崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について
荒
木
猛
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(崇禎)E d i t i o n ' s o f C h i n P i n g M e i
(金瓶梅)T a
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A R
A K
I
はじめに
知られる通り︑現存する﹁金瓶梅﹂には︑大き‑言って1万暦
柑u
丁巳年東呉弄珠客の序のある﹁金瓶梅詞語﹂本(以下これを﹁万
)
暦 本
﹂ と 称 す る ) と ︑ 二 ﹁ 新 刻 繍 像 批 評 金 瓶 梅 ﹂ 本 ( こ の 本 は
︑ 崇
L H l
(I)
禎年間に刊行されたものと推定されているので︑以下これを﹁崇
田nH一
禎本﹂と称する︒)︑三清朝になって張竹披が批評を加えた本で︑
1 ̄Ⅶ柑柑Hl
康配州乙亥の年の謝暖の序のある﹁第1奇書金瓶梅﹂(以下これを
﹁ 康
熊 本
﹂ と
称 す
る )
の 以
上 三
種 類
の 版
本 が
あ る
︒ こ
の う
ち ﹁
康 配
州
本﹂は︑﹁崇禎本﹂の本文に張竹披の批評を加えた本だということ
が明らかになっており︑従って︑基本的には﹁康照本﹂も﹁崇禎
本﹂と同一系統の本と見倣すことができるので︑極‑大ざっぱに
言うならば︑現存﹁金瓶梅﹂には﹁万暦本﹂と﹁崇禎本﹂の両種
の版本のみ存すると言うことができる︒
﹁万暦本﹂は︑作中︑誤字・誤写・桁文・映文︑さらには前後の
話の脈落がつかない部分が少なからず見られる版本として知られ
(ォ )
るが︑﹁崇禎本﹂では︑これらの誤りが大体改められ︑大変読みや
すくなっている︒では︑﹁崇禎本﹂に筆を執ってこのように改めた
人は1体誰だったのであろうか︒﹁万暦本﹂の作者とともに︑現在
に至っても尚明らかになっていない︒かって︑鄭振鐸氏は︑ある
無名の杭州の文人が﹁万暦本﹂に大斧誠を加えたものではないか
と 推
測 し
( ﹁
談 ﹃
金 瓶
梅 詞
話 ﹄
﹂ ﹃
文 学
﹄ 創
刊 号
所 収
︑ 一
九 三
三 年
) ︑
また最近では貴需氏が︑確証はないが︑﹁三言﹂の編者で有名な鳩
夢龍ではないかと推測されている(﹁﹃新刻繍像批評金瓶梅﹄評点
初探﹂﹁成都大学学報﹂︑1九八三年).しかし︑いずれも推測にす
ぎない01日も早いこの改作者が誰なのかその実姓名が明らかに
されることが待たれるところである︒
ところで︑本稿は︑﹁崇禎本﹂各回の冒頭につけられている詩詞
の出典を手懸りとして︑この改作者の周辺を探ってみようと試み
たものである︒結論から先に言うと︑﹁崇禎本﹂の各回の冒頭に引
用された詞の中に︑万暦年間の文人の王程登や鳩埼の作のみられ
ることから︑この改作者は︑これら万暦の文人集団のうちの1人
長崎大学教養部紀要(人文科学編)第3 3巻第1号一〜十六(一九九二年七月)
荒木
猛であるか︑あるいは︑万暦を去ること遠からぬ時期の人で︑万暦
の文人の作った詞を見ることのできた人であろうことが考えられ
る︑依然として︑改作者が誰なのかを判明しえたわけではないが︑
以上のことが改作者の素姓を考える上での1応の手懸りになりう
ると考えられるので︑ここに以下小考を草するものである︒
﹁ ﹁ 万 暦 本 ﹂ と ﹁ 崇 禎 本 ﹂ の 相 違
まず︑﹁万暦本﹂と﹁崇禎本﹂との問にはどのような違いがある
かを見ておこう︒凡そ︑この両版本の問には︑次のような相違が
あ る
︒
)
1︑小説の冒頭第1回の書き出しがまった‑違う.﹁万暦本﹂で
luu柑Hl
は︑まず武松の虎退治の話から始まるが︑﹁崇福本﹂では︑西門慶
が応伯爵・謝希大らの遊び仲間と義兄弟の誓いを立てる話から始
ま っ
て い
る ︒
E■
nu
二 ︑ 第 五 十 三 回 ・ 五 十 四 回 の 大 部 分 が 違 う ︒
﹁ 万 暦 本
﹂ で は ︑ こ
(
の部分で叙述上大きな混乱があるが︑﹁崇禎本﹂では︑それが大い
に整理されている︒
ln u
三︑﹁万暦本﹂の第八十四回では︑呉月娘が泰山参龍の帰り︑清
n u
̲ 柑 H l
風山で山賊の頭目王英に泣致され︑あわや"手ごめ″されそうに
なる所を︑たまたまその時その山塞に居合せた宋江によっておし
と ど
め ら
れ 事
無 き
を s
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投 が
あ る
が ︑
﹁ 崇
損 本
一 で
は ︑
こ の
部 分
二
まったく削られている︒
)
四︑各回の表題および各回冒頭の詩詞が互いに違う︒
∨
ハ
(
3
)
五 ︑
﹁ 万 暦 本
﹂ で は ︑ 山 東 方 言 が 多 い が
︑ ﹁ 崇 禎 本 ﹂ で は
︑ そ れ
‑ 柑 u
が削られるなどして改められている︒
)
六︑﹁万暦本﹂には︑明代の俗曲や宝巻︑長い上奏文や道士の祈
I"ⅦtL'‑
祷文︑食物・着物・芝居の情景等の丁寧な説明︑﹁看官聴説﹂以下
の作者の読者に対する語りの言葉等︑様々なものが書き加えられ
ているが︑﹁崇禎本﹂では︑凡そそれら筋や話の展開と直接関係が
ないような部分は削り去られている︒
以上が︑﹁万暦本﹂と﹁崇禎本﹂との主なる違いである︒これら
を綜合して考えるならば︑﹁崇禎本﹂は︑﹁万暦本﹂を底本として︑
それに手を加えて成った改訂本であると考えるほうが妥当であっ
て︑現在1部の学者が唱えるように︑この両版本がそれぞれ別の
o
稿本に基づいてできた別系統の版本であるとは考えに‑い︒
さて以上のような違いは︑どうしてできたのであろうか︒﹁崇
禎本﹂が﹁万暦本﹂の改訂本であるとすれば︑﹁万暦本﹂に筆を加
えて﹁崇福本﹂にした人は︑何故このように改めたかということ
になる︒﹁万暦本﹂の第一回と第八十四回は︑それぞれ﹁水耕伝﹂
))
の巻二十三と巻三十二よりの借用であることからすれば︑一と三
同l旧柑川じ旬l旧柑u
の改筆は︑﹁水耕伝﹂からの影響から脱して︑﹁金瓶梅﹂を︑より
一つのまとまりのある独立した作品として完成させようとする意
)
図によるものと考えられる︒また︑二の叙述上の混乱を改めた
1
 ̄
‑ 1 相 へ
Si d
り︑五の山東方言等を削るなどする傾向は︑読み物としてより読
同いはHI
. 1川
みやす‑しようとする意図に出たものに相違あるまい︒六の傾向
向u一川ul
については︑故小野忍氏の言を借りるならば︑﹁総じて﹃詞話本﹄
(本稿でいう﹃万暦本﹄)は︑戯作調が強いのであるが︑﹃改訂本﹄
(本稿でいう﹃崇禎本﹄)では︑それが弱められている︒それだけ
写実に近づいているともいえるが︑﹃詞話本﹄の戯作調には棄てが
たいものがある︒﹂(平凡社販中国古典文学大系﹁金瓶梅﹂解説に
よる)とあって﹁万暦本﹂の方が総じて﹁崇禎本﹂よりすぐれて
いるとされるが︑おそらくこの﹁崇禎本﹂の改作者の意図として
は︑やはり︑作中あまりに長たらしい戯作的個所があったのでは︑
間延びしてしまうと考え︑それらを削ったもので︑同じく読者の
便を考え読みやすくせんとの意図にでたものであろう︒
田n川一
さて︑では四の改修は︑いかなる理由に因るものだろうか︒表
旧u
題については︑ほとんど同じで変えてないものもあるが︑例えば
次の七十二回のように﹁万暦本﹂での字数の不揃いを改めたもの
も 結
構 あ
る ︒
(万暦本)王三宮拝西門慶為義父︑応伯爵替李銘解菟
(崇禎本)播金蓮梶打如意児︑王三宮義拝西門慶
ところが︑各回冒頭の詩詞となると︑﹁万暦本﹂と﹁崇禎本﹂が
まったく同じで変えてないのは五︑七︑十四︑十六︑二十四︑三
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について 十九︑四十二︑五十一の各回におけるそれの八例にすぎず︑あと の九十二回はすべて変えているのである︒これは一体いかなる理 由に因るものであろうか︒
l l
︑ ﹁
万 暦
本 ﹂
冒 頭
詩 詞
の 特
徴
この理由を求める前に︑まず﹁万暦本﹂における各回冒頭詩詞
の特徴を見ておこう︒その特徴としては︑以下の四点が考えられ
る︒ まず言える第一の特徴は︑教訓詩︑人生訓詩︑格言詩と見られ
るものが比較的に多いことである︒二︑三例を挙げるならば︑
(5)
] ' 二 十 回 の 冒 頭 詩
在世為人保七旬
世事到頭終有悔
貧窮富貴天之命
不如且放開懐楽 13
( 釈 )
何労日夜弄精神
浮華過眼恐非真
得失栄華隙里塵
莫使蒼然両巽侵
人のいのちも七十年
L^EB
駐齢なさるな日ごとに夜ごと
何をしたとて悔いがくる
︑つ そ
派手な暮らしも嘘の皮
富むも富まぬも運賦に天賦
荒木
猛え い よ う す き ま ち り
栄耀栄華は隙間の塵さ
いっそ気ままに楽しんで
し ら が
白髪ふやさぬ算段なされ
二︑四十九回の冒頭詩
寛性寛懐過幾年
随高随下随縁過
日有自無休歎息
平生衣禄随線度 人死人生在眼前 或長或短莫埋怨 家貧家富練由天
1日清閑1日仙
( 訳 )
浮世幾年ゆったり暮らせ
死ぬも生きるもつい目の先よ
う ん ぷ
高いも低いも運賦にまかせ
短い長いで泣きごというな
ためいき
有っても無くても溜息つくな
富むも貧乏もお天道しだい
着もの食べものみな緑のもの
のんびり暮らせばその日が仙人
この外にも︑これに類した教訓的詩詞を各回の冒頭に掲げてい
ることが少な‑ない︒言うまでもなく︑﹁金瓶梅﹂というこの小説
しっよう
には︑性行為に関する描写が頻繁かつ執粉になされている︒それ
四故に︑久しい間︑﹁淫書﹂と冒されてきた︒そうした小説にとっ
て︑これら欲望を否定し︑道家的人生哲理を鼓吹しようとするが
如き詩詞は︑1見して大変な矛盾のように思われるかもしれな
い︒しかし︑人間とは︑本来矛盾に満ちた存在なのである︒時に
は欲望を肯定していながら︑また時にはこれを嫌悪するものであ
る︒誠に﹁万暦本﹂冒頭にある欣々子の序に言う﹁房中の事の如
にく
きは︑人皆之を好み︑人皆之を悪む﹂は︑蓋し至言である︒とは
言え︑この﹁万暦本﹂の作者の場合は︑やや特異であると思われ
る︒察するに︑この人は元来欲望の強い人であり︑それ故にこそ︑
その欲望の否定されなければ︑心の安寧は到底得られないことも
よく知っていた人にちがいない︒
﹁万暦本﹂の各回冒頭詩詞の特徴の二は︑﹁金瓶梅﹂に先行する
﹁話本﹂や﹁小説﹂からの引用の多いことである︒その中でも︑特
に ︑
﹁ 水
耕 伝
﹂ か
ら の
引 用
が 顕
著 で
あ る
︒ こ
と は
︑ す
で に
拙 稿
﹁ ﹃
話
本﹄と﹃金瓶梅﹄﹂(長崎大学教養部紀要第三十巻第二号)で指摘
いと
し た が ︑ 今 ︑ 重 複 を 厭 わ ず に 再 び 掲 げ る な ら ば ︑ 次 の 通 り で あ る ︒ 1 回
﹁ 丈 夫 隻 手 把 呉 鈎
・ ・
・ ‑
﹂ ( 眼 児 婚 詞 ) ﹁ 清 平 山 堂 話 本
﹂
″ 別
項 鴛
鴬 会
"
三 回
﹁ 色 不 迷 入 入 日 迷
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑ ( 類 似 )
﹁ 水 前 伝
﹂ 二 十 一 回
四回﹁酒色多能憤国邦‑‑﹂(七律詩)‑‑﹁水薪伝﹂二十四回
五 回
﹁ 参 透 風 流 二 字 禅
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 耕 伝
﹂ 二 十 六 回
﹁ 古 今 小 説 ﹂ 巻 三
・ 同 巻 三 十 八
︒ 六 回
﹁ 可 怪 狂 夫 恋 野 花
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 耕 伝
﹂ 二 十 五 回 九 回
﹁ 色 胆 如 天 不 自 由
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑ ( 類 似 )
﹁ 水 耕 伝
﹂ 二 十 六 回 十 回
﹁ 朝 看 玲 伽 経
‑ ‑
﹂ ( 五 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 耕 伝
﹂ 四 十 五 回 ︑
﹁ 古 今小説﹂巻三十四 十 八 回 ﹁ 堪 嘆 人 生 毒 似 蛇 ‑
‑ ﹂ ( 七 律 詩 ) ‑
‑ ﹁ 水 耕 伝 ﹂ 五 十 三
回
十 九 回 ︑ 九 十 四 回
﹁ 花 開 不 択 貧 家 地
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 耕 伝﹂三十三回 二 十 回 ・ 九 十 七 回
﹁ 在 世 為 人 保 七 旬
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 潜 伝 ﹂ 七 回 二 十 七 回
﹁ 頭 上 青 天 自 任 欺
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 水 耕 伝
﹂ 八 回 三 十 回 ﹁ 得 失 栄 枯 槻 是 閑 ‑
‑ ﹂ ( 七 律 詩 ) ‑
‑ ﹁ 大 唐 秦 王 詞 話
﹂ 十 八 回 四 十 六 回
﹁ 帝 里 元 宵 ︑ 風 光 好 ‑
‑ ﹂ ( 詞 ) ‑
‑ ﹁ 大 宋 宣 和 通 事
﹂
前集 七
十 二 回 ﹁ 寒 暑 相 推 春 復 秋 ‑
‑ ﹂ ( 七 律 詩 ) ‑
‑ ﹁ 大 唐 秦 王 詞 話
﹂ 十 二 回 七 十 五 回
﹁ 万 里 新 墳 尽 十 年
‑ ‑
﹂ ( 七 律 詩 )
‑ ‑
﹁ 古 今 小 説 ﹂ 巻
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について
二 十 九
八十七回﹁平生作善天加福‑‑﹂(七律詩)‑‑﹁水耕伝﹂二十
七回 八
十 八 回 ﹁ 上 臨 之 以 天 望
・ ・
・ ‑
﹂ ( 六 言 詩 )
‑ ・
・ ・
﹁ 水 耕 伝
﹂ 三 十 六
回
八十九回﹁風梯姻龍綿肺揚‑‑﹂(七律詩)‑‑﹁水耕伝﹂三回 九十二回﹁暑往寒来春復秋‑‑﹂(七律詩)‑‑﹁水着伝﹂三回 九 十 九 回
﹁ 一 切 詩 煩 悩
‑ ‑
﹂ ( 五 律 詩 )
・ ‑
・ ・
﹁ 水 前 伝
﹂ 三 十 回 こ の よ う に ︑
﹁ 万 暦 本
﹂ 各 回 の 冒 頭 詩 詞 に ﹁ 水 耕 伝 ﹂ か ら の 引 用 が 多 い こ と は
︑ ﹁ 万 暦 本 ﹂ が プ ロ ッ ト の み な ら ず
︑ 文 辞 に お い て も
EBB
﹁水耕伝﹂に深く依存していたことの証である︒
﹁万暦本﹂各回の冒頭詩詞における特徴の三は︑同じないし類似
の詩詞を再三使うことのある点である︒例えば︑十九回の次の七
言律詩は︑すでに挙げたように九十四回冒頭にも使われている外
に︑四十八回末にも類似の詩が用いられている︒
花開不択貧家地
世間只有人心ダ
痴聾痔唖家豪富
年月日時該載定
( 訳 )
月照山河処処明
百事還教天養人
伶例聡明却受貧
算来由命不由人
宜しき家にも花は咲き
義
荒木
猛山にも川にも月は照る
人の心がわるいだけ
これもやっぱり天のわざ
のろまの家は栄えても
かしこい人はぴんぼする
生まれた月日で万事がきまり
よろず何事運次第
同様の例としては︑十三回の七言律詩は︑八十六回冒頭に再度
用いられ︑十七回の七言詩は︑八十二回冒頭に類似詩を︑また十
三回末にも類似詩が掲げられている︒また二十回冒頭の七律詩
は︑九十七回に再度用いられ︑二十二回冒頭の七律詩も︑やはり
七十三回に再び用いられている︒さきの先行小説(特に﹁水耕
伝﹂)からの詩詞の借用といい︑この同じ詩詞の重複使用といい︑
これらのことは︑みなこの小説製作上における︑ある種の安直さ
を示していると思われる︒ことに︑七十九回以降に詩詞の重複使
用の目立つのは︑叙述の点においても︑この回を境としてにわか
に簡略かつ粗雑になっている点とを考え合わすならば︑この回以
前とそれ以降とでは作者を異にしているのではないかという疑い
を抱かせるものであるが︑この問題に関しては︑別に稿を立てて
論ずるつもりなので︑ここではこれ以上深入りはしない︒
﹁万暦本﹂各回の冒頭詩詞の特徴の四は︑往々の内容が莫然とし
六ていて︑その回の内容との関係がどこにあるのか理解に苦しむも
のの少なくないことである︒例えば︑
詩が︑そうである︒ 次の四十七回冒頭の七言律
風擁狂潤浪正顛
離鳴叫切寒雲外
詩思有添池草緑
ママ
意虚細数推知巳
( 訳 )
旅寝の枕は波の上 孤舟斜泊抱愁眠 駅鼓清分旅夢辺 河船天約晩潮昇 惟有故人月在天
しばし船とめまどろめば
雲をつんざく鳥の声
夢にドロロン時太鼓
岸辺の縁日にしみて
暮れりゃ夕潮あげて来る
てんがい
身は天涯の孤客にて
しるべはひとりお月さま
この詩は︑旅にあって心細い旅人の気持を詠んだ詩と思われる
すなわ
が︑この四十七回の内容︑即ち︑首天秀殺害事件とは直接にはな
んら関係がない︒しかし︑苗天秀がどこで殺されたかを考えるな
らば︑彼が仕官を求めて上京する途中︑旅先で殺されているので
ある︒さすれば︑﹁万暦本﹂の作者は︑この旅に因んでこの回の冒
け ん き ょ う ふ
頭にこの詩を掲げたものと思われる︒しかし︑いささか牽強附
か い う ら
会の憾みなしとしないであろう︒また︑七十回冒頭の詩は︑辺基
の情景を描いたものと思われるが︑この回は西門慶が昇進謝恩の
ちな
為上京するので︑やはり旅に因んで掲げた詩であると思われる︒
更に︑八十九回や九十八回の冒頭詩詞は︑その回に描かれた時節
に因むものと思われ︑また︑六十八回の七律詩は︑孟昭連氏によ
(7 )
れば︑李瓶児の死を暗職するものだとされるが︑いずれも︑その
回との関係が大変分かりづらい︒
﹁万暦本﹂各回の冒頭詩詞における特徴は︑凡そ以上の通りであ
る︒
三︑冒頭詩詞における両版本の相違
では︑これら﹁万暦本﹂各回の冒頭詩詞が﹁崇禎本﹂ではどう
改められているのであろうか︒次にこの点に関して︑二︑三の実
例 に
つ き
︑ こ
れ を
見 て
み よ
う ︒
三十1回は︑西門慶が初めて提刑官という役人になり︑かつ宿
願の1子を儲けるという前回をうけての段であるが︑この回の
﹁ 万
暦 本
﹂ の
冒 頭
詩 詞
は ︑
次 の
よ う
で あ
る ︒
家富自然身貴逢人必譲居先
貧寒敢仰上官憐彼此都看銭面
婚嫁専尋勢要通財遊結豪英
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について
不知興廃在心田只弄眼前知見 ( 釈 )
富めば自然に地位もでき
人もかならず先をば譲る
貧者は目上に情けを仰ぎ
誰でも彼でもお金で動く
お嫁にいくなら幅利く人に
金をまくならおえらい方に
浮くも沈むもお心次第
けれど目先をあてにする
この詩の内容は︑所謂﹁浮世の人情︑金次第﹂ということを言
おうとしているのだが︑この回の内容とのかかわりを考えてみる
と︑この詩は︑今やお金の外に地位までできた西門慶の1子宮轟
の生後7ケ月の祝いに西門邸にかけつけた幾多の武官や宙官達を
噸笑しているものであることは明らかである︒では︑同じ回の
﹁崇禎本﹂における冒頭詩詞はどうなっているのか︑と言うと︑次
の 通
り で
あ る
︒
幽情憐独夜
欲使春心酔
濃番猶帯麻
美醒沈酎恨 花事復相催 先教玉友来 紅牽漸分艦
朝雲逐夢回
七
荒木
( 釈 )
1人寝のわびしき思い
花だより相継ぎやまず
わが心酔ほんとすれど
かの君のいずこにありや
漉き香いたくかおりて
はお
頬は火照り慕いかつ恋う
めぐりあい恨みを伝えど
その夢の醒めし苦しさよ
1読して︑孤閏の情を述べた詩であることがわかる︒1体誰の
憎を想定したものであろうか︒この回の内容とあわせて考えるな
らば︑直ちに播金蓮の立場に立って詠まれたものであることが分
かる︒李瓶児が1子官軍を産んでからというもの︑西門慶は金蓮
から遠ざかり︑瓶児のもとにばかりに行‑︑そこで︑金蓮は空間
に嘆くのである︒この例でもわかる通り︑﹁万暦本﹂の冒頭詩詞
が︑道家的人生哲学や教訓をその内容とするものが多いのに対
し︑﹁崇禎本﹂のそれは︑人間の心情︑特に女性の空間の情を詠ん
だものが多く︑そうしたものに改められている︒
今1例見てみたい0第十五回の冒頭詩詞は﹁万暦本﹂では︑次
の よ
う に
な っ
て い
る ︒
日墜西山月出東百年光景似瓢蓬
l\i ZI
点頭穐羨朱顔子転眼翻為白髪翁 易老君華休浪度撤天富貴等雲空 不如且討紅裾趣依翠偵紅院宇中 ( 訳 )
西に日が入りゃ東に月と
めぐる月日も夢うつつ
若い若いといってるうちに
し ら が じ い
いつか白髪のお爺さん
しぼむ花なら盛りを惜しめ
a
溜めたお金が何になる
どうせ浮世よ色香をもとめ
廓遊びといくがよい
この回の後半に︑西門慶が応伯爵ら取り巻き連中と一緒に廓に
いって遊ぶ段があるので︑この詩のうちのおしまいの二句が︑こ
れと関連する︒しかし︑全体の内容は︑やはり″無常迅速"なる
人生哲理を詠んでいる︒これに対して︑﹁崇禎本﹂の方は︑どうな
っているのであろうか︒
楼上多橋艶
争弄遊春暗
転態結紅裾
留賓乍梯絃 当薗井三五 相逝開紡戸 含矯入翠羽
托意時移柱
( 訳 )
二階に居並ぶ椅麗どこ
三三五五と窓に侍り
春の小路を浮かれて来た客を
さぁいらっしゃいと招じ入る
べ に も す そ
今日めかして紅の裳をつけ
ま
愛嬢振り撒き青い羽根のマントをかぶる
客を留めんと爪弾く琴の
ねじめの調整のべったのむかな
これは︑この回の前半において︑月娘ら西門慶の妻妾らが︑李
瓶児の家で︑元宵節の燈龍見物を行う一段に因んでいることは明
らかである︑このように︑﹁万暦本﹂の詩詞には人生観を込めたも
のが多く︑詠みこまれている内容も時には大きすぎて︑ややもす
れば当該の回の内容との関係が薄くなりがちであるところを︑
﹁崇禎本﹂では︑できるだけ回の内容に即したものに変えようとし
ていることが多い︒では︑これら以外の回ではどのように変えら
れているのであろうか︒
今︑これを︑その詩詞が当該の回の内容と関係のあるものかど
うか︑また教訓的であるかどうか︑更には詩かそれとも詞かとい
う観点に立って︑この両版本の相違をまとめようとしたのが︑次
の表である︒これまで見てきたように︑中にはその詩詞が当該の
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について 回の内容と関係があるのかどうか判断に苦しむものも少な‑なか ったが︑1応ここでは︑牽強附会と思えるものでもすべて関係あ りとした︒尚︑アラビア数字は︑回数を示したものである︒ a︑﹁万暦本﹂と﹁崇禎本﹂が同じ ・o^*r‑i*^‑.*c>OCO^LO八例 b︑﹁万暦本﹂教訓的な詩1﹁崇禎本﹂その回の内容に即した詩 CO.0‑oiScD.CD.t‑.00.0.CSJ.OO.^.10.CXD.H.. NCOMOOO30)O)CDO)02ri‑・
十五例
C︑﹁万暦本﹂教訓的な詩1﹁崇禎本﹂その回の内容に即した詞
CO.O.CvJ.CD.0.05.CO.05.t‑.h'nNINCO^1hV(35‑・・九例
d︑﹁万暦本﹂教訓的な詩‑﹁崇禎本﹂その回の内容と無関係の
詩詞
co.co.︒O.in.T‑サ.co^^t^‑03甲六例
e︑﹁万暦本﹂その回の内容と無関係の詩I﹁崇禎本﹂その回の
内容に即した詩詞
CD.0‑.・"*.CD.CD.O.i‑H.LO.CD.nm^idcdht>‑OOCD‑・・九例
‑︑﹁万暦本﹂その回の内容に即した詩詞1﹁崇禎本﹂その回の
内容と無関係の詩詞
・<N<M甲四例
g︑﹁万暦本﹂も﹁崇禎本﹂もその回に即した詩詞
‑.N.^.CD.OO.OS.JS‑^‑S‑a‑S‑S‑S‑S'S‑S‑
九
荒木
十
甲OO.0.'‑i.CD.h‑.0.00.CO.LO.CD.0‑.00.0.'‑H oo^^Tj<^inLOLOLOLOLOLOCDCD
cM.︒O.^tH.LO.t^.CX>.t>‑.00.'‑iCO.00.xF cDCDCDCDCDCDt>‑t‑00000000甲‑⁚四十四
t日日一伊
h︑﹁万暦本﹂も﹁崇禎本﹂もその回の内容と無関係の詩詞
LO.^.00.00.^f. ^LOCDt>t^‑・・五例 Eiid これによっても分かる通り︑﹁崇禎本﹂では︑まず︑一教訓的な 1'‑はu 田n川一詩詞を排除しようとしていること︒二できるだけ︑その回の内容
ll柑Ml に即したものに改めようとしていること︑が分かる︒では詩と詞
の割合はどうなっているのであろうか︒この点について見てみる
と︑﹁万暦本﹂は︑詩(格言を含む)九十八首︑詞二首なのに対し︑
﹁崇禎本﹂では︑詩五十二首︑詞四十八首︑と圧倒的に﹁崇禎本﹂
において詞が増加していることが分かる︒しかもその詞の内容の
ほとんどが閏房の情を詠んだものである︒このような違いは︑恐
らく作者と改作者の好みの相違によるものと思われる︒現在まで
の所︑作者も改作者もまだ不明であり︑可能性としては作者と改
作者が同1人物であったことも考えられるのであるが︑この冒頭
詩詞に関して考えるならば︑道家的人生訓の好きな﹁万暦本﹂の
作者と︑孤閏の憎を内容とする詞を好む﹁崇禎本﹂の改作者とで
は︑まったく別の人物であったと考える方が妥当であろうと考え
られる︒ 四︑﹁崇禎本﹂各回冒頭詞の出典について 前
節 で
︑ ﹁ 崇 禎 本 ﹂ に お け る 各 回 冒 頭 の 詩 詞 に お い て は
︑ ﹁ 万 暦
本﹂のそれに比べて︑その回の内容に即した詩詞になっているこ
・ a a s
とと︑詞の増加︑わけても婦女の心の内面即ち閣憎を詠んだ詞が
増えていることについて見た︒﹁万暦本﹂にあっては︑主に﹁水前
伝﹂からの借用の作が多かったので︑時にはそれぞれの回の内容
にそぐわない傾向があったのも︑やむを得ないことであった︒し
からば﹁崇禎本﹂各回の冒頭詩詞は︑この改作者自身の作だった
のだろうか︒実は︑案に相達して︑詞の大部分が他人の作の借用
であることが今回判明した︒次表は︑各冒頭詞の詞牌名の出典︑
それに作者名をしるしたものである︒
二 回 ( 孝 順 歌 ) 芙 蓉 面
︑ 氷 雪 肌
︑ ‑
‑
‑﹁呉騒集﹂巻四︑目録では︑明・王寵作︑本文では︑明・梁
辰 魚 作 十 回 ( 踏 渉 行 ) 八 月 中 秋 ︑ 涼 鮎 微 逗
︑
(8)
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 二 ︑ 明 ・ 唐 寅 作 ︑ 題 "
秋 閏
"
o 十 三 回 ( 山 花 子 ) 続 面 芙 蓉 一 笑 開 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 続 選 草 堂 詩 余
﹂ 巻 上 ︑ 北 宋
・ 李 清 照 作 ︑ 題 "
閏 情
"
0 十 八 回 ( 柳 梢 青 ) 有 個 人 人
︑ 海 業 標 駒 ︑
‑ ・
・ ・ I ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 1 ︑ 北 宋
・ 周 邦 彦 作 ︑ 遊 "
佳 人
"
︒
﹁ 草
堂
詩余後集﹂下巻ならびに﹁全宋詞﹂三七四二頁では︑宋・無
名 氏
作 ︒
二 十 回 ( 帰 洞 仙 ) 歩 花 径 ︑ 聞 干 狭 ︒
‑ ‑
‑﹁南宮詞紀﹂巻1ならびに﹁呉騒合編﹂巻三では︑明・梁辰 魚 作
︒ ﹁ 南 音 三 頼
﹂ 散 曲 上 で は
︑ 明
・ 王 九 恩 作 ︑ 題 ″ 女 郎
"
︒ 二 十 一 回 ( 少 年 遊 ) 井 刀 如 水 ︑ 呉 塩 勝 雪
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 六 〇 六 頁 な ら び に
﹁ 草 堂 詩 余 正 集 ﹂ 巻 1 で は
︑ 宋
・ 周 邦 彦 作
︑ 題
″ 冬 景 "
0 二 十 二 回 ( 桂 枝 番 ) 今 宵 何 夕 ︑ 月 痕 初 照
︒
‑ ﹁ 呉 騒 合 編
﹂ 巻 一 ︑ 明 ・ 王 秤 登 作
︑ 題
″ 歓 会 ″ 0 二 十 五 回 ( 点 緯 唇 ) 蹴 罷 鍬 纏 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 詞 的
﹂ 巻 一 で は ︑ 北 宋
・ 周 邦 彦 作 ︒
﹁ 詞 林 万 選 ﹂ 巻 四 で は 北 宋 ・ 李 清 照 作
︒ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 六 三
〇 頁
・ 九 三 四 頁 な ら び に ﹁ 花 草 粋 編 ﹂ 巻 1 で は
︑ 無 名 氏 作 ︒ 二 十 七 回 ( 好 女 児 ) 錦 帳 鴛 鴬 ︑ 繍 会 鷲 鳳
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 三 ︑ 明 ・ 楊 慎 作 ︑ 題 "
佳 人
"
︒ 三 十 三 回 ( 意 難 忘 ) 衣 染 鷲 黄 ︒ 愛 停 板 駐 拍 ︑
‑ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 六 1 六 貢
︑ 北 宋 ・ 周 邦 彦 ︑ 作 題
"
美 詠
"
︒ 三 十 四 回 ( 川 鞄 樟 ) 成 呉 越
︑ 乍 心 禁 他 巧 言 相 間 諜
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 南 宮 詞 紀
﹂ 巻 一 で は ︑ 明 ・ 鄭 若 庸 作
︑ 題
"
大 掲 帖 "
︒
﹁ 呉 騒 集 ﹂ 巻 三 で は
︑ 明
・ 王 程 豊 作 ︒
﹁ 南 音 三 年 ﹂ 散 曲 下 で は ︑ 明 ・
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について
高 明 作 ︒
﹁ 南 九 宮 詞 ﹂
﹁ 呉 騒 合 編 ﹂ 巻 四
﹁ 詞 林 摘 艶 ﹂ 巻 二 で は
︑ 無 名 氏 作
︒ 三 十 七 回 ( 薄 倖 ) 淡 粧 多 態
︑ 更 的 的 頻 回 的 味
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 余 正 集 ﹂ 巻 五
︑ 北 宋 ・ 賀 鋳 作 ︑ 題 "
春 情
"
︑ 一 題
"
憶 故 人
"
︒
﹁ 全 宋 詞
﹂ 五 1 三 頁 ︑ 宋 ・ 賀 鋳 作 ︒ 四 十 一 回 ( 満 庭 芳 ) 清 酒 佳 人 ︑ 風 流 才 子
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 三 ︑ 宋 ・ 胡 浩 然 作
︑ 題
"
吉 席
"
︒
﹁ 全 宋 詞
﹂ 三 五 三 七 頁 ︑ 胡 浩 然 作
︒ 四 十 三 回 ( 満 庭 芳 ) 情 懐 増 恨 望
︑ 新 歓 易 失 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 四 五 八 頁
︑ 北 宋 ・ 秦 観 作 ︒ 四 十 四 回 ( 満 江 紅 ) 昼 日 移 陰 ︑ 撰 衣 起 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 三 ︑ 北 宋
・ 周 邦 彦 作 ︑ 題 "
春 閣
"
︒
﹁ 全 宋 詞 ﹂ 五 九 八 貢
︑ 周 邦 彦 作 ︒ 四 十 五 回 ( 玉 糊 蝶 ) 俳 掴 ︒ 相 期 酒 会
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 四 ︑ 北 宋
・ 柳 永 作
︑ 題
″ 春 遊 ″ ︑
﹁ 全 宋 詞
﹂ 四 十 頁 ︑ 柳 永 作 ︒ 四 十 六 回 ( 浪 淘 沙 ) 小 市 東 門 欲 雪 天
︑ ‑
‑ 1 ﹁ 花 問 集 ﹂ 巻 四
︑ 南 唐 ・ 張 泌 作 O 四 十 八 回 ( 桂 枝 番 ) 碧 桃 花 下 ︑ 紫 箭 吹 罷
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 唾 箇 械 ﹂ 明 ・ 沈 仕 作 ︑ 題 "
閏 怨
"
︒ 五 十 回 ( 菊 花 新 ) 欲 掩 番 障 論 組 織 ︑
‑ ‑
十一
:
﹂ 木
ー ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 三 八 頁 ︑ 北 宋
・ 柳 永 作
︒ 五 十 四 回 ( 浪 淘 沙 ) 美 酒 斗 十 千
︑ 更 対 花 前 ︒
‑ ‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 別 集
﹂ 巻 二 ︑ 呉 遵 巌 作
︑ 題
"
賞 芙 蓉 "
︒ 五 十 五 回 ( 喜 連 鴬 ) 師 表 方 看 過
︑ 魚 水 君 臣 ︒
‑ ‑
‑ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 二 二
〇 四 頁 ︑ 南 宋
・ 唐 与 之 作 ︑ 題 "
丞 相 生 日
"
︒ 五 十 八 回 ( 帝 台 春 ) 愁 旋 釈
︑ 還 似 織
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 四 ︑ 北 宋
・ 李 甲 作
︑ 題
"
春 恨
"
︒
﹁ 全 宋 詞
﹂ 四 九
〇 頁
︑ 李 甲 作
︒ 六 十 回 ( 臨 江 仙 ) 倦 睡 慨 々 生 憎 起 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 三 ︑ 明 ・ 秦 公 庸 作
︑ 題
"
憶 旧
"
0 六 十 1 回 ( 菩 薩 聾 ) 蛮 声 泣 露 驚 秋 枕
︑ 1 ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 1 '
﹁ 草 堂 詩 余 前 集 ﹂ 巻 下
︑ 北 宋 ・ 秦 観 作 ︑ 題 "
秋 閏
"
︑ 一 題
"
閏 怨
"
︑
﹁ 全 宋 詞
﹂ 四 五 九 頁 ︑ 秦 観 作 ︒ 六 十 六 回 ( ト 算 子 ) 胸 中 千 種 愁
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 二 北 宋 ・ 徐 傭 作 ︑ 題 "
春 怨
"
︒ 六 十 七 回 ( 蘇 幕 遮 ) 朔 風 天
︑ 竣 境 地
︒
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 二 ︑ 宋 ・ 花 希 文 作
︑ 題
″ 懐 旧 "
︒ 六 十 八 回 ( 翠 雲 吟 ) 鍾 情 太 甚 ︑ 到 老 也 無 休 歌
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 四 ︑ 明 ・ 林 鴻 作 ︑ 題 "
留 別
"
︒ 七 十 一 回 ( 蝶 恋 花 ) 花 事 聞 珊 芳 草 歌
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 詩 余 選 ﹂ 巻 一
︑ 北 宋 ・ 蘇 拭 作 ︑ 題 "
離 別
″
十二
七 十 三 回 ( 長 相 恩 ) 喚 多 情
︑ 憶 多 情
︑ ‑
‑ 1 ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 1 ︑ 明 ・ 祝 允 明 作
︑ 題
"
多 情
"
0 七 十 七 回 ( 望 江 南 ) 梅 共 雪
︑ 歳 暮 闘 新 粧
︒ ‑
‑ 1 ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 二 ︑ 明 ・ 鳩 埼 作 ︑ 題 "
梅 雪 双 棲 図 "
︒ 七 十 八 回 ( 南 歌 子 ) 鳳 暫 金 泥 帯
︑ 龍 紋 玉 掌 杭
︒
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 別 集
﹂ 巻 二 ︑ 北 宋
・ 欧 陽 修 作 ︑ 題 "
美 人
"
︒
﹁ 全 宋 詞 ﹂ 1 四
〇 頁
︑ 欧 陽 修 作 ︒ 七 十 九 回 ( 青 玉 案 ) 人 生 南 北 如 岐 路
︑ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 正 集
﹂ 巻 二 で は ︑ 金 ・ 呉 激 作 ︑ 題 ″ 驚 悟
"
︒
﹁ 草 堂 詩 余 後 集
﹂ 巻 下 で は ︑ 無 名 氏 作
︑ 題
"
驚 悟
″
︒ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 三 七 四 二 〜 三 七 四 三 頁 で も 無 名 氏 作 と す る
︒ 八 十 二 回 ( 西 江 月 ) 間 道 双 瑚 鳳 帯 ︑
‑ ‑
‑ ﹁ 全 宋 詞 ﹂ 二 八 四 頁
︑ 北 宋 ・ 蘇 拭 作 ︒ 八 十 九 回 ( 翠 楼 吟 ) 佳 人 命 薄 ︑ 嘆 絶 代 紅 粉 ︑
‑ ‑ 1 ﹁ 草 堂 詩 余 新 集
﹂ 巻 四 ︑ 明 ・ 丘 清 作 ︑ 題 〝 慰 下 第 "
0 九十六回(人月円)人生千古傷心事︑‑‑
‑ ﹁ 全 金 元 詞
﹂ 四 頁 ︑ 金 ・ 呉 激 作 ︒ 九 十 七 回 ( 鳳 街 杯 ) 追 悔 当 初 草 深 願
︒ ‑
‑
‑ ﹁ 草 堂 詩 余 続 集
﹂ 巻 下 ︑ 北 宋
・ 柳 永 作
︑ 題
″ 閏 怨 "
︒
﹁ 全 宋 詞
﹂ 一 八 貢 ︑ 柳 永 作 ︒ 九 十 九 回 ( 蘇 幕 遮 ) 白 雲 山
︑ 紅 葉 樹
︒ ‑
‑
‑﹁草堂詩余新集﹂巻三︑明・劉基作︑題"傷往" ︒
以上﹁崇禎本﹂各回冒頭詞全四十八首のうち︑作者が判明した
のは︑実に三十七首にも及び︑今回わからなかった残る十1首も︑
他人の作である可能性が大きい︒さて︑これら作者のわかった三
十七首のうち︑明大の作が十四首もあるのが注目される︒今︑こ
れら明の作詞家を時代順にならべると︑次のようになる︒
高 明 ( 字 東 嘉 ) 林 鴻 ( 字 子 羽 ) 劉 基 ( 字 伯 温 ) 丘 港 ( 字 壊 山 )
生 没
年 不
明 ︑
元 未
明 初
の 人
︒
生 没
年 不
明 ︑
明 初
の 人
︒
(1三一一‑1三七五) (1四1八‑1四九五)
視 允
明 (
字 希
哲 )
( 1
四 六
1 ‑
l 五
二 七
)
王 九
思 (
竿 漢
陵 )
( 一
四 六
八 〜
一 五
五 一
)
唐 寅
( 字
伯 虎
) (
1 四
七 〇
〜 一
五 二
三 )
王 寵
( 字
雅 宜
) (
一 四
九 四
〜 一
五 三
三 )
楊 慎
( 字
用 修
) (
1 四
八 八
‑ 1
五 五
九 )
(
= 蝣
‑ )
沈 仕 ( 字 音 門 ) 約 一 五
〇 六 年 前 後 在 世
<
>
・
o
‑
梁辰魚(字伯龍)(1五7九〜7五九1)
(2)
鄭若庸(字虚舟)約一五三五年前後在世
王 程 登 ( 字 百 穀 ) ( 1 五 三 五 ‑ 1 六 二 1 ) 鳩 埼 ( 字 用 紐 ) ( 1 五 五 八
〜 一 六 〇 三 )
' 蝣
‑ )
秦公庸字・里・生没年均不詳
崇槻木﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について このうちの︑王群登と鳩埼は︑正に万暦時代に活躍した人物で ある︒﹁崇禎本﹂の改作者が︑﹁万暦本﹂に筆を入れて︑この改作
(1 2)
を行なったのは︑万暦末から天啓年間にかけてと予想されるの
で︑時間的には︑勿論この改作者が彼等の詞を利用することは可
能である︒しかし︑この改作者は︑何故︑いわば同時代と言って
もいい王稗登や鳩埼の詞を︑﹁崇禎本﹂にとりこんだのであろう
か︒皆目分からないことばかりだが︑少なくとも言えることは︑
この改作者は︑詞の愛好者であったということである︒更に言う
ならば︑王秤登や褐埼の詞に日頃から親しんでいた人であったこ
とが予想される︒その人は︑一体誰なのであろうか︒残念なが
ら︑今の所この人物の真姓名を知るてだてがないのである︒
五︑残された問題
二点ばかり︑気になっていることで︑未だ確証が得られないた
めに︑未解決のままになっている事柄を以下に書いて︑諸賢の御
教示を仰ぎたいと切に思う次第である︒
その第1は︑﹁崇禎本﹂の改作者が鳩夢龍である可能性である︒
中国の貴需氏が﹁崇禎本﹂の改作者を鳩夢龍でないかと推測され
ていることは︑冒頭でもふれた通りである︒また︑最近︑台湾の
魂子雲氏もやはり︑鳩夢龍が﹁崇禎本﹂の改作と出版に関与して
(2)
いたのではないかと主張されている︒鳩夢龍は︑沈徳符の﹁万暦
十三
荒木
猛野獲編﹂によれば︑万暦四十1年頃︑当時沈徳符が所持していた
﹁金瓶梅﹂の抄本を見て驚喜し︑出版社に出してこれを出版するこ
とをすすめたことは︑周知の所である︒また︑これは証拠はない
が︑﹁金瓶梅序﹂を書いた東呉弄珠客とは︑鳩夢龍だという説があ
る︒かく考えてくるならば︑橘夢龍が﹁金瓶梅﹂に関与しなかっ
たはずはないと考えられるのである︒しかし︑遺憾なことには
﹁金瓶梅﹂の改作と橘夢龍とを結びつける明瞭なる証拠は︑今の所
なにもないのである︒
ところで︑今ここに一つのかすかなる手懸りを得た︒実は︑鳩
夢龍がやはり手を入れた戯曲﹁女丈夫﹂伝奇の第1折冒頭に︑﹁人
生南北如岐路︑世事悠々等風繁︒‑‑﹂という青玉案詞が使われ
ているのであるが︑この詞は︑すでに前節で見た通り︑﹁崇禎本﹂
第七十九回の冒頭にも使われており︑﹁草堂詩余﹂によれば︑この
詞は︑金の呉激の作ということになっている︒﹁金瓶梅﹂七十九回
は︑西門慶が死ぬという︑いわばこの小説のクライマックスの回
である︒﹁万暦本﹂のこの回の冒頭には︑﹁仁者難逢恩有常︑‑‑﹂
という︑北宋郡勇夫の﹁仁者吟﹂という七言律詩(﹁伊川撃壌集﹂
巻六に収む)をのせるが︑﹁この世のすべてに︑頼れるものなぞな
い﹂という主旨の呉激のこの詞の方が︑この七十九回にははるか
にふさわしい︒鳩夢龍は︑時間の人事にもたらす影響というもの
(2)
にことの外興味をいだいていたと考えられるので︑恐ら‑日頃か
十四ら︑呉激のこの詞が好きだったのではあるまいか︒それで1方で
は﹁金瓶梅﹂七十九回の冒頭に︑他方戯曲﹁女丈夫﹂第一折冒頭
に︑それぞれこの詞を用いたのではあるまいか︑と考えるもので
ある︒勿論︑﹁女丈夫﹂の方は︑張鳳翼と劉晋充の原作に鳩夢龍が
手を加えているので︑問題のこの詞が原作にすでに使われていた
可能性も充分にある︒もしそうであれば︑この手懸りも烏有に帰
してしまうことになるが︑1応これに記して︑緒賢の参考に供し
た い
と 思
う ︒
その二は︑﹁崇禎本﹂の改作者が︑適当な冒頭詞を捜すのに主に
(﹂)
使った書物は︑﹁合刻類編築釈草堂詩余﹂ないし︑翁少麓刊﹁草堂
詩余﹂ではなかったかということである︒これは︑前節で見た通
り︑﹁崇禎本﹂各回の冒頭詞の出典の大半が︑これらの書から兄い
出されるからである︒﹁合刻類編纂釈草堂詩余﹂には︑万暦甲寅
(四十二)年の序がある︒万暦四十二年と言えば︑王程登が編した
﹁呉騒集﹂四巻が出版されたのも︑この年のことである︒従って︑
もし︑この﹁崇禎本﹂の改作者が︑真にこの﹁草堂詩余﹂を利用
して改作を行なったとすれば︑その行為は︑万暦四十二年以降と
いうことになる︒しかし︑当時この﹁草堂詩余﹂に類する別の書
物(今は伝わらない)があり︑それを利用していた可能性もない
わけではない︒いささか自信を欠‑ので︑1応ここに記してお
き︑他日︑明確なる証拠を得た時に︑再びこれを論じたいと思う︒
注
(‑)﹁金瓶梅﹂登場人物のうち︑﹁万暦本﹂において︑花子由ならびに呉巡検とし
て登場する人物の名前が﹁崇禎本﹂においては︑それぞれ︑花子孫ならびに呉巡
筒に改められている︒これは︑恩宗崇禎皇帝朱由枚の詩を避けた為かと考えられ
ており︑このことから︑この書は崇禎年間に刊行されたものと推定されている︒
( 2 ) ﹁ 万 暦 本 ﹂ に 見 ら れ る 叙 述 の 混 乱 に つ い て は ︑ 鳥 居 久 靖 ﹁ ﹁ 金 瓶 梅 ﹂ 作 者 試 探 ﹂
( ﹃ 中 文 研 究 ﹄ 第 四 号 ︑ 1 九 六 四 年 ) や ︑ 阿 部 泰 記 ﹁ r 金 瓶 梅 詞 話 j の 叙 述 の 混 乱 に
ついて﹂(小樽商科大学﹁人文研究﹂第五十八時︑一九七九年)において︑具体的
な 指 摘 が な さ れ て い る ︒
(3)﹁万暦本﹂に山東方言が多く見られるが︑﹁崇禎本﹂ではこれが改められてい
ると︑最初に指摘したのは︑鄭振鐸(﹁談r金瓶梅詞話ヒ1九三三年)であり︑つ
づ い て ︑ 呉 暗 ( ﹁ F 金 瓶 梅 j 的 著 作 時 代 及 其 社 会 背 景 ﹂ 1 九 三 四 年 ) ︑ 魯 迅 ( ﹁ 中 国
小 説 史 略 ﹂ 日 本 語 訳 序 ︑ 一 九 三 五 年 ) ︑ 通 景 深 ( ﹁ 談 F 金 瓶 梅 詞 話 ヒ 一 九 五 七 年 ) ︑
李 西 成 ( ﹁ 金 瓶 梅 ﹄ 的 社 会 意 義 及 其 芸 術 成 就 ︑ 一 九 五 七 年 ) ︑ 張 鴻 助 ) ﹁ 試 談 r 金 瓶
梅﹄的作者・時代・取材﹂︑一九五八年)らも︑同様の指摘を行い︑遂に︑中国科
学院文学研究所編の﹁中国文学史﹂(一九六三年)でも︑﹁作者は︑山東方言の運
用に熟練していた﹂と書‑に至った︒しかし︑この間︑具体的に﹁万暦本﹂のう
ちのどの言葉が山東方言なのかを指摘されることが絶えてなかった︒最近になっ
て︑張遠芥が︑﹁金瓶梅﹂の作者は山東嘩県の人で霞三近であろうとされ︑その証
拠として︑﹁万暦本﹂より八百条にわたる峰県方言を抽出し︑これを発表した︒
( ﹁ 金 瓶 梅 新 証 ﹂ ︑ l 九 八 三 年 ) こ れ に 対 し ︑ 李 時 人 が ︑ 峰 県 方 言 を 他 と 明 経 に は 区
別できないとして︑峰県方言という概念自体科学的でないとした︒(﹁賞三近作
﹃金瓶梅﹂説不能成立﹂一九三八年)︑これより先へ朱足は︑一口に山東方言と言
っても︑肢東︑沌博︑済南では︑明確な違いがあるので︑山東方言という言い方
も 極 め て あ い ま い な 言 い 方 で あ る と し た ︒ ( ﹁ ﹃ 金 瓶 梅 ﹄ 的 作 者 究 責 是 誰 ﹂ 一 九 七 九
年)︑これらの意見に対し︑﹁万暦本﹂の中に北方方言に混じって︑呉語があると
崇禎本﹁金瓶梅﹂各回冒頭の詩詞について
指 摘
し た
の は
︑ 戴
不 凡
が 始
め だ
っ た
︒ (
( ﹁
﹃ 金
瓶 梅
﹄ 零
札 六
題 ﹂
一 九
八 〇
年 )
︑ 同
様
に︑﹁万暦本﹂中に呉語が見えることを指摘し︑かつこの作者はむしろ呉語に慣れ
た人ではなかったかとしたのだが︑黄幕であった.(﹁r忠義水溶伝﹄与F金瓶梅詞
話し一九八二年︑﹁r金瓶梅j作者屠隆考続﹂一九八四年)このように︑八十年代
に至り﹁金瓶梅﹂に使用されている方言に関して様々な意見が提出されるに至っ
た︒この中にあって︑次の言語学者による研究が注目される︒その一は︑やや古
いが藤堂明保の﹁明代言語の1側面‑言語からみた小説の成立時代﹂(1九六四
年 ︑
日 本
中 国
学 会
報 十
六 集
所 収
) で
︑ ﹁
万 暦
本 ﹂
に 見
え る
詩 の
押 韻
に ・
i n
と ‑
i n
g の
混用が見られることから︑﹁金瓶梅﹂の作者を︑嘉靖年間に活躍した山東商都の人
ではないかとする︒その二は︑張恵英の﹁F金瓶梅﹄用的是山東請咽﹂(一九八五
年)である︒それに依れば︑﹁金瓶梅﹂には︑碓かに北方方言が多‑用いられてい
る︒しかしそのうちのどれが︑山東方言であるかを特定することは困難である︒
更に作中呉方言も見られる︒従って︑﹁金瓶梅﹂に用いられている言語は︑北方語
を基礎として︑その外に他の方言︑特に呉方言︑をまじえた︑いわば南北混用の
言語であるとする︒その三は︑朱徳輿の﹁漢語方言里的両種反復間句﹂(1九八五
午)で︑語法の観点から﹁万暦本﹂の文章を見たものである︒それに依れば︑ま
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ず中国語の疑問句法に︑凡そ1北方方言で用いられる﹁VP不VP﹂型と︑二江准
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方言で用いられる﹁可VP﹂型の両種があるが︑同1方言中にこの二つの型が併
用されることはないとし︑この観点から﹁金瓶梅﹂を見てみると'全篇の大部分
が﹁VP不VP﹂型の句型が用いられているが︑五十三回から五十六回までの四
回のみ︑﹁可VP﹂型の句型が集中的に用いられている︒このことから︑この四回
だけは︑南方の人が補筆したのではないかとする︒
(4)梅節氏が﹁全校本r金瓶梅詞話ヒ(l九八七年︑香港屋海文化出版公司刊)の
前言で'十巻本(即ち﹁万暦本﹂)は︑二十巻本(即ち﹁崇禎本﹂)のあとに出版
された可能性があるとされる︒これに対し︑黄霜氏は反論し︑﹁崇禎本﹂の巻六や
巻九のタイトルには︑﹁新刻繍像批点金瓶梅詞話巻之‑‑﹂と﹁万暦本﹂の要素が
残存していること︑また︑﹁万暦本﹂で誤刻した字を﹁崇禎本﹂でも踏襲している
十五
荒木
猛ことなどから︑﹁崇禎本﹂は︑﹁万暦本﹂に基づいて改作されたものに相違ないと
されるO(黄霜﹁関干F金瓶梅﹄崇禎本的若干問題﹂(﹁金瓶梅研究﹂第一時所収︑
一 九 九 〇 年 江 蘇 古 籍 出 版 社 刊 )
(5)﹁万暦本﹂九十七回の冒頭詩も︑若干の違いがあるが︑ほぼ同じ詩である︒参
考までに書‑と︑
在世為人保七句
世事到頭終有尽
貧窮富貴天之命
不如且放開懐楽 次の通りである︒
何労日夜弄精神
浮華過眼恐非真
得失栄枯隙裡塵
莫待無常鬼使侵
(6)平凡社版中国古典文学大系﹁金瓶梅﹂の小野忍・千田九l訳による︒以下﹁万
暦本﹂の詩詞の訳文は︑すべて同書訳による︒
(7)孟昭連﹁金瓶梅詩詞解析﹂(書林文史出版社︑1九九l)
(8)翁少放刊本﹁草堂詩余﹂二快二十冊(東京大学東洋文化研究所蔵)によった︒
同書は︑正集六巻七冊へ続集二巻二冊︑別集四巻六冊︑新集五巻五冊よりなる︒新
集には専ら明大の作を収めている︒以下すべて﹁草堂詩余﹂は︑この本によった︒
(9)謂正望﹁中国文学家大辞典﹂による︒
( 2
) 詔
氏 前
掲 書
に よ
る ︒
CU)秦曙薙(字復竃)の詞が若干︑﹁太霞新奏﹂や﹁呉騒合編﹂に見えるので︑こ
の時宛のことかとも思われるが︑明確なる証拠に欠くO尚泰時宛は︑鐸氏前掲書
によれば約一五七三年前後在世と見えるo
( 2
) 謝
肇 制
の ﹁
金 瓶
梅 政
文 ﹂
( ﹁
中 華
斎 文
集 ﹂
巻 二
十 四
) に
言 う
︒ ﹁
金 瓶
梅 の
一 書
は ︑
°
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作者名代を著わさずo中略︑書は凡そ数百万言にして二十巻なるも︑始末は数年
さき