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夫 林 濱

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(1)

・一 ?37一

 近代の始めを劃するものがルネザサンスと宗敏改革であるこどについては疑問の鯨地はないが︑その根本的な意昧は

ローマ郡下を中心とする聯學的世界からの﹁人間の解放﹂といふ黙に存する︒晒と同時に世俗國蕨も亦敏會に回して猫

立性を主張し︑近代國民國家として省議解放をなしとげる︒そこで敏愈から解放せられた入間が︽ ﹇榊の子﹂として

ではなく.﹁人間﹂と七℃の奪嚴性を主張すると同時に︑國家も蓋世俗界に關する限りその絶劉的優越性を主張するの

であり︑前者の主張を最も端的に表明するものが自然権なる考へ方であるならば︑後者を最も明白に示すものは主権

なる概念であらう︒併し人間が伝聞たる限りに於てもっところの自然毒なるものは︑敏會に暑し℃偲人の良心の身由       ノ       ド      へ      を主張する武器であると共に︑否それ以上に︑個人の生命︑自由︑ある場合には財産︑の擁護者として︑專制君主に

零して主張せられる︒他方主椹概念も亦︑敏會に劉する患家の自己解放の黒総であるよりも︑むしろ民主主義への進

行を阻止せんとする絶望主義者達の有効な武器として利用せられた︒主椹概念がポーダンによつて確立され︑ホッブ

スによって強調せられてるる反面︑グロチウス︑ロクの如き民主主嚢的色彩を多少とももつ入々に於ては︑それが曖

     ルジーに於ける普遍赴會と特殊冠會

(2)

一138一一

     囁タソーに於ろ普遍勉會と特殊杜會    ギ

昧化してみる事實がこのことを最も良く示すであらう︑      ︐   ・

 ところで自然椹なるものは︑たとへば鷲︒クにみられる如く︑具艦的内容に於ては實は市民蝶蝿のブルジ︒アジーの

 ノ       ド      が基本椹を意味するものに他ならす︑自然椹を設定するところの自然法も亦︑市民耐會のための基本原理に他ならなW

めである︒それ故に演然椹と國家主権との相刺は︐.施民就會と絶讃主義圃家との闘雫とみることが今宮るであらうゆ

之の闘雫依英國に於て典型的に展開せられ︑ホッブス︑糠︒クを経てアダム・スミスの豫定調和読に市民祉會の明るい

勝利感を軽みどることが出面るの︒であるが︑大陸に於ては決してそのやうに順調なコースは辿られなかった︒フラシ

ス革命は市民革命であると同時に既に市民就會に封ずる反抗の繭芽を含むものであウ︑同様に亦革命に重して最も直

接的な影響を與へたジャ㌔ン・ジヤツク・ルソーに於ても︑一方にアンシャシ・レジームに奏する自然法的反抗がみられ

ると同時に︑他方就に灼然法思想を超えて次の世紀を豫期するものが含まれてみるのである︒以下に隔て︑自然法思

想に封ずるルソーの二面紳ヤ⁝ヌス的性格をさぐることによつて︑自然法思想の問題性と限界とを求めてきゆたいと

思ふ︒ テキストとして使用しれものは︑

  ρ舅く箋鷺瓢彰鴨目る饗へ︶藻凶ハ.星団.瞬9贔誓鑑鵡ご酷葺篇葉w︵輪鐸藷濁¢農お蕪 ト◇︽9興○麟ヨ葺答鷺お巖.

  O魯≦窪OOヨ覧象霧︵ざ簿鋳切2塁¢麟鎧 鼻ε卸蕊魯℃珍ジ︼o◎も︒伊

 であ・り︑邦諜としては

  本田喜代治  ﹁人聞不李等起源論レ㌔︵岩波文庫︶

  軍林初之輔  ﹁民約論﹂     ︵岩波交庫︶

  牢林初之輔  ﹁エミール﹂  宇  ︵世界大思想全集︶        ・       へ       び を参照しt︒以下に於ける引用文の頁敷ぱ﹁エミーか﹂は全集第二谷の︑﹁科雄藝備論﹂は全集第一巻の︑それ以外はヴォーンの著

(3)

書申の頁数を示詩ヲ︒

_コ39一

︑ルソーもすべての自然法思想家と同感に︑自然人及び自然欺態なる概念から禺博する︒併しルジーに於ける自然竃       をとは︑配して軍なる國家理諭の論理的前提若しくは歴史的事實の描確たるに止らす︑常に現實ゆ三春に封ずる批判の

武審として︑しかも軍に消極的に就會から擁護せらるべきものとしてではなく︑積極的に杜會を導くものとして考へ

られてるる︒それは國家の中に止揚せらるべぎものでもなく︑叉市民祉會の基本的な姿どし■國家に並立すべきもの

でもなく︑國家に吸牧されつくしつ﹂國家を五輪するものなのである︒ルソ弓の自然概念が一義的忙規定せられす︑

ま       ぽ      じ       グ屡汝混鰍の源となってみるのは︑既に彼.自然法思葱皮の極黙に立ってるることを示すものと解し得るであらう︒

=七五〇欝欝奪られ衆慰藝術論乏於ては︑麦北﹂︑﹁敢曾﹂︑﹁自馨︑﹁徳﹂︑誼國愛し︑﹁入類垂︑

      ち      へ ゆ

 「ヌ心﹂等︑ルソ1の思想の中核をなす諸概念が︑非論理的にではあるけれどもすべて提起せら隔てみる.轟蕊で問

題となることは︑︑彼はこσ小論の序文に於て﹁私は縢聞を攻繋しやうとしてるるのではなく︑有徳の入々の前に於て

徳を擁護せんとするめである﹂︵篭2・︶と云ぴ︑自ら麗なる文化破壌者たるに止らす︑積極的に薪しぎ交化の基礎を確

立せ〃とする態度を示してみるのであるが駅﹃この⁝徳﹂︵冨お簿蘇︶なる新しきものの基礎が何を意味するσであらう

かといふことである︒この論丈に於て徳なる概念には何ら一撃的な定義は輿へられてるない︒それはこの現實の概會

・に於ては最早や失はれてしまって存在してみないもの︑質朴︵ぎ麹︒ぎ噂琴納壕︶︑無知︵圃.貯蓉3毫⑩︶と並置せられるもの︑

 ﹁算当の風習が粗野ではあるが自然的であった時篇存在七てるたもの︑古代母家に撃て⁝︑こ−︑でルソーは古典時代       の都市墨家を理想化し℃考へてるるーー羅國愛︵一・§6籠密ご鷲霞富︶と結びついてみたもの︑しかも入類愛と結びつ

      痢ソーに於σる普遍冠會と特殊菰會

(4)

一14◎一︑徳の概念の展開であると云ひ得るであらう︒ るもの︑徳とはこのやうなものなのである︒以下に於て次第にのべてゆくやうに︑ルソーのこれ以後の著作は︑この       ヘ      へ  くもの︑ さうして情慾︵ζ管邑︒凄︶の沈仰せる時に心の中の良心︵ぎε髪9§毒︶に耳を傾けることによって知られ       ルソーに於ける普遍紅會と特殊疲會

  この徳の概念をいはば﹁質朴さ﹂の方向へ徹底していったのが一七五五年の﹁入闘不第等起源論﹂に於ける自然概

念であった︒ルソ窪はそこに託て恰も未開人・原始時代であるかの如くに自然人・自然歌態を描き出してみる︒併し

.ルソーはそのやうな自然の麟皮的實在性を明白に否定してみる︒彼は他の〜哲學奢達が自然歌態を罐史的事蟹と考へ︑

説愈的なるものを自然歌態の中に含まし勘てるることを非難し︑執自然歌学が存在したことに封ずる疑ひは現代人の      大部分の心に生じたことさ︵ない︒然るに聖書を望めば明らかであるとほり︑最初の入閥は上竪と訓戒とを直接紳か

らうけたのであるからハ彼自身この早態にはみなかった﹂︵く︒この℃﹂島︶と言ってみる︒彼の言ふ︻︑自然﹂とは人間の

性質の中から人爲的なもののすべてを捨象し去嶺う最窓根源的な性質に勝て把へられたところの︑さうしてその限り

に於て人聞が人間たる限りすべて共通に有する急ころの︑普遍的人間性なのである︒この根源的なるものをルソ1は

理性に先立つ二つの感情︑即ち自愛心︵︸勺電髪○¢材犠⇔ ¢O幽奪圃峯OヨO︶と憐れみの情︵髪嵐薮︶と考へる︒このやうな根源的人      〜間性は決して事實にまって裏づけられたものではなく︑ルソー自身の内面的反省によって得られたものであり︑從っ

てそれはルツー自身の性格の一般化せられたものであるかも知れない︒併し彼はこのやうな究極的人間性に幸して深

い信頼をもち︑この性質が歪曲抑奪されてゆく過程として︑就愈の弊害不斑に痛烈な批判を與塗んとするのであり︑

更にこの性質を基礎として新しき舞岡の建設原理と歪曲せられざる人闇の姿とを描き出ざうとするのであって︑その

三昧に於てζ﹂に詮かれる自撚概念はルソーのF全購系の根底をなすと云ひ得るであ分51︒

 第一に自愛心とは﹁我女をしてその身の安全ど自己保存とに聖心をもたしめるもの﹂と定義されてるる︒︵き︼の釧

(5)

一一P41一

や蕊︒︒︶一般に自然法思想が自然樺を考へる場合にその第一にあげもれるのは﹁生命﹂であり︑從つで自己保存欲求が

究極的人間性として強調されるのであるが︑たとへばホッブスが自己保存の自由として自然樺を考へ︑ζ曳から有名な

﹁万人の万人に倍する職事﹂といふ自然歌態を導き出してみるのに聾し︑叉撹ックが自己保存椹を自分に封ずると同

時に他人に封しても認め︑之を奪重するといふ理性的行動ゲ媒介として重重な自然欺態を導いてみるのに曝して︑ル

ソーのこの自愛心はそれ自艦として畢和的性格をもつてみる︒それは自已保存の礎利主張といふ面よりも︑むしろ抑

制的な面を強くもつものであり︑脅・智といふよりもむしろ嵐と呼ばれるべきものなのである︒ルソーはホ.プスが

自然的暴露歌態の原因として競争心︑猜疑︑名轡欲をおいてみるのに反骨し︑このやうな感情は就會に於てのみ生じ

得るものであるとし︑之を自尊心︵回.鈴§§擁露営お︶と名づけて自奪心から峻別してみる︒ ︵﹁人間並不等起源論﹂註㈲

その他︶自尊心とは他人と比較して之を凌駕せんとする欲求であって︑無限に撰大し︑永久に充足せら抑ることなきものなのであ塞愛心と譲讐己嘱膿的生奮必覆るもの凝す桑で費その充足が如何に容易

であるかを義ソーは未開入の姿を借りて直明してみる︒ ﹁未開人はあらゆる種類の知識を欠き︑この最後の種類の感

情︵敏なる自然の衝動ざ・・ぎ三⇔ぎ讐三§倉冨養葛.Φ︶だげしか維験しない︑彼の欲求はその肉畜的欲求以上には出︐

ない︒臨め知ってみる唯一の幸編は食物と異性ま休息とであり︑彼の恐れる唯︒一の不幸は苦痛と鰻餓とである﹂︵き鯉

︸.℃﹂ヨ︶     .     ・      .

 理性に封して不信をいだき︑自然入に忘して理性を拒否するルソーは このやケに自然感情としての自愛心を限定       紹的なものとすることによつて人間の本知的な亭主性を強調するのである︒

 第二に憐れみの情であるが︑この自然感情は明らかに抑制的に作用するものであり︑自愛心の︑旨後には自尊心の活

動を制御せんとする︒併しこの感情ぼ樹愛心と並置して根源的自然感情とされてみるけれども︑その占める位置は小

     汐ソーに於ける普遍駄會と特殊紅會

(6)

一一 P4露一一

      ルソーに於ける普遽就會と特殊.敵會

へ      囁ぎく.自愛心に面して從屡的であるのそれは﹃︐自照保存に關係があって自分自身を優先せしめなければならぬやうな合

法的な場會を除いて﹂のみ︑﹁他のすべての感性的存在︵ε無愛器・書毫︒団三⇔︶殊に我々の同胞の滅びまた苦しむのを見る

ことを自ら嫌悪するやう我々に仕向ける﹂ところの感情なのである・こ㌧で亦自然人の墾和的性格が強められる︒ ︵

ルソーのこの﹁自愛心﹂と﹁憐れみの情﹂といふ二面的な入聞把握に︑アダム・スミスの﹁利己心﹂と・門同情﹂の先耽

駆を見出さうとする考へ方がないわけでもないが︑これはゆきすぎであらう︒スミスのζ§饗夢鴇叉は8諺饗鼠霧が

極めて維験的︑理性的︑鮭會的であり︑黒髪倫理の基本原理であるのに樹して︑ルソーの至難は完全に感情的︑自

然的︑直接的であり︑.倫理的な色彩を全く乱せす︑後に示す如く彼の就會倫理はむしろ自愛心から生れてくるのであ

る︒︶ この二.の感情が汰聞の入閥たる隈り有㌔る最も根源的な自然であゆ︑本能的︑直接的にすべての人間の心に訴へる

し一⁝或ぴは訴へるべき筈のものである︒從ってこの二感情の組合せから生するところの命令﹁ぴとの不幸を出・來るだマ

      ぜ    け少賎して汝を幸瀬ならしめよ﹂.︵.葦・§ξ雪・悉無鐙§魯︵7︑の霧ξ︑・き.鼠名.嵐鐸毒素5︶ こそ眞の意昧に於け

る自然法であるとルソーな考へる︒理性や何らかの赫會的原理を含むものは決して自然法ではみり得ない︒

 この自然法の支配する歌態︑即ち人闇がニッの自然感情にのみ從って行爲する歌態こそ︑正に自然歌肥なのであり︑

それは他入の意志に支配されす自らの欲するところをなし得るといふ意味で脅由なう塾生艦的不払等を除いては亭等\

な︑さうして三和・二いふよりは奉和以前の孤立的生存の歌態なのである︒自然人は不正を知らないといふ意味で正し

く︑又不幸を知らないといふ意味で幸編であり︑さうして悪をなし得ないといふ意味で善である︒彼はいはば﹄切の

モラリテの彼岸にあると云へる︒.感情の支饒のみが彼にとって法であり︑自らの力の及ぶものすべてが彼にとって権

利なのであるが︑この法は感情以外に何らの普遍性も有せす︑この櫻利は何らの保障をも有しない︒正確に云ふなら

(7)

一4愚3一

ば自然歌態は法や椹利の彼岸でもある︒ ︵後にルソ1は政治論に關濁して︑入際には入賜たる資格に於て自然から與       ま へられる乏ころの生命・自由といふ樺利があるとし︑明らかに自然継の酎容を規定してみるが︑ ﹁不挙等論﹂ではそ

 のやう︑な考へ方はみられ・ない︒︶

  ルソーはこの自然人.自然歌態が歴史的事事ではないことをくりかへし強調してみるが︑伺時に多くの族行記等に

よって未開入が彼の自然金と一致してみることを讃明せんと努力してみる︒併しルソーは自然人を原始人・未開人の

中に求めやうとしてるるのではなく.営時の現實の申に︑自分自身の内面に︑更に叉なほ都會の腐敗と樹照的に自然

の純輝さを保ってるる農村の中に少くとも類似的に見出してみるやうに思はれる︒たとへば﹁エミール﹂胸の中でルソ

﹁一は︻︐都會は人類を破滅に導く深淵であり⁝⁝︑之を復活させるものは.常に田舎である﹂と云ってをり︵や儀O︶更忙       ︻F勢働は就會に住む人聞O不可欠の義務である︒富んでみやうと貧しからうと︑張からうと弱からうと︑徒食してみ

る萎々は皆盗賊である︒さうして入部に衣食を典へるあらゆる職業の中で︑最愚自然の状態に近いものは手工︵冨

¢慧鶏冨三亀鑑︶であるL9・鯵雛︶と云ぴ︑農民のみならす働くものすべての中になほ汚れざる自然を求めやうとし

てるる︒﹁科學藝術論﹂に於けるルソーの交化攻撃は實はサ鷺ンを申心とする貴族七化への攻撃であっためであるが︑

この自然概念の展開によってルソーは質朴無知なるものへの信頼を表明してみるのであり︑むしろ逆に働くものへの       ぎ へ信頼からこのやうな自然讃美が生れてきてみるとさへ云ぴ得るであらう︒次にルソーは自然感情め消滅︑入間の堕落︑

自然人でも就會入︵一︑︸戸︵︸彰三〇エミ伸繭a︶でもないところの計仁人︵一ず§諺︒若◎㌶三Φ︶の獲生を︑集團生活の甘干︑私有財       げ産の設定︑階級的不亭等の成立等として恰も慶史的推移の如く描き出すのであるが︑それは入民︵冨鷲ξざ︶に封ず

る抑墨といふ耐會的不正をするどく批判し℃ゆくことなのである︒

ルソ⁝に於ける並巴遍赴禽霞と沸狩一蝋 紅命爾

(8)

ルツーに於ける普遍赴會と特殊紅會 一144一

 自愛心の限定性と憐れみの情とによって輿へられ得べき挙和の保障はあま劃にも粥い亀のであった︒人闘性の善と

理性への信仰をとき八間の進歩嚢展能力に信頼を寄ぜて万事終れりとする啓蒙哲學は︑あまりにも安易な考へ方でし

かない︒現實をみやう︒そこに彼等の云ふ如ぎ調和と秩序と磯馴が存在してゐ だらうか? 現實は墜制と闘箏と不

正に充ち充ちてはみないだらうか? 異常は途にこの滲欺を救ひ得ないのであちうか? ルソーは血を吐くやうな叫

びを以で︑哲學への不信と時代への反抗とを叩きつけてみる︒    ・  〆

 ﹁私は法律と道徳との本を讃む鵡私は塵者と法律家に耳を傾ける心私は彼等の辮舌にき㌧いって自然の惨めさを歎

き︐敵會制度によって樹立された李和と正割とを讃へ︑公共の制度の賢明さを讃へ︑自分が布民たることを知って人       間であることに滴足する︒私は私の車身と幸編とについて敏へられ︑本を閉ぢ敏室を出て私の早算を見廻はす︒そこ

にみられるものは筆墨の下に糠いてるる不幸な人々であり︑墜制者の手に苦しめられてみる入館であり︑苦痛と飢餓      おとに疲れ果てた飢えたる大衆であり︑その大衆の血と涙を吸ひとって羅和に暮してみる富者であり︑恐るべき法の力

の弱者に封ずる強い腕である︒ジ⁝これが畢和のためにつぐられた制度の結果なのだ・憐れみと憤怒が私の心にこみ

あげてくる︒あ﹄野蟹なる哲躍者よ︑來りて戦場に汝の書を讃め︒﹂︵ぎ押押肇砦博︶.

・李和な自然歌態から何故人聞はこのやうな悲惨な歌態に陥ったのであらうか︒ルソーはこ﹂で自麓・心を一釘の悪の

原因と考へる︒人聞が他の人間を意識し始めるや否や︑質朴軍純な自愛心に代って猛烈淺忽な自尊心と情慾とが人間

の心を支配し始め︑憐れみの情のかよわい聲はかを溝されてしまふ︒人間の利己的欲求は最早や永遠に充足せられる

ことなく活動し始める︒ーデ運ド羅は︻︐百科餅典鼠第五雀︵一七五五年︶0自然法︵ごぎ翻発け聖断︶なる項目に於て人蘭

      /

(9)

一エ喚5一

の理性を僑済しつ㌧人類愛を基調とする自然調和的許諾を描誉出した・それはあらゆる特殊冠會即ち國家をこえて世

界につらなるところの典型的ゲゼルシ︾フトである︐ルソ1は併しそのやうな安易なオプティ・・︑ス手ではない︒﹁民約論︑

草稿﹂第一篇第二章︑﹁︑人類の普遍耐魯についてしに於てルソーは徹底的にディド鷺に反碧し自然法の無力さを強調し       ㍉てるる︒ご

 人々は門もろノ\の偶然的外部的原因によって︑﹂あの美しい自然歌態から離れ︑自然感情の代りに情慾が支醜し

始め︑しかも他入の援助なくしてな自己保存不可能となっただめに律管の人膚から遽ざかるためにのみ他人に近づ

き︑L﹁二黒の進歩は個入の利釜を喚起することによって心の中の人間性を消し︑し從って八聞は﹁就會的となれば

なる程邪悪となってゆくのである︒﹂私利の追求が即ち公共の利釜であるといふの激夢想にしかすぎす︑爾者は本質的・     に爾心し得ないものなのであり︑冠すべての入に笹義を論いたとζろで︑正義が利釜と結びついてみなければ全く無     ダ      サ釜であるし︑﹁入類﹂などといふ抽象的なものに義理だてをして︑自分自らに束縛を課するやケな殊勝な入はみない       へであらう︒確かにディド腿の煮ふやうに惜情慾の沈鰍せる時に於て︑人が他入に領し︑叉記入がその人に蓋して何を要

求し得るかについて推論するところの悟性の純粋行蝕したゐ一般意志が人々を導くべきではあるが︑麿際問題と℃て

誰ぶこのやうに悟性に從ってのみ行動してみるであらうか︒良心にきくと云っても良心は就會に於て始めて形成七得

るものであるから融愈をつくりあげる役には立たす︑榊とは群衆によつて偶像化されて流血の惨事を惹起せしめるも

のにす奮ない︒赤旗と秩序とは鷹者の頭の中にだ廿しか存在しないのである冶現實は正しくホッブスのいふ如き門︑万入

甥万人の戦孚黙認しなのであみ︑ ﹁ホ︒ブスの誤りは︑猫立であり乍ら耽交的となった人々の間に職争歌態を考へたこ

とになるのではなく︑この歌態を人類に自然的なものと考へ・︑實は編笠世態の結果たるところの悪徳をその原因と考

へたことにある︒﹂︵<︒ピHや癖蓄︶とルソーは云ってみる︒この最も惨めな歌態が現實なのである.砒會といふ払をも

     ルソ7に於ける普遍冠會と特殊瀧會

(10)

一短6一

     ル跳一に諺げろ普遜三三と特殊馳會︐

ち︑法によって支配されてみると云ぴ乍ら︑この現出のどこに耽會が叉法があるのであらうか︒法とは支配者の利己

心と情︑慾の道具に他ならす︑就會とは﹁強力なるものにしか力を與へす︑その反面溺奢は滅ぼされ抑墜され墜迫せら

れて逃れるべき遜難所もなくその弱さを救って貰ふことも出引す︑幸幅を得やうと期待してみだ偏ウの敵會の犠牲と

なって途に滅びてしまふのである︒︺︵≦︶︸ら囲マ臨養︶た貸パ間の感情のみが耽會的となり︑制度は自然的のま﹂である

ところの︐この孚臨然的牟就愈的実態はホブスひ描き出した暗い自然歌態よりも更に惨めである︒何故ならばホップス

の戦選歌態ぼ思入の万入に封ずる可能聖職争の歌登なの七あるが︑ルソーの描く現實は強者の弱者に封ずる一方的な

しかも翫に現霊化した抑平面態だかちである︒更にホ︒ブスに於ては自然法が何よりもまつ李和を命じ︑理性は之に從

って李和への努力を綾げるめであるが︑︑ルソーに於ては自然法は否定せもれた粛螺者の暴力のみが支配し︑第和への努力は全くあ鎗得ないのである︒      解

 併しルソーは軍な嶋破漁者︑軍なるペシ︑ミストではない︒ ﹁我々にとって幸編も徳もなく天は我凌を簗落の淵へ救妻

ひ難く見捨て﹂しまった﹂と考へねばならぬのだらうか.ルソ⁝は自ら問ひ自ら否と答へる︒﹁それどころか我汝は悪

それ自膿からそれを修志すべぎ国策をとレだすやうに努めやう︒もし出來るなら新し嚢結合によつて普遍肚會の欠陥

を修正しやう︒温︵く畠鰹や︑蜜溝︶ルソーは﹁普遍批會についてしの章の経りに企てさう力強ぐ叫んでみる︒普遍肚會に・

代って特殊謎禽が︑自然法に代って就禽契約が︑室虚なる紳の花嚢に代って法律の盤義がつくられねばならないので

ある.かくて隠家論が聞題となってぐる︒併し論理的に云へば自然法の働きを否定し︑現實の就會を権力者の手段と

みる限り聖書はあ夢得ない︒しかもルソーは一旦否定←去った自然法を基礎として敵軍をり︽りあげやうとする︒自

然感情は就脅拳蟹によって抑墜はされるが 滅疲され・ないのであり︑ ﹁我みの偏見や自らの意志に背いてさへも我女

の心の中で語ってをり︑.我々が幻影を求めて捨て疎きたところの眞竃なるものへ我々をつれ戻してくれる﹂︵イ︒回﹂      ノ

(11)

︑寒き貧ある・︑あらゆる現實の惨めさ︑入闇の醜悪さにもか蔭らす︑入蘭の中にあみ尊爵なるもの︑自然的なる

ものに封ずるルソーの信仰はあくまでも強い︑さうしてこの宮然的なるものを人民の申に︑歪曲せられたるものを支

配階級の中に見籍してみるルツーは︑鑑識への信頼を以てその國家論全驚系の基礎を築くのである︒

      義

一147一.

 前蓮の自然概念分析よ参明らかとなる如くルソーの國家論欧現認分析ではなく︑・あくまで﹁の理念なのであり︑そ

の魅禽契約は.醗會の起源を歴史的に詮明せんとするものではなく︑正しき國家の在り方を示すもの︑從って何よ夢

もまつ就會改革の原理と.して把握されなければならぬ︒纂實の問題として考へれば園家の起源は種汝あ70得るであら

う.たとへば家族の集合鷺からの漸次的獲展として︑或ひは未開地を先議してこ滋に護り住む人々を從鷹せしめたも

のとして︑或ひは文戦争によって得られた勝者の襟利として︑或ひは築三な富者が貧者を欺いて一方的に有利に結ん

だ就會契約の結果として−一⁝︒併しルソーは云ふ︒

 ﹁人⁝間を寄せ集める︵蓼養¢葺藏霧﹀方法は無論にあるが︑人間を結合する︵毒坤ご方法は一ッしかない︒それ故に私は

政治就會といふ名の下に事無上存在する多籔の集合艦の中で同一の方法でつくられたものは恐ちく二︒となぐ︑私が確

立せる方法に從って作られたるものは一︒もないにも掬らず︑この書物に於て政治耽會形成Qための方法を一︾しか與

へてるないのである︒併し私は学籍︵δ︵ゴ︑◎納じと理性︵ζ警甥︒影︶とを求めてみるのであって︑事實︵餌塗楚熊霧︶を論じ

℃みるのではない︒﹂ンδH押志ま㌍事實を以て國家の起源を読明しそれによって現在の秩序を盤景化せんとするのは

﹁就魯結合についての誤れる考へ﹂であるとしてルソーは門民約論草稿﹂第一篇第五章に於て之を攻撃しでるるσ へ

輩稿しのこの部分は愛撫馬瀬爲第三干第五謬あたる.︶現撫の秩序を蓄化するご糸鰻なので畷

     ルソーに於サる普遍鮭曾と特腺辻三

(12)

       ルソ⁝に於ける普遍勉會と特殊鮭會︑

  く・如何にして正麗なる秩序をつくり得るか晶警のである﹁民約塗第蕉笙章毒筆襲現を以ですれ聴蛭藷書畠でむた禽を到るとξで縛ぞみゑあ鐵讐起源を辿る重蒲漿ρではなぐて・﹁それを合

ユ      ズ       く閣 法的ならしめ得るものは何かしが問題なのである︒ルソし評家論の︑勅脅契約の根本的意味ぼこの黙に存する︒

   然らば合法的な國家とは如何なるものであらうか? ルソーは一民約論 第一篇第六章に激て正しぎ國家の解決す

  べき根本問題を次σ如く展開してみる︒人間はいろ一\の原因によって自然歌人に止まり得す︑自分一人では生存し

  得なくなった︒併t人間は新しい力を得るととは出駕ないのであるから︑自己保存のためには﹁力を合一して総和と

  なし︑それによって抵抗にうちかり以外に︑又この総力を唯﹄の原動力によって動かし協調的に働かせる以外に方法      へ  はない︒﹂ところで入間にとって﹁力と自由とは自己保存の第一の道具なのである﹂から︑この根本問題は次のやうに

       じ         ぼ      ヤ ・表現され得る︒﹁共同の力全鰐を以て︑結合者全員の生命と財産とを擁護し︑さうして輿入は全艦に結合︑つ﹂︑や

  はか自分自身にしか服從せ・ず︑以前と同様に自由であるやケな結合形艦を獲見すること︒囁バぎ鯉ご●肇も・D︶

   生命・自由∵財産といふ自然椹を失ふことなくして如何にして各人は一業膿へ政治膿︶に結含し得るかといふこの

  間題提起はすべての自然法思想家に井通のものであるが︑膨ソーの場合特に自由が強調され﹁︑自由﹂と﹁強制﹂との

  封立が前面に押し出されてみるセとは注目すべきであらう︒叉ルソーのこの問題の解決の方法も他の自然法思想家と

  は異なり℃みる︒たとへば嶽︒クは一方に自然構を一部放棄して之を國家に譲渡せしめ︑他方國家の多力に限界を設定

  するζとによつて︑いはば婁協的に問題を解決し︑やうとする︒この考へ方は自然椹を國家内に於ても維持存幸せしめ

  んとするものであ夢︑逆に云へば蛸脚の役割を自然権の擁護といふ輪留的なものに限定するものであって︑典型的に

  市民肚會的な所謂夜警紀年︵綬ぎ出象亀⁝夢お︶の考へ方に到るものであるが︑ ルソーに於てはホッブスと共に自然構の

  徹底的放棄がどかれる︒さちしてこのやうな完全な談渡によづ℃︑軍なる個々八の同意以上の翼の統一艦としての一

(13)

  人格艦を掌篇ザることによってのみ各入の自然構が保障せられ得るとされる︒ 併しホ︒ブスに於てはこの統一人格膿︐

 の︑主謀は﹁偶入叉は籔人の集會垂⁝②︸径§餐暴霧箭Φ笈酸§雪ぐ︵㍉彰㊧︶と憾れ︑特に君主のザ甲に画論の意志の表現を求め

  やうとされた悔めにいその政治論は極めて近代的な相互契約論から出溢しつ﹂︑保守的な絶甥君主制を結調としても

  つに到るのである.このホ餌ブス.の二面的性格は彼の合理主義欝憤と絶封王制支持といふ實践的政治的魚心との錯綜か      が  ら生れてみるのである澄ルナーはこの黙をするどく見抜いて︑ホッブスを.﹁現在までの最もすぐれた天才の一人短と讃肝       ρ       昇  へっk︑ ﹁強制政治之受動的服從とを詮かうどpずる欲求㍉或ひはむしろ熱心さ娠がこの天才を導いて誤れる結論へ到       リ      へ       も        らしめたことを嘆いてみる︒︵≦・H〆噂﹄&︶ ルソーの問題は永.ブスの肚會契約読から政治的關心を除き去って︑その

  近代的性格を徹底せしめるところにあっ差のであり︑個々人の相互契約から生する集合的統一的斜格膿の主膿を契約      へち  者即ち三民全艦と考へることによって︑ホ噌ブスとは全く逆の結論に到蓮するのである︒

   併し契約者全員が契約者全員に評してその自然樺を護渡するとてろの胱愈契約とは如何なる意味をもつものであら

  うか? 又この就禽契約によって從來孤立して.ゐ允各個入から如何にして統一的人格膿が生℃得る︒のであらうか?         お  入格の本質が意志にあるとするならば︑この國家なる精榊的存在︵鑑鍔伽瞥蝉.φ 一嵩O四二藁︶の意志たる一般意志︵ξ︿︒ざ艮叙

  α発曾曾銀Φ︶は如何にして表明せられ得るであらうか?      華      ゑペ   ルソーはこれらの根本的諸問題をあぐまで個人に即して答へやうとする︒自然歌態に於て人蘭の自己保存行動を導

  くものは本能的自愛心であるゆ從ってこの本能的欲求の充足に際して外部的障害が存しなければ人間は自由であると

畔 云はれるのであるが︑併しこの自由は無意的又は自然的と呼ばれなければならない︒次に入間は財らの力のみでは自囎己土窯罷各浸入の霧を必葦一るやうになると︑慰事喜保存欲求の讐︑他全軍力にみて一

 ︐完全に自己を保存しやうとすると之うめいはば斑性的な自己保存欲求が生じ︑ルソーの所謂﹁表面的な利釜﹄

    一   かソーに於ける普遽就會と特殊繭會

(14)

一ユ5◎_

      砂ソーに於けろ普遍三三と特殊融會

︵賦・算霧;箋・ξと﹁眞の御釜﹂︵同・冨憂︸言§夢一eとが愛別されなければならなくなる︒一般に意志とは自己

の幸輻を追求せんとするものであるが︑このやうな二種の利盆が生するに及んで意志にもニッの稀類が生れる.﹁表面

的な利重しを追求せんとする意志は自己のみに濁する﹁ものなるが故に特殊意志︵ポく巳霧篭蜜三3一琴εと呼ばれ︹眞       ㎜の利釜﹂を意欲するものは自已と受入とを含めてその共通の編羅を意志することであ夢︑且つ自他共に所有するとこ

ろのものなるが故に一般意志と云はれる︒ 一般意志はその劃.象に於て一般的であると共にその主膿に於ても一般的で       ななければならないのである︒そこで自分と他人との闘の關係に漏する限り︑辮自他の協がが必饗とされるならば一般意

志が完全素封的に之の關係を規鯛しなければならぬ︒そのために自分の特殊意志が講習せられることがあっても︑そ

れはより高き自已保存のため必要止むを得ざることなのであ﹁り︑眞の鷺山が翼の自己保存欲求の充足に存ずるもので

あるなら︑ 般意志に七って特殊鷲志を抑湖することは自由の抑蟹ではなく︑却ってより高き意味に於ける自由に他

      ゆ      ゲならない︒.あ關係は自已と他の天との賭係に止ま噸もの︐ではなく︑次第擬さ︒れて國家に到り搭A類全膿に

まで讃し得るものである.從って闘家内の一團膿たとへば市瞭蹄叉は︑政府の意志は詩家意志に劉して特殊的であり︑

叉國家意志は隠家内部に勤し℃は一般的と云はれ得るけれども︑要素に劇しでぼ特殊的と呼ばれなければなら亀從

ってこ﹂に各種の團膿・融愈の階層的麟關係が考へられるのであり︑﹁特殊就會は常にそれを含む肚會に從厩するが

故に︑入は前者によりも後者にまつ服從すべきであり︑市民の義務は元老院議院の義務に先行し︑人闇の出隅は市罵        ノの義務に先行する﹂のであり︑さうして︷最も一般的な意志は同時に最も正しく︑民の聲は事青蛙の聲である︒しと云

はれ得るのである︒︵痴σ轡持︾塙蕊秘

 ところでルソーの聖母の問題は國子飼ゆ擁成にあるのであるから︑・こ㌧では暫く階層的關⁝係の頂黙を三家とし︑國

家の意志を最も一般的なるもの 考へ・紳の盤を國民の聲としておかう︒その場合國家の指導原理たる一般意志を甥

(15)

一ま51一

象面に鞭てのみでなく主膿葡に於ても一般的でなければなら︑ぬとすることによつ℃︑ルソーは入民主野江の基礎を見

出す︒ 一般意志の車留が國勲等膿であるならば︑.一︐般意志を適用することに於て存立する主櫻なる國家礎力の主膿も

㌧亦難民全剥でなければならぬ︒難民が主働者であるならば主樺者への自然棲譲渡とは國民の移民に齢する譲渡に他な

らぬ︒從ってルソーに於ける就魯契約は︑・すべての入がすべての入に樹してあみ入への自然礎譲渡を約束する︵ホゥブ

ス︶ものではなく︑︐ましてすべての入がある入に醸して護渡を約束する︵プ.フ濫ンドルフ︶ものでもなく︐すべての

入がすべての人に封し︑︒すべての入への講渡を約束するものなのである︒この場合護渡する﹁すべての入﹂と賦孤立       げ       チ   へ的自然人の各々︵三多ε謬き琴蕊︶であり︑護渡をうける﹁すべ℃の零しとは一号となった主構者の資格に於ける入々

︵謬§﹂・露8同調︶なのである︒﹁各個入はいはば親分自身と契約してみるのであみから二重の夕風で約吏をしてみる︒

即ち主権者の︸員としては各個入に剥し︑濁家の一員としては主構者に封みて約束をするめである︒﹂︵く9岡︸もも︒恥︶

主冠者とは一般意志を適用するものであるから︑主礎者への服從とはU般意志への服罐に他なら・ず︑且つ触︑國家を導

くべき一般意志は過去の﹁意志ではなく現在の意志であるゆし︵♂.◇︸・轡肇画曾︶随って各人が主樺⁝者としての自E︑即ち自

席の内にある一般意志への服從を約束するところの耽會契約とは︑國民全膿がその時々の國家の意志に從って生きん       とする意志を表明するも⑪であり︑この意志表明によって國民は始めて主椹者たり得るのである︒

 ﹁このやうに考へてくるとルジーの就會契約は著しく倫理的な色彩をもつてくるやうに思はれる︒併し政治は倫理で        解決されるものではない︒主椹者は個騒人に無して何らの保障を必要とせす︑個人を害するといふことはあり得ない

のであるが薄 ⁝臣民が主潮者に甥する場合は趣きが一慰する.この場合には主構者が臣民の誠蟹を確保する何らかの

手段を見患さない限り︑たとへ義務を果すことが共同の利釜であっても誰もその義務を果さない︒漏﹁そこでこの就會

翼三無釜な規雰らしめ奮ため︒r︑との契約書般意志簾從することを誓ものは躍全部の力でこれ賑從

     魁ソーに於けろ普遍勉禽と特殊勉會

(16)

一152一・

      ルソーに於ける普遍弛會と特殊馳會

することを強制されるといふ約束を暗々裡に含んでみるのであ惹︒そしてこの約束のみがその他の約束に効力を生ぜ

      ド       ざ      ゑくしめるのである︒囁これは自由になることを強制されるといふ意昧に他ならぬ︒し︵さ回﹂嗣.瀕︶.も︒嬢一傷︒⑤︶

 ルソーは︻︑民約論篇第二篇第四章﹃主灌の限界﹂に煽て︑威嚇精力は共同膿に必要な部分のみにしか及ぱす︑その

範園外に於ては國民は﹁︑入闇として享有すべき自然樺﹂をたのしむことが出下ると云つでるる︒とのことぼルソーが

主構の金壷性に不安をもち動揺してみるこ紀を示すものであるが︑併し彼は主礎力の多湿を一般的なものに嚴密に限

定することによってその主礎概念が︑從つ℃絶蜀主義が︑奮い主椹概念及び絶甥主義と根本的に異ることを強調し︑

『、スが共同膿に必要であるかを判噺するものは主筆者のみである﹂として實質的に主意︑の限界を除去してみる︒この

やうな一般意志への無封服從こそルソーの云ふ自然樺の徹底的譲渡の意味すみととろに他ならない︒

 ルソーの自然権の再容は生命自由及び適言なのであるが︑これらはすべて︸般意志の指導下に於て生れ代り一新し

き生命︒自由∵財産とならなければならぬ︒﹁人間︐が就會契約によつて失ふところのものは︑自然的自由と︑彼の心

を惹くもの︑そして彼が手にれるごとの出繋るすべてのもめに封ずゐ無制限の耕牛であり︑彼が得るところのもの

は耐會的自歯と彼の所有するすべてのものの所有樺である︒﹂⑤◎回・ご・緊ま︶砒會的自由とは一般意志によって制約さ

.れるもの︑より正しくは﹃般意志に六って自己のより高ぎ生存をなしとげんとする自由であり︑所有椹も亦國家から

一般意志に反せざる限りに去てのみ與へられる︒否生命さへも國家から與へられるものなのである︒﹁國家が市民に

向って﹃汝の死が國家のため必要である﹄と云ふ時には破は死ななければならぬ︒何となればさういふことを條件と

してφみ彼はその時まで安全に生きてきたのであり︑ド彼の生命は軍に自然の賜物でなく寄書から條件つぎで與へられ

たものだから.で.る︒﹂︵き回﹂超警麟↓︶とまでルソーは極言してみる︒勿論このことは國二叉は一部の支配階級が恣意

的に搬入の財産・︑生命・︐自由を信害してもよいといふことでは断じてない︒ ﹃﹃蝋人が樹齢臓のために犠牲になることは

(17)

一153_

良いこ乏である﹄みいふ言葉が︑もし憶多緻のために無熱のものを犠牲にすることが政府に許されてみる﹄といふこと

  ノ       ド       セ.を意味するのなら︑私はこの格傘を︑專制者の獲明し旋最も櫓むべきもの︑⁝・三線會の基本法に眞向かあ背ぐものと思

ふ.し︵きピHや塾⇒齢︶そのやうな基本模の 侵害しに激して反町すべきことはルツーにとっては読く必要のない自明の       ㍉理なのである︒撚︒クの如くに反抗.椹︵臼︒ユ即詰亀蓼覇・騨瞠銘ε︶を問題とすることはルソーの關心とはならない︒併し正

・しき國家︑ 一般意志に徴して無條件に服慰することは﹁基本樺の侵害﹂ではなくて︑むしろ基本樺の﹁開展﹂なので

    ダ     ヨ      サ      しで       ノある・そのための強制は 自由への強制﹂なのである︒かくてルソ 51に撃て國家のために死ぬことは﹁最も稻揚ナベ

    ず      ドき徳臼となり︑最も崇高なる義務たると同時に最も誇るべき樺利となる︒自己の生命を護るために作りあげた國家の\

ために︑自己の生命を失ふごを.が読かれるのである︒このやうな結論は自然構思想からは決して出てこない︒自己の

ための手段であった國家がいつの間にか鶴的としておきかへら4るのである︒ルソギは究極的自然構たる生命の維持

めための手段燃してσ㎝︐自由﹂を︑.いつの間にか生命よPも奪い目的とすることによって一自然椹ゼ自然法思想の論.

       ノ理的恨界をこえるのである︒ての場合我庸はルソーの古代都市掛算特にスパルタへの過度な讃美と︑さうして自ら誇

らかに﹁ジ︑ネーブ市民﹂と名のるルソーの愛國的情熱とを思ひおこすのであるが一こ﹂に國家を至上存在とする有機

膿思想の入りこむ間隙が存し︑・ナシ翼ナリズムの繭芽がレルソー自身が意識せると否とに掬.らずi一潜んでみると

云へやう︒その場合ルゾーが理想ともての國家に與へた絶壷鐙力が︑現實の國家へ與へられやうとする傾向が生じて

くることを我々は見逃してはならない︒その危瞼のためにこそルソーは國家指導原理としての一般意志を執拗に張調

したのである︒

 併し一般意志を強調することでは問題は解決遷れない︒聞題はそれが如何にしで表示せられ得るかといふ黙に存す

る︒ルゾーは.政治経再論﹂た於て國民全盛の決議ぼ必ずしも一般意志の表現ではないと云ってみるけれども︵6ご.         だ     き     窟ソーに於け8菩遍敵會と特殊薩會

(18)

一154_し然りとせばそれは﹁多極者の專制﹂しか生まないであらう︶︑多鐵者の意志に一般意志が表現せられるからなので ︐決制度なのである︒併しルソーが多数者の意見に決定権を興.へるのはそれが多撒者の意志であるからではなく︑ ︵も マトρ賢︶︑併じ﹁民約論.に於て結局具膿的な湖度とし℃提案されてるるのは定期的國民詞曲であり︑そこに於ける多籔       マ       r       ルソーに於ける普遍融會と特殊紅會

ある︒併しこの勲に逸しでは直ちに疑問が生する︒何故多恨事の意志が一般意志の表現なのであらうか? ルソー自

ら﹁意志を一般的ならしめるのは投票者激の多少によるのではなく︑彼等を結びつけてみる共通の利釜︵一︑凶忌薄欝       も コ8回彰ご露︶である﹂︵ぎドこら肇ホ︶と云ってみるコルソーは一般意志が常に正七い・といふことを誰明ぜんとするために

いろくの理窟を並べたてΣみる︵たとへば﹁民約論﹂第一篇第七章︑第二篇桀四章.等︶︒併しこれは不必要な努力で

あったと云はれなければならぬ︒何故ならば一般意志とは高々に画家の幅祉i⁝−その内容が何であるにしろi⁝を志

向するものであるから︑それは一般意志なるが故に薙しいδではなく︑聴しいが故に⁝般意志なのであるから︒この場

合 正しb囁 といふ意味は全競の最大の愚母に從ふといふてとである︒法律についてはルソ1はかう云ってみる︒

 ﹁枇魯契約から直接に生する最初の法︑唯一の基本的な薦の法は︑各入がすべてのことに簸て全艦の最大◎十三︵謬

鳳蕊畿ξ纂寒露︵ぎ3一餐︶を優先・せしめるといふことである◎⁝:か︽の如くして我々の中に疋︐不疋の最初の明白な︐

観念蒙する・何砦らぼ法が嚢に先行するのでむつて︑嚢が法に先行するσでばないから◎券.;鼠蒔も・︶然

・るに法とは一般意志の表現︑その客親化に他ならぬのであるから︑  般意志についても同様の.しとが云ひ得る筈であ

る︒ルソーがそれにも獅ちナ不必要な努力を重ね灘のは︑彼が其膿的に多撒決制をしか考へ得なかったた必であり㍉

我々はむしろ多数決が何故一般意志の表現であるのか︑多面者の意見を一般意志なりと判定するのは何んであるかを

問びたい︒この問に難してルソーは何らの答へを輿へてくれない︒さうして﹁多愚者の投票の中に.一般意志が存しな︑

ければ︑いつれの側にも最早釦︑自由は存しない﹂︵8=磨℃・ま︶といふのみである︒このやう︐に一般意志は多数者の

ρ

V

(19)

一ユ55一

意見6申に存すると前提してゆくルソ;の態度の根底にはやはり屡叩くりかへして指摘した如く︑ 入民︵ざ篤言ぢ︶への信頼が存すると考へられやう. ︒⁝      ︒

併しルソ簿は人民への信頼.囁諏民投票の多籔決に安んじてみるのではない頑自然九φ霧良さが本能的であり無知であったの商捲︑入民の善讐も捻毬閣晶蕩る.天繕旨らの圭嬰望むも陰あ.︒が︑︑泌すし肇︑衷

が何であるかを知ってみるとほ限らない︒人民は決して堕落すること億ないが︑併し欺かれることは滞貸ある︒隔

︵イ十二6やお︶それ故にへ︑一般意志にその劉象をあひのま猿に︑示し.﹂﹁その求めてみる正しい道を示し︑﹂﹁國民に自

評の欲するものが何であるかを知らせる必要がある︒﹂ かくてルソーは立法者︵ざ窄ケ費剛落蓉罎︶に眼を鰹一するのであ

る︒ルソーの膿系に於て︸般意志の占める地位が大きいのに比例して︑立法者の占める地位も極めて大強いのであ

り︑立法者はあらゆる問題の鍵を握ってあちはれてくる︒

 併し一彼の描いてみる立法者は紳であ沿︑偶像化せられた古代の偉大な立法者達一;モーゼ︑導キ.︷ルグ旨瓢晶ーマ︑

ソロン⁝⁝〜への讃美がのべられてるるにすぎない︒それだけで終るなちルソーは結局問題を回避したに止まるのであ

るが︑併し彼は立法者に封して鋭く問題を提起してみる︒.

 まつ立法奢はその法を與へるべき黒馬の性格について熟知しなければならない︒ ﹁自由はどんな土地にでも實を結

ぶといふものではないから︑どんな國民でも珍話を手にいれるといふわけにはゆかない︒ モンテスキューの確立せる

この原則ξいて熱比す盤する程︑その眞理た鳶とがます︽はっきりしてくる︒苓◎纂驚M蜜︑就會.

氣 ︑地質︑発心性等々︑ありとあらゆる與件が立法43條件として考察されなければならぬ﹃ルソーぼ晩年コル潔力

腰上のたぬに憲法の起草を依頼せられた時に︑識ルシカ島の地形︑生産物︐入蔚︑事業︑披術︑行政歌聖・僑侶の地

位︑國民の風俗︑趣昧︑歴史︑財政等々について知らせてくれるやうに豫あ要求してみる︒︵ぎH.回8辱誌9︶如何なる      贈     ル.ソーに於げる普遍瀧會と特殊冠會・

(20)

・一 ?56_ .

      ル︾一に於ける普遍鼠會と縛殊赦會

制度もそれ発議とし︐て絶封的に善なるものはなく︑熔つれもこれらすべての條件との關係に於て相撃的にのみ善悪を

決定さるべきものなのである︒更に立法者は一切の利害から超越し︑制度によつて漁民の性格をつくりあげ一.婁鷲溜

ま8芝を形成してゆかねばならぬ︒しかもこのやうな立法事業が流民にうけいれられる孕めには︑法を與へらるべき

國民が︑健全な政治の格率を知り︑國家理性の根本法則に從ふ必要があ◎︑  立法制度によってつくらるべき就禽精       ダ榊が立法制度の設立にあっかる必要があり︑入瀾は法律によつてなるべき欺態江︑法律のつくられる前からなってゐ       糊る必要があり三要するに結果と原因とが逆駕してみなけ廓ばならないのである︒︵く︒ド乍肇雛︶この﹁立法者の矛盾﹂

をルソーは解決し得す︑榊の礎滅によってのみ解決され得るであらうとしてみる︒併しこのルソ﹂の問題提起には多

くの示唆が含まれてを診︑彼が﹁般意志は個々人の意志の総計たる全膿意志︵ざざζ瓢野際ε蕊︶とは異ると云ひ︑そ

れ故に投票制に安んじ得すして﹁︐立法者の矛盾﹂を示した黙に︑ルソーを超えるルソー解団の絵地が残されるのであ

る冷      .   .︑ ﹁囁         蓼      ・      .昂

 ルソ1は一般意志と全膿意志との相違を次のやうに読明してみる︒個々人は自らの中に一般意志と並んで特殊意志

をもつものであるが︑全趨意志とはこの爾意志を含む個人意志の総計でわり︑國家の一般意志とは個人の一般意志の

総計である︒換言すれば一般意志とは全県意志から個々人の.特殊意志の総計をマイナスしたものと云へる︒この關係

は入間ど機械との比較で読明され得る︒憩の創鋤給うた人間はその身心の各部分に野立の意志︵特殊意志︶が全く存

在せす︵た貸統一的な一︒の意志︵一般意志︶に從ってのみ行纒するから完全に有機的に何らの摩擦もなく機能し得る

のであるが︑入間がつくったところの機械は榊の作品の如く完全ではなく︑各部分はその蓮行に於て摩擦を生する︒

同様に人間がつくったものたる國家に於ても︑そ.の﹁活動力の中には機械の摩擦に相當する部分があり︑﹂﹁一般意志

は全艦の意志であることは殆んどなく︑公共のカは個入の九の総計よりも小さい.﹂のである︒︑?多8や合卜ρV從つて

(21)

・一 、57一・

      個六人が完全に師家の一部分となりきり︑ 一般意志以外に何らの特殊意志を有しない理想的な事態に於ては︑ 一般意

志は全膿意志と合致し︑﹁全艦の獲得せる力は個人全部の自然力の総計と等しいか︑よの導くなり﹂胃立法は可能な

る最高度の完成に達した﹂乏云ひ得るであらう︒︵ぎ︼・8ワミQρ︶ 逆に耐會の紐帯が次第に猛爆し︑個人の利釜が強く

なってくると︑=般意志は全醗の意志からますノ\遠ざかってゆく︒このやうなルソーの考へ方は國家を統一膿とみ

猫自の生命ハそれは共通の自我性︵ざ窯9︵ξ彰誉・︶と呼ばれる︶ど意志とをもつものと考へつ㌧も︑しかもなほ之を

超個人的なものとみす︑個人の意志から國家の意志を考へやうとするものであって︑ 繋ックに於ける公共精榊︵臼︒

鷺宮皆導・覧甑瞥︶を徹底せしめたものといふ解繹も不可能ではない︒ ︵たとへばダン瓢ングにそのやうな解側葬がある︒

≦●鋭b琶鑑毒嚇﹀震三¢蔓9ぎ響ざ乞爵鯉8賀す・煽δ導ピ三霧二◎誕・算⇔蔭一臥窪お鵠やも︒誘︶併しより普通には個人の意志

から魚鳥の意志を考へる︑のではなぐ︑逆に超個人的な荘家の意志を考へ︑その反映として底入に於ける︷般意志を考

へるとする解繹がとられる︒その例は十九世に於ける民族精紳︵<︒貯磯Φ富瞥︶概念なのであり︑ルソーの﹁一般意志﹂

概念が後代に與へた影響はむしろこのやつな見方よりするものが多い︒その場合﹁立法者の矛盾しは民族精二叉は國

家理性論が一民族剛國家の罐史的獲展を通じて解決してゆくものと考へられるのである︒この歴簗的磯展はたとへ究

極に於て世界と人類⁝につらなるものであるにしろ︑國家から世界へ︑民族から人類⁝への展開は決して容易ではなく同

質的ではない.少ぐともそれは自然法の論理に於ける個人←饗←貰なる轟的展開では愛野至恩嬰る

シューマを以て描き出されるものではなからケか︒ 一鷹回暦聖画係として特殊的普遍的な諸就會を考べてるたルソー

は世家を特に弧調的にとり扱ってゆく申にいつの聞にか階層的關係をこはし三家を一簡の完成的血膿︑世界階高とは

質的に異るものとみる見解への︑少くとも示唆的な方向を與へてるるやうに思はれる︒

汐ソーに於ける普遍敵會と特殊融會

(22)

裁ヅーに於ける薯遍蝕會と特殊勉愈 一158暫

       ゆ ゴ 以王に於て示ざれたルソーの商家論は﹁民約論﹂胃頭にのべられてるる如く︑﹁人聞をそのあるがまkに考へご之

に調し℃﹁法律をあり得るが如きものと考へる﹂ものであって︑現實の人間に駕し理想的な制度を輿へんとするもの

に他ならない乃併しモラザストたるルソーはこ㌧に立ち止らない︒たとへ自由へのものであるにしろ彊制が存する限

ゆ︑入間は幸編たり得ないであらうし︑國家も眞に安定し繁榮することは出來ないであらう︒翼に絶到的な支配とは

行動にのみ及ぶものでばなく︑國民の意志にまで浸透するもめでなければならす︑眞に幸編なる義民とは一切の強制

なくして一般意志に七ってゆくことの出譲る入ズである︒ ﹁市民に向って﹃善良なれ漏といふだけでは十分ではない︒

善良であるやうに歎へる必要がある︒:三・熱意愛護その最も有効な手段である.何故ならすべての入はその特殊意志

が一般意志に合致する時有徳となるからであ夢︐さうして我々は我丸の愛する融々の欲するものを進んで欲するから

である﹂︵<多嗣鰹︾寒犠︶ 理性よりも感情に芝蝦をおくルシーは人々をして﹁性向により情熱によ夢必然によって﹂愛

盛者たらしめんとしこ﹂に愛國教育の必要を説く︒そのやうな登熟があって始めて多数者叉小菊國民の意志が一般意

志た渉得るのであり︑從って敏育といふごどが政治家の最も重要な任務の一ッとされる︒︵晩年次第に保守的となった

ルソーは︑﹁ボ擁ランド政府改懸案﹂︵一七七二年︶に於て特に敏育の重要性を強調し︑自らの無能をも顧みす徒らに霞  ノき      き由.落忌ど騒ぎ立てる入々を醐痛し︑自載を獲得七之を保持することが如何に困難であるかを知るなら彼等はむしろ

專儒者の鐵の魎の方を静むであらうとしてみる︒︵8一減肖や澄顛︶ この敏育論に於てもスパルタの理念が美しく読か

れてるるが︑この教育の目的は﹁個人の絶樹的存准を剥奪して之に相樹的存在を與へ︑・批會といふ統一艦の中へ自我

を併呑してしまふ︑㌧こと︑ ﹁入闇を最も良く不自然にする﹂ことなのである︒昏麟影皆やき囲︶膚然人といふ考へ方か

(23)

一エ59一

ら出嚢したルソーにとって︑國家ρ申にのみ生存を見出し蒙塵の︷部分となりきってしまふ入間を考へるために︑こ

のやうな公共去就が必要だつたのであウ︑これはいはば論理としての自然法思想と︑唇直感としての有機膿思想とを嫉

介するものと云ぴ得るのではあるまいか︒

 併しルソーの﹁あり得べき入間﹂と﹁あり得べき法﹂との像は國家に於℃絡結するものではない︒前者は組國愛を

こえて入類愛にまで高められねばならす︑後者は國家をこえて世界耽會にまで焚尽しなければならない︒國家樹國家

の關係は自然欺態戦憂身態一−⁝丁度個入蘭に於ける牛津會的歌態の奴寳一−一であり︑それは個人聞の争ひよりも︑よ

り大規模︑より獲灘︑より永績的である︒養母法︵ざ今︒開・δ鮫Φ諺㌔は制裁力を有せざるが故に國家内の法律に劣り︑

挙人蘭の心に直接訴へないから自然法に劣るものであって︑夫々.の國家は自らに都合の良い時だけしか之を守らな

い︒愛蘭は國内的に就會歌態をもち︑封外的には自然歌態をもつが故に完全な自然歌態に於けるよ㍉りも更に悪い歌態

にある︐ 從って獄海台態を完成するためには︑まつ國内改革から始めて國際蘭にも一︒の中央癬.關をもつ國際髄會を

樹立する必嬰がある︒かくてルソーはサン・ピエールの﹁永久直和論﹂を紹介し批判するといふ形に於て國際聯合に駈

封ずる自己の見解を示してみる︒︵穿書︷ら︵ご覧£蜂︵一φ管騨皇考9器回冨富ソ角ピ.ンぴま^δ夢話簿鷺⇔鐸の峯儀.ぎ鮮〆やも・蝕一

や︒︒8ゾけれどもこの問題に封ずるルソーの結論は悲槻的であって︑サン・ピエールの目的は立派であるがその寳行計

叢は児戯にぴどしいとし︐︑一々に之を寳現せんとするよりは数世紀待つべぎであるとしてみる︒ルソーにドつてはむ

しろ部内耐會の改革があま渉にも切迫せる問題であったのであら︑う︒まして國内の改革を考へすに日先のみの世界主

義を唱へる総々︑ ﹁八章を愛すると帯して組興亜の畑野を正當づけ︑世界中め入込を愛すると稻して何入をも愛さぬ

こどを椹利づ叶やうとする自稽コスモポリタン﹂ 嫁︒︼し.マ幽鴇︶﹁自分の周園の入に義務をつくすごどを怠り乍ら︑       古い書物の申に義務を求めやうとする唾棄すべぎコスモポリダン﹂︵禦錘︒娼添3︶こそ責められねばならぬ︒世界就

     ルヅーに於ける普遍紅會と特殊駄會

参照

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【その他の意見】 ・安心して使用できる。

○菊地会長 では、そのほか 、委員の皆様から 御意見等ありまし たらお願いいたし