絵」「転 んでも、手が出ず、顔を擦り剥く子が増えている」とい った報告が注目された。しかし、今や、こういった「ニー ト病」なる事態が、決して無視できない量と質で新たな 社会問題として登場し始めていることを直視する段階に 至っている。
こうした若者の状況は、今、どうなっているのか?
例えば、斎藤環・爽風会佐々木病院著『若者の自殺・
ひきこもり なぜ社会と隔絶するのか』(2004年12月)
によれば、「若者における非社会的傾向」として、おた く(240万人)、フリーター(400万人)、パラサイト・シ ングル(1000万人)、ニート(52万人)、ひきこもり(41 万世帯)と、その膨大な数値を記している。(12)「日本ナ ビ.COM」の「都道府県なんでもランキング」によれば、
2004年の我が国若者人口は、1847万2499人(13)であるから、
例えば、「おたく」は若者の13%、フリーターは、約5 分の1という高割合になる。斎藤らは、さらに、「核家族 の孤立が起こりやすい日本→ひきこもる本人、それを抱 え込んでひきこもる家族」(14)という日本的特質を指摘し ており、これら若者の非社会的問題は、そのまま家族全 体の桎梏となる状況を映している。
こうした、若者全体の近年の「非社会的傾向」と関わ って、さらに、一つの注目すべき動向の一つに、大学に 入学して以降、様々な理由によって中途退学する割合の 無視できない増加がある。
「OECDデータベース教育指標2000」によると、「日本の 大学生の中退率は約11%に達しており、もはや中退とい う選択肢は特殊なものとは言えなくなっている」と言 う。(15)
同世代の若者のほぼ半数が大学に進学するわが国(16)に あって、大学入学者の1割が、卒業することなく中退し ているのである。学び成長するというあり方が若者の特 権ではなくとも、未来と希望にあふれた可能性の時間と 空間を十全に保障されているはずの若者学生の1割が、
学びと学生生活からリタイアしている事実は重い。
この点に関わっては、「ベネッセ教育開発センター」が、
「学びに向かいにくい」学生と称し、以下のように述べ る。
「近年、多くの高校が生徒の変化に直面しているのと 同様に、大学においても学生の変化が深刻化しつつあ る。第一志望大学に入学したにもかかわらず、学習に 打ち込むことができない学生や、授業には一応出席す るものの、主体的な研究活動を行えないなど『学びに 向かいにくい』学生が増加している」
「つまり、『学びに向かいにくい』学生が増加しつつあ る背景には、そもそも学びを目的として大学に進学す る学生が減少している、という事実が指摘できるので ある。」(17)
こうした「学びに向かいにくい」学生に対し、実際の 大学人の認識や大学生活環境の整備認識は、どうなって いるのか? 以下は、2009年度新学期のこの時期に、新 入生向けの講義で常に次の如く語っているという一教員 の「新入生の皆さん」という一節である。
「そもそも『教育』は、教えようとする者と学ぼうと する者の間でそのつど創り出すものです。そのために は双方の努力が必要で、責任は50%ずつです。私は皆 さんが思索に誘われるような講義をする責任がありま す。皆さんは私がそういう講義をしやすいように聴く 責任があります。私が聴くに堪えないような講義をす るようなことがあれば怒りなさい。その代わり、君た ちが聴く姿勢を持たなければ私も怒ります。(略)いつ までも偏差値などという相対的なものに縛られずに新 しい『大』学生になろうとしてください。ただしこの 学問という道は、自分の頭の悪さと、基礎知識の欠如 とに向き合う長くて苦しい終わりのない道です。だか ら、本当に自分のやりたい勉強であることが前提条件 となります。早くそれを見つけて、その道の手引きを してもらえる先生と出会ってください。これからが本 当の出発です。」(18)
先の「学びに向かいにくい学生」の増大とそれを迎え る大学(教員)の対応には、こうした「責任」論だけで は到底立ちいかない状況がある、というのが正当な現実 認識というものであるだろう。
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程 3
本稿は、未曾有の大不況に象徴される現下の国民的危 機に対する希望や展望を紡ぐべく、主として若者学生に 求められる能力とそれを育む実験的授業実践の到達点を
「FD」論議と関わらせて提示することを目指している。
2.「FD」論議の在処(ありか)
2.1.「低学力」の進行とリメディアル教育補償 かつて、「YAHOO! JAPAN 知恵袋」の2007年11月10日 の質問に、以下の内容が掲載された。
「現在大学生または大学を卒業した人はどのような動 機を持って大学に入学したのですか? 大学に入りた くて入った人はどれくらい居るのでしょうか……私の 周りの人を見るとほとんどが仕方なく来た人ばかりで す。当然講義もまじめに聞きません。とても勉強でき る環境ではありません。講義中にゲームをしていたり マンガを読んでいる学生が多く居ます。
私も電気工学科という学科名に騙されて入学しまし たが、予想に反した内容に辞めたくなります。こんな ことなら航空宇宙か建築にすれば良かったと思います。
中堅クラスの大学だとそんなに勉強しなくても入れ てしまうと思いますがこのクラスの大学に入った人は どうして上を目指さなかったのでしょうか?
(医学系や航空宇宙、建築など一部の学科は除きま す)
大学生とは名ばかりで中学生の頃の方がはるかに頭 が冴えていました。やはり多くの人は私のようにリス クを嫌って簡単に受かるレベルの大学を受けたのでし ょうか……もしかしたら電気工学科が特殊なだけかも しれませんが。
現在大学生または大学を卒業した人はどのような動 機を持って大学に入学したのですか?またその成果は どのようなものでしたか?」(19)
2007年、すでに大学は「全入時代」に入り、数値の 上から言えば、入学希望者と入学定員がほぼ同じか上 回る状況に入った。こういう状況の中、さまざまな問 題が表れ、「主に大学教育の質の低下、定員割れ、さら にその結果として引き起こされる大学崩壊など」(20)が 現実化しつつある。フリ−百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』は、こうした状況の一端を以下のように 解説する。
「大学全入時代を迎えるなかにあって、一部の難関 大学や有名大学への受験・人気が集中していること により、地方大学や新興大学は受験生・生徒集めに 苦戦している。日本私立学校振興・共済事業団が毎 年行っている調査では、近年私立大学で定員割れを 起こしている学部・学科等を持つ大学は全体の4割 を超えることが続いており、2007年度の調査では、
私立短大の定員割れ率が初の6割超となった(つま り半数以上が定員を満たしていない)。」
「定員割れを引き起こしている全入大学で新たに生 じた珍現象として、いかに平易な入試問題であって も対応できない受験生が発生し、大学側の困惑を引 き起こしている。程度によっては、およそ大学で学 ぶに値しない(高校入試問題ですら解けない)受験 生が出現し、入試の合否判定会議が紛糾する事態を 迎えている。『解答用紙に名前さえ書いてもらえた ら何とかします』という大学もある。(2007年5月23 日 読売新聞中部版)また、高校入試レベルの問題 を(各種推薦入試でも一般入試でも)大学入試問題 として出題しなければならないこと事態も、議論を 起こしている。」(21)
先の電気工学科の学生の嘆きや戸惑いは、こうし た状況の当事者レポートの一つとみて良い。この学 生が言うように、「大学に入りたくて入った人はど れくらい居るのでしょうか・・私の周りの人を見る とほとんどが仕方なく来た人ばかり」という実態は、
決して特殊な大学や学科のそれではないであろう。
大学に明確な目的意識を有して入学する学生はむし ろ少数派であり、「周りが行くから」、「大学くらい出 ていて普通」といった状況が、この学生の観察する
「ほとんどが仕方なく来た人ばかり」という状況に つながっていると見ることもできる。
そうした中での顕著な事例の一つが、こうしたい わゆる学力不足であるが、こうした事態は、すでに 10年以上前から、「分数ができない大学生」(22)や
「大学の理工系の学部に入っても分数の割り算が出 来ない人間」(23)の存在として、つとに指摘されてい たところである。それでは、こうした深刻な低学力 状況に対する今日的時点での大学側の対応は、どう なっているのか?
2008年春に『読売新聞』が調査した全国725大学 への調査結果(499校が回答)によれば、学士課程 1学年生を主に高校終了時までの「補習」を導入す る大学が、約5割あり、「個々の学生支援策として、
5割を超す270校が、定期的に学生の相談に応じる 教員の個人面談を義務化」しているという。(24)
一方、2005年には、こうした低学力克服に対する 研究団体である「日本リメディアル教育学会」も生 まれ、「組織的な研究と具体的な対応策を共有する こと」を目指す趨勢にある。(25)
この学会設立趣旨文には、以下のように、その狙 いや把握が記されている。
「リメディアル教育は,対象とする学生が多いので すが,段階的な学力に対応した教材で対応すること が可能です。リメディアル教育の内容である中学校 岡 本 定 男
4
および高等学校では,カリキュラムが学習指導要領 の縛りがあるため学習内容が共通化されています。
段階的に積み重ねている学習にはe-learningが効 果的ですので,今後e-learningを使ったリメディアル 教育が,さらに普及していくものと考えられます。
ただ,このような学生は,一般的に中・高であま り熱心に勉強してこなかったため,コンピューター リテラシーが低く,自学習の習慣がない場合も多い ことが推察されます。彼らに効果的に学力を付けさ せるためには適切な教材だけでなく,教室の確保や メンターの配置等において大学の管理部門との協力 が不可欠です。」(26)
こうした流れを受け、例えば、我が国の伝統的な受験・
教育関係出版社である「旺文社」は、2008年7月31日の
「News Release」で、「全入時代目前で6割の大学が新入 生の学力を問題視 旺文社初の学力補習(リメディアル)
教材を開発」(27)したことを告示している。
今や大学教育を成り立たせるための在学生への「学習 支援」の在り方(リメディアル)への研究や措置は、そ の存立や成否を分ける生命線の一つとなっていると言っ て良い。
2.2.喫緊的改革の上位に位置づく「FD」
こうした状況を受けて、大学におけるいわゆる「FD」
(ファカルティーディベロップメント)は、少なくとも 大学人の間におけるキーワードか流行語となった感があ る。この状況の決定的背景に、2007年度から大学院で、
今年度(2008年度)からは、学部における「授業<及び 研究指導>の内容及び方法の改善を図るための組織的な 研修及び研究」(大学<院>設置基準)が、義務化され たことがある。
今や、全国の大学にあっての様々な喫緊的改革項目の 間違いなく上位に位置づいているのが、この「FD」であ る。先項までに触れた如く、大学が、若者人口の2人に 1人を引き受けるようになってほぼ20年が経過している 我が国にあって、大学の在り方は、単に教員中心の研究 的整備や学生の勉強・課外活動等への一般的措置だけで は立ち行かなくなっているからである。
良くも悪くも「世間化」した今日の大学は、こうした かつての狭義の教学体制の自閉的な充実を期す段階をと うに過ぎていると言えるであろう。大学で学んだり身に つけた知識や技術、経験値や価値観が、社会人になって の心強い拠り所になり得るかどうか、大学は、改めて社 会からその真の教育的力量を問われ始めている訳である。
そうして、その中核に位置するのが、いわゆる「FD」で ある。
と こ ろ で、「FD」の 由 来 で あ る「フ ァ カ ル テ ィ ー
(Faculty)」は、一般に、「能力」「才能」「手腕」を指す
言葉であるが、社会における主たる通用語としては、以 下のようにその意味合いを転じてきた、という。(28)
「能力」、「機能」→(能力・才能の一分野)→(学問 の一分野)→(大学の)「学部」→(学部の組織)「教 員(全体)」
即ち、今日流布する「ファカルティー・ディベロップ メント」は、主として、あるいは専ら(大学)教員のデ ィベロップメントを指す言葉となっている。そして、い わゆる「FD」は、その教員の「学問的研究的成長発達」
ではなく、ましてや「教養的人格的成長発達」といった ものを意味するのでもない。旧来の大学教員、あるいは、
大学の社会的役割の主領域は、(専門的)「研究」ないし
「学問」発展に貢献する「研究者」「学徒」集団として のそれであった。今日この領域への役割や社会的期待が 低まったとか弱まったとかいうことは、ないであろう。
それへの期待や依存は、かつてのように、独占的絶対優 位な位置を占めることは少なくなっているとはいえ、依 然として、この領域への要請や期待は大きいことには違 いない。
しかし、大学に属する研究者は、言うまでもなく「教 員」でもあり、その研究成果や知見を社会一般に伝える のみでなく、それらに加えて、研究の(社会的)意義、
研究の方法、研究的価値や課題などを目の前の直接間接 の学生や社会人に対して模範的具体的に身をもって「教 える」責務を負っている。(29)
ただ、既に提示し論じてきた如く、今日の大学は、あ る意味、機能不全に陥っている。殺人や暴行や破廉恥事 案はめったに起こらなくとも、セクハラ・アルハラとい ったパワハラを含むいわゆる「キャンパス・ハラスメン ト」は世間並みに(?)生じるし、かつては、あまり問 題にもならなかった(?)こうしたケースへの規程や対 応セクションを有しない大学は、今日もはや存在してい ないか存在しえないと言える。
しかし、大学が、1960年代の「マス」の時代から「ユ ニバーサル」の時代へと突入したとされる今日(30)、各種 の「学び」や知的・社会的・人間的相互研鑽に対するモ ラルハザードやリメディアルへの有効な取り組みは、ま だ、始まったばかりである。 そうした諸課題の中にあ っての「FD」は、紛れもなく、ますます強まる教育機関 としての社会的要請や期待に実効的に取り組む、いわば
「主戦場」と言って良いだろう。
こうした事情を反映してか、「特色GP」「現代GP」や
「教育GP」など文科省の各種「GP」(グッド・プラクシ ス)といった「競争的資金獲得」や教育改革プロジェク トにあって、「FD」は、いわば、百花繚乱的な賑わいを 見せている。
高等教育の比較研究を専門としており、現下の「FD」
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程 5
論議(31)においても、一定の主導的関わりをなしている N氏は、最近の筆者との対話において、以下のように語 っている。
「例えばこういう問題があるんです。例えば見てくだ さい、これ。これだけFD絡みの催し物があるわけ、全 国あちこちでどんどんやっているわけでしょ。しかも 報告書も山ほどあるわけ。まさにFD花盛りなんです よ。」(32)
「FD」論議は、まさに「花盛り」であり、大学の所在 場所や設置形態、大小の規模、各種の市価論議や相場の 高低を問わぬ共通関心の首座的位置に占めているのが、
他ならぬ「FD」である。その成否は、今や大学の存亡存 否のかかった重大領域の一つとなっていると言っても過 言ではない。
2.3.「FD」論議の所在
こうした「花盛り」状況にある「FD」論議の所在は、
どの辺りにあるのであろうか?
まずは、元締めとも言える文科省は、本体たる「FD」自 体をどう把握しているのか?
文科省高等教育局大学振興課は、全国の計731大学(国立 87、公立76、私立567、放送大学)への調査結果を、平 成18年(2006年)5月1日時点で「大学における教育内 容等の改革状況について」としてまとめている。
ここでは、まず、「FD」の実施状況について、「FDを 実施している大学は年々増加しており、平成17年度現在、
575大学(約81パーセント)の大学が実施している。」(33)
とその状況を報じ、以下のような把握を示している。
「教員が授業内容・方法を改善し、向上させるための 組織的な取組みの総称である。具体的な例としては、
新任教員のための研修会の開催、教員相互の授業参観 の実施、センター等の設置などを挙げることができ る。」(34)
ただ、ここで注意すべき点として、以下の2点を指摘 できる。
①そもそもの法的規定にある「大学設置基準」(同第二 五条の三)及び、「大学院設置基準」(同第一四条の三)
の表現は、大学院にあっては、「授業」以外に「研究 指導」を含めているが、少なくとも現段階にあっては、
専ら「授業」にのみ限定されている。
②「組織的な研修及び研究」の実施規定は、やや「研修」
の方に重きがかかりすぎている。
とはいえ、この報告書は、「FDの内容」として、以下 のような項目を示している。
・新任教員研修会 ・新任教員以外のための研修会
・教員相互の授業参観 ・教員相互の授業評価
・講演会等の開催 ・授業検討会の開催 ・教育方法 改善のためのセンターの設置 ・センター以外の学
内組織の設置(35)
それらの取り組み内容にあっての高比率を示している のが「講演会等の開催」(全体の57%)、「センター以外 の学内組織の設置」(同42%)であるのに対し、「教育方 法改善のためのセンターの設置」(同20%)や「教員相 互の授業評価」(同18%)は、余りなされていない。(36)
即ち、「FD」の内容的実体の今日的到達点は、「FD」
に組織的に取り組む何らかの学内組織の設置と「FD」に 関わる(啓発的)講演会に多くの大学が取り組んでいる ということになる。
一方、個々の大学内の取り組みのみではなく、大学が 連携して「FD」向上への情報交換や研究を行う動きがあ り、その一つとして、「全国的に見ても最も先進的かつ実 質的な試み」(37)を目指す「関西地区FD連絡協議会」が、
2008年4月26日に結成された。その協議会が、設立総会 に向け会員参加校を中心に行った調査(38)は、現時点に おける「FD」論議の内容を概観する上での貴重な示唆を なしている。即ち、調査対象校こそ関西圏の大学中心で はあるが、先の文科省の調査より立ち入った内容に及ん でいるからである。
まず、「FD」活動の活発さについては、国公立総合大学、
国公立単科大学、私立総合大学、私立単科大学および短 大すべての学校種を通じて、「4.とても活発 3.や や活発 2.あまり活発でない 1.まったく活発でな い」の評定平均値が「2.37」。最低の「私立総合大学」
から、最高の「3.00」の「国公立総合大学」までの分布 となっており(39)、先の文科省の調査での実施率81%の内 容的実感を補足するものになっている。この100校規模 の(関西圏)大学の実状平均値は、多くの大学での「FD」
が、今日、全体として活発化に向かいつつある状況を映 しているものと言える。
次に、その内容について見てみる。「連絡協議会」の調 査項目は、先の文科省調査よりも立ち入っており、全部 で14項目にわたっている。
各項目は、多岐にわたり、「1組織的な改善へ向けた教 員の連携」「2教員個々人の熱情や自覚を高めるための啓 発」「3教育に関係する大学職員の研修」「4学生による 授業評価」「5教員の教育業績評価」「6教育業績良好な 教員の顕彰」「7教育改善に関する講演会等による知識の 普及」「8具体的な教育技術等に関するワークショップ」
「9教育に関する施設・設備の改善や充実」「10授業公 開」「11教員の自主的勉強会」「12学生の意欲向上のため の学生支援」「13学生の基礎学力を補償するための授業 等」「14初年時教育」(40)である。
この調査では、同様項目について、「現在までに実施し てきたこと」及び「今後、力を入れて実施したいこと」
に分けて、やはり「4.あてはまる 3.ややあてはま る 2.あまりあてはまらない 1.あてはまらない」
岡 本 定 男 6
の評定平均値を示している。その結果の内、「今後、力を 入れて実施したいこと」の上位を占めているのが、「組織 的な改善へ向けた教員の連携」(平均3.67)「学生の 意欲向上のための学生支援」(同、3.54)「教員個々人 の熱情や自覚を高めるための啓発」(同、3.51)である。
これら3項目は、「現在までに実施してきたこと」にあっ てもいずれも高位に位置づいているが、「今後」のFD内 容としてさらに高位に位置づけられているものであ る。(41)
しかし、「FD」論議の内容的所在を明かす上で、同調 査において注目すべきなのは、「自由記述」部分である。
回答数は、計38校(回収率32.2%)とやや少ないが、現 下にあっての大学教員の中心的関心を示唆している。
「まず、FDの課題について寄せられた回答からは、
FDの諸活動を支えるための資源の少なさ(人的資源、
財源、情報源)をいかに整備していくのか、という 課題が把握された。」
と言い、さらに、「FDの活動範囲をどのように広げ 限定すべきか、といった問いや、公開授業を実施する ことの是非をどう考えればよいのか、などの記述が寄 せられている。」と報じている。
そして「FD」論議の向う方向と関わっては、「FDに よって解決したい」各大学の課題として、「もっとも多 く寄せられたのは、例えば学生の意欲の向上など、『学 生』に関する回答が挙げられる。」とまとめている。(42)
これらは、調査者のまとめの一部であるが、ここで、
「自由記述」そのものの中から、注目すべきものをい くつか掬い上げてみよう。
そこでは、単なる「FDとは何か?」という次元を超 えて、FDをどういう視点や態勢で進めていくべきか という点への提言や意見が目立っている。
「大学における教育については、FDという形で効 果を上げる部分と、そうでない部分(カリキュラム 外の教員と学生の交流による教育等)があると思い ます。FDを進めていく上で、FDで踏み込める部分 を明らかにし、それに関してどう臨むか考える必要 があると思います。」(私立大学)
「FDは各大学独自の特色を出すことが重要と考え ます。したがって、強制的な枠組みの構築は控えて 頂きたいと思います。」(私立大学)
「FD活動が決定されても、一部の教員に負担がの しかかるだけである。」(私立大学)
「18歳人口の長期的低減傾向の中で、良質な学生の 確保は重要な課題である。大学は、常に教育内容・
方法、教育環境等について検証し、学生、保護者、
地域を始め企業等社会の要望や期待に応えることが、
肝要である。FDという『ことば』にとらわれること なく、日常的に検証し、社会の負託に答える必要が
ある。」(私立大学)
「小生からの提言ですが、今後のFD活動のポイン トとして学生およびその父兄のみではなくいわゆる 一般社会との接点の場をFD活動の一環として是非 積極的に設置されることを提言させていただきま す。」(私立大学)
「FD活動の重要性、活性化による大学教員全員が 共通認識のもと、学生中心にシフトした大学教育改 革に取り組むべきと考えます。この取組む意欲を全 教員が一丸となって教育効果を上げないと大学離れ、
格差大学も進行するものと思います。」(私立短大)(43)
これら「FD」論議を通して言えることは、FDの中身 をどこまでどのようにとらえるのか(範囲)ということ と、それをどのような視点で進めるのかという点の重要 さへの指摘である。
今日にあっての「FD」論議は、その資源や推進体制、
あるいは授業評価の仕方など、実施を前提とした取り組 みの段取りや方法論議に陥りがちであるが、これら「自 由記述」に散見されるごとく、その「視点」と「範囲」
を巡る遥かなる地平へと改めてその視野を広げる必要が あるであろう。
3.「社会人基礎力」と「教育基礎論ⅠB」の間
3.1.学生から見る「本来の大学」と「授業満足度」
先の「関西地区FD連絡協議会」が結成にあたって調査 した項目の「自由記述」に散見されたものとして、学生 に関するものの記述がある。
「私共の大学では、入試に基本的に学力試験を課さな いため、自分達が教えている学生の本当の学力がわか らない状況になっていて、そうなるとFD以前の問題 であるということを、最近痛感しております。」 ところで、筆者は、先に、(本学FD委員として、かつ、) こうした「FD」論議を研究対話的に興すことをも意図し て、2008年暮れから2009年初頭にかけて、FDに関する先 進的取り組みをなしていると見られる西日本のいくつか の大学を訪問した。(44)その詳細については、報告・記録 の冊子を参照できる(45)が、そこでの全聞き取り・対話 を通しても、前節の「自由記述」に多くみられた大学人 の懸念や問題意識の正当性を深く看取した。
その核心部分の一つは、今日の「FD」論議が、手続き 方法論的な広義の「テクノロジー」のレベルに留まって いる、という点である。確かに学生による授業評価や教 員相互の授業交流会、はたまた教員・職員に対するきめ 細かく手厚い研修、それらを有機的総合的機動的に推進 する関連機構の整備や各種設備の拵えや更新は大切であ る。しかし、問題は、それらの視野や範囲が、基本的に ファカルティー(教員集団)の身内論議に終始している、
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程 7
ということである。FDの肝心の対象たる学生への研究、
あるいは、その中に動的に分け入って、ある意味、学生 やその背景にある卒業生・保護者・地域、はたまた一般 社会人とともにともに今日あるべき大学を「共創」する 視点が決定的に不足ないし欠如している点である。
なかんずく、こうしたいわば「FD論議の遥かなる地 平」に違和感を覚える「FD」の代表的推進者の存在があ る。以下の言説は、筆者が展開した、「FD論議の遥かな る地平」の披瀝に対して、訪問先大学のFD責任者が返し た応答の一例である。
「それは、おっしゃることは、非常に学生の意識的な ことで、有意義なことだなとは感じましたけども、例 えば教員側の授業改善ということとどう関係するとい うふうにお考え……。」
「要するに学生を何らかの形で活性化するということ ですよね。」
「それは大事なことだいうことはよくわかるんですけ ども、少し別なマターですよね。」(46)
これらは、単にFDが、まだ初発の取り組み段階レベル に居るに過ぎないという点からの制約とも言えるが、先 の「自由記述」での切実な懸念の多数の存在を考慮して も、きわめて重要な論点に違いない。
いずれにしろ肝心な点、それは、「FD」は、対象たる 学生の中に深く動的に分け入り、彼らの成長願望に掉さ しつつ、ともに大学を地域や国民の期待や要請に応える 存在に真に改編する核心部をなすものである、という認 識の共有であろう。
本節冒頭にあげた「学生の本当の学力がわからない状 況」を含め、まず何よりも学生自身の意識の現状に分け 入り、その声を正確かつ深く聴き取ることが肝要である。
その取っ掛かりの一つとして、筆者自身、初発の聞き 取りの一つである「(学生からみての)大学(授業)ア ンケート」を実施した。(47)
極めて限られたサンプル数に過ぎないが、ここには、
「FD」論議のスタートでありゴールでもある学生自身の
「今」の実態が、凝縮的に投影されていると言える。
このアンケートでは、今の学生が、自身の大学生活を どう把握しており、科目や学年を越えたトータルとして、
大学授業に求めているものとその実態がどうあるのかを 抉り取ろうとした。
全6問中の第1問は、「あなたにとって大学とは、本来 どういう所ですか?(重要な順からキーワード3つで答 えて下さい。)」であった。
以下の「グラフ1」は、両校合わせたキーワード3つ の全体比である。
グラフ1
これを、更に、もっとも上位にあげられたキーワード のみに限定して、全体比を示したのが、「グラフ2」で ある。
グラフ2
これらを通して見えてくることは、大学は、やはり本 来「勉強」や「学問」をする所としてとらえられている ことの再確認ではあるが、より重要な点は、相対的に見 ての「その他」が、極めて多いという点であろう。
分けても、2回生から大学院生までを対象としたR大 での回答を見ると、実に93%の高割合であり、大学の位 置づけが多様化していることを明瞭に暗示している。
因みにここで「その他」として分類した記述は、以下 のようなものである。(48)
・自立、主体的、経験、成長、自由
・夢に近づく、将来に向け、将来設計
・育む、広げる、交流、ふれあい、人脈、協力
・和、磨く、努力、修行、挑戦、開拓、熱中、好奇心、
自己形成、自己変容
・居場所、コミュニティー、出会い、憩い
・教養、人生を深める、社会勉強、社会準備 岡 本 定 男
8
・絵、書道、サッカー、書く、図書館、教授陣、体づ くり
・自分を見つめる、自分探し
・モラトリアム、時間、考える
・人格、アイデンティティー
先のグラフに見るごとく、これら「その他」の割合の 目立った高割合は、注目すべき内容であるが、分けても、
「グラフ2」における数値は、取り分け目を引く。本来 の大学として捉えられている最重要項の21%、即ち、5 人に一人が、「勉強」よりも「その他」の多様な内容を こそ、今日の大学にとっての「本来」として捉えている からである。
但し、「その他」の内容の圧倒的大部分が、「自立」「将 来設計」「交流」「努力」「出会い」「社会準備」「体づく り」といった将来に向けての主体的成長や努力を重ねる
「広義の学びの場としての大学」として位置付けている 点は重要である。
そこで筆者は、「設問2」として、「現在、それは、全 体として満たされていますか?」と問うた。「とてもよく 満たされている」から「まったく満たされていない」ま での全体比を示したのが、「グラフ3」である。
グラフ3
実に多様化した在学者の「本来の大学」観にあって、
その全体的満足度は、「ほぼ満たされている」を含めて 76%と高率を示している。ここから浮かび上がる実態は、
それぞれに抱くあるべき大学像に対し、現状は、8割方 満足している、という姿である。
そして、注目すべきは、この「8割方満足」に対し、
各々の学生がどういう姿勢でいるのかという点である。
そこを伺うべく「設問3」を作った。「それに対し、
あなたは、どう考え行動しようとしていますか?」であ る。「簡潔に答えて」と求めたこの項目には、用語こそ異 なれ、「自分の勘を信じて行動」「自ら動く」「自分らし さを出す」といった具体性を伴わない希望・願望的記述 が顕著に目立ち、わずかに、2割強が「意識的、自主的、
積極的に行動する」と記述した他は、1割が、やはり漠 然と「努力する」とし、無回答や「何もしない」、ある いは、「楽しく」というものが合わせて2割以上に上る。
前記「設問2」と合わせてこれを考察すれば、大方が
今の大学への満足感を抱き、その反映として、あるいは、
それを良しとしてことさらの改変的行動の必要を感じて いない学生が大半を占める、という姿が浮かび上がる。
さて、こうした大学観とそれに対する学生側の構えに あっての今日の大学授業は、はたしてどう把握されてい るのか?
「グラフ4」は、「設問4」=「あなたにとっての大学 の授業は、現在どういうものになっていますか?」を示 したものである。
グラフ4
これによって、「ほぼ満足」を含め、59%が、受講し ている授業を全体として満足していることが窺われる。
しかし、先の「設問3」での大学満足度が8割方であ ったことに比せば、大学全体には満足しているが、その 本体たる授業に対しては、不満度が高い、という結果に なっている。
わずか2校の限られたサンプル調査ではあるが、これ らの割合は、今日我が国の大学全体に対する学生の意識 をほぼそのままに表明している、と見て良いかもしれな い。
3.2.「社会人基礎力」と「4つの力」(タイプ)
筆者は、勤務校にあって、一貫して、「4つの力=タイ プ(思考力、想像力、実践力、表現力)」と称する日常 的かつ永続的能力の実験的実践的形成に係る授業を継続 してきた。(49)
一方、経済産業省は、2006年2月、これまでの研究討 議をまとめた新概念として「社会人基礎力」を打ち出し、
2007年度から、社会人基礎力育成グランプリを開催する など、その醸成に力を入れている。経産省の唱える「社 会人基礎力」は、以下の内容を指す。
「前に踏み出す力(アクション)
一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力 主体性=物事に進んで取り組む力
働きかけ力=他人に働きかけ巻き込む力 実行力=目的を設定し確実に行動する力
「人肌感覚コミュニケーション力」を育む大学教育実践の射程 9